*#31〜#40
2011年06月17日
練拳Diary#40 「推手について」その3
by 教練 円山 玄花
私たちが対練の稽古を行うとき、繰り返し指導を受けることのひとつに、
「もっと手を使わないこと。武術とは本来、相手に触れたくないのだ」ということがあります。なぜ ”触れたくない稽古” をするのかと言えば、ひとつには、太極拳が武器による戦闘を前提としているために、武器に対しても有効な身体の状態を練っているからです。
相手がナイフを持っている。脇差しを持っている。日本刀を持っている・・・。
それらを目の前にしたとき、誰も真っ先に ”真剣白刃取り” をシンケンに思い浮かべたりはしないと思います。「近寄りたくない」、それが本音ではないでしょうか。
実際に、相手が刃物を持っているという、決して好ましくない状況に居合わせたとき、刃物を持つ相手の手を払うとか、掴むとか、隙を見て相手の懐に入るとか、第一撃目をかわしてから仕留める、というような、例えばそのような発想の持ち方では、とても間に合いません。
特に「触れてから」という考え方を基本として持っていると、それだけで一動作も二動作も遅れてしまいます。自分が相手を不意に掴んでしまえば、居着いて動けなくなるのは、実は自分の方なのです。もし相手が ”居着き” の少ない、掴まれても動けるような人であれば、その人の手を掴んだところで、一体何ができるというのでしょうか。
高度な武術では、武器をどうしたらよいかではなく、武器を持つ相手そのものをどうしたらよいか、という考え方をしますから、当然触れに行かないという、”触れたくない稽古” になるわけです。触れられてしまってからでは遅いのです。それが刃物であれば既に斬られていることを意味しますし、触れられるまで、斬られるまで、相手を自由にさせておくことそれ自体が非武術的であると言えます。
もうひとつは「拙力を使わないため」です。言い換えると、拙力を使えなくするために、 ”触れたくない” という考え方が必要になってきます。
たとえば、お互いに向かいあって足を肩幅に開いて立ち、両手の平を合わせて崩し合うという「グラウンディング」と呼ばれる対練では、初めのうちは必ずと言っていいほど前傾して相手に寄り掛かる状態が見られます。
「相手を少しでも動かしたい」と思えば思うほど、自分の身体は前傾し、手のひらの感触は強くなる・・・と、そうなると、後はエイヤッと寄り掛かりと落下の力を使って相手を押すしかなくなってしまうのです。これでは、立身中正も何もありません。もちろんそこには勁力の体験や理解など、何ひとつ生じるはずがないのです。
触れたところに寄り掛かりたくなってしまうのが人間の性質なのかどうかは分かりませんが、ハイハイをしていた全ての赤ちゃんに「立つこと」の課題が与えられたように、既に立ち上がったはずの私たちにも、いまだに「立つこと」の課題が与えられ続けていると思えてなりません。
私たちの稽古に、実際に「触れたくない稽古」というものが用意されているわけではないのですが、なぜここまで ”触れたくない” ことについて述べてきたかと言いますと、太極拳では、この、相手にできるだけ触れたくないという考え方が、「相手に触れずに崩す」ことを可能にするからなのです。
普段の生活では、身の回りの物を動かそうとするのに、その物に触れないわけにはいきません。それを触れずに動かせるようなら、話は勁力ではなくて、超能力にした方が良さそうです。
ところが、触れていないのに動かされる、ということが、実際にはあるのです。
たとえば、階段を下りているとき。トントントン、と、テンポ良く下りているその途中で、一段欠けていたらどうなるでしょうか。あると思った段が実はなくなっていて、その次の段にまで足が伸びてしまったとしたら。おそらく派手に転んでしまうか、身体が一瞬ビクッと反応して大きな緊張を強いられることでしょう。
あるいは、暗い山路を走行中に、目の前にいきなりタヌキの親子が飛び出してきた・・・なんていう時には、やっぱり急ブレーキか急ハンドルを切らざるを得ません。
何れの場合も「思いもかけなかったこと」によって、自分のそれまでの行為を継続することが出来ずに、自分側を変える必要があったということです。
ここで「肩取り」という対練(註:練拳Diary #1 / 2009.1.2 掲載)を考えてみますと、自分が相手の肩を取りに行ったとき、それまで取れると見えていた相手の身体が変わって、この間合い、この関係性では取れない、という状況が生じたとき、そこに入ってこられると自分側を変えるしかなくなり、結果として自分を保つことができずに動かされて(崩されて)しまうわけです。
木製のスティックを用いた稽古ですと、そのことがより分かり易くなります。
お互いに数メートルほど離れて立ち、長さ30センチほどのスティックで袈裟懸けに斬り合いに行くだけの対練ですが、これだと、どちらが ”斬れる身体” であるかが双方認識しやすく、斬られてしまう側、つまり身体や軸がまだ整っていない方が、それ以上歩を進めることが出来ない状態になって、そこを斬ってこられると崩れてしまうのです。
───────余談ですが、このスティックを用いた稽古では、各々の間合いが普段よりも広くなっていることに驚きます。例えば先述の「肩取り」に比べて、2〜3歩分は間合いを広く取ろうとしているのです。さらには動きまでが変わり、感覚もより鋭くなってくるのですから、不思議なものです。
わずか30センチの棒きれ一本に、普段とは違った危機感を感じられるとしたら、いったい私たちはどれほど平和で生温い生活を送っていることになるのでしょうか。
さて、先ほど「触れてから何かをしようとする考え方」では、自分の姿勢を崩し、拙力を生み出すようなものだと述べましたが、推手というのは「相手と触れていること」が条件です。
最初の、構えた状態から触れているのです。しかも、足幅はしっかりとやや広めに取っていますから、少々の寄り掛かりは自分でも気がつきにくい状態だと言えます。そこで必要になるのが、生卵です。・・いえ、生卵が割れない程度の力で、推手を行う必要が出てくるのです。
相手に触れれば寄り掛かりになる。即ち架式は崩れてしまいます。かといって、触れないようにしていては相手との関係性も見えず、ただフワフワと接している中で腕を回すしかありません。生卵が割れない程度の力で、なおかつ卵を落とさない状態でというのが、実に絶妙なところだと思います。つまり、もちろん寄り掛かることなく自分で立てていなければなりませんし、その中で相手とも関わり続けていなければならない、というわけです。
何より、”生卵を割らない程度の力” で推手を行うことにより、この相手との関係性を練っていく練功において、初めから『四両撥千斤』の訓練になっていることが、すごいと思います。
つまり、太極拳は最初から「勁力」の訓練しかしておらず、従って、太極拳の全ての練功は「拙力」を否定し、勁力を見出すためのものである、と言うことができます。
たとえば、相手の手を逆手にとって崩し倒す、というものでも、相手の手首や肘関節に強いテンションが掛かって、その結果倒されるというものでは「拙力」です。
反対に、非常に軽い力、つまり生卵が壊れない程度の力で優しく関わっても、相手が身体の中心から崩されて立っていられない、というものが正しい「勁力」であるはずです。
因みに、その「勁力」が分かった人相手には、こちらがどれ程強い力で逆手を取ろうとしても、まったく掛かりません。掛からないどころか、掛けに行ったその瞬間に反対に返されてしまいます。もちろん、相手が瞬発力で返しているわけではなく、またこちらに強い力が返ってくるわけでもないのです。
それでは、その推手でお互いに崩し合える、発勁出来る、「推手で発勁出来るのは当たり前」だと言われるのは、一体どういうことを意味しているのでしょうか。
(つづく)
【 参考写真 】
「肩取り」の稽古
「スティック」を用いた稽古
私たちが対練の稽古を行うとき、繰り返し指導を受けることのひとつに、
「もっと手を使わないこと。武術とは本来、相手に触れたくないのだ」ということがあります。なぜ ”触れたくない稽古” をするのかと言えば、ひとつには、太極拳が武器による戦闘を前提としているために、武器に対しても有効な身体の状態を練っているからです。
相手がナイフを持っている。脇差しを持っている。日本刀を持っている・・・。
それらを目の前にしたとき、誰も真っ先に ”真剣白刃取り” をシンケンに思い浮かべたりはしないと思います。「近寄りたくない」、それが本音ではないでしょうか。
実際に、相手が刃物を持っているという、決して好ましくない状況に居合わせたとき、刃物を持つ相手の手を払うとか、掴むとか、隙を見て相手の懐に入るとか、第一撃目をかわしてから仕留める、というような、例えばそのような発想の持ち方では、とても間に合いません。
特に「触れてから」という考え方を基本として持っていると、それだけで一動作も二動作も遅れてしまいます。自分が相手を不意に掴んでしまえば、居着いて動けなくなるのは、実は自分の方なのです。もし相手が ”居着き” の少ない、掴まれても動けるような人であれば、その人の手を掴んだところで、一体何ができるというのでしょうか。
高度な武術では、武器をどうしたらよいかではなく、武器を持つ相手そのものをどうしたらよいか、という考え方をしますから、当然触れに行かないという、”触れたくない稽古” になるわけです。触れられてしまってからでは遅いのです。それが刃物であれば既に斬られていることを意味しますし、触れられるまで、斬られるまで、相手を自由にさせておくことそれ自体が非武術的であると言えます。
もうひとつは「拙力を使わないため」です。言い換えると、拙力を使えなくするために、 ”触れたくない” という考え方が必要になってきます。
たとえば、お互いに向かいあって足を肩幅に開いて立ち、両手の平を合わせて崩し合うという「グラウンディング」と呼ばれる対練では、初めのうちは必ずと言っていいほど前傾して相手に寄り掛かる状態が見られます。
「相手を少しでも動かしたい」と思えば思うほど、自分の身体は前傾し、手のひらの感触は強くなる・・・と、そうなると、後はエイヤッと寄り掛かりと落下の力を使って相手を押すしかなくなってしまうのです。これでは、立身中正も何もありません。もちろんそこには勁力の体験や理解など、何ひとつ生じるはずがないのです。
