*第101回 〜 第110回
2013年05月01日
連載小説「龍の道」 第110回
第110回 鞆 絵 (ともえ)(8)
ここで宏隆が使っているベレッタのようなオートマティックの拳銃は、マガジンにセットされた弾丸をすべて撃ち尽くすと、スライドが引かれたまま静止する仕組みになっており、そこでマガジン交換をして、デコッキングレバーを下げれば、再び射撃が可能となる。
デコッキングレバーとは銃の安全装置のひとつで、スライドの側面のすぐ下に付いているそのレバーを押し下げると、撃針を固定したまま撃鉄を元の状態に戻すことができる。
編集部註:撃鉄(銃弾を叩くハンマー)を引くことをコッキング、それを元に戻すことをデコッキングと言う。また、撃針(ファイアリングピン)とは、撃鉄で叩く衝撃力を銃弾の雷管に伝える役割をする部品(ピン)のことをいう。
宏隆は、十五発の全弾を一気に撃ち尽くすと、すぐさまマガジン・リリースボタンを押して、空のマガジンを廃棄して新たな弾倉をセットしようとした。
宗少尉は、それを制したのである。
「もっとゆっくり、じっくりと撃ちなさい────────────
マガジン交換も、私が ”やれ” と命じた場合以外はやらないこと・・・わかった?!」
「はい・・・・・」
「正しく銃を撃てるようになりたいのなら、きちんと教える人の言うことを聞きなさい。
我々にとって、銃は人殺しの道具でもなければ、フラストレーションの捌け口でもない。拳や剣の道と同じ、崇高な人間性を追求する高度な武術として、厳しく自己を照らし観て、武藝の高みを極めるための道具として存在しているのよ。
言わば出家した仏僧の衣鉢や一笠一杖(いちりゅういちじょう)、破草鞋(はそうあい)と同じ意味を持つ物─────────────────自我を戒め、その道に邁進するための道具として心して扱わなければ、銃はキチガイに刃物、単なる危険な遊び道具か、ただの人殺しの道具にしかならないわ!」
「はい、自分が間違っていました────────────近頃、どうにもならない事や、どうしようもないことが沢山あって・・・言われたとおり、銃弾を撃つことの心地良さに、それを捌け口にするような気持ちになっていたと思います。申し訳ありません、今後は充分に戒めていきます」
「ウダウダと口答えや言い逃れをしないところは、なかなかよろしい。ウチの組織でも台湾海軍でも、入隊したてのハナタレには時々そんなアホウも居て、手を灼くこともあるのよ。
何かを言って聞かせるときに、口答えとまでは行かなくとも、素直になるのにひどく時間がかかって、ムスッとしたような表情をするヤツも居るしね。陳中尉だと、そんなのはすぐにぶん殴るんだけど・・・まあ、宏隆は若いのに、正しい姿勢で、正しい顔で、正しく聴けるのだから、大したものよ」
「正しい顔・・・ですか?」
「そう。人の本心は顔に出る。口ではイエッサーと言っていても、表情がムスッとしているヤツは、本当は命令を聞く気がないということね。ヒロタカはきちんとした顔で受け応えができるから、合格よ」
「ありがとうございます」
「まあ、由緒正しい血と、立派な親御さんのシツケが幸いしたンだろうけどね!」
「あ、はい──────────────」
「よく覚えておきなさい。銃は ”その気” になって撃っても駄目。それはただの観光射撃。しょせんは素人の気まぐれな遊びに過ぎない。私たちはプロ。玄洋會でも台湾海軍でも、誰もがプロとしての誇りを持って訓練に励んでいる。そしてプロとシロウトの違いというのは、ひたすらココ・・・ココの、”意識レベル” の違いにあるのよ」
そう言って、宗少尉は自分の頭を指さして見せる。
「意識レベルの、違い・・?」
「そうよ。ド素人は単純に、銃を撃つこと自体が喜びだから、基本的に撃てばそれで満足。的に当たったらもっと満足。ミリタリーの恰好をして、ブーツ履いて、ゴーグルをして、イヤマフをして、腰にナイフと銃を提げて、それっぽく雰囲気に浸れたら、もう十分。
まあ、その程度で満足できるというのが、シロウトの本質ね!」
「それじゃ、まるで子供の ”戦争ごっこ” じゃないですか・・・」
「そう、本物のナイフや銃を持ったら興奮してしまうのがシロウト。それらを手にしても、フォークやナイフを持っているのと何も変わらないのがプロ、割り箸でも戦えるのがプロというものよ」
「はあ・・・・」
「ちょっと、こっちに来てごらんなさい」
何を思ったか────────────宗少尉は宏隆に手招きをすると、射撃台をヒラリと超えて射撃ブースの中へ入り、的のある壁に向かってツカツカと歩いて行く。
射撃場では自分たちの他に誰も訓練をしてはいないが、やはり銃弾が飛び交うスペースに入って行くのは、あまり気持ちの良いものではない。
従いて行きながら、宏隆がふと、そんなことを思っていると、
「さあ、そこに寝転んでごらん」
床を指差して、宏隆に命じた。
「そこって・・・此処にですか?」
「そうよ。その標的の前あたりに、頭を向こう側にしてゴロリと寝てごらん」
「こうですか──────────────?」
変な所で、変なことをさせられるなあ、と宏隆は思ったが・・・
言われるままに、ぶら下がっている標的の前に、頭を奥にしてゴロリと寝転がった。
「しかし、こんな所に寝転がるのは、あまり良い気持ちがしないものですね。
これじゃまるで、ボクが標的になったみたいで・・・・」
「まるで、じゃなくて、そのボクが標的になるのよ──────────────」
「えっ・・?!」
いったい、何を言っているのか。
そう言われて一瞬、宏隆は訳が分からず混乱したが、すぐに状況を悟って、
「ちょ、ちょ・・ちょっとまっ・・・・」
言いかけたが、すでに遅かった。
宗少尉はすでに腰の拳銃を抜いて、宏隆にピタリと銃口を向けて、
「ジッとしてなさい、そうでないと命の保証は無いわよ!──────────────」
寝転がっている宏隆とは、5メートルほどの距離がある。
冷ややかに、まったく表情を変えずに、そう言ってのけると、宗少尉は眼下の宏隆に向かって、立て続けに五発ほど銃弾を撃った。
「バン、バン、バン、バーン、バーンッッッ──────────────!!」
「うわああああああっっっ!!」
ジッとしていなさい、と言われたが、身動きなど微塵も出来るものではない。
息も凍りつくとは、このようなことを言うのだろう。手も足も、ひどい金縛りに遭ったように固く硬直して、宏隆の叫び声と実弾の発射される音が射撃場に響きわたった。
すでに銃弾が飛び交う中に身を置いたことはあるが、とは言え、こんな至近距離で、しかも床に寝かされたままで、いつもは実の姉のように優しい宗少尉が、顔色ひとつ変えず、しっかりと自分に銃口を向けて、実弾を何発も撃ち放ったのである。
「な・・な・・なにを、するんですか─────────────────」
流石の宏隆も、すっかり顔色が青くなっている。
もちろん、宏隆の身体に弾丸が命中することこそ無かったが、顔から少し離れた処にも、足元にも、腕のすぐ側にも、実弾が音を立てて床をえぐり、飛び跳ねたのである。
「どう?、気分は─────────────────」
わずか数秒の出来事とは言え、銃弾を集中して間近で喰らうことの恐怖を、宏隆は身に染みて味わっていた。
「気分は、って・・もう、死にそうですよ───────────起きてもいいですか?」
まだ銃身の熱い銃を、腰のホルスターに収いながらコクリと宗少尉が頷き、宏隆はズボンの尻をはたきながら起き上がる。
「いつぞやも、庭でナイフを投げつけられた事がありましたけど、それとは全然違いますね・・・やっぱり、実弾はすごく恐ろしいです。硬直して全く身動きが出来ませんでした」
「あはは、下手に動くと当たってしまうからね。こんな時はそれが正解よ」
「僕に、実弾の怖ろしさを体験させてくれたんですか?」
「まあね。銃を撃つ立場ばかりに酔い痴れていると、反対に撃たれることの恐ろしさが分からないから。実際に至近距離で撃たれてみるのが手っ取り早い─────────」
「台湾で、何度か銃弾の飛ぶ中を経験しましたが、コレとは全く違います。あの時は銃弾が飛んできても、何故かあまり危機感が無くて・・・まあこんなものかなと、少しばかり実戦が分かったような気になっていたのかも知れません」
「銃は、実際に撃たれてみてはじめて、その恐ろしさが理解できるのよ。だからと言って、本当にそれを経験するワケにもいかない。だからこんな訓練をするのよ。防弾ベストを着けさせて、リアルに被弾させるコトや、麻酔銃を撃たれることもあるけどね」
「・・・宗少尉は、実戦で撃たれた経験があるんですか?」
「これを見てごらん─────────────────」
後ろ向きにシャツを脱いで、宏隆に素肌の背中を見せる。
背中の左下にふたつ、銃弾をえぐり出したような傷跡があり、右の上の方には刃物で斬られた大きな傷があった。
「これが戦闘という物の正体よ。カッコイイものでもなければ、強がってどうにかなるものでも無い。試合場も、ルールも審判も無い。ひたすら敵と命をやり取りする、殺(や)らなければこっちが殺られるだけの、ひたすら非情で冷徹なもの─────────────」
「・・・・・・」
「だからこそ、戦士には崇高な精神性と、国や民族を護り、愛する家族を守る強い意志と、全ての訓練を正しくこなす為の、自己を厳しく見つめ制御できる資質が必要となる。
それがなければ、ただの武器を持ったキチガイか殺人鬼。そこいらのチンピラの方がまだマシ、ということに成り兼ねない。だから、自分の気分に左右されて銃弾を撃つような人間には銃を訓練する資格がない、とヒロタカに言いたかったのよ」
「はい──────────────」
「それほど大きな危機を感じる必要の無い社会で生きている人間たちは、武器で遊ぶことでも満足できてしまう。そして自分ではそれを遊びや戦争ごっこだとは思っていない。
でも、例えばイスラエルやアフガニスタン、イランやイラクのような、年がら年中紛争の絶えない国々だと全く違う。その地域に暮らす人たちは、実際に銃の扱い方を知らないと、いつ何どき自分たちの生命を脅かされる事態に遭遇するか分からないから、たとえ小学生の子供でも、老人でも、誰もがそんな危機感を強く持っている。殺されないために、生き抜くために、本当に銃の扱い方をきちんと知る必要性があるのよ」
「自分を含めて、現代の日本人には、それは全く理解できない事だと思います」
