2010年03月
2010年03月28日
練拳 Diary #28 「腰相撲の動画」
by 教練 円山 玄花
この練拳ダイアリーでは、これまでに「腰相撲」という稽古法を計7回のシリーズで掲載してきました。記事と共に掲載した写真は50枚を超えますが、いずれもその時々の稽古に励む門人の様子を分かりやすくお伝え出来たのではないかと思っています。
しかし、拙い文章と静止画の写真だけでは表現出来ないことの方がはるかに多く、太極拳の計り知れない奥深さや、私たちが修錬する目的や意義を一体どれほど表現できたのかは疑問として残りました。そしてスタッフたちからも、これ以上のことをお伝えするには実際に動画の映像を観て頂くしかないという声が上がり、初めて動画を公開するに至った次第です。
「動画」を公開する主な理由は、ふたつあります。
ひとつは、先に述べたとおり、文章や写真では表せないものをお伝えするためです。
架式の整え方やその重要性、そして勁力というものをどれほど言葉で説明しようと、そう簡単に理解できるような質のものでないことは、太極拳を学習している人たちが一番良く知るところでしょうし、実際に目で見ることに勝る方法は無いと思えるからです。
また、それをビデオカメラが捉えた目で繰り返して見ることによって、より大きな理解やイメージを得られる筈であると思えます。
もうひとつは、太極拳の歴史が始まって以来、陳家溝でも重要な練功とされて古くから練られていた筈の「腰相撲」が、太極武藝館にどのような訓練方法として継承されているのかをお伝えするためです。
その訓練内容を詳らかに説明することは許されておりませんが、少なくともこのブログで述べてきた内容が実際にはどのようなものであるのかを、このような動画でご紹介することは可能であると思いました。
* * * * *
【 動画 その1・解説 】
これらの動画をご覧頂くにあたって、内容の順序と概要をお伝えしておきます。
この映像は、以下の7種類の「腰相撲の訓練」を一本の動画にまとめたものです。
(1)1名の門人が、正しい形で力一杯押していくもの(計三本)
押す人の表情はクールですが、実際にはかなりの力で押しています。
そして、それにも関わらず、師父の姿勢はほとんど変わらないまま、相手がひどく崩された格好で飛ばされていくのが見られます。
この場合、押す側の手に感じられる力はごく僅かなものですが、反対に身体内部に返ってくる衝撃は非常に大きく、もし一般門人がこれと同じものを受けたら、とてもこの演者のようには立ったまま無事に着地することは出来ないと思われます。
実際に、撮影ではヒヤリとする場面が幾度かありましたが、その度に頭から落ちそうになるのを演者が空中で身体をコントロールして必死にこらえ、また、師父も発力をコントロールされているために事無きを得ました。
(2)5名の門人が、力一杯押して行くもの
いずれも各自が最大の力で押しているものですが、普段の稽古では多人数で行う場合でも、構造を理解するために、いちいち青筋を立てるほどのパワーで押して行くようなことはしません。特に一般クラスの稽古では、各自が最も理解できる力の状態で押して行くように指導されます。
この映像は、撮影用に最大の力で思い切り押していますが、それでも正しく整った架式には、単に力の大きさで向かおうとしても全く刃が立たないということがよく分かります。
押す際には、一人一人が自分のすぐ前の人を押すのではなく、受け手であるただ一人の相手を押していくように全力を出しているのですが、その手応えはまるでビルの壁でも押しているかの如く、全く押せるような気がしません。
また、その挙げ句に、突然津波が押し寄せてきたように身体全体が浮かされて弾かれ、後方の壁に当たって止まるまで、フルスピードで走らされることになります。
これまでにも述べてきたように、「腰相撲」は力比べを行うのではなく、お互いに架式を整備して勁力を理解し、太極拳の構造から武術として使える身体を養うために、その練功が行われます。
また、腰相撲によって生じるチカラが「勁力」であることの証しとして、押されている合力の強大さとは反対に、遙かに軽い力で相手を返すことが可能になります。また、それが質量や拙力によるものではないことを確認するために、自分より大きな人と組んでみたり、多人数を相手に同じことが可能であるかどうかを試してみるわけです。
太極武藝館では、入門後わずか数回しか稽古に出席していない門人でも相手を返してしまうような現象が見られますが、それは「腰相撲」という練功を始めた時点から『正しく受けられることが、反対に相手をきちんと飛ばし返すことが出来ることである』と指導される故だと思います。
腰相撲の練功に於いて、押す側としての最も重要な稽古は、正しい架式で、チカラを水平に、きちんと相手に伝えられる、ということです。
それによって初めて押している自分の「構造」が明らかになり、その正しい構造で押せた場合には、返して来る相手の勁を正しい構造で受けることが出来るので、そこに正しい身体を養うための正しい稽古が成立することになります。
かつて、入門して間もない門人から、
『腰相撲というのは、ここで指導されるように、正しい姿勢できちんと真っ直ぐに
押してもらわないと、相手を返すことは出来ないのですか?』
・・・と、訊かれたことがあります。
それに対して私は、
『いや、どのように押されても返すことは出来ますが、それでは ”腰相撲の稽古” になり
ません。互いに自由に押したり投げたりするものは別の稽古になります。
腰相撲は、相手を返すことが出来るかを追求しているのではなく、正しく押せること
と、正しく返せることの中で、太極拳の構造を学んでいくことが目的なのです・・』
と、お答えしました。
この質問自体が「パワー志向」であり、「力比べ」の発想から出てくるものであると思えましたが、その発想ではお互いが「構造」を理解して高度なものにしていく「練功」そのものが成立しません。
太極拳として正しい姿勢でないもの、つまり構造が整っていない状態では、ごく普通にチカラをまっすぐ前に伝えることもできず、自分の持つ力の半分ほども出せないことでしょう。
それが分からず、ムリヤリに拙力を気ままに出せることが「大きなチカラの出し方」だと思ってしまうのは、まさに非武術的であり、日常的な発想でしかありません。
(3)5名の門人が、重みや揺さぶりを使って、力一杯煽(あお)りながら、
ひたすら「拙力」で押していったもの
これは実際にそのような「拙力」で煽り、力んで押すことを試みた映像です。
