2025年10月29日

門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その100

   『見えなくなった技法』

                    by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



 太極武藝館では先月の末から今月の初頭にわたり複数回かけて、「初級・強化訓練講習会」が開催されました。心身を鍛える方法を知りたいという門人の要望に応えて宗師が企画してくださった講習会でしたが、そこで示していただいたトレーニング方法は多岐に渡るものでした。

 種類ごとに分けられた様々なトレーニング方法をただ羅列するのではなく、鍛えるとはどういう事を指すのかという心構えに始まり、多様なメニューをどのように組み立てて、どのように実践していけばいいのかといった細部に至るまで指導をして頂けました。
 数十種類も紹介していただいた種目を一回の講習会で覚えるというのは普通だったら骨が折れるものだと思いますが、体系的に分類分けされ分かりやすい名前も付けられていて、また覚えやすいようにかわいらしいイラストまで用意して頂けたこともあり、仮に「どうだったっけ?」と忘れてしまったとしても資料を見ればすぐに思い出せるようになっていると思います。

 用意していただいた種目の中から自分でメニューを組み、取り組んでみると、全身に意識を向け、かつ無理のない負荷を満遍なく掛けられる種目ばかりだということが実感させられます。
 また、無理のない適度な負荷でありながら、自分の体で意識が行き届いていなかった場所、使い切れてなかった場所がじわじわと活性化されていくのも感じられ、その後に取り組む太極拳の稽古の動きが、少しずつ変わっていっているのが実感させられるものです。
 宗師は「実際に鍛える前の前段階の運動」といった表現をされていましたが、仮に健康目的で体を動かす事を考えた場合、非常に効果的なメニューではないかと感じています。

 継続は力なりで、受講された他の門人も変化を実感されているのではないでしょうか。健康増進にも、武術としての身体の補強の意味でも、非常に意義のある講習会に参加させていただけたこと、ありがたいことだと思います。あとは、自分でコツコツやり続けることが肝心なのだと思います。


 さて話は少し逸れるのですが、先ほど挙げた通り配布された資料にはかわいくデフォルメされた人間のイラストが描かれていて、それがトレーニング動作を分かりやすく解説してくれているのですが、私はそのイラストがなんだか妙に気に入っています。丸っこいボディに棒の手足がぴょんぴょんと生えているだけの体で色々なポーズを示してくれているのですが、リアルな等身で描かれるよりも動作が絶妙に分かりやすいのではないかと感じています。

 そのイラストを見たとき、私の考えすぎかもしれませんが、日本の剣術の古来から伝わっている技法書などに描かれた絵を連想しました。それらの技法書に書かれた人物の絵は、宗師が用意してくださったイラストよりは実際の等身に近い人間として描かれていますが、現代の写実的な描写ではありません。
 ややもすると当時の絵画技術の「無さ」から、写実的な描き方が出来なかったとも考えられますが、果たして本当にそうなのでしょうか。我々現代人の目線から見ると、まるで力なく描かれたように見えるその人物像たちは真実の姿ではない、と、断言していいものなのでしょうか。

 ひとつ、動画のリンクを張りたいと思います。





 彼、デンマーク出身のラース・アンダーソン氏は、数年前に公開されたアーチェリーの動画で一躍有名になった人物です。
 彼は中世から伝わる技法書などを基に、現代では失われてしまった数多くの弓術の技法を再現してしまったとんでもない人物です。彼のチャンネルで最近公開された5分半ほどの動画なのですが、とても面白いので、ぜひご覧ください。


 …見て頂けたという前提で進めますが、動画内で紹介されていたヴァイキングたちのイラストは、一般的に知られる弓を射る形とはだいぶ異なっているかと思います。あんな腰だめで弓を構えた姿では、とても戦場で戦えるとは一見思えません。我々の常識の範疇ではないが故に、あんな形では弓は使わない、よってあのイラストは絵の技法が未発達だからああいう風にしか描けなかったのだ、と判断したくなりませんでしたか。
 おそらく長年、実際のヴァイキングに関する研究者たちの間でもそう思われていたのだと思います。しかし、今回、アンダーソン氏と研究グループの方たちは、イラストに描かれた形でヴァイキングが実際に弓を撃っていたとして、それが現実の戦場でも通用しうるものであると証明してみせたのです。それどころかイラストに描かれた通りの矢の持ち方でないと、そのようには出来ないのだということを示してくれています。