「そうでしょうね。けれど、そんな日本には実際に、”今そこにある危機” が増え続けているのよ。それをリアルに感じ取れない、或いはそれを真に受けたくない人間は、イザ本当の危機がやって来たときには、ただ慌てふためいて、うろたえるているしかない。
どんな国でも、そんな人たちが真っ先に被害に遭うことになる。一人一人がきちんと危機を感じて理解し、常にそれに備えているような国は、小さくても最強の国家と言えるのよ」
「今、ベトナム戦争が起こっていますが・・・ベトナム軍正規兵士だけでなく普通の一般市民も同様に散々米軍を手こずらせているという話を聞きますね。彼らはジャングルで家族ぐるみで米兵と戦っているのだそうです。お父さんが戦闘に行っている間に、お母さんは食事の仕度をして夫を待ち、明日の戦いに備える。子供たちは竹槍を作ったり、落とし穴や仕掛けを作る手伝いをしながら、家族ぐるみで最前戦を旅していくのだと・・・」
「そう、そんな国こそ、最も恐るべし────────ベトナムは今後も、どのような国の侵略にも決して屈しないでしょうね」
ベトナム戦争、と聞いても、今の若い日本人はピンとこないかも知れない。しかし筆者や宏隆クンの世代にとっては、毎日のようにニュースで報じられるリアルな戦争であった。
ミリタリーファッションが流行する昨今では、実際のベトナム戦争や湾岸戦争の背景よりも、そこで兵士に重宝された「M65フィールドジャケット」の方が、よほど若者たちに関心が高いかも知れない。
日本人にはあまり知られていないが、実はベトナムは、その長い歴史の中において、特に支那(中国)の歴代王朝から繰り返し侵略を受け続けてきている。
紀元前111年から実に千年もの間、支那の王朝はベトナムを支配下に置いてきたが、938年にゴ・クエンが南漢の軍を破って独立を果たし、明王朝の侵略を受けた時にもそれを撃破している。
ベトナムの各都市の大小の主要道路の名前には、今もそれら中華王朝の圧政に立ち向かって功績を上げた英雄たちの名が付けられているのを見ても、如何にこの国の人たちが侵略に対して強い意志を持って立ち向かってきたかが窺える。
ベトナム戦争の後、南北ベトナム統一後にも、1979年に「中越戦争」という中華人民共和国との戦争が起こり、1989年に至るまで国境で紛争をしている状態が続いた。
1988年には南沙諸島の赤瓜礁でベトナム海軍と中国人民解放軍が衝突し(英語名:スプラトリー海戦)、ベトナム軍水兵が多数虐殺され、ジョンソン南礁はいまだに中国に占拠されたままである。
また2012年7月17日、中国は南沙諸島と西沙諸島を含む南シナ海の島嶼部を「三沙市」として勝手に成立を宣言し、市長を選び、永興島に守備隊を配備したが、ベトナム社会主義共和国はすぐにそれに対して猛烈に抗議し、ベトナムはそれらを領有するに十分な歴史的証拠と法的根拠を持っているという見解を国際社会に示した。
さらには、2012年5月から中華人民共和国で新規発行されたパスポートの査証(ビザ)のページには、「南シナ海・三沙市」という行政区画が印刷されており、ベトナムの領土主権の主張や南沙・西沙諸島の実効支配を否定する表明がなされているが、これに対してベトナムは猛烈な抗議をし、新パスポート所持者に対しては入国審査官が入国スタンプの捺印を拒否している。
これらの中国の行為に対して、首都ハノイの中国大使館前では、本来は厳しく禁止されている市民の抗議デモが、警察の取り締まりを受けることも無く、毎週日曜日に大々的に行われ続けている。
しかし、決して他人事ではない─────────────────
軍事力で領土主張を行うという覇権主義中国の常套手段は、近い将来、日本の尖閣諸島に適用されないとは限らない。いや、すでに中国共産党は尖閣諸島を奪うための緻密なシナリオを書き上げ、真っ先に宮古島に上陸して占拠し、そこから行動を起こす準備をしており、先の民主党政権時から、宮古島には観光客のフリをした大量の中国人工作員が密かに入り込み続けている、という確かな筋からの情報もある。
なお、余談ではあるが─────────────────
沖縄にある中国の友好団体である「尖閣の海と島の平和と発展を考える会」が、度々中国の「中国国際友好連絡会(友連会)」の理事である精華大学の劉江永教授をセミナーの講師に招き、沖縄と中国が共同で尖閣諸島を管理し、漁業資源を管理する公園や国際観光拠点として整備するという提案を強く沖縄県民の間に広めようとしている。
この「友連会」とは、実はかつてトウ(登ノボルに邑オオザト)小平が設立した人民解放軍政治工作部の情報機関であり、以前から日本の公安が目を付けて、厳しく監視活動を続けている団体である。
2010年3月、その「友連会」のメンバーが、なぜか宮古島のすぐ隣にある「下地島」をはるばる中国から訪れた。下地島(しもじしま)は、沖縄県宮古島市に属する、面積が十平方kmほどの島である。友連会の一行は那覇空港に到着するなり、『観光はどうでも良いから、すぐにその下地島を見たい』と言った。一行五名のうち、三名は眼光が鋭く体格の良い、いかにも軍人の体つきであった。
珊瑚礁に囲まれハイビスカスの咲き誇るこの美しい島には「下地島空港」という、日本で唯一の民間パイロットの訓練する専用の飛行場がある。彼らはそこを見たい、と言ったのである。
防衛省関係者によれば、この島はいざ日中戦争が発生した際には対中国防衛の要衝となる非常に重要な島であるという。沖縄地方でこの規模の滑走路があるのは、那覇空港と米軍の嘉手納基地だけである。戦闘機は無論、輸送機の運用にも全く支障のない下地島空港の価値は、国防の観点から見ても計り知れないものがあるが、台湾にも尖閣諸島にも間近なこの空港を、あの中国も喉から手が出るほど欲しがっているのは当然である。
沖縄人の戦争アレルギーを考慮している間に、中国から沖縄に目を付けられ、下手をすると宮古島はおろか、本島ごと支配されかねない危険な状態が迫っている事を知る日本人は、残念ながらあまり居ない。
「さて、充分に分かったようだから、続きをやるか──────────────」
「はい、お願いします、いろいろ申し訳ありませんでした」
「やれやれ、やっと実際の訓練に入れるわね」
「・・あ、それはさっきの僕のセリフですよ!!」
(つづく)
*次回、連載小説「龍の道」 第111回の掲載は、5月15日(水)の予定です
2013年04月15日
連載小説「龍の道」 第109回
第109回 鞆 絵 (ともえ)(7)
「あらあら、ダメだなぁ、そんな弾の込め方では・・・・」
宗少尉がそう言って、宏隆が持っているマガジンを取り上げた。
「ほら、弾丸(たま)は、こうやってセットするのよ」
9ミリのパラベラム弾を十五発、実にスムースに、あっという間にマガジンにセットしていくのを見て、宏隆は驚きを隠せない。
「・・すごいなぁ、よほど訓練しないと、そうは出来ないでしょうね」
「銃は、弾丸を標的に中てることが大事なんじゃなくて、先ずはきちんと銃の構造を理解しているか、きちんと弾を込められるか、というコトから始めなくっちゃね。弾込めやマガジン交換の出来不出来やそのスピードが生命に関わることだってあるんだから」
「そしてそれ以前に、銃とは何か、銃社会や銃を持つ意味を知り、銃の正しい扱い方を知った上で、それを行うことが大切、ということですね」
「そう、分かってるじゃないの────────────本当は、弾丸を込めて撃つ前に、銃の分解と整備をやらなくちゃいけないんだけど、ヒロタカはすでにそれをみっちりやっていたみたいだから、まあ、後にするかナ・・」
「銃の分解と整備は、陳中尉に教わって、ずっと繰り返して続けました」
「そして、マガジンに弾丸を込めるにも正しい方法があって、それをきちんと理解して守らないと駄目────────────自分なりにいくら早くセットできたとしても、そんなことは自慢にも何もならないのよ」
「弾丸など、好きなように込められれば良いと思いがちですが、そうではないんですね」
「この世界では、それが部隊レベルの戦闘でも、フェイス・トゥ・フェイス(サシの勝負)であっても、自分の思い通りに、好きなようにやって良い、というようなことはひとつも無いのよ。 ”自分なりの工夫” が入る余地などまったく無いの。教えられたことを、教えられたとおりに、いかに正確にきちんと出来るかどうか、それだけが問われるのよ。
だから軍隊では、立ち方や歩き方はもちろん、制服の着方や靴の履き方、靴紐の締め方から帽子の被り方、敬礼の仕方、返答の仕方、言葉の遣い方までを最初から徹底的に仕込まれるでしょ。それは、そこから先の戦闘訓練を正しく修得できるようにするための重要な基礎となるのよ。その基礎が出来ていなければ、軍人として、プロの戦闘員として戦えないからなのよ」
「よく分かります。王老師の太極拳でも、全く同じことを注意されますね。基本功のフォルム、掌の形から、指先の向き、手の挙がる方向、身体の状態、鼻先の向き、足先の向き、身体構造の変化の仕方、示範されていることの全てと、自分がピッタリと合っているかが問われます。つまり、それこそが ”真に戦える人間” を造る唯一のシステムである、と言うことですね」
「そのとおり、よぉくキモに銘じておくことね!」
「はい────────宗少尉、もう一度、弾丸の込め方を見てもらえますか?」
宏隆はテーブルにある紙箱から一発ずつ弾丸を取りだしてマガジンに詰めていく。
ベレッタM92は、弾倉に15発の弾丸がジグザグに入る。
宗少尉は、マガジンの前方を内側にして、左手に握って立て、弾丸を右手で摘まみ、リムと呼ばれる円形の弾丸底部を前にして、するりとマガジンに挿入していく。次の弾丸を入れるには、既に入っている弾丸を左手の親指で押し下げながら入れる。マガジンは強いバネが装着されているので、かなりの抵抗がある。宏隆は、射撃で標的に命中させる腕はなかなかのものではあるが、このような作業には未だ未熟さが目立っている。
「うーん、とても宗少尉のようには行きませんね。でも、実際の戦闘では、こんなふうに弾丸箱(たまばこ)から取り出すワケじゃないですよね」
「そう、任務の内容にもよるけど、普通は予備のマガジンを二、三本持って行くのよ。もっと必要だと思われるときにはマガジンを増やしたり、ズボンのポケットにも弾を入れて行くけどね」
「ポケットに?、弾丸をそのまま入れていくんですか?」