上述の質問者のように、架式を整えることなく寄り掛かりで重みを掛け、力んであおっていく方法を試みたわけですが、もちろん、このようなものが「稽古」として行われることは決して有り得ません。
実際に試してみれば、通常の腰相撲に比べて、自分の力が受け手まで届かず、ただ単に自分のすぐ前にいる人を押している感覚しかないということが、押している誰にも明らかでした。
また、もしもそれで押していったことを躱(かわ)されたり、流されたりした場合には、「押す側も押される側も、体軸がひどく崩れるしかない」という非武術的な身体の状態になってしまい、武術の稽古として成立しないものとなります。
この映像では、たとえそのような非武術的な拙力の状態で、気儘に力一杯押していっても、正しい架式で受けられた場合には、意外なほど簡単に返されてしまう様子が見られます。
(4)5名に腰を押されているところを、先頭の人の腕を取って押し返したもの。
これは稽古では行われていません。一対一でもなかなか難しく、対複数では誰も出来る人が居ないからですが、このようなことも可能であることが参考として示されています。
(5)5名の門人が、正しい形で力一杯押していくもの。
(2)とは返し方が異なり、前に踏み出さず、その場で返します。
多人数の稽古では、このように架式を変えず、その場で相手を返す練習を行いますが、(2)のように、前に歩いて出ながら返す練習もあります。
(6)壁ぎわで正座をして、背と腰を離したまま肩を壁に付け、
11名の門人に肩を押させ、それを返したもの。
これも、腰相撲の原理を用いればこのような事も可能になる、と示されたものです。
試してみればすぐに納得できますが、相手がたった一人でも返すことが難しいだけでなく、原理が分からなければ背筋や肩、腰などを痛める可能性が高いので、特に多人数の練習は一般クラスの稽古では行われません。
(7)壁にカカト、尻、背中、頭を付けて立ったところを、
6名および10名の門人が腰を押していき、それを返したもの。(計2本)
これは正座するものより安全性が高いので、稽古でも度々行われています。
相手が一人でもかなり難しく、複数になると上級者でなくてはとても返せません。
また、このカタチで相手を弾き飛ばすのではなく、歩いて前に出て行く「壁抜け」という稽古もありますが、同様に難度の高いものです。
* * * * *
【 動画・その2 】
*まだ架式を充分理解できていない人が、5名の門人に押されたもの(計5本)
「動画・その1」と同じように押していきますが、ご覧のようにあっと言う間に押し切られ、力の差が激しい場合は後ろの壁に叩きつけられてしまい、何とか耐えている場合でも、結局最後には押し切られてしまいます。腰相撲では、実際にはこのような、大きな合力が押される側に掛けられていることが分かります。
しかし、押していった人たちは、師父を思い切り押した際の力に比べれば、まだそれほど大きな力ではないと言うことです。
4本目の映像では、押している5名は全て女性です。いずれも太極武藝館で十年以上稽古に励んできた人たちであり、その構造から出るチカラは映像からはなかなか想像できません。
普段の稽古では、女性2人対男性1人、女性3人対男性1人などで練習が組まれることもありますが、筋力に自信のある格闘技経験者でも、かなりの苦労を強いられます。
受けている彼らは、ほぼ全員が格闘技でその実力を大いに示してきた人たちであり、筋力もかなり強く、ベンチプレスでは100キロ以上を容易に挙げ、スクワット百回を10セット、腕立て伏せなら百回程度を軽くこなしてきたような人たちです。
彼らは一対一なら相手に押される時には余裕で受けることが出来ますし、返して飛ばすことも出来るのですが、やはり多人数で押された場合は合力が非常に大きいために、このような結果となります。腰相撲では「架式」を正しく習得しなければ、決して正しく返すことが出来ないということが分かります。
* * * * *
以上、各々の動画の解説を述べてみました。
門人の皆さんにとっても、普段の稽古で行われている「腰相撲」を動画にして見るのは今回が初めてのことと思います。この練功の様子を道場の稽古で見ているだけでは分からなかったことが、この動画によって新たに見えてくるかも知れません。
単に相手を弾き飛ばすという表面的な現象にとらわれることなく、正しい架式と構造の重要性、腰相撲という練功の奥深さをよくご覧頂き、日頃の稽古にお役立て頂ければたいへん嬉しく思います。
(了)
この練拳ダイアリーでは、これまでに「腰相撲」という稽古法を計7回のシリーズで掲載してきました。記事と共に掲載した写真は50枚を超えますが、いずれもその時々の稽古に励む門人の様子を分かりやすくお伝え出来たのではないかと思っています。
しかし、拙い文章と静止画の写真だけでは表現出来ないことの方がはるかに多く、太極拳の計り知れない奥深さや、私たちが修錬する目的や意義を一体どれほど表現できたのかは疑問として残りました。そしてスタッフたちからも、これ以上のことをお伝えするには実際に動画の映像を観て頂くしかないという声が上がり、初めて動画を公開するに至った次第です。
「動画」を公開する主な理由は、ふたつあります。
ひとつは、先に述べたとおり、文章や写真では表せないものをお伝えするためです。
架式の整え方やその重要性、そして勁力というものをどれほど言葉で説明しようと、そう簡単に理解できるような質のものでないことは、太極拳を学習している人たちが一番良く知るところでしょうし、実際に目で見ることに勝る方法は無いと思えるからです。
また、それをビデオカメラが捉えた目で繰り返して見ることによって、より大きな理解やイメージを得られる筈であると思えます。
もうひとつは、太極拳の歴史が始まって以来、陳家溝でも重要な練功とされて古くから練られていた筈の「腰相撲」が、太極武藝館にどのような訓練方法として継承されているのかをお伝えするためです。
その訓練内容を詳らかに説明することは許されておりませんが、少なくともこのブログで述べてきた内容が実際にはどのようなものであるのかを、このような動画でご紹介することは可能であると思いました。
* * * * *
【 動画 その1・解説 】
これらの動画をご覧頂くにあたって、内容の順序と概要をお伝えしておきます。
この映像は、以下の7種類の「腰相撲の訓練」を一本の動画にまとめたものです。
(1)1名の門人が、正しい形で力一杯押していくもの(計三本)
押す人の表情はクールですが、実際にはかなりの力で押しています。