 個人的には、非常に興味深い事だと思っています。我々がこのようなイラストが間違っていて伝承通りにはいかない、と勝手に思い込む理由はいくつか考えられるのではないでしょうか。
 ひとつは、古代の人々より我々現代人のほうが多くのことを知っている、と思い込んでいる点。現代のほうが情報があり昔の人々より知識があるのだから…と、その観点で物事を考えるように習慣づけられていてそこに判断の基準が出来てしまっています。カメラが無かったのは事実ですが、当時の事を描いたイラストは本当は忠実に事実を表しているのに、我々の勝手な基準で間違っていると判断してしまっているのです。
 裏を返せば、古代の人々よりも我々現代人のほうが進歩しているはずだ、という傲慢でしょうか。   
 それによって彼らが写実的な絵画として残せていない…つまり間違った絵を描いているのだと思い込んでいるのかもしれません。
 それらの理由によって、イラストとして目では見えているのに、知識の無さで我々には見えていないのです。

 また、想像力は人間の持つ強みではあるものの、間違った方向に働かせてしまっているのかもしれません。あんなイラストの形で弓を使って戦えるはずがない、とやってもいないのに思い込んでしまったのもあるのではないでしょうか。あのイラストは、力強く弓を番えるイメージにはほど遠く、実戦で使えるわけがないと決めつける要因のひとつではないかと思います。
 実際の所どうなのか、私自身で自宅で転がってた(?)弓矢で試してみたところ、普通に矢が良い勢いで発射されました。戦闘の技法としては練習が必要ですが、引く弓の強さにもよるでしょうが威力は十分ではないかと感じました。本当にやってみないと分からないものです。


 一例としてヴァイキングの弓術を取り上げさせて頂きましたが、この例にもれず、古流武術の技法書に描かれている人物の絵なども、彼らの目に実際に見えていた姿が描かれているのかもしれません。
 私の手元に太極拳図説の書籍がありますが、そこにも今の写実的な描写ではない人物イラストが何枚も描かれています。このイラストがどの段階でどのような人物によって描かれたのか、不勉強ながら分からないのですが、一見して力なく、柔らかく見えるその立ち姿には真実がしっかりと描かれているのかもしれません。かの有名な宮本武蔵の自画像は、見る人が見ればとても恐ろしい立ち姿をしていると言われているのだそうです。
 目の前で見ているはずなのに見えていない、これは太極拳の稽古をする上で、毎回のように課題となって聴こえてくるキーワードではないかと思います。壁になっているのは自分の中にある常識や思い込み、こうだと思っている考え方なのだと思います。
 これらを解消していく事で、そこに示されている真実に気づくことが出来るようになっているのかもしれません。

 今回の記事の締めとして、とりとめのない感想をひとつ書いておきたいと思います。
 太極拳の稽古で重要な架式として、馬歩と弓歩が挙げられます。
 名前の由来として、馬歩は馬に乗った形という意味で分かりやすいものの、弓歩はいまいちピンと来ていないところがありました。
 今回紹介したアンダーソン氏の動画の中で出てきたヴァイキングのイラストは、歩幅こそ狭いものの、まさに弓歩の形ではないかと感じました。静止せずに動き回るアーチャー、非常に考察しがいがあるのではないかと、とても面白くなりました。
                                (了)







☆人気記事「今日も稽古で日が暮れる」は、毎月掲載の予定です!
☆ご期待ください!



disciples at 21:00コメント(28)今日も稽古で日が暮れる  

コメント一覧

1. Posted by ハイネケン   2025年10月29日 23:58
太郎冠者 様
門人随想「今日も稽古で日が暮れる」 連載100回!おめでとうございます。
第1回は2010年9月、1,162文字。15年間、今や一回の投稿で3,000字を超える事もあります。対練、CQC講習、格闘、戦争、軍人、人類の戦闘行為。また歴史、食事、仕事、日常生活といった文化。一見すると稽古以外の話もあります。動画全盛の現在、武術修行者が文字にする事の意味とは何であるか。
欧州の植民地となった国の人が語った話があります。「日本は専門論文ですら自国の言葉である日本語で書く事が出来るのは非常に大切な事だ。植民地にされた国は言語や文字から入れ替わっていき次第に文化や民族性、風俗性も失われていく。」当たり前だと感じてしまい私達は日常の素晴らしさに気がつけない事がある。
日本は古来からそして明治以降も国家を挙げて新しい概念や難しい概念、専門用語も積極的に日本語にしてきた。新しい概念とは既知の知識の関係性を捉え直した試みの連続だ。勿論それらは成功ばかりではないが言語化することでそれまでの知識を整理し新しい概念を生み出す可能性が生まれる。
それは彼の地で生まれた太極拳が此の地で華開くのと似ています。自分で理解した、意識が届いた事だけが言語化できる。そして進歩は言語化できない領域にある。稽古の苦労や楽しさ、他に類を見ない技藝への畏怖、自分への信用と疑い。ブログを読む度に刺激を受け、返信文を考えながら自分を知り、作者の返信でまた対話。それは基本功から単式そして対練という練拳の課程と重なる。
(つづく)
2. Posted by ハイネケン   2025年10月29日 23:59
「鏡は先に微笑まない」
常に自分が微笑むから鏡は微笑む。余裕がない時「さあ面白くなってきた」と笑って呟いてみる。それから選択肢を探すと景色は違って見えたりもする。常に反対側から見ようとしてみる。もちろん現実・実際があり、思考や感覚の言語化はその後になる。既存知識の因数分解は今ある事をブラッシュアップし、再定義され新しい概念の土台となりパラダイムシフトに成長していく。
毎月の定期的な投稿には日々自分を問い続ける「志」が必要です。私が中国武術を始めた30年前、情報は月刊誌と出版販売されたビデオテープ。インターネットもまだ文字と静止した画像だけでした。海外の武術の情報がダイレクトに届く事は皆無。よくよく見渡してみても武術の習得に肝心な「修行の在り方」を問う発信は今だに貴重であり少ない。目新しくセンセーショナルではないかもしれないが実にアクティブなこの日記は時に旗を振り門人の背中を押しそして共に悩み、修行者の励みきなっている。玄門太極武藝の習得には何が必要か?そんな熱い意気込みをいつも共有させて頂き本当にありがとうございます。
さて今回の話題については後ほど返信させて頂きます。

