Alfa Romeo

2010年11月13日

Cuore Sportivo:Alfa Romeo (3)

  「卒業」のアルファロメオ       by Blog Tai-ji 編集室 



      
 
 

 今回の映像は、1967年(昭和42年)に公開された映画「卒業」に登場する、美しい真紅のスポーツカー「アルファロメオ・デュエット・スパイダー」である。
 実際にこの映画を観たことのある人なら、アルファという車をよく知らない人でも、その華麗さに目を奪われたに違いない。事実、この映画を観たのがきっかけでアルファロメオの虜になった人は多い。

 「卒業」に登場する「デュエット・スパイダー」は、主人公のベンジャミンが大学を卒業したお祝いに、両親にプレゼントしてもらったクルマとして、物語の初めから終わりまで、ピカピカの新車から、泥に汚れた惨めなガス欠車になるまで、物語の名脇役として活躍している。

 映画には「サウンド・オブ・サイレンス」「ミセス・ロビンソン」「スカボローフェア」など、誰もが知る名曲の数々が使われており、サイモン&ガーファンクルは、この映画音楽を担当したことで世界中にその名が知られ、大成功を収めることになった。
 また監督のマイク・ニコルズはアカデミー監督賞を受賞し、主役のダスティン・ホフマン(当時30歳)は、この映画で初めて俳優としての名声を得て、アカデミー主演男優賞にノミネートされると共に、英国アカデミー新人賞、ゴールデングローブ有望若手男優賞を得るに至った。

 アルファロメオの「デュエット」は、先に大成功を収めた「ジュリエッタ・スパイダー」に次いで、ピニンファリーナによる美しいデザインで造られているが、ご覧のように50年近く経った現在でも、立派に通用する洗練されたフォルムと走りで人々を魅了する。
 立てば芍薬、座れば牡丹、などという表現があるが、アルファロメオに限っては走る姿は全く百合の花どころではない。官能的とさえ感じられるエグゾースト・サウンドを響かせながら、わずか 1,600cc で109馬力しかないエンジンにも拘わらず、'60年代としては脅威的であった180km/hの最高時速まで、イタリア車らしい 6,000rpm の高回転まで一気に吹き上がり、胸のすくような加速を見せてくれる。
 それはスパイダーという名を冠したアルファの誇りであり、美しく、速く、クルマを駆ること自体が喜びとなる、アルファロメオの創業以来の不変の哲学でもある。

 太極武藝館には、申し合わせたようにアルファロメオの愛好者が何人も居る。
 円山洋玄師父はその代表のような存在で、これまでに五台ものアルファを乗り継いでこられているが、普段使われている車とは別に、今でも'96年式の真紅のスパイダーを愛用されていて、天気さえ良ければ寒い冬でも幌を外して、オープンで走りを楽しまれている。
 そのスパイダーのツインスパーク・エンジンは 2,000ccで150馬力ほどしかないのだが、その走りはスパイダー(蜘蛛)どころか、獲物を狙う豹を想わせる早さと、非常に撓やかな身のこなしを見せる。

 もちろん新世代のアルファたちと比べれば遥かに馬力も少なく、メカニズムに至っては隔世の感があるのだが、それとは別の「走りの質」がまったく違っている。コンピュータで何もかも制御され尽くした新世代のアルファたちとはひと味もふた味も違って、この十五年前のスパイダーは呆れるほど速く、美しく、優雅にワインディングを駆け抜けるのである。
 武術で云い表せばそれは、近代兵器を手にした現代の兵士たちと比べて、未だに手に槍や刀、棍などを持って闘う前時代的な姿なのかもしれない。しかしその身体操作は近代兵士に比べて絶妙であり、弾丸さえ軽々と躱してしまうのではないかと思えるほど、一般常識の域を遥かに超えているように思えてしまう。

 アルファロメオを駆る門人たちは皆、声を揃えて「その走りは太極拳のようだ」と言う。「アルファに乗れば、師父の動きの繊細さが分かってくる」と言う人さえ居るのである。
 そのメカニズムは、様々なレースで栄冠を手にし続けた長年の偉大な経験で培われたものであり、その走りは他に類の無い刺激的で官能的なものであって、質実剛健を貫く日本車やドイツ車、大味なアメリカ車などとは大きく一線を画すものである。

