2025年04月15日

「徒然日記」

                     by ハイネケン (札幌支部)


第十五話
「継ぎゆくもの」
太極武藝館創立30周年の記念式典の会場。先輩方が居られ厳かな神事と祝宴が催された。ある先輩に膨大な太極武藝館グッズをお持ち頂き、歴代の稽古着、マグカップ、CD楽曲集(!)、会報誌などがあり、遊び心と学びの歴史。そして「私はグッズ集めが止まらないんです」とおっしゃる先輩は惜しげもなく資料の数々を公開して下さった。中には圧腿の遍歴が分かる資料もあり試行錯誤を続ける武藝館の歴史を感じた。別の先輩はグッズを見ながら「色々ありますね。私は機会がなくてほとんどグッズを持っていないんです」、そしてポソリと「私は心を学んだのですよ」と仰りながら懐かしいグッズを手に取って笑顔で話された。御夫婦で稽古されている先輩は「何十年稽古をしても興味が尽きないんですよ。不思議です。」と語らうその表情は清々しかった。最近活気のある先輩は「太極拳を意識すると生活が変化するんです。思い通りになるのではないのですけど道が自然に開けて行くんです。」。
正式弟子でもある神主様は通称「大笙(だいしょう)」を初披露された。楽器自体珍らしく笙に比べ中低音が心地よく会場に響き渡った。縁あって最近始めたと言う大笙。独特のリズムや抑揚は「天の音色」の如く、まさにチャレンジの賜物だ。
個々各々、興味の尽きない有り様。太極武藝館の面白さは「どこから興味が始まっていても同じ」だと感じる。グッズの一つ一つに隅々まで作り手の行き届いた息吹がある。一度興味を持って接するとその情熱は燃え続けそれぞれの人生を稽古と共に歩んでいく。不思議に見えている技藝と技藝を学ぶ為に必要な「自分に必要な事」を求める心に火が灯る。 火を灯し続けて来た歴代の宗師達はこの晴れやかな記念式典をどうご覧になったのだろう。


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disciples at 17:38コメント(23)門人随想  

コメント一覧

1. Posted by マルコビッチ   2025年04月17日 20:08
30周年記念式典では、それまでの太極武藝館の歴史を顧みて懐かしみ、神事では30年経った今を感じ、宗師がご披露くださった套路に驚き、感動と共にこれからの道に熱い思いが沸き立ちました。
そこに居られた門人全員が同じ思いでひとつになったように感じました。
>「自分に必要な事」を求める心に火が灯る・・・とてもいい言葉ですね。
それぞれ入り口は違っても、意識は同じ方向を向いていて、同じ思いでひとつになれる。
不思議でそしてすごいことだと思います。
2. Posted by 阿部玄明   2025年04月19日 09:44
これまでに太極武藝館では色々な作品が制作されてきました。
カレンダー、キーホルダー、道着に至るまでジャンルにとらわれず様々です。
見るものの目を引き付け、ずっと傍に置いておきたくなる魅力があるのはもちろんですが、
思わずクスっと笑いがこぼれるような工夫が凝らされていることが多いです。
作品を制作される方々は真剣さをもって臨み、そして同時に遊び心が共存しているのです。
その向き合い方は時代を経ても変わっていないことに驚かされます。
記念式典の合間で門人の皆さんが展示品をご覧になっているときは
例外なく感嘆の言葉と共に微笑みが浮かんでいましたので間違いないと思います。

