アウトドア
2023年09月05日
「ホップ・ステップ・キャンプ!」
by ユキ (日本玄門會)
「夏のキャンプを制したい────────」
そう思ったのはいつかの夏、キャンプで熱中症になった時だ。
7月の終わり、河原のそばでのキャンプであったにもかかわらず、設営と川遊びをして、お酒を飲みながらツマミを突つく頃には相当なグロッキー状態だった。
川は冷たかったのに・・、焚き火もせず、炭火にしたのに・・。
結局、テントの中で風通しを良くし、冷たいもので体を冷やしながら横になり、回復を待つしかなかった。ちなみに同行者は元気ピンピンで、お酒もツマミも堪能し、温泉まで入ってキャンプを楽しんでいた。
さて、夏でもキャンプを楽しむ術はあるはずだと、私なりに工夫を凝らしてみた。
キャンプ地は川があり、水遊びができるところ。
寝床は、ハンモック。
冷たいビールに、つまみは冷製のもの・・きゅうりなど夏野菜の味噌マヨネーズ、冷凍枝豆を買って、解凍しながらいただく。
お腹が空いたらソロストーブで火を熾し、餃子とモヤシで浜松餃子を。ソロストーブなら、火力は十分得られるし、鉄板を載せていると周りはそれほど暑くない。
足りないといけないので、焼肉用のお肉も少しばかり追加しよう。
翌朝は、冷やし中華かな。
お湯を沸かしたいときは、アルコールストーブを使えば火力はあるし暑くはないしで一石二鳥だ。
・・と、まあこんな具合に、衣食住で「冷」を意識して計画を立て、念の為「暑過ぎたら帰ってくる」というルールを決めて出発したのだが、このルールがいけなかった。
現地は、予想に反して涼しかった。
7月の終わり、灼熱の天竜二俣で買い物を済ませる頃、私たちは密かに「この暑さでは、ビールだけ飲んで帰るかも」と思っていた。つい先日、体重60kgの成人が缶ビール1杯のアルコールを分解するのに必要な時間は約3時間だと、ネットで見たばかりだったのだ。
3時間・・時間は十分ある。
しかし、灼熱地獄から僅かに30分ほど車を走らせただけなのに、そこは驚くほど爽やかで、快適。さすがに日向には出て居られないけれど、木陰なら十分。川の水は冷たくて、体を冷やす目的で水着も持参したが、とても冷たくて足までしか入れない。私たちには嬉しすぎる誤算であった。
すっかり暑さに対する緊張感が解け、水遊びをしてハンモックでごろりとし、ビールを飲んでは味噌マヨネーズと枝豆に舌鼓を打つ頃、遠くから雷鳴が響いてきた。
「雷ですね」
「前に来た時も雷が鳴ったけど、確か降らなかったよね」
なんとも呑気な会話である。
この日はあまりにも木漏れ日が気持ちよく、タープなしでハンモックのみ設営していた。
タープは、泊まるようなら寝る前に張ればいい・・そう思わせるほど、気分は天国。
ゆらゆら、ゴロゴロ、ゆらゆら、ゴロゴロゴロ・・
止まずに近づいてくる雷鳴。
ずいぶん長いこと鳴り続けている。
空は、晴れている。
携帯で天気予報を見ようにも、ここは電波が弱くて役に立たない。むしろ、そこがこのキャンプ場のお気に入りポイントでもあるのだが。
しかし、ゆっくりと確実に近づいてきている。
山の上にいるせいか、家で聞くよりも雷が近く感じる。
「タープを張っておいた方が、よくないですか?」
そんな質問を受けるだいぶ前から、私の中には警笛が鳴り響いていた。
たとえ雨が来なくても、タープがあった方が安心だ。
雨が来てからでは、遅い。
・・そう思う自分と、
いやいや、この前も雷だけで雨は来なかったし。
タープ一枚でも加えると、蒸し暑くて不快だ。
・・そう考える自分とがいた。
極め付けは、以前この場所を利用した時には、多少の雨が降っていても、木々の葉っぱが生い茂っているためにほとんど濡れることがなかったという経験。
木々の間を抜けると土砂降りなのに、設営地では雨具が必要ないという不思議な経験は、私に森の偉大さを教えてくれた。
だから、今回も大丈夫。
1回目は雷鳴だけで降ることもなく、2回目は降っていても濡れなかった。
今回はこれだけ青空が広がっている。
きっと大丈夫に違いない。
