*#51〜#60
2015年05月26日
練拳Diary #60「武術的な強さとは その4」
by 玄門太極后嗣・範士 円 山 玄 花
『強くなる為に必要なことは技術ではない。知識である』とは、師父が仰った言葉です。
また『「知識」とは単純に道場で教えられたことを頭に詰め込んだ結果ではなく、正しい知識によって得られた豊かな発想である』ということも言われます。
普通、「知識」と言えば知ることであり、自分で探したり人に教えてもらうことで徐々に勉強している対象の全体が見えてくるものです。
その対象が太極拳のように日常的なものでないのなら独学は難しく、やはり考え方を教わらなければ修得までには到底至らないのだと思えます。
しかしながら、初心の頃の何も知らなかったときに比べて、教わることが多くなり、知識が増えてきたとき、それがそのまま上達に繋がっているかと言えば、そうばかりでもないことを誰もが経験していることでしょう。
初心の頃には、見るもの聞くこと全てが新しいことばかりで、わけも分からないので、とにかく動こうとします。相手と組んで崩そうとした際にも、ただ動こうとすることで精一杯なわけです。
ところが、稽古を重ねる度に新しいことを教わり、知識が自分の中に増えてきて、今度は考えることも増えてくるわけです。身体の向きはこれで良いのか、守るべき立ち方はどうであったか、相手を崩す際に気をつけることは・・などなど、気になることがたくさんあるために、身体が十分には動かなくなります。
これが稽古の積み重ねによって熟(こな)れてくると、そのような事に気を取られることなく、身体は勝手に動くようになるのです。
このことについて、沢庵禅師は著書の中で、音の高さを表す調子でも同じことであると書かれています。一番低い音から、だんだん上げていって同じ調子の一番高いところはその上の調子の一番低い音となる。つまり、下の調子の最高は、上の調子の最低と隣り合わせになる、という具合です。
ドレミで言うと、「ド」の音から始まって、「シ」までいくと次のオクターブの「ド」と隣り合わせである、というところでしょうか。
そしてまた、新しいことを教えられたり自分でも新しい発見があると、またしてもそのことが気にかかるようになって、身体は不自由に感じられるようになります。
このサイクル自体は太極拳に限られたことではなく、他の武術でも格闘技でも、スポーツでも学問の分野であっても、ある程度やってきた人であれば声を揃えて「同じである」と言います。
さて、学習というものには必ずサイクルがあるわけですが、時として得られた知識に気を取られ、身体が不自由な状態のまま抜け出せないことがあります。
そのような場合、これまでに習ったことを思い起こせるだけ思い出し、コレが足りないのか、いやアレが違うのか・・と、手当たり次第に引っ張り出すものだから、更に気を取られる要素が増えてきて、どうにも身動きが取れなくなってしまうのです。
なぜこのような状態が起こるかといえば、得られた知識にのみ気を取られて、冒頭に書いた師父の言葉にある、「知識によって得られた豊かな発想」が足りていないからだと言えます。
それでは、「豊かな発想」とはいったいどのようなことを言うのでしょうか。
一つの考え方に囚われない、自由な発想。
そうは言っても、自分の得てきた情報を基に考えてしまうのが人間の習性であり、ひとつの物事に対して全く別の角度から発想を持つことは、なかなか難しいものです。
どうしたら自由で豊かな発想を持つことができるのかを考えたとき、それこそ人によって様々な意見があるとは思いますが、やはり「経験」ということは外せないように思います。
経験といっても、単に何処かへ行って何かをしたという体験だけではなく、見る・聴く・感じることの全てが経験になると言えるでしょう。
自分にとって未知なる考え方に触れたとき。
それは受け取りかた次第で途方も無い経験となります。
私は、あるプロジェクトの成功例を見て感銘を受けたことがあります。
それは、宇宙の謎に迫る最新型の大型望遠鏡のお話です。
世界最大の電波望遠鏡、「ALMA(アルマ)」をご存知でしょうか。
スペイン語で「魂」という意味もあるというアルマの正式名称は、「アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計」といいます。
この電波望遠鏡は、チリ北部の標高5,000メートルを超えるアタカマ砂漠の一角に設置されています。そこには巨大なお椀型のパラボラアンテナが66台設置されており、配置の仕方によっては全体で直径18.5キロメートルになります。これを、ひとつの超高性能電波望遠鏡として運用するわけです。
全体の大きさとしては、ちょうど東京の山手線内に匹敵する広さになります。
日米欧などが参加する国際プロジェクトとして2002年に建設がスタートし、本格的な運用が始まったのは2013年の3月。
アルマは、天体の発するミリ波(波長1〜10ミリ)やサブミリ波(0.1〜1ミリ)の短い波長の電波をアンテナでとらえ、観測を行います。解像度は人間の視力にすると最大6000にも達し、ハッブル宇宙望遠鏡の10倍にもなるとか。
このため、これまでに観測が難しかったものが観測可能になり、星や惑星が誕生する過程を知る上で威力を発揮すると期待されているのです。
私が感動したのはこの望遠鏡によって発見された新しいことではなく、この望遠鏡の製造過程にあります。
アルマを構成する66台のアンテナのうち、日本が担当しているのは16台。そのうち、主鏡の口径が12メートルのアンテナが4台で、口径7メートルのアンテナが12台あります。
ちなみに、これらの全てのアンテナを製造したのは、ハワイの反射望遠鏡「すばる」や、長野県野辺山の電波望遠鏡などを手がけた実績のある、三菱電機です。
お椀型の主鏡は、内側にアルミ製の鏡を200枚ほど並べてあり、それらの鏡で電波を反射させ、一点に収束させることで観測する仕組みとなっています。
電波望遠鏡は精度が命であるため、普通は軽くて強度が高く、歪みにくい炭素繊維強化プラスチックを用います。欧米も、日本の口径12メートルのアンテナも、もちろんそれを用いていますが、口径7メートルの小さいアンテナは、予算の制約のため、その骨組みの素材に鉄を採用しているのです。
高い観測精度を保つために、歪みの許容範囲は僅か髪の毛4分の1本分(20マイクロメートル)です。温度変化に弱くゆがみやすい鉄を使うことを知った欧米の関係者たちは、技術的に難しすぎることを指摘しました。
たとえば、線路のレールの繋ぎ目には遊間(ゆうかん・joint gap)と呼ばれる隙間がありますが、これは、鉄でできているレールの温度伸縮に備えて設けられているのです。
つまり、夏はレールが伸びるし、冬には縮むので、その伸縮によってレールが歪まないように工夫されているわけです。
遊間の管理は明治45年には定められていたようで、軌条遊間表というものには「野外ノ温度、三十度未満、遊間量7.9375mm」などと記されています。
現在も一年に二回、春と秋に遊間検査が行われているようですが、近年はロングレール化が進み、将来的には、あの遊間によるガタン・ゴトンという独特の音もなくなるのではないかと言われています。
さて、アタカマ砂漠の1日の温度差は50度近くになるということですから、アンテナの骨組みに鉄を使うことが如何に大変なことであるか、想像に難くありません。
気温の変化が大きく、理想の鏡面を維持しにくい厳しい環境の中で、鉄しか使えない時、皆さんだったらどうするでしょうか。
三菱電機は、鏡の一部分だけ日光が当たった場合でも、全体の温度を均一に保てるようにすれば良いと考え、鏡を支える骨組みをパイプにして、中に秒速4〜12メートル以上の強い風を流すことにしたのです。
その結果、主鏡の精度は何と髪の毛5分の一本分以内に抑えることが可能になりました。欧米の人々には「神業だ!」と、驚かれたと言います。
言ってしまえばこれだけのことなのですが、自分だったらどのように考えたかを想像すると、この発想の持ち方にとてもワクワクしてきます。
鉄という素材を変えるのでもなく、観測精度を妥協するのでもなく、鉄という素材が温度変化に弱いのであれば、温度そのものを均一にすればいいというその発想。
そして、それを可能にするために骨組みをパイプにして風を流すというアイディア。
自分が毎日の生活でこのような発想を持てたら、どれ程楽しいことだろうかと思います。
また、自分がライフワークとして取り組んでいる太極拳についても、まだまだ発想の貧困さやひとつのことに囚われる心の弱さなどが感じられます。
既成概念に囚われない自由な発想は、考えることを諦めずに僅かな可能性をも信じることによって湧き出てくるものだと言えるでしょう。それによって、これまでに得てきた知識が最大に活かされ、さらに新しい発見へと繋がるに違いないのです。
その為に必要なことは、自分が自分の人生や周りの人と誠実に向かい合うことであり、何よりも自分自身ときちんと向かい合っていることだと言えます。
だからこそ、沢庵禅師が柳生宗矩のために書いた「不動智神妙録」は、はじめから終わりまで「心」のことについて著されているのだと思います。
面白いもので、一冊の本を読んでも、読んだその時々の自分の状態によって、まったく別の書のように思えることがあります。「不動智神妙録」も、これまでに何回も読み直してきた書物のひとつですが、あるときは仏法の書に、またあるときは兵法の書に思われました。
そして、今読み直してみれば、「身」の在り方よりも「心」の在り方が書かれているように思えます。
武術、則ち戦いにおいては、どれ程高度な技術を心得ていようとも、それを扱う人間の心が正しい位置になければ何の役にも立たないことでしょう。
ましてや、初めて対峙する敵との戦いの中で最も必要なことは何かと考えれば、技術精度の高さよりも、発想の転換を際限なく持てることであるはずです。
道場の稽古で言えば、ひとつのことを聞いてそのことの理解に努めているのでは、精々わかってもひとつふたつのことです。一を聞いて十を知るような精神状態で臨むことによってこそ、豊かな発想が出てくるのです。
沢庵禅師の本に、「一を挙げることで直ぐに三を明らかにすることや、金銀を目分量で量っても少しの間違いもないほど賢く利口な人は、普通一般に多い賢い性質であって、なにも特別なことではない」と、書かれています。
そこで、「自分にはとても・・」と逃げるのではなく、まず自分がそういう状態であろうとする意識が必要です。
いつも道場で言われていることですが、それができるかどうかではなく、やろうとしているかどうかなのです。一を聞いて十を知る心積もりをし、その意識でもって稽古に臨む。
当然、見えるものも、聞こえることも、持てる発想も変わってくるはずです。
(つづく)
『強くなる為に必要なことは技術ではない。知識である』とは、師父が仰った言葉です。
また『「知識」とは単純に道場で教えられたことを頭に詰め込んだ結果ではなく、正しい知識によって得られた豊かな発想である』ということも言われます。
普通、「知識」と言えば知ることであり、自分で探したり人に教えてもらうことで徐々に勉強している対象の全体が見えてくるものです。
その対象が太極拳のように日常的なものでないのなら独学は難しく、やはり考え方を教わらなければ修得までには到底至らないのだと思えます。
しかしながら、初心の頃の何も知らなかったときに比べて、教わることが多くなり、知識が増えてきたとき、それがそのまま上達に繋がっているかと言えば、そうばかりでもないことを誰もが経験していることでしょう。
初心の頃には、見るもの聞くこと全てが新しいことばかりで、わけも分からないので、とにかく動こうとします。相手と組んで崩そうとした際にも、ただ動こうとすることで精一杯なわけです。
