*第61回 〜 第70回
2011年08月01日
連載小説「龍の道」 第70回
第70回 構 造(5)
「 ”順身” と書く──────────────」
王老師が指でそれを宙に書いて示した。
宏隆にとってそれは、一度も耳にしたことの無い、新しい言葉だった。
その、 ”初めに理解すべき、身体の正しい在り方” とは、いったい何であるのか。
「・・その、順身(shun shen)、というのは、どのようなものなのでしょうか?」
「太極拳が武術として成立するための、身体の正しい在り様(よう)のことだ」
「日本の武術で ”順体” と呼ぶものと、同じでしょうか?」
「ほう、日本にもそのようなものがあるのかね────────────それと同じかどうかは分からないが、現在では陳家溝でもそんな概念はすっかり忘れられていて、今では誰もそれについて触れなくなってしまった。もし日本に同じ意味の概念が存在するのだとすれば、かつて海を越えて日本に伝えられたものが、大陸の本家では失伝の危機に瀕している、ということかも知れない」
「・・では、それは文化大革命以前にあった秘伝なのですか?」
「順身というものがいつから失伝してしまったかは知らないが、少なくとも第15世の陳清萍の頃まで存在していたことは確かだ。趙堡鎮(ちょうほちん)に残る太極拳譜にはその文字が散見できるし、たとえ拳譜にその言葉が見当たらなくとも、たとえば中国拳術の母といわれ、陳氏との関係も深い ”心意六合拳” の動きは順身そのものだし、太極拳と共に内家三拳と呼ばれる形意拳や八卦掌も、順身の構造でなければ出来ないものばかりだ」
「順身とは、どのような意味なのですか?」
「 ”順” とは、したがうという意味だ。つまり順身とは、自然の法則に順(したが)った有りのままの身体、自然の構造に沿った、自然な人体の在りようを意味している。
意識を収斂(しゅうれん)して身体を放鬆し、それによって体の中心が働き、その構造の中心の働きに順って身体各部が自然に動き、技法を滞りなく自然に用いることが出来るような身体の状態のことをいうのだよ」
「・・・つまり、人体の構造に順って自然に動く、ということでしょうか?」
「そのとおりだ。そして、”順” の反対は ”拗” と言い表される。
拗とは、滑らかではない、ぎこちない、ひねくれている、などといった意味で、体を捻(ひね)る、拗(ねじ)る、振り返る、体を左右に振って歩く、などという意味にも用いられる。また詩歌の世界では、絶句や律詩の変格として、平仄(ひょうそく)の法則に合わないものを ”拗体” と呼んだりもする」
「なるほど。日本語でも拗と書いて、ヒネルとかネジルと読みますね・・・・
それでは、順身というのは自由に、何処へでも、何の束縛も受けずに、どんな風にも自在に動ける身体の在り方を表している、ということになりますね。
うーん、そんな風に自然に、自由に、相手の攻撃に対してどのようにも動けるのが太極拳なのですね─────────────いやぁ、スゴイや!、これはスゴイことです!!」
「そうではない────────────」
「えっ・・・・?」
「太極拳は、自由自在になど動かない────────────」
「・・・いま、何と仰いましたか?」
「太極拳は、敵の攻撃に対し、自由自在に、どのようにでも動ける身体の状態を練るものではない、と言っている」
「でも、たったいま、人体の構造に順って自然に動くことが ”順身” だと・・・・」
「自然に順うとは、何でも出来る自由な状態をいうのではない、その正反対だ」
「は、反対・・・・?」
「そう、不自由で、動きにくく、ひどく拘束された身体の状態を、”順身” というのだ」
「え、ええっ──────────────!!」
「驚いたかね?」
「・・お、驚くなんてものじゃありません、太極拳の訓練は、不自由極まる、拘束された身体をわざわざ練っていく、と仰るのですか?!」
「そのとおりだ────────────」
「で、でも────────そんなこと、とても俄(にわか)には信じられません。だって、そんな体では、武術として何も成立しなくなってしまうと思いますが・・・・」
「それはあべこべだよ。もし思い通りに自由な動きの出来る身体を造ってしまったら、それこそ、武術としては全く何の役にも立たなくなる」
「うーん、そこのところが、よく分かりません──────────────」
「良いかね・・・・順身とは、構造に順う(したがう)、という意味だ。
構造とは、人間として誰もが持って生まれてきた、人間としての構造に他ならない。
言い換えればそれは、誰もが既に、生まれながらにしてその構造に束縛されているということになる。それに順うこと、本来ある構造に逆らわず、それに従うことで初めて人間としてトータルに、自然に動ける思い通りの身体を手に入れられる、ということだ。
つまり、人間にとって自然に動けることというのは、人間本来の構造に有りの儘に束縛されている状態のことを言うのだ。それを外して動けるようになることを、自由自在な動きとは言えない───────少なくとも太極拳では、そうでは有り得ない」
「僕は、これまでやってきた戦いの中で、自分が自由自在に動けることこそが、相手に勝てることだと思ってきました・・・・」
「高度な ”術理” の世界を知らなければ、そうするしかない。かつての私もそうだった。
素早く動けるフットワーク、目にも留まらない神速の拳打、一撃で相手を屠ることができるような強力な打撃を身に着けることこそ武術の真髄だと、そう信じていたものだよ」
「王老師にも、そんな時があったのですか?──────────────」
「ははは・・・私だって大宇宙の法則から観れば、哀しい凡夫のひとりに過ぎないからね」
「僕は、そうしていることで、ある程度なら使える戦い方を身に着けたのだと思います。
しかし、それはやはり、精々が街のケンカでしか通用しないものに過ぎませんでした。
そして王老師と向かい合った時に、そのようなレベルでは本物の武術には全く通用しないことをイヤというほど味わわされたのです」
「ふむ、初めて神戸で会った時のことだね・・・」
「はい、いま想い出せば、確かに王老師は自由自在には動いて居られませんでした。
何か予め決められたもの、揺るぎのない法則に従って、それを決して外さず、その中だけで動かれて居られたように思えてきます─────────それが ”順身” ということなのでしょうか?」
「そのとおりだ。法則とは、すなわち拘束であり、束縛ということに他ならない。
そして、従うべき、揺るぎない法則とは、ひたすらそれに順ってこそ、大いなる法則として、その妙を得られるのだ。
自分の都合の良いところだけを取り出して、法則を上手く身に着けようとしても、それはすでに ”法則” にはならない。その法則の中に身を置き、法則に雁字搦めに拘束されて、ついには法則そのものになる事こそ、その法則を十全に使えるようになる唯一の道なのだ」
「何処かでは、自分はそのようなことを学ぶべきだという気がしていました。
居合の稽古をしていると、そこには型の稽古しかありません。その型に自分を当て嵌めていくこととは、つまりは王老師の仰るような、不自由に拘束され、束縛されることによって法則を得ていくことを意味しているのだと思います」
「そうですよ・・・そして、ヒロタカがそのことの重要性を何処か意識の奥深くで理解しているからこそ、基隆(キールン)の海軍基地のリングで宗少尉に勝つことが出来たのです」
*編集部註:「龍の道」第38回・武漢(10)参照
すぐ横に立っている陳中尉が、宏隆にそう言った。
