2024年12月28日
門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その90
『かくして円環は一巡する』
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
早いもので、もう一年が終わりに近づいています。この時期になると、自分は今年一年何をしていただろうかと振り返ることもあるかと思います。さて自分はというと、もっぱら太極拳の稽古と仕事の繰り返しの日々で、気が付いたらあっという間だった気もします。
あっという間に感じられはするものの、中身は非常に濃い一年であったかと思います。
今年掲載させて頂いたブログの記事を振り返ってみると、この時はこんなことを考えていたのだという事が思い起こされ、たった一年の間だというのになつかしささえ感じられるものです。
太極武藝館での稽古に関していえば、特に今年は太極武藝館創立30周年という記念すべき年であり、盛大な記念式典も執り行われました。
その祝賀会の際、宗師に「套路十三勢」を演舞として見せていただいたことは、参加した門人であったらみんな強く記憶に残っていることかと思います。太極武藝館で行われる套路の稽古は一着一着を丹念に行うこともあり、私自身、稽古したことがあるのが、いちばん進んだ事があって第八勢をわずかに、というところです。聞くところによると、套路を全て見たことある門人は実は誰もいない…という話もまことしやかに囁かれているようでした。
そのような中で、記念すべき節目に宗師によってサプライズで示していただいた套路は、見たいといって見られる類のものではなく、その衝撃たるや、語るに尽くせないものであったに違いありません。演舞の終わった後の、みんなが言葉を発することができなくなってしまった状況は、なかなか忘れられそうにありません。
前々回の記事にも書かせていただいた通り、型の重要性についてちょうど注目して研究をしていた私自身にとっても、套路を見せて頂けたことは、本当にとてつもない恩恵ともいえるものでした。
それが一番知りたかった!見たかった!と言っても過言ではないものだったのです。
というのも、その研究そのものが自分独自の間違った解釈で、何か無理矢理辻褄を合わせて進めているだけではないかという不安が、必ずつきまとっていたからです。研究するためのヒントは示されていても、それが正しいという保証はどこにもありません。
そのような時に見せていただけた套路は、私が気づいた事がそうそう的外れなものではなかったと思わせてくれるのに十分…どころの話ではなく、ここから先、どのように稽古を進めていけばいいかというところまで示唆して下さるようなものに感じられました。
十三勢を通して見せていただけたことで、ひとつの円環が完結したような、太極拳の全体像という輪郭が、朧気ながらも見えたように感じられたのです。これまでは、その円環の端が閉じていないような感覚が常にあり、そのために自分が進めていくべき研究の先が漠然としていて、にわかに分かりづらいような、ふわふわとした感覚が伴っていました。
ここで繋がるはずの端と端が、もしかしたら全く違った方向に伸び始めているのかもしれない。そのような錯覚を抱く事は、自分の稽古を進める上でも迷いの感覚として自分の中に残り続け、もしかしたら…こうかも…という、自分の解釈を挟み込める余地を作ってしまっているかのようでした。
特に対練などで良い結果が伴わない時、自分の教わっていない何かが原因で分からないのかもしれないとなどと短絡的に考えてしまい、その存在するかどうかも疑わしいものを探し求めてしまうような事は、しばしば起こり得るのではないかと思います。
示されている事を正しく真似が出来ていない…本当の真相はそこにあるのですが、先が見えていないという感覚があると、自分からは見えない光の当たっていないその部分が気になるあまり、目の前に見ているはずのものさえ取りこぼしてしまうものです。
そういった迷いになるような、存在しないかもしれないもの…。それを探す必要などない…。今回の出来事で、そのような認識にはっきりと変わったことが自分には感じられたのです。
套路を通して、太極拳は何を目指そうとしているのか…逆に言うと、どういうものが間違っているのかが如実に語られたような気がしたのでした。もちろんそれは、現在の自分に理解できる範囲のものでしかないのですが、自分の中にあった迷いのうち、どれが違ってて手放すべきなのかが明確になったのは確かです。
それはある意味、ひとつの構造物の完成形として、太極拳の姿が自分の目に映ったともいえるものでした。それが感じ取れたのだとしたら、あとはそれをひたすらに鍛錬していけばいいということになります。
そこからの稽古の日々は、「すべて示されている」という言葉の意味、重みが感じられるものでした。本当に何も隠されていない中で指導して頂いている…その中で見える見えないははっきりと自分の問題であり、その問題を解決していくことで、これまでと同じ時間を稽古に費やしていても、得られるものの質が全く違ってきている事が感じられます。
分からない事が生じたとしても、示して頂いている事と、型の中に残されているものを正しく学習していく事で、多くの問題が解決していける事がはっきりと分かってきました。これまで以上に、道場で行われている稽古が「ひとつの学習体系」として有機的に繋がっているのが理解されてきます。
それに伴って、稽古中に見えるものも次第に変化が生じてきているのが分かります。朧気ながらも太極拳の全体像が認識できたような感覚が生じると、稽古のひとつひとつが、その全体の中でどのような位置づけであって、何を目的としているのかという点にまで認識が至るようになりました。それによって、問題の本質となる部分はどこか、足りない部分=訓練することで変えていける部分はどこかという所に嗅覚が働くようになり、問題に対する改善速度が早くなったのではないかと思います。
これは非常に大きな変化で、というのも道場以外で稽古をする際に、何を気にしてどう稽古していったらいいかが、より体系的に組み立てられるようになったからです。問題の本質が見抜けないまま家で稽古に時間だけ費やしても、焦点がぶれるばかりで決定的なものにならず、また同じ問題を持ちこしてしまう可能性が高くなってしまいます。
問題がどこかが明確になれば、それに対する解決策も同時に見えてきます。あとはそれを稽古してくればいいだけです。
そのために必要な材料はというと、それは全て道場の稽古で示して頂いているといっても過言んではありません。太極武藝館では本当に多種多様な稽古方法を示して頂いていますが、ただ体を作るといったものだけでなく、どのように身体を使うか、何に気を付けたらいいか、そのような情報の断片が、様々な稽古の中に散りばめられているのが感じられます。