ところが、稽古を重ねる度に新しいことを教わり、知識が自分の中に増えてきて、今度は考えることも増えてくるわけです。身体の向きはこれで良いのか、守るべき立ち方はどうであったか、相手を崩す際に気をつけることは・・などなど、気になることがたくさんあるために、身体が十分には動かなくなります。
これが稽古の積み重ねによって熟(こな)れてくると、そのような事に気を取られることなく、身体は勝手に動くようになるのです。
このことについて、沢庵禅師は著書の中で、音の高さを表す調子でも同じことであると書かれています。一番低い音から、だんだん上げていって同じ調子の一番高いところはその上の調子の一番低い音となる。つまり、下の調子の最高は、上の調子の最低と隣り合わせになる、という具合です。
ドレミで言うと、「ド」の音から始まって、「シ」までいくと次のオクターブの「ド」と隣り合わせである、というところでしょうか。
そしてまた、新しいことを教えられたり自分でも新しい発見があると、またしてもそのことが気にかかるようになって、身体は不自由に感じられるようになります。
このサイクル自体は太極拳に限られたことではなく、他の武術でも格闘技でも、スポーツでも学問の分野であっても、ある程度やってきた人であれば声を揃えて「同じである」と言います。
さて、学習というものには必ずサイクルがあるわけですが、時として得られた知識に気を取られ、身体が不自由な状態のまま抜け出せないことがあります。
そのような場合、これまでに習ったことを思い起こせるだけ思い出し、コレが足りないのか、いやアレが違うのか・・と、手当たり次第に引っ張り出すものだから、更に気を取られる要素が増えてきて、どうにも身動きが取れなくなってしまうのです。
なぜこのような状態が起こるかといえば、得られた知識にのみ気を取られて、冒頭に書いた師父の言葉にある、「知識によって得られた豊かな発想」が足りていないからだと言えます。
それでは、「豊かな発想」とはいったいどのようなことを言うのでしょうか。
一つの考え方に囚われない、自由な発想。
そうは言っても、自分の得てきた情報を基に考えてしまうのが人間の習性であり、ひとつの物事に対して全く別の角度から発想を持つことは、なかなか難しいものです。
どうしたら自由で豊かな発想を持つことができるのかを考えたとき、それこそ人によって様々な意見があるとは思いますが、やはり「経験」ということは外せないように思います。
経験といっても、単に何処かへ行って何かをしたという体験だけではなく、見る・聴く・感じることの全てが経験になると言えるでしょう。
自分にとって未知なる考え方に触れたとき。
それは受け取りかた次第で途方も無い経験となります。
私は、あるプロジェクトの成功例を見て感銘を受けたことがあります。
それは、宇宙の謎に迫る最新型の大型望遠鏡のお話です。
世界最大の電波望遠鏡、「ALMA(アルマ)」をご存知でしょうか。
スペイン語で「魂」という意味もあるというアルマの正式名称は、「アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計」といいます。
この電波望遠鏡は、チリ北部の標高5,000メートルを超えるアタカマ砂漠の一角に設置されています。そこには巨大なお椀型のパラボラアンテナが66台設置されており、配置の仕方によっては全体で直径18.5キロメートルになります。これを、ひとつの超高性能電波望遠鏡として運用するわけです。
全体の大きさとしては、ちょうど東京の山手線内に匹敵する広さになります。
日米欧などが参加する国際プロジェクトとして2002年に建設がスタートし、本格的な運用が始まったのは2013年の3月。
アルマは、天体の発するミリ波(波長1〜10ミリ)やサブミリ波(0.1〜1ミリ)の短い波長の電波をアンテナでとらえ、観測を行います。解像度は人間の視力にすると最大6000にも達し、ハッブル宇宙望遠鏡の10倍にもなるとか。
このため、これまでに観測が難しかったものが観測可能になり、星や惑星が誕生する過程を知る上で威力を発揮すると期待されているのです。
私が感動したのはこの望遠鏡によって発見された新しいことではなく、この望遠鏡の製造過程にあります。
アルマを構成する66台のアンテナのうち、日本が担当しているのは16台。そのうち、主鏡の口径が12メートルのアンテナが4台で、口径7メートルのアンテナが12台あります。
ちなみに、これらの全てのアンテナを製造したのは、ハワイの反射望遠鏡「すばる」や、長野県野辺山の電波望遠鏡などを手がけた実績のある、三菱電機です。
お椀型の主鏡は、内側にアルミ製の鏡を200枚ほど並べてあり、それらの鏡で電波を反射させ、一点に収束させることで観測する仕組みとなっています。
電波望遠鏡は精度が命であるため、普通は軽くて強度が高く、歪みにくい炭素繊維強化プラスチックを用います。欧米も、日本の口径12メートルのアンテナも、もちろんそれを用いていますが、口径7メートルの小さいアンテナは、予算の制約のため、その骨組みの素材に鉄を採用しているのです。
高い観測精度を保つために、歪みの許容範囲は僅か髪の毛4分の1本分(20マイクロメートル)です。温度変化に弱くゆがみやすい鉄を使うことを知った欧米の関係者たちは、技術的に難しすぎることを指摘しました。
たとえば、線路のレールの繋ぎ目には遊間(ゆうかん・joint gap)と呼ばれる隙間がありますが、これは、鉄でできているレールの温度伸縮に備えて設けられているのです。
つまり、夏はレールが伸びるし、冬には縮むので、その伸縮によってレールが歪まないように工夫されているわけです。
遊間の管理は明治45年には定められていたようで、軌条遊間表というものには「野外ノ温度、三十度未満、遊間量7.9375mm」などと記されています。
現在も一年に二回、春と秋に遊間検査が行われているようですが、近年はロングレール化が進み、将来的には、あの遊間によるガタン・ゴトンという独特の音もなくなるのではないかと言われています。
さて、アタカマ砂漠の1日の温度差は50度近くになるということですから、アンテナの骨組みに鉄を使うことが如何に大変なことであるか、想像に難くありません。
気温の変化が大きく、理想の鏡面を維持しにくい厳しい環境の中で、鉄しか使えない時、皆さんだったらどうするでしょうか。
三菱電機は、鏡の一部分だけ日光が当たった場合でも、全体の温度を均一に保てるようにすれば良いと考え、鏡を支える骨組みをパイプにして、中に秒速4〜12メートル以上の強い風を流すことにしたのです。
その結果、主鏡の精度は何と髪の毛5分の一本分以内に抑えることが可能になりました。欧米の人々には「神業だ!」と、驚かれたと言います。
言ってしまえばこれだけのことなのですが、自分だったらどのように考えたかを想像すると、この発想の持ち方にとてもワクワクしてきます。
鉄という素材を変えるのでもなく、観測精度を妥協するのでもなく、鉄という素材が温度変化に弱いのであれば、温度そのものを均一にすればいいというその発想。
そして、それを可能にするために骨組みをパイプにして風を流すというアイディア。
自分が毎日の生活でこのような発想を持てたら、どれ程楽しいことだろうかと思います。
また、自分がライフワークとして取り組んでいる太極拳についても、まだまだ発想の貧困さやひとつのことに囚われる心の弱さなどが感じられます。
既成概念に囚われない自由な発想は、考えることを諦めずに僅かな可能性をも信じることによって湧き出てくるものだと言えるでしょう。それによって、これまでに得てきた知識が最大に活かされ、さらに新しい発見へと繋がるに違いないのです。
その為に必要なことは、自分が自分の人生や周りの人と誠実に向かい合うことであり、何よりも自分自身ときちんと向かい合っていることだと言えます。
だからこそ、沢庵禅師が柳生宗矩のために書いた「不動智神妙録」は、はじめから終わりまで「心」のことについて著されているのだと思います。
面白いもので、一冊の本を読んでも、読んだその時々の自分の状態によって、まったく別の書のように思えることがあります。「不動智神妙録」も、これまでに何回も読み直してきた書物のひとつですが、あるときは仏法の書に、またあるときは兵法の書に思われました。
そして、今読み直してみれば、「身」の在り方よりも「心」の在り方が書かれているように思えます。
武術、則ち戦いにおいては、どれ程高度な技術を心得ていようとも、それを扱う人間の心が正しい位置になければ何の役にも立たないことでしょう。
ましてや、初めて対峙する敵との戦いの中で最も必要なことは何かと考えれば、技術精度の高さよりも、発想の転換を際限なく持てることであるはずです。
道場の稽古で言えば、ひとつのことを聞いてそのことの理解に努めているのでは、精々わかってもひとつふたつのことです。一を聞いて十を知るような精神状態で臨むことによってこそ、豊かな発想が出てくるのです。
沢庵禅師の本に、「一を挙げることで直ぐに三を明らかにすることや、金銀を目分量で量っても少しの間違いもないほど賢く利口な人は、普通一般に多い賢い性質であって、なにも特別なことではない」と、書かれています。
そこで、「自分にはとても・・」と逃げるのではなく、まず自分がそういう状態であろうとする意識が必要です。
いつも道場で言われていることですが、それができるかどうかではなく、やろうとしているかどうかなのです。一を聞いて十を知る心積もりをし、その意識でもって稽古に臨む。
当然、見えるものも、聞こえることも、持てる発想も変わってくるはずです。
(つづく)
2015年02月23日
練拳Diary #59「武術的な強さとは その3」
by 玄門太極后嗣・範士 円 山 玄 花
「武術的であること」とは、「生き残れること」。
昼夜を問わず、サンダル履きで、ズボンのポケットから分厚い長財布を半分出しながら街を歩いていても平気で居られるこの時代、この国を想うと、武術の必要性はどこにあるのかと、考えさせられます。
それは決して他人事ではなく、私たち研究會クラスの稽古でも、師父から度々問われることでもあります。「君たちに、一体どれ程武術の必要性があるのだろうか?」と。
もちろん、何を言われているのか分からないわけではなく、言われている我々が一番よく分かっていると思うし、自分自身でも度々問うているに違いないはずです。
戦いが必要な時代に生まれなかった。
内乱や紛争がある国に生まれなかった。
戦地に送り込まれるような状況に遭遇しなかった。
・・この差は、確かに大きいのでしょう。
実際に戦場に行ったことがある人の存在感は、一般人とは確かに掛け離れているし、何度も死線を潜り抜けてきた人たちの話は、一言一言がとても重く、どこかにピリリとした緊張が残るようでいて、果てしなく広く深い優しさが感じられます。
彼らは、自分の望みなどとは関係なく戦いの場に身を置き、そして武術性ということさえもチラリとも頭を掠めることなく、生き残ることに没頭していたのではないかと思えます。
その「必死に」というところ。それこそが、私たち現代人が武術を学びながらも、武術性を容易には理解できないという問題の核であるような気がします。
他にどうしようもなく、必死になるしかないとき。
頭の中で考えている事は何ひとつとして無い状態なのに、身体が次々に勝手に動いているという経験をしたことがあります。
その時はひどく疲れていて、全身が大きく脈打っているように感じられ、隣に居る人の声がずいぶん遠くから聞こえるような状態でしたが、そのことについて憂うことも恐れることも必要なく、非常にクリアな心地でした。そこで課せられていた課題は、決して楽なものでも単純な作業でもありませんでしたが、考えずとも身体が動くのです。それも自分独りではなく、パートナーと一緒に、ひとつの作業を手際よくこなしていけるのです。
