*#61〜#70
2016年01月09日
練拳Diary #65「武術的な強さとは その9」
by 玄門太極后嗣・範士 円 山 玄 花
戦いに於いて最も大事なことは、その場限りの勝ちを収めることではなく負けないこと、「生き残れること」である──────とは、前回述べてきました。
生き残れること。
このことについて改めて考えたとき、数年前と比べればよりリアルに感じられ、そして自分の内側から生じる、恐怖にも似た感覚が増していることに気がつきました。
それは、ここにきてようやく生き残ることの大変さや、今生きていることの奇跡を実感しはじめたからかもしれません。
稽古をしているときには、相手の倒し方を考えているよりも、どうしたら自分が生き残れるのかを念頭に置いている方が、よほど切迫した感覚になります。そして、自分の身体を統御できる割合もずいぶんと変わってくるから不思議です。
武術の世界では、対複数での戦いを想定して稽古されるのが殆どだと思いますが、自分が複数の敵と対峙した際に、ひとりずつの倒し方を策する暇はなく、常に自分が動ける状態を保つことが重要になります。そのとき、自分の身体を統御できるか否かは、まさに生き残るための重要な鍵であると言えるのです。
自己統御の難しさは、站椿功ひとつ、対人訓練ひとつ取り出してみても、すぐに実感することができます。
自分の身体なのに、言うことを聞かない。思うように動かせない。
そう感じたことがあるのは、私だけではないと思います。
けれども、そこで悶々と考え込まずに、一歩離れてことの全体を観てみれば、自分の身体が言うことを聞かないのでは無く、実は自分のやりたいことが先にあること。
身体を思うように動かせないのではなく、自分の思うように動きたいという思いがベースにあったということが分かると思います。
そのような身体の状態に、いくら新しい命令を送ったところで、正しく動けるはずがないのです。
教えられたことよりも、“自分のやりたいこと”があることに気がつけること。
このことは、太極拳に限らず、日常生活に於いてもとても大事なことだと思います。
それでは、どうしたらそのような「自分」に気がつくことができるのでしょうか。
たとえば、油断や隙の無いように気を張っていても、緊張している状態ではやがて疲労してきます。これは、自分に対しても、相手に対してでも同じことです。
反対に、自分探しの時間と称して部屋にアロマやお香を焚いて静かに目を瞑っていても、不意に雑念がドッと湧いてきて、しまいには頭が疲れて眠くなってくるのが関の山です。
何より、限定された状況下でしか自分に気がつけないようでは、武術家としてどころか、普通の家庭生活でも難しいのではないでしょうか。
緊張でも弛みでもない状態とは、何も特別なことではなく、日々の稽古で指導されている放鬆(ファンソン=fang-song)の状態です。
そして、もうひとつ大事なことは、心の状態です。
放鬆を正しく意識できるときというのは、当然心も静かに落ち着いていて、頭の中でもあれこれと考えていないときです。
裏返せば、頭の中がいっぱいになるほど考えたり、何かの仕事に追われていたりする時には、放鬆するのはとても難しいということになります。
特に、対人訓練では、相手にやられるかもしれないという恐怖と緊張がついて回ります。
好きなように打ち合うよう指示される散手でもない限り、相手の仕掛けてくる攻撃も、パターンも、その速さまでもが予め決められているはずなのに、やはり、怖いのです。
以前に、稽古中に師父から「お前は怖がっている」と指摘されたときには、自覚がありませんでした。ましてや恐がっているために身体が動かないなんて、どこをどう引っ繰り返しても、思い当たらなかったのです。
けれども、結果として自分の身体は動かない。基本功で動いていたときの半分も動いていないのです。動きは相手よりも速くしたいし、そして強く動きたい。相手の攻撃を避けるつもりはなくても、足は避ける方向に動いている。
私は、これらの現象を目の当たりにし、自分の中の恐怖と対峙することになりました。
最も根底にあったのは、「自分は怖がっていてはいけない」という考えでした。
その為に、自分に生じた恐怖を打ち消そうとして、「在り方」よりも「やり方」を選択していたのです。
私に必要だったことは、まず恐怖を認めることでした。
自分は、怖いのだと。
人を、対練を、攻撃を、怖がっているのだと。
そして、その恐怖は誰もが持っているということを、知ることでした。
恐怖は自分だけの問題ではないということ。
そのことを何となく実感出来たとき、自分の恐怖に対する緊張が、少し和らぎました。
自分は恐怖を感じている。
そして、それは自分だけではない。
・・たった、これだけのことです。
自分が怖がっていることを認めてからは、むしろ恐怖という感情を当たり前のものとして受けとめるようになり、それに対して抗うことよりも、そこからどのようにして進めば良いのかに、意識が向かうようになりました。
そうすると、不思議なことに恐怖はあっても、恐怖のために緊張することは少なくなり、緊張しても、それに対して不安になることがなくなったのです。
本当の問題は、恐怖そのものではなく、恐怖に対する自分の状態にありました。
こうしてひとつの問題が解決すると、抱えていた諸々の問題にも、解決の糸口が見えてきたのです。
自分以下でも自分以上でもない、ありのままの自分と向き合うことは、緊張も弛みも関係なく、また感情の起伏があっても、動じることのない状態を生み出してくれました。
そしてその状態によって、より一層、自分に訪れる変化を客観的に見られるようになってきたのです。
それを、「平常心」と呼ぶには少々おこがましいかも知れませんが、自分を知り、自分に気がつくためには、必要不可欠な要素であると思います。
放鬆と平常心。
実際に、この2つを意識することによって、自分の中にさまざまな変化が起こるようになりました。
その中のひとつに発想の転換があります。
太極武藝館で学ぶ誰もが知る通り、私たちが学んでいる太極拳の学習方法は、とても科学的な方法で展開されています。
まず、太極拳はどのようなものであるかという定義があります。
それは例えば、「太極拳は纏絲の法である」とか「四両撥千斤」などの、陳鑫老師が残された、太極拳を学んでいる人なら誰でも知っているだろうことばかりです。
そして、これもまた誰でも知っている、改めて証明する必要のない、ヒトの仕組みが示されます。
さらに、その定義と仕組みを使って様々な角度から検証し、「勁力」や「虚実」というものが証明されていくのです。
一切の曖昧さが排されたこの学習方法は、すべての学問に共通するところがあると言えるでしょう。
たとえば数学でも、一個の問いに対する答えの導き方は一通りではありません。
公式を当てはめる、図に表してみる、表した図の中身を変えずに変形させてみるなど、様々な方法が挙げられます。
学生時代に数学が苦手だった私も、数字の代わりに絵(点や丸、線など)を描き、幾何学的に展開することで、ようやく解いていく面白さを実感できたものです。
太極拳の学習でも、同じことなのです。
特に対人訓練では、相手を倒すことではなく自分の在り方を観るように指導され、倒し方ではなく考え方を理解するように言われます。
目の前で人が軽々と吹っ飛んでいくときに、見なければならないのは吹っ飛ばし方ではないと言われるので、さてそこで何が見えるのかと言えば、身体の整え方と相手との関係性に他なりません。
ここで、発想の転換がとても役に立ちます。
たとえば、平面的にしか見られなかった関わりを立体的に見ることができたり、自分と相手との間にしか関係性を見出せなかったところから、さらに範囲を広げることができるのです。
また、言葉で説明されたことを絵に描いてみることも増えました。
上手い下手はともかく、或いは第三者にそれを見せただけで正しく伝わるかというと、まだまだ模索が始まったばかりなので、課題は山積みです。
けれども、この目に不思議に映ることを様々な方法で表し、解いていく面白さは、一度味わうとやめられません。
太極拳の学習や研究にあたり、科学的な態度で臨むということについては、この記事のタイトルからは少し外れてしまうので、また改めて書く機会を持てればと思います。
(つづく)
戦いに於いて最も大事なことは、その場限りの勝ちを収めることではなく負けないこと、「生き残れること」である──────とは、前回述べてきました。
生き残れること。
このことについて改めて考えたとき、数年前と比べればよりリアルに感じられ、そして自分の内側から生じる、恐怖にも似た感覚が増していることに気がつきました。
それは、ここにきてようやく生き残ることの大変さや、今生きていることの奇跡を実感しはじめたからかもしれません。
稽古をしているときには、相手の倒し方を考えているよりも、どうしたら自分が生き残れるのかを念頭に置いている方が、よほど切迫した感覚になります。そして、自分の身体を統御できる割合もずいぶんと変わってくるから不思議です。
武術の世界では、対複数での戦いを想定して稽古されるのが殆どだと思いますが、自分が複数の敵と対峙した際に、ひとりずつの倒し方を策する暇はなく、常に自分が動ける状態を保つことが重要になります。そのとき、自分の身体を統御できるか否かは、まさに生き残るための重要な鍵であると言えるのです。
自己統御の難しさは、站椿功ひとつ、対人訓練ひとつ取り出してみても、すぐに実感することができます。
自分の身体なのに、言うことを聞かない。思うように動かせない。
そう感じたことがあるのは、私だけではないと思います。
けれども、そこで悶々と考え込まずに、一歩離れてことの全体を観てみれば、自分の身体が言うことを聞かないのでは無く、実は自分のやりたいことが先にあること。
身体を思うように動かせないのではなく、自分の思うように動きたいという思いがベースにあったということが分かると思います。
そのような身体の状態に、いくら新しい命令を送ったところで、正しく動けるはずがないのです。
教えられたことよりも、“自分のやりたいこと”があることに気がつけること。
このことは、太極拳に限らず、日常生活に於いてもとても大事なことだと思います。
それでは、どうしたらそのような「自分」に気がつくことができるのでしょうか。
たとえば、油断や隙の無いように気を張っていても、緊張している状態ではやがて疲労してきます。これは、自分に対しても、相手に対してでも同じことです。
反対に、自分探しの時間と称して部屋にアロマやお香を焚いて静かに目を瞑っていても、不意に雑念がドッと湧いてきて、しまいには頭が疲れて眠くなってくるのが関の山です。