触れたところに寄り掛かりたくなってしまうのが人間の性質なのかどうかは分かりませんが、ハイハイをしていた全ての赤ちゃんに「立つこと」の課題が与えられたように、既に立ち上がったはずの私たちにも、いまだに「立つこと」の課題が与えられ続けていると思えてなりません。
私たちの稽古に、実際に「触れたくない稽古」というものが用意されているわけではないのですが、なぜここまで ”触れたくない” ことについて述べてきたかと言いますと、太極拳では、この、相手にできるだけ触れたくないという考え方が、「相手に触れずに崩す」ことを可能にするからなのです。
普段の生活では、身の回りの物を動かそうとするのに、その物に触れないわけにはいきません。それを触れずに動かせるようなら、話は勁力ではなくて、超能力にした方が良さそうです。
ところが、触れていないのに動かされる、ということが、実際にはあるのです。
たとえば、階段を下りているとき。トントントン、と、テンポ良く下りているその途中で、一段欠けていたらどうなるでしょうか。あると思った段が実はなくなっていて、その次の段にまで足が伸びてしまったとしたら。おそらく派手に転んでしまうか、身体が一瞬ビクッと反応して大きな緊張を強いられることでしょう。
あるいは、暗い山路を走行中に、目の前にいきなりタヌキの親子が飛び出してきた・・・なんていう時には、やっぱり急ブレーキか急ハンドルを切らざるを得ません。
何れの場合も「思いもかけなかったこと」によって、自分のそれまでの行為を継続することが出来ずに、自分側を変える必要があったということです。
ここで「肩取り」という対練(註:練拳Diary #1 / 2009.1.2 掲載)を考えてみますと、自分が相手の肩を取りに行ったとき、それまで取れると見えていた相手の身体が変わって、この間合い、この関係性では取れない、という状況が生じたとき、そこに入ってこられると自分側を変えるしかなくなり、結果として自分を保つことができずに動かされて(崩されて)しまうわけです。
木製のスティックを用いた稽古ですと、そのことがより分かり易くなります。
お互いに数メートルほど離れて立ち、長さ30センチほどのスティックで袈裟懸けに斬り合いに行くだけの対練ですが、これだと、どちらが ”斬れる身体” であるかが双方認識しやすく、斬られてしまう側、つまり身体や軸がまだ整っていない方が、それ以上歩を進めることが出来ない状態になって、そこを斬ってこられると崩れてしまうのです。
───────余談ですが、このスティックを用いた稽古では、各々の間合いが普段よりも広くなっていることに驚きます。例えば先述の「肩取り」に比べて、2〜3歩分は間合いを広く取ろうとしているのです。さらには動きまでが変わり、感覚もより鋭くなってくるのですから、不思議なものです。
わずか30センチの棒きれ一本に、普段とは違った危機感を感じられるとしたら、いったい私たちはどれほど平和で生温い生活を送っていることになるのでしょうか。
さて、先ほど「触れてから何かをしようとする考え方」では、自分の姿勢を崩し、拙力を生み出すようなものだと述べましたが、推手というのは「相手と触れていること」が条件です。
最初の、構えた状態から触れているのです。しかも、足幅はしっかりとやや広めに取っていますから、少々の寄り掛かりは自分でも気がつきにくい状態だと言えます。そこで必要になるのが、生卵です。・・いえ、生卵が割れない程度の力で、推手を行う必要が出てくるのです。
相手に触れれば寄り掛かりになる。即ち架式は崩れてしまいます。かといって、触れないようにしていては相手との関係性も見えず、ただフワフワと接している中で腕を回すしかありません。生卵が割れない程度の力で、なおかつ卵を落とさない状態でというのが、実に絶妙なところだと思います。つまり、もちろん寄り掛かることなく自分で立てていなければなりませんし、その中で相手とも関わり続けていなければならない、というわけです。
何より、”生卵を割らない程度の力” で推手を行うことにより、この相手との関係性を練っていく練功において、初めから『四両撥千斤』の訓練になっていることが、すごいと思います。
つまり、太極拳は最初から「勁力」の訓練しかしておらず、従って、太極拳の全ての練功は「拙力」を否定し、勁力を見出すためのものである、と言うことができます。
たとえば、相手の手を逆手にとって崩し倒す、というものでも、相手の手首や肘関節に強いテンションが掛かって、その結果倒されるというものでは「拙力」です。
反対に、非常に軽い力、つまり生卵が壊れない程度の力で優しく関わっても、相手が身体の中心から崩されて立っていられない、というものが正しい「勁力」であるはずです。
因みに、その「勁力」が分かった人相手には、こちらがどれ程強い力で逆手を取ろうとしても、まったく掛かりません。掛からないどころか、掛けに行ったその瞬間に反対に返されてしまいます。もちろん、相手が瞬発力で返しているわけではなく、またこちらに強い力が返ってくるわけでもないのです。
それでは、その推手でお互いに崩し合える、発勁出来る、「推手で発勁出来るのは当たり前」だと言われるのは、一体どういうことを意味しているのでしょうか。
(つづく)
【 参考写真 】
「肩取り」の稽古
「スティック」を用いた稽古
2011年05月08日
練拳Diary#39 「推手について」その2
by 教練 円山 玄花
さて、それではここで、太極武藝館で学ぶ「推手」の基本的な認識を挙げてみます。
私たちが推手を学ぶとき、真っ先に指導されることは、
『推手で人を飛ばせるのは当たり前である』ということです。
推手の動作から発勁できることが凄いことなのではなく、推手の形を用いれば誰でも当たり前に発勁することができるものだと、それは元来そのようなシステムとして構成されているのだと、師父は仰るのです。
推手の形を覚えて、そこからどうやって発勁をできるようにしていくのだろうか?・・と漠然と考えていた私にとっては、正直なところ”推手で人を飛ばせるのは当たり前”、という言葉に少なからず驚き、それが自分の太極拳観を変える、ひとつのきっかけとなりました。
『推手で人を飛ばせるのは当たり前である』などと言うと、間髪を入れずに「そりゃあ、そうに決まっている、人を吹っ飛ばすために推手はあるのだから」という声が聞こえてきそうですが、早まって結論づける前に、そう言われる本当の理由を太極拳の訓練体系から見直してみることにします。
──────お互いに向かい合って同じ側の足を出し、同じ側の手を出して、同じように触れて構える。上級者同士による、塔手(とうしゅ)と呼ばれる推手に入る前のこの構えには、美しくも鋭い切れ味があります。道場内が一瞬ピンと張り詰めるような気配さえ漂い、それを目にした誰もが、推手は架式が整わなければ何ひとつ始まらないことを悟るのです。
それにしても、この形はどう見てもナゾナゾです。形だけを見ても十分謎に満ちているのに、そこからグルグルと腕を回している様子は、もう奇っ怪としか言いようがない・・そう思うのは私だけでしょうか。
グルグルと腕を水平に回す推手、つまり一般的に《平円単推手》と呼ばれているものを、例として見てみましょう。
繰り返しになりますが、お互いに向かい合って右の足を前に出し、右手を塔手にして構える。実は、ここまでのところで正しく動けたかどうかが、まず第一に問われる問題です。
いや、実際には塔手までも行けません。精々がお互いに向かい合って足を出すところまでです。そこまでを正しく動くことができたら、ようやく馬歩の姿勢を取りながら、相手と塔手を取るまでに行き着けるわけです。
太極武藝館では、推手の稽古に入ったかと思いきや、最初の「構え」が成っていないということで、そこまでをやり直して繰り返し指導されるということは、よくあることです。
それでも正しく修正されないという場合には、推手の構えを取りに行くことを止めて、もう一度基本の訓練、つまり「立ち方」と「歩き方」に立ち返っての、本当の”やり直し”になるわけです。
それが、たとえ深夜の零時を過ぎていても、稽古として当然の如く行われるわけですが、それは問題を次回の稽古に持ち越さない、何ごとも「延期しない」という、円山洋玄師父の生きている軸、その精神性が、稽古にも徹底されているためだと言えるでしょう。
そのお陰で、私たちのような現代スポーツ的な発想しかできなくなっていた、このどうしようもない固いアタマにも、ようやく伝統武藝というもののエッセンスが少しずつ染み込んでくるわけです。
「構える」こととは、武術的に見てそれほどに重要なことなのです。
言ってみれば、推手の本質が理解できるかどうかは、この最初の構えが正しく取れるか否かに掛かっているわけで、そこのところをスイと通り越してグルグルと腕を回していても、推手の訓練目的は分からず、まして化勁や発勁の理解など到底有り得ない話です。
当然、上級者になるほど構えの重要性は深く認識されますから、推手で動く前の構えに鋭さが感じられるのは、ごく当たり前のことなのかもしれません。
推手に入る前に正しく構えることができれば、相手と手を触れたその瞬間に、お互いの架式の状態を察知することができます。初心のうちは難しいかもしれません。基本功で馬歩や弓歩などの架式を練り、歩法でひたすら「歩くこと」を追求してきていれば、それは比較的容易なことでしょう。
さらにそこで注意深く観察をしてみれば、その形が、二つの同じ架式が向かい合ったものであることに気がつくはずです。それも、頭でなんとなく分かったようなつもりになるのではなく、確かな実感としてです。それが実感されて後に、ようやく平円単推手として前後に弓歩を取りつつ、腕を平円に回していくことの意味が、少しばかり浮かび上がってくるはずです。
平円の中に四正手(ポン・リィ・ジィ・アン)が入っているとか、アンにはポンで返すなどといった細かいことは、取り敢えず措いておいて良いと私は思います。
先ずは馬歩で正しく構えられること。そして相手と手を触れた状態で、お互いの架式が実感できること。架式が実感されないのであれば、それは站椿の稽古と理解がまだ不十分であるためだと言えるでしょう。
次には架式が実感されて、尚かつ弓歩へと動けること。しかも相手と手を触れているままで、その手を平円方向に動かしながらです。これがまたムツカシイのです。
架式が実感できる人であれば、自分が動き始めたその途端に架式の実感が失われていくことを感知できると思います。
