*甲高と扁平足

2009年09月24日

歩々是道場 「甲高と扁平足 その6(最終回)」

                     by のら (一般・武藝クラス所属)


 さて、長々と書いてきたが、そろそろ纏めをしていきたい。
 先ず、脚(ジャオ)の役割とは、いったい何であるのだろうか。

 言うまでもなく、脚(ジャオ)の機能とは、「身体を支持すること」と「身体を推進すること」のふたつの事のためにある。
 人の身体の重さは、背骨から骨盤、大腿骨と脛骨を経て脚部の距骨(きょこつ)に乗り、そこから踵骨(しょうこつ)に約77.5%、中・前足部には約22.5%と、前後に分かれて重さが伝わる構造になっている。
 しかし、おそらくそのような人間本来の構造通りに、距骨まで真っ直ぐ綺麗に立つことのできる人などは、現代に於いては極めて希であるに違いない。
 多くの人は実生活に於いて「正しく立つこと」の意識を全く必要としないはずで、各人が最も都合のよい、歩きやすく動きやすい体軸を造り、それを用いながら日常を送っている。
 一般の人が取り立てて「ヒトの正しい構造」を気にする必要など、普段の生活には全く存在しないと言って良い。

 そしてその事は、武術を学ぶ多くの人にも、同じことが言えるかもしれない。
 一般人が「真正な体軸」に対して無知で無意識であるのに対し、武術を学ぶ人の場合は、これこそが武術的であると各自が信ずるところの情報をもとに、意図的にユニークな構造を造り、それをもとにして鍛錬しているのであろうが、それゆえに、ヒトとして本来備わる「正しい構造」を失ってしまっている可能性が無きにしもあらずである。
 そして、それらの「真正な体軸」からの逸脱は、直立静止状態から歩行動作へと、裸足からヒール付きの靴や特殊な靴を履くことへと、あるいはまた、一般日常的な運動から特殊な武術運動へと変化することにより、さらに顕著になっていくに違いない。

 武術を高度に発展させてきた先人たちは、その「思いこみ」と「正しい構造」とのギャップを埋めるために、実に様々な工夫を重ねてきた。

 たとえば、武器の訓練・・・
 片手に武器を持つ、片手ずつ武器を持つ、両手で武器を持つ、重い武器を持つ、
 長い武器を持つ、重くて長い武器を持つ・・・

 たとえば、站椿・・・
 床の上に立つ、杭の上に立つ、煉瓦に立つ、片足で立つ、椅子に座ることで立つ・・・

 たとえば、数多い推手のバリエーション・・・ 

 そして、十三勢套路の訓練段階・・・・

 それらの練功の目的が、何を差し置いても、その日常的に思い込んだ勝手気儘な体軸を「正しい構造」へと修正するための工夫であり、常に、一瞬たりとも其処から外れぬように工夫された「立ち方」と「動き」であるのだとすれば、それら多種多様な練功の存在にも、自ずと納得がいく。

 では、武術に於ける、脚(ジャオ)の役割とは何か・・・
 それは、ヒトとしての「正しい構造」を受ける最下端の部位として、その正しい構造が失われないようにするための、ある重要な役割を担っている。
 この地上に存在する限り、ヒトには「重力」が働いているので、当然ながら最下部の脚(ジャオ)は最も重さの負荷が掛かってくる所となり、そこは常に重さに喘ぐことを余儀なくされている部位でもある。
 子供に簡単にその部位の形を描かせると、大抵は「L字形」に描こうとする。
 これは、降りてきた脛の骨がL字形に曲がって、指先の方向に伸びているようなイメージを持っているからであり、実際、多くの人は大人になっても中々そのイメージが抜けない。
 しかし、骨格図や骨格模型を見れば、脚(ジャオ)は「逆Y字形」に浮かされている形であり、重さが直接地面にぶつからないように工夫されている。その工夫こそが「土踏まず」と呼ばれる「空間」なのである。

 この、脚(ジャオ)がL字形ではなく、逆Y字形に造られているというのは、武術的に見て、とても重要なポイントであると思う。
 骨盤から股関節を経て、スネの太い骨が降りてきたところには「距骨(きょこつ)」という、一番初めに重さを受ける骨があって、そこから前に向かって中足部のやや大きい骨があり、さらに指の骨である前足部が前に伸びている。
 また、距骨の後ろにはカカトの骨である「踵骨(しょうこつ)」があり、逆Y字形の後ろ側を担う骨として備わっている。

 この「逆Y字形」を保つために、土踏まずには実に100本以上もの靱帯が付いている。
 また、脚(ジャオ)の足底部には、最も浅い第1層から、最も深い第4層まで、四つの層に11種類の主要な筋肉が巡らされ、それらの内在筋はすべて『足指関節の内転・外転・屈曲・伸展の作用』のために用いられ、同時に足底のアーチを支持する役割を担っている。
 このように、脚(ジャオ)は逆Y字形を維持するために、多くの靱帯と筋肉が骨格を支えており、本来ヒトの脚は「扁平足」ではなく、「土踏まずのアーチ」が正しく保たれてこそその機能をトータルに発揮できる ”構造” になっていることが分かる。
 つまり、骨格の崩れや歪みによって生じた「扁平足」は、ヒトにとって決して正常な状態ではなく、扁平足では十全にヒトの構造を使うことが出来ないのだ。

 よく、「扁平足」でありながら立派な記録を出す陸上選手の話題が出ることがある。
 だからと言って、末續選手のように扁平足でなければ、あのようなレコードを出せないというわけではない。現に、カール・ルイスやロロ・ジョーンズなども、ごく普通の足裏をしている。反対に、それが正しいアーチ構造が失われた「真性扁平足」でない限り、足裏が地面に着いてしまった状態が絶対に駄目だというわけでもないと思う。
 しかし、統計を取ったわけではないが、著名武術家、武道家、関取、スポーツマンなど、数十人の脚(ジャオ)を写真等で観察する限り、優れた構造や運動をする人たちは扁平足でない人が殆どであると思える。
 脚(ジャオ)の骨格や足裏の筋肉群の状態は、その人独自のトレーニングのスタイルによって生じた、その人の運動スタイルや、運動の経歴の現れであると言えるだろう。


 先ごろ結婚したモーグル選手の上村愛子さんは、ひどい「外反母趾」だったという。
 彼女が3歳から住んだ白馬村は1年の半分近くが雪なので、お洒落にハイヒールを履いて歩けるワケもなく、それは西洋式の靴の所為ではない。

 彼女の外反母趾の痛みを大きく軽減したという特殊な「インソール」の謳い文句には、

【土踏まずを正しい形で支えると、足の機能が良くなって体のバランスも整っていきます】
・・とあるが、これを反対に、

【身体をバランスよく正しく整えれば足の機能が回復し、
  土踏まずも正しい形になって、きちんと身体を支えられる】
・・と言い換えることもできる。

 言うまでもないが、高度な運動に於いては、靴をどうするか、道具をどうするかではなく、先ずは、身体の構造がどうか、ということこそが問われなくてはならない筈である。

 先述の通り、外反母趾は扁平足と同じ、脚の「構造の崩れ」によるものであり、足を酷使するモーグルで、間違った脚の使い方を続けていた為にそうなってしまったのだと推測される。そしてそれ故に、期待された割には成績が伸び悩んでいた。

 それまで「エアー技法」に拘っていた上村さんは、ソルトレイクで金、長野で銀を取ったフィンランドのモーグルスキーヤー、ヤンネ・ラテハラに師事することで、ターンの技術とスピードの向上を求めて走法そのものを見直し、徹底的に走法の改善を図り、その結果、ワールドカップ通算6勝、年間総合女王の座を掴むことになったという。

 この、「走法の改善」というのは、太極拳で云うところの「歩法の理解」に相当する。
 つまり、飛び上がって空中で演技をする「エアー」への拘りを捨てて、地に足を着けた「立ち方」「滑り方」という基本が見直されることによって、上村さんは飛躍的な進歩を遂げた、ということになるだろうか。

 これは、武藝館に入門してくる他門派の猛者が「パワー」や「スピード」に拘り、その挙げ句、母親のような年齢の女性に対練で吹っ飛ばされ、小柄な年下の女性に散手であしらわれてひどく落ち込み、ようやく「歩法」を本気で学ぶ気になる・・ということと似ている。 
「立つこと」と「歩くこと」の基本が理解出来ていなければ身体は歪み、当然のこととして構造は崩れてくる。それはスポーツでも、武術でも、同じことなのだと思う。


 太極拳では「十趾抓地」と言う「足の指で地面を掴むかのようにする」などと云われる要訣が知られ、格闘技やスポーツの世界では「母趾球に力を入れる」とか「母趾球が足の中心である」などという考え方もよく聞かれる。あるいはまた「足裏の筋肉を多用する」とか、「足の指をフル活用して動かすことが拳理の妙諦に繋がる」などと云う人も居られるようだ。
 しかし、何を差し置いても先ず、本来のヒトの脚(ジャオ)の役割とは一体如何なるものなのか・・それを識らず、それが解らずには、何も始まらないと思える。

 その、ヒト本来の構造・・・チンパンジーやゴリラ、猿人、原人などの構造から、現在の私たちの、完全な二足歩行を可能とする「構造の違い」が無視されたままでは、如何に高度な鍛え方や使い方をしようと、それがある特殊な運動能力の一助にはなったとしても、決して「人間の機能」としての、高度でトータルな使われ方に発展できるはずは無い、と私には思える。
 そして「高度な武術」とは、取りも直さず、二足歩行が可能な「ヒト」でありさえすれば、本来誰もが等しく有する、ありのままの自然な構造を用いて、その機能を限りなく高度に研ぎ澄ませていったものではないかと思えるのだ。