そして、それにも関わらず、師父の姿勢はほとんど変わらないまま、相手がひどく崩された格好で飛ばされていくのが見られます。
この場合、押す側の手に感じられる力はごく僅かなものですが、反対に身体内部に返ってくる衝撃は非常に大きく、もし一般門人がこれと同じものを受けたら、とてもこの演者のようには立ったまま無事に着地することは出来ないと思われます。
実際に、撮影ではヒヤリとする場面が幾度かありましたが、その度に頭から落ちそうになるのを演者が空中で身体をコントロールして必死にこらえ、また、師父も発力をコントロールされているために事無きを得ました。
(2)5名の門人が、力一杯押して行くもの
いずれも各自が最大の力で押しているものですが、普段の稽古では多人数で行う場合でも、構造を理解するために、いちいち青筋を立てるほどのパワーで押して行くようなことはしません。特に一般クラスの稽古では、各自が最も理解できる力の状態で押して行くように指導されます。
この映像は、撮影用に最大の力で思い切り押していますが、それでも正しく整った架式には、単に力の大きさで向かおうとしても全く刃が立たないということがよく分かります。
押す際には、一人一人が自分のすぐ前の人を押すのではなく、受け手であるただ一人の相手を押していくように全力を出しているのですが、その手応えはまるでビルの壁でも押しているかの如く、全く押せるような気がしません。
また、その挙げ句に、突然津波が押し寄せてきたように身体全体が浮かされて弾かれ、後方の壁に当たって止まるまで、フルスピードで走らされることになります。
これまでにも述べてきたように、「腰相撲」は力比べを行うのではなく、お互いに架式を整備して勁力を理解し、太極拳の構造から武術として使える身体を養うために、その練功が行われます。
また、腰相撲によって生じるチカラが「勁力」であることの証しとして、押されている合力の強大さとは反対に、遙かに軽い力で相手を返すことが可能になります。また、それが質量や拙力によるものではないことを確認するために、自分より大きな人と組んでみたり、多人数を相手に同じことが可能であるかどうかを試してみるわけです。
太極武藝館では、入門後わずか数回しか稽古に出席していない門人でも相手を返してしまうような現象が見られますが、それは「腰相撲」という練功を始めた時点から『正しく受けられることが、反対に相手をきちんと飛ばし返すことが出来ることである』と指導される故だと思います。
腰相撲の練功に於いて、押す側としての最も重要な稽古は、正しい架式で、チカラを水平に、きちんと相手に伝えられる、ということです。
それによって初めて押している自分の「構造」が明らかになり、その正しい構造で押せた場合には、返して来る相手の勁を正しい構造で受けることが出来るので、そこに正しい身体を養うための正しい稽古が成立することになります。
かつて、入門して間もない門人から、
『腰相撲というのは、ここで指導されるように、正しい姿勢できちんと真っ直ぐに
押してもらわないと、相手を返すことは出来ないのですか?』
・・・と、訊かれたことがあります。
それに対して私は、
『いや、どのように押されても返すことは出来ますが、それでは ”腰相撲の稽古” になり
ません。互いに自由に押したり投げたりするものは別の稽古になります。
腰相撲は、相手を返すことが出来るかを追求しているのではなく、正しく押せること
と、正しく返せることの中で、太極拳の構造を学んでいくことが目的なのです・・』
と、お答えしました。
この質問自体が「パワー志向」であり、「力比べ」の発想から出てくるものであると思えましたが、その発想ではお互いが「構造」を理解して高度なものにしていく「練功」そのものが成立しません。
太極拳として正しい姿勢でないもの、つまり構造が整っていない状態では、ごく普通にチカラをまっすぐ前に伝えることもできず、自分の持つ力の半分ほども出せないことでしょう。
それが分からず、ムリヤリに拙力を気ままに出せることが「大きなチカラの出し方」だと思ってしまうのは、まさに非武術的であり、日常的な発想でしかありません。
(3)5名の門人が、重みや揺さぶりを使って、力一杯煽(あお)りながら、
ひたすら「拙力」で押していったもの
これは実際にそのような「拙力」で煽り、力んで押すことを試みた映像です。
上述の質問者のように、架式を整えることなく寄り掛かりで重みを掛け、力んであおっていく方法を試みたわけですが、もちろん、このようなものが「稽古」として行われることは決して有り得ません。
実際に試してみれば、通常の腰相撲に比べて、自分の力が受け手まで届かず、ただ単に自分のすぐ前にいる人を押している感覚しかないということが、押している誰にも明らかでした。
また、もしもそれで押していったことを躱(かわ)されたり、流されたりした場合には、「押す側も押される側も、体軸がひどく崩れるしかない」という非武術的な身体の状態になってしまい、武術の稽古として成立しないものとなります。
この映像では、たとえそのような非武術的な拙力の状態で、気儘に力一杯押していっても、正しい架式で受けられた場合には、意外なほど簡単に返されてしまう様子が見られます。
(4)5名に腰を押されているところを、先頭の人の腕を取って押し返したもの。
これは稽古では行われていません。一対一でもなかなか難しく、対複数では誰も出来る人が居ないからですが、このようなことも可能であることが参考として示されています。
(5)5名の門人が、正しい形で力一杯押していくもの。
(2)とは返し方が異なり、前に踏み出さず、その場で返します。
多人数の稽古では、このように架式を変えず、その場で相手を返す練習を行いますが、(2)のように、前に歩いて出ながら返す練習もあります。
(6)壁ぎわで正座をして、背と腰を離したまま肩を壁に付け、
11名の門人に肩を押させ、それを返したもの。
これも、腰相撲の原理を用いればこのような事も可能になる、と示されたものです。
試してみればすぐに納得できますが、相手がたった一人でも返すことが難しいだけでなく、原理が分からなければ背筋や肩、腰などを痛める可能性が高いので、特に多人数の練習は一般クラスの稽古では行われません。
(7)壁にカカト、尻、背中、頭を付けて立ったところを、
6名および10名の門人が腰を押していき、それを返したもの。(計2本)
これは正座するものより安全性が高いので、稽古でも度々行われています。
相手が一人でもかなり難しく、複数になると上級者でなくてはとても返せません。