師父と宗師のあり方を形として具現化された記念グッズから
自分に足りないことが見えてきます。
心を学ばなければ真に内容が理解できないように思います。
3. Posted by 西川敦玄   2025年04月19日 10:42
30周年記念式典では、神事に始まり、祝宴では宗師の套路を拝見することができました。同時に、開門以来の懐かしいグッズや稽古着などを見ることができ、スタイルの変遷とともに変わらない遊び心などを改めて思い返すことが出来ました。
まさに、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらずといった趣でしょうか?
太極武藝館の道場という河では、古き門人も、新しい門人も等しく同じ河の流れの中にあると思います。ときに泡立ち、激しく渦巻き、しずかに水は流れますが、河はここにあります。一門で集まり、来し方をみるとそのような感慨に浸ることがあります。
そう、灯を絶やさぬように一緒に稽古していきたいと思いました。
4. Posted by ハイネケン   2025年04月19日 11:53
マルコビッチ 様
「自分に必要な事」は私の感想なのですがマルコビッチ様と共有できる事に嬉しく思います。ありがとうございます。感じる事に言葉が追いつかない面白さがありますよね。「意識は同じ方向を向いていて、」・・・本当に不思議です。各自で理解の深度も方向も異なるであろうに何故に皆が套路で感動するのでしょう?
共に探して行きましょう。
5. Posted by ハイネケン   2025年04月19日 11:57
阿部 玄明 様
本当会場がザワザワとして賑やかさと活気がありました(笑)。「真剣さ」と「遊び心」。日常であれば共存しづらい要素です。玄明様の返信を読み、2つが別物であれば「競合・共存」ですが、磁石のN極/S極に置き換えるとどちらも「磁石」。どちらか片方だけでは成立せず一対で成立する一つの磁石。では我々の「磁石」とN極/S極は何でしょう?
考えが巡ってしまうのでしばらく磁石で遊んでみます。何か面白い視点になりました。ありがとうございました。
6. Posted by ハイネケン   2025年04月19日 12:49
西川 敦玄 様
>「古き門人も、新しい門人も等しく同じ河の流れの中にある」
この感覚がとっても魅力的であり不思議です。少し話が離れてしまうかもしれませんが、稽古(練習)に於いて「上手から下手への教授」が「ほぼ全て」なのが一般的です。ところが武藝館では「上手」の方々も学びを得る(らしい)。もっと厳密に言うと「一方的な教授の関係性」ではない様に感じます。全ては自分の稽古となり還元されて行く。例えが悪いかもしれませんが車の排ガスを活かす「ターボ」の様な循環性があります。対練などでの「学び」がお互い糧になり加速し合う、、、ちょっと思いつかない発想です。
太極武藝館では「練習」ではなく「稽古」です。これは「言葉」「単語」ではなく、この学習システムの在り方なのかもしれません。
7. Posted by 松久宗玄   2025年04月19日 13:00
太極武藝館の稽古や式典に関わると、
普段の自分自身の生活よりも、注意深く、繊細に物事に関わろうとしています。

一挙手一投足への注意が求められる稽古内容なので、当然ではあるのかもしれませんが、
伝統として受け継がれてきた「何か」を求めるが故の、必要としての関わりも大きいと感じます。

そこに向かう一貫した在り方の軸について、最近では特に「律」という概念の重要性を感じています。
他から強制される(と感じられる)律は、うるさくて面倒に感じられるものですが、
自らの必要として自らに課す律、自律は、功夫の発展に不可欠という実感が強まっています。

太極武藝館という場に流れる「律」は、各人に必要な「自律」に向かわせる力があり、
その尊さこそが受け継がれてきた本質であるようにも感じます。
道場とはありがたいものだと感謝するばかりです。
8. Posted by 川島玄峰   2025年04月19日 15:25
記念式典は緊張感を伴いながら落ち着いた雰囲気が漂い、そして神事が執り行われると神々しいオーラに満ち溢れ日常とはかけ離れた感覚を持ちました。

久しぶりに本部道場に訪れた際には、変わらぬ温かい本部の門人の皆様とお会いでき改めて門人の一人としての実感を噛み締めました。これからも太極拳の習得へ素直に稽古に臨めると思い、更なるエネルギーが内から湧いてきました。
そのエネルギーの源は今まで私も心を学んできたからなのかもしれません。

ハイネケンさん、いつもありがとうございます。
9. Posted by 平田玄琢   2025年04月20日 00:46
笙という楽器で和音を演奏する時、両手は印(いん)という手の形を結んでいます。押さえる穴がそのようになっているため印の手形となります。
また、雅楽の琴(楽筝 がくそう)を構える時、爪を付けて弾く右手を鶏足(けいそく)という鳥の足に似た印を結びます。
雅楽器を構える時、楽に呼吸が出来るように、また、楽器を落とさないように、脇を開け順体となります。横笛を吹く時などは、まるで刀を抜くように構えます。
さすが仏教音楽として日本に入ってきて、日本と同化した楽器だなと思います。