 「ヒトの存在は、それ自体が奇跡なのだ・・」と、よく師父が仰る。
 人間は、その存在という名の奇跡を、ごく当前の成り行きであると勘違いしてか、絶妙なバランスによってようやく保たれているその奇跡を、あまつさえ自分勝手に解釈し、崩し、壊し、他のものと取り替え、要らぬものをわざわざ付加したりする事で、それを研究や進歩、成長や発展などと勘違いしがちである。
 古今東西の賢者や聖者たちは、その傲慢さを超えて人間本来の在るべき姿に目覚めることを様々な立場から説いたが、太極拳もまた、優れた先達賢者たちによって、天理自然に見る普遍の原理から人の本来の在り方が詳しく観照され、人間の精神性と身体機能が本来在るべき姿として宇宙自然の理と調和することによってこそ、高度な武藝原理が創出されると達観されたものだと思える。

 師父は私たちを指導する際に、「何を足しなさい」とも言わないし、「何を引きなさい」と言われるわけでもない。能く能く考えてみれば、ただ「ヒトの本来在るべき姿」を見出し、その構造に還り、その本来の構造を武術として高度に磨いて用いることこそが、この道場の稽古に於いて求められていることであった。
 そして、今や内外に多くの人々が知るところとなった、師父の驚嘆すべき太極拳の功夫、その武藝=武功藝術は、すべてそのような考え方のもと、ただそれだけの事を、四十年もの永きに亘ってコツコツと根気よく求め、築き上げ、練り上げて来られたものに違いないのである。


 実は、太極武藝館には、今まで誰も語らなかった「太極拳の構造」が存在している。
 武術雑誌のバックナンバーを何十冊となく読み漁っても、神田の書店街の武術コーナーにあるほとんどすべての本を読み尽くしても、何故か、それを記したものは一冊も、一行も、唯の一言も存在しない。不思議なことに、それを仄めかすような記述さえ皆無なのである。

 しかし、武藝館で行われている全ての練功は、その「誰も語らなかった太極拳」の構造のためにこそ存在している。一般クラスの稽古で、拳学研究會で、正式弟子の厳しい訓練で、等しく行われているそれらの練功は、そのシンプルな「構造」のためにこそ、存在しているのだと思える。

 脚(ジャオ)は、その「誰も語らなかった構造」の、重要なヒントである。

 ヒール付きの靴を履いただけで、容易に失われてしまう、その構造・・・
 階段を昇降しただけで、容易に崩れてしまう、その構造・・・
 金剛搗碓で、片足を挙げただけで、消えてしまう、その構造・・・
 跌叉式で、床に座っただけで、雲隠れしてしまう、その構造・・・
 それを正しく知らぬが故に錯覚してしまう、落下や蹴りなどの拙力の構造・・・

 脚(ジャオ)は、それらを正しい構造に導いてくれる、大きなヒントであると思う。
 長々と ”甲高と扁平足” を、このブログに書き連ねた理由も、そこにあった。

 この最終稿に目を通された師父が、ポツリと、武術的に「立つこと」とは、「立つ」という言葉で表現していては分からないかもしれない・・と仰った。
「立つこと」は、「立つ」と表現するから理解できないのかもしれない、と仰るのである。
 ならば、その「立つこと」とは、いったい何を意味するのか・・?

 私にとって、それを探求する旅は、まだまだ果てしなく続いてゆく。


                                  (了)

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2009年08月17日

歩々是道場 「甲高と扁平足 その5」

                     by のら (一般・武藝クラス所属)


 初めてスケート靴を履いて、氷のリンクに立った時のことを思い出した。
 これぞ、まさに非日常的だと思える、たった一本のエッジが縦に付いた変テコな靴(しかもヒールまで付いている!)を履いて、鏡のように磨かれたツルツルの氷の上に、恐る恐る、壁を伝いながら入って行く・・・
 手すりに縋(すが)っているにも関わらず、氷の上に立っただけで、足は勝手に滑って動こうとしてしまう。ようやく勇を鼓して手すりを離れることが出来ても、一体どこを捉えて歩けばよいのかが分からず、腰は砕け、膝は笑い、尻を突き出した惨めな恰好のまま一歩も動けない。もし上手な人を真似て無理に前に進もうものなら、あっと言う間に転んで、尻餅をつく羽目になる・・・

 こんな時、私たちはどのようにして氷の上で歩けるようになり、颯爽と滑れるようになるのだろうか。一般日常的な、気ままに養ってきてしまった凡庸な身体を武術的な高度なものに変容していくには、それと同じようなプロセスが必要とされるのだと思う。

 普通の地面や床で、氷のリンクに立っているような体の状態の人は先ず居ないだろうが、靴のカカトに少しでもヒールの高さが付いていれば、それだけで必然的に「下り坂」を歩むような体軸になる。面白いのは、ほとんどの現代人は、たとえ底がフラットな靴で平地を歩いていても、相変わらず「下り坂」の体軸のままであるということだ。
 もはや現代人には、本来あるべき「ヒトの構造」で正しく歩ける人など、極めて希なのではないか、とも思える。

 その現代人の歩く姿を観察していると、脚のつま先が外側に開き、土踏まずや足指の付け根をベッタリと潰し、膝は曲がったまま上に引き上がらず、胯(クワ)の大転子(だいてんし)の辺りを回転させながら体が左右に振れ、肩を揺すり、やや脊柱が前彎気味に、ちょっと後傾するような恰好で、身体を前に落下させつつ、アシを引き摺るようにして歩く・・・といった特徴の人が多く見られる。 
 男女を問わず、ヒール系の靴を履いている人は、つま先の方に重さが集まるような歩き方をしているが、実は接地時にはカカトにも結構大きな衝撃が来ている。おそらく裸足で平地を歩いてもそのような体軸は変わらず、つま先まできちんと脚を使えないような構造になっているはずである。下手をすると脚の指を動かす事さえ上手く出来ない人も多いのではないだろうか。
 そこでは、落下してくる身体の重さを、太腿の前と外の筋肉、つまり大腿直筋や大腿筋膜張筋で支えながら、脚(ジャオ)の外側の第四趾や第五趾あたりの【アウトエッジ】のラインが多用されて、外踝(そとくるぶし)の骨である腓骨(ひこつ)や、それに付随する腓骨筋(ひこつきん)を頼りに、前に落下する身体を支えては、再び上へ蹴り戻すようにして歩いている状態が多く見られる。
 そう言えば、入門間もない初心者は、よく「外踝に乗っている」と指摘される。外踝に乗ったり、そこにズルズルと重さが流れてしまうことを注意されるのである。

 しかし考え方は色々とあるもので、そのように脚の外側、つまり【アウトエッジ】に乗ることこそが「正しい立ち方」であり「正しい歩き方」であるとして、その体軸で歩くための”革命的な靴” をわざわざ開発した人まで居る・・ということを耳にした。
 その人は、オリンピック選手や野球やゴルフの有名選手たちをコーチし、《足に掛かる衝撃力の方向性や大きさを変えることで、関節や筋肉のアンバランスを解消する目的》で、《カカト、第四趾、第五趾を中心として立つことが出来る》ような靴を造ったということで、”甲高&扁平” を諄々と書いている者としては少々興味が湧いた。
 また、陳氏太極拳老架式の「正しい馬歩」が、それと全く同じシステムであるとする考え方もあるそうだ。そのように、コトが武術や太極拳に関係してくると、たとえ”親戚”の老架式のハナシとは言え、やはり関心を持たざるを得ない。
 もし私たちが、そのような【アウトエッジ】の構造になったら、果たしてどのようなコトになるのだろうか・・・?


 そこで、またまた「実験」をしてみることになった。
 今度は数人のスタッフが対象ではなく、ある日の「一般クラス」の稽古に参加していた、総勢17名の門人たちに協力して頂いた。
 とは言っても、件(くだん)のオリンピック・コーチさんが開発した「特殊な靴」はオークションでも価格が1万円以上するので、実験では【アウトエッジ】を半ば強制的に生じさせることが出来るようなものを、私なりに工夫することにした。

 もちろん、その特殊な靴を履くことで起こる現象と、今回私が工夫して生じた体軸が同じであるとは限らない。しかし、そこで造り出した体軸は慣れない【アウトエッジ】で歩くことをとても自然に生み出してくれたし、普段では有り得ない「大転子(だいてんし)」の軸を造って歩くことも可能となった。
 これは、そのコーチさんが言われる《大転子の垂直下に膝関節と外踝が並ぶコト》と近いので、まあ、中らずと雖も遠からず・・ではないかと思える。
 この「大転子」とは、股関節のすぐ下側の、大腿骨の上端が角度を付けて外に出っ張っている部分のことである。

 なお、実験に協力をお願いした門人たちに先入観を与えないように、何を実験するのかという事も、何の為にやるのかという目的も一切明らかにはせず、正誤や良否の観念も全く与えないように心掛けた。そして、目的は後で説明するので、ただひたすら黙って実験に協力してもらいたい、とお願いをしたのである。


 まず初めに、各自が初心に戻った体軸で、勝手気儘に歩いてもらってウォーミングアップをする。特に武藝館で学ぶ太極拳の軸を意識せず、入門前の普通の人に戻って、ごく普段の、散歩や買い物でもしているような気分で、できるだけ無意識に歩いてもらった。
 予め自分で実験内容を試してみた結果、そうしなくては、普段の稽古の軸が過剰反応して、とても実験にはならないと思えたからである。

