2024年07月31日
門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その85
『おしよせる偶然』
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
先月まで苦しめられていた腰の痛みがようやく治まり、支障なく稽古に取り組めるようになってきました。先週末の稽古に仕事の都合でどうしても出席できなくなってしまったのですが、それによって幸か不幸か、最後の最後まで残っていた右腰の違和感が完全に治ることとなりました。もしかしたら「腰を完全に治せ」という、天の采配だったのかもしれません。
何かの偶然が連続して起こり物事の変化を促す、というのは生きている上で時折生じるのではないでしょうか。どのような意味があるのか、当事者である自分にはよくわかっていないものの、何かの出来事が連鎖を起こすように起きたり、ある特定のキーワードや状況が目の前に立て続けに現れたり…。
それらは全て偶然である、と片づけてしまうことは簡単なことかもしれませんが、何か感じるものがあったのだとしたら、そこに秘められたメッセージに耳を傾けてみるのも必要なことなのかもしれません。
いま自分の周囲では、それまで片付けられてこなかった事を綺麗に片づける、ないしは清算して、新しい体制に作り替えなければならない状況が生じています。それは、自分がため込んでいて手を付けていなかったものであったり、前任者から引き継いだ状況や、誰かが残した物であったり、現れ方は様々なものではあります。
それは自分の周りの出来事ではあるものの、それらひとつひとつは全く関わりのない事であったはずです。その、「片づけなければ…」と思っていた別々の事が、ある時急に突然、一斉に状況が動いていくのですから、これは何事か?と思わずにはいられないというものです。
仕事では、前任者が定年退職をするにあたり、担当していた仕事を私が全て引き継ぐ形になりました。その際に、前任者が片づけきれなかった…つまり手が付けられずに放置されていたモノがたくさん、私の目の前に残されることになりました。物理的なモノに限らず、仕事の残務やたまりにたまったパソコン内のファイル…日々の仕事をこなしながら片づけなければならない課題が山積みです。
また、家の事に関して言えば、亡くなった祖父母の家が空き家になって残っていたのですが、それをついに片づける方向で話が進んできました。家は建て壊して土地を手放すことになったのですが、ただ壊せばいいというわけにもいかず、残されたものの片付けをしなければなりません。
仕事の事であったり、家の事であったり、それらは一見、稽古には全く関係なさそうな気がしていたのでどこかでスルーしてしまっていた部分もあったのですが、「私」という人間が太極拳を通して人生の修行をしていく上では、逃れることは出来ない部分だったのかもしれません。
自分のプライベートな話だけだったら、記事の内容として取り上げようなどとは考えていませんでした。ところが、先日の稽古で宗師が私に、
「掃除はしていますか?」
と、問いかけてこられたのです。
私の脳裏には、これらの片づけなければならないこと、また、日々の生活の中で、片づけられていない部屋(積み上げられた本など…)が浮かびました。
宗師が意図された問いかけとは少し違ったのかもしれませんが、自分の片づけ、掃除が行き届いていない部分が嫌でも思い出されます。
太極拳とは全く関係のない所で、「〇〇修行者は掃除が出来ないとダメだ!」という文章が目に付くようになり、「なんというそのものズバリなメッセージだ…」と思いながら、いつかやろういつかやろう…と、先送りにしてきた自分の周りの片付け…そのいつかは唐突に訪れるものです。
いま、私の実家が親戚の集まる場所になっているのですが、その兼ね合いで家に改修のための電気工事が入ることになり、その期日までに片付けをすることになりました。
自分が動かないでいると、物事は強制的に進む事になるのかもしれません。
普段からきちんとやっておきなさいよ、という話ではあるのですが…。
「掃除はしていますか?」
と問う、宗師の笑顔が浮かびます。
恥ずかしながら、どのような話でそう質問されたのか記憶が飛んでしまっています。それ程に、自分にとっての核心を射た質問だったのだと思います。
ただ間違いなく、私にとって足りない部分を宗師は看過された上での問いかけであったに違いありません。
まだ完了してはいないものの、片付けが進んだ部屋の中を見ていると、確かにそれまでと違った、すっきりした感覚が自分の中にあるのがわかります。不必要なモノは室内だけのみならず、いつの間にか自分自身の中にも知らずに溜まっていってしまっているのかもしれません。
それらが片付き整頓されることで、自分の頭の中や考え方も、同時に整ってくるような気分です。一度片付けをし始めると、それまで見て見ぬふりをしていた場所も、どのように片付けようか、どれくらい綺麗になるだろうかと、また違った見方が出来てくるのが不思議なものです。
翻って、日々の稽古でも同じことをしているのだろうなと思ったものです。
毎日の稽古を積み重ねる…功夫の大事さは今更語る必要はないかと思いますが、その裏側で生じている自分の思い込みや間違い、それらも同時に片づけていかない事には、正しい功夫の積み重ねにはならないのかもしれません。
生活をしていればゴミや汚れは出るものです。それを自分の手で掃除し、片づけるという事というのは、稽古中に生じる「自分」を落としていくことと共通するのではないかと感じました。
日々の生活を稽古にする、掲げておいて、その実生活が蔑ろにされているという状況で、果たしてどのような稽古が出来るのでしょうか。今回の一連の出来事を通じて、私が一番痛感したのはその点であったかと思います。
太極拳と掃除を関連付けていなかったという点をひとつとっても、「私にとっての太極拳の修行」という考え方を挟んでしまっていたというのがわかります。
私の太極拳には、掃除は関係ない…自分で勝手にそうしてしまっていたら、果たしてどれだけの取りこぼしがあったでしょうか。いや、そもそもそのような取り組みで本当のことなど何一つわかるはずがありません。
その事に気づかせていただけた事は、本当にありがたいことだったと思います。
怒涛の如く出来事の変化が連続するという事は、裏を返せば、天が私の修行を手助けしてくれているのではないかと思います。
その中で見つめる自分自身の反応や思いは、自分の中だけでは気づけなかった自分という存在を、様々な面から映し出してくれているように感じます。
修行の機会を望めば、与えてくれる…何よりもこの事が本当に面白いものだと感じます。
この機会を生かして、さらに精進を重ねていきたいと思います。
(了)
☆人気記事「今日も稽古で日が暮れる」は、毎月掲載の予定です!
☆ご期待ください!
