美し店・美し宿(うましみせ・うましやど)
2009年02月24日
美し店・美し宿 「 蛸 長(たこちょう)」
旅に出て、その見知らぬ土地に到着した日の夕餉に「おでん」を食べる、などという機会は、まず、あまり無いかも知れないと思える。
少なくとも私にとって「おでん」というのは、自分が棲み、働いている街で、仕事が終わってからヒョイと立ち寄って、安酒を一杯引っ掛けながら熱々をつまむものだ、などと勝手に定義をしていた。
しかし、京都の「蛸長」を知ってからは、「おでん」に対する考えが全く変わってしまった。
何が変わったのかというと・・・
まず、生粋の関東生まれの関東育ちである私が、京都のオデンなんぞ、味が薄くて、しょっぱいだけで食べられないだろうと思っていたことと、京都のことだから、多寡がおでん屋のクセにやたらと亭主が偉そうにしていて、「ご紹介者はおありでっか? 一見さんはお断りどすけど」
とか何とか、例の気分の悪いセリフを平然と言ってのけるかも知れないぞ、とか・・・
たとえ運良く店に入れても、地元の常連ばかりが周りを占めて、旅行者の自分などはロクすっぽ相手にしてもらえないかも知れないし、下手をすると、おでんを食べたいと言っただけで、
「ウチのおでんは、まずこの懐石コースを食べてもろて、その後で特別にお出ししてますけど、どないしまひょか・・・」などと、客を小馬鹿にしたようなことを平然と言うんじゃないだろうか・・・もしそんな事を言われたら、星一徹や海原雄山のように、テーブルをバーンとひっくり返して出て来てやろうか・・・
・・などといった種々の妄想が、すべて、ものの見事にはずれてしまったからである。
初めて「蛸長」を訪れたのは、折しも冷たい比叡降ろしが四条河原に吹き荒れ、その風に雪さえ混じってきた、とても寒い冬の夜だった。
以前から師父よりその店の話を伺い、また、案内書やネットなどでも予め確認しておいたその店は、少なくとも外観からは自分の想像していたような敷居の高さなど全く見えず、文字通り、道路とガラス戸一枚で隔たれているだけの、ごく普通の「おでん屋」であった。
「蛸長」と染め抜かれた暖簾をくぐると、店主と思しき人から「おいでやす」と声が掛かる。
こちらも「こんばんは」と返し、「あの・・良いですかね・・?」と恐る恐る訊くと、サッと奥の席を指して、「はい、こちらへどうぞ・・・」と勧めてくれる。
この店にはカウンターしか無い。それも、せいぜい十数人も入れば、熱いおでんを食べるにはいささか暑苦しいのではないかと思える程の広さなのである。
しかし、店主が私に勧めてくれたその席は、おでん屋のすべての仕事を目前にできる、銅製の見事なおでん鍋の真ん前であった。
普通、こんな席には常連さんが陣取って、新聞なんぞを広げながら徳利を傾けているものだ。
旅をして、他所の土地の店に入って、何の気なしにそんなところに座ってしまうと、主人から「ああ、其処はダメ、こっちへどうぞ・・」などと言われ、ちょっとムッとしながらその他大勢の席に座らせられる・・なんてことは往々にしてある。
そのとき、店は混んでいなかった。
まだ時間がやや早いせいだろうか、奥の方に京都人であることが丸判りの中年の夫婦と、入り口の前に、これまた京都弁丸出しの仕事帰りの”男はん”が二人・・・
とすれば、これからのゴールデンタイムに常連さんがやってくる可能性は大いにあり、独り旅の余所者である私などは、まず、入り口の前にでも置いておくのが常套かと思える。
しかし、この店は、いかにも常連の好みそうなその席を・・・ひと目で旅行者と判るはずの、しかもどう見ても東戎(アズマエビス)にしか見えない私にわざわざ勧めてくれたのである。
予約は受け付けていない。女性週刊誌などの情報によれば、それゆえに、今夜のような寒風の吹きすさぶ中、開店を今や遅しと待つ人の列が四条大橋に至るまで(?)連なることさえある、という。
幸い私は、ここに来る前に四条通りの突き当たりの祇園さん(八坂神社)にきちんとお参りをしてきた甲斐があってか、寒空に肩を窄めつつ空席を待つこともなく、しかも初訪にも関わらず良い席にまで恵まれたのであった。
さて、カウンターに落ち着くと、ようやくそのカウンターの凄さに気付かされる。
これは明治初期の創業以来、永年に亘って使い込まれた、この店の主客が織りなす歴史の染み込んだ、見事な「檜」のカウンターなのであった。
その檜の手触りと、目の前に温かな出汁の湯気の立ち上っている、よく手入れをされた銅鍋にしばし心を奪われていると、ご主人の方から「一本お付けしましょうか」と訊いてくれる。
こういった商売の人は、その客が呑ん兵衛かどうか、顔を見ただけで判るらしい。
根が酒呑みで、三倍醸造やミテクレだけのウソ酒以外なら内外を問わず何でも呑む私は、
「うれしいねぇ、寒い中、鴨川沿いをスタコラ歩いてきた甲斐があるってものじゃないか・・」などと心中で想いつつ「お酒は何ですか?」と訊くと、「ウチはごく普通の白鶴です」と言う。
「ほぅ・・ごく普通の、ね・・こいつぁ益々面白くなってきたなぁ・・」と思った。
名の知られた店などに行くと、矢鱈と「名酒」が並んでいて興醒めすることがある。
日本列島、北から南まで、有名な酒が見事に勢揃いしているのは大迫力で誠に結構なのだが、その店が何を飲ませたいのか、その店の料理には何が合うのかが、こっちには全く判らない。
で、「今日の料理にはどれが合いますか?」と店主に訊くと、アンタ、そんな、ウチにあるのは全部すごいサケだから何でも合いますよ、って、こんな酒知ってますかと言わんばかりの答えが返ってくる。
いやいや、そも、サケってのはそういうモンじゃないだろっ、今日ビ、パリの有名店だって日本酒がメニューに載っていて、Sake au Japon est très bonne ! ・・なんて、料理に合わせてソムリエが選ぶ時代なんだよ、日本人がそんなテキトーでどうするの、って・・・
そんなアホな店ばかりが多くなって飽き飽きしていたところ、この店じゃ「普通の白鶴」しかないと来たので、ほ、これは面白いな、と思ったのである。
その ”普通の酒” をお燗してもらっている間に「おでん」を注文しようと思ったが、目の前のナベをどれだけサラのようにして探して見ても、この店の看板である「蛸」が入っていない。
うーん、タコ・・タコ・・・肝心の蛸ちゃんはイズコ・・・?