 そしてそのことは、他の自動車メーカー自身が一番良く知っている。
 かつて世界の自動車王と言われた、あのヘンリー・フォードに、

 『私は、目の前をアルファロメオが通るたびに、帽子を脱いで敬意を払っている』

 と、そう言わしめた、もはや単なる自動車であることを超えてしまったアルファロメオの奧の深さは、オーナーになってそれを駆ってさえみれば、誰もがすぐに大きな喜びと共に理解できることに違いない。

                                 (了)




          


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2009年11月03日

Cuore Sportivo:Alfa Romeo (2)





   156と私            by のら(一般・武藝クラス) 



 初めてアルファロメオに乗ったのは、師父の「Alfa 156」が納車された日だった。
 それまでパリ・ダカール・ラリーにでも出場できそうなゴツイ四駆に乗っていた師父は、掛川に居住されることが決まってからは、それを信州の家族のもとに置き、新しく発売されたばかりの、アルファ・ロメオ156(V6 24V 2.5L)を購入されたのだ。

 そのクルマは、掛川の道場の前に、キャリア・カーで運ばれてきた。
 夕暮れが間近となっているにも関わらず、その真紅のスポーツカーは、鮮やかな光彩を放って私の目の前に降り立ち、エレガントな容姿に似合わぬ野太いエグゾースト・ノートを周囲に響かせながら、道場前の駐車場に整然と駐められた。

 何という美しいクルマなのだろう・・と私は思った。
 普通の乗用車で、これほどボディラインの美しいクルマを、私は見たことがない。
 そのスタイルは限りなく女性的であり、角ばりのないボディは優しささえ感じさせる。
 しかし、かといって決してエレガントに見えるばかりではなく、よく見れば、まるで獲物を狙う猛禽類のような、鋭く、力強く、敏捷な動きをする底力が感じられる。その力強さはドイツやアメリカの車に見られる硬骨さとは違って、スマートで瀟洒なダンディズムに裏打ちされる強さのように思えた。

 夕暮れの駐車場の照明の中で、何度となくそのクルマの周りを回り、前から、後ろから、目線の高さを変えてはそのクルマの隅から隅までを眺め、まるでレースカーのようなコックピットをしげしげと見つめ、時の経つのを忘れるほど、飽きずに眺めた。

 そのクルマを駆る主(ぬし)となる師父は、それから3時間ほどして掛川に到着された。
 昨日、信州で稽古を指導され、今日は何軒かの整体治療の往診に回ってから此方に新幹線で来られたのである。

 駅からタクシーで来られた師父は、駐車場でクルマを目にするなり、

「おお! やっぱりアルファ・ロメオだ、綺麗なボディラインだねぇ〜!」

「うーん、何という美しいデザインなんだろう。この、サイドラインの真上にドアノブを付けるなんて、憎いねぇ・・まるで宝石をちりばめたように配置した、と言われる、このテールランプの形の美しさはどうだ・・・やがて世界中のクルマに、このデザインが真似されていくんだろうね。こんなクルマを、日本が造れたらなぁ・・・」

 そう仰ると、三階の住まいには上がらず、「このまま初乗りをしようか!」と私を誘って下さり、後部座席にカバンを放り込んで、エンジンをかけた。

 助手席に座った私は、初めて乗るアルファ・ロメオの、その ”MOMO” のシートの繊細な感触にまず驚かされ、助手席からはコックピットのパネルがまったく見えないことにも少なからず驚かされた。同乗者にそれが見えないと言うことは、余分な光の反射を入れず、ドライバー自身に最も視認性が高い設計になっている、ということでもある。

 師父は高らかにブリッピングを上げながら、何度も回転数の感触を確かめ、やがてギアを1速に入れて、夕闇の中に、滑るようにクルマを走らせ始めた。

「ウインカーは、ひ、だ、り、っと・・・」

「ああ、外車は左にウインカーが付いているんですね?」
 
「うん、日本車と反対で間違えやすいので、初めは、左、左、って云いながら走らないと、ついワイパーを誤作動させちゃうからね・・・」

 国道に出て、バイパスに乗る。
 通勤時間はとっくに過ぎているので、交通量はそれほど多くない。
 かつては筑波サーキットでレースをしていたこともある師父は、シフトレバー捌きも鮮やかに、シフトアップをしては加速し、回転を合わせながら低いギアまで、素早くシフトダウンを繰り返して、このクルマと対話をしているように見える。
 そして、その度に156は「クォォォーン」という、独特の心地よいエグゾースト・ノートを響かせて走る。人を魅了するその官能的な排気音は「アルファ・サウンド」と呼ばれている。アルファ・ロメオには、独自の排気音を設計する専門部門まで存在しているのだ。
 これは、たとえアルフィスタでなくとも、それを耳にした誰もが魅惑されてしまう響きに違いない。

