*第21回 〜 第30回

2009年10月18日

連載小説「龍の道」 第30回




 第30回 武 漢 (wu-han)(2)


 しばらく地下道を歩くと、やがて通路が行き止まりとなり、左右の壁にひとつずつ金属製の扉が付けられている。
 程さんは右側の扉の鍵を開けて、自分から先に中へ入って行き、

「あちらの扉は、また別の場所に出る通路です。
 状況によって、出口をどちらにするか選ぶことが出来る、というわけです。
 追っ手のある時には、わざと反対側を開けておくこともできますしね・・」

 そう説明をしながら、照明を点ける。
 かつて蒋介石総統のために造られた緊急脱出路は、さすがに用意周到だ。

 扉の内部は地下に降りていくトンネルになっていて、クネクネと曲がった下りの階段が見える。ここはすでに地下3階のはずだが、更にどんどん下に降りて行く階段になっているのである。

 程さんは内側から扉に鍵を掛け、ロックされたことを念入りに確認し、ちょっと微笑みながら宏隆に声を掛ける。

「・・どうですか、面白そうな通路でしょう?」

「すごいなぁ、まるで大蛇の巣みたいですね。台湾一のホテルの地下に、まさかこんな通路があるなんて、誰にも想像がつきませんね!」

「いえ、実は、どこから洩れたか、この地下道は、世間でもいろいろと噂されているのです。
 けれども、経営者の宋一族と私たちの組織の人間以外は、実際には誰も見たことがなく、宋一族の人でさえ知らない人も多いのです。
 ですから、今のところは、単なる噂に留まっていますが・・・」

「これなら、僕がホテルの外に出ても、誰にも分からないでしょうね」

「この通路の出口も、まるで出口とは思えないように造られているので、貴方が外出したこと自体、まず誰にも気付かれることはありません。
 今ごろ彼らは、ロビーで暢気に張り込みを続けていることでしょう、ははは・・・」

「・・この、階段の横に並行して付いている、水路のようなものは何ですか?」

「ああ・・それは滑り台ですよ。
 緊急の時には、それで滑っていくと、あっという間に下まで行けるというわけです。
 それに、荷物を手に持たずに、滑らせながら運べるようにも考えられています。
 白いズボンを履いている時は、汚れますから、止めた方が良いと思いますが」

 今にも滑り台に飛び乗りそうな宏隆の、白いズボンを見ながら、程さんが言う。

「滑り台! ははぁ、なるほどねぇ・・・」

 よく見れば、その滑り台は表面がツルツルしていて、これなら下まで滞りなく、あっという間に滑って行けそうだと思える。この勾配ではかなりのスピードになるかもしれない。

 秘密の地下トンネルは、それほど大きくはない。自分の身長から考えると、天井の高さは2メートル少々で、横幅はそれよりやや広い程度だ。
 階段と滑り台は、まるで遊園地の地底探検のようにクネクネと曲がりながら薄暗い地下に潜ってゆくので、これから何処へ行くのだろうかという不安と期待とが入り交じって、子供のようにワクワクさせられる。

 しかし、ずいぶん長い階段だ・・もう、すでに五十段ほどは下りただろうか。
 このホテルは丘の上に建てられているので、脱出用の通路も、必然的に下に降りていくように造られたのだろうと思った。

 けれど、よくもまあ、こんなものを造ったものだなぁ・・と、宏隆はひたすら感心した。
 南京町の地下道とは、あまりにもスケールが違っている。

「いやぁ、すごいですね・・・この通路は、何処まで通じているのですか?」

「 ”剣澤公園” という、ホテルの裏側にある、山麓の大きな公園に出ます。出口は、公園の設備施設のように見えるので、誰もそれが秘密の通路の出口だとは思えないような造りになっています」


 やがて、階段が無くなり、地面が平坦になった。
 滑り台は、終点のところで少し平らになり、立ち上がり易いように、すぐに立てる高さに作られ、両側の手すりも多少高くなっていて、細かい配慮がされている。
 階段は全部でおよそ九十段近くもあった。
 普通の建物なら6〜7階建てほどにも相当する高さから、1階まで、延々と曲がりくねったトンネルの階段を下りてきたことになる。エレベーターで降りた地下3階の秘密の通路から此処までの距離は、優に200メートルは超えているはずだ。

 此処にもまた、円いトンネルの壁に合わせて鉄製の扉がある。
 扉は二枚あって、閂(かんぬき)がふたつ着けられている。
 程さんが扉を開けて壁際のスイッチを点けると、数十個の明かりが順に向こうまで灯り、平坦な通路が真っ直ぐに延びているのが見える。

「これが、通路の最後にあたる直線部分です・・・
 ここのライトは“防爆(ぼうばく)仕様”になっていて、万一に備えられています」

「ボウバク・・・?」

「・・防爆、というのは、爆発を未然に防ぐためのシステムです。
 秘密の脱出路の、最後の出口へ向かう通路に、爆発性のある無臭ガスなどを密かに撒かれていると、電灯のスイッチを点けた途端に、大爆発することになりますからね。
 暗いところで電灯を点けたいのは人情ですから、せっかく脱出してきたことが無駄にならないよう、念を入れて防爆機能が施されたライトにしてあるのですよ・・・」

「すごい! そこまで考えて造られているんですね・・・」

「まあ、敵というヤツは、あの手この手でやってきますからね!!
 もっとも、私たちにしても、それは同じことですが・・・はははは・・・・」

 この直線の通路だけでも、長さが5〜60メートルはあるだろうか。
 所どころ、トンネルの天井に浸みた水滴が垂れてきていて、床に水が溜まっている。
 蒋介石が逝った今では、誰も整備をしていないのか、空気が淀んでいて湿っぽい。

 通路の突き当たりには、金属製の、いかにも頑丈そうな分厚いドアが付けられている。
 程さんがふたつの鍵を開けてその扉を開くと、ポンプやメーターのようなものが所狭しと並んだ、機械室のような部屋が現れた。

「ここにある機械は、みんなダミーです。
 今は使われていない古い設備室、という設定で造られているのですよ・・・」

 程さんが説明をしてくれる。しかし、何という周到な脱出路だろうか・・これではまず、入口も出口も、誰にも知られることはないだろう。

 設備室の出口には、周りから少し外の光が漏れている。
 程さんは、ドアの内側に付けられた小さな窓を開けて外を確認し、鍵をガチャリと開けて、まず自分から先に出て周囲の様子を伺い、頷いて宏隆を外へ誘う。

 一歩外に出ると、そこは、鮮やかな緑が雨に洗われる、美しい公園だった。
 ホテルが建つ丘の北側の麓に位置する、樹々が深く覆い繁るその公園は、あらためて見れば普通の公園に過ぎないのだが、殺風景な地下道を延々と歩いて来た目には、まるで突然、どこか別の世界にでも迷い込んだような気分になってしまう。

 振り向けば、今宏隆が出て来たところは、壁が石造りの小さな建物で、程さんの言うように、まるで電気や排水の設備室のような雰囲気に造られていて、ご丁寧なことに石壁に蔦まで這わせてある。これなら公園を歩いていても、誰も気にも留めないことだろう。

 程さんは、辺りを憚るように、手早くドアを閉めて鍵を掛け、持っていた大振りの傘を広げて、宏隆に差しかけた。


「You’re Late !! (遅いじゃないの!)・・・」

 突然、背後の樹の陰から大きな声がして、宏隆はギクリとして、振り返って身構えた。

「・・だ、誰だ?!」

 思わず、声に出した宏隆に、

「わざわざ迎えに来てあげたのに、誰だ!・・って言い方は無いでしょ!!」

 よく締まった、はちきれそうな肉体を迷彩服で包んだ女が、宏隆の頭の後ろまで抜けていきそうな鋭い声で、そう言う。

 顔は中国人だが、そうは思えないような、流暢な英語である。
 神戸生まれの宏隆は、小さい頃から英語にはよく馴染んでおり、外国人の友人も多いので相手が何を喋っているのかはよく分かる。

