2025年08月16日
練拳Diary #88「伝えるということ」
日本玄門太極宗師 円 山 玄 花
ここに、一冊の本がある。
『心も体も もっと、ととのう 薬膳の食卓 365日』。薬剤師であり、国際中医師の資格も持つ川手鮎子さんの著書だ。
この本は、もともと私が思うように身体を作れず悩んでいたところ、「食」の改善から身体のみならず精神的にも劇的に変化した経験から、食や栄養にも興味を持ち、勉強する中で「薬膳」という考え方に触れたことがきっかけで我が家にやってきた。
“薬膳の食卓 365日”と聞いて、皆さんはどのような内容を思い浮かべるだろうか。
せっかくなので、少し内容を紹介させていただきたい。
========
8/11 暑がりの方におすすめの食材
暑がりの方で体に熱がこもっている方は、次のような食材(陽盛)が合います。
白菜(平)、セロリ(涼)、トマト(微寒)、きゅうり(涼)、ニガウリ(寒)、ズッキーニ(寒)、コンニャク(寒)、なす(涼)、りんご(涼)、スイカ(寒)、バナナ(寒)、シジミ(寒)、カニ(寒)、豆腐(寒)、緑豆(寒)、茶葉(涼)、クチナシ(寒)、ドクダミ(微寒)、タンポポ(寒)
暑がりで体に不調を感じている方は、香辛料など温める性質の食材や高カロリーのものなど体に熱がこもりやすくなるものは控えましょう。
8/24 心臓がドキドキする
地下鉄に乗るといつも胸が苦しくなって、ドキドキするという方がいました。しかし、心電図やCTなどの検査をしても異常がないのです。どういうことでしょう?
ー中略ー
漢方に配合されている生薬には精神を安定させたり、鎮静させたりする効能のあるものがあります。
牡蠣(ボレイ)、真珠、琥珀、大棗(タイソウ)、竜眼、ハスの実などは安心薬(不安を取る薬)に使われる生薬ですが、食材として販売されているものもあるので、必要に応じて活用できると思います。
ー後略ー
========
・・なにか気がつかれただろうか。
そう、この本は「薬膳の食卓365日」というタイトルでも、食卓に並べる薬膳料理としての作り方は一つも書かれていないのだ。
民間療法のレシピが載っているページも無くはないが、「分量は文献によって違うから、自分は工夫しながら作ってみている」との言葉が添えられている。つまり、この著者は薬膳料理のレシピを伝えたいわけではないことがわかる。
紹介させていただいた2ページ分の冒頭にある通り、1年間365日、日付を追ってそれぞれの季節に影響される五臓の働きや起こりやすい不調、おすすめの食材が紹介されている。
そのためか、とても読みやすい。
中医学の知識などなくても楽しく読み進めることができ、しかもどこからでも好きなところから読むことができるし、読み終えると自然と薬膳の考え方が自分の中に存在していることに気がつくのだ。
この本の魅力はそれだけに留まらないけれど、今回は薬膳の紹介をしたいわけではないのでまた。興味を持たれた方は手に取って頂ければと思う。
さてもう一冊、紹介させてほしい。
『辻留 新・料理塾』。茶懐石「辻留」の三代目、辻 義一(つじ よしかず)さんの著書だ。「辻留」は、かつて師父からも勉強のために行くように勧められた「一流」の一つ。
目次を開くと、シンプルに「春 夏 秋 冬」の大文字が目に飛び込み、なにやら、“ふきのとう(蕗の薹)“とか“ごぼう(牛蒡)”、“さんま(秋刀魚)“などの食材が書いてある。中には、“包丁”とか“鍋もの”、“左手”の記載もあり、それだけで早く読みたい衝動にくすぐられる。
・・余談ではあるけれど、世に溢れる本の読みやすさ、読みにくさを決める要素の一つに、「目次の美しさ」が入ると思うのは私だけだろうか。目次を追って内容に入りやすく、内容から目次に戻って理解が深まる。どうやらそんな本が、私には合っていると思う。
さてさて、内容をば。
========
そうめん
深鍋にたっぷり湯をわかし、ぐらぐらと煮立ったら素麺を鍋の縁に沿ってさっとさばき入れ、ふわーっと吹き上がったらすかさず差し水。もう一度浮き上がってきたらすぐ火を止め、手早くざるにあけ、一気に水を流しかけます。これを冷水に移し、数回水を替えて、あら熱を取ったのち、今度は丹念に手で揉み洗いをしてぬめりを取り、最後は氷水に通してざるに上げれば、腰の強いつややかな素麺に仕上がります。
美味しいつゆ作りは「甘くしない」のが秘訣です。上品で淡白な素麺の真味は口の奢った方にこそわかるものと申します。
ー中略ー
ちょっとした心遣いで、素麺の美味しさは格段に違ってまいります。たとえば薬味。
ー中略ー
ことに合うのは茗荷と青柚子。青い柚子はすりおろしてどうぞ。ただ一つ、上品な素麺にくせの強すぎる葱は合いません。
========
・・いかがだろうか。もう私の言いたいことが見えている読者の方もいらっしゃるかもしれない。
そう、こちらの本も、一つとしてレシピが書かれていないのだ。けれども、読めばわかる。料理とはなにか。素麺とはなにか。その本質がわずか十数行で言い表されている。
辻義一さんの著書はこの本で11冊目とのことであるが、私は他の著書を読んだことがない。しかし、この方の料理教室では、レシピはおろか料理の手順も説明も一切なく、ただ辻義一さんの調理する様子を実際に見ることができると聞いた。
この本は、まさにその話を彷彿とさせ、読み進めるごとに目の前で辻義一さんの料理を拝見しているイメージが出てきたのだ。ああ、これが料理なのだ、と。
素麺何グラム、お湯の量は何リットル。何分間茹でて、何秒氷水に浸す・・。そのようなレシピを見てその通りに行ったところで、「素麺とはなにか」までは分からないのではないだろうか。少なくとも私にはむつかしい。プリンや人参ケーキをレシピ通りには作るけれど、それそのものが何であるのかを理解するには、何度も何度も作り、失敗と工夫と研究を重ねる必要があった。
それは、アタマで理解できるものではなく、カラダで理解するようなものだ。川手鮎子さんの薬膳の本も、辻義一さんの辻留の本も、そのお二人がカラダで理解された本質を語られている。
私は思わずにはいられない。お二人がさらりと書き表されているその本質を得るために、幾千、幾万、幾億の取り組みがあったのだろうかと。
そして、玄門太極の伝承もこのように在る。正式弟子となり、秘伝の練功を教わり、奥傳を理解させてもらえることが伝承ではない。ましてや、教わった範囲で稽古を繰り返し、自分なりに理解したつもりになって思い込み、さも真伝であるかの如く他人に伝えることは、伝承にならないどころか害悪である。