「そうよ、だからそのタクティカル・パンツ(訓練や任務に使われる戦闘ズボン)も、後ろのポケットが斜めに切れ込んでいて、ポケット自体も深く大きく取られているでしょ?」
宏隆の履いているオリーブ色のパンツを指差して、そう言う。
「ああ、なるほど。そのために、こんなカタチをしてるんだ・・」
「予備のマガジンは、ベルトに専用のマガジンポーチを装着するか、任務によってはタクティカルベストを着てマガジン用ポケットに入れておくの。普段はそんなモノを着て歩けないけどね、あはは・・・」
「宗少尉は、普段は拳銃やマガジンをどうやって持ち歩いているんですか?」
「オフの時は小型の銃をバッグに入れるか、脇の下にぶら下げているわね。予備のマガジンは無しよ。最近はシャツ自体が拳銃を入れる為のポケットの付いたものが出来たから、大仰なホルスターを着ける必要が無いのですごく便利。上にジャケットを羽織れば、見た目はごく普通のTシャツに見えるのよ」
「へえ、それって市販されているんですか?」
「バカね、そんなもの、一般向けに売っているワケがないでしょ」
「あ、そうか・・・」
「欲しかったら用意してあげるけど、日本じゃ、そんなのを着て銃を持ち歩いちゃダメよ」
「そうですよね─────────────────」
「それで捕まったら、ま、すぐに出してあげるけど、もう二度と日本に帰って来られなくなるわよ・・・・さあ、次に行こうか。弾丸を込めたら、次はいよいよ銃の撃ち方ね」
「ホイ、待ってました!!」
「撃つときに大切なのは、まず・・・」
「はい、銃の持ち方と、立ち方、構えとポジションでしょ?」
「いいえ、その前に分かっておくことがあるのよ」
「え、まだ他に何かあるんですか?」
「自分以外の周りの人への安全確認と安全確保よ。銃の訓練では、どのような場合にも常にコレが欠かせないの。よく覚えておいてほしいわね」
「隣のブースと厚い壁で区切られている、こんなシューティング・レィンジでも、いちいち安全の確認が必要なんですか?」
「そのとおりよ。それはいつ如何なる場合でも、たとえ実際の戦闘中でも、仲間との安全を確認できなくてはならないこと。訓練中のあらゆるシューティング・レィンジでは、常に安全のためのルールを守らなくてはならないの」
「安全のために守ることは、例の四つのルールだけじゃないという事ですか?」
「あれは銃を安全に扱うための、最低限守るべき基本。
私たちの行う射撃訓練には、このような、一人ずつが真っ直ぐ標的に向かえるシューティング・レィンジと、様々な障害物や建物を模したタクティカル・レィンジがあって、さらに屋外と室内に分かれているの。屋内でも相当な広さを持つ射撃訓練場もあるし、反対に屋外でも狭くて小さなトコロもある。個別ブースの無い射撃場もあるワケよ。
そして、それら様々なタイプの訓練場では、標的をセットし直したり、散乱した薬莢を掃除したり、倒れたり破壊されてしまった障害物をセットし直したり、自分が撃った標的に命中の度合いを確認しに行ったりする場合がたくさんあるのよ。そんな時にまさかの事故が起こらないように、きちんとルールが決められていると言うコトね」
「具体的には、何をやれば良いんですか?」
「第一に最も大切なことは、その場で指導されることを注意深く聴くと言うこと。そして言われたことに従い、それを絶対に守る、と言うこと。
ここでも、”自分なりの解釈” は絶対に通用しない。訓練が高度になればなるほど事故の度合いも大きくなるのよ。思わぬ事故を引き起こしてしまうような人は、普段からあまり注意深くない人であることは無論、必ずと言って良いほど身勝手で、他人とは違うことを好んだり、常に何でも自分なりにやりたがる人が多いのよ。そして、銃の場合は事故が起こってから後悔しても、もう遅い。自分の足を撃ち抜くなら馬鹿にされるだけだけれど、敵でもない人を自分の銃弾で殺すことになるかもしれないわけだからね」
「・・・どの軍隊でも、まず上官の命令に完全に従う訓練をして、服装から言葉遣いまで、すべてが ”正しく規律を守る” ということの中で行われる、というのは、そのような意味があるんですね」
「そのとおり。訓練中に身勝手や不注意で仲間を撃ってしまうような人間が、敵に向かって戦えるワケがないでしょ。敵を撃つ前に仲間を撃ってしまうようなバカには、銃を扱う資格なんか無いというコトよ。まあ、ヒロタカにはそんな心配は無いでしょうけどね」
「はい、充分に心します─────────────────」
「そして、次に守るべきことは・・・ま、実際にやりながら教えていこうか」
「はい、お願いします!」
「まずは復習よ。銃を扱う四つのルールを言ってごらんなさい」
「はい。第一に、全ての銃は弾丸が装填済みとして扱う。第二は、自分が破壊したくないものには決して銃口を向けない。第三は、撃つ直前まで安全装置をオンにしておく。第四は、実際に銃を撃つまではトリガーに指を掛けないこと・・以上です」
「よろしい。そしてルール・ナンバー2の、如何なる時も決して銃口を人に向けないと言うことは、具体的には、標的に向かうまでは必ず銃口を下方または上方に向けておくということね。それは、例えばこのように行うのよ─────────────────」
宗少尉は、テーブルの上の安全装置の掛かった銃をゆっくりと取り上げた。銃口はずっと下を向いたまま、もちろんトリガーには指を掛けていない。この伸ばした人差し指はセイフティ・フィンガーと呼ばれる。
そしてそのままシューティング・ブースまで行くと、標的の方へ銃口が向くようにして、スライドを引いてチャンバー(弾丸を発射させる場所=薬室)に弾丸が残っていないか覗き込んで確かめ、さらに指を入れて二重にチェックをし、マガジンキャッチのボタンを押してマガジンを外し、弾倉内に弾丸が残っていないかを確認し、マガジンウェル(弾倉を挿し込む所)が空であることまで覗いて見た。
「流石ですね・・・生意気を言うようですが、それらの動作のすべてが美しく見えるのは、単に安全に扱っているだけではなく、それが完全に身に付いているからだと思えます」
「あはは、まあ、長年やっているからね。それじゃ、今やって見せた基本は、陳中尉にも習ったということね?」
「はい、特に教わったというわけではないですが、陳中尉の取り扱いの様子を見て、覚えて真似しました」
「へえ、大したものね。普通、新隊員なんかは、銃を勝手に手に取って、勝手に彼方此方へ向けて、危なっかしくて仕方がないものだけれど・・やっぱりヒロタカはその辺りが違う。王老師に伝承者として認められるだけのことはあるわね」
「陳中尉には銃口を下に向けるように教わりましたが、いま、銃口を ”上方にも向ける” と言われましたよね?」
「ああ・・ほら、ジェームス・ボンドなんかが、ワルサーPPKをこうやって上に向けてポーズをつけているのを見かけるでしょ?、アレよ」
「あ、あれは安全確保をしているんですか、てっきり撮影用のポーズだと思いました」
「いいえ、実際に行うわ。たとえば敵地で仲間と突然向かい合ったときにも、お互いにすぐに銃を上に向けて、手信号やジェスチャーで次の行動を決めたりする。銃口を下に向けていると歩きにくい場合があるし、下向きだけとは限らないわね」
「わぁ、プロの話はリアルですねぇ・・・・」
「な〜に言ってンの、もうヒロタカだってプロの一人なのよ」
「あ、そうなんだ─────────────────?」
「そんなまで恰好して銃の訓練を始めたんだから、少しは自覚しなさいよ、もぉ・・」
「はい。それじゃ、今度こそ、銃の持ち方と立ち方ですね?」
「そういうコトね。銃を正しくブースまで運んで、新しい銃はドライファイアを行って様子を見て、正しく弾丸をセットできたら、次は標的に向かって構えてみる、ということになるわね。ちょっと銃を構えて見せてよ」
「そう言えば、台北で強(きょう)さんと腕試しをした時に、僕の恰好を見ていますよね」
「そうだったわね。でも、あれはちょっとへっぴり腰で、あんなのでよく良いところに中ったモンだなぁと思ったけど!」
「うわ、ひどいこと言うなぁ、もぉ・・」
宏隆はゴーグルとイアマフを着けると、足を肩幅大に開き、ピタリと両手で銃を構えた。
その姿はもう、高校生の少年の姿ではない。
(サマになっている─────────────────────)
口にこそ出さないが、宏隆が構えると同時に、そう心の中で呻(うな)った。
無論、見てくれの格好さえ良ければすなわちウデが良いということではない。
その証拠に、役者がいくら恰好よく銃を構えようと、実際には本人が映画の役のように撃ったとしても、そう上手く当たるわけもない。役者は役柄を作るためにポーズを取り、その恰好がどれほど自分の役に相応しいかを観客に見せるために演じているのであり、常にそのための不断の努力をしている。それは役者の仕事なのだ。
しかし、本当に銃のウデのよい人間は、別にポーズを決めようとしているわけではないのに、その格好が ”決まっている” ものである。これは銃に限らず、武術においても同じことであって、たとえ何かの武術を全く知らない人間で、本人がそれを初めて試みるカタチや動きが内容的に下手でも未熟でも、きちんとした武術性を持っている者は、理屈抜きに ”サマになっている” ものなのである。
言い換えれば、いつまで経っても ”サマにならない” 者は、武術性が何も開発されていないことになる。拳学の道に「黙念師容」という言葉があるように、指導者の姿形に己の存在自体をピタリと合わせられるような感性が無ければ、武人としての大成は難しいと言わなくてはならない。
宏隆の銃弾を撃った回数は宗少尉や陳中尉には遥かに劣るはずだが、その武術性においては二人の先輩を脅かすような、絶対的な質を持ち合わせている。そして、いま銃を構える宏隆にもその ”質” がありありと見えるので、宗少尉はつい呻ってしまうのであった。
「撃ってもいいですか─────────────────?」
ほんのちょっとの間に違いなかったが、ふと、そんな事をぼんやり考えていたので、急に宏隆にそう声を掛けられて、宗少尉はハッとして、
「いいわよ・・」
つい、そう返事をかえしたが、
「ズダダダダダダァ──────────────ン!!」
宗少尉が返事を言い終わるかどうかのうちに、宏隆はあっという間に、立て続けに全弾を標的に向けて発射した。
(まあ・・・なんて子なんでしょう!)