玄門太極武藝館 札幌支部
ハイネケン 拝
3. Posted by 松久宗玄   2025年11月01日 16:25
強化訓練講習会の内容は、身体の鍛え方の基本を展開して、
殆ど誰もが実施できる内容に体系化して頂いたものだと、日々実感しています。
継続していく事で、基礎が整うトレーニングだと感じています。

一方、バイキングの弓術には、実際の戦場のリアルを感じました。
状況に合わせて、生き残る為に道具と技法を最適化していたのだと、感心しました。

武術の練功においては、この基礎作りと、技法の習得、実戦を想定しての訓練とを、
意識的に分けて行い、かつ、統合的に意味を考えて取り組む必要性について、
改めて考える機会となりました。

新しい視点を共有して頂き、ありがとうございました。
4. Posted by 西川敦玄   2025年11月02日 10:45
太郎冠者さん、いつもブログ拝見し様々な考える機会を提供してくれることに感謝します。
宗師の初級講習会で、わかりやすいイラストを提示して頂いたことから、古典?の絵にとんで話を広げられたこと。楽しく読ませていただきました。
初級講習会でのイラストについては、普段の稽古から当門で注意されること。および導入までの座学、そして実際にその動きを宗師の指導のもと体験したことで、生き生きと解りやすさが伝わってくるような思いがしています。なにも知らないで、あのイラストだけ見せられて、初級講習のエッセンスを理解しろといわれても難しいのではないかしらと思います。
ヴァイキングの動画については、不謹慎なことに幼少期の昭和、空き地での遊びをおもいだしてしまいました。おもちゃの弓矢を近所のガキどもと一緒になって打ち合って走り回っていたような思い出が蘇りました。小さな弓矢を走りながら近くの標的にあてようとするとあんな感じになってしまいますね((^_^))。 つづく
5. Posted by 西川敦玄   2025年11月02日 10:45
今回の記事で、自分の中で自戒することは
常識が邪魔をして受け入れることが難しいのは、その通りです。ただ、太極武藝館において私たちは門外漢ではありません。古典の絵をひもとくまでもなく目の前にそのものがあるにも関わらず、見えないことが問題です。過去の文献をひもとき、明かして見せたとて当時のヴァイキングの生活様式、戦闘様式の中で生きているわけではありません。われわれにとって、古典の読み方の問題点は現代人の常識との当時の古代人のそれとの違いに照準をおいて、より一般化して納得しておしまいにしてしまうことにあると思います。そしてそれは、貴重な研究ではありますが、私たちの好きな様に解釈して、発表して済ませられる物だとも言えます。現在ではだれも本当の事は知らないのです。ヴァイキングの戦闘様式を鍛錬する目的であればいざ知らず、私の生きる目的においては、むしろ現在の弓道やアーチェリーの神髄を知っている人から受け継ぐことに身を投じるほうが、何倍も自己に眼を向けることになると思います。
その意味で、あらためて当門に身をおいて、否応なく浮き上がってくる自己に向き合うことが私にとって重要であることを認識することが出来ました。
6. Posted by マルコビッチ   2025年11月02日 11:03
 初級強化訓練講習会で教えていただいたトレーニングは、たくさんありますがどれも無理なく行えて、しかも今まで使っていなかったところや伸びていくところ、動いていく部分などがあったということを何回か行ってみて気付かせていただきました。
稽古でよく「身体が使えていない!」と言います。また、宗師と比べると私たちは明らかに動いている身体の部分が少ないことがわかります。
その必要な動ける身体のために、今回のこの基礎とも言えるトレーニングは私にとっては本当にありがたく、大切なものと感じています。
 さて、資料にありましたイラストですが、太郎冠者さんが仰る通りシンプルなのにとてもわかりやすく、心が温かくなるような感じで、よりリラックスして取り組めます。
日本舞踊をやっていた母が遺したノートに、やはりシンプルなイラストで描かれた踊りの動きがビッシリ書かれています。どんな動きなのかわからなくても何となくその姿が思い浮かびます。
宗師が描かれたイラストも、宗師が身体のことを知り、何回も行い尽くされたからこそ、私たちがわかりやすいのだと思います。
 面白い動画をありがとうございました。
何につけても思い込みは危険ですね。
7. Posted by 川島玄峰   2025年11月02日 11:30
貴重な講習会ですね。
様々なメニューを通して身体の在り方を整えいく内容に感じました。先日のミーティングでの皆様の姿を拝見し、太極拳の考え方がより体現されているように思いました。
私も是非、機会があれば直接ご指導を受けてみたいと思います。