・・で、折角タコチョウまで来て、タコがなかったらどうしようかと、ちょっと慌てて、
ご主人に「まずは蛸が食べたいな・・やっぱり明石のでしょ?」と訊くと、
「はい・・でも、蛸はちょっとお時間をいただきますんで、先に何か召し上がりますか?」
・・という答えが返ってくる。
なるほど、そうか、やっぱり古都は文化が違うなあ・・・考えてみりゃぁ、朝から蛸をずっと鍋に入れっ放しじゃ、茹だりすぎてドロドロになっちまう、ってぇもんじゃあねぇかい・・
ふむ、明石の蛸はすでに仕事をしてあって、それをこの銅鍋で仕上げるってェ寸法だな・・
などと、ネイティブ・アズマエビスニアンの私は勝手にそう思いつつ・・
「それじゃ、先にこの豆腐下さい 」
「はい、豆腐ね・・」
因みに、京都の豆腐は、日本一旨い。
これは、もう、絶対であり、この事実は疑う余地もない。
これは、自他共に許す無類の豆腐好きの私が、日本全国津津浦々をウロウロ巡り歩いた上で、その土地々々の豆腐を食べ尽くし、本当に、心からそう思えたことである。
私は、国内はおろか、蘭、仏、独、米、豪、などの Tofu なるモノまで食べてきたが、こんな旨い豆腐を創るクニは他に無い。
彼の国々には Futon(フートン=布団)や Tofu(トーフー)が大好きだという人も多いのだが、彼らに一度この京都の豆腐を食わしてやりたいと、何度思ったかしれない。
出張で京都に行くと、コレ幸いとばかりに豆腐屋に駆けつけ、ビジネスホテルに持って帰って夜食にする。醤油はいつも上等のヤツをバッグに持参している。
近ごろはカップ酒でも純米の良いのがあるが、「招徳」や「富翁」なんぞをフラスコに入れていってチビチビと飲れば、もう、何も言うことがない。
他に何も要らないのだ・・・豆腐だけで酒が呑める、これが京豆腐の実力である。
そして、京都には「名店」と謳われるような豆腐屋が、其処らにゴロゴロとある。
日本の何処を探しても、そんな土地はたぶん他にはない。
しかも、それぞれの豆腐屋毎に微妙に味が違う。各々水が違うし、造りも違うのだ。
いや、豆腐を造る際の水さえ「名水」と讃えられるようなものを平然と使って造っている。
原料の大豆が国産、何てのは当たり前である。もしも、それら名店の豆腐屋が輸入大豆を使うようになったら、もう世も末だと思った方がいい。
大体、豆腐を生で食べるような国民が、どうしてわざわざ余所の国の薬だらけの大豆を輸入して、それを作らなきゃならないのさ。味噌も醤油も納豆も、日本のものなのに・・・
そして、そのような名店を訪ねてみれば、信じられぬほどごく普通のちっぽけな店で、入り口からすぐに豆腐の製造場があって、これがホンマに名店なんやろーかと怪訝に思えるような外観なのである。洒落た名前やパッケージの立派さだけで売っている、昨今流行りのモダン豆腐どもは、ちったぁ、この心意気を見習って欲しいもんだね。
この、一般庶民たちが毎日食する物のレベルの高さこそが、京都が誇る文化レベルの高さであり、外つ国と比べての日本文化の高さそのものなのであると、私は思える。
そしてそれは、奈良、神戸、金沢、仙台、博多などへ行っても、同じことが感じられる。
私は、何処へ行ってもまず市場に行く習慣がある。どんな土地でも、そこの市民が毎日通う市場に行けば、その土地の文化レベルがすぐに見えるものなのだ。
たとえスーパーでも、その土地の人間が何を考え、何を生きているのかが、食材が並んでいるところを観れば大体見当がつく。
京都の「錦小路」に行けば、あの狭苦しい細長い路地に、季節の野菜や魚、漬け物、鰹節、煮干しなどが、料亭に卸せるようなレベルで所狭しと揃っていて驚かされる。
錦の市場の中には美味い鯖寿司や穴子の棒寿司、蒸し寿司などを喰べさせる庶民的な寿司屋まで在り、近所の奥さん、オジさん、お婆さんなんかが買い物の序でにそれを食べている。
そして、もっと驚くのは、それを有名な旅館や料理屋の板前さんから、その辺の主婦のおばさんまでが同じように肩を並べて買い出しに来ていることである。これは、この地が今日でもなお高い文化レベルを維持している事のひとつの証しに他ならない、と思う。
・・・豆腐を待つうちに、錫製のとっぷりした銚釐(ちろり)に入ったお燗が来る。
先ほどからカウンター越しにご主人の仕事を眺めていると、やはりお燗の仕方に静かな気合いが入っているのが分かる。
だいたい、飲み屋はお癇の見極めがモノを言うのだ。ロクなお燗も付けられないような店は、出てくる酒肴だって多寡が知れているので、その不味い一本をひと口で止めてしまうか、勿体なければ無理矢理呑むかで、どちらにせよ早々に退散するしかないと私は思っている。
バイトの女の子に燗を任せているような店は、たとえそのコがどんなに可愛くても・・・
絶対に入ったりしない。
この店のお燗はなかなか上手いな、と思えた。考えてみれば、おでんとお酒がメインなのだから、燗付けが巧くなくては、舌の肥えた京都の客が来てくれるはずもないのだ。
よく使い込まれた錫の銚釐で、一杯、もう一杯、と気持ち良く飲っているうちに・・・
「はい、お豆腐、お待ち遠さまです・・」
・・・スッと豆腐が差し出された。
まず、その大きさに驚く・・・
何処かの田舎で見た、大型豆腐の一丁分は軽くアルんではないかいな、と思える。
京都というと、一般的には懐石料理のような、品の良いしおらしい料理を想像するのが普通なので、そのイメージからかけ離れたタネのボリュームには驚かされてしまう。
お皿もそれに合って大きくて、ズシリとしている。
また、嬉しいことには、そこに九条葱の刻みがたっぷり載って、七味が彩りに掛かっている。
京都ほど、この「薬味」にこだわる土地も無いのではないだろうか。七味の好みのブレンドをしてくれるような店は、もう東京にはほとんど無いが、この京都にはそんなものはいくらでもあるし、「お香煎」と言って、辛くない薬味を薬研で擦ったものを小さな霰と一緒にお湯に浮かべて飲む、なんていう文化もある。その専門店が祇園の前に大きな店を構えて繁盛しているくらいなのだ。
その豆腐の載ったお皿には、これぞ極めつけの、高く香り立つ、独自の「出し汁」が、うんと注がれていて・・その大きな豆腐の一角を箸でつまみ、口に運ぶ・・・
これですよ、コレ・・・!!
いやあ・・・これはもう、脱帽するしかないね、ホント。
豆腐そのものの味が、何も毀れていない。
そして、出汁はあくまでもその豆腐の味を引き出すための、引き立て役に徹している。
東京にある有名な和食料理屋の殆ど全てが、関西に本店を持つものだということを考えれば、
日本の味の基本は、やはり平城京と平安京で創られたんだな、と思える。
関東産の私は、生まれてこの方、ずっと醤油と煮干しがコッテリ利いた濃い味に慣らされて、関西の昆布と鰹の利いた上品な薄味をどこかで軽蔑していたようなフシがあったのだが、この出汁を味わうと、ああ、本来はこれこそがダシの基本なんだろうなと思わざるを得ない。これだから和食板前の見習は、みんな近畿の料理屋に行って無給でも良いから、と言って修行させてもらうのだろう。
師父宅で御馳走になった和食も、その出汁の取り方が見事で、呻るしかなかった。
レッキとした藤原ブラッドをお持ちの師父は、DNAにヤマトの味が組み込まれて居られるのか、決して味に妥協されないのはウィークエンド・ディナーに見るが如くである。
武藝館の専属シェフに伺うと、日高か利尻辺りの太くて幅広の上質の昆布を一晩水に浸けたベースに、これでもかっ、と思えるほどの上質の鰹節を放り込み、それが沈むのを待って、あっという間に引き揚げてしまうのだという。
関東の人間にとっては、そんなダシの取り方は、ひたすら勿体ないように思えてしまうが、
「蛸長」のような「おでん」を一度でも食べてしまうと、もう、勿体ないなどとは口が裂けても言えないようになる。多寡がおでんで、この出汁の味なのである。この味が再現できるのなら、私もケチらずに良い昆布と良い鰹節で、手間暇掛けて出汁を取ってみたくなる。
この店の出汁は、毎日、造っては足し、造っては足して、すでに百数十年を超える。
京都では百年を超えた店だけがようやく「老舗」と呼ばれると聞くが、一口に「おでん屋」と言っても、親から子、子から孫、孫から曾孫へと、このダシの味を維持し、極めようとしてきた代々の主(あるじ)たちの努力には心から敬服せざるを得ない。この心意気が千二百年も続いているからこそ、平安の都には高い文化が育ったのだろうと思える。