それらの断片をつなぎ合わせてみると…本当に凄いことをやっていた…!と、腰を抜かすようなことがここ数か月のうちに一体何回あったことでしょうか。
30周年というひとつの区切りの年は、自分にとっては新しいスタートになったと感じられる年でした。稽古での発見などはもちろんの事、それに対する取り組む姿勢はどうか、自分の人生の中でどのような所に太極拳があるのか。それらの事がこれまで以上にはっきりとした形で自分の中に見えてきて、ここから先どのような事をしていきたいのかも、同時に見えてきたと思います。
今年がもうすぐ終わろうとしていますが、それによってひとつの円環が閉じ、また新しいサイクルが始まろうとしています。宗師の套路によって太極拳の全体像が見えた、と自分には感じられましたが、決して、それで終わりではありません。
ひとつの円環の輪が閉じたことで、また新しいサイクルが始まるのです。そうして新たにはじまる円環を行く旅路は、また新しい世界を自分に見せてくれるものだと思いますし、すでにそれは始まっているようにも感じられます。
円環の終わりは終焉ではなく、あたらしい鼓動の始まりです。そのようにして宇宙は循環し続けているのですから、太極の名を冠する武術が、その法則に従わないはずがないのです。
であるとすれば、太極拳を稽古しようとする私もまた、その法則に従う事になるのは自然の摂理といえます。何かひとつのものが見えたら素直に歓び、それをまた始まりとして新たに歩み始める…そのようにして進み続ける事が出来るのが、太極拳という武藝の深みであり、人間を成長させてくれる大いなる営みなのではないかと感じます。
そのような道を歩めることを大いなる歓びとし、また明日からも、一歩一歩、歩みを進めていきたいと思います。
本年も一年間、私の拙い記事を読んでいただき、ありがとうございました。
来年も、力の限り続けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
(了)
☆人気記事「今日も稽古で日が暮れる」は、毎月掲載の予定です!
☆ご期待ください!
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
早いもので、もう一年が終わりに近づいています。この時期になると、自分は今年一年何をしていただろうかと振り返ることもあるかと思います。さて自分はというと、もっぱら太極拳の稽古と仕事の繰り返しの日々で、気が付いたらあっという間だった気もします。
あっという間に感じられはするものの、中身は非常に濃い一年であったかと思います。
今年掲載させて頂いたブログの記事を振り返ってみると、この時はこんなことを考えていたのだという事が思い起こされ、たった一年の間だというのになつかしささえ感じられるものです。
太極武藝館での稽古に関していえば、特に今年は太極武藝館創立30周年という記念すべき年であり、盛大な記念式典も執り行われました。
その祝賀会の際、宗師に「套路十三勢」を演舞として見せていただいたことは、参加した門人であったらみんな強く記憶に残っていることかと思います。太極武藝館で行われる套路の稽古は一着一着を丹念に行うこともあり、私自身、稽古したことがあるのが、いちばん進んだ事があって第八勢をわずかに、というところです。聞くところによると、套路を全て見たことある門人は実は誰もいない…という話もまことしやかに囁かれているようでした。
そのような中で、記念すべき節目に宗師によってサプライズで示していただいた套路は、見たいといって見られる類のものではなく、その衝撃たるや、語るに尽くせないものであったに違いありません。演舞の終わった後の、みんなが言葉を発することができなくなってしまった状況は、なかなか忘れられそうにありません。
前々回の記事にも書かせていただいた通り、型の重要性についてちょうど注目して研究をしていた私自身にとっても、套路を見せて頂けたことは、本当にとてつもない恩恵ともいえるものでした。
それが一番知りたかった!見たかった!と言っても過言ではないものだったのです。
というのも、その研究そのものが自分独自の間違った解釈で、何か無理矢理辻褄を合わせて進めているだけではないかという不安が、必ずつきまとっていたからです。研究するためのヒントは示されていても、それが正しいという保証はどこにもありません。
そのような時に見せていただけた套路は、私が気づいた事がそうそう的外れなものではなかったと思わせてくれるのに十分…どころの話ではなく、ここから先、どのように稽古を進めていけばいいかというところまで示唆して下さるようなものに感じられました。
十三勢を通して見せていただけたことで、ひとつの円環が完結したような、太極拳の全体像という輪郭が、朧気ながらも見えたように感じられたのです。これまでは、その円環の端が閉じていないような感覚が常にあり、そのために自分が進めていくべき研究の先が漠然としていて、にわかに分かりづらいような、ふわふわとした感覚が伴っていました。
ここで繋がるはずの端と端が、もしかしたら全く違った方向に伸び始めているのかもしれない。そのような錯覚を抱く事は、自分の稽古を進める上でも迷いの感覚として自分の中に残り続け、もしかしたら…こうかも…という、自分の解釈を挟み込める余地を作ってしまっているかのようでした。
特に対練などで良い結果が伴わない時、自分の教わっていない何かが原因で分からないのかもしれないとなどと短絡的に考えてしまい、その存在するかどうかも疑わしいものを探し求めてしまうような事は、しばしば起こり得るのではないかと思います。
示されている事を正しく真似が出来ていない…本当の真相はそこにあるのですが、先が見えていないという感覚があると、自分からは見えない光の当たっていないその部分が気になるあまり、目の前に見ているはずのものさえ取りこぼしてしまうものです。
そういった迷いになるような、存在しないかもしれないもの…。それを探す必要などない…。今回の出来事で、そのような認識にはっきりと変わったことが自分には感じられたのです。
套路を通して、太極拳は何を目指そうとしているのか…逆に言うと、どういうものが間違っているのかが如実に語られたような気がしたのでした。もちろんそれは、現在の自分に理解できる範囲のものでしかないのですが、自分の中にあった迷いのうち、どれが違ってて手放すべきなのかが明確になったのは確かです。
それはある意味、ひとつの構造物の完成形として、太極拳の姿が自分の目に映ったともいえるものでした。それが感じ取れたのだとしたら、あとはそれをひたすらに鍛錬していけばいいということになります。
そこからの稽古の日々は、「すべて示されている」という言葉の意味、重みが感じられるものでした。本当に何も隠されていない中で指導して頂いている…その中で見える見えないははっきりと自分の問題であり、その問題を解決していくことで、これまでと同じ時間を稽古に費やしていても、得られるものの質が全く違ってきている事が感じられます。