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
先月まで苦しめられていた腰の痛みがようやく治まり、支障なく稽古に取り組めるようになってきました。先週末の稽古に仕事の都合でどうしても出席できなくなってしまったのですが、それによって幸か不幸か、最後の最後まで残っていた右腰の違和感が完全に治ることとなりました。もしかしたら「腰を完全に治せ」という、天の采配だったのかもしれません。
何かの偶然が連続して起こり物事の変化を促す、というのは生きている上で時折生じるのではないでしょうか。どのような意味があるのか、当事者である自分にはよくわかっていないものの、何かの出来事が連鎖を起こすように起きたり、ある特定のキーワードや状況が目の前に立て続けに現れたり…。
それらは全て偶然である、と片づけてしまうことは簡単なことかもしれませんが、何か感じるものがあったのだとしたら、そこに秘められたメッセージに耳を傾けてみるのも必要なことなのかもしれません。
いま自分の周囲では、それまで片付けられてこなかった事を綺麗に片づける、ないしは清算して、新しい体制に作り替えなければならない状況が生じています。それは、自分がため込んでいて手を付けていなかったものであったり、前任者から引き継いだ状況や、誰かが残した物であったり、現れ方は様々なものではあります。
それは自分の周りの出来事ではあるものの、それらひとつひとつは全く関わりのない事であったはずです。その、「片づけなければ…」と思っていた別々の事が、ある時急に突然、一斉に状況が動いていくのですから、これは何事か?と思わずにはいられないというものです。
仕事では、前任者が定年退職をするにあたり、担当していた仕事を私が全て引き継ぐ形になりました。その際に、前任者が片づけきれなかった…つまり手が付けられずに放置されていたモノがたくさん、私の目の前に残されることになりました。物理的なモノに限らず、仕事の残務やたまりにたまったパソコン内のファイル…日々の仕事をこなしながら片づけなければならない課題が山積みです。
また、家の事に関して言えば、亡くなった祖父母の家が空き家になって残っていたのですが、それをついに片づける方向で話が進んできました。家は建て壊して土地を手放すことになったのですが、ただ壊せばいいというわけにもいかず、残されたものの片付けをしなければなりません。
仕事の事であったり、家の事であったり、それらは一見、稽古には全く関係なさそうな気がしていたのでどこかでスルーしてしまっていた部分もあったのですが、「私」という人間が太極拳を通して人生の修行をしていく上では、逃れることは出来ない部分だったのかもしれません。
自分のプライベートな話だけだったら、記事の内容として取り上げようなどとは考えていませんでした。ところが、先日の稽古で宗師が私に、
「掃除はしていますか?」
と、問いかけてこられたのです。
私の脳裏には、これらの片づけなければならないこと、また、日々の生活の中で、片づけられていない部屋(積み上げられた本など…)が浮かびました。
宗師が意図された問いかけとは少し違ったのかもしれませんが、自分の片づけ、掃除が行き届いていない部分が嫌でも思い出されます。
太極拳とは全く関係のない所で、「〇〇修行者は掃除が出来ないとダメだ!」という文章が目に付くようになり、「なんというそのものズバリなメッセージだ…」と思いながら、いつかやろういつかやろう…と、先送りにしてきた自分の周りの片付け…そのいつかは唐突に訪れるものです。
いま、私の実家が親戚の集まる場所になっているのですが、その兼ね合いで家に改修のための電気工事が入ることになり、その期日までに片付けをすることになりました。
自分が動かないでいると、物事は強制的に進む事になるのかもしれません。
普段からきちんとやっておきなさいよ、という話ではあるのですが…。
「掃除はしていますか?」
と問う、宗師の笑顔が浮かびます。
恥ずかしながら、どのような話でそう質問されたのか記憶が飛んでしまっています。それ程に、自分にとっての核心を射た質問だったのだと思います。
ただ間違いなく、私にとって足りない部分を宗師は看過された上での問いかけであったに違いありません。
まだ完了してはいないものの、片付けが進んだ部屋の中を見ていると、確かにそれまでと違った、すっきりした感覚が自分の中にあるのがわかります。不必要なモノは室内だけのみならず、いつの間にか自分自身の中にも知らずに溜まっていってしまっているのかもしれません。
それらが片付き整頓されることで、自分の頭の中や考え方も、同時に整ってくるような気分です。一度片付けをし始めると、それまで見て見ぬふりをしていた場所も、どのように片付けようか、どれくらい綺麗になるだろうかと、また違った見方が出来てくるのが不思議なものです。
翻って、日々の稽古でも同じことをしているのだろうなと思ったものです。
毎日の稽古を積み重ねる…功夫の大事さは今更語る必要はないかと思いますが、その裏側で生じている自分の思い込みや間違い、それらも同時に片づけていかない事には、正しい功夫の積み重ねにはならないのかもしれません。
生活をしていればゴミや汚れは出るものです。それを自分の手で掃除し、片づけるという事というのは、稽古中に生じる「自分」を落としていくことと共通するのではないかと感じました。
日々の生活を稽古にする、掲げておいて、その実生活が蔑ろにされているという状況で、果たしてどのような稽古が出来るのでしょうか。今回の一連の出来事を通じて、私が一番痛感したのはその点であったかと思います。
太極拳と掃除を関連付けていなかったという点をひとつとっても、「私にとっての太極拳の修行」という考え方を挟んでしまっていたというのがわかります。
私の太極拳には、掃除は関係ない…自分で勝手にそうしてしまっていたら、果たしてどれだけの取りこぼしがあったでしょうか。いや、そもそもそのような取り組みで本当のことなど何一つわかるはずがありません。
その事に気づかせていただけた事は、本当にありがたいことだったと思います。
怒涛の如く出来事の変化が連続するという事は、裏を返せば、天が私の修行を手助けしてくれているのではないかと思います。
その中で見つめる自分自身の反応や思いは、自分の中だけでは気づけなかった自分という存在を、様々な面から映し出してくれているように感じます。
修行の機会を望めば、与えてくれる…何よりもこの事が本当に面白いものだと感じます。
この機会を生かして、さらに精進を重ねていきたいと思います。
(了)
☆人気記事「今日も稽古で日が暮れる」は、毎月掲載の予定です!
☆ご期待ください!