 次に、添付写真の如く、足指の又に挟んで指の間を開く、ウレタン製の「足指くん」とかいう名の健康グッズを、指一本分ずつバラバラに切ったものを用意する。
 これはドラッグストアなどで数百円程度で売っているものだが、何でも外反母趾や水虫にまで効果があるらしい。

 バラバラに切ったそのパーツを、両方の脚の、第四趾と小趾の間にひとつずつ着ける。
 そして、門人たちに先入観を与えない為に、『コレを、ただ指の間に挟んでください』とだけ告げた。
 これで準備は整ったので、まず手初めに独立式(ドゥリー)、つまりその場での片足立ちをやってもらう。立つ方の足は膝をピンと伸ばし、身体を弛ませず、キチンと立つ。

 さーて、お立ち会い・・・
 実際に試して頂ければ分かるが、たったこれだけのことで、立ち易いはずの「利き足」でも、片足ではとても立ち難くなり、すぐにもう一方の足を下ろしたくなってしまう。
 人は誰しも片足で立ち易い方と、立ち難い方があるものだが、この場合、普段から立ち難い方の足など、膝を伸ばせと言われても伸ばすことさえ儘ならず、四苦八苦でどうしようもない。
 道場では、『エエ〜ッ?』『た、立っていられないっっ・・』『アレ?、何故だ・・!』『何だ、コレは・・?』『・・あ、駄目ですねコレは』などという嘆きの言葉が飛び交い、ちょっと騒然となる。


 お次は、それを指に挟んだままで、歩いてもらった。
 ちょうど、そのウレタンの切れ端を足指に挟んだ所から、スケートのエッジがカカトの方に伸びていることをイメージしてもらって、そのエッジに乗る気持ちで歩くのである。
 これぞ、まさに【アウトエッジ】である。

 すると・・・嗚呼、道場は、まるで「アウストラロピテクス」や「北京原人」の群れが行進しているかの如く、みな腰を反り、お尻を突き出し、胸を張り、或いは背中を丸めて尻を巻き込み、つま先を外側に開いて、たっぷりと大腿直筋や大腿筋膜張筋、腓骨筋などに乗りながら、ロクに膝を上げることもせず、重心を前に落下させながら、ヨタヨタ、フラフラ、ノッシノッシ、と歩くではないか・・・!!

 いや、決してオーバーに書いているのではない。この実験の様子はすべてビデオで録画してあるが、何度見ても、ちょっと信じられないような光景である。
 門人たちが、まるで示し合わせたように猿人や原人になったような恰好がこの道場で見られるとは・・・太極武藝館が始まって以来の珍事・・『猿の惑星・すげ〜館編』であろうか。
 観ているスタッフは笑いを堪えきれないが、当の門人たちは自分たちを襲った思わぬハプニングに苦笑しながらも、それを楽しみつつ、一生懸命マジメに歩いてくれている。


 次の実験では、もっと極端なことをやってもらった。
 それは、前々回にご紹介した「足半(あしなか)」を使って、その鼻緒を、先ほどと同じく、両脚の第四趾と第五趾の指の股に挟んで歩いてもらうのである。

 これは、予想したとおり、もっと大変なことになった。
 今度は、まるで「ネアンデルタール人」の群れが、下り坂を転がらないように気をつけながら、ノッシノッシと歩いているような光景に見える。
 スタッフの誰かが『これぁ、まるで、花魁(おいらん)道中みたいでありんスねぇ・・』と感想を漏らし、皆が笑う。・・なるほど、オイラン道中とは言い得て妙であるが、これでは悩み多き「ナヤンデルタール人」と言うべきか。

 しかし、その歩き方は何処かで見たような覚えがあった。そう、それは、初めて氷のリンクでスケート靴を履いた初心者が、ようやくヨチヨチと歩き始めた時の恰好と似ている。
 初心者はスケート靴のエッジを真っ直ぐに立てるのが難しく、膝を寄せるように内股になって、エッジが内側に寝てしまう。それが何故なのか、これまでに考えたこともなかったが、今回の実験によって、それが太腿の前面や側面の筋肉が緊張した為に、アウトエッジに乗ってしまった故だということがよく分かった。
 アイス・スケートのエッジは鼻緒のライン、つまり「インエッジ」に付いており、アウトエッジに乗ってしまうと、それこそアウト・オブ・エッジで、その真下には何も支えるものがなく、そのラインでエッジに立とうとすると、必然的に靴は内側に傾いてしまう。
 また、そこで立ったままでは前に進みにくいので、普通はちょっと胸を落とすように前に出して、重心を前方にずらすようにして進もうとしたくなるのである。

 さて、下り坂の「オイラン・ナヤンデルタール人」たちは、まず身体に普段の稽古の伸びや張りが見られない。そして見た目にも全く弸勁(ポンジン)が感じられない。全身が弛んでモモに乗るか、上半身が緊張したままモモに乗るか、いずれにせよモモに乗ることが強調されて見える。
 その恰好は、全員、足のつま先が開き気味になり、アウトエッジに寄り掛かるように、その軸を頼りに、アウトエッジという名の杖にすがるように歩いている。先ほどのウレタンのカケラを足の小趾に挟んだのが効いているのか、特にそのエッジを意識して歩いて下さいとお願いしているワケでもないのに、まるでそこにはそのエッジしか無いような歩き方をしているのだ。

 そして、誰もが普段よりも足の横幅を大きめに開いて、なぜか腕を大きく振り、X脚のようなアシで歩いている。もう「開寛屈膝」の要訣などは何処へやら、胯(クワ)や骨盤、尻は見事に縮み、転腰などは全く効かず・・・というか、それ以前に腰そのものが動いておらず、特にクワは外へ外へと流れ、股関節ではなく「大転子(だいてんし)」にしっかり重さが掛かっているように見える。
 実は、この「大転子」のすぐ側には「大腿筋膜張筋(だいたいきんまくちょうきん)」という、凡庸な日常の運動構造には常に影のように寄り添う、初心者がたっぷり使ってしまうお馴染みの筋肉がある。
 余談ながら、師父はこの「大転子」を用いた体軸のことを ”マイケル” と呼び、稽古中にジョークを交えながら度々言及される。


 最後に、馬歩(ma-bu)で「站椿」をしてもらった。
 老架だろうが、小架だろうが、陳氏太極拳を学んでいる人には、これほどお馴染みのポーズも無いだろう。

 私たちの馬歩では、脚(ジャオ)は平行に前方を向く・・・はずであったが、普段と違って、だれも脚を平行にしていない・・・いや、できない!
 それどころか、キチンと馬歩になって下さいと言った途端に、何人かが馬歩の恰好のまま、突然、後ろに走り出したり、飛び上がったりしてしまった!!
 つまり、立てないのである。正しい軸が立たない、と言った方が正しいかも知れない。
 実験をしてくれている門人からは、さすがに悲鳴が出る・・・

 しかし、心を鬼にして、更にそれに【アウトエッジ】を意識して立ってもらう。
 脚(ジャオ)の第四趾と第五趾からカカトに到るエッジを意識してもらい、そのラインに乗って馬歩の架式を取ってもらうのだ。
 すると、走り出す人は、やはり後ろに走り出し、飛び上がる人はひどく飛んでしまうが、何とか立つことを保っている人も、普段の馬歩とは見た目がまるで違って見える。
 懸命にその軸の中で「馬歩」の構造を整えようとしているのだが、腰が反って尻を突き出し、胸を張り、胯(クワ)は閉じ、肩はイカり、肘は上がって、いつもの稽古の恰好にはほど遠い。普段では考えられない自分のヘンテコな恰好に、もう誰もが笑っている。


 ・・・そこで、今度は、
「その身体で、最も楽だと感じられる、最も立ちやすいところで立ってみてください」
 と、お願いしてみた。

 すると皆、自分がその馬歩の中で楽な姿勢を探し始めて・・・
 やがて、しばらくすると、全員が見事に同じような恰好になったので驚いた。

 その恰好は、やや胸が張られ、骨盤を巻き込み、膝を前方の下に落とすように出し、大腿四頭筋や腓骨筋に重さが集まるような恰好で、地面に杭を打ったように立っている。

 しかしそれは、どこかで目にしたコトのある、見覚えのある「馬歩」であった。


 すべての実験を終えて、みんなに感想を聞いてみた。

 以下は、撮影ビデオからテープ起こしをした、門人たちのありのままの感想である。
 少々長くなるが、貴重なナマの意見なので、ここに載せることにした。

 『馬歩を取ろうとすると、大腿部の外側が突っ張って安定しないので、膝の内側で支えて、バランスをとろうとする。深い馬歩になれない。骨盤が締まるような感じで、膝が内側に入って、お尻を突き出してしまう』

 『何をやるにもシックリこないので、足や腕でバランスをとって操作するしかなく、ひどく疲れた。この実験は、大腿部の外側を多用せずには、何ひとつ出来なかった』

 『馬歩をとろうとすると、胯(クワ)が開かず、大切なポイントが全く使えないので、大腿四頭筋で支えるしかない。下半身の筋肉の充実感はあるが、歩法の時は足だけで進んでしまって、上半身が何をしていいのか分からない。大腿筋膜張筋の辺りが痛い。
 脚(ジャオ)は小指側に乗って、親指側が浮いてしまうほどだった』