分からない事が生じたとしても、示して頂いている事と、型の中に残されているものを正しく学習していく事で、多くの問題が解決していける事がはっきりと分かってきました。これまで以上に、道場で行われている稽古が「ひとつの学習体系」として有機的に繋がっているのが理解されてきます。
それに伴って、稽古中に見えるものも次第に変化が生じてきているのが分かります。朧気ながらも太極拳の全体像が認識できたような感覚が生じると、稽古のひとつひとつが、その全体の中でどのような位置づけであって、何を目的としているのかという点にまで認識が至るようになりました。それによって、問題の本質となる部分はどこか、足りない部分=訓練することで変えていける部分はどこかという所に嗅覚が働くようになり、問題に対する改善速度が早くなったのではないかと思います。
これは非常に大きな変化で、というのも道場以外で稽古をする際に、何を気にしてどう稽古していったらいいかが、より体系的に組み立てられるようになったからです。問題の本質が見抜けないまま家で稽古に時間だけ費やしても、焦点がぶれるばかりで決定的なものにならず、また同じ問題を持ちこしてしまう可能性が高くなってしまいます。
問題がどこかが明確になれば、それに対する解決策も同時に見えてきます。あとはそれを稽古してくればいいだけです。
そのために必要な材料はというと、それは全て道場の稽古で示して頂いているといっても過言んではありません。太極武藝館では本当に多種多様な稽古方法を示して頂いていますが、ただ体を作るといったものだけでなく、どのように身体を使うか、何に気を付けたらいいか、そのような情報の断片が、様々な稽古の中に散りばめられているのが感じられます。
それらの断片をつなぎ合わせてみると…本当に凄いことをやっていた…!と、腰を抜かすようなことがここ数か月のうちに一体何回あったことでしょうか。
30周年というひとつの区切りの年は、自分にとっては新しいスタートになったと感じられる年でした。稽古での発見などはもちろんの事、それに対する取り組む姿勢はどうか、自分の人生の中でどのような所に太極拳があるのか。それらの事がこれまで以上にはっきりとした形で自分の中に見えてきて、ここから先どのような事をしていきたいのかも、同時に見えてきたと思います。
今年がもうすぐ終わろうとしていますが、それによってひとつの円環が閉じ、また新しいサイクルが始まろうとしています。宗師の套路によって太極拳の全体像が見えた、と自分には感じられましたが、決して、それで終わりではありません。
ひとつの円環の輪が閉じたことで、また新しいサイクルが始まるのです。そうして新たにはじまる円環を行く旅路は、また新しい世界を自分に見せてくれるものだと思いますし、すでにそれは始まっているようにも感じられます。
円環の終わりは終焉ではなく、あたらしい鼓動の始まりです。そのようにして宇宙は循環し続けているのですから、太極の名を冠する武術が、その法則に従わないはずがないのです。
であるとすれば、太極拳を稽古しようとする私もまた、その法則に従う事になるのは自然の摂理といえます。何かひとつのものが見えたら素直に歓び、それをまた始まりとして新たに歩み始める…そのようにして進み続ける事が出来るのが、太極拳という武藝の深みであり、人間を成長させてくれる大いなる営みなのではないかと感じます。
そのような道を歩めることを大いなる歓びとし、また明日からも、一歩一歩、歩みを進めていきたいと思います。
本年も一年間、私の拙い記事を読んでいただき、ありがとうございました。
来年も、力の限り続けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
(了)
☆人気記事「今日も稽古で日が暮れる」は、毎月掲載の予定です!
☆ご期待ください!
コメント一覧
1. Posted by 松久宗玄 2024年12月29日 11:59
節目の年を締めくくる良い記事をありがとうございます。
30周年は門人皆にとって、リスタートの良い区切りになったようでしたね。
年末を迎えつつある今日この頃ではありますが、自分自身の稽古に関しては、起承転結の「転」が直近にて発生してしまい、「結」として締まりにくいな、との実感を持っています。
正しく自己認識を行う為には、ちゃんと思い知るという経験が必要だと、改めて感じています。
出来ていない事、出来ない事、その因果関係をはっきりとさせる為の、「出来る稽古」ではなく、「分かる稽古」にもっとフォーカスを合わせなければ、と改めて軌道修正を心に誓った年の瀬でした。
本年もありがとうございました。
30周年は門人皆にとって、リスタートの良い区切りになったようでしたね。
年末を迎えつつある今日この頃ではありますが、自分自身の稽古に関しては、起承転結の「転」が直近にて発生してしまい、「結」として締まりにくいな、との実感を持っています。
正しく自己認識を行う為には、ちゃんと思い知るという経験が必要だと、改めて感じています。
出来ていない事、出来ない事、その因果関係をはっきりとさせる為の、「出来る稽古」ではなく、「分かる稽古」にもっとフォーカスを合わせなければ、と改めて軌道修正を心に誓った年の瀬でした。
本年もありがとうございました。
2. Posted by ハイネケン 2024年12月29日 18:25
太郎冠者 様
現在体調不良によりコメントが出来ません。折角の投稿ですので、後日改めてコメント投稿させて頂きます。
ハイネケン 拝
現在体調不良によりコメントが出来ません。折角の投稿ですので、後日改めてコメント投稿させて頂きます。
ハイネケン 拝
3. Posted by 阿部玄明 2024年12月31日 07:54
太郎冠者さんが記事に書いて頂いた通り、
30周年式典で見た宗師の套路はまさに衝撃でした。自分の套路との違いに驚いている間に、あっという間に終わってしまった。激しい動きの中でも、第一勢から最後まで上下の高さと放鬆が変わらないことが良く分かりました。
筋肉の操作でそれをやることは無理であり、立ち方と在り方が全ての源だと言う事です。普段稽古している基本が全てであり近道は無いことを再確認しました。
今後もそれを通じて宗師の套路に近づけて行こうと思います。
今年も沢山の記事の掲載ありがとうございました。太郎冠者の記事を読む事で自分の認識を見直し、新しい気持ちで稽古に向かう事が出来ました。
30周年式典で見た宗師の套路はまさに衝撃でした。自分の套路との違いに驚いている間に、あっという間に終わってしまった。激しい動きの中でも、第一勢から最後まで上下の高さと放鬆が変わらないことが良く分かりました。
