2024年11月20日
「徒然日記」
by ハイネケン (札幌支部)
第十三話
色々な基本功や柔功には名前があり伝承を感じる。実は名前のない(知らないだけ?の)柔功が沢山ある。
伝統拳術を学ぶ醍醐味だ。
いつ、だれが作ったのだろう?
柔功は身体のギアに付いた汚れや錆を落とし、ピカピカに磨いたギアに新しいオイルを挿す。パーツの一つ一つがスムースになり身体での理解も進む。
本来メンテナンスはガレージでコツコツとするものだろう。今まで走りながら慌ててメンテナンスをしていたのだ。
(※註 実際は柔功には全て名前があるそうです。)
第十三話「名前の知らない柔功たち」終
第十四話
喜怒哀楽、感動は私の原動力の一つだ。
先日とある稽古で得た喜びが時間と共に薄れていき同時に稽古の価値が薄れていく気がした。興味が減退し他の稽古にも影響した。ヤル気が失せていく、、、嫌だ。
宗師の許可をいただき先輩にこの問題について質問させて頂いた、、、こう返事があった。
「感動が自分の中から薄れても、感動を与えてくれたものの本質は変わらない。それで良いのではないのだろうか。感動が薄れて行くことも自然の事だ。」
人間だから気力にも波がある。意図的に波をなくそうとするのではなく、あるがまま自分の本質と向き合う。諦めでもなく抵抗でもない。
なんと豊かな感性だろう。
そして今の私に必要な感性だ。
第十四話「感動と本質」終
第十三話
色々な基本功や柔功には名前があり伝承を感じる。実は名前のない(知らないだけ?の)柔功が沢山ある。
伝統拳術を学ぶ醍醐味だ。
いつ、だれが作ったのだろう?
柔功は身体のギアに付いた汚れや錆を落とし、ピカピカに磨いたギアに新しいオイルを挿す。パーツの一つ一つがスムースになり身体での理解も進む。
本来メンテナンスはガレージでコツコツとするものだろう。今まで走りながら慌ててメンテナンスをしていたのだ。
(※註 実際は柔功には全て名前があるそうです。)
第十三話「名前の知らない柔功たち」終
第十四話
喜怒哀楽、感動は私の原動力の一つだ。
先日とある稽古で得た喜びが時間と共に薄れていき同時に稽古の価値が薄れていく気がした。興味が減退し他の稽古にも影響した。ヤル気が失せていく、、、嫌だ。
宗師の許可をいただき先輩にこの問題について質問させて頂いた、、、こう返事があった。
「感動が自分の中から薄れても、感動を与えてくれたものの本質は変わらない。それで良いのではないのだろうか。感動が薄れて行くことも自然の事だ。」
人間だから気力にも波がある。意図的に波をなくそうとするのではなく、あるがまま自分の本質と向き合う。諦めでもなく抵抗でもない。
なんと豊かな感性だろう。
そして今の私に必要な感性だ。
第十四話「感動と本質」終
コメント一覧
1. Posted by 川山継玄 2024年11月20日 23:36
色褪せないこと…
感動を、過去のものにしないことかな…と思いました。
人は、過去は容易に忘れてしまう生き物です。
心震え、しびれるほどの感動を味わったのに、それが色褪せていく。
一体どうしたのだろう?
と焦りや苛立ち、あきらめ、あらゆる負の問いかけに襲われます。
けれども、感動を通して、未来の自分を観て、そこに向かおうとしたらどうでしょうか。
更には、未来の自分には、制限を設けることなく、図々しく、なりたい自分を映し出します。
日々・毎瞬、人は変化しているので、そのなりたい自分や目標は変わっても全然大丈夫。
そうなるためには、どうしたらいい?
と現実に戻って、計画的に取り組んでみる。
味わった感動が、輝きを増すようなイメージで!
その取り組みの一つとして、柔功を丁寧に行い、自分との対話に活用しています。
私の場合、站椿をしても、身体が滞っていたり、ゆがんでいたりすると、放鬆することが出来ず、なかなか自分を正しく見つめる事が出来なくなります。
身体も重く、気持ちも下がってしまいがちです。
身体を調えて、心も澄んだ状態で、日々稽古するためにも、メンテナンスは大切ですね。
メンテナンスをする気力もない日もありです。
そんな時は、お風呂に浸かって、ゆっくり休みましょう。
きっと、休息が必要なのです。
ハイネケンさん
自分の考えをまとめる良い機会となりました。
ありがとうございます。
感動を、過去のものにしないことかな…と思いました。
人は、過去は容易に忘れてしまう生き物です。
心震え、しびれるほどの感動を味わったのに、それが色褪せていく。
一体どうしたのだろう?