口中に広がる、熱々の大きな京豆腐の味わい・・・
銅ナベの中で、さらに磨きのかかった素晴らしい出し汁と相俟って・・・
これは、私が知る「おでん」を、遥かに、遥かに、超えていた。
ああ、寒い中、この店に来て良かったなぁと、その時、しみじみ思えたものである。
私は、おでんは、一度に一品だけを注文する主義である。特にこんな寒い夜は、皿の上で冷めてしまうと上等のおでんに申し訳がないので、面倒でも、必ず一品ずつ注文して食べる。
まず、先に猪口で口中を潤し、種に溶き芥子をちょいと付け、頬張って、ゆっくりと味わう。
それから、おもむろに、そのダシを飲む・・・
飲むと言ったって、お皿で出されているのだから、皿ごと抱えて吸うのである。
行儀の悪いコトこの上ないが、こんな旨いダシを頂かない方がよっぽど失礼だと思える。
案の定、さっき入ってきた若いカップルの女の子の方が、次のタネを注文するときに、皿にたっぷり残ったまま、新しく出汁が取り替えられているのを見て、
「あ、すんまへん、うち、勿体ないから、今度から全部飲んでしまうわ」と言っていた。
ご主人は何も言わず、ニコニコしている。
銅ナベのタネは季節によって変わるそうだが、それから先、目の前にコトコトと煮えている美味しそうなものを、明石蛸は無論、大根、宝袋、ひろうす、海老芋と、旬の食材を手当たり次第に頼んでは食べ、”普通の白鶴” の燗を何度も替えては呑みつつ、また食べた・・・
その間、一見サンの旅行客といったような差別扱いなどは微塵も無く、また、わずか十数席のカウンターに徐々に増えてきた地元京都の人たちと一緒に、まるで旧知のように肩を寄せ合い、楽しく会話しながら、その寒い夜を温かく過ごすことが出来たことは、東夷の旅人である私にとっては何よりの幸せであった。
永い刻の中で擦り減って使い古された檜のカウンターに向かい、そこで堪能した古都のおでんは味わい深く、歴史や文化などといった敷居の高さなどに関係なく、気まぐれな旅人の心まで、はんなりと、大らかに包んで温かくしてくれたのであった。
(了)
少なくとも私にとって「おでん」というのは、自分が棲み、働いている街で、仕事が終わってからヒョイと立ち寄って、安酒を一杯引っ掛けながら熱々をつまむものだ、などと勝手に定義をしていた。
しかし、京都の「蛸長」を知ってからは、「おでん」に対する考えが全く変わってしまった。
何が変わったのかというと・・・
まず、生粋の関東生まれの関東育ちである私が、京都のオデンなんぞ、味が薄くて、しょっぱいだけで食べられないだろうと思っていたことと、京都のことだから、多寡がおでん屋のクセにやたらと亭主が偉そうにしていて、「ご紹介者はおありでっか? 一見さんはお断りどすけど」
とか何とか、例の気分の悪いセリフを平然と言ってのけるかも知れないぞ、とか・・・
たとえ運良く店に入れても、地元の常連ばかりが周りを占めて、旅行者の自分などはロクすっぽ相手にしてもらえないかも知れないし、下手をすると、おでんを食べたいと言っただけで、
「ウチのおでんは、まずこの懐石コースを食べてもろて、その後で特別にお出ししてますけど、どないしまひょか・・・」などと、客を小馬鹿にしたようなことを平然と言うんじゃないだろうか・・・もしそんな事を言われたら、星一徹や海原雄山のように、テーブルをバーンとひっくり返して出て来てやろうか・・・
・・などといった種々の妄想が、すべて、ものの見事にはずれてしまったからである。
初めて「蛸長」を訪れたのは、折しも冷たい比叡降ろしが四条河原に吹き荒れ、その風に雪さえ混じってきた、とても寒い冬の夜だった。
以前から師父よりその店の話を伺い、また、案内書やネットなどでも予め確認しておいたその店は、少なくとも外観からは自分の想像していたような敷居の高さなど全く見えず、文字通り、道路とガラス戸一枚で隔たれているだけの、ごく普通の「おでん屋」であった。
「蛸長」と染め抜かれた暖簾をくぐると、店主と思しき人から「おいでやす」と声が掛かる。
こちらも「こんばんは」と返し、「あの・・良いですかね・・?」と恐る恐る訊くと、サッと奥の席を指して、「はい、こちらへどうぞ・・・」と勧めてくれる。
この店にはカウンターしか無い。それも、せいぜい十数人も入れば、熱いおでんを食べるにはいささか暑苦しいのではないかと思える程の広さなのである。
しかし、店主が私に勧めてくれたその席は、おでん屋のすべての仕事を目前にできる、銅製の見事なおでん鍋の真ん前であった。
普通、こんな席には常連さんが陣取って、新聞なんぞを広げながら徳利を傾けているものだ。
旅をして、他所の土地の店に入って、何の気なしにそんなところに座ってしまうと、主人から「ああ、其処はダメ、こっちへどうぞ・・」などと言われ、ちょっとムッとしながらその他大勢の席に座らせられる・・なんてことは往々にしてある。
そのとき、店は混んでいなかった。
まだ時間がやや早いせいだろうか、奥の方に京都人であることが丸判りの中年の夫婦と、入り口の前に、これまた京都弁丸出しの仕事帰りの”男はん”が二人・・・
とすれば、これからのゴールデンタイムに常連さんがやってくる可能性は大いにあり、独り旅の余所者である私などは、まず、入り口の前にでも置いておくのが常套かと思える。
しかし、この店は、いかにも常連の好みそうなその席を・・・ひと目で旅行者と判るはずの、しかもどう見ても東戎(アズマエビス)にしか見えない私にわざわざ勧めてくれたのである。
予約は受け付けていない。女性週刊誌などの情報によれば、それゆえに、今夜のような寒風の吹きすさぶ中、開店を今や遅しと待つ人の列が四条大橋に至るまで(?)連なることさえある、という。
幸い私は、ここに来る前に四条通りの突き当たりの祇園さん(八坂神社)にきちんとお参りをしてきた甲斐があってか、寒空に肩を窄めつつ空席を待つこともなく、しかも初訪にも関わらず良い席にまで恵まれたのであった。
さて、カウンターに落ち着くと、ようやくそのカウンターの凄さに気付かされる。
これは明治初期の創業以来、永年に亘って使い込まれた、この店の主客が織りなす歴史の染み込んだ、見事な「檜」のカウンターなのであった。
その檜の手触りと、目の前に温かな出汁の湯気の立ち上っている、よく手入れをされた銅鍋にしばし心を奪われていると、ご主人の方から「一本お付けしましょうか」と訊いてくれる。
こういった商売の人は、その客が呑ん兵衛かどうか、顔を見ただけで判るらしい。
根が酒呑みで、三倍醸造やミテクレだけのウソ酒以外なら内外を問わず何でも呑む私は、
「うれしいねぇ、寒い中、鴨川沿いをスタコラ歩いてきた甲斐があるってものじゃないか・・」などと心中で想いつつ「お酒は何ですか?」と訊くと、「ウチはごく普通の白鶴です」と言う。
「ほぅ・・ごく普通の、ね・・こいつぁ益々面白くなってきたなぁ・・」と思った。
名の知られた店などに行くと、矢鱈と「名酒」が並んでいて興醒めすることがある。
日本列島、北から南まで、有名な酒が見事に勢揃いしているのは大迫力で誠に結構なのだが、その店が何を飲ませたいのか、その店の料理には何が合うのかが、こっちには全く判らない。
で、「今日の料理にはどれが合いますか?」と店主に訊くと、アンタ、そんな、ウチにあるのは全部すごいサケだから何でも合いますよ、って、こんな酒知ってますかと言わんばかりの答えが返ってくる。
いやいや、そも、サケってのはそういうモンじゃないだろっ、今日ビ、パリの有名店だって日本酒がメニューに載っていて、Sake au Japon est très bonne ! ・・なんて、料理に合わせてソムリエが選ぶ時代なんだよ、日本人がそんなテキトーでどうするの、って・・・
そんなアホな店ばかりが多くなって飽き飽きしていたところ、この店じゃ「普通の白鶴」しかないと来たので、ほ、これは面白いな、と思ったのである。
その ”普通の酒” をお燗してもらっている間に「おでん」を注文しようと思ったが、目の前のナベをどれだけサラのようにして探して見ても、この店の看板である「蛸」が入っていない。
うーん、タコ・・タコ・・・肝心の蛸ちゃんはイズコ・・・?