筋肉の操作でそれをやることは無理であり、立ち方と在り方が全ての源だと言う事です。普段稽古している基本が全てであり近道は無いことを再確認しました。
今後もそれを通じて宗師の套路に近づけて行こうと思います。
今年も沢山の記事の掲載ありがとうございました。太郎冠者の記事を読む事で自分の認識を見直し、新しい気持ちで稽古に向かう事が出来ました。
4. Posted by 平田玄琢 2024年12月31日 08:46
来年のカレンダーに触発され、思い出してみました。
「間合いを感じて息を吐き、息を吸っている間に笙を構えます。その人の構えを見ればそのレベルは一目瞭然。」
「先生出来ません。どうしても指を見ないと構えれません。」
「出来ないのではなく、出来るまでやって下さい。まず、千回位。私は一万回を越えています。」
「皆さんが最初の一年間で会得した基本の曲。私は一年の間に三日間しか先生に教われませんでした。
疑問だらけで、会得するまでに三年かかりました。それから宮内庁の楽師先生について十年程修練を積み、やっと人前で演奏できるかなって思いました。」
これは、私が雅楽の生徒に何回も言っている事です。
自分の言っていたことをすっかり忘れていました。
出来るまで何回もやる。
身体が覚えるまで、理解出来るまで何回も。
そう言えば、「これは自転車に乗るようなものだ。乗れるようになったら身体が覚えている。」師父が仰っていました。
太郎冠者さんの太極拳に対する探究の姿勢を真摯に真似て。
私もやるぞ。できるまで。
「間合いを感じて息を吐き、息を吸っている間に笙を構えます。その人の構えを見ればそのレベルは一目瞭然。」
「先生出来ません。どうしても指を見ないと構えれません。」
「出来ないのではなく、出来るまでやって下さい。まず、千回位。私は一万回を越えています。」
「皆さんが最初の一年間で会得した基本の曲。私は一年の間に三日間しか先生に教われませんでした。
疑問だらけで、会得するまでに三年かかりました。それから宮内庁の楽師先生について十年程修練を積み、やっと人前で演奏できるかなって思いました。」
これは、私が雅楽の生徒に何回も言っている事です。
自分の言っていたことをすっかり忘れていました。
出来るまで何回もやる。
身体が覚えるまで、理解出来るまで何回も。
そう言えば、「これは自転車に乗るようなものだ。乗れるようになったら身体が覚えている。」師父が仰っていました。
太郎冠者さんの太極拳に対する探究の姿勢を真摯に真似て。
私もやるぞ。できるまで。
5. Posted by 西川敦玄 2024年12月31日 09:34
太郎冠者さん、一年ブログ記事の掲載ありがとうございました。来年も楽しみにしております。
太郎冠者さんのブログを読むことで、自分の取り組みを定期的に見直す機会にもなったと思います。
今年は太極武藝館三十周年の行事など、おおきな節目の年でもありました。記事にもありますように、宗師の套路を心に残すことが出来たのは貴重な体験でした。皆様の見方を聞くにつけ、私は自分のフィルターを通して解釈してしまっていることを改めて認識しました。
分析解釈をはさまず、見えたことにたいして、自分の在り方をそろえていく稽古に没入したく思いました。
一年とは単純に考えれば、地球の公転軌道に対して、地球の軸が少し傾いていることで初めて発生する単位だと思います。地球の重力と自転周期にしばられて一日一日を必死に過ごしている私たちも、節季などを通してより大きな理の中にあることを意識的に感じているのかもしれません。仮に公転軸に対して地球の軸が傾いて回転していることを理とするなら、節季をとおし時間の感覚と肌感覚が生じることで、理を理解する事に繋がっているのかもしれないとおもいました。
と、とりとめも無く思考が流れて行きましたが、年末にあたり、理の中に身を投じて生活していくことに思いを向けてみました。
あまりブログのコメントになってなくてすみません。
来年もよろしくお願いします。
太郎冠者さんのブログを読むことで、自分の取り組みを定期的に見直す機会にもなったと思います。
今年は太極武藝館三十周年の行事など、おおきな節目の年でもありました。記事にもありますように、宗師の套路を心に残すことが出来たのは貴重な体験でした。皆様の見方を聞くにつけ、私は自分のフィルターを通して解釈してしまっていることを改めて認識しました。
分析解釈をはさまず、見えたことにたいして、自分の在り方をそろえていく稽古に没入したく思いました。
一年とは単純に考えれば、地球の公転軌道に対して、地球の軸が少し傾いていることで初めて発生する単位だと思います。地球の重力と自転周期にしばられて一日一日を必死に過ごしている私たちも、節季などを通してより大きな理の中にあることを意識的に感じているのかもしれません。仮に公転軸に対して地球の軸が傾いて回転していることを理とするなら、節季をとおし時間の感覚と肌感覚が生じることで、理を理解する事に繋がっているのかもしれないとおもいました。
と、とりとめも無く思考が流れて行きましたが、年末にあたり、理の中に身を投じて生活していくことに思いを向けてみました。
あまりブログのコメントになってなくてすみません。
来年もよろしくお願いします。
6. Posted by 川島玄峰 2024年12月31日 10:06
30周年で太郎冠者さんとお会いした時に稽古についての発見や感動を大変生き生きとした表情でお話をされていたのを思い出されます。
今回のブログはその時以上に勢いを感じました。
私も宗師の十三勢の套路を見てようやく見る事が出来たとつい言葉を発してしまいました。そしてこの十三勢を自分の体に取り込みもっと太極拳を知りたいと新たな欲望が湧いてきました。そのための正しい道筋はやはり普段の稽古にあり迷いなく稽古に向かうことであると改めて思います。
いつか十三勢をお互いに語り会える日が来るようになればと思います。
これからも一緒に精進して参りましょう。
今年も太郎冠者さんのブログには色々励まされ、また自分の稽古の取り組み方にも大変刺激となりました。
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
今回のブログはその時以上に勢いを感じました。
私も宗師の十三勢の套路を見てようやく見る事が出来たとつい言葉を発してしまいました。そしてこの十三勢を自分の体に取り込みもっと太極拳を知りたいと新たな欲望が湧いてきました。そのための正しい道筋はやはり普段の稽古にあり迷いなく稽古に向かうことであると改めて思います。
いつか十三勢をお互いに語り会える日が来るようになればと思います。
これからも一緒に精進して参りましょう。
今年も太郎冠者さんのブログには色々励まされ、また自分の稽古の取り組み方にも大変刺激となりました。
ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