『ダメな体軸の見本のようだ。このまま続けたら、明日が大変なことになると思う。
 まるで身体の中が空っぽになったような感じだ』
 
『馬歩をとった時に、馬に跨るというよりも丸木に跨っているようで、膝が外へ出よう出ようとしているのを、なるべく内側へ保とうとするので、膝が緊張して疲れた。
 骨盤や仙骨の周辺も、緊張してひどく疲れてしまった』

『馬歩の時に、脚の裏側(大腿二頭筋)が全く使えなかった・・』

『せっかくこれまで稽古で造ってきた軸が、今日で全て壊れてしまいそうです』

『骨盤が固まったような感じで、いつもの馬歩をとろうとすると、重心がズレて後ろへ崩れていくしかない状態になる。つま先は外旋したがるが、外旋しないように平行にするとますます骨盤周辺が固く締まって、胸が張ってくる』

『全ての動きがやりにくかった。外側のエッジが強調されたことで、大腿部の外側(大腿筋膜張筋)を使ってしまうのだが、これまで体験したことのない、一種の球のような張りが出てくるような感覚がある。一見、弸勁(ポンジン)と思えるようなものが出てくるので、大変な勘違いをしてしまう人も居るのではないだろうか。
 アウトエッジに乗っては片足で立つことは難しく、脚から股関節に至るところが全く捉えられず、中心というものが生じない』

『かつて柔道や空手をやっていた時のように、自然にガニ股で歩いている。
 胃腸が重苦しいような感じで、とにかく身体が重い。馬歩では前傾しないと立てない。
 自分は、柔道ではこうやって相手と組んでいたのだと思える。そういえば、当時は靴の外側ばかりが減っていた。
 後ろ向きで走ってみると、坂道を後ろ向きで走っているように、勝手に後ろへ進んでしまうので、怖くて仕方がない。真っ直ぐに立てず、大腿四頭筋がバンバンに張ってしまった。
 勝手に脚が動くので、上半身は無くてもいいような感じで、身体がひとつにならない』

『歩くと、胯が動かない。馬歩をとると、後ろから押されるように前傾してしまう。片足では絶対に立てない。外側の感覚が強くなり過ぎて、内側が感じられない』

『扁平足だった頃のように、ベタッと脚を潰して歩いている。頸椎や腕が重く、特に親指の付け根が重い。骨盤周辺と大腿部の外側(大腿筋膜張筋)が重だるく、脛が緊張している。
 馬歩では骨盤が開けず、膝が内側に入ってしまい、後ろに倒れてしまった。
 片足では立とうとすると、軸が後ろの外側にズレてしまって、非常に立ち難い。膝が常に折れた状態で、特に小走りすると、肩胛骨と骨盤がズレてうねってしまい、脚と上半身がバラバラに動くようだ。後ろ向きに歩くと、徐々に内股になってしまう』

『脛が力んで、仙骨周辺が緊張して、全身が緊張して歩き難い。
 前に歩き難いので、手を大きく振って、その力で脚を進めていこうとした。
 馬歩では、大腿四頭筋から膝へ内側に向かって捻られるようだ。片足になっても、身体を捻って立たなくてはいけないので、長く立つことはできない』

 ・・・等々である。



 さて、実際にはこの実験は多岐に亘って行われ、ここに書かなかった内容も沢山ある。
 それらの実験では、実に多くの驚くべきことが発見されたが、当門の秘伝に関わるコトも多々含まれている、と注意を受けたので、ここで公開するわけにはいかなくなった。

 この実験を行ったのは、【アウトエッジ】で立って歩くことが正しいかどうかを確かめたかったからではない。人には様々な考え方があるが、それを否定するのではなく、それに学ぶべきだと私は思っている。
 今回、私が知りたかったのは、《私たちがアウトエッジで立ち、動くとどうなるか》ということであった。それ以外に他意は無い。
 私は、自分が学んでいる事以外の考え方を頭から否定する気は毛頭ない。
 たとえそれが私たちが学んでいる事と全く異なるものであっても、敢えてそれ故に、その事に学べることを心から願うばかりである。
 そしてそれは太極武藝館の開門以来、円山洋玄師父が貫かれている姿勢であり、この道場で真摯に学ぶ門人たち全員の、変わらぬ姿勢でもある。


 しかし、それとは別に、ヒトの構造の実相は、確かな事実として存在している。
 例えば、武術的・太極拳的にどうであれ、「外踝」にはヒトの重さは落ちてはこない。
 「考え方」の問題ではなく、それは紛れもない ”構造上の事実” なのである。

 骨格図を見れば誰にでも分かることだが、外踝は脛骨の外側に位置する腓骨という細い骨の下部にあり、その下側には何も無い。外踝は、本来そのすぐ後方を走る腱に対して滑車のような役目をしている。その滑車自体に重みを掛けていけば、その働きはどうなるのか・・
 元々重さが掛からない所に、わざわざ重さを掛けることによって生じてくる現象は、今回の実験でも自ずと明らかになった。
 また、腓骨は脛骨の補助をする役割として存在しており、歩く度にそんな細い骨に重さを掛けていては、ヒトの構造上、大変なことになってしまうはずである。

 『アウトエッジの軸では、太極拳の最も重要な、或る ”構造” が失われてしまう・・』と師父は言われた。
 また、それでは ”站椿” を練る意味など何も無くなってしまう、と言われるのである。
 具体的にそれが何を指すのかは説明して頂けなかったが、アウトエッジの実験で門人たちがこれほど大変な思いをしたことを見ても、その構造が如何に重要であるかが分かる。

 高度な武術の構造は、決して人間の「本来あるべき構造」から離れてはいない。
 その「在り方」・・・立ち方も、動き方も、ヒトの本来の構造から、微塵も離れていないのだと私たちは教わり、稽古ではそのことをひたすら実感する日々を送っている。


                              (つづく)






      

         上のイラスト:教科書を思い出します。




          
 
         写真上:一個ずつ指に挟めるように切って、こんな風に着けます。
         写真下:「足指くん」本体。



          

         写真上:足半(あしなか)の鼻緒を小指に着けて馬歩を取ったところ。
             初めからまともに立つことが出来ず、ひどい格好に。
         写真下:十秒もしないうちに、もう立っていられなくなりました。



          

        「足半(あしなか)」の鼻緒を小指に挟んで歩いているところ。
         写真では判りにくいですが、なぜか腕を大きく振って、
         ”落下と推進” でノッシノッシと歩いてしまいます。



             

          分解写真にすると判りやすくなります。
          これぞ「オイラン・ナヤンデルタール人」



             

          アシは軽くなったような気がするが、中心が空っぽ、体軸はブレる、
          ・・というのが、皆に共通する感想でした。



             

           「北京原人」のオイラン道中・・・?

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2009年07月16日

歩々是道場 「甲高と扁平足 その4」

                     by のら (一般・武藝クラス所属)


 その実験は、武藝館スタッフのメンバーで、あーだ、こーだと、楽しく行われた。

 ヒトは、履物によって「歩くこと」が変わるのではないか・・?
 歩く姿勢も、身体の軸も、そして、もちろん脚(ジャオ)の使い方も・・・
 それが、今回、私たちの確かめたいことであった。

 まず、平らな硬い床の上を、何も履物を履かずに歩く。
 練拳歴だけは十年以上という、ツワモノどもが揃うスタッフは、流石に綺麗に歩く。
 その特徴は、一般人と比べて体軸が安定していることだろうか。誰もが皆、頭がブレないし、横揺れも少ない。普通、入門して間もない人は、体軸が上下にピョコタン、ピョコタンとブレるし、左右にも、足の外側に向かってブレブレになりながら歩いてしまうものだが、幸いスタッフたちにはそれほどのブレは見られない。
 しかし、人によっては背筋に緊張が残っていたり、せっかく綺麗に立てているのに、動いた途端にちょっと落下してしまうような動きが見られる人も居て、実に勿体ない・・・

 ある程度のレベルで整って立つことが出来て、そのまま歩けている人でも、師父や教練、練拳歴15年を超える大先輩たちと比較すれば、自分たちが驚くほどブレているのが確認できる。一体どのような修練を積めば、あのような軸で歩けるのかと思うが、今回の実験では取り敢えずコレでも真っ直ぐ綺麗に歩けているコトにして、自分たちの体軸を基準とした。


 次に、ごく普通の、部屋履きのスリッパで歩いてもらう。
 スリッパのヒールの高さは1.5センチほどだが、つま先の底の厚さが7〜8ミリあるので、実質的な高さは僅かに1センチ未満のヒールということになる。
 しかし、たったそれだけのヒールの高さで一体何が変わるのだろうかと興味深く観察していると、意外にも、歩き始めてすぐに本人たちの方から、
 『うわぁ、違う、違う、ぜんぜん違う! いつもこんなのを履いていたんですね!!』という驚きの声が発せられてくる。普段はそんな変化をまったく気にもしていなかったというのだ。

 わずか1センチに満たないヒールで歩く事の、一体何がそんなに駄目なのかを訊ねると、スリッパを履いた途端に体軸が前にブレてしまい、体重が微妙に太腿の前側や膝に掛かってきて、脚(ジャオ)の中足辺りに重心が来てしまうのが確かに感じられるという。
 そして、これまで全く意識したことがなかったが、もしこれを履いて一日中過ごしていたら、これまで養ってきた自分の武術的な軸もかなり狂わされて、なお且つそのことに気がつかないで過ごしてしまうかも知れない・・・と言うのだ。