「ああ、そうだ────────────そう、あの時は、どうしてあんな恰好で宗少尉と戦ったのか、自分でもよくワケが分かりませんでしたが・・・・ただ居合の構造を借りて、その中で自分が学んでいる太極拳を試してみようとしたのだと思います」
「宗少尉との一戦は、見ていても凄かったですよ。とても高校生とは思えませんでしたね。
通常、リングでのスパーリングは、お互いに訓練を積んできた技法の応酬と捉えてしまうのですが、あの一戦に限っては全くそういうものとは違っていた。
戦いと言うよりは、陶芸家が無心に土を捏ねているような、画家が絵筆を取ったり、刀鍛冶が一心不乱に鋼を鍛えているような、そんな感じに思えましたね」
「ほう、それは是非この目で見たかったな──────────」
王老師が、興味深げに言った。
「はい、もしご覧になれば、きっと師父も感心されたことと思います」
「あの時、僕は居合の ”一文字腰” という半身の構えで、宗少尉と対峙しました。
それまでの、幾つかの宗少尉の戦い振りを見て、ケンカの若大将と呼ばれて良い気になっていた頃のテクニックでは到底太刀打ちできないと思ったからです。そして、居合の構えを取ったことが功を奏し、宗少尉が非常に戦いにくくなっていることに気が付きました」
「・・・うん、そうだったね。それまでの対戦相手はスピーディに、或いは華麗に動き回っていたのに比べて、ヒロタカは反対に ”不動” に見えました。そして、宗少尉の技をフットワークや反射で動いて躱すことをせず、落ち着いて間近で間合いを見切ることで、何もしていないのに少尉が勝手に崩されていました」
「もしかすると、あの時に、”コレだ!” と思えたことが、王老師が仰る ”順身” というものだったのでしょうか?」
「・・・いったい、何を ”コレだ” と思ったのですか?」
「半身に構えていた身体が、ある瞬間、まるで左右が入れ替わったように、驚くほど自然に動いたのですが・・・その半身の構えが、目の前の宗少尉とあまりにもピタリと一致したような気がしたのです。そして次の瞬間には、宗少尉がマットに倒れていました」
「師父・・・・・・」
陳中尉が真剣な表情をして、王老師の顔を見た。
「うむ──────────────」
王老師は、それに頷いて、あらためて宏隆の顔を見つめている。
「あの・・・・ぼくは、何か不味(まず)いことでも言いましたか・・?」
それまでとは違うその場の雰囲気を察して、恐る恐る、宏隆が陳中尉に訊く。
「いや、そうではありません。私は同門の先輩として、ヒロタカが師兄弟であることを誇りに思います」
「はい・・・それは、とても嬉しいですが・・・・・」
「師父、ヒロタカに言ってあげてもよろしいでしょうか?!」
「うむ、お前の知ることを、伝えてやるが良い」
「そのとき・・・・ヒロタカが ”コレだ” と思ったことは、まさに ”順身の構造” を意味しています。宗少尉と対戦したとき、その半身の構えに起こったことこそ、私たちが順身という構造で学ぶべき秘伝なのですよ」
「ええっ──────────────!!」
「口で言っても、よく分からないかも知れない。ヒロタカ、私に向かって掛かってきて下さい。実際に散手でそれを確かめましょう────────師父、よろしいですか?」
「良いとも。お前が言い出さなければ、私がそうしようと思っていたところだ」
(つづく)
*次回、連載小説「龍の道」 第71回の掲載は、8月15日(月)の予定です
2011年07月20日
連載小説「龍の道」 第69回
第69回 構 造(4)
「・・た、太極拳では、質量中心が・・・その位置が、予め決められているのですか?」
「そうだが、それがどうかしたかね────────────」
「あ、いえ・・・つまり、それが立つ位置である、ということなのでしょうか?」
「そのとおりだ」
「あらかじめ、決められている──────────────!!」
「何もそんなことに驚くことはない。人間が立つべき位置は元々ただひとつしかない。
武術家だろうが八百屋だろうが、人間として立つ位置は初めから決まっている。物質や機械の文明に浸りきった現代人は、自らの立つべき位置を全く忘れてしまっているのだ」
「では、昔の人や、もっと大昔の人は、現代人とは立つ位置が違っていたのですか?」
「違っている、などという程度ではないはずだ。現代の人間たちは、構造的には人間というよりも、サルの方に近いと言えるかもしれない」
「えっ───────さ、サルですか?!」
「そうだ。今どきの人間は、進化というよりは、サルだった頃に逆戻りしているようにさえ思える。もっとも、赤ん坊のころには、誰ひとりとして、そうではなかったのだがね・・・」
「赤ん坊の頃には、誰もが正しい構造を持っていたのですか?」
「そうだとも。人間は生を受けてから一年ほどの時間を掛け、自ら立ち上がって歩くように仕組まれている。その構造や、それ故に生じている軸は、紛れもなく二本足で自立して歩く人間としてのもので、サルとは大違いだ。それは武術的にも、とても高度な軸だと言える」
「赤ん坊が・・・武術的に高度な軸・・・・・?」
「ちょうど良い機会だから、君がどんな風に歩くかを見てみよう。
此処から向こうの壁に向かって歩いてみなさい──────────────」
「ただ歩けば良いのですか?」
「そうだ、あの壁に向かって、真っ直ぐに歩いて行ってごらん」
「はい・・・」
格闘訓練場の奧の壁は、大きな鏡張りになっている。
宏隆は鏡に映る自分に向かって数十歩ほど、ごく普通に真っ直ぐに歩いた。
「さて、どうだったかな?」
「別にどうということもありません、ただ普通に歩いただけです」
「ふむ───────何か気付いたことはなかったかね?」
「いえ、特に何もありませんが・・・・」
「では、今度は、陳と一緒に並んで歩いてみなさい」
「陳師兄と一緒に?」
二人で並んで歩いてどうするのかと不思議に思ったが、言われるままに、宏隆は陳中尉と並んで立ち、右、左、と出す足を合わせて、同じ壁に向かって歩いて行く。
しかし──────────────
「あっ・・・ああっ・・・・・!!」
歩き始めてすぐに、宏隆は鏡に映る自分と中尉との余りの違いに、驚きの声を上げた。
陳中尉の歩く姿には、ほとんど上下動が見られない。それどころか、左右にも、まったくと言って良いほどブレていないのである。
陳中尉は、まるで動く歩道か何かにでも乗っているかのように、スーッと移動しているような動きなのだ。それと比べると自分の歩き方は、動く歩道と平行した通路でジョギングでもしているように、大きく軸がブレている。
それほどまでに、自分と陳中尉の歩き方は違っている。
多寡が普通に ”前に歩く” という行為なのに、何故これほどの違いが出るのか。
「さて、どうだったかね──────────?」
壁ぎわまで歩いて振り向くと、王老師が訊ねた。
「驚きました。ぼくの歩き方は左右に大きくブレているし、上下にも動いて頭がピョンピョン飛び出してしまいます」
「何故そうなるか、分かるかね?」
「ぼくの軸がブレているのだと思います」
「では、君の軸はどうしてブレてしまうのだろう?」
「それは・・・うーん・・・・・・」
呻(うな)ったまま、しばらく腕を組んで考えていたが、
「・・そう、人間は、もともと真っ直ぐ歩ける構造ではないからだ、と思います!!」
やがてキッパリと、自信たっぷりの顔で、宏隆がそう答えた。
「ほう・・それは、どういうことかね?」
「人間の足は体の真ん中にではなく、左右に付いています。足の付け根である大腿骨の上端は、骨盤の左右に大きく離れて付いています・・・ですから、そもそも人間が真っ直ぐに、一直線に歩けるワケがありません!!」