コメント一覧
1. Posted by ハイネケン 2024年08月01日 21:13
仕事で前任者から引き継ぐと、いいモノ、そうでないモノもあり見極めが大変で整理整頓から始まりますね。お互い仕事も頑張りましょう。
武藝館で学んでいる先人達から引き継いだ練功はどうだろうと考えてみると
柔功は整ったシンプルさが際立ちます。もし整理し続けたら更に良い練功が成立するかもしれませんがそれには深淵を覗くしかない気がします。
柔功が苦手で宗師に相談すると「解し」を教えて頂きました。
その時柔功の本質を整理した為に出来た「解し」ではないかと感じました。
「掃除はしていますか?」
の続きは「さあ掃除をしましょう」と思います。
意識は「意識して」変化させる事が可能でサーチライトのライトアップの様に見え方を変えてくれます。
掃除し自分自身の中の「不要なものを意識してみる」。
なるほど。今日は何を掃除してみよう?これは良い問いかけです。早速用いてみます。
太郎冠者様 ありがとうございました。
武藝館で学んでいる先人達から引き継いだ練功はどうだろうと考えてみると
柔功は整ったシンプルさが際立ちます。もし整理し続けたら更に良い練功が成立するかもしれませんがそれには深淵を覗くしかない気がします。
柔功が苦手で宗師に相談すると「解し」を教えて頂きました。
その時柔功の本質を整理した為に出来た「解し」ではないかと感じました。
「掃除はしていますか?」
の続きは「さあ掃除をしましょう」と思います。
意識は「意識して」変化させる事が可能でサーチライトのライトアップの様に見え方を変えてくれます。
掃除し自分自身の中の「不要なものを意識してみる」。
なるほど。今日は何を掃除してみよう?これは良い問いかけです。早速用いてみます。
太郎冠者様 ありがとうございました。
2. Posted by 平田玄琢 2024年08月02日 09:34
悪い偶然が重なって起こる事は事故。良い偶然が連続して起こる事は一体何でしょうか?
何らかの思し召しでしょうね。
お盆月ですので、昔の日本人の死生観を少し解説します。
まず、お盆に訪れる先祖は、自分の知っている方、聞いた事があるご先祖様。即ち近い先祖。
お正月に訪れる先祖は、長い年月により浄化浄霊され、自然と一体となり「歳神様」と言われる稔りをもたらす遠い先祖。
人の逝去後の魂は四つあると言われ、和霊(なごみたま)は家に、荒霊(あらみたま)はお墓に。幸霊(さきみたま)や奇霊(くしみたま)は、人の行いにより顕れると言われています。
世の中、一部の人達の極端な断捨離が流行っていて、余分な物のない生活、煩わしい関係終いを目指しています。友終い、親終い、子終い、夫婦終い、家終い、ご近所終い、氏子終い、檀家終い、先祖終い、墓終い、終活(自分終い)。
特に、周りの人や先祖との関係が絶たれることによって守護されることもなくなり、祟る(絶たる)こととなり、悪い偶然が立て続けに起こると言われています。
「清掃と整理」は、生活、稽古ともに本当に必要なものと感じます。
私はまだ、祖父の遺した大量の骨董品に悩まされています。骨董はさまざまな分野に精通しなければ価値が分からないからです。
何らかの思し召しでしょうね。
お盆月ですので、昔の日本人の死生観を少し解説します。
まず、お盆に訪れる先祖は、自分の知っている方、聞いた事があるご先祖様。即ち近い先祖。
お正月に訪れる先祖は、長い年月により浄化浄霊され、自然と一体となり「歳神様」と言われる稔りをもたらす遠い先祖。
人の逝去後の魂は四つあると言われ、和霊(なごみたま)は家に、荒霊(あらみたま)はお墓に。幸霊(さきみたま)や奇霊(くしみたま)は、人の行いにより顕れると言われています。
世の中、一部の人達の極端な断捨離が流行っていて、余分な物のない生活、煩わしい関係終いを目指しています。友終い、親終い、子終い、夫婦終い、家終い、ご近所終い、氏子終い、檀家終い、先祖終い、墓終い、終活(自分終い)。
特に、周りの人や先祖との関係が絶たれることによって守護されることもなくなり、祟る(絶たる)こととなり、悪い偶然が立て続けに起こると言われています。
「清掃と整理」は、生活、稽古ともに本当に必要なものと感じます。
私はまだ、祖父の遺した大量の骨董品に悩まされています。骨董はさまざまな分野に精通しなければ価値が分からないからです。
3. Posted by 西川敦玄 2024年08月03日 08:53
どのような分脈で仰られたか、おぼろげですが、以前師父が、片付けと関連づけられてだったと思いますが神聖な場を作りなさいと仰られたことがあったと思います。
あらためて考えてみると、神聖な場とは一般的には神などの信仰や、尊いものを受け入れる、祈りを捧げる場所です。神社仏閣など想像されます。普通の感覚では、その場所は整えられ自分の雑事は転がっていません。そして不思議なことに、祭りや行事ごとで賑わっていても、やはりそこには自分の雑事は転がる隙間がないように思います。
そのような所であれば、人は願い、受け取ることがより身近になるのだと思います。
今回、記事を通して単に物事を処理するという片付けでなく、祈り受け入れるということに目を向けなおすことが出来ました。太郎冠者さん、こんな機会を提供いただきありがとうごさいました。
あらためて考えてみると、神聖な場とは一般的には神などの信仰や、尊いものを受け入れる、祈りを捧げる場所です。神社仏閣など想像されます。普通の感覚では、その場所は整えられ自分の雑事は転がっていません。そして不思議なことに、祭りや行事ごとで賑わっていても、やはりそこには自分の雑事は転がる隙間がないように思います。
そのような所であれば、人は願い、受け取ることがより身近になるのだと思います。
今回、記事を通して単に物事を処理するという片付けでなく、祈り受け入れるということに目を向けなおすことが出来ました。太郎冠者さん、こんな機会を提供いただきありがとうごさいました。
4. Posted by 松久宗玄 2024年08月03日 13:27
部屋は心の現れとは良く言われますが、新しく何かを習得する/追求するに際しては、確かに無視できない影響があると感じています。
部屋が雑然/いっぱい→心(内面)が雑然/いっぱい→新しいインプットが入る余地が無い、と繋がっているようで、