また、このカタチで相手を弾き飛ばすのではなく、歩いて前に出て行く「壁抜け」という稽古もありますが、同様に難度の高いものです。
* * * * *
【 動画・その2 】
*まだ架式を充分理解できていない人が、5名の門人に押されたもの(計5本)
「動画・その1」と同じように押していきますが、ご覧のようにあっと言う間に押し切られ、力の差が激しい場合は後ろの壁に叩きつけられてしまい、何とか耐えている場合でも、結局最後には押し切られてしまいます。腰相撲では、実際にはこのような、大きな合力が押される側に掛けられていることが分かります。
しかし、押していった人たちは、師父を思い切り押した際の力に比べれば、まだそれほど大きな力ではないと言うことです。
4本目の映像では、押している5名は全て女性です。いずれも太極武藝館で十年以上稽古に励んできた人たちであり、その構造から出るチカラは映像からはなかなか想像できません。
普段の稽古では、女性2人対男性1人、女性3人対男性1人などで練習が組まれることもありますが、筋力に自信のある格闘技経験者でも、かなりの苦労を強いられます。
受けている彼らは、ほぼ全員が格闘技でその実力を大いに示してきた人たちであり、筋力もかなり強く、ベンチプレスでは100キロ以上を容易に挙げ、スクワット百回を10セット、腕立て伏せなら百回程度を軽くこなしてきたような人たちです。
彼らは一対一なら相手に押される時には余裕で受けることが出来ますし、返して飛ばすことも出来るのですが、やはり多人数で押された場合は合力が非常に大きいために、このような結果となります。腰相撲では「架式」を正しく習得しなければ、決して正しく返すことが出来ないということが分かります。
* * * * *
以上、各々の動画の解説を述べてみました。
門人の皆さんにとっても、普段の稽古で行われている「腰相撲」を動画にして見るのは今回が初めてのことと思います。この練功の様子を道場の稽古で見ているだけでは分からなかったことが、この動画によって新たに見えてくるかも知れません。
単に相手を弾き飛ばすという表面的な現象にとらわれることなく、正しい架式と構造の重要性、腰相撲という練功の奥深さをよくご覧頂き、日頃の稽古にお役立て頂ければたいへん嬉しく思います。
(了)
2010年03月20日
練拳 Diary #27 「腰相撲の訓練」
by 教練 円山 玄花
太極武藝館で一番初めに学ぶ ”歩法” は、その名も「太極歩」というものです。
太極歩は両手を腰に当て、足を交互に前に出して歩いていくだけの最もシンプルな歩法で、前進と後退とを、ひたすら時間を掛けて行われます。
なぜ最初に学ぶ歩法が太極歩であるかと言えば、この歩法が「歩く」ということそのものを理解するのに最も適しているからであり、もしこれが腕を素早く振り上げながら歩くものだったり、震脚をしながら拳を打ち出していくというような、見た目にも難しいものであったら、歩法の内容に目が行くまでに随分時間が掛かってしまい、太極拳における「歩法」の示す意味など、何も見えてはこないことでしょう。
この太極歩は、初心者が最初に学ぶ歩法とは言っても、その奥は深く、歩法では太極歩が一番難しいと言われるほどですから、『歩法は太極歩に始まり、太極歩に終わる』と言っても過言ではないかも知れません。
そして、歩法の太極歩にあたるものが、腰相撲では「弓歩の腰相撲」なのです。
「弓歩の腰相撲」は、以前にもご紹介したことがあるように、足を前後に開いた弓歩の姿勢で前方から相手に押してもらい、それを返すという、腰相撲の基本形とも言えるものですが、そこに内包されているものは単に基本に留まらず、太極拳の立ち方、歩き方、相手との関わり方から相手の崩し方まで、腰相撲で自分の在り方を整えることが、そのまま即太極拳の戦闘理論の理解に繋がる、ということを実感することが出来るのです。
それ故でしょうか、何年稽古しても、何種類の腰相撲を学んでも、この「弓歩の腰相撲」が最も奥が深いように思われますし、その度合いは自分の歩法に対する理解と比例しているように感じられます。
腰相撲では、弓歩の架式が正しく決まれば、相手がどれほど力を込めて押してきても押し切られることがありません。それはこちらが最大の力で耐えているからではなく、むしろ楽に構えていることができ、足には負担がなく、軽く感じられるほどです。
私自身、自分より30キロ以上も体重のある、目の前に立ったら視界がゼロになってしまうような大きな男性が思いきり押してきても押し切られなかった、という事がありました。
因みにこの時の稽古は、いわゆる ”受けと取り” に分かれた腰相撲の対練ではなく、互いに弓歩の姿勢で押し合い、どちらが相手を押していけるかというものでしたから、相手には ”受ける” という感覚はさらさら無いようで、押しながら後ろ足をにじり寄せてまでこちらを押し切ろうとしていましたが、結果として、相手は一歩も前に出られなかったのです。
このことには私自身がたいへん驚かされました。
こちらがやっている事と言えば、弓歩で構えるために足を一歩出していく過程では、歩法の通りに動こうとするだけで、徐々に前足が曲がるにしたがって、弓歩という架式が隙間や余りが無く、きちんと整えられてきます。
そこに相手が力を加えてくると、その力によって構造が咬み合い、さらにカッチリと締まるような感覚があり、同時に足は取り立てて踏ん張る必要がないほど軽く感じられます。
その感覚は相手が押してくればくるほどに強いものとなり、より明確に弓歩の構造だけが浮き出てくるようでもあったのです。
まさに太極拳でいうところの架式、そして構造の妙を体験したような気がしました。
ところが、その弓歩がキッチリ決まらなかったとき、つまり一歩が正しく出せなかったときには、相手が力を加えてくると、あっと言う間に身体が崩れはじめます。同時に、自分の全体重と相手の力が後ろ足一本に集まり、前足が浮いてくるように感じられます。
そうなると、たとえ相手が自分よりも小柄で体重の軽い人に押してもらっても、ギシギシと音を立てて頑張っていた足の筋肉にもやがて限界が来て、それ以上どうにも踏ん張ることができずに、簡単に押されてしまうのです。
この腰相撲での二つの体験は、そのまま歩法の練習にも出てきました。
立っているところから正しく一歩を出すことができ、弓歩の架式が構造としてピタリと決まったとき、そこから次の一歩を出すときには足の負担がカケラも感じられず、また前に歩いて出るような感覚があまりありません。