と焦りや苛立ち、あきらめ、あらゆる負の問いかけに襲われます。
けれども、感動を通して、未来の自分を観て、そこに向かおうとしたらどうでしょうか。
更には、未来の自分には、制限を設けることなく、図々しく、なりたい自分を映し出します。
日々・毎瞬、人は変化しているので、そのなりたい自分や目標は変わっても全然大丈夫。
そうなるためには、どうしたらいい?
と現実に戻って、計画的に取り組んでみる。
味わった感動が、輝きを増すようなイメージで!
その取り組みの一つとして、柔功を丁寧に行い、自分との対話に活用しています。
私の場合、站椿をしても、身体が滞っていたり、ゆがんでいたりすると、放鬆することが出来ず、なかなか自分を正しく見つめる事が出来なくなります。
身体も重く、気持ちも下がってしまいがちです。
身体を調えて、心も澄んだ状態で、日々稽古するためにも、メンテナンスは大切ですね。
メンテナンスをする気力もない日もありです。
そんな時は、お風呂に浸かって、ゆっくり休みましょう。
きっと、休息が必要なのです。
ハイネケンさん
自分の考えをまとめる良い機会となりました。
ありがとうございます。
2. Posted by ハイネケン 2024年11月21日 17:58
川山 継玄 様
「図々しい」自分を利用するとは勇ましいです。湧き上がる感情や感動は自然のままだから選べませんが、「感情や感動の後に何をするか?」は選択出来ます。自分の負の問いかけに「どうしよう?」と迷いますが実は「ここが醍醐味」かもしれません。未来から見たり、制限を外したり、ゆっくりしたり。まだまだ選択肢がありますね。やってみます。継玄様、ありがとうございました。
「図々しい」自分を利用するとは勇ましいです。湧き上がる感情や感動は自然のままだから選べませんが、「感情や感動の後に何をするか?」は選択出来ます。自分の負の問いかけに「どうしよう?」と迷いますが実は「ここが醍醐味」かもしれません。未来から見たり、制限を外したり、ゆっくりしたり。まだまだ選択肢がありますね。やってみます。継玄様、ありがとうございました。
3. Posted by 太郎冠者 2024年11月21日 23:10
柔功ひとつとっても、武術に必要な体を作る理が秘められているのを最近特に感じます。
あれをやって、次はこれをやって…ではなくて、最初からすでに武術の稽古になっている、と驚きの連続です。本当に、誰が作ったのでしょうね。
その叡智に触れられる我々は本当に幸運だと思います。
>感動は私の原動力の一つ
>ヤル気が失せていく、、
なるほど。だとしたら、自分の中に感動が湧き出すものを発見できれば、永久機関の完成ということですね。
…太極拳には、そういう力もあると思います。
あれをやって、次はこれをやって…ではなくて、最初からすでに武術の稽古になっている、と驚きの連続です。本当に、誰が作ったのでしょうね。
その叡智に触れられる我々は本当に幸運だと思います。
>感動は私の原動力の一つ
>ヤル気が失せていく、、
なるほど。だとしたら、自分の中に感動が湧き出すものを発見できれば、永久機関の完成ということですね。
…太極拳には、そういう力もあると思います。
4. Posted by 平田玄琢 2024年11月22日 00:30
先日、柔功や基本功の名を漢字で教わる機会がありました。
やはり、文字には表音文字と表意文字があり、殆どの名前の文字には意味がありました。
一つ一つ意味を調べると、そういう事だったのか。と納得できるものばかりでした。
それに比べて、最近の日本の赤ちゃんの名は、表音文字の名が多くなりました。それでも、親にとっては意味があるのかもしれません。しかし、他人には、音で表されたのみで、伝わってくるものが少ないと感じます。
喜び 怒り 哀しみ 楽しみ 感じて動く。これは人の成せる業。
魂(霊)の働きは、和む 荒ぶる 不思議 幸せ その徳により運を添う。と昔から言っています。
私は、ただその徳により運を添わせていただいていると感じます。後は自分の努力不足だけです。
やはり、文字には表音文字と表意文字があり、殆どの名前の文字には意味がありました。
一つ一つ意味を調べると、そういう事だったのか。と納得できるものばかりでした。
それに比べて、最近の日本の赤ちゃんの名は、表音文字の名が多くなりました。それでも、親にとっては意味があるのかもしれません。しかし、他人には、音で表されたのみで、伝わってくるものが少ないと感じます。
喜び 怒り 哀しみ 楽しみ 感じて動く。これは人の成せる業。
魂(霊)の働きは、和む 荒ぶる 不思議 幸せ その徳により運を添う。と昔から言っています。
私は、ただその徳により運を添わせていただいていると感じます。後は自分の努力不足だけです。