この時、自分にそのように一生懸命言い聞かせたがっていることに気がついた。
私の本能は、ノーと言っている。
大丈夫だと思い込みたがっている時ほど、危険なことはない。
ソロストーブで火を熾し、餃子の準備をしている友人は、限りなくソワソワしている。
「泊まらず帰ってくるかもしれないから」と、珍しく軽装備で来ていたため、最低限の小さなタープ(2.3m×2.3mと、2.9m×1.7m)しか持参していなかった。もちろん、普段のハンモック泊ならそれでも十分だが、車で来る場合は荷物に制限が要らないので念の為もう少し大きめのものも持ってくるのが私のスタイルだ。
どうせ帰ってくるなら軽装備で。
なぜこの考えを、「泊まることも出来るように、予備の備えを」と変えられなかったのか。
果たして、私の甘さを貫く銃弾の如く、大粒の雨が勢いよく一気に降り注ぎ始めた。
タープはまだ張れていない。
二つのハンモックの上に、かろうじて張ったリッジラインとそこにぶら下がった小さな二つ折りのタープ。
消えることのない危機感に、ようやく重い腰を上げて張り始めたが、張り終える間も無くこの土砂降り。生い茂る葉っぱも一瞬で抜けていく大粒の雨。荷物にもカバーはなく、ハンモックは無様にびしょ濡れとなり、出していた椅子も、道具も、見る間に雨水が溜まっていった。
「もうちょっとで焼けるのに!」
鉄板を持ちながら悲鳴をあげた友人の声を聞き、さすがにマズイと思い、タープを完成させようとする。
この時点からポール代わりになる木を探す始末。どれだけのんびりしていたんだろうか。
後悔先に立たず。
とりあえず友人がしゃがんで雨を凌げるスペースを確保し、餃子と肉もそこに避難。
私は再びポールを探しに動く。
そういえば、ポンチョも持ってきていない。
びしょ濡れの上からゴアテックスのカッパを着る気にはならないが、ポンチョなら着れると思う。けれども、今日はなんとなくカッパを入れただけで、ポンチョは置いてきた。これも、よく考えればあり得ない。ポンチョこそリュックに入れて、カッパは予備として車に入れておけば良いだけの話だ。
誠に、後悔先に立たず。
ようやくタープの前面を立ち上げ、軒下くらいのスペースを作った時、雨が少し弱まった。
椅子に溜まった水を掃き、グランドシートを椅子に被せて座れるようにする。
私は頭のてっぺんからズボンの裾まで何もかもびしょ濡れ。
水浴びしたいとは思っていたけれど、なにも水着を脱いだ後で濡れなくてもいいと思う。
しかも着替えは、水遊びの後に済ませてしまった。つまり、今着ている物が、最後の着替え。あとは、汗でびっしょりのシャツと下着、そして水着だけなのだ。
予備の着替えだけでなく、予備の予備まで要るのは、子供のキャンプだけじゃなかったんだなぁと、ぼんやり考える。
前髪から滴り落ちる雫をみながら、餃子ともやしを頬張る。
美味しい。
知らずと冷えた体に、暖かい餃子は十分沁みた。
タレに漬けたお肉も、この上なく美味しい。
ソロストーブの火が、ありがたい。
気温は高かったのか、タープを張った場所は地面が乾いてきた。
さて、ハンモックもタープもびしょ濡れ。そして自分もびしょ濡れ。
友人は躊躇うことなく「帰りましょう」と言う。
当然のことと思う。
冷え切った体に、着替えはなし。
寝床は絞れるほど濡れてしまい、この暑さだからシュラフも置いてきた。
ついでに、この日は体調も決して好調ではなく、気晴らしと静養がてら足を運んだキャンプであったから、友人が心配するのも無理はない。
さて・・
私が最初にしたことは、ティシャツを脱いで絞り、焚き火で乾かすこと。
ソロストーブに半ば跨るような格好で椅子に座り、ティシャツを限りなく火に近づけ、ハタハタと乾かす。
どのくらいの時間が経過しただろうか。
乾いてきた。ティシャツも、ズボンまでも。
ティシャツを被った時の、ふわりと香る薪の香り。
温かい。
体の芯からくつろいだ感覚を纏い、私は確信した。
・・いける。
河原に降りて、空を見上げる。
夕立は、すっかり通り過ぎていた。