それに比べて弓歩の架式が決まらなかったときには、そこからどれほど歩法で教わっていることをその通りに動こうとしても身体は動かず、そのまま無理に動こうとしたときには、自分の身体が歪み崩れていくことを感じます。
歩を進めて行くと片足ずつに重く乗り上げていくようであり、この一歩で相手に向かって拳を打ち出したときには、容易にかわされてしまうことが想像できました。
何ゆえに、これほどまで「架式」が重要であるとされているのか・・・・
架式が正しく整えられていれば、そこから動いたときには「勁力」が生じている、とは言われていても、普通は後半の「動いたときには勁力が生じている」ところだけを重要視してしまい、その元となる架式そのものを、何をどのように整えたらよいのかというところには、なかなか着目されないようです。
大切なことは、基本功で学んでいることから離れて、自分なりに腰相撲のための工夫を始めないことです。基本功で学んでいることとは、日常の考え方を止め、日常の立ち方を離れ、太極拳で要求されていることにひたすら自分を合わせていくことです。そうすれば、そこに深遠なる太極拳の学習体系を見出すことができ、そこから始まる歩法や套路などの各練功の意味が、自ずと見えてくるに違いありません。
ある時、腰相撲の稽古中に、師父に「腰相撲が ”纏絲勁” だということが分かるか?」と問われたことがあります。その瞬間、何かで頭を殴られたようなショックがあり、それは今も鮮やかに残っています。
その時には、自分は基本功の通りに構えて、そこから動くと相手が飛んでいく、ということしか分からず、纏絲勁とは結びつかなかったのですが、よく考えてみれば「太極拳は纏絲の法である」と言われていて、一般クラスで基本功を稽古している際にも、普段と何も変わらない動きのまま、「これが纏絲です」と説明されることがあります。
それは決して腕をグルグルと力強く捻っていくようなものではありませんし、常日頃から「遙か彼方の高いところに纏絲の法があるのではなく、初めから纏絲しか教えていない」と言われていることを考えれば、腰相撲が纏絲勁であるということも、ごく当たり前のことなのでしょう。
しかし、そこには隠しきれない驚きと新鮮な感動がありました。
私にとっては、まだそれは「当たり前」ではなかったのです。
套路の稽古で師父について動くとき、師父が時折見せてくださる身体や手足がブルブルと震えては空を切り裂くような纏絲の動きは、その手前の動作をいくら真似てみても自分には起こりません。精々が力みのない手足がプルンと一回振れる程度です。
そのような違いが「勁」というものの理解の違いであり、それは徐々に段階を追って身につけていかなければならないものだと、頭のどこかで考えていました。
それが、今自分のやっているこのシンプルな腰相撲が、「纏絲勁」だと言われたのです。
それは、押してきた相手に耐えられることがあって、そこから纏絲勁を発するのではなく、正しく架式が整えられたことそのものが纏絲が働いているということであり、相手の力に楽に耐えられることと相手を返せることは、同じ纏絲の働きであったということを意味しているのです。
そのことがあってから、自分の稽古が少し変わりました。
今までよりも基本功や歩法の動きをさらに立体的に見られるようになり、対練では、より基本の動きに注意深く、基本から離れないことをもっと大切にできるようになったのです。
それは、私が考え方を変えたのではなく、一種のショックによって変わってしまったと言えるでしょう。まるで初めて火を目にした子供が、その不思議さに惹かれて不用意に手を伸ばし、熱い!、と思ったその瞬間に「火」というものを理解することと似ているかもしれません。
実際に目にして、触れて、味わわなければ、そしてそのショックを体験しなければ、自分の考え方、物の見方は変わりようがなく、決して自分の持ち前の頭でチェンジできるようなことではないと思えます。
そう考えると、ブログで紹介してきた様々な練功も、本当の意味でそれを皆さんにお伝えするには、実際に見ていただくより他に方法がないような気がしてきます。
(了)
太極武藝館で一番初めに学ぶ ”歩法” は、その名も「太極歩」というものです。
太極歩は両手を腰に当て、足を交互に前に出して歩いていくだけの最もシンプルな歩法で、前進と後退とを、ひたすら時間を掛けて行われます。
なぜ最初に学ぶ歩法が太極歩であるかと言えば、この歩法が「歩く」ということそのものを理解するのに最も適しているからであり、もしこれが腕を素早く振り上げながら歩くものだったり、震脚をしながら拳を打ち出していくというような、見た目にも難しいものであったら、歩法の内容に目が行くまでに随分時間が掛かってしまい、太極拳における「歩法」の示す意味など、何も見えてはこないことでしょう。
この太極歩は、初心者が最初に学ぶ歩法とは言っても、その奥は深く、歩法では太極歩が一番難しいと言われるほどですから、『歩法は太極歩に始まり、太極歩に終わる』と言っても過言ではないかも知れません。
そして、歩法の太極歩にあたるものが、腰相撲では「弓歩の腰相撲」なのです。
「弓歩の腰相撲」は、以前にもご紹介したことがあるように、足を前後に開いた弓歩の姿勢で前方から相手に押してもらい、それを返すという、腰相撲の基本形とも言えるものですが、そこに内包されているものは単に基本に留まらず、太極拳の立ち方、歩き方、相手との関わり方から相手の崩し方まで、腰相撲で自分の在り方を整えることが、そのまま即太極拳の戦闘理論の理解に繋がる、ということを実感することが出来るのです。
それ故でしょうか、何年稽古しても、何種類の腰相撲を学んでも、この「弓歩の腰相撲」が最も奥が深いように思われますし、その度合いは自分の歩法に対する理解と比例しているように感じられます。
腰相撲では、弓歩の架式が正しく決まれば、相手がどれほど力を込めて押してきても押し切られることがありません。それはこちらが最大の力で耐えているからではなく、むしろ楽に構えていることができ、足には負担がなく、軽く感じられるほどです。
私自身、自分より30キロ以上も体重のある、目の前に立ったら視界がゼロになってしまうような大きな男性が思いきり押してきても押し切られなかった、という事がありました。
因みにこの時の稽古は、いわゆる ”受けと取り” に分かれた腰相撲の対練ではなく、互いに弓歩の姿勢で押し合い、どちらが相手を押していけるかというものでしたから、相手には ”受ける” という感覚はさらさら無いようで、押しながら後ろ足をにじり寄せてまでこちらを押し切ろうとしていましたが、結果として、相手は一歩も前に出られなかったのです。