自分ひとりでなら、馬歩であっても弓歩であっても難なく動けたはずなのに、相手と手を触れているだけで、それがままならない。実はここに、推手が「戦闘訓練」になり得る要素を、見て取ることが出来るのです。
「自分ひとりでなら難なく動けた」ということは、例えば套路をきちんとこなせる、というところだと思いますが、そこには相手が入っていません。
本来は、套路の学習を正しくこなせていれば、太極拳の構造を十全に学ぶことができますから、当然太極拳の戦闘理論、つまり相手との関係性も学べるはずなのですが、恐らく昔の人はそれだけでは足りないと判断したのでしょう。太極拳の構造を確認し、また相手との関係性を理解する方法として、推手が編み出されたのだと思います。
事実、相手と手を触れただけで、もう架式が疎かになってしまうのです。推手のように架式も形も動きも定められている中でさえ、動き出した途端に架式が崩れてしまうのであれば、実際の戦闘に於いてはどうなることか、言わずとも知れています。
私は、太極拳の学習に於いて、「相手との関係性を学ぶ訓練が必要である」と先人たちが判断したときに、そこで戦闘の模擬訓練のようなことを訓練体系に取り入れずに、推手という訓練方法を取り入れたことについて、本当に感動しました。
例えば、パートナーが一本拳打を突いてくるのをどの様に受け、捌くのかといった、そのような訓練ではなく、相手と同じ架式を取り、同じ手を触れているという、この形を以て関係性の訓練を行ったのです。何故でしょうか────────────
それは、太極拳が站椿功を重視すること、そして勁力、即ち纏絲勁を特徴としていることに深い理由があります。
他の拳術が日夜筋力を鍛え、足腰を鍛え、激しい対練を繰り返している間に、太極拳家はひたすらジッと立っていたのです。肩幅で、一横脚(いちおうきゃく=つま先から膝までの幅)で、またあるときは半馬歩で、站椿功で練られることに、ひたすら目を向けていたに違いないのです。そうして練られた意識で、身体でもって相手と手を交えれば、そこには武術における相手との関係性がありありと見て取れたことでしょう。
だからこそ、そこからその関係性を練ること、つまり「推手」の訓練が始められたのだと思います。
太極拳における相手との関係性────────────それは「触れずに崩れる」ことを可能にするものです。だからこそ、その関係性を養う推手では「生卵を潰さない程度の力」で行う必要があるのです。
さらにはそこに、「推手で人が飛ぶのは当たり前である」と言われる理由があるのですが、ナマタマゴのお話をする前に、まずは「触れずに崩れる」という関係性について、少しばかり考察してみることにします。
(つづく)
さて、それではここで、太極武藝館で学ぶ「推手」の基本的な認識を挙げてみます。
私たちが推手を学ぶとき、真っ先に指導されることは、
『推手で人を飛ばせるのは当たり前である』ということです。
推手の動作から発勁できることが凄いことなのではなく、推手の形を用いれば誰でも当たり前に発勁することができるものだと、それは元来そのようなシステムとして構成されているのだと、師父は仰るのです。
推手の形を覚えて、そこからどうやって発勁をできるようにしていくのだろうか?・・と漠然と考えていた私にとっては、正直なところ”推手で人を飛ばせるのは当たり前”、という言葉に少なからず驚き、それが自分の太極拳観を変える、ひとつのきっかけとなりました。
『推手で人を飛ばせるのは当たり前である』などと言うと、間髪を入れずに「そりゃあ、そうに決まっている、人を吹っ飛ばすために推手はあるのだから」という声が聞こえてきそうですが、早まって結論づける前に、そう言われる本当の理由を太極拳の訓練体系から見直してみることにします。
──────お互いに向かい合って同じ側の足を出し、同じ側の手を出して、同じように触れて構える。上級者同士による、塔手(とうしゅ)と呼ばれる推手に入る前のこの構えには、美しくも鋭い切れ味があります。道場内が一瞬ピンと張り詰めるような気配さえ漂い、それを目にした誰もが、推手は架式が整わなければ何ひとつ始まらないことを悟るのです。
それにしても、この形はどう見てもナゾナゾです。形だけを見ても十分謎に満ちているのに、そこからグルグルと腕を回している様子は、もう奇っ怪としか言いようがない・・そう思うのは私だけでしょうか。
グルグルと腕を水平に回す推手、つまり一般的に《平円単推手》と呼ばれているものを、例として見てみましょう。
繰り返しになりますが、お互いに向かい合って右の足を前に出し、右手を塔手にして構える。実は、ここまでのところで正しく動けたかどうかが、まず第一に問われる問題です。
いや、実際には塔手までも行けません。精々がお互いに向かい合って足を出すところまでです。そこまでを正しく動くことができたら、ようやく馬歩の姿勢を取りながら、相手と塔手を取るまでに行き着けるわけです。
太極武藝館では、推手の稽古に入ったかと思いきや、最初の「構え」が成っていないということで、そこまでをやり直して繰り返し指導されるということは、よくあることです。
それでも正しく修正されないという場合には、推手の構えを取りに行くことを止めて、もう一度基本の訓練、つまり「立ち方」と「歩き方」に立ち返っての、本当の”やり直し”になるわけです。
それが、たとえ深夜の零時を過ぎていても、稽古として当然の如く行われるわけですが、それは問題を次回の稽古に持ち越さない、何ごとも「延期しない」という、円山洋玄師父の生きている軸、その精神性が、稽古にも徹底されているためだと言えるでしょう。
そのお陰で、私たちのような現代スポーツ的な発想しかできなくなっていた、このどうしようもない固いアタマにも、ようやく伝統武藝というもののエッセンスが少しずつ染み込んでくるわけです。
「構える」こととは、武術的に見てそれほどに重要なことなのです。
言ってみれば、推手の本質が理解できるかどうかは、この最初の構えが正しく取れるか否かに掛かっているわけで、そこのところをスイと通り越してグルグルと腕を回していても、推手の訓練目的は分からず、まして化勁や発勁の理解など到底有り得ない話です。
当然、上級者になるほど構えの重要性は深く認識されますから、推手で動く前の構えに鋭さが感じられるのは、ごく当たり前のことなのかもしれません。
推手に入る前に正しく構えることができれば、相手と手を触れたその瞬間に、お互いの架式の状態を察知することができます。初心のうちは難しいかもしれません。基本功で馬歩や弓歩などの架式を練り、歩法でひたすら「歩くこと」を追求してきていれば、それは比較的容易なことでしょう。
さらにそこで注意深く観察をしてみれば、その形が、二つの同じ架式が向かい合ったものであることに気がつくはずです。それも、頭でなんとなく分かったようなつもりになるのではなく、確かな実感としてです。それが実感されて後に、ようやく平円単推手として前後に弓歩を取りつつ、腕を平円に回していくことの意味が、少しばかり浮かび上がってくるはずです。
平円の中に四正手(ポン・リィ・ジィ・アン)が入っているとか、アンにはポンで返すなどといった細かいことは、取り敢えず措いておいて良いと私は思います。
先ずは馬歩で正しく構えられること。そして相手と手を触れた状態で、お互いの架式が実感できること。架式が実感されないのであれば、それは站椿の稽古と理解がまだ不十分であるためだと言えるでしょう。
次には架式が実感されて、尚かつ弓歩へと動けること。しかも相手と手を触れているままで、その手を平円方向に動かしながらです。これがまたムツカシイのです。
架式が実感できる人であれば、自分が動き始めたその途端に架式の実感が失われていくことを感知できると思います。
自分ひとりでなら、馬歩であっても弓歩であっても難なく動けたはずなのに、相手と手を触れているだけで、それがままならない。実はここに、推手が「戦闘訓練」になり得る要素を、見て取ることが出来るのです。
「自分ひとりでなら難なく動けた」ということは、例えば套路をきちんとこなせる、というところだと思いますが、そこには相手が入っていません。
本来は、套路の学習を正しくこなせていれば、太極拳の構造を十全に学ぶことができますから、当然太極拳の戦闘理論、つまり相手との関係性も学べるはずなのですが、恐らく昔の人はそれだけでは足りないと判断したのでしょう。太極拳の構造を確認し、また相手との関係性を理解する方法として、推手が編み出されたのだと思います。
事実、相手と手を触れただけで、もう架式が疎かになってしまうのです。推手のように架式も形も動きも定められている中でさえ、動き出した途端に架式が崩れてしまうのであれば、実際の戦闘に於いてはどうなることか、言わずとも知れています。
私は、太極拳の学習に於いて、「相手との関係性を学ぶ訓練が必要である」と先人たちが判断したときに、そこで戦闘の模擬訓練のようなことを訓練体系に取り入れずに、推手という訓練方法を取り入れたことについて、本当に感動しました。
例えば、パートナーが一本拳打を突いてくるのをどの様に受け、捌くのかといった、そのような訓練ではなく、相手と同じ架式を取り、同じ手を触れているという、この形を以て関係性の訓練を行ったのです。何故でしょうか────────────
それは、太極拳が站椿功を重視すること、そして勁力、即ち纏絲勁を特徴としていることに深い理由があります。
他の拳術が日夜筋力を鍛え、足腰を鍛え、激しい対練を繰り返している間に、太極拳家はひたすらジッと立っていたのです。肩幅で、一横脚(いちおうきゃく=つま先から膝までの幅)で、またあるときは半馬歩で、站椿功で練られることに、ひたすら目を向けていたに違いないのです。そうして練られた意識で、身体でもって相手と手を交えれば、そこには武術における相手との関係性がありありと見て取れたことでしょう。
だからこそ、そこからその関係性を練ること、つまり「推手」の訓練が始められたのだと思います。
太極拳における相手との関係性────────────それは「触れずに崩れる」ことを可能にするものです。だからこそ、その関係性を養う推手では「生卵を潰さない程度の力」で行う必要があるのです。
さらにはそこに、「推手で人が飛ぶのは当たり前である」と言われる理由があるのですが、ナマタマゴのお話をする前に、まずは「触れずに崩れる」という関係性について、少しばかり考察してみることにします。
(つづく)
2011年04月07日
練拳Diary#38 「推手について」その1
by 教練 円山 玄花