何より、限定された状況下でしか自分に気がつけないようでは、武術家としてどころか、普通の家庭生活でも難しいのではないでしょうか。
緊張でも弛みでもない状態とは、何も特別なことではなく、日々の稽古で指導されている放鬆(ファンソン=fang-song)の状態です。
そして、もうひとつ大事なことは、心の状態です。
放鬆を正しく意識できるときというのは、当然心も静かに落ち着いていて、頭の中でもあれこれと考えていないときです。
裏返せば、頭の中がいっぱいになるほど考えたり、何かの仕事に追われていたりする時には、放鬆するのはとても難しいということになります。
特に、対人訓練では、相手にやられるかもしれないという恐怖と緊張がついて回ります。
好きなように打ち合うよう指示される散手でもない限り、相手の仕掛けてくる攻撃も、パターンも、その速さまでもが予め決められているはずなのに、やはり、怖いのです。
以前に、稽古中に師父から「お前は怖がっている」と指摘されたときには、自覚がありませんでした。ましてや恐がっているために身体が動かないなんて、どこをどう引っ繰り返しても、思い当たらなかったのです。
けれども、結果として自分の身体は動かない。基本功で動いていたときの半分も動いていないのです。動きは相手よりも速くしたいし、そして強く動きたい。相手の攻撃を避けるつもりはなくても、足は避ける方向に動いている。
私は、これらの現象を目の当たりにし、自分の中の恐怖と対峙することになりました。
最も根底にあったのは、「自分は怖がっていてはいけない」という考えでした。
その為に、自分に生じた恐怖を打ち消そうとして、「在り方」よりも「やり方」を選択していたのです。
私に必要だったことは、まず恐怖を認めることでした。
自分は、怖いのだと。
人を、対練を、攻撃を、怖がっているのだと。
そして、その恐怖は誰もが持っているということを、知ることでした。
恐怖は自分だけの問題ではないということ。
そのことを何となく実感出来たとき、自分の恐怖に対する緊張が、少し和らぎました。
自分は恐怖を感じている。
そして、それは自分だけではない。
・・たった、これだけのことです。
自分が怖がっていることを認めてからは、むしろ恐怖という感情を当たり前のものとして受けとめるようになり、それに対して抗うことよりも、そこからどのようにして進めば良いのかに、意識が向かうようになりました。
そうすると、不思議なことに恐怖はあっても、恐怖のために緊張することは少なくなり、緊張しても、それに対して不安になることがなくなったのです。
本当の問題は、恐怖そのものではなく、恐怖に対する自分の状態にありました。
こうしてひとつの問題が解決すると、抱えていた諸々の問題にも、解決の糸口が見えてきたのです。
自分以下でも自分以上でもない、ありのままの自分と向き合うことは、緊張も弛みも関係なく、また感情の起伏があっても、動じることのない状態を生み出してくれました。
そしてその状態によって、より一層、自分に訪れる変化を客観的に見られるようになってきたのです。
それを、「平常心」と呼ぶには少々おこがましいかも知れませんが、自分を知り、自分に気がつくためには、必要不可欠な要素であると思います。
放鬆と平常心。
実際に、この2つを意識することによって、自分の中にさまざまな変化が起こるようになりました。
その中のひとつに発想の転換があります。
太極武藝館で学ぶ誰もが知る通り、私たちが学んでいる太極拳の学習方法は、とても科学的な方法で展開されています。
まず、太極拳はどのようなものであるかという定義があります。
それは例えば、「太極拳は纏絲の法である」とか「四両撥千斤」などの、陳鑫老師が残された、太極拳を学んでいる人なら誰でも知っているだろうことばかりです。
そして、これもまた誰でも知っている、改めて証明する必要のない、ヒトの仕組みが示されます。
さらに、その定義と仕組みを使って様々な角度から検証し、「勁力」や「虚実」というものが証明されていくのです。
一切の曖昧さが排されたこの学習方法は、すべての学問に共通するところがあると言えるでしょう。
たとえば数学でも、一個の問いに対する答えの導き方は一通りではありません。
公式を当てはめる、図に表してみる、表した図の中身を変えずに変形させてみるなど、様々な方法が挙げられます。
学生時代に数学が苦手だった私も、数字の代わりに絵(点や丸、線など)を描き、幾何学的に展開することで、ようやく解いていく面白さを実感できたものです。
太極拳の学習でも、同じことなのです。
特に対人訓練では、相手を倒すことではなく自分の在り方を観るように指導され、倒し方ではなく考え方を理解するように言われます。
目の前で人が軽々と吹っ飛んでいくときに、見なければならないのは吹っ飛ばし方ではないと言われるので、さてそこで何が見えるのかと言えば、身体の整え方と相手との関係性に他なりません。
ここで、発想の転換がとても役に立ちます。
たとえば、平面的にしか見られなかった関わりを立体的に見ることができたり、自分と相手との間にしか関係性を見出せなかったところから、さらに範囲を広げることができるのです。
また、言葉で説明されたことを絵に描いてみることも増えました。
上手い下手はともかく、或いは第三者にそれを見せただけで正しく伝わるかというと、まだまだ模索が始まったばかりなので、課題は山積みです。
けれども、この目に不思議に映ることを様々な方法で表し、解いていく面白さは、一度味わうとやめられません。
太極拳の学習や研究にあたり、科学的な態度で臨むということについては、この記事のタイトルからは少し外れてしまうので、また改めて書く機会を持てればと思います。
(つづく)
2015年11月25日
練拳Diary #64「武術的な強さとは その8」
by 玄門太極后嗣・範士 円 山 玄 花
武術にとって切り離すことのできない「戦い」。
その戦いに於いて、最も大事なことは何でしょうか。
自分が勝つこと
冷静でいられること
注意深くあること
戦略を考えられること
相手を倒せること
大切な人を守れること
・・人それぞれ、様々な考えがあると思いますが、私たちは『生き残れること』であると教えられてきました。
生き残ること。
生きて帰れること。
簡単なことのようであってもそれを真に理解することは難しく、ましてやそれを実践することは、本当に難しいことであると思えます。
なぜなら、ただ相手を倒せば生き残れるという話ではなく、そもそもそのような短絡的な考え方では、相手を倒すこともできなければ生き残ることもできないというお話なのです。
稽古での対人訓練で、相手を倒すことよりも自分自身がどのように整えられ、どれほど統御できているかを観ることが重要であるとされるのも、そのことを理解するためかもしれません。
日々、サンドバッグを前に立ち、拳を鍛え足を鍛えと、ひたすら汗水流している人にしてみたら、「相手を倒すことよりも〜」などという言葉は、いかにも脆弱に聞こえるかもしれませんが、訓練の厳しさに大小はなく、言葉を換えて言ってみれば、私たちは稽古の度に、なかなか理解の及ばないこの頭の中で大汗をかいているのです。
『生きて帰れること』とは、なにも戦いという特殊な状況に限定されたことではありません。家庭の中から学校、会社と、人間関係でも仕事でも人生は全てが戦いでありますし、ましてや、コンビニ強盗だ、テロだ、自然災害だと、当事者でなくとも気の休まる暇がない昨今、自分だけは大丈夫だという保証はどこにも無いのです。
仮にそれらを全てシャットアウトしたとしても、最大の敵からはどうしたって逃げることはできません。最大の敵とはもちろん、自分のことです。
自分という敵は、もしかしたら一番手強いのではないかと思います。
勝つことは難しく、敗れれば、人生は豊かでも美しくもなく、ただ日々負けてしまった自分を誤魔化しながら過ごすような、カビの生えた生き方しかできないのです。
さて、『生き残ること』のためには、どうしたらよいのでしょうか。
私が師父に教えて頂いたことのひとつに、「80パーセントで向かえ」というものがあります。
常に100パーセント、120パーセントで頑張っていると、いざというときに自分の実力の100パーセントはおろか、80、50ほども出せないというのです。
常に、余力の20パーセントを残しておくこと。
目一杯の状態で努力していても、偉くはないと言われました。
これを勘違いしてしまうと、”物事には手抜きで当たれ”となってしまいますが、もちろんそうではありません。
この言葉には、戦いに臨んだ場合にはどうしたら自分が生きて帰れるのかということの、大きなヒントが隠されています。
人は、自分の努力や修練による達成感に、酔いしれるクセがあります。
その努力がたとえ身体を壊すような無謀な行為であると分かっていても、その達成感や充実感のためには良しとしてしまえるような、怖ろしいものです。
師父はそのような努力を、愚か者のすることだと仰います。
プロは、そんなことをしない、と──────────
日本のみならず、世界各地でその道のプロと呼ばれる人々と交流を持っておられた師父の言葉は、私たちの胸にずっしりと響きます。
プロは、誰よりも自分のことを把握していて、些細な変化も見逃さない。
一般の人のように、疲労するし傷つきもする。
体調が悪いときもあれば、感情の起伏が激しいときもある。
けれど、その始まりのほんの僅かな変化に気がつくことができるというのです。
その結果、大事に至る前に対処することができ、被害が最小限ですむわけです。
確かに、例えば軍人や消防士、警察官が訓練中に毎回大ケガをしていては使い物になりませんし、冬が来る度に風邪を引いているなどということも、ちょっと考えられません。
自分自身の変化に気がつくことができる、冷静さ。
そして、的確な判断と最適な対処。
これらの言葉は、対象を自分自身のケアから敵との戦いに置き換えてみても、そのまま通じる考え方です。
それが、常に目一杯で100パーセントで突っ走っていたならば、変化に気がつく余裕もなく、異変が現れたときにはすでに手遅れなのです。
「80パーセントで向かう」ことは思いのほか難しく、私はいつも失敗してしまいます。
始めのうちは良いのです。着々と自分の8割の範囲内で、全力で臨みます。
ところが、思うように行かないことが出てきたり、或いはあともう少しで達成できると思える時がいけません。ついついやりたい方が先になり、後先を考えずに突っ走ってしまいます。
そうして後に残るのは、達成できたけれどもくたびれ果ててしばらく動けないとか、達成もできずに身体を壊してしまうなど、結果は散々です。
まさに、後悔先に立たず。
ここで踏ん張れば壁を超えられると思って奮起しても、この有り様です。