7. Posted by 川山継玄 2024年12月31日 23:28
太郎冠者さん
今年もたくさんの充実した記事を投稿し続けて下さり、ありがとうございました。
これだけのボリュームの記事を継続することがいかに難しい事か、やってみなければわからない事だと思います。
今年も、太郎冠者さんの記事で、我が身を振り返り、じっくりとと自身と向き合うことができました。
ありがとうございます。
30周年記念式典で、宗師の套路を拝見出来、そのエネルギーを同じ空間で感じる事が出来た事が身体に浸透し、今に至り、感動が続いている。
何ともすごいことだと思います。
この感動を、生きたものとして来年に繋げ、自己成長にエネルギーを注ぎ続けたいと思います。
注いだら枯渇してしまう!と今まで思っていた節がありますが、注いだらまた入って循環すると思える今日この頃です。
2025年も佳い年致しましょう。
ありがとうございました。
今年もたくさんの充実した記事を投稿し続けて下さり、ありがとうございました。
これだけのボリュームの記事を継続することがいかに難しい事か、やってみなければわからない事だと思います。
今年も、太郎冠者さんの記事で、我が身を振り返り、じっくりとと自身と向き合うことができました。
ありがとうございます。
30周年記念式典で、宗師の套路を拝見出来、そのエネルギーを同じ空間で感じる事が出来た事が身体に浸透し、今に至り、感動が続いている。
何ともすごいことだと思います。
この感動を、生きたものとして来年に繋げ、自己成長にエネルギーを注ぎ続けたいと思います。
注いだら枯渇してしまう!と今まで思っていた節がありますが、注いだらまた入って循環すると思える今日この頃です。
2025年も佳い年致しましょう。
ありがとうございました。
8. Posted by ユキ 2024年12月31日 23:58
套路という一門の宝物とも言われる練功から、どれほどのことを引き出してこれるのか。私たち門人はそれを問われているような気がします。
そして、汲めども尽きないのは、何代もにわたり研究され発展し続けてきているからに他ならないのだと思います。
私たちはそれをいつでも紐解き、確認し、自分と照らし合わせて修正することができる。本当に素晴らしい学習体系だと思います。
太郎冠者さんがこのようにして自身の研究のきっかけと内容の一端を書いてくれることで、より多くの人が触発され更に研究されることでしょう。
今年も1年間、ありがとうございました。
そして、汲めども尽きないのは、何代もにわたり研究され発展し続けてきているからに他ならないのだと思います。
私たちはそれをいつでも紐解き、確認し、自分と照らし合わせて修正することができる。本当に素晴らしい学習体系だと思います。
太郎冠者さんがこのようにして自身の研究のきっかけと内容の一端を書いてくれることで、より多くの人が触発され更に研究されることでしょう。
今年も1年間、ありがとうございました。
9. Posted by マガサス 2025年01月01日 01:11
太郎冠者さん、1年間ブログへの記事をありがとうございました。
毎月投稿し続けることは、決して容易なことではないと思います。
筆が進む時、進まない時いろいろな状態の時があったと思いますが、自分に課してやり続けることは、確実に功夫を齎してくれるのだと感じました。
自分はまだまだ非常に未熟ですが、見習ってがんばりたいと思います。
太極武藝館31年周年がスタートし、正に新しいサイクルが始まりました。
たくさんの教えを頂き、見聞きしていますが、自分自身にきちんと理解が起こるよう、歩みを止めることなく、太極の理を学び続けたいと思います。
毎月投稿し続けることは、決して容易なことではないと思います。
筆が進む時、進まない時いろいろな状態の時があったと思いますが、自分に課してやり続けることは、確実に功夫を齎してくれるのだと感じました。
自分はまだまだ非常に未熟ですが、見習ってがんばりたいと思います。
太極武藝館31年周年がスタートし、正に新しいサイクルが始まりました。
たくさんの教えを頂き、見聞きしていますが、自分自身にきちんと理解が起こるよう、歩みを止めることなく、太極の理を学び続けたいと思います。
10. Posted by マルコビッチ 2025年01月01日 18:37
太郎冠者さん、コメントが年を越してしまい申し訳ありません。
1年間、毎月ブログに記事を投稿してくださりありがとうございました。
いつも私には考えが及ばない観点から問題を発してくださり、考えを新たにしたり、共感したりと自分に問いかける時間をくださいました。
私も、30周年の祝賀会で宗師が見せてくださった套路には本当に驚き感動いたしました。
太郎冠者さんも感じられたように、私も、私たちがやっていることは何も違っていないんだと確信を持ち、同時にこれは大変なことだと、その深さにめまいがするようでした。
少しでも近づけるように一歩一歩歩き続けていくつもりです。
これからも忌憚ないご意見ご指導を、よろしくお願いいたします。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
1年間、毎月ブログに記事を投稿してくださりありがとうございました。
いつも私には考えが及ばない観点から問題を発してくださり、考えを新たにしたり、共感したりと自分に問いかける時間をくださいました。
私も、30周年の祝賀会で宗師が見せてくださった套路には本当に驚き感動いたしました。
太郎冠者さんも感じられたように、私も、私たちがやっていることは何も違っていないんだと確信を持ち、同時にこれは大変なことだと、その深さにめまいがするようでした。
少しでも近づけるように一歩一歩歩き続けていくつもりです。
これからも忌憚ないご意見ご指導を、よろしくお願いいたします。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
11. Posted by ハイネケン 2025年01月02日 00:22
太郎冠者 様
遅くなりましたが返信させて頂きます。
人間は見えていても「意識」できずに「見ていない」事があります。そして「意識」した途端に「見える」。稽古中「もっとこうだ」「こう見える」と指摘され今の自分には無い意識のところを広げてみる。自分にないその世界には戸惑いや恐怖すら抱いてしまい「私は〜だから」と自分で言い訳をしてしまう。そのことすら「自分への勝手な解釈」でしかないのに。こうしてみると面白いのは「思考」から出てきた事には良いものがなく「感情・感動」から出てきたものの方が良いものが多い。特に稽古で感じた感動は紛れもないもので、リアルであれば冷徹に感じ、悠々とした美しさもあります。敢えて言えば「なるようになった」のではなく「なるようにされた」。そして実際は「なるようにされた事」にすら気づけない。なぜ気づけないのかと元を辿ると「我が身の状態を処せずして、他人の状態なぞ到底知ることが出来ない」。
