2024年08月22日

「徒然日記」

                     by ハイネケン (札幌支部)



第九話
ほうれん草の束を茹でる。
数束に纏められたテープを外し1束1束、バラけさせて水洗い。根元の硬い処から鍋に入れ次第に柔らかい葉までを浸していく。丁寧にできると葉先から根元まで心地よい茹で上がりになる。束のまま適当に茹でるとどうなるのだろう?

稽古では自分の体の「解れ(ほぐれ)具合」を味わえる。見渡すと一番解れているのは…。
日々刻々と変化する身体の状態はそのまま稽古の精度に影響する。
第九話「ほうれん草」終

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第十話

ーーーーーーーーーー
「ニコラシカ」というカクテルはスライスしたレモン、グラニュー糖、ブランデー。
それらを「口の中で混ぜて」完成する。
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稽古1日目。
沢山体をほぐして頂く。
寛ぎ良い状態となる。背が高くなった様な気がした。
2日目、身体の規矩(きく)を確かめる稽古の様だ。
1日目の良い状態は継続できず2日目序盤からは次第に脚が重たくなってしまった。
自分の状態が悪くなり脚への入力を繰り返してしまう。日々の稽古の癖が出る。捻れた身体ではその場で規矩を学び取る事は出来なかった。学びには順序があり準備がいる。
「ニコラシカ」の様に1日目の状態で2日目の学び取れたら良いのに、と思った。

第十話「ニコラシカ」終

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disciples at 11:11コメント(23)門人随想  

コメント一覧

1. Posted by 阿部玄明   2024年08月24日 14:43

ほうれん草は確かに束ねたまま茹でることはないですが、じゃあ自分の体をほぐす際にどんなイメージをもって解すか。筋肉は確かに筋繊維が束になっているが、紐をほどいてばらばらにすることはできないし・・・。

しかし、自分の体を雑に捉えだすときりがなく、例えば足を一本の棒のように扱うこともできる。足を使いすぎてしまい、解すときには硬い大根を擦り下ろすように力を込めてグイグイほぐしていましたね。それで「なかなか解せないなあ」とぼやいてしまう。

しかし人体解剖図を見ながらどこがどうなっているか見ながら解すと
短い時間でも効果的にほぐせる。足一本観察しても何本もの筋が幾重にも重なり精巧に設計された機械のようです。(奥の筋が解し難いんです・・・)
自分の体を解剖学的に理解し、工夫しながら解すことが放鬆への近道だと思っています。
2. Posted by 川山継玄   2024年08月24日 15:28
丁寧に自分の身体や心の状態に耳を傾けながら体をほぐすと、
「がんばっているね。ありがとう。」
と自分が愛おしく、ゆったりと内省できます。

それとは反対に、ほうれん草を束ねたままで熱湯に放り込むがごとく、慌てて身体をほぐそうとすると、気持ちも体も、疲労感を残したまま翌朝を迎えてしまいます。当然、自分を愛しんだり、自身がどのような状態かなど、二の次三の次。
疲労感は蓄積する一方で、そのうち破綻が来ます。悲鳴を上げている事に、気づきもしない時があります。

時間にすれば、丁寧に関わっても、慌てて関わっても、あまり変わりはなく、丁寧に関わった時の方が、その効果は段違いなので、まず心身の放鬆を大切にして、何事にも関わろうと思います。

「ニコラシカ」
自分で完成させるカクテルがあるなんて、知りませんでした。
案外厚めのレモンスライス・グラニュー糖がのっているのですね。
私はあまりお酒が強い方ではないのですが、是非挑戦してみたい!と思いました。
レモンとグラニュー糖をじっくりと噛みしめて甘酸っぱさを堪能して、一気にブランデーを流し込むって、ジェットコースターみたいだなって思いました。

その変化と調和を、是非稽古でも思う存分味わいたいものです。

ハイネケンさん 素敵な絵と、味わい深い気づきの共有をありがとうございます。

3. Posted by 川島玄峰   2024年08月24日 20:39
ほうれん草の束を体の状態に例え、ニコラシカの飲み方を稽古の規矩や準備と例えるとは面白い発想ですね。
稽古には、受容性が必要であるとつくづく考えさせられます。普段の考え方や行動はほうれん草が纏められているような固められた状態にならないように一束一束を意識しておかないければなりませんし、ニコラシカの飲み方を知るように知識も備える必要もあるでしょう。