ヴァイキングが移動しながら弓を打つ姿と銃を構えて全身している姿には、共通する目的があり非常に実践的に思いました。
歩法の重要性がを改めて実感できる動画でした。
歩法を身につけるまでには、やはり架式の理解を深める稽古をしていかなければと再認識しました。

今回の記事を通して稽古の意味を一つ気づかせて頂きました。
ありがとうございます。
8. Posted by ひこな   2025年11月02日 19:21
太郎冠者様

100回目の投稿感服致します!
初級強化訓練でもあった、継続は力なり、を体現してらっしゃると思いました。

様々な視点での考察、それもひとつひとつが決して短いものでもなく、続けることはそれだけで凄いと思います。頭の訓練として発展されていると想像しました。

初級強化訓練は、自分にとっても実りの大きいものだったと思っています。正に基礎だとは思いますが、架式を整えること、そのために意を用いることなど、身体を鍛えることも含めて、シンプルな形で取り組めます。

負荷も調整できるよう配慮いただけているため、その日の体調や確保できる時間量に合わせて継続し易く、有り難いことこの上ないです。

初級強化訓練を通して、反対に普段の柔功などへの取り組みも、部分から全身の連動に拡げた動的な架式動作である理解が深まりました。

アーチェリーの動画と考察もとても興味深いですね。弓を引く動きは、弓歩に似てるなと自分も思った次第です。

実際に戦場を想像してみても、古来の弓の扱いの方が、軽妙に動きながら戦っているのに向いていますよね。スナイパーや、相手からほんとに届かない間合いからの射撃であれば、照準を固定してパワーをできる限り乗せた方が良いのでしょうが、集団や平地での戦いなど、状況によっては不利なのだな、と感じました。

古来と現代では、きっとどこかで入った特定の知識で、その地域で育まれた身体性にズレが出て、古来の知恵が活かされなくなっていそうに思います。

古来の知恵を受け取り、継続して育むためにも、固定観念や現代知識にも疑問を投げかけ、自らの身体で確かめ、真理を得ていきたいなと思いました。

様々な重ね合わせの考察の材料提示、毎回痛み入ります。次は200回目指して期待してます!
9. Posted by 平田玄琢   2025年11月02日 23:51
今回のトレーニング方法訓練の少し前から、体の使われてないところを伸ばす方法を学んでいました。私は、コロナ禍の頃から呼吸が浅くなり声が裏返りやすく、歳とともに肺や声帯が弱っていると感じていました。
脇を伸ばす事を毎日行なった結果、胸の何かが外れた感じがして胸囲が増し呼吸が深く長くなってきました。
それにより、今まで演奏を諦めていた固く厚いリードの楽器も演奏できるようになってきました。歳のせいではなく、使ってなかった身体の箇所を動かすことが必要だと思いました。

バイキングの映像は、とても興味深く、幼少の頃、神社の山と近所の川が主な遊び場でしたので、山の中に秘密基地を作り自然素材の武器を集めていました。たくさんの弓矢を太いシダ(お正月のわじめに裏返して付けるウラジロの大きなもの)で作っていた事を思い出しました。
昔の身体絵図や道具、また、伝説など現代人の解釈では見えなかったり、感じることさえできないものもたくさんあるように思います。
10. Posted by 阿部玄明   2025年11月03日 03:01
日々稽古は進化し色々なことを学び、気付きがある中で、それでも毎月記事を書いたらネタが枯渇してしまうのではないかと思います。それにも関わらず太郎冠者さんは視点を変え続け多岐にわたるテーマから考察して頂き、気づけば3桁目の記事になっていましたね。これを毎月欠かさず掲載し続けたことは普通では出来ないことです。 いつもありがとうございます。