雅楽には舞を伴うものがあり、舞楽(ぶがく)といい、武人が戦場で作舞のため、大陸の武術の形が元となっているものもあります。直立から片足を一歩横に運ぶとき、まるで太極拳の套路の最初のように見えます。

神主の修行中、正座の仕方を習いました。座っている自分の中心を地球の核の中心に合わせるようにすれば、痛みは和らぐとのことでしたが、足が余計に痛くなりました。今は、たぶん、上から吊られる意識がなかったせいだったのだろうと思います。

そのようにして太極拳の稽古の意識は、雅楽にも影響が出ています。また、神事祭式の作法にも、内容が失伝し形だけとなった作法の意味が徐々に解ってきました。
伝統文化を継ぐには源流を辿る必要があるのかもしれません。
10. Posted by ユキ   2025年04月20日 00:51
あれから半年たらず、改めて、門人が一堂に会し太極武藝館の歴史を振り返り、自身の現在を見つめ、或いは問い直し、道のその先の道標を灯火としてみられたような、素晴らしい式典と祝賀会でした。

「遊び心と学びの歴史」・・そういえば、何かが自分の中に受け入れられる時、つまり学べるときには、遊びや実験の感覚であることが殆どですね。土遊び、機械遊び、火遊び(!)、、と思いつくままに挙げていくと、五行(木火土金水)すべてに当てはまることに気がつきました。
稽古でも、言われたことを黙々とこなしている時よりも、そのことに対して遊べる感覚と言いますか、そのような精神状態で取り組んでいる時にこそ発見と理解が起こります。
真面目であること、アタマが固いこと。この2点を我々は再三指摘されてきました。もっと柔軟に、もっと広い視野を持って取り組むこと。そこには終わりも完成もなく、ただ磨き続け、変容し続ける魂が在るのだと思いました。
 
11. Posted by 清水龍玄   2025年04月20日 18:55
長く続いてきた伝承は、工夫と変化の連続で、そこに触れた人も同様に変化が生じる様に思います。
その積み重ねが未来の発展へとなっていくと思っています。
太極武藝館創立30周年の記念式典は、とても素晴らしいものでした。
そしてそれは新たな10年の始まりであり、次の10年も、きっと素晴らしいものになると確信できるものでした。
12. Posted by 太郎冠者   2025年04月20日 23:14
きっかけは様々でも、ひとつの志を持って多くの人が集まる道場という場は、不思議な力があるように感じます。
30周年という記念すべき時にそこに集まった人々は本当に縁のある人たちで、そこで勉強させてもらえる事が数限りなくあります。

先人が残してきた武術…宗師に示して頂いている太極拳は、ひとつのもので在りながら完成されて完結しているものではなく、その時代時代の人々が創意工夫をしてさらに発展させてきているものだと思います。
ただ大事にするだけでなく、興味を持って取り組み改良・改善されていく太極拳。
我々もその歴史に一員として加われるよう、精一杯の努力を続けていきたいですね。
13. Posted by マガサス   2025年04月21日 12:15
創立30周年記念式典・祝賀会を門人の皆さんと共に迎えることが出来きたことを、本当に有り難く思います。
改めて、共に学ばせて頂けることに感謝し、この学びの場が何物にも変え難い宝物である事を実感しました。
師父もそうでしたが、宗師は常に私には想像もつかないような発想を持って、色々なことにチャレンジをされています。
そのパワーには、毎回、自分の天地がひっくり返ってしまうほど驚かされます。
宗師のエネルギーや経験から得られた変化を通して、我々はいろんな観点から太極拳や人生を見直す機会を頂いています。
我々が歩んでいる道の先に火を灯してくださる師達の努力のお陰で、太極武藝館が歴史を重ね、深みと高みを増し進化し続けているように、自分自身も時間を重ね経験を重ね、人間としての厚みを増していけるよう歩き続けていきたいものです。
大いに真面目に!大いに遊び心を持って!