今回は稽古の見方を奥深く見ることが出来ました。

ありがとうございます。
4. Posted by ハイネケン   2024年08月25日 07:17
阿部玄明様
解剖学では皮膚、筋肉、骨。そして靭帯と筋膜(結合組織)、神経、血管、関節組織と構造でしょうか。
玄明さんの文から「目的はイメージを持ち解すことである」と始めると複雑な解剖学に迷う事なく身体にアクセスできる気がしました。
ありがとうございました。
5. Posted by ハイネケン   2024年08月25日 07:20
川山継玄様
1人でもしっかりと内省しておられ羨ましいです。私の性格ではちゃっちゃっと簡略化してしまい稽古である意識が浅いままの事が多いです。
そういえばニコラシカも3杯ぐらい飲むとただの一気飲みになってしまい折角のブランデーを台無しにしています。
今後はちゃんと味覚のジェットコースターを楽しみ繰り返しを無駄にしないようにします。絵は恥ずかしいです!少しでも伝わればと描いてます。ありがとうございました。
6. Posted by ハイネケン   2024年08月25日 07:27
川島玄峰様
「ほうれん草」の例え話は実は玄峰さんが不在の時に宗師より頂いた話です。私も面白いと思い文章にしてみました。先日私の質問から玄峰さんに何度もグラウンディングの稽古をして頂き考え方を解すには受容性には実感(味わい)が重要だと思いました。
ありがとうございました。
7. Posted by ハイネケン   2024年08月25日 07:36
上記川島玄峰様への返信文章にて訂正致します。
>考え方を解すには受容性には実感(味わい)が重要だと思いました。

正しくは
>考え方を解すには受容性の一つとして実感(味わい)が重要だと思いました。

失礼致しました。
8. Posted by マルコビッチ   2024年08月25日 15:37
物事にきちんと向かい合う繊細さの中にも楽しみを忘れないような、ハイネケンさんの生き方が伺える記事ですね。

確かにほうれん草を茹でる時、根元の茎の部分と葉の部分では茹で時間が違うので、茎から入れて少し待って葉の部分を浸していきます。
が、私の場合どうだろう・・そうはしているけれどそうしているだけ・・で、その時の、色、香り、音、感触を感じてここぞというタイミングで茹でてはいず、ほうれん草からの声を受けていなかったな・・と、乱暴だなと思いました。
体をほぐすことでも、これをやってあれをやってとパターン化させてしまっているきらいがあり、自分の状態をもっと丁寧に感じて、今の自分の身体と関わっていかなければと思いました。
丁寧に関わることで、日々の変化も感じやすく、不足していることにも目が行きやすくなるのでしょうね。

味のある絵と共にハイネケンさんから発せられる言葉は、私にとってとても刺激的です。
ありがとうございました。
9. Posted by ハイネケン   2024年08月25日 21:21
マルコビッチ様
折角の稽古がパターン化しては勿体無いですよね。私も同じ悩みですので稽古の時この様な文章にして自分の稽古の指針にしています。でもほうれん草で出来て自分の身体で出来ない訳がありません。マルコビッチさんのほうれん草は私のより美味しそうですね♩
丁寧さは必ず自身に返って来ます。
五感は思考より速く豊かです。良いアタマの使い方かもしれません。
10. Posted by 松久宗玄   2024年08月25日 22:29
固い身体を動けるように整えていくプロセスを、料理やカクテルと比較してみるのは面白い視点ですね。

レシピに沿って正確に料理すれば、破綻なく整った料理になりますし、
食材を深く理解した上で、緻密な仕事を施せば絶品の一品にもなり、
何か手順や分量を間違えて、バランスを崩してしまうと残念な一品にもなってしまう、
職人の仕事の世界と似ていると感じます。

稽古も形としては同じ「型」の繰り返しではありますが、
素材となる身体は、常に一定の状態ではなく、
そこに込められる工夫で、仕上がりや味わいが日々変化していきます。

太極拳に関して、職人として取り組めているだろうか?
自問自答してみて「まだまだ」だと、立ち位置を見直す機会になりました。
11. Posted by ユキ   2024年08月25日 23:59
「葉先から根元まで心地よい茹で上がりになる」
このようにほうれん草を茹でられることは、ある程度台所に立って料理に親しんだ人にしか得られない技だと思うのですが、一体どのようにして学ばれたのでしょうか。。?
経験か、誰かに教わったのか。
何れにしても、ほうれん草を満遍なく茹で上げられることと、体全体を放鬆(ファンソン)できることは、同じであると思えますから、「このようにすれば満遍なく茹でられる」ということが体にも得られれば良いはずなのです。
“ほうれん草に教わる放鬆の仕方!“、ありがとうございます。