木の葉から落ちる雫を受けながら、今回の反省点が浮かんでは消えてゆく。
こうもできた、ああもできた。
でも、結果的に乗り切った。服も乾き、寝床確保のプランもある。・・そう思ったとき、自分の中に妙な達成感が湧いてくることを感じた。
・・いかんいかん、これは乗り切ったんじゃなくて、乗り切らせてもらったんだ。
慌てて思い直す。
今回のことを、自力で対処できただなんて思い込んでしまったら、エライことだ。
結果的になんとかなったから良いものの、最悪のケースを考えると厳しい。
何もかもを完璧に、なにがあっても安心安全に整えておくことが正解とは思わない。
何かがあったときに、対応できる自分側の知識と技術、備えなどの「考え方」が必要だ。
そのような意味では、今回の経験は私に考え方を与えてくれた。
もしこれが、初めから完璧なセッティングで始めていたら、濡れ鼠でティシャツを火で炙ることもなかったわけで、呑気でのんびりな私の危機感知センサーは現状維持だったはずだ。
命の危険がない範囲で酷い目に遭い、乗り切ってステップアップできる。これは明らかに与えられた課題である証拠。「こうなったら、どうする?」と師匠の声が聞こえてくるようである。
備えておくことと、一手間で対応できる工夫、そしてなにがあっても乗り越えていける考え方。その全てを今回のキャンプで教えられた気がする。
私はよく、持参品に制限をして楽しむことがある。
ガス無し。ノコギリ無し。シュラフ無し。カトラリー無し、など。
そうすることで普段使わない頭を使い、自分で工夫を始めることが面白いし新たな勉強になるからだ。ただし、道具を敢えて持っていかないことと、忘れることは違う。
状況的には、訓練とサバイバルほどの違いがあるだろう。
気がつけば辺りは薄暗がりとなり、山は黒さを増し、空は白く浮き上がっていた。
友人を説得するためにプランを説明し、中途半端な設営を完成させていく。
タープを完成させ、ハンモックにウールの毛布を敷いて、蚊帳をかける。
ランタンも掛けるが、持参したのはキャンドルランタンだけで、しかも着けてもすぐに消えてしまう有様。けれど、もう動じなくなっていた。
ハンモックの前でアルコールストーブをつけて灯りとし、あとはヘッドランプと友人のマグライト。食器を洗い、食材を片付け、塩で歯ブラシをして床につく。これらは虫や動物への対策。
友人は今回が初めてのハンモック泊だ。十分に昼寝をしていたから大丈夫だろうけれど、テント泊しかしたことのない彼女が、外の景色を見ながら寝るのはどんな気持ちだろうか。
私の初めてのハンモック泊を思い出し、ちょっとワクワクする。
それこそ私は、野外ではもうずいぶんと地面で寝ていない。
ハンモックで寝ていると、虫も動物も寄ってくる。
土砂降りも、寝ているハンモックが煽られて斜めに維持されるほどの暴風も、あった。
プライバシーや防寒の点からフルクローズ式にタープを張る人もいるが、私は専らオープンスタイルだ。
そこに正解はない。
たとえ同じ状況下にあっても、正解はひとつではないのだ。
そこにあるのは「考え方」だ。10人いれば、10の考え方が出てくることだろう。
その人の選択が結果的に学びと実りをもたらすなら、それは正解だったのだろう。
十の正解が現れることだって、あり得るのだ。
「正解はない」が正解である。
翌朝、心地よい風に吹かれて目を覚ます。
泊まってよかったと、体が言っている。
朝食をとっていると、ふと見上げた向かいの山に動いている物を見つけた。
カモシカだ。
急斜面に器用に立ち、草をはんでいる。
こちらに気づいているが、気にする様子もない。
これほど間近で野生のカモシカを見たのは、初めてだ。
雄々しく立派で、堂々としている。
生きている。それを力強く感じさせてくれた。
後から管理人さんに伝えたら、「それはラッキーでしたね!、この山には居るんですが、滅多に見られないようです」とのこと。
誠に、有り難いことです。
経験から考え方を学び、吸収し成長する。
自分で答えを見つけ、修正し、発展させていく。