 真横から観ていると、確かにスリッパを履かない時とは、明らかに姿勢が変わっている。
 本人の言うように、大腿四頭筋を支えにするように膝を出し、太腿の付け根の辺りを少し前に突き出すようなスタイルになっている。
 また、上半身は胸を張り気味に、やや後ろに反っくり返るような恰好だ。
 念のため、複数のスタッフにそのスリッパを履いて歩いてもらうが、同意見であった。

 こうして比べてみるまでは、誰もそんなことに気がつかなかった。
 私など、普段履いているスリッパのヒールの高さを気にしたこともなかった。
 わずか1センチで体の軸を根こそぎ変えてしまえるほどの ”悪玉ヒール” が付いていたとは思えないまま、一日の大部分を、それを履いて気軽に過ごしていたと言うことになる。


 では、もっとヒールを高くしていったら、一体どうなるのだろうか・・?
 次に履いて貰ったのは、ヒール高が約7センチある、お洒落な女性用の靴である。
 やはり、こうなると、先ほどスリッパを履いた時に出てきた特徴が、さらにグッと強調されて出てきた。
 スリッパの時には、ヒトの体の重さが掛かる距骨(きょこつ=スネの骨の真下にある骨)のところにまだ「重さ」を感じられていたのに、こうなると、もう重さの実感はそこには存在せず、完全にツマ先だけになり、カカトには少し重さが感じられる程度である。
 つま先は中足骨の辺りにほとんどの体重が乗っていて、膝が曲がって前に落下せざるを得ず、骨盤が前傾して臍が下を向き、上半身は後ろに反っくり返るようになるのを、やや首を前に出し加減に、背中を丸めることでバランスを取ろうとしているように見える。

 腰を反り、上背を丸め、首を出し、膝を落とし、後ろ足で押すようにして、ノッシノッシと歩く・・・ん?・・こうして歩く姿勢を、どこかで見たことがあるなぁ・・と思った。
 スタッフたちも、お互いにヒールで歩く姿を見ながら、同じことを考えていた。
 それは、欧米人たちの歩き方とよく似ていた。そう、それは正にヒール系の靴を創り出し、流行させ、それがお気に入りであった人たちの、その末裔たちの歩き方なのである。

 そして、何よりも、その歩き方はヒトとしては不自然だと思えた。
 まるで下りの坂道を、前に転ばないように、足を突っ張るように出し、後ろ足を前に出す時には、何処にどうやって足を置こうかと探しながら歩いているように見える。
 また、胯(クア)の外側部辺りの動きが回転運動になって、ヒールを履かない時と比べると腕の振りが著しく大きくなっている。そう言えば、腕を大きく振りながら歩く人は、必ずと言って良いほど胯がグルグル回っているものだ。
 また、足は大腿部の動きばかり強調され、大腿の外側の筋肉(大腿筋膜張筋や大腿直筋)が緊張して、そこにたっぷりと負荷が掛かるようになる。

 考えてみると、ヒール系の靴を履いたときの身体は、正に坂道を下って行くような状態だと言える。カカトの高い靴を履けば、たとえ平地を歩いていても、身体は常に急な下り坂を歩いているように使われざるを得ない。
 マラソン競技などでも「下り坂は膝への負担が大きい」などと解説されることが往々にしてあるし、高層ビルの階段を、上り組と下り組にグループを分けて歩かせたら、一見楽に思える下り組の方が遥かに身体への負担や翌日の疲労が大きかったという実験も、曾てあったと記憶している。
 実は、この、坂道を下って行く状態と、坂道を上って行く状態とでは、身体の軸に大きな違いがあるのだが・・・本題とは外れるので、此処では触れないことにする。


 このように、ハイヒールに限らず、ヒールが付けられた靴を履いたときの身体各部への負担や悪影響はかなりのものであるに違いない。
 ヒトのカカトの高さは、その最適な高さが自然に決められているのだと思う。その道理を無視し、人間の都合で踵だけを高くしてしまうことは、どうやら愚行でしかないらしい。

 その証拠を示すように、ヒールを常用している事によって起こる弊害は、外反母趾や内反小趾、扁平足などの脚(ジャオ)の構造の崩れを始め、深刻な腰痛、膝痛、スネや腿の筋肉痛などがあり、おまけに眼精疾患や慢性の頭痛、神経痛、果ては深刻な心臓病まで引き起こされるという研究報告まである。

 普通にヒールを履いて歩いているだけでもこれ程の弊害があるのに、何とオーストラリアではハイヒールを履いて走る競争(Stiletto Race)があると聞いて驚いた。
 連載小説「龍の道」でお馴染みの著者・春日敬之さんの報告では、ヒールの高さが3インチ(7.5cm)に定められたハイヒールで、シドニーの市街地で行われ、昨年はハードルの選手が勝利者となって賞金の5,000ドル(約40万円)を獲得した。わずか80メートルを走って五千ドルを得られるとあってか、参加者が260名もの大盛況だったという。
 調べてみると、同じようなハイヒール・レースはベルリンやニューヨークでも行われていて、ニューヨークでは男性も老若を問わず多く参加をしているレースもある。もちろん、短パンの足元には女性用のハイヒールを履かなくてはならないが・・・いやはや。


 ハイヒール・レースや武術の修練ばかりではなく、普通の生活の中で何気なく使っているときの脚の負担がどれほどのものかを知っている人は意外と少ない。
 実は、脚に掛かっている重さは自分の体重の分だけではない。ゆっくりと部屋の中を歩くだけでも、体重の2割増しの重さが脚(ジャオ)には掛かっている。
 つまり、体重50kgの人は60kg、60kgの人は72kg、80kgの人は96kgもの重さが、普通に歩く度に、それも片足を踏むごとに掛かっているのである。
 これは無視できない数字である。普通の人は一日に平均約7,500歩ほど歩くというから、単純計算しても一日に片足に掛かる負荷の総量は、体重60キロの人の場合450トン、80キロの人なら600トンにもなるのである。

 部屋の中で普通に歩いていても、これだけの負担が掛かるのだから、舗装路の市街地を、しかもヒール付きの硬い革靴で歩いたら、一体どういうコトになるのか・・・・
 考えただけでもゾッとするが、アメリカの研究データを漁ってみたら、固い革靴を履いた人が舗装された道をタッ、タッ、タッ、と軽快に走った場合、その際の脚(ジャオ)に生じる一歩ごとの負荷は、時速50kmで走る自動車が、ブロック塀にノー・ブレーキで激突した時の衝撃、或いは10メートルの高さからコンクリートの地面に飛び降りた時とほぼ同じ衝撃力であるという。

 物理の苦手なアタマを懸命に働かせると、これは17G、つまり体重が60kgの人であれば1,020kgものチカラが、そのアシの一歩一歩にはたらいている、ということになる。
 その衝撃は脚から骨盤や胴体部を通過しながら、徐々に負荷を軽減させ、ヒトの最も大切な頭部にまで至るが、そこに来たときには12kg〜18kg(0.2〜0.3G) ほどになっているので、会社に遅刻しそうになって駅の構内を疾走しても、何とか私たちのアタマは無事でいられるらしい。もちろん、毎日それを継続することは避けた方が良いに決まっている。

 それにしても、体重60キロの人でも1トンもの重さの衝撃が来るというのは本当にスゴイことだ。それに耐えている脚(ジャオ)は、思わぬハプニングに本来の構造が崩れることを余儀なくされ、悲鳴を上げているに違いない。

 ちょっと舗装路の上を革靴で走った程度でコレなのだから、陳発科や李書文になったような気分で煉瓦やコンクリートの床で下手な震脚をやった日には、もう、その人のアシはどうなるか想像もつかない。

 かつて漫画の『拳児』に影響された高校生が武藝館に入門してきて、コンクリートの床でズシン、ズシンと震脚を続けていた。もちろん師父には内緒である。本人は陳発科のように震脚で天窓をビリビリ音を立てて震わせ、八極拳の李書文の様に煉瓦の床やコンクリートの舗装路をぶち抜けるようになりたかったらしい。
 ある日、突然稽古に来なくなった彼を心配して師父が訪問すると、右の足首が疲労骨折、脚(ジャオ)があちこち複雑骨折をしていて使い物にならず、今後一切激しい力を掛けてはならないと医師に宣告されたという。
 正しい稽古さえしていれば太極拳の震脚の意味も解ったのに、マンガのヒーローに憧れて、自分勝手に震脚のみを続けた結果が、それであった。

 激しく落下した身体を足で支えるような運動は、震脚以外にもたくさんある。
 ちょっと思いつくだけでも、走り幅跳び、三段跳び、ハードル、舗装した市街路を42キロも走るフルマラソン、スキーのジャンプやモーグル、トランポリン・・・
 因みに、2000年のシドニー五輪から競技種目となったトランポリンは、選手の体重にもよるだろうが、7メートルほどの高さに飛び上がってトランポリンの床面に落下してきた時の衝撃力は、軽く1トン以上にもなるのだそうだ。
 110本のバネで弾む際の着床時間が0.1秒以内という世界だから、何とか骨折せずに耐えていられるらしいが、それでも脚の構造への負荷は見た目よりもかなり大きいという。
 

 ヒトの構造では、その荷重は骨盤部から大腿骨、脛骨を通って、脚の距骨に届く。
 距骨からは、カカトとつま先の方向に、逆Y字形に重さが分かれて向かい、踵には約78%、つま先には約22%の割合で、それぞれ体重が分散する。

 体重60kgの人がヒール付きの靴を履くと、どのような負荷が掛かるか、例を挙げると、

 高さ3〜4センチのミドル・ヒールでは、踵に40.8kg、つま先に19.2kg、
 高さ6〜7センチのハイ・ヒールを履けば、踵に22.2kg、つま先には37.8kg、となる。