なんとも不思議な体験でした。下手な表現をすれば、まるで自分の中の自分がワッとそれまでの自分を越えて出てきたような感覚です。
それ以後、いつでもその時のような状態を自分で造ることが出来れば、不可能なことは何もないのではないかとさえ考えるのですが、やはりそう簡単にはいきません。その体験は自分で引き出したものではなく、与えられた状況によって否応なしに発揮されたものであり、また同じ状況を造れば同じことが起こるかといえば、そうではないのです。
けれども、新しい自分を知るには、十分なきっかけになりました。
武術を学ぶ上で、自分の潜在能力が引き出されるほどの必死な状況がない現在、私たちが武術を極めようとすることは、実は何の意味も意義も無いのではないか。せいぜい一生モノの趣味として、自己成長に役立つ程度の追究が出来るくらいではないのか。
・・そんな想いが浮かんでは消えて行くのを、吐き出したくなるようなモヤモヤとした気持ちのまま眺めていたとき、一冊の本に出会いました。
ジャック・ロンドン著の「To Build a Fire(火を熾す)」は、このブログでお馴染みの連載小説『龍の道』で紹介された、短編小説です。
野外生活の中でも、取り分け火を造ることに大きな興味を持っていた私は、“マイナス60度の世界で・・” という魅力的な表現の誘惑も手伝って、そのタイトルにすぐさま飛びつきました。
あらすじは、こうです。
ひとりの男が、経験したことのない極寒のアラスカで一匹の犬を従え、子供たちが待つキャンプまで独りで歩いて行こうとする中で、自然の罠(雪の下の薄い氷の下に隠されている水)に嵌まらないように、本当に慎重に一歩ずつ歩を進めます。
時おり、ミトンを外して素手を外気に晒したときの、感覚が失われていく早さや靴の中で足先の感覚がなくなっていることに驚き、怖くなりながらも、ランチを食べる為に焚き火を熾します。
昼食後も順調に歩き始めますが、その時、男は全く予期せずに氷を踏み割り、足を濡らしてしまいます。足とブーツを乾かす為に火を熾さなければならず、それが如何に大事なことか、男は知っていました。
失敗は許されない・・それほどの気持ちで慎重に行動し、火を熾すことに成功した男は、すでに指が利かず、小枝の一本も掴めない状態であることを、“火の前では些細なこと” と捉え、自分ひとりでアクシデントから身を守ったことに対して、にやりと笑うのです。
土地に古くから住む古参者が言ってくれた、“マイナス50度以下のクロンダイク(*註)をひとりで旅してはならない”という忠告を思い起こしながらも。
ところが、更なるアクシデントに見舞われ、火は一瞬でかき消えてしまいます。
手足が凍りつき、自分の意志で動かせない中での、生命を意味する火を再び熾そうとするまさに死闘。けれどもそれは、またしても失敗するのです。
ここは、犬を殺して両手をまだ暖かい身体に突っ込んで感覚を取り戻し、もう一度火を熾すか・・という考えさえ浮かばせるその状況で、しかし男の手は、すでにナイフを握ることもできなくなっていたのです。
死の恐怖とともに、生きるか死ぬかの問題であることに気がついた男はパニックに陥り、走り出します。走ったおかげで一時調子は良くなるものの、ついには雪の中に倒れ込み、静かに覚悟を決めるのです。
・・読み終えたときの衝撃と、全身に感じられる寒さと言ったら、これ以上の作品には今までに出会ったことがありません。
火は起きなかったのです。
火を熾す為に必要な、たくさんのマッチも樺の樹皮も大小の枝も、皆揃っていました。
けれども、火を熾そうとする人間の思慮の足りなさゆえに、なによりも、恐らくは高を括っていた自分にさえ気がつかずに、ひとりでこの地に足を踏み入れてしまったために、自然の猛威に晒されてしまうのです。
わけも分からず、為す術もなく、刻一刻と自分の身体から運動機能と思考回路とが奪われていく状態を、皆さんは経験したことがあるでしょうか。
作者のジャック・ロンドンは、実際にクロンダイクで金採掘(Klondike Gold Rush)をしていたことがあり、この作品はその時の彼の経験が活かされていると言われています。
私は『望めば叶う』という言葉が好きです。それは、望んだら叶うというような安易な考えではなく、人が本気で望んだならば、それを叶える為にありとあらゆる力が発揮できるということを示していると思えるからです。
ところが、この男は死んでしまいました。
ただ気まぐれに極寒の地を彷徨っていたわけではありません。子供たちが待つキャンプに向かっていたにもかかわらず、途中で息絶えてしまうのです。
読者は、望んでも叶わなかったその原因が、物語の冒頭に書かれていたことを思い出すはずです。『想像力の欠如、それが問題だったのだ。日々の物事には聡かったが、物事についてのみであり、その真意には疎かった』と。
そして男が従える一匹の犬。この地で生まれた狼とのハーフであると説明が為された大型ハスキー犬の絶妙な描写によって、厳しい環境下で生き抜いてきた獣の本能と、人間の傲慢さゆえのあさはかな行動とが見事に描き出されています。
読んだことのない人も居るかも知れません。
普通、先に本の内容を書いてしまうのはためらわれますが、この本に関しては全く関係なく、たとえ内容をどれほど細かく紹介したとしても、皆さんが自分で初めて読んだときの衝撃は想像もつかないほど新鮮であると断言できます。
戦いは、戦場に用意されているだけではない。
また、外界との繋がりを絶った自分自身だけの問題でもない。
この本は、そういったことをしみじみと味わわせてくれました。
自分の意志ではどうにもならないことがあります。
後から振り返れば改善の余地はいくらでもあった、なんてことは、日常生活で山のように出てきます。けれども、この男には振り返ることは出来ても、改善する猶予は与えられなかったのです。もしかしたら、“改善の猶予がある”などと考えられるのも、知らずに高を括っていた男と何も変わらないためかも知れません。
自然と自分。太極拳で言えば「陰」と「陽」、人間で言えば「自分」と「相手」・・と、たった二つのことでありながら、何とも難しいものです。
けれども、いつも師父が仰るように人間は完璧ではなく、間違え、失敗し、反省しながらよりよい生活や関係を築いていくものだと、私も思います。
改善も工夫も何もしないうちから、期待をしたり絶望するのは違うと思います。
忘れてはならないのは、私たちは常に危険に晒され、死と隣り合わせであるということ。たとえ危険な国に近づかなくとも、武器や危険物を扱っていなくとも、家の中にだけ籠もっていようとも、危険は誰にでも平等に存在しているのです。
そしてもうひとつは、その中でも今日まで生き残れているという事実。これも、忘れてはならないと思います。
たとえ現在の環境に戦いがない国に生まれても、そこで武術とのご縁を頂戴できたことはそれ自体が意味のあることであり、自分たちが武術を志す意義もそこにあるはずです。
今日まで生き残れてきたから、これからもこのままで良いというわけではなく、生き残れてきたことに感謝し、これまでよりさらに学び、より意識的に生きること。そうして初めて本当に「生き残れること」が分かるのだと思います。
(つづく)
【註*:クロンダイク/Klondike】
アラスカ州とカナダの境界近くにある、カナダ・ユーコン準州に広がる地域。
一年のうち約7ヶ月は吹雪が続き、厳寒期はマイナス50〜60℃になる。
かつてゴールドラッシュで10万人がこの地を目指したが、厳しい気候のため、
そこに到達したのは3〜4万人、実際に金を採掘できたのは約4,000人であった。
「武術的であること」とは、「生き残れること」。
昼夜を問わず、サンダル履きで、ズボンのポケットから分厚い長財布を半分出しながら街を歩いていても平気で居られるこの時代、この国を想うと、武術の必要性はどこにあるのかと、考えさせられます。
それは決して他人事ではなく、私たち研究會クラスの稽古でも、師父から度々問われることでもあります。「君たちに、一体どれ程武術の必要性があるのだろうか?」と。
もちろん、何を言われているのか分からないわけではなく、言われている我々が一番よく分かっていると思うし、自分自身でも度々問うているに違いないはずです。
戦いが必要な時代に生まれなかった。
内乱や紛争がある国に生まれなかった。
戦地に送り込まれるような状況に遭遇しなかった。
・・この差は、確かに大きいのでしょう。
実際に戦場に行ったことがある人の存在感は、一般人とは確かに掛け離れているし、何度も死線を潜り抜けてきた人たちの話は、一言一言がとても重く、どこかにピリリとした緊張が残るようでいて、果てしなく広く深い優しさが感じられます。
彼らは、自分の望みなどとは関係なく戦いの場に身を置き、そして武術性ということさえもチラリとも頭を掠めることなく、生き残ることに没頭していたのではないかと思えます。
その「必死に」というところ。それこそが、私たち現代人が武術を学びながらも、武術性を容易には理解できないという問題の核であるような気がします。
他にどうしようもなく、必死になるしかないとき。
頭の中で考えている事は何ひとつとして無い状態なのに、身体が次々に勝手に動いているという経験をしたことがあります。
その時はひどく疲れていて、全身が大きく脈打っているように感じられ、隣に居る人の声がずいぶん遠くから聞こえるような状態でしたが、そのことについて憂うことも恐れることも必要なく、非常にクリアな心地でした。そこで課せられていた課題は、決して楽なものでも単純な作業でもありませんでしたが、考えずとも身体が動くのです。それも自分独りではなく、パートナーと一緒に、ひとつの作業を手際よくこなしていけるのです。
なんとも不思議な体験でした。下手な表現をすれば、まるで自分の中の自分がワッとそれまでの自分を越えて出てきたような感覚です。
それ以後、いつでもその時のような状態を自分で造ることが出来れば、不可能なことは何もないのではないかとさえ考えるのですが、やはりそう簡単にはいきません。その体験は自分で引き出したものではなく、与えられた状況によって否応なしに発揮されたものであり、また同じ状況を造れば同じことが起こるかといえば、そうではないのです。
けれども、新しい自分を知るには、十分なきっかけになりました。
武術を学ぶ上で、自分の潜在能力が引き出されるほどの必死な状況がない現在、私たちが武術を極めようとすることは、実は何の意味も意義も無いのではないか。せいぜい一生モノの趣味として、自己成長に役立つ程度の追究が出来るくらいではないのか。
・・そんな想いが浮かんでは消えて行くのを、吐き出したくなるようなモヤモヤとした気持ちのまま眺めていたとき、一冊の本に出会いました。
ジャック・ロンドン著の「To Build a Fire(火を熾す)」は、このブログでお馴染みの連載小説『龍の道』で紹介された、短編小説です。
野外生活の中でも、取り分け火を造ることに大きな興味を持っていた私は、“マイナス60度の世界で・・” という魅力的な表現の誘惑も手伝って、そのタイトルにすぐさま飛びつきました。
あらすじは、こうです。
ひとりの男が、経験したことのない極寒のアラスカで一匹の犬を従え、子供たちが待つキャンプまで独りで歩いて行こうとする中で、自然の罠(雪の下の薄い氷の下に隠されている水)に嵌まらないように、本当に慎重に一歩ずつ歩を進めます。
時おり、ミトンを外して素手を外気に晒したときの、感覚が失われていく早さや靴の中で足先の感覚がなくなっていることに驚き、怖くなりながらも、ランチを食べる為に焚き火を熾します。
昼食後も順調に歩き始めますが、その時、男は全く予期せずに氷を踏み割り、足を濡らしてしまいます。足とブーツを乾かす為に火を熾さなければならず、それが如何に大事なことか、男は知っていました。
