2025年09月25日

門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その99

   『経験知』

                    by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



 みなさんには、こうだと思っていた自分の常識が崩れてしまった瞬間というのはあるでしょうか。太極拳と関係のない話題から始まって恐縮ですが、実はこの日本というのは、世界でも類を見ないほど、数多くの巨石遺跡が残されているのをご存じでしょうか。
 巨石遺跡というのは、イギリスのストーンヘンジが有名なところですが、古代の人々が目的を持って巨石を配置し、祭祀などに使用していた遺跡のことを指します。日本国内にはなんの目的でどのようにして配置したのかも分からない巨石群が数多くあります。中には自然にそうなったという人々もいますが、ある巨石群は、夏至と冬至の太陽の方向を示した配置になっているなど、明らかに人為的に意図を持って配置された巨石が散見されるようなのです。
 中には、ピラミッドを思わせるような三角形の石がゴロゴロ転がっている場所などもあります。
 時代で言えば1万年ほど前の縄文時代から弥生時代まで、長い期間にわたっています。さらにはそれらの巨石には、古代シュメール語と思われるような文字が刻まれているなど、一見すると理解しがたい遺跡が残されているとのことです。

 なぜそのようなものがこの日本に残されているのか。端的に言えば、古代から日本人は海洋民族として世界中を航海していたからなのだと思います。大陸からの文化流入といえば、朝鮮半島などを経由して入ったという説が主流ですが、本当はそれよりずっと前から、日本人の祖先たちは世界と交流を持っていたのかもしれません。
 実際にそれを裏付けるような発見の知らせを見ると、これまで自分が思い込んでいた常識ががらりと変わってしまい、それまで見えていた世界とは全く違った見え方になるという経験が出来ます。古来、巨石を信仰の対象として祭ってきた人々の信仰は、実は現代でも脈々と息づいており、例えば神社や仏閣にひっそりとその姿を残していたりします。例えばこの静岡にも数多くの遺跡が残されていますし、それらと神社のある場所や発掘された縄文時代の遺跡の場所など、照らし合わせてみるといくらでも発見できるものがありそうです。
 日本の巨石群に関して書いていたら長くなってしまいますので、興味がある方はぜひご自分で調べていただけたらと思います。これまでの世界観が変わってしまうものがそこにあるかもしれません。

 さて、ここまでの話で私は別に日本の成り立ちや世界の歴史云々について言いたかったわけではないのです。最近私が経験した、知ることで世界の見え方が一気に変わってしまったような出来事の一例として、この話題を取り上げてみたのです。巨石遺跡や信仰、古代人の交流などに個人的に興味があっただけの話なので、それはそれぞれの人によって違うものだと思います。
 ですが、それまで常識だと思っていた事が実は「そうではないのかも…」と裏の見方が出来るようになると、とたんに当たり前だと思っていた周りの物事の見え方が変わってくるのが本当に面白い事ではないかと思うのです。
 たとえば今回挙げた話を基にしてみると、古代人の交流が思っていたよりももっと古い時代から広範囲で行われていたと仮定することで、これまで謎だった世界各地の様々な伝承や神話について、もっと意味のある理解が生じてきたような気がしています。なぜ世界各地には似たような伝承…例えば洪水伝説や、似たような神様から知識がもたらされた話が残っているのか。それらの事にも共通した意味があるのではないか…。そう考えるだけで本当に面白いです。
 特にこの日本には本当に歴史の古いものが数多く残されており、例えば身近にある神社にも、神話の世界から地続きで繋がっているような伝承が残されており、本当に興味深いものです。

