2026年01月26日
門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その103
『三本の柱』
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
新年が明けて早くも一か月近い時間が流れようとしています。
2026年になり、太極武藝館での稽古は昨年よりもまたギアを上げ、どんどんと進んでいっているように感じられます。今年は套路においても第六勢から先に進んでいくという話なので、のんびりとやっていては簡単に取り残されてしまう…それほど気合の入った稽古が行われています。
とはいえ、気持ちばかり急いても仕方がありません。日本で古来から使用されていた旧暦でみればまだ年明け前なので、今年一年の目標をしっかりと定めて着実に取り組んでいくには、まだ遅くはないのかもしれません。
昨年も太極拳を通じて、様々な事を勉強させていただきました。そこから得られ、また反省したものを基にして、今年はどのように稽古に取り組んでいくべきか、個人的に少し考えてまとめてみたいと思いました。
ここでは便宜上、古来から東洋の思想にある「天地人」という考えに当てはめて、それを三本の柱としてみたいと思います。
稽古に取り組むにあたり、まず自分がどのような状態であるのかを理解する事が非常に大切だと感じます。示されたものを真似する、受け取る。盲目的に取り組もうとしても、自分の状態がどうなっているのか理解出来ていないのでは、受け取れるものも片手落ちの限られたものになってしまうものです。
太極拳という武術において、まず対面しなければならないのは、他者の前に自分自身。
天地人でいう「人」です。最初が天じゃなくて人なのかという気もしますが、いきなり「天」と言われたところでなんのことだかわからない、それが人間というものです。よくも悪くも人間であるという事と最大限に向かい合う必要があるのではないかと思います。
次に、「地」でしょうか。
太極武藝館で伝承され、我々に教授していただいている内容は、先達により洗練され、体系化されたものだという事がひしひしと感じられる得難いものだと思います。その伝統、歴史の長さは味わうほどに深さが感じられ、より興味を抱かせてくれるものです。
太極拳の歴史を学ぶ上で、この世界の事を一緒に学ぶ事は表裏の事として必要なのではないかと思います。先人たちがどのような環境におかれ、なんのために武術を必要としていたのか。
そのためにどのような技術として成立させ、それが我々の時代にまで繋がっているのか。
幸運な事に、今では色々な情報を得るのが容易な時代になっています。それによって学習できる知見は確かに増えていますし、必要としている情報も飛び込んできてくれるようになりました。ところが、それによって逆に表には現れてこないような情報、その場所にしかない生の情報がある事も理解できるようになり、それらの重要性が相対的に増してきているように思えるものです。
我々が取り組んでいる稽古がそもそも表に出てこない情報そのものであり、そこから得られる知見というのは、より深い世界へと我々を誘ってくれるものです。そしてそのような脈々と受け継がれている情報、伝承というものが世界には数限りなく残されているのだろうという嗅覚が働くようになり、それによってもまた、この世界の観方は変わっていってしまうものだと思います。
そうしたものに触れる時、我々が常識だと思っていたものは簡単にひっくり返され、この世界の在り方はいとも容易く変化してしまうのではないか、などと思っております。
だからこそ我々は、こうして自分が教わる事の出来た事を大事にし、自らのものとなるよう稽古に精進していかなければならないのだと、強く感じるものです。
さて、そのように受け継がれてきたものを大事にしていくのは、何も歴史が長いからといったそのような理由からではありません。それは先人たちが命を掛けて残してきた、この世界の在り方と向かい合って生み出されてきた宝物だからです。
自分がどのような存在なのかを知り、残されてきたものを味わい、それによってこの世の中がどのように成り立っているのかを知る…。これが天地人の「天」に当たる部分ではないかと思います。
天の規則、自然の法則に則り結果を出すこと。武術においても、自分がどれだけ鍛えて強くなったつもりでいても、この世界の物理法則を越えた現象を起こすことは出来ません。天の法則のもとで、人の理を理解した上であらわれる技は一見すると物理法則を越えているようにも見えますが、それは本当は我々の常識が理解の邪魔をしているだけなのでしょう。
天の法則を知り、自らもそれに沿って生きることが出来るようになってはじめて、先人たちの残してきた太極拳の事が分かり、太極拳の生き方が出来るようになるのだと思います。
そのために必要な原動力が、ほかならぬ自分の意志の力、自分が「こうしたい」と思う事ではないかと思うのです。まず意志があり、そこからどんどん物事が動いていきます。
そして、この自分がいま存在しそう考えることが出来るのも、この地球という惑星があり、自分の先祖が居て歴史を作ってきてくれたからです。自分という存在がただぽんと生まれたわけではないのだという事がわかれば、自然とあらゆる出来事に感謝の気持ちを抱きたくなります。
天地人はそれぞれが大事な柱でありながら、決して分けて考える事の出来ない物事なのだという事を、昔の人々は語ってくれているのではないでしょうか。
太極拳を学問として捉えるなら、武術でありながら特定のジャンルにとらわれない包括的な学問ではないかと思います。物理として学ぶ人もいれば、人間の生理学や構造学としても観ることが出来ますし、また音楽のように芸術として受け取る人もいることでしょう。
太極拳の懐の広い所は、学習者それぞれの個性に合わせて学習できる余地がいくらでもあるところではないかと思います。また裏返すと、学習に行き詰ったと感じた時に全く違った見方をするチャンスをも与えてくれるものではないかと思います。
私はどちらかというと物理や人体の構造として研究するという所が多かったと思うのですが、ある時それとはまったく違ったものとして見えるようになった時、とたんに世界が豊かになったように感じられたものでした。それが特に去年に色々な発見があったように感じます。
いまにして思えばその片鱗は一昨年からあったのだと思います。私が太極拳をひとつの歴史物語のように見えると感じるようになったら、そこにあった当時の人々の考えや息遣いまで聴こえてきたように感じられ、それに則した情報が昨年はどんどん飛び込んできたのです。
先人たちもただ技法や思想を残したのではなく、それを作り上げたそれぞれ一人の人間だった事。また、それぞれの時代や世界で生き、そうする必然性があったのだという事。
ひとりの人間として精一杯生きてきたからこそ、天地人を貫くものとしてひとつの太極拳を作り上げてきたのだと、そう感じられたものでした。
だから私も太極拳の学習を志すものとして、ひとりの人間としてこの世界でしっかり生きていく必要があるのだと感じています。
日々の生活が太極拳に繋がってくるからこそ、この時代においても非常に価値のある学習体系ですし、また将来にもつなげていくべき宝物なのだと思います。
さて今年一年、どのような年になるのでしょうか。
何がどうなろうとも、まずは精一杯生き抜いて、稽古に励んでいく…その意志をしっかりと持ってはじめていきたいと思います。
(了)
☆人気記事「今日も稽古で日が暮れる」は、毎月掲載の予定です!
☆ご期待ください!