バイキングが矢を射る時の方法が現代人の発想と異なるのは太極拳を学んでいく上でヒントになります。添付して頂いた動画では走りながら戦闘の道具として弓を合理的に使う様子が描かれていました。
スポーツのように、敵から襲われないことを前提にした状況設定ではありません。太極拳も実戦においては足場の悪いところでも多人数が相手でも軽やかに動けることが必須です。自分は緊張して力んだり身体を固めたりする癖があり、それは戦いでは邪魔にしかならない要素です。自分の稽古の中身が実戦で通用し、生きて帰れるかを見つめ直してみます。
(今回、太郎冠者さんがバイキングの戦い方を調べてみようと思ったきっかけは何だったのでしょう。また教えて下さい。)
11. Posted by 清水龍玄   2025年11月03日 23:48
昔から残っているイラストも、何かを伝え、教えようとして描かれたものと思います。
その場合は、伝えるべきものが、相手にわかるようにとの伝え手の意図もあると思います。
写真のようなものと比べ、伝え手の意図が表しやすいとも思われます。
現代とバイキングの時代は環境も違うでしょうし、試合と戦闘でも、技術や考え方が変わってくるとも思います。
実際がどのようだったかかはわかりませんが、面白いですね。

私も、バイキングのイラストは、弓歩の様に見えました。
12. Posted by 川山継玄   2025年11月03日 23:57
太郎冠者さん

連載100回!おめでとうございます!
「継続は力なり」
正しく、ご自身の在り方を、毎回の記事で見つめずしてはいられない課題を続けていらして、素晴らしいと思います。
これからも、興味深い記事を楽しみにしています。

「初級・強化訓練」は本当に貴重な学びとなりました。体へのアプローチは皆様が記載して下さった通り、身体的な気づきが毎回あると同時に、稽古での気づきに繋がりました。
それ以上に、私は「在り方」の課題が浮き彫りにされました。また、継続する事の難しさを痛感しております。
身体へ意識を向けて訓練する事で得られた変化が面白く、それに夢中になってしまうことで、「自分なりの成果を求める事」になってきてしまった事です。講習会の中で「自分なりの成果を求めない」と言われたのですが、徐々にそれに偏っていく自分に気付きました。
そうなると、変化が無い事や、周り方々が得た感覚と違う事に不安を覚え、純粋に言われたことを言われた通りにやる、から離れてしまうように感じます。
そんな時、資料として頂いた絵は、シンプルでわかりやすく、自分をフラットにすることに役立ちます。
兎角、いろいろな事を複雑に捉えて、難題を解いている風を装う自分の絡んだ糸をほぐしてくれるようです。毎日の取り組みで、放鬆して自身をニュートラルな状態で取り組んでいきたいと思います。
ご紹介くださった動画、面白かったです。
自然を相手に生きる事に全力を投じていた頃の人々の感性と知恵に学ぶことが多く、普段気にも留めたことが無かったのですが、視野が少し広がりました。研究者の取り組み方も、勉強になります。

握りしめていた思い込みを手放してみる。
そこには、限りない可能性が広がっているような気がします。
13. Posted by ユキ   2025年11月04日 00:20
「今日も稽古で日が暮れる」、100回の掲載おめでとうございます! 100回、日が暮れては夜が明けたということですね。・・弓矢が転がっているお部屋で!(笑)

さて、今回も大変興味深く読ませていただきました。
私自身も最近はGoogleやSNSの世界を利用する中で、「情報量=知識」、という無意識での認識は危険であると考えていたところです。それは“間違った情報“云々ではなく、使い方を間違えると自分の力の衰えにつながると感じられたからです。
溢れる情報に手を出すとき、意識的か無意識的かで大きく分かれる時代になっていると思います。

ヴァイキングのイラスト、面白いですね。
太古の昔から様々なことがイラストで残される理由は、文字がなかったからというよりは、文字による説明よりも頭に残るからだと思います。・・本当は、「伝承」したいことなどは姿形を見せたときには、その場でリアルタイムでイメージできて自分のものになっている必要があると思うのですが、何らかの理由で伝わらなかったとしたら、やはり文字の説明ではなくイラストで伝えようとするのでしょう。
もちろん、イラストを見てもわかる人と分からない人とに、分かれるのでしょうけれども。
 