・・で、折角タコチョウまで来て、タコがなかったらどうしようかと、ちょっと慌てて、
ご主人に「まずは蛸が食べたいな・・やっぱり明石のでしょ?」と訊くと、
「はい・・でも、蛸はちょっとお時間をいただきますんで、先に何か召し上がりますか?」
・・という答えが返ってくる。
なるほど、そうか、やっぱり古都は文化が違うなあ・・・考えてみりゃぁ、朝から蛸をずっと鍋に入れっ放しじゃ、茹だりすぎてドロドロになっちまう、ってぇもんじゃあねぇかい・・
ふむ、明石の蛸はすでに仕事をしてあって、それをこの銅鍋で仕上げるってェ寸法だな・・
などと、ネイティブ・アズマエビスニアンの私は勝手にそう思いつつ・・
「それじゃ、先にこの豆腐下さい 」
「はい、豆腐ね・・」
因みに、京都の豆腐は、日本一旨い。
これは、もう、絶対であり、この事実は疑う余地もない。
これは、自他共に許す無類の豆腐好きの私が、日本全国津津浦々をウロウロ巡り歩いた上で、その土地々々の豆腐を食べ尽くし、本当に、心からそう思えたことである。
私は、国内はおろか、蘭、仏、独、米、豪、などの Tofu なるモノまで食べてきたが、こんな旨い豆腐を創るクニは他に無い。
彼の国々には Futon(フートン=布団)や Tofu(トーフー)が大好きだという人も多いのだが、彼らに一度この京都の豆腐を食わしてやりたいと、何度思ったかしれない。
出張で京都に行くと、コレ幸いとばかりに豆腐屋に駆けつけ、ビジネスホテルに持って帰って夜食にする。醤油はいつも上等のヤツをバッグに持参している。
近ごろはカップ酒でも純米の良いのがあるが、「招徳」や「富翁」なんぞをフラスコに入れていってチビチビと飲れば、もう、何も言うことがない。
他に何も要らないのだ・・・豆腐だけで酒が呑める、これが京豆腐の実力である。
そして、京都には「名店」と謳われるような豆腐屋が、其処らにゴロゴロとある。
日本の何処を探しても、そんな土地はたぶん他にはない。
しかも、それぞれの豆腐屋毎に微妙に味が違う。各々水が違うし、造りも違うのだ。
いや、豆腐を造る際の水さえ「名水」と讃えられるようなものを平然と使って造っている。
原料の大豆が国産、何てのは当たり前である。もしも、それら名店の豆腐屋が輸入大豆を使うようになったら、もう世も末だと思った方がいい。
大体、豆腐を生で食べるような国民が、どうしてわざわざ余所の国の薬だらけの大豆を輸入して、それを作らなきゃならないのさ。味噌も醤油も納豆も、日本のものなのに・・・
そして、そのような名店を訪ねてみれば、信じられぬほどごく普通のちっぽけな店で、入り口からすぐに豆腐の製造場があって、これがホンマに名店なんやろーかと怪訝に思えるような外観なのである。洒落た名前やパッケージの立派さだけで売っている、昨今流行りのモダン豆腐どもは、ちったぁ、この心意気を見習って欲しいもんだね。
この、一般庶民たちが毎日食する物のレベルの高さこそが、京都が誇る文化レベルの高さであり、外つ国と比べての日本文化の高さそのものなのであると、私は思える。
そしてそれは、奈良、神戸、金沢、仙台、博多などへ行っても、同じことが感じられる。
私は、何処へ行ってもまず市場に行く習慣がある。どんな土地でも、そこの市民が毎日通う市場に行けば、その土地の文化レベルがすぐに見えるものなのだ。
たとえスーパーでも、その土地の人間が何を考え、何を生きているのかが、食材が並んでいるところを観れば大体見当がつく。
京都の「錦小路」に行けば、あの狭苦しい細長い路地に、季節の野菜や魚、漬け物、鰹節、煮干しなどが、料亭に卸せるようなレベルで所狭しと揃っていて驚かされる。
錦の市場の中には美味い鯖寿司や穴子の棒寿司、蒸し寿司などを喰べさせる庶民的な寿司屋まで在り、近所の奥さん、オジさん、お婆さんなんかが買い物の序でにそれを食べている。
そして、もっと驚くのは、それを有名な旅館や料理屋の板前さんから、その辺の主婦のおばさんまでが同じように肩を並べて買い出しに来ていることである。これは、この地が今日でもなお高い文化レベルを維持している事のひとつの証しに他ならない、と思う。
・・・豆腐を待つうちに、錫製のとっぷりした銚釐(ちろり)に入ったお燗が来る。
先ほどからカウンター越しにご主人の仕事を眺めていると、やはりお燗の仕方に静かな気合いが入っているのが分かる。
だいたい、飲み屋はお癇の見極めがモノを言うのだ。ロクなお燗も付けられないような店は、出てくる酒肴だって多寡が知れているので、その不味い一本をひと口で止めてしまうか、勿体なければ無理矢理呑むかで、どちらにせよ早々に退散するしかないと私は思っている。
バイトの女の子に燗を任せているような店は、たとえそのコがどんなに可愛くても・・・
絶対に入ったりしない。
この店のお燗はなかなか上手いな、と思えた。考えてみれば、おでんとお酒がメインなのだから、燗付けが巧くなくては、舌の肥えた京都の客が来てくれるはずもないのだ。
よく使い込まれた錫の銚釐で、一杯、もう一杯、と気持ち良く飲っているうちに・・・
「はい、お豆腐、お待ち遠さまです・・」
・・・スッと豆腐が差し出された。
まず、その大きさに驚く・・・
何処かの田舎で見た、大型豆腐の一丁分は軽くアルんではないかいな、と思える。
京都というと、一般的には懐石料理のような、品の良いしおらしい料理を想像するのが普通なので、そのイメージからかけ離れたタネのボリュームには驚かされてしまう。
お皿もそれに合って大きくて、ズシリとしている。
また、嬉しいことには、そこに九条葱の刻みがたっぷり載って、七味が彩りに掛かっている。
京都ほど、この「薬味」にこだわる土地も無いのではないだろうか。七味の好みのブレンドをしてくれるような店は、もう東京にはほとんど無いが、この京都にはそんなものはいくらでもあるし、「お香煎」と言って、辛くない薬味を薬研で擦ったものを小さな霰と一緒にお湯に浮かべて飲む、なんていう文化もある。その専門店が祇園の前に大きな店を構えて繁盛しているくらいなのだ。
その豆腐の載ったお皿には、これぞ極めつけの、高く香り立つ、独自の「出し汁」が、うんと注がれていて・・その大きな豆腐の一角を箸でつまみ、口に運ぶ・・・
これですよ、コレ・・・!!
いやあ・・・これはもう、脱帽するしかないね、ホント。
豆腐そのものの味が、何も毀れていない。
そして、出汁はあくまでもその豆腐の味を引き出すための、引き立て役に徹している。
東京にある有名な和食料理屋の殆ど全てが、関西に本店を持つものだということを考えれば、
日本の味の基本は、やはり平城京と平安京で創られたんだな、と思える。
関東産の私は、生まれてこの方、ずっと醤油と煮干しがコッテリ利いた濃い味に慣らされて、関西の昆布と鰹の利いた上品な薄味をどこかで軽蔑していたようなフシがあったのだが、この出汁を味わうと、ああ、本来はこれこそがダシの基本なんだろうなと思わざるを得ない。これだから和食板前の見習は、みんな近畿の料理屋に行って無給でも良いから、と言って修行させてもらうのだろう。
師父宅で御馳走になった和食も、その出汁の取り方が見事で、呻るしかなかった。
レッキとした藤原ブラッドをお持ちの師父は、DNAにヤマトの味が組み込まれて居られるのか、決して味に妥協されないのはウィークエンド・ディナーに見るが如くである。
武藝館の専属シェフに伺うと、日高か利尻辺りの太くて幅広の上質の昆布を一晩水に浸けたベースに、これでもかっ、と思えるほどの上質の鰹節を放り込み、それが沈むのを待って、あっという間に引き揚げてしまうのだという。
関東の人間にとっては、そんなダシの取り方は、ひたすら勿体ないように思えてしまうが、
「蛸長」のような「おでん」を一度でも食べてしまうと、もう、勿体ないなどとは口が裂けても言えないようになる。多寡がおでんで、この出汁の味なのである。この味が再現できるのなら、私もケチらずに良い昆布と良い鰹節で、手間暇掛けて出汁を取ってみたくなる。
この店の出汁は、毎日、造っては足し、造っては足して、すでに百数十年を超える。