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
新年が明けて早くも一か月近い時間が流れようとしています。
2026年になり、太極武藝館での稽古は昨年よりもまたギアを上げ、どんどんと進んでいっているように感じられます。今年は套路においても第六勢から先に進んでいくという話なので、のんびりとやっていては簡単に取り残されてしまう…それほど気合の入った稽古が行われています。
とはいえ、気持ちばかり急いても仕方がありません。日本で古来から使用されていた旧暦でみればまだ年明け前なので、今年一年の目標をしっかりと定めて着実に取り組んでいくには、まだ遅くはないのかもしれません。
昨年も太極拳を通じて、様々な事を勉強させていただきました。そこから得られ、また反省したものを基にして、今年はどのように稽古に取り組んでいくべきか、個人的に少し考えてまとめてみたいと思いました。
ここでは便宜上、古来から東洋の思想にある「天地人」という考えに当てはめて、それを三本の柱としてみたいと思います。
稽古に取り組むにあたり、まず自分がどのような状態であるのかを理解する事が非常に大切だと感じます。示されたものを真似する、受け取る。盲目的に取り組もうとしても、自分の状態がどうなっているのか理解出来ていないのでは、受け取れるものも片手落ちの限られたものになってしまうものです。
太極拳という武術において、まず対面しなければならないのは、他者の前に自分自身。
天地人でいう「人」です。最初が天じゃなくて人なのかという気もしますが、いきなり「天」と言われたところでなんのことだかわからない、それが人間というものです。よくも悪くも人間であるという事と最大限に向かい合う必要があるのではないかと思います。
次に、「地」でしょうか。
太極武藝館で伝承され、我々に教授していただいている内容は、先達により洗練され、体系化されたものだという事がひしひしと感じられる得難いものだと思います。その伝統、歴史の長さは味わうほどに深さが感じられ、より興味を抱かせてくれるものです。
太極拳の歴史を学ぶ上で、この世界の事を一緒に学ぶ事は表裏の事として必要なのではないかと思います。先人たちがどのような環境におかれ、なんのために武術を必要としていたのか。
そのためにどのような技術として成立させ、それが我々の時代にまで繋がっているのか。
幸運な事に、今では色々な情報を得るのが容易な時代になっています。それによって学習できる知見は確かに増えていますし、必要としている情報も飛び込んできてくれるようになりました。ところが、それによって逆に表には現れてこないような情報、その場所にしかない生の情報がある事も理解できるようになり、それらの重要性が相対的に増してきているように思えるものです。
我々が取り組んでいる稽古がそもそも表に出てこない情報そのものであり、そこから得られる知見というのは、より深い世界へと我々を誘ってくれるものです。そしてそのような脈々と受け継がれている情報、伝承というものが世界には数限りなく残されているのだろうという嗅覚が働くようになり、それによってもまた、この世界の観方は変わっていってしまうものだと思います。
そうしたものに触れる時、我々が常識だと思っていたものは簡単にひっくり返され、この世界の在り方はいとも容易く変化してしまうのではないか、などと思っております。
だからこそ我々は、こうして自分が教わる事の出来た事を大事にし、自らのものとなるよう稽古に精進していかなければならないのだと、強く感じるものです。
さて、そのように受け継がれてきたものを大事にしていくのは、何も歴史が長いからといったそのような理由からではありません。それは先人たちが命を掛けて残してきた、この世界の在り方と向かい合って生み出されてきた宝物だからです。
自分がどのような存在なのかを知り、残されてきたものを味わい、それによってこの世の中がどのように成り立っているのかを知る…。これが天地人の「天」に当たる部分ではないかと思います。
天の規則、自然の法則に則り結果を出すこと。武術においても、自分がどれだけ鍛えて強くなったつもりでいても、この世界の物理法則を越えた現象を起こすことは出来ません。天の法則のもとで、人の理を理解した上であらわれる技は一見すると物理法則を越えているようにも見えますが、それは本当は我々の常識が理解の邪魔をしているだけなのでしょう。
天の法則を知り、自らもそれに沿って生きることが出来るようになってはじめて、先人たちの残してきた太極拳の事が分かり、太極拳の生き方が出来るようになるのだと思います。
そのために必要な原動力が、ほかならぬ自分の意志の力、自分が「こうしたい」と思う事ではないかと思うのです。まず意志があり、そこからどんどん物事が動いていきます。
そして、この自分がいま存在しそう考えることが出来るのも、この地球という惑星があり、自分の先祖が居て歴史を作ってきてくれたからです。自分という存在がただぽんと生まれたわけではないのだという事がわかれば、自然とあらゆる出来事に感謝の気持ちを抱きたくなります。
天地人はそれぞれが大事な柱でありながら、決して分けて考える事の出来ない物事なのだという事を、昔の人々は語ってくれているのではないでしょうか。
太極拳を学問として捉えるなら、武術でありながら特定のジャンルにとらわれない包括的な学問ではないかと思います。物理として学ぶ人もいれば、人間の生理学や構造学としても観ることが出来ますし、また音楽のように芸術として受け取る人もいることでしょう。
太極拳の懐の広い所は、学習者それぞれの個性に合わせて学習できる余地がいくらでもあるところではないかと思います。また裏返すと、学習に行き詰ったと感じた時に全く違った見方をするチャンスをも与えてくれるものではないかと思います。
私はどちらかというと物理や人体の構造として研究するという所が多かったと思うのですが、ある時それとはまったく違ったものとして見えるようになった時、とたんに世界が豊かになったように感じられたものでした。それが特に去年に色々な発見があったように感じます。
いまにして思えばその片鱗は一昨年からあったのだと思います。私が太極拳をひとつの歴史物語のように見えると感じるようになったら、そこにあった当時の人々の考えや息遣いまで聴こえてきたように感じられ、それに則した情報が昨年はどんどん飛び込んできたのです。
先人たちもただ技法や思想を残したのではなく、それを作り上げたそれぞれ一人の人間だった事。また、それぞれの時代や世界で生き、そうする必然性があったのだという事。
ひとりの人間として精一杯生きてきたからこそ、天地人を貫くものとしてひとつの太極拳を作り上げてきたのだと、そう感じられたものでした。
だから私も太極拳の学習を志すものとして、ひとりの人間としてこの世界でしっかり生きていく必要があるのだと感じています。
日々の生活が太極拳に繋がってくるからこそ、この時代においても非常に価値のある学習体系ですし、また将来にもつなげていくべき宝物なのだと思います。
さて今年一年、どのような年になるのでしょうか。
何がどうなろうとも、まずは精一杯生き抜いて、稽古に励んでいく…その意志をしっかりと持ってはじめていきたいと思います。
(了)
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コメント一覧
1. Posted by ハイネケン 2026年01月27日 22:11
評論ではなく感想ですのであしからず。とても「壮大な一貫性」を太く豊かなものとしてではなく、「限りなく細い線」として明確に表現しようとしている様に感じました。
太極武藝館の太極拳に向き合うとまずその技術の異質さに驚きます。そして学び進めると学びが行き詰まり、自分と技術がいかに向き合っているかという内面の作用の大きさに四苦八苦します。そしてそこからの試行錯誤を楽しみ始めることでさらに大きな学びとなり楽しさを見出すことになります。