5. Posted by ハイネケン 2024年11月22日 19:47
太郎冠者 様
「柔功一つ」もヒントであり答えである様です。沢山の動作をシステム化しそれらを統合精査したものを「基本」と呼ぶのだと思います。基本の誕生はそれまでとは違う新しい概念の誕生だと思います。当館で学ぶ柔功や基本功は他では見たことがありませんし、結果的に生成されている姿勢も異なります。基本から対練まで何の違和感もなく一貫した要領のまま教えていただける事は本当に幸運です。
そしていつか永久機関にしたいと思います。図々しい野望ですね。
「柔功一つ」もヒントであり答えである様です。沢山の動作をシステム化しそれらを統合精査したものを「基本」と呼ぶのだと思います。基本の誕生はそれまでとは違う新しい概念の誕生だと思います。当館で学ぶ柔功や基本功は他では見たことがありませんし、結果的に生成されている姿勢も異なります。基本から対練まで何の違和感もなく一貫した要領のまま教えていただける事は本当に幸運です。
そしていつか永久機関にしたいと思います。図々しい野望ですね。
6. Posted by ユキ 2024年11月22日 20:34
ある意味、走っている時から診断が始まっていますので、「走りながらのメンテナンス」は表現的にはアリかもしれません。が、やはり走りながらメンテナンスが完了できるわけではないので、ガレージ必須ですね。
問題は、走っている時にも細部にまで意識が行き届いているか、です。
因みに、ご存知かもしれませんが、メンテナンス(maintenance)の語源は、main(手)とtain(保持する:tenだけだと伸ばすの意も)、~ance(~すること、状態)となり、maintain+ance(手で持って維持する、支える)となります。
武藝館的に表現すると、“自分自身の功夫を維持し支えるための行い“となるでしょうか。・・柔功にはそこにプラスして更に功夫を高めるための身体を養い実らせる役割もありますから、本当に凄い練功です。
そして、柔功は今行なっているものが全てではありません。。
そのあたりはまた、実際に( ̄▽ ̄)。
波。大海に波がなければそれは海では無くなるのと同様に、人間に波がなくなれば、もはや人ではないとも言えませんか。
荒れ狂う波間に寛ぎ、漂い、しかし灯火は見えている状態でなければ、真の放鬆も自分自身も観えてはきません。私も波間で揉まれております。
問題は、走っている時にも細部にまで意識が行き届いているか、です。
因みに、ご存知かもしれませんが、メンテナンス(maintenance)の語源は、main(手)とtain(保持する:tenだけだと伸ばすの意も)、~ance(~すること、状態)となり、maintain+ance(手で持って維持する、支える)となります。
武藝館的に表現すると、“自分自身の功夫を維持し支えるための行い“となるでしょうか。・・柔功にはそこにプラスして更に功夫を高めるための身体を養い実らせる役割もありますから、本当に凄い練功です。
そして、柔功は今行なっているものが全てではありません。。
そのあたりはまた、実際に( ̄▽ ̄)。
波。大海に波がなければそれは海では無くなるのと同様に、人間に波がなくなれば、もはや人ではないとも言えませんか。
荒れ狂う波間に寛ぎ、漂い、しかし灯火は見えている状態でなければ、真の放鬆も自分自身も観えてはきません。私も波間で揉まれております。
7. Posted by 川島玄峰 2024年11月22日 21:07
基本から理解する道筋が見えるのは伝統武術だなと改めて思いますね。
感動は捉え方により人それぞれ違いがありますが私も道筋の見える稽古にはいつも感動してしまいます。
もしかしたらハイネケンさんは感動された事が日常化され薄れてしまったと錯覚されているのかもしれません。
いずれにせよ感動ができる環境にいますのでこれからも貴重な体験を通して新たな感動を共に味わって行きましょう。
ありがとうございました。
感動は捉え方により人それぞれ違いがありますが私も道筋の見える稽古にはいつも感動してしまいます。
もしかしたらハイネケンさんは感動された事が日常化され薄れてしまったと錯覚されているのかもしれません。
いずれにせよ感動ができる環境にいますのでこれからも貴重な体験を通して新たな感動を共に味わって行きましょう。
ありがとうございました。
8. Posted by 阿部玄明 2024年11月23日 12:07
柔功、圧腿は凝り固まった身体機能を目覚めさせる大事な動作。
昔の人は身体の道理をよく分かっていたのだと思います。
文明ばかり進歩しても、現代人は頭でっかちで自分の身体のこともよく分かっていない。