 裏を返すと、本当に身近な所にあったのに、それまで自分の知っている見方でしか物事が見れていなかったのだということが、はっきりと感じられるのです。巨石遺跡の話題だけではただの趣味で終わってしまいますが、この発想の転換で太極拳の稽古を見てみると、そこにもまた、それまで思いもしなかった暗号が隠されているのではと感じられるものが、ゴロゴロと転がって見えてきたのです。
 柔功に始まり基本功があり、様々な歩法があり、そして套路として残されている太極拳。
 特に套路は、太極拳としての基本や架式はもちろんのこと、戦うために必要な心構えや、はたまた文化や思想についてまでその形として残されているとまで感じられるのは、私の考えすぎでしょうか。今まではそう思えていなかったところにそう感じられるようになったのは、物事の見方が少し変化したおかげなのかもしれません。
 通説として言われる歴史をさかのぼってみると、太極拳の源流は、少林拳に似た土着の拳法がルーツとなっているのかもしれません。先人たちはその中に、宇宙や太極、陰陽の思想のエッセンスを見出し、形として残して下さっています。
 対練で宗師に崩して頂く時、たしかにそこに陰陽の理が秘められているように感じられます。
 もしそこにあるのだとして、自分でそれが表現できない時、どのような違いによってそれが生じているのか。いくらでも考察を深めていく必要性はあるのだと思います。

 ルーツといえば、私はいま現在、自分の体を作り替えを継続している最中ですが、その作業の中においても自分がどこにルーツがありどのように生きているのかというのが、非常に大きな意味を持っているのを体験している最中です。
 体を作っているのは食事である、と宗師に指導していただいていたものの、なかなか本格的に取り組めていなかった部分に積極的に取り組んでいるという状態なのですが、食べるものを変えることで明確に体は変化を起こしてくれるのだということをまさに経験しています。
 栄養のバランスを考え、体に合わないものは食べないで、必要な栄養はしっかり摂る。このことを心掛けているだけで変化は生じてくるのですが、その中で一番大切だと感じているのが、自分が日本人であるという事実なのだと思います。
 国民性にアイデンティティを持とうという話ではなく、自分の体は、古来から脈々と受け継がれてきた日本人の遺伝子で出来ているという揺るぎようのない事実が大事なのです。つまり、ある人にとっては栄養となるものが、言い方は悪いですが私の体にとっては毒ともなり得るのです。健康のため、肉体を強くするためと思って取っていたものが、実は私の体にとっては害のあるものだった…。いま落ち着きつつある私の食事内容は、古来から日本人が取ってきた食事にかなり近いものになっています。
 ごはんを食べ、大豆製品からタンパク質を取り、漬物とみそ汁を一緒にいただく。
 甘いものは食べずにお肉は適量、できれば魚のほうを多くいただく、といった食事を続けていると、それだけで体は変わっていくものです。実際に体は軽くなり、疲れにくくなっています。また、これまで原因不明で生じていた不調はなくなってしまいました。

 昔の人々は、自分たちに合った食事や生活というのを、その経験の中から理解していたのだと感じます。それは現代の我々よりもよっぽど深い理解だったのだと思います。

 私という人間は何者で、どこから来ているのか。ルーツをたどり、いまの自分がどのように生きているかを見つめ直す事で発見できる事は、たくさんあります。
 太極拳で求められる稽古も、外側に向かうのではなく自分の中へ中へと向かっていくことが肝心かなめだと思います。そういった意味では、いまの私に起きていることは太極拳の稽古の一環と言えるのかもしれません。事実、体が動きやすくなっているのでなおさらです。
 また、その文化的な意味においても、まだまだ多くの発見が出来そうで、非常にわくわくしています。この現代日本において太極拳を行っているというのは、実は偶然ではないのかもしれません。

 物事は循環し、巡り、実りをもたらしてくれる…太極拳の教えは、人類にとって不変なものなのではないかと感じます。
                                (了)






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disciples at 14:30コメント(24)今日も稽古で日が暮れる  