本当の壁は自分の行く手にあるのではなく、それを守れない自分の中にこそあるのだと、反省することしきりです。
失敗もあれば、成功もあります。
「80パーセントの教え」に助けられたことは数えきれないほどあります。
特に、体力的にも精神的にも、どうしようもなく疲労を余儀なくされる行軍(重い荷物を背負って10〜30㎞を歩く)訓練など、歩くための一歩を踏み出すときでさえ、80パーセントを頭の中に入れて歩きました。
すると、行程を半分ほど過ぎた頃でしょうか、一歩一歩を好き勝手に勢いで出していた人達と、明らかな差が出てきたのです。
彼らは、歩きはじめの勢いと元気が見た目に5割は無くなり、急に重い足取りになりました。それに対して私は、最初に比べて3割程度の疲労で済んでいたのです。
もちろん、歩く時だけでなく、小休止の際の身体の整え方や疲労回復方法など、できる限りのことをしての結果ですが、頭の中に「80パーセントの教え」が無ければ、彼らと同じようにダウンしていたかもしれません。
自分個人の特性を知ることも大事ですが、まず人間として運動機能や健康に関してどのような特徴や傾向があるのかを勉強し、常に最高の状態で動けるようにスタンバイしておくことは、とても重要だと思います。
日々の稽古で科学的な態度で臨めと言われるのも、80パーセントの教えに通じるものがあると思えますし、それらを含めて『生き残れること』の教えがあるように感じられます。
『生き残れること』は、言い換えれば『負けないこと』だと言えるかもしれません。
相手が敵でも自分であっても、勝てればそれに越したことはありませんが、勝つことだけを求めればやはり自分もただでは済みません。その一勝負に勝ったとしても、その時に自分がボロボロであれば、次に勝てる可能性は少なくなっているのです。
そんなことを続けていては、やがて敗北が待っていることは目に見えています。
そんなことを考えていたとき、偶然にも坂井三郎さんの教えに触れる機会を得ました。
坂井三郎さんは、戦時中に零戦のパイロットとして活躍され、その戦績から「撃墜王」と呼ばれた人です。ガダルカナルでの出撃中に頭部に被弾しながらも奇跡の生還を果たしたことは、とても有名なお話です。
その坂井さんの娘である、坂井スマート道子さんの著書「父、坂井三郎」の中に、こんな一節を見つけました。
『いざという場合は「相手と差し違える気で戦え」と言う父ですが、「勝て、一番になれ」と言われた記憶は一度もありません。むしろ、「負けない」ことの大切さを、よく聞かされました』
・・やはり、状況は違えど、極限の状態を経験した人が言う言葉には、多くの共通点があります。
道子さんは、こうも書かれています。
『たった一度の華々しい勝利を美化するよりも、負けないことに努力すること。父は何よりも、生きて帰ってくることの大切さを教えていたのです』
私たちが教わっていることと奇しくも一致した坂井三郎さんの教えは、他人と命のやりとりをして尚かつそこから生き抜いてきた人であれば、誰でも同様に持つ当たり前の考え方なのかもしれません。
武術的な強さを考えたとき、そこには「生き残れるかどうか」が大きな鍵となっていることは否めません。そしてその問題は、私たちの日常の在り方と深く関わっていると言えるのです。
(つづく)
武術にとって切り離すことのできない「戦い」。
その戦いに於いて、最も大事なことは何でしょうか。
自分が勝つこと
冷静でいられること
注意深くあること
戦略を考えられること
相手を倒せること
大切な人を守れること
・・人それぞれ、様々な考えがあると思いますが、私たちは『生き残れること』であると教えられてきました。
生き残ること。
生きて帰れること。
簡単なことのようであってもそれを真に理解することは難しく、ましてやそれを実践することは、本当に難しいことであると思えます。
なぜなら、ただ相手を倒せば生き残れるという話ではなく、そもそもそのような短絡的な考え方では、相手を倒すこともできなければ生き残ることもできないというお話なのです。
稽古での対人訓練で、相手を倒すことよりも自分自身がどのように整えられ、どれほど統御できているかを観ることが重要であるとされるのも、そのことを理解するためかもしれません。
日々、サンドバッグを前に立ち、拳を鍛え足を鍛えと、ひたすら汗水流している人にしてみたら、「相手を倒すことよりも〜」などという言葉は、いかにも脆弱に聞こえるかもしれませんが、訓練の厳しさに大小はなく、言葉を換えて言ってみれば、私たちは稽古の度に、なかなか理解の及ばないこの頭の中で大汗をかいているのです。
『生きて帰れること』とは、なにも戦いという特殊な状況に限定されたことではありません。家庭の中から学校、会社と、人間関係でも仕事でも人生は全てが戦いでありますし、ましてや、コンビニ強盗だ、テロだ、自然災害だと、当事者でなくとも気の休まる暇がない昨今、自分だけは大丈夫だという保証はどこにも無いのです。
仮にそれらを全てシャットアウトしたとしても、最大の敵からはどうしたって逃げることはできません。最大の敵とはもちろん、自分のことです。
自分という敵は、もしかしたら一番手強いのではないかと思います。
勝つことは難しく、敗れれば、人生は豊かでも美しくもなく、ただ日々負けてしまった自分を誤魔化しながら過ごすような、カビの生えた生き方しかできないのです。
さて、『生き残ること』のためには、どうしたらよいのでしょうか。
私が師父に教えて頂いたことのひとつに、「80パーセントで向かえ」というものがあります。
常に100パーセント、120パーセントで頑張っていると、いざというときに自分の実力の100パーセントはおろか、80、50ほども出せないというのです。
常に、余力の20パーセントを残しておくこと。
目一杯の状態で努力していても、偉くはないと言われました。
これを勘違いしてしまうと、”物事には手抜きで当たれ”となってしまいますが、もちろんそうではありません。
この言葉には、戦いに臨んだ場合にはどうしたら自分が生きて帰れるのかということの、大きなヒントが隠されています。
人は、自分の努力や修練による達成感に、酔いしれるクセがあります。
その努力がたとえ身体を壊すような無謀な行為であると分かっていても、その達成感や充実感のためには良しとしてしまえるような、怖ろしいものです。
師父はそのような努力を、愚か者のすることだと仰います。
プロは、そんなことをしない、と──────────
日本のみならず、世界各地でその道のプロと呼ばれる人々と交流を持っておられた師父の言葉は、私たちの胸にずっしりと響きます。
プロは、誰よりも自分のことを把握していて、些細な変化も見逃さない。
一般の人のように、疲労するし傷つきもする。
体調が悪いときもあれば、感情の起伏が激しいときもある。
けれど、その始まりのほんの僅かな変化に気がつくことができるというのです。
その結果、大事に至る前に対処することができ、被害が最小限ですむわけです。
確かに、例えば軍人や消防士、警察官が訓練中に毎回大ケガをしていては使い物になりませんし、冬が来る度に風邪を引いているなどということも、ちょっと考えられません。
自分自身の変化に気がつくことができる、冷静さ。
そして、的確な判断と最適な対処。
これらの言葉は、対象を自分自身のケアから敵との戦いに置き換えてみても、そのまま通じる考え方です。
それが、常に目一杯で100パーセントで突っ走っていたならば、変化に気がつく余裕もなく、異変が現れたときにはすでに手遅れなのです。
「80パーセントで向かう」ことは思いのほか難しく、私はいつも失敗してしまいます。
始めのうちは良いのです。着々と自分の8割の範囲内で、全力で臨みます。
ところが、思うように行かないことが出てきたり、或いはあともう少しで達成できると思える時がいけません。ついついやりたい方が先になり、後先を考えずに突っ走ってしまいます。
そうして後に残るのは、達成できたけれどもくたびれ果ててしばらく動けないとか、達成もできずに身体を壊してしまうなど、結果は散々です。
まさに、後悔先に立たず。
ここで踏ん張れば壁を超えられると思って奮起しても、この有り様です。
本当の壁は自分の行く手にあるのではなく、それを守れない自分の中にこそあるのだと、反省することしきりです。
失敗もあれば、成功もあります。
「80パーセントの教え」に助けられたことは数えきれないほどあります。
特に、体力的にも精神的にも、どうしようもなく疲労を余儀なくされる行軍(重い荷物を背負って10〜30㎞を歩く)訓練など、歩くための一歩を踏み出すときでさえ、80パーセントを頭の中に入れて歩きました。
すると、行程を半分ほど過ぎた頃でしょうか、一歩一歩を好き勝手に勢いで出していた人達と、明らかな差が出てきたのです。
彼らは、歩きはじめの勢いと元気が見た目に5割は無くなり、急に重い足取りになりました。それに対して私は、最初に比べて3割程度の疲労で済んでいたのです。
もちろん、歩く時だけでなく、小休止の際の身体の整え方や疲労回復方法など、できる限りのことをしての結果ですが、頭の中に「80パーセントの教え」が無ければ、彼らと同じようにダウンしていたかもしれません。
自分個人の特性を知ることも大事ですが、まず人間として運動機能や健康に関してどのような特徴や傾向があるのかを勉強し、常に最高の状態で動けるようにスタンバイしておくことは、とても重要だと思います。
日々の稽古で科学的な態度で臨めと言われるのも、80パーセントの教えに通じるものがあると思えますし、それらを含めて『生き残れること』の教えがあるように感じられます。
『生き残れること』は、言い換えれば『負けないこと』だと言えるかもしれません。
相手が敵でも自分であっても、勝てればそれに越したことはありませんが、勝つことだけを求めればやはり自分もただでは済みません。その一勝負に勝ったとしても、その時に自分がボロボロであれば、次に勝てる可能性は少なくなっているのです。
そんなことを続けていては、やがて敗北が待っていることは目に見えています。
そんなことを考えていたとき、偶然にも坂井三郎さんの教えに触れる機会を得ました。
坂井三郎さんは、戦時中に零戦のパイロットとして活躍され、その戦績から「撃墜王」と呼ばれた人です。ガダルカナルでの出撃中に頭部に被弾しながらも奇跡の生還を果たしたことは、とても有名なお話です。
その坂井さんの娘である、坂井スマート道子さんの著書「父、坂井三郎」の中に、こんな一節を見つけました。
『いざという場合は「相手と差し違える気で戦え」と言う父ですが、「勝て、一番になれ」と言われた記憶は一度もありません。むしろ、「負けない」ことの大切さを、よく聞かされました』