 加速する時には、シートの背に強く押し付けられるようなGが掛かるが、減速する時には、ダブルクラッチをしてギアとギアの間で回転数を合わせるので、シフトダウンのショックがほとんど感じられない。オートマに馴染んだ私には、考えられないようなテクニックである。

「いやぁ・・ 良いクルマだなぁ・・・」

 運転している師父が、ポツリと、ちょっとウットリした表情で、そう言われる。

「いろんなクルマに乗ってきたけれど、運転していて、こんなに楽しくさせてくれるクルマは、ちょっと他には無いね!」

「ホントに凄いクルマですね。隣に乗っているだけでも、そう思います。
 まず、これがフォードアのセダンだとはとても思えないです。飛行機が離陸するときの加速みたいで、翼を付けたらこのまま飛んで行くんじゃないかと思えてしまう・・・」

「ははは・・・これで190馬力しか無いっていうから、驚き、モモノキだね!、貴女が仕事用に乗ってるビスタだって、165馬力はあるんだから・・・」

「・・それって、大したことないんですか?」

「近ごろのクルマは、フルタイム4WDのレガシィだって285馬力もあるし、ランエボやインプレッサだって300馬力近くもあるでしょ・・・でも、それだけ馬力が違っても、多分コイツの ”走り” には敵わないだろうね」

「100馬力以上も違うのに、このクルマの敵ではない、ってことですか?」

「・・クルマっていうのは、スペックだけじゃ計れないんだよ。日本人はスペックを盲信する傾向があって、やたらと高馬力のクルマをありがたがるけど、実際に走ってみた性能は必ずしもそれと一致しないし、ドライバーの腕によっても大きく変わる。クルマの性能はスペックよりも ”バランス” で決まるんだ」

「バランス・・?」

「そう、太極拳と同じだね。バランスで決まってしまう」

「その、バランスって、どういうことなんですか?」

「クルマで言うと、フレームと、ボディと、エンジンと、足回り、このバランスがきちんと取れていないのに、やたらと馬力やトルクを上げても、クルマは走ってはくれない・・」

「・・そうなんですか? 私は馬力がありさえすれば速いと思ってました」

「ははは・・・普通は、そう思うね。
 でも、たとえば、発勁の練習ばかりをしても、基本功が理解できていなければ打っても効かないし、相手を吹っ飛ばすことも出来ない。
 ボディビルで、ものすごい筋肉を造っても、腹筋やスクワットが何百回できても、身体のバランスがトータルに取れていないと、武術では何の役にも立たないでしょ・・・それと同じことだよね」

「よく、打撃力を、他の格闘技と比べて計測したりしますけど・・?」

「・・そんなのは、ほとんど無意味だろうね。それと武術の戦闘能力とは何の関係もない。
それよりも、どうしてそのような破壊力が発生するのか、というメカニズムを研究しなくてはならない。人間を打つのに瓦を15枚も割る必要はないし、計測して驚くような破壊力があるかどうかも問題じゃない。武術に必要なのは、カラダ全体の、絶妙なバランスなんだよ」

「それじゃ、このクルマは、そんなバランスを優先して造られていると・・?」

「そう、こんなに優れたバランスのクルマは、今どき珍しいね。見事なまでにバランスが取れているから、速くて力強い走りが可能になる。しかも、クルマを走らせることはスポーツなんだ、というアルファ・ロメオのポリシーが貫かれていることを強く感じさせてくれる。
 まさに、クオーレ・スポルティーボ(Cuore Sportivo=スポーツの魂)だね!、きっと、この車は、アルファ・ロメオの名車として、永遠に語り継がれるクルマになるよ。2リッターのツイン・スパークなら、もっとアルファらしさが出ているんだろうね・・・」