コメント一覧

1. Posted by ハイネケン   2025年09月26日 22:28


体に必要だと特に美味しく感じます。更に丁寧に食すると「心の健康」にもなります。和食の昆布・鰹節の出汁の手軽さは世界のスープのダシの中でNo. 1のスピードだと言う方もいます。原材料の乾燥昆布も鰹節も産地で加工され台所で結実する手間暇の賜物、まさに経験知の塊でありとてもシステマチックですね。
幾多の武道武術の中、太極拳の套路は「戦闘を連想しづらい型」のナンバーワンなのではないかと思います。使えるかどうか、用法がどんなものなのか、その様に見ると不可解ですがなぜその様なカタチを取るのか?カタチが何を示しているのかが必要になる気がします。私は未だよく理解出来ていないのですが。間違えているかもしれませんが私は太極拳のカタチをしたラジオ体操ではなく、ラジオ体操の形をしても太極拳になる様な稽古がしたいと思います。まだ遠く漠然としていますが何となくそう考えています。
先達が残した遺跡を実際に辿り、遺跡を作った想いや苦労や意図を感じ、同じ様に自ら造作していくと何かが見えてくるのかもしれませんね。遺跡は風や地形を楽しみ現地・実物が面白いですよね。
太郎冠者様、ユニークな視点をありがとうござました。
2. Posted by 松久宗玄   2025年09月28日 08:12
試行錯誤のプロセスが、正しく回り始めると、
新たな気付きや再発見が増えてきますね。

問題に向き合って、課題を明確にして、
その解決に向けた試行錯誤を継続できれば、
一つの気付きを起点に、新たな発見に繋がっていく事も起こってきます。

ただ目標設定が低い位置にあると、
ある目標を達成してしまったら、継続が停止してしまう事も起こりがちです。

試行錯誤の継続は、厳しくも、楽しくもありますが、
正しく向き合い続けるには、常に目標を見失わない「自分」である事は、重要な事と思いました。
3. Posted by マルコビッチ   2025年09月28日 10:29
>体の作り替え・・頑張っていらっしゃるようですね。
とても大切なことを体験されていること、刺激になります。
先月、宗師がブログで紹介されていた『薬膳の食卓365日』をパラパラ見ていると、旬のものを食することは体に良い、ということが理に適っていることがわかり頷いてしまいます。
昔の人は旬のものしかなかったのかもしれませんが、これを食べたら体が冷えるとか温まるとかは「経験知」と言えるのでしょうね。

常識が崩れる経験・・ありましたよ!
詳細は省きますが(どこかで書いたかも)細胞がひっくり返るような、見ている世界の色が変わったような衝撃だったのを覚えています。
ただ、それから何年も経って、あらゆる情報や常識と言われる事柄に囲まれて生きていると、その時の衝撃は薄れて飲み込まれてしまっている自分を感じます。
師父や宗師の動きを拝見して、「なんか常識にはないんですよね!」と言うと、「私は非常識か!」と仰って笑いますが、きっと常識というものに縛られていないのでしょうね。
ただただもっとフレッシュな目で見て、心で感じて、清々しい自分でありたいと思いました。
ありがとうございました。
4. Posted by 川島玄峰   2025年09月28日 22:53
「そうではないのかも」という気持ちは稽古に於いてもたくさんありますね。
稽古で教えて頂いた事、示された動きをそのとおりに受けとめ理解できるまでには、今の自分の考え方や思い込みが素直に観ることを妨げているのかもしれません。今まで経験してきた事は良い意味や悪い意味にも働いてしまいます。でもその都度「そうではないのかも」という気持ちを持てる事は次の自分のステージを上がるきっかけとなると思います。

実際、入門してからは「そうではないのかも」の連続です。日常生活でも同じように考える事で自分が以前より何か変わったなと思えるようになりました。太極拳の稽古は、自分を整える事で力を得れるのかもしれませんね。

ありがとうございます。

太郎冠者さん、体質改善、応援してます!
5. Posted by ひこな   2025年09月29日 22:40
太郎冠者様

自分のルーツ、その根っこを意識、自覚するのはとても大事そうに思えました。

日本人、またそれだけでなく、その土地で生まれ育ったことによって、その土地の作物との相性も生じているということ。地産地消は自分の身体にとっても良さそうですね。

日本食だからよい、とか、〇〇食だからよい、と言うのは、その本質を食しているのではなく、その周りに貼り付いた情報を食べているようなものなのでしょうね。

科学は論理的であったとしても、あらゆる試みは、せいぜい数十年などの単位でしかなく、何百年という営みで確認されつづけた経験則を含む本質には似て非なる近づき方しかしないのかもしれません。