14. Posted by ハイネケン   2025年11月05日 23:02
お待たせ致しました。
ヴァイキングの絵が目の前にあっても、見る人の先入観に左右されてきたのでしょうね。何をもって「正しい・正しくない」「使える・使えない」と判断してしまうのか。人間の価値判断・尺度はとても曖昧なものですね。私も気をつけねばなりません。
今回動画を見るまで「腰だめなら精度が出ないだろう」と考えていましたが、動画の高い命中精度に驚きました。自分は目に頼りがちなのかもしれない。
現代のアーチェリーでは的の中心ほど点数が高いという目標があり、弓には照準器やスタビライザーなどの補助器具が付いています。西洋でアーチェリーと古式弓術が現在はどのような関係性なのかはわかりませんが、別の方向性を持ち変化してきた異なる2つの文化のように見えます。
そういえば人間の感覚は五感二覚という7つの感覚に分類できるそうです。
1. 視覚
2. 聴覚
3. 嗅覚
4. 味覚
5. 触覚
6. 平衡覚
7. 深部感覚(位置覚・筋覚)
最近はさらに加えて「温度感覚」や「痛覚」。さて、ヴァイキングの弓術のような腰だめで精度もある弓術には、どんな感覚が必要なのでしょうね?

太郎冠者様の仰る通り「馬歩は馬に乗った形」と聞きますが、私は馬に乗ったことがありません。「馬歩」の具合がわからないので「馬に乗らねば」と思った次第です。歴史と認識、人間や進歩、文化の継承と色々な尺度で多面的に考える機会になりました。太郎冠者様、面白い文をありがとうございました。今度御自宅にある弓矢についても教えてください(笑)。
15. Posted by マガサス   2025年11月07日 16:14
コメント投稿が遅くなり、申し訳ありません。

「初級・強化訓練」を受講し、実際にトレーニングを続けていく中で感じていることは、継続しやすい事と、自分の変化を実感できること。
そして一番に思うことは、宗師の教え方の凄さです。
宗師はどうやったら我々が分かりやすく、そして継続してトレーニングを行う事ができるのか、ご自身で全てのトレーニングを実際に行い、試行錯誤を重ねて、我々に合ったトレーニングメニューを抜粋し、メニューの組み立て方やスケジュールのたてかたを教えてくれ、イラスト付きテキストまでご用意してくださいました。
その中で、文字では無く、イラストから受け取れる事の重要性も感じました。
自分ではできない発想の仕方、勉強の仕方でした。
宗師の学び方、考え方、行動力、本当にすごいです。
こんなにも生き生きと生きたマスターが近くにいらっしゃるのだから、しっかり目を開けて、合わせて、学ばないと自分が後悔するぞ!と改めて思いました。

太郎冠者さん、100回目の掲載おめでとうございます。
「継続」すごいことです。
自分も継続が力になるよう、精進したいと思います。
16. Posted by 太郎冠者   2025年11月10日 23:32
☆ハイネケンさん
>連載100回!おめでとうございます
ありがとうございます!
書いてる自分が掲載された記事を見て初めて「100回だ…」と気づいたのですが(笑)、ここまでなんとか続けてこれたのは、ひとえに記事を読んでくださる皆様のおかげです。
自分一人ではここまで続けようとは思わないでしょう。

継続は力なり、とは言いますが、書くのに苦労したこともしばしばあります。ところが、天から降ってきたとでもいいますか、自分が書いたというよりは「書かされた」とでもいうように筆が進む時も何度もありました。こういう経験を重ねると、こうして自分が続けてきたのにも何か意味があったのかな、と感じるものです。

とはいえ、稽古はこれからもまだまだ続き、この連載もまだ続きそうです。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
17. Posted by 太郎冠者   2025年11月10日 23:39
☆松久宗玄さん
>実際の戦場のリアル
生き残るために、時にダーティに、効果的な戦術を取る事は絶対に必要なことだと思います。
もちろん、戦うための技術など本当に使わないことが理想としては一番なのでしょうが、そうは言ってられない事は起こりうるものです。

そのために日々鍛える事の大事さが身に沁みます。
今回教えて頂いた初級訓練は、そのための心身を養っていくために意義のある練習ではないかと思います。
形骸化していない武術の重要性が、ますます大きくなっていく世の中になるような予感がします。
あまりうれしいことではないですが。
18. Posted by 太郎冠者   2025年11月10日 23:49
☆西川敦玄さん
>生き生きと解りやすさが伝わってくる
本当におっしゃる通りだと思います。今回イラストを例にとりましたが、たとえば口伝や秘伝と言われるものも、日々の指導や稽古があって初めて生きてくるものではないかと思います。

正しい教えを指導された上で自身で稽古をするからこそ、最後のピースとして口伝が意味のあるものになる…それが伝承を大切にしていくべき理由のひとつでもあり、口伝や秘伝だけ収集しても意味がない理由ではないかと感じます。
>神髄を知っている人から受け継ぐこと
まさにそれが一番大事な所だと思います。