 また、上述してきた、普通に歩いた場合や、舗装路を走った場合をまとめて図表にすれば、凡そ以下のようになる。




  



 普通に部屋の中を歩いていても、脚(ジャオ)には2割増しの重さが掛かっていると先に述べたが、このように、ヒール付きの靴を履けば、それだけでも脚の骨格が崩れているので、脚(ジャオ)本来の構造が崩れてしまうのは必然であると言えるし、それが高くなればなるほど、その崩れも大きくなってくる。

 先のハイヒール・レースでの脚への負荷は、ちょっと考えても一歩ごとに1トン半以上にもなるはずだから、わざわざ自分の脚の構造を壊すために参加するようなものである。
 ましてや、大男が先細のハイヒールを履いて走ったら・・・観ている方は面白いが、本人の脚に掛かる負担は、優勝賞金ぐらいでは全く割に合わないかもしれない。


 ついでに、足半(あしなか)を履いたときの脚(ジャオ)の骨格図を作ってみた。



               


 これを見ると、ヒール系の靴が脚の構造を崩してしまっているのに対して、足半はつま先の接地時期を早め、縦のアーチ構造を通常よりも大きくしているように思える。
 単純に考えて、踵の高さを上げてアーチの度合いを高めると、小さな骨が集まったつま先側への負荷が増えていくが、足半の場合は反対に踵の負荷が増える。踵の骨は大きく強いので、構造が崩れる怖れは少ないし、つま先のヒール高は草鞋の厚みだけなので、負荷も大したことはないはずである。
 足半を履いた構造によって発生する効果や、そこで気がつくことは驚くほど多いが、足半をただ単に日常的に履いていても何もならない。もし正しい構造でこれを履いて立ち、正しく歩こうとしてみれば、ヒトの構造や武術の構造について、多くのことが理解できるはずである。


 普段からヒール系の靴を履き、家の中でもヒールの付いたスリッパを履き慣れているような人は、歩くだけの稽古に於いても、つま先がなかなか捉え難い。落下を推進に変えるような、”前のめり” の武術をやって来た人は、ほとんどつま先を浮かせたままで歩く特徴が顕著に見られ、まるで踵骨と中足部だけで歩いているような感がある。

 ヒトの構造上、歩行時には、脚のカカトからつま先までがきちんと使われなくてはならないのだが、現代人はなかなかそれが正しく行われていない。しかし、他の武術や武道を長年学んできた人でも、そのように「ヒトの正しい歩き方」が出来る人がほとんど見られないのは何故だろうか。

 太極武藝館に入門すると、誰もがまず「立ち方」と「歩き方」を教わるが、それは意外にも、何か特別な、「武術的」な歩き方ではない。
 それは、二足歩行をするヒトとしての、正しい構造を用いた正しい立ち方を教わるのであり、正しい構造に於ける、正しい歩き方を教わるのである。
 入門者の多くは、先ず、この道場がそれを最も重要視していることに驚かされる。

 それが無くては何も始まらない・・と師父は言われる。

 よく考えてみれば、確かにヒトとしてのあるべき構造を無視して、いきなり強力な武術だの何だのと嘯いても、それは手前勝手な傲慢さに過ぎないのではないかと思える。
 私たちは、ヒトとしての、その根本的な構造を有するがゆえに、普通にこのように立てて、このように歩けて、ごく当たり前のように、このように動けているのである。

 人間は、その、ヒトとしての構造を離れては、運動の進歩も発展も進化も有り得ない。
 全ては其処から始まるべきであり、それを外れて何をやろうと、その外れたことを特別な武術と呼ぼうが優れた運動と呼ぼうが、そこには何ほどの高度さもなく、高度なものに発展する可能性もなく、どのような秘伝にも極意でも有り得ないことは歴然たる事実であろう。 
 サルがチーターの真似をすることが出来ないように、ヒトは自らの天理自然の構造を無視したままでは、ヒトという存在である武術の達人の真似をすることなど、決して出来ないのだと思える。

 なお、歩行に大切なのは、もちろん「脚の使い方」だけではないが、それは拙論の本題と外れてしまうので、ここでは敢えて言及しないことにしたい。

 そもそも、武術の大事を身体の一番下部にある「脚の使い方」からアプローチする事など出来ないものだと、私は思っている。脚(ジャオ)の使い方をどのように工夫しようと、そこから発想が始まっては真に武術に必要な身体は養われないと思える。
 同様に、いくら履物を工夫しようと、どう開発しようと、そんなところから本物の武術が生まれたり、学べたりするものではない。

 少なくとも、私はそう信じている。


                                 (つづく)



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2009年06月24日

歩々是道場 「甲高と扁平足 その3」

                     by のら (一般・武藝クラス所属)


 そも、ヒトが直立して二足歩行をするようになったのは、気の遠くなるような昔・・・今から370万年も前のことなのだそうだ。
 1976年に発見された有名なタンザニアのラエトリ遺跡には、その証拠である2列の足跡が残っており、精巧な模型がタンザニアの国立博物館に展示されている。それは人類の最も古い足跡ということになるが、最近の研究では、それよりさらに200万年も前から、すでに人類の二足歩行が行われていたとする説もある。

 また、今年の2月27日に、約150万年前のものと見られる原人の足跡の化石がケニア北部の地層で発見されたと、アメリカの科学専門誌「Science」が発表した。
 その全ての足跡は現在の人間のように母趾が他の指と並行になっており、木の枝を掴む必要のあった類人猿のように母趾が他の指と大きく離れているものとは全く異なっている。
 発見された化石は二足歩行に関わりがある特徴のあるもので、まず「土踏まず」の構造が見られ、今の人類と同じように指が短く、踵から母趾球、母趾へと体重を移動させる特徴的な歩き方をしている。つまり、この原人の足の構造は基本的に現生人類と同じであり、彼らは現在の私たちと同じ歩き方をしていたことになる。

 では、ヒトは一体いつから「靴」を履くようになったのだろうか?
 私にとって、それは人類が二足歩行で歩き始めた時よりも遥かに気になっていたことなのだが、それが推定三万年前のコトだと判って、飛び上がるほど驚いた。私の感覚では、人類学的には未だつい最近の、精々がエジプト時代ぐらいの話だと思っていたのである。
 しかし、昨年7月に出た「National Geographic News」に、人類は四万年前から靴を履いていたことがワシントン大学の人類学者、エリック博士(Dr. Erik Trinkaus, PhD.)の新しい研究で明らかになった、と書かれているのを見つけて、なお驚かされた。
 一体どうして、化石を見ただけで靴を履いていたかどうかが判るのだろうかと不思議でならなかったが、もちろん四万年前の人間が履いていた”靴の化石”が発見されたというわけではない。
 エリック博士の研究によれば、靴を履いている人々と裸足で暮らしている人々を比べると、前足部の中節骨(足先から二つ目の骨)のサイズと強度に大きな差異が認められ、その部分に掛かる力は履物を用いると軽減され、靴を履き続けていると骨の構造自体が弱くなるのだそうだ。その発見された化石は、裸足の化石に比べて中足骨が小さく華奢(きゃしゃ)になっているので、履物を履いていたことが判る、ということなのである。

 歴史上確認できる「靴」の歴史は、紀元前二千年頃のエジプトで履かれていた、シュロの葉や動物の皮で作られたサンダルである。それは貴族たちのためのもので、一般人や奴隷はそれまで通りの裸足のままだった。王家の人たちは、そのサンダルに更に宝石などの装飾を煌びやかに施して履いたという。
 B.C.1000年頃には、現在のトルコの辺りに在ったヒッタイト帝国に於いて、『爪先が反り返り、踵が高い、長めの靴』が履かれたという記録がある。
 ヒッタイトというのはヒッタイどういう人たちか(笑)・・というと、彼らは人類で最初に鉄の製法を発明した民族であり、バビロニアを滅ぼしラムセス2世のエジプトを撃退したというスゴイ王国で、彼らだけが知るその鉄の製法は、帝国が滅びるまでの間、トップシークレットとして厳重に秘密にされた。

 B.C.500年頃のギリシャ時代には山岳民族がモカシンのようなブーツを履いていたが、B.C.100年頃のローマではすでに街に靴屋が軒を並べ、靴屋の組合まで存在していた。
 ローマの女性たちは皆、素足にサンダルを履き、男性市民は一枚皮のモカシンの靴を履いていた。皇帝はムレウスという名の特別なスリッパを履き、裁判官は赤い靴を履いたという。
 貴族や兵士は革のサンダルを履き、シーザーは兵士のサンダルの底に「進軍」「ローマ万歳」などと鋲で文字を書かせ、その足跡を遺すことで他国を威嚇したというから面白い。
 しかしまあ、21世紀の現在になっても、靴底に「NIKE」とか「adidas」なんて彫ってあるんだから、人間のやることは何千年経ってもあまり変わらないのかもしれない。

 日本では、四世紀頃の古墳時代に、藤の繊維で織られた布の靴が履かれていた。
 八世紀から九世紀の奈良平安の頃には、宮中では内側に絹を張った烏皮沓(くりかわのくつ・黒塗りの牛革製)を履き、一般人もだんだん裸足から草履やワラジを履くようになってくる。また、兵士は皮の短靴や半長靴を履いており、靴底にはグリップを良くするために漆に砂粒を混ぜて滑り止めとしていた。
 鎌倉時代後期の「蒙古襲来」の絵にある軍人の靴を見ると、まるでマガサスさんが此処に書いた「内聯昇」の革靴とそっくりで、もちろんヒールなんぞはどこにも見当たらない。
 初めに履かれた靴は、藁で編んだ淺沓、或いは短沓型のものであったのだろう。徐々にそれが日本の風土に合わせて、私たちの良く知る草鞋や草履になってきたのだと思える。
 そして、とても画期的なのは、その藁沓を底だけにして「鼻緒」を付けた、ということである。履物に鼻緒を付けるという発想は、アジアと西洋の大きな違いであろう。