だからこそ、情報としてのノウハウではなく、自らの身体、稽古でご協力いただける皆様の生の反応で、実践的に確認していくことが大事であることを改めて感じました。

この身で体現していきたいですね。

新鮮な角度での考察共有ありがとうございました!
6. Posted by 阿部玄明   2025年09月30日 01:47
古事記、日本書紀に登場する初代天皇などの登場人物は非常に長命だったそうです。数百年は生きたそうです。あまりにも古い書物であり、口伝ての伝承を後世で集めた内容のために、学術的には荒唐無稽な内容だとされてます。自分としては本当に荒唐無稽なのかな?と思ったりします。

そう考える理由は数千年前の文明が巨石遺構として現代に残っている事実がある。一方、現代文明の象徴である鉄とコンクリートは腐りやすく、何もしなければ数百年で痕跡も残さず消滅するでしょう。そう考えると古代の人物や文化、食生活の根底にある考え方は持続性があり、現代より優れていた(進んでいた)可能性が十分にあります。

太極拳が内包する歴史や知恵、武術性は現代に無いものばかりであり、ずっと残ってきたものです。それを学ぶことは温故知新ではなく、むしろ最先端を学んでいると思えます。
ずっと残っていくものこそ真の価値があり、これからも変わらず残せるよう努めてゆきます。
7. Posted by 平田玄琢   2025年09月30日 18:16
掛川市の粟ケ岳に磐座(いわくら)巨石群があります。数十トン以上の巨石が複数あり、付近の大木を伐採すると岩が動き麓の村を直撃しそうです。標高500メートル越えはここらで辺で一番高い山で、古代の神の降臨場となったそうです。
また、身近なところでは、現在の太極武藝館の西側は、南北朝時代に後醍醐天皇の皇子が住んでいて、三門町(帝)や御所の杜という地名も残っている。と郷土史に載っています。

私達の先祖が大切に育んだものが失伝してしまったものも沢山あります。
明治の中期に国が発令した神仏判然令によって、聖徳太子の時代から続いている大事なものが失われました。
また、戦後のGHQが関与した神道指令や武道の中断により、それは本来のものではなくなったものもあります。
こういったことも自分の仕事上で、さまざまな疑問を突き詰めた結果分かったことです。
昨今「墓終い」が流行しています。このまま行くと後世の日本は、移民の方々のほうが自身のルーツが分かるようになってしまうのではと危惧します。
自身が学んでいる太極拳も、違った見方と疑問を突き詰め、そのものに近づきたいと思います。
8. Posted by 川山継玄   2025年09月30日 20:57
今回も、大変興味深いテーマと、太郎冠者さんご自身の、まさに今課題と向かい合い、取り組み、感じていらっしゃることを記事にして下さり、ありがとうございます。

近頃特に、興味を持った物事・必要と感じる物事に、実際自身が身を投じ、ある程度の期間続けて取り組むことはとても大切だと感じる機会が多くあります。それによって、実際の経験を通し、謙虚になり、丁寧に生きる事に向き合う事ができるようだと、学んでいる最中です。

太郎冠者さんの記事と、我が身をもって感じる事は、必要な事の取捨選択を、感覚として感じ取れるようになり、その感覚と実際に目の前にやってくることは、良い方に増幅していくのではないかという事です。
最初から、「合理的に無駄を省いて、早急に結果を求める」と中身のない学びの無い、再現性が困難な状況になります。
私たちの祖先は、丁寧に命に向かい合い、民族として私達に多くの知恵を残して下さったように感じます。

丁寧に根気強く課題に取り組むことで、稽古で得られる事も見える事も、格段に違ってくると思います。
宝を取りこぼすことがないよう、精進して参ります。
太郎冠者さん、共に頑張りましょう。
ありがとうございます。
9. Posted by 清水龍玄   2025年09月30日 21:31
常識や通説といものは時として覆ったり、時代によって変わったりもします。
そこに囚われず、より本質を得ることができるか、それは自分自身の視点と本質をキャッチできるアンテナが大切になってくると思います。
人が長い年月を掛け得てきた経験は、一人一人の中に存在していると思います。
それを紐解き、理解していけるのかは自分次第だと思います。
10. Posted by 西川敦玄   2025年10月01日 00:08
身体の作り替え、順調とのこと先日聞きました。素晴らしい取り組みをされているのだと思います。