「では、陳はどうして君よりも真っ直ぐに、あまりブレずに歩けるのだろう?」
「それは、きっと陳師兄が、特別な歩き方を修得しているからなのだと思います」
「太極拳には、特別な歩き方など存在しない──────────────」
「で、でも・・・」
「太極拳は特別な武術ではないし、特別な構造など何も無い────────────
そう言ったのを、もう忘れたかね?」
「・・・は、はい、人間はすでに整っている、と王老師は仰いました。でも、どうして陳師兄があんなに真っ直ぐ歩けるのか・・・僕には、そこに特別な歩き方があるのだとしか思えませんでした」
「では、今度は私が歩いて見せよう。正面に立って、よく見ていなさい」
「はい!!」
急いで向こう側の壁へと走って行き、王老師に真っ直ぐに向かい合って立つ。
「良いかね───────もう一度言うが、太極拳に ”特別な歩き方” があるわけではない。
考え方を変えなさい。特別な歩き方を訓練するのではなく、"正しい在り方" を整えていくのだ。太極拳を修得するためには、先ず初めにそれが理解されなくてはならない」
そう言いながら、もう王老師は歩き始めている。
「ああっ・・・す、すごい────────────!!」
人間がこんなふうに歩くのを、宏隆は見たことがない。
まるで水禽(みずとり)が水中の水かきの動きを見せずに静かに水面を移動するような、或いは何かがスーッと氷の上を滑ってくるような・・・或いはまた、列車が真っ直ぐな線路の上を一定の速度で向かって来るような、相対していれば距離感さえ狂わされてしまうような、そんな不思議な歩き方なのである。
さっきの陳中尉の歩き方も、ほとんどブレがない歩き方だと思えたが、王老師の歩き方は、歩いている、歩いてこちらに向かって来る、などという認識を、見ている側から明確に持ちようがないほどなのである。
けれども、かといって頭や肩がまったく揺れていないかと言えば、そうではない。
それらの部位は普通に揺れてもいるし、何より身体が動いているのが見えるので、取り立ててそれを動かさないようにしているとか、故意にブレないようにしている、などといった操作や緊張などは微塵も感じられない。
そして、頭や肩がごく自然に動いているにも拘わらず、肝心の軸はまったくブレることなく、真っ直ぐに移動してくるのだ。
「・・・さて、どうだったかね?」
宏隆のところまで歩いて来た王老師が、にこりと笑って言う。
「こんな動きを、人がこんな風に歩くのを、ぼくは見たことがありません。
どうしてそんな歩き方が出来るのでしょうか。とても不思議です」
「中心だよ───────足で歩くのではなく、中心が使われるのだ」
「中心・・・?」
「そう、人間には構造があり、その構造には中心がある。当たり前の話だがね」
「もしかして、それは ”中心軸” のことですか?」
「・・ほう、日本の武術ではそう言うのかね。私たちは ”上下一条線” と呼んでいるが」
「上下一条線・・・・初めて耳にします。それはどういう意味なのでしょう?」
「そう、それは──────────────
例えば、職人が壁を造るときには、そこらの煉瓦のカケラに糸を結んで錘(おもり)にして、壁の上端に固定して下に垂らす。その糸で鉛直線を出して、それに沿って煉瓦を積んでいくのだ。そうすれば真っ直ぐ立った壁を造ることが出来る。
人間も同じことだ。身体を一本の糸に吊り下げるように立てば、自ずと中心が生ずる。その、上下に一条に張られた線によって認識することの出来る ”中心” で歩くのだよ」
「ああ、とても分かり易いです・・!!」
「その、糸の上端を固定することが、要訣にある ”虚領頂勁(きょれいちょうけい)” の意味であり、糸にぶら下げた煉瓦のカケラは ”気沈丹田(きちんたんでん)” を意味している。上と下で張られた糸───────この二つの要訣をもって ”立身中正(りっしんちゅうせい)” の理解の目安とするのだ」
「虚領頂勁と気沈丹田によって、中心軸が出来ているのですね・・?」
「そのとおりだ。この二つの要訣が理解できなければ、太極拳は何も始まらない」
「王老師・・・虚領頂勁と気沈丹田の意味を、もっと詳しく教えて下さい」
「良いだろう──────────太極拳の学習を始めた頃に、姿勢について細かく注意を受けたはずだ。頭部を真っ直ぐに立てて、頭を低くしたり、俯いたり仰向いたり、左右に傾けたりしてはならない、頭部を真っ直ぐにするために顎を少し内側に収め、目は水平に前を見る、それによって頭部の表面的な姿勢の要求が守られる・・・などということを学んだわけだ」
「はい、そのように教えて頂きました」
「虚領頂勁と気沈丹田は、”中正” という身法を理解するための要訣だ。
中正というのは、太極拳で最も重要な身法の概念だ。太極拳ではいつ如何なるときにも、この中正の身法を要求される。中正が修得されなければ、決して太極拳にはならない。
今喩えた、糸に吊り下げた煉瓦で綺麗な垂直の壁が造られるように、人間の身体も、虚領頂勁と気沈丹田によって正中の、曲がらず、拗(ねじ)れず、偏りのない軸が出来上がる。
虚領とは頭頂を、百会穴のところを虚(きょ)で領(ひ)くという意味であり、頂勁とは上に向かうチカラのことだ。
虚領頂勁の要訣は、頭部の内側の勁をどのように用いるかを示している。それはすなわち、虚で上に領(ひ)く、ということだ。度が過ぎないように、力まないように、虚で領き上げるのだ。もし実(じつ)で領いてしまえば、足許が不安定になる。
上虚下実(じょうきょかじつ)と言って、頂勁には虚が、気沈丹田には実が存在していなくてはならない。このような身法が完成することで、はじめて太極拳は武術として戦えるようになるのだ」
「立身中正こそが、正しい身体軸の有り様なのですね──────────」
「そのとおりだ。しかし、理屈を聞いて分かったような気になるのは容易いが、実際に立身中正を身体で理解するには大変な時間を要する。その為にはまず、正しい立つ位置を確立しなくてはならない。太極拳を始めとする内家拳が皆、站椿を重んじるのはそのためだ」
「先ずは、実際に散々立ってみなくては身体の構造は分からない、ということですね」
「そうだ。站椿で立つことに一体何の意味があるのか。それは自分でひたすら立ってみることによってしか見出せない」
「僕はきちんと站椿を練ってきたつもりで居ましたが、站椿のやり方自体に問題があったような気がします」
「たった今、理屈だけでは分からない、と言ったばかりだが──────────────
本当の立ち方を修得するには、本当の理屈を教わる必要がある。
そして、最も重要な ”立つ位置の秘密” は、君には未だ何も教えていない・・・」
「えっ、そんな秘密があるのですか?」
「正式に拝師入門式を済ませるまでは、それを教えることは出来ない。
それは特別なことではなく、人間が遠の昔に忘れてしまった、身体の神秘だと言える」
「・・そ、それは、自分にも教えて頂けるのでしょうか?」
「教えるとも。君は吾々の後継ぎとして真の教育を受けていくのだ。その内容は、伝承者に選ばれた者だけが研鑽と研究のために与えられる、先人たちによって何百年も掛けて高められ、まとめ上げられた叡知なのだ」
「やはり、秘伝というものがあるのですね──────────────」
「如何なる伝承も、真の伝承は必ず秘密裡に行われなくてはならない。
もし伝承者以外に、その他大勢の立場の人に広くそれを伝えたら、正しい伝承は後世には全く残らなくなってしまう。それを正しく守り、正しく発展させていくことの出来る、選ばれた人だけが、その伝承を授かる資格があるのだ」
「はい、とても気が引き締まる思いです」