結局のところ、人生はその連続なのだと思う。
(了)
「夏のキャンプを制したい────────」
そう思ったのはいつかの夏、キャンプで熱中症になった時だ。
7月の終わり、河原のそばでのキャンプであったにもかかわらず、設営と川遊びをして、お酒を飲みながらツマミを突つく頃には相当なグロッキー状態だった。
川は冷たかったのに・・、焚き火もせず、炭火にしたのに・・。
結局、テントの中で風通しを良くし、冷たいもので体を冷やしながら横になり、回復を待つしかなかった。ちなみに同行者は元気ピンピンで、お酒もツマミも堪能し、温泉まで入ってキャンプを楽しんでいた。
さて、夏でもキャンプを楽しむ術はあるはずだと、私なりに工夫を凝らしてみた。
キャンプ地は川があり、水遊びができるところ。
寝床は、ハンモック。
冷たいビールに、つまみは冷製のもの・・きゅうりなど夏野菜の味噌マヨネーズ、冷凍枝豆を買って、解凍しながらいただく。
お腹が空いたらソロストーブで火を熾し、餃子とモヤシで浜松餃子を。ソロストーブなら、火力は十分得られるし、鉄板を載せていると周りはそれほど暑くない。
足りないといけないので、焼肉用のお肉も少しばかり追加しよう。
翌朝は、冷やし中華かな。
お湯を沸かしたいときは、アルコールストーブを使えば火力はあるし暑くはないしで一石二鳥だ。
・・と、まあこんな具合に、衣食住で「冷」を意識して計画を立て、念の為「暑過ぎたら帰ってくる」というルールを決めて出発したのだが、このルールがいけなかった。
現地は、予想に反して涼しかった。
7月の終わり、灼熱の天竜二俣で買い物を済ませる頃、私たちは密かに「この暑さでは、ビールだけ飲んで帰るかも」と思っていた。つい先日、体重60kgの成人が缶ビール1杯のアルコールを分解するのに必要な時間は約3時間だと、ネットで見たばかりだったのだ。
3時間・・時間は十分ある。
しかし、灼熱地獄から僅かに30分ほど車を走らせただけなのに、そこは驚くほど爽やかで、快適。さすがに日向には出て居られないけれど、木陰なら十分。川の水は冷たくて、体を冷やす目的で水着も持参したが、とても冷たくて足までしか入れない。私たちには嬉しすぎる誤算であった。
すっかり暑さに対する緊張感が解け、水遊びをしてハンモックでごろりとし、ビールを飲んでは味噌マヨネーズと枝豆に舌鼓を打つ頃、遠くから雷鳴が響いてきた。
「雷ですね」
「前に来た時も雷が鳴ったけど、確か降らなかったよね」
なんとも呑気な会話である。
この日はあまりにも木漏れ日が気持ちよく、タープなしでハンモックのみ設営していた。
タープは、泊まるようなら寝る前に張ればいい・・そう思わせるほど、気分は天国。
ゆらゆら、ゴロゴロ、ゆらゆら、ゴロゴロゴロ・・
止まずに近づいてくる雷鳴。
ずいぶん長いこと鳴り続けている。
空は、晴れている。
携帯で天気予報を見ようにも、ここは電波が弱くて役に立たない。むしろ、そこがこのキャンプ場のお気に入りポイントでもあるのだが。
しかし、ゆっくりと確実に近づいてきている。
山の上にいるせいか、家で聞くよりも雷が近く感じる。
「タープを張っておいた方が、よくないですか?」
そんな質問を受けるだいぶ前から、私の中には警笛が鳴り響いていた。
たとえ雨が来なくても、タープがあった方が安心だ。
雨が来てからでは、遅い。
・・そう思う自分と、
いやいや、この前も雷だけで雨は来なかったし。
タープ一枚でも加えると、蒸し暑くて不快だ。
・・そう考える自分とがいた。
極め付けは、以前この場所を利用した時には、多少の雨が降っていても、木々の葉っぱが生い茂っているためにほとんど濡れることがなかったという経験。
木々の間を抜けると土砂降りなのに、設営地では雨具が必要ないという不思議な経験は、私に森の偉大さを教えてくれた。
だから、今回も大丈夫。
1回目は雷鳴だけで降ることもなく、2回目は降っていても濡れなかった。
今回はこれだけ青空が広がっている。
きっと大丈夫に違いない。
この時、自分にそのように一生懸命言い聞かせたがっていることに気がついた。