・・やはり、状況は違えど、極限の状態を経験した人が言う言葉には、多くの共通点があります。
道子さんは、こうも書かれています。
『たった一度の華々しい勝利を美化するよりも、負けないことに努力すること。父は何よりも、生きて帰ってくることの大切さを教えていたのです』
私たちが教わっていることと奇しくも一致した坂井三郎さんの教えは、他人と命のやりとりをして尚かつそこから生き抜いてきた人であれば、誰でも同様に持つ当たり前の考え方なのかもしれません。
武術的な強さを考えたとき、そこには「生き残れるかどうか」が大きな鍵となっていることは否めません。そしてその問題は、私たちの日常の在り方と深く関わっていると言えるのです。
(つづく)
2015年10月26日
練拳Diary #63「武術的な強さとは その7」
by 玄門太極后嗣・範士 円 山 玄 花
”武術的な強さとは”というタイトルで書き続け、早くも7回目となりました。
その内容は、太極拳の戦い方や強さを得るための稽古方法ではなく、主に稽古に取り組むときの学ぶ側の姿勢についてであったり、全く分野の異なる人々の考え方や発想の仕方を、私たちの稽古と重ねて見るというものでした。
本当は、もっと武術的な内容に触れていきたいという思いもあるのですが、単なる武術としての強さではなく、「武術的であるとはどういうことなのか」「武術的な強さはどのようにして養われていくのか」を考えると、どうしても日常に目を向けざるを得なくなります。
なぜなら、道場に居るときに武術的な感覚でいることは容易いですが、日常生活の中でその感覚を維持することは、難しいと思えるからです。
これまでにも述べてきましたが、武術的な強さと、腕力や脚力の強さは比例しません。
私たちの稽古では、むしろ腕力を頼りにして架式や関係性を疎かにし、その場限りの結果を得ようとすることを戒められます。
もちろん、全ては太極拳の力である勁力・纏絲勁を理解し、修得するためです。
けれども思うようには行かず、稽古を重ねるたびに突きつけられる問題点は、各自の考え方や問題意識の低さであり、それが起因するところは日常の生活の中にあるということ。
それは、道場の稽古には規律があり、立つこと・歩くことにも、身体を整えるために守るべき要訣があり、総じて太極拳を理解するために大いに役に立っているのだと思いますが、各自の日常生活にはそこまで明確に意図された規律は無いということの表れではないでしょうか。
もちろん、各々の生活に於いては、自分たちで設定したルールがあると思います。
問題はそれが自分たちにとって都合の良いものではなく、道場で定められているような、或いは太極拳の要訣のような、自己を高め成長させるためのものであるかどうかが鍵になると思います。
さて、私たち武術家は当然のことながら、道場と家、稽古と日常を分けて生活することはできません。けれども、その言葉から想像されるような、窮屈で堅苦しく不自由なだけの生活ではないのです。
少し考えてみれば分かることですが、もしも生活がそのような状態であったとしたら、豊かな発想や創造性などひとつも出てこないことでしょうし、それでは武術を修得することはもちろん、何かを理解したり発展させていくなどということは、絶対に不可能であるはずです。
それでは、日常生活の中で「武術的である」とは、いったいどのような状態だと言えるのでしょうか。
それは例えば、常に武器を携帯し、万一の場合に備えているようなことでしょうか?・・
先日、思わぬところで「武術的であること」を実感する機会がありました。
ことの始まりは、師父と北海道の札幌稽古会に稽古指導に出向いたときのことです。
一日掛かりの稽古の合間に休憩を取ったとき、師父にぜひとも味わって頂こうということで、スープカレーのお店に行きました。
スープカレーとは、札幌発祥のカレー料理で、タイカレーのようなさらさらのスープに、素揚げした大きめの野菜がゴロゴロ入っているのが特徴です。
また、お店毎に異なるのかもしれませんが、基本となるメニューに自分で好みのトッピッングをすることができたり、カレーの辛さを、子どもでも食べられるマイルドなものから、20段階、そしてさらに無限の辛さまで注文できるところもありました。
ダシの利いたスープがとてもスパイシーで美味しく、夏に食べれば元気が出るし、冬に食べれば身体が温まること間違いなしの、ヘルシーで身体に嬉しい薬膳スープとも呼べるような料理です。
今では北海道の郷土料理とも言われているそのスープカレーですが、師父もとても気に入られた様子で、提案した札幌稽古会の門下生も喜んでいました。
さて、話はここからです。
札幌稽古会での稽古を終えて静岡に帰投した、次の日のこと。突然に師父がスープカレーの話を始められ、なんとご自分で作ってみると仰るのです。
もちろん、その場に居合わせたスタッフは仰天しました。
「え?、それは師父が先日初めて召し上がった料理ですよね?」
「作り方をご存知なのですか?」
「何の準備もしておりませんが・・」
・・などなど、その場は少し騒然となりました。
師父は、慌てるスタッフに苦笑しながらしばらく考えられていたかと思うと、その場にある材料を確認して足りないものを揃え、直ぐにキッチンに立たれたのです。
幸運にもお手伝いをさせてもらえた私は、師父がスープカレーを作り上げていく様子を間近で見ることができ、ビシバシと強烈な刺激を受けながらふと思いました。
「ああ、これが稽古ということなのだな」と。
それが初めて食べたものであっても、それを味わったときの味わいや感動をもとに、直ぐに自分で作ってみる。それはまさに、私たちが稽古で人が吹っ飛ばされたり完全に制御される様子を目の当たりにし、或いは直接勁力を喰らい、その体験をもとに自分で稽古を重ねていくことと、何も変わらなく思えたのです。
違いがあるとしたら、師父の作られたスープカレーは、本場を凌ぐほどに美味しかったということ。私たちが稽古でどれほど頑張っても、現段階では師父を凌ぐ発勁はできないのですが、師父はたった1回食べただけで、それを再現してしまいました。
その違いは何であるのか。それをその日のキッチンで、垣間見た気がします。
師父が作られたスープカレーは、野菜のスープカレーに揚げ豆腐を加え、上に目玉焼きを乗せたものです。もちろん「スープカレーの素」など使わずに、何種類ものスパイスや缶詰のココナッツミルクを使って味を整えていました。
そしてそれは、お忙しい師父の、お仕事の合間の出来事だったのです。
丁寧に温められた器に、師父手ずからスープカレーを装って頂き、ふっくら炊きあがったサフランライスを別盛にして、いただきます。
何だかウィークエンドディナー・特別編のようになってきましたが、野菜の甘みとスパイシーでコクのあるスープが絶妙にマッチして、スパイスがしっかり利いているのにスープだけでも飲めてしまうような、何とも表現しがたい味わいです。
また、カレーに揚げ豆腐とは初めての体験でしたが、これがまた相性が良くてガツガツ食べてしまいます。
気がついたときには器の半分以上を平らげており、先に写真を撮ることなど、すっかり忘れていました。
私はこれまでに3回、スープカレーを食べたことがあります。
どのスープカレーも美味しくて何回でも食べたくなる料理ですが、今回作って頂いたスープカレーは、とても初めて挑戦された料理とは思えないものでした。
師父は、ご自分で「もっと味を工夫できる」と仰り、すでに次のスープカレーのイメージができているようでした。
師父がスープカレーを作ってみようと思い立ってから、出来上がるまで。
そこでは、何か気がついた事が出てきたら適確に判断し、直ぐに行動に移すということの連続でした。
「これではダメだな」
「もっとこうしてみよう」
「お、今度は良い味になってきたぞ」
・・そんな言葉が何度となく聞こえてきました。
私は隣で包丁を握りながら、「これが武術性でなくて何なのだろうか」と思いました。
一切の妥協なく全力でそこに向かい、そして楽しんでいる様子がとても印象的であり、たとえば道場での多人数を相手にした散手の様子と、否応なしに重なるのです。
スープカレーを食べて気に入ったら、またあのお店に行ってみよう・・ではなくて、自分で作ってみる。そこに伴う気づきと判断による行動は、そのまま日常生活での稽古になっているのです。
武器を持つことや武器を扱うことに長けるのではなく、それを扱う「自分」を養い、育てることこそが重要であり、稽古であるということ。
日常生活が武術的であるか否かは、自分次第であることを教えて頂いた気がします。
(つづく)
”武術的な強さとは”というタイトルで書き続け、早くも7回目となりました。
その内容は、太極拳の戦い方や強さを得るための稽古方法ではなく、主に稽古に取り組むときの学ぶ側の姿勢についてであったり、全く分野の異なる人々の考え方や発想の仕方を、私たちの稽古と重ねて見るというものでした。
本当は、もっと武術的な内容に触れていきたいという思いもあるのですが、単なる武術としての強さではなく、「武術的であるとはどういうことなのか」「武術的な強さはどのようにして養われていくのか」を考えると、どうしても日常に目を向けざるを得なくなります。
なぜなら、道場に居るときに武術的な感覚でいることは容易いですが、日常生活の中でその感覚を維持することは、難しいと思えるからです。
これまでにも述べてきましたが、武術的な強さと、腕力や脚力の強さは比例しません。
私たちの稽古では、むしろ腕力を頼りにして架式や関係性を疎かにし、その場限りの結果を得ようとすることを戒められます。
もちろん、全ては太極拳の力である勁力・纏絲勁を理解し、修得するためです。
けれども思うようには行かず、稽古を重ねるたびに突きつけられる問題点は、各自の考え方や問題意識の低さであり、それが起因するところは日常の生活の中にあるということ。
それは、道場の稽古には規律があり、立つこと・歩くことにも、身体を整えるために守るべき要訣があり、総じて太極拳を理解するために大いに役に立っているのだと思いますが、各自の日常生活にはそこまで明確に意図された規律は無いということの表れではないでしょうか。
もちろん、各々の生活に於いては、自分たちで設定したルールがあると思います。
問題はそれが自分たちにとって都合の良いものではなく、道場で定められているような、或いは太極拳の要訣のような、自己を高め成長させるためのものであるかどうかが鍵になると思います。
さて、私たち武術家は当然のことながら、道場と家、稽古と日常を分けて生活することはできません。けれども、その言葉から想像されるような、窮屈で堅苦しく不自由なだけの生活ではないのです。