このことには私自身がたいへん驚かされました。
こちらがやっている事と言えば、弓歩で構えるために足を一歩出していく過程では、歩法の通りに動こうとするだけで、徐々に前足が曲がるにしたがって、弓歩という架式が隙間や余りが無く、きちんと整えられてきます。
そこに相手が力を加えてくると、その力によって構造が咬み合い、さらにカッチリと締まるような感覚があり、同時に足は取り立てて踏ん張る必要がないほど軽く感じられます。
その感覚は相手が押してくればくるほどに強いものとなり、より明確に弓歩の構造だけが浮き出てくるようでもあったのです。
まさに太極拳でいうところの架式、そして構造の妙を体験したような気がしました。
ところが、その弓歩がキッチリ決まらなかったとき、つまり一歩が正しく出せなかったときには、相手が力を加えてくると、あっと言う間に身体が崩れはじめます。同時に、自分の全体重と相手の力が後ろ足一本に集まり、前足が浮いてくるように感じられます。
そうなると、たとえ相手が自分よりも小柄で体重の軽い人に押してもらっても、ギシギシと音を立てて頑張っていた足の筋肉にもやがて限界が来て、それ以上どうにも踏ん張ることができずに、簡単に押されてしまうのです。
この腰相撲での二つの体験は、そのまま歩法の練習にも出てきました。
立っているところから正しく一歩を出すことができ、弓歩の架式が構造としてピタリと決まったとき、そこから次の一歩を出すときには足の負担がカケラも感じられず、また前に歩いて出るような感覚があまりありません。
それに比べて弓歩の架式が決まらなかったときには、そこからどれほど歩法で教わっていることをその通りに動こうとしても身体は動かず、そのまま無理に動こうとしたときには、自分の身体が歪み崩れていくことを感じます。
歩を進めて行くと片足ずつに重く乗り上げていくようであり、この一歩で相手に向かって拳を打ち出したときには、容易にかわされてしまうことが想像できました。
何ゆえに、これほどまで「架式」が重要であるとされているのか・・・・
架式が正しく整えられていれば、そこから動いたときには「勁力」が生じている、とは言われていても、普通は後半の「動いたときには勁力が生じている」ところだけを重要視してしまい、その元となる架式そのものを、何をどのように整えたらよいのかというところには、なかなか着目されないようです。
大切なことは、基本功で学んでいることから離れて、自分なりに腰相撲のための工夫を始めないことです。基本功で学んでいることとは、日常の考え方を止め、日常の立ち方を離れ、太極拳で要求されていることにひたすら自分を合わせていくことです。そうすれば、そこに深遠なる太極拳の学習体系を見出すことができ、そこから始まる歩法や套路などの各練功の意味が、自ずと見えてくるに違いありません。
ある時、腰相撲の稽古中に、師父に「腰相撲が ”纏絲勁” だということが分かるか?」と問われたことがあります。その瞬間、何かで頭を殴られたようなショックがあり、それは今も鮮やかに残っています。
その時には、自分は基本功の通りに構えて、そこから動くと相手が飛んでいく、ということしか分からず、纏絲勁とは結びつかなかったのですが、よく考えてみれば「太極拳は纏絲の法である」と言われていて、一般クラスで基本功を稽古している際にも、普段と何も変わらない動きのまま、「これが纏絲です」と説明されることがあります。
それは決して腕をグルグルと力強く捻っていくようなものではありませんし、常日頃から「遙か彼方の高いところに纏絲の法があるのではなく、初めから纏絲しか教えていない」と言われていることを考えれば、腰相撲が纏絲勁であるということも、ごく当たり前のことなのでしょう。
しかし、そこには隠しきれない驚きと新鮮な感動がありました。
私にとっては、まだそれは「当たり前」ではなかったのです。
套路の稽古で師父について動くとき、師父が時折見せてくださる身体や手足がブルブルと震えては空を切り裂くような纏絲の動きは、その手前の動作をいくら真似てみても自分には起こりません。精々が力みのない手足がプルンと一回振れる程度です。
そのような違いが「勁」というものの理解の違いであり、それは徐々に段階を追って身につけていかなければならないものだと、頭のどこかで考えていました。
それが、今自分のやっているこのシンプルな腰相撲が、「纏絲勁」だと言われたのです。
それは、押してきた相手に耐えられることがあって、そこから纏絲勁を発するのではなく、正しく架式が整えられたことそのものが纏絲が働いているということであり、相手の力に楽に耐えられることと相手を返せることは、同じ纏絲の働きであったということを意味しているのです。
そのことがあってから、自分の稽古が少し変わりました。
今までよりも基本功や歩法の動きをさらに立体的に見られるようになり、対練では、より基本の動きに注意深く、基本から離れないことをもっと大切にできるようになったのです。
それは、私が考え方を変えたのではなく、一種のショックによって変わってしまったと言えるでしょう。まるで初めて火を目にした子供が、その不思議さに惹かれて不用意に手を伸ばし、熱い!、と思ったその瞬間に「火」というものを理解することと似ているかもしれません。
実際に目にして、触れて、味わわなければ、そしてそのショックを体験しなければ、自分の考え方、物の見方は変わりようがなく、決して自分の持ち前の頭でチェンジできるようなことではないと思えます。
そう考えると、ブログで紹介してきた様々な練功も、本当の意味でそれを皆さんにお伝えするには、実際に見ていただくより他に方法がないような気がしてきます。
(了)
2010年03月15日
連載小説「龍の道」 第41回
第41回 武 漢 (wu-han)(13)
人気(ひとけ)の無い暗い路地裏を、奧へ、また奧へと進んでいく。
宏隆たちの前には黒社会の二人が先導するかたちで歩き、後ろには少し離れて、更に三人が囲むようにして付いてくる・・・絶対に逃がさないぞ、とでも言わんばかりの構えなのだ。
「どこへ行こうというんでしょうね・・」
宏隆が、肩を寄せるようにして、そっと小声で宗少尉に訊ねる。
「・・きっと、暗くて誰も来ない所ね。イザとなったら合図をするから、ヒロタカはさっきの夜市の通りまで全速力で走るのよ、いい・・?」
「えーっ、逃げるなんて、そんなぁ!・・僕だって戦いますよ!!」
「シィーッ・・・大きな声を出さないの!