ハイネケンさん、いつも心のこもった記事をありがとうございます。
14. Posted by ハイネケン   2025年04月21日 22:55
松久 宗玄 様
稽古に臨む際「意識の状態」に切り替えが生じます。テレビCMでさえ「稽古に臨む」意識で見ると変化し自分の意識がどれ程、弛んでいるかが分かります(泣)。
「律」という発想、良いですね。言葉遊びですが「自律」を「自ら律する」とするか「自ずと律される」とするかでも大きく異なります。「自ず(自然)と律される」のもありかもしれません。(私が楽がしたいだけ?)
是非、宗玄様の「自律」を巡る旅の後報を楽しみにしています。
15. Posted by ハイネケン   2025年04月21日 22:58
川島 玄峰 様
本部稽古は行く前にはワクワクし、直前には「稽古不足だ」と緊張し、本部の皆さんとお会いすると「ホッと」します。そして稽古では技も在り方も「感動のジェットコースター」です。そして「なんてダイナミックなんだ!」と感じています。 私達が学んでいる事の「大きさ、広さそして純粋さ」に驚かされます。ダラけていても学べず、過度の緊張も学習を妨げます。
今週も宜しくお願い致します。
16. Posted by ハイネケン   2025年04月21日 23:03
平田 玄琢 様
雅楽に仏教が入る前の音楽はどうであったか?想像や空想でしかないのですが、当時の人々が既存の音楽と融合してゆく様は嬉々とした研究であり実験の繰り返しであったと思います。人間ですから嫌々とした創作もあったかもしれませんが試行錯誤、淘汰を経て現代まで受け継がれて来た事を思うと一曲の中にどれ程の人々の時間と感性が封じ込められているのかと思うと曲にはロマンが溢れています。
私は「あいうえお」よりも「いろは歌」の美しさが何とも好きです。一人の天才が考えたのか?行く人にも引き継がれ書き直され続けて完成したのか?「詠み人知らず」なのもファンタスティックに深みがあります。
17. Posted by 川山継玄   2025年04月22日 01:56
コメントが大変遅くなり、申し訳ございません。

門人お一人お一人のエネルギーと波動が、太極武藝館と共鳴し、温かく、笑顔と感動に満ちた創立30周年記念式典を再び思い起こすことがでました。
ありがとうございます。
ハイネケンさんの文章から、改めて、太極拳が脈々と受け継がれ、現在に至る事の雄大さを感じ、皆様と共に学び、成長し続けられることに感謝が溢れます。

一人一人それぞれに観ているものや感じているものが違い、一瞬一瞬変化の連続である、と式典でも感じたのですが、その感覚は強くなっています。
記念式典で「合っている」と感じたこの渦は、個々が違い、時間の流れに乗って変化し続けているが故に起こるのだろうかと思いました。
歩みを止めることなく、精進したいと思います。
共に頑張りましょう。
18. Posted by ハイネケン   2025年04月22日 23:33
ユキ 様
五行と相生相剋について改めて確認してみました。間違えがあれば教えて下さい。有り体に言えば「じゃんけん」の関係に似ています。
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【相生】(順に助け合う関係)
木 → 火(木は火を生む)
火 → 土(火は灰となり土を生む)
土 → 金(土は金を生む)
金 → 水(金は水を生むとされる)
水 → 木(水は木を育てる)