美しい工藝品の様な精緻さに感動し、全く思いもよらなかった意識の先に新たな自分を見つけたり。太郎冠者様が仰る通りその楽しみ方は人それぞれなのでしょう。
技術であるからそこには一貫した法則が存在します。太極拳が常識と思しき目から見れば不思議な現象であり再現性も高い事を観ると、単純に物理現象や生理現象の結果といえる(と思う)。そもそも戦闘や格闘が「たまたま偶然に、しかも相手が門人だから上手く技がかかる」様な曖昧なモノであるわけが無い。伝統の中で培われてきた学び方とは、「自分の意識」と「純然とした技術として意識を用いること」との交差点のような気がしました。上手い表現が出来ていませんがそんな感じなのです。
太郎冠者様、とても面白かったです。
ありがとうございました。
太極武藝館の太極拳に向き合うとまずその技術の異質さに驚きます。そして学び進めると学びが行き詰まり、自分と技術がいかに向き合っているかという内面の作用の大きさに四苦八苦します。そしてそこからの試行錯誤を楽しみ始めることでさらに大きな学びとなり楽しさを見出すことになります。
美しい工藝品の様な精緻さに感動し、全く思いもよらなかった意識の先に新たな自分を見つけたり。太郎冠者様が仰る通りその楽しみ方は人それぞれなのでしょう。
技術であるからそこには一貫した法則が存在します。太極拳が常識と思しき目から見れば不思議な現象であり再現性も高い事を観ると、単純に物理現象や生理現象の結果といえる(と思う)。そもそも戦闘や格闘が「たまたま偶然に、しかも相手が門人だから上手く技がかかる」様な曖昧なモノであるわけが無い。伝統の中で培われてきた学び方とは、「自分の意識」と「純然とした技術として意識を用いること」との交差点のような気がしました。上手い表現が出来ていませんがそんな感じなのです。
太郎冠者様、とても面白かったです。
ありがとうございました。
2. Posted by マルコビッチ 2026年01月30日 19:32
天地人からのアプローチ、なぜ天地人なのかはともかく、そういう風に繋がるのかと面白く読ませていただきました。
昨年の初級強化訓練以降、動ける身体、使える身体でないと何も始まらないということを実感している今日この頃ですが、宗師も最近よくそのことを仰られています。
健康クラスでは、はじめに多くの時間をとって動ける身体に整えるトレーニングをするそうです。
そして健康クラスの方々は目覚ましい成長をしているという事です。
先日は、なんと研究会の稽古の初めにそのトレーニングをしました。
宗師の合図で進めていったのですが、その内容は何回も行ったことがありますし、皆さんそれぞれご自宅でもやっておられることだと思います。
しかし、その時の宗師の合図や言葉はとても細かくて、私は「なぜそんなに細かく丁寧に仰ってくださるのだろう・・」と少し疑問にさえ思いました。
終わってみるといつも一人で行った後より身体が伸びやかに感じられたのです。
同じように感じた方が「宗師の声で導かれているようだった。」と仰って、私は「そうかそれか!」と納得しました。宗師の声、言葉が導きになって浸透してくるようだった・・そして絶妙な時間と間! 思い出すと、凄いことだなと思います。
私は自分で自分の身体をこんな風に導いているだろうか・・なんかこのことはとても大事なことのような気がします。
すぐに動ける身体が絶対的に必要だった先人たちは、どのように自分の身体と向かい合っていたのでしょう。
ここからいろんなところに思いが飛ばせそうです。
太郎冠者さん、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
昨年の初級強化訓練以降、動ける身体、使える身体でないと何も始まらないということを実感している今日この頃ですが、宗師も最近よくそのことを仰られています。
健康クラスでは、はじめに多くの時間をとって動ける身体に整えるトレーニングをするそうです。
そして健康クラスの方々は目覚ましい成長をしているという事です。
先日は、なんと研究会の稽古の初めにそのトレーニングをしました。
宗師の合図で進めていったのですが、その内容は何回も行ったことがありますし、皆さんそれぞれご自宅でもやっておられることだと思います。
しかし、その時の宗師の合図や言葉はとても細かくて、私は「なぜそんなに細かく丁寧に仰ってくださるのだろう・・」と少し疑問にさえ思いました。
終わってみるといつも一人で行った後より身体が伸びやかに感じられたのです。
同じように感じた方が「宗師の声で導かれているようだった。」と仰って、私は「そうかそれか!」と納得しました。宗師の声、言葉が導きになって浸透してくるようだった・・そして絶妙な時間と間! 思い出すと、凄いことだなと思います。
私は自分で自分の身体をこんな風に導いているだろうか・・なんかこのことはとても大事なことのような気がします。
すぐに動ける身体が絶対的に必要だった先人たちは、どのように自分の身体と向かい合っていたのでしょう。
ここからいろんなところに思いが飛ばせそうです。
太郎冠者さん、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
3. Posted by 松久宗玄 2026年01月30日 22:05
天地人とは、まさしく陰陽太極の理の一側面ですね。
「天の時、地の利、人の和」
要点を端的に表現していて、味わい深いです。
太極拳を追求するプロセスでは、
全体を俯瞰しての、バランスや調和を意識させられます。
力を増やすよりも、力の流れを整える、
問題との衝突や対立よりも、あらかじめ問題を見極めて避け、
しなやかに生きる。
ますます混迷を深めていく世界と時代に入りましたが、
陰陽太極の道に沿って、私も自らの道を歩いていきたいと思います。
「天の時、地の利、人の和」
要点を端的に表現していて、味わい深いです。
太極拳を追求するプロセスでは、
全体を俯瞰しての、バランスや調和を意識させられます。
力を増やすよりも、力の流れを整える、
問題との衝突や対立よりも、あらかじめ問題を見極めて避け、
しなやかに生きる。
ますます混迷を深めていく世界と時代に入りましたが、
陰陽太極の道に沿って、私も自らの道を歩いていきたいと思います。
4. Posted by 西川敦玄 2026年01月30日 22:59
太郎冠者さん、ブログ投稿ありがとうございました。
記事にありますように、先人たちも皆一個の人間として精一杯生きてきたと思います。
その、生きるための、勝ち抜くための技術が武術であったのでしょう。
そして、それが人間性というものを理解することにつながっていたから、
現代の日本で、知らず知らず我々の心をとらえているのだと思います。
そして、人間性を理解すること、この道を歩いて行くことは自分の思い込みに向き合うこととなります。
私は、稽古に参加するたびに指摘されることに整合性がないように感じることがあります。
前回はこう言われたのに、今回はまるで反対のことを指摘される。といった具合です。
それを思考で解こうとすると、共通することを探そうとしたり、指摘されている内容の一部を無視したりすることになります。
悩みました。
軒並みな解決法ですが、ただ稽古に取り組み、そこで理解したことを忘れて、また取り組んでいくことでしか進めないような感じがしています。
太郎冠者さん、純粋なコメントバックにならずすみません。
今年をはじめるにあたり、太郎冠者さんの前向きなブログを読んで、一緒に稽古頑張っていきたいと思いました。ともに精一杯の人生を生ききりたいと思います。ありがとうございました。
記事にありますように、先人たちも皆一個の人間として精一杯生きてきたと思います。