だからこそ、どの代でも先ず「情熱」の有無が問われるのだ。凄いものを手に入れたいという欲求は誰にでもあると思うが、その“凄いもの”よりも、それを手に入れるためにはどんな苦労も厭わないという「情熱」。「熱量」でもいいと思う。地の底から沸き続けるマグマの如く、尽きない情熱。それを持って追求して初めて得られる本質。
本質は、手渡されるものではない。自分の内側に生じる結晶のようなものだ。
(了)
ここに、一冊の本がある。
『心も体も もっと、ととのう 薬膳の食卓 365日』。薬剤師であり、国際中医師の資格も持つ川手鮎子さんの著書だ。
この本は、もともと私が思うように身体を作れず悩んでいたところ、「食」の改善から身体のみならず精神的にも劇的に変化した経験から、食や栄養にも興味を持ち、勉強する中で「薬膳」という考え方に触れたことがきっかけで我が家にやってきた。
“薬膳の食卓 365日”と聞いて、皆さんはどのような内容を思い浮かべるだろうか。
せっかくなので、少し内容を紹介させていただきたい。
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8/11 暑がりの方におすすめの食材
暑がりの方で体に熱がこもっている方は、次のような食材(陽盛)が合います。
白菜(平)、セロリ(涼)、トマト(微寒)、きゅうり(涼)、ニガウリ(寒)、ズッキーニ(寒)、コンニャク(寒)、なす(涼)、りんご(涼)、スイカ(寒)、バナナ(寒)、シジミ(寒)、カニ(寒)、豆腐(寒)、緑豆(寒)、茶葉(涼)、クチナシ(寒)、ドクダミ(微寒)、タンポポ(寒)
暑がりで体に不調を感じている方は、香辛料など温める性質の食材や高カロリーのものなど体に熱がこもりやすくなるものは控えましょう。
8/24 心臓がドキドキする
地下鉄に乗るといつも胸が苦しくなって、ドキドキするという方がいました。しかし、心電図やCTなどの検査をしても異常がないのです。どういうことでしょう?
ー中略ー
漢方に配合されている生薬には精神を安定させたり、鎮静させたりする効能のあるものがあります。
牡蠣(ボレイ)、真珠、琥珀、大棗(タイソウ)、竜眼、ハスの実などは安心薬(不安を取る薬)に使われる生薬ですが、食材として販売されているものもあるので、必要に応じて活用できると思います。
ー後略ー
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・・なにか気がつかれただろうか。
そう、この本は「薬膳の食卓365日」というタイトルでも、食卓に並べる薬膳料理としての作り方は一つも書かれていないのだ。
民間療法のレシピが載っているページも無くはないが、「分量は文献によって違うから、自分は工夫しながら作ってみている」との言葉が添えられている。つまり、この著者は薬膳料理のレシピを伝えたいわけではないことがわかる。
紹介させていただいた2ページ分の冒頭にある通り、1年間365日、日付を追ってそれぞれの季節に影響される五臓の働きや起こりやすい不調、おすすめの食材が紹介されている。
そのためか、とても読みやすい。
中医学の知識などなくても楽しく読み進めることができ、しかもどこからでも好きなところから読むことができるし、読み終えると自然と薬膳の考え方が自分の中に存在していることに気がつくのだ。
この本の魅力はそれだけに留まらないけれど、今回は薬膳の紹介をしたいわけではないのでまた。興味を持たれた方は手に取って頂ければと思う。
さてもう一冊、紹介させてほしい。
『辻留 新・料理塾』。茶懐石「辻留」の三代目、辻 義一(つじ よしかず)さんの著書だ。「辻留」は、かつて師父からも勉強のために行くように勧められた「一流」の一つ。
目次を開くと、シンプルに「春 夏 秋 冬」の大文字が目に飛び込み、なにやら、“ふきのとう(蕗の薹)“とか“ごぼう(牛蒡)”、“さんま(秋刀魚)“などの食材が書いてある。中には、“包丁”とか“鍋もの”、“左手”の記載もあり、それだけで早く読みたい衝動にくすぐられる。
・・余談ではあるけれど、世に溢れる本の読みやすさ、読みにくさを決める要素の一つに、「目次の美しさ」が入ると思うのは私だけだろうか。目次を追って内容に入りやすく、内容から目次に戻って理解が深まる。どうやらそんな本が、私には合っていると思う。
さてさて、内容をば。
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そうめん
深鍋にたっぷり湯をわかし、ぐらぐらと煮立ったら素麺を鍋の縁に沿ってさっとさばき入れ、ふわーっと吹き上がったらすかさず差し水。もう一度浮き上がってきたらすぐ火を止め、手早くざるにあけ、一気に水を流しかけます。これを冷水に移し、数回水を替えて、あら熱を取ったのち、今度は丹念に手で揉み洗いをしてぬめりを取り、最後は氷水に通してざるに上げれば、腰の強いつややかな素麺に仕上がります。
美味しいつゆ作りは「甘くしない」のが秘訣です。上品で淡白な素麺の真味は口の奢った方にこそわかるものと申します。
ー中略ー
ちょっとした心遣いで、素麺の美味しさは格段に違ってまいります。たとえば薬味。
ー中略ー
ことに合うのは茗荷と青柚子。青い柚子はすりおろしてどうぞ。ただ一つ、上品な素麺にくせの強すぎる葱は合いません。
========
・・いかがだろうか。もう私の言いたいことが見えている読者の方もいらっしゃるかもしれない。
そう、こちらの本も、一つとしてレシピが書かれていないのだ。けれども、読めばわかる。料理とはなにか。素麺とはなにか。その本質がわずか十数行で言い表されている。
辻義一さんの著書はこの本で11冊目とのことであるが、私は他の著書を読んだことがない。しかし、この方の料理教室では、レシピはおろか料理の手順も説明も一切なく、ただ辻義一さんの調理する様子を実際に見ることができると聞いた。
この本は、まさにその話を彷彿とさせ、読み進めるごとに目の前で辻義一さんの料理を拝見しているイメージが出てきたのだ。ああ、これが料理なのだ、と。
素麺何グラム、お湯の量は何リットル。何分間茹でて、何秒氷水に浸す・・。そのようなレシピを見てその通りに行ったところで、「素麺とはなにか」までは分からないのではないだろうか。少なくとも私にはむつかしい。プリンや人参ケーキをレシピ通りには作るけれど、それそのものが何であるのかを理解するには、何度も何度も作り、失敗と工夫と研究を重ねる必要があった。
それは、アタマで理解できるものではなく、カラダで理解するようなものだ。川手鮎子さんの薬膳の本も、辻義一さんの辻留の本も、そのお二人がカラダで理解された本質を語られている。