今回の記事で世界の見え方が、新しい発見などで変わったことに対する興奮が伝わってきます。貴重な体験だと思います。

私も、そのような体験をしたことがあるはずなのですが・・・。いつの頃からか、随分長い間になると思いますが物事を多面的に冷静にみようとしていました。その方法が客観的な新しい知見をそのままに受け入れようとする、科学的な態度だと思っていました。

この記事を読んで、さて何を返そうかと思っていると・・・・そのような態度だと、なんだか、つまらなく感じるような気がするなと感じてきました。

あまりに、最初から多面性を気にして物事を捉えようとしていると面白くないのです。もっと、自我をたっぷりに、思い違いを気にせずに真剣に物事にあたることで、新しい角度での物の見方に純粋に感動して、本当のものの見方を自分の中に形成していくことができるような気がしています。

太郎冠者さん、一緒に稽古にぶつかっていきましょう。
11. Posted by ユキ   2025年10月01日 00:22
常識が崩れる・・、まずは自分がそもそも常識的にしか物事を見られていなかったということを、同時に解る必要がありそうです。
何をもって自分はその物事に対して「こうだ」と思っていたのか。これは、簡単なようでいて実は難しい問いかけで、太極拳を紐解いていく際の大きな足掛かりになりますね。

ルーツを辿るということは、とても素晴らしいと思います。
見えてはいなかったけれど、確かにそこに存在するものを再認識していく行為。太極拳も同じで、すでにそこに存在するものを明らかにしていくのだと思います。
常識という名の、自分の考え方を挟まないこと。何をするにも、これが一番大事ではないかと思うこの頃です。
 
12. Posted by マガサス   2025年10月02日 20:41
体を作り替えを継続中とのこと、実際に変化や成果が現れているのは、凄いことだと思います。
次回お会いするのが楽しみです。
自分自身に取り組むのは、実は一番難しいことのように思います。
(私だけかもしれませんが・・・)
自分のことなのだから一番分かるはずなのに、実は一番わかっていないと痛感します。
分かるための一つの「鍵」として、ルーツのお話も興味深く読ませて頂きました。
太郎冠者さんの記事を読み、生まれ育った故郷に久しぶりに帰ると、ここで、この環境で、自分という人間が形成されたんだなと、しみじみ感じました。
自分を知り、認めて、受け入れる事ができたら、さらに次へ進めるのではないかと考えながら帰路につきました。
自分も積極的に取り組んでいこうと思います。
いつも記事をありがとうございます。
13. Posted by 太郎冠者   2025年10月04日 23:42
☆ハイネケンさん
これまで自分の食べるものに無頓着だったので、気を付けてみるとかなり凄い(ひどい?)食べ方をしていたものだ、と思います。
それを気を付けているだけでも変化が生じるので、あとはそれを焦らず気長に続けていけば、もっと良くなるかなぁと感じます。

そうして食事を頂く中で、やはり昔から伝統的に食べられていたものが、とてもおいしく感じるのです。みそ汁なんてなくてもいいやと思っていたのが、あるとないでは大違いなのですね。
安直に結びつけるのはよくないですが、太極拳も受け継がれている本質を見極め稽古をしていかないといけないと改めて思いました。

>実物が面白い
近場にあるものをいくつか見てきましたが、そこで感じるエネルギーはとてもすごかったです。
また、それらを通して見える歴史の中に、武術の歴史にも通じる部分がある、と感じています。
14. Posted by 太郎冠者   2025年10月04日 23:47
☆松久宗玄さん
>正しく回り始める
きっかけは様々あれど、仰る通り一度動き始めると雪崩のようにいくつも出来事が重なってくる感じがあります。

物事が同じ状態で留まっているというのは良く言えば安定、悪く言えば停滞して滞っているので、やはり循環し続けるのは大事なことなのだと感じます。
固執していなければ、その流れに乗ることでどんどん自分が変わっていってくれているかのようです。
とはいえ基本は、怒涛の変化ではなく毎日こつこつ積み重ねていくことが一番大事だと思うので、スタートダッシュで慢心するのではなく継続していくことが一番自分の力になってくれるのだろうと思いました。
15. Posted by 太郎冠者   2025年10月04日 23:52
☆マルコビッチさん
>宗師がブログで紹介されていた『薬膳の食卓365日』
あの本は私にとっても刺激になり、ただ結果さえ出せばいいという思考を変えるきっかけになってくれたように思っています。