一年の締めくくり、円環の終わりに新年への目標が出来ました。
太郎冠者 様、2024年 大変お世話になりました。
ハイネケン 拝
遅くなりましたが返信させて頂きます。
人間は見えていても「意識」できずに「見ていない」事があります。そして「意識」した途端に「見える」。稽古中「もっとこうだ」「こう見える」と指摘され今の自分には無い意識のところを広げてみる。自分にないその世界には戸惑いや恐怖すら抱いてしまい「私は〜だから」と自分で言い訳をしてしまう。そのことすら「自分への勝手な解釈」でしかないのに。こうしてみると面白いのは「思考」から出てきた事には良いものがなく「感情・感動」から出てきたものの方が良いものが多い。特に稽古で感じた感動は紛れもないもので、リアルであれば冷徹に感じ、悠々とした美しさもあります。敢えて言えば「なるようになった」のではなく「なるようにされた」。そして実際は「なるようにされた事」にすら気づけない。なぜ気づけないのかと元を辿ると「我が身の状態を処せずして、他人の状態なぞ到底知ることが出来ない」。
一年の締めくくり、円環の終わりに新年への目標が出来ました。
太郎冠者 様、2024年 大変お世話になりました。
ハイネケン 拝
12. Posted by 清水龍玄 2025年01月02日 17:57
旧年中はありがとうございました。
私にとっては、年末年始の皆さんが休んでいる時が勝負なので、忙しく、コメントが年を跨いでしまいました。
失礼いたしました。
しかし、その様な忙しい中でも発見はあり、それを楽しんでいます。
その様な気付きと発展の積み重ねが、明日の自分を作っていき、それも一つのサイクルなのかななどと思っています。
本年も宜しくお願いいたします。
私にとっては、年末年始の皆さんが休んでいる時が勝負なので、忙しく、コメントが年を跨いでしまいました。
失礼いたしました。
しかし、その様な忙しい中でも発見はあり、それを楽しんでいます。
その様な気付きと発展の積み重ねが、明日の自分を作っていき、それも一つのサイクルなのかななどと思っています。
本年も宜しくお願いいたします。
13. Posted by 太郎冠者 2025年01月02日 23:26
☆松久宗玄さん
明けましておめでとうございます。
大きいサイクルでみれば30年、一年と節目の時は回ってきますが、小さなサイクルで見れば、稽古の理解が進んだり、疑問にぶつかったりというものもあるかのでしょうね。
その繰り返しで、まるで車輪が回転しながら進んでいくかのように、物事は進展していくのかもしれません。
一周回ってスタートに戻っているのではなく、また違った景色が目の前に広がっている…
そうやって目に映るものも楽しみながらどんどん進んでいきたいですね。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
大きいサイクルでみれば30年、一年と節目の時は回ってきますが、小さなサイクルで見れば、稽古の理解が進んだり、疑問にぶつかったりというものもあるかのでしょうね。
その繰り返しで、まるで車輪が回転しながら進んでいくかのように、物事は進展していくのかもしれません。
一周回ってスタートに戻っているのではなく、また違った景色が目の前に広がっている…
そうやって目に映るものも楽しみながらどんどん進んでいきたいですね。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
14. Posted by 太郎冠者 2025年01月02日 23:29
☆阿部玄明さん
明けましておめでとうございます。
宗師の套路は、今まで見たことのあるどんな動きとも違う、生まれて初めて目にしたような動きに感じられ、文字通り衝撃を体に受けたかのような気分になりました。
激しい動きの中に、その力強さと同時に軽やかさを合わせもったようなその姿は、仰る通り筋肉に頼った動きでは生み出せそうにありません。
太極拳の要訣を守り、基本に忠実であることで生じるその力、ぜひとも自分の体で表現していきたいですね。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
宗師の套路は、今まで見たことのあるどんな動きとも違う、生まれて初めて目にしたような動きに感じられ、文字通り衝撃を体に受けたかのような気分になりました。
激しい動きの中に、その力強さと同時に軽やかさを合わせもったようなその姿は、仰る通り筋肉に頼った動きでは生み出せそうにありません。
太極拳の要訣を守り、基本に忠実であることで生じるその力、ぜひとも自分の体で表現していきたいですね。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
15. Posted by 太郎冠者 2025年01月02日 23:33
☆平田玄琢さん
明けましておめでとうございます。
>雅楽の生徒に何回も言っている事
伝統技能を継承していくためには、分野を問わず同じ状態が必要とされているかのようですね。
太極拳は戦うための技法であると同時に、太極武藝館では武功藝術、武藝というように教わっています。
戦うための技術をより深めていくためには、芸術としての領域にも目を向けていかないといけないのかもしれません。
私も、そのようにして認識を高め、太極拳に対する理解を深めていきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
>雅楽の生徒に何回も言っている事
伝統技能を継承していくためには、分野を問わず同じ状態が必要とされているかのようですね。
太極拳は戦うための技法であると同時に、太極武藝館では武功藝術、武藝というように教わっています。
戦うための技術をより深めていくためには、芸術としての領域にも目を向けていかないといけないのかもしれません。
私も、そのようにして認識を高め、太極拳に対する理解を深めていきたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
16. Posted by 太郎冠者 2025年01月02日 23:39
☆西川敦玄さん
明けましておめでとうございます。
月に一回という頻度ではありますが、ブログの記事を毎回書かせて頂くことで、自分が太極拳に対してどのように考えて向かい合っているのか、徹底して言語化して考える癖がついたような気がします。
そのおかげで、太極拳のあるべき姿と、自分の考えというものが少し分離させて物事を見ることが出来るようになった、のかもしれません。
それによって見えてきたものは、実は自分が思っているよりも大きいのかも、などと思いました。