京都では百年を超えた店だけがようやく「老舗」と呼ばれると聞くが、一口に「おでん屋」と言っても、親から子、子から孫、孫から曾孫へと、このダシの味を維持し、極めようとしてきた代々の主(あるじ)たちの努力には心から敬服せざるを得ない。この心意気が千二百年も続いているからこそ、平安の都には高い文化が育ったのだろうと思える。
口中に広がる、熱々の大きな京豆腐の味わい・・・
銅ナベの中で、さらに磨きのかかった素晴らしい出し汁と相俟って・・・
これは、私が知る「おでん」を、遥かに、遥かに、超えていた。
ああ、寒い中、この店に来て良かったなぁと、その時、しみじみ思えたものである。
私は、おでんは、一度に一品だけを注文する主義である。特にこんな寒い夜は、皿の上で冷めてしまうと上等のおでんに申し訳がないので、面倒でも、必ず一品ずつ注文して食べる。
まず、先に猪口で口中を潤し、種に溶き芥子をちょいと付け、頬張って、ゆっくりと味わう。
それから、おもむろに、そのダシを飲む・・・
飲むと言ったって、お皿で出されているのだから、皿ごと抱えて吸うのである。
行儀の悪いコトこの上ないが、こんな旨いダシを頂かない方がよっぽど失礼だと思える。
案の定、さっき入ってきた若いカップルの女の子の方が、次のタネを注文するときに、皿にたっぷり残ったまま、新しく出汁が取り替えられているのを見て、
「あ、すんまへん、うち、勿体ないから、今度から全部飲んでしまうわ」と言っていた。
ご主人は何も言わず、ニコニコしている。
銅ナベのタネは季節によって変わるそうだが、それから先、目の前にコトコトと煮えている美味しそうなものを、明石蛸は無論、大根、宝袋、ひろうす、海老芋と、旬の食材を手当たり次第に頼んでは食べ、”普通の白鶴” の燗を何度も替えては呑みつつ、また食べた・・・
その間、一見サンの旅行客といったような差別扱いなどは微塵も無く、また、わずか十数席のカウンターに徐々に増えてきた地元京都の人たちと一緒に、まるで旧知のように肩を寄せ合い、楽しく会話しながら、その寒い夜を温かく過ごすことが出来たことは、東夷の旅人である私にとっては何よりの幸せであった。
永い刻の中で擦り減って使い古された檜のカウンターに向かい、そこで堪能した古都のおでんは味わい深く、歴史や文化などといった敷居の高さなどに関係なく、気まぐれな旅人の心まで、はんなりと、大らかに包んで温かくしてくれたのであった。
(了)
2009年01月20日
美し店・美し宿 「箱根ハイランドホテル」
さて、「美し店・美し宿」の第一回目は、昨年秋のスタッフ旅行のお話から始めることにいたしましょう。
前回の宮古島から約2年ぶりとなったスタッフ旅行は、師父のお勧めで、箱根の仙石原にある「箱根ハイランドホテル」に行くことになりました。
このホテルは箱根の自然の中にあって、もと三井グループ総帥の男爵・団琢磨の別荘を生かして造られた、フランス料理の美味しい、静かに寛げる宿として、「極上のホテル」という本をはじめ、様々なところで紹介されている、なかなか人気の高いホテルです。
ここは、太極武藝館からクルマで2時間もかからない所にある天然温泉付きリゾートホテルとあって、師父もご多忙の中、寸暇を見つけては時おり利用されることもあるといいます。
今回は、師父と玄花后嗣のご案内で、内山事務局長以下スタッフ6名が同行し、総勢8名という大所帯での訪問となりました。
箱根ハイランドホテルは、ヨーロッパ調の客室に加えて、野鳥が飛び交う1万5千坪の敷地を誇る庭園の林の中に、ゆったりとした間取りの北欧風ウッディ・コテージが点在しています。
スタッフは皆、このコテージを予約していましたが、広々としたテラスもあって、それが他のコテージからは見えない造りになっているので、本当にゆったりと寛ぐことができ、庭園ではペットを連れて来たお客さんが散歩していたりもしています。
荷解きの後は、さっそく大部屋に集まり、師父が持参されたよく冷えたシャンパンで乾杯!!
師父は、予めシャンパングラスをホテルに頼んでおかれた上、オツマミまで用意してくださっており、いつもながら、スタッフに対する細やかな心遣いを感じます。
2ベッドルームの4人部屋のロッジは、8人全員が集まっても充分な広さのリビングやテラスがあり、すっかり気に入ってしまいました。
このホテルの自慢は、何といっても客室の蛇口からそのまま頂ける「天然水」でしょうか。
近くの金時山の良質な天然の伏流水が敷地内からこんこんと湧き出るという利点を活かして、料理はもちろんのこと、客室の水道、風呂上がりのラウンジまで、全てがそのままゴクゴク飲める美味しい水なのです。金時山とは、つまり坂田のキントキ、あの足柄山のキンタローさんの居たところなのですね。
また、もうひとつの自慢は、フランスが誇るミシュランの三つ星レストラン「トロワグロ」で修行を重ねた、料理長・山上シェフが創る「フレンチ・ジャポネ」のお料理です。
箱根で生まれ育ったという山上シェフならではの、地元の旬の素材を使った中々のお味だということで、私たちは何週間も前からそれを楽しみにしていました。
食前のシャンパンですっかり身も心も寛ぎ、部屋でディナーに相応しい服装に着替えて、
『イザ! 思う存分食べるぞー! オーッ!』・・・と、意気を揚げ、秋風の吹く庭園を通り抜けて、ホテル内のレストラン「ラ・フォーレ」へ向かいます。
師父は、パリから400キロ離れたロアンヌにある、トロワグロの本店にも何度か行かれたことがあり、料理の味わいや、食に対する考え方にも深く共感されたと言います。
そのトロワグロで修行された料理長の創作とはどのようなものだろうか・・・そう考えるだけでも胸が高まってきます。
下の写真はその日のメニューですが、私たちが予約したのは「シェフスペシャル」という、
シェフお勧めの特別コースでした。
魚や肉の料理は、レストランからも見える特製の薪火(まきび)の竈(かまど)で、ナラやクヌギの木を使って焼かれるので、素材の良さがきちんと味わえる、とても香ばしいものでした。
私たちの席はレストランの中央に設けられた8人用のテーブルでしたが、そこからも、注文した料理を薪の火で焼いているのがガラス越しに見えます。
魚は地元沼津の朝市から仕入れてきたもの。お肉も冨士高原の牛肉・・
進んで地元の食材を使おうというシェフの意気込みが感じられて、食べる側の心を捉えます。
ウチの師父がリピーターになるくらいなのだから、このホテルにはワインの品揃えは充分なはずだ、と誰もが思っていました。(笑)
レストラン「ラ・フォーレ(La forêt)」では、フランスの名だたるワインはもちろん、その日の料理の素材によっては、わざわざ山梨や北海道の名醸ワインまで取りそろえてくれる計らいがあることも、その魅力でしょうか。
因みに、「アルブランカ・ビニャール・イセハラ」という、山梨県の伊勢原にある単一畑で収穫された甲州種のみを原料に醸造された貴重なワインなどもストックされていました。
私たちの注文した肉料理は各々が違って、ワイン選びは難しかったのですが、師父はソムリエさんと共にワインリストを眺めながら、ああだ、こうだと、楽しそうにワインを選ばれ、
『それじゃあ、これなんかどうでしょうかね・・』
『はい、お目が高いですね、それで結構かと思います』
・・などと、自分たちだけで来たらまるでチンプンカンプンのところを、本当に美味しいワインを何種類も選んでいただき、料理とマッチしたその味わいを充分に堪能することが出来ました。
デザートの一番人気は「クレープのオレンジ・ソース・フランベ」でした。
これは、ワゴンサービスで運ばれてきたオレンジの皮を、その場で長〜く剥いて・・
・・リキュールをかけて火を点け、滴り落ちたジュースをソースにして、フライパンのクレープに掛け、そのまま温めて供されるものです。
ギャルソンの方が気を利かせて照明を少し落としてくれたので、炎がより美しく見えました。
・・今回のような、ちょっとした休日の食事には、とても嬉しい演出です。
健啖な師父は、いつもなら、さらに食事の後に甘いワインとチーズを賞味されるのですが、
私たちは、久々のフルコースで、もうお腹が一杯・・♪ 幸せ一杯、腹一杯、っと・・・
もう、存分にハイランドホテルのディナーを堪能することができました。
ごちそうさま〜!!
* * *
・・・さてさて、せっかく箱根に来たのですから、ぜひとも「温泉」を堪能しなければ!!