「それは途轍もない叡知だ。君の立ち方や歩き方は、それを知識として得るだけで、その瞬間から何もかも変容してしまうことだろう」
「そんなことが・・・・・・・」
「いちばん初めに君が理解しなくてはならないのは、立つ際の身体の正しい在り方・・・つまり、”順身(shun shen)” ということだ」
「順身──────────────?」
(つづく)
*次回、連載小説「龍の道」 第70回の掲載は、8月1日(月)の予定です
2011年07月06日
連載小説「龍の道」 第68回
第68回 構 造(3)
「何故こんなにも足を軽く使えるのか、ぼくは不思議でなりません。
ただ、その軽さを生んでいるものこそが、”正しい位置” なのではないかと思うのです」
「そう、正にそのとおりだが────────────」
王老師は宏隆の感性の鋭さに感心したが、それを表情には出さず、続けて説明した。
「忽雷架を君に見せたのは、それが小架式の内容をよく表しているからだ」
「小架式?・・・忽雷架も、私たちと同じ小架式なのですか?」
「そうだ。小架式の伝承を正しく受けた人間が、他にやることは何も無い。
陳清萍(ちんせいべい)は小架式を四つの練法に分けて、代理架、忽雷架、騰梛架、領落架という架式に創りあげ、各々の架式を和兆元、李景延、李作智、任長春という四人の弟子に託して後世に遺したのだ」
「でも、どうして、わざわざそんな事をしたのでしょう──────────?」
「陳氏の小架式が、それほどの偉大な内容を持っていたからだよ。今日では老架式が陳氏太極拳の大元だと考えられているが、内容的に見ても陳氏の真骨頂は小架式にある。
陳清萍は叔父に小架式を学んでいるうちに、その高度な内容を正しく後世に遺すためには、もっと分かり易い練習法を工夫する必要があると思ったのかもしれない。
小架式は非常に密度の濃い内容を持っている。その途轍もなく緻密な内容を、十三勢というひとつの架式だけに頼って次の代に遺していくには、大いに不安があったのだろう」
「つまり、それら四つの架式は、小架式を展開して特徴ごとにまとめたものである、ということですか?」
「そのとおりだ。逆に言えば、その四つの架式の内容をひとつに纏めたものこそが、陳清萍が学んだ小架式であるということになる。小架式自体を遺していくためには陳復元や陳鑫など、陳有本の直系の人たちが陳家溝に存在していた。趙堡鎮を本拠にしていた陳清萍は小架式のシステムを四つの主要なものに分け、敢えてそれぞれ別の伝承系統を作っておくことで、小架式の真の内容が後世の人間にも解いていけるようにすることが自分の使命だと思ったに違いない」
「すごい!・・・・何て頭の良い人なのでしょう!!、学んだ小架式を練り上げるだけでも大変なことなのに、その内容を分析して四つの架式にまとめるなんて─────────そこまで出来るのは、本当に陳清萍は天才だと思います。王老師・・他の三つの架式も、僕に見せて頂けませんか!?」
「ははは・・・概要だけならやってやれないこともないが、私たちにとっては、それは飽くまでも参考にすべきものだ。それに、吾々の学習体系には既にそれらの架式の特長がたっぷりと入っている。なにせ、私の師爺(Shi-ye=師の師)は、陳清萍に直接学んだ弟子だったのだからね」
「ええっ!・・・で、では、私たちの太極拳は、陳清萍さんの系統も受け継いでいると?」
「そうだよ。だから陳に忽雷架をやらせて見せたのだ。陳が忽雷架を演じられるのは、小架式を正しく学んで、その内容を理解しているからこそ出来ることなのだ」
「ああ・・す、すごい────────本当に、これは凄いことです!」
「ヒロタカ─────陳清萍さんはとても魅力的で、私も歴史や套路の中身を教えて頂くうちにあっという間に虜になってしまったけれど、先ずは站椿が理解できなくてはね」
陳中尉が、笑顔で宏隆に言った。
「あ、はい。王老師、その站椿ですが──────────」
「站椿が、どうかしたかね?」
「はい、今の站椿を拝見して、ただの思い付きに過ぎないのですが、半馬歩というのは馬歩の半分、つまり ”半身(はんみ)” の片側を示している、ということなのでしょうか?」
「ほう──────────────」
思いがけない宏隆の言葉に、王老師は思わず陳中尉と顔を見合わせた。
「ヒロタカ、まだ正馬歩しか教わっていないのに、よくそんなことまで考えられたね」
陳中尉がちょっと驚いたような顔をして訊ねる。
「はい、王老師の半馬歩の、その ”高さ” が理解できれば、その両側を用いている ”正馬歩” も分かってくるのではないかと思えたのです」
「よろしい・・・さっきは忽雷架に脱線してしまったが、半馬歩の站椿に戻ろう」
「はい、お願いします!」
「まず足先を閉じて立つ────────────この時、すでに正しい位置でなければ、そこから先は、何をどれほど工夫しようと、站椿にはならない」
「しかし、その立って居る位置が正しいかどうかは、いったいどのように判断すれば良いのでしょうか?」
「ふむ、そう言いたくなるのも無理はないな・・・
君は、手のひらの上に、箒(ほうき)を逆さまに立てたことがあるかね?」
「あります。子供の頃からよく、そうして遊んでいました」
「ならば話が早い、そのホウキのように立つのだ」
「え・・・?」
「手のひらの上の、逆さまにしたホウキだ。站椿とは、そのように立つのだよ」
「手のひらの上に・・・立てたホウキ・・・ですか?」
「そうだ、別にホウキでなくとも、何でも良いがね」
「うーん・・・・・・」
「陳よ、其処いらにある、棍か何かを持ってきなさい」
「はい、ただいま───────」
陳中尉が走って、壁ぎわに立てかけてあった六尺の棍を取ってくる。
「師父、これでよろしいでしょうか?」
「うむ───────さあ、これを手のひらの上に立ててごらん」
「・・・こうですか?、こんな事くらい、小学生でもやれますよ」
その六尺の棍をピンと張った手のひらに立てて、棒が倒れないように、手足を忙(せわ)しく動かしてバランスを取りながら、宏隆が答える。
「そう、とりあえず棍は倒れずに立ってはいるが──────────しかし、そうしている君自身は、及び腰で忙しそうに動き回っていて、決して武術的に正しく立てて居るとは言い難いだろう?」
「あ・・・・・」
そう言われて、宏隆はようやく自分の姿に気付き、すぐにそれを止めて棍を下ろした。
「だから、そのように絶えずフラフラと歩いていなくては、棍を立てて保持できない」
「はい、そのとおりです。棍を立てていることにばかり夢中で、自分の身体がどのようになっているか、全く気づきませんでした」
「その棍のように───────まるで棍自体が何の支えもなく立っているように、自分を立てて、其処に立つのだ」
「は、はい・・・・」
手のひらの上にホウキを立てることなど、誰にでも造作なく出来ることだが、それが自分の身体の在り方と深く関わっているとは、到底考えが及ばなかった。ましてや武術的に重要な立ち方の要点がそこにあるなどとは、思いもよらなかったのである。
しかし、何度やっても、棍を立てておこうとすればするほど、自分は不格好にならざるを得ないし、とても站椿で立つ正しい位置を探すことなど出来ないのである。
「陳よ、ちょっとお前がやって見せなさい」
「はい────────────」
陳中尉が宏隆から棍を受け取って、すぐにヒョイと手のひらに載せて立てる。
しかし、足がフラフラしないどころではない。棍を載せている手もほとんど動かない。
「ふむ・・・ただじっとしているだけでは面白くない、飛んだり回ったりしてごらん」