体を作り替えるとはどういうことか、本当に人間にとって必要な食事と生き方はどういうものなのか、医食同源とは?
そういった観点で見ることで、自分には本当に何が必要だったのか見極めるヒントになってくれたのではないかと思います。

>常識が崩れる経験
冷静に考えると、道場で行われている稽古は普通の観点で見ると常識からかけ離れているのですよね。
その中にありながらなかなか常識の観点が抜けきらない自分自身の頭の固さは、我ながら逆に面白く感じられるものです。

素直に驚き、衝撃を受ける。
そのようにして起きる自分の変化は、何事にも代えがたい経験なのだと思います。
16. Posted by 太郎冠者   2025年10月04日 23:58
☆川島玄峰さん
>「そうではないのかも」
物事を検証するのに疑ってかかるという態度は絶対に必要だと思いますが、疑うというのも純粋に「これはどういうことなのだろう?」と疑問を追求するのに必要なのであって、自分の常識と照らし合わせて一致しない部分を検証するのとは少し違うのかな、と思いました。
自分はこう思ったのに違うらしい、どういうことなのだろう?と考えてしまうとき、前段に自分の考えが挟まってしまっているために、問題の本質が見えないのかもしれません。

自分を挟まないと指導をして頂いているので、あらためて、稽古に関する自分の疑問の抱き方はどうであったか検証してみたいと思いました。
>体質改善
次にお会いできるときは、少しは変わっている…かもしれません。
17. Posted by 太郎冠者   2025年10月05日 00:03
☆ひこなさん
〇〇を食べたら健康に良い!〇〇を食べたら痩せる!
というのは大抵は嘘っぱちというか、間違ってはいなくても偏った情報でしかないのだと思います。

毒を食べながら薬を飲む…というのは愚の骨頂であって、だったら毒を止めるのが一番です。
少し極端な表現ですが、私もそのようにしていった結果、結局昔ながらの日本食に近い食事が一番合っているのかなぁ、と落ち着いてきた次第です。

稽古においても、違いに気づいたらそれを止めていくのだと教えて頂いているので、発想としてはそれに近いものなのかなと感じています。
古の賢人たちは、皆、近しいことを遺して下さってきたのかもしれません。だからこそ、それを大切にしていきたいと思います。
18. Posted by 太郎冠者   2025年10月05日 00:10
☆阿部玄明さん
>古事記、日本書紀
それらの書物には重要なことが記載されているのは確かだと思います。
ですが、ある特定の年代に特定の人物が意図を持って編纂しているというその事実だけ見ても、情報が取捨選択されていることに間違いはなく、では本来はどのようなものが残されていたのだろう、という疑問が生じます。
謎を紐解いてみると実はそれは暗号で隠されているだけで、荒唐無稽ではなく理路整然としており、そしてそこから見えてくる世界観は…現代の常識から見るとぶっ飛んでいて本当に面白いです。

>温故知新ではなく、むしろ最先端を学んでいる
これは本当に私も同感です。
太極拳の稽古、そこに潜んでいる身体操法や思想を味わっていると、いまの現代人が抱いている考え方より数世代は先を行っている気がしてなりません。
我々は進化してきたのか、はたまた退化してしまったのか。
もっともっと勉強するべきことが沢山あるのだと痛感させられます。
19. Posted by 太郎冠者   2025年10月05日 00:14
☆平田玄琢さん
>私達の先祖が大切に育んだもの
最近興味を持ってこのあたりの歴史を調べているだけでも、本当に古い歴史や伝承があり、それがこの地域だけでなく日本中、はたまた世界と繋がっているという現実が見えてきて本当に驚いています。
日本人は身近に古いものがありすぎて慣れてしまっているという話を聞きましたが、千年、二千年の歴史がざらにある国などというのは世界で見ても本当に稀です。