食後のお風呂は、これまた、気持ちが良い!・・の、ひと言でした。
・・と、簡単に書きましたが、色々な意味で、本当に気持ちがよいお風呂というのは、
実際には、旅先ではなかなか巡り合えないものなのです。
ここのお風呂は、箱根の山で湧いている天然温泉を引いたものですが、まずまず泉質も良く、広々とした内風呂には小さなジャグジーやサウナも付き、外には露天風呂も設けられていて、
気持ち良く寛げます。
それに、当日は満室だったのに、入浴している人はチラホラで、お風呂が空いています。
混んでいるお風呂は、寛ぎたいときにはとても嫌なものですが、師父も、このホテルに何度泊まっても、そんなに遅い時間でもないのに、いつもお風呂が空いていると仰っていました。
同じ箱根にある「冨士屋ホテル」のように、部屋の浴室にも温泉が出る、というわけではないので、込んでいても不思議ではないのですが・・・何かの偶然でしょうか。
しかし、特筆すべきは、その「洗い場」です。
ふつう、温泉の洗い場というのは、隣の人のお湯がはねたり、先に使った人のシャンプーで足もとがヌルヌルしていたり、下手をするとシャンプーの宣伝文句や、売店での販売価格が書かれたプレートがズラリと並んでいたりすることさえあるのですが、ここは、そもそも洗い場自体が一人分ずつ独立していて、高めの壁で囲われているのです。これはグッド・アイディーア。
これなら、お互いに隣の人を気にせずに存分に洗え、ハダカで他人と一緒に風呂に入る習慣の無い外国人も寛げることでしょう。
椅子も高めのものが置かれているので、お年寄りでも立ったり座ったりが楽でしょうし、シャワーの向きもマルチに動くので髪が洗いやすく、もちろん余分な宣伝も注意書きもなく、至ってシンプルな設計になっていました。
それにしても、係の方がよほどこまめに洗い場をチェックしているのでしょうか、いつ入っても清潔で気持ち良く使えるその「洗い場」には、本当に感心しました。
私たちは比較的遅くお風呂に行ったので、ふつうは汚れているはずなのですが・・?
こんな所にこそ、そのホテルの「本音」が出るのでしょうね。
客の立場に立った、細やかな心遣いを大切にしていることが感じられます。
さて、箱根ハイランドホテルは、ほとんどすべてに於いて、シンプルながらも満ち足りた時間を与えてくれる、暢びりと寛げるホテルでしたが、決して宣伝料を頂いているわけではありませんので(笑)、賞めてばかりではなく、敢えてアラを探し、重箱の隅をつついて苦言を差し上げるとすれば・・・
ひとつには、私たちの車が玄関前に到着した時に「出迎え」が無かったということです。
・・しかし、まあ、これはノンビリとした山のホテルで、食事だけに来る人も多い所なのだから、と思い直せばそれほど気にもなりませんが、あるレベル以上のサービスに慣れている人にとっては、ちょいと拍子抜けするような感があるかもしれません。
そう言えば、同じような日光の山の中にある名宿「中禅寺・金谷ホテル」では、見かけは寂しいほどひっそりとしているのに、到着と同時にスタッフが飛んで来てくれましたし、帰るときなどはわざわざ副支配人が出てきて、師父のクルマに荷物を運んで下さったほどです。
日本の旅館でも、まともな所では到着時に従業員が駆けつけてきますね。
宿泊する側としては、さて到着はしたものの、この荷物をどうしようか、部屋毎に分けなくてはいけないな・・いや、チェックインが先なのかな?・・などとアレコレ考えているので、早い時期からの対応が欲しいところです。
宿泊客が一度フロントに行って到着を告げ、もう一度クルマに戻って荷物を出す、というのは客にとって二度手間であり、ましてや玄関先にクルマを停めていれば、他の到着客への迷惑なども気になります。後から従業員がカートに荷物を乗せて部屋に案内してくれるのですから、どうせなら早い時期に対応を始めて頂ければ、もっと気持ちが良いと思います。
もうひとつは、お風呂上がりに寛げるラウンジです。
金時山の名水も頂ける、広々とした素敵なラウンジがあるのはとても結構なことなのですが、夜にそこへ行くと、お風呂上がりの身体に、そのままホテル備え付けの薄手のパジャマやローブをまとった若い女性が、その恰好で気持ちよさそうに寝そべっていたりします。
これは、もちろん客の側の問題であり、欧米では考えられないようなマナー違反で、日本人としても恥ずかしいことです。
もしそんな恰好を外国から来た旅行者が見たら・・・目のやり処が無くなってしまうだけではなく、二度とこのホテルには来ないと思います。少なくとも旧男爵邸から始まったハイランドホテルには相応しくない事なので、何とかしなくてはなりません。
部屋ごとに置かれているホテルの案内書には、きちんと「パジャマやローブではお風呂に行かないで下さい」と書かれているのですが、お風呂と直結している宿泊棟からは、夜であれば、つい気軽にその恰好で行きたくなる不心得な若い人も居るのでしょう。
例えば、部屋にマナーとしての厳重注意事項として書いておく、エレベーターやお風呂へのアプローチにも立て看板で注意書きを書く、ラウンジにはできるだけ従業員を配置する・・等々、それを徹底して解決する工夫をして頂けると、とても嬉しく思います。
また、些細なことではありますが、ついでにもうひとつ・・・
男性用の露天風呂への出入り口が、風も無いのにヒューヒューとうるさく鳴り続けています。
露天風呂は小さいながらも心地よく、浴槽への階段もよく配慮されたものですが、気持ち良く浸かっていると、その出入り口の風の音が耳に付いて、とてもうるさく感じられます。
因みに、内風呂に入っている限りでは、それはあまり気になりませんでした。扉がきちんと閉まらないのか、隙間が微妙に空いているのかは分かりませんが、あの音が無くなれば、リゾートホテルの循環式の温泉としては満点を付けられるレベルであると思います。
さて、このホテルにまた行きたくなるか、と問われれば・・・
参加したスタッフ全員が、「またいつか必ず訪れたい」と答えました。
四季折々の表情が豊かな箱根で、気軽に美味しいフレンチとワインを堪能し、良質の温泉で身体を癒し、森の中のロッジで野鳥の声に目覚め、木漏れ陽の差し込む広々としたテラスで、新鮮な山の空気を吸いながら、朝の珈琲をいただく・・・
長期滞在客は、シェフに日々のメニューを相談することもでき、同じ食事に飽きない、美味しい日々を過ごせる工夫もされているそうです。これなら何日でも泊まっていられますね。
先のささやかな苦言を考慮に入れても、このホテルを訪問する価値は充分にあると思います。
(了)
前回の宮古島から約2年ぶりとなったスタッフ旅行は、師父のお勧めで、箱根の仙石原にある「箱根ハイランドホテル」に行くことになりました。
このホテルは箱根の自然の中にあって、もと三井グループ総帥の男爵・団琢磨の別荘を生かして造られた、フランス料理の美味しい、静かに寛げる宿として、「極上のホテル」という本をはじめ、様々なところで紹介されている、なかなか人気の高いホテルです。
ここは、太極武藝館からクルマで2時間もかからない所にある天然温泉付きリゾートホテルとあって、師父もご多忙の中、寸暇を見つけては時おり利用されることもあるといいます。
今回は、師父と玄花后嗣のご案内で、内山事務局長以下スタッフ6名が同行し、総勢8名という大所帯での訪問となりました。
箱根ハイランドホテルは、ヨーロッパ調の客室に加えて、野鳥が飛び交う1万5千坪の敷地を誇る庭園の林の中に、ゆったりとした間取りの北欧風ウッディ・コテージが点在しています。
スタッフは皆、このコテージを予約していましたが、広々としたテラスもあって、それが他のコテージからは見えない造りになっているので、本当にゆったりと寛ぐことができ、庭園ではペットを連れて来たお客さんが散歩していたりもしています。
荷解きの後は、さっそく大部屋に集まり、師父が持参されたよく冷えたシャンパンで乾杯!!