こんな時は普通、生徒は一発ずつゆっくりと撃つもので、散々海軍の荒くれ男たちを指導してきた宗少尉も、こんな機関銃のような撃ち方をする人間には、流石にまだお目に掛かったことがない。
しかし、その呆れ顔の宗少尉を前に、宏隆は足を開いたポジションをそのままに、さらに素早くマガジンをリロード(再装填)しようとした。
「・・ちょ、ちょっと待ちなさい!」
慌てて宗少尉がそう命じる。
黙っていれば次のマガジンも、あっという間に空にしてしまいそうな勢いなのである。
「え、何ですか─────────?」
「何ですかじゃないわよ、ちょっと銃を置きなさい・・・!」
言われてしぶしぶ、ブースの台に銃を置く。
少し以前から宏隆の心の中に、もやもやとした様々な物事が去来し続けている。
あの薙刀の女性師範の見えない動き、王老師や陳中尉に散々見せつけられた、夢にまで見る高度な武術原理の数々・・そして、それを解く鍵がそこにあると思えたあの歩法・・・
銃の訓練のために南京町の地下基地へ行くと言われて喜び勇んだのは、宏隆の潜在意識の中で、そんな未解決のことがらの全てを、小さなひとつの標的にまとめて打ち砕いてしまいたかったからかも知れない。
本人の心の奥底がどうなっているのかは、実は当の本人にもよく分からないのだが、兎も角そんな勢いで、宏隆は一気に銃を撃ってしまったのである。
「もう・・いきなり、そんなマシンガンみたいな撃ち方をして────────────」
「・・あ、いけなかったですか?」
「イケナイことはないけど。今日はゆっくり、じっくりと撃つ練習をしなきゃでしょ。まだまだ覚えることがいっぱいあるのよ。ブースに立っていきなり、一気にマグ(マガジン)を空っぽにして喜んでいる場合じゃ無いでしょう!!」
「すみません、つい─────────────────────」
(つづく)
*次回、連載小説「龍の道」 第110回の掲載は、5月1日(水)の予定です
2013年04月01日
連載小説「龍の道」 第108回
第108回 鞆 絵 (ともえ)(6)
「さてと、射撃を訓練するに当たって、先ずは──────────────」
「ええーっ、さんざん銃社会についての講義をやって、この上まだゴタクを・・?」
「ン・・ゴタクだぁ?」
「あ・・いえ、その・・つまり、たいへん貴重な御託宣(ごたくせん)をタクセン(沢山)拝聴したいと思っております、ハイ。ははは・・・・」
「ふぅーん、上手く逃げるわねえ〜ェ──────────────」
「カケイですね、化勁、ははは・・・ふぅ、アブナイ、アブナイ」
「化勁じゃなくて、射撃の練習をするんダロが!、もぉ、マジメに聴かんかいっ!!」
「は、はいっ、失礼しましたっ!!」
「まず、素人が観光射撃場で銃を撃つのと、ココで学習する射撃は何が違うと思う?」
「そりゃぁもう、何もかも違うでしょうねぇ。正しい銃の扱い方や、様々な標的の狙い方、銃の手入れの仕方やら管理の・・・」
「そんなんじゃないのよ、もっと ”決定的な違い” があるけど、何だか分かる?」
「決定的な違い、ですか────────────?」
「ハハン、やっぱり分かっていないわね!」
「何ですか、その ”違い” というのは?」
「私たちが銃の訓練をするのは、ひたすら ”人に中るかどうか” ということなのよ!」
「ひ、ヒトに、あたるかどうか・・・!!」
「当たり前でしょ!、的に当てるために銃を撃つんだったら、夜市の神槍手(射的)やスポーツ射撃と同じでしょ?、人に命中させるための訓練をして、はじめてプロと言えるのよ、わかる?!」
「ま、まあ、理屈ではきっとそうなのだろうな、ということは分かりますが・・・」
「リクツじゃないのよ。実際にその意識で撃つ訓練をしていなければ、たとえ理屈でいくら分かっていても、イザという時にはトリガーを引けないわ!」
「イザという時・・・?」
「そう。実際に銃が使われる状況というのは、当然相手も銃を持っているのよ。そして相手は自分を標的として、容赦なく撃ってくる────────────
自分を標的にされるってコトは、敵は自分の命を狙って来るということ。もし相手に命中させることを目的としない訓練をしていたら、そんな時に絶対に対応できないでしょ。
自分の命を狙ってくる相手に対しては敢然と立ち向かって撃つ、という強い意識が養われていなければ、それはただの趣味のシューティング、観光射撃や夜市の神槍手と、本質的には何も変わらないものなのよ」
「はい・・分かりました──────────────」
分かりました、と頷きはしても、宏隆の心のなかは、まだすっきりしない。
頭の中には、台湾に向かう「大武號」が北朝鮮の偽装船に襲撃された時に、自分もライフルを取って敵の銃弾が飛び交う中で応戦したことや、台北のホテルでの、徐たち工作員との死闘・・・それらが渾沌と入り混じって思い出されていた。
(編集部註:「龍の道」第19〜21回<澪標>、第50〜59回<綁架>を参照)
台北のホテルで徐が敵であることを見破ったあの時も、何とか取り上げた銃を相手に向けたが、徐はその宏隆に向かってこう言ったのである────────────
『いくら訓練場の標的に当てるのが上手だと言っても、昨日今日、訓練をはじめたばかりのヒロタカさんに、果たして生身の人間が撃てるでしょうか?』
それに対して宏隆は、
『人間は撃たない─────だが、人間の皮を被ったようなケダモノが相手なら、いつでも躊躇せずに撃ってやるぞ!』
精一杯、そう啖呵を切ったものだが、しかし本当は実際にそうする自信などなかった。
拉致されて北朝鮮に向かう "HONG YANG 415" の船上でも、最後に徐に銃を向けることになったが、本気で撃つつもりなど、やはり自分には無かったのだと思える。
「台湾での事件を、想い出しているのね──────────────?」
「・・え、なぜ分かるんですか?」
「分かるわよ────────────私も、生まれて初めて人に対して銃口を向けた時には、とても複雑な気持ちだったわ。でもね・・・」
「分かっています。今度はためらわずに、きちんと撃てるように訓練します。それが銃を持つことの意味だし、銃を撃つ訓練をすることの厳しさなのだと・・・
人の命を尊ぶ心と、愛する人や自分の生命を理不尽な暴力から守ることを一緒クタにしてはいけない。生半可な気持ちでは、決して銃を持つことはできないのだと思いました」
「えらいわね──────────────」
「そのことも、もっと勉強します」
「さて、それじゃ、やるか!!」
「はい、お願いします!」
「銃を扱うための四つのルールについては、よく分かっていたみたいだけれど、最も重要なことは何か、もう一度言ってごらんなさい」
「それは ”安全に扱う” ということです。銃は安全を確保することが最も重要なことです。
標的以外の物や他の訓練者に銃口を向けたり、間違っても自分の足を撃ったりしないように呉々も注意しなくてはならない。如何に銃弾を標的に当てるかと言うことではなく、先ずは安全に取り扱えるように、正しい訓練を受けなくてはならない、ということです」
「そのとおりね。観光射撃場では、観光客自身にその意識が訓練されていないので、危険極まりないワケよね、ホント。いつ何どき、隣のブースから弾丸が飛んでくるか分からないような・・・ではその次に行きましょうか」
「次は、何ですか?」
「いよいよ実際に、銃を手に取って訓練するのよ」
「ふう、やっとそこに辿り着いたか!」
「でも、その前に────────────────」
「えぇー、まだ準備があるんですか?」
「服装のチェックよ」
「服装って・・これじゃ駄目なの?」
宏隆は、半袖Tシャツとジーパン、スニーカーという、普通の若者の恰好である。
「話にならないわね・・・銃の訓練をするときには、襟付きの長袖シャツ、帽子、厚手のパンツ、コンバットブーツ、などが最低でも必要よ。それに加えて、実際の射撃では、ゴーグルとイヤーマフはもちろん、出来ればグローブの着用が望ましいの。そんな ”真夏の果実” のような出で立ちでは、どうしようもないわよ」
「スニーカーが適さないのは分かるとしても、Tシャツがどうしてダメなんですか?」
「ヒロタカはこれまで、Tシャツを着たまま銃の訓練をしたことがあった?」
「ありません。意識的にそうしたのじゃなく、偶然だと思いますけど」
「Tシャツだと、排出された薬莢が襟首に飛び込んでくる時があるのよ。薬莢は熱いので、それに驚いて思わずトリガーを引いてしまうこともあるわ。帽子をかぶるのも、ゴーグルをするのも、それを防止するためなのよ」
「ああ、なるほどね。それじゃ、ブーツを履くっていうのは?、射撃ブースの訓練でもいちいち戦闘用のブーツを履くんですか?」
「そのとおりよ。軍隊や警察など、プロのコンバット・ブーツは銃で射撃をすることを想定して作られているからね」
「・・と、言うと?」
「厚すぎず薄すぎない靴底の厚さ、絶妙なヒールの高さ、水や油、砂や氷にも滑りにくいビブラムのアウトソール、足首から脹ら脛までを正しくホールドするシャフト、後ろ側がカットオフされたトップエンド、締めやすく、動きやすいシューレース(靴紐)とフック。プロのブーツは厳しい任務を完遂するに相応しく、念入りに設計されているのよ」
「うわあ、やっぱり靴も立派な道具のひとつなんですね。でも ”絶妙なヒールの高さ” というのはどういう意味なんですか?」