さらに輪を掛けるように王老師がそう命じると、中尉は棍を手のひらに立てたまま、その場でピョンピョンと飛び跳ね始めた。しかし手のひらの棍は一向にバランスを崩す気配がない。陳中尉はさらに、スキップをしながら訓練場の中を軽やかに走り回り始めた。
「うわぁ・・・すごい・・・・」
「君も、あんな風にやってみるかね?」
「はい、やってみます!」
見ている分には、中尉がいとも簡単にやっているように見えるので、つい自分も出来そうな気になる。
さっそく陳中尉から棍を受け取って、まずは手のひらに立てた棍を倒さないように、その場でそっと小さなジャンプをし始めるが、すぐに棍がフラフラと倒れそうになるので、とてもリズミカルには飛んでいられず、ヨタヨタしてしまう。
「ヒロタカ、もっと大きく飛んで──────────!!」
陳中尉が声を掛ける。
「は、はい──────────」
そう言われて、より大きくジャンプしようとすると、棍が手のひらの上から飛び上がりそうになるし、何より棍を倒さずに保っていること自体がまったく困難になってくる。
「ほら、頑張って・・・今度はスキップで走ってごらん!!」
「あ、はい・・・・」
その場で飛び上がることさえ、この始末なのである。
スキップで走ればどうなるか、分かりきったことであったが、
「うわ・・わわわっ・・・だっ、ダメだぁ──────────!!」
「ハハハハハ・・・・・」
必死の形相で走り回っては、棍を派手に落とす宏隆の恰好のあまりの可笑しさに、王老師と陳中尉が顔を見合わせて笑う。
「ハア、ハア・・・・駄目です、陳師兄は、よくあんなことが出来ますね・・・」
息を切らせて帰って来た宏隆が、不思議そうに訊ねる。
「ははは・・・えらい目に遭いましたね。でも、あれくらいのことが出来なくては、これからの訓練には、とても付いて来られませんよ」
「でも、どうやったら、あんなことが出来るんでしょうか?」
「要は、立つ位置です。まずは正しい位置で立って、自分が手のひらの棍と一体にならないと、なかなか難しいでしょうね」
「あの・・・つまり、ぼくの位置は全くなっていない、ということですよね?」
「まあ、そういうことになりますか・・・・」
「うーん・・・・」
「さて、立つ位置がまるでなっていない事が分かったようだから、站椿に戻るとしよう。
私のやるとおりに、真似てごらん」
王老師はふたたび、両足を閉じて真っ直ぐその場に立った。
「先ほども言ったが、全ての架式の整備は、こうして真っ直ぐに立つことから始まっている。ただ足を揃えて閉じて、自分で真っ直ぐ立っているつもりになっても駄目なのだ。これには正しい位置があり、正しい構造が理論として存在している・・・分かるかね?」
「はい・・・」
「ここで最も重要なことは、重心(Center of Gravity)が何処にあるか、ということだ」
「重心、ですか──────────」
「質量の中心(Center of Mass)と言った方が、より分かり易いかも知れない」
「質量がそこに集中している、と見なせる中心点のことですね?」
「そうだ。物理学が得意なのかね・・・?」
「いいえ、まったく不得意ですが、台湾に来る前に、ちょうど重心のテストがあったので、偶々(たまたま)憶えていただけです・・・」
「これからは、学校の物理ではなく、自分自身の肉体の物理を嫌というほど勉強することになる。正しく立つためには、物理としてそれを理解しようとすることも大切だ」
「はい」
「質量の中心を自分の身体に探すのは大変なことだ。物は吊り下げればその線上に重心位置を求めることが出来るが、人間は吊り下げるわけにはいかないし、重心点が分かったとしても、実際にそれを感知して使うことが出来るわけでもない」
「・・では、なぜ重心が、質量中心が何処にあるかが重要なのですか?」
「武術では、太極拳では、その位置があらかじめ決められているからだ」
「え、ええっ・・・!!」
(つづく)
*次回、連載小説「龍の道」 第69回の掲載は、7月20日(水)の予定です
2011年06月22日
連載小説「龍の道」 第67回
第67回 構 造(2)
王老師は手を胸の前あたりで抱え、真っ直ぐ伸ばした後ろ足を軸に、前足は軽く半歩前に出して、身体を半身にした恰好で立っている。
「半馬歩(ban-ma-bu)────────────」
怖ろしく強固に見えてはいるが、もし誰かが触れに来れば、何の抵抗もなく、その体勢のまま老師が何処かに動いて行ってしまいそうな軽やかさと・・・・あるいはその強固な印象のままに、触れた途端に弾かれて消し飛んでしまいそうな、そんな得体の知れない、独特のムードが老師の立つ姿態には感じられる。
やってみなさい、と言われるままに、老師の傍らでともかく同じ恰好をしてみるが、王老師の站椿の姿勢は自分のそれと比べれば遥かにポジションが高く、余りにもかけ離れているように見える。
「不思議だ・・・どうすれば、あんなに高い位置で立てるのだろうか───────?」
その姿は、真っ直ぐに高く聳え立つ塔のように、軸足の膝は全く曲がっていないように見えるし、そこから軽く伸ばされている前足もほとんど膝が曲がらず、爪先は床に着くか着かないかのところにフワリと浮いて見える。
言わば、片足に乗ってもう一方の足を軽く出しているだけなのだが、何故あのような高い位置に立って居るように見えるのだろうかと、とても不思議に思う。宏隆はこれまでに何度もその姿を見て識っているはずなのに、未だにその姿がどうにも不思議でならない。
そして、老師の軸は、強靭な一本の鋼(ハガネ)のように見える。
それも、決して頑丈で太い鉄骨のようなものではなく、押せばグイと撓(たわ)み、放せばたちどころに戻ってくるような強い剛性と弾性を持つ、まさにハガネという表現がぴったりの靭(つよ)い軸だと思える。
これと比べれば、自分がこれまで練ってきた站椿などは、まるで重い荷物を抱えたまま、じっと我慢比べをして立っているような、そんな稚拙な力任せのものだったと思える。
何よりも ”高さ” が足りない。どうしても王老師の高さでは立てないのである。
「陳よ、それではまだ低い────────────」
站椿で立ったまま、前を向いたままの姿勢で、王老師が陳中尉に指摘する。
宏隆がふと、”高さ” について想いを巡らせた、まさにその途端であった。
「その位置では、まだ ”構造” は、正しく動いてはくれない・・・」
「はっ、はい────────────!」
陳中尉は慌てて架式を取り直し、姿勢を改めて立つ。
無論、宏隆とは比べものにならないレベルで完成されてはいるのだが、こうして王老師の立ち方と比べてしまうと、やはりまだその高さには到底及ばないように見える。
「第一段階の站椿を練るには、足を横に開いた正馬歩が分かり易い。しかしその先にある、第二段階の站椿を練るためには、この ”半馬歩” が最も適している───────」
今度は宏隆に向かって、王老師が説明をする。
「はい・・・」
「良いかね、正しい ”位置” こそが問題なのだ。人間はすでに立つ位置が決められているのだから、その位置で立たなければ人間としての機能はトータルに生じない。似たような恰好をしていても駄目なのだ」
「決められた本来の位置とは、つまり、無極のことでしょうか?」
「そうだ。しかしその無極は、学習者にとってはただの ”要訣” になりがちだ。
無極とは、守るべき要点ではなく、生じるべき活きた構造なのだ。要訣を守ろうとしていても、実際にそれが起こらなければ意味がない。修正に修正を重ねて、それが自然に生じるよう導いて行くことが站椿の意味なのだよ」
「構造────────────