「ニコラシカ」、もしかしたら、1日目の良い状態があったからこそ、2日目に脚の重さが現れたかも知れませんね。
今までにない寛いだ体の状態になり、しかし体の使い方は比較的今までに近いものであるならば、当然負荷の掛かり方や負荷を感じるセンサーやメモリが細かくなっているはずですから、「良い状態ではない」と感じるわけです。
そう考えると、ハイネケンさんは十分に2日目の学びができていることになりますね。
大事なのは「考え方」です。
 
12. Posted by 平田玄琢   2024年08月26日 08:29
先週の健康クラスにて、
床に寝て片膝を立て、その膝で反対側のふくらはぎをほぐす。
熟練すると凝っている細かい中の方まで解すことができると、宗師が仰っていましたが、私はまだ束の筋肉の外側か。と思いました。

規矩術
13年前、境内の白山神社が台風の大風による倒木と山崩れで、移転修理をしました。
大工さんの説明では、その文化財のお社は、400年前の建築物で700年前に確立された中世の規矩術を使っているという事でした。費用の面から、潰して闇に葬った方が良いとの意見もありましたが、大工さんと相談して利益なしの日当のみで修理する事となり、二年の歳月で完成となりました。

その規矩術が一番使われた場所が、軒下の垂木という部分でした。中心から360度扇の様に伸びて、四隅が少し反っている形。現代でいうと3D×3D。キャドが通用しない仕様だそうです。立体的に動いている基本功と何か似ているところがあるような。

ニコラシカ
この飲み方は私の一番好きな、ブランデーの飲み方です。尤も私は、薄切りのレモンにグラニュー糖をたくさんかけ、それを前歯でチミチミ噛みながら飲むという変な飲み方をします。「口の中で混ぜて」完成するものとは思っていませんでした。
私は普段「塩辛をつまみに日本酒を飲むと、口の中で混ぜて完成する」状態です。考えるとなんか気持ち悪いですね。
13. Posted by 西川敦玄   2024年08月26日 10:54
ほうれん草の束をほぐす。ほぐす対象は主に筋なのだと仮定して、究極にほぐれていないほうれん草の束を想像してみました。何重にもひもかゴムで巻かれてカチカチです。棒のようです。筋でいうとどのようなときに、このような状態になるだろうか。こんな風に考えてみると、ほぐす元の状態などがわかりやすいように思いました。

ニコラシカ まだ私飲んだことありません。今度挑戦してみたいと思います。混ぜて出てくるカクテルとの違いをなんとなく想像してみました。一気に口内で完成されるとはいえ、段階的な要素を認識することができるのだろうと思いました。
カクテルはあまり飲むことがないのですが、美味しいバーを探してみたいと思いました。
14. Posted by 太郎冠者   2024年08月27日 18:00
>心地よい茹で上がり
「料理なんて胃の中に納まってしまえば一緒!」
…などと嘯いてみても、同じものでも料理の仕方、また食べ方によって栄養の状態や、体への吸収のされ方は異なってくるのだそうです。

一番心地よい、美味しく頂ける状態を追求すること、稽古で太極拳を味わい尽くすこと…同じなのかもしれませんね。
ひるがえって自分はというと?もっと味わってやらなければならないことが、たくさん見えてきます。

>「解れ(ほぐれ)具合」
力んでない、放鬆された状態が持つ武術的な強さ。
頭ではわかっているつもりでも、知らず体に力みが生じてしまうこともしばしばです。
これもまた、味わいながらじっくり取り組んでいきたいですね!
15. Posted by ハイネケン   2024年08月27日 22:07
松久 宗玄 様
職人の仕事とすると私は自分という素材を見抜けず四苦八苦してます。
宗師はそんな私を調整(調理?)し動ける身体にしてしまいます。身体が数十分でどんどん変わるのが分かります。宗師は何を観ておられるのか?宗玄さんの様に毎日の違いに気を配れるようになりたいです。
16. Posted by ハイネケン   2024年08月27日 22:09
ユキ様
「満遍なく」となると全身と詰まり箇所とのバランスに注視してみます。
「2日目」の稽古スポンジの様に吸い込み、風に吹かれるが如くサラリと身体から出て行ってしまいました。
今まで知らなかった身体の軽さはとても心地よかったです。太極拳の稽古は心地よいものなのですね、多分。