 そんな話をしながら、師父は各ギア毎にきちんと回転数を5〜6,000rpmにまで上げ、シフトアップとシフトダウンを繰り返して走っている。

「・・どうして、そんなにアクセルを吹かして走るんですか?」

「エンジンには、最もトルクや馬力の出る回転数があるんだ。各ギア毎に、それらに合わせて使ってやると、そのクルマの性能が最大に使われる。普通は、その車の性能の何十分の一しか使っていない人がほとんどだろうけどね。これは武術でも同じことで、構造を理解しないと、なかなか人間が持つ性能をフルに使えないのだけれど・・」

「なるほど・・・私の弟もアルファ好きで、S.Z. という車に乗っているんですけど、やっぱりスゴイ走りだ、って感動していました。
 ウチの弟は、鈴鹿でバイクの8耐(8時間耐久レース)をやるような人なんですけど、アルファに惚れてしまって、もう、一生乗り続けるって言ってます」

「うわぁ、S.Z. に乗ってるの? いいなぁ!! ザガートのデザインってのは強烈だね、私も一度はオーナーになってみたいもんだなぁ・・!」

「・・そんなに凄いクルマなんですか?」

「あれは、確か3リッターで210馬力位しかないけど、その外見と走りの凄さで、イル・モストロ(IL MOSTRO)、つまり ”怪物” と呼ばれているんだ。10年も前のクルマだけど、今でも充分すぎるくらい通用する完成度の高いクルマだよ。走っている姿は怪物と言うよりも野生の猫科の動物、と言ったほうが近いね。
弟クンは8耐までやるの?、スゴイねぇー・・・いやぁ、S.Z. かぁ、幸せだねぇー!!」

「師父も、昔は筑波で走っていたそうですが、何故レーサーにならなかったんですか?」

「いや、レースは遊びでやってただけ・・本物のレーサーにはなる気はなかった。何でもそうだけど、よっぽど熱を入れなきゃ本物には成れないし、何しろ、ひたすら太極拳をやらなきゃならなかったんでね・・(笑)」

「あ・・・だんだん、エンジンの音が良くなってきましたね」

「そう、よく分かるね! 走りも、少し滑らかになってきたでしょ・・?」

「距離は、まだ30キロ位しか走っていないのに、不思議ですね」

「いや、これは、私がこのクルマに慣れてきたんだよ、ははは・・・」


 それから二年近くの間、私はこの156と共に、毎週末、必ず信州まで往復することになった。師父が信州の門人を指導するために、週末には必ず、片道350キロの道のりを、高速を飛ばして通われたので、それに随行したのだ。

 その間、156は一度も故障したことがない。せいぜいがウインカーのランプを取り換えたくらいで、小さなトラブルさえ、まったく起こらなかったのである。

 アルファはよく故障する、などと言われたのは、ひと昔前までの、純正パーツが手に入りにくかった時代のことで、このクルマのように、きちんと整備して可愛がって乗ってやれば故障のひとつも出てこない、という。特にこの156はアルファの威信をかけて造られたものだった。
 それに、師父はご自分の走りに合わせて、タイヤやエンジンオイルは無論、ブレーキパッドやドライビングシューズまで選ぶような人であり、日頃の整備点検も怠ることがなかったので、クルマは常に絶好調だった。


      



 このクルマの性能や、師父の運転技術を、まざまざと見せつけられた事が二度ほどある。
 一度は、信州で稽古をした帰り路のことだ。

 深夜の高速の、峠にあるとても長いトンネルの直線部分を、後ろからスカイラインGTRがピッタリと迫って来た。よくある嫌がらせだ。師父も決してのんびりと走っているわけではないのに、深夜のトンネルの中を、意味もなく後ろから執拗に煽ってくるのである。

「危ないなぁ・・馬力があってアクセルを踏みさえすれば速く走れると、勘違いしてる。
あれじゃ遊園地のゴーカートと同じだね。ネコにGTR、ってヤツ・・あははは・・・」

 師父はそう言って笑い、全く相手にされなかったが、余りにも執拗に後ろで煽ってくるので、トンネルを抜けてから先の、長い下りのワインディングが続くところで、

「しつこいなぁ、それじゃ、これでもピッタリ付いてこれるかな・・?」

 ・・・と言って、かなりワインディングのきつい下り坂を、それまでの運転とは打って変わって、スッとアクセルを踏み込んで、走り始めた。

 私は、その経験したことのない、もの凄い速さにも驚いたが、何よりも恐怖をまったく感じないことと、助手席の私にそれほどGが掛かってこないことには、もっと驚かされた。
 滑らかに、しなやかに・・・・走る、というよりも、まるでイルカが泳いでいるような、私の経験したことのない、そんなクルマの走りが MOMO のシートにすっぽりと包まれている全身に感じられたのだ。