その、生きるための、勝ち抜くための技術が武術であったのでしょう。
そして、それが人間性というものを理解することにつながっていたから、
現代の日本で、知らず知らず我々の心をとらえているのだと思います。
そして、人間性を理解すること、この道を歩いて行くことは自分の思い込みに向き合うこととなります。
私は、稽古に参加するたびに指摘されることに整合性がないように感じることがあります。
前回はこう言われたのに、今回はまるで反対のことを指摘される。といった具合です。
それを思考で解こうとすると、共通することを探そうとしたり、指摘されている内容の一部を無視したりすることになります。
悩みました。
軒並みな解決法ですが、ただ稽古に取り組み、そこで理解したことを忘れて、また取り組んでいくことでしか進めないような感じがしています。
太郎冠者さん、純粋なコメントバックにならずすみません。
今年をはじめるにあたり、太郎冠者さんの前向きなブログを読んで、一緒に稽古頑張っていきたいと思いました。ともに精一杯の人生を生ききりたいと思います。ありがとうございました。
5. Posted by 阿部玄明 2026年01月31日 00:38
太極拳は長い歴史の中で洗練され代々伝えられた。最初に原理を発見した最初の人が居た。その人が生きていたのは遠い地の戦乱の時代、自分と一族を守る必要性があったからこそ原理を発見できた。常に生存の危機に晒されるというストレスの中で伝承されて来ました。
現代は(見かけ上は)平和な時代であり生存が脅かされる危険が少ない。加えて、生活を送るための生活様式は複雑で時間を確保することも難しい環境です。現代の方が太極拳を習得するための難易度が高く、個人が注ぐ努力が多く求められると思います。
太極拳を生存のための闘争術としてだけではなく、人間性の追及のための道として見出そうとする現代の太極武藝館の在り方はとても尊いと思います。
太極拳自体は変わらずそこに有るが、時代(天地)が変化するにつれて人の意識が変化し、太極拳に見出そうとする内容も変化してきている。
太郎冠者さんのブログを読んで人と太極拳の関わりはこれからも進化し続けていくように感じました。
現代は(見かけ上は)平和な時代であり生存が脅かされる危険が少ない。加えて、生活を送るための生活様式は複雑で時間を確保することも難しい環境です。現代の方が太極拳を習得するための難易度が高く、個人が注ぐ努力が多く求められると思います。
太極拳を生存のための闘争術としてだけではなく、人間性の追及のための道として見出そうとする現代の太極武藝館の在り方はとても尊いと思います。
太極拳自体は変わらずそこに有るが、時代(天地)が変化するにつれて人の意識が変化し、太極拳に見出そうとする内容も変化してきている。
太郎冠者さんのブログを読んで人と太極拳の関わりはこれからも進化し続けていくように感じました。
6. Posted by 平田玄琢 2026年01月31日 07:33
太極拳に必要なことを天地人に当てはめてよく書かれていると思いました。
天地人は、戦さの勝敗や物事の成否に例えられてきました。
その元として、農業を本として生きてきた時代、飢えないためにはいつ種子を蒔けば良いかの天の時期を知る農事暦がありました。本来の暦は大安や仏滅はありません。
自然環境に適応する地の利である四神相応の土地。青龍(東の清流)、白虎(西の広い道)、朱雀(南の開けた土地)、玄武(北の山)、宮(中心の肥沃な黄土)。
集団で稲作をするには、人の和が大切だったでしょう。
日本の神話では、天神、地祇、人の物語。
雅楽では、天の輝きの笙。地上の男性の声域の篳篥。天空を駆け巡る龍の鳴き声の龍笛。これらが混じり合い絶妙なハーモニーを醸し出すと伝えられました。
「その場所にしかない生の情報」・・昨年の夏の終わりに、富山(風の盆)の視察に行ってきました。思っていたものよりも完成された素晴らしいもので、これをそのまま伝承してほしいと思いました。
「我々の常識が理解の邪魔をしている」・・稽古では、ただそれらを守れば常識を超えて起こりえるものだと信じることができるか、にかかっていると思います。
お互い今年も頑張りましょう。
天地人は、戦さの勝敗や物事の成否に例えられてきました。
その元として、農業を本として生きてきた時代、飢えないためにはいつ種子を蒔けば良いかの天の時期を知る農事暦がありました。本来の暦は大安や仏滅はありません。
自然環境に適応する地の利である四神相応の土地。青龍(東の清流)、白虎(西の広い道)、朱雀(南の開けた土地)、玄武(北の山)、宮(中心の肥沃な黄土)。
集団で稲作をするには、人の和が大切だったでしょう。
日本の神話では、天神、地祇、人の物語。
雅楽では、天の輝きの笙。地上の男性の声域の篳篥。天空を駆け巡る龍の鳴き声の龍笛。これらが混じり合い絶妙なハーモニーを醸し出すと伝えられました。
「その場所にしかない生の情報」・・昨年の夏の終わりに、富山(風の盆)の視察に行ってきました。思っていたものよりも完成された素晴らしいもので、これをそのまま伝承してほしいと思いました。
「我々の常識が理解の邪魔をしている」・・稽古では、ただそれらを守れば常識を超えて起こりえるものだと信じることができるか、にかかっていると思います。
お互い今年も頑張りましょう。
7. Posted by 川山継玄 2026年01月31日 11:59
今回もとても興味深く、自分では考えもつかないようなテーマでの投稿をありがとうございます。
「人」からはじまっているところが面白く、「あっわかりやすい!」と思いました。
自分を見つめようとすると、自分のフィルターを通しての観察やダメ出しになることが多く,
前に進めなかった私です。規矩を与えて頂いているにも関わらず、それ自体が「合っているかどうか」不安で仕方がなかったのです。
自分自身に対する感覚が、かなりの緊張によって鈍感になっており、自分勝手な思い込みを、自身に課すような、自分に対してかなりわがままな関わり方をしていたと振り返ります。
それを解決するために、
「自分が今何をしたがっているのか」
に焦点を当ててみました。
「のどが渇いたな。」
―じゃあどうしたい?
「水/お茶/コーヒーを飲みたい」
―じゃあ、飲みたいものを飲もう。
という具合に、出てきた欲求に耳を傾け、自分と対話してみる事を実践してみました。
まず、身体や心はどうしたいのか…に焦点を当ててみると、何を欲しているのかに耳を傾けるようになり、自身を受け容れることができます。仮に、もしそれが困難である場合も、じゃあどうしたらそれが可能になるかな?とアイディアを絞るようにもなりました。
それによって、緊張や、目に見えない事への不安は解消され、内側が静かになりました。
そんな心持ちで、初級強化訓練で教えて頂いたことをやっていると、
「ここが伸びて、こんな風に伸びるんだ」
と気づきや感動が倍増です!!
今更ですが、站椿や稽古で、三本柱が一体となるような静けさ・充実感・躍動感を感じられるようになり、見える事、発見や感動が増えてきました。
自分自身をわかる事から、相手の状態をわかる事に繋がりそうな気がしています。
太極拳に出会えた喜びを分かち合い、ともに稽古に励みましょう。
「人」からはじまっているところが面白く、「あっわかりやすい!」と思いました。
自分を見つめようとすると、自分のフィルターを通しての観察やダメ出しになることが多く,
前に進めなかった私です。規矩を与えて頂いているにも関わらず、それ自体が「合っているかどうか」不安で仕方がなかったのです。
自分自身に対する感覚が、かなりの緊張によって鈍感になっており、自分勝手な思い込みを、自身に課すような、自分に対してかなりわがままな関わり方をしていたと振り返ります。
それを解決するために、
「自分が今何をしたがっているのか」
に焦点を当ててみました。
「のどが渇いたな。」
―じゃあどうしたい?