17. Posted by ハイネケン   2024年08月27日 22:17
平田玄琢様
西暦で失礼しますが西暦1300年代に完成している規矩術に驚き、西暦1600年代に作られた垂木。お話だけでも古の職人達の息吹を感じます。現代建築(西洋建築?)技術で継ぎ足しで直さずに取り組まれ修理箇所は間違いなく社の一部。西洋建築を継ぎ足さず、歴史に刻まれるであろう修繕に「真心」を感じます。
(西暦で書いてしまい申し訳けありません。)
ニコラシカを飲まれるか方は少ないので御仲間は嬉しいです。お酒の飲み方は自由ですから次回私も「ちびちびニコラシカ」をやってみます。少ないので3口ぐらいで飲んじゃいそうです(笑)
18. Posted by ハイネケン   2024年08月27日 22:20
西川敦玄様
筋肉は筋収縮で動くので凝り固まっている逆側のメンテナンスも良いかもしれません。筋肉への指示は神経ですし、神経への指示は意識です。関節の曲げ伸ばしというシンプルな運動ですら太極拳として稽古すると面白いですね。そういえば先日宗師から教わった2人で足を…(自粛)。あの稽古は逆側からのメンテナンスな気がします。新たな気づきになりました。ありがとうございます。
19. Posted by ハイネケン   2024年08月27日 22:41
太郎冠者様
定期的に(いつも?)放鬆が分からないです、とか、グラウンディングが分からないです、と質問しいつも教えていただいているのに固くなる身体。
力みの原因は人それぞれかもしれませんが解決方法は自分が取組む事のみ。
今は試行錯誤してみる事しか思いつきませんが、、、。
良い質問、良い試行錯誤は良い疑問の証だと思います。
20. Posted by 清水龍玄   2024年08月27日 22:57
自身の身体へのアプローチと、ほうれん草の調理をリンクさせて考えるのは、面白いですね。
その時その時、自分自身に物事にどう関わっているか、それで結果はかわってきますね。

私は、料理人が料理をしている姿や、バーテンダーがお酒を作っているのを見るのが好きです。
技術や理論、感性や経験を総動員して一品一品作っている姿を見ると、反省することもあるし、刺激を受けて元気にもなります。
勿論、味わうことも大好きですが。

ニコラシカ、初めて知りました。
おいしそうですね。
21. Posted by マガサス   2024年08月28日 01:29
 物事への関わりかたは、深く掘り下げることもできれば、浅く広くすることもでき、関わる物と波長を合わせて状態を感じとることもできれば、無視して自分勝手にする事もできます。
ほうれん草と関わるように、自分と関われれば、色んな発見ができそうです!
色を見て、茹で上がる香りを嗅ぎ、茹だる音を聞きわけ、柔らかくなっていく感触を確かめる。味わう。
そしてニコラシカのように、別々の素材(稽古でご指導頂いている大事なキーワード)が、自分という器の中で共鳴して繋がり混じり合って「太極拳」になるよう、余分な緊張を持たずに取り組みたいものです。
まるで心地のよい音楽を奏でているかのように・・・
いつも心に響く記事をありがとうございます。
22. Posted by ハイネケン   2024年08月31日 07:52
清水 龍玄 様
面白いと思って頂き嬉しいです。
手仕事の美しさは無駄のない積み重ねから完成する「デザイン」でもあります。
私は自分が職人仕事は無理で向いてないと思っていましたが、今は好きならやってみるのも良いかと思います。好きも嫌いも刺激は人生の糧になりえます。
23. Posted by ハイネケン   2024年08月31日 10:40
マガサス 様
バーでバーテンダーさんとシェイクって何だ?との話題になり、シェイクするカクテルの材料をボウルに入れ、泡立て器で混ぜた事があります。
飲むと全く違うモノでした。味も香りも舌触りも。
材料が同じでも道具やプロセス、目指すイメージによって連鎖しながら全てが変化しますね。
「余分な緊張」は自分では気付けない事が多いです。取組む事と緊張する事は関係性が深そうで面白そうですね。

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