師父は、予めシャンパングラスをホテルに頼んでおかれた上、オツマミまで用意してくださっており、いつもながら、スタッフに対する細やかな心遣いを感じます。
2ベッドルームの4人部屋のロッジは、8人全員が集まっても充分な広さのリビングやテラスがあり、すっかり気に入ってしまいました。
このホテルの自慢は、何といっても客室の蛇口からそのまま頂ける「天然水」でしょうか。
近くの金時山の良質な天然の伏流水が敷地内からこんこんと湧き出るという利点を活かして、料理はもちろんのこと、客室の水道、風呂上がりのラウンジまで、全てがそのままゴクゴク飲める美味しい水なのです。金時山とは、つまり坂田のキントキ、あの足柄山のキンタローさんの居たところなのですね。
また、もうひとつの自慢は、フランスが誇るミシュランの三つ星レストラン「トロワグロ」で修行を重ねた、料理長・山上シェフが創る「フレンチ・ジャポネ」のお料理です。
箱根で生まれ育ったという山上シェフならではの、地元の旬の素材を使った中々のお味だということで、私たちは何週間も前からそれを楽しみにしていました。
食前のシャンパンですっかり身も心も寛ぎ、部屋でディナーに相応しい服装に着替えて、
『イザ! 思う存分食べるぞー! オーッ!』・・・と、意気を揚げ、秋風の吹く庭園を通り抜けて、ホテル内のレストラン「ラ・フォーレ」へ向かいます。
師父は、パリから400キロ離れたロアンヌにある、トロワグロの本店にも何度か行かれたことがあり、料理の味わいや、食に対する考え方にも深く共感されたと言います。
そのトロワグロで修行された料理長の創作とはどのようなものだろうか・・・そう考えるだけでも胸が高まってきます。
下の写真はその日のメニューですが、私たちが予約したのは「シェフスペシャル」という、
シェフお勧めの特別コースでした。
魚や肉の料理は、レストランからも見える特製の薪火(まきび)の竈(かまど)で、ナラやクヌギの木を使って焼かれるので、素材の良さがきちんと味わえる、とても香ばしいものでした。
私たちの席はレストランの中央に設けられた8人用のテーブルでしたが、そこからも、注文した料理を薪の火で焼いているのがガラス越しに見えます。
魚は地元沼津の朝市から仕入れてきたもの。お肉も冨士高原の牛肉・・
進んで地元の食材を使おうというシェフの意気込みが感じられて、食べる側の心を捉えます。
ウチの師父がリピーターになるくらいなのだから、このホテルにはワインの品揃えは充分なはずだ、と誰もが思っていました。(笑)
レストラン「ラ・フォーレ(La forêt)」では、フランスの名だたるワインはもちろん、その日の料理の素材によっては、わざわざ山梨や北海道の名醸ワインまで取りそろえてくれる計らいがあることも、その魅力でしょうか。
因みに、「アルブランカ・ビニャール・イセハラ」という、山梨県の伊勢原にある単一畑で収穫された甲州種のみを原料に醸造された貴重なワインなどもストックされていました。
私たちの注文した肉料理は各々が違って、ワイン選びは難しかったのですが、師父はソムリエさんと共にワインリストを眺めながら、ああだ、こうだと、楽しそうにワインを選ばれ、
『それじゃあ、これなんかどうでしょうかね・・』
『はい、お目が高いですね、それで結構かと思います』
・・などと、自分たちだけで来たらまるでチンプンカンプンのところを、本当に美味しいワインを何種類も選んでいただき、料理とマッチしたその味わいを充分に堪能することが出来ました。
デザートの一番人気は「クレープのオレンジ・ソース・フランベ」でした。
これは、ワゴンサービスで運ばれてきたオレンジの皮を、その場で長〜く剥いて・・
・・リキュールをかけて火を点け、滴り落ちたジュースをソースにして、フライパンのクレープに掛け、そのまま温めて供されるものです。
ギャルソンの方が気を利かせて照明を少し落としてくれたので、炎がより美しく見えました。
・・今回のような、ちょっとした休日の食事には、とても嬉しい演出です。
健啖な師父は、いつもなら、さらに食事の後に甘いワインとチーズを賞味されるのですが、
私たちは、久々のフルコースで、もうお腹が一杯・・♪ 幸せ一杯、腹一杯、っと・・・
もう、存分にハイランドホテルのディナーを堪能することができました。
ごちそうさま〜!!
* * *
・・・さてさて、せっかく箱根に来たのですから、ぜひとも「温泉」を堪能しなければ!!
食後のお風呂は、これまた、気持ちが良い!・・の、ひと言でした。
・・と、簡単に書きましたが、色々な意味で、本当に気持ちがよいお風呂というのは、
実際には、旅先ではなかなか巡り合えないものなのです。
ここのお風呂は、箱根の山で湧いている天然温泉を引いたものですが、まずまず泉質も良く、広々とした内風呂には小さなジャグジーやサウナも付き、外には露天風呂も設けられていて、
気持ち良く寛げます。
それに、当日は満室だったのに、入浴している人はチラホラで、お風呂が空いています。
混んでいるお風呂は、寛ぎたいときにはとても嫌なものですが、師父も、このホテルに何度泊まっても、そんなに遅い時間でもないのに、いつもお風呂が空いていると仰っていました。
同じ箱根にある「冨士屋ホテル」のように、部屋の浴室にも温泉が出る、というわけではないので、込んでいても不思議ではないのですが・・・何かの偶然でしょうか。
しかし、特筆すべきは、その「洗い場」です。
ふつう、温泉の洗い場というのは、隣の人のお湯がはねたり、先に使った人のシャンプーで足もとがヌルヌルしていたり、下手をするとシャンプーの宣伝文句や、売店での販売価格が書かれたプレートがズラリと並んでいたりすることさえあるのですが、ここは、そもそも洗い場自体が一人分ずつ独立していて、高めの壁で囲われているのです。これはグッド・アイディーア。
これなら、お互いに隣の人を気にせずに存分に洗え、ハダカで他人と一緒に風呂に入る習慣の無い外国人も寛げることでしょう。
椅子も高めのものが置かれているので、お年寄りでも立ったり座ったりが楽でしょうし、シャワーの向きもマルチに動くので髪が洗いやすく、もちろん余分な宣伝も注意書きもなく、至ってシンプルな設計になっていました。
それにしても、係の方がよほどこまめに洗い場をチェックしているのでしょうか、いつ入っても清潔で気持ち良く使えるその「洗い場」には、本当に感心しました。
私たちは比較的遅くお風呂に行ったので、ふつうは汚れているはずなのですが・・?
こんな所にこそ、そのホテルの「本音」が出るのでしょうね。
客の立場に立った、細やかな心遣いを大切にしていることが感じられます。
さて、箱根ハイランドホテルは、ほとんどすべてに於いて、シンプルながらも満ち足りた時間を与えてくれる、暢びりと寛げるホテルでしたが、決して宣伝料を頂いているわけではありませんので(笑)、賞めてばかりではなく、敢えてアラを探し、重箱の隅をつついて苦言を差し上げるとすれば・・・
ひとつには、私たちの車が玄関前に到着した時に「出迎え」が無かったということです。
・・しかし、まあ、これはノンビリとした山のホテルで、食事だけに来る人も多い所なのだから、と思い直せばそれほど気にもなりませんが、あるレベル以上のサービスに慣れている人にとっては、ちょいと拍子抜けするような感があるかもしれません。
そう言えば、同じような日光の山の中にある名宿「中禅寺・金谷ホテル」では、見かけは寂しいほどひっそりとしているのに、到着と同時にスタッフが飛んで来てくれましたし、帰るときなどはわざわざ副支配人が出てきて、師父のクルマに荷物を運んで下さったほどです。
日本の旅館でも、まともな所では到着時に従業員が駆けつけてきますね。
宿泊する側としては、さて到着はしたものの、この荷物をどうしようか、部屋毎に分けなくてはいけないな・・いや、チェックインが先なのかな?・・などとアレコレ考えているので、早い時期からの対応が欲しいところです。
宿泊客が一度フロントに行って到着を告げ、もう一度クルマに戻って荷物を出す、というのは客にとって二度手間であり、ましてや玄関先にクルマを停めていれば、他の到着客への迷惑なども気になります。後から従業員がカートに荷物を乗せて部屋に案内してくれるのですから、どうせなら早い時期に対応を始めて頂ければ、もっと気持ちが良いと思います。
もうひとつは、お風呂上がりに寛げるラウンジです。
金時山の名水も頂ける、広々とした素敵なラウンジがあるのはとても結構なことなのですが、夜にそこへ行くと、お風呂上がりの身体に、そのままホテル備え付けの薄手のパジャマやローブをまとった若い女性が、その恰好で気持ちよさそうに寝そべっていたりします。
これは、もちろん客の側の問題であり、欧米では考えられないようなマナー違反で、日本人としても恥ずかしいことです。
もしそんな恰好を外国から来た旅行者が見たら・・・目のやり処が無くなってしまうだけではなく、二度とこのホテルには来ないと思います。少なくとも旧男爵邸から始まったハイランドホテルには相応しくない事なので、何とかしなくてはなりません。