「水/お茶/コーヒーを飲みたい」
―じゃあ、飲みたいものを飲もう。
という具合に、出てきた欲求に耳を傾け、自分と対話してみる事を実践してみました。
まず、身体や心はどうしたいのか…に焦点を当ててみると、何を欲しているのかに耳を傾けるようになり、自身を受け容れることができます。仮に、もしそれが困難である場合も、じゃあどうしたらそれが可能になるかな?とアイディアを絞るようにもなりました。
それによって、緊張や、目に見えない事への不安は解消され、内側が静かになりました。
そんな心持ちで、初級強化訓練で教えて頂いたことをやっていると、
「ここが伸びて、こんな風に伸びるんだ」
と気づきや感動が倍増です!!
今更ですが、站椿や稽古で、三本柱が一体となるような静けさ・充実感・躍動感を感じられるようになり、見える事、発見や感動が増えてきました。
自分自身をわかる事から、相手の状態をわかる事に繋がりそうな気がしています。
太極拳に出会えた喜びを分かち合い、ともに稽古に励みましょう。
8. Posted by ユキ 2026年01月31日 17:05
確かに、年明けから気合の入った稽古が行われていますね。
「ギアが上がった」と言う表現が、ピッタリです。
・・これでエンジンが変わったり、クルマ自体が変わってしまったら、それこそどうなることやら(^_^;)
宗師は「二度同じ稽古はできない」とおっしゃいますが、自分で稽古していても同じ稽古にはならないので、本当にその時その瞬間を大事に共有させていただきたいなぁと思います。
それは、再現性がないのではなく、動き続けている惑星とかサーキットを走り続ける車のようなものなので、“戻れない”のですよね。同じところをグルグルしているようで、当人はマイシュンを自分と向き合わざるを得ない・・非日常的なスピードの中で。
太郎冠者さんの記事を読んで、ふと「天地人」も、全部動き続けているもの、変化し続けているものなのだと思いました。
留められないもの。固定できないもの。そんなふうに考えるのは、外れているでしょうか。。
稽古に出るということは、宗師の瞬間瞬間の研究に同席し、共有し、味わって我が身に通すことだとしたら、今年は逃すことなくそこに埋没したいと思いました。
「ギアが上がった」と言う表現が、ピッタリです。
・・これでエンジンが変わったり、クルマ自体が変わってしまったら、それこそどうなることやら(^_^;)
宗師は「二度同じ稽古はできない」とおっしゃいますが、自分で稽古していても同じ稽古にはならないので、本当にその時その瞬間を大事に共有させていただきたいなぁと思います。
それは、再現性がないのではなく、動き続けている惑星とかサーキットを走り続ける車のようなものなので、“戻れない”のですよね。同じところをグルグルしているようで、当人はマイシュンを自分と向き合わざるを得ない・・非日常的なスピードの中で。
太郎冠者さんの記事を読んで、ふと「天地人」も、全部動き続けているもの、変化し続けているものなのだと思いました。
留められないもの。固定できないもの。そんなふうに考えるのは、外れているでしょうか。。
稽古に出るということは、宗師の瞬間瞬間の研究に同席し、共有し、味わって我が身に通すことだとしたら、今年は逃すことなくそこに埋没したいと思いました。
9. Posted by マガサス 2026年01月31日 20:46
「天地人」とても興味深く拝見しました。
壮大なお話ですね!
連綿と受け継がれてきた太極拳。
そしてこれからも続いて行く歴史の中で、その一時代に自分が存在し、学ぶことが出来ることに感動します。
生き生きと成長を続ける宗師を拝見して、受け継がれてきたものがこの時代に更に発展をしていくのだと思います。
もっともっと自分をよく観てよく知り、そして手放して、法則に身を委ねる必要性を感じます。
壮大なお話ですね!
連綿と受け継がれてきた太極拳。
そしてこれからも続いて行く歴史の中で、その一時代に自分が存在し、学ぶことが出来ることに感動します。
生き生きと成長を続ける宗師を拝見して、受け継がれてきたものがこの時代に更に発展をしていくのだと思います。
もっともっと自分をよく観てよく知り、そして手放して、法則に身を委ねる必要性を感じます。
10. Posted by 川島玄峰 2026年01月31日 22:15
日常生活に於いて稽古が欠かせませんね。
太極拳の稽古は行動、考え方、捉え方、自己修正など常に己に問いかけられ、在り方を問われますね。そのような緊張感と言いますか、気を休める事のない状態が当たり前となり、変化を促してくれるのだと思います。
日常生活の様々な出来事に対処していけるのも、もしかしたら知らず知らずのうちに太極拳の在り方が備わってきてるからなのかもしれません。
強さの意味をまた教えられたように思います。
ありがとうございます。
太極拳の稽古は行動、考え方、捉え方、自己修正など常に己に問いかけられ、在り方を問われますね。そのような緊張感と言いますか、気を休める事のない状態が当たり前となり、変化を促してくれるのだと思います。
日常生活の様々な出来事に対処していけるのも、もしかしたら知らず知らずのうちに太極拳の在り方が備わってきてるからなのかもしれません。
強さの意味をまた教えられたように思います。
ありがとうございます。
11. Posted by ひこな 2026年01月31日 23:04
太郎冠者様
天地人。歴々と受け継がれた宝物をこの時節に受け取ろうとし、人の営みとして活かしていくことの大切さが感じられました。
時間的にも空間的にもその意識を拡げて探索する姿勢には頭が下がります。
私もどちらかというと、物理や構造に目が向きがちですが、いわゆる自然科学で定義された範囲内で捉えようとすると自分の知識や理解的にも限界があります。
それと別に、時には直感的に、時にはイメージ、時には感覚的に捉えるように努めています。この辺りは、正に体験をさせていただける環境に感謝しているところで、実践知の享受は直接稽古場に入られる有難みを感じるところですね。
旧暦の新年の前に背筋を伸ばさせていただき有難う御座います。皆様の多様な研鑽から得られる多角的なご指導を糧に、今年も一歩ずつ太極拳の真髄に迫りたいと思いを新たにしました。
天地人。歴々と受け継がれた宝物をこの時節に受け取ろうとし、人の営みとして活かしていくことの大切さが感じられました。
時間的にも空間的にもその意識を拡げて探索する姿勢には頭が下がります。
私もどちらかというと、物理や構造に目が向きがちですが、いわゆる自然科学で定義された範囲内で捉えようとすると自分の知識や理解的にも限界があります。
それと別に、時には直感的に、時にはイメージ、時には感覚的に捉えるように努めています。この辺りは、正に体験をさせていただける環境に感謝しているところで、実践知の享受は直接稽古場に入られる有難みを感じるところですね。
旧暦の新年の前に背筋を伸ばさせていただき有難う御座います。皆様の多様な研鑽から得られる多角的なご指導を糧に、今年も一歩ずつ太極拳の真髄に迫りたいと思いを新たにしました。
12. Posted by 清水龍玄 2026年01月31日 23:34
>太極拳という武術において、まず対面しなければならないのは、他者の前に自分自身。
これがスタートであり、武術を学んでいく以上、一生向き合っていく事なのではないかと思います。
先ずそれがなければ始まらない。
その上で、経験や知識が身に染みて生きてきて、他者との繋がりも出てくるのだと思います。
ただの個の工夫ではなく、先人との繋がり、周囲の人との繋がり、世界との繋がり、未来との繋がり、
様々な物事との関係の中で、稽古というものがあるのではないかと思います。
本年もよろしくお願いします。
これがスタートであり、武術を学んでいく以上、一生向き合っていく事なのではないかと思います。
先ずそれがなければ始まらない。
その上で、経験や知識が身に染みて生きてきて、他者との繋がりも出てくるのだと思います。
ただの個の工夫ではなく、先人との繋がり、周囲の人との繋がり、世界との繋がり、未来との繋がり、
様々な物事との関係の中で、稽古というものがあるのではないかと思います。
本年もよろしくお願いします。
13. Posted by 太郎冠者 2026年02月08日 19:42
皆様、コメント返信が遅くなり、申し訳ありませんでした。
☆ハイネケンさん
今日も稽古に行って参りました。
改めて感じたのは、学習体系が「暗号」であるという点でしょうか。
一見謎に見える要素も、ある観点から見ると読み解けるように出来ているように思えます。
ところが、それでひとつ解けたかと思うと、同じ内容に見えた部分がもっと複合的に暗号化された文章だったと分かってくるかのような気持ちになります。
特に套路は、複合化された暗号であると強く感じるものです。
ただ、解くために必要な鍵はふだんの稽古の中で示されているものだと思うので、それを正しい使い方で用いれば、解けるように出来ているのではないかと思います。
先人はこれをこのような形で残して下さった…本当に面白い世界だと思います。
ごめんなさい、稽古のとりとめない感想のようになってしまいました!