【相剋】(互いに抑制する関係)
木 → 土(木は土を破る)
土 → 水(土は水を濁す)
水 → 火(水は火を消す)
火 → 金(火は金を溶かす)
金 → 木(金は木を切る)
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生成AIからの転記です。知識自体の価値が急速に変化していますね。
五行は現代科学の基礎から見ると微妙な区分です。その微妙さは時代による観察眼の違いを浮き上がらせます。五行を「物質の三態」で無理矢理に区切ると、固体は木・土・金。液体は水。気体は火でしょうか。余り面白味はありませんね。改めて五行を眺めると変化に富みながら文化的生活に必要な要素に見えます。そして「土」であって「石」ではないのです。石器時代から土器文化への遍歴にも見えます。土そのものは現代でも人間が研究室で作れる物ではないそうです。自然の力で作られる「土」。畑の土は更に自然を人間の知恵で制御しながら作り上げています。
今日まで私は「五行で自然を説明しようとする試み」だと思っていましたが五行は自然そのものではない。自然と人間の関係性を表し、文化文明を発展させる手段に見えてきます。モノとして絶対的な強者は存在せず、相対的な関係性が存在し、変化し続けるという法則は絶対的である、と捉えるとスッキリします。
ダラダラと思考で遊んでみましたが、面白いですね。
19. Posted by ハイネケン   2025年04月22日 23:36
清水 龍玄 様
積み重ねの全てが糧になれば良いのですが、中には足枷にもあります。同じ出来事も幸せに感じたり、不幸に感じたり。見渡せば10年積み重ねること自体稀有なことですが過ぎればあっという間。これからの10年の未来を見ると、さらに山も谷も大きく感じる気がしますがそれでも過ぎればあっという間に感じるでしょうね。未来は今から始まります。良い未来を確信できるように、まずは今からの半日を良い日に出来る様に私も頑張ります。
20. Posted by ハイネケン   2025年04月23日 19:50
太郎冠者 様
「ただ同じものを稽古する」のですが、不思議な力を感じるのは武藝の技術(あーなって、こーなーって)だけでなく、どの様に見ているか?どの様に考えているのか?何が原因か?どうしたら良いのか?稽古では常に意識させてくれます。
古来からの太極拳が呼吸して息づいていて、保存されているという「静止した状態」ではなく「躍動している」。宗師の套路も、公開されている対練動画も躍動的で自由に見える事でしょう。そして稽古ではあの緻密さ、細かさ、正確さが求められている。様々な視点から彩(いろどり)ある稽古をしてくれる宗師ですが、その創意工夫は太極拳を遊び倒す事だけではない様に見えます。それは真昼でも空に星が輝いている事に気付いている様な、そんな風に見えます。改良・改善されているのは教授されている事なのか?それとも伝わり方や我々にどう響くかなのか?バイオリンから音が出るのか?弓から音が出るのか?
太極武藝館で用いられる方便は多角的で幾つもの意味がありながら誤解が少ないのも興味深いですね。
私も観察してみます。
21. Posted by ハイネケン   2025年04月23日 19:52
マガサス 様
宗師のチャレンジの数々は后嗣の頃ともまた一味も二味も違う様に感じます。それに比べて私は、、、と思ってしまいます。しかしそう言っている場合ではないのです。進むしかなく、大いに自分に取り組む。
「大いに真面目に!大いに遊び心を持って!」良い言葉ですね♪
「大いに」には今の自分を超えてゆく意気込みがあります。
マガサス 様、良い言葉をありがとうございました。
22. Posted by ハイネケン   2025年04月23日 19:58
川山 継玄 様
お待ちしておりました。
私は「同じ何か?」があるから共有できたのではないか?と感じていましたが、継玄さんはそれとは違う感じ方ですね。
>『記念式典での「合っている」と感じた』モノが、皆同じものではなく、個々が違い、変化し続けているが故。・・・非常に面白い視点です。一つの軸に各々別々に接する接線の様であり、または離れた海の中、別々に生き、満月に一斉産卵する珊瑚の様です。
お一人お一人のエネルギーが無ければあの様に満ちた空間にはならないのですし、なんと言っても彩りが豊かです。
こちらこそ宜しくお願い致します。
23. Posted by ハイネケン   2025年04月23日 20:19
皆様へ
普段の稽古でも全員が同じ時間を過ごす事はありません。記念式典では本部含め全国各地からの門人が同じ時を過ごす貴重な時間となりました。記念式典に来られなかった方々とも三十周年を分かち合いたいと思い書きました。人それぞれ感想も感動も異なり、コメント欄は広がりのある臨場感ある話になりました。雰囲気が少しでも伝われば倖いです。

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