 しかし、一体、この女は誰なのか・・・?
 ちょっと唖然としたままでいる宏隆の耳元に、程さんが小声で、

「哎呀(アイヤー)・・・大変な人が、お迎えに来てしまいましたね・・・・
 気をつけてください、アレは、武漢班の名物で・・」

 そう言いかけた程さんの言葉を遮るように、

「・・さあ! 早くしなさいっ! 時間が無いんだから!!」

 手にしていた迷彩柄のポンチョをサッと羽織りながら、もうその女は歩き始めている。

 宏隆はちょっと呆れた顔をして程さんの方を見た。

「行きましょう・・・車までお見送りしますよ」

 程さんは、諦めたような顔をしながら宏隆を促し、傘を差しかけながら歩く。

「いったい何ですか? あの女性は?」

「行けばわかりますよ・・でも、陳中尉よりも、よっぽど怖い・・・」

「・・え? あの女性が? ただの、迎えに来た人じゃないんですか・・?」

「シィーッ、聞こえますよ・・・
 気をつけて下さいね、私まで、後からひどい目に逢わされそうで・・・」

「ひどい目に・・って、あの女性にですか?
 もしかして、ものすごく武術が強いとか、何か・・・・」

「いえ、それが・・・」

 またしても、ちょうど、程さんがそれを言おうとしたところを、

「・・はい!、さっさと乗って!!」

 それを遮るように、鋭い声が飛ぶ。

 軍用のクルマなのだろうか、公園の脇の道に、ナンバープレートの数字の頭に「軍」と記されたジープが停められている。屋根に幌は付いているが、ドアは無い。

「では・・・くれぐれも、気をつけて行ってらっしゃい。
 お帰りになったら、また、お部屋に伺います・・・」
 
 程さんが心配そうな顔をしてそう言うので、宏隆はちょっと躊躇ったが・・
 仕方なく、そのジープに乗り込んだ。

「ブォン、ブォォオーン・・・」

 ロクに席に着くか着かないかという時に、ジープはもう走り出している。
 とても女性とは思えないような運転で、シャツを腕まくりした手が、長いシフトレバーを手際よく捌いては、ゴンッと乱暴にクラッチを繋いで、他のクルマをどんどん追い越しながら、街の中を飛ばして行く・・・

「はい、これ・・・」

 そう言って、シフトチェンジの合間に、後ろの荷台に片手を伸ばして、薄汚れたカーキ色の布を宏隆に手渡す。

「何ですか、これは?」

「ポンチョ・・・膝に掛けて・・・
 このジープはドアが無いから、そんな恰好じゃ濡れるでしょ!」
 
「あ、どうも・・ありがとうございます。
 軍用車っていうのは、こんな具合に、みんなドアが無いものなんですか?」

「あ、これ・・・? 
 これは・・・この前、爆風で吹っ飛んでしまったのよ!」

「爆風で・・・? 」

「そう、敵の手榴弾でね・・・
 その席に座っていた人は、爆発でそのままバラバラになって、あの世行き・・・
 ・・ほらっ! まだその辺りに、血の跡がいっぱい残っているでしょう・・?!」

「えっ?・・・ええっ・・・!!」

 慌てて、自分の座っているシートやら、そこいらを見回している宏隆に、

「あはははは・・・・ ははははは・・・・ 
 嘘よ、ウ、ソ・・・ほんの冗談!! 
 あなた、大武號でライフル持って大活躍したって割には、ずいぶん臆病なのね!!
 あはははは・・・・ はははははは・・・・」

「じょ、冗談・・・・ ふぅー、てっきり本当かと思った・・・」

「私の名は、宗麗華(そう・れいか)・・・よろしく!」

 そう言って、握手を求めてくる。

「・・あ、はじめまして、僕は加藤・・」

「知ってるわ、ヒロタカ・・ね!
 中国語は出来ないって聞いたけど、英語は少しは話せるようね。
 私は日本語も話せるように教育されたけど・・・どれがお好み?」

「普段は英語で構いませんが、難しいことは日本語でないと・・・」

「じゃ、英語にしましょう。
 陳中尉も、他の隊員も、英語は訓練されるので、みんな堪能よ!」

「・・ところで、これから何処へ行くのですか?
 陳中尉には、まだ何も、今後の予定を知らされていませんが・・・・」

「これから行くところは・・そうね・・・
 日本語で言うと “地獄の一丁目” というところかしら・・?」

「じ、地獄・・・? そこで、いったい何をしようと・・・」

「あはははは・・・さあ、何かしら?
 フタを開けてからのお楽しみ、ってヤツね!!」

 雨はだんだん激しくなってきた。
 ドアの無いジープは、港に向かって、曲がりくねった道をひたすら突っ走って行く。


                               (つづく)



  


      
 

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2009年10月08日

連載小説「龍の道」 第29回




 第29回 武 漢 (wu-han)(1)


 一夜明けた台北には、雨が降っていた。
 テラス越しに見下ろす台北の市街は、灰色の雲が空を低く横切りながら、薄いカーテンのように、霧のような雨を降らせている。
 ぼんやりと、その光景を眺めながら、宏隆は独り、珈琲のカップを傾けていた。

 昨夜、張大人に聞いた話は、今朝になっても宏隆の頭の中を巡って離れない。
 これから自分が何を学ばなくてはならないか、日本人として、アジア人として、そして、ひとりの人間として何を理解し、何を為さなければならないのか・・・
 その大きな問題が、宏隆の脳裏を捉えて放さないのである。


「コン、コン、コンッ・・・・」

 そんなとき、突然、部屋の扉がノックされた。 

「はい・・・?」
 
「フロントでございます。雑誌をお持ちいたしました」

「雑誌? 何かな・・・・」

 ドアを開けると、白い制服姿のボーイが立っている。

「お早うございます、雑誌をお届けに参りました」

 ボーイが手にしている丸いプレートには、「TIME」という英語の雑誌が載っている。

「これは・・・?」

 言いかけると、その言葉を遮るように、

「どうぞ、ご確認ください・・」

 と、ボーイが言う。

 雑誌を手に取ると、メッセージ・カードが栞(しおり)のように夾んであり、開いてみると、そこには “武漢“ と言う文字が書かれている・・・
 宏隆は、思わず「ハッ」として、そのボーイを見上げた。

 武漢とは、組織の戦闘部隊、“武漢班” のことに違いない。
 ホテルマンという先入観で見過ごしていたが、こうして異なる目で見れば、その白い制服の下には、鍛えられた肉体が隠されていることにようやく気付かされる。

 ボーイは、小さくニコリと微笑んで、さらに、

「・・もう日が高いですが、睡(ねむ)りは足りましたか?」

 ・・と、訊ねてきた。
 まだ朝の8時前で、日が高いわけはないのだが、宏隆は、それが家族の合図だと、昨日の帰り道に陳さんから聞いたことを思い出した。

「はい、香炉峰(こうろほう)の雪を眺めていたところです」

 ・・そう答えて返す。

 日高ク睡リ足リテ、猶(ナオ)起キルニ懶(モノウ)シ・・・

 白楽天の詩の一節が、ここでは互いに家族であり、現在何の危険もない状況であることを確認し合った、という意味になった。小声の会話でもあり、これなら誰かがそれを耳にしても不審に思うことはない。
 “武漢” という文字だけでは、その者が組織の人間だという保証は無い。
 それを見極めるために、念には念を入れて、二重の確認方法が取られているのだった。

 そうしている間にも、朝食を摂りに階下(した)へ行く宿泊客が、前の廊下を通り過ぎて行く。

「・・それでは、ご朝食のご用意いたしましょうか」

 ボーイは、少し辺りを憚るように、いかにもホテルマンらしい言葉を口にしてから、宏隆を目で促して部屋に入り、扉を閉めると、改めてこう言った。

「私は、玄洋會の “程(てい)” と申します。
 陳中尉からのお言付けで、本日13時に、お迎えのお車をご用意する、とのことです」

 昨日、張大人宅からの帰路に陳さんが、「明日は、面白いところに案内しましょう」と言っていたので、てっきりまたロールス・ロイスで迎えに来てくれると思っていたのだが、どうも今日は違うらしい。

「・・では、その時間に、玄関に降りていれば良いのですか?」

「いいえ、玄関ではなく、私がこの部屋から別のところまでご案内します」

「別のところ?」

「今はまだ、何処にご案内するかは申し上げられませんが・・」

「・・・・・?」

 宏隆には、その意味がよく飲み込めなかった。
 ホテルに迎えに来る車が、玄関以外にどこに着くというのだろうか。
 まさか従業員用の裏口に迎えるわけでもあるまい。
 それに、何故それを、その時になるまで自分に隠しておく必要があるのか・・