失敗は許されない・・それほどの気持ちで慎重に行動し、火を熾すことに成功した男は、すでに指が利かず、小枝の一本も掴めない状態であることを、“火の前では些細なこと” と捉え、自分ひとりでアクシデントから身を守ったことに対して、にやりと笑うのです。
土地に古くから住む古参者が言ってくれた、“マイナス50度以下のクロンダイク(*註)をひとりで旅してはならない”という忠告を思い起こしながらも。
ところが、更なるアクシデントに見舞われ、火は一瞬でかき消えてしまいます。
手足が凍りつき、自分の意志で動かせない中での、生命を意味する火を再び熾そうとするまさに死闘。けれどもそれは、またしても失敗するのです。
ここは、犬を殺して両手をまだ暖かい身体に突っ込んで感覚を取り戻し、もう一度火を熾すか・・という考えさえ浮かばせるその状況で、しかし男の手は、すでにナイフを握ることもできなくなっていたのです。
死の恐怖とともに、生きるか死ぬかの問題であることに気がついた男はパニックに陥り、走り出します。走ったおかげで一時調子は良くなるものの、ついには雪の中に倒れ込み、静かに覚悟を決めるのです。
・・読み終えたときの衝撃と、全身に感じられる寒さと言ったら、これ以上の作品には今までに出会ったことがありません。
火は起きなかったのです。
火を熾す為に必要な、たくさんのマッチも樺の樹皮も大小の枝も、皆揃っていました。
けれども、火を熾そうとする人間の思慮の足りなさゆえに、なによりも、恐らくは高を括っていた自分にさえ気がつかずに、ひとりでこの地に足を踏み入れてしまったために、自然の猛威に晒されてしまうのです。
わけも分からず、為す術もなく、刻一刻と自分の身体から運動機能と思考回路とが奪われていく状態を、皆さんは経験したことがあるでしょうか。
作者のジャック・ロンドンは、実際にクロンダイクで金採掘(Klondike Gold Rush)をしていたことがあり、この作品はその時の彼の経験が活かされていると言われています。
私は『望めば叶う』という言葉が好きです。それは、望んだら叶うというような安易な考えではなく、人が本気で望んだならば、それを叶える為にありとあらゆる力が発揮できるということを示していると思えるからです。
ところが、この男は死んでしまいました。
ただ気まぐれに極寒の地を彷徨っていたわけではありません。子供たちが待つキャンプに向かっていたにもかかわらず、途中で息絶えてしまうのです。
読者は、望んでも叶わなかったその原因が、物語の冒頭に書かれていたことを思い出すはずです。『想像力の欠如、それが問題だったのだ。日々の物事には聡かったが、物事についてのみであり、その真意には疎かった』と。
そして男が従える一匹の犬。この地で生まれた狼とのハーフであると説明が為された大型ハスキー犬の絶妙な描写によって、厳しい環境下で生き抜いてきた獣の本能と、人間の傲慢さゆえのあさはかな行動とが見事に描き出されています。
読んだことのない人も居るかも知れません。
普通、先に本の内容を書いてしまうのはためらわれますが、この本に関しては全く関係なく、たとえ内容をどれほど細かく紹介したとしても、皆さんが自分で初めて読んだときの衝撃は想像もつかないほど新鮮であると断言できます。
戦いは、戦場に用意されているだけではない。
また、外界との繋がりを絶った自分自身だけの問題でもない。
この本は、そういったことをしみじみと味わわせてくれました。
自分の意志ではどうにもならないことがあります。
後から振り返れば改善の余地はいくらでもあった、なんてことは、日常生活で山のように出てきます。けれども、この男には振り返ることは出来ても、改善する猶予は与えられなかったのです。もしかしたら、“改善の猶予がある”などと考えられるのも、知らずに高を括っていた男と何も変わらないためかも知れません。
自然と自分。太極拳で言えば「陰」と「陽」、人間で言えば「自分」と「相手」・・と、たった二つのことでありながら、何とも難しいものです。
けれども、いつも師父が仰るように人間は完璧ではなく、間違え、失敗し、反省しながらよりよい生活や関係を築いていくものだと、私も思います。
改善も工夫も何もしないうちから、期待をしたり絶望するのは違うと思います。
忘れてはならないのは、私たちは常に危険に晒され、死と隣り合わせであるということ。たとえ危険な国に近づかなくとも、武器や危険物を扱っていなくとも、家の中にだけ籠もっていようとも、危険は誰にでも平等に存在しているのです。
そしてもうひとつは、その中でも今日まで生き残れているという事実。これも、忘れてはならないと思います。
たとえ現在の環境に戦いがない国に生まれても、そこで武術とのご縁を頂戴できたことはそれ自体が意味のあることであり、自分たちが武術を志す意義もそこにあるはずです。
今日まで生き残れてきたから、これからもこのままで良いというわけではなく、生き残れてきたことに感謝し、これまでよりさらに学び、より意識的に生きること。そうして初めて本当に「生き残れること」が分かるのだと思います。
(つづく)
【註*:クロンダイク/Klondike】
アラスカ州とカナダの境界近くにある、カナダ・ユーコン準州に広がる地域。
一年のうち約7ヶ月は吹雪が続き、厳寒期はマイナス50〜60℃になる。
かつてゴールドラッシュで10万人がこの地を目指したが、厳しい気候のため、
そこに到達したのは3〜4万人、実際に金を採掘できたのは約4,000人であった。
2014年12月29日
「20周年記念行事を終えて」
by 玄門太極后嗣・範士 円 山 玄 花
本年、太極武藝館は創立20周年を迎え、11月の吉日に浜松のホテルオークラにて記念式典と祝賀会が開催されました。
それは式典から数週間余りを経過した今も、まるで昨日のことのように鮮明に心に残る、たいへん素晴らしい行事でした。
およそ1年をかけて、師父とスタッフを中心に綿密な準備が進められた式典には、北海道から広島、愛媛までの日本各地から、そして海外はオーストラリアから、総勢六十名ほどの門人が参集しました。
会場には台湾玄門会を筆頭に、長野県、三重県、神奈川県、千葉県などの武藝館とご縁のある方々から贈られた豪華な祝い花が飾られ、その温かな祝福に感謝の思いが溢れると同時に、私たちが多くの方々から見守られていることが感じられ、身の引き締まる思いがしました。
また、一堂に会した門人の皆さんの爽やかな表情が、とても印象的でした。
普段は滅多に顔を合わせない人も、或いは互いに初めて会う門人同士もたくさん居られたはずですが、同じ志を持つ人たちは距離や時間に一切関係なく、出会ったその瞬間から打ち解けて、同門の絆を実感できるのだということが強く感じられました。
出席して頂いた方に、ここでもう一度、あの式典や祝賀会を振り返って頂くためにも、その時々の様子を順を追って記してみようと思います。
まず、式典のはじめには師父より、太極武藝館が何時どのように開門されたのか、そしてどのような経緯で現在に至るのかをお話し頂き、多くの門人が初めて耳にする初期の歴史と歩みは、門人の皆さんにとって、とても感銘の深いものであったと思います。
そして、すっかり太極武藝館の慣例となった「神事」が、今回も執り行われました。
吾が日本玄門では、大事な行事の際には必ず神事が行われているのです。
師父は『たとえ学ぶ内容が中国伝来のものであっても、私たち日本人がこの日本で武藝を修めようとする時に、道場に神棚をお祀りし、節目となる行事に神事の”祓い”と”清め”を行うことは何も不自然なことではない』と明言されており、現在では欠かすことの出来ない仕来りとなっています。
実際に、ある正式弟子の拝師式は奈良の春日大社で行われましたし、袋井本部の道場開きでも門人の平田宮司様をはじめ神職を務める方々による神事が行われました。
ホテルオークラの30階にある「パールの間」には、大幔幕で三方を囲われた美しい祭壇が設けられ、全員でお祓いを済ませて当館や館長に深い所縁のある神々をお迎えしました。祝詞が奏上された後に、笙や龍笛、楽箏などの音色が滔々と響き渡る荘厳な会場で、門人全員が順に玉串奉奠にて拝礼する様子は清爽として、正に神聖な場がそこに在ることを実感できました。
『受容性こそが学ぶことの鍵なのだ。何かを学ぶためには、先ず自分という器の中身を捨てて空っぽにし、新しいものを全面的に受け取る用意が必要である』とは、常日頃より師父が仰っていることですが、凡常の身を祓い清め、謙虚に八百万の神霊に奉拝するという行為は、自らの心を真っ新な状態にし、物事を素直に有りの儘に受け容れられるよう整えて行ける、たいへん意義深い、素晴らしい日本の伝統文化であると心から思えるものです。
私たちにとって武藝の道とは太極の道。つまりそれは「法則を知る旅」であり、法則に目を向ける事とは、自分自身に目を向けることに他なりません。
式典でもお話をさせて頂きましたが、日常生活の中で自己の内に知らない間に構築されてしまった自我の法則をきちんと見出し、それを太極の法則と照らし合わせて観ること。それこそが「稽古」というものの基本であると思います。そして、それがあるからこそ、武術が単なる闘争の技術ではなく、至高の武功藝術へと変容し得るのだと思います。
陳鑫老師は、太極拳を学ぶ者の心得の第一に「敬」の気持ちを持つことを挙げておられますが、此度の式典で日本古来の神事が行われたことによって、その「心」が私たち門人全員に改めて認識されたのではないでしょうか。
神事の後には、門人を代表して最古参の西川敦玄さんが挨拶の言葉を述べ、まだ日の浅い門人にも分かり易く、太極武藝館の20年の歩みを振り返ってお話をされました。
また、札幌稽古会の佐藤剛会長より、札幌稽古会が創立して一周年を経た近況報告が為され、今後は本部道場を超えることが第一の目標であると述べられ、式典を締め括りました。
祝賀会は、ホテルオークラの最上階にある「スカイバンケット」で行われました。
直通のエレベーターを降りると、会場まで緩やかなカーブを描いた回廊を歩くことになります。
地上185メートル、新宿の高層ビル群と肩を並べ、静岡県で最も高いビルの最上階にある回廊からは、かつては徳川家康が天下統一の足掛かりとした、城下町浜松の見事な夜景が望め、やがて会場に近づくと壁側には稽古風景のパネルが数枚展示されていました。
また、会場内の正面の柱には大きな玄門旗と館旗が掲揚され、さらに中央には、この創立二十周年を記念して拝師正式弟子の西川敦玄さんより寄贈された、真紅の太極武藝館旗が、輝く槍の竿頭の許に掲げられました。
この20周年記念祝賀会を開催するにあたり、田中徳治先生、張紫雲先生、宗之雄先生、飯田耕一郎先生など、中国武術では著名な指導者の方々、そして平出盛夫様、滋子様ご夫妻など、多くのご来賓の方々にご来臨を戴きました。
中国武術の老師の皆さまは、この10年間に太極武藝館をご訪問くださり、その後も変わらぬご縁を頂戴している方々です。また平出様ご夫妻とのお付き合いはすでに15年余となり、その間ずっと当館を陰になり日向になって応援して下さっています。
当日はどなたもお忙しい中を快く駆けつけて下さり、本当に有り難い思いで一杯でした。
祝賀会は内山能律子事務局長の開会の辞に始まって、師父からのご挨拶を頂き、ご来賓の方々をご紹介して、田中徳治先生と張紫雲先生のお二人からは大変結構なご祝辞を頂戴いたしました。
その様な方々とは滅多にお目にかかれない門人たちも、ご来賓の方々のお人柄や、武術への情熱、当館への想いなど、様々なことを感じて頂けたのではないかと思います。
その後、長年に亘って太極武藝館に多大な貢献をして下さっている平出盛夫様と、秘伝書「三三拳譜」の発掘から入手に至るまで、大きな功績を遺した玄門会の森田尚希さんのお二人に、特別功労者として、表彰と賞状盾の贈呈が行われました。
森田さんのお話では、三三拳譜の研究は師父と共に始められたばかりであるという事で、今後の研究の進展が大いに期待されます。