推手は、太極拳の訓練体系の中でも套路の訓練とは「表裏」であると言われる、欠かすことのできない重要な練功です。
およそ太極拳を学ぶ人であれば、その存在や動作を知らない人は居ないと思いますが、現代に於いては、推手と聞くとすぐに推手競技がイメージされたり、相手と二人で手を延々とグルグル回しながら機を見てエイッとばかりに発勁を喰らわしたり、グルグルと手を回した後に、相撲のように組んで相手と投げ倒し合う、といったような印象が強いかもしれません。
推手競技も、それはそれで大変結構なことではありますが、私はここで今一度、太極拳の訓練体系における推手の役割と学習システム、そして推手が太極拳の戦闘理論とどのように繋がっているのかを紐解いてみたいと思います。
今回、推手を紐解いて行こうと思った一番の理由は、私の中で套路の型とその学習システムがようやく「太極拳の戦闘理論」に結びついてきたからであり、そこには推手の学習と理解が絶対的に必要不可欠であると切実に感じられるからです。
また、私たちが実際に推手の稽古を行う際には、推手を訓練する意味や拳理拳学との結びつきについて、膨大な内容を詳細に亘って指導されているのですが、世に出回っている太極拳推手の情報を眺めてみると、自分にとって目新しい形や動きを目にすることはあっても、肝心の推手理論となると、それが専門雑誌や単行本であっても、「化勁」や「虚実」「捨己従人」「人不知我、我独知人」など、見慣れた要訣やお定まりの四文字熟語が並ぶばかりで、なおかつ、それらがただ読み下されているものが殆どのように思えます。
中には、推手の紹介でいきなり「推手技法」が解説されているものも多く目につきますが、見る限りでは、『相手の腕をどのように押さえ込んでおけば、どの方向へ崩しやすい』とか、『相手のバランスを崩して、後は勢いに乗じて攻撃する』など、なにもわざわざ「推手」の形を取らなくとも練習できそうなことが数多く書かれていたりします。
これでは一体全体「推手」の目的と意味は何であるのか、なぜ太極拳の訓練体系に推手が必要不可欠であるのかということは分からず、少なくとも私にとっては理解し難いものであり、不満や疑問が多く残ってしまうものでした。
以上の理由から、私が太極武藝館で学んでいる推手の「もう一つの考え方」を、自分で振り返りつつ、ここに述べてみようと思い立った次第です。
さて、いきなり小館の「推手学習システム」を事細かに論じるのもおかしなものですから、まずは私が思う太極拳の推手について、幾つかお話ししておきたいと思います。
そもそも、推手は単純に片方の腕を回すものから、両腕を合わせて複雑な動きをするような、初心者には少々難解に思えるものまで、すべて一対一で行い、しかも終始お互いに向かい合って手を触れている状態で行われます。
しかし、まず、この状態が、私にはとても不思議に思えてなりませんでした。
武術なら、一対複数が当たり前ではないのか?・・・なぜこんな風に、ひとりの相手にしか ”対応” できないような形を使って訓練をするのだろうか?・・と。
今にして思えば、当時は真の武術性が如何にして養われるかということなど知る由もなく、朧気ながらにも一対一の戦いだけを考えていてはイカンのではないか、などと考えはじめていた頃でした。
そんなときに開いた武術の本には、大抵が「相手を傷つけることなく、思わぬ事故を起こすことなく、お互いの技量を計れる優れた徒手競技法」として紹介されていました。
たまに「内勁」や「化勁」について書かれていたものには、「推手は化勁の基礎や打撃のタイミングを養成する」とか、「推手で攻防の基本技術を会得する」などということが書かれていましたが、具体的な練功方法としては明記されておらず、馴染みがあるようでいて無い、実際には想像するばかりになってしまう漢文読み下しの要訣文に頭を悩ませ、疑問ばかりが残ったものです。これが本当に太極拳という武術なのだろうか──────────と。
これまでにも拙文で折に触れて述べてきましたが、太極拳の求める「強さ」とは、すなわち「生き残れること」であると思います。それは何も太極拳に限ったことではなく、古今東西どの武術を見ても、本当に戦えることが必要とされる世界にあっては、そこに共通する「強さの本質」を見てとることが出来るものです。
その「生き残れること」が求められる世界では、当然の如く一対複数の戦闘が前提とされ、しかも相手は必ず複数の武器を所持しているのが当たり前である、という意識でもって訓練に臨むわけです。
これは、円山洋玄師父の国内外における豊富な戦闘経験を伺っても同じことで、特に海外では相手が金品を狙うような目的を持っている場合には、複数の相手が大小の武器を隠し持っており、尚かつ人気のないところで囲まれて襲われることが多く、日本人旅行者の一人くらい、殺されようが行方不明になろうが、当局はそれほど真面目に関知しない、ということです。
そのようなお話を聞く度に、武術家はたとえタマゴやヒヨッコであっても、国内外を問わず不穏な情勢の現代を生き残る為に、どの様な意識を持って武術の稽古に臨むべきかが再認識される必要があると、強く思われてなりません。
「どの様な意識を持って稽古に臨むべきか」というテーマは、それが明白であるか否かで、同じ稽古内容を同じ時間こなしたとしても、身に付き養われるものが全く異なってくるという、大きな問題ではありますが、それについては、また改めて述べることにします。
さて、その絶対的に不利である戦闘状況に於いて、「生き残れる」為には、ちょっとやそっと強い打撃が打てようと、素早いフットワークで動けようと、何ら戦闘能力の足しにはならないということを昔の人は嫌というほど承知していたはずです。そこでは「絶対的なもの」つまり「相手の攻撃は当たらないが、自分の攻撃は当たる」という絶対的な戦闘原理を手に入れるための、想像を絶する工夫や研鑽が為されたのに違いないのです。
そして、そのような目的のためにこそ、推手が訓練体系に組み込まれたはずであり、それが単に一人の相手と接触してから後の攻防を理解修得するための、接近戦のための訓練方法などであるはずがない、と私は思います。
先ほど武術は一対複数が前提であると述べましたが、ここで大事なことは、例えば私たちの稽古に於いては、実際にパートナーに複数の武器を所持して襲いかかってもらうような設定をして訓練を行うわけではない、というところです。
私はこのところこそ、日常と非日常の考え方が、そして武術と格闘技との違いがはっきりと分かれるポイントであると思っています。
なぜ太極拳の学習は、ゆっくりとした動きから始められるのか。
なぜ太極拳の訓練では、最初からダンベルや筋力トレーニングをしないのか。
なぜ太極拳には、動体視力を鍛えるような練功が存在しないのか。
なぜ太極拳の稽古は、「殴り合い、当て合う組手」を前提としていないのか。
これらの事柄も全て、太極拳が日常の発想から始まっていないことに起因しています。
一対複数が必至であるから、同じ状況を設定してその状況をクリアできるように反復練習をする、というものが西洋的・現代格闘技的発想であるとすれば、一対複数が必至であるから、一対一でも一対複数でも変わることのない、何れの場合も「同じ状況」にしてしまえる技法とはどのようなものであるのかを追求し、そこに法則を見出し、その原理を発見していったものが東洋的・陰陽太極武藝的発想である、と言えるでしょうか。
そして、それ故に老若男女を問わず誰もが戦闘要員としての役割を担うことが可能となり、陳家溝でいえば、一族が一丸となって他部族からの襲撃に備え、誰に屈することなく、戦乱の世を今日まで生き残ることができたのだと思います。
「推手」の存在の意味が本当に理解されれば、それは決して「一人の相手」に対応するための稽古方法などではなかった、ということが分かります。
玄門太極の后嗣として十年間の歳月を経た今、これまでに学んできた太極拳の学習を顧みれば、「推手」こそは一対複数で生き残れることを可能にする、優れた高度な武術の学習システムであることが身を以て実感されてきます。
(つづく)
推手は、太極拳の訓練体系の中でも套路の訓練とは「表裏」であると言われる、欠かすことのできない重要な練功です。
およそ太極拳を学ぶ人であれば、その存在や動作を知らない人は居ないと思いますが、現代に於いては、推手と聞くとすぐに推手競技がイメージされたり、相手と二人で手を延々とグルグル回しながら機を見てエイッとばかりに発勁を喰らわしたり、グルグルと手を回した後に、相撲のように組んで相手と投げ倒し合う、といったような印象が強いかもしれません。
推手競技も、それはそれで大変結構なことではありますが、私はここで今一度、太極拳の訓練体系における推手の役割と学習システム、そして推手が太極拳の戦闘理論とどのように繋がっているのかを紐解いてみたいと思います。
今回、推手を紐解いて行こうと思った一番の理由は、私の中で套路の型とその学習システムがようやく「太極拳の戦闘理論」に結びついてきたからであり、そこには推手の学習と理解が絶対的に必要不可欠であると切実に感じられるからです。
また、私たちが実際に推手の稽古を行う際には、推手を訓練する意味や拳理拳学との結びつきについて、膨大な内容を詳細に亘って指導されているのですが、世に出回っている太極拳推手の情報を眺めてみると、自分にとって目新しい形や動きを目にすることはあっても、肝心の推手理論となると、それが専門雑誌や単行本であっても、「化勁」や「虚実」「捨己従人」「人不知我、我独知人」など、見慣れた要訣やお定まりの四文字熟語が並ぶばかりで、なおかつ、それらがただ読み下されているものが殆どのように思えます。
中には、推手の紹介でいきなり「推手技法」が解説されているものも多く目につきますが、見る限りでは、『相手の腕をどのように押さえ込んでおけば、どの方向へ崩しやすい』とか、『相手のバランスを崩して、後は勢いに乗じて攻撃する』など、なにもわざわざ「推手」の形を取らなくとも練習できそうなことが数多く書かれていたりします。
これでは一体全体「推手」の目的と意味は何であるのか、なぜ太極拳の訓練体系に推手が必要不可欠であるのかということは分からず、少なくとも私にとっては理解し難いものであり、不満や疑問が多く残ってしまうものでした。
以上の理由から、私が太極武藝館で学んでいる推手の「もう一つの考え方」を、自分で振り返りつつ、ここに述べてみようと思い立った次第です。