部屋を片付ける/スペースができる→心(内面)が片付く/スペースができる→新しいインプットが入る状態になる、
と正の循環が生じる起点になりうると感じています。
過去の試験前の一夜漬けを思い出すと、勉強を始める前に掃除をしたくなるのも、スペースを作りたいという本能の働きだったのかもしれません・・・
(違うけど・・・)
部屋が雑然/いっぱい→心(内面)が雑然/いっぱい→新しいインプットが入る余地が無い、と繋がっているようで、
部屋を片付ける/スペースができる→心(内面)が片付く/スペースができる→新しいインプットが入る状態になる、
と正の循環が生じる起点になりうると感じています。
過去の試験前の一夜漬けを思い出すと、勉強を始める前に掃除をしたくなるのも、スペースを作りたいという本能の働きだったのかもしれません・・・
(違うけど・・・)
5. Posted by 阿部玄明 2024年08月03日 15:57
太郎冠者さん
今回の記事を見て自分も慌てて掃除を始めてます。
暑いからと言って部屋を散らかったままにしていると余計暑くなるのです。
汗かきながら掃除を済ますと部屋が息づいてきてかえって涼しくなりました。
些細な汚れだと思って後から一気に洗えば良いと思い放置していたら
頑固にこびりついてしまい汚れが一体化してしまう。服や車の塗装などに付いた汚れが落ちなくなってしまうことがあり、長年不思議だと思っていました。
最近思うことは 汚れ、散らかり などは”成長”するのだと考えます。
時間経過とともに成長し根を張り、宿主と一体化する意思or目的を持っているのだと。
あくまで思考実験ですが汚れや散らかりがそう言った人格を持っていると仮定すると汚れた状態を放置できなくなります。自分自身がそれらの影響下に置かれ、いつの間にか汚れが自分の一部になってしまうかも・・・・と注意を払うようになります。
生活している以上、汚れと散らかりは避けられないことですがこまめに掃除をしていけば
自分をリセットして元通りの状態になるはず。
だが週末に、月末に、次の連休にまとめてやればいいや・・・では手遅れになる。
きっといつも気にかけて気づいたら直ぐにやることが秘訣でしょう。
また、「散らかりにくく生活するにはどうすればよいだろうか」と発生源を抑制する生活上の工夫をするのも手です。
生活に気を付けるとはそういうことだと考えています。
今回の記事を見て自分も慌てて掃除を始めてます。
暑いからと言って部屋を散らかったままにしていると余計暑くなるのです。
汗かきながら掃除を済ますと部屋が息づいてきてかえって涼しくなりました。
些細な汚れだと思って後から一気に洗えば良いと思い放置していたら
頑固にこびりついてしまい汚れが一体化してしまう。服や車の塗装などに付いた汚れが落ちなくなってしまうことがあり、長年不思議だと思っていました。
最近思うことは 汚れ、散らかり などは”成長”するのだと考えます。
時間経過とともに成長し根を張り、宿主と一体化する意思or目的を持っているのだと。
あくまで思考実験ですが汚れや散らかりがそう言った人格を持っていると仮定すると汚れた状態を放置できなくなります。自分自身がそれらの影響下に置かれ、いつの間にか汚れが自分の一部になってしまうかも・・・・と注意を払うようになります。
生活している以上、汚れと散らかりは避けられないことですがこまめに掃除をしていけば
自分をリセットして元通りの状態になるはず。
だが週末に、月末に、次の連休にまとめてやればいいや・・・では手遅れになる。
きっといつも気にかけて気づいたら直ぐにやることが秘訣でしょう。
また、「散らかりにくく生活するにはどうすればよいだろうか」と発生源を抑制する生活上の工夫をするのも手です。
生活に気を付けるとはそういうことだと考えています。
6. Posted by 川島玄峰 2024年08月03日 17:00
掃除するには気持ち、行動、整理の仕方が必要ですね。
私は日常では整理整頓、掃除をつい後回しにするか疎かになってしまいます。
今回の記事を読み掃除について考えると武術の在り方でもある心技体を思い浮かべました。
武術を学ぶ者としては掃除など日常生活の所作も必要な事と今回の内容で改めて痛感しました。
所作を稽古として捉える事で色々な変化にも対応出来るきっかけが得られるかもしれません。
日常の在り方を少しでも修正できるよう掃除にも取り組もうと思います。
ありがとうございました。
私は日常では整理整頓、掃除をつい後回しにするか疎かになってしまいます。
今回の記事を読み掃除について考えると武術の在り方でもある心技体を思い浮かべました。
武術を学ぶ者としては掃除など日常生活の所作も必要な事と今回の内容で改めて痛感しました。
所作を稽古として捉える事で色々な変化にも対応出来るきっかけが得られるかもしれません。
日常の在り方を少しでも修正できるよう掃除にも取り組もうと思います。
ありがとうございました。
7. Posted by マルコビッチ 2024年08月04日 12:23
コツコツやっていく事が苦手な私!
主要なところだけ掃除をして、手付かずな場所がある家!
本当に稽古にも同じ事が言えます。
自分の体力、気力、頭を上手に使って回していかなければいけませんね。
頑張ります。ありがとうございました。
気になっている事、負い目になっているようなことにポンとはまる言葉を投げかけられると、ある意味偶然のように思ってしまいます。
それはそれで、やっぱりそこが不足だったんだと確信できて、発見、発展につながるのだと思います。自分の成長に繋がることで本当に素晴らしいことだと思います。
ただ、その言葉の本当の意味するところを見逃す危険性もあるのではないかと感じました。
その一言はもっと違う大切なことだったのかもしれません。
こういうことは私も誰もが起こりうることなのだと思います。
なぜなら、人は自分の気になっていること、自分で問題と思っていること、自分の考えがいっぱいで、なかなか空っぽの状態になれないからです。
空っぽの状態で、宗師の言葉の中身を受け取れたら、もっと宗師とチューニング出来るのだろうと思いました。
主要なところだけ掃除をして、手付かずな場所がある家!
