2016年03月09日

練拳Diary #67「武術的な強さとは その11」

               by 玄門太極后嗣・範士   円 山 玄 花



 武術を志す人にとって危機感の不足は致命的である──────────とは、前回述べたことです。

 身の回りのありとあらゆる事柄に対して神経を研ぎ澄まし、起こりうる危機を事前に察知して、回避する。仮に、それを十分に行っていたとしても免れないことがありますし、それが危機というものの質なのだと思います。

 大事なことは、何が危機であるのか、正しく認識を持つことです。

 普段耳にする国内外の情勢についても、一般に報道されていることのほとんどは情報を操作されており、誰かにとって都合の良い方向へ仕向けられていると聞きます。

 一般人は、事情がよく解らない上に知る術もないので、わけの分からない不安ばかりが大きく募ってしまいます。そんな時に、どこかの誰かがテレビで「ココアが身体に良い!」と言ったら、とにかくココアだとスーパーに走り、1〜2週間はココアが品薄になる、なんてことになります。

 これが「ココア」や「納豆」程度ならともかく、どこかの誰かが言った「これは使える、便利です!」という物に対しても、「あいつが悪い、悪党だ!」という言葉に対しても、全く同じ心理が働いているのです。
 これでは、いきなり「右向け、右!」と言われたら、理由も分からないまま取り敢えず右を向いておけば良いという判断をしてしまうことになり、いいように利用される駒のひとつになりかねません。

 何も知らないまま赤の他人に利用されることほど、愚かなことはありません。
 正しい認識を持つためには、日頃から自分で考える習慣が必要です。

 日常生活で、考え方や対応の仕方が分からないことは、沢山出てきます。
 そのようなとき、たとえ時間が無くても、どのように考えたら良いか分からなくても、そのままにしておかないことが大切です。そして、最初から何もかも分かっている人など居らず、誰もがそのスタート位置から始まったのだと思えば、何かしらの取っかかりやヒントが見えてくるはずなのです。

 そのヒントをたくさん集められる方が、知るまでに必要な時間も早いわけですが、一先ずスピードは置いておいても、諦めたり見なかった振りをするのではなく、疑問に思ったことや自分が知らなかったことに対して、ひとつでも解決しようとすること。その姿勢が後々大きく役に立ちます。

 不思議なもので、何かを理解するために自分の力で動き始めると、たとえそれが牛の歩みであっても、徐々に自分の周りに必要な情報が集まってくるようになります。
 それは、本であったり人からの情報であったりと形は様々ですが、形成され始めた自分のネットワークを丁寧に広げていくことで、勉強はよりスムーズなものとなります。


 自分で考える習慣と併せて必要になるのは、本当に動ける身体でしょうか。
 この、「動ける(使える)身体」というものは、普通はイコール筋肉量だと勘違いされやすいようです。
 確かに、格闘技やスポーツ競技を行う人達は、筋力トレーニングをして身体を鍛えます。
 格闘技であれば、走り込んでスタミナをつけ、パンチ力が上がるように腕立て伏せやダンベルを行い、相手に倒されないように足腰を鍛えるのでしょう。また、スポーツ競技であれば、自分の種目に特化した身体作りを行うはずです。

 それでは、武術に特化した身体とは、どのような身体をいうのでしょうか。

 私たちは、武術的であることは生き残れることであると述べてきました。
 ですから、武術に特化した身体とは、言い換えれば「生き残れる身体」とも言えるはずなのです。
 反対に考えると、ジムに通って体力や筋力を鍛えた人が、それだけで様々な状況を生き残れるかというと、恐らくは厳しいはずです。

 私はこれまでに、外気温30度を軽く超える真夏日の訓練で、普段からトレーニングに励む20代前半の男性が、身体も細く年齢も遥かに上の女性よりも短時間でバテたり倒れたりするという状況を、何度も見てきています。
 面白いことに、過酷な状況で好成績を残す人達は、ジムに通う筋力に覚えのある人ではなく、普段から登山をする人や、フリークライミングをする人、或いは歩荷(ぼっか=山小屋などに荷揚げをすること)の仕事をする人でした。
 その人たちは皆一様に疲れにくく、疲労しても回復が早いのが特徴です。

 重い荷物を背負って、何日も歩く。
 それは、世界中の何処の軍隊でも行われている訓練です。

 私たちは、師父に軍隊式のトレーニング方法を紹介して頂いたときに、その内容の一般的トレーニング方法との違いに、皆で驚いたことがあります。
 それは、部分的な筋肉を鍛えるものではなく、たとえ腕立て伏せひとつ取っても、その形も、速さも、全て全身に負荷が来るような条件が整えられているのです。