現代で弓で戦う機会は…おそらくあまりないでしょう。それらを通して、何を見つめて修練していくか。そうして得られるものに価値があるのだと感じます。
19. Posted by 太郎冠者   2025年11月10日 23:54
☆マルコビッチさん
訓練をしていると、体のいままで動いてなかったところが次第にポキポキと動き出していくようになりました。
体を伸ばしていても、ここがこんなに伸びてなかったのかぁ、と思わされたものでした。
劇的に可動域が伸びるといったものではなかったはずですが、体の節々に意識が行き届きやすくなり、それによって動きやすさも少しずつ変わってきたかなという感じがします。
引き続き取り組んでいきたいですね。

>日本舞踊
それはすばらしいですね。実はうちの母方の祖父も日本舞踊をやっていたのですが、亡くなる前まで(杖は使っていましたが)腰が曲がることなくすっと立って歩いていました。
立ち方や歩き方を意識する事で、生涯にわたって良い影響があったのかもしれません。
我々も先人に負けないよう、心身を鍛えていかないといけませんね。
20. Posted by 太郎冠者   2025年11月11日 00:04
☆川島玄峰さん
>先日のミーティングでの皆様の姿
取り組んでいる当人としてはそんな変化があったようには感じられないのもあってか、あのように言っていただいて(たぶんあの時いた他の皆様も)驚いたのではないかと思います。
機会があればぜひ取り組んでいただきたい、そんな訓練だったと思います。

ヴァイキングの動画、楽しんでいただけたのなら何よりです。
実は「ヴァイキング」を題材に取り上げたのには他にも理由があるのですが…それはまた機会がある時にでもお話出来たら、また楽しんでいただけるかなぁ、と思っております。
アンテナを張っていると、色々な所から勉強できる機会を与えてもらえているように感じます。
21. Posted by 太郎冠者   2025年11月13日 00:33
☆ひこなさん
>架式を整えること、そのために意を用いること
単純な筋トレをするだけでも、意識を向ける・向けないによって得られる効果が変わってくると聞きます。
ましてや、意識的に体を統御する武術の練習として、指導して頂いた考え方を用いて身体を動かすことは非常に意義深い事ではないかと感じています。
負荷の程度に関わらず、体を動かす質そのものが変化していくのではと感じています。コツコツと継続していきたいものですね。

>アーチェリー
戦場では、弓=遠距離武器という概念に囚われず、近づいてきた相手には弓そのものを武器として使ったり、固定概念に囚われない様々な技法が用いられたようです。
ただ相手を射るのではなく、常に咄嗟に動ける体であるか、そのような観点が必然的に求められていたのでは、と思います。
太極拳ではないにせよ、昔の人々がどのような考え方をしていたのかを知ることは、非常に勉強になるのではと思いました。
22. Posted by 太郎冠者   2025年11月13日 00:41
☆平田玄琢さん
>呼吸
実は私も以前から呼吸に興味を持って気にしていた事がありました。
呼吸の浅さ・深さという事に関して、体の力みや放鬆の仕方が非常に関連あると思ったのですが…長くなりそうなのでこれはまた別の機会に。
>固く厚いリードの楽器
それは素晴らしいですね。なんの楽器なのでしょうか?機会があればぜひお聞きしたいです。

>バイキングの映像
敦玄師兄にもコメントして頂きましたが、確かに小さい頃弓矢で遊んだ時の事を私も思い出しました。
教わらずとも、人間が弓矢という道具を得た時に自然とそのように扱うように体得しているものなのかもしれないですね。
今ではそのような遊び場もなくなってしまい、子供の身体能力も年々落ちてしまっていると聞きます。
体で自然と理解していく、体得していけるものをもっと大切に残していきたいですね。
23. Posted by 太郎冠者   2025年11月13日 00:55
☆阿部玄明さん
>毎月記事を書いたらネタが枯渇…
いつも記事に目を通して頂き、本当にありがとうございます。
ネタに関しては、枯渇というか…ブログの記事に絶対出来ない話のほうが実は多かったりするので、その取捨選択が一番大変かもしれません(笑)。
バーリトゥード(何でもありの意)で記事を書いたらいくらでも書けるのでしょうが、よりカオスになること請け合いです。

>足場の悪いところでも多人数が相手でも軽やかに動ける
>バイキングの戦い方を調べて…
流石と言ったら失礼ですが、目の付け所が鋭いですね。
なぜ私が「バイキング」の動画をわざわざ取り上げたのか、語ってない理由がほぼ含まれてしまっているのでもう何も付け足さなくてもいいような気がしています(笑)
もともとアンダーソンさんのアーチェリー動画は知っていて見ていたのですが、最近公開されたこの動画を見て、気にしていたことと偶々一致した部分があったので今回紹介させて頂いた、というのが事の次第です。
全ては偶然の一致ですが、楽しんでいただけたのなら何よりです。
24. Posted by 太郎冠者   2025年11月13日 01:04
☆清水龍玄さん
>写真
話はすごく逸れるのですが、勇猛果敢な幕末〜明治の武士たちの間で、写真は魂を抜かれると言われており、すごく怖がられていたという話が残っています。
あの強面の屈強な男たちが、写真を撮るときに怖がってしまって、誰かに手を握ってもらっていた…などのエピソードを聞くと、時代によって考え方は変わるのだなぁ、と思わされるものです。