少し考えてみれば分かることですが、もしも生活がそのような状態であったとしたら、豊かな発想や創造性などひとつも出てこないことでしょうし、それでは武術を修得することはもちろん、何かを理解したり発展させていくなどということは、絶対に不可能であるはずです。
それでは、日常生活の中で「武術的である」とは、いったいどのような状態だと言えるのでしょうか。
それは例えば、常に武器を携帯し、万一の場合に備えているようなことでしょうか?・・
先日、思わぬところで「武術的であること」を実感する機会がありました。
ことの始まりは、師父と北海道の札幌稽古会に稽古指導に出向いたときのことです。
一日掛かりの稽古の合間に休憩を取ったとき、師父にぜひとも味わって頂こうということで、スープカレーのお店に行きました。
スープカレーとは、札幌発祥のカレー料理で、タイカレーのようなさらさらのスープに、素揚げした大きめの野菜がゴロゴロ入っているのが特徴です。
また、お店毎に異なるのかもしれませんが、基本となるメニューに自分で好みのトッピッングをすることができたり、カレーの辛さを、子どもでも食べられるマイルドなものから、20段階、そしてさらに無限の辛さまで注文できるところもありました。
ダシの利いたスープがとてもスパイシーで美味しく、夏に食べれば元気が出るし、冬に食べれば身体が温まること間違いなしの、ヘルシーで身体に嬉しい薬膳スープとも呼べるような料理です。
今では北海道の郷土料理とも言われているそのスープカレーですが、師父もとても気に入られた様子で、提案した札幌稽古会の門下生も喜んでいました。
さて、話はここからです。
札幌稽古会での稽古を終えて静岡に帰投した、次の日のこと。突然に師父がスープカレーの話を始められ、なんとご自分で作ってみると仰るのです。
もちろん、その場に居合わせたスタッフは仰天しました。
「え?、それは師父が先日初めて召し上がった料理ですよね?」
「作り方をご存知なのですか?」
「何の準備もしておりませんが・・」
・・などなど、その場は少し騒然となりました。
師父は、慌てるスタッフに苦笑しながらしばらく考えられていたかと思うと、その場にある材料を確認して足りないものを揃え、直ぐにキッチンに立たれたのです。
幸運にもお手伝いをさせてもらえた私は、師父がスープカレーを作り上げていく様子を間近で見ることができ、ビシバシと強烈な刺激を受けながらふと思いました。
「ああ、これが稽古ということなのだな」と。
それが初めて食べたものであっても、それを味わったときの味わいや感動をもとに、直ぐに自分で作ってみる。それはまさに、私たちが稽古で人が吹っ飛ばされたり完全に制御される様子を目の当たりにし、或いは直接勁力を喰らい、その体験をもとに自分で稽古を重ねていくことと、何も変わらなく思えたのです。
違いがあるとしたら、師父の作られたスープカレーは、本場を凌ぐほどに美味しかったということ。私たちが稽古でどれほど頑張っても、現段階では師父を凌ぐ発勁はできないのですが、師父はたった1回食べただけで、それを再現してしまいました。
その違いは何であるのか。それをその日のキッチンで、垣間見た気がします。
師父が作られたスープカレーは、野菜のスープカレーに揚げ豆腐を加え、上に目玉焼きを乗せたものです。もちろん「スープカレーの素」など使わずに、何種類ものスパイスや缶詰のココナッツミルクを使って味を整えていました。
そしてそれは、お忙しい師父の、お仕事の合間の出来事だったのです。
丁寧に温められた器に、師父手ずからスープカレーを装って頂き、ふっくら炊きあがったサフランライスを別盛にして、いただきます。
何だかウィークエンドディナー・特別編のようになってきましたが、野菜の甘みとスパイシーでコクのあるスープが絶妙にマッチして、スパイスがしっかり利いているのにスープだけでも飲めてしまうような、何とも表現しがたい味わいです。
また、カレーに揚げ豆腐とは初めての体験でしたが、これがまた相性が良くてガツガツ食べてしまいます。
気がついたときには器の半分以上を平らげており、先に写真を撮ることなど、すっかり忘れていました。
私はこれまでに3回、スープカレーを食べたことがあります。
どのスープカレーも美味しくて何回でも食べたくなる料理ですが、今回作って頂いたスープカレーは、とても初めて挑戦された料理とは思えないものでした。
師父は、ご自分で「もっと味を工夫できる」と仰り、すでに次のスープカレーのイメージができているようでした。
師父がスープカレーを作ってみようと思い立ってから、出来上がるまで。
そこでは、何か気がついた事が出てきたら適確に判断し、直ぐに行動に移すということの連続でした。
「これではダメだな」
「もっとこうしてみよう」
「お、今度は良い味になってきたぞ」
・・そんな言葉が何度となく聞こえてきました。
私は隣で包丁を握りながら、「これが武術性でなくて何なのだろうか」と思いました。
一切の妥協なく全力でそこに向かい、そして楽しんでいる様子がとても印象的であり、たとえば道場での多人数を相手にした散手の様子と、否応なしに重なるのです。
スープカレーを食べて気に入ったら、またあのお店に行ってみよう・・ではなくて、自分で作ってみる。そこに伴う気づきと判断による行動は、そのまま日常生活での稽古になっているのです。
武器を持つことや武器を扱うことに長けるのではなく、それを扱う「自分」を養い、育てることこそが重要であり、稽古であるということ。
日常生活が武術的であるか否かは、自分次第であることを教えて頂いた気がします。
(つづく)
2015年09月23日
練拳Diary #62「武術的な強さとは その6」
by 玄門太極后嗣・範士 円 山 玄 花
何事に於いても経験は宝物であり、自分の人生を豊かにしてくれます。
そして、経験が自分の人生に活かされるかどうかに経験の大小は関係なく、関係あるとすれば「多いか少ないか」ということでしょうか。
たとえば、何日も掛けて登山をするとか海外旅行に行くなどといった、計画や下調べが必要な大掛かりなことをしなければ、とても経験とは呼べない・・ということはないように思います。
ところが、「経験」というものをとんでもなく特別なことと捉えていたり、あるいは反対に、日常で目にするもの、手に触れるもの全てが経験なのだから、特別意識するようなものでもない、と言う人までいます。
あるとき、私は自分より10歳〜15歳ほど若い世代の人達に、「経験は何によって得られると思う?」と問いかけたことがあります。彼らは最初、そんなことを考えたこともないという表情をしていましたが、やがて、「旅行」「パーティ」「引っ越し」「就職」「新しい友達を作ること」など、思い思いの意見を話してくれました。
中には、「お酒」「ギャンブル」などの、経験というよりは単純に本人が今一番したいことを挙げただけではないかと思える意見もありましたが、どれも共通して特定の行動に限られていることに、少々驚いたものです。ふと、年代別に同じ質問をしてみたら面白いかもしれない、と思ったのもその時でした。
私は、これまでの様々な体験から、経験は挑戦によって得られるのではないかと考えるようになりました。
そもそも経験の少ない私は、何をもって経験と呼ぶのかということは分かりませんが、どうしたら経験が得られるのかは、分かる気がします。
自分が何かをしようと試みるときに、そこに今までの古い自分を打破して新しく生まれ変わろうとする「挑戦」の心があるならば、それがどれほどささやかであっても、立派な経験になると思います。
反対に、一生に何回あるか分からないと思えるほどのすごい経験であっても、挑戦するという気持ちがなければただの受身であり、自分にとって宝物となる「経験」にはならないように思えます。
日常でのささやかな挑戦を考えたとき、私たち現代人はまず頭の中で思考し、模索するという悪いクセがあるように思えてなりません。
稽古中の対人訓練でも、手の平を合わせてお互いに崩し合うものなど、特に、動き回らずに定歩で行うものになると、お互いにジッとしたまま向かい合う、という光景がよく見られます。当然お互いを動かせてもほんの僅かで、しかもそれを繰り返してしまうのです。
「頭で考えずに、もっと実際に動くように」とは、稽古中にもよく言われることですが、非常に乱暴な言い方をしてしまうと、もっと、自分の思い付きを大事にしても良いのではないか、と思います。
正確には、思い付きが出てくる頭の状態を大事にする、となるでしょうか。
もちろん、人は思い付きだけでは生きてはいけませんし、私自身も思いついたことをすぐ言葉にしてしまい、よく考えてからものを言うように注意されます。
確かに、思い付きだけで行動していたら、武術的に考えても命が幾つあっても足りないことでしょう。けれども、だからといって思い付きを押し殺してしまうような、思い付きさえ出てこない頭の状態では、何か大事なことに気がつく「気づき」ということさえ起こらないと思うのです。
私たちは、稽古が思い付きだけで終わらないだけの基本となる動きとその考え方とを、すでに学んでいます。それならば、思い付きを恐れることなく、むしろどのようなことであれ挑戦して実践してみることが大切ではないでしょうか。
当然のことながら、それは稽古の学習体系に当て嵌まることではありません。
むしろ、稽古では勝手な思い付きや思い込みを戒めて、「こうしなさい」と示されたことをひたすらに取り組み、自分の考え方との違い、架式の違い、理解の違いを見つけていくことが必要です。
ただし、その取り組みの中で自分に対する気づきが起こるには、言われたことをただ黙々と繰り返していてもダメで、自分にとって新しいことに気がつける、閃きが起こる精神状態がなければならないと思うのです。
それは、最初は単なる思い付きだったかもしれません。
けれども、それを頭で処理するだけで終わらずに、実際に行動に移し、その行動の結果を受け容れることで、単なる思い付きから次なる研究にさえ繋がるような重要な思い付きになることもあるのです。
せっかく思い付きや閃きがあってもそれを行動に移せないのには、各々に理由があるのだと思いますが、どのような理由であれそこから行動に移さないことが続くと、だんだんと思い付きも閃きもなくなってきます。人間とは本当に不思議なものだと思います。
よく、頭も身体も使えば使うほど活性化されてくるという話を聞きますが、反対に使わなければ、その機能は必要ないのだと判断し、エネルギー消費を抑えるかの如くに機能が低下し、やがて無くなっていくのでしょう。
頭の中だけで悶々とせずに、実際に行動に移すこと。そこで行動の原動力になるのが、
「挑戦する」という気持ちだと言えると思います。
挑戦、すなわち立ち向かうこと。