逃げるんじゃなくて、陳中尉を見つけて、知らせてほしいのよ・・・」
「陳中尉とは、射的に夢中になっている間にはぐれたままですね。
いったい何処に居られるのだか・・・」
「さっき、奴らが腰に拳銃を持っているのが見えたわ。
今日のところはこっちが不利だから、陳中尉たちを呼ばないと・・・」
「・・陳中尉が来れば、何とかなるんですか?」
「多分・・・ね」
「・・多分、って?」
「黒社会は決して甘く見てはいけない、ってコトよ。ボスのところに行くのだから、そこらのチンピラを相手にするようなワケにはいかないわ」
「・・よし、それじゃ、合図して下さい。そしたら、いま来た道をフルスピードで戻って、中尉を探してきますよ」
「OK、気をつけて行くのよ・・・・」
路地を二つ三つ越えてさらに五分ほど歩くと、どうやら倉庫街らしい、ひっそりとした袋小路の広場に出た。あれほど賑わっていた夜市の喧騒も、真昼のような明るさも、もうここまでは届いてこない。
薄暗いので周りがよく見えないが、近づくにつれ、向こうに三つほど人影が見える。奥の方に小さな街灯がひとつあるが、その灯りを背にして立っているので、彼らの顔が見えない。
「ボス、連れてきました・・」
先頭の男が、その人影に向かって慇懃に言う。
「お嬢さん、先ほどはウチの者が失礼をしたそうだね・・・・」
低い、嗄(しゃが)れた声で、真ん中に立っている背の低い男が言った。
「本当に失礼な話ね。オマケに、こんな所まで連行してきて・・・
昔の黒社会はカタギの人間にも仁義を重んじたらしいけど、今じゃすっかり低級ビジネスマンに成り下がったようね!」
「ははは、口の悪いお嬢さんだ。だが、そう言うアンタたちも、決して堅気の人間には見えないがね・・・さっきは遊んでいるのを遠くから見ただけだったが、こうして間近で見れば、その強気や自信からも、坊や以外はどうやら軍人さんのようだが・・・」
「あら、薄暗がりでも流石に親分はよくお分かりね・・いかにも海軍の兵士よ。
それが分かるんだったら、怪我をしないうちにワビを入れて、おとなしく引っ込んだらどう?」
「ところが、そうもいかないんだよ、お嬢さん・・・昔とは違って、今では軍人や政治家も黒社会と大きな繋がりを持っているんだ。それに、元々台湾の黒社会は、蒋介石と一緒に大陸からやって来て、国民党政府と共に大きくなってきたのだからね・・・」
「・・・その輝かしい歴史があるから、どうだと言いたいの?」
「海軍のハネっ返り娘が一人ぐらい居なくなっても、どうにでも揉み消せる・・・
結局、我々には従うしかない、ということさ」
「お生憎(あいにく)サマね、こっちは国を守るために身体を張っているの。
そんな寝言ばかり言うそこらのチンピラヤクザに、ハイそうですかと従うようなヤワな了見は、持ち合わせていないのよ!!」
「では、仕方がない・・・力ずくでもそれを分かって貰うしかないな。
お嬢さんは、じっくり可愛がってから香港へ売って、たっぷり稼いでもらうことにしよう・・・」
頭目が怖い顔をして、ドスのきいた強い調子でそう言うと、子分たちがサッと動きを見せる。それに対して宗少尉たちも身構えるが、
「おっと、下手な行動は起こさないほうがいい・・・彼らの拳銃が見えないかね? いくら軍人でも、普段は丸腰・・・夜市を歩く時にまで、ライフルは担がないだろう?はははは・・・」
宏隆も、ようやく暗闇に目が慣れてきたが、見ればいつの間にか前方で二人、後ろではひとりの男が腰の前で拳銃を構えている・・・
「ふぅ・・そのとおりね、これじゃぁ、どうにも身動きが取れないわ・・・」
あきらめたような声で、宗少尉が言う。
「ほう、意外と物分かりの良いお嬢さんじゃないか・・・」
「・・けれど、安心するのはまだ早いわよ・・・・
軍隊にあって、黒社会に無いモノもあるって、ご存知?・・・・」
・・・そう言って、不敵に微笑みながら上着の内ポケットに手を入れた途端、「ピィーン」という金属音が、小さく響いた。
「・・な、何をする気だっ・・・!?」
「ワーン・・トゥー・・・ヒロタカ!、伏っ!、MOOOOVE!!」
ゴロゴロゴロッ・・・と、宗少尉の手から黒い筒のようなものが地面に投げられ、それが凄味をきかせていたボスの足元に転がっていくと、
「・・・ボンッ!!」
閃光と共に、鋭い爆発音が起こり、瞬く間に白煙がもうもうと辺りに立ち籠めた。
「・・うぁ、うわぁっ・・・!!」
「ううっ・・・さ、催涙ガスだっ!!」
袋小路を背にしているというのに、爆発した瞬間、思わず後ろへ下がってしまったので、今さら逃げる場所もない。
「・・・ボ、ボスっ・・!!」
「うっ・・ゴ、ゴホ、ゴホ、ゴホン・・・・ゲ、ゲェーッ、ゲェッ、・・・」
「・・ち、ちくしょう、目が・・目が見えねぇ・・・!!」
宏隆は合図と共に一目散に駆け出している・・・・
伏曹長は、後ろに居た三人の男があたふたとしている隙に、拳銃を構えていた男をあっという間に投げて地面に叩き付け、アゴに止めの蹴りを入れて銃を奪った。
同時に宗少尉も、間髪を入れずもうひとりの男をただ一発の蹴りで倒し、残った一人はとても敵わぬと思ったか、わざわざ立ち籠める催涙ガスの中へワラワラと逃げて行く。