「履いてみれば分かるわ。その棚にヒロタカの靴を用意してあるから、取ってらっしゃい」
「えっ、ぼくの靴が?」
「そうよ、普段そんなペラペラのスニーカーや、お気に入りのチャッカ・ブーツばかり履いていると解らないだろうけど。まあ、プロ用の靴を試してごらんなさい」
そう言われて、宏隆は後ろの棚に置かれていた真新しいブーツを手にした。
「これですか?・・・何だか、兵隊が履く靴みたいですね」
「みたい、じゃなくて、実際に兵士が履いている靴なのよ。履いてごらんなさい」
「あ、ぼくの足のサイズにピッタリです」
「当たり前よ、宏隆のサイズで注文したんだから────────────あらあら、そんな紐の締め方じゃダメねぇ・・・・」
「特別な締め方があるんですか?」
「そりゃもちろん。私が靴紐を結び直すから、一緒にやって覚えなさい」
そう言って、宏隆に分かりやすく靴紐を結んで見せる。
「ほら、こうしておけば、絶対にほどけてきたりしないでしょ。そして余った紐をこうして処理すれば・・・はい、出来上がり、っと─────────────」
「なるほど。こりゃすごいな、これなら特殊部隊の任務にも使えそうですね」
「これは特殊部隊用の結び方よ。アメリカ兵なんかは自分の好きに結んでいる人が多いけれど、軍隊では靴紐の結び方まで決められているのが普通よ・・さて、さっき質問したカカトの高さの感じはどう?」
「うーん、確かに絶妙ですね。高すぎず、低すぎず、フラットよりは気持ち少し高めのヒール、といったような設定ですか?」
「そのとおり。では、何故そうなっているか、分かるかな?」
「歩きやすいから、ですか?」
「それもあるけれど、大事なことは、銃を撃つ時は、ややカカトが浮くぐらいにした方が撃ちやすいという理由からよ。重心がほんの少し前気味になるような、そんな身体のポジションなら、銃は撃ちやすくなる。カカトをほんの数ミリ高くすると動きやすいし、銃の反動に対してバランスが取りやすくなる。反対にヒールが高すぎると、野戦時の下り坂では行動しにくいし、荒れ地ではかえって歩きにくく、足が疲れやすいのよ」
「すごいなぁ。靴ひとつを取り上げても、やっぱりプロの世界はスゴイんですね!!」
「靴は、銃と同等に大切に扱われるのよ。よく覚えておきなさい」
「靴が?・・銃と等しく扱われているんですか?」
「そう、履いている靴を見ればその兵士の実力が分かる、と言われるほど、軍人は靴を大切に扱うの」
「そう言えば、警察官や自衛隊員のブーツはいつもピカピカですね。年中訓練してドロドロになるはずなのに・・・その兵士の実力にまで関わってくるのは何故なんですか?」
「ちょっと考えたら分かるコトよ。靴がダメになったら、兵士はその時点で行動することが出来なくなるでしょ。敵に向かっていくどころか、撤退することも出来なくなってしまう。だから靴は兵士の命、身を守る銃やナイフと同じ価値を持っているのよ。軍隊では訓練後の手入れを怠ってブーツが汚れたままでいると、それだけで厳罰に処せられるのよ」
「そうか、なるほど──────────────────」
「何も兵士に限った事じゃなくて、登山靴やスポーツ靴、仕事用の靴、下駄でも草履でも、みんな同じことね。靴の手入れが悪い人間に、まともなコトが出来るはずがないわ。
同じように、きちんと靴紐が正しく締められていたり、靴紐自体が伸びたり切れそうになっていたりしないことも大切よ。ヒロタカは、自分の靴は自分で手入れをしている?」
「自分で手入れをするのは登山用のブーツくらいですね。普段履いている靴や通学用の靴なんかは、全部使用人が手入れをしています」
「やれやれ、こまったお坊ちゃまねぇ──────────────」
「でも、これからは自分で手入れをします。このブーツも、大切に使わせて頂きます」
「よろしい。それじゃ、ロッカーに訓練用のシャツとズボンがあるから、着替えていらっしゃい。帽子やゴーグルはここに用意してあるから」
「ありがとうございます」
「それから、着替えた帰りに武器庫から自分の好きな銃を持って来なさい」
「はぁーい!!・・・さあ、これでやっとこさ銃を撃てるぞ!」
更衣室で指定された服に着替える。いかにも戦闘用だと思えるズボンには、専用のベルトが付属し、傍らにはホルスターまで置かれている。宏隆はもう一度ブーツを履き直し、念入りに靴紐を結ぶと、武器庫に寄って銃を選んだ。
「まあ!・・日本じゃこういうのを ”馬子にも衣装” って言うんでしょ、あはは・・・」
「なにが可笑しいんですか、もう・・失礼なんだから!」
「いや、ステキよ、なかなか似合うじゃないの、あははは・・・・」
オリーブ色のシャツとズボンは、宗少尉の言うように、よく宏隆に似合っている。それに下ろしたての軍用のコンバットブーツを履いているので、なかなか精悍に見えるのだ。
「ところで、このワッペンは?」
シャツの袖のところに付けられているワッペンを指差して、宏隆が言う。
「それは玄洋會の、戦闘部隊の識別ワッペンよ」
「胸のワッペンの記号と数字は?」
「それはヒロタカの所属国と個人の識別番号。我々は名前を明かせないからね・・・」
「ええーっ!、それじゃ僕はもう玄洋會の戦闘部隊ってコト?」
「当たり前でしょ。そのための訓練をしてるンだから」
「そりゃぁそうですけどね・・・でも、なんだか・・・・」
「ゴタゴタ言わないで、ほら、銃を見せてごらん!」
宏隆が選んできたのは、陳中尉のもとで訓練した時のものと同じ、ベレッタである。
「へえ、Pietro Beretta(ピエトロ・ベレッタ)、M92 を選んだのね?」
「選んだというよりも、ハンドガンの訓練では、これしか撃ったことがありませんから。
でも、コイツとは何となく相性が良いような気がするんです」
「ふふ・・銃を ”コイツ” と呼ぶようになってきたら、少し上達してきたというコトね。
さて、そのベレッタを正しく取り扱って、銃を撃てるようにセットするまで、説明をしてごらんなさい」
「はい・・・先ず、このベレッタはスライドが引かれておらず、マガジン(弾倉)もセットされている状態なので、外からは銃弾が入っているかどうかは判別できません。従ってより弾丸が入っているものとして扱わなくてはなりません。このように、決して銃口を人に向けずに、スライドを引いてチャンバー(マガジンから弾丸が送り込まれる所=薬室)に弾丸が無いのを確認し、マガジンも抜いて弾倉がエンプティであることを確認します」
「ふむ、なかなかよろしい。それじゃ、次は?」
「次は弾を込めます。このマガジンを・・」
「ちょい待ち!、その前に、やってもらいたいコトがひとつあるわね」
「何でしょうか?」
「Dry firing よ────────────」
「ドライ・ファイアリング?」
「弾を込めていない状態で ”空撃ち” をすること。ドライファイアとも言うわね」
「空撃ちのことですか・・・陳中尉にも教わっていませんが、実銃ではいちいちそんなことをするんですか?」
「初めて撃つ銃は、銃の重量や持ち具合は無論、たとえ新品でも、トリガー(引き金)の重さやスライドの反応の具合、その個体独自のフィーリングを掴むために、ドライファイアをした方が良いのよ」
「モデルガンでも、あまり空撃ちをするのは良くない、なんて言われますけど・・」
「実銃の場合は、9ミリの口径なら心配は要らないわ。実弾を撃つ前に、ドライファイアで感覚を取っておく方が、より早く自分に馴染むのよ」
「なるほど────────────」
「もっとも、教官によってはドライファイアを勧めない人も居るけどね」
宏隆は弾丸の入っていない銃を構え、幾度か空撃ちをしてみる。
「・・どう?、なにか分かる?」
「はい、これはやってみる価値がありますね。ベレッタがこんな感じの銃だということが、実弾を撃っているときよりも、かえってよく分かる気がします。ぼくの手のひらがそれほど大きくないということもありますが、トリガーを引くと、少し銃口にブレが出ます。ドライファイアでブレていては、実弾射撃ではもっとブレてしまいますね」
「あはは、役に立ったみたいね・・それじゃ、マガジンに銃弾をセットしましょうか」
(つづく)
*次回、連載小説「龍の道」 第109回の掲載は、4月15日(月)の予定です
2013年03月15日
連載小説「龍の道」 第107回
第107回 鞆 絵 (ともえ)(5)
「さて、もう講義はこの辺りで切り上げて、いよいよ実地訓練に入るワケですね!!」
きらきらと目を輝かせて、宏隆が言った。
「あはは、やっぱり男の子ねぇ、早く銃を撃ちたくて仕方がないみたいね?」
「そりゃそうですよ、男だったら誰だってそうです。秘密結社に入ったおかげで、ハワイに行かなくても実銃が撃てるんですからね。ウチの父なんか、家の地下に射撃場を造るって、本気で考えていたみたいですから」
「まあ・・いくらお父様がご立派な方でも、日本ではそれはマズいんじゃないの?」
「そうです。だから父はオーストラリアの別荘の地下にそれを造るって言ってました」
「はぁ・・何ともまあ、スゴイ親子だわねぇ・・・・」
さすがの宗少尉も、その話には呆れている。
「ところで─────────────────」
宗少尉が何か言いかけようとするが、
「えーっ、まだ銃のウンチクが続くんですかぁ・・?」
それを遮って、宏隆が不服そうに言う。
「蘊蓄じゃなくって、銃を扱う者に必要な ”心構え” を話してるのよ!」
「そりゃそうでしょうけど・・そうだ!、だったら、講義と実技を交互にやりませんか?
