2012年11月24日

練拳Diary#48 「学び方 その1」

                        by 教練  円山 玄花



 ちょうど昨年の今頃、古くからの友人が、ある一冊の本を貸してくれました。
 本のタイトルは、「奇跡のリンゴ」。
 そもそも、どのような経緯でこの本を借りることになったのか、詳しくは覚えていないのですが、確か「こんな本があるんだけど、読んでみますか?」と、ごく気軽に紹介されたものだったと思います。

 副題に【「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則(きむら あきのり)の記録 】とあるように、これは木村さん自身が書いた本ではなく、ノンフィクションライターの石川拓治氏が木村さんに取材をして書き上げたものです。
 この本が出版される一年半ほど前(2006年)に、NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で木村さんが紹介され、そこでは伝えきれなかった木村さんの挑戦の日々を書籍化しようということで、この本が生まれました。

 木村さんは、青森県の弘前市に住む、りんご農家の方です。
 何が「絶対不可能」だったかといえば、それは、りんごの ”無農薬栽培” です。

 この本を読んで初めて知ったのですが、りんごの栽培には農薬の散布を絶対的に欠かすことが出来ず、春先から9月の収穫まで、十数回に亘って様々な種類、濃度の農薬を散布するのだそうです。その農薬散布によってりんごの葉っぱは真っ白になり、りんご園そのものが白くなってしまうほどだと言いますから、尋常な農薬の量でないことが窺えます。

 しかし、農薬がなければ、りんごの畑は見る間に病気と害虫の住み家となります。
 そうなってしまうと、りんごの木は枯れ、畑は壊滅し、りんご農家の人は生計を立てることが出来ません。
 りんご農家と農薬が切っても切り離せない存在だったその時代に、木村さんは無農薬栽培に挑み、見事にひとつの答えを見出したのです。少なくとも1970年代には実現は100%不可能と言われていた「りんごの無農薬栽培」を初めて成功させたのでした。

 無農薬栽培に切り替えてから成功するまでに必要とした年月は、およそ九年。それも、ただの九年間ではありません。りんご農家の次男として生を受け、婿養子に入ってからの、家族7人を養いながらの九年間です。その間、りんごは花を咲かせず、もちろん実も生りません。四つあった畑には全部で800本のりんごの木があったのに、最後には半分の400本になってしまいました。

 私は、ここで木村さんの苦難の日々を改めて綴りたいわけでもなければ、どのようにしてりんごの無農薬栽培が可能になったのかを紹介したいわけでもありません。
 この本を読み終えたとき(それこそ、読み始めたら途中では止められずに、ついには一晩で読んでしまったのですが)、私の脳裏には、嵐の中、敵と無言で対峙する武術家の姿が思い浮かべられていたのです。
 何でも武術と結びつけて考えてしまうのは私の悪いクセかもしれません。けれども、木村さんの奮闘の日々は、私たちの練拳の日々と重なるし、何より木村さんが自らの手で文字通りの「成果」を掴み取るまでの気付きや学びは、同じ “学ぶ者” として大いに勉強すべきところがある、と思えたのです。

 ところで、りんご農家に生まれた木村さんが、最初からりんごの無農薬栽培を志していたかというと、決してそうではありません。木村さんが婿養子に入ってからは、りんごの栽培にはせっせと農薬を使用し、その仕事ぶりは農協から表彰されるほどだったのです。ただ奥さんが農薬に過敏な体質だったため、農薬散布をすると寝込んでしまうほどだったと言います。
 そのようなこともあって、木村さんは一時期、彼が大好きなトラクターによるトウモロコシ栽培をはじめます。トウモロコシ栽培は順調に進んでいて、もしこれで収入が安定していたら、木村さんはりんご作りをやめていたかもしれません。
 そうならなかったのは、やはり木村さんには彼の ”天命” が与えられていた、としか思えないような偶然が重なったからです。

 ひとつは ”雪” です。
 津軽平野は冬の間雪に埋もれます。りんご農家の仕事も、りんごの木の雪下ろしくらいしか作業がなく、農家の人にとってはちょうど良い骨休めの時期になります。その時期が、何かしていないと落ち着かない性格の木村さんにとっては苦手な時期であり、その間彼はひたすら農業の勉強に没頭するのです。