また機会があれば、敦玄師兄をはじめ正式弟子の皆様がどのように稽古に取り組まれているのか、記事としてぜひ読んでみたいです!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
月に一回という頻度ではありますが、ブログの記事を毎回書かせて頂くことで、自分が太極拳に対してどのように考えて向かい合っているのか、徹底して言語化して考える癖がついたような気がします。
そのおかげで、太極拳のあるべき姿と、自分の考えというものが少し分離させて物事を見ることが出来るようになった、のかもしれません。
それによって見えてきたものは、実は自分が思っているよりも大きいのかも、などと思いました。
また機会があれば、敦玄師兄をはじめ正式弟子の皆様がどのように稽古に取り組まれているのか、記事としてぜひ読んでみたいです!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
17. Posted by 太郎冠者 2025年01月02日 23:45
☆川島玄峰さん
明けましておめでとうございます。
最近、稽古後の先輩や門人の皆様の隙を見つけたらすぐつかまえて、みんなでいつまでも延々と太極拳の話をしてしまう…という事がしばしばあります。
ああでもないこうでもないと太極拳の話をし、試してみるのが非常に面白く、またこのようにしていける事が、本当の意味で研究になっているのかもしれないと思うようになりました。
玄峰さんはじめ札幌支部の皆様とも、もしそれが許されるチャンスがあれば、ぜひとも太極拳と套路の話をじっくりしたいですね。
この歓びを誰かに共有したいし、他の方の楽しみもぜひ共有させていただきたい、そんな気持ちで一杯です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
最近、稽古後の先輩や門人の皆様の隙を見つけたらすぐつかまえて、みんなでいつまでも延々と太極拳の話をしてしまう…という事がしばしばあります。
ああでもないこうでもないと太極拳の話をし、試してみるのが非常に面白く、またこのようにしていける事が、本当の意味で研究になっているのかもしれないと思うようになりました。
玄峰さんはじめ札幌支部の皆様とも、もしそれが許されるチャンスがあれば、ぜひとも太極拳と套路の話をじっくりしたいですね。
この歓びを誰かに共有したいし、他の方の楽しみもぜひ共有させていただきたい、そんな気持ちで一杯です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
18. Posted by 太郎冠者 2025年01月04日 23:45
☆川山継玄さん
明けましておめでとうございます。
自分にとって太極拳がここまで生きる歓びになるとは、ある意味思ってもいなかったというか…好きを越えて生きがいになっているかのようです。
そのおかげで見えてきたこともありますし、もっとこうしていきたいという思いも、以前よりもわいてきているのを感じます。
その思いを、記事を通してみなさんと分かち合えたらうれしいですし、30周年記念式典を通して、同じ志を持つ人がこれだけいるということを実感できたのは、本当に大きなことだったと感じています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
自分にとって太極拳がここまで生きる歓びになるとは、ある意味思ってもいなかったというか…好きを越えて生きがいになっているかのようです。
そのおかげで見えてきたこともありますし、もっとこうしていきたいという思いも、以前よりもわいてきているのを感じます。
その思いを、記事を通してみなさんと分かち合えたらうれしいですし、30周年記念式典を通して、同じ志を持つ人がこれだけいるということを実感できたのは、本当に大きなことだったと感じています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
19. Posted by 太郎冠者 2025年01月04日 23:50
☆ユキさん
明けましておめでとうございます。
套路は分からないことを教えてくれると同時に、自分が研究しているものの方向性が正しいのかどうかを指し示す、道しるべになってくれているとも感じます。
偉大な先人たちの手によって、後世の我々が道に迷わないように本当に考えられて作ってもらえているのだと実感させられます。
同時に、この宝をただ自分たちを豊かにするために使うのではなく、我々よりもっと後世の人たちのためにもしっかりと残していかなければならないという思いも、新たに強く持ちました。
私も、そのための礎として少しでも役に立てれば…その思いを持ちながら、日々稽古に取り組んでいます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
套路は分からないことを教えてくれると同時に、自分が研究しているものの方向性が正しいのかどうかを指し示す、道しるべになってくれているとも感じます。
偉大な先人たちの手によって、後世の我々が道に迷わないように本当に考えられて作ってもらえているのだと実感させられます。
同時に、この宝をただ自分たちを豊かにするために使うのではなく、我々よりもっと後世の人たちのためにもしっかりと残していかなければならないという思いも、新たに強く持ちました。
私も、そのための礎として少しでも役に立てれば…その思いを持ちながら、日々稽古に取り組んでいます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
20. Posted by 太郎冠者 2025年01月05日 00:02
☆マガサスさん
明けましておめでとうございます。
記事を書き続けることで、たぶん誰よりも自分自身が、一番勉強になっていたと感じています。
ここだけの話、記事の提出がギリギリになったり遅れたり、ブログ編集室の皆様には大変ご迷惑をおかけしました…。それでもなんとか続けてこられたのは、ひとえに暖かく見守ってくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
課題を課すことも含め、自分が何を望みどうありたいか、それをはっきりさせることで、自分自身の変化に繋がったという気がします。
これからも、自分自身を磨くため、また、太極武藝館をより盛り上げていくためにも、一緒に頑張って稽古していきましょう!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
記事を書き続けることで、たぶん誰よりも自分自身が、一番勉強になっていたと感じています。