本当に稽古にも同じ事が言えます。
自分の体力、気力、頭を上手に使って回していかなければいけませんね。
頑張ります。ありがとうございました。
気になっている事、負い目になっているようなことにポンとはまる言葉を投げかけられると、ある意味偶然のように思ってしまいます。
それはそれで、やっぱりそこが不足だったんだと確信できて、発見、発展につながるのだと思います。自分の成長に繋がることで本当に素晴らしいことだと思います。
ただ、その言葉の本当の意味するところを見逃す危険性もあるのではないかと感じました。
その一言はもっと違う大切なことだったのかもしれません。
こういうことは私も誰もが起こりうることなのだと思います。
なぜなら、人は自分の気になっていること、自分で問題と思っていること、自分の考えがいっぱいで、なかなか空っぽの状態になれないからです。
空っぽの状態で、宗師の言葉の中身を受け取れたら、もっと宗師とチューニング出来るのだろうと思いました。
8. Posted by 川山継玄 2024年08月05日 08:50
先日、私が課題と感じている事を、宗師とお話しする機会がありました。
「それを解決するにはどうしたらいいと思いますか?」
と問われ、これからやっていこうと思っていたことを二つお伝えすると
「もちろん、それは正解だと思います。というより、正解・不正解はないのだと思います。
只、本当に自分がそれを解決したいのなら、自分が、それを本当にやりたいのかを問うてみる事。きちんと、それと向かい合って 決める 事でしか、根本は解決できず、繰り返すことになります。」
と静かにおっしゃいました。
宗師に吹っ飛ばされた時の衝撃が走りました。
自分ととことん向かい合い、自分で決めて、コツコツ取り組む
手間がかかるし、本当の自分に向かい合いごまかせなくなるのは都合が悪い、と嫌厭していたことでした。
この道を究めたい、人間性を養い続けたいと思うのであれは、それは避けては通れず、やらなければ、変貌はできないのだと思います。
全ての現象は、自分が決めて、望んだ結果であり、偶然ではないと実感しています。
私事ですが、4月から一人暮らしを始めた長女が、先日二泊ですが帰ってきました。
前回返ってきたときは、自分の使ったものもちらけ放題で戻りましたが、今回は
「朝ごはんが用意されてるって最高!ありがとう!」
と深々と頭を下げ、部屋を整えて帰りました。
どすどすとものすごい足音だったものが、静かになっていた事にも驚きでした。
たった4ヶ月ですが、彼女なりに、
「何事も自分でやるしかない」
と腹をくくったのではないかと、我が子の成長が嬉しくもあり、淋しくもあり…
私も、自律しよう!と改めて思いました。
太郎冠者さん
貴重な体験を記事にして下さり、ありがとうござぃました。
共に、頑張りましょう。
「それを解決するにはどうしたらいいと思いますか?」
と問われ、これからやっていこうと思っていたことを二つお伝えすると
「もちろん、それは正解だと思います。というより、正解・不正解はないのだと思います。
只、本当に自分がそれを解決したいのなら、自分が、それを本当にやりたいのかを問うてみる事。きちんと、それと向かい合って 決める 事でしか、根本は解決できず、繰り返すことになります。」
と静かにおっしゃいました。
宗師に吹っ飛ばされた時の衝撃が走りました。
自分ととことん向かい合い、自分で決めて、コツコツ取り組む
手間がかかるし、本当の自分に向かい合いごまかせなくなるのは都合が悪い、と嫌厭していたことでした。
この道を究めたい、人間性を養い続けたいと思うのであれは、それは避けては通れず、やらなければ、変貌はできないのだと思います。
全ての現象は、自分が決めて、望んだ結果であり、偶然ではないと実感しています。
私事ですが、4月から一人暮らしを始めた長女が、先日二泊ですが帰ってきました。
前回返ってきたときは、自分の使ったものもちらけ放題で戻りましたが、今回は
「朝ごはんが用意されてるって最高!ありがとう!」
と深々と頭を下げ、部屋を整えて帰りました。
どすどすとものすごい足音だったものが、静かになっていた事にも驚きでした。
たった4ヶ月ですが、彼女なりに、
「何事も自分でやるしかない」
と腹をくくったのではないかと、我が子の成長が嬉しくもあり、淋しくもあり…
私も、自律しよう!と改めて思いました。
太郎冠者さん
貴重な体験を記事にして下さり、ありがとうござぃました。
共に、頑張りましょう。
9. Posted by ユキ 2024年08月05日 21:50
「掃除」ですか。。
こう暑いと、かないませんねぇ(^_^;)
偶然にも、懐かしい詩が出てきたので、載せておきます。
ーーー
部屋の掃除をすることは、自分の心の掃除をすること
トイレの掃除をすることは、自分の中の流れを良くすること
水アカの掃除は、心にこびりついた垢を落とすこと
庭の掃除は、頭に新しい発想を生じさせ、
車の掃除は、丁寧に掃除された身と心に艶を与える
無心に、ただただ地味な作業を繰り返し、
また汚れるとわかっていても、
ただ、きれいにする
きれいにしたところで、また汚れる
何度繰り返しても、繰り返すことは変わらない
作業も、変わらない
汚れる、きれいにする、汚れる、きれいにする・・
変わったのは、自分だった
ーーー
こう暑いと、かないませんねぇ(^_^;)
偶然にも、懐かしい詩が出てきたので、載せておきます。
ーーー
部屋の掃除をすることは、自分の心の掃除をすること
トイレの掃除をすることは、自分の中の流れを良くすること
水アカの掃除は、心にこびりついた垢を落とすこと
庭の掃除は、頭に新しい発想を生じさせ、
車の掃除は、丁寧に掃除された身と心に艶を与える
無心に、ただただ地味な作業を繰り返し、
また汚れるとわかっていても、
ただ、きれいにする
きれいにしたところで、また汚れる
何度繰り返しても、繰り返すことは変わらない
作業も、変わらない
汚れる、きれいにする、汚れる、きれいにする・・
変わったのは、自分だった
ーーー
10. Posted by マガサス 2024年08月05日 22:22
「日常生活」と「稽古」を切り離して考えることはできませんね。
生きているうえで稽古と関係のないことなど、何一つ無いと思います。
「関わるべき物事」は数えきれない程ありますが、関わっている「自分」は一人しかいません。
どんな些細なことでも、やりたい事でもやりたく無いことでも、どのように取り組むかは全て自分が選択してやっていること。
その事に気づいた時から、向かうべきは「対象」ではなく、『自分』になりました。
今まで結びつかなかった、色々な気付きが起こりますね。
瞬間瞬間が稽古!お互いに頑張りましょう!
生きているうえで稽古と関係のないことなど、何一つ無いと思います。
「関わるべき物事」は数えきれない程ありますが、関わっている「自分」は一人しかいません。
どんな些細なことでも、やりたい事でもやりたく無いことでも、どのように取り組むかは全て自分が選択してやっていること。
その事に気づいた時から、向かうべきは「対象」ではなく、『自分』になりました。
今まで結びつかなかった、色々な気付きが起こりますね。
瞬間瞬間が稽古!お互いに頑張りましょう!
11. Posted by 太郎冠者 2024年08月05日 22:38
☆ハイネケンさん
宗師のちょっとした問いかけから、色々と不思議な経験が出来ました。
太極拳の稽古はいつでもどこでも、やろうと思えば取り組めることだと思います。
それ以上に掃除も、やろうと思えばいつでもどこでも出来るものだったなと、今回改めて意識をしてみたことで気づくことができました。
自分の職場だったら、散らかっていたら仕事がしやすいようにすぐに片付け、ごみが落ちていたらすぐに掃除するというのに、それ以外の事となるとどうしてこうも違ってしまうものでしょう…。
恐らく「まぁいいや」が通用するかしないかの違いでしょう。
であるとすれば、自分自身に対する稽古の姿勢もどのようにしているか…。
まぁいいやで済ませていないか。もう一度しっかりと見つめ直す必要があったのだと思いました。
宗師のちょっとした問いかけから、色々と不思議な経験が出来ました。
太極拳の稽古はいつでもどこでも、やろうと思えば取り組めることだと思います。
それ以上に掃除も、やろうと思えばいつでもどこでも出来るものだったなと、今回改めて意識をしてみたことで気づくことができました。
自分の職場だったら、散らかっていたら仕事がしやすいようにすぐに片付け、ごみが落ちていたらすぐに掃除するというのに、それ以外の事となるとどうしてこうも違ってしまうものでしょう…。
恐らく「まぁいいや」が通用するかしないかの違いでしょう。
であるとすれば、自分自身に対する稽古の姿勢もどのようにしているか…。
まぁいいやで済ませていないか。もう一度しっかりと見つめ直す必要があったのだと思いました。
12. Posted by 太郎冠者 2024年08月05日 22:45
☆平田玄琢さん
>昔の日本人の死生観
非常に興味深い話をありがとうございます。
今回は「掃除」をキーワードに書いてみましたが、生きている上で遭う出来事には、本当に偶然とは思えないような関連性がいくつもあると感じたものでした。
環境が変われば、不要となったものは自然と処分され、新しい出会いもいくつもあるのだと。
その中でも、それまでに紡がれた縁は脈々と息づき、今の自分を構成する要素となっており、そこから未来へも繋がっていく。
そこで感じられたものから、不思議と感謝の気持ちが自然と湧き上がってきます。
昔の日本人が感じ取り理解していたものを、私もまた大切にしていきたいと思いました。
>昔の日本人の死生観
非常に興味深い話をありがとうございます。
今回は「掃除」をキーワードに書いてみましたが、生きている上で遭う出来事には、本当に偶然とは思えないような関連性がいくつもあると感じたものでした。
環境が変われば、不要となったものは自然と処分され、新しい出会いもいくつもあるのだと。
その中でも、それまでに紡がれた縁は脈々と息づき、今の自分を構成する要素となっており、そこから未来へも繋がっていく。
そこで感じられたものから、不思議と感謝の気持ちが自然と湧き上がってきます。
昔の日本人が感じ取り理解していたものを、私もまた大切にしていきたいと思いました。
13. Posted by 太郎冠者 2024年08月05日 22:54
☆西川敦玄さん
ほとんど私事のような、太極拳とはあまり関係がなく見える記事を読んでいただき、ありがとうございました。
敦玄さんが書いて下さった事とも関連するように感じた事があります。
今回、一連の出来事を通じて、掃除をして片づける事、場所を作り出す事、それによって新しく変わる事を物理的に体験したのですが、そうすることでこちらの心持も大きく変化する部分があったように思いました。
余計なものを持ち込まず、自分を挟まず、物事をただ受け取る…太極拳への取り組み方に通じる事のように感じました。
それだからこそ、宗師はそのような話題を口にされたのかもしれません。
引き続き、掃除していこうと思います。
ほとんど私事のような、太極拳とはあまり関係がなく見える記事を読んでいただき、ありがとうございました。
敦玄さんが書いて下さった事とも関連するように感じた事があります。
今回、一連の出来事を通じて、掃除をして片づける事、場所を作り出す事、それによって新しく変わる事を物理的に体験したのですが、そうすることでこちらの心持も大きく変化する部分があったように思いました。
余計なものを持ち込まず、自分を挟まず、物事をただ受け取る…太極拳への取り組み方に通じる事のように感じました。
それだからこそ、宗師はそのような話題を口にされたのかもしれません。
引き続き、掃除していこうと思います。
14. Posted by 太郎冠者 2024年08月05日 23:01
☆松久宗玄さん
綺麗に片づければ、同じ部屋の広さでもたくさんの物が入れられるように(あまりよろしくないですが)、自分という器もまた、余計なものを持ち込まずに受け取ることが出来れば、それまで見えなかったものも、どんどん理解していけるものなのかもしれませんね。
部屋を片付け、仕事を片づけ、どんどん整頓していくと、不思議と自分の心の中も片付いていくかのようでした。
それまで解決できないと思っていた問題も、一度自分が固執しているだけだったと気づくと、新しい展開を迎えていくものです。
…良いか悪いかは別ですが。
>過去の試験前の一夜漬け〜
あー、誰しも身に覚えがあるのでしょうね…。掃除してから勉強すれば、最終的な効率は倍ですからね(違います)
綺麗に片づければ、同じ部屋の広さでもたくさんの物が入れられるように(あまりよろしくないですが)、自分という器もまた、余計なものを持ち込まずに受け取ることが出来れば、それまで見えなかったものも、どんどん理解していけるものなのかもしれませんね。
部屋を片付け、仕事を片づけ、どんどん整頓していくと、不思議と自分の心の中も片付いていくかのようでした。
それまで解決できないと思っていた問題も、一度自分が固執しているだけだったと気づくと、新しい展開を迎えていくものです。
…良いか悪いかは別ですが。
>過去の試験前の一夜漬け〜
あー、誰しも身に覚えがあるのでしょうね…。掃除してから勉強すれば、最終的な効率は倍ですからね(違います)
15. Posted by 清水龍玄 2024年08月05日 23:28
私は掃除は苦手ですが、そうも言っていられないので、ぼちぼちやっています。
掃除や片付けをしていると、自分の頭の中も整理されていくような気がしてきますし、身体もいろいろと使われるので、良いトレーニングにもなるかなと思います。
さて、巡りあわせと言いますか、いろいろな事が重なることもありますが(私も今、その中で四苦八苦していますが(笑))、それをどう捉えるかは自分次第なのだと最近特に思います。
度重なることに対して、嫌になって閉じこもってしまうと、只々時間が過ぎてしまうだけだし、何か起きても、何かしら受け取れるようなアンテナを広げていることができれば、そこから得るものはある、そう思います。
掃除や片付けをしていると、自分の頭の中も整理されていくような気がしてきますし、身体もいろいろと使われるので、良いトレーニングにもなるかなと思います。
さて、巡りあわせと言いますか、いろいろな事が重なることもありますが(私も今、その中で四苦八苦していますが(笑))、それをどう捉えるかは自分次第なのだと最近特に思います。
度重なることに対して、嫌になって閉じこもってしまうと、只々時間が過ぎてしまうだけだし、何か起きても、何かしら受け取れるようなアンテナを広げていることができれば、そこから得るものはある、そう思います。
16. Posted by 太郎冠者 2024年08月08日 23:21
☆阿部玄明さん
>汚れが一体化して…
私も、「今度でいいや」で後回しにし続けてきた部分を今回まとめて片づけたので、かなり気分的にもすっきりしました。本当に見違えるように違うものですね。
仰る通り、日々こまめに片付けや掃除を行い、汚れをため込まないのが正しいやり方なのだと思います。どこかに倉庫代わりに詰め込むことは片づけることではない、と大いに反省しました。
ひるがえって自分自身の中にも、そのように未解決のままため込んでしまったものが累積し、汚れて知らずに見えなくなっているものがたくさんあったのだと思います。
一週間続ければ人間は習慣になる、と聞いたことがあるので、掃除に関しても、このままコツコツ継続していけるようにしていきたいです。
>汚れが一体化して…
私も、「今度でいいや」で後回しにし続けてきた部分を今回まとめて片づけたので、かなり気分的にもすっきりしました。本当に見違えるように違うものですね。
仰る通り、日々こまめに片付けや掃除を行い、汚れをため込まないのが正しいやり方なのだと思います。どこかに倉庫代わりに詰め込むことは片づけることではない、と大いに反省しました。
ひるがえって自分自身の中にも、そのように未解決のままため込んでしまったものが累積し、汚れて知らずに見えなくなっているものがたくさんあったのだと思います。
一週間続ければ人間は習慣になる、と聞いたことがあるので、掃除に関しても、このままコツコツ継続していけるようにしていきたいです。
17. Posted by 太郎冠者 2024年08月08日 23:25
☆川島玄峰さん
綺麗に清められ、整頓されている場所にひとつゴミが落ちて居れば、たぶん気になるはずです。
それをその瞬間に見逃してしまうと、そのゴミは残ったままになり、それが繰り返されていくことで、汚れはどんどんたまっていきます。
ただ家を片づけるという話に終わらず、それと同じような見逃しが、生活を通して稽古の取り組み方にも表れていたかもと思うと、ぞっとするものがありますね。
何もない、完璧な空間を求めるのではなくて、使って汚れたら、気になったら掃除が出来るようにすぐに行動に移せることが求められていたのかも、と感じました。
私も気を引き締めて、注意深く生活していきたいと思いました。
綺麗に清められ、整頓されている場所にひとつゴミが落ちて居れば、たぶん気になるはずです。
それをその瞬間に見逃してしまうと、そのゴミは残ったままになり、それが繰り返されていくことで、汚れはどんどんたまっていきます。
ただ家を片づけるという話に終わらず、それと同じような見逃しが、生活を通して稽古の取り組み方にも表れていたかもと思うと、ぞっとするものがありますね。
何もない、完璧な空間を求めるのではなくて、使って汚れたら、気になったら掃除が出来るようにすぐに行動に移せることが求められていたのかも、と感じました。
私も気を引き締めて、注意深く生活していきたいと思いました。
18. Posted by 太郎冠者 2024年08月08日 23:35
☆マルコビッチさん
>その言葉の本当の意味するところを見逃す危険性
これは本当に、仰る通りですね!
今回記事にも書いたとおり、宗師の言葉によって自分が気になっていたことを本腰を入れて片づけなければ…となったのは事実ですが、それ以外にも書ききれなかったようなニュアンスの助言が、そこにはたくさん含まれていたことが感じられます。
その中で一番取り組みやすくて、目に見えて結果が出る(片づけないといけない)部分に注力しましたが、本当に気にして解決していかないといけない部分は、もっと他に潜んでいるのが感じられます。
そこは、すぐに出来る部分もあれば、日々の中で継続していかなければならない事もあるように思うので、生活の中でこれからも続けていきたいと思っております。
たまたま…偶然…それらが重なって見えるという事自体が、ひとつのメッセージとして自分に何かを気づかせようとしているようにも思えるので、もっと色々な事にチューニングして合わせていけるようにしたいと思います。
>その言葉の本当の意味するところを見逃す危険性
これは本当に、仰る通りですね!
今回記事にも書いたとおり、宗師の言葉によって自分が気になっていたことを本腰を入れて片づけなければ…となったのは事実ですが、それ以外にも書ききれなかったようなニュアンスの助言が、そこにはたくさん含まれていたことが感じられます。
その中で一番取り組みやすくて、目に見えて結果が出る(片づけないといけない)部分に注力しましたが、本当に気にして解決していかないといけない部分は、もっと他に潜んでいるのが感じられます。
そこは、すぐに出来る部分もあれば、日々の中で継続していかなければならない事もあるように思うので、生活の中でこれからも続けていきたいと思っております。
たまたま…偶然…それらが重なって見えるという事自体が、ひとつのメッセージとして自分に何かを気づかせようとしているようにも思えるので、もっと色々な事にチューニングして合わせていけるようにしたいと思います。
19. Posted by 太郎冠者 2024年08月08日 23:42
☆川山継玄さん
>4月から一人暮らしを始めた長女が…
本当に大きく、立派になりましたねぇ。話を聞いているだけで、私もうれしくなってきます。
というか…自分のほうが負けてそうですね(汗)
>「何事も自分でやるしかない」
人に頼らず、ただ自分で生きていける強さ…
これもまた、自分の周りで聴こえてくるメッセージのひとつです。
…などと悠長に思っていると、急に物事が怒涛の勢いで進んでいったりするので、それに乗り遅れないように合わせていける準備をこちらも進めていかないといけないなぁと感じます。
水面下で表には現れずに蓄積していた変化が、ある時を境にどっと出てくるのは、面白くもあり大変なことでもあります。
ただ、その勢いを使って、自分もまた飛躍させていきたいと思うものです。
>共に、頑張りましょう。
ありがとうございます!頑張ります!
>4月から一人暮らしを始めた長女が…
本当に大きく、立派になりましたねぇ。話を聞いているだけで、私もうれしくなってきます。
というか…自分のほうが負けてそうですね(汗)
>「何事も自分でやるしかない」
人に頼らず、ただ自分で生きていける強さ…
これもまた、自分の周りで聴こえてくるメッセージのひとつです。
…などと悠長に思っていると、急に物事が怒涛の勢いで進んでいったりするので、それに乗り遅れないように合わせていける準備をこちらも進めていかないといけないなぁと感じます。
水面下で表には現れずに蓄積していた変化が、ある時を境にどっと出てくるのは、面白くもあり大変なことでもあります。
ただ、その勢いを使って、自分もまた飛躍させていきたいと思うものです。
>共に、頑張りましょう。
ありがとうございます!頑張ります!
20. Posted by 太郎冠者 2024年08月08日 23:48
☆ユキさん
>こう暑いと、かないませんねぇ(^_^;)
本当にそうですね。気合でなんとかなる時もあれば、知的に対処しないといけない時もあります。
この連日の暑さに関しては、頭を使ってどうにかしないと命も危ういので、本当に気を付けていきたいものです。
>偶然にも、懐かしい詩が…
ありがとうございます!
繰り返して読んでると、不思議と様々な味が感じられるような素敵な詩ですね。
>変わったのは、自分だった
…。実践しながら、噛みしめて味わいたいと思います。
>こう暑いと、かないませんねぇ(^_^;)
本当にそうですね。気合でなんとかなる時もあれば、知的に対処しないといけない時もあります。
この連日の暑さに関しては、頭を使ってどうにかしないと命も危ういので、本当に気を付けていきたいものです。
>偶然にも、懐かしい詩が…
ありがとうございます!
繰り返して読んでると、不思議と様々な味が感じられるような素敵な詩ですね。
>変わったのは、自分だった
…。実践しながら、噛みしめて味わいたいと思います。
21. Posted by 太郎冠者 2024年08月08日 23:55
☆マガサスさん
生きている上で、自分の仮面を付け替えてしまうという事はままありますが、その本質である自分はどうか、という点に立たないと、自分を見失ってしまいそうですね。
友達と接するような態度で仕事は取り組めないですが、それは自分を誤魔化し、騙しながらやるのとは全く異なることですよね。これが分かるまで、変に緊張しながら仕事に向かわねば…と思ったりしたものです。
また、それまで自分には「向いてないなぁ」と勝手に思い込んでいたことも、強制的にやらざるを得なくなって続けていると、実はそうでもなかったという、自分の気づけなかった面に気づけたということもいくつもあります。
自分と向かい合っていく中で、そういう未知の部分を理解できると、面白く感じられてきます。
>瞬間瞬間が稽古!お互いに頑張りましょう!
ありがとうございます。
その日の汚れ、その日のうちに…(笑)掃除に限らず、稽古もその気持ちでのぞんでいきたいと思います。
生きている上で、自分の仮面を付け替えてしまうという事はままありますが、その本質である自分はどうか、という点に立たないと、自分を見失ってしまいそうですね。
友達と接するような態度で仕事は取り組めないですが、それは自分を誤魔化し、騙しながらやるのとは全く異なることですよね。これが分かるまで、変に緊張しながら仕事に向かわねば…と思ったりしたものです。
また、それまで自分には「向いてないなぁ」と勝手に思い込んでいたことも、強制的にやらざるを得なくなって続けていると、実はそうでもなかったという、自分の気づけなかった面に気づけたということもいくつもあります。
自分と向かい合っていく中で、そういう未知の部分を理解できると、面白く感じられてきます。
>瞬間瞬間が稽古!お互いに頑張りましょう!
ありがとうございます。
その日の汚れ、その日のうちに…(笑)掃除に限らず、稽古もその気持ちでのぞんでいきたいと思います。
22. Posted by 太郎冠者 2024年08月09日 00:01
☆清水龍玄さん
>そうも言っていられないので…
人間、強制的にせざるを得ない状態になれば、それまで自分でも気づいていなかった自分の能力が発揮されるのだなと思う所があり、自分の力が足りないと感じる時は、追い込み方が足りないのかも…と思います(笑)
ただ、いきなり負荷を掛けてもダメなこともあるので、掃除のように、日々の継続でコツコツやっていけることは、少しずつ取り組んでいくのが一番かなと思いました。
それでも足りなかったら、環境を変えてしまう。
それが一番手っ取り早いのかも、と思います。
>巡りあわせ
こればっかりは、予想も出来ない事が随所で起きたりするので、その場その場でうまく対処していくしかないですよね…。
嫌にならず、腐らず、そういうこともあるさと気楽に、かつしっかりと向かい合う…そうすることで物事は自ずと解決に向かうというのが、最近少しわかってきました。
肩の力を抜いて頑張っていきたいですね!
>そうも言っていられないので…
人間、強制的にせざるを得ない状態になれば、それまで自分でも気づいていなかった自分の能力が発揮されるのだなと思う所があり、自分の力が足りないと感じる時は、追い込み方が足りないのかも…と思います(笑)
ただ、いきなり負荷を掛けてもダメなこともあるので、掃除のように、日々の継続でコツコツやっていけることは、少しずつ取り組んでいくのが一番かなと思いました。
それでも足りなかったら、環境を変えてしまう。
それが一番手っ取り早いのかも、と思います。
>巡りあわせ
こればっかりは、予想も出来ない事が随所で起きたりするので、その場その場でうまく対処していくしかないですよね…。
嫌にならず、腐らず、そういうこともあるさと気楽に、かつしっかりと向かい合う…そうすることで物事は自ずと解決に向かうというのが、最近少しわかってきました。
肩の力を抜いて頑張っていきたいですね!
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