2009年03月11日
Gallery Tai-ji「 Lutterr・闘士」
by ブログ編集室
【 Lutterr(闘士)】 フランス・ルーヴル美術館蔵 / 高さ27.3cm
・仏語名:Lutterr(闘士)
・英語名:Pankration Fighter(パンクラティオンの闘士)
フランス東部にあるブルゴーニュ地域圏(Bourgogne Région )、ソーヌ・エ・ロワール県(Saône-et-Loire)にあるオータン(Autun)で1869年に発見された空洞式鋳造のブロンズ像です。紀元1世紀に、ガロ・ロマンの工房で作られたものと推測されています。
当時のオータンの地名は、Augustodunum(アウグストドゥヌム=アウグストゥスの砦の意)で、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの勅許によって建設された都市であり、現在の Autun(オータン)という地名はこれが転訛したものです。
ルーヴル美術館では、この「闘士」像について以下のような解説をしています。
この小さなブロンズ像は、古代ローマに於いて、レスリングとボクシングを合わせたような、パンクラティオンと呼ばれる素手の荒々しい闘技が、当時盛んに行われたことを示している。
この像の闘士は、右足に重心を置きながら激しい蹴りを相手に与えると同時に、バランスを取るため上半身を後ろに反らし、腕を広げている。
このアクロバティックな姿勢は、闘士の活力あふれる表情、筋肉の収縮、勝利への意欲、また既に追撃の準備ができている彼の握り締めた拳など、微妙な細部の表現を堪能するために、作品の周囲を巡って眺めて観たいと鑑賞者に思わせることだろう。
このブロンズを製作した鋳金師は、長い期間に渡って厳しい鍛錬が為された跡が見られるこの男性の堂々たる筋肉を、独自の創造性で表現した。
頭は身体の他の部分に比べて、比較的小さく見える。その突き出た大きな耳が付いた顔には、多くの戦いの傷跡がある。髪型は、髪を引きつめ頭の上に一束にまとめた、東方又はエジプト出身のプロの闘士のものである。この髪束はキルスと呼ばれるが、この小像を吊り下げて使うためであったのか、輪の形に変形されている。
< 解説:ルーブル美術館 >
この像を目にした誰もがそう感じるように、これは端的に力強く、そして美しい作品です。
髷(まげ)を結った頭は、それがアジア人であることを物語っており、撫で肩で、金剛力士のような見事な筋肉を持つこの闘士が、どのような武術を修行した人であったのか、たいへん興味をそそられます。
この像を「キルギスの闘士」というタイトルで紹介している文献も存在しています。
キルギスは中央アジア五ヶ国のひとつで、旧ソビエト連邦の共和国です。ルーヴル美術館の解説にも「東方又はエジプト出身の」とあるので、この闘士はキルギスの出身者である可能性もあります。
また、キルギス共和国は中国の新疆ウイグル自治区とも国境を接しているので、この闘士は、陳氏拳術のルーツとなるような高度な武術を修得した、名の知られた使い手だったのかもしれません。
『 *Geschichte der Olympischen Spiele(オリンピック競技の歴史)』(*註)
という本には、この像の写真が紹介されており、同じページの下欄には、
『特殊な攻撃方法として、いわゆる「踵(かかと)蹴り」がある。
この技法の発明者は、キルギスのパンクラティオン競技者である。
身体が小さいので Halter という仇名が付いていた。各地にこの人物の像がある』
という添え書きが為されています。
陳氏太極拳には「蹬脚 (deng-jiao)」と呼ばれる、この像と酷似した蹴りの技法が存在しています。「蹬脚」は臍より下の低い位置を蹴る技法ですが、これは、その陳氏拳術の強烈な蹴りの動作とほとんど同じポーズに見えます。
蹴り上げた足は、特に足首から下が力強く表現されており、大きく開いた足指の先まで、明確な意識とチカラが働いていることが分かります。
また、この像を反対側から観れば、わずかに踵が浮かされ、グイと大地を指で掴んだ軸足は、見るからに外筋に頼らない立ち方であり、勇敢な古代ローマの闘士たちも大いに途惑ったであろう、高度な身体の使い方を追求した武術であることが想像されます。