我々が忘れてしまった道理を伝統から学び直す”温故知新”を実践しているのです。
.....感動について考えてみると、
自分が赤ん坊の時に初めて立ち上がって歩いた時、初めて自転車や自動車を運転したときなど、きっとその瞬間は感動したと思います。未知との遭遇です。
ですが今の自分はそれに感動せず当たり前のこととして受け入れて、使っています。
歩ける事、自動車に乗れる事は人間に備わった能力だと理解し、既知になったためでしょう。既知化に伴い感動が薄れるものかもしてませんが、それを感謝して大事にする…稽古についても多分同じ事なんだと思います。
自分ができなかったことを自在にできるようになることは別の喜びに繋がると思います。
昔の人は身体の道理をよく分かっていたのだと思います。
文明ばかり進歩しても、現代人は頭でっかちで自分の身体のこともよく分かっていない。
我々が忘れてしまった道理を伝統から学び直す”温故知新”を実践しているのです。
.....感動について考えてみると、
自分が赤ん坊の時に初めて立ち上がって歩いた時、初めて自転車や自動車を運転したときなど、きっとその瞬間は感動したと思います。未知との遭遇です。
ですが今の自分はそれに感動せず当たり前のこととして受け入れて、使っています。
歩ける事、自動車に乗れる事は人間に備わった能力だと理解し、既知になったためでしょう。既知化に伴い感動が薄れるものかもしてませんが、それを感謝して大事にする…稽古についても多分同じ事なんだと思います。
自分ができなかったことを自在にできるようになることは別の喜びに繋がると思います。
9. Posted by 西川敦玄 2024年11月23日 13:10
ハイネケンさん、今回もブログ興味深く読ませていただきました。
全く別の話ですが、少し昔の車にのるようになってエンジンや排気が不整なリズムで伝わるのを楽しんでいます。なにかで耳にしたのですが、自動車の排気は密になるところと、疎になるところがあって、それが独特の音と振動を生む出すようです。そうして圧の違いの連続があることで、上手に空気が流れていくとの事でした。
人の感動がある状態と、そうでない状態に例えるのはいかがなものだとするむきもあると思いますが、人間も同じ感動を感じ続けるだけでは、思考や学びが流れて行かないのでしょうか? 次の感動があり、落ち着き、また次の感動が巡ってくるはずだと思います。
感動に固執することなく、感動を感動のまま受け止め、流れをとどめることなく生きて行きたいと思いました。
ありがとうございました。
全く別の話ですが、少し昔の車にのるようになってエンジンや排気が不整なリズムで伝わるのを楽しんでいます。なにかで耳にしたのですが、自動車の排気は密になるところと、疎になるところがあって、それが独特の音と振動を生む出すようです。そうして圧の違いの連続があることで、上手に空気が流れていくとの事でした。
人の感動がある状態と、そうでない状態に例えるのはいかがなものだとするむきもあると思いますが、人間も同じ感動を感じ続けるだけでは、思考や学びが流れて行かないのでしょうか? 次の感動があり、落ち着き、また次の感動が巡ってくるはずだと思います。
感動に固執することなく、感動を感動のまま受け止め、流れをとどめることなく生きて行きたいと思いました。
ありがとうございました。
10. Posted by 松久宗玄 2024年11月23日 13:52
稽古の余韻が日常の中で薄れていくのは、自分も自覚する処があり、
自らを振り返って、原因は時間の経過もあれば、自分の状態の変化もありと、様々にあるように思われます。
当にその様々に伴う雑音が、自分の中の感じて動く「質」を損なっている点は大きい、とも感じています。
余韻が長く続くような、自分自身の心身の軸が「響く」状態であるかは、やはり大事かな、とも思った次第です(自分毎です)。
自らを振り返って、原因は時間の経過もあれば、自分の状態の変化もありと、様々にあるように思われます。
当にその様々に伴う雑音が、自分の中の感じて動く「質」を損なっている点は大きい、とも感じています。
余韻が長く続くような、自分自身の心身の軸が「響く」状態であるかは、やはり大事かな、とも思った次第です(自分毎です)。
11. Posted by マルコビッチ 2024年11月23日 18:26
柔功をすると、徐々に身体が整えられていくのを感じることが出来ます。
そしてその時の体調や気持ちの状態によっても、整い方が違ってくるということは、まさしく稽古なのだなあと思います。
柔功、圧腿、基本功と動いていくと、本当によく考えられたものだと思います。
感動できること!それ自体がすごいこと!