☆ハイネケンさん
今日も稽古に行って参りました。
改めて感じたのは、学習体系が「暗号」であるという点でしょうか。
一見謎に見える要素も、ある観点から見ると読み解けるように出来ているように思えます。
ところが、それでひとつ解けたかと思うと、同じ内容に見えた部分がもっと複合的に暗号化された文章だったと分かってくるかのような気持ちになります。
特に套路は、複合化された暗号であると強く感じるものです。
ただ、解くために必要な鍵はふだんの稽古の中で示されているものだと思うので、それを正しい使い方で用いれば、解けるように出来ているのではないかと思います。
先人はこれをこのような形で残して下さった…本当に面白い世界だと思います。
ごめんなさい、稽古のとりとめない感想のようになってしまいました!
14. Posted by 太郎冠者 2026年02月08日 19:56
☆マルコビッチさん
仰る通り、自分で体をほぐすよりも、道場で宗師と一緒にやらせていただいた方が、体がほぐれているように感じますね。
放鬆する、心地よさが伝播してくるような感覚もありますし、自分だけだとさっさと終わらせてよしとしてしまう所も多分にあるような気がしました。
同様の事が、稽古の他の部分でも起こっているのかもしれませんね。
だからこそ、自分のひとりよがりにならないように稽古することが大事で、指導者に合わせて動ける機会が得られる事が非常に大事なことなのだろうと思います。
宗師が何に合わせようとしているのか、その根源の部分に自分も目を向けて、それに合わせるようにしていければ、自分ひとりで取り組む稽古の質ももっと変わってくるのかもしれません。
ともあれ、やらないよりやったほうが良いのは当然ですし、少しずつでも続けることで良い変化は生じてくるのではないかと思います。
今年も一緒に頑張っていきましょう!
仰る通り、自分で体をほぐすよりも、道場で宗師と一緒にやらせていただいた方が、体がほぐれているように感じますね。
放鬆する、心地よさが伝播してくるような感覚もありますし、自分だけだとさっさと終わらせてよしとしてしまう所も多分にあるような気がしました。
同様の事が、稽古の他の部分でも起こっているのかもしれませんね。
だからこそ、自分のひとりよがりにならないように稽古することが大事で、指導者に合わせて動ける機会が得られる事が非常に大事なことなのだろうと思います。
宗師が何に合わせようとしているのか、その根源の部分に自分も目を向けて、それに合わせるようにしていければ、自分ひとりで取り組む稽古の質ももっと変わってくるのかもしれません。
ともあれ、やらないよりやったほうが良いのは当然ですし、少しずつでも続けることで良い変化は生じてくるのではないかと思います。
今年も一緒に頑張っていきましょう!
15. Posted by 太郎冠者 2026年02月08日 20:06
☆松久宗玄さん
>力を増やすよりも、力の流れを整える
仰る通りで、少年漫画的に強い力や凄い威力があれば強くなれたり戦えるかというと、現実ではそんな事はぜんぜんないのだと思いますね。
稽古をしていて感じるのは、力という観点で見れば人間はそこに立っているだけで十分な力を持っているという点で、むしろそれを正しく整えられていないためにぜんぜん上手く使えないのだという事です。
正しく整えられた架式は、それだけである意味力を持っているのだと思いますし、それも正しい使い方を理解しないことにはあんまり役に立たないものなのかもしれません。
>陰陽太極の道に沿って
戦わずして勝つ…これが一番理想的な気がします。
そのためにも、武術として実戦的な稽古をしていかなければなりませんね。
まるで矛盾しているようですが、それが陰陽両方併せ持った太極拳の在り方なのかもしれません。
>力を増やすよりも、力の流れを整える
仰る通りで、少年漫画的に強い力や凄い威力があれば強くなれたり戦えるかというと、現実ではそんな事はぜんぜんないのだと思いますね。
稽古をしていて感じるのは、力という観点で見れば人間はそこに立っているだけで十分な力を持っているという点で、むしろそれを正しく整えられていないためにぜんぜん上手く使えないのだという事です。
正しく整えられた架式は、それだけである意味力を持っているのだと思いますし、それも正しい使い方を理解しないことにはあんまり役に立たないものなのかもしれません。
>陰陽太極の道に沿って
戦わずして勝つ…これが一番理想的な気がします。
そのためにも、武術として実戦的な稽古をしていかなければなりませんね。
まるで矛盾しているようですが、それが陰陽両方併せ持った太極拳の在り方なのかもしれません。
16. Posted by 太郎冠者 2026年02月08日 20:27
☆西川敦玄さん
戦乱の世を生き、同胞以外は敵対する可能性がある情勢を生きた人々は、大事な教えを残すために徹底して分かる人には分かる暗号化したものを残してきたのではないか…と、太極拳に限らず世の中にある歴史を調べていると感じる所があります。
戦い方はもちろんのこと、人として何を大事にするべきかといったものも、そのままの形で残すことなく、物語化や伝承化することで後世に残していったのではないかと感じます。
それは一見すると矛盾にも感じられるものの、ひとたびその暗号の解読キーを知る事で、全く矛盾していないシンプルな事実が立ち現れてくるのかも、と思うのです。
そういったものを感じ、味わい、考えるのがとても楽しいと思いますし、謎を解く楽しみは太極拳にも沢山あると思います。
不必要に苦労する必要はないとも思いますが、悩んだ先で謎が解けることの喜びは、味わってしまうと病みつきになるものです。
ただ強くなりたいといった事を越えて、その楽しみがあるからこそ、太極拳はやめられないのかもしれませんね。
また稽古でご一緒出来るのを楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。
戦乱の世を生き、同胞以外は敵対する可能性がある情勢を生きた人々は、大事な教えを残すために徹底して分かる人には分かる暗号化したものを残してきたのではないか…と、太極拳に限らず世の中にある歴史を調べていると感じる所があります。
戦い方はもちろんのこと、人として何を大事にするべきかといったものも、そのままの形で残すことなく、物語化や伝承化することで後世に残していったのではないかと感じます。
それは一見すると矛盾にも感じられるものの、ひとたびその暗号の解読キーを知る事で、全く矛盾していないシンプルな事実が立ち現れてくるのかも、と思うのです。
そういったものを感じ、味わい、考えるのがとても楽しいと思いますし、謎を解く楽しみは太極拳にも沢山あると思います。
不必要に苦労する必要はないとも思いますが、悩んだ先で謎が解けることの喜びは、味わってしまうと病みつきになるものです。
ただ強くなりたいといった事を越えて、その楽しみがあるからこそ、太極拳はやめられないのかもしれませんね。
また稽古でご一緒出来るのを楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。
17. Posted by 太郎冠者 2026年02月09日 22:35
☆阿部玄明さん
太極武藝館に入門する前から、人間とは何なのか、この世界で生きるとは一体どういうことなのだろうか、という疑問を抱き続けていました。