上述の著書に”特殊な攻撃法”として紹介されたこの「踵蹴り」は、実は陳氏太極拳では特に単式の練法として詳細に訓練されるたいへん意味深い技法であり、この技法の中には学習者が高度な原理を理解するための構造が多く秘められています。
このようなブロンズ像を多く造ってまで、その姿を残そうとしたこの「闘士」の姿は、数ある古代ローマのパンクラティオンの闘いの中でも、幾歳月を経ても、後々の世まで深く人々の印象に残り、何世代にも亘って語り継がれた、非常に強力な技法を持つ、優れた武術であったに違いありません。
註 * Geschichte der Olympischen Spiele / Dr. Ferenc Mezö / 1390
(オリンピック競技の歴史・フェレンス・メゾー著・1930年)
日本では「古代オリンピックの歴史・フェレンス・メゾー著・大島鎌吉 訳」として、
1973年にベースボールマガジン社より出版されています。
「Lutterr」の像が発見された、オータンの風景
【 Lutterr(闘士)】 フランス・ルーヴル美術館蔵 / 高さ27.3cm
・仏語名:Lutterr(闘士)
・英語名:Pankration Fighter(パンクラティオンの闘士)
フランス東部にあるブルゴーニュ地域圏(Bourgogne Région )、ソーヌ・エ・ロワール県(Saône-et-Loire)にあるオータン(Autun)で1869年に発見された空洞式鋳造のブロンズ像です。紀元1世紀に、ガロ・ロマンの工房で作られたものと推測されています。
当時のオータンの地名は、Augustodunum(アウグストドゥヌム=アウグストゥスの砦の意)で、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの勅許によって建設された都市であり、現在の Autun(オータン)という地名はこれが転訛したものです。
ルーヴル美術館では、この「闘士」像について以下のような解説をしています。
この小さなブロンズ像は、古代ローマに於いて、レスリングとボクシングを合わせたような、パンクラティオンと呼ばれる素手の荒々しい闘技が、当時盛んに行われたことを示している。
この像の闘士は、右足に重心を置きながら激しい蹴りを相手に与えると同時に、バランスを取るため上半身を後ろに反らし、腕を広げている。
このアクロバティックな姿勢は、闘士の活力あふれる表情、筋肉の収縮、勝利への意欲、また既に追撃の準備ができている彼の握り締めた拳など、微妙な細部の表現を堪能するために、作品の周囲を巡って眺めて観たいと鑑賞者に思わせることだろう。
このブロンズを製作した鋳金師は、長い期間に渡って厳しい鍛錬が為された跡が見られるこの男性の堂々たる筋肉を、独自の創造性で表現した。
頭は身体の他の部分に比べて、比較的小さく見える。その突き出た大きな耳が付いた顔には、多くの戦いの傷跡がある。髪型は、髪を引きつめ頭の上に一束にまとめた、東方又はエジプト出身のプロの闘士のものである。この髪束はキルスと呼ばれるが、この小像を吊り下げて使うためであったのか、輪の形に変形されている。
< 解説:ルーブル美術館 >
この像を目にした誰もがそう感じるように、これは端的に力強く、そして美しい作品です。
髷(まげ)を結った頭は、それがアジア人であることを物語っており、撫で肩で、金剛力士のような見事な筋肉を持つこの闘士が、どのような武術を修行した人であったのか、たいへん興味をそそられます。
この像を「キルギスの闘士」というタイトルで紹介している文献も存在しています。
キルギスは中央アジア五ヶ国のひとつで、旧ソビエト連邦の共和国です。ルーヴル美術館の解説にも「東方又はエジプト出身の」とあるので、この闘士はキルギスの出身者である可能性もあります。
また、キルギス共和国は中国の新疆ウイグル自治区とも国境を接しているので、この闘士は、陳氏拳術のルーツとなるような高度な武術を修得した、名の知られた使い手だったのかもしれません。
『 *Geschichte der Olympischen Spiele(オリンピック競技の歴史)』(*註)
という本には、この像の写真が紹介されており、同じページの下欄には、