さて、いきなり小館の「推手学習システム」を事細かに論じるのもおかしなものですから、まずは私が思う太極拳の推手について、幾つかお話ししておきたいと思います。
そもそも、推手は単純に片方の腕を回すものから、両腕を合わせて複雑な動きをするような、初心者には少々難解に思えるものまで、すべて一対一で行い、しかも終始お互いに向かい合って手を触れている状態で行われます。
しかし、まず、この状態が、私にはとても不思議に思えてなりませんでした。
武術なら、一対複数が当たり前ではないのか?・・・なぜこんな風に、ひとりの相手にしか ”対応” できないような形を使って訓練をするのだろうか?・・と。
今にして思えば、当時は真の武術性が如何にして養われるかということなど知る由もなく、朧気ながらにも一対一の戦いだけを考えていてはイカンのではないか、などと考えはじめていた頃でした。
そんなときに開いた武術の本には、大抵が「相手を傷つけることなく、思わぬ事故を起こすことなく、お互いの技量を計れる優れた徒手競技法」として紹介されていました。
たまに「内勁」や「化勁」について書かれていたものには、「推手は化勁の基礎や打撃のタイミングを養成する」とか、「推手で攻防の基本技術を会得する」などということが書かれていましたが、具体的な練功方法としては明記されておらず、馴染みがあるようでいて無い、実際には想像するばかりになってしまう漢文読み下しの要訣文に頭を悩ませ、疑問ばかりが残ったものです。これが本当に太極拳という武術なのだろうか──────────と。
これまでにも拙文で折に触れて述べてきましたが、太極拳の求める「強さ」とは、すなわち「生き残れること」であると思います。それは何も太極拳に限ったことではなく、古今東西どの武術を見ても、本当に戦えることが必要とされる世界にあっては、そこに共通する「強さの本質」を見てとることが出来るものです。
その「生き残れること」が求められる世界では、当然の如く一対複数の戦闘が前提とされ、しかも相手は必ず複数の武器を所持しているのが当たり前である、という意識でもって訓練に臨むわけです。
これは、円山洋玄師父の国内外における豊富な戦闘経験を伺っても同じことで、特に海外では相手が金品を狙うような目的を持っている場合には、複数の相手が大小の武器を隠し持っており、尚かつ人気のないところで囲まれて襲われることが多く、日本人旅行者の一人くらい、殺されようが行方不明になろうが、当局はそれほど真面目に関知しない、ということです。
そのようなお話を聞く度に、武術家はたとえタマゴやヒヨッコであっても、国内外を問わず不穏な情勢の現代を生き残る為に、どの様な意識を持って武術の稽古に臨むべきかが再認識される必要があると、強く思われてなりません。
「どの様な意識を持って稽古に臨むべきか」というテーマは、それが明白であるか否かで、同じ稽古内容を同じ時間こなしたとしても、身に付き養われるものが全く異なってくるという、大きな問題ではありますが、それについては、また改めて述べることにします。
さて、その絶対的に不利である戦闘状況に於いて、「生き残れる」為には、ちょっとやそっと強い打撃が打てようと、素早いフットワークで動けようと、何ら戦闘能力の足しにはならないということを昔の人は嫌というほど承知していたはずです。そこでは「絶対的なもの」つまり「相手の攻撃は当たらないが、自分の攻撃は当たる」という絶対的な戦闘原理を手に入れるための、想像を絶する工夫や研鑽が為されたのに違いないのです。
そして、そのような目的のためにこそ、推手が訓練体系に組み込まれたはずであり、それが単に一人の相手と接触してから後の攻防を理解修得するための、接近戦のための訓練方法などであるはずがない、と私は思います。
先ほど武術は一対複数が前提であると述べましたが、ここで大事なことは、例えば私たちの稽古に於いては、実際にパートナーに複数の武器を所持して襲いかかってもらうような設定をして訓練を行うわけではない、というところです。
私はこのところこそ、日常と非日常の考え方が、そして武術と格闘技との違いがはっきりと分かれるポイントであると思っています。
なぜ太極拳の学習は、ゆっくりとした動きから始められるのか。
なぜ太極拳の訓練では、最初からダンベルや筋力トレーニングをしないのか。
なぜ太極拳には、動体視力を鍛えるような練功が存在しないのか。
なぜ太極拳の稽古は、「殴り合い、当て合う組手」を前提としていないのか。
これらの事柄も全て、太極拳が日常の発想から始まっていないことに起因しています。
一対複数が必至であるから、同じ状況を設定してその状況をクリアできるように反復練習をする、というものが西洋的・現代格闘技的発想であるとすれば、一対複数が必至であるから、一対一でも一対複数でも変わることのない、何れの場合も「同じ状況」にしてしまえる技法とはどのようなものであるのかを追求し、そこに法則を見出し、その原理を発見していったものが東洋的・陰陽太極武藝的発想である、と言えるでしょうか。
そして、それ故に老若男女を問わず誰もが戦闘要員としての役割を担うことが可能となり、陳家溝でいえば、一族が一丸となって他部族からの襲撃に備え、誰に屈することなく、戦乱の世を今日まで生き残ることができたのだと思います。
「推手」の存在の意味が本当に理解されれば、それは決して「一人の相手」に対応するための稽古方法などではなかった、ということが分かります。
玄門太極の后嗣として十年間の歳月を経た今、これまでに学んできた太極拳の学習を顧みれば、「推手」こそは一対複数で生き残れることを可能にする、優れた高度な武術の学習システムであることが身を以て実感されてきます。
(つづく)
2010年12月27日
練拳Diary#37「稽古ということ」その2
a by 教練 円山 玄花
太極拳の稽古が「訓練」であることを理解すると、突然、そこに他人と比較しての優劣や、強さ弱さといった観念が生じなくなります。
それは、太極拳を理解したい、修得したいという大きな目的が、よりくっきりとした輪郭をもって自分の中に確立されるためであると思います。目先の勝負よりも、訓練の先に感じられるもっと高いところに焦点が合ってくるのです。
この、”目先の勝負” というのが意外と厄介で、学習者の武術に向かう意志に対して壁のように立ちはだかってくる第一関門とも言えます。人によっては、その壁のためにどうしても基本訓練と武術とが結びつかず、場合によっては何年も苦しまなければなりません。
そこへいくと、日本の古武術の体系には、はじめから個人の優劣や強さを競い合うような、その為に基本訓練が無駄になるようなことが比較的見られないと思います。世界中に存在する優れた武術は、勿論その体系が完成されたものなのでしょうが、中でも日本の古武術などに見られる訓練体系は、私には世界のどこにも引けを取らない日本人の厳格さや繊細さ、そして緻密さを表しているように思えてなりません。
太極拳については、より大陸的といいますか、ひとつの型を十人が習ったら十種類のバリエーションが出来てしまうような、規矩の精度が緩やかな感覚も否めません。
もちろんそのようなことばかりではなく、十六世陳鑫老師の時代には、それは厳しい規矩が存在していました。著書である『陳氏太極拳図説』の中には、太極拳を学ぶ者の心得が九つ挙げられており、そのすべては学習者の「在り方」について説かれたものです。
また、その書の中で、
『・・ある人は、”太極拳はひとつの技芸に過ぎない。あなたの言うようなことであるなら、規則を立てることがあまりに厳しすぎ、たとえ聖賢であっても学ぶことはできないだろう。そのような一芸 で、何故そうしなければならないという事があるだろうか” と言ったが、私に言わせればそうではない。拳術は身を修め、ひいては性命の学を守る手段なのである。
孟子も ”規矩を以てせざれば方円を為すこと能わず” と言っているではないか・・』
という一文が見られます。
厳しすぎる規則──────────それこそ私が日本の古武術の体系に感じて止まない、目に見える ”厳格さ” なのです。それは日本民族が育んできたお国柄、民族性と言えるかも知れ
ません。
さて、何ゆえ厳しすぎる規則のカタマリだった筈の太極拳が、その規矩の精度が緩やかにさえ感じられるようになってきたのかは分かりません。しかし現代の太極拳には「馬歩」という架式一つを取り出しても、シンプルな推手の型を見ても、そこに絶対的な規矩が存在しないようなものが多く見受けられます。
太極拳を学んだことのある人が見れば、たとえ規矩が分からなくとも架式の共通点や動きの法則を僅かでも見て取ることが出来ると思います。個人の個性やレベルを差し引いて見たときに、そこに見える不動の法則が絶対的な規矩です。それが見えなければ、或いは見えたものが太極拳の要訣と沿わないものであれば「絶対的」とは言えません。かく言う私も、まだまだ絶対的なものとはなっておらず、ようやく規矩の持つ意味が身を以てしみじみと実感できるようになった程度です。だからこそ、余計に思うのです。「訓練」にならないような「練習」をしていては、一生を懸けても分からない、と。
ところが、日本の古武術と太極拳とを「学ぶ」という視点で比べた場合、太極拳は「訓練」よりも「練習」になりやすいと思うのです。どうしても規矩の精度や目的がはっきり伝わっていなかったり、反復練習をしてさえいればやがて意味も分かるというような考え方が目についてしまいます。やはり、太極拳が隣国の異文化であるためかも知れません。
極端な喩えですが、禅寺に入って禅の修行を積むことと、山を下りて凡夫衆生の行き交う日常の営みの中で、敢えてそれを実践しようとすることの違いでしょうか。私には、日本の古武術が禅寺での修行だとすると、太極拳は日常衆生の中での修行だと思えてなりません。
それを学びやすいと取るか、学びにくいと取るかは、人それぞれだと思うのですが。
私は、日常の中での修行の方がムツカシイと思います。
そのムツカシイ太極拳が日本人の手に渡ってさらに洗練され、日常の中での修行を可能にする訓練体系が展開されているのですから、【 何を・どの順序で・どう学ぶ 】かが明らかにされているのは、当然のこととも思えます。
当然のことですが、しかし、それを学ぶ私たちは、そこに大陸で育まれたものとは異なるであろう「新しい訓練体系」が見えなければなりませんし、より精巧な規矩を以て自身を型に嵌める努力が必要です。そうして初めて、陳鑫老師の時代に練られていたような真の太極拳を肌で感じ、この身で体現できるのだと思います。