感動した喜びは薄れても、その時感動した記憶は身体の中に残っているはず。
その感動したことは、自分の中で大事に育てていけばいい、そうしたらまた違う感動に出会うかもしれません。たとえ忘れても、また違う形で現れ新たな感動になるかもしれませんね。
ハイネケンさん
私にとって、いつも小さいようで大きな、そして温かく広がっていくような問題や疑問を投げかけてくださいます。
今回もありがとうございました。
そしてその時の体調や気持ちの状態によっても、整い方が違ってくるということは、まさしく稽古なのだなあと思います。
柔功、圧腿、基本功と動いていくと、本当によく考えられたものだと思います。
感動できること!それ自体がすごいこと!
感動した喜びは薄れても、その時感動した記憶は身体の中に残っているはず。
その感動したことは、自分の中で大事に育てていけばいい、そうしたらまた違う感動に出会うかもしれません。たとえ忘れても、また違う形で現れ新たな感動になるかもしれませんね。
ハイネケンさん
私にとって、いつも小さいようで大きな、そして温かく広がっていくような問題や疑問を投げかけてくださいます。
今回もありがとうございました。
12. Posted by ハイネケン 2024年11月24日 23:01
平田 玄琢 様
喜び 怒り 哀しみ 楽しみは自分の中にあり、和む 荒る 不思議 幸せは自分と他人とで作るのですね。幸せは自分の中にあると思っていました。幸せは一緒に作るものですね。
私は「運とは思い込みだ」と思っていましたが、『徳により運を添わせていただく』。運と言うものの繊細さが掴めるような言葉ですね。出自は「御成敗式目」でしょうか。社会の規範として今も生きているのは経験則でもあり現代風に言えば「生きるためのマニュアル」にも感じます。普遍的な知恵は時代を経て尚輝いていますね。ありがとうございました。
喜び 怒り 哀しみ 楽しみは自分の中にあり、和む 荒る 不思議 幸せは自分と他人とで作るのですね。幸せは自分の中にあると思っていました。幸せは一緒に作るものですね。
私は「運とは思い込みだ」と思っていましたが、『徳により運を添わせていただく』。運と言うものの繊細さが掴めるような言葉ですね。出自は「御成敗式目」でしょうか。社会の規範として今も生きているのは経験則でもあり現代風に言えば「生きるためのマニュアル」にも感じます。普遍的な知恵は時代を経て尚輝いていますね。ありがとうございました。
13. Posted by ハイネケン 2024年11月24日 23:09
ユキ 様
走る前後もメンテナンス。走っている最中も調整。意識しなければ調整やメンテナンスとういう行動になりませんね。先日宗師の運転する車に乗る機会があったのですが、一般道から高速道路に入る時、バックミラーを少し調整し直して運転されていました。何気ない日常にすら意識の違いが現れています。私は柔功の目的を見誤り変なクセがついてしまうのでまだブログで発言されている皆様の様な効能を感じれないでいます。
波は自然の事象なのか、それとも自分の認識なのか。『自分を認める勇気』はなかなか大変だと思う日々です。
走る前後もメンテナンス。走っている最中も調整。意識しなければ調整やメンテナンスとういう行動になりませんね。先日宗師の運転する車に乗る機会があったのですが、一般道から高速道路に入る時、バックミラーを少し調整し直して運転されていました。何気ない日常にすら意識の違いが現れています。私は柔功の目的を見誤り変なクセがついてしまうのでまだブログで発言されている皆様の様な効能を感じれないでいます。
波は自然の事象なのか、それとも自分の認識なのか。『自分を認める勇気』はなかなか大変だと思う日々です。
14. Posted by ハイネケン 2024年11月24日 23:12
川島 玄峰 様
「道筋の見える稽古」とは言い得て妙ですね。照準の狂ったような、曲がった銃口から出た弾丸はアチコチに跳んでしまい「さてどうしよう?」となります。精刻な銃口の様に結果・目標が明確な上での「さてどうしよう?」です。
>感動が日常化され・・・そうですね、私の場合は感動は日常化してゆく気がします。生活自体がどんどん変化しています。そう思うと梵鐘の音の様に「叩いたときに大きい音」で今は余韻なので