ここだけの話、記事の提出がギリギリになったり遅れたり、ブログ編集室の皆様には大変ご迷惑をおかけしました…。それでもなんとか続けてこられたのは、ひとえに暖かく見守ってくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
課題を課すことも含め、自分が何を望みどうありたいか、それをはっきりさせることで、自分自身の変化に繋がったという気がします。
これからも、自分自身を磨くため、また、太極武藝館をより盛り上げていくためにも、一緒に頑張って稽古していきましょう!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
21. Posted by 太郎冠者 2025年01月05日 00:08
☆マルコビッチさん
明けましておめでとうございます。
道場で色々な人と稽古の時間をともにしていると、自分では持っていない視点、意見を頂けることが、本当に勉強になります。
ただ太極拳の勉強になるのではなく、その人がどのような人生を生き、どう考えているのかが、翻って自分の生き方を見つめ直すことにも繋がっていると感じます。
それによって、自分の人生がどれだけ豊かになったでしょうか。
ただ受け取るだけでなく、こちらからも発信して、何か皆様のお役に立てるのだとしたら本望です。そのためにも、自分の努力は惜しまず続けていきたいと思います。
太極拳の深み…そこにどっぷりとはまりながら、一緒にどんどん精進していきましょう!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
道場で色々な人と稽古の時間をともにしていると、自分では持っていない視点、意見を頂けることが、本当に勉強になります。
ただ太極拳の勉強になるのではなく、その人がどのような人生を生き、どう考えているのかが、翻って自分の生き方を見つめ直すことにも繋がっていると感じます。
それによって、自分の人生がどれだけ豊かになったでしょうか。
ただ受け取るだけでなく、こちらからも発信して、何か皆様のお役に立てるのだとしたら本望です。そのためにも、自分の努力は惜しまず続けていきたいと思います。
太極拳の深み…そこにどっぷりとはまりながら、一緒にどんどん精進していきましょう!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
22. Posted by 太郎冠者 2025年01月05日 00:20
☆ハイネケン
明けましておめでとうございます。
体調はいかがでしょうか?インフルエンザ等も流行しておりますし、御無理をなさらないよう、お大事にしてください。
太極拳の稽古をしていると、自分の理解の範疇など軽々と超えてしまう事柄がそこら中にあるなぁ、と感じることがしばしばあります。
特に昨年末、より徹底して原理原則、基本に沿って考えるようになるにつれ、それは多くなったように思いました。
自分ではこう思うんだけど、原理に当てはめると本当はこうなる(はず)…と半信半疑でやってみると本当にその通りになって、自分の考えや感覚など当てにならないということがたくさんありました。
どれだけ強く熱く念じても、木からリンゴが落ちるという法則は変えられないのです。そういった意味では非感情的と言いますか、もっとロジカルで徹底しているなと思います。
良くも悪くも自分の心身もその法則に則っているのが感じられると、余計な肩の力が抜けるのか、少し視界もクリアーになった気がしました。
ぜひまた、稽古でご一緒しましょう。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
体調はいかがでしょうか?インフルエンザ等も流行しておりますし、御無理をなさらないよう、お大事にしてください。
太極拳の稽古をしていると、自分の理解の範疇など軽々と超えてしまう事柄がそこら中にあるなぁ、と感じることがしばしばあります。
特に昨年末、より徹底して原理原則、基本に沿って考えるようになるにつれ、それは多くなったように思いました。
自分ではこう思うんだけど、原理に当てはめると本当はこうなる(はず)…と半信半疑でやってみると本当にその通りになって、自分の考えや感覚など当てにならないということがたくさんありました。
どれだけ強く熱く念じても、木からリンゴが落ちるという法則は変えられないのです。そういった意味では非感情的と言いますか、もっとロジカルで徹底しているなと思います。
良くも悪くも自分の心身もその法則に則っているのが感じられると、余計な肩の力が抜けるのか、少し視界もクリアーになった気がしました。
ぜひまた、稽古でご一緒しましょう。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
23. Posted by 太郎冠者 2025年01月05日 00:33
☆清水龍玄さん
明けましておめでとうございます。
私も仕事柄、年末年始は連休は取れず仕事をしておりました。もちろんお休みの日もあったので、その間に親戚と会い、初詣に行く等の用事は済ませることができました。
去年冒頭の私の課題でもあったのですが、仕事があって稽古に行けない日々…有限な時間を、自分のためにどのように上手く使うか。
私の場合、自分が何をしたいかを明確にして、それに関してしっかり行動を起こせば、不思議と周りも協力的になってくれて、次第に解決していく事が出来てきました。
運命の女神は前髪しかないと言います。
「仕事と太極拳、どっちが大事なの?」と太極拳の女神様に聞かれたとき、躊躇なく「太極拳」といつでも答えられる、そのように人生を歩んでいきたいと自分は思っています。
もちろん、そのためにも仕事はしっかりとしないといけませんけれども…。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます。
私も仕事柄、年末年始は連休は取れず仕事をしておりました。もちろんお休みの日もあったので、その間に親戚と会い、初詣に行く等の用事は済ませることができました。
去年冒頭の私の課題でもあったのですが、仕事があって稽古に行けない日々…有限な時間を、自分のためにどのように上手く使うか。
私の場合、自分が何をしたいかを明確にして、それに関してしっかり行動を起こせば、不思議と周りも協力的になってくれて、次第に解決していく事が出来てきました。
運命の女神は前髪しかないと言います。
「仕事と太極拳、どっちが大事なの?」と太極拳の女神様に聞かれたとき、躊躇なく「太極拳」といつでも答えられる、そのように人生を歩んでいきたいと自分は思っています。
もちろん、そのためにも仕事はしっかりとしないといけませんけれども…。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。