 どこの軍隊でも体力検定が設けられ、一定の等級以上の体力が求められます。
 例えば自衛隊では、二つの体力検定が用意されていて、1つ目は年齢別に各種目の得点表があり、2つ目は年齢に関係なく採点され、等級がつけられます。
 その両方で、全種目1級を取得できた場合にのみ、体力が優秀であることを示す、“体力徽章”を着けることができるのです。

 参考までに、「体力検定1」の30〜34歳に該当する得点表の1級合格基準を載せておきます。

 腕立て伏せ:2分以内に73回
 腹筋   :2分以内に71回
 3000m走 :11分22秒以内

 *3000m走の高校生男子の平均タイムは12分。自衛隊でその年齢だと、10分38秒以内でなければ1級が取れません。

 次は、「体力検定2」の1級合格基準です。

 懸垂   :17回
 走り幅跳び:5m10cm
 ボール投げ:60m

 ちなみに、「体力検定2」の1級合格得点は70点以上で、上に挙げた3種目の数値は最低ラインの70点に於ける数値です。

 腕立て伏せは、腕は肩幅で指先をやや内側に向け、自分の顎を床に置いた補助者の手の甲に触れることで1カウント。
 懸垂は、反動を使ってはならず、順手で顎が鉄棒の高さまで上がり、そこから腕が伸びるまでゆっくりおろして1カウント。部隊によってはその姿勢で3秒ホールドしてからまた上げることを繰り返すところもあるようです。
 何れも、自分の好きな形や速さで行う事は出来ず、正しいフォルムと速さが守られた上での数値が測定されます。

 当然のことながら、体力検定で合格すれば軍隊が務まるというわけではなく、そこからようやく訓練を開始できるというもので、本当の動ける身体は様々な訓練によって総合的かつ効率的に養われていきます。

 重い装具を身につけて、足場の悪いところを行き来し、時には這いずり回り、時にはよじ登る。身体が余すところなく使われる状況では、当然「動ける身体」が養われるはずです。

 強くなければ生き残れない。
 生き残れなければ祖国を守れない。

 その志で日々訓練に励む彼らのトレーニング方法と、自分たちが行っている強くなるためのトレーニング方法とを比較してみれば、自ずと目指しているものの違いが見えてくるような気がします。



 日常生活の中で常に危機感を持って過ごすのは、それほど簡単ではない、と思います。
 その理由の一つに、危機感はある種の緊張状態であることと、それを続けていることで心身が疲労してくることが挙げられると思います。

 ましてや、日々の生活は一見平和そのもの。
 緊迫した状況で危機感を持つことは容易いですが、のんびりした中では、人間は徐々に楽な方へと傾いていきます。

 危機管理をすることが楽しくなってくる。
 危機感を研ぎ澄ますことに執着心を持つ。

 何の危機感も持たない人からは、その様子は少し異様に映るかもしれません。けれど、それが当たり前にならなければ、今という時代を生き残るのは難しいのだと思います。



                               (つづく)

xuanhua at 23:30コメント(16)練拳 Diary | *#61〜#70 

コメント一覧

1. Posted by bamboo   2016年03月12日 13:38
まさに。 現代に武術を学ぶ意義や姿勢を改めて意識いたしました。
生き残れる身体と一目でわかるくらいになります。
 
2. Posted by まっつ   2016年03月13日 12:09
時代は少しづつ混迷の度合いを増しつつはありますが、
日本の社会自体はまだまだ平和で、危機感も切実ではなく、
なんとなくユルい空気の中で生き続けられる感覚でいます。
自分も含めて日本の社会全体が、
「これまで通り、自分は、大丈夫」という、
根拠の明確ではない恒常性バイアスに覆われていると思います。
今後、時代は良くない方向に遷移していく予感はあるので、
感度を高め、できる備えをしていきたいと思います。
 
3. Posted by マルコビッチ   2016年03月13日 12:53
>何かを理解するために自分の力で動き始める・・・
私などまだまだ、諦めたり人任せにしたりとダメダメ人間ですが、些細な事でも自分で考え確かめて行動していこうとする大切さは解ります。
そうする事により、周りの状況が変わったり、自分の頭と身体も自然に動いているということがあります。
ただそれを広げていく事と持続させていくことが苦手です。
(コメントでこのように自分の苦手な部分をはっきり書くと、もっと意識して改善していこうと思いますね。)
子供の頃から、走るのも遅く、運動に対してコンプレックスを持っている私にとって、自衛隊の「体力検定」の合格基準は、見た瞬間「無理無理・・」と手を横に振るようなものでした。
でもそこですよね!
じゃあ自分はどこまで出来るのか?を把握しているのか。
自分の体力を伸ばそうと試みているのか。という事ですよね!
何事も決めない事。視野を大きく持って、正しい考え方と正しいトレーニングを続けていくことが大事だと思いました。
CQCの講習をフルに活かせるようにしていかなければ申し訳ないですね。
 
4. Posted by 太郎冠者   2016年03月14日 22:30
今年からはじまったCQC講習では、毎回、知らなかった事実に目を見開かされることばかりです。

大げさなことではなくて、実に身近にある危機のはずなのに、それをまったく認識していない・・
それがいかに怖いことなのか、感じずにはいられません。

生き残るためには何よりも、しっかりとした意識と、そして自由になる身体が必要なのだと、流行のインフルエンザにかかって寝込んだときに痛感しました(笑)
気をつけていてもどうにもならない時にはどうにもならないのだと思いますが、
病気で寝込んでいるときに災害や事故に巻き込まれたらと思うとぞっとします。

やはり、日頃から心身のトレーニングを行っていなければ、いざというときには生き残れないのでしょうね。
 
5. Posted by とび猿   2016年03月14日 23:14
CQCを受講すると、自分の考えの浅はかささがよく分かります。
また、合わせて教わる軍隊式のトレーニング法もとても面白く(やっていることは大変ですが)、動ける身体というものがどういうものなのかが見えてくるように思います。
そして、それは今まで武藝館で学んできた太極拳と同種のものであり、CQCと合わせて学ぶことにより、より意識が変わっていくように感じます。
これから、さらにどのようなことを教わるのか、楽しみです。
 
6. Posted by ユーカリ   2016年03月14日 23:24
「それは自分だけではない」と、玄花后嗣は稽古や記事の中で繰り返し気づきを与えてくださいます。本当にありがとうございます。
自分の能力や状態を把握しないまま、まぐれや偶然できる事に満足し、ちょっとした優越感を味わいたいと思っていた私ですが、冷静に自分の現状を受け入れ、「ではどうしたら良いのか?」を具体的に順序立てて考え、行動してゆくしか、解決策はないのだと思えるようになりました。
その基本を、武藝館では丁寧に丁寧に示してくださるので、それを外さずに、示してくださる丸ごとを意識と身体に浸透させ、エゴを削ぎ落としてゆくことの連続なんだな、そこから自分で考えて動けるようになるんだな、と不安な気持ちから解放されつつあります。

危機感がないことにも、漠然と不安や緊張のみが募っていたのですが、CQCで、自分に何が足りておらず、どのようにしたら良いのかを示して頂いているお蔭で、少しずつではありますが、絡んだ糸が解けてきた気がします。
「荷物は必要最低限で」と軽いバッグを持ち歩いていた私が、「これとこれが〇〇の時には必要かな?」とバッグを確認するようになったので、この一歩を大切にし、次につなげたいと思います。

近頃、とても稽古が楽しく、生活にも張りが出てきました。
おばあちゃんサイドジャックナイフから脱出できるよう、頑張ります(・_・;)
 
7. Posted by たそがれの単身赴任者   2016年03月16日 08:32
CQCの実践講習とあわせ、軍隊、自衛隊の訓練基準、実践性には本当に納得いたします。
バランスのとれた、我流でないトレーニングこそ勝利の原動力。中途半端な姿勢で行う腕立て、腹筋をやって数だけで自己満足するとはまさに愚の骨頂ですね。
観賞用マッチョ筋肉を捨て(わたしにはもともとそれすら無かったですが)武術に使える筋肉を身に着けて、やっとこ武術修行の入り口に立てる。太極拳で「動けない」のは「動くための筋肉が鍛えられていない」まさにそこに原因があると実感しております。
寝るときには師父、玄花先生のおっしゃるように、緊急ツールを備えるようにしました。現在の職について、あることでいきなり怖い体験をしたことがあり、CQCは心の支えになります。
 
8. Posted by 円山玄花   2016年03月21日 21:03
☆bambooさん

>現代に武術を学ぶ意義や姿勢を改めて意識・・

ありがとうございます。
世の中には、ありとあらゆるトレーニングが存在しますが、
特に武術と格闘技、或いは近代武術と軍隊などを比較すると、
鍛え養いたい身体の状態の違いが見えてくると思います。

そしてそこには、各々の意識の違いが、表れているような気がします。
 
9. Posted by 円山玄花   2016年03月21日 21:05
☆まっつさん

まさに、その「自分は大丈夫」と思えてしまう・・というか、そのように思いたくなる人間の心理を認識しなければ、本当の危機感も、危機を回避できる心身も手に入らないのだと思います。

これだけ武術を学んでいて、尚かつ危機に関する情報も多く入って来ているのに、
まだまだ自分の中に楽な方、安易な方を求める気持ちがあります。
これでは、実際の危機に際して正しい判断が下せるはずもない、と思います。
武術の修行と同じく、自分自身を掘り下げていかなければ、本当の危機回避は難しいですね。
 
10. Posted by 円山玄花   2016年03月21日 21:07
☆マルコビッチさん

>自衛隊「体力検定」

合格得点が年齢別に設定されているのが、とても親切ですよね。

・・よろしければ、ご自分の合格基準値をお教えできますよ。
手元には、15歳から64歳までの表があります。
 
11. Posted by 円山玄花   2016年03月21日 21:51
☆太郎冠者さん

>CQC講習

危機の認識不足というものは、本当に恐ろしいですね。
CQCの講習では、自分たちの持つ危機意識の認識から始まり、
実際にはどのような危機が存在し、どのように勉強していけば良いのかを丁寧に示して頂けるので、とてもありがたいですね。
武術の修行で、いきなり護身術から始めずに、
武術とは何であるのかという学習から始められることと同じように感じます。
 
12. Posted by 円山玄花   2016年03月21日 22:14
☆とび猿さん

>CQC

意識の変化はとても大切ですね。
それがないと、どれほど重要なことを教わっても、右の耳から左の耳へ(笑)、
たとえ頭に知識が残っても、行動できる心身には生まれ変われないわけです。

それにしても、軍隊式のトレーニングと太極拳の稽古が同種のものだといわれる道場が、
他にあるのでしょうか。
今後も楽しみですね。
 
13. Posted by 円山玄花   2016年03月21日 22:19
☆ユーカリさん

「気づき」は、間違いなく、人間に与えられた贈り物の一つだと、私は思います。
気づきにオープンになり、気づきを許し、気づきに寛ぐことで、
一体どれ程のことが降り注いでくることでしょうか。

私の方こそ、稽古でも生活でも気づきを与えて頂いています。
お互いに、自分の可能性を最大に引き出せるように頑張りたいですね。
 
14. Posted by 円山玄花   2016年03月22日 01:26
☆たそがれの単身赴任者さん

一般的に言って「強さ」は「力」なのだと思われていて、
それが「動けること」や「動ける身体」にあるとは考えられていないようです。
そのため、パンチ力、脚力、打たれても少々のことではへばらない筋肉・・などなど、
第一に力を身につけることからトレーニングが始められるのです。

かつて、某格闘技の元チャンピオンだった人の試合ビデオを見せてもらいましたが、
ムキムキの立派な身体なのに、足がほとんど動いていないという特徴がありました。
その人が言うには、「細かいフットワークを使わなくても、自分は多少打たれても効かないので、
真っ直ぐ突っ込んでいけば相手を打てた」というわけです。
つくづく、考え方の違いが表れていると思いました。

私たちは、イザという時のためにも、
本当に動ける身体を身につけていかなければなりませんね!
 
15. Posted by タイ爺   2016年03月22日 18:15
いつも遅くなり本当に申し訳ありません。

動ける体=強さとはほとんどの太極拳や他の武術は説明されていないようです。実際、師父に限らず小柄な女性と対練などしても力は感じないし重さも感じられません。でもこちらは影響を受け道場の端まで吹っ飛ぶ。まして師父にかかって行くと接触する前に道場中を走り回る羽目になります。
強さは力や重さではないとつくづく考えさせられたものです。
 
16. Posted by 円山玄花   2016年03月24日 19:23
☆タイ爺さん

「四両撥千斤」とは言われていても、やはり実際に目の前で見たり、自分で体験しないと、
既存の発想からしか武術を捉えられないのだと思います。

普通に考えて、一家・一族で稽古をしていれば発想や考え方は同じ様になると思うのですが、
現在見られる太極拳の発勁などでは、拙力の大きさが目立つものが多いですね。
身体や足が固定されている状態で出せる力の非力さは、身体の小さい人の方が良く分かるかも知れません。
 

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