部屋ごとに置かれているホテルの案内書には、きちんと「パジャマやローブではお風呂に行かないで下さい」と書かれているのですが、お風呂と直結している宿泊棟からは、夜であれば、つい気軽にその恰好で行きたくなる不心得な若い人も居るのでしょう。
例えば、部屋にマナーとしての厳重注意事項として書いておく、エレベーターやお風呂へのアプローチにも立て看板で注意書きを書く、ラウンジにはできるだけ従業員を配置する・・等々、それを徹底して解決する工夫をして頂けると、とても嬉しく思います。
また、些細なことではありますが、ついでにもうひとつ・・・
男性用の露天風呂への出入り口が、風も無いのにヒューヒューとうるさく鳴り続けています。
露天風呂は小さいながらも心地よく、浴槽への階段もよく配慮されたものですが、気持ち良く浸かっていると、その出入り口の風の音が耳に付いて、とてもうるさく感じられます。
因みに、内風呂に入っている限りでは、それはあまり気になりませんでした。扉がきちんと閉まらないのか、隙間が微妙に空いているのかは分かりませんが、あの音が無くなれば、リゾートホテルの循環式の温泉としては満点を付けられるレベルであると思います。
さて、このホテルにまた行きたくなるか、と問われれば・・・
参加したスタッフ全員が、「またいつか必ず訪れたい」と答えました。
四季折々の表情が豊かな箱根で、気軽に美味しいフレンチとワインを堪能し、良質の温泉で身体を癒し、森の中のロッジで野鳥の声に目覚め、木漏れ陽の差し込む広々としたテラスで、新鮮な山の空気を吸いながら、朝の珈琲をいただく・・・
長期滞在客は、シェフに日々のメニューを相談することもでき、同じ食事に飽きない、美味しい日々を過ごせる工夫もされているそうです。これなら何日でも泊まっていられますね。
先のささやかな苦言を考慮に入れても、このホテルを訪問する価値は充分にあると思います。
(了)
2009年01月19日
美し店・美し宿 「プロローグ」
人が旅に出るのは、棲み慣れた日常から遠く離れて、その日常とは異なる新しいものと出合うためかも知れない。歌にあるような、どこか遠くの、知らない町を歩いてみたい、というのが旅の原点なのだと思える。
しかし、私たちが旅に出たときに、旨い酒と肴に舌鼓を打ち、日常生活の疲れを癒す心地よい風呂や寝床を提供する良い店や良い宿にすんなりと巡り会うことは、なかなか難しい。
もちろん「良い店」や「良い宿」の定義は人それぞれで違うのだろうが、本当に良い店や良い宿屋というものは、誰もがそこで過ごした時間に満足でき、また再びそこに訪れたいと心から思えるものに違いない。
それなりのお金を払えば、良い宿に泊まれるのは当たり前・・というわけではない。
「高級ホテル・高級旅館」イコール「良い宿」であるとは限らないのだ。大枚を注ぎ込んでも全くそれだけの価値を見出せない宿もあれば、こんな値段で良いのかと、申し訳なく思えるほどの良心的な宿もある。一泊に五万円払っても不機嫌になってしまう豪華な宿もあれば、わずか数千円の宿泊料で最高の気分に浸れる、寒村の鄙びた温泉宿も在るのである。
円山洋玄老師は、よく弟子たちに、何に付けても「一流」を体験するよう勧めておられる。
食事や宿泊に関しても、一流の宿屋に泊まって、一流の店で食事をして、一流の味をその舌で味わって、たっぷりと一流の持て成しを受けて来る機会を持ちなさい、その為に自分の稼いだお金を投資するのだ、そうすれば「一流」というものの何たるかが、少しばかり解ってくる・・・と言われる。
確かに、常に二流、三流の中で生活しているだけでは、決して「一流」の姿は見えてくる筈もないが、「一流」をきちんと経験しさえすれば、反対に、そうでないものは自ずと見えてくる。
観る眼が養われるのである。
・・そして、それはそんなに難しいことではない。
早い話が、赤坂の「辻留」に行って懐石を頂いてくれば、そこで過ごす僅かな時間だけで一流の日本文化と日本料理の真髄をたっぷり体験することができるし、「あさば」や「蓬莱」に一泊すれば、ああ日本人に生まれて良かったと、日本とはこんなに素晴らしいクニだったのかと、つくづく思えるはずである。
「辻留」の夕食は三〜四万円するし、「あさば」の宿泊代も同じくらいする。しかし、そこへ行った誰もが、これほどの満足や感動が得られるのなら、こんな安いものはないと思うに違いない。
それは、一流のボクサーや柔術家の試合が、たとえ第1ラウンドのゴングが鳴ってから、わずか1分足らずで相手を屠って終わってしまったとしても、その芸術的なまでに研ぎ澄まされた
”生” の試合を、飛び散る汗が降り掛かる最前列で見るために何万円という席料を支払っても悔いが残らない、というのと同じであろう。
「一流」とは、そういうものである。
そして、その料理、そのしつらえ、そのサービスによって私たちが体験するところのものは、いささか大袈裟に言えば、人間の営みとは何か、この世界とは何か、生きるとは何であろうかという、ともすれば凡庸で陳腐で煩雑な日常では忘れ去られている、人生の命題にまで想いを馳せさせてくれるものでもある。
しかし、それは決して高嶺の花ではない。求める意志さえあれば、誰もがそれを体験することが可能な、吾々が起居している、この同じ世界のものなのである。
ここでは、師父をはじめ、旅行経験の豊かな太極武藝館のスタッフが、そのような思いで実際に感動したり満足することのできた「宿屋」や「食事処」を、国内外を問わず、その体験談としてご紹介していきたいと思う。
しかし、私たちが旅に出たときに、旨い酒と肴に舌鼓を打ち、日常生活の疲れを癒す心地よい風呂や寝床を提供する良い店や良い宿にすんなりと巡り会うことは、なかなか難しい。
もちろん「良い店」や「良い宿」の定義は人それぞれで違うのだろうが、本当に良い店や良い宿屋というものは、誰もがそこで過ごした時間に満足でき、また再びそこに訪れたいと心から思えるものに違いない。
それなりのお金を払えば、良い宿に泊まれるのは当たり前・・というわけではない。
「高級ホテル・高級旅館」イコール「良い宿」であるとは限らないのだ。大枚を注ぎ込んでも全くそれだけの価値を見出せない宿もあれば、こんな値段で良いのかと、申し訳なく思えるほどの良心的な宿もある。一泊に五万円払っても不機嫌になってしまう豪華な宿もあれば、わずか数千円の宿泊料で最高の気分に浸れる、寒村の鄙びた温泉宿も在るのである。
円山洋玄老師は、よく弟子たちに、何に付けても「一流」を体験するよう勧めておられる。
食事や宿泊に関しても、一流の宿屋に泊まって、一流の店で食事をして、一流の味をその舌で味わって、たっぷりと一流の持て成しを受けて来る機会を持ちなさい、その為に自分の稼いだお金を投資するのだ、そうすれば「一流」というものの何たるかが、少しばかり解ってくる・・・と言われる。
確かに、常に二流、三流の中で生活しているだけでは、決して「一流」の姿は見えてくる筈もないが、「一流」をきちんと経験しさえすれば、反対に、そうでないものは自ずと見えてくる。
観る眼が養われるのである。
・・そして、それはそんなに難しいことではない。
早い話が、赤坂の「辻留」に行って懐石を頂いてくれば、そこで過ごす僅かな時間だけで一流の日本文化と日本料理の真髄をたっぷり体験することができるし、「あさば」や「蓬莱」に一泊すれば、ああ日本人に生まれて良かったと、日本とはこんなに素晴らしいクニだったのかと、つくづく思えるはずである。
「辻留」の夕食は三〜四万円するし、「あさば」の宿泊代も同じくらいする。しかし、そこへ行った誰もが、これほどの満足や感動が得られるのなら、こんな安いものはないと思うに違いない。
それは、一流のボクサーや柔術家の試合が、たとえ第1ラウンドのゴングが鳴ってから、わずか1分足らずで相手を屠って終わってしまったとしても、その芸術的なまでに研ぎ澄まされた
”生” の試合を、飛び散る汗が降り掛かる最前列で見るために何万円という席料を支払っても悔いが残らない、というのと同じであろう。
「一流」とは、そういうものである。
そして、その料理、そのしつらえ、そのサービスによって私たちが体験するところのものは、いささか大袈裟に言えば、人間の営みとは何か、この世界とは何か、生きるとは何であろうかという、ともすれば凡庸で陳腐で煩雑な日常では忘れ去られている、人生の命題にまで想いを馳せさせてくれるものでもある。
しかし、それは決して高嶺の花ではない。求める意志さえあれば、誰もがそれを体験することが可能な、吾々が起居している、この同じ世界のものなのである。
ここでは、師父をはじめ、旅行経験の豊かな太極武藝館のスタッフが、そのような思いで実際に感動したり満足することのできた「宿屋」や「食事処」を、国内外を問わず、その体験談としてご紹介していきたいと思う。