哲学や文学、宗教学などに答え?を求めてみたもののどれもピンとくるものが無く、そういった中で出会えた太極拳には本当に衝撃を受けたものでした。
正確を期して言えば、太極武藝館で伝承されている太極拳が凄いと感じたのですが、武術としても、また人間の生き方の道としても取り組んでいきたいと思わされるのに十分な魅力が感じられたものです。
いま生きているこの文化も、もとをただせば人間と自然との関わり合いの中から生まれてきたもので、太極拳もその例にもれず、だからこそ普遍的な価値があるものだと感じられます。
日常生活との両立という点では困難に感じる部分もありますが、そこは我々が情熱を持って取り組んでいくことで、少しずつ打開出来ていくもののようにも感じられます。
ふだんの日々の中でも、コツコツと稽古を続けていきたいですね。
太極武藝館に入門する前から、人間とは何なのか、この世界で生きるとは一体どういうことなのだろうか、という疑問を抱き続けていました。
哲学や文学、宗教学などに答え?を求めてみたもののどれもピンとくるものが無く、そういった中で出会えた太極拳には本当に衝撃を受けたものでした。
正確を期して言えば、太極武藝館で伝承されている太極拳が凄いと感じたのですが、武術としても、また人間の生き方の道としても取り組んでいきたいと思わされるのに十分な魅力が感じられたものです。
いま生きているこの文化も、もとをただせば人間と自然との関わり合いの中から生まれてきたもので、太極拳もその例にもれず、だからこそ普遍的な価値があるものだと感じられます。
日常生活との両立という点では困難に感じる部分もありますが、そこは我々が情熱を持って取り組んでいくことで、少しずつ打開出来ていくもののようにも感じられます。
ふだんの日々の中でも、コツコツと稽古を続けていきたいですね。
18. Posted by 太郎冠者 2026年02月09日 22:48
☆平田玄琢さん
>人の和
古来より日本人は異なる文化も柔軟に吸収し、敵対しそうな人との関係性もただ対立することを良しとせず、むしろ融和的に仲間とすることで敵対関係を解決してきた文化を持っていると思います。
それは太極拳の思想とも非常に通じるところがあると思いますし、現代の日本人が太極拳を学習する事は、双方の美点をより伸ばしていける関係ではないのかなと思っています。
最近はそういった古来からあった日本の美徳が見直される時期になっているように思います。
日本はすごい!とそれに甘んじてあぐらをかくのではなく、その日本の伝統を受け継ぐ一人の人間として誇れるよう、日々を過ごしていきたいものです。
何より太極拳のような面白いものをもっと追求していきたいですし、同じ事を思う人とは一緒に研鑽していく事は、とても意義深いことだと思います。
ずっと取り組んでいける事があるのは、人生において本当に幸せなことですね。
>人の和
古来より日本人は異なる文化も柔軟に吸収し、敵対しそうな人との関係性もただ対立することを良しとせず、むしろ融和的に仲間とすることで敵対関係を解決してきた文化を持っていると思います。
それは太極拳の思想とも非常に通じるところがあると思いますし、現代の日本人が太極拳を学習する事は、双方の美点をより伸ばしていける関係ではないのかなと思っています。
最近はそういった古来からあった日本の美徳が見直される時期になっているように思います。
日本はすごい!とそれに甘んじてあぐらをかくのではなく、その日本の伝統を受け継ぐ一人の人間として誇れるよう、日々を過ごしていきたいものです。
何より太極拳のような面白いものをもっと追求していきたいですし、同じ事を思う人とは一緒に研鑽していく事は、とても意義深いことだと思います。
ずっと取り組んでいける事があるのは、人生において本当に幸せなことですね。
19. Posted by 太郎冠者 2026年02月09日 22:59
☆川山継玄さん
ただ「見る」というのは難しいですね。
その見るという行為の中に、(〇〇のために)見るという考えが挟まってしまうだけで簡単に物事は歪んで見えてしまうものですし、それはそれで役に立つ事ではあるものの、ありのままの状態、素の自分に触れる必要がある時は特にそれが困難になるように感じます。
仏教の教えを現代語に翻訳すると「知ったこっちゃない」「自分には関係ない」とでもいうような言葉になる所がありますが、それくらい自分と見つめられる自分を切り離して考えないと、本来見たい自分の本質は見えてこないものなのかもしれませんね。
自分が肉体改造に取り組んでいて感じたのは、自分だと思っている自分の体も、自分とは別の意志で動いているものかも、という所でした。
自分の体の声を聴くことは、「自分」とは関係ない。では、その「自分」とは…。
太極拳を追求することは、深遠な意識にもダイレクトに繋がっていくことだと感じられます。
ただ「見る」というのは難しいですね。
その見るという行為の中に、(〇〇のために)見るという考えが挟まってしまうだけで簡単に物事は歪んで見えてしまうものですし、それはそれで役に立つ事ではあるものの、ありのままの状態、素の自分に触れる必要がある時は特にそれが困難になるように感じます。
仏教の教えを現代語に翻訳すると「知ったこっちゃない」「自分には関係ない」とでもいうような言葉になる所がありますが、それくらい自分と見つめられる自分を切り離して考えないと、本来見たい自分の本質は見えてこないものなのかもしれませんね。
自分が肉体改造に取り組んでいて感じたのは、自分だと思っている自分の体も、自分とは別の意志で動いているものかも、という所でした。
自分の体の声を聴くことは、「自分」とは関係ない。では、その「自分」とは…。
太極拳を追求することは、深遠な意識にもダイレクトに繋がっていくことだと感じられます。
20. Posted by 太郎冠者 2026年02月09日 23:04
☆ユキさん
>変化し続けているもの
非常に面白いのですが、古代の人々は、北の空に見える星々を神聖なものとして捉えていたようです。
過去の高度な文明が天文学の知識を有していたのは、それによって季節を知り、農業に生かすためだったようですが、その星々の動きを基に数々の神話が作られ、精神性においても非常に豊かな実りを与えてくれていたようです。
その中で特に、めぐる星々の中で変わらずに輝き続ける星、現在でいう北極星は、あらゆる神話の中でもとても大切な存在として語り継がれてきています。
その北極星でさえ、数千年という時間をかけて移ろい変化していくというのですから、あらゆる物事はみんな流転していくのだと感じさせられます。
道場での稽古のスピード感に負けないよう、どんどん自分の稽古にも励んでいきたいものです。
焦らず、急がず、着実に、ですが。
>変化し続けているもの
非常に面白いのですが、古代の人々は、北の空に見える星々を神聖なものとして捉えていたようです。
過去の高度な文明が天文学の知識を有していたのは、それによって季節を知り、農業に生かすためだったようですが、その星々の動きを基に数々の神話が作られ、精神性においても非常に豊かな実りを与えてくれていたようです。
その中で特に、めぐる星々の中で変わらずに輝き続ける星、現在でいう北極星は、あらゆる神話の中でもとても大切な存在として語り継がれてきています。