「・・いったい、どういうことですか?」

 自然に、その疑問を “程” と名乗るボーイに投げかけてみる。

「・・実は、貴方が台湾に来られたことで、さっそく“動き”が見られたのです」

「動き・・? いったい何のことです?」

「もちろん “敵側” の動きのことです。
 彼らは、貴方が台湾に入ったことを確認すると、さっそく行動を監視し始めました。
 今も、ロビーにひとり、張り込んでいます」

「僕を・・・? でも、まだ正式な弟子でもなければ、家族でもないのですよ。
 そんな自分が台湾に来たことが、どうして敵側にとって問題になるのでしょう?」

「お分かりになりませんか? それは、名高い実業家でもある貴方のお父様が、吾々の組織に深く関与しておられるからです。
 そのご子息の貴方が吾々の家族となり、組織の重鎮である王老師の正式な後継者となられることは、彼らにとっては当然、大いに気になるところだと思いますが・・」

「あ・・父が・・・?」

 またしても、父の名前が出てきた。
 宏隆は、いつか庭先で朝の稽古をしている時に、父から聞いた言葉を思い出した。
 父は、『お前よりも私の方がずっと古くからの客なのだ』と言い、中国の秘密警察に追われる王老師を、台湾からより安全な日本に招く手伝いをしたとも言っていた。

 しかし、父がこの組織に関与していることを何となく分かっていたつもりでも、この異国のホテルで、見知らぬボーイから当然のことのようにそう聞かされると、とても不思議な気持ちにならざるを得ない。
 実際のところ、若い宏隆にとっては、父がこの組織に関与していることについて、どうにもまだ実感が湧いてこないのである。

「・・・それでは、定刻の20分ほど前に、お迎えに上がります。
 私に何か問題が起こった場合には、他の者が代わりに来ます。
 その場合は、2回、3回、1回、と扉をノックしますので、そうでない者が来たら、決して部屋から出てはいけません。貴方は拉致のターゲットになる可能性も高いのです」

「拉致・・・?」

「そうです、貴方を拉致してお父様を脅せば、組織への関与や支援も見直されます。
 それに、今回の“大武號”への襲撃は、貴方を狙ったものかも知れないのです」

「・・えっ? あの襲撃は、この僕を狙って・・?!」

「そう考えることも出来る、ということです。
 貴方が乗った船が襲撃されたことは、余りにもタイムリーでしたからね」

「・・・・・・」

「身内からのノックは、2,3,1です。
 相手がルームメイドでも、それ以外のノックでは決してドアを開けてはいけません。
 メイドが来ないように、 “Do not disturb” の札を掛けておいてください。
 よろしいですか・・?」

「分かりました・・・」

 ボーイに身を窶(やつ)した程さんは出ていったが、何となく気が落ち着かない。
 大武號が襲撃されたことが、自分に関わることかも知れないということ、それに、自分は敵側から行動を監視されていて、拉致される可能性もある、ということも気になる。
 現に今も、下のロビーで自分を張り込んでいる人間が居る、というのだ。
 それに、これから陳さんの所に行くのに、それが何処なのかも、それからどうするのかも未だに分からない。いや、何処から迎えの車に乗るのかさえ、知らされていない・・・
 あれやこれやと、いろいろな事が頭の中をグルグル巡るが、そのどれもが、自分ではどうすることも出来ないことばかりだった。

「儘(まま)よ・・考えても仕方がない、なるようになれ、だ・・・!!」

 宏隆は、気を取り直して、少し部屋で稽古をしてからシャワーを浴び、レストランで早めの昼食を取って、程さんが迎えに来るのを待った。


 ・・・時計はすでに、12時30分を指している。
 宏隆は、チノ・クロスのズボンにポロシャツという姿で、雨をよく弾く薄手のジャンパーを用意し、ぼんやりと小糠雨に煙る台北の街を眺めながら、程さんを待った。

 それにしても、こんなホテルの従業員にまで、玄洋會の者が入り込んでいるのには驚かされる。自分が想像しているよりもこの組織は大きいのだと、改めて思える。
 そして、敵側が自分の行動を監視し、拉致される可能性さえあるということは、もう自分がこの組織の人間として見られているのであり、宏隆も否応なしにそれを認識せざるを得ない。

「これは、いよいよ腹を括らなくてはならないな・・・」

 宏隆は、自分の運命や人生が、急激に変わりつつあることを感じた。


 ・・やがて、入り口のドアがノックされた。

「お迎えに上がりました」
 
 程さんは、ホテルのスタッフが送迎に使う、ドアマンズ・アンブレラという大きめの傘を手に持っている。迎えの車は、戸外(そと)の何処かに来るのだな、と宏隆は思った。

「それでは、ご案内しましょう」

「お願いします」

 ・・・エレベーターに乗るのかと思っていたら、非常階段を歩いて下りていく。
 宏隆の部屋は9階にあるので、このまま下まで歩くのかと思うと、7階で客室通路に出て、ちょっと辺りを窺いながら、その階の隅にある、扉に「PRIVATE」と書かれた部屋に入っていく。
 ルームメイドが掃除に使う道具や、シーツや毛布、石けんやシャンプーが所狭しと棚に並んでいるその部屋を縫うようにして歩くと、奥に従業員と荷物運搬用の小さめのエレベーターがあり、それに乗り込む。

 エレベーターは全ての階に行けるようになっていたが、程さんは地下2階の(B2)と書かれたボタンを押し、やがて(B2)のボタンのライトが消えて停止したので、入口の側にいた宏隆が先に降りようとしたが、

「・・あ、ちょっとお待ち下さい」

「え・・?」

「この階ではありません・・」

 何だ、間違えたのか・・・と宏隆は思ったが、程さんは一旦ドアを閉めると、もう一度、(B2)のボタンを押したまま、(3)(5)と、ふたつ続けてボタンを押した。
 すると・・・その三つのボタンが白い色から赤い色に変わり、エレベーターはさらに下に向かって動き始めた。

「・・えっ? まだこの下に、階があるのか・・・?」

 エレベーターは、少し下に動いてから、ゆっくりと停止した。
 もう一度、階を示すボタンを見てみたが、やはり(B3)などという表示は無い。

 扉が開くと、ぼんやりと灯った非常灯の明かりに、真っ暗な通路がどこかへ延びているのが見える。
 程さんは再び(B2)のボタンを押して、エレベーターを地下2階に戻した。

 表示が地下2階までしかない従業員用のエレベーターに、実はそれより下の、地下3階が存在する。そして其処へはボタンの特殊な操作によってのみ、到達することが出来る・・

 これは、もちろん、秘密の地下通路に違いなかった。

「すごいなぁ・・・これと同じようなことを神戸で体験した時にも驚かされましたけれど、ここの方がスケールが大きいですね!」

 辺りを見回しながら、宏隆が程さんに声をかける。

「神戸の南京町にある地下施設ですね? 私も一度、使いで行ったことがあります」

 壁に付けられた、大きな電灯のスイッチをパチンと入れながら、程さんが答えた。

「えーっ、そうなんですか・・?!」

「ははは・・・こう見えても、いちおう、組織の一員ですからね」

「では、程さんも、武漢班の・・・?」

「いえ、私は “武漢” とは違う班なので、今はこのホテルに配属されています」

「でも、そんな立派な体格をされて・・・」

「どの班に所属していても、戦闘訓練は必ず受けますからね。
 ひと通りは鍛えられています。私も本当は武漢班で働きたかったのですが・・・」

「それにしても、一体何のために、ホテルの地下にこんな通路が造られているのですか?」

「これは、つい先年亡くなった蒋介石総統のために造られた、脱出用の秘密通路です。
 このホテル自体、総統夫人の宋美齢(そう・びれい)が建てたので、万一のことがあってはと、脱出用の秘密の避難路を造ったらしいですね。
 夫人は、すでにアメリカに移住しましたが、経営は今でも宋一族によって行われています」

「なるほど・・でも、さっきは地下2階までしかないと思っていたら、ボタンの操作でもう一階分、下に行ったので、ちょっと驚きました。すごい仕掛けですね・・・」

「もし、地下3階の表示を作って、そこに鍵を付けると、まるで其処に秘密の場所があると言っているようなものですからね。これだと、追っ手には決して分かりません。
 ついでながら、あの(3)と(5)は、“マダム蒋介石” 宋美齢の誕生日の、3月5日から取った数字です。もっとも、これは内緒の話ですけどね、はははは・・・」