ここで、太極武藝館の20年を祝し、ご来賓の方々との貴重な御縁を感謝し、吾が門の益々の発展を祈念しての乾杯となり、会食が始まりました。
お料理は、ホテルオークラが自信を持って奨めたフランス料理のフルコース。
会食と歓談を楽しみながら、各方面から届けられたたくさんの祝電が披露され、台湾玄門会から届けられたものは、森田さんが流暢な中国語で読み上げ、分かり易く和訳を添えて披露しました。
また、森田さんは三三拳譜についてもスピーチを行い、入手までの経緯を興味深いエピソードを交えながら可能な範囲で話して頂きました。
そして料理もデザートに差し掛かろうかという頃に、師父自ら古参正式弟子二名を随え、マイクを片手にスライドショーが行われました。
それは、誰も知らない20年前の、雪深い信州の山々の写真から始まりました。
終了時間が迫っていたため、予定よりも少ない枚数の写真紹介になったそうですが、それでも皆が大満足をしたと言うほどの、内容の濃い太極武藝館の歴史の紹介でした。
あっという間に4時間近くが経過し、祝賀会は正式弟子の西川耕玄さんによる、気合いのこもった三本締めにて滞りなく終了しました。
その後、師父と正式弟子たちはご来賓の方々と共に親睦会の席に向かい、深夜12時過ぎまで歓談の時を過ごし、20周年記念の行事をすべて無事に終えることができました。
こうして改めて振り返ってみると、実に密度の濃い、充実した一日であったと思えます。
それは紛れもなく、計画の段階から一緒に頭と体とを使って練り上げてきたスタッフと、会場準備のために仕事を休んでまで作業をしてくれた研究会の面々。そして、誰よりも時間と身体を使って実際に西に東にと飛び回りながら皆の結束を図り、導いて下さった師父のご尽力のお陰であると思います。
だからこそ、門人一同があれほど感動し、各々が太極武藝館で過ごした時間を振り返り、自分にとっての太極拳を考える大きな節目となり、新たに自分の人生を太極武藝館と共に歩む決意を持って、歓びに満ちた笑顔で会場を後にすることができたのだと思います。
今回の行事を通して与えられたこの大きな感動は門人の皆さんの功夫をさらに上達させ、各自の今後の成長に大きく影響を与えるに違いありません。
20周年の記念行事を終えた後、ご来賓の方や門人の皆さんから心温まるお手紙やメイルを多数頂戴いたしました。何も無いところからスタートし、全てを手作りで完成させた私たち開催者にとっては、それは何よりも嬉しいことでした。
何かひとつのことを行おうとするとき、当然のことながら、思うように進まないことも、トラブルに見舞われることも多々ありますが、そこで投げ出さずに、どれだけ時間が掛かろうとも根気よく挑戦し続ければ、必ず解決の糸口が見つかります。そしてその過程は、そのまま自分の人生を誠実に生きることと重なります。
太極武藝館で学んでいることは、まさに自分の在り方、そして自身の人生への向かい方であり、そのことを門人全員が自覚しているからこそ、この度の大行事の成功があったと思います。
天に与えられた20周年の節目の日は、たった一日。
天からは既にたくさんのことが与えられており、それに気がつき、活かせるかどうかは、自分次第であることをつくづく教えられた、誠に佳き一日でした。
あらためて、この行事に関わった全ての方々に、心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
(了)
記念式典 円山洋玄師父のお言葉
記念式典神事 祝詞奏上
式典終了後 記念撮影
記念祝賀会 館長挨拶
本年、太極武藝館は創立20周年を迎え、11月の吉日に浜松のホテルオークラにて記念式典と祝賀会が開催されました。
それは式典から数週間余りを経過した今も、まるで昨日のことのように鮮明に心に残る、たいへん素晴らしい行事でした。
およそ1年をかけて、師父とスタッフを中心に綿密な準備が進められた式典には、北海道から広島、愛媛までの日本各地から、そして海外はオーストラリアから、総勢六十名ほどの門人が参集しました。
会場には台湾玄門会を筆頭に、長野県、三重県、神奈川県、千葉県などの武藝館とご縁のある方々から贈られた豪華な祝い花が飾られ、その温かな祝福に感謝の思いが溢れると同時に、私たちが多くの方々から見守られていることが感じられ、身の引き締まる思いがしました。
また、一堂に会した門人の皆さんの爽やかな表情が、とても印象的でした。
普段は滅多に顔を合わせない人も、或いは互いに初めて会う門人同士もたくさん居られたはずですが、同じ志を持つ人たちは距離や時間に一切関係なく、出会ったその瞬間から打ち解けて、同門の絆を実感できるのだということが強く感じられました。
出席して頂いた方に、ここでもう一度、あの式典や祝賀会を振り返って頂くためにも、その時々の様子を順を追って記してみようと思います。
まず、式典のはじめには師父より、太極武藝館が何時どのように開門されたのか、そしてどのような経緯で現在に至るのかをお話し頂き、多くの門人が初めて耳にする初期の歴史と歩みは、門人の皆さんにとって、とても感銘の深いものであったと思います。
そして、すっかり太極武藝館の慣例となった「神事」が、今回も執り行われました。
吾が日本玄門では、大事な行事の際には必ず神事が行われているのです。
師父は『たとえ学ぶ内容が中国伝来のものであっても、私たち日本人がこの日本で武藝を修めようとする時に、道場に神棚をお祀りし、節目となる行事に神事の”祓い”と”清め”を行うことは何も不自然なことではない』と明言されており、現在では欠かすことの出来ない仕来りとなっています。
実際に、ある正式弟子の拝師式は奈良の春日大社で行われましたし、袋井本部の道場開きでも門人の平田宮司様をはじめ神職を務める方々による神事が行われました。
ホテルオークラの30階にある「パールの間」には、大幔幕で三方を囲われた美しい祭壇が設けられ、全員でお祓いを済ませて当館や館長に深い所縁のある神々をお迎えしました。祝詞が奏上された後に、笙や龍笛、楽箏などの音色が滔々と響き渡る荘厳な会場で、門人全員が順に玉串奉奠にて拝礼する様子は清爽として、正に神聖な場がそこに在ることを実感できました。
『受容性こそが学ぶことの鍵なのだ。何かを学ぶためには、先ず自分という器の中身を捨てて空っぽにし、新しいものを全面的に受け取る用意が必要である』とは、常日頃より師父が仰っていることですが、凡常の身を祓い清め、謙虚に八百万の神霊に奉拝するという行為は、自らの心を真っ新な状態にし、物事を素直に有りの儘に受け容れられるよう整えて行ける、たいへん意義深い、素晴らしい日本の伝統文化であると心から思えるものです。
私たちにとって武藝の道とは太極の道。つまりそれは「法則を知る旅」であり、法則に目を向ける事とは、自分自身に目を向けることに他なりません。
式典でもお話をさせて頂きましたが、日常生活の中で自己の内に知らない間に構築されてしまった自我の法則をきちんと見出し、それを太極の法則と照らし合わせて観ること。それこそが「稽古」というものの基本であると思います。そして、それがあるからこそ、武術が単なる闘争の技術ではなく、至高の武功藝術へと変容し得るのだと思います。
陳鑫老師は、太極拳を学ぶ者の心得の第一に「敬」の気持ちを持つことを挙げておられますが、此度の式典で日本古来の神事が行われたことによって、その「心」が私たち門人全員に改めて認識されたのではないでしょうか。
神事の後には、門人を代表して最古参の西川敦玄さんが挨拶の言葉を述べ、まだ日の浅い門人にも分かり易く、太極武藝館の20年の歩みを振り返ってお話をされました。
また、札幌稽古会の佐藤剛会長より、札幌稽古会が創立して一周年を経た近況報告が為され、今後は本部道場を超えることが第一の目標であると述べられ、式典を締め括りました。
祝賀会は、ホテルオークラの最上階にある「スカイバンケット」で行われました。
直通のエレベーターを降りると、会場まで緩やかなカーブを描いた回廊を歩くことになります。
地上185メートル、新宿の高層ビル群と肩を並べ、静岡県で最も高いビルの最上階にある回廊からは、かつては徳川家康が天下統一の足掛かりとした、城下町浜松の見事な夜景が望め、やがて会場に近づくと壁側には稽古風景のパネルが数枚展示されていました。
また、会場内の正面の柱には大きな玄門旗と館旗が掲揚され、さらに中央には、この創立二十周年を記念して拝師正式弟子の西川敦玄さんより寄贈された、真紅の太極武藝館旗が、輝く槍の竿頭の許に掲げられました。
この20周年記念祝賀会を開催するにあたり、田中徳治先生、張紫雲先生、宗之雄先生、飯田耕一郎先生など、中国武術では著名な指導者の方々、そして平出盛夫様、滋子様ご夫妻など、多くのご来賓の方々にご来臨を戴きました。
中国武術の老師の皆さまは、この10年間に太極武藝館をご訪問くださり、その後も変わらぬご縁を頂戴している方々です。また平出様ご夫妻とのお付き合いはすでに15年余となり、その間ずっと当館を陰になり日向になって応援して下さっています。
当日はどなたもお忙しい中を快く駆けつけて下さり、本当に有り難い思いで一杯でした。
祝賀会は内山能律子事務局長の開会の辞に始まって、師父からのご挨拶を頂き、ご来賓の方々をご紹介して、田中徳治先生と張紫雲先生のお二人からは大変結構なご祝辞を頂戴いたしました。
その様な方々とは滅多にお目にかかれない門人たちも、ご来賓の方々のお人柄や、武術への情熱、当館への想いなど、様々なことを感じて頂けたのではないかと思います。
その後、長年に亘って太極武藝館に多大な貢献をして下さっている平出盛夫様と、秘伝書「三三拳譜」の発掘から入手に至るまで、大きな功績を遺した玄門会の森田尚希さんのお二人に、特別功労者として、表彰と賞状盾の贈呈が行われました。
森田さんのお話では、三三拳譜の研究は師父と共に始められたばかりであるという事で、今後の研究の進展が大いに期待されます。
ここで、太極武藝館の20年を祝し、ご来賓の方々との貴重な御縁を感謝し、吾が門の益々の発展を祈念しての乾杯となり、会食が始まりました。
お料理は、ホテルオークラが自信を持って奨めたフランス料理のフルコース。
会食と歓談を楽しみながら、各方面から届けられたたくさんの祝電が披露され、台湾玄門会から届けられたものは、森田さんが流暢な中国語で読み上げ、分かり易く和訳を添えて披露しました。
また、森田さんは三三拳譜についてもスピーチを行い、入手までの経緯を興味深いエピソードを交えながら可能な範囲で話して頂きました。
そして料理もデザートに差し掛かろうかという頃に、師父自ら古参正式弟子二名を随え、マイクを片手にスライドショーが行われました。
それは、誰も知らない20年前の、雪深い信州の山々の写真から始まりました。
終了時間が迫っていたため、予定よりも少ない枚数の写真紹介になったそうですが、それでも皆が大満足をしたと言うほどの、内容の濃い太極武藝館の歴史の紹介でした。
あっという間に4時間近くが経過し、祝賀会は正式弟子の西川耕玄さんによる、気合いのこもった三本締めにて滞りなく終了しました。
その後、師父と正式弟子たちはご来賓の方々と共に親睦会の席に向かい、深夜12時過ぎまで歓談の時を過ごし、20周年記念の行事をすべて無事に終えることができました。
こうして改めて振り返ってみると、実に密度の濃い、充実した一日であったと思えます。
それは紛れもなく、計画の段階から一緒に頭と体とを使って練り上げてきたスタッフと、会場準備のために仕事を休んでまで作業をしてくれた研究会の面々。そして、誰よりも時間と身体を使って実際に西に東にと飛び回りながら皆の結束を図り、導いて下さった師父のご尽力のお陰であると思います。