(いい加減にしないと、読者も飽きるだろうしサ・・)」
「あのねぇ、大事なコトだからマジメに聴きなさいってば!!」
「分かりましたよ、もぉ・・ハイ、どうぞ。御説をば拝聴いたしますデス」
「オホン・・で、さっきアメリカの銃社会について話したけれど、まだ続きがあるのよね」
「あ、それなら、もう少し聴きたいですね」
「ムッ・・それなら、とは何よ。それなら、とは!!(ゴラぁ・・!)」
「あ、ごめんなチャイナ、失言ッス」
「なんか猛王烈クンみたいね・・・・以前、あるアメリカの田舎町に行ったときに、友人と住宅街を歩いていたんだけれどね。あの国の住宅って、どこでも道路と境界線がなくって、ただ芝生が植わっていて、玄関へのアプローチが続いている家が多いでしょ?」
「ふむ、そうですね────────────」
「友人と並んで歩くにはちょっと歩道が狭かったので、つい芝生の上を歩いていたのよ」
「ふむふむ、芝生の上は気持ちが良いですよね。それがどうかしたんですか?」
「その時、友だちに注意されたのよ。 ”麗華(宗少尉の名前)、そんな所を歩いちゃダメよそこの家の窓からいきなりズドンとやられても文句は言えないわよ。ここじゃヨソ者はすぐに見分けが付くからね。敷地内に無断で入った余所者をいきなり撃ち殺しても、警察は何も文句を言わないよ!” ・・ってね」
「いきなり撃ち殺す?・・ひえぇ、何てぇクニなんだっ!!」
宗少尉の話は決してオーバーではない。この物語から20年経った1992年、アメリカに留学していた16歳の日本人高校生が射殺された衝撃的な事件は、まだ読者の記憶に新しいと思うが、それでも20年も前の出来事なので、知らない方のために少し解説しておきたい。
AFS(国際教育交流団体)を通じてルイジアナ州バトンルージュに留学していた服部剛丈(はっとりよしひろ)君は、寄宿先のホストファミリー(留学生を受け容れる家族)と共にハロウィンのパーティーに出かけたが、訪問する家を間違えてしまったため、その家の住人であるロドニー・ピアーズから侵入者と判断され「Freeze(動くな)!」と警告された。
しかし服部君にはその意味が分からず、「パーティに来たんです」と言いながらそのまま笑顔で住人に歩み続け、玄関先2.5メートルの距離でマグナムを装填したS&Wを発砲され、救急車で運ばれる途中、出血多量で死亡した。
発砲したピアーズ被告(30才)は、日本の傷害致死罪に相当する「計画性のない殺人罪」で起訴されたが、バトンルージュ郡地方裁判所の陪審員12名は全員一致で正当防衛・無罪の評決を下した。弁護人は最終弁論で「玄関のベルが鳴ったら誰に対しても銃を手にしてドアを開ける法的権利がある。それがこの国の法律というものだ」と語った。
なお、ルイジアナ州の法律では屋内への侵入者に対する発砲は容認されているが、服部君は屋内には入っていない。
その後の遺族が起こした民事裁判では、ピアーズ被告が自宅に何丁も銃を持つガンマニアであり、しばしば自宅の敷地内に入ってきた猫や野良犬を射殺したり、事件当日も酒を飲んでいたことなどが証明されたため、正当防衛とは認められないとして、判決では65万3千ドル(約七千万円)を支払う命令が出され、同州の高等裁判所も控訴を棄却したため、ピアーズは破産することになった。
服部君の両親はAFSや友人たちの協力で「アメリカの家庭から銃の撤去を求める嘆願書」の署名活動をし、一年あまりで170万人を超える署名を集め、1993年11月、ビル・クリントン大統領に署名を届けるために面会した。また服部夫妻がワシントンD.C.に滞在中、銃規制の重要法案である「プレディ法」が可決された。
この事件は後にドキュメンタリー映画にもなり、被害者の母親が事件の顛末を記録した著書をはじめ、国内外の様々な人による著作が多数存在している。
「だからと言って、銃規制を厳しくすれば良いという問題でもないのよね─────────」
ちょっと中空を見つめるような目をして、宗少尉が言った。
「と、いうと?」
「たとえば、今度のアメリカの大統領選挙では、有力な候補者が選挙運動中に ”銃規制” に前向きな発言を繰り返していたけど、それにともなって、異常なほど銃と弾薬の売れ行きが上がっていたのよ」
「えっ、それって変ですよね。反対なんじゃないの?」
「理由は簡単よ。銃規制に前向きな有力な候補者が大統領になったら、銃を買うことができなくなるかもしれない、という危機感が多くのアメリカ人を駆り立てて、銃と弾丸を買いに走らせるってコトね」
「へぇー、日本じゃ全く考えられないことですねぇ」
「それは、陰では ”恐怖のバブル” とか ”恐怖刺激政策” などと揶揄されているわ。ま、その背景には、全米ライフル協会(NRA=National Rifle Association)が多額の資金を投入してPR作戦を展開している、ということも大きく影響しているんだけれどね」
「ははぁ、何だか話が怪しくなってきましたね────────────」
「全米ライフル協会は、あらゆるメディアを使って、”次期大統領はアメリカ人から自由を奪い、銃を持つことを禁止しようとしている史上最も銃を嫌っている大統領だ、いま銃を買っておかなくては二度と買えなくなるぞ!” ・・などと言って扇動しているワケよ」
「その結果は、どうなったんですか?」
「スターム・ルガー社では前年比で純利益が4倍になり、株価は80%以上も上昇したわ。
スミス&ウエッソン社の株価も、およそ三倍まで跳ね上がった。まあ、全米ライフル協会というのは歴代大統領のほとんどがメンバーになっているからホントに怪しいものだけれど。何よりその大統領自身、オフの日はクレー射撃に興ずるような人だからね・・・」
「しかし、何につけても、すごい国だなぁ─────────────────」
「こんな話をするとアメリカの銃社会ばかりが問題にされているみたいだけれど、実際にはアメリカよりベネズエラやブラジルの方が銃による死亡率は高くて、人口比でアメリカの三分の二しかないブラジルは、アメリカより遥かに銃による死亡者が多いのよ。ベネズエラの成人男性の死亡原因の第一位は、何と ”銃による殺害” なんだから」
「死亡原因の第一位が、銃による殺害?!・・・ガンとか、心臓病とかじゃなくって?」
「そう、昭和元禄・平和ボケのニッポン人にはちょっと衝撃的でしょ。ベネズエラにはあまり行かない方がいいカモね。まあ、病めるアメリカは ”悪しき銃社会” としてよく槍玉に挙げられるけれど、世界的に見ると銃の所持を認めている国や地域はとても多くて、日本みたいに所持が非常に難しいという国の方が珍しいのよ」
「本当ですか────────────?」
「国によって差はあるけれど、ヨーロッパの多くの国では拳銃やライフルの所有を認めているし、スーパーで銃が売っているようなアメリカと比べれば所持する条件は厳しいけれど、日本よりは遥かに許可が取りやすいようになっているわね。ただ、イギリスのように日本と同様の厳しい規制を行っている国も存在するけれど。
東南アジア、南米、アフリカなどに至っては銃が市場にゴロゴロ出回っている状態ね。フィリピンなどでは、ごく普通の町工場が銃を密造して海外に売りさばいている。同じ東南アジアでも、シンガポールは日本同様に厳格な規制をしているけどね。
中東やアフリカなど内戦が多い所では何処でも拳銃やライフルが簡単に手に入って、小学生くらいの子供が裸足でライフルを担いで歩いているのを当たり前の光景として見かける。そしてひとたび犯罪が発生すればたちまち市街戦になって、大人も少年も入り乱れてガンガン撃ち合うのが、ごく普通に見受けられるのよ」
「うむむ、そんな話を聞くと、たとえ平和ボケだろうが昭和元禄だろうが、とりあえず日本が平和で良かったと思えてきますが─────────────────」
「そうなると、その問題をどうするかというのが国際社会の課題よね。それらは正常な現代社会の文明や生活とは、とても言えないでしょうから」
「日本人の感覚だと、銃の犯罪が起こるのなら銃を規制すれば良い、ということになると思います。けれど、例えばアメリカという国は、もともと色々な国から移住してきた雑多な人たちで造られた国家で、彼らの侵略を阻止しようと命懸けで戦った先住民族なども存在したわけですから、建国当初の ”自分の身は自分で守る” という精神が根強いんでしょうね」
「米国でよく使われるのが ”もし貴方が強盗をするとしたら、銃で武装をしている家と、全く銃を置いていない家の、どちらをターゲットにして狙うだろうか?” っていうフレーズ。
それに、銃を乱射した大事件の後には、必ずテレビ局が ”このような銃の犯罪が繰り返し起きてしまうのは何故でしょうか?” と問いかけて世論調査番組を放送するけど、”銃が簡単に手に入るため” だと回答する人は、常に全体のわずか2割にも満たないのよ」
「それ以外の人は、どんな回答をしているんですか?」
「犯罪者の人格の問題だとか、子供の頃からのシツケの問題だとか、いろいろね・・・」
「うわぁ、やっぱり日本とはちょっと考え方が違うなぁ!」
「銃の所持を認める国は、歴史的、伝統的に銃がその国にとって象徴的な意味合いを持っているからよね。日本だと、たとえば日本刀の所持を許可制度まで廃止して一切禁止するということになったら、日本刀を持つ武術家や愛好家だけでなく、日本の伝統文化を大切にする一般人からもかなりの反発が出ることは必至でしょう?、それと同じことよ」
「なるほど、そう言われると少し解るような気がしてきます。銃社会と言っても、ひと言でその善悪を決めることの出来ない、様々な問題が絡んでいるんですね」
「そうね。さっき出た全米ライフル協会などは、実質的な圧力団体でもあるわけだし・・」
「圧力団体?、銃の愛好家が造っている団体じゃないんですか?」
「ある面ではもちろん、銃愛好家の市民団体であることには違いないのだけれど。
NRAは南北戦争に勝った北部出身者や銃の販売業者、銃愛好家によって1871年に設立された団体よ。会員数400万人、スローガンは ”銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ” という名文句。アメリカ合衆国憲法修正条項第2条にある、”武器を所持して携帯する権利” を根拠に、銃規制に反対している団体よ」
「ははは、そりゃ名文句ですね、うまいこと言うなぁ・・」
宗少尉の言う、NRAのその根拠主張に対しては、国民の無制限な武装権を認めたものではないと批判する意見も米国内に多くあったが、2008年7月、アメリカ連邦裁判所は同条項を「個人の武装権を認めたもの」とする判決を示している。
「・・・まあ、アメリカなどは、教会の牧師さんでも銃を持っているような社会だからね。警官に職務質問を受けた時には絶対に動いてはいけないというのが鉄則。間違っても上着の内ポケットや、腰の後ろに手を回すような仕草をしないことが大切ね」