「ああ、なるほど・・・・」

 エレベーターにも表示されていない地下3階の秘密の通路は、電灯は点いているものの、薄暗くて、少しジメジメしている。

「さあ、行きましょう・・・」

 程さんは、宏隆を促して、その通路の奧へと進んで行った。


                                 (つづく)

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2009年09月28日

連載小説「龍の道」 第28回




 第28回 臺 灣 (たいわん)(7)


「・・・それは、今から、わずか20年ほど前の話だ。
 終戦間近の、もう誰が見ても日本に余力など残っていないと思える時期に、日本の主な都市は、カーチス・ルメイ将軍の“日本焦土化作戦”によるB29の大空襲の攻撃を受け、日本の攻撃専用に開発したM69焼夷弾やナパーム弾で、武器を持たぬ50万人もの民間人が、まるで虫けらでも駆除するように、無差別に焼き殺されたのだ。

 焼夷弾は “悪魔の火” とも呼ばれる、ある意味では原爆よりもひどい爆弾だ。
 それは紙と木で出来た日本の家屋をあっという間に燃やし、周り中を火の海にして、人間をバーベキューにする。あまりにも空気の温度が高くなって、その炎自体に触れなくとも、衣服や髪の毛が自然に発火してしまう。
 彼らはそれを使って、日本の67個所の都市を爆撃した。

 東京大空襲では、特製の焼夷弾を搭載した325機のB29爆撃機が38万発の爆弾を落とし、ただの一夜にして10万人もの日本人が生きたまま焼き殺された。
 アメリカ軍は、関東大震災での被害を徹底的に調べ上げ、木造住宅が密集する東京の下町が火災の被害を最も受けやすいことに着目し、そこを攻撃目標の中心にした。
 火炎の高さは高度15,000mの成層圏にまで達し、摂氏一千度、風速25m以上の、台風並 みの熱風が東京中に吹き荒れた。
 そして、それが真珠湾での被害、軍人2,300人、民間人57人の死者に対する正当な報復攻撃だと、ルメイ将軍は公言して憚らなかった。
 アメリカ国内でも、日本の民間人への無差別攻撃は人道的に誤りであり、国際法にも違反するという声が高かったが、カーチス・ルメイは日本人が民間居住地区で軍需物質を製造していることを理由に、反対を押し切って、日本焦土化作戦を立案、無差別爆撃を強行した。

 マッカーサーをはじめ、無差別爆撃に反対する人たちは、戦略的にはもう日本にそのような攻撃をする必要はまったく無く、もはや上陸する必要さえないと言い切っていたが、ルメイ将軍は、反対を押し切って大空襲を強行したのだ。

 このルメイという男は、後のキューバ危機に於いては執拗にキューバ空爆をケネディ大統領に提案し、また、最近のベトナム戦争では空軍参謀長として北ベトナムの爆撃を担当し、『ベトナムを石器時代に戻してやる!』と豪語した大の戦争好きの人物で、数年前、副大統領候補に立候補した時にもハッキリと人種差別を主張していた。
 ・・結局、落選したがね。核ミサイルを数十基も配備していたキューバに空爆をしていたら、それこそ第三次大戦になっていただろう。


 ・・そして、日本の67の都市と主要五大都市を丸ごと焼け野原にした後に、さらに止めを刺すかのように、世界初の原子爆弾が、2度連続して投下され、広島だけで20万人もの犠牲者を出した。

 原爆投下の2ヶ月も前から、日本はすでに、ソビエトを通じて降伏の交渉を進め、スターリンに米英首脳への仲介を依頼していた。そして、連合国側も、それをきちんと承知していたのだ。

 ポツダム宣言を「拒否」したから、原爆を落とされた・・?
 それを受諾しなかった日本政府が悪い・・?

 そうではない・・! 
 事実は全く違っている・・!! 
 それこそが、予め予定され、造られた、一般人への認識の操作というものだ!

 たとえば、ポツダム宣言には、わざと天皇への扱いが不明確にされていた。
 宣言書にそう書いておけば、当時の日本が絶対に宣言を受諾することはない事を見越して、わざと不明確に書かれていたのだ。
 また、これはよく知られている話だが、ポツダム宣言を拒否したことについては「翻訳」の問題があった。
 ポツダム宣言が出た後、日本は閣議でゴタゴタしていたが、結局、記者会見が開かれることになり、そこで鈴木首相は「ノーコメント」と言った。
 しかし、英語禁制の時代で「ノーコメント」は使えない、そこで、それを取材した記者が「黙殺」という言葉に変えてしまった。ノーコメントと黙殺では意味が全く違うが、新聞記者は国民の戦意高揚を考えて、そう書いてしまった。
 ところが、この「黙殺」という日本語を、同盟通信は「ignore(無視)」と翻訳して打電し、さらに欧米のメディアがそれを「reject(拒否)」と歪めて報道した。
 これがアメリカが日本に原爆を落とす口実を与えることになったのだ。

 しかし、実はトルーマンはそれより遥か以前に原爆投下を決定していた。砂漠の実験ではデータが少ない。対ソ政策としても世界初の公開実験をする必要があると考えたのだ。
 つまり、アメリカは、どうしても原爆を使いたかった、ということになる。

 その証拠に、ヒロシマのわずか三日後に、長崎に原爆が投下された。
 こればかりは、アメリカ国内でも大問題になった!
 彼らは、わずか三日前に広島の惨状を目の当たりにしながら、何をためらうこともなく、一瞬で7万4千人もの命を奪う爆弾を、平然と、長崎に投下したのだ!!

 長崎は、キリスト教が日本に伝来して以来、カトリック信者の多い土地で、鎖国解消後の長崎開港で欧米人が居住区をつくり、その一角に教会が造られた。浦上天主堂と呼ばれるその教会は、完成までに二十年の歳月を要した、東洋一の大聖堂だった。

 その浦上天主堂が、原爆の爆心地になった。投下時には聖母被昇天の大祝日を間近に控えて、司祭や信者たちが教会で儀式を行っていたが、全員が死亡している。
 それはキリスト教の教会だ。異教徒の教会ではない。
 アメリカでは大統領も教会への礼拝を欠かさない国だ。しかし、彼らはそのキリスト教の大聖堂を標的として狙い、同じキリスト教徒に対して、たった一発でTNT火薬に換算して2万2千トンにも相当する、強力な原子爆弾を浴びせたのだ。

 ・・・これは、人類史上に残る、大量虐殺以外の何ものでもない。
 その大量虐殺が、日本の “侵略戦争” を食い止めるという名目で正当化され、平然と行われたのだ。

 しかし、その原爆を投下した “加害者” について、日本が言及したことは無い。
 日本が示しているのは、幾度となく原爆慰霊祭を迎えても、常に “被害者” としての姿勢だけだ。まるで、自分たちが犯した "過ち" とでも言わんばかりに。
 巧妙にでっち上げられた南京大虐殺を批判され、真珠湾攻撃を卑怯な奇襲と罵られ、東京裁判で世界の悪者にされても、あの原爆を2度も投下した非人道的な行為について日本が非難したことは一度も無い。それは何故なのか・・・?」


「日本への原爆投下は、日本を叩くこと以外にも、ソ連への牽制や、東南アジア諸国への示威の意味が大きかった。
 それはまた、新兵器による大規模な人体実験を目的とするものでもあった。
 事実、その証拠に、現在でもアメリカは、被爆者の子孫の転居先にまで、その追跡調査を続けている。それは21世紀になっても延々と続けられることだろう。

 もちろん人種差別という理由もある。哲学者のサルトルは、もし日本人が白人であれば、アメリカは決して原爆を落とさなかっただろう、と公言した。
 アインシュタインと共に、核兵器の廃絶を世界に宣言したバートランド・ラッセルは、原爆の投下は単にアメリカの非人道的行為に留まらず、白人全体の罪であり、日本を降伏させるための必要不可欠な行為とするのは、まったくもって白人の偽りに他ならない、と言明している」


 宏隆は、父や母から聞かされた、日本の敗戦前夜の話を思い出した。

「・・・それらのことは、僕もある程度は知っています。しかしそれは、話に聞いているということに過ぎませんし、学校の歴史の授業で学んだというだけのことです。
 また、実際の戦争体験をしたわけではないので、その実感もまったくありません・・」