私は思わずにはいられない。お二人がさらりと書き表されているその本質を得るために、幾千、幾万、幾億の取り組みがあったのだろうかと。
そして、玄門太極の伝承もこのように在る。正式弟子となり、秘伝の練功を教わり、奥傳を理解させてもらえることが伝承ではない。ましてや、教わった範囲で稽古を繰り返し、自分なりに理解したつもりになって思い込み、さも真伝であるかの如く他人に伝えることは、伝承にならないどころか害悪である。
だからこそ、どの代でも先ず「情熱」の有無が問われるのだ。凄いものを手に入れたいという欲求は誰にでもあると思うが、その“凄いもの”よりも、それを手に入れるためにはどんな苦労も厭わないという「情熱」。「熱量」でもいいと思う。地の底から沸き続けるマグマの如く、尽きない情熱。それを持って追求して初めて得られる本質。
本質は、手渡されるものではない。自分の内側に生じる結晶のようなものだ。
(了)
コメント一覧
1. Posted by ハイネケン 2025年08月17日 20:50
簡素な文章ですが目の前に様子が浮かんできます。「上品な素麺にくせの強すぎる葱はあいません。」読んでいて「えっ?葱より青柚子??」。柚子は黄色を見かけますが青柚子はなかなか見かけません。合わせて食してみたいです。辻留 京都店の方の動画を拝見しました。ご飯は手間数が少なくサラリとよそい、囲炉裏の炭で炙られ切り身が内側からふっくらとした焼魚は火力と水分のバランスの為せる仕上がりでしょうか。
「ピェンロー鍋」というシンプルな鍋が気に入り何度か繰り返し作ったことがあります。作家・妹尾河童氏のレシピには「何かを足しても引いても上手くいかない」とあり興味本位で自分が食べたい具材を増やしました。結果美味しくはありませんでした。
レシピ通りだと何故美味しくなるのかが分かればレシピ以上のレシピになるのではないかと思います。ではレシピは基本でしょうか?そうであるけど、そうではないと思うのです。ただ美味しくしたい心がそうさせる。
興味を湧き出し続けるには何が必要なのか?学びたい習得したいこの太極拳の太極とは何を指して「太極の拳」と名付けられているのか。
「カラダで理解する。」五感を通し意識は今だけではなく過去に未来に繋がっています。その様な感覚を刺激してくださる稽古に感謝しております。
御投稿いただきありがとうございました。
「ピェンロー鍋」というシンプルな鍋が気に入り何度か繰り返し作ったことがあります。作家・妹尾河童氏のレシピには「何かを足しても引いても上手くいかない」とあり興味本位で自分が食べたい具材を増やしました。結果美味しくはありませんでした。
レシピ通りだと何故美味しくなるのかが分かればレシピ以上のレシピになるのではないかと思います。ではレシピは基本でしょうか?そうであるけど、そうではないと思うのです。ただ美味しくしたい心がそうさせる。
興味を湧き出し続けるには何が必要なのか?学びたい習得したいこの太極拳の太極とは何を指して「太極の拳」と名付けられているのか。
「カラダで理解する。」五感を通し意識は今だけではなく過去に未来に繋がっています。その様な感覚を刺激してくださる稽古に感謝しております。
御投稿いただきありがとうございました。
2. Posted by 円山玄花 2025年08月18日 13:14
☆皆様へ
いつもコメントを楽しく、有り難く拝見しています。
宗師はコメントバックを行わない・・という慣例を破り、やって参りました。
☆ハイネケンさん
私が思うに、「レシピ」とは「誰かが辿り着いたベストな組み合わせ」なのでしょう。同じパウンドケーキでも、しっとりさせたいのかさっぱりさせたいかで、使用する油類はバターや米油、ココナッツオイル、オリーブオイルなど人によって変わります。その人の求める好みの食感、味付けとなるわけです。
>興味本位で自分が食べたい具材を増やしました。結果美味しくはありませんでした。
これは、とても良い経験だと思います。そしてその先を追求したならば、自分の食べたい具材を中心とした美味しいレシピが待っているに違いないのです。
レシピは基本ではありません。料理の基本の上に表現されているものです。私たちの伝承が料理のレシピを伝えるようにはいかないのも、そこです。
>太極とは何を指して・・
太極の原理で鍋を作れば太極鍋、音楽を奏でればタイチーミュージック♪、舞を踊れば太極舞ですね。
ヒントになれば、幸いです。
いつもコメントを楽しく、有り難く拝見しています。
宗師はコメントバックを行わない・・という慣例を破り、やって参りました。
☆ハイネケンさん
私が思うに、「レシピ」とは「誰かが辿り着いたベストな組み合わせ」なのでしょう。同じパウンドケーキでも、しっとりさせたいのかさっぱりさせたいかで、使用する油類はバターや米油、ココナッツオイル、オリーブオイルなど人によって変わります。その人の求める好みの食感、味付けとなるわけです。
>興味本位で自分が食べたい具材を増やしました。結果美味しくはありませんでした。
これは、とても良い経験だと思います。そしてその先を追求したならば、自分の食べたい具材を中心とした美味しいレシピが待っているに違いないのです。
レシピは基本ではありません。料理の基本の上に表現されているものです。私たちの伝承が料理のレシピを伝えるようにはいかないのも、そこです。
>太極とは何を指して・・
太極の原理で鍋を作れば太極鍋、音楽を奏でればタイチーミュージック♪、舞を踊れば太極舞ですね。
ヒントになれば、幸いです。
3. Posted by 川山継玄 2025年08月18日 14:45
宗師のコメントバックに気がそぞろになってしまいましたが、冷静に綴ります。
ほんの少しの著書内容のご紹介でしたが、想像力が全開になり、色・音・感触・味・におい・温度・気分などなど、五感をフル稼働させられました。
それらを、一瞬で全身で感じる事が出来たことに、大変驚きました。
〜その本質を得るために、幾千、幾万、幾億の取り組みがあったのだろうかと。
現在の私は、伝承していく身として宗師が感じ取られた作品の奥深さは感じ取るにはまだまだ足りません。が、今後この深みをわかる生き方をしていきたいとつくづく思うのです。
今まで、そこに踏み込めなかったのは、まだまだそこまでの取り組みに至らず、甘かったのだと省みます。
以前のように緊張や委縮するのではなく、大海原に身を投じたような、伸びやかな清々しさ、雄々しさの中で真っ直ぐ前を向いています。
貴重なご投稿、ありがとうございます。
ほんの少しの著書内容のご紹介でしたが、想像力が全開になり、色・音・感触・味・におい・温度・気分などなど、五感をフル稼働させられました。
それらを、一瞬で全身で感じる事が出来たことに、大変驚きました。
〜その本質を得るために、幾千、幾万、幾億の取り組みがあったのだろうかと。
現在の私は、伝承していく身として宗師が感じ取られた作品の奥深さは感じ取るにはまだまだ足りません。が、今後この深みをわかる生き方をしていきたいとつくづく思うのです。
今まで、そこに踏み込めなかったのは、まだまだそこまでの取り組みに至らず、甘かったのだと省みます。
以前のように緊張や委縮するのではなく、大海原に身を投じたような、伸びやかな清々しさ、雄々しさの中で真っ直ぐ前を向いています。
貴重なご投稿、ありがとうございます。
4. Posted by 松久宗玄 2025年08月18日 21:04
伝え方、受け取り方、追求の仕方、と色々と考える切っ掛けになりました。
最近、体調の変化を実感する年齢に足を踏み入れている事もあり、
養生や未病の観点に関心を持つようになりました。
食養生はその中核を成すコアの要素でもあり、興味を持って拝見しました。
食材や調理法の本質を捉える視点には、琴線に響く洞察があり、
更に、食と食する者との関係性の観点も興味深いと思いました。
ご紹介頂いた書籍は、機会を得て読んでみたいと思いました。
素人の趣味の範囲ではありますが、私も料理を嗜む事もありますので、
自分の中での料理の発展、追求のプロセスは、幾度となく試行錯誤してみて、
その中で五感を通して自分の中でその料理を再構築するもの、
との感覚は少し分かるようにも思いました。
その追求は、太極拳の稽古の工夫にも繋がり、役に立つと感じています。
試行錯誤を続ける「情熱」は、美味を求める事も、
目に焼き付いている美技を求める事も、同根のように思われました。
最近、体調の変化を実感する年齢に足を踏み入れている事もあり、
養生や未病の観点に関心を持つようになりました。
食養生はその中核を成すコアの要素でもあり、興味を持って拝見しました。
食材や調理法の本質を捉える視点には、琴線に響く洞察があり、
更に、食と食する者との関係性の観点も興味深いと思いました。
ご紹介頂いた書籍は、機会を得て読んでみたいと思いました。
素人の趣味の範囲ではありますが、私も料理を嗜む事もありますので、
自分の中での料理の発展、追求のプロセスは、幾度となく試行錯誤してみて、
その中で五感を通して自分の中でその料理を再構築するもの、
との感覚は少し分かるようにも思いました。
その追求は、太極拳の稽古の工夫にも繋がり、役に立つと感じています。
試行錯誤を続ける「情熱」は、美味を求める事も、
目に焼き付いている美技を求める事も、同根のように思われました。
5. Posted by 円山玄花 2025年08月18日 23:55
☆川山継玄さん
>五感をフル稼働させられました。
受け取る準備が、進められているのだと思います。
開き、学んでいきましょう。
>五感をフル稼働させられました。
受け取る準備が、進められているのだと思います。
開き、学んでいきましょう。
6. Posted by 円山玄花 2025年08月18日 23:57
☆松久宗玄さん
紹介する本は、プロドライバーの本でも、禅の本でも、何でも良かったのですけれどね。
伝承の義務がある人たちが、伝えるということを理解する一助になれば、嬉しく思います。
紹介する本は、プロドライバーの本でも、禅の本でも、何でも良かったのですけれどね。
伝承の義務がある人たちが、伝えるということを理解する一助になれば、嬉しく思います。
7. Posted by 平田玄琢 2025年08月19日 14:16
二年ほど前に巫女のアルバイトをやりながら、板前の修行をしていた子がいました。その子は浜松のある飲食店に食事に行った時、あまりの美味しさからその料理を作ってみたいと、親方に弟子入りをお願いしました。
板前修行の条件として、毎日早朝に親方の知り合いの市場の店で大きな魚をさばくことでした。
店での板前修行が夜遅くに終わり、朝早く起きて市場に行くという生活が何年も続きました。
もちろん、その修行によって鮮魚料理のノウハウは自然に身についたようでした。
私も、そのお店に客として何度か足を運びました。何品かの料理ごとに合うお酒が出て大変美味しくいただきました。うちのカミさんはそこで鮮魚を食べて以来、スーパーの刺身は鮮度が、、、と食べられなくなってしまいました。
私が、その店で一番美味しいと感じた料理は何と、土鍋で炊いた「ご飯」でした。いつも食べているご飯が何故と思いましたが、何かが少しずつ違って美味しくなっているのです。
素麺の描写がいかにも美味しそうです。私のいい加減な茹で方とえらい違いです。細かいレシピ通りでなく、その描写のように試行錯誤してやってみたくなりました。
太極拳も、細かいレシピをもらってその通りやってもできるものではなく、思い描いているものに近づける情熱が必要ですね。
板前修行の条件として、毎日早朝に親方の知り合いの市場の店で大きな魚をさばくことでした。
店での板前修行が夜遅くに終わり、朝早く起きて市場に行くという生活が何年も続きました。
もちろん、その修行によって鮮魚料理のノウハウは自然に身についたようでした。
私も、そのお店に客として何度か足を運びました。何品かの料理ごとに合うお酒が出て大変美味しくいただきました。うちのカミさんはそこで鮮魚を食べて以来、スーパーの刺身は鮮度が、、、と食べられなくなってしまいました。
私が、その店で一番美味しいと感じた料理は何と、土鍋で炊いた「ご飯」でした。いつも食べているご飯が何故と思いましたが、何かが少しずつ違って美味しくなっているのです。
素麺の描写がいかにも美味しそうです。私のいい加減な茹で方とえらい違いです。細かいレシピ通りでなく、その描写のように試行錯誤してやってみたくなりました。
太極拳も、細かいレシピをもらってその通りやってもできるものではなく、思い描いているものに近づける情熱が必要ですね。
8. Posted by 西川敦玄 2025年08月19日 19:34
「伝えるということ」という題での宗師のメッセージありがとうございます。
おそらく今回、提示していただいたような料理の話でも伝えることとはなんなのか、それが問題となるのだと思います。
著書や言葉で伝えるということ。今回取り上げていただいた料理の話では不特定多数のレベルの違う読者に、読者の欲しいテクニックや情報ということに迎合することなく、著者の伝えたいことを記されたのだと思います。
前者の薬膳では、素材やおそらく調理法にたいする考え方や理解を伝える。後者では美味しそうな、素材同士の相性、ハーモニー、味覚における過不足ない美しさが伝わるように感じます。
宗師も言われるように、見えないようでいてそこには、数え切れない取り組みがあったのだと思わされます。
私たちは、其れを手に入れることを夢見て、日々苦闘し、理解し、歩んでいくことが必要なのだと思わされました。レシピはその中で発見され、アップデートされることでしょうが、手に入れ、伝え、伝えられることはレシピではない。
ただ、美味しい料理ができたときの幸せなひとときを味わうために。
おそらく今回、提示していただいたような料理の話でも伝えることとはなんなのか、それが問題となるのだと思います。
著書や言葉で伝えるということ。今回取り上げていただいた料理の話では不特定多数のレベルの違う読者に、読者の欲しいテクニックや情報ということに迎合することなく、著者の伝えたいことを記されたのだと思います。
前者の薬膳では、素材やおそらく調理法にたいする考え方や理解を伝える。後者では美味しそうな、素材同士の相性、ハーモニー、味覚における過不足ない美しさが伝わるように感じます。
宗師も言われるように、見えないようでいてそこには、数え切れない取り組みがあったのだと思わされます。
私たちは、其れを手に入れることを夢見て、日々苦闘し、理解し、歩んでいくことが必要なのだと思わされました。レシピはその中で発見され、アップデートされることでしょうが、手に入れ、伝え、伝えられることはレシピではない。
ただ、美味しい料理ができたときの幸せなひとときを味わうために。
9. Posted by 川島玄峰 2025年08月19日 20:39
非常に考えさせられる内容でした。
紹介していただいた二冊の本書ではレシピやその手順が記されていないとのこと。一般的には読者からすると細かく知り実践したくなるように思いますが、そうではなく調理の状態、状況、考え方、捉え方が示されているように思います。
稽古に置き換えて考えると、形や仕方ではなく状態を知り、考え方を知り、捉え方を変えるための稽古であり本質なのかもしれません。
伝承されるのは技術はもちろんではありますが、一番大事なのはそれを受け入れるための在り方を伝えられるものだと解釈いたしました。
そのためには情熱が大きく関わるのだろうと思います。
貴重な気づきをありがとうございました
紹介していただいた二冊の本書ではレシピやその手順が記されていないとのこと。一般的には読者からすると細かく知り実践したくなるように思いますが、そうではなく調理の状態、状況、考え方、捉え方が示されているように思います。
稽古に置き換えて考えると、形や仕方ではなく状態を知り、考え方を知り、捉え方を変えるための稽古であり本質なのかもしれません。
伝承されるのは技術はもちろんではありますが、一番大事なのはそれを受け入れるための在り方を伝えられるものだと解釈いたしました。
そのためには情熱が大きく関わるのだろうと思います。
貴重な気づきをありがとうございました
10. Posted by マルコビッチ 2025年08月20日 20:11
『薬膳の食卓365日』
偶然にもこの夏前に私の所にもやってきました。
本屋さんで、何故か引かれるように手に取ると、ほわっとしたイラストも素敵で、パッと開いた一文を読んだだけで心がじんわりしたのです。
実を言うと体調を整える助けになればと、私の体に良いもののレシピが書いてある本を探していたのですが、どれもピンとこなくてウロウロしていた挙げ句の出会いでした。
イメージして探していたものとは全然異なりましたが、「これだ!」と感じたのです。
開いて1ページ読むだけで、私の場合、精神的に癒される感じです。
著者の川手先生は82歳におなりですが、それまで学んでこられた知識を細かく示したり、押し付けたりするのではなく、こんな症状がありますね・・この食材の特徴と効能は・・などど、決して否定することなく、さらっとじんわり、語るような文章で、その中には様々な広い知識を交えています。
私は、「あーこれもあれもこう言うこともあるんだ・・じゃあどうすればいいかな・・」とページをめくって見たりして、自分で考えて自分の身体を見直して、試すような感じになります。
もしレシピを見てその通りに真似して見たら、良くも悪くもそのレシピのせいになってしまいますが(そこから深めていける人は良いですが)、このような本は、受け取る側はどんどん広がって学んでいくことができるのだと思います。
そしてこのように伝えることができる方は、ご自身も多くのことを受け取ることができるのではないでしょうか。
感覚だけで終わりがちな私ですが、今回の宗師の記事を拝読し、疑問に思うこと、そしてそこから深く入っていける好奇心の大切さを改めて感じ、気付かせていただきました。
そして、それができる質こそが情熱の源なのかしらと感じました。
私に不足しているところです。勉強してまいります。
ありがとうございました。
偶然にもこの夏前に私の所にもやってきました。
本屋さんで、何故か引かれるように手に取ると、ほわっとしたイラストも素敵で、パッと開いた一文を読んだだけで心がじんわりしたのです。
実を言うと体調を整える助けになればと、私の体に良いもののレシピが書いてある本を探していたのですが、どれもピンとこなくてウロウロしていた挙げ句の出会いでした。
イメージして探していたものとは全然異なりましたが、「これだ!」と感じたのです。
開いて1ページ読むだけで、私の場合、精神的に癒される感じです。
著者の川手先生は82歳におなりですが、それまで学んでこられた知識を細かく示したり、押し付けたりするのではなく、こんな症状がありますね・・この食材の特徴と効能は・・などど、決して否定することなく、さらっとじんわり、語るような文章で、その中には様々な広い知識を交えています。
私は、「あーこれもあれもこう言うこともあるんだ・・じゃあどうすればいいかな・・」とページをめくって見たりして、自分で考えて自分の身体を見直して、試すような感じになります。
もしレシピを見てその通りに真似して見たら、良くも悪くもそのレシピのせいになってしまいますが(そこから深めていける人は良いですが)、このような本は、受け取る側はどんどん広がって学んでいくことができるのだと思います。
そしてこのように伝えることができる方は、ご自身も多くのことを受け取ることができるのではないでしょうか。
感覚だけで終わりがちな私ですが、今回の宗師の記事を拝読し、疑問に思うこと、そしてそこから深く入っていける好奇心の大切さを改めて感じ、気付かせていただきました。
そして、それができる質こそが情熱の源なのかしらと感じました。
私に不足しているところです。勉強してまいります。
ありがとうございました。
11. Posted by 阿部玄明 2025年08月20日 22:29
今回、ご紹介頂いた本は伝えるべきことだけを簡潔に述べておられることが特徴です。
一番大事な芯の部分を明確にし、それ以外の枝葉の部分は気にしていません。著者の言葉は料理と対話しているようでもあり楽しんでいることが分かります。確かな経験に基づいた自信が溢れ、聞く側は惹きつけられます。
レシピ本は材料の分量や手順が示されるので、自分がどんな作業をすればよいかがイメージしやすい利点があります。それに沿って真似て作業すれば大きくは間違うことがありません。しかし、それだけをやっていては対象との対話のない一方通行の作業でしかなく、レシピから外れる事を恐れ発展性のないものに成り下がってしまうかもしれません。それを説明されても聞く側は楽しくはないでしょう。
伝統武藝の理解と習得も同じであり、自分が人に伝える時も同じです。
見る者、聞くものを惹きつけ興味をかきたてるありようでなければなりません。自分自身が豊かであることが肝要で、豊かさを求める貪欲さがその根源になると思います。
一番大事な芯の部分を明確にし、それ以外の枝葉の部分は気にしていません。著者の言葉は料理と対話しているようでもあり楽しんでいることが分かります。確かな経験に基づいた自信が溢れ、聞く側は惹きつけられます。
レシピ本は材料の分量や手順が示されるので、自分がどんな作業をすればよいかがイメージしやすい利点があります。それに沿って真似て作業すれば大きくは間違うことがありません。しかし、それだけをやっていては対象との対話のない一方通行の作業でしかなく、レシピから外れる事を恐れ発展性のないものに成り下がってしまうかもしれません。それを説明されても聞く側は楽しくはないでしょう。
伝統武藝の理解と習得も同じであり、自分が人に伝える時も同じです。
見る者、聞くものを惹きつけ興味をかきたてるありようでなければなりません。自分自身が豊かであることが肝要で、豊かさを求める貪欲さがその根源になると思います。
12. Posted by 太郎冠者 2025年08月20日 22:49
紹介していただいた本が気になって調べてみましたが、「辻留 新・料理塾」はもう絶版になっており、手に入れるには中古市場を探すしかないようです。
なんとも残念です。
もう一冊、「薬膳の食卓 365日」は私も手に取ってぱらぱらと見てみました。
確かに宗師の仰る通り、レシピとしては書かれていませんが、ちょっと目を通しただけで非常に気になる事がたくさん書かれているようで、じっくり読んでみようと思いました。
ぱらぱら見ていて私の目に飛び込んできたのは、
「あなたは自分の食医」というタイトルで書かれた中の一文でした。
―自分の体は今まで食べてきたお食事で出来ているといっても過言ではありません。ー
今まさに体を作り替えている最中で、その言葉に実感を持って頷いています。
自分がどこまで変われるか、引き続き取り組んでみようと改めて思いました。
なんとも残念です。
もう一冊、「薬膳の食卓 365日」は私も手に取ってぱらぱらと見てみました。
確かに宗師の仰る通り、レシピとしては書かれていませんが、ちょっと目を通しただけで非常に気になる事がたくさん書かれているようで、じっくり読んでみようと思いました。
ぱらぱら見ていて私の目に飛び込んできたのは、
「あなたは自分の食医」というタイトルで書かれた中の一文でした。
―自分の体は今まで食べてきたお食事で出来ているといっても過言ではありません。ー
今まさに体を作り替えている最中で、その言葉に実感を持って頷いています。
自分がどこまで変われるか、引き続き取り組んでみようと改めて思いました。
13. Posted by ひこな 2025年08月21日 00:51
伝えること、伝え受けること、そこには響き合うものがあり、そのためには、受け取る側の情熱が必要であることが感じられました。
薬膳の素材の特性から、食と身体、精神の繋がりを表したり、その料理の感じ、粋、勢いを描いたり、余白があることで想像力がかき立てられるのだなと思えました。
その想像力は、知りたいと思える探求心、その情熱の量で深みが変わるのだと思えます。し、経験を通して本質を知る人は、余分な特定を避けて余白を残して表現で誘うことに辿り着くのだと感じました。
レシピのように手順が示される、同じく動作の着目点が示されると、そこだけをこなして達成を得たくなります。
けれど、それはその本質の一部を抜き取っただけのものであり、安易な達成基準がみえると、そこで探求を止めてしまう、というのはありがちな罠だと思えました。
その先、言葉では表しきれない余白を埋めるべく、さらに探求を続けるのも情熱の為せる業と感じ、自らに問い掛けしていきたいと思います。
貴重な気づきの機会をくださり、誠に有難う御座います。
薬膳の素材の特性から、食と身体、精神の繋がりを表したり、その料理の感じ、粋、勢いを描いたり、余白があることで想像力がかき立てられるのだなと思えました。
その想像力は、知りたいと思える探求心、その情熱の量で深みが変わるのだと思えます。し、経験を通して本質を知る人は、余分な特定を避けて余白を残して表現で誘うことに辿り着くのだと感じました。
レシピのように手順が示される、同じく動作の着目点が示されると、そこだけをこなして達成を得たくなります。
けれど、それはその本質の一部を抜き取っただけのものであり、安易な達成基準がみえると、そこで探求を止めてしまう、というのはありがちな罠だと思えました。
その先、言葉では表しきれない余白を埋めるべく、さらに探求を続けるのも情熱の為せる業と感じ、自らに問い掛けしていきたいと思います。
貴重な気づきの機会をくださり、誠に有難う御座います。
14. Posted by マガサス 2025年08月21日 19:57
私は、料理をされている時の宗師の姿が好きです。
音を聞き、香りを嗅ぎ、色や艶を見ながら、まるでご自身も料理という音楽の一音であるかのように、音色を合わせて動いていらっしゃいます。
素敵な音楽が聞こえてくるような、そんな心地良さを感じます。
宗師が作ってくださる料理は、美味しいです。
とても満ち足りる感覚があり、幸せになります。
それに比べて私の作るものは、何かが明らかに足りない・・・。
「一生懸命レシピ通りに作っているのになあ・・・、味はまとまってきているような気がするんだけど、足りないな・・・ん?
宗師は、私みたいに必死にレシピを見ていたっけ?」
もちろん宗師もレシピは見ていらっしゃいます。
分量も確認しますし、時間も計っていらっしゃいます。
でも、見方が自分と違うようなのです。取り組み方も。
前回の納得いかなかった点を、今回はそれを改善すべく取り組む。
次はまたより良くするために改善する。
私が言葉にすると堅苦しく聞こえてしまいますが、決して堅苦しいものではなく、むしろチャレンジや変わっていく様子を楽しんでいらっしゃいます。
それが段々と自分のものになっていく。
驚くことに、その中で、その時々に変わる食材の質や、調味料の変化、気温などの周りの条件に左右されることがなくなってくるのです。
そして、「今だ」「これだ」「一番美味しい時だ」という状態を感じ、見極めて食卓に出してくださいます。
私は、なぜ「これだ!」がわかるのか、毎回唸ってしまします。
自分は少なからずレシピの分量、時間といった実際に測れるものに囚われてしまい、「行間に在る、実際に一番肝心なところ」を、まだまだみることができていません。
音を聞き、香りを嗅ぎ、色や艶を見ながら、まるでご自身も料理という音楽の一音であるかのように、音色を合わせて動いていらっしゃいます。
素敵な音楽が聞こえてくるような、そんな心地良さを感じます。
宗師が作ってくださる料理は、美味しいです。
とても満ち足りる感覚があり、幸せになります。
それに比べて私の作るものは、何かが明らかに足りない・・・。
「一生懸命レシピ通りに作っているのになあ・・・、味はまとまってきているような気がするんだけど、足りないな・・・ん?
宗師は、私みたいに必死にレシピを見ていたっけ?」
もちろん宗師もレシピは見ていらっしゃいます。
分量も確認しますし、時間も計っていらっしゃいます。
でも、見方が自分と違うようなのです。取り組み方も。
前回の納得いかなかった点を、今回はそれを改善すべく取り組む。
次はまたより良くするために改善する。
私が言葉にすると堅苦しく聞こえてしまいますが、決して堅苦しいものではなく、むしろチャレンジや変わっていく様子を楽しんでいらっしゃいます。
それが段々と自分のものになっていく。
驚くことに、その中で、その時々に変わる食材の質や、調味料の変化、気温などの周りの条件に左右されることがなくなってくるのです。
そして、「今だ」「これだ」「一番美味しい時だ」という状態を感じ、見極めて食卓に出してくださいます。
私は、なぜ「これだ!」がわかるのか、毎回唸ってしまします。
自分は少なからずレシピの分量、時間といった実際に測れるものに囚われてしまい、「行間に在る、実際に一番肝心なところ」を、まだまだみることができていません。
15. Posted by マガサス 2025年08月21日 19:59
そして、このコメントを書きながら、宗師が、師父と一緒に套路をされているのを初めて見させて頂いた時のことを思い出しました。(最初で最後だったと思います)
とにかく言葉が出ないほど驚き、見入ってしまったのを覚えています。
「目」で師父の動きを追っていなかったです。
でもぴったりと「何か」が合っていました。
雰囲気も、息遣いも、流れる空気も・・・。
まるでお互いが太極拳という音楽を奏でているかのように、共鳴し響き合っていました。
伝えること、受け取ることの本質を見させて頂いたような気がします。
砂糖大さじ2杯、塩小さじ1杯、水250c c・・・を、ただきっちりと守っているだけでは出来ない、受け取ることの出来ないことだと、今ならわかります。
精進したいと思います。
とにかく言葉が出ないほど驚き、見入ってしまったのを覚えています。
「目」で師父の動きを追っていなかったです。
でもぴったりと「何か」が合っていました。
雰囲気も、息遣いも、流れる空気も・・・。
まるでお互いが太極拳という音楽を奏でているかのように、共鳴し響き合っていました。
伝えること、受け取ることの本質を見させて頂いたような気がします。
砂糖大さじ2杯、塩小さじ1杯、水250c c・・・を、ただきっちりと守っているだけでは出来ない、受け取ることの出来ないことだと、今ならわかります。
精進したいと思います。
16. Posted by 清水龍玄 2025年08月21日 23:31
ノウハウや数値化できる分量、その組み合わせでもできることはあると思いますが、様々なことに対応できる様な根本的な理解は、ノウハウや分量から来るのではなく、逆に根本の理解から、その場やその状況に応じた適切な対応がや程度が生じてくると思います。
現在の自分の行なっていることが、あまりに小さくも見えてきますが、きっとそれは自分の向かい方の問題なのだと思えてきます。
現在の自分の行なっていることが、あまりに小さくも見えてきますが、きっとそれは自分の向かい方の問題なのだと思えてきます。
17. Posted by 円山玄花 2025年08月25日 17:14
☆平田玄琢さん
土鍋で炊いたご飯が美味しい・・、太極拳の伝え方とは、まさに師匠が土鍋でご飯を炊いて見せ、食べてみて、自分も炊いてみる。そのものと言えますね。
是非暑いうちに、素麺を試してみてください。
土鍋で炊いたご飯が美味しい・・、太極拳の伝え方とは、まさに師匠が土鍋でご飯を炊いて見せ、食べてみて、自分も炊いてみる。そのものと言えますね。
是非暑いうちに、素麺を試してみてください。
18. Posted by 円山玄花 2025年08月25日 17:24
☆西川敦玄さん
>読者の欲しいことに迎合せず、著者の伝えたいことを記す。
これが正しい伝え方だと思います。
考えてみれば、私たちはすでに親から子へ、子から孫へと大事なことを伝えられてきています。「伝えること」に料理も武術も関係なく、受け取る側が今それを「伝えられている」自覚があるかどうかなのでしょう。
>読者の欲しいことに迎合せず、著者の伝えたいことを記す。
これが正しい伝え方だと思います。
考えてみれば、私たちはすでに親から子へ、子から孫へと大事なことを伝えられてきています。「伝えること」に料理も武術も関係なく、受け取る側が今それを「伝えられている」自覚があるかどうかなのでしょう。
19. Posted by 円山玄花 2025年08月25日 17:28
☆川島玄峰さん
私は、伝承される技術など一つも無い、と言えます。
伝承されるのはたった一つのこと。それだけで幾千もの技術が理解できるからです。
私は、伝承される技術など一つも無い、と言えます。
伝承されるのはたった一つのこと。それだけで幾千もの技術が理解できるからです。
20. Posted by 円山玄花 2025年08月25日 17:35
☆マルコビッチさん
>受け取る側はどんどん広がって学んでいくことができるのだと思います。
その通りですね。伝承とは、解答や技術を教わることではなく、自分を育てられるようになることとも言えるかもしれません。考えて、考えて、頭がおかしくなるほど考えて、考えられなくなって、それでも考えるしかなくて、やがて自分の頭になかったルートが構築されていく。自己育成ルートですね。これが自分勝手だと育成にはならないので、学ぶ必要があるのです。
>受け取る側はどんどん広がって学んでいくことができるのだと思います。
その通りですね。伝承とは、解答や技術を教わることではなく、自分を育てられるようになることとも言えるかもしれません。考えて、考えて、頭がおかしくなるほど考えて、考えられなくなって、それでも考えるしかなくて、やがて自分の頭になかったルートが構築されていく。自己育成ルートですね。これが自分勝手だと育成にはならないので、学ぶ必要があるのです。
21. Posted by 円山玄花 2025年08月25日 17:48
☆阿部玄明さん
そうなんですよね、レシピは行間が無くて。
ちょっと表現が違うかもしれませんが、豊かさは行間にあるような気がするのです。
なぜ、人は感動するのでしょうか。絵画に、音楽に、詩に。はたまた頬を撫でる極楽の余り風にさえ、感慨深くなれる。。
経験は、宝です。
そうなんですよね、レシピは行間が無くて。
ちょっと表現が違うかもしれませんが、豊かさは行間にあるような気がするのです。
なぜ、人は感動するのでしょうか。絵画に、音楽に、詩に。はたまた頬を撫でる極楽の余り風にさえ、感慨深くなれる。。
経験は、宝です。
22. Posted by 円山玄花 2025年08月25日 17:51
☆太郎冠者さん
木を見たら、森も見てくださいね。
そして大地も、空も、そこに流れる空気さえも。
木を見たら、森も見てくださいね。
そして大地も、空も、そこに流れる空気さえも。
23. Posted by 円山玄花 2025年08月25日 18:08
☆ひこなさん
よくご自分のことを観察されていますね。
余白、埋めなくてもよいと思いますが、埋めるべく探求されることには大賛成です。
改めて考えると、芸術は余白で決まる気がします。
師父が常々、芸術に触れるよう仰っていたのも、今はよくわかります。
よくご自分のことを観察されていますね。
余白、埋めなくてもよいと思いますが、埋めるべく探求されることには大賛成です。
改めて考えると、芸術は余白で決まる気がします。
師父が常々、芸術に触れるよう仰っていたのも、今はよくわかります。
24. Posted by 円山玄花 2025年08月25日 18:27
☆マガサスさん
観察されていましたか、文字で書かれると恥ずかしい限りですね。
私は料理より穴掘りの方が得意かもしれませんが・・、料理する時には明確にイメージがあることが多いですね。味や香り、食感の。一番は、「こんなご飯が食べたい!」という大きな欲求でしょうか。
疲れた夜に、ホッとできるお澄ましが飲みたい。
そこに合わせた艶々ふっくらの、お桜ごはん。
ちょうど脂と香りが出てきた焼き加減の、魚の西京漬。
全ての余韻を消すことなく口をさっぱりと仕上げる香の物。
・・そんなふうに、口の中を涎でいっぱいにしながら料理しています(笑)
そうすると、食材が教えてくれるんですよね。「イマダヨ」と。
まあ、失敗もままありますが、楽しいです。
太極拳も、同じですね。
観察されていましたか、文字で書かれると恥ずかしい限りですね。
私は料理より穴掘りの方が得意かもしれませんが・・、料理する時には明確にイメージがあることが多いですね。味や香り、食感の。一番は、「こんなご飯が食べたい!」という大きな欲求でしょうか。
疲れた夜に、ホッとできるお澄ましが飲みたい。
そこに合わせた艶々ふっくらの、お桜ごはん。
ちょうど脂と香りが出てきた焼き加減の、魚の西京漬。
全ての余韻を消すことなく口をさっぱりと仕上げる香の物。
・・そんなふうに、口の中を涎でいっぱいにしながら料理しています(笑)
そうすると、食材が教えてくれるんですよね。「イマダヨ」と。
まあ、失敗もままありますが、楽しいです。
太極拳も、同じですね。
25. Posted by 円山玄花 2025年08月25日 18:41
☆清水龍玄さん
コメントを返すようになってしまいますが、様々なことに対応できる根本的な理解は、ノウハウや分量から始まります。
レシピが不要なのではなく、レシピが料理だと思っていると料理ができないのです。ノウハウや分量を守らずに根本的な理解はあり得ません。だからこそ稽古では構えた時のつま先の向きから目線まで、厳しく指導されるのです。
コメントを返すようになってしまいますが、様々なことに対応できる根本的な理解は、ノウハウや分量から始まります。
レシピが不要なのではなく、レシピが料理だと思っていると料理ができないのです。ノウハウや分量を守らずに根本的な理解はあり得ません。だからこそ稽古では構えた時のつま先の向きから目線まで、厳しく指導されるのです。
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