『特殊な攻撃方法として、いわゆる「踵(かかと)蹴り」がある。
この技法の発明者は、キルギスのパンクラティオン競技者である。
身体が小さいので Halter という仇名が付いていた。各地にこの人物の像がある』
という添え書きが為されています。
陳氏太極拳には「蹬脚 (deng-jiao)」と呼ばれる、この像と酷似した蹴りの技法が存在しています。「蹬脚」は臍より下の低い位置を蹴る技法ですが、これは、その陳氏拳術の強烈な蹴りの動作とほとんど同じポーズに見えます。
蹴り上げた足は、特に足首から下が力強く表現されており、大きく開いた足指の先まで、明確な意識とチカラが働いていることが分かります。
また、この像を反対側から観れば、わずかに踵が浮かされ、グイと大地を指で掴んだ軸足は、見るからに外筋に頼らない立ち方であり、勇敢な古代ローマの闘士たちも大いに途惑ったであろう、高度な身体の使い方を追求した武術であることが想像されます。
上述の著書に”特殊な攻撃法”として紹介されたこの「踵蹴り」は、実は陳氏太極拳では特に単式の練法として詳細に訓練されるたいへん意味深い技法であり、この技法の中には学習者が高度な原理を理解するための構造が多く秘められています。
このようなブロンズ像を多く造ってまで、その姿を残そうとしたこの「闘士」の姿は、数ある古代ローマのパンクラティオンの闘いの中でも、幾歳月を経ても、後々の世まで深く人々の印象に残り、何世代にも亘って語り継がれた、非常に強力な技法を持つ、優れた武術であったに違いありません。
註 * Geschichte der Olympischen Spiele / Dr. Ferenc Mezö / 1390
(オリンピック競技の歴史・フェレンス・メゾー著・1930年)
日本では「古代オリンピックの歴史・フェレンス・メゾー著・大島鎌吉 訳」として、
1973年にベースボールマガジン社より出版されています。
「Lutterr」の像が発見された、オータンの風景
コメント一覧
1. Posted by トヨ 2009年03月12日 00:39
同じくルーヴル美術館にある、「ボルゲーゼの剣闘士」と言われている
紀元前100年頃のギリシアで作られたという像の写真なら見たことがあるのですが、
それとはまた全然違うものですね。
ボルゲーゼの剣闘士はいかにもギリシア彫刻らしい、筋骨逞しく、すらっとした肢体を
しているのですが、こちらはなんだか…ずんぐりむっくり?
やはりギリシア・ローマなどソッチ方面の人には見えないです。
髪型のせいもあるのか、なんというか…仏像が動き出したとでもいうような。
あと、蹴り上げた足の指、普通じゃナイです。
紀元前100年頃のギリシアで作られたという像の写真なら見たことがあるのですが、
それとはまた全然違うものですね。
ボルゲーゼの剣闘士はいかにもギリシア彫刻らしい、筋骨逞しく、すらっとした肢体を
しているのですが、こちらはなんだか…ずんぐりむっくり?
やはりギリシア・ローマなどソッチ方面の人には見えないです。
髪型のせいもあるのか、なんというか…仏像が動き出したとでもいうような。
あと、蹴り上げた足の指、普通じゃナイです。
2. Posted by ほぁほーし 2009年03月12日 04:32
>・・・仏像が動き出したとでもいうような。
あ、その感覚分かる気がします。
確かに、動きをリアルに感じますね。
それにしても・・この像を作った人も凄いですね。
パッと見て、武術を深く研究している人じゃないと作れないのでは?と、思いました。
踵が浮いて立っているあたりなど、作品としても素晴らしいと思います。
あ、その感覚分かる気がします。
確かに、動きをリアルに感じますね。
それにしても・・この像を作った人も凄いですね。
パッと見て、武術を深く研究している人じゃないと作れないのでは?と、思いました。
踵が浮いて立っているあたりなど、作品としても素晴らしいと思います。
3. Posted by まっつ 2009年03月12日 07:30
見事な立ち姿と覚えます。
いずれの角度から見ても軸が綺麗に立っていて、
動の中の静が非凡に表現されていますね。
本物の芸術の持つ普遍性ですね・・・
思わず引き込まれてしまいます・・・