 もうひとつは ”本” です。
 街の書店を回り、トラクター農業の専門書を探し歩いていたそのとき、お目当ての本は書棚の一番高いところにあったといいます。その時に店員を呼ぶか、自分で踏み台を探していたなら、やはり木村さんはりんごの無農薬栽培を手掛けていなかったかもしれません。

 ところが、彼は都合よくそこに置いてあった棒を手に取って、トラクターの本を棒で突っつきました。すると、隣にあった本も一緒に床に落ちてしまい、しかも本の角が潰れ、雪と泥で汚れてしまいました。仕方なく、彼はその本も一緒に買って帰ったのです。
 それから半年か一年は全く読むことがなかったというその本は、福岡正信という人が書いた「自然農法」という本でした。その後、ふと手にしてからその本が摩りきれるくらいまで繰り返し読んだというその本によって、木村さんはりんごの無農薬栽培を試みることになったのです。

 余談ですが、福岡正信とは、自然農法と呼ばれる独自の農業方法の創始者です。
 自然農法とは、ごく簡単に言うと「耕さず、化学肥料も施さず、除草もせず、農薬も使わない」というもので、現代農業では常識とされている、化学肥料を加える、害虫駆除のために殺虫剤を与えるという、足していく農業の在り方に疑問を抱き、反対に「何をしなくてもよいか」という発想を元に引き算をしていき、ついには「何もしない農業」を完成させたのが自然農法だというわけです。

 実際に、愛媛県にある “福岡自然農園” に行ってきた人はその農園を見て、野菜を作る畑というよりは、山のようである、と口を揃えて言います。2008年に福岡正信氏が亡くなってからはお孫さんたちが管理しているということで、もちろんただの山とは違う感じで、雑草が生え放題であっても荒れ果てた感じはせず、健康的であるという印象を持ったと言います。
 しかし、福岡氏が四十年近くの歳月をかけて完成されたという自然農法が、誰にでも理解できるようにシステマチックに体系付けられていたかと言うとそうでもなく、自然農法を実践するには自然を観察して種蒔きのタイミングを決めるなど、感覚的な部分を体得するのが難しかったり、福岡氏の哲学的な考え方が一般人にはなかなか理解できないということもあって、真の後継者はいないといわれ、一般的にも普及するほどではないということです。

 とはいえ、福岡氏の功績はむしろ世界で高い評価を得ており、1988年にはアジアのノーベル賞といわれる、“マグサイサイ賞” を受賞したり、アメリカから中国、アフリカなど、世界中から招かれて自然農法の指導を行ったということです。
 マグサイサイ賞というのはアジア地域で社会に貢献した個人や団体に送られる賞で、日本人では福岡正信の他にも、黒澤明、平山郁夫、川喜多二郎、ほか二十数名が存在します。

 また、福岡氏が提唱したという “粘土団子” は、国内外でよく知られているものです。
 粘土団子とは、粘土の中に何十種類もの野菜や果物、或いは樹木の種を入れて団子状に丸めて乾燥させたものです。これを自然環境に撒いて放置しておくと、自然の状態を種が察して、その土地に適応できる種が、より適応しやすい時期に発芽し、育っていくという仕組みで、海外では砂漠の緑化運動にも用いられています。また、鳥や虫が嫌う薬草の種子を混ぜることで損失を防いだりと、その考え方やアイディアには興味深いものがあります。

 さて、その本を読んだ木村さんには、ひとつの疑問が浮かんできます。
 農薬を使わなければりんご栽培ができないことは、常識以前の問題だったけれど、誰もそれを試したことはない。手入れを放棄したりんご畑は、確かに病気と害虫が大発生して手が付けられなくなるけれど、それは本当に農薬を使わないからなのだろうか、と考えはじめたのです。

 そうして始められた試みは、まず、農薬の散布回数を変えて実験してみることからスタートしました。それまでは4ヶ所の畑で1年間に13回ほど農薬を散布していたところを、散布する回数を6回の畑と3回の畑、そして1回だけ散布する畑に分けてみたのです。
 その結果、害虫などによる多少の被害は出たものの、想像したほどのダメージは受けず、1回しか農薬を散布しなかった畑でも、農薬を普通に使用した畑の半分以上の収穫が得られたのです。
 これなら無農薬栽培も可能かもしれない、と木村さんの心は高鳴り、いよいよひとつの畑で無農薬を開始します。そのひとつの畑とは、木村さんが子供の頃にお父さんが切り開き、一緒にりんごの苗木を植えた畑で、木村さんが結婚するときに譲られたものでした。

 一般的には、春先のりんごの発芽が始まる前から農薬散布が始まります。その一切をやめても、二ヶ月の間は何の異常も現れなかったそうです。農薬を散布しない、清々しい空気の畑の中で、白いりんごの花が咲き、緑の葉っぱが茂る────────────その光景を見た木村さんは、りんご栽培に農薬は必要なかったのではないか、自分はものすごい発見をしたかもしれない、とさえ思ったと言います。
 しかし、実際にはりんごの木々はそのときすでに病気にかかっていて、そのうちに葉が黄色くなっては落ちていくことを繰り返し、やがて畑は見るも無惨な枯木の山のようになってしまいます。それでも、葉が落ちてもまた新しい葉を出そうとするりんごの姿を見て、木村さんは思い立ちます。『農薬を使わずに葉についた病気を追い払うことができれば、りんごの無農薬栽培ができる』と。木村さんの奮闘は、まずそこから始まりました。

 りんごの病気とは、いわゆるカビや菌類であり、その菌がりんごの葉や実の表面で繁殖し生体の機能を破壊します。木村さんは、その菌が嫌がると思えるものを片っ端から試していきました。それも、特に人間や環境に害の無いと思える「食品」で実験を始めたのです。
 ニンニク、わさび、胡椒に唐辛子・・・ご飯を食べていて醤油をかけると、醤油が利きはしないだろうか、とすぐ畑に飛んでいって醤油を試す。味噌や塩、牛乳に日本酒、焼酎、小麦粉に黒砂糖、酢と、農薬の代わりになる食品を求めて、台所にあるものは全て試したと言います。食品が農薬の代わりになるとは思わない、けれども、りんごの実がなるのに必要な葉っぱを残せるくらいの、虫や菌が嫌う環境を作り出すことはできるのではないか、と。

 このような木村さんの取り組みには、世界中の発明家と共通するものを感じます。
 コレと思い込んだら、誰が何と言おうがそれに没頭する。自分が納得するまでとことんやり続ける。寝ても覚めても、ご飯を食べていても、そのことしか考えられないという、その状態───────────────
 結果として木村さんが求めるような、害虫が嫌がり菌を遠ざける効用のある食品は見つからなかったのですが、ある意味では、それらの実験に次ぐ実験の日々があったからこそ、真の解答に行き着いたとも思えるのです。
 それはちょうど、私たち太極拳を学ぶ者たちが「正しい姿勢を取る」という課題ひとつに対して、まず最初にありとあらゆる工夫を重ねることに似ているかもしれません。

 師匠とはどうしても違う形、違う位置になってしまう手足。
 どれほど丁寧に歩こうとしても拗れたり回ってしまう腰。
 終いには背中の形が違う、足腰の形が違うなど、とても自分では意識しようがないと思えるところまで、厳しく指摘されてしまいます。
 けれども、その際にほとんどの人が最初に取る行動は、概ね最も外側からのアプローチなのです。手の位置を変える、足の向きを変える、腰が回らないように力を込める、等々。

 入門して1年も経てば分かってくることですが、それらの ”工夫” をたとえ何種類重ねたとしても、正しい姿勢は決して理解されることはありません。そう、木村さんがありとあらゆる食品で実験し、最後には畑の土で泥水を作り、その上澄みを布で漉して散布するということまでしたという、その ”工夫” と同じことだからです。

 ならば、いったいどうしたら良いのか─────────────────

 その話をすると、りんごの話もここで終わってしまいますので、それはもう少し先に延ばすことにしましょう。

 
                                 (つづく)

xuanhua at 19:24コメント(20)練拳 Diary | *#41〜#50 

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2012年11月26日 23:12
木村氏のどこまでも続くかのような、
徹底的な試行錯誤の積み重ねは、
確かに武術の稽古と共通すると見えます。

私も思い込みや勘違いが甚だしく、
回り道に嵌っては、壁にぶち当たる習性があり、
太極拳の練拳においても、
なんとか前進したいとアレコレ試し(現在進行形ですが)・・・
そして、その全ては師父(と玄花さん)に全否定されました。

当たり前なのですが、
武術の稽古は厳しい・・・という事から学んでいる次第です。
その厳しさの中に入っていくという事は、
「学び方」の一つの方向性だと思います。

今後ともご指導の程、宜しくお願い致します。
 
2. Posted by ユーカリ   2012年11月27日 00:01
昨日の稽古でも、追求が甘い事を思い知らされたところです。
今まで、学び方といえば、言われたことを真面目にその通りにやってみる…。だけで、そこからの発展がなく、やった事によって行きつく先が見えてくる友達が、不思議でなりませんでした。
指差された指先がどうの、指の形がこうのを気にして、その指がたどり着く先へと追求が進まない、指先を気にしている自分に安穏としていたい我が身があります。それに似せて見せるための工夫を重ねている自分がいます。
今一度、「学び方」に立ち返って取り組むこと、とても大切な課題でした。
貴重な記事を、ありがとうございます。
次回がとても楽しみですっ!
 
3. Posted by tetsu   2012年11月27日 23:47
私も木村氏の書籍、福岡氏の著書を拝読したことがあります。この御二方の書籍に出会った経緯もたまたま知人から紹介されたり、書店でふと気になり読んでみた本でした。しかし、読んでみると不思議と何か共感するものがあり、学ぶことも多々ありました。
私が感じたことは誰も成し得なかったことへ挑戦するパイオニア精神と、決してあきらめることのない不屈の精神力の強さでした。
以前稽古の折師父が「この太極拳を学ぶ者は一人一人がパイオニア精神を持っていなくてはならない」と言われたことを思い出しました。
自分も今一度「太極拳への向かい方」「自分自身への向き合い方」を見つめ直し、妥協せずに取り組んでいきたいと思いました。
 
4. Posted by 太郎冠者   2012年11月28日 01:21
稽古に向かう姿勢、難しい問題だと思います。

おっしゃる通り、自分で何かを工夫したつもりになっても何もならず、かといって自ら向かわず漠然と稽古に向かっても、何も手に入るものはない。

『奇跡のリンゴ』は僕も読みましたが、木村さんの姿勢と、本来あるべき稽古への向かい方は、大いに共通する点があると思います。
師父は常々、科学的に研究することの大切さを言われていますが、根底で共通するのは、自然への向かい方だと思います。
科学とは、人間が好き勝手に理論を構築していくものではなく、自然の在り方を観察し研究し、その理論を作り出していくものだからです。
天動説から地動説が主流となったように、また、アインシュタインの相対性理論など、新たな発見から人間の考え方そのものが根本から変わる。

些細でもいいから、そういう発見が太極拳を通してできたらいいなぁ・・・と思います。
 
5. Posted by マルコビッチ   2012年11月28日 10:54
「奇跡のリンゴ」・・私も読みました!
無農薬でリンゴをつくる!!ことを目標に闘い続ける!
試行錯誤しながらまさに命がけでその追求に没頭する木村さんの記録を読んで、感動し、自分自身と照らし合わせ、まだまだまだまだ甘っちょろい自分に叱咤激励する。
また自然の大きさと、森羅万象の完璧なほどまでの関係性にも感動し、太極拳と重ねて思いをはせる。
私はここで終わっていました。
玄花さんのこの記事を読んで、一冊の本からの学び方が私とは異なることにハッとしました。
一つ一つの考察の深さが文章に表れているからです。
はっきりしているのです。
そして、自分の太極拳への向かい方、何故何を目指してやっているのか、今何が問題なのかをはっきり理解し、認識していないと、一冊の本からもうわべのことしか受け取れないのだなと思いました。
次回のお話を楽しみにしています。
ありがとうございました。
 
6. Posted by とび猿   2012年11月29日 07:53
稽古をしていても、日常の生活の中でも、勉強をしていく上で沢山の切っ掛けやチャンスがあるのに、それに気が付けなかったり、大事にできなかったりと、後々になって気が付くことがたくさんあります。
特に、外的なことにより、自分の内面的なことが多くの影響を受け、沢山のことを疎かにしてしまっていることに、この一年ほど何度も何度も行き当たりました。
その弱さが多くのものを見えなくしてしまっているように思います。
きちんとそのことに目を向け、しっかりと勉強していきたいと思います。
 
7. Posted by 円山玄花   2012年11月29日 20:48
☆まっつさん

記事にも書きましたが、木村さんが取り組んだりんごの無農薬栽培は、それまで誰一人として踏み込んだことのない世界です。前例がなければヒントもない。ヒントすら自分で探し出すしかなく、しかも結果は一年に一度しか出すことができないという、厳しい状況でした。
それに比べると、私たちは「どうしたらりんごの無農薬栽培を可能にできるか」を、体系的に教わっているようなものです。それも毎日、実演と解説付きで(!!)。

ですから、誤解を恐れずに言うならば、「アレコレ試すな!、言われたことを黙ってやりなさい」
と、なるでしょうか。
特にこの、「黙って…」というのがポイントで、“黙念師容”の「黙」と同じです。
まっつさんが感じている「厳しさ」が、自分がやっていることを全て否定されるがために感じているのではなく、示されたことに自分を挟まず、そのままその通りにやろうとすることに厳しさを感じているのであれば、きっと道は開けてくると思います。
 
8. Posted by ゆうごなおや   2012年11月29日 21:38
厳しい内容でした。
最近の稽古でも言われているように、木村さんとは比較できないほど甘い姿勢だと思いました。
「執念」が違うということでしょうか。言うだけなら簡単ですよね。実践していかねば。
自分のバイブル的なある漫画の主人公も言っていました。
「執念が俺を変えた」と。

NHKの番組は自分も見ました。木村さんの人柄がにじみ出ていたように思います。この人には勝てないなぁと当時思いました。今もぜんぜんですけど。

続きを楽しみにしています。
 
9. Posted by 円山玄花   2012年11月29日 21:42
☆ユーカリさん

>学び方といえば、言われたことを真面目にその通りにやってみる
>それに似せて見せるための工夫を重ねている

きっと、ユーカリさんのように考え、悩んでいる人は、少なくないと思います。
私もまた、そのように考えては上手くいかず、悶々としていた時期がありました。

今思えば、そのように考えられていたのは、ひとつの「余裕」でした。
言われたことをその通りにやっているだけでいられる自分、似せて見せることを工夫していられる自分。少なくともそこには、今すぐ自分が変容する必要性がありません。その必要性とは、いつも師父が仰る、「危機感」にも似ていると思います。

人間は、誰でも能力を持っていると思います。
そして、その能力を開くのに、時間は必要ありません。(これは、人一倍とろくて鈍臭く、運動神経オンチを自認する私の、リアルな実感です)
能力を開くのに必要なことは、その人の強烈な必要性がそこにあるか、ということです。
火事場の馬鹿力という言葉は、まさにそのことを表していると言えますね。

家が火事にならなくても、今この瞬間に自分が何を必要としているのか。
それが「学び方」の鍵だと思います。
 
10. Posted by 円山玄花   2012年11月29日 22:05
☆tetsu さん

パイオニア精神、大事ですね。
近頃外に出る機会が多いのですが、まるで「条件付きならパイオニア精神を持ってもいい」とでも言わんばかりの考え方が目に付きます。しかもその条件は何かと聞くと、「失敗しないこと」だったりしますから、もう話がアベコベです(笑)。

そういう人にこそ、「奇跡のリンゴ」を読んで頂きたいですね。
 
11. Posted by 円山玄花   2012年11月30日 02:21
☆太郎冠者さん

自然それ自体は完成されたシステムであり、太極拳もまた完成されたシステムであると思います。
当然のことながら、システムを工夫することはできず、システムそのものを理解することが必要となります。
でも、システムを見ずに部分的に解いて繋ぎ合わせようとする人の、何と多いことでしょうか。
私は、システムそのものを理解することが、学び方の第一であると考えています。
 
12. Posted by 円山玄花   2012年11月30日 02:30
☆マルコビッチさん

本を読んでから、一年以上が過ぎてしまいました。
実はその一年間、記事に書こうと思っては止め、また書こうと思うことの繰り返しでした。
それでも、やっぱり書かなければならない、という強い意志に押されて、ようやく文字に表すことが始まりました。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。
 
13. Posted by 円山玄花   2012年11月30日 02:41
☆とび猿さん

後になって気がつくことは、私もたくさんあります。
というか、それが全くない人は超人的かと思いますし、きっと失敗もないのでしょうね。

同じように、外的なことに内面的なことが影響を受けるのも、法則であると思います。
ですから、それを「弱さ」として受け取るのではなく、ましてや弱さのせいにするのでもなく、
自分の核はどうなっているのか、自分の軸はどこに向かっているのか、そのことにこそ、きちんと目を向けるべきだと思います。
そうすれば、その影響がどのようなものであったのかを静観することができますし、影響というものが決して一方的なものではなく、同時に内面的なことからも外的なことに影響を及ぼしているということが分かるはずです。
これこそ、私が太極拳から学んだ「学び方」に他なりません。
 
14. Posted by 円山玄花   2012年11月30日 03:03
☆ゆうごなおやさん

執念は、確かに人を変えますし、ある意味で必要なエネルギー源だと言えます。
でも、それだけではダメだと思います。
木村さんもまた、執念だけではどうしようもなかったわけです。けれども、木村さんを成功に導いたのもまた、執念であるといえますね。

執念とともに、もっと大きくて広い世界を見られるような、開いた目が必要です。
同時に、様々な角度から見られる目ですかね。
 
15. Posted by タイ爺   2012年12月11日 11:11
物事を見る、観る、診る、視る・・・。その有様をあるがままにミることは実はとてつもなく難しいことだと痛感しております。
ミリ単位でミテ、感じて師父や玄花さんの動きにあわせる。そこには余計な知識や思考も存在せず「ミた通りに合わせる」事がなにより肝心。
そして探究し探求する。分かっちゃいるけど止められない〜・・・・。

生半可な知識が視界をにごらせ、思い込みが視界を狭くする。今回もまたそれを思い知らされたと同時に至福の二日間でした。

16. Posted by 円山玄花   2012年12月12日 03:04
☆タイ爺さん

コメントをありがとうございます。
また、今回は2日間お疲れ様でした。

仰る通り、物事をありのままに観ることは簡単ではなく、
私にとっても日々毎瞬の課題となっています。
やはり問題は、観る対象ではなくて、観ている自分側なんですよね。

見えなくても、分からなくても、それを続けているとある時フッと新しい世界が開けてくる。
その喜びがまた次なる探求へと自分を導いていきます。
大変なことは分かっているのですが、それがあるからやめられないのですよね。

またご一緒できる日を楽しみにしています。
 
17. Posted by bamboo   2012年12月17日 23:01
自然農にも惚れてしまった者の一人です^^
畑にいるとき、確かに(なんか武藝館っぽいよな…)と感じますね。有機農法や化学農法とは根本的に異なる何か。自然のシステムをカラダで学ぶというか…
そして「自分がどう関わっているか」がむき出しに…^^; でも妙に楽しいです。
木村さんも福島さんも、皆ある種の道を歩んでいるような気がしますね…。
自分はどこまでやるか。今この「自分」にチョイチョイ難儀しております(苦笑)。
 
18. Posted by ハイネケン   2012年12月24日 14:36
何から手を付ければよいのか?
稽古が足りないから出来ないのか?
理解が足りないから出来ないのか?
パラダイム・シフトが出来るような稽古をしたいものですが・・自分が自分の邪魔をします。

目の前の基本を如何に素直に捉え、常に好奇の視線で探求できるかが目下の目標です。

気になる本ですので、年末を機に読んでみます。
 
19. Posted by 円山玄花   2012年12月31日 11:32
☆bambooさん
コメントをありがとうございます。

>今この「自分」にチョイチョイ難儀しております

きっとそれは、師父が仰るところの、「個人の悩みではなく、人類の悩み」ですね(笑)
”子どもは誰でも芸術家である”とは、ピカソの言葉ですが、その後にこう続きます。
“問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ”と。
私は、この「大人になっても」というところが、子どもが大人になる過程でどれ程「自分」という存在に向き合い、悩んだか、ということを表しているように感じました。
「自分」に向き合い始めるのに年齢は関係なく、そして誰もが通らなくてはならないところのものだと思います。
太極拳に悩むのではなく、太極拳を修めようとする自分に悩むようになったら、やっと入門、ということになるでしょうか。(^_-)
 
20. Posted by 円山玄花   2012年12月31日 12:34
☆ハイネケンさん
コメントをありがとうございます。

>パラダイム・シフト

そう言えば、私が物の見方に興味を持ったのは、「ルビンの壺」、「嫁と義母」などの隠し絵を見たときからでしょうか。
現在でも、絵が切り替わると猛烈に感動しますね(笑)。でも、その絵について考えていると、もうその感動はやってこない、と言うことにも気付きました。
そしてそれは、稽古でも同じことが言えて、頭で考えているときに師父がもの凄いことを言われても、「ふーむ、なるほど」程度の感じ方なのに、自分が疑問を持って、ただひたすら稽古に取り組んでいると、師父がちょっとしたことを言われても、もの凄い感動の嵐が起こります。
そうなると、「自分」など木っ葉微塵になり、一切合切がひっくり返ります。

考えること疑問を持つことの違いは、意外と大きいかもしれませんね。
 

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