初めて王老師に套路を指導して頂いたときに、形を真似る本当の意味は、その動作にではなく構造にあるのだ、と言われました。套路は実戦の雛形などではなく、太極拳という武術の構造を身体に叩き込むために創られた形なのだと・・・」
「そのとおりだ、よく覚えていたね」
「・・・しかし、自分には、その構造というものがよく分かりません」
「それはそうだ。それについて詳細に教わらなくては、決して理解は出来ない。
人間本来が持つ構造、とは言っても、今の時代にそれを意識して生活している人など誰も居ないのだから、それを見出せた人から順を追ってきちんと教わるしかないのだよ」
「それは、自分にも教えて頂けるのでしょうか・・?」
「勿論だ。正式に拝師した人間であれば、私はそれを教えることが出来る。
まあ、一度直りなさい────────────」
直りなさい、と言われて、宏隆と陳中尉が申し合わせたように「ふぅ・・・っ」と同時に大きな溜息をつく。時間にしてわずか7〜8分に過ぎないというのに、老師の真似をして立っていただけで、身体中が緊張してコチコチになっている。
それを見て、王老師が言う。
「ははは・・それでは ”放鬆” にはほど遠いな。陳よ、お前にも未だ分からぬか?」
「はっ───────精進が到らず、申し訳ございません」
「放鬆とは寛ぐこと、安心して己の身体に寛げることだ。つまり、安心して寛げるだけのものが其処にある、ということになる。そうでなければ、ただぐんにゃりゆるゆるとクラゲのようになってしまう。放鬆とは単に体の力を抜いて弛めることではないのだ」
「はい。自分の立ち方はまだ何処かで、立ってやろう、こうしてやろう、というような意識が残ります。それが ”力み” であるということは分かるのですが───────」
「立ってやろうというのは、闘いで言えば攻めてやろう、叩きのめしてやろう、ということに繋がる。太極拳ではそのような傲慢さは厳しく戒められなくてはならない。
そうでなくては、”勁” は働らかないのだ─────────」
「はい、まだ自分は、戦闘というものを勘違いしているようです」
「自分が何かを行うのだ、やるのだ、と思っているうちは、大した功夫は育たない。
その大道と共に歩み、その大河の流れに委ねてこそ、真の原理に行き着き、本物の功夫が養われるのだ。何であれ、自分個人でこうする、こう出来る、こうすればきっとこうなる、こうしてやろう、などと思えるうちは未だ未だ人間の程度が低い・・・」
「はい。肝に銘じておきます」
「その ”やろうとすること” が、站椿に於いても正しく立てない状態を生む。
・・どれ、ヒロタカが拝師した機会に、それを二人に細かく教えることにしようか」
こんな機会は、滅多にあるまい────────────
独りで老師に教わっているときよりも、誰かが居た方が自分と比較して、その詳細を解いていける。つまりは、入り組んだ難解なパズルを解くためのカギが増えるのだ。
しかも、老師に教わるもうひとりの人間は、同じ道の先を往く、尊敬する先輩である陳中尉なのだ。宏隆は心が躍った。
「まず、このようにして立つ────────────」
王老師が、足を閉じて立った姿勢から、肩幅よりも狭い並歩(bing-bu)に足を横に開いて示すが、しかし、それを真似た途端・・・・
「違う──────────まず足を横に開くところからして、成っていない!」
いきなり、それがまったく誤りであることを厳しく指摘される。
站椿の形を直してもらうどころではない。
站椿を行うために足を横に開いただけで、もう違っているというのだ。
「架式を甘く見てはならない。架式の整備は、普通に立ったところから、足を横に開いたときから、すでに始まっている」
「はい・・・・」
「もっとよく見なさい。物を見る目ではなく、真理を見る目で ”観ずる” のだ。
記憶しようとしたり、自分なりの判断を挟むのではなく、”本質を悟る眼” を持とうとしなくてはならない。ここで軽々しく足を開けるような者は、軽々しくその術理を欲しがり、軽々しく原理に到達でき、安易に戦闘法を得られると勘違いをする────────────
本物は、真の太極拳は、そんな浅薄なものではない」
「はい──────────!!」
もう一度、老師がそれを示す。
食い入るように、何ひとつ見逃さないように──────────
そして、その全てが自分自身の中に入ってくるように、あたかも老師の身体の中に入ってそれをなぞるように、注意深くチューニングしながら、それを真似る。
「嗚呼、違う・・違うぞ・・・・・」
ただ足を横に一歩開くだけの動作だというのに、身体はこんなにも複雑な動きをしていたとは・・・・よく見れば、よく観じようとすればするほど、老師の動きは、宏隆の想像していたものとは、正反対の理解と言えるほど、まるで違っているのである。
「・・・この、足を開く以前の立ち方こそが、すべてが行われるための、唯ひとつの立ち方であり、この、単に足を開くだけの動作こそ、すべての運動が行われる際の、ただひとつの変化なのだ。心して、理解されなくてはならない────────────」
「ただひとつの、立ち方と、運動・・・・」
「そうだ。太極拳には立つ際に整えられる唯一の構造と、そこから起こるただひとつの構造変化しか存在しない。柔功も、歩法も、套路も、すべては、その唯ひとつの構造を手に入れるために行われるのだ────────────」
これまでに、宏隆は基本功を練るだけのために、一年半という時間をかけてきた。
套路は台湾に来る前に始めたばかりだし、対練なども何もやったことがない。
ましてや、武術としての戦い方など、教わったことがないどころか、果たしてこれが本当に武術の訓練なのかと思えるほど、地味で単調な練習ばかりであった。
無論その基本の中には站椿も含まれていたが、そこで学んだものは、言わば概要であったことが分かる。いま、此処で教わっている站椿は、紛れもなくその内容────────────站椿というものが意味する、真の中身であった。
やがて王老師は、並歩のまま、すぅっと肩の高さの辺りまで両手を挙げて、また腰まで下げる・・・起勢(qi-shi)と呼ばれる、動作を起こす始まりの姿勢である。
しかし、老師のその並歩に開いた両足は、手が上がると同時にサッと爪先が内側に閉じ、次の瞬間には、また元の平行の位置に戻った。
「・・な、何だ、今のは?、あんな足の動きは初めて見る────────────」
もう一度、王老師がそれを示す。
宏隆も真似をしてみるが、足がギクシャクして、一度やっただけで初めの位置よりも足幅が広くなってしまう。それに、王老師は前後へ全くブレないが、自分は爪先を浮かせて動かすために身体を小さく前後に振らなくてはならなかった。
「これは、小架式を学んだ陳清萍(Chen-qing-ping=ちん・せいべい)という人が創り出した練習法のひとつだ」
「陳清萍────────────」
「そう。太極拳の天才、陳清萍だ。
彼は乾隆60年、1795年の生まれで73歳まで生きた。叔父である陳有本から陳氏太極拳を学んで陳氏第十五世として継承し、小架式を元に四種類の架式を工夫して後世に遺した。
今見せた動きは陳清萍が考案した四つの架式のひとつ、忽雷架(Hu-lei-jia=こつらいか)という練法に含まれるものだ」
「フゥ、レイ、ジャ・・・・・」
「忽雷架というのは、突然雷が落ちたような激しい動作をする架式、という意味だ。
この陳は、少々忽雷架の真似事をする───────陳よ、少し見せてあげなさい」
「は、はい──────────では、お粗末ですが・・・」
陳中尉は、一度架式を解いて大きく息をつくと、再び足を平行に開いた。