 あれほど執拗に後ろにピタリと付いていたGTRは、意外にも、その下りでグングンと離され、あっという間に見えなくなってしまった。追い越したいのなら、トンネルよりもはるかに抜きやすいはずなのに、まったく付いて来れないのだ。
 その下り坂の、やたらと長いワインディングが終わった頃、師父はようやくスピードを普段のレベルに落とした。

「どうしたかな? パンクでもしてなきゃ良いけど・・・」

 しばらく経って、その先の立ち寄る予定のパーキングエリアが近くなって、師父が更に速度を落とし始めたころ・・・直線が長く続くようになった辺りで、後ろから先ほどのGTRがもの凄いスピードで追い越していった。

「やれやれ・・ちっとは懲りて、ゆっくり走ればいいのに・・・あんなハシリをして、事故んなきゃいいけどね」

「遊んであげたんですね? でも、凄いスピードでしたけど・・・」

「そう? あれでもセーブして走ってたんで、怖くなかったでしょ?他の人が乗っているときには、そんなにスピードを出さないことにしているからね。
 でも、あんな走り方をしちゃ駄目だね。他人を相手にスピードを出したきゃ、サーキットに行けばいいんだ。サーキットで走れば、自分がどんなに下手クソか、よく分かる。
 自分の車の性能を誇示したくて、他人に迷惑を掛けて満足するなんて、クルマ好きとしては最低だね。マシーンに与えられている性能と、自分の能力を勘違いしているんだよ。
 あれじゃ、高性能のクルマに乗る資格は無い。だいたい、造った人に失礼でしょ。あんなヤツが居るから、海外じゃ、 ”GTRは高性能だが、見た目は東京のタクシーのようだ” なんて悪口を言われるんだよ」


 もう一度は、門人の駆るレガシィと一緒に走った時だ。
 彼は、かつてスバルのチームでサファリラリーに出場した経験を持つ人で、スバルには相当愛着があり、ヒマがあれば車庫でクルマをいじっているような人だ。
 国産車贔屓であり、勿論スバル贔屓でもあった彼は、真っ赤な色のエレガントな156を見て、内心、どうせ大したコトのないヤワそうなクルマだ、と思ったと言う。
 クルマのプロであり、メカニックとしても活躍している彼は、師父にしては間違った選択をされたな、と思ったのだ。何と言っても、この「レガシィ・ツーリングワゴン・GT」は、米国ユタ州のボンネビル・スピードウェイで、まだデビュー前のレガシィが10万キロ走行をして、平均速度249.981Km/h の、”世界最速ワゴン” の記録を樹立したという、輝かしいクルマなのである。

 その彼と、東名高速を一緒に走る機会があった。彼のレガシィは2L・DOHCターボ仕様の280馬力、トルクは 35.0kg、車両重量は1,430kgである。
 師父の156は、2.5L、190馬力、重量は1,390kg、トルクは 22.6kg。
 排気量で僅かに 500cc 多いものの、あちらはターボつきで一人乗り、こっちは四人も乗っているのだから、どう見ても馬力とトルクが勝る向こうの方が速いに決まっているよなぁ、と思いきや・・・

 意外にも、レガシィは、まったく付いて来れない・・・
 師父は、ごく普通に走っているのである。飛ばしているわけでもなく、ましてや競争しているわけでもない。グングン他車を追い越して、縫うように走っているわけでもないし、シートには格別なGも掛からないのだ。

 なのに、レガシィは付いてこない・・・
 師父が、「あれ? あいつ、どうかしたのかなぁ・・・」などと心配されるほど、彼の駆るレガシィは「ミラ点現象」、つまり、此方のルームミラーの中に、見る見るうちに ”点” になっていく。

 これには、さすがにレガシィの彼も驚いたらしい。
 いや、実際に相当にショックだったのだと思える。何故なら彼は、その後間もなく、強化クラッチ、吸気系、排気系、足回りなど、そのレガシィを百万円も掛けて改造し、再び師父の156と共に走る機会を持ったのである。

 ・・・しかし、結果は、またしても同じことであった。

 そして、ついに彼はこう言った・・・

「師父・・今度、そのクルマを運転させてくれませんか?」
 
 そうして彼は、初めてアルファ・ロメオを運転してみて「自分の想像と、全く違った」と言った。「日本車にこの真似は出来ない・・やはり、クルマの歴史の長さの違い、レースの経験の違いを大きく感じさせられてしまう」・・と。

 シャシーがどうで、フレームがどう、エンジンの何がどうである、といった専門的なことも彼は多く語ったが、残念ながら私にはそれがどのようなことなのか、まったくよく分からない。しかし彼は、その長いクルマ人生で初めての、まったく新しい「考え方」を体験していた。それはとても高度な、そして、とても美しい「考え方」であった。

 彼はその後、改造したレガシィを他の門人に譲り、「GTV」という、師父が所有するもう一台のアルファ・ロメオを、師父に懇願して譲り受けることになった。

 そのGTVは漆黒のスポーツ・クーペで、一週間、三週間、一ヶ月、三ヶ月と、月日が過ぎていくにしたがって、彼のクルマに対する考え方が変わっていった。

 やがて、彼は言った・・

「・・本当に、無知ほど怖ろしい事はありませんね。僕はこんな素晴らしい車が世の中にあることを知りませんでした。師父の太極拳と同じで、やってみないと、体験してみないと、決して解らない。
 このクルマは乗れば乗るほど、自分が高められていくのが分かります。
 凄いクルマですね・・・太極拳と同じです、自分の太極拳に対する考え方が、このお陰で随分変わりました。とてもいい勉強をさせて貰っています・・・」
 

          *  *  *  *  *  *  *


 ここに、師父が秘蔵の、イタリア製の156の CF(コマーシャル・フィルム)がある。
 かつてベニスを襲った大寒波を題材に、その時の様子をイメージして、とても素敵なCF が作られたのだ。

 温暖なベニスの海に氷塊が寄せてきて、ありとあらゆる運河が氷で埋まり・・・・
 そんな不思議な光景の中を、最新型のアルファ156が駆け抜けて行く。

 ベニスが氷で埋まることが長い歴史の中で有り得ない事、極めて稀なことであったように、スポーツカーの名門、アルファ・ロメオの長い歴史の中で、156の存在は、際だって滅多に有り得ないスゴイ事件なのであると、まるでそう言いたいばかりに、氷で埋め尽くされた運河を走る156の映像が流れる・・・

 そのビデオを師父からお借りしたので、ここでご紹介したい。
 わが太極武藝館もまた、中国武術の長い歴史と文化、太極拳の大いなる歴史の中で、そのような希有なる存在とならんことを、心より願いつつ・・・


                                   (了)




   

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2009年09月02日

Cuore Sportivo:Alfa Romeo (1)





  愛しのジュリエッタ     by Taka Kasga(Australia branch)


 久しぶりに休暇を取って帰国し、ふらりとクルマで訪れた東京は雨が降っていた。
 首都高速の渋谷線を、用賀から六本木の方に向かって走っていると、道玄坂を超える辺りから、バスのターミナル越しに渋谷の東急が見える。東急は学生の頃よく映画を観に行ったり、時にはガールフレンドとプラネタリウムを眺めたりしたものだった。

 そのビルには、いつも大きな看板が掛かっていて、首都高を通過する人の目を惹く。 
 それが素敵な女性をモデルにした粋な宣伝だったりすると、ついアクセルを緩めて見入ってしまうのだが、その時は目を惹かれるどころか、ドキリと驚かされてしまった。
 僕を驚かせたのは、フロントガラスにそぼ降る雨の滴の向こうに、真紅のアルファロメオが、その美しいモダンなボディラインを見せていたからである。
 それは、日本で発売が始まったばかりの「アルファ147」だった。アルファロメオが東京のど真ん中で、こんなに華々しく宣伝されていることが、僕には少なからず衝撃的であり、アルフィスタとしては大層嬉しくもあった。

 イタリア人は、アルファロメオが大好きだ。もちろん、どこの国にもお金持ちは居るもので、本場イタリアではフェラーリ様もスゴイ音をさせながら街の中を走り回っている。
 しかし、一般の国民はフェラーリさまを敬いはしても、大多数は親近感のある、自分たちが真に誇りに思えるアルファロメオが好きで好きで仕方がないのである。イタリアに来るとそのことがよく分かる。
 街中でアルファが「クォォオーン・・・」という独自のサウンドを響かせながらやって来ると、バールに居る人はみんな必ずそっちを見てニコニコする。もしそれがコルセのGTVとか、新しいブレラや8Cなんかだったら、もう大変なことになるだろう。きっとみんなエスプレッソを放り出して店から飛び出してくることは間違いない。

 この国の首相や大臣も、決して偉そうなメルセデスやデイムラー何ぞには乗らず、頑なにアルファの166や159に乗っているし、パトカーには156や先代の155が使われていて、みな颯爽と走っている。
 今度の「007 Quantum of Solace」にも、その159が映画の冒頭から2台で、ボンドのアストンマーチンDBSを煽りまくってカッ飛んでいた。イタリアの映画館は、さぞかし何処も拍手喝采、かつてDTMでアルファ155がベンツやBMWを派手にぶっちぎった時のような勢いだったことだろう。アルファロメオが本場イタリアで愛されている理由は、それが輝かしいレースの歴史を持った、速くてカッコいいスポーツカーであるからに違いない。


 かつてイタリアを訪れたときに、ミラノからコモ湖を越えてアルプスを目指して走ろうと思い立ったことがある。オーストラリアと、どこか似たところのあるイタリアは、ヒトも、食い物も、空気も、何となく僕の性分に合うので、そんな事もつい気軽に出来た。

 その朝、僕はミラノのレンタカー屋で、ちょっと座席の軋むスパイダー・ヴェローチェを借りた。ヴェローチェは、以前から一度は乗ってみたいクルマだったので、どうせ乗るならイタリアで、それも本場のミラノで走ろうと決めていた。
 ミラノの市街で慣らし運転をしてから、先ずはチョイと腹ごしらえをしようと、そこらの路地のバールへ飛び込み、カップチーノ・スクーロ(濃い目のカプチーノ)を飲みながら、さて何処へ行こうかと地図を広げていたら、目の前の石畳の路に、よく手入れをされた真紅のクルマが、その優雅な容姿にはちょっと似合わない、気骨のあるエグゾースト・ノイズを立てて、キィッと停まった・・僕がベローチェを停めた、そのすぐ前に、である。
 ちょっと霧雨模様なので、僕は幌を着けていたが、そのクルマはオープンのままで、運転していた人は幌を掛けようともせず、そのまま降りてくる。

 男がクルマに心を奪われる時というのは、自分がとても心惹かれる女性に出会ったときと、とてもよく似ていると思う。
 名前も知らず、何処の誰かもまったく分からないのに、ただひと目見ただけで、ああ、この女(ひと)は自分と深いところで通じ合うことが出来る・・・何も語らなくても、ただじっと見つめ合っただけで、おたがいの総てがあっと言う間に分かり合えてしまう・・・などといった、そんな感じと、とても近いものがあると思う。

 このときの僕も、まさにそれに近いものがあった。

 そのクルマは、ピニンファリーナがデザインした「ジュリエッタ・スパイダー」だった。
 僕はそれまで、そのクルマを写真で見るだけで、本物を目の前にしたことなど無かったのだが、自分が座るバールの小さな席の窓ガラス越しから”彼女”をひと目見ただけで、あっという間に心を掴まれ、心底惚れてしまった。
 いや、決してその車から颯爽と降りてきた素敵なイタリア女性に惚れたわけではない。
 僕にとっては珍しく、髪が長くスタイルの良い、見るからに美人のその女性をまったく無視できてしまうほど、僕はその真紅のジュリエッタの存在に心惹かれ、その優雅な佇まいに目を釘付けにされてしまっていた。

 ジュリエッタを運転をしてきた女性は、バールに入ってくると、迷わずエスプレッソとパニーノ・プロシュット(生ハムのパニーノ)を注文して、店員や客たちの熱い眼差しに爽やかな笑顔を返しながら、僕の居る窓際の席の、すぐ前の席に腰掛けて、長い足を組んだ。
 小さなカップに角砂糖をふたつも入れたエスプレッソをあっと言う間に飲み干したその女性は、僕のテーブルに載っている大きめのカップをちらりと見ると、カウンターに向かって「Senta! Un cappuccino, per favore!(ねぇ! カップチーノを一杯ちょうだい!)」と声を掛け、「・・パニーノを食べるのに必要なの!」と言った。