それらがこれだけ隠蔽、隠されてしまっているのは、仰る通り日本人が強いままでいると困ってしまう人たちがいたからなのでしょうね。
その策略にどっぷり浸かってしまっていましたが、そこから抜け出して、本当の強さを見出していきたいと思います。
我々が取り組んでいる太極拳がこの時代にこの日本にある事も、意味があることだと感じます。
20. Posted by 太郎冠者   2025年10月05日 00:20
☆川山継玄さん
現代日本で「日本人の本来の強さ」などという話をすると、右寄りのナショナリストか!?なんて烙印を押されてしまいますが、本来自分の生まれた国に誇りを持ち、その民族としてのアイデンティティを持つことは至って普通のことで、そうではなくなった日本のほうが特殊なのだと思います。

自分の血の中に潜んでいる力があり、それを磨く方法も先人たちによってしっかりと残していただいています。あとはそれをやるかどうかを決めるのは自分自身の選択しかないのだと思います。
一度そう決めてみると、だんだんと結果は出てくるし、新しい必要な情報や知識もどんどんと集まってくるものです。

勉強させて頂けることに感謝しつつ、引き続き取り組んでいきたいと思います。
21. Posted by 太郎冠者   2025年10月05日 00:24
☆清水龍玄さん
常識や通説は仰る通り、時代ごとにすぐに変化していってしまいますね。
しかし、この体と、そこに流れるDNAは先人の遺産を脈々と受け継いでいて、何万年も前の人々と共通しているものです。
長い時間をかけて培われてきた文化や伝統は、その時代の流行などで簡単に変えてしまっていいものではなく、仮に変化したとしても、この体を基に作られた文化はいつか必ず元に戻ろうとする力が働くのではないかと感じます。

太極拳の稽古は間違いなくその一助になっているかと思うので、我々が取り組んでいる事にはとても大きな価値があると思うのです。
22. Posted by 太郎冠者   2025年10月05日 00:35
☆西川敦玄さん
>世界の見え方
いままで疑問だった部分のパズルのピースがひとつひとつ埋まっていって、バラバラだった全体像が一気に見えてきたような感じです。何かがおかしい、何かがあるに違いないと思っていたところがつながった!という驚きでしょうか。
むしろそこで示されている証拠の積み重ねを認めるほうが科学的な検証であって、現在の常識のほうがそれを(あえて)無視しているために辻褄が合わない、そんな気がしています。

実はこれは太極拳、ひいては武術の歴史についても関連してくるとも思って研究を進めているのですが、もう少し調べたら面白い事実が見えてくる…かもしれません。
太極拳の稽古で行われている事の意味がより生き生き見えてくる気がして、本当に面白く感じます。
23. Posted by 太郎冠者   2025年10月05日 00:40
☆ユキさん
>そもそも常識的にしか物事を見られていなかった
最近特に感じるのは、人々の前に同じものが提示されていたとしても、人によって本当に見ているものが違っているのだという事です。

稽古においても、宗師に示して頂いて説明までして頂いているのに、どれだけ自分が自分の見たいように見てしまっているのか…これらの別の物事を通してその事実がひしひしと感じられたように思います。
同じ石を見ても、それを偶然の産物と見るか、古人の英知の現れと見るか、ひとえにその人の持っているものに掛かっているのだと感じます。
太極拳の稽古を宝石にできるか、路傍の石にしてしまうかは、自分の取り組み方で完全に変わってしまうのだと思いました。
24. Posted by 太郎冠者   2025年10月05日 00:46
☆マガサスさん
>生まれ育った故郷
最近、これまであまり気にしたことのなかった母の故郷の土地や歴史について調べました。
きっかけは偶然だったのですが、この静岡の土地のことを調べていたらそこで交流のある一族の関連が母の地元にあり、そこで〇〇が〇〇で××という想像もしない展開になり、母の実家のすぐ近くにある場所、そこで行われていた行事がその歴史と関連がありそうだと分かると、衝撃が走ったものです。

完全に自分の趣味やたまたまの嗜好だと思っていたものが、実は先祖代々受け継がれている文化に息づいていたのかも…そのように思うだけでも感慨深いものがあり、また自分の生き方を見つめるきっかけになった気がしました。
ルーツを辿るというのは大事なことだと改めて思ったものです。

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