「ズサッ・・スサササッ・・・ササッ──────────」
「うわぁ・・!!、す、すごいっ!!」
兄弟子の陳中尉が演ずる太極拳を見るのは初めてだったが、何とそれが、自分たちが学ぶ小架式ではなく、陳清萍という、十九世紀を生きた天才武術家が創案した、忽雷架と呼ばれる架式なのであった。
忽雷架──────────まるで雷が突然落ちたような、と形容されるそれは、宏隆の武術的な感性に大きく働きかけてくるものがある。
何よりもまず、足が軽い・・・・
足に重くのし掛かって、その重さや、そこからの反動を使って力を得るような、そんなところが微塵も感じられない。足を踏む度に、その足自体がササッ、ササッと動くのだから、地面を力強く踏みしめていては、抑々(そもそも)そんな動きは不可能なのである。
そこに見える足の軽さは、先ほど王老師が見せた半馬歩の、その站椿の足の軽やかさと同じ種類のものであると思える。つまりは、構造が近似しているのだ・・と思える。
だからこそ・・・その構造が近似しているからこそ、それを自分に示したいが故に、半馬歩の站椿を教授している最中に陳中尉にそれを演じさせ、見せてくれたのではないか・・・
「よし、それまで──────────もう良いだろう」
「すごい・・・!、陳師兄、ありがとうございました!」
「ははは・・・・いやぁ、まったくお粗末で、恥ずかしい限りです」
「いやいや、そう謙遜せずとも良い。お前の忽雷架は中々のものだと思える。
しばらく会わないうちに、ずいぶん功夫を積んだな」
「いいえ、自分はまだまだです。現に師父のような高い位置では、全く立てません」
「それは、ただ放鬆の理解による。いずれ近々、お前にも理解できよう」
「王老師───────────いま陳中尉に見せて頂いた、この足の軽さこそが、立つ位置と、立てる構造と、深く関わっているのですね?」
兄弟子の忽雷架を間近に見て、宏隆は興奮している。
もう我慢ができない、と言わんばかりに、宏隆は王老師に問いかけた。
「ふむ────────────」
(つづく)
*次回、連載小説「龍の道」 第68回の掲載は、7月6日(水)の予定です
2011年06月08日
連載小説「龍の道」 第66回
第66回 構 造(1)
ゆうべ、あんなに綺麗に星が夜空に瞬いていたのに、朝にはもう、今にも泣き出しそうな空模様になっている。
宏隆は、新生南路の森林公園の中を、足早に歩いていた。
昨夜、拝師入門式の後の祝賀会で、陳中尉と一緒に稽古をつけて頂くことを王老師にお願いすると、すぐに笑顔で快く応じて下さった。
今朝はそのために、「白月園」の訓練場に向かっているのである。
昨日とは打って変わって怪しい空模様になっていることが、今の自分にはむしろ好ましく思える。自分の若さが、有り余る元気や可能性ばかりではなく、反対にそれ故の甘さや至らなさを嫌というほど思い知らされている宏隆にしてみれば、これで清々しい晴れの天気でも続いたら、お天道様まで自分に味方していると、嬉しさの延長ですっかり良い気になってしまうかもしれない、と思えてくるのだった。
雨が降り出す前の、少し蒸れ始めてきた公園を歩きながらそんな事を考えていると、傍らの樹の幹にじっとしている大きな毛虫がふと目に留まる。こんなグロテスクな虫が、あの美しい揚羽蝶にガラリと変容するのだと思うと、それが不思議でならない。
この虫のように、どのような物事もやがては変容し、再びまた過ぎ去って行くのが世の常なのだろうか。
そう思うと、自分が王老師と出会ったことや台湾に来たこと、北朝鮮の偽装船から襲撃を受けたり、拉致されて危ういところで救出されたことなどが、日常の世界から見ても決して有り得ないことではなく、すべては自分の生きる姿勢や、人生を歩む軸、己の学ぶべき事によって決定されているのかも知れない、と思える。
刻(とき)は常に移ろい続けている。本当に、この世で永遠に続くものなど何ひとつ無いのだと改めて思えるし、そして、だからこそ、現在(いま)という刻が二度と還ってこないからこそ、人はこの時この瞬間を大切に、誠実に生きなくてはならないのだ。
油断をしてはならない────────────
襲ってくる敵にではない、何よりも先ず、己自身に対して油断を許しているような者に、高度な武藝の真髄など、どう足掻いても修得できるわけはないのである。
気を引き締めて自分自身を観つづけ、己の在り方を自身の光で照らし続けることが出来なければ、王老師のような高みの境地には、いつまで経っても決して届くはずがないのだと、心の底からそう思える。
すっかり歩き慣れた道で、すぐに瑞安街の『白月園洗衣店』の白い看板が見えてくる。
秘密結社の世間向けの顔としてつくられた洗濯屋ではあるが、実際の商売としても大小のホテルを顧客に持つ、台北でもよく知られたクリーニング店であり、大武號の廻漕業と同様に、玄洋會の大切な収入源でもあった。
相変わらず、クリーニング店の朝は早い。
いつもどおりの、大きな洗濯機や乾燥機が回っている音や、シューッというプレスの音、そのスチームに混じって鼻をつく独特の臭い────────────
こんな店の地下に、秘密結社の訓練場があるなどとは、一体だれが想像できるだろうか。
白月園の玄関に近づく前から、もう中の店員が宏隆の存在に気づいて、それとなく表の通りに注意を払っていたが、宏隆自身も尾行が無いことをじっくり確認してから店に入って行き、皆がにこやかに宏隆を迎えた。
「やあ、ヒロタカさん、昨日はおめでとうございました」
「おめでとうございます────────────」
「尾行を確認してから入店して来られるところなどは、もうすっかりウチの人間ですね」
「本当に─────拉致事件からは、さらに逞しくなられましたね」
白月園の中で仕事をしている人たちが、仕事の手を休めては、思い思いに祝福の言葉を投げかけ、笑顔で迎えてくれる。
もちろん、この店の従業員はひとり残らず、全員が結社の人間なのである。そして誰もが年下の新米メンバーである宏隆に一目を置き、尊敬さえしているような接し方をしていた。
「謝謝、シェシェ────────ありがとうございます、よろしくお願いします」
一人ずつに丁寧にそう返して、少し照れながら店のカウンターや作業場を通り過ぎ、廊下を奧へ奧へと突っ切ると、やがて菩提樹が美しく繁った中庭に出る。
「クゥォォン・・・・」
「おお、阿南!!・・・あははは、こら、そんなに舐めるな・・・おい、久しぶりだなぁ、元気だったかい?」
「ワォン、ワォン・・・!!」
「うほほほほ・・・おい、コラ、よせったら!、そんなデカい図体で寄り掛かかられたら、倒れてしまうだろ────────」
犬は自分と気が合う人間をよく知っている。
阿南は宏隆がここに初めて訪れた時以来の、とても良い友達だった。
「ヒロタカさん、お帰りなさい」
「あ、明珠さん・・・ただいま帰りました!!」
このクリーニング店の主人であり、女ながらに地下の秘密訓練場を護っている陳中尉の姉、陳明珠である。
「あらためて、この度は本当におめでとうございます。ゆうべは素晴らしいお式になって、本当に良かったですね」
「明珠さんにもご出席を頂いて、ありがとうございました。明珠さんに来て頂いて、とても嬉しかったです」
明珠さんの、その滲み出る人柄の良さや品の良さに、宏隆はいつもホッとする。
「これでヒロタカさんも正式に私たちの家族ですわね、よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ・・・これからも、どうぞよろしくお願い致します」
「さあ、皆さんが階下(した)でお待ちかねよ──────────」