「そうだ、そうやって、その体験は、その歴史は、次の世代には忘れられていく。
 そして、やがて当事者の記憶からも薄れ、あげくの果てには歪められた歴史が教育され、何も知らぬ者たちが自分の祖先が“悪いこと”をしたのだと自虐史観を持つようになり、その責任を国家や政府の所為にするようになる。
 それは、他国が侵略や併合をするのに絶好の条件が整った、正に理想的な国だ・・」

「・・・・・・」

「私たちばかりではなく、ほとんどのアジアの国々や台湾の国民の多くは日本に戦争責任があるとは考えていない。東京裁判など、戦勝国の茶番に過ぎないと私たちは思っている。
 東京裁判でまともなことを言ったのは、インドのパール判事くらいのものだ。
 その証拠に、あのマッカーサーでさえ、東京裁判を批判しているではないか・・

 真珠湾が奇襲攻撃・・? そもそもアメリカは、戦争する時に宣戦布告などしたことがあるのかね?、その事実をアメリカ国民は知っているのだろうか?
 それに、真珠湾を騙し討ちだと言うのなら、その2年前にドイツとソビエトが宣戦布告なしでポーランドに侵攻した事をどうして問題にしないのか? ポーランドでは5年間で全人口の20%が殺害されている・・・」

「結局、勝てば官軍・・ということでしょうか?」

「日本の格言だね? “勝てば官軍、負ければ賊軍” だったか・・・
 大東亜戦争・・・アメリカの言う太平洋戦争は、アジアを欧米の植民地政策から開放し、アジアに独自の経済圏を確立することを、その第一の目的としていた。
 日本は戦争に負けたが、結果として、今ではかつての日本が望んだ通りに、アジアは欧米支配からほとんど開放されつつある。これは、皮肉にも日本の勝利が証明されているということになる」

「・・・しかし、そのために、日本は “賊軍” となったのではないでしょうか?」

「その通りだ。そして、それにつけ込んで戦後の賠償金を主張する国もあるし、ロシアのように、ヒロシマのわずか2日後に日本に宣戦布告をし、ここぞとばかりに、日本が占領していた満州と樺太に上陸してくるような、卑怯極まりない奴らも居る・・・」

「もっと、勉強します・・・日本人でありながら、僕はまだ何も知らない・・・
 僕は、日本や世界のことを何も分かっていないようです」

「それがいい・・・・まずは、よく勉強しなさい。
 そして、もっと自分の国に、自分を育んでくれた母なる国に誇りを持つことだ」

「日本人は、世界にも類を見ない、とても優秀で知的な民族なのだ。台湾や韓国は日本の力がなければここまで復興しなかった。
 そして、世界を支配しようとしていた白人たち・・・欧米列強に対して、初めて牙を向いて果敢に立ち向かった、アジアの、最も勇気ある民族でもある・・・
 自分の国を大切にしなければならない。自分の祖先が生き、自分を育んでくれた文化や風土を大切にすることは、どこの民族でも人間の基本ではないだろうか」

「はい・・・・」

 張大人の話は、宏隆にもよく分かった。
 しかし、普段よく考えもしなかった話の内容を聞いて、少なからずショックを受けていた。

 そんな、意気消沈してしまった宏隆を見て、張大人が、

「ははは・・・成り行きとは言え、つい歴史の話しが過ぎたようだね。
 そう、話は戻るが、吾々の“家族”に参入することについては、どう思うかね?」

 ・・そう言って訊ねてくる。

「このように、歴史も、世界の現状も、何も知らないに等しい私が、ただ陳氏太極拳を学びたいと言うことだけで、組織に参入することなど、許されるのでしょうか・・?」

「そもそも、私たちと君とは、浅からぬ縁があるのだ・・・
 いや、縁というよりは、それはもう、必然と言えるかも知れない。
 君だけではなく、君の父君とも、私たちはすでにご縁がある。
 それに、君のような人間を、私たちは探していたのだよ。
 これからの時代は、君のような若者にこそ、活躍して貰わなくてはならない」

「先ほどからのお話を伺っていて、私の心の中に、強く主張し続けるものがあります。
 私のような、何も知らない若輩の人間でも、何かのお役に立ち、私の知らないことを教えていただけるのであれば・・・・此処に迎えて頂けるのであれば、皆さんとのご縁の大きさを信じて、ぜひ、お仲間に入れて頂きたいと思います」

「おお、そうか、そうか・・・
 うん、そういう気持ちがあるのなら、ことは手っ取り早い。
 早速、君を吾々の“家族”に迎えるための準備を始めることにしよう」

 張大人のその言葉を機に、宏隆は席から立ち上がって、少し椅子から離れ、張大人に向かって丁寧にお辞儀をして言った。

「張大人・・・大切なお話をして下さって、本当にありがとうございます。
 私は、人生経験の少ない、無知な若輩に過ぎませんが、皆さまのお仲間に入れて頂けることをとても嬉しく思います。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます」

「おお、立派な挨拶だ。
 父君も立派な人だが、本当に君は良い家庭で、良い教育を受けたのだね。
 もう近ごろでは、台湾でもそんな挨拶の出来る若者は滅多に居なくなった・・・」

「ありがとうございます・・」

「・・では、準備が整い次第、連絡をしよう。
 王くんは勿論のことだが、君を王くんに引き合わせたK先生にも来て頂かなくてはいけない。準備が整うまで一週間は掛かるだろうから、その間、この陳にいろいろと案内してもらったり、教わったりすると良い。今日はこのままホテルに戻って、ゆっくり休みなさい。
 そうそう、圓山大飯店は、お気に召したかな・・・?」

「・・はい、申し遅れましたが、立派なお部屋をご用意していただき、本当にありがとうございます。台湾滞在中は、陳さんに就いて、色々と勉強させて頂こうと思います、どうぞ宜しくお願いします」

 そう礼を言って、陳さんの方にも頭を下げ、もう一度、張大人にあらためて深くお辞儀をして、その場を立ち去ろうとしたが、

「あの・・・張大人・・・もうひとつお訊きしても良いでしょうか?」

 何かを思い出したように、宏隆が言う。

「・・おお、何なりと訊きなさい」

 孫の話を聞いてやる祖父のように、優しい顔をして張大人が頷く。

「僕が、正式に家族になったら・・・
 皆さんのように、すぐに武器を取って戦うことになるのでしょうか?」

「いやいや、そうではない・・・私たちの家族にならなくては、君に陳氏太極拳を正式に伝承することは出来ない、ということなのだ。
 決して君に、組織の “戦闘要員” になれ、と言っているのではないよ、ははは・・・」

「そうですか・・・・」

「うむ、安心したかね?」

「いいえ、そうではなく・・・
 戦闘要員でなければ、武器や戦闘の訓練を受けられないのかと思いまして・・・」

「ん?・・・・・
 それは、つまり、望んでその訓練を受けたい・・と言っているのかね?」

「そうです。人間としての尊厳や、家族や、祖国を守れるように・・・
 いざという時のために、せめて、そのような訓練だけは受けておきたいと思うのです。
 先ほどのお話をうかがってから、だんだんその気持ちが強くなってきました」

「・・おお、それは良い考えだ、是非そうしなさい!
 戦闘に関することは、この陳に、何でも教えてもらうと良い。 
 彼は、こう見えても・・・・」

 ・・・しかし、そう言いかけた張大人の言葉を遮るように、

「はい、知っています・・・
 元、台湾海軍中尉で、秘密結社・玄洋會の、戦闘部隊の教練・・でしたね!」

 と、宏隆が陳さんの方を見ながら先にそう言ったので、張大人と陳さんは思わず顔を見合わせ、大きな声を上げて、笑った。


                                 (つづく)

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2009年09月18日

連載小説「龍の道」 第27回




 第27回 臺 灣 (たいわん)(6)



「日本への侵略を企んでいるのは、君もよく知っている、すぐお隣の国々だ。
 そして、彼らが侵略を計画しているのは、日本だけではない。この台湾も、東南アジアの国々も、西はカスピ海、南はインド、オーストラリア、東はハワイに至るまで、その狂ったような侵略計画は止まることを知らない・・・」

「しかし、それをきちんと知りたかったら、私たちの家族になることだ。
 そうすれば、私たちは、その詳細を君に教えることができる。
 そこには、一般日本人には知る由もない、政治的、軍事的に極秘とされるものが多く含まれている。王くんの学生とはいえ、まだ正式な家族ではない者に、それらを明かすことは出来ない。それに、知ってしまったら、君はもう吾々と同じ立場になるしかない」

「では・・その“家族”というのは、何と言いますか・・・
 そういう秘密の・・・いや、政府登録の公然の結社が、違法の武器を取って戦うというのは、人としての道には背かないのでしょうか?」

「・・・先ず、私たちが戦っている相手は、吾々だけにとっての敵ではない。
 彼らは極めて危険な全体主義国家で、内にあっては暴力的独裁、外にあっては侵略主義を露わにしている。自国こそが世界の中心であり、世界を支配するべきだという思想を持ち、自分の民族以外の、異民族の独自性や文化的な価値を決して認めようとはしない。
 彼らは、その為には人類の偉大な文化や伝統を破壊することも何とも思わないし、人間の尊厳や誇りなども全く無視して、侵略や殺戮を繰り返している」

「彼らは自国が“世界の中心”となることを実現するための経済力と巨大な軍事力を備えることに躍起になっている。その為には、資本主義の真似さえすることだろう。
 彼らの最大の目的は、この“世界”を手中にすることなのだ。かつての大英帝国や、スパイ映画に出てくる悪者の組織のようにね。それを本気で、国家の方針として進めている。
 その思想は、やがて人類そのものさえ滅ぼしかねない、自己中心的なものだ」

「そう伺っても、それが現実のことだとは、にわかには信じがたいことですが・・・」

「信じようと、信じまいと、残念ながら、それは紛れもない現実なのだ。
 君に、ひとつの資料を見せてあげよう・・・」

 張大人は傍らに立っていた男を呼んで何かを告げると、すぐに別室から一冊のファイルが運ばれてきた。そのファイルには、地図が入っていた。

「・・まず、この地図を、よく見てごらん」

「アジアの地図ですね、色がついていますが・・・・」

「何のために、その色分けが為されていると思うかね?」

「分かりません・・・
 でも・・インド、東南アジア、日本、朝鮮半島、台湾が、中国と同じ色になっています」

「では、次のページの、日本が拡大された地図はどうかな・・?」

「あ・・・日本海が “東北海” という表記になっています・・・
 朝鮮半島も、南北の区別が無く、中国と同じ色で “朝鮮省” と書かれていますが・・?」

「日本の国土は、どうなっているかね?」

「・・えっ?・・・・ と、東海省・・・?
 日本の愛知県から北陸の辺りを境に、そこから西は沖縄まで “東海省” となっていて・・
 東日本と北海道は “日本自治区” となっています・・・・」

「そのとおりだ・・・さて、君は、これをどう思うかな?」

「・・誰かの、タチの悪い悪戯でしょう。
 強い反日感情を持つ人か何かが、嫌がらせに作ったとしか思えませんが」

「いや、残念ながら、これは中共政府の外交部、つまり中国の外務省に当たる国家機関が、将来の展望として作成した “将来予測図” という名称の、極秘とされている資料のひとつなのだ」

「まさか、そんな・・・」

「彼らの侵略計画は、日本の敗戦後すぐに始まり、まず百年先までの計画をした。
 これは、まさにその国家百年の大計・・西暦2050年までに日本と台湾と朝鮮半島を、すべて中華人民共和国に併合してしまう計画の、極秘の資料地図なのだよ。
 この地図に付随する、その計画を詳細に記した極秘文書も存在している」

「次のページから長々とファイルしてあるのは、その計画概要のコピーだ。
 もし興味があるなら見ても構わないよ。中国語だがね・・・」

「しかし・・・まさか、そんなことが・・・!!」

「いや、まさかではない。その計画は、すでにもう、着々と進行している。
 “遅くとも21世紀の半ばまでには、日本などという国は消えて無くなる” ・・というのは、もはや共産党幹部の間では常識であり、確実に起こる“現実”と見なされているのだ」

「近い将来・・・21世紀の初頭には、計画通り、まず日本で与野党の逆転劇が起こり、中国や朝鮮、韓国と非常に密接な関係にある野党が、日本の政権を取ることになるだろう。
 彼らは、そのための潤沢な資金を中共政府から提供され、日本のメディアの支配をはじめとした充分な準備を整えつつある。しかし、それは “日本国” を “日本省” にするための、ほんのささやかな始まりに過ぎない・・」

「そんな・・・本当に、日本はいつか、そのような状況になるのでしょうか・・・」

「残念ながら、相手の力はあまりにも巨きい・・・
 そして、日本の国民は、それに対してあまりにも無知のままに長い時間をかけて念入りにコントロールされ続けてきている。このまま放置すれば、やがて数十年後には、チベットやウイグルで起こっているのと同じ事が、日本全土を襲う事になるだろう。
 そうなって初めて、国民はようやく自分たちの選択が誤りであったことに気が付くことだろうが・・・しかし、その時にはすでに “国家” としては手遅れの状態だ」

「チベット・・? あのヒマラヤの麓にある仏教国のことですか?」

「・・・君は、今、チベットで起こっていることを、何も知らないのかね?この問題は、イギリスでは、既にテレビの特別番組で取り上げられているが・・・
 日本人には、1950年以降、四半世紀以上にも亘って、漢民族がチベットに対して行ってきた非道な侵略行為を、ニュースや学校で、未だに何も知らされていないのだろうか?」

「チベットへは、一度行ってみたいと思っていました。
 しかし、歴史の時間には何も教わっていません。
 近ごろNHKでも、平和な仏教国というイメージで番組が放送されていましたが・・・」

「日本の教育や報道は、噂どおりの、偏向したものであるらしい・・・・
 チベットは “歴史的に観て紛れもなく中国の不可分の一部である“ などという勝手な理屈で1951年に中国軍が占領し、’59年にはそれに反発したチベット人が武装蜂起したが、中国軍の猛反撃で容易に弾圧され、ダライラマ14世は多数の難民と共にインドに脱出し、亡命政府を立てた。
 その後、文化大革命からは更に弾圧が厳しくなり、チベット固有の民族性、文化、宗教などの独自性がどんどん奪われ、人権などが全く無視された極悪非道な行為が一般市民に対して繰り返され、加えて漢民族の大量移入によって、純粋なチベット人の血液まで根絶させようとしている・・・」

「恥ずかしいことですが・・・・
 僕は、そんなことが起こっていることを、全然知りませんでした」

「チベットへの侵略と弾圧は、今でも継続して、公然と行われている。
 チベットは、すでに “中華人民共和国チベット自治区” であり、ポタラ宮のあるチベットのラサ(Lhasa)も、今では “拉薩” と、漢字で書かれる。
 チベット僧が五体投地の行をする目前で、無礼にも中国人観光客が写真を撮りまくる。
 もし、他の僧がそれを咎めたら、すぐに中国の憲兵が来て、逮捕して連行されてしまう。
 ヒマラヤを越えて脱出しようとする者は、たとえ子供でも、国境警備隊がライフルで標的のように撃ち殺してしまう・・・」

「近頃は、チベットのすぐ下に位置するインド北部まで自分たちの領土だと言い始めたし、日本の沖縄も、元々は中国のものだった、などと言い張っている。
 チベットと同じことが、君の国で起こったら、どうするかね・・・?」

「そんなこと・・日本人として、絶対に許せません!!」

「では、実際にどうする? 独りで、武器を取って、闘うかね・・?」

「そうなったら・・・敵わぬまでも、一矢を報いるために、闘います。
 たとえそれが “犬死に” だと言われても・・・」

「そう、それは “犬死に” に過ぎない。君ひとりが死んでも、何も変わらない。
 しかし、だからといって、それに抵抗することを放棄してしまえば、そこには人間としてもっと悲惨で、もっと屈辱的な結果が待ち受けている・・・
 私たちは、それに対して、決して屈せず、戦い抜くことを選んだ。
 私たちの自由と尊厳は、私たちの手で守らなくてはならないし、たとえ小さな力であっても、決して屈服をしない意志を世界に示し続けることが大切なのだ」

「王先生は・・・王老師も、同じように戦ってこられたのでしょうか?」

「そうだ・・王くんは人間としても実に豊かで高潔な魂を持つ、私たちが誇る同志だ。
 王くんの家族の話は、すでに君も、聞いているはずだが・・・」

「いえ・・お訊きしても、あまり詳しく説明されようとはしませんでした」

「・・・文化大革命の時に、王くんは、ただ伝統武術を真摯に学んでいる、というだけで、考えられぬようなひどい目に逢わされた。
 彼だけではない、全ての武術家、文化人、知識人、科学者たちは、皆そのような目に逢わされたのだ。文革の難を逃れる為に、武術家を辞め、武術を学んだことを隠して、一般人を装って過ごす人間も多かった」

「王くんは、その不条理を前にして人間として当然の抵抗をしたが、そのために王くんの家族は、ご両親も、当時三歳になったばかりの息子も、美しい奥さんも、容赦なく公衆の面前で辱められた上で、皆殺しにされた・・・
 家族だけではない、王くんに老荘哲学や禅を教えていた教師も、ただそれだけの理由で同じように捕らえられ、如何なる人間としての権利も無視され、生き埋めにして殺された」

「そして、その後で、彼ら文革の独裁者たちが、何をしたと思うかね・・・?
 彼らは、弾圧への屈従と引き換えに生き延びた者たちに、その家族や友人たちに土をかけて生き埋めにすることを強い、更にその土地の上に自分たちの畑を作るように命じた・・・
 『人間の体は作物の肥やしに最も適している』と、毛沢東が言った言葉を、そのまま実行させたのだ・・」

「王くんは、殺された家族を弔うためにも、生命をかけて彼らに復讐し戦うことを決意し、同じ志を持つ人たちと共に抵抗運動をし、ある時、共産党幹部の命を狙ったが、どこから洩れたか、その計画が発覚して追われる身となってしまい、その追捕(ついぶ)の手を逃れながら必死に逃亡する最中に、偶然私たちの組織と縁を持つことになったのだ・・・」


 ・・・・宏隆は、言葉も出なかった。

 あまりにも、自分は何も知らない・・世間知らずも甚だしい、と思えた。
 生涯をかけて中国武術を学びたいと言っておきながら、その中国の現状について何も知らぬに等しい自分を、宏隆は恥じた。

 自分が想像していた王老師の過去も、いま、張大人の話を聞けば、まったくそのイメージが違っていた。

 それに、学校では、そんなことを何ひとつ教わったことが無い・・・・
 学校などに頼らず、もっときちんと歴史を勉強しなければならない、と思える。
 そして、何が人をそのように侵略や殺戮に駆り立て、また、それに対する復讐も重ねて行かねばならないのか・・・そのこともまた、学んでいかねばならない。

 ・・・そう思っていると、張大人が付け加えて、こう言った。

「文革のときの、王くんの話を聞いて、ずいぶん驚いているようだが・・
 君は、つい最近の、君が生まれた祖国の、日本国の歴史を理解しているだろうか?
 アメリカから日本が受けた被害は、かつて世界に例を見ないものだった・・・」

 張大人は、日本人である宏隆よりも、はるかに日本の歴史に詳しかった。
 それは、宏隆が学校の歴史の時間に学んだような、年代ごとのダイジェストではなく、まさに、激動の歴史の中で生き抜いてきた人の、歴史を体験した重みを持つ言葉であった。


                              (つづく)





  
 

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2009年09月08日

連載小説「龍の道」 第26回




 第26回 臺 灣 (たいわん)(5)



「・・・それは、王老師に、これは吾々の宝物で、誰にも見せてはいけないと強く言われているからです。自分はそれを約束した上で陳氏太極拳を学ぶことを許されているので、王老師の許可が無くては、この套路は、どなたにもお見せすることは出来ません」

 宏隆は、きっぱりと張大人にそう告げた。

 隣に座っていた陳さんが、それを聞いて慌てて宏隆に何かを言おうとしたが、張大人は、にこやかな顔で、それを眼で制して、

「ほう・・・そうか、そうだったか、それは、見せてはいけないな・・・
 心ないことをお願いしてしまったね。
 では、それは改めて、きちんと王くんの許可を得てからのことにしよう」

「はい、ご理解をいただいて、ありがとうございます」

 宏隆は、大真面目で礼を述べると、

「うん、そうか、そうか・・・わはははは・・・・」
 
 張大人は、楽しそうに笑った。

 そうしているうちに、眉目秀麗な女性が茶道具をワゴンで運んで来て、お茶を淹れてくれる。宏隆は初めて王老師と会った、あの地下室で飲んだ中国茶の味を思い出した。

「・・まあ、お茶を喫(の)みなさい。日本では、大陸の烏龍茶ばかりが有名になっているようだが、台湾のお茶は、それに勝るとも劣らず、とても美味しいのだよ」

 張大人が、そう言ってお茶を勧めると、

「はい、紫藤廬(ツートンルー)のお茶は “仙人境” の味がするそうですね」

 宏隆が意外な応答をしたので、張大人はちょっと驚いたような顔をして茶器を取る手を止めたが、やがてすぐに笑い出し、

「ははは・・・・ 君は、なかなか面白い・・・・ 
 陳よ、彼は愉快な若者ではないか・・・わはははは・・・」

「あ・・は、はい・・・・」

 宏隆にしてみれば普段と変わらぬユーモアのつもりだったのだろうが、たった今、組織の長である張大人に向かって「套路は見せられない」と言ったばかりの宏隆が、今度は際疾い冗談を言ったので、陳さんはどうすれば良いのか分からないような複雑な顔をして、畏まって張老師の言葉に頷いた。

 しかし、張大人がいかにも楽しそうに笑っているのを見て、陳さんも少しほっとしたように、それに合わせるように一緒に微笑んで、笑った。

「ところで・・・」

 薫り高い台湾茶を美味しそうに飲み干し、その小振りな茶碗をテーブルに置きながら、張大人がおもむろに話しはじめた。

「君は、私たちの “家族” になる意志は、あるだろうか?」

「はい、そのことですが・・・
 ご質問にお答えする前に、まず僕の方から、お訊きしたいことがあります」

「・・おお、何なりと訊きなさい」
 
「まず、“家族”というのは、どのような意味なのでしょうか?
 初めてテストを受けた時にも“家族”になるのだと言われましたし、大武號の人たちからも、別れ際に、君はもう吾々の家族だと言われましたが、いまひとつ自分には実感がありません。家族になるということと、王老師の正式な弟子になると言うことが、どこでどのように結びつくのでしょうか・・?」

 宏隆は、率直に自分の疑問を述べると、

「ふむ・・・君の疑問はもっともかもしれない。
 そう、つまりそれは、こういうことなのだ・・・・」

 張大人は、宏隆に向かって説明をし始めた

「家族というのは、私たちが肉親よりも強い繋がりを持ち、どのような事態にも互いに助け合って生きていくということを誓い合った“絆”を意味している。
 お互いに、お互いを、自分自身のように思い遣り、助け合って、団結を誓う者たちの集まりを、より大きな力にしていこうというものなのだ」

「また、君の師である王くんは、かつて大きな活躍をした人で、今では私の組織では重要な役割を担ってくれている。さらに、その王くんの師に当たる人は、今は鬼籍に入ったが、この組織の創始者であり、また、私の義兄弟であり、命を懸けて共に闘った戦友でもある。
 彼は陳氏太極拳の達人だったが、彼の修得した奥義は、この組織を通じて伝承されている。だから、王くんが君に武術の奥義を教えるためには、私たちの許可が必要になるのだ」

「わかりました。そのようなことであれば、僕が “家族” に参入するほうが自然なことだと思えます・・・しかし、もうひとつ質問をしてもよろしいでしょうか?」

「良いとも、何なりと遠慮なく訊ねなさい」

「その組織は、いわゆる“秘密結社”と呼ばれるものではないのでしょうか?
 大武號には、民間の貨物船なのにライフルやロケット砲などの、軍用の武器がたくさん積まれていましたし、乗船の際には秘密諜報員のように、身体検査に荷物検査、本人かどうかを確認するための“合い言葉”までが必要でした。
 北朝鮮の工作船の攻撃を受けたときにも、大武號がこの組織の船であることを承知の上のことだと船長が言っていました。僕は寝ていた部屋に突然機関銃を撃ち込まれて、その無法が許せず、つい応戦してしまいましたが・・・」

「おお、その話は報告を受けている・・・
 負傷した孫(ソン)くんに代わって、君が大活躍してくれたそうだね」

「いいえ、活躍などと言うものではありません。実戦経験もないのに、夢中でやってしまって、敵に撃たれなかったのは、単に運が良かっただけだと思います。
 それよりも・・・失礼な言い方かも知れませんが、僕には秘密結社とギャングの違いがまだよく分かっていません。それが疑問でならないのです」

「ふむ・・・では、君の質問に答えよう。
 世間からは秘密結社などと言われているが、私を長とするこの組織は、『玄洋會』という名で政府に登録をしている団体でもある。
 これは、志をひとつにする者たちが集まり、相互の扶助と、祖国のために尽くし、働き、貴重な文化を正しく守るという目的を誓い合っている、公然の結社なのだよ」

「それでは、地下に潜ったマフィアのような違法な組織ではない、ということですか?」

「確かに、私たちは単なる武術の門派でもなければ、ただの海運会社でもない・・・
 私たちはアジアの動乱の歴史と共に生き、その中で吾々が真に守るべきもの、人間の、民族の尊厳とは何か、心して遺すべき文化とは何かを真剣に見つめ続け、その為の大いなる指針として、陰陽太極の原理を学んできた」

「守るべき秘密もある・・・私たちは、太極拳を武術として実際の戦闘に役立てるために、長年に亘ってその原理の研究を続けてきた。実際、その資料だけでも膨大なものだ。
 それらは文化大革命ですべて焼き捨てられそうになったものを、共産党の目から必死に隠し、逃れ、逃れて、この台湾まで運んできたのだ。
 その中には陳氏太極拳の最高秘伝書と言われる “三三六拳譜” も含まれている。
 それは、王くんの師である人が命懸けで陳家溝から持ち出して、王くんに与えたものだ。
 “破四旧!(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣の打破)”、“革命無罪!”と叫んで紅衛兵が町や村へ繰り出し、多くの文化人に暴行を加え、強制連行し、貴重な文化財を破壊したあの時代に、外部に持ち出さなければ、それは間違いなく紅衛兵に焼き捨てられていたことだろう。
 因みに、現在、三三六拳譜の完全な写本を持っている者は、世界に五人ほどしか居ない。そして、たとえ陳氏の嫡孫といえども、実際にそれを目にしたことがある人は少ない。それほど重要なものなのだ・・・」

「私たちは、ただ戦いのために絆を強めているのではない。この太極原理は、人間が人間として如何に在るべきかを明示している。この高度な武術原理を修得するためには、人間としての修行を積まなくては、本当のところは何ひとつとして理解できない。
 吾々は、そのような人間の尊厳を平然と踏み躙る者たちと闘っているのだ・・・」

「船に武器を積んでいたり、訪問者の身元を確認したりするのは、君が遭遇したような事件が余りにも多いからだ。吾々の貨物船が襲撃されたのも、今回が初めてではない。
 運搬を依頼された積み荷の中に強力な時限爆弾が仕込まれていたこともあるし、この私自身も、長年命を狙われ続けている身分なのだよ。
 ・・以前、自宅が爆破されたこともある。幸い外出していて、助かったがね。こんな老いぼれの命を欲しがる者が、何故かこの世にはたくさん居るらしい。わはははは・・・」

「もちろん、武器を持つことは違法には違いないが、自分たちの安全は、警察や軍隊がそのつど守ってくれるものではない。そこには何の保証も無いのだ・・・
 もし武器を持たなければ、昨日のような場合、あっという間に船が乗っ取られて、有無を言わさず、船ごとキタに連れて行かれただろう。今ごろ君は、空調の心地よい円山大飯店のスイート・ルームではなく、荒涼とした北朝鮮の収容所で途方に暮れていたはずだ。
 私たちは自衛の手段として武器を所有し、チカラを強くして敵の侵略や武力攻撃に対抗している。国家安全局(註:台湾情報局)もそれを承知の上だが、見て見ぬふりをして、むしろ私たちに協力さえしてくれているし、私たちには軍隊との繋がりもある・・・」

「日本では、戦後二十年も平和が続いているので、現代の日本人である君に、こんなことを説明しても、なかなか分かりにくいかも知れないね・・・
 しかし日本人は、その平和も実はうわべだけの事なのだと、早く気付く必要がある。何故なら、彼らは日本の敗戦と同時に、日本に対する侵略を開始しているからだ。
 彼らの日本への侵略が始まってから、すでに20年もの時間が経過していることになる」


 ・・・張大人の言っていることは、宏隆には何とか理解できた。
 しかし、日本の平和がうわべだけのものに過ぎず、わが国に対してすでに侵略が始まっているということについては、一体何のことだかよく分からず、

「・・・侵略? でも、今の日本が誰かに侵略されているとは、とても思えませんが?」

 そう訊き返すと、

「はははは・・・そう、それこそが “一般人の認識“ というものだよ。
 いつの世も、一般の国民は、何も知らないし、何ひとつ知らされもしない。
 いや、そもそも、一般人に察知されるようでは、本物の侵略とは言えない。
 むしろ、人々には、常に正反対の情報が、それらしく与えられるのだ。
 一般人がようやく真実を察知する頃には、侵略の準備がほとんど整っているのだよ」

「・・・・・・」

「・・ふむ、分からないようだね・・・少し説明をしようか」

「侵略というのは、いきなり他国に武力攻撃を仕掛け、国土を占拠することではない。
 それは、密かに、まずその国の “世論” を少しずつ変えることから始められるのだ」

「日本にはすでに反日主義で有名な大新聞が存在しているが、その他の主要な新聞も、主要な放送局も、そして主要な政党、警察、自衛隊、皇室にまで・・・強力な病原菌で汚染していくように、誰にも気付かれないように、それらをじっくりと手中にすることから、侵略は始められるのだ・・・」

「そして、そのために巨額の資金が投入され、誰が見ても一般人に見える、有能な情報員が何千人、何万人と送り込まれる。もっとも、その資金も、大方は日本から巻き上げたODAから出ているのだから、皮肉なものだ。
 彼らは日本人と結婚して日本国籍を取り、日本人に成り済ます者もたくさん居る。
 日本の大企業に入って働き、或いは自分で会社を造って経営したり、近所のパチンコ屋や酒屋、大小のスーパーマーケットなど、庶民が出入りするところの経営はもちろん、大学教授にも、政治家にも、政治家の有能な秘書にも、公共放送の幹部にも、そしてやがて警察の幹部や、自衛隊の幹部にさえ、成り済ましていくのだ・・・」

「・・・・・・」

「それは、順調に進んでいる・・・
 このまま行けば、あと10年か20年もすれば・・・20世紀が終わる頃までには、彼らの侵略計画は、ほぼその基盤を造り終えているはずだ。
 その頃になれば、ようやく少しばかり、その兆候が一般人にも見え始めるかも知れない」

「例えば、主要な放送局がかなり偏向した報道をするようになったり、人気のニュースキャスターが日本の侵略を狙う国の肩を持つ発言をくり返したり、与党の大物や大臣でありながら日本を否定するような言動を繰り返したり、自衛隊の機密が幾つも漏洩したり、政権を狙えるチカラを持つ野党が、かの国々と深い繋がりを持っていたり・・・
 その野党の幹部や党首の秘書が、他国の反日運動組織の幹部でもあったり、国内の反日組織と深い繋がりを持っていたり、官庁や警察の天下り先の多くが彼らの経営する企業であったり・・」
 
「・・・挙げていったらきりがないが、たとえば日本への侵略を進める敵国との強力なコネクションを持つ野党が急激に勢力を増してきて、外国人の参政権を認める公約を掲げたり、外国人の日本への大規模な移住を推進しようとしたりするようになったら、まず、大いにその計画が進んでいると思って間違いない・・・
 まるで、日本の国土や国家は日本人だけのものでは無い、とでも云わんばかりにね・・」

「そんな馬鹿なことが・・・・ それは、本当ですか?」

「本当だとも・・!!  
 これらは単なる私たちの想像でもなければ、ことさら大袈裟に語っているわけでもない。それは、他国を侵略する際の常套手段なのだ。
 失礼ながら、吾々から見た現在の日本人は、表面的な平和と経済繁栄に目を奪われ、戦後の偏向した教育と歪められた情報の氾濫ですっかり考え方を変えられてしまい、民族や国家というものに無関心な人間を多く生み出して、このような “祖国の危機” にすっかり鈍感にさせられてしまっていると思えるのだが・・・」

「では・・・ いったい、日本は誰に・・・
 どのように侵略されつつある、と仰るのですか・・・?」


                               (つづく)


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