人は、予め結果を予想することで挑戦しないようにもできてしまう生き物ですが、それでは自分を大きく成長させていくことはできませんし、何より、自分が予想した結果が当たっていたことがどれほどあるのでしょうか。
ただ失敗することが恐くて、対象となる物事や相手を勝手に決めつけて、自分の挑戦から逃げていることは、ないでしょうか。
私自身、対人訓練で身体が動かないときには、先ず相手にやられたくないという思いがあり、そのために見たまま動くこともできず、発見があってもそれを実行できない、ということがありました。それは稽古になっていないだけでなく、その時間はとても勿体ないことをしたと思います。
そもそも挑戦とは誰にとっても新しいことなのですから、結果を気にすることなく、ましてや頭だけで処理するなんてことをせずに、行動に移してみることが大切だと思います。
そして、行動した結果をきちんと受け容れること。これがないと、本当にただの行き当たりばったりで、軽くて意味のない単なる思い付きになってしまいます。
結果を受け容れることで、自分の思い付いたこととそれに挑戦したこととが、自分に還ってきます。最初の思い付きでは何の役にも立たなくても、2回、3回と繰り返すうちに、だんだん思い付きの質が上がっていきます。そうなると、もうそれは思い付きではなく、工夫になっていると言えると思います。
以前に、私が生まれて初めてひとりで火を熾したときのことです。
私はどうしたら焚き火を熾せるのかという手順は全く知らなかったので、火を着けるときによく用いられている麻の紐や紙などを持たずに、太い薪と焚き火台だけを背負って河原に行きました。そこでまず最初にしたことは、太い薪を燃えやすく細くすることでした。
刃渡り10センチのシースナイフは、ただ手にして振り回していた時には非常に扱いやすく思えたのに、一本の薪を細く加工しようとしたときの扱いにくさといったら、本当に驚きました。
ただ手に持つことと、扱うことの違い。しかも、切れ味の良いナイフだったので、何度も指を落としそうになり、その度に冷や冷やしながら工夫を重ねました。
ナイフが手の平からすっぽ抜けていくあたりなど、素人丸出しだと恥ずかしくなりましたが、辺りは真っ暗闇で見ている人もなく、ナイフを拾っては、上手く行かない薪とナイフをジッと見つめて、再び挑戦です。
ようやく焚き火にし易い太さに揃えて、どうにか焚き火台の中に薪を組み終えたときは汗だくでしたが、これから起こるであろう焚き火を想像すると、疲れも吹っ飛びました。
・・しかし、火が着かないのです。
月が出てきて、風は微風。条件は良いはずなのに、木に火を着けると一度ゆらりと大きくなって、そして消えていくのです。
木のような物に火を着ければすぐにでも燃えるものだとばかり思っていた私は、とても驚きました。しかも、何度試しても木が黒くなっていくだけで、一向に火が着く気配がないので、そこからさらに薪を細く薄く加工しました。それでもまだ心配だったので、それを山のように作りましたが、それが無意味なことであったとは、火が着いた瞬間に一瞬ですべて燃え尽きてみないと、分からないことだったのです。
薄い月明かりの中で準備から始めて火を熾し、後片付けをするまでの間、いったい何回の工夫が必要だったことでしょうか。それらの工夫は、すべて「こうしてみたら良いのではないか?」という思い付きからはじまったのです。
おかげで、2回目の火熾しに挑戦したときには、1回目の4分の1の時間で火を熾すことができ、さらにその火でお湯を沸かし、紅茶を頂くという余裕まで生まれました。
何ごとも、自分で試してみて、困って、工夫をして、それを繰り返してやっと自分のものにすることができます。そんな当たり前の勉強方法が、何気なく電子レンジでチンしていたりすると分からなくなってしまいます。
工夫出来る人は、たとえ電子レンジの使い方であっても工夫しています。それは何のためにかと言えば、より良くしたいからだと思います。
より豊かに、より快適に、より大きく成長するために・・。
それが、命を懸けている武術であれば絶対的に必要なことであり、生活への取り組みや人生への取り組みが、そのまま武術的な強さに繋がっていくのは、言うまでもないことだと思います。
(つづく)
何事に於いても経験は宝物であり、自分の人生を豊かにしてくれます。
そして、経験が自分の人生に活かされるかどうかに経験の大小は関係なく、関係あるとすれば「多いか少ないか」ということでしょうか。
たとえば、何日も掛けて登山をするとか海外旅行に行くなどといった、計画や下調べが必要な大掛かりなことをしなければ、とても経験とは呼べない・・ということはないように思います。
ところが、「経験」というものをとんでもなく特別なことと捉えていたり、あるいは反対に、日常で目にするもの、手に触れるもの全てが経験なのだから、特別意識するようなものでもない、と言う人までいます。
あるとき、私は自分より10歳〜15歳ほど若い世代の人達に、「経験は何によって得られると思う?」と問いかけたことがあります。彼らは最初、そんなことを考えたこともないという表情をしていましたが、やがて、「旅行」「パーティ」「引っ越し」「就職」「新しい友達を作ること」など、思い思いの意見を話してくれました。
中には、「お酒」「ギャンブル」などの、経験というよりは単純に本人が今一番したいことを挙げただけではないかと思える意見もありましたが、どれも共通して特定の行動に限られていることに、少々驚いたものです。ふと、年代別に同じ質問をしてみたら面白いかもしれない、と思ったのもその時でした。
私は、これまでの様々な体験から、経験は挑戦によって得られるのではないかと考えるようになりました。
そもそも経験の少ない私は、何をもって経験と呼ぶのかということは分かりませんが、どうしたら経験が得られるのかは、分かる気がします。
自分が何かをしようと試みるときに、そこに今までの古い自分を打破して新しく生まれ変わろうとする「挑戦」の心があるならば、それがどれほどささやかであっても、立派な経験になると思います。
反対に、一生に何回あるか分からないと思えるほどのすごい経験であっても、挑戦するという気持ちがなければただの受身であり、自分にとって宝物となる「経験」にはならないように思えます。
日常でのささやかな挑戦を考えたとき、私たち現代人はまず頭の中で思考し、模索するという悪いクセがあるように思えてなりません。
稽古中の対人訓練でも、手の平を合わせてお互いに崩し合うものなど、特に、動き回らずに定歩で行うものになると、お互いにジッとしたまま向かい合う、という光景がよく見られます。当然お互いを動かせてもほんの僅かで、しかもそれを繰り返してしまうのです。
「頭で考えずに、もっと実際に動くように」とは、稽古中にもよく言われることですが、非常に乱暴な言い方をしてしまうと、もっと、自分の思い付きを大事にしても良いのではないか、と思います。
正確には、思い付きが出てくる頭の状態を大事にする、となるでしょうか。
もちろん、人は思い付きだけでは生きてはいけませんし、私自身も思いついたことをすぐ言葉にしてしまい、よく考えてからものを言うように注意されます。
確かに、思い付きだけで行動していたら、武術的に考えても命が幾つあっても足りないことでしょう。けれども、だからといって思い付きを押し殺してしまうような、思い付きさえ出てこない頭の状態では、何か大事なことに気がつく「気づき」ということさえ起こらないと思うのです。
私たちは、稽古が思い付きだけで終わらないだけの基本となる動きとその考え方とを、すでに学んでいます。それならば、思い付きを恐れることなく、むしろどのようなことであれ挑戦して実践してみることが大切ではないでしょうか。
当然のことながら、それは稽古の学習体系に当て嵌まることではありません。
むしろ、稽古では勝手な思い付きや思い込みを戒めて、「こうしなさい」と示されたことをひたすらに取り組み、自分の考え方との違い、架式の違い、理解の違いを見つけていくことが必要です。
ただし、その取り組みの中で自分に対する気づきが起こるには、言われたことをただ黙々と繰り返していてもダメで、自分にとって新しいことに気がつける、閃きが起こる精神状態がなければならないと思うのです。
それは、最初は単なる思い付きだったかもしれません。
けれども、それを頭で処理するだけで終わらずに、実際に行動に移し、その行動の結果を受け容れることで、単なる思い付きから次なる研究にさえ繋がるような重要な思い付きになることもあるのです。
せっかく思い付きや閃きがあってもそれを行動に移せないのには、各々に理由があるのだと思いますが、どのような理由であれそこから行動に移さないことが続くと、だんだんと思い付きも閃きもなくなってきます。人間とは本当に不思議なものだと思います。
よく、頭も身体も使えば使うほど活性化されてくるという話を聞きますが、反対に使わなければ、その機能は必要ないのだと判断し、エネルギー消費を抑えるかの如くに機能が低下し、やがて無くなっていくのでしょう。
頭の中だけで悶々とせずに、実際に行動に移すこと。そこで行動の原動力になるのが、
「挑戦する」という気持ちだと言えると思います。
挑戦、すなわち立ち向かうこと。
人は、予め結果を予想することで挑戦しないようにもできてしまう生き物ですが、それでは自分を大きく成長させていくことはできませんし、何より、自分が予想した結果が当たっていたことがどれほどあるのでしょうか。
ただ失敗することが恐くて、対象となる物事や相手を勝手に決めつけて、自分の挑戦から逃げていることは、ないでしょうか。
私自身、対人訓練で身体が動かないときには、先ず相手にやられたくないという思いがあり、そのために見たまま動くこともできず、発見があってもそれを実行できない、ということがありました。それは稽古になっていないだけでなく、その時間はとても勿体ないことをしたと思います。
そもそも挑戦とは誰にとっても新しいことなのですから、結果を気にすることなく、ましてや頭だけで処理するなんてことをせずに、行動に移してみることが大切だと思います。
そして、行動した結果をきちんと受け容れること。これがないと、本当にただの行き当たりばったりで、軽くて意味のない単なる思い付きになってしまいます。
結果を受け容れることで、自分の思い付いたこととそれに挑戦したこととが、自分に還ってきます。最初の思い付きでは何の役にも立たなくても、2回、3回と繰り返すうちに、だんだん思い付きの質が上がっていきます。そうなると、もうそれは思い付きではなく、工夫になっていると言えると思います。
以前に、私が生まれて初めてひとりで火を熾したときのことです。