「それで撃たれても文句は言えない、と?」
「もちろんそうよ。実際にそれでズドンと撃たれる人は沢山いるワケだから。アメリカでは殺傷能力の無いオモチャの銃で遊んでいた子供を、”今まさに銃を発砲しようとした凶悪犯” として射殺するような事件が後を絶たないのよ。だから遊戯銃は実銃と混同されるような外観にすることを厳しく禁止している。これは水鉄砲に至るまで適用されているのよ」
「いくら何でも、日本じゃ水鉄砲までは規制しませんね。アメリカはそれほど病める社会だというワケですね・・・そう言えば、この地下訓練場にある格闘室にも、青く塗られた訓練用の拳銃がいくつか置いてありますね」
「アメリカでも台湾でも、警察や軍隊で使われる訓練用の模造銃は、容易に本物と比較できるように、材質とは関係なく必ず全体を青や赤で塗る義務があるの。それらはブルーガン、レッドガンと呼ばれているわね」
「ただ訓練用の銃として区別するように塗られているんだと思っていました。そこには明確に実銃と区別されなければならない、切実な理由があったワケですね?」
「そういうコト。ブルーガンと言えば、スポーツ格闘技などで ”銃を向けられたらどう対処するか” などという護身術的な練習があるみたいだけれど、実銃を持ったことも撃ったことも無い、ましてや軍事訓練経験があるわけがない、というレベルの人がいくら銃の対処法を練習しても、ほとんど無駄なコトね。いくら格闘技をやっていても、素人は本モノの危機を実感したことなんか無いワケだから、銃を撃ったことも、撃たれたことも、ナイフを持った複数の敵に囲まれたことも無いんだったら──────────────」
「ムリですよ、そんなの。平和ニッポンでは滅多に起こり得ないことなんだから。銃の対処法を練習するのに使うゴムのダミーガンだって、日本じゃ黒く塗られていますからね」
「でも、その ”危機” を実感したことが有るか無いかでは、武術修行に大きな差が出るのよ。ナイフ対処法も、しょせんはスポーツ格闘技のレベルが関の山でしょうね」
「むぅ・・厳しいお言葉ですが、その通りでしょうね。スポーツ格闘技と本物の武術とは、まるで中身が違います。まあ、スポーツ格闘技というのは、あくまでも競技のための技術を磨いていくわけですから、実際の戦闘とは全く考え方が違うわけです。スポーツの中で実戦での本物の強さを身に着けていくのは、たいへん無理があると思いますね」
「ヒロタカみたいなのは特別ね、そんな経験は大金を積んでも、なかなか味わわせて貰えないことよ」
「おかげさまで・・たとえケンカで百戦無敗でも、そういうことは決して解らないですね。ケンカの若大将なんて言われて良い気になっていた僕も、王老師と出会って痛い目に遭わされて、ようやくそれを実感し始めた程度です。その後も、本物の兵士である宗少尉や陳中尉とも手合わせして頂いたり、プロに襲撃されたり拉致されるという経験をして、ようやく武術や戦闘についての考え方がずいぶん変わってきました」
「ふぅん・・講義を聴くのは苦手みたいだけどねぇ・・・」
「あ・・そ、それを言われると──────────────」
「アハハハハ・・・・」
「はははは・・・・」
「さてと、それじゃ、ひとまず射撃訓練に入るとするか!」
「やったぁ、待ってました!!」
(つづく)
*次回、連載小説「龍の道」 第108回の掲載は、4月1日(月)の予定です
2013年03月01日
連載小説「龍の道」 第106回
第106回 鞆 絵 (ともえ)(4)
「そもそも、銃を持つ、銃を撃つ、銃で戦うというのは、どういうことだと思う?」
宗少尉が、宏隆に尋ねた。
「うーん、非常に難しい問題ですね。言うまでもなく銃というのは相手を殺傷する道具ですから、それを使えば当然、中れば相手は死ぬか、ひどく負傷をするわけです」
「そうね──────────────」
「だから、銃を使うにはそれ相当の覚悟が要るし、ただ興味だけで所有したり、撃ってみたいといった軽々しい気持ちで扱うようなものでは、決して無いと思います」
「ふむ・・それじゃ、警察官が常に銃を携帯し、自衛隊員が拳銃、ライフル、ロケット砲、果ては高射砲から戦車砲、戦艦の大砲から弾道ミサイルに至るまで、その扱いに精通するために、日々繰り返し訓練しているのは何故だと思う?」
「もちろん、市民や祖国を守るためです──────────────」
「誰から守るの?」
「警察は、一般市民の安全や生命を脅かす凶悪な相手から善良な市民を守るために銃を所持し、自衛隊は日本国家の安全を保つために、侵略に対して国民を守るために武器を保有しているのだと思います」
「そういうコトね。それじゃ、実際に ”イザその時” が来たらどうするのかしら?」
「どうするのって、実際に武器を使うしかないじゃないですか・・・」
「もしも、それが出来なかったら?」
「出来ない?・・・だって、そのための警察、そのための自衛隊なんだから、どうしてもやってもらうしかないでしょ?」
「でもね、たとえば日本の警察は、実際に凶悪犯に拳銃を向けたり撃ったりする機会が世界で一番少ないことで有名なのよ。あの ”浅間山荘事件” を思い出してごらんなさい」
「あ、そうでしたね─────────────────単に日本が治安の良い国家だと言うだけではなく、たとえ相手が凶悪な犯罪者で、やむを得ない状況であっても、下手をすると職権乱用や特別公務員暴行陵虐致死罪などに問われてしまうので、ギリギリのところまで耐えて待ち、滅多なことでは発砲が出来ない、という考え方が警察官には根強いということですね」
「ポリスマンがすぐに銃を抜いて構えるアメリカとは正反対ね・・・」
宏隆は、去年の2月に起こった、浅間山荘事件の映像をまざまざと思い出した。
浅間山荘事件とは、1972年2月19日、軽井沢の河合楽器の保養所「浅間山荘」に於いて、連合赤軍のメンバー5人が管理人の妻を人質を取って立て籠もった事件である。
解決まで十日間、マイナス15度という気温の中で警察に包囲されながら、人質が219時間に渡って監禁されるという大事件であり、その模様はテレビで生中継され、NHKと民放で89.7%の視聴率を記録するほど、全国民がブラウン管の前に釘付けになった。巨大な鉄球を振り回すクレーン車が山荘を破壊するシーンや、犯人に撃たれた警察官が運ばれていく中継の様子を記憶している人も多いと思う。
後に映画化された程のよく知られた事件であるから詳細は省くが、銃の発砲については、連合赤軍がその十日間で104発の銃弾を発砲、パイプ爆弾を一発爆発させているのに対し、警察側はわずかに16発の威嚇射撃のみであり、その他は発煙筒12発、催涙ガス弾1,489発、放水149トンを犯人グループに対して用いている。
その結果は、連合赤軍5人に対して、警察官動員数15万人、警察の殉職者2名、重軽傷者12名、発生から10日経って犯人を全員検挙、人質を無事に救出、という未曾有の事件であった。
「・・ただ、浅間山荘事件の衝撃がまだ残っているその年の秋に、西ドイツでパレスチナの武装過激派組織ブラック・セプテンバーによって、人質となったイスラエル選手11名が全員殺害された ”ミュンヘンオリンピック事件” が起こったので、いよいよ日本の警察も、テロに対応できる特殊部隊の創設を決めたようね」
宗少尉は世界で起こるテロ事件や、日本の警察に関しても詳しく情報を得ている。
その職業柄、当たり前といえば当たり前のことであるが、台湾に居ても日本の事件を日本人よりも速く正確に情報を得ることには、いつも宏隆は驚かされてしまう。
「日本の警察には機動隊はあっても、特殊部隊は無かったということですね」
「そうね。浅間山荘事件では、事件発生当日の当番隊であった第九機動隊が現地軽井沢に緊急派遣されたけれど、東京の装備のままで行ったために厳寒の軽井沢で防寒対策に苦慮することになってしまい、防寒装備をした第二機動隊が追加派遣されたのよ」
「なるほど。実際に犯人と撃ち合う事よりも、先ずどのような作戦で、自分たちの装備がどうあるべきか、それが第一に最も重要なことであると・・・」
「そういうコト。厳寒の2月に軽井沢の任務で冬の装備を用意しないというのは、ちょっと指揮者の考え方が甘いわね。安保闘争など都市部での作戦イメージしか頭に無かったということもあるんでしょうけれど、軍隊や特殊部隊では絶対にあってはならないことよ」
「そうですね、任務以前に、寒さに凍えていては話にならない・・・」
宗少尉が語った ”ミュンヘンオリンピック事件” は、後にスティーブン・スピルバーグによって映画化(「ミュンヘン=Munich」2005年アメリカ)されたほど世界に大きな衝撃を与えた事件であるが、当時は世界で続々とテロ事件が発生した時代でもあった。
1975年には日本赤軍がマレーシアの首都・クアラルンプールのアメリカ大使館を襲撃占拠し、館内の総領事ら52人を人質に取った ”クアラルンプール事件” が起こり、浅間山荘事件の犯人の一人である板東國男が ”超法規的措置” として釈放され犯人グループに合流、犯人たちと共にリビアに出国した。
1977年には、板東國男が関与する日本赤軍による ”ダッカ日航機ハイジャック事件” が発生したが、日本政府は日本赤軍の要求を受け容れ、身代金600万ドルを犯人に支払い、当時の首相である福田赳夫が『人の生命は地球より重い』として、再び ”超法規的措置” により投獄中の6名を釈放する事態となった。
また同年、その直後に起こった ”ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件” において、西ドイツ政府が取った強硬手段と正反対であったために、日本政府のテロに対する ”甘さ” が国内外から厳しい批判を受けることになった。
この事件は、ハイジャック犯であるパレスチナ・ゲリラの要求(ドイツ赤軍11名の釈放と1,500万ドル)期限が切れる直前に、GSG-9(ドイツ連邦警察局国境警備隊・第9大隊)の隊員が三個所の非常口から突入し、閃光弾で犯人の目をくらませながら、H&KのMP5短機関銃で3名を射殺、残る1名を逮捕し、乗客全員を無事機内から脱出させたものである。
この突入による損害はGSG-9隊員1名とスチュワーデス1名が軽傷を負っただけであり、西ドイツは見事にミュンヘンオリンピック事件の汚名を濯ぐことができた。
「浅間山荘事件での警察の様子はよく分かったでしょうけど、それじゃ日本の自衛隊はどうなのかしら────────────?」
「そ、そうだ・・・そうでした!!」
宏隆は、日本の自衛隊が立たされている立場を思い出して、ハッとした。
「日本国民として認識しておくべき、”重要な事実” を思い出してくれたかしら?