だからこそ、門人一同があれほど感動し、各々が太極武藝館で過ごした時間を振り返り、自分にとっての太極拳を考える大きな節目となり、新たに自分の人生を太極武藝館と共に歩む決意を持って、歓びに満ちた笑顔で会場を後にすることができたのだと思います。
今回の行事を通して与えられたこの大きな感動は門人の皆さんの功夫をさらに上達させ、各自の今後の成長に大きく影響を与えるに違いありません。
20周年の記念行事を終えた後、ご来賓の方や門人の皆さんから心温まるお手紙やメイルを多数頂戴いたしました。何も無いところからスタートし、全てを手作りで完成させた私たち開催者にとっては、それは何よりも嬉しいことでした。
何かひとつのことを行おうとするとき、当然のことながら、思うように進まないことも、トラブルに見舞われることも多々ありますが、そこで投げ出さずに、どれだけ時間が掛かろうとも根気よく挑戦し続ければ、必ず解決の糸口が見つかります。そしてその過程は、そのまま自分の人生を誠実に生きることと重なります。
太極武藝館で学んでいることは、まさに自分の在り方、そして自身の人生への向かい方であり、そのことを門人全員が自覚しているからこそ、この度の大行事の成功があったと思います。
天に与えられた20周年の節目の日は、たった一日。
天からは既にたくさんのことが与えられており、それに気がつき、活かせるかどうかは、自分次第であることをつくづく教えられた、誠に佳き一日でした。
あらためて、この行事に関わった全ての方々に、心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
(了)
記念式典 円山洋玄師父のお言葉
記念式典神事 祝詞奏上
式典終了後 記念撮影
記念祝賀会 館長挨拶
2014年07月25日
練拳Diary #58 「武術的な強さとは その2」
by 玄門太極后嗣・範士 円 山 玄 花
武術を学んでいながら、時折「武術とは一体何であるのか」という想いが頭を巡るのは、それ自体が日々を平和の中で過ごしていることの顕れなのかもしれません。
『武術性は生命の危機のもとでしか味わえない』とは、常々師父が研究会や武藝クラス、健康クラスの区別なく一貫して仰ることですが、そのことを意識して稽古に臨むのとそうでない場合とでは、身に付き養われることが格段に違ってきます。
また、武術を学ぶにあたっては、自分がケンカに強くなりたいのか、武術を極めたいのかを、自分自身で明確に認識している必要があります。
なぜなら、武術とは単に「戦いの技術」に留まらず、生き残るための総合的な考え方のシステムの集大成であると感じられるからです。
私は、最近になってようやくこの拳法が「太極」と呼ばれる理由が見えてきた気がしています。そしてますます、太極拳を学ぶためには武術とは何であるのかということを明確に理解する必要がある、という思いが強くなっています。
私が太極拳を学んできた中で、最も印象的であった「武術性」と「日常性」の違いとは、「触れたくない」ということでした。
強力な打撃を加えることよりも、先ず相手に触れないというところでもって稽古しなければ、武術性は理解できないと言われるのです。
敵と対したとき、それは既に武器を所持していることが前提となりますが、たとえば大きなナイフを構えて殺意を持って迫ってくる相手に対して、まず受け止めてとか、組み付いて倒すということを考えるでしょうか。
親しい友人が隣で笑いながらナイフを取り出してもピリリと緊張が走るのに、赤の他人であれば言わずもがなです。
触れたくない、触れれば切れるというところで行われる稽古は、たくさんのことを教えてくれます。
ひとつは、相手の状態に関係なく制御できるということ。
師父は、相手が素手でも、武器を持っていても多人数でも何も変わりませんし、こちらが受ける影響も何も変わらないのです。
それでは私たち門人はというと、やはり変わってしまいます。
たった一本のトレーニングナイフでも、切っ先がこちらに向いているだけで人はまず身構えてしまいますし、触れたくないということが、出来れば避けたいということに変わってしまいます。当然、身体は動かず足は居着いてしまうのです。
それならば、実戦さながらのスピードでバシバシやり合う中で恐怖心を取り除き、胆力を養って敵に怯まずに突き進めるようにすれば良いかというと、太極拳ではそのようには考えません。
まずはお互いにゆっくり動く条件を設けて、予め決められた幾つかの攻撃をランダムに繰り出す中で、架式をはじめとする歩法や身体各部の要求が基本の通りに動けているかを、確認していきます。つまり、武器を使用する訓練でも、武器に対する対処法や護身術の練習にはならず、あくまでも基本を養うことが徹底されるわけです。
考えてみれば、私たちが刀や棍で稽古を行う際にも、それらの武器による戦い方など一度も教えられたことがありません。その代わりに、武器を持つと自分の身体はどのように変わるのか、相手に対したときには各自の考え方がどのように変わってしまうのかを、細かく追求して行くのです。
その結果、自分と相手との間の武器の有無に関係なく、変わらない自分の在り方で対応することが出来るようになるのです。
このようにして書いてみると大したことがないように思えますが、それを実際に実行することは、それほど優しくありません。何と言っても、相手がいるからです。
自分ひとりだけならば、じっくりと基本を練る余裕があるので、他の練功で確認をしていくことが出来るのですが、たったひとり相手が入るだけで、それが敵ではなく同門の仲間であっても、自分以外の人が関わってくるとなると、簡単ではなくなるのです。
対人訓練で、相手が思うように倒れないとき。あるいは、相手の突きや蹴りがこちらに入ってくるとき。その瞬間に頭をよぎるのは、相手に対する対抗心か、自分自身の見直しか、どちらになるでしょうか。
私自身も経験がありますが、どのような状況でも最後まで「稽古」に専念出来る為には、ある精神状態にないと難しいということです。
稽古に対する意識とそこで得られる実感、そしてたとえ僅かでも稽古を重ねることで得られる実感の変化に興味を持てないと、途端に意識は「相手」に向けられてしまいます。
人間にはそもそも「やられたらやり返す」というDNAが組み込まれているのではないかと思えるほど、一度相手に向いた意識を自分に戻すことは難しくなります。
その状態がエスカレートしていくと、対人訓練の「稽古」が、まるで「試合」のようになっていきます。
たとえば、今日の稽古のまとめを散手で確認したいということが、相手に何発入れられたかとか、何回倒せたかということにすり替わってしまい、果ては感情と感情のぶつかり合いになってしまいます。結局、肝心な “相手が居ても自分の稽古が出来ること” には、なかなかならないのです。
太極拳を練る際の大原則とされる「用意不用力」が、容易に「用力不用意」になっていくと言えるでしょうか。
師父は常々、『勝たなければならないのは敵ではなく、自分自身である』と仰いますが、まさに最も制御することが難しいのは自分自身なのだと思えます。
稽古で相手を殴ったり倒したりするために時間を使っているうちは、まだまだ武術を分かっていないと言えるでしょう。
なぜなら、今目の前にいる相手は自分と同様に同じ学習体系の下で拳理を学び、共に訓練に励んでいる仲間だからです。その相手を倒せたからといって、一体どれほど武術的に強くなったと言えるのでしょうか。
自分の目的がちっぽけなその場限りの満足を得ることなのか、武術の深奥を極めることなのか。はじめにも述べた通り、その認識を明確にすることが大事だと思います。
打ち合いに馴れるよりも、打ち合いが成立しない原理を分かること。怯まずに前に出る精神を養うよりも、自己を見つめられる精神を養うことです。
軍隊の訓練で最初に指導されることは銃の撃ち方ではなく、どのような状況下でも任務を遂行できる精神力と持久力を養うことであるという点も、同じことであると思います。
「触れたくない」という考え方は、武術がそもそも相手とぶつからないところのものであることを教えてくれます。正確には、ぶつかっている暇がないと言えるでしょうか。
これは、たとえば5〜6人に次々に襲いかかってもらえばすぐに分かることですが、一人の人とぶつかっている間を狙って次の人が来ます。またその人の相手をしている間に次の人・・と、実際にぶつかっている暇がなく、相手とぶつかっている時間は自分の身体が止まって居着いている時間になります。動けないことは則ち死を意味するということが、否応なしに実感させられるのです。
ただし、ここで間違えられやすいのは「相手とぶつからないようにしていればいい」という考え方になることです。強い力でぶつかるのが武術でないというなら、ぶつからなければよいのだと短絡に考えてしまい、相手との接点に力が加わることを避けるというものです。
これも試してみれば分かりますが、小手先や足先の工夫が主な動きになってしまい、身体は動いてくれません。
さらに、この考え方だと相手に頑張って踏ん張らせた場合には、何の影響も与えることが出来ないのです。自分からぶつかることを避けていたので当然の結果なのですが、やっている本人にしてみれば大いに疑問が生じるわけです。
相手とぶつかるのは武術的ではないとされるのに、相手とぶつからないようにしているのも武術的ではないという。それではどうしたら良いのだろうか、と。
すでに答えは出ているようなものですが、ここで必要なことは相手との接点の工夫ではなくて、教えられた架式や基本に忠実に動いているかということだけです。
そして、示範されている動きを注意深く観ることです。思考するためではなく、意識的になるために観るのです。示されている動き、指示されている言葉を全て受け入れて、自分で再現してみるのです。
すると、相手が影響を受けたかどうかに関係なく自分に発見が起こります。自分と太極拳の考え方の違い、思い込んでいた動きとの違いや今までの自分には無かった動きなど、たくさんの発見があるはずです。それを大事にします。正しくても間違っていてもその発見を大事にして、尚かつ執着しないことです。基本功から対練まで、常に新しい目で観て発見と検証を重ねていきます。
その過程には、相手を倒せたことや、倒せなかったことは入っていません。お互いに自分の稽古をしているだけなのです。
そしてその上で生じている関係性を学び、相手がいるからこそ分かる自分の状態を省みては修正することを繰り返すために、お互いに勉強になり、稽古になるわけです。
(つづく)
武術を学んでいながら、時折「武術とは一体何であるのか」という想いが頭を巡るのは、それ自体が日々を平和の中で過ごしていることの顕れなのかもしれません。
『武術性は生命の危機のもとでしか味わえない』とは、常々師父が研究会や武藝クラス、健康クラスの区別なく一貫して仰ることですが、そのことを意識して稽古に臨むのとそうでない場合とでは、身に付き養われることが格段に違ってきます。
また、武術を学ぶにあたっては、自分がケンカに強くなりたいのか、武術を極めたいのかを、自分自身で明確に認識している必要があります。
なぜなら、武術とは単に「戦いの技術」に留まらず、生き残るための総合的な考え方のシステムの集大成であると感じられるからです。
私は、最近になってようやくこの拳法が「太極」と呼ばれる理由が見えてきた気がしています。そしてますます、太極拳を学ぶためには武術とは何であるのかということを明確に理解する必要がある、という思いが強くなっています。
私が太極拳を学んできた中で、最も印象的であった「武術性」と「日常性」の違いとは、「触れたくない」ということでした。
強力な打撃を加えることよりも、先ず相手に触れないというところでもって稽古しなければ、武術性は理解できないと言われるのです。
敵と対したとき、それは既に武器を所持していることが前提となりますが、たとえば大きなナイフを構えて殺意を持って迫ってくる相手に対して、まず受け止めてとか、組み付いて倒すということを考えるでしょうか。