同じものを見聞きしていても今とは全く違った捉え方がされていた…太極拳の稽古をする上でも、そのような視点を持つことがとても大事なのではと思わされました。

>弓歩
何も確証の無い与太話に近いものですが、あれに似た立ち姿を見て「弓歩」と名付けられたのなら、腑に落ちるところがある気がします。
そうしてみると、套路の各動作についている名称を洗い直してみるのも面白いのかも、と思いました。
25. Posted by 太郎冠者   2025年11月13日 01:10
☆川山継玄さん
>連載100回!おめでとうございます!
ありがとうございます!
引き続き取り組んでいきたいと思います。

>自分なりの成果を求める事
自分の行っている肉体改造もそうですが、正しく段階を踏んで行けば体は間違いなく変化という形で応えてくれます。
ところがそれは、自分が狙ったタイミングで狙ったような変化にはならず、常に必ず体の意図に沿ったものとして現れてくるように感じます。

強化トレーニングに関しても、やれば必ず変化は起こるものの、それは自分が思っているのとは少し違う形で生じる事があるのかもしれません。
そういう場合、仰る通り自分の意図を一度手放して、生じる結果に合わせて進めていく事が本道なのかなと思いました。

継玄さんの学習に、この連載が少しでも役に立っているのだったら、これほどうれしいことはありません。
私も引き続き、記事の執筆を通して勉強を継続していきたいと思いました。
26. Posted by 太郎冠者   2025年11月13日 01:22
☆ユキさん
>100回の掲載おめでとうございます!
ありがとうございます!
記事が100回、その間に幾昼夜の時が流れたことでしょうか…いつの間にか。怖いのであんまり考えないようにします。
>弓矢が転がっているお部屋で!
どのご家庭にも一家に一台、くらいのつもりでいましたがもしかして間違っていたでしょうか?(笑)

>無意識での認識は危険
仰る通り現代は信じられない量の情報であふれていますが、問題は我々の能力がそこまで伸びていない…むしろ退化しているかもしれないという点にあるかと思います。
扱い方が分からない子供が武器を手に入れたらどれほど危険か…情報に関して、それに似た事が実際に起こってしまう世の中ではないかと感じます。

>見てもわかる人と分からない人とに、分かれる
古代は凄かったと手放しに誉めるわけではないですが、現代の我々より明らかに能力が高い面があったのは間違いないと思います。
良くも悪くも、潜在的には現代人の我々もそれだけの能力を持っているはずなので、どんどん磨いて発揮していけるようにしたいですね。
27. Posted by 太郎冠者   2025年11月13日 01:48
☆ハイネケンさん
>現代のアーチェリー
オリンピックで競技になっているアーチェリーが一番イメージしやすいですが、海外ではハンティングに使うアーチェリー、あとはインスティンクトアーチェリーという、本能的な感覚を大事にし、伝統的な弓を用いたスタイルも盛んに行われているようです。
自然の中に動物を模した的が用意されていて、コースを回りながら弓を射って回るといったアクティビティが行われているようで、面白そうだから日本でも流行ってほしいものです。

>馬歩
実は私も幼少期にポニーちゃんに乗ったことくらいしかなく、本物の馬歩は未経験だったりします。
ところで、この馬歩についても歴史的に考察していくとちょっと面白い話があるのですが、これは本当に長くなりそうなのでまたいずれ機会があれば…。
こちらに関しても、見えるものを疑う、見えないものを見るような感性が必要なのでは、と感じさせられます。
本当に面白いことばかりです。
28. Posted by 太郎冠者   2025年11月13日 02:01
☆マガサスさん
今回、初級強化訓練講習を指導して頂くにあたり、我々に分かりやすく、かつ取り組みやすい内容になるよう宗師が研究してくださったとのことで、本当に感謝の気持ちしかありません。

巷で出回っている〇〇トレーニングといった本は数多いですが、それらに負けないどころか普通に書籍になって販売されていてもおかしくないような内容の密度で、かつ効果的です。
そのような恵まれた環境に甘えず、我々もしっかり取り組んで成果を出していかないといけないと思いました。

知識としてトレーニングや稽古体系を知っているだけでは役に立たず、自分の体を通してそれを体現できてはじめて、太極武藝館で稽古をしている意味があるのだと思います。
私も皆様に負けないよう、その教えていただいたことを生かして努力を続けていきたいと思います。

また、ブログの記事を通して少しでも皆様に還元できたら幸いです。
今後ともどうぞよろしくおねがいいたします。

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