私はどうしたら焚き火を熾せるのかという手順は全く知らなかったので、火を着けるときによく用いられている麻の紐や紙などを持たずに、太い薪と焚き火台だけを背負って河原に行きました。そこでまず最初にしたことは、太い薪を燃えやすく細くすることでした。
刃渡り10センチのシースナイフは、ただ手にして振り回していた時には非常に扱いやすく思えたのに、一本の薪を細く加工しようとしたときの扱いにくさといったら、本当に驚きました。
ただ手に持つことと、扱うことの違い。しかも、切れ味の良いナイフだったので、何度も指を落としそうになり、その度に冷や冷やしながら工夫を重ねました。
ナイフが手の平からすっぽ抜けていくあたりなど、素人丸出しだと恥ずかしくなりましたが、辺りは真っ暗闇で見ている人もなく、ナイフを拾っては、上手く行かない薪とナイフをジッと見つめて、再び挑戦です。
ようやく焚き火にし易い太さに揃えて、どうにか焚き火台の中に薪を組み終えたときは汗だくでしたが、これから起こるであろう焚き火を想像すると、疲れも吹っ飛びました。
・・しかし、火が着かないのです。
月が出てきて、風は微風。条件は良いはずなのに、木に火を着けると一度ゆらりと大きくなって、そして消えていくのです。
木のような物に火を着ければすぐにでも燃えるものだとばかり思っていた私は、とても驚きました。しかも、何度試しても木が黒くなっていくだけで、一向に火が着く気配がないので、そこからさらに薪を細く薄く加工しました。それでもまだ心配だったので、それを山のように作りましたが、それが無意味なことであったとは、火が着いた瞬間に一瞬ですべて燃え尽きてみないと、分からないことだったのです。
薄い月明かりの中で準備から始めて火を熾し、後片付けをするまでの間、いったい何回の工夫が必要だったことでしょうか。それらの工夫は、すべて「こうしてみたら良いのではないか?」という思い付きからはじまったのです。
おかげで、2回目の火熾しに挑戦したときには、1回目の4分の1の時間で火を熾すことができ、さらにその火でお湯を沸かし、紅茶を頂くという余裕まで生まれました。
何ごとも、自分で試してみて、困って、工夫をして、それを繰り返してやっと自分のものにすることができます。そんな当たり前の勉強方法が、何気なく電子レンジでチンしていたりすると分からなくなってしまいます。
工夫出来る人は、たとえ電子レンジの使い方であっても工夫しています。それは何のためにかと言えば、より良くしたいからだと思います。
より豊かに、より快適に、より大きく成長するために・・。
それが、命を懸けている武術であれば絶対的に必要なことであり、生活への取り組みや人生への取り組みが、そのまま武術的な強さに繋がっていくのは、言うまでもないことだと思います。
(つづく)
2015年08月09日
練拳Diary #61「武術的な強さとは その5」
by 玄門太極后嗣・範士 円 山 玄 花
人間は弱いものである、と思います。
強さを希求すればするほどに、その直ぐ後ろには消えることの無い弱さが、我が身の影のようにジッとついてくることを感じます。
考えてみれば、「強さ」について語られることや、他人に「弱い」と指摘されることはあっても、「弱さ」そのものについて触れられることは、それほどありません。
人は、ケンカをしても、走っても、勉強をしても、何をしても「強くあれ」と言われてきました。強くなければ生き残れない、負けたくないなら強くなれ、勝ちたければ強くなれ、と。
「強くなければ・・」と耳にする度に、否応なしに自分の弱さに目が向き、つくづく自分とは弱い人間なのだと思い知らされました。そして、「弱さ」というものをきちんと理解しなければ、本当の「強さ」は分からないと考えるようになったのです。
「弱さ」について私が最も感じられることは、他でも無い精神力のことです。
忍耐力や集中力など、「力」がつくものならたとえ視力であっても強い弱いを感じるものですが、それらは全て自分の精神力に統括されているものだと思えるからです。
人が生きるためには意志が必要であり、何をするのにも精神力がモノを言います。
ところが、弱っているときには何の踏ん張りも利かなくなります。
何が踏ん張れなくなるのかといえば、やはり気力が大きいと言えるでしょうか。
たとえば、食事に使った食器を洗うことはもちろん、食事を摂ることや、解けた靴紐を結び直すというごく当たり前の行動さえ億劫になり、あと少し手を伸ばせば届く、という状況でその手を伸ばすことが嫌になります。
別に手を伸ばさなくても良い、これはそのままでも良い・・などと、そのようないわゆる ”悪魔の囁き” が聞こえるうちはまだ自覚があるからともかくとしても、手のつけようがないときにはその声さえ聞こえてくることはなく、まるで自分が悪魔そのものになってしまったかのような状態だと言えます。
「弱い」とは、まさに気力が弱っているのです。
考えてみれば、敵と対峙したときに勝敗を分けるのは「絶対に勝つ」という意志の強さだと言えるでしょうし、海で沖に流されたときに生死を分けるのも、体力や知識の有無よりも最終的には「絶対に生きて帰る」という強い意志があるかどうかで決まることでしょう。
やはり、人が生きて生き残るためには、絶対的な強い気力が必要なのです。
気力が弱ると、人はどんどん楽な方へ楽な方へと流れて行きます。
そもそも人の中枢である脳みそは、楽なことが好きだと聞きました。できれば何もしたくない、何も考えたくない。そして、これは脳の働きなのかどうかは知りませんが、何もしないで居ることも継続できないという、まったくもって厄介な困った性質を感じます。
気力が弱っているときには、何もする気が起きないことを「楽な方に逃げている」とは到底思えません。決して楽ではないと言えるだけの弱ってしまった理由を、山ほど抱えているからです。むしろ、その理由こそが自分の気力を弱らせている直接の原因であるにもかかわらず、人はただただ抱え込んでしまうのです。
人にとっての「楽な方向」とは、どの方向なのでしょうか。
私は、自分を律する必要の無い方向だと思います。
「律」は言うまでもなく、法律や規律などと用いられるように、きまりやおきてを表しています。たとえば門人規約は、私たち門人が太極拳を学ぶために必要な心身の在り方と整え方が示されており、それらの全ては自己を律していくためのものであると言えます。
稽古に於ける柔功や基本功などは、身体のきまりと太極拳の法則を教えてくれます。
身体のきまりを知らなければ、太極拳で示される法則、則ち戦闘方法が見えてくることはありえません。
そして、そこで必要になってくるのが自己を律するということであり、それによって養われるものが「意」であるわけです。
人が楽な方へと流れ始める様は、まるでひとつずつその「律」を外していくかのように見受けられます。姿勢、立ち居振る舞いに始まり、言葉、思考、人とのコミュニケーションに至るまで、徐々に外れて行きます。
しかし、その楽な方向へと快適に流れ始めたのに、同時に居心地の悪さを感じるのはなぜでしょうか。
これはおそらく、私たちが生きるこの大地そのものが法則に従って躍動しており、私たち人間もまた、細胞レベルでその法則に統御され、生きているからだと思えます。それ故に、文字通り ”決まりの悪さ” を感じるのではないでしょうか。
そのように考えたとき、私たちが生かされているこの大宇宙=太極に、深く想いを馳せずにはいられません。
それらのことを自分に当て嵌めて考えてみたとき、楽な方向に流れて、律することが外れて行く理由として、とても興味深い発見がありました。
私は、十代の頃にあるお話を読んで、とても感銘を受けました。
そのお話も今となっては僅かな記憶しか残っていませんが、それは白隠禅師のお話です。
あるとき白隠禅師のもとに、ひとりの男が生まれたばかりの赤ん坊を連れてきて、こう言いました。
「この赤ん坊は、うちの娘が産んだ子どもだが、娘は、父親はお前だと言っている。責任をとって育ててくれ」と。
それを聞いた白隠禅師は、「おお、そうなのか?」と言って、その子を引き取ります。
彼の弟子の多くは彼が堕落したと思って反発し、何人も彼のもとを去りました。
彼はひと言もいいませんでした。
白隠禅師は、自分のボロボロになった長衣にその子どもをくるみ、どこへでも連れて行きました。雨の日も嵐の夜も、近所の家々にミルクをもらいに出掛けたのです。
その後しばらくして、また同じ男がやって来て、彼のもとにひれ伏しました。
娘が自分の子どもと離れて暮らすことに耐えられず、本当の父親の名前を明かしたからです。その男はひれ伏し、何度も何度も許しを乞いました。
白隠禅師はただ一言、「おお、そうなのか?」と言って、その男に子どもを返しました。
・・このお話は、私の中の「受け容れる」という考えに対して、たいへん大きな衝撃を与えました。受け容れることこそ、日常の中での大いなる修行になる、と確信したのです。
それ以後、私の修行は始まりました。
何を言われても、何が降り掛かっても、受け容れる。
言い訳もせず、反論もせず、ただ全面的に受け容れるのです。
その結果、主体性が無いとか、何を考えているのか分からないなど、周りの人からは様々なことを言われましたが、私にはひとつの行をしているという、ただそのことだけが核としてありました。
覚えのないことをこっぴどく言われることもありました。
修行の足りない私は泣きながら、頭の中に浮かんでくる反発心と葛藤し、それでも受け容れることを理解するために唇を噛みました。
そうして、受け容れることを自分の修行としたことにより、少しずつ自分のことや周りの物事を静観できるようになってきたのです。
けれども、問題は起こりました。
受け容れることが、徐々に自分からの働きかけをしないということに変わっていったのです。これは、私が持って生まれた性格も災いしたのかもしれませんが、あまりにもゆっくりとした変化だったため、なかなかそのことに気がつくことが出来ませんでした。
食事に誰かの髪の毛が入っていても、騒がずに静かに取り出す。
自分に起こる全てのことに対してそのように対応していたとき、師父にこのように言われました。
「お前は、自分でより良くしていこうとは思わないのだろうか」と。
私はここでようやくハッとします。
受け容れることを、取り違えていたのではないか、と。
私のしていたことは、たとえば部屋が汚れていればそのまま、ズボンに穴が空いていたらそのままということになり、それは、暴漢に襲われたらそのまま、海で沖に流されたらそのまま・・ということを意味していたのです。
白隠禅師の話に戻れば、彼が子どもを引き取った後、家にミルクがなければそのまま放っておいたことになります。それが受け容れることでしょうか?