例えば航空自衛隊は、領空侵犯に対して24時間態勢で即応できるように備えているわね。真夜中だろうが、盆や正月だろうが、常にパイロットが基地に待機して、実際に年間300回以上もスクランブル(緊急発進)をしている。そして領空侵犯をした未確認機に素早く近づき、警告して領空外に誘導し、これまでのところ何とかコト無きを得ているわけよね。
そして、もし相手機がそれに従わなければ機関銃の威嚇射撃をし、それでもまだ従わずに戦闘状態になったら、ミサイルを発射して撃墜することになっているのだけれど・・・」
「けれど、何ですか──────────────?」
「実は、スクランブルする戦闘機には、ミサイルを装着することが禁止されているのよ」
「ええっ?・・・そ、そんなバカなっ!?」
「そう、そんな馬鹿な・・・と誰もが思うでしょうね。でも1973年の現在、緊急発進する自衛隊の戦闘機は、空対空ミサイルを装着しないまま領空侵犯機に対しているのよ。ミサイルどころか、機関銃も一発も撃ってはならないのよ。それは戦闘機だけじゃなくて、艦艇や哨戒機も、魚雷を積載しないままで領海侵犯に対応しているありさまなのよ」
「むむ・・・それは独立国家として非常におかしいことだと思います!、日本人の僕が宗少尉に尋ねるのも変ですが、一体なぜそんな事になっているんですか?!」
「もちろん、決して自衛隊がそれを望んでいるワケではないのよ。国家が、政治がそれを許さないというコトなの。自衛隊が領空・領海侵犯に対してそれを迎え撃つ権限も無ければ、その根拠となる法律も無い。そもそも ”自衛隊法” に、それが定められていないのよ。
進歩的文化人などと言われる左翼・社会主義思想に凝り固まった人たちや、ソ連や中国、北朝鮮などの共産主義国とつるんだ政治家やマスコミが国民の意識を操作しようとして偏向報道を繰り返し、戦争は罪悪だ、日本はアジア諸国を侵略した国だ、自衛隊は凶器だ、軍備を持つのは非人間的だと、声を大にして国民に吹き込んできた、ということも大きいわね」
「しかし、そうは言っても、実際に日本の領空や領海を守ることは、近代国家として絶対に必要な事であるわけですよね。国家主権を守らなければならない状況になっても、自国の軍隊に武器の使用を許可しないというのは、矛盾ではないのですか?」
「そのとおり、それは非常に大きな矛盾よね。そして、その矛盾を実際に押し付けられているのは、現場の司令官と最前線のパイロットたちなのよ──────────────
ついこの間、航空自衛隊を退官してウチの玄洋會に入った元パイロットが居るんだけど、スクランブルで侵犯機の間近まで行って、ここは日本の領空だから速やかに出て行きなさいと言っても、向こうは普通、無言のまま何も答えない。その警告を何度も繰り返して、終いには相手機を領空から押し出すように近づいていって、それを繰り返してようやく領空外に出ていく。僕らはとても悲壮な想いでそれを行うんです、と彼は言っていたわ」
「相手が何をしてきても反撃しない事を前提とするなら、最前線の隊員は悲壮にもなるでしょうね。でも、もし実際に敵が撃ってきたら、一体どうするんですか?」
「同じことを私も訊ねたわ。彼は ”常に覚悟はしていました”、と言っていた。ミサイルは積んでいない、機関銃も撃ってはならないというなら、最終的には敵機に体当たりするしかありません、皆その覚悟をしていました、と・・・自分たちが盾となって、たとえ体当たりをしてでも祖国日本を守らなくてはならないという強い気持ちは、どの隊員にもありました、と言うのよ──────────────」
宗少尉が語ったことは事実である。1980年代以前の自衛隊の戦闘機は、スクランブル機にミサイルを積載せず、機関銃があっても撃ってはならず、文字通り「隊員の身体ひとつ」で領空侵犯に対処することが暗黙のうちに求められていた。
自衛隊機がようやくミサイルを装着して飛び立てるようになったのは、1980年代初頭、鈴木善幸首相の頃である。
その辺りの生々しい話は『仮想敵国ソ連・我らこう迎え撃つ』などの書にも詳しく書かれている。著者の来栖弘臣(くりす ひろおみ)氏は、大日本帝国海軍や警察予備隊から陸上自衛隊幹部学校に入り、東部方面総監、陸上幕僚長を経て、統合幕僚会議議長に任ぜられた人であるが、第十三師団長時代には、広島市の中心部で最新鋭の戦車大隊を率いて一大軍事パレードを行ったような人物である。統合幕僚長とは、陸海空の自衛官の最高階位・最高責任者であり、階級章は四つ星の「大将」である。
栗栖陸将は1978年7月、「週刊ポスト」誌上で『現行の自衛隊法には穴があり、奇襲侵略を受けた場合には首相の防衛出動命令が出るまで動けない。ゆえに、第一戦の部隊指揮官が ”超法規的行動” に出ることは有り得る』と発言して、有事法制の早期整備を促す、いわゆる 「超法規発言」を行った。
当時、この発言は政治問題として取り上げられ各方面で大きく扱われたが、記者会見でも決して信念を曲げず同様の発言を繰り返したために、文民統制の観念から「不適切」として時の防衛庁長官・金丸信(かねまる しん)から解任を申し渡される結果となった。
しかし、この発言を契機に、福田首相が閣議に於いて「有事立法」「有事法制」の研究促進と民間防衛体制の検討を防衛庁に指示し、戦後それまでタブーとされていた「国防論議」が日本中に多く巻き起こる結果となった。栗栖陸将の発言から二十五年後の2003年6月には有事法制の基本法である「武力攻撃事態対処法」がようやく施行されている。
栗栖陸将の発言は、さらにその三十年後、2008年10月に『集団的自衛権の行使を日本国憲法違反とする政府見解や「村山談話」と異なる主張をしたこと』などを問題視され、航空幕僚長(航空自衛隊の最高階位)の職を解かれた「田母神俊雄(たもがみ としお)」氏とオーバーラップする。
「──────────普通の日本人は、軍備や戦争は、一般社会から遠く懸け離れたことのように思えてしまうんでしょうね。今のお話を聞いていると、万一の時には現場の自衛官や指揮官が全責任を被って超法規的行動を取ることを余儀なくされているように感じます」
しみじみと、宏隆が言った。
台湾に渡る時に乗っていた船が襲撃に遭い、やむなく自分もライフルを取って戦い、宿泊先のホテルから北朝鮮の兵士に拉致までされたという貴重な経験から、宏隆にとって軍備や戦争は決して頭で想像するようなものではなく、危機として常にすぐ身近に存在するものとなっていた。
「平和や民主主義が大切なことは誰もが思うことですが・・・だからと言ってその対極にあるものを頭から否定したり、敬遠したりするのは間違いだと思います。
日本の進歩的文化人・進歩的知識人・進歩的教育学者と言われるような人たちは、声をそろえて ”非武装中立” を掲げていて、自衛隊は違憲だ、防衛力は要らない、軍備さえ廃棄すれば国際世論を恐れて敵国は決して侵略してこない、などと平然と言ってのけますが、僕みたいな世間知らずの若造から見ても、さすがに呆れてモノが言えないですね」
「そうね。この私も、陳中尉や張大人も、決して戦争を礼賛して武器や武力を用いることを賞賛しているわけではないのだけれど、とても残念なことに世界人類はまだ、武力を使わずに済む国際問題の解決を達成できるほど高等動物として進化していないのよ。
武力の中心となるのはもちろん兵器であり、軍隊でしょ。それが何であるのかを理解せずに軍備の縮小や廃棄を語るのは全くのナンセンスだと思うんだけれどね」
「確かに────────────僕らのような若者を含めて、戦後の日本はずっと、戦争や軍備に対して ”見ざる・言わざる・聞かざる” というスタンスが当たり前になっていたのだと思います。友だちの間でも、軍備や国防が話題になるなんてコトはごく希なんですよ」
「 ”平和を欲するなら、まず戦争を理解しなくてはならない。戦争を知るためには軍備を知る必要がある。そして一丁の銃を扱う者は、これら全てを知っておくべきだ・・・”
これは張大人が仰った言葉だけれど、国家防衛や安全保障を学ぶ人間にとっては金言と言うべき言葉かもしれないわね」
「うーん、銃を撃つ訓練をする前に、こういった話を聞かせて頂いて良かったです!!」
「そう?、少しはお役に立ったかしら・・・」
「はい。凶悪な犯罪者を前にしても、銃を撃つことを厳しく規制されている警察官や、平然と領空侵犯をして憚らない隣国の挑発に乗らず、しかしイザという時には決死の覚悟をしながらも、ひたすら耐え忍んで任務を全うする、それは正に日本人の精神そのものです」
「 ”忠臣蔵” の精神は、現代日本人の魂の中にも生き続けているというコトね」
「そう思います。だから毎年、赤穂浪士の討ち入りの時期になると同じストーリーがテレビや映画で繰り返し上映され、多くの国民がそれを観るわけです。日本人なら何度観ても飽きないわけですね・・・」
「けれど、実際にやらなきゃならない時は、やらなきゃならない。その覚悟が、現代の日本人には足りないと思うわ。それは島国で国際情勢に疎く、国民が政治を人任せにして他人事のようになってしまっているからよ。
祖国があって、政治があって、国民がある、自分たちの国は自分たちで作り、自分たちで守る、そんな意識を個人個人に持たせないように、それらがまるでとても軽い事に思えるように操作されてきてしまった戦後の実情を、もっとよく知ることが大切ね」
「はい、本当にそう思います──────────────」
(つづく)
*次回、連載小説「龍の道」 第107回の掲載は、3月15日(金)の予定です