あとは、自分の感じる難しさを、太極拳の難しさと混同しないことです。それはただひたすら、自分が何に対して難しさを感じているかが明白でない故に生じる、己の思考のひとつに過ぎないと思います。
最後にもうひとつ、太極拳を学ぶ上で大切なことがあります。
それは「疑わないこと」です。それも観念的にではなく、実際的に疑わないことです。
教わったこと、観たこと聞いたこと、学んだこと、先輩・後輩からのアドヴァイス、その他諸々に対して、決して「疑いの心」を挟まないことです。
入門して一年も過ぎれば、物事の判断がつくようになります。と同時に、いつの間にか自分に入ってくる物事に対して取捨選択をし始めていることが往々にしてあります。つまりは選り好みです。これは良い。これは悪い。これは使える。これは今だけで良い…ウンヌン。
これが始まると、待ってましたとばかりに背後から「疑いの心」がムクムクと湧き起こり、自分の頭上をすっぽりと覆い被さるようになってしまうのです。さあ大変です、何が大変かと言えば、まずは観ること聞くこと全てトータルには入ってこなくなるのです。それだけではありません。お次はやることなすこと、何もかもトータルにはできなくなってしまうのです。
なぜでしょうか?、理由は簡単です。太極拳そのものが陰陽・開合・虚実などの偏りのない十全なることを学ぶ学問ですから、偏りの素である「疑いの心」を持った途端に、目の見えない、耳の聞こえない人になってしまうのです。これは何も太極拳に限ったことではなく、日常生活の営みの中でも同じことが言えると思います。
この十年の間に、学習者の様々な「考え方」を見てきました。
際立って突飛な考え方に思われた例を挙げますと、ある人は、先頭に立って手本を示す教練の動きが、師父とは違うからといって真似しようとしなかったり、またある人は稽古に関わることに対して、「これは意味がないことだ」と自ら判断して稽古を組み立てていました。
人それぞれの人生があるように、人それぞれの物の見方、学び方があるとは思います。また、その人の真意をそのひと言で汲み取ることは不可能です。しかし、それは稽古としては間違いです。
この場合、その先輩が正しいか間違っているかではなくて、対象がどのように思えても、そこに「合わせる」という「自分の側の稽古」ができているかどうかが問題なのですから。自分がどのような稽古を行うかではなく、そこに「合わせる稽古」ができているかどうか、それが自身の訓練になっているのかどうか。それだけが問われているのです。
そこに「これはどうなのだろうか?」という思考を挟むと、途端に訓練体系から外れた処で太極拳を眺めることになります。疑問自体は大いに持ったらよいと思います。しかし、それを「稽古」に挟んでしまうと、もう訓練にはならないのです。
人一倍疑い深さを自認する私が、盲目的に太極拳をやり込んで来られたのは、ことに当たって生じる疑いの心を自分にこそ向けて、他には一切挟まないできたからではないかと、密かに自負しています。言い換えれば、それは徹底した自己否定であり、その様子は親にさえ自己主張のできない情けない子として映ったことでしょう。
そうするようになったきっかけは、小さい頃に、当時感じた人間の矛盾、物事の矛盾に対してやり切れなさを訴えたとき、父から『人生は不条理なのだ!』と一喝されたことによります。勿論、フジョウリと言われても、小さい自分には何のことだかさっぱり分かりませんでしたが、それ以来、そのことを理解するために疑いの心は自分に向け、人の言葉は何も挟まずに受け取ることにしたのです。それは、ただ信じることとも、ただ従うこととも異なります。
もちろんサラリと言えるほど容易いことではありません。その都度疑問も生じれば葛藤にもまみれます。ぐっと唇を噛んだことも度々ありました。しかしその結果、ものごとの善悪、明暗、良否などの全体が、見て取れるようになってきたと思えます。それは見ようと思っても見えるものではなく、向こう側から浮かび上がってくるものでした。つくづく、自分の心の持ちようで、見える世界が変わるものだと痛感する次第です。
私が選択した学び方が、必ずしも誰にも有益だとは思いません。しかし、太極拳のように、定められている規矩に嵌らなければ何も見えてこない学問を学ぶには、とても役に立つものだと思えるのです。
本年も、残すところ僅かとなりました。
今年一年間、この「練拳ダイアリー」をお読み下さり、誠に有り難うございました。
来年もまた、折に触れてこのような記事を書いていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
また、門人の皆さまには、この一年を省みて、いま一度『門人規約』を読み直して頂きたいと思います。入門に際して目を通したまま大切に収ってあることとは思いますが、入門から日を置いて読んでみると、また随分と内容が違って感じられるものです。
そこには、太極武藝館の門人としての「心構え」が二十七項目に渡って述べられており、まさに太極拳を学ぶために必要不可欠な規矩、心身の在り方が列挙されていると言えます。
それは、今年一年の自分を振り返って反省し、新しい年の抱負を胸に思い巡らせるための、大きな助けとなるに違いありません。
(了)
太極拳の稽古が「訓練」であることを理解すると、突然、そこに他人と比較しての優劣や、強さ弱さといった観念が生じなくなります。
それは、太極拳を理解したい、修得したいという大きな目的が、よりくっきりとした輪郭をもって自分の中に確立されるためであると思います。目先の勝負よりも、訓練の先に感じられるもっと高いところに焦点が合ってくるのです。
この、”目先の勝負” というのが意外と厄介で、学習者の武術に向かう意志に対して壁のように立ちはだかってくる第一関門とも言えます。人によっては、その壁のためにどうしても基本訓練と武術とが結びつかず、場合によっては何年も苦しまなければなりません。
そこへいくと、日本の古武術の体系には、はじめから個人の優劣や強さを競い合うような、その為に基本訓練が無駄になるようなことが比較的見られないと思います。世界中に存在する優れた武術は、勿論その体系が完成されたものなのでしょうが、中でも日本の古武術などに見られる訓練体系は、私には世界のどこにも引けを取らない日本人の厳格さや繊細さ、そして緻密さを表しているように思えてなりません。
太極拳については、より大陸的といいますか、ひとつの型を十人が習ったら十種類のバリエーションが出来てしまうような、規矩の精度が緩やかな感覚も否めません。
もちろんそのようなことばかりではなく、十六世陳鑫老師の時代には、それは厳しい規矩が存在していました。著書である『陳氏太極拳図説』の中には、太極拳を学ぶ者の心得が九つ挙げられており、そのすべては学習者の「在り方」について説かれたものです。
また、その書の中で、
『・・ある人は、”太極拳はひとつの技芸に過ぎない。あなたの言うようなことであるなら、規則を立てることがあまりに厳しすぎ、たとえ聖賢であっても学ぶことはできないだろう。そのような一芸 で、何故そうしなければならないという事があるだろうか” と言ったが、私に言わせればそうではない。拳術は身を修め、ひいては性命の学を守る手段なのである。
孟子も ”規矩を以てせざれば方円を為すこと能わず” と言っているではないか・・』
という一文が見られます。
厳しすぎる規則──────────それこそ私が日本の古武術の体系に感じて止まない、目に見える ”厳格さ” なのです。それは日本民族が育んできたお国柄、民族性と言えるかも知れ
ません。
さて、何ゆえ厳しすぎる規則のカタマリだった筈の太極拳が、その規矩の精度が緩やかにさえ感じられるようになってきたのかは分かりません。しかし現代の太極拳には「馬歩」という架式一つを取り出しても、シンプルな推手の型を見ても、そこに絶対的な規矩が存在しないようなものが多く見受けられます。
太極拳を学んだことのある人が見れば、たとえ規矩が分からなくとも架式の共通点や動きの法則を僅かでも見て取ることが出来ると思います。個人の個性やレベルを差し引いて見たときに、そこに見える不動の法則が絶対的な規矩です。それが見えなければ、或いは見えたものが太極拳の要訣と沿わないものであれば「絶対的」とは言えません。かく言う私も、まだまだ絶対的なものとはなっておらず、ようやく規矩の持つ意味が身を以てしみじみと実感できるようになった程度です。だからこそ、余計に思うのです。「訓練」にならないような「練習」をしていては、一生を懸けても分からない、と。
ところが、日本の古武術と太極拳とを「学ぶ」という視点で比べた場合、太極拳は「訓練」よりも「練習」になりやすいと思うのです。どうしても規矩の精度や目的がはっきり伝わっていなかったり、反復練習をしてさえいればやがて意味も分かるというような考え方が目についてしまいます。やはり、太極拳が隣国の異文化であるためかも知れません。
極端な喩えですが、禅寺に入って禅の修行を積むことと、山を下りて凡夫衆生の行き交う日常の営みの中で、敢えてそれを実践しようとすることの違いでしょうか。私には、日本の古武術が禅寺での修行だとすると、太極拳は日常衆生の中での修行だと思えてなりません。
それを学びやすいと取るか、学びにくいと取るかは、人それぞれだと思うのですが。
私は、日常の中での修行の方がムツカシイと思います。
そのムツカシイ太極拳が日本人の手に渡ってさらに洗練され、日常の中での修行を可能にする訓練体系が展開されているのですから、【 何を・どの順序で・どう学ぶ 】かが明らかにされているのは、当然のこととも思えます。
当然のことですが、しかし、それを学ぶ私たちは、そこに大陸で育まれたものとは異なるであろう「新しい訓練体系」が見えなければなりませんし、より精巧な規矩を以て自身を型に嵌める努力が必要です。そうして初めて、陳鑫老師の時代に練られていたような真の太極拳を肌で感じ、この身で体現できるのだと思います。
あとは、自分の感じる難しさを、太極拳の難しさと混同しないことです。それはただひたすら、自分が何に対して難しさを感じているかが明白でない故に生じる、己の思考のひとつに過ぎないと思います。
最後にもうひとつ、太極拳を学ぶ上で大切なことがあります。
それは「疑わないこと」です。それも観念的にではなく、実際的に疑わないことです。
教わったこと、観たこと聞いたこと、学んだこと、先輩・後輩からのアドヴァイス、その他諸々に対して、決して「疑いの心」を挟まないことです。