「えっ?、ぼくの方がよっぽど早いと思ったのに・・・・」
慌てて腕時計を見るが、指定された時間までには未だずいぶん間がある。
「あら、弟は今から一時間くらい前に、老師はその少し前から到着されていますよ。
そうね、大体結社のメンバーは、いつも集合時間の45分くらい前には顔をそろえるわね」
「よ、45分前ですって?、うわわっ・・・たっ、大変だっ!!」
待ち合わせの約束には五分前に、よその家を訪問する時にはかえって五分ほど遅れて行くのがマナーだと思っている宏隆にとっては、45分前というのは全くの常識外であった。
まだ纏わり付いている阿南を慌てて放り出し、中庭を突っ切って ”総機室” のドアを開け、急いで地下の訓練場へと下りて行く。
地下に続く石段は、相変わらず薄暗くて、ひんやりとした独特の空気が漂う。
たとえもし此処を敵が襲ってくることがあったとしても、なかなか下まで降りていく勇気が出ないかも知れない。この秘密訓練場への長い石段は、いつ来ても、どんなに急いでいても、もう二度と地上に戻れないような、まるで何処か異界へと続く階段であるかのような、そんな感覚に襲われてしまう。
「・・やあ、ヒロタカ、ずいぶん早かったですね!」
「お早うございます、今日はよろしくお願いします。
陳師兄こそ、ずいぶん早くから来られていたようですが────────────」
「いえいえ、王老師は、私よりもっと早く到着されていましたよ」
「はい、明珠さんにそう伺って、慌ててすっ飛んできました」
「約束の時間にはまだ早いから、慌てなくてもいいのに・・・・」
「いえ、明珠さんが此処では45分前が当たり前だと仰るので、王老師をお待たせしてはいけないと思って、とても焦って下りてきたのです」
「ははは、姉がそんなことを言いましたか・・・まあ、それは任務に就く者たちの習慣ですけどね。普段はそんなに早く来なくても大丈夫ですよ」
「そ、そうですか────────────」
そう言われて少しホッとしながらも、王老師がどこに居るのか、気が気ではないが、
「老師はもう格闘訓練室で朝の稽古をされていますよ。ヒロタカが来るのを待っていてやりなさい、と老師に言われて、私はここで身体をほぐしていました────────────」
気持ちを察するように、陳中尉が言う。
「そうでしたか・・・」
「まあ、汗でも拭いて、もう稽古着に着替えておくと良いですよ」
「はい」
そんな話をしていると、
「おめでとう、ヒロタカくん────────────」
不意に、誰かが後ろから声をかけた。
「あっ、強さん────────────!!」
徐の兄貴分であった強が、いつの間にか後ろに来ていた。
強と会うのは、あの事件以来、初めてである。
こうして間近に強の顔を見ていると、ついこの間、壮絶な最期を遂げた徐のことを思い出さずにはいられない。宏隆の拉致を指揮した張本人であり、玄洋會に潜入したスパイだったとはいえ、同じ仲間としての時間を過ごした徐を、そう簡単に憎めるはずもない。
そして、兄貴分として慕われ、弟分として徐を可愛がっていた強にとっては、それは尚更のことであった。
「ついに昨夜、王老師に正式に拝師したんだってね・・・・これでヒロタカくんも俺たちの仲間だ、おめでとう!!」
「ありがとうございます。それと、その節は自分の救出をして頂き、本当にありがとうございました」
「うん・・・・大変な目に遭いましたね、もう体調は元に戻りましたか?」
「はい、お陰さまで、三日もしたら元通りに回復してしまいました」
「ハハハ、それは良かった、やっぱり若さだね」
「強さん─────────徐さんのことですが・・・」
「いや・・・もうすべて、終わったことです」
「ヒロタカ────────────強はね、君が拉致された時に、徐のことを見抜けなかったのは兄貴分である自分の責任だから、自分がケジメをつける・・・たとえ北朝鮮に潜入してでも、必ずヒロタカを捜して取り返して来る、と言っていたんですよ」
陳中尉が言った。
「だから最後に、強が自分で徐を撃ったのです───────」
「そうだったんですか・・・・」
「俺は今まで反日感情の塊だったけど、ヒロタカくんが徐に拉致されてから、日本人だろうが何だろうが、同じ志を持つ、同じ結社の仲間だという意識が強く芽生えてきたんです。
そんな私情に左右されているから、徐の正体を見抜けなかった。兄貴、兄貴と慕われて良い気になっていたんですよ。今はとても反省しています。日本についても、もっと拘らずに、正しい歴史を勉強します。これまでの暴言を、どうか許して欲しい──────────」
「許すだなんて、そんな・・・・僕はただ、後輩として強さんにも色々教えて頂きたいと思うばかりです」
「ありがとう、ヒロタカくん」
晴れ晴れとした顔で、強が宏隆に握手の手を差し出した。
「陳師兄、今度いつか、あの海に、お花を捧げに行きたいのですが」
「そうですね、私もちょうど、入門式が無事に終わったら、ヒロタカが台湾に居る間に、みんなで徐の弔いに出かけたいと考えていたところです」
「ありがとうございます」
「みんなで行ってもらえれば、きっと徐のヤツも喜びますよ────────────」
目頭を熱くしながら、強もそう言う。
「そうだ、強さん・・・いつか僕に格闘の訓練を教えて下さい」
「おお、いいとも!、銃では君に負けてしまったけど、格闘ならドンと来いだ!!」
「おいおい、ヒロタカは宗少尉を倒してしまうほどのウデなんだぞ!」
「え?、そりゃ弱ったな、それじゃ俺の立場がまるで無い・・・」
強が頭を掻きながら、笑ってそう言う。
「わはははは・・・・・」
「あははは・・・・・・・・」
「さて、ヒロタカ、そろそろ王老師のところへ行かなくては」
「はい────────強さん、では行ってきます!」
「おう、しっかり学んで来いよ、早く一緒に仕事が出来るようにな!!」
「はい、頑張ります───────────────!!」
「戦闘訓練室」は、地下訓練場の一番奥に設けられている。
この部屋は、射撃場のように入口が分厚い二重の防音ドアで仕切られてはおらず、頑丈な木製の扉になっている。
室内は五十畳ほどはあるだろうか。日本の道場のように、壁に腰板が張られているが、床にはボクシングのリングのようなマットが敷き詰められている。
神戸の南京町の地下訓練場よりも遥かに広く、天井も高く取られていて天窓まで付いている。天窓の位置がちょうど一階の足元だとすれば、この訓練場は地下のかなり深いところに造られていることになる。
中に入っていくと、部屋の中央に、王老師が静かに立ち尽くしていた。
「站椿 ─────────────────」
その端正な姿に圧倒されて、兄弟弟子は、しばしその場に佇んでいたが、
ようやく、
「ただいま参りました・・・」
二人揃って師から少し離れたところまで進み、
跪いて、深く頭を下げ、そのまま師の言葉を待つ─────────────────
王老師が独りで站椿を練っているところを、宏隆は初めて見た。
「何という、整った姿勢なのだろう・・・」
自分は、とても、こうは立てない───────
自分の站椿の姿勢とは、全く何もかも、形さえ違っているように見える。
しかし、これこそが紛れもない、真の站椿のあり方に違いなかった。
もちろん、自分も站椿は指導されている。
けれども、その指導された姿勢と、まったく同じものであるはずなのに、
どうしてこんなにも、自分のかたちとは異なって見えるのだろうか・・・
そう思った途端、
「一緒に、やってみなさい──────────────」
立った姿のまま、王老師が静かに声をかけた。
(つづく)
*次回、連載小説「龍の道」 第67回の掲載は、6月22日(水)の予定です