しょう。余韻をしっかり楽しむ余裕がない様です。今週は11月最後の稽古、宜しくお願い致します。
「道筋の見える稽古」とは言い得て妙ですね。照準の狂ったような、曲がった銃口から出た弾丸はアチコチに跳んでしまい「さてどうしよう?」となります。精刻な銃口の様に結果・目標が明確な上での「さてどうしよう?」です。
>感動が日常化され・・・そうですね、私の場合は感動は日常化してゆく気がします。生活自体がどんどん変化しています。そう思うと梵鐘の音の様に「叩いたときに大きい音」で今は余韻なので
しょう。余韻をしっかり楽しむ余裕がない様です。今週は11月最後の稽古、宜しくお願い致します。
15. Posted by ハイネケン 2024年11月24日 23:22
阿部 玄明 様
14話は玄明様と車中話した事です。お陰様で感情の暗闇にフォーカスせず、自分の行動として稽古に転換できました。ノっている時はノリで進めますが私は我儘自分本位な為、モチベーションの維持が稽古に響いていました。実直に、必要な事に向き合う事が苦手です。「自分の苦手🟰出来ない事」ではないはずですから、繋げていきます。
14話は玄明様と車中話した事です。お陰様で感情の暗闇にフォーカスせず、自分の行動として稽古に転換できました。ノっている時はノリで進めますが私は我儘自分本位な為、モチベーションの維持が稽古に響いていました。実直に、必要な事に向き合う事が苦手です。「自分の苦手🟰出来ない事」ではないはずですから、繋げていきます。
16. Posted by ハイネケン 2024年11月24日 23:30
西川 敦玄 様
エンジンの話はとても良く分かる気がします。機械は「一定である」という思い込みがあり、確かに人間よりも繰り返しが正確なのですが、気流は規則的な層流と不規則な流れの乱流に区分できます。
私は乱流を嫌なモノとして気にしていましたが、その乱流を含めた流れをリズムとして楽しむなんて!目から鱗が落ちます。巡る感動を求めて稽古させていただきます。
エンジンの話はとても良く分かる気がします。機械は「一定である」という思い込みがあり、確かに人間よりも繰り返しが正確なのですが、気流は規則的な層流と不規則な流れの乱流に区分できます。
私は乱流を嫌なモノとして気にしていましたが、その乱流を含めた流れをリズムとして楽しむなんて!目から鱗が落ちます。巡る感動を求めて稽古させていただきます。
17. Posted by ハイネケン 2024年11月24日 23:41
松久 宗玄 様
「自分の事」としして御返事頂き嬉しいです。読んでの通り私の記事は「稽古で起きた事の自分語り」です。稽古、仕事やプライベート、思う事が沢山あった中、宗師に質問をしながら書き始めたものです。実際の答えもあれば私の内的な改善もありました。既に一年が経っていますが出来ていない掃除と整理もあります(汗)。
今年一年、最近の宗師との稽古を受けると「質」の転換(向上)が非常に目につきました。僅か20分で心身が変化した事に気がつく事ができます。先日の本部稽古でも感じました。
宗玄様の様に「雑音」の問題として捉えてみると明瞭に「日々の生活」が私の中の雑音に思えます。もうすぐ年末です。掃除に取り掛かります。
「自分の事」としして御返事頂き嬉しいです。読んでの通り私の記事は「稽古で起きた事の自分語り」です。稽古、仕事やプライベート、思う事が沢山あった中、宗師に質問をしながら書き始めたものです。実際の答えもあれば私の内的な改善もありました。既に一年が経っていますが出来ていない掃除と整理もあります(汗)。
今年一年、最近の宗師との稽古を受けると「質」の転換(向上)が非常に目につきました。僅か20分で心身が変化した事に気がつく事ができます。先日の本部稽古でも感じました。
宗玄様の様に「雑音」の問題として捉えてみると明瞭に「日々の生活」が私の中の雑音に思えます。もうすぐ年末です。掃除に取り掛かります。
18. Posted by ハイネケン 2024年11月25日 00:20
マルコビッチ 様