入門して一年も過ぎれば、物事の判断がつくようになります。と同時に、いつの間にか自分に入ってくる物事に対して取捨選択をし始めていることが往々にしてあります。つまりは選り好みです。これは良い。これは悪い。これは使える。これは今だけで良い…ウンヌン。
これが始まると、待ってましたとばかりに背後から「疑いの心」がムクムクと湧き起こり、自分の頭上をすっぽりと覆い被さるようになってしまうのです。さあ大変です、何が大変かと言えば、まずは観ること聞くこと全てトータルには入ってこなくなるのです。それだけではありません。お次はやることなすこと、何もかもトータルにはできなくなってしまうのです。
なぜでしょうか?、理由は簡単です。太極拳そのものが陰陽・開合・虚実などの偏りのない十全なることを学ぶ学問ですから、偏りの素である「疑いの心」を持った途端に、目の見えない、耳の聞こえない人になってしまうのです。これは何も太極拳に限ったことではなく、日常生活の営みの中でも同じことが言えると思います。
この十年の間に、学習者の様々な「考え方」を見てきました。
際立って突飛な考え方に思われた例を挙げますと、ある人は、先頭に立って手本を示す教練の動きが、師父とは違うからといって真似しようとしなかったり、またある人は稽古に関わることに対して、「これは意味がないことだ」と自ら判断して稽古を組み立てていました。
人それぞれの人生があるように、人それぞれの物の見方、学び方があるとは思います。また、その人の真意をそのひと言で汲み取ることは不可能です。しかし、それは稽古としては間違いです。
この場合、その先輩が正しいか間違っているかではなくて、対象がどのように思えても、そこに「合わせる」という「自分の側の稽古」ができているかどうかが問題なのですから。自分がどのような稽古を行うかではなく、そこに「合わせる稽古」ができているかどうか、それが自身の訓練になっているのかどうか。それだけが問われているのです。
そこに「これはどうなのだろうか?」という思考を挟むと、途端に訓練体系から外れた処で太極拳を眺めることになります。疑問自体は大いに持ったらよいと思います。しかし、それを「稽古」に挟んでしまうと、もう訓練にはならないのです。
人一倍疑い深さを自認する私が、盲目的に太極拳をやり込んで来られたのは、ことに当たって生じる疑いの心を自分にこそ向けて、他には一切挟まないできたからではないかと、密かに自負しています。言い換えれば、それは徹底した自己否定であり、その様子は親にさえ自己主張のできない情けない子として映ったことでしょう。
そうするようになったきっかけは、小さい頃に、当時感じた人間の矛盾、物事の矛盾に対してやり切れなさを訴えたとき、父から『人生は不条理なのだ!』と一喝されたことによります。勿論、フジョウリと言われても、小さい自分には何のことだかさっぱり分かりませんでしたが、それ以来、そのことを理解するために疑いの心は自分に向け、人の言葉は何も挟まずに受け取ることにしたのです。それは、ただ信じることとも、ただ従うこととも異なります。
もちろんサラリと言えるほど容易いことではありません。その都度疑問も生じれば葛藤にもまみれます。ぐっと唇を噛んだことも度々ありました。しかしその結果、ものごとの善悪、明暗、良否などの全体が、見て取れるようになってきたと思えます。それは見ようと思っても見えるものではなく、向こう側から浮かび上がってくるものでした。つくづく、自分の心の持ちようで、見える世界が変わるものだと痛感する次第です。
私が選択した学び方が、必ずしも誰にも有益だとは思いません。しかし、太極拳のように、定められている規矩に嵌らなければ何も見えてこない学問を学ぶには、とても役に立つものだと思えるのです。
本年も、残すところ僅かとなりました。
今年一年間、この「練拳ダイアリー」をお読み下さり、誠に有り難うございました。
来年もまた、折に触れてこのような記事を書いていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
また、門人の皆さまには、この一年を省みて、いま一度『門人規約』を読み直して頂きたいと思います。入門に際して目を通したまま大切に収ってあることとは思いますが、入門から日を置いて読んでみると、また随分と内容が違って感じられるものです。
そこには、太極武藝館の門人としての「心構え」が二十七項目に渡って述べられており、まさに太極拳を学ぶために必要不可欠な規矩、心身の在り方が列挙されていると言えます。
それは、今年一年の自分を振り返って反省し、新しい年の抱負を胸に思い巡らせるための、大きな助けとなるに違いありません。
(了)
2010年12月22日
練拳Diary#36「稽古ということ」その1
by 教練 円山 玄花
今年に入ってから、太極拳は稽古で要求される内容よりも、稽古とはどのようなものであるのかを理解することに難しさがある、と思うようになりました。
これは、私が后嗣として認証を受けてから約十年の間に、教練という立場で門人の皆さんと共に稽古をする中で見えてきたひとつの確信ですが、今思えば太極拳に限らず、人が何かの芸事を学ぼうとしたときには必ず突き当たる、壁のようなものと言えるかもしれません。
『太極拳は決して難しいものではない』とは円山洋玄師父の言葉ですが、確かに私たちの稽古では一般クラスや研究會の区別なく【 何を・どのような順序で・どう学ぶか 】が明らかにされており、さらにそこで必要となる情報や考え方に至るまで詳細に説明されています。
つまり、その理論と方法に則ってコツコツと修練に励みさえすれば、誰でもその正道を歩むことができるというわけですが、そのような環境で学びながらもなお「難しい」と思える理由を、先に述べた「稽古とはどのようなものであるのか」という視点から考えてみました。
ひとつには、太極拳に武術の可能性を求めて来たが、自分が想う「強さ」を持ち続けているために太極拳の「武術性」を理解できない、という場合が挙げられます。
このタイプの人は、すでに他の武術や格闘技である程度の成績を収めて来ていながらも、技術的・年齢的に限界を感じ、その解決策を太極拳に求めていることが多いようです。
また、そのためか、太極拳に感じられる強さを「秘伝のテクニック」だと勘違いすることもあります。
私たちにしてみれば、太極拳の武術性とは、取りも直さず戦闘の中で「生き残れること」の強さであって、どのような状況下でも相手を渾身の一撃で屠れる、中国数千年の究極のヒデン・オウギなどではないのです。もし太極拳の稽古をそのようなものと捉えてしまったら、もう先はありません。そこから何を見ようと学ぼうと、全て日常の延長、自分の想う強さの延長を可能にしてくれるであろう練功、という程度にしか見えなくなってしまいます。
私が太極拳を学び始めて間もなく痛感したことは、自分の考えていた強さから、歩き方、拳の出し方から戦い方に至るまで、”何もかも” 違っていたということです。歩き方ひとつを学んでみても、自分は日常的で太極拳はまさに非日常的だと言えます。当り前のことですが、その他、自分が考え得ることは何ひとつ通用せず、だからこそ ”何もかも” をすっかり新しく学ぶことができたわけです。
門人に於いても、これまでに武術など何もやったことがなかった、普通の会社員や主婦の人がパッと何かを理解してしまうということが往々にして起こりますが、それも武術に対する先入観がない故に、太極拳の学習システムに素直に入って行けたからではないかと思えます。
もちろん格闘技出身の人でも、自分の考えていた「強さ」と太極拳が求める「武術性」との違いに逸早く気づいた人は、短期間の内に競技的な身体から武術的な身体へと向かう変化が見られます。結局、問題は「学ぶ対象」にあるのではなく、その人が「何を学びたいか」なのだと思います。
もうひとつは、太極拳を学ぶことが「正しい訓練過程を経てゆく中でのみ可能になる」という認識を、なかなか持てない場合です。
私が太極拳の稽古を「訓練」だと言うのは、それを「練習」だと思っていては絶対に修めることができないものだからです。
「訓練」とは、或ることを教え込んで継続的に練習させ体得させることであり、「練習」とは、技能や学問などが上達するように自らがそれを繰り返すことです。
分かり易く言うと「稽古する」は「練習する」の意で、「稽古をつける」は「訓練する」の意となります。そこから導き出されるふたつの違いは『自分の好き勝手にできるか、できないか』の一点だと言えます。
さらに、「訓」の一字に見られる「教え・教えさとす」という意味からも、「練習」に含まれる「繰り返す」という意味とは随分異なり、教えを受けて(訓)技芸を鍛え磨く(練)こと に「自分」を挟む余地はないはずです。そのことからも、私は太極拳の稽古は「訓練」だと言えると思うのです。
何も厳めしく「訓練だ!」などと叫ばなくとも、その意味が学習者に分かるのであれば、稽古でも練習でも修行でも、何でも構いません、好きなように呼んだら良いと思います。
大切なのは学ぶ本人の心構えであって、それを何と呼ぶかではないのですから。
しかし、もしも稽古の本質が「訓練」だと思えないと、どうなるのでしょうか。
おそらく、その人にとって道場はたちまち「講習会」の会場と化し、今日は一体何を教えてもらえるのか、やれヒデンか、ゼッショウか、それとも凄いハッケイか?・・・などという思いがグルグルしてくることでしょう。仮令そこまでいかないにしても、道場に居ながら自分の解決するべき課題があやふやで、なおかつそれさえも教えて貰えるものだと思って待っているようでは、あまり大差がありません。
また、まだ「訓練」というものがよく分からないうちは、それとは気づかずに自分勝手になりやすいものです。そして、それを指摘されても意味が分からず、とかく表面的な字面だけを捉えがちです。指摘を受けたことに対して「自分はそんなことない」と我を張る前に、「何を言われているのだろうか」と、ハタと立ち止まってみることこそが、何かを学ぶ際の鍵となります。
・・・ここで、ひとつの簡単な例え話をしてみましょう。
ある日のこと、この練功は ”赤色” だという指導を受けました。
それではと、自分の思う ”赤色” を精一杯出した稽古をしてみました。
ところが、師匠からは「馬鹿者、それは白色だろうが!」と怒鳴られたのです。
自分にはどう見ても赤色に見えるそれを、師匠は白だと言われるのです・・・?