 僕のテーブルのすぐ向かいに座っているので、その時、ふと目が合って、彼女はニコリとした。僕はその後ずっと、窓ガラス越しに心ゆくまでジュリエッタを眺めていたが、そんな僕に少し興味を持ったのか、その女(ひと)はパニーノを片手に気さくに話しかけてきた。
 しかし、イタリア語である・・・バールで珈琲を注文するくらいなら何とかイタリア語で出来るが、会話となるとそうはいかない。

 僕が、「貴女が英語を話せると良いのだけれど・・」と言うと、

「あら、ごめんなさい、ちょっと英国に居たことがあるので、何とか英語は話せるわよ!」

 と、笑顔で答える・・・気さくで、気持ちの良い人だ、と僕は思った。

「表のベローチェは貴方のクルマでしょ? 貴方の帰りを待っているように見えるわ・・
さっきから随分ジュリエッタを見つめているけど・・・ ”クルマが” お好きなのかしら?」
 
 その女(ひと)は笑って、 ”クルマが” と、強調して言った。
 もちろん、店中の人が注目している自分にではなく、自分が乗ってきたクルマの方に興味があるのか、とユーモアを利かせて訊ねているのである。

「いや・・ ”クルマも” とても素敵なので、つい見惚れてしまいました」

 僕も笑って、そう答える。

「まあ・・! あなたは日本人? ・・なのに、ユーモアのわかる紳士なのね!!」

「イタリア人だって、ユーモアの解らないカタブツも居るでしょ・・何か、日本人を誤解しているんじゃないですか・・?」

「だって、日本の男は皆サムライ、男尊女卑で、女は男の召使い・・・でしょ?」

「あははは・・・それは、百年以上も前の、”La Certosa di Parma”(パルムの僧院)の時代の話ですよ。日本は西洋人が思うような男尊女卑の文化ではありませんよ。それに、今どきの日本は、オトコよりも女性の方がよっぽど強いかも知れない・・いや、本当にね!」

「・・あなたも、女性に弱いのかしら・・?」

「僕が弱いのは・・・女性よりも、あんな美しいクルマの方に、ですね。
 女性は・・・まあ、しばらくは、遠慮したいと思っているのだけれど・・・」

「Mi dispiace・・・ごめんなさい、つまらないことを訊いてしまったようね」

「いいえ・・・でも、正直なところ、貴女のような美しい人を見ていると、そんな思い出もどこかに忘れてしまいそうになります・・・」

「Grazie mille(どうもありがとう)──────────────地図を開けているけど、これから何処かへ行くの?」

「コモ湖を抜けて、少しアルプスの方に向かって飛ばそうかと・・・」

「もし、よろしかったら・・・ご一緒にドライブしませんこと?」

「たった今、出会ったばかりの、名前も知らない女(ひと)と一緒に?」

「私は、ジュリエッタ。ジュリエッタ・プローディよ」

「カスガ・タカユキ。西洋の友人たちは、僕を ”タカ” と呼んでいます」

「タカ、ユキ、・・・良い響きね」

「でも、ジュリエッタって・・・本当に?」

「そう、イタリアにはとても多い名前・・・でも、とてもよく ”回る” わよ!」

「・・・・・・・」


 その日は少し肌寒い日になったけれど、僕のスパイダーはすこぶる快調で、ジュリエッタのクルマもとても機嫌が良く、SS36(国道36号)を、追い越したり、追い越されたりしながら、官能的なアルファサウンドを辺りに響かせ、たっぷりと ”回して” 走った。

 やがて僕らはコモ湖の畔(ほとり)にあるホテルのレストランで休憩をして、よく冷えたスプマンテを飲みながら、美味しいパスタを口一杯に頬ばって食べ、とんでもないボリュームのジェラートが載ったひと皿のデザートを、目を丸くしながら分け合って食べた。

 僕は、自分のスパイダーをそのホテルに預け、今度はジュリエッタに二人で乗り込んで、彼方にそびえる、雪を戴いたアルプスの山々に向かって、ひたすら走った。


                                  (了)




    
                  Alfa Romeo Giulietta Spider (1955~1965)



   
       Lago di Como
                 
     

tai_ji_office at 05:47コメント(8) この記事をクリップ!
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