忘れっぽいのか気持ちが足りないのか、感動した事をどんどん忘れている気がします。昔から記憶力が弱いのですが。このブログも掲載されてから自分で読むと、とても「昔の様に」感じたり、「そう言えばこんな気持ちだった」と思い出したり、良い経験しているなと「他人事の様」であったりします。マルコビッチ様の仰る通り「新たな感動」をする事は稽古の妙なのだと思います。御返事を頂く事で、「私の中での稽古」が皆様の「異なる意見や新しい価値観」に出会い変化し私は更に新しい価値観を手にしています。広がりは皆様との交流のお陰でありブログの楽しい所です。悩みながら共に稽古しましょう。
「神は細部に宿る」
(God is in the details)
ミニマリスト建築家の言葉です。
忘れっぽいのか気持ちが足りないのか、感動した事をどんどん忘れている気がします。昔から記憶力が弱いのですが。このブログも掲載されてから自分で読むと、とても「昔の様に」感じたり、「そう言えばこんな気持ちだった」と思い出したり、良い経験しているなと「他人事の様」であったりします。マルコビッチ様の仰る通り「新たな感動」をする事は稽古の妙なのだと思います。御返事を頂く事で、「私の中での稽古」が皆様の「異なる意見や新しい価値観」に出会い変化し私は更に新しい価値観を手にしています。広がりは皆様との交流のお陰でありブログの楽しい所です。悩みながら共に稽古しましょう。
「神は細部に宿る」
(God is in the details)
ミニマリスト建築家の言葉です。
19. Posted by マガサス 2024年11月25日 12:48
ガレージでコツコツメンテナンスをしたいところですが、走りながらのメンテナンスを要求されている現状です。(自分で要求しているだけかもしれませんが・・・)
その中でいかに整えていくかが今の自分の課題であります。
日々同じように整えているつもりでも、その日の心や体の状態で違ってしまうものですね。
こんなにも繊細なものなのかとつくづく感じますが、逆に、今まであまり自分に関心が無く、自分と向き合っていなかったのだと反省。
お恥ずかしいことに、強靭な翼で周りの物を薙ぎ倒しながら爆走してきた人生でしたので(汗)
感情の浮き沈み、体の好・不調、環境の変化等々、自分自身は色んなことに影響を受けて変化していますが、向かうべき太極拳は何も変わらずそこにあります。
もっと太極拳に合わせて、自分の乱れを否定するのでは無く、受け入れて、ありのままの自分と、そのメカニズムを理解できるよう、積極的にネガティヴフィードバックをしながら付き合うよう試みているところです。
太極拳を通して見えてくる自分や、人生って本当に面白いな・・・
経験によって積み重なり、どんどん深みが出てくる感覚を味わえるのは、自分にとって宝物のように温かいものです。
その中で味わえる「感動」は、正に自分の原動力になっています。
確かに時間の経過と共に薄らいでいくのかもしれませんが、その時その瞬間に自分の心を打ち動かした「感動」は、自分の中で生き続けていると確信しています。
>人間だから気力にも波がある。意図的に波をなくそうとするのではなく、あるがまま自分の本質と向き合う。諦めでもなく抵抗でもない。
なんと豊かな感性だろう。
そして今の私に必要な感性だ
私にとっても大切なことと、共感いたしました。
いつも感動をありがとうございます。
その中でいかに整えていくかが今の自分の課題であります。
日々同じように整えているつもりでも、その日の心や体の状態で違ってしまうものですね。
こんなにも繊細なものなのかとつくづく感じますが、逆に、今まであまり自分に関心が無く、自分と向き合っていなかったのだと反省。
お恥ずかしいことに、強靭な翼で周りの物を薙ぎ倒しながら爆走してきた人生でしたので(汗)
感情の浮き沈み、体の好・不調、環境の変化等々、自分自身は色んなことに影響を受けて変化していますが、向かうべき太極拳は何も変わらずそこにあります。
もっと太極拳に合わせて、自分の乱れを否定するのでは無く、受け入れて、ありのままの自分と、そのメカニズムを理解できるよう、積極的にネガティヴフィードバックをしながら付き合うよう試みているところです。
太極拳を通して見えてくる自分や、人生って本当に面白いな・・・
経験によって積み重なり、どんどん深みが出てくる感覚を味わえるのは、自分にとって宝物のように温かいものです。
その中で味わえる「感動」は、正に自分の原動力になっています。
確かに時間の経過と共に薄らいでいくのかもしれませんが、その時その瞬間に自分の心を打ち動かした「感動」は、自分の中で生き続けていると確信しています。