さて、ここが最初の分岐点です。「いいや、これは赤色だ!」と思うこともできますし、「師匠は何を赤色だと言っているのか?」と考えることもできるわけです。
しかし、実は師匠にとっては、それが赤でも白でも関係ないのです。
黒だって構いません。問題は「それを赤だと思っていては分からないよ」ということが示されている、ということなのです。
太極拳は武術であり、稽古はすべて戦闘のための訓練なのですから、対練中に限らず、どんな場合にも師匠のひと言は「それを赤だと思っていては敵に簡単にやられてしまうよ」という言葉に置き換えることができるはずです。
そう考えてみると、それが自分にとって赤に見えることや、白だと言われたからといってそれを白だとメモに取り、そうだと思い込む努力をすることは随分馬鹿げたことに思えてきます。言われていることの核心は赤か白かではなく、「それを赤色だと思っていては太極拳は理解できない」ということなのですから。
そのようなことを踏まえて、何かひとつのことを教わったら、その練功が何を指し示しているのかを自分で納得できるまで打ち込むことが必要です。稽古で教わることは全て原理を理解する為のものであり、練功を繰り返してさえいれば分かる、というものでは絶対にありません。
また、師匠が門人の稽古を見て、ひと言声を掛けるその瞬間、そこには弟子が到底推し量ることのできない真理が展開されていると言えます。そこでハッとする、或いは常に何かに気付ける状態にしておくこと、それが最も大切なことです。
先ほど「”最初の” 分岐点」と表現したのは、本来の学び方としては、そこに何らかの自分の考えを挟むことも間違いであるからです。「師匠は何を言っているのか?」ということすら、入り込む余地はありません。ただ自分を開いていさえすれば良いのです。
入ってくるものに対して分析をする必要もありません。むしろそのような行為は壁を一層分厚いものにしてしまいます。「自分を開いている」という精神状態にあってようやく何かを学ぶことが可能になるのです。
何をそこまで・・と、思われるでしょうか。
しかし、これが「教室」と「道場」の、「スポーツ」と「武術」の、大きな違いです。
ましてや、高度な伝統武藝を修めようとするのであれば、こんなことなどは門前の話で、「入門」以前に整えるべき、当たり前の姿勢でしかありません。
私たちが、日夜必死の思いで向かい続けている「太極拳の原理」とは、言葉では到底説明され得ないものです。太極拳は勁力や纏絲勁が当たり前であるとはいっても、目に見えるのは妙な格好で飛んでいく人の姿、耳に聞こえてくるのは己の絶叫だけなのです。原理を言葉に尽くそうとしたところで、言葉にできないものが在ることをただ思い知らされるのみです。
そのようなものと生涯を懸けて付き合おうとしたとき、ちっぽけな自分の、一体何が通用するというのでしょうか。
私たちに残された道は、その「ちっぽけな自分」を打ち破ることだけです。
すべての要訣と型の稽古は、その為に用意されているとも言えます。
そこにあるのは、唯ひたすら『自分の好き勝手にはできない』ということ。これは、自分の命をそこに託せるだけのものを修める必要があるときには、至極当然のことなのです。
誰にとってもやりたいようにやることは楽ですが、それでは躾の悪い子供と同じになってしまいます。自分のやりたいようにやっていては、太極拳の深奥は決して分からない。
だからこそ、そこに、「自己」を挟む余地のない「訓練」が必要になるのです。
(つづく)
今年に入ってから、太極拳は稽古で要求される内容よりも、稽古とはどのようなものであるのかを理解することに難しさがある、と思うようになりました。
これは、私が后嗣として認証を受けてから約十年の間に、教練という立場で門人の皆さんと共に稽古をする中で見えてきたひとつの確信ですが、今思えば太極拳に限らず、人が何かの芸事を学ぼうとしたときには必ず突き当たる、壁のようなものと言えるかもしれません。
『太極拳は決して難しいものではない』とは円山洋玄師父の言葉ですが、確かに私たちの稽古では一般クラスや研究會の区別なく【 何を・どのような順序で・どう学ぶか 】が明らかにされており、さらにそこで必要となる情報や考え方に至るまで詳細に説明されています。
つまり、その理論と方法に則ってコツコツと修練に励みさえすれば、誰でもその正道を歩むことができるというわけですが、そのような環境で学びながらもなお「難しい」と思える理由を、先に述べた「稽古とはどのようなものであるのか」という視点から考えてみました。
ひとつには、太極拳に武術の可能性を求めて来たが、自分が想う「強さ」を持ち続けているために太極拳の「武術性」を理解できない、という場合が挙げられます。
このタイプの人は、すでに他の武術や格闘技である程度の成績を収めて来ていながらも、技術的・年齢的に限界を感じ、その解決策を太極拳に求めていることが多いようです。
また、そのためか、太極拳に感じられる強さを「秘伝のテクニック」だと勘違いすることもあります。
私たちにしてみれば、太極拳の武術性とは、取りも直さず戦闘の中で「生き残れること」の強さであって、どのような状況下でも相手を渾身の一撃で屠れる、中国数千年の究極のヒデン・オウギなどではないのです。もし太極拳の稽古をそのようなものと捉えてしまったら、もう先はありません。そこから何を見ようと学ぼうと、全て日常の延長、自分の想う強さの延長を可能にしてくれるであろう練功、という程度にしか見えなくなってしまいます。
私が太極拳を学び始めて間もなく痛感したことは、自分の考えていた強さから、歩き方、拳の出し方から戦い方に至るまで、”何もかも” 違っていたということです。歩き方ひとつを学んでみても、自分は日常的で太極拳はまさに非日常的だと言えます。当り前のことですが、その他、自分が考え得ることは何ひとつ通用せず、だからこそ ”何もかも” をすっかり新しく学ぶことができたわけです。
門人に於いても、これまでに武術など何もやったことがなかった、普通の会社員や主婦の人がパッと何かを理解してしまうということが往々にして起こりますが、それも武術に対する先入観がない故に、太極拳の学習システムに素直に入って行けたからではないかと思えます。
もちろん格闘技出身の人でも、自分の考えていた「強さ」と太極拳が求める「武術性」との違いに逸早く気づいた人は、短期間の内に競技的な身体から武術的な身体へと向かう変化が見られます。結局、問題は「学ぶ対象」にあるのではなく、その人が「何を学びたいか」なのだと思います。
もうひとつは、太極拳を学ぶことが「正しい訓練過程を経てゆく中でのみ可能になる」という認識を、なかなか持てない場合です。
私が太極拳の稽古を「訓練」だと言うのは、それを「練習」だと思っていては絶対に修めることができないものだからです。
「訓練」とは、或ることを教え込んで継続的に練習させ体得させることであり、「練習」とは、技能や学問などが上達するように自らがそれを繰り返すことです。
分かり易く言うと「稽古する」は「練習する」の意で、「稽古をつける」は「訓練する」の意となります。そこから導き出されるふたつの違いは『自分の好き勝手にできるか、できないか』の一点だと言えます。
さらに、「訓」の一字に見られる「教え・教えさとす」という意味からも、「練習」に含まれる「繰り返す」という意味とは随分異なり、教えを受けて(訓)技芸を鍛え磨く(練)こと に「自分」を挟む余地はないはずです。そのことからも、私は太極拳の稽古は「訓練」だと言えると思うのです。
何も厳めしく「訓練だ!」などと叫ばなくとも、その意味が学習者に分かるのであれば、稽古でも練習でも修行でも、何でも構いません、好きなように呼んだら良いと思います。
大切なのは学ぶ本人の心構えであって、それを何と呼ぶかではないのですから。
しかし、もしも稽古の本質が「訓練」だと思えないと、どうなるのでしょうか。
おそらく、その人にとって道場はたちまち「講習会」の会場と化し、今日は一体何を教えてもらえるのか、やれヒデンか、ゼッショウか、それとも凄いハッケイか?・・・などという思いがグルグルしてくることでしょう。仮令そこまでいかないにしても、道場に居ながら自分の解決するべき課題があやふやで、なおかつそれさえも教えて貰えるものだと思って待っているようでは、あまり大差がありません。
また、まだ「訓練」というものがよく分からないうちは、それとは気づかずに自分勝手になりやすいものです。そして、それを指摘されても意味が分からず、とかく表面的な字面だけを捉えがちです。指摘を受けたことに対して「自分はそんなことない」と我を張る前に、「何を言われているのだろうか」と、ハタと立ち止まってみることこそが、何かを学ぶ際の鍵となります。
・・・ここで、ひとつの簡単な例え話をしてみましょう。
ある日のこと、この練功は ”赤色” だという指導を受けました。
それではと、自分の思う ”赤色” を精一杯出した稽古をしてみました。
ところが、師匠からは「馬鹿者、それは白色だろうが!」と怒鳴られたのです。
自分にはどう見ても赤色に見えるそれを、師匠は白だと言われるのです・・・?
さて、ここが最初の分岐点です。「いいや、これは赤色だ!」と思うこともできますし、「師匠は何を赤色だと言っているのか?」と考えることもできるわけです。
しかし、実は師匠にとっては、それが赤でも白でも関係ないのです。
黒だって構いません。問題は「それを赤だと思っていては分からないよ」ということが示されている、ということなのです。
太極拳は武術であり、稽古はすべて戦闘のための訓練なのですから、対練中に限らず、どんな場合にも師匠のひと言は「それを赤だと思っていては敵に簡単にやられてしまうよ」という言葉に置き換えることができるはずです。
そう考えてみると、それが自分にとって赤に見えることや、白だと言われたからといってそれを白だとメモに取り、そうだと思い込む努力をすることは随分馬鹿げたことに思えてきます。言われていることの核心は赤か白かではなく、「それを赤色だと思っていては太極拳は理解できない」ということなのですから。
そのようなことを踏まえて、何かひとつのことを教わったら、その練功が何を指し示しているのかを自分で納得できるまで打ち込むことが必要です。稽古で教わることは全て原理を理解する為のものであり、練功を繰り返してさえいれば分かる、というものでは絶対にありません。
また、師匠が門人の稽古を見て、ひと言声を掛けるその瞬間、そこには弟子が到底推し量ることのできない真理が展開されていると言えます。そこでハッとする、或いは常に何かに気付ける状態にしておくこと、それが最も大切なことです。
先ほど「”最初の” 分岐点」と表現したのは、本来の学び方としては、そこに何らかの自分の考えを挟むことも間違いであるからです。「師匠は何を言っているのか?」ということすら、入り込む余地はありません。ただ自分を開いていさえすれば良いのです。
入ってくるものに対して分析をする必要もありません。むしろそのような行為は壁を一層分厚いものにしてしまいます。「自分を開いている」という精神状態にあってようやく何かを学ぶことが可能になるのです。
何をそこまで・・と、思われるでしょうか。
しかし、これが「教室」と「道場」の、「スポーツ」と「武術」の、大きな違いです。
ましてや、高度な伝統武藝を修めようとするのであれば、こんなことなどは門前の話で、「入門」以前に整えるべき、当たり前の姿勢でしかありません。
私たちが、日夜必死の思いで向かい続けている「太極拳の原理」とは、言葉では到底説明され得ないものです。太極拳は勁力や纏絲勁が当たり前であるとはいっても、目に見えるのは妙な格好で飛んでいく人の姿、耳に聞こえてくるのは己の絶叫だけなのです。原理を言葉に尽くそうとしたところで、言葉にできないものが在ることをただ思い知らされるのみです。
そのようなものと生涯を懸けて付き合おうとしたとき、ちっぽけな自分の、一体何が通用するというのでしょうか。
私たちに残された道は、その「ちっぽけな自分」を打ち破ることだけです。
すべての要訣と型の稽古は、その為に用意されているとも言えます。
そこにあるのは、唯ひたすら『自分の好き勝手にはできない』ということ。これは、自分の命をそこに託せるだけのものを修める必要があるときには、至極当然のことなのです。
誰にとってもやりたいようにやることは楽ですが、それでは躾の悪い子供と同じになってしまいます。自分のやりたいようにやっていては、太極拳の深奥は決して分からない。
だからこそ、そこに、「自己」を挟む余地のない「訓練」が必要になるのです。
(つづく)