 鎌倉時代には、足半(あしなか)という草鞋が、一般人から上級武士に至るまで履物として愛用された。足半というのは、履くとカカトがすっかり出てしまう、文字通り半分サイズのワラジのことである。「信長公記」の刀根山合戦の逸話には、信長が自分の腰に提げていた足半を兼松又四郎に下賜する場面が出てくるから、信長も足半を使っていたということになる。因みにこの時の足半はその後兼松家の家宝となり、昭和43年に名古屋の秀吉清正記念館に寄贈されて話題になった。

 足半が面白いのは、カカトが無いこと、つまりヒールどころか、カカト自体が無いことにある。これは原材料のワラを節約したわけではない。こんな履物は、欧米人には考えも着かないことであろう。
 この足半は、かつて研究用に外門の友人であるタイ爺さんが太極武藝館に送って下さったことがあり、終いには門人全員の分までお願いして、稽古や研究に用いることができた。
 今でも稽古で確認に使われることがあり、稽古前に足半を履いてせっせと歩いている門人をよく見かける。そうすればきっと何かが理解しやすいのであろうと思う。
 足半をご紹介下さったタイ爺さんには大感謝である。


 さて、靴に「ヒール」が付けられるようになったのは、何時のことなのだろうか?
 ハイヒールを履けば、もう、必ずと言って良いほど「外反母趾」になることは良く知られている。いや、ハイヒールに限らず、カカトに高さが付いて、先の狭まったスマートな靴を長年常用して履けば、男女の別なく、多かれ少なかれ外反母趾や内反小趾になってくる。
 それはヒトの本来の足の形にはほど遠い。それに、考えてみれば、元々ヒトのカカトには高さが付いているのだから、更に靴のヒールをプラスすれば構造が崩れるのは必至であろう。日本ではついでに水虫になるというオマケまで付いてくる。その ”諸悪の根元” が一体どこから始まったのか、とても興味が湧く。

 ヒールの元祖は、先に述べたヒッタイトの靴であろうが、そのスタイルがヨーロッパ中に浸透するのは中世になってからである。
 「チョピン」と呼ばれるその靴は多分ショパンとは何の関係もないが(笑)、その高下駄のように高いヒールが流行した理由は、ひたすら背を高く見せるためであったという。
 これはヒールというよりは「厚底靴」とでも言うべきもので、そういえば、日本でも少し前までそんなクツを履いている女性が多く見られたこともあった。セータカ願望には時代も国境もないのであろう。そのチョピンはトルコからベニス、スペイン、イギリス、ドイツへと広く伝わって行った。

 もっとも、一般市民から貴族に至るまで、部屋の窓から下の道路にゴミや汚物を投げ捨て、窓から汚物を撒く際に「お気を付け遊ばせ・・」と断るのがレディの作法だとされたていた中世のパリなどでは、見てくれよりも先に、高いヒールの靴は必需品であったのだろう。
 尾籠な話で恐縮だが、かの ”ベル薔薇” のベルサイユ宮殿ですら禄にトイレらしきものも無く、夜ごと舞踏会に集まる何百人もの淑女たちは携帯オマル持参で「薔薇の花を摘みに」と言う隠語で庭園で用を足し、中身は従者がそこらの庭に構わず捨てたので宮殿は常に悪臭に満ちていたと記録にあるほどで、ましてやゴミや下水、糞尿処理をすべて生活の路地で行っていた街中では、誰でも高いヒール付きの靴を履きたくなるものであったのだろう。
 ようやくパリに下水道の整備が始まったのはナポレオンの時代であった。美意識の違いなのだろうか、道にはゴミひとつ無く、排泄物を肥料に変えて、紙や蝋燭までリサイクルして使っていたという江戸時代のわが国とは大違いである。

 十六世紀末になると現在のパンプスの原型である、幅が狭くてちょっとヒールの付いた靴が流行する。男性にはコミールと呼ばれる幅広の靴が履かれた。
 女性がハイヒールを履くようになるのは、十七世紀のバロック時代である。しかしヒール自体はそんなに細くはなく、ドテッとしていた。この時代は男性も当然のようにハイヒールを履いていた。
 現在のような細目のヒールが作られるのは、1770年以降のことである。
 それからは歴史の流れと共に、ヒールが高くなったり低くなったり、爪先が尖ったり丸くなったりと、現代の流行の変遷とそれほど変わらない。まあ、今時の日本の男たちはアシを長く見せるために、外には見えないシークレットヒールの靴を履いたりするそうだが。


 ・・さて、歴史の話が長くなったが、ヒッタイトに始まり、ヨーロッパ各地で様々な変革が続いた「靴」は、そのほとんどがカカトの所にヒールをつけて造られている。
 靴の形を横から見ると人間の脚(ジャオ)の形に似ており、そこには、靴としての見てくれの格好良さや汚物の中を歩くための工夫としてだけではなく、まるで脚(ジャオ)の逆Y字形の構造をさらに強くするという意図があったかのようにも思える。つまり、その方が歩きやすいと考えたのではないか・・とも思えるのである。

 しかし、日本の草鞋や中国の布靴、北米やギリシャ、エジプトのモカシンやサンダルなどの伝統的な履物は等しく底がフラットであり、敢えて履物のカカトに「高さ」を付けることを求めようとして来なかった。

 それは何故なのだろうか・・・?私には、ヒール付きの靴を造った西洋人の体型に、そのヒントが見出せるように思えた。

 思いたったらすぐ実験!・・というのは武藝館の伝統である。単なる思い付きに過ぎないのだが、さっそく、こんな実験をしてみた・・・

                                  (つづく)




  【 参考資料 】

     
   *タンザニアのラエトリ遺跡の発掘現場。ここは後に石と土を被せて保存された。
    右の写真はタンザニア国立博物館にある模型の足形。



    
   *ラエトリ遺跡に足跡が残された時の想像図。



          
   *ケニア北部で発見された150万年前の足跡の化石。
    足半を履いていたわけではないだろうが、カカトが踏まれていない。




   
   *4万年前の人類の、前足部・中節骨の骨の化石。小さくなった骨は靴を履いていた
    ことの証しであるという、ワシントン大学の高名な人類学者エリック博士の研究。
    左は中節骨の位置を示す参考図。




   
   *左:北方から伝来した短沓型の草鞋(わらぐつ)。
    中央:「蒙古襲来」の絵に見られる、鎌倉時代の騎馬武将が履く靴。
    右:12世紀に描かれた「国宝・信貴山縁起絵巻」に見られる靴。




        
   *「足半(あしなか)」を履いた写真。



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2009年06月12日

歩々是道場 「甲高と扁平足 その2」

                     by のら (一般・武藝クラス所属)


 「扁平足」とは、外反母趾や内反小趾、開帳足などと同じく、脚(ジャオ)の骨格の歪みや崩れに起因するものであり、見た目にどれほど扁平足でも全く骨格が崩れていない場合もあれば、反対にどれほど甲高に見えても、実はひどく構造が崩れてしまっている場合もあり、骨格の崩れや歪みの特徴を詳しく観察すれば、それをチェックすることができる・・・ということが、これまでに分かった。

 太極武藝館に入門してくる人の中には、前述のSさんのように空手の訓練によってそうなってしまった人ばかりではなく、ごく普通の生活の中で「真性扁平足」になっている人も何人か見られた。
 ところが不思議なことに、その人たちはほぼ例外なく、ここでの稽古の量が積み重なるにつれて、徐々に扁平足ではなくなってきて、入門前よりもアーチが深くなり、足の甲が高くなってくる現象が見られる。
 また、扁平足でない人も、きちんと稽古に通ってきて、基本功から套路、対練に至るまでを欠かさずに熟(こな)していさえいれば、いつの間にかもっと足の甲が高く見えるようになり、靴の横幅が普通より広かった人も、徐々にサイズが普通に戻ってくるのだから、何とも不思議なものである。
 しかし、それらの反対のケースは今のところ一人も見当たらない。稽古によって脚の構造が崩れた人は武藝館に居ない、ということになる。
 一般門人は多くても週に三回、計12時間の稽古であるからそれほど問題にならないとしても、毎週末、金土日の三日間で合計24時間以上の稽古をこなす研究會のメンバーは、脚に掛かる負荷も並々ならぬものだと想像できる。しかし入門して10年、15年になる古参の門人でも、脚(ジャオ)の構造が崩れてしまったような人は一人も居ない。


 扁平足や、同じ原因から生じる外反母趾に悩んでいる人は多い。サラリーマンが10人居れば、扁平足や外反母趾の人が必ず2〜3人は居る、と云うのだから驚かされる。
 それは、あの水虫にも匹敵するような数であり、水虫は高温多湿のこの国で一日中西洋式の革靴を履いて過ごしているのだから仕方がないとしても、何もわざわざ扁平足になる必要はないのに、とも思える。