>人間だから気力にも波がある。意図的に波をなくそうとするのではなく、あるがまま自分の本質と向き合う。諦めでもなく抵抗でもない。
なんと豊かな感性だろう。
そして今の私に必要な感性だ
私にとっても大切なことと、共感いたしました。
いつも感動をありがとうございます。
20. Posted by ハイネケン 2024年11月25日 21:28
マガサス 様
私は自分勝手に生きてきたので、その負の遺産で今苦しんでいるのだと思います(自業自得です)。私は日々の違いに気づいていないので、稽古で一瞬変化しても驚くばかりでしっかりと受け止めきれず再現性もありません。これを改善するには日々コツコツと自分の受容性を上げておく事で稽古の時にも少しでも受け入れたいのです。砂漠の植物のように、雨が降るまで自分にできる事をしておかなければ、雨が降る前に枯れてしまいます。雨が降った時に喜べるようにしておきたいのです。走りながらのメンテナンスは私も慌てているものですから、私の日頃の準備自体がなってないのだと思っています。
>「積極的にネガティブフィードバック」。面白い表現ですね。何を諦めて何を諦めないかを私もよく考えます。簡単な事ほど気付かずに変えられないのが人間ですが自分に深みが出てくると感じる事って本当に貴重な経験ですし良い稽古をされているのだろうと思います。稽古で要求されているのは「そこに問題がある」と注意を向ける為だと思いますから、自分で要求している事と言えますね。何と言っても自分で選んで稽古をしているのですから(笑)!
共に反省の日々ですね。
ありがとうございました。
私は自分勝手に生きてきたので、その負の遺産で今苦しんでいるのだと思います(自業自得です)。私は日々の違いに気づいていないので、稽古で一瞬変化しても驚くばかりでしっかりと受け止めきれず再現性もありません。これを改善するには日々コツコツと自分の受容性を上げておく事で稽古の時にも少しでも受け入れたいのです。砂漠の植物のように、雨が降るまで自分にできる事をしておかなければ、雨が降る前に枯れてしまいます。雨が降った時に喜べるようにしておきたいのです。走りながらのメンテナンスは私も慌てているものですから、私の日頃の準備自体がなってないのだと思っています。
>「積極的にネガティブフィードバック」。面白い表現ですね。何を諦めて何を諦めないかを私もよく考えます。簡単な事ほど気付かずに変えられないのが人間ですが自分に深みが出てくると感じる事って本当に貴重な経験ですし良い稽古をされているのだろうと思います。稽古で要求されているのは「そこに問題がある」と注意を向ける為だと思いますから、自分で要求している事と言えますね。何と言っても自分で選んで稽古をしているのですから(笑)!
共に反省の日々ですね。
ありがとうございました。
21. Posted by 清水龍玄 2024年11月25日 23:50
私にとって、感動は常に原動力になってくれます。
太極拳の稽古には沢山の感動があり、いつもそれが新たな私の力になってくれます。
決して楽しいことばかりではないし、波もあるけれど、太極拳の稽古は面白いですね。
太極拳の稽古には沢山の感動があり、いつもそれが新たな私の力になってくれます。
決して楽しいことばかりではないし、波もあるけれど、太極拳の稽古は面白いですね。
22. Posted by ハイネケン 2024年11月26日 23:45
清水 龍玄 様
人によって原動力は様々ですが欲求は、食欲、性欲、生存欲、支配欲、権力欲、知識欲etc,,,etc,,,,,。自分の欲求とどう向き合うかが人生の問題の多くを占めています。稽古自体を楽しめるのはシンプルでありながら最も大切な事だと思います。そして私はまだそこまで進んでないなと思います。
人によって原動力は様々ですが欲求は、食欲、性欲、生存欲、支配欲、権力欲、知識欲etc,,,etc,,,,,。自分の欲求とどう向き合うかが人生の問題の多くを占めています。稽古自体を楽しめるのはシンプルでありながら最も大切な事だと思います。そして私はまだそこまで進んでないなと思います。
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