その北極星でさえ、数千年という時間をかけて移ろい変化していくというのですから、あらゆる物事はみんな流転していくのだと感じさせられます。
道場での稽古のスピード感に負けないよう、どんどん自分の稽古にも励んでいきたいものです。
焦らず、急がず、着実に、ですが。
21. Posted by 太郎冠者 2026年02月09日 23:14
☆マガサスさん
半分自分の趣味ではあるのですが、世界の文学や神話、古代史などを調べれば調べるほど、昔の人が大切にしようとしていた事には共通することがあることが分かり、奇しくも太極拳の中にもその片鱗が感じられると思うようになりました。
どのような世界で、人間はどのように生きていったらいいのか。
現代よりも生きることに切実だったからこそ、それらに共通する要素として見出されたものには共通点が見出されるのかもしれません。
表立っては見えにくいですが、この現代もなかなかに混沌とした世の中であると思います。
その中で、人間としてより良く生きる事を求める時、太極拳を通して自分を磨いていけることは、とても幸せなことだと思います。
我々門人ひとりひとりも、宗師のように太極拳に関わり、より発展させていけるように稽古に取り組んでいく…そういう気持ちが大事なのだろうと感じますね。
半分自分の趣味ではあるのですが、世界の文学や神話、古代史などを調べれば調べるほど、昔の人が大切にしようとしていた事には共通することがあることが分かり、奇しくも太極拳の中にもその片鱗が感じられると思うようになりました。
どのような世界で、人間はどのように生きていったらいいのか。
現代よりも生きることに切実だったからこそ、それらに共通する要素として見出されたものには共通点が見出されるのかもしれません。
表立っては見えにくいですが、この現代もなかなかに混沌とした世の中であると思います。
その中で、人間としてより良く生きる事を求める時、太極拳を通して自分を磨いていけることは、とても幸せなことだと思います。
我々門人ひとりひとりも、宗師のように太極拳に関わり、より発展させていけるように稽古に取り組んでいく…そういう気持ちが大事なのだろうと感じますね。
22. Posted by 太郎冠者 2026年02月09日 23:19
☆川島玄峰さん
ふだん仕事をしている中でも、太極拳で培われた感性や精神力が役に立っていると感じることがあります。
それは、意図せずとも太極拳の稽古を通して自分が変化しているという事の現れなのかもしれませんね。
道端で暴漢に襲われるといった危機も備えておいて損はないかもしれませんが、それよりも他者との関わりの中で自分の心身がやられない強さを持てるという事は、とても役に立つことのように感じます。
文章にすると、なんだかとても小さなことのようにも見えてしまいますが…。
それが目的ではないにせよ、人生の中で役に立ってくれる太極拳。
こんな面白い事は、なかなか見つかりませんね。
ふだん仕事をしている中でも、太極拳で培われた感性や精神力が役に立っていると感じることがあります。
それは、意図せずとも太極拳の稽古を通して自分が変化しているという事の現れなのかもしれませんね。
道端で暴漢に襲われるといった危機も備えておいて損はないかもしれませんが、それよりも他者との関わりの中で自分の心身がやられない強さを持てるという事は、とても役に立つことのように感じます。
文章にすると、なんだかとても小さなことのようにも見えてしまいますが…。
それが目的ではないにせよ、人生の中で役に立ってくれる太極拳。
こんな面白い事は、なかなか見つかりませんね。
23. Posted by 太郎冠者 2026年02月09日 23:29
☆ひこなさん
あれやこれやと興味の網を広げていくと対象がだんだんと手広くなってしまうのは、生来のオタク気質がなせる業なのかもしれません(笑)
手広く広げすぎた網に手が付けられなくなったころ、そろそろかと思って網を引っ張ってみると…それまで探し求めていたたったひとかけらの真実がコロッとそこに紛れていた。
最近は、そんな感じがしています。
そのひとかけらは見方によっては普遍的で面白味のない石ころにも見えるもので、きらびやかな宝石を探し求めていた人にとっては価値がないようにさえ感じられるかもしれません。
ところが、それが意味することに気づくことが出来ると、実はとんでもない大発見だったと分かる時がくるのです。
特に武藝館での稽古では、とてつもないお宝がゴロゴロと転がっているので、道場で稽古出来ることはとても幸せなことなのだと思います。
一見すると分からないそれらのお宝…その価値に気づけた時、なんの変哲もない石ころが、黄金を作り出す賢者の石に変容するのかもしれませんね。
あれやこれやと興味の網を広げていくと対象がだんだんと手広くなってしまうのは、生来のオタク気質がなせる業なのかもしれません(笑)
手広く広げすぎた網に手が付けられなくなったころ、そろそろかと思って網を引っ張ってみると…それまで探し求めていたたったひとかけらの真実がコロッとそこに紛れていた。
最近は、そんな感じがしています。
そのひとかけらは見方によっては普遍的で面白味のない石ころにも見えるもので、きらびやかな宝石を探し求めていた人にとっては価値がないようにさえ感じられるかもしれません。
ところが、それが意味することに気づくことが出来ると、実はとんでもない大発見だったと分かる時がくるのです。
特に武藝館での稽古では、とてつもないお宝がゴロゴロと転がっているので、道場で稽古出来ることはとても幸せなことなのだと思います。
一見すると分からないそれらのお宝…その価値に気づけた時、なんの変哲もない石ころが、黄金を作り出す賢者の石に変容するのかもしれませんね。
24. Posted by 太郎冠者 2026年02月09日 23:38
☆清水龍玄さん
先日の稽古で行われた対練でも、相手を飛ばす事に執着しても良い結果は得られず、それよりも自分がどうなっているのかにしっかり向かい合い、相手との関係性はどうかに目を向けることで、思ってもみない結果が生じたものでした。
自分がどうだったかを知ることで、その状態が太極拳で求められる架式とどう異なっていたかを知ることが出来、修正を施すことが出来たように思いました。
自分がどうかを知ること、太極拳はどうかを知ること、その両輪があって初めて、稽古は前へ進んでいけるのだと感じました。
当たり前の事に感謝し、当たり前の事を大事な事として取り組んでいく…稽古も人生も、大事にしなければならない事は共通しているのでは、と思わされますね。
先日の稽古で行われた対練でも、相手を飛ばす事に執着しても良い結果は得られず、それよりも自分がどうなっているのかにしっかり向かい合い、相手との関係性はどうかに目を向けることで、思ってもみない結果が生じたものでした。
自分がどうだったかを知ることで、その状態が太極拳で求められる架式とどう異なっていたかを知ることが出来、修正を施すことが出来たように思いました。
自分がどうかを知ること、太極拳はどうかを知ること、その両輪があって初めて、稽古は前へ進んでいけるのだと感じました。
当たり前の事に感謝し、当たり前の事を大事な事として取り組んでいく…稽古も人生も、大事にしなければならない事は共通しているのでは、と思わされますね。
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