いずれの角度から見ても軸が綺麗に立っていて、
動の中の静が非凡に表現されていますね。
本物の芸術の持つ普遍性ですね・・・
思わず引き込まれてしまいます・・・
4. Posted by ブログ編集室 2009年03月12日 17:36
☆トヨさん
>「ボルゲーゼの剣闘士」
・・・つまり「Borghese Gladiator」のことですね。
ルーブルの彫刻の中でも、なかなか印象に残る作品です。
ルーブルにある像は、「楯」と「剣」が失われていますが、製作された当初は、
左右の手にそれがあって、相手の攻撃を楯で受けながら右手の剣で打とうとする、
より迫力のある作品だったと思います。
オータンの「闘士」の像と身体を比べると、やはりアジアとローマの違いがあります。
アジアと西洋とでは、武術的にも身体の使い方が違うのでしょうね。
>仏像が動き出したとでもいうような。
・・・然り、然り。
>蹴り上げた足の指・・・
うーむ・・これぞ、まさに・・・然り哉。
>「ボルゲーゼの剣闘士」
・・・つまり「Borghese Gladiator」のことですね。
ルーブルの彫刻の中でも、なかなか印象に残る作品です。
ルーブルにある像は、「楯」と「剣」が失われていますが、製作された当初は、
左右の手にそれがあって、相手の攻撃を楯で受けながら右手の剣で打とうとする、
より迫力のある作品だったと思います。
オータンの「闘士」の像と身体を比べると、やはりアジアとローマの違いがあります。
アジアと西洋とでは、武術的にも身体の使い方が違うのでしょうね。
>仏像が動き出したとでもいうような。
・・・然り、然り。
>蹴り上げた足の指・・・
うーむ・・これぞ、まさに・・・然り哉。
5. Posted by ブログ編集室 2009年03月12日 17:39
☆ほぁさま
>像を作った人も凄い・・
確かにこのポーズですと、モデルに静止していてくれと言うわけにはいかず・・
この「構造」を理解しないと、像は創れないでしょうね。
>像を作った人も凄い・・
確かにこのポーズですと、モデルに静止していてくれと言うわけにはいかず・・
この「構造」を理解しないと、像は創れないでしょうね。
6. Posted by ブログ編集室 2009年03月12日 17:42
☆まっつさん
>本物の芸術の持つ普遍性・・
武術にも、やはり、その「思わず引き込まれてしまう」ものがありますね。
そう考えると、ウチの小架式も凄いものですね・・・
>本物の芸術の持つ普遍性・・
武術にも、やはり、その「思わず引き込まれてしまう」ものがありますね。
そう考えると、ウチの小架式も凄いものですね・・・
7. Posted by とび猿 2009年03月13日 01:32
美しい立ち姿ですね。
頭の先から足の先まで、全身が隈無く使われ、まるで今にも動き出しそうな気さえしてきます。
>この小像を吊り下げて使うためであったのか、輪の形に変形されている。
この像を見ていると、作者は像を土台に立てるのではなく、吊り下げることによって
表現したかったものがあるのではないか、などと考えてしまいます。
頭の先から足の先まで、全身が隈無く使われ、まるで今にも動き出しそうな気さえしてきます。
>この小像を吊り下げて使うためであったのか、輪の形に変形されている。
この像を見ていると、作者は像を土台に立てるのではなく、吊り下げることによって
表現したかったものがあるのではないか、などと考えてしまいます。
8. Posted by ブログ編集室 2009年03月13日 18:03
☆とび猿さん
この「闘士」の像を日本で初めて紹介したのは、笠尾恭二さんでしょうか。
1983年の「太極拳入門・日東書院刊」に、イラストでこの像が説明されています。
その後も、幾つかの本でこの上段の写真が紹介されたことがありますが、
角度を変えて撮影した下段の二枚の写真が、日本の愛好家の目に触れる機会は、
これが初めてかもしれません。
笠尾先生も触れておられますが、古代の東西文明の交流に於いて、
中央アジア諸民族が果たした役割は途轍もなく大きいものです。
彼らはシルクロードを開通させて漢民族の世界に多くの異文化をもたらし、
農耕が中心であった漢民族に騎馬民族の戦闘法を教えました。
モンゴルからウクライナに至るまでの大きな範囲で、