宗少尉と伏曹長は、素早く催涙弾の煙が届かない後方に移動し、相手の次の出方に備えて、道の左右に分かれて物陰にピタリと身を潜めた・・・・
戦場での戦闘を想定した訓練を積んできた者と、そうでない者の違いは歴然としている。よく訓練された者同士は、その呼吸や間(ま)がお互いに通じ合い、何も言わなくとも素早い判断と動きが出来るのだ。
凄味をきかせながら悪事の中に身を置く黒社会の人間たちとは、不測の事態が起こった時の処理能力がまったく違っていた。
「ゴ、ゴホ、ゴホ・・・ゲッ、ゲェッッッ・・・く、くそぉ、何てことしやがる!」
「・・ええい!、構わねぇから、あの辺りに向かって撃て!・・撃っちまえ!!」
あいにく、風も無い・・・・経験したこともない催涙弾から濛濛(もうもう)と放出され続ける煙は彼らをパニックに陥れ、袋小路に淀んだまま、何処にも流れていこうとはしない。
煙の無いところへ抜け出てくれば良さそうなものだが、部下が拳銃を奪われているので、この煙から外へ出て行けば、待ってましたと狙い撃ちされるに違いない。
・・・そう思うと、毒煙の立ち篭める袋小路から、容易には出て来られないのだ。
ここは威嚇射撃をして、宗少尉たちを追い払うしか術(すべ)がなかった。
「バンッ! バン、バン、バンッ・・・!!」
盲(めくら)撃ちで何発か撃ってくるが、ひどい咳と涙にまみれて、とてもまともには撃てない。下手をすると同士撃ちの危険さえあった。
たとえ催涙弾を喰らっていなくとも、通常、彼らが拳銃で狙う標的は至近距離が多く、また軍隊や警察のように大っぴらに射撃訓練ができる環境も無いので、十メートル以上の距離があれば命中率もかなり低い。
宗少尉たちもそれらを計算して身を潜めているので、命中するはずもなかった。
「・・もっと撃て!、撃って相手が怯んでいるスキに、突っ込んで行って仕留めてこい!」
ボスに言われて、煙の中から拳銃を持った二人が何発か撃ちながら、ダダダダッッと足音を荒げて走ってくるが・・・ちょうど立ち籠めめた煙が切れるあたりで、
「ぅわぁっ・・・!!」
「ズッデーン・・・!」
二人とも、突然足を掬われたように何かに躓(つまづ)き、地面に顔を突っ込むように激しく転がった。髪の毛のような細いワイヤーが路地一杯に張られていて、それに躓いたのである。ひとりの拳銃は、転んだ拍子に手から離れ、遠くに滑って行った。
こんな状況で、そこにそんなものが張られていると、誰が用心するだろうか・・
催涙ガスで混乱している隙に、伏曹長がケースから巻尺のようにワイヤーを取り出し、その一端を宗少尉に渡して左右に分かれ、建物の壁ぎわに固定して、膝下ほどの高さに張ったのである。
毒煙の中からは一刻も早く出たい、というのが人情であろう。
焦ってそこから出て来た人間が、薄暗がりに低く張られた細いワイヤーに気がつくはずもなかった。
躓いてひどく転げるのを待っていたかのように、彼らからあっという間に拳銃を取り上げ、殴って気絶させる・・・・宗少尉も、伏曹長も、こんなことによほど慣れているのか、顔色一つ変えず、淡々とそれをこなす。
そして、催涙ガスの威力は、一般人が想像するよりも遙かに強力であった。
宗少尉が用いたものは軍隊用ではなく、秘密結社製の小型軽量のものだ。
小型とは言っても、信管のピンを抜けば五秒後に着火起動し、発煙を吸い込むと30分ほどの間は激しく咳こんで吐き気がし、涙が止まらなくなるのは軍隊用と同じである。
煙が立ち篭め、催涙効果が発揮される範囲はおよそ半径15メートル、催涙の効果に伴い、視界はほとんどゼロに等しくなる。
このような無風の袋小路では、かなりの威力を発揮する武器となった。
軍隊に籍を置いていても、秘密結社の要員である彼らは、平服で町に出る際にも自己防衛の用意を決して怠らなかった。
そして、その爆発音と煙は、陳中尉たちに居場所を知らせる信号にもなっていた。
「少尉・・・今のうちに、この場から離脱しますか?」
伏曹長が、道の反対側に居る宗少尉に声を掛ける。
「いや、ケジメをつけないと、ヒロタカが滞在中に報復されてもいけない・・・」
「では、徹底的に叩きましょう」
「陳中尉への連絡は?・・・」
「ここへ来る前にビーパー(Beeper=ポケットベル)で送っておきました。
すでに爆発音と煙で場所を確定したはずです。到着まで3分足らずでしょう・・」
先ほど、黒社会の男たちに囲まれた時に、伏曹長が、「こっちも話しがしたいから、行ってやりましょう」と言いながら何気なくポケットに手を突っ込んだのは、陳中尉に向けて緊急信号を発するためであったのだ。
まだ一般社会にはポケベルも携帯電話も無かった時代であるが、特殊な職業の人間は当然このような通信手段を持っていた。
因みに、世界に先駆けてセルラー式移動電話を実用化したのは日本であり、すでに'70年の大阪万博には電気通信館にワイヤレスホンが展示され、日本中どこへでも無料で通信する体験ができた。'79年には東京23区で自動車電話が開始され、順次大阪や首都圏に拡大した。
米国が慌てて実用化したのは、その翌年のことである。
「中尉を呼んできてほしい、なんて仰ってましたが・・・・
そう言って、ヒロタカくんを安全なところに逃がしたんですね?」
「何と言っても、王老師の大事な跡取り息子だからね・・・」
「彼に何かあったら、我々がエライことