2025年08月01日

門人随想「基本の偉大さ」

                     by 拝師正式門人 平田 玄琢


息子が、仕事に必要だからと龍笛を習い始めました。近くの雅楽会に数回習いに行ったようです。先日、その雅楽会に約10年ぶりにお邪魔しました。会所有の楽器の分解修理が必要かどうかを確認することと、息子がお世話になっているため挨拶を兼ねてカミさんと行ったのでした。数本の笙を確認した後、折角来たのだからと一緒に合奏に参加しました。

その合奏は演奏会形式で行われました。その会を舐めてかかって講師のつもりで来ていた私は、合奏について行くのが精一杯でした。所々失敗しそうになりつつ、やっとの思いで主導権を得て「まあこのように演奏した方がより良いですね。」と余裕のあるフリをしました。
そこには全く精進していない自分がありました。

その雅楽会は、毎週一回30年間基本だけを続けていたのでした。平安時代から続いている基本だけを。
その基本というのは、二十数年間でたった一回だけ詳しく師匠から教わったものでした。自分はそれを大切にしていて、演奏会前の自己練習で何度も何度も繰り返した宝物でした。

自分が雅楽を教える立場になると、教えに行っている神社から、「昔ながらの基本だけを正式に教えると面白くなくなってやめてまうから、カルチャーのようにサラッとやってほしい。」と言われ、そのようにやっていましたが、十数年経ってもほとんど上達しないのです。
太極武藝館でよく行なっているように、他の人に合奏の演奏を聴いて指摘することを行いました。すると、基本に忠実でないごまかした演奏も多く見られました。
自分は詳しく分かりやすく教えているつもりでしたが、基本ができていないため理解できなかったようです。

その会の笙奏者の中には70歳くらいに見えた方がいて、基本しか教わってないので数曲しかできないと言っていましたが、腕前は私と変わらない程でした。後で聞いて驚いたのですが、その方は80を過ぎていて、遠くから来ているために教わる時間が短いということです。
やはり昔ながらの基本は侮れないと思い、練習方法を変えることにしました。
ただ基本に忠実です。
                          (了)





disciples at 11:00コメント(24)門人随想  

コメント一覧

1. Posted by ハイネケン   2025年08月02日 07:02
基本があるのは先人たち試行錯誤のおかげです。今も私が気がつかないだけで試行錯誤は繰り返されているのでしょう。
ふと思ったのですが太極拳に限らず基本はシンプルな事が多いですね。それはシンプルな事を組み合わせ複雑にする為なのでしょうか?
それともシンプルな事の積み重ね、組み合わせこそが本質だからでしょうか?
思考実験になってしまいますが基本に取り組む先に何があるのか?取り組んだ者にしか分からない世界。あゝ、私には基本に取り組んだ先の景色がまだ見えません。
そう言えば私はシンプルであり軽やかで美しいブルグミュラーのピアノ曲が好きです。彼の曲は練習用曲として有名ですが子どもが練習で弾いてもプロが本気で弾いても良い曲です。
(ヨハン・フリードリヒ・フランツ・ブルクミュラー)
玄琢 様、ありがとうございました。
2. Posted by ひこな   2025年08月02日 21:10
平田 玄琢様

基本に対するとても象徴的なお話ですね。

紙を幾重にも折り畳むとき、はじめの一折で生じたズレは、その後に広がるばかりで補正できないと聞いたことがあります。

それほど、最初の一折としての基本は、正に基(もと)、本(もと)を成すものとして重要かつ外せない、外してはいけないものと感じられます。

特に、その基本が、ただ抽象的な一吹きに向けた構えである、とか、拳を打つこと、だとかではなく、その矩、範が定められ、意守すべきことがあり、それを伝えていただけるのは本当に宝物足ることだと思います。

勿論、言葉で表された注意だけでなく、そこからどれだけを受け取れるか、体現された形の中から掘り出すことができるか、わかったつもりにならずに精度を上げて探求できるかは自分次第でもあります。

稽古としては基本をやり続けることは大事で、その質によって応用の表現される質も反比例、乗じて変わっていく。そういうものだとして基本に忠実に、されどやることだけに満足せずに取り組みたいと思いました。

貴重な日常の中の出来事の共有、ありがとうございました。
3. Posted by マルコビッチ   2025年08月04日 15:43
平安時代から続いている基本・・とは凄いですね!
どこかで捻じ曲げられたり、省略されたりすることなく、伝えられ続けていることは凄いことだと思います。
基本がいかに大事であるか、基本が全てなのだということがよくわかるお話でした。

太極武藝館の稽古でも、基本が全てであり、最も大事なこととして取り組んでいますが、その基本が難しいです。
例えば站椿でも、ただ立っているだけでは足がブルブルして足の裏もジンジンしてくると思います。
そこには要訣があり、要訣で整えていきますね。
その整えている間に、ああだこうだと考えていないか、要訣をただ唱えていないか、皆さん経験があるのではないかと思います。
玄琢さんが最後に書いてくださった『ただ基本に忠実です。』という言葉の中には、やはりそこに自分勝手な考えを入れないことに尽きるのだと感じました。
ただ要訣のままに立ってみる、基本功をする、套路、対練・・そしてまた立ってみる・・
言われていることをそのまま受け取って稽古に取り組もうと思います。
4. Posted by 松久宗玄   2025年08月04日 21:45
基本について、我が身に置き換えて考えてみて、「ハッ」とさせられる示唆を覚えました。
基本は基礎を形作る為、歴史の中で無駄を削ぎ落とされてきた形式であり、
太極拳における基本と基礎とは何かについて、改めて考える機会となりました。

太極拳の基礎とは、それこそ基礎の上に大伽藍を構築しても支えられる、
「架式」に他ならないでしょうか。

基本を行う際に、その在るべき基礎構造たる設計図と、その意図を理解して、
取り組みを進められるかどうかは、上達の鍵になると改めて思った次第です。

設計図は示されているのですが、意味や意図は自らで工夫精進して掘り下げる必要があり、
その探究を続ける姿勢が、最終的には大きな差に繋がる事を肝に銘じなければと自戒しました。
ありがとうございました。
5. Posted by 阿部玄明   2025年08月05日 01:05
人目があるとそれを意識してしまい、本来の実力を発揮できなくなるものです。それにも関わらず急な演奏会を乗り切れたのは玄琢さんの基礎練習が身についていたからですね。
一度身に付いたものでも長い期間離れていると感覚が薄れていくのは怖さを覚えます。昔はあれだけ練習したんだからとできる記憶だけが残り、使わない脳と身体は錆び付いていることに気付かないですから。一旦錆びてしまうと元通りに戻そうとするには大変な労力が要ります。いつまでも元気でおられる御高齢の方はそれぞれ何かを続けている事が多いようですし継続していく事自体が自分自身をメンテナンスしていることと同じなのでしょう。

練習を流す人は長期間続けても身に付かないということも面白いです。ある程度はできるようになるが高みには届かない。次元の高いことを学ぶためには継続と高い密度の組み合わせが重要ということを改めて認識しました。



6. Posted by 川島玄峰   2025年08月05日 21:47
何事も基本が大事と言われますが、武藝館に入門してから基本の偉大さをさらに痛感するようになりました。
「基本的な事だから」、「基本中の基本でしょ」とか基本を簡単(?)に言われる場面も見られますが、私自身もかつて基本を軽く認識していました。
太極拳を通じて基本を理解し体現できないと次の動きが分からなくなりますし、分からないことさえ分からなくなります。太極拳を学ぶ中でその基本の重要性に気づける事ができたのは、大変嬉しく思っています。
基本は分からなくなったときに立ち戻れる場所です。
立ち戻れる場所があるのは感謝しかありません。
今後もこの基本がある限り道に迷う事はないと思っています。

ありがとうございます。
7. Posted by 西川敦玄   2025年08月05日 22:06
玄琢さん基本についての投稿ありがとうございます。
あらためて、基本とはなんだろうと思います。太極拳でいえば、その名のとおり基本功というものがあります。では歩法は?套路は?対練は?など思いをはせてみれば、それも、基本かとも思い。はて基本とはということに突き当たります。
思えば、現在練功している殆どのことは基本のような・・・・。
おそらく、基本の理解が、体系への理解となり、その理解が運用にあったっての基盤となるのだと思います。その意味で、基本を自分の好きなように運用するのでなく、反対に基本を理解する事で、基本を自分のものとしていくことが必要になるのだと、思っています。そのために、私たちは道場に行き稽古に励むのだと思います。
これからも、基本に向き合い、基本の声を聞き、自分のものとしていきたいとあらためて思うことが出来ました。ありがとうございました。
8. Posted by ユキ   2025年08月06日 13:43
>・・と余裕のあるフリをしました。

平田さんの、この一言を言える(書ける)精神性が素晴らしいなと、いつも思います。
自分の状態を隠すことなく、飾ることなく表すことのできる状態は、人を真っ直ぐに回り道や寄り道なく成長させると聞きました。だからと言って自虐的でもない。そういうところを生きている人は、「基本が何か」を頭で考えずとも体感的に理解できるのだと思います。見習いたいものです。

週に一回、30年。
最近は宗師と道場での稽古時間について話をすることがありますが、今回の記事を読むと、教わることと自分のものにすることのバランスも大事であると感じました。
なぜ、少なからず道場で稽古して終わってしまうのか。或いは個人の稽古は自分の思い込みで好きなものだけ取り組んだり・・。
稽古とは何か。基本とは何か。太極拳人口のうち、そのことについてきちんと頭を使って考えられる人がどのくらいいるのでしょうか。精進したいと思います。
 
9. Posted by マガサス   2025年08月06日 21:45
教わる時間が短いのにも関わらず、80歳を超えた生徒さんが、玄琢さんと同じくらいの腕前とは・・・基本の重要性を再認識しました。
コツコツと基本を身につけていく事、それ無しには応用や発展をさせていく事ができないのですね。
地味だと思える基本が、実は一番の宝物。
深く掘り下げる事ができて、高く頂きを目指す事ができて、広く広がる事ができる。
きちんと基本に立ち返りたいと思います。
稽古では、本来なら一般門人は教わる事ができないのではないかと思うような、大切な基本を教えて頂いています。
それらを歪めることなく受け取り、きちんと自分の身につけていく事が、今の自分の課題です。
「一歩」の重さを感じるこの頃です。
貴重な記事をありがとうございました。
10. Posted by 川山継玄   2025年08月06日 21:52
玄琢さんの誠実さとがにじみ溢れる記事に、心が正され、背筋がすっと伸びました。
大切な学びをありがとうございます。

「基本」とはシンプルかつ誰もが無駄なく無理なく、一番美しくそのことをすることが出来る規矩になるもの。そしてそれを守ることによって、そのことが指し示すものが少しずつ見えてくるような、奥行きと深みを育んでいくものと感じています。
日常では、誰もが出来る事でありながら、誰しもが基本を守って身に着くまでやってみるわけではないのが実状です。その基本を教えてもらった先から自分のやりやすいように変換されてしまっている事が、私も含め、実に多いと感じます。
それが、稽古にも反映されてしまいます。

「初めてそれを観るように」
と言われて、基本もすっかり無い状態で真似ている時期がありました。
基本に身を委ねて整えたうえで、師の動きを初めて観るものとして合わせると、自分が基本と思っていたものとのズレが観えて、感動と驚きが生まれ、基本に忠実に、合わせ続けていけると感じています。
11. Posted by 太郎冠者   2025年08月06日 21:55
太極武藝館で教えて頂いていることも、いつも常に同じ大切なものが示されているように感じられ、それをこそ本当に取り組んでいかないと、体系の全体が本質的には分からないように作られているのではと思います。

長い年月を経ても受け継がれてきた基本に忠実にその芸事を極めた時の奥深さというものは、とてつもないものがあるのでしょう。
ひとつの芸事を極めた人というのは、人間としても深みのある人物というように感じますが、それは長年継承されてきた芸術の深みがそうさせているのでしょうか。

うわべだけを取り繕って他者の目はごまかせても、他ならない自分の心の目は偽れないのかもしれません。
私も、伝承されている基本の深みを味わえるような稽古にもっと取り組みたいと思いました。
ありがとうございました。
12. Posted by 平田玄琢   2025年08月06日 23:10
⭐︎ハイネケン様
雅楽の基本もシンプルなものです。
まず、楽譜が暗号になっています。龍笛と篳篥はカタカナで、笙と琴と琵琶は漢字で書いてあります。暗号を解くには唱歌(しょうが)を師と共に歌い覚えます。次に指づかいと息づかいを覚えて合奏をします。指揮者のいない雅楽は、基本の精度が高いほど相手のことを感じ、間合いを変えることによって他の楽器を思うがままに操れるようになります。

自分の周りには、ピアノの講師を育てた音楽学院の元講師とか、娘さんがピアノをウイーンの音楽大学で学び、来年大学院に進学といった方がおりますが、私は全くピアノに興味がありませんでした。
ブルクミュラーのピアノ曲を聴いてみました。雅楽は純正律ですが、平均律の良さが引き出された心地よい曲ですね。
13. Posted by 清水龍玄   2025年08月06日 23:33
土台がしっかりしていないと上には何も建たないし、省みることができなければ、方向性が失われたり、基本とは、その常に自身に帰ってくる大元のような気がします。
武術や芸事に限らず、基本ができるできないではなく、基本が有るか無いかで、ちょっと条件が変わるだけで、全く対処できなくなったりする気がします。
お恥ずかしながら、この歳で、毎日痛感します。
14. Posted by 平田玄琢   2025年08月08日 07:39
⭐︎ひこな様

太極武藝館に入門当初、基本となるものが全くできてないのに、なぜ初心者も対練をするのだろうという疑問がありました。しかし、対練の不出来は基本の精度を上げる事と分かり、何度も基本に立ち帰るものと認識しました。
基本の最初の柔功圧腿で大汗をかき、諸先輩方の足手纏いと思った私は、柔功圧腿だけでもできるようになりたいと思い、毎日一回は稽古をしました。時間がある時は朝昼晩と行いました。しかし、それだけではできず、もっと最初に戻る必要がありました。
道場では、柔功圧腿や歩法で何百回指摘されたことでしょう。同じことを何回も指摘されることのないように試行錯誤して、自分勝手な事をしたために膝が痛くて歩けない時もありました。

最近になって稽古中に、柔功圧腿についても、これはこういうことかと気づくことも多くなりました。
15. Posted by 平田玄琢   2025年08月08日 07:41
⭐︎マルコビッチ様

日本に昔からあった楽器は、和琴と神楽笛です。和琴の起源は神話の時代に遡ります。天照大神が天岩戸に入ってしまい世の中が暗くなり、岩戸から出てくれるよう天鈿女命(あめのうずめのみこと)が神楽舞を披露します。その時に梓弓を6本並べて掻き鳴らしたことが和琴の起源だそうです。

マルコポーロの東方見聞録で日本は、黄金の国ジバングと紹介されますが、地の果ての国ともいわれました。大陸から地の果ての国に集まった音楽と舞を整理するために、国は雅楽寮(うたまいのつかさ)を数百人で組織します。日本人の感性にあった音楽と舞、そして楽器の選定と改良が、平安時代の中の100年で行われました。その時に曲を習得するためにできた基本が今でも続いています。

伝統藝は、自分が今まで培ってきたものを応用すると回り道となり、基本に忠実に示されたままが習得の近道でしょうね。
16. Posted by 平田玄琢   2025年08月08日 07:42
⭐︎松久宗玄さん

設計図や意味意図を理解しようとしている宗玄さんにはいつも感心します。対練ではその理解の共有をありがとうございます。私は、何事も身体で理解するまでは分からないようで、勘違いが多くあります。

宗玄さんからの的確な指摘は、基本の動きを思い出させてくれます。私は、なんかこういった意識という朧げなものが多く、それが明確なものになるとよいなと思っています。宗師が仰るように、不足分は意識を図に表した消去法ですね。
17. Posted by 平田玄琢   2025年08月08日 07:43
⭐︎阿部玄明さん

最近気付いたいまさらと思えることですが、稽古の最初に行っている柔功圧腿時に動きだけを合わせていたことです。せっかく宗師と対峙して合わせているのだから、他のことも合わせた方が良いということです。気がつ付くと今までもったいないことをしていたと思いました。

そして、歩法や基本功でもそれに気付きました。どうやら長い間練習を流して行なっていたようです。密度の濃い稽古を目指し精進したいと思います。
18. Posted by 平田玄琢   2025年08月08日 16:29
⭐︎川島玄峰さん

立ち戻れる場所が基本。もっと戻っていくと站椿になりますが、その元は、なぜ太極拳をやりたいのかとなり、健康、憧れ、熱意、目標だったりすると思います。

先日、神道のご葬儀で、喪主の玉串拝礼で滅多に見ることのないしっかりとした拝礼を見ました。仕事が関係しているのかと思い、なんの仕事か聞いたところ、仕事は関係ありませんでした。弓道を30年やっていたため、踵に依存しない立ち方で、拝礼作法もお尻を後ろに突き出さない綺麗なお辞儀でした。

弓を射る時に、会心のできの場合とそうでない場合があるが、ひたすら教わった基本の型をしているとのことでした。

私たちは迷った時、何種類も立ち戻れる基本があると感じます。
19. Posted by 平田玄琢   2025年08月08日 16:30
⭐︎西川敦玄さん

太極拳の真髄は歩法にあって、その歩法は太極歩のみと聞いたことがあります。自分の太極歩が太極歩として精度を高められるものなのか?いったい本当に合っているのか?

これらを確かめるために、他の様々な歩法が用意されているのではないかと思います。例えば、擦歩の後は太極歩がやりやすくなって、片足にしっかりと軽く立っている感覚が増すのではないかと思います。

そのように基本が精度を高められる基本となっているか?を確かめられるものが多く用意され、まるで至れり尽せりの状態となっています。あとは自分で分かるまで繰り返すのみではないかと思います。
20. Posted by 平田玄琢   2025年08月08日 16:32
⭐︎ユキさん

私は以前二つの勉強会に参加していました。雅楽は師匠が宮内庁勤務のため月一回で25年間。日本とは何かという勉強会に月ニ回で28年間(会場は浜松のジャズ喫茶店)

雅楽は月に一回2時間師匠について稽古して、あとは自主練習をします。個人で練習したり、教わっている生徒が集まって自主練習をします。合奏をしたり疑問点や細かいところの確認、お互い分かったことの共有等話し合いました。
東京では、多い時には週に五回も師匠に直接稽古を受けているのに、私たちは月一回のみでした。
しかし、なぜか恵まれているはずの東京の稽古会の人達の一部は、肝心なところが分かっていなかったり勘違いが多く見られました。そのため、大きな式典があると私が依頼される場合もありました。
もちろん、週に五回も稽古をしている方のほとんどが上級者で、コンサートやCDを出したりしていました。

何が幸いとなるかわかりませんが、惜しげもない理解の共有は必要と感じます。
21. Posted by 平田玄琢   2025年08月08日 17:07
⭐︎マガサスさん

最近、套路や歩法について宗師から指摘があります。それは、片足で立つことと、弓歩をきっちりとることです。
片足で立つということは、
片足に乗り上げて立つのか?
踏んで立つのか?
軸足以外の足を上げるのか?
間違いは間違いで指摘がありました。
弓歩は、最後までキッチリとっていないと、宗師の目には写ったのでしょう。架式だけの套路も行うようにとのことでした。

今行えば上達することを的確に伝えて下さっていると思います。基本の動きですね。
22. Posted by 平田玄琢   2025年08月09日 22:16
⭐︎川山継玄さん

初めてそれを観るように。自分を挟まずに。そのまま真似をする。これらの言葉はよく言われます。そのままできる時もあれば、全くできないときもあり、おかしいなと思っていました。

基本に身を委ねて整えた上で師と合わせると、自分が基本と思っていたものとのズレがみえてくるのですね。まるで、楽器の音のズレでなく、音の高さはは合っているけど音色がズレているような感じです。

雅楽器の本当の音色は、風切り音のようなノイズでも無く、エコーがきいているように吹くのでも無いようです。
音の高さと拍子の基本をひたすらに追求した結果現れるものだといわれています。
23. Posted by 平田玄琢   2025年08月10日 17:09
⭐︎太郎冠者さん

芸事を極めている人はなぜか若々しいと感じます。雅楽や舞楽、邦楽、能、狂言、歌舞伎、詩吟。日本のもの以外でもたくさんあります。私の知っている方々は、皆、若くはつらつとしています。
世に生涯現役というスローガンがありますが、現役の方は頭も身体もフルに使っているようです。

空中で雅な舞を舞っているようなしなやかな動きの宗師を、まるで天女と表現した門人がいます。基となっている動きは、みなさんがよく知っている基本の動きだということです。
私のような前期高齢者に朗報です。
「基本極めればいつまでも若し。」
24. Posted by 平田玄琢   2025年08月10日 17:11
☆清水龍玄さん

私は若い頃、親戚の鉄工場で働いていました。その時の工場長が仕事の基本を教えてくれました。
工場はいつも綺麗に整理整頓。
仕事は段取りで決まるのでしっかりとした段取りをする。

工場が乱雑に散らかっている会社のほとんどが廃業しました。
段取りができない工場は仕事が遅く滞りました。順番を間違えて完成しない製品もありました。

何かを成し遂げるところは、まず同じような条件が必要と感じます。

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