親しい友人が隣で笑いながらナイフを取り出してもピリリと緊張が走るのに、赤の他人であれば言わずもがなです。
触れたくない、触れれば切れるというところで行われる稽古は、たくさんのことを教えてくれます。
ひとつは、相手の状態に関係なく制御できるということ。
師父は、相手が素手でも、武器を持っていても多人数でも何も変わりませんし、こちらが受ける影響も何も変わらないのです。
それでは私たち門人はというと、やはり変わってしまいます。
たった一本のトレーニングナイフでも、切っ先がこちらに向いているだけで人はまず身構えてしまいますし、触れたくないということが、出来れば避けたいということに変わってしまいます。当然、身体は動かず足は居着いてしまうのです。
それならば、実戦さながらのスピードでバシバシやり合う中で恐怖心を取り除き、胆力を養って敵に怯まずに突き進めるようにすれば良いかというと、太極拳ではそのようには考えません。
まずはお互いにゆっくり動く条件を設けて、予め決められた幾つかの攻撃をランダムに繰り出す中で、架式をはじめとする歩法や身体各部の要求が基本の通りに動けているかを、確認していきます。つまり、武器を使用する訓練でも、武器に対する対処法や護身術の練習にはならず、あくまでも基本を養うことが徹底されるわけです。
考えてみれば、私たちが刀や棍で稽古を行う際にも、それらの武器による戦い方など一度も教えられたことがありません。その代わりに、武器を持つと自分の身体はどのように変わるのか、相手に対したときには各自の考え方がどのように変わってしまうのかを、細かく追求して行くのです。
その結果、自分と相手との間の武器の有無に関係なく、変わらない自分の在り方で対応することが出来るようになるのです。
このようにして書いてみると大したことがないように思えますが、それを実際に実行することは、それほど優しくありません。何と言っても、相手がいるからです。
自分ひとりだけならば、じっくりと基本を練る余裕があるので、他の練功で確認をしていくことが出来るのですが、たったひとり相手が入るだけで、それが敵ではなく同門の仲間であっても、自分以外の人が関わってくるとなると、簡単ではなくなるのです。
対人訓練で、相手が思うように倒れないとき。あるいは、相手の突きや蹴りがこちらに入ってくるとき。その瞬間に頭をよぎるのは、相手に対する対抗心か、自分自身の見直しか、どちらになるでしょうか。
私自身も経験がありますが、どのような状況でも最後まで「稽古」に専念出来る為には、ある精神状態にないと難しいということです。
稽古に対する意識とそこで得られる実感、そしてたとえ僅かでも稽古を重ねることで得られる実感の変化に興味を持てないと、途端に意識は「相手」に向けられてしまいます。
人間にはそもそも「やられたらやり返す」というDNAが組み込まれているのではないかと思えるほど、一度相手に向いた意識を自分に戻すことは難しくなります。
その状態がエスカレートしていくと、対人訓練の「稽古」が、まるで「試合」のようになっていきます。
たとえば、今日の稽古のまとめを散手で確認したいということが、相手に何発入れられたかとか、何回倒せたかということにすり替わってしまい、果ては感情と感情のぶつかり合いになってしまいます。結局、肝心な “相手が居ても自分の稽古が出来ること” には、なかなかならないのです。
太極拳を練る際の大原則とされる「用意不用力」が、容易に「用力不用意」になっていくと言えるでしょうか。
師父は常々、『勝たなければならないのは敵ではなく、自分自身である』と仰いますが、まさに最も制御することが難しいのは自分自身なのだと思えます。
稽古で相手を殴ったり倒したりするために時間を使っているうちは、まだまだ武術を分かっていないと言えるでしょう。
なぜなら、今目の前にいる相手は自分と同様に同じ学習体系の下で拳理を学び、共に訓練に励んでいる仲間だからです。その相手を倒せたからといって、一体どれほど武術的に強くなったと言えるのでしょうか。
自分の目的がちっぽけなその場限りの満足を得ることなのか、武術の深奥を極めることなのか。はじめにも述べた通り、その認識を明確にすることが大事だと思います。
打ち合いに馴れるよりも、打ち合いが成立しない原理を分かること。怯まずに前に出る精神を養うよりも、自己を見つめられる精神を養うことです。
軍隊の訓練で最初に指導されることは銃の撃ち方ではなく、どのような状況下でも任務を遂行できる精神力と持久力を養うことであるという点も、同じことであると思います。
「触れたくない」という考え方は、武術がそもそも相手とぶつからないところのものであることを教えてくれます。正確には、ぶつかっている暇がないと言えるでしょうか。
これは、たとえば5〜6人に次々に襲いかかってもらえばすぐに分かることですが、一人の人とぶつかっている間を狙って次の人が来ます。またその人の相手をしている間に次の人・・と、実際にぶつかっている暇がなく、相手とぶつかっている時間は自分の身体が止まって居着いている時間になります。動けないことは則ち死を意味するということが、否応なしに実感させられるのです。
ただし、ここで間違えられやすいのは「相手とぶつからないようにしていればいい」という考え方になることです。強い力でぶつかるのが武術でないというなら、ぶつからなければよいのだと短絡に考えてしまい、相手との接点に力が加わることを避けるというものです。
これも試してみれば分かりますが、小手先や足先の工夫が主な動きになってしまい、身体は動いてくれません。
さらに、この考え方だと相手に頑張って踏ん張らせた場合には、何の影響も与えることが出来ないのです。自分からぶつかることを避けていたので当然の結果なのですが、やっている本人にしてみれば大いに疑問が生じるわけです。
相手とぶつかるのは武術的ではないとされるのに、相手とぶつからないようにしているのも武術的ではないという。それではどうしたら良いのだろうか、と。
すでに答えは出ているようなものですが、ここで必要なことは相手との接点の工夫ではなくて、教えられた架式や基本に忠実に動いているかということだけです。
そして、示範されている動きを注意深く観ることです。思考するためではなく、意識的になるために観るのです。示されている動き、指示されている言葉を全て受け入れて、自分で再現してみるのです。
すると、相手が影響を受けたかどうかに関係なく自分に発見が起こります。自分と太極拳の考え方の違い、思い込んでいた動きとの違いや今までの自分には無かった動きなど、たくさんの発見があるはずです。それを大事にします。正しくても間違っていてもその発見を大事にして、尚かつ執着しないことです。基本功から対練まで、常に新しい目で観て発見と検証を重ねていきます。
その過程には、相手を倒せたことや、倒せなかったことは入っていません。お互いに自分の稽古をしているだけなのです。
そしてその上で生じている関係性を学び、相手がいるからこそ分かる自分の状態を省みては修正することを繰り返すために、お互いに勉強になり、稽古になるわけです。
(つづく)
2014年05月23日
練拳Diary #57 「武術的な強さとは」
by 玄門太極后嗣・範士 円 山 玄 花
私たちは、強くなるために日々稽古に励んでいますが、一言で「強い」と言っても、求める強さの内容は人によって様々なことが挙げられると思います。
たとえば、腕っぷしの強さ、身体の強さ、頭の強さ、心の強さなどです。
とりわけ腕に覚えのある人や、武術や格闘技を学んでいる人は、「何が最強の武術であるのか」「どれが必殺技であるのか」を議論したがる傾向にあります。
確かに、武術それ自体が「他者に負けない、屈しない、制圧されない」ために生まれて、磨かれてきた事実から見れば、ごく当たり前のことではあると思います。
一般的に「強い」というと、より大きな力が出せたり、より速く動けることを指していると思います。だからこそ、どの武術のパンチが最も威力があるかを計測したり、誰が一番高く蹴ることができるかを競ったりするのでしょう。
しかし、太極拳の学習過程では「ゆっくり」であるとか、「もっと小さな力で相手に関わる」ことが徹底的に指導されるのです。
ゆっくり動いていて、しかも小さな力となれば、強いこととは全く正反対であるように思えますが、特に対人訓練の稽古では「いつまでも強い力を頼りにしているから、本当の太極拳のチカラが理解できない」と言われ、常に発想や考え方の転換が求められます。
そしてそれだけではなく、実際に自分が崩される、攻撃される、飛ばされるなどの影響を受けるとき、その関わりは非常に小さな力です。つまり50kgの荷物を動かすときには50kg以上の力が必要だという、力に対する一般的な考え方が一切通用しません。
仮に、強さを求めて修行した期間と自分の力の推移をグラフにしてみれば、練習期間に比例して力がついてくるのが普通です。ところが、太極拳では反対に、年数を経るほどに用いられる力は減少し、グラフは反比例を描きます。それが結果的に誰と戦ってもやられてしまうようであれば、稽古の理解を取り違えたと言えますが、もちろんそうではありません。
稽古で一般的に「強い」と言われていることと正反対の理論が展開されて、そして実際に自分が体験する度に、「何が最強の武術か」を考える前に、「本来の武術的な強さとはどのようなことなのか」「星の数ほどある武術の中で、太極拳という武術にはどのような特徴があると言えるのか」ということを問い直す必要があると思えてきました。
今回からは、その2点を中心に「武術的な強さ」について考察していきたいと思います。
人が考える「武術的な強さ」は、稽古では対人訓練にその考え方が最もよく表れます。
たとえば、相手と接触している状態から、とにかく相手を倒すという対練では、
(1)相手との接点に感じられる小さな抵抗を大きく増やし、
相手よりも大きな力を加えることが出来れば相手を動かせる、という考え方。
(2)相手との接点から繰り出される力をノラリクラリと躱しつつ、機を見て相手の
耐えられないところに動けば、比較的小さな力で相手を倒せる、という考え方。
主に、この二つの考え方が顕著に現れます。
太極武藝館に入門してくる格闘技経験のある人たちは、ほぼこの二つの考え方を持っていて、その中で自分なりに工夫をして技を磨いてきたと言います。
けれども(1)の考え方では相手よりも大きな力が必要になり、その為に筋力を増やして身体を鍛える必要があります。
どのような武術でも身体を鍛えることは必要ですが、スポーツ界や格闘技界でも「引退」という二文字が見られるように、筋力を増やしてそれを維持するには限界があります。
限界があるようなもの、そして限られた年齢でしかその力を維持できないものは、それ自体が非武術的であると私は思います。
戦乱の世に於いて、筋骨逞しい若者だけで一家を守り抜けたとは到底思えません。
女性、子ども、老人であっても、少なくとも戦いの心構えや考え方を共有して常日頃から備えている必要があり、その考え方の基本が「筋力」にあるとしたら、戦力としてはやはり無理があります。
確かに、重く大きな荷物を持って山間部を長距離移動するときなど、それなりに体力も筋力も必要になりますが、どちらかというと、重い物を持ち上げたり支えられる力よりも、重い物を持っていても動けるという力が必要とされます。つまり、瞬間的に筋肉をワッと膨らませて入力するのではなくて、身体に負荷が掛かっていても不便なく、尚かつ長時間動くことが出来る状態です。
重い物を持ち上げたり動かしたりするためではなく、どのような状況でも自分を動かすことが出来る為に筋トレを行い、身体を鍛えているのが軍隊でのトレーニングです。