私の本能は、ノーと言っている。
大丈夫だと思い込みたがっている時ほど、危険なことはない。
ソロストーブで火を熾し、餃子の準備をしている友人は、限りなくソワソワしている。
「泊まらず帰ってくるかもしれないから」と、珍しく軽装備で来ていたため、最低限の小さなタープ(2.3m×2.3mと、2.9m×1.7m)しか持参していなかった。もちろん、普段のハンモック泊ならそれでも十分だが、車で来る場合は荷物に制限が要らないので念の為もう少し大きめのものも持ってくるのが私のスタイルだ。
どうせ帰ってくるなら軽装備で。
なぜこの考えを、「泊まることも出来るように、予備の備えを」と変えられなかったのか。
果たして、私の甘さを貫く銃弾の如く、大粒の雨が勢いよく一気に降り注ぎ始めた。
タープはまだ張れていない。
二つのハンモックの上に、かろうじて張ったリッジラインとそこにぶら下がった小さな二つ折りのタープ。
消えることのない危機感に、ようやく重い腰を上げて張り始めたが、張り終える間も無くこの土砂降り。生い茂る葉っぱも一瞬で抜けていく大粒の雨。荷物にもカバーはなく、ハンモックは無様にびしょ濡れとなり、出していた椅子も、道具も、見る間に雨水が溜まっていった。
「もうちょっとで焼けるのに!」
鉄板を持ちながら悲鳴をあげた友人の声を聞き、さすがにマズイと思い、タープを完成させようとする。
この時点からポール代わりになる木を探す始末。どれだけのんびりしていたんだろうか。
後悔先に立たず。
とりあえず友人がしゃがんで雨を凌げるスペースを確保し、餃子と肉もそこに避難。
私は再びポールを探しに動く。
そういえば、ポンチョも持ってきていない。
びしょ濡れの上からゴアテックスのカッパを着る気にはならないが、ポンチョなら着れると思う。けれども、今日はなんとなくカッパを入れただけで、ポンチョは置いてきた。これも、よく考えればあり得ない。ポンチョこそリュックに入れて、カッパは予備として車に入れておけば良いだけの話だ。
誠に、後悔先に立たず。
ようやくタープの前面を立ち上げ、軒下くらいのスペースを作った時、雨が少し弱まった。
椅子に溜まった水を掃き、グランドシートを椅子に被せて座れるようにする。
私は頭のてっぺんからズボンの裾まで何もかもびしょ濡れ。
水浴びしたいとは思っていたけれど、なにも水着を脱いだ後で濡れなくてもいいと思う。
しかも着替えは、水遊びの後に済ませてしまった。つまり、今着ている物が、最後の着替え。あとは、汗でびっしょりのシャツと下着、そして水着だけなのだ。
予備の着替えだけでなく、予備の予備まで要るのは、子供のキャンプだけじゃなかったんだなぁと、ぼんやり考える。
前髪から滴り落ちる雫をみながら、餃子ともやしを頬張る。
美味しい。
知らずと冷えた体に、暖かい餃子は十分沁みた。
タレに漬けたお肉も、この上なく美味しい。
ソロストーブの火が、ありがたい。
気温は高かったのか、タープを張った場所は地面が乾いてきた。
さて、ハンモックもタープもびしょ濡れ。そして自分もびしょ濡れ。
友人は躊躇うことなく「帰りましょう」と言う。
当然のことと思う。
冷え切った体に、着替えはなし。
寝床は絞れるほど濡れてしまい、この暑さだからシュラフも置いてきた。
ついでに、この日は体調も決して好調ではなく、気晴らしと静養がてら足を運んだキャンプであったから、友人が心配するのも無理はない。
さて・・
私が最初にしたことは、ティシャツを脱いで絞り、焚き火で乾かすこと。
ソロストーブに半ば跨るような格好で椅子に座り、ティシャツを限りなく火に近づけ、ハタハタと乾かす。
どのくらいの時間が経過しただろうか。
乾いてきた。ティシャツも、ズボンまでも。
ティシャツを被った時の、ふわりと香る薪の香り。
温かい。
体の芯からくつろいだ感覚を纏い、私は確信した。
・・いける。
河原に降りて、空を見上げる。
夕立は、すっかり通り過ぎていた。
木の葉から落ちる雫を受けながら、今回の反省点が浮かんでは消えてゆく。