受け容れることとは、もっとトータルなことであり、豊かなことでした。
自分のしていたことは、それに比べたら楽なことであったと思えます。
楽だけれど、喜びもない。そんなものが真実でも修行でもあるはずがないのです。
人生をありのままに受け容れるとは、自分に降り掛かってきたことをただ受け容れて、そしてそこからさらに始まる全てのことをも受け容れられるということなのです。
私の場合は、そこで初めて自分の「在り方」が問われました。
私が考えていた受け容れることとは、それを続けていれば「律」をも外していたことでしょう。そして、その先に待っていることは、自我に溺れることだと思います。
自分に負けてしまうこと、それこそ人間の「弱さ」だと言えるのではないでしょうか。
反対に、「強さ」とは正しく受け容れて、受け容れたことに対して自分で行動できることとも言えるのかもしれません。
自分の周りの様々なことに気がつき、ささやかなことでもより良い方向に向かえるように考えることは、単純に気持ちが良く、自分に力を与えてくれます。そして、次なる気づきを誘うように、センサーが磨かれていきます。
武術の修行で養われる「強さ」も、同じものであるはずです。
(つづく)
人間は弱いものである、と思います。
強さを希求すればするほどに、その直ぐ後ろには消えることの無い弱さが、我が身の影のようにジッとついてくることを感じます。
考えてみれば、「強さ」について語られることや、他人に「弱い」と指摘されることはあっても、「弱さ」そのものについて触れられることは、それほどありません。
人は、ケンカをしても、走っても、勉強をしても、何をしても「強くあれ」と言われてきました。強くなければ生き残れない、負けたくないなら強くなれ、勝ちたければ強くなれ、と。
「強くなければ・・」と耳にする度に、否応なしに自分の弱さに目が向き、つくづく自分とは弱い人間なのだと思い知らされました。そして、「弱さ」というものをきちんと理解しなければ、本当の「強さ」は分からないと考えるようになったのです。
「弱さ」について私が最も感じられることは、他でも無い精神力のことです。
忍耐力や集中力など、「力」がつくものならたとえ視力であっても強い弱いを感じるものですが、それらは全て自分の精神力に統括されているものだと思えるからです。
人が生きるためには意志が必要であり、何をするのにも精神力がモノを言います。
ところが、弱っているときには何の踏ん張りも利かなくなります。
何が踏ん張れなくなるのかといえば、やはり気力が大きいと言えるでしょうか。
たとえば、食事に使った食器を洗うことはもちろん、食事を摂ることや、解けた靴紐を結び直すというごく当たり前の行動さえ億劫になり、あと少し手を伸ばせば届く、という状況でその手を伸ばすことが嫌になります。
別に手を伸ばさなくても良い、これはそのままでも良い・・などと、そのようないわゆる ”悪魔の囁き” が聞こえるうちはまだ自覚があるからともかくとしても、手のつけようがないときにはその声さえ聞こえてくることはなく、まるで自分が悪魔そのものになってしまったかのような状態だと言えます。
「弱い」とは、まさに気力が弱っているのです。
考えてみれば、敵と対峙したときに勝敗を分けるのは「絶対に勝つ」という意志の強さだと言えるでしょうし、海で沖に流されたときに生死を分けるのも、体力や知識の有無よりも最終的には「絶対に生きて帰る」という強い意志があるかどうかで決まることでしょう。
やはり、人が生きて生き残るためには、絶対的な強い気力が必要なのです。
気力が弱ると、人はどんどん楽な方へ楽な方へと流れて行きます。
そもそも人の中枢である脳みそは、楽なことが好きだと聞きました。できれば何もしたくない、何も考えたくない。そして、これは脳の働きなのかどうかは知りませんが、何もしないで居ることも継続できないという、まったくもって厄介な困った性質を感じます。
気力が弱っているときには、何もする気が起きないことを「楽な方に逃げている」とは到底思えません。決して楽ではないと言えるだけの弱ってしまった理由を、山ほど抱えているからです。むしろ、その理由こそが自分の気力を弱らせている直接の原因であるにもかかわらず、人はただただ抱え込んでしまうのです。
人にとっての「楽な方向」とは、どの方向なのでしょうか。
私は、自分を律する必要の無い方向だと思います。
「律」は言うまでもなく、法律や規律などと用いられるように、きまりやおきてを表しています。たとえば門人規約は、私たち門人が太極拳を学ぶために必要な心身の在り方と整え方が示されており、それらの全ては自己を律していくためのものであると言えます。
稽古に於ける柔功や基本功などは、身体のきまりと太極拳の法則を教えてくれます。
身体のきまりを知らなければ、太極拳で示される法則、則ち戦闘方法が見えてくることはありえません。
そして、そこで必要になってくるのが自己を律するということであり、それによって養われるものが「意」であるわけです。
人が楽な方へと流れ始める様は、まるでひとつずつその「律」を外していくかのように見受けられます。姿勢、立ち居振る舞いに始まり、言葉、思考、人とのコミュニケーションに至るまで、徐々に外れて行きます。
しかし、その楽な方向へと快適に流れ始めたのに、同時に居心地の悪さを感じるのはなぜでしょうか。
これはおそらく、私たちが生きるこの大地そのものが法則に従って躍動しており、私たち人間もまた、細胞レベルでその法則に統御され、生きているからだと思えます。それ故に、文字通り ”決まりの悪さ” を感じるのではないでしょうか。
そのように考えたとき、私たちが生かされているこの大宇宙=太極に、深く想いを馳せずにはいられません。
それらのことを自分に当て嵌めて考えてみたとき、楽な方向に流れて、律することが外れて行く理由として、とても興味深い発見がありました。
私は、十代の頃にあるお話を読んで、とても感銘を受けました。
そのお話も今となっては僅かな記憶しか残っていませんが、それは白隠禅師のお話です。
あるとき白隠禅師のもとに、ひとりの男が生まれたばかりの赤ん坊を連れてきて、こう言いました。
「この赤ん坊は、うちの娘が産んだ子どもだが、娘は、父親はお前だと言っている。責任をとって育ててくれ」と。
それを聞いた白隠禅師は、「おお、そうなのか?」と言って、その子を引き取ります。
彼の弟子の多くは彼が堕落したと思って反発し、何人も彼のもとを去りました。
彼はひと言もいいませんでした。
白隠禅師は、自分のボロボロになった長衣にその子どもをくるみ、どこへでも連れて行きました。雨の日も嵐の夜も、近所の家々にミルクをもらいに出掛けたのです。
その後しばらくして、また同じ男がやって来て、彼のもとにひれ伏しました。
娘が自分の子どもと離れて暮らすことに耐えられず、本当の父親の名前を明かしたからです。その男はひれ伏し、何度も何度も許しを乞いました。
白隠禅師はただ一言、「おお、そうなのか?」と言って、その男に子どもを返しました。
・・このお話は、私の中の「受け容れる」という考えに対して、たいへん大きな衝撃を与えました。受け容れることこそ、日常の中での大いなる修行になる、と確信したのです。
それ以後、私の修行は始まりました。
何を言われても、何が降り掛かっても、受け容れる。
言い訳もせず、反論もせず、ただ全面的に受け容れるのです。
その結果、主体性が無いとか、何を考えているのか分からないなど、周りの人からは様々なことを言われましたが、私にはひとつの行をしているという、ただそのことだけが核としてありました。
覚えのないことをこっぴどく言われることもありました。
修行の足りない私は泣きながら、頭の中に浮かんでくる反発心と葛藤し、それでも受け容れることを理解するために唇を噛みました。
そうして、受け容れることを自分の修行としたことにより、少しずつ自分のことや周りの物事を静観できるようになってきたのです。
けれども、問題は起こりました。
受け容れることが、徐々に自分からの働きかけをしないということに変わっていったのです。これは、私が持って生まれた性格も災いしたのかもしれませんが、あまりにもゆっくりとした変化だったため、なかなかそのことに気がつくことが出来ませんでした。
食事に誰かの髪の毛が入っていても、騒がずに静かに取り出す。
自分に起こる全てのことに対してそのように対応していたとき、師父にこのように言われました。
「お前は、自分でより良くしていこうとは思わないのだろうか」と。
私はここでようやくハッとします。
受け容れることを、取り違えていたのではないか、と。
私のしていたことは、たとえば部屋が汚れていればそのまま、ズボンに穴が空いていたらそのままということになり、それは、暴漢に襲われたらそのまま、海で沖に流されたらそのまま・・ということを意味していたのです。
白隠禅師の話に戻れば、彼が子どもを引き取った後、家にミルクがなければそのまま放っておいたことになります。それが受け容れることでしょうか?
受け容れることとは、もっとトータルなことであり、豊かなことでした。
自分のしていたことは、それに比べたら楽なことであったと思えます。
楽だけれど、喜びもない。そんなものが真実でも修行でもあるはずがないのです。
人生をありのままに受け容れるとは、自分に降り掛かってきたことをただ受け容れて、そしてそこからさらに始まる全てのことをも受け容れられるということなのです。
私の場合は、そこで初めて自分の「在り方」が問われました。
私が考えていた受け容れることとは、それを続けていれば「律」をも外していたことでしょう。そして、その先に待っていることは、自我に溺れることだと思います。
自分に負けてしまうこと、それこそ人間の「弱さ」だと言えるのではないでしょうか。
反対に、「強さ」とは正しく受け容れて、受け容れたことに対して自分で行動できることとも言えるのかもしれません。
自分の周りの様々なことに気がつき、ささやかなことでもより良い方向に向かえるように考えることは、単純に気持ちが良く、自分に力を与えてくれます。そして、次なる気づきを誘うように、センサーが磨かれていきます。
武術の修行で養われる「強さ」も、同じものであるはずです。
(つづく)