私はかつて師父から、「本当の武術性というものは、軍隊に入らなければ理解することはできない」と言われました。
戦闘のエキスパートである彼らは、戦いとは何であるかをよく知っていて、特に筋力やパンチ力、フェイントなどを部分的に強化しても何の役にも立たないと言います。
彼らが考える戦いとは、強く素早いパンチを相手に入れることではなく、どうすれば生きて無事に帰れるか、ということです。敵との「殴り合い」が成立するようでは、生き残れる可能性は50%に激減します。確実に生きて帰るためには磨き抜かれた「戦闘力」こそが必要なのであり、「筋力」などは戦闘力の中のほんの一要素に過ぎません。
私が太極武藝館で20年間学び、様々な訓練を経た上で考える「戦闘力」とは、まず第一に「身体が動く」ということです。
筋力や瞬発力はさて措き、まず自分の身体が十全に、過不足なく動くことと、同時に自分の身体はどのように動くものであるのかを知ることです。
自分の身体を動かせるだけの、最低限の体力は必要になりますが、柔軟性はそれほど必要ではなく、身体が動く際に妨げとなるような固さでなければ良いと思います。
太極拳で言えば、套路が不自由なく動ける身体の状態でしょうか。
サラリと述べてしまいましたが、太極拳の套路を「不自由なく動くこと」の難しさと言ったらありません。運動の理屈は極めてシンプルであるにもかかわらず、簡単には動けないのです。足を一歩前に出す、身体の向きを変える、という単純なことを取り出してみても、何ひとつとして日常的には動くことができません。
だからこそ太極拳には「套路」という練習方法が存在し、それを丁寧に練っていくことで武術的な、非日常的な身体が確実に手に入るのだと思います。
もしも初学の内から速く動く動作で練習を重ねたならば、と考えると、それは日常的な運動の延長にしかならないことが容易に想像できます。
最初に挙げた、対人訓練で相手よりも強い力でそれを制しようとする方法では、実際には身体の動きは止まってしまっています。大きな力をある対象や方向に向かって出すためには自分の身体を固定する必要があるからです。当然、そこに向かって力を出すこと以外には、身体を動かすことは出来ません。
これも、戦闘の考え方の基本を「筋力」には出来ない理由です。
たとえば、私たちが行う訓練の一つに「腰相撲」というものがあります。
弓歩や馬歩などの架式を取ってパートナーに腰を押してもらい、それを弾き返すという、動画でもお馴染みの訓練方法ですが、中級者以上になると押されている状態のままで自分の身体を動かすことが出来ます。
上級者になると、馬歩で前から押されている状態でもその場で足踏みをすることができ、そのまま相手を弾き返すことが可能になります。
これは、押された力に対して、耐えるために身体を力みで使っていないということを確認する、最も簡単な方法であると言えます。
それでは、(2)として挙げた「相手の力を躱しつつ、機を見て攻撃する」というものはどうでしょうか。
接触している状態で相手からの攻撃が来たとなると、まず躱したくなるのが普通ですが、それは武術的に見ると大変危険な状態であると言えます。
なぜなら、相手からの一撃は凌げたにしても、相手はまだ生きているのです。
相手が攻撃してきていて、自分が躱しているだけならば、こちらは劣勢です。そしてその状態が繰り返される中で反撃のチャンスを窺うわけですが、それでは確実に相手を仕留め、自分が生き残るということは難しくなります。
相手が攻撃してきたときには、自分はすでにそれを制することが出来ている。
あるいは、相手が既にこちらを攻撃することができない状態であること。
そうなって初めて「武術」と呼べるのではないでしょうか。
(つづく)
私たちは、強くなるために日々稽古に励んでいますが、一言で「強い」と言っても、求める強さの内容は人によって様々なことが挙げられると思います。
たとえば、腕っぷしの強さ、身体の強さ、頭の強さ、心の強さなどです。
とりわけ腕に覚えのある人や、武術や格闘技を学んでいる人は、「何が最強の武術であるのか」「どれが必殺技であるのか」を議論したがる傾向にあります。
確かに、武術それ自体が「他者に負けない、屈しない、制圧されない」ために生まれて、磨かれてきた事実から見れば、ごく当たり前のことではあると思います。
一般的に「強い」というと、より大きな力が出せたり、より速く動けることを指していると思います。だからこそ、どの武術のパンチが最も威力があるかを計測したり、誰が一番高く蹴ることができるかを競ったりするのでしょう。
しかし、太極拳の学習過程では「ゆっくり」であるとか、「もっと小さな力で相手に関わる」ことが徹底的に指導されるのです。
ゆっくり動いていて、しかも小さな力となれば、強いこととは全く正反対であるように思えますが、特に対人訓練の稽古では「いつまでも強い力を頼りにしているから、本当の太極拳のチカラが理解できない」と言われ、常に発想や考え方の転換が求められます。
そしてそれだけではなく、実際に自分が崩される、攻撃される、飛ばされるなどの影響を受けるとき、その関わりは非常に小さな力です。つまり50kgの荷物を動かすときには50kg以上の力が必要だという、力に対する一般的な考え方が一切通用しません。
仮に、強さを求めて修行した期間と自分の力の推移をグラフにしてみれば、練習期間に比例して力がついてくるのが普通です。ところが、太極拳では反対に、年数を経るほどに用いられる力は減少し、グラフは反比例を描きます。それが結果的に誰と戦ってもやられてしまうようであれば、稽古の理解を取り違えたと言えますが、もちろんそうではありません。
稽古で一般的に「強い」と言われていることと正反対の理論が展開されて、そして実際に自分が体験する度に、「何が最強の武術か」を考える前に、「本来の武術的な強さとはどのようなことなのか」「星の数ほどある武術の中で、太極拳という武術にはどのような特徴があると言えるのか」ということを問い直す必要があると思えてきました。
今回からは、その2点を中心に「武術的な強さ」について考察していきたいと思います。
人が考える「武術的な強さ」は、稽古では対人訓練にその考え方が最もよく表れます。
たとえば、相手と接触している状態から、とにかく相手を倒すという対練では、
(1)相手との接点に感じられる小さな抵抗を大きく増やし、
相手よりも大きな力を加えることが出来れば相手を動かせる、という考え方。
(2)相手との接点から繰り出される力をノラリクラリと躱しつつ、機を見て相手の
耐えられないところに動けば、比較的小さな力で相手を倒せる、という考え方。
主に、この二つの考え方が顕著に現れます。
太極武藝館に入門してくる格闘技経験のある人たちは、ほぼこの二つの考え方を持っていて、その中で自分なりに工夫をして技を磨いてきたと言います。
けれども(1)の考え方では相手よりも大きな力が必要になり、その為に筋力を増やして身体を鍛える必要があります。
どのような武術でも身体を鍛えることは必要ですが、スポーツ界や格闘技界でも「引退」という二文字が見られるように、筋力を増やしてそれを維持するには限界があります。
限界があるようなもの、そして限られた年齢でしかその力を維持できないものは、それ自体が非武術的であると私は思います。
戦乱の世に於いて、筋骨逞しい若者だけで一家を守り抜けたとは到底思えません。
女性、子ども、老人であっても、少なくとも戦いの心構えや考え方を共有して常日頃から備えている必要があり、その考え方の基本が「筋力」にあるとしたら、戦力としてはやはり無理があります。
確かに、重く大きな荷物を持って山間部を長距離移動するときなど、それなりに体力も筋力も必要になりますが、どちらかというと、重い物を持ち上げたり支えられる力よりも、重い物を持っていても動けるという力が必要とされます。つまり、瞬間的に筋肉をワッと膨らませて入力するのではなくて、身体に負荷が掛かっていても不便なく、尚かつ長時間動くことが出来る状態です。
重い物を持ち上げたり動かしたりするためではなく、どのような状況でも自分を動かすことが出来る為に筋トレを行い、身体を鍛えているのが軍隊でのトレーニングです。
私はかつて師父から、「本当の武術性というものは、軍隊に入らなければ理解することはできない」と言われました。
戦闘のエキスパートである彼らは、戦いとは何であるかをよく知っていて、特に筋力やパンチ力、フェイントなどを部分的に強化しても何の役にも立たないと言います。
彼らが考える戦いとは、強く素早いパンチを相手に入れることではなく、どうすれば生きて無事に帰れるか、ということです。敵との「殴り合い」が成立するようでは、生き残れる可能性は50%に激減します。確実に生きて帰るためには磨き抜かれた「戦闘力」こそが必要なのであり、「筋力」などは戦闘力の中のほんの一要素に過ぎません。
私が太極武藝館で20年間学び、様々な訓練を経た上で考える「戦闘力」とは、まず第一に「身体が動く」ということです。
筋力や瞬発力はさて措き、まず自分の身体が十全に、過不足なく動くことと、同時に自分の身体はどのように動くものであるのかを知ることです。
自分の身体を動かせるだけの、最低限の体力は必要になりますが、柔軟性はそれほど必要ではなく、身体が動く際に妨げとなるような固さでなければ良いと思います。
太極拳で言えば、套路が不自由なく動ける身体の状態でしょうか。
サラリと述べてしまいましたが、太極拳の套路を「不自由なく動くこと」の難しさと言ったらありません。運動の理屈は極めてシンプルであるにもかかわらず、簡単には動けないのです。足を一歩前に出す、身体の向きを変える、という単純なことを取り出してみても、何ひとつとして日常的には動くことができません。
だからこそ太極拳には「套路」という練習方法が存在し、それを丁寧に練っていくことで武術的な、非日常的な身体が確実に手に入るのだと思います。
もしも初学の内から速く動く動作で練習を重ねたならば、と考えると、それは日常的な運動の延長にしかならないことが容易に想像できます。
最初に挙げた、対人訓練で相手よりも強い力でそれを制しようとする方法では、実際には身体の動きは止まってしまっています。大きな力をある対象や方向に向かって出すためには自分の身体を固定する必要があるからです。当然、そこに向かって力を出すこと以外には、身体を動かすことは出来ません。
これも、戦闘の考え方の基本を「筋力」には出来ない理由です。
たとえば、私たちが行う訓練の一つに「腰相撲」というものがあります。
弓歩や馬歩などの架式を取ってパートナーに腰を押してもらい、それを弾き返すという、動画でもお馴染みの訓練方法ですが、中級者以上になると押されている状態のままで自分の身体を動かすことが出来ます。
上級者になると、馬歩で前から押されている状態でもその場で足踏みをすることができ、そのまま相手を弾き返すことが可能になります。
これは、押された力に対して、耐えるために身体を力みで使っていないということを確認する、最も簡単な方法であると言えます。
それでは、(2)として挙げた「相手の力を躱しつつ、機を見て攻撃する」というものはどうでしょうか。
接触している状態で相手からの攻撃が来たとなると、まず躱したくなるのが普通ですが、それは武術的に見ると大変危険な状態であると言えます。
なぜなら、相手からの一撃は凌げたにしても、相手はまだ生きているのです。
相手が攻撃してきていて、自分が躱しているだけならば、こちらは劣勢です。そしてその状態が繰り返される中で反撃のチャンスを窺うわけですが、それでは確実に相手を仕留め、自分が生き残るということは難しくなります。
相手が攻撃してきたときには、自分はすでにそれを制することが出来ている。
あるいは、相手が既にこちらを攻撃することができない状態であること。
そうなって初めて「武術」と呼べるのではないでしょうか。
(つづく)