陳氏太極拳の元になったような武術は数多く存在したのではないでしょうか。
中央アジアの武術というと、普通はモンゴル相撲くらいしか思いつきませんが、
樺太生まれの北海道育ちだった、かつての大横綱「大鵬」さんは、
父親がウクライナ人のコサック、母親が日本人の混血で、
足が長く、腰が強く、相手によって戦闘法を替えて取り組み、
優勝を三十二回も掠ったその強さは、誰もが知るところです。
コサックの戦闘法と陳氏太極拳の共通点については、
師父がよく指摘されることでもありますね。
この「闘士」の像を日本で初めて紹介したのは、笠尾恭二さんでしょうか。
1983年の「太極拳入門・日東書院刊」に、イラストでこの像が説明されています。
その後も、幾つかの本でこの上段の写真が紹介されたことがありますが、
角度を変えて撮影した下段の二枚の写真が、日本の愛好家の目に触れる機会は、
これが初めてかもしれません。
笠尾先生も触れておられますが、古代の東西文明の交流に於いて、
中央アジア諸民族が果たした役割は途轍もなく大きいものです。
彼らはシルクロードを開通させて漢民族の世界に多くの異文化をもたらし、
農耕が中心であった漢民族に騎馬民族の戦闘法を教えました。
モンゴルからウクライナに至るまでの大きな範囲で、
陳氏太極拳の元になったような武術は数多く存在したのではないでしょうか。
中央アジアの武術というと、普通はモンゴル相撲くらいしか思いつきませんが、
樺太生まれの北海道育ちだった、かつての大横綱「大鵬」さんは、
父親がウクライナ人のコサック、母親が日本人の混血で、
足が長く、腰が強く、相手によって戦闘法を替えて取り組み、
優勝を三十二回も掠ったその強さは、誰もが知るところです。
コサックの戦闘法と陳氏太極拳の共通点については、
師父がよく指摘されることでもありますね。
9. Posted by みみずく 2009年03月20日 12:27
いつも楽しく拝見させて頂いております。
以前より存じているこの像が、その様に古い遺跡から発掘され、現在に至っている事、
稽古で体験させて頂いている鐙脚のルーツである事に、脈々と現代に生き続ける武術の
歴史を感じます。
きっと、作者は武術家ではなかったのかという思いは、どんどん膨らみます。
他にもこのような像があるのでしょうか‥…?
次回が楽しみです。
以前より存じているこの像が、その様に古い遺跡から発掘され、現在に至っている事、
稽古で体験させて頂いている鐙脚のルーツである事に、脈々と現代に生き続ける武術の
歴史を感じます。
きっと、作者は武術家ではなかったのかという思いは、どんどん膨らみます。
他にもこのような像があるのでしょうか‥…?
次回が楽しみです。
10. Posted by ブログ編集室 2009年03月21日 00:05
☆みみずくさん
コメントをありがとうございました。
武術の歴史は、人間の歴史そのものでもありますね。
鐙脚は、一般クラスの基本功では詳しく行われませんが、研究会に於いては、
かなり詳細にわたって練功がなされると伺っています。
この蹴りの動作には、きっとたくさんの秘密が隠されているのでしょうね。
>きっと、作者は武術家ではなかったのかと・・・
この「闘士」の像を造った作者は、もしかすると武術家ではなかったかも知れませんが、
そうであったとしても、武術の身体をきちんと理解できる人であったに違いありません。
次回の「ギャラリー・タイジィ」に、どうぞご期待下さい。
コメントをありがとうございました。
武術の歴史は、人間の歴史そのものでもありますね。
鐙脚は、一般クラスの基本功では詳しく行われませんが、研究会に於いては、
かなり詳細にわたって練功がなされると伺っています。
この蹴りの動作には、きっとたくさんの秘密が隠されているのでしょうね。
>きっと、作者は武術家ではなかったのかと・・・
この「闘士」の像を造った作者は、もしかすると武術家ではなかったかも知れませんが、
そうであったとしても、武術の身体をきちんと理解できる人であったに違いありません。
次回の「ギャラリー・タイジィ」に、どうぞご期待下さい。
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