 その扁平足には、水虫よりもはるかに効果的な治療法があるという。多くの医師が口を揃えて勧める、扁平足や外反母趾を改善する、極めて有効な治療法があると聞いて、私もたいへん興味を持った。
 その最も効果的な治療法とは・・・何と、【裸足で土の上を歩くこと】であった。
 その後には、どこの家庭にもありそうな「青竹踏み」や「アーチのついた靴のインソールを使う」ことなどが並ぶのだそうだ。
 青竹踏みや特製インソールはともかく、治療法のトップが裸足で土の上を歩くことであるという事にはちょっと驚かされた。もはや現代人は裸足で土の上を歩く機会など殆ど皆無に近い。それは今の時代にはとても贅沢なことなのかもしれないが、よく考えてみると、靴を履いて生まれてくる人は居ないので、それは人間が立つことや二足歩行の”原点”であるとも言える。

 また、それを聞いて・・・かつて或る医師が、僻地の山村に居住する六十歳以上の老人たちと、都会に住む同年齢の老人たちの足裏の重心を比較測定の実験をした、という話を何かで読んだことを思い出した。
 その結果は、「山村組」の足裏の重心は、ほとんどの人が足指の付け根や指の腹に寄ったところあり、もう一方の「都会組」は踵(かかと)に近い人がほとんどで、重心が掛かるゾーンも、山村組が小さく狭いことに比べて、都会組はかなり広範囲に亘ったと記憶する。 
 また、山村組に扁平足や外反母趾がほとんど見られないのに対し、都会組にはそれらの症状は多く、脚の太さや大きさ、骨自体の強度も比べものにならないというものであった。

 ・・そんなことに想いを巡らせているうちに、ふと、アフリカの大地を文字通り裸足で歩いて生活している原住民の ”足裏重心” を測定したらどうなるのだろうか、などと考えた。
 扁平足の治療法のトップが「裸足で歩くこと」だというのは、とても意味深長である。
 何故かというと、アフリカの原住民は未だに多くの人が裸足で生活しており、中には白人から貰った皮靴や赤いハイヒールなんぞを大事そうに履いている人も居るが、やはり大多数は慣れた裸足の方が都合が良いらしく、あまり履物を履きたがらないからである。
 しかし、何故あのような荒野、原野、サバンナで、裸足の方が都合が良いのか・・?

 私が実際にアフリカの砂漠地帯で見かけた人たちは、遠くの水源から住居に生活用水を運ぶために、早朝から裸足のままで頭上に重い水瓶を載せて歩いていた。
 自分の身体の半分もある大きな水瓶を、まだ小学校低学年くらいの子供がいとも簡単そうに頭の上にヒョイと載せ、笑顔さえ浮かべながら、舗装も平地でもない、尖ってゴツゴツした石ころだらけの荒野を、裸足のままで30分も歩いていく。そして、帰路にはたっぷりと水を満たして、自分の体重ほどもありそうな、30kgにもなる重い水瓶を頭に載せて家まで帰ってくる姿が見られるのである。
 ・・・私には、とてもそんな真似は出来そうにない。いや、たとえ頭上の水瓶なしでも、あんな荒地を素足で30分も歩いたら、足の裏が傷だらけになってしまうだろうし、それ以前に、ただの数十歩程度でさえ、足が痛くて歩けなくなるかも知れないと思える。
 では、彼らの足裏の皮膚は物凄く厚く、ゾウのように硬く強靭に出来ているのか・・というと、さにあらず。小学生位の子供の足などは、信じられぬほど柔らかいのだ!!

 マサイ族の歩き方も、とても興味深かった。
 彼らはあれほどジャンプできるにも拘わらず、スネが細く、モモが細く、また飛び上がる際にはあまり膝を曲げないのに、まるで足許に小型トランポリンでもあるが如く、信じられぬほど高くジャンプ出来ることがとても印象的だった。
 扁平足や外反母趾の人など、マサイには唯の一人も居ないのではないかと思える。
 少なくとも私の見る限り、ペッタンペッタンと歩く人はマサイには居なかったし、足指が変に曲がっている人なども、ついぞ見かけなかった。もし彼らに問えば、扁平足とは何ぞやと、反対に問い返されるかも知れない。
 考えてみれば、たとえ脚(ジャオ)ひとつをとっても、人間本来のあるべき構造が崩れてしまっていては、いつ猛獣が襲ってくるかも知れぬ原野で十全に活動することは不可能だと思える。

 その時には、キリマンジャロに登った。アフリカ最高峰といわれるだけあって、やたらと高い。何しろ標高 5,895 メートル、富士山の上に、さらに北海道の大雪山を載っけたほどの高さがある。
 キリマンジャロは、ずっと以前から登りたかった山だ。
 ヘミングウェイの小説にある、西の頂きに横たわっている、ひからびて凍てついた一頭の豹の屍を見たかった・・というワケでもないが、遠くから観たあの山の端整な姿がどうしても忘れられなかった。
 キリマンジャロは登り易い、などと言う人もいるが、麓から山頂までは最短でも4泊5日かかり、毎月必ず数名の死者が出て、シェルパでさえよく登山中に死亡するのだから、決して楽で甘い登山ではない。
 空気の濃さは普段の約2分の1(富士山頂だと約3分の2)、要するに目一杯空気を吸い込んでもその中の酸素量は下界の半分しかない。これは人間が空気の薄さに順応できる限界高度なので極端に呼吸が乱れ、なだらかな登り坂なのに、僅か数メートルを歩くのに10分も時間が掛かってしまう。
 私もとてもきつかったが、シェルパが荷物を運んでくれているのだから、我が身ひとつ位はせめて登頂できなければ恥だと思い、大和撫子の意気を示さんと最高峰まで辿り着いた。
 三浦雄一郎氏の次男の豪太さんなどは、何と11歳でキリマン登頂を果たしたと言うから、やはり血は争えないもんです。

 さて、近ごろは携帯電話まで持っているらしいが、私が登った時には、シェルパたちは廃品タイヤで造った粗末なサンダルや、底に穴の空きそうなペラペラのデッキシューズなんぞを履いたまま、私のザック以外にも、水や食料、燃料など、山のような荷物を担いで登ってくれた。
 そんな履物で大丈夫なのかと心配で訊くと、反対にそんなゴツイ皮靴で大丈夫なのか?ヌガイエ・ヌガイ(マサイ語で”神の家”=キリマンジャロのこと)への道はキツイぞぉ〜、と言って笑う。
 シェルパは40kgくらいのリュックを軽そうにヒョイと背に担ぐ。それだけでもスゴイ!と思うのだが、更にもうひとつ、同じ40kgぐらいのリュックを更に頭の上に載せ、手には水の入ったポリタンクを提げて、悠々と歩き始める。
 彼らが運ぶ荷物は合計70〜100kgにもなる・・それを運んで六千メートル近くまで登るのだ。私はもう、唖然、呆然、心中騒然となった。

 その細身で長身の、私の腕の太さ位しかない足のスネで歩いているシェルパが何故そんなことが出来るのか、何故それでキリマンジャロのテッペンまで行けるのか、不思議でならなかった。それも、粗末でペラペラの100円サンダルなんぞを履いて、である。
 見た目の体格なら、腕や足は彼らよりもよっぽど太くて頑丈そうな私は、その同じ重量の荷物を、平地で担いでさえも、果たして何キロ歩けるのだろうか、と真剣に悩んだものであった。

 ちょうどその頃の私は、好きな登山に明け暮れた結果、左足のカカトにばかりひどいタコが出来てしまって、薬を塗ろうがナイフで削ろうが何をやっても治らず、もしかすると自分の歩き方が間違っているのかも知れないと思い、「ヒトの正しい歩き方」や「ヒトのあるべき構造」に興味を持つようになっていた。だから、何処へ行ってもその土地の人間の歩き方を観察してやろうと、目を皿のようにして必死で見ていたのである。

 そこの原住民の歩行の特徴は、先述の日本の「山村組」のお年寄りと同じく、決して踵を重く潰さずに歩いていたことを思い出す。少なくともその集落では、踵に充分に重さを落としてから、更にその重さを脚の骨にグンと載せて任せるような重厚な歩き方をしている人など、ただの一人も居なかったように記憶する。
 しかし、かと言って踵を地に着けていないわけではない。よく見ると、踵がきちんと着いていながらも、そこに体重がことさら重く掛かるようには使われていないのだ。
 もしそんな使われ方をしていたとしたら、彼らの土踏まずは扁平足のように潰れて、多くの人は外反母趾だったかも知れないし、みんな靴やサンダルを好んでいたかも知れない。
 だいたい、あのようなゴツゴツした石ころだらけの荒地を裸足で歩くのに、いちいち踵を重く踏みつけ、それが足底筋の発達だろうが何だろうが、土踏まずが地面に着くオマケまであったなら、たとえゾウやサイのような頑丈な足裏を持っていたとしても、歩きにくいコトこの上ないはずである。

 それに比べて、当時最新流行の近代的な分厚い登山靴やトレッキングシューズを履いた私の歩き方は踵(かかと)にズシリと重く、先述の空手出身のSさんのように脚(ジャオ)の本来あるべき構造を踏み潰すような歩き方になっていて、御多分に洩れず、「外反母趾」であった。つまり、母趾の指自体がグルリと回転して、指の腹が小趾側を向き、爪の内側が下を向き、ちょいと母趾の関節が外に出っ張り始めていたのだ。

 そして、そのように歪み崩れた脚の構造が災いした故であろうか、何とかキリマンジャロの山頂を極めたものの、下山してくる際に岩に躓(つまづ)いて足の生ヅメを剥ぐという、恥ずべきアクシデントまで起こした始末であった。

                                (つづく)




    



    



        



    



        



    


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