こうもできた、ああもできた。
でも、結果的に乗り切った。服も乾き、寝床確保のプランもある。・・そう思ったとき、自分の中に妙な達成感が湧いてくることを感じた。
・・いかんいかん、これは乗り切ったんじゃなくて、乗り切らせてもらったんだ。
慌てて思い直す。
今回のことを、自力で対処できただなんて思い込んでしまったら、エライことだ。
結果的になんとかなったから良いものの、最悪のケースを考えると厳しい。
何もかもを完璧に、なにがあっても安心安全に整えておくことが正解とは思わない。
何かがあったときに、対応できる自分側の知識と技術、備えなどの「考え方」が必要だ。
そのような意味では、今回の経験は私に考え方を与えてくれた。
もしこれが、初めから完璧なセッティングで始めていたら、濡れ鼠でティシャツを火で炙ることもなかったわけで、呑気でのんびりな私の危機感知センサーは現状維持だったはずだ。
命の危険がない範囲で酷い目に遭い、乗り切ってステップアップできる。これは明らかに与えられた課題である証拠。「こうなったら、どうする?」と師匠の声が聞こえてくるようである。
備えておくことと、一手間で対応できる工夫、そしてなにがあっても乗り越えていける考え方。その全てを今回のキャンプで教えられた気がする。
私はよく、持参品に制限をして楽しむことがある。
ガス無し。ノコギリ無し。シュラフ無し。カトラリー無し、など。
そうすることで普段使わない頭を使い、自分で工夫を始めることが面白いし新たな勉強になるからだ。ただし、道具を敢えて持っていかないことと、忘れることは違う。
状況的には、訓練とサバイバルほどの違いがあるだろう。
気がつけば辺りは薄暗がりとなり、山は黒さを増し、空は白く浮き上がっていた。
友人を説得するためにプランを説明し、中途半端な設営を完成させていく。
タープを完成させ、ハンモックにウールの毛布を敷いて、蚊帳をかける。
ランタンも掛けるが、持参したのはキャンドルランタンだけで、しかも着けてもすぐに消えてしまう有様。けれど、もう動じなくなっていた。
ハンモックの前でアルコールストーブをつけて灯りとし、あとはヘッドランプと友人のマグライト。食器を洗い、食材を片付け、塩で歯ブラシをして床につく。これらは虫や動物への対策。
友人は今回が初めてのハンモック泊だ。十分に昼寝をしていたから大丈夫だろうけれど、テント泊しかしたことのない彼女が、外の景色を見ながら寝るのはどんな気持ちだろうか。
私の初めてのハンモック泊を思い出し、ちょっとワクワクする。
それこそ私は、野外ではもうずいぶんと地面で寝ていない。
ハンモックで寝ていると、虫も動物も寄ってくる。
土砂降りも、寝ているハンモックが煽られて斜めに維持されるほどの暴風も、あった。
プライバシーや防寒の点からフルクローズ式にタープを張る人もいるが、私は専らオープンスタイルだ。
そこに正解はない。
たとえ同じ状況下にあっても、正解はひとつではないのだ。
そこにあるのは「考え方」だ。10人いれば、10の考え方が出てくることだろう。
その人の選択が結果的に学びと実りをもたらすなら、それは正解だったのだろう。
十の正解が現れることだって、あり得るのだ。
「正解はない」が正解である。
翌朝、心地よい風に吹かれて目を覚ます。
泊まってよかったと、体が言っている。
朝食をとっていると、ふと見上げた向かいの山に動いている物を見つけた。
カモシカだ。
急斜面に器用に立ち、草をはんでいる。
こちらに気づいているが、気にする様子もない。
これほど間近で野生のカモシカを見たのは、初めてだ。
雄々しく立派で、堂々としている。
生きている。それを力強く感じさせてくれた。
後から管理人さんに伝えたら、「それはラッキーでしたね!、この山には居るんですが、滅多に見られないようです」とのこと。
誠に、有り難いことです。
経験から考え方を学び、吸収し成長する。
自分で答えを見つけ、修正し、発展させていく。
結局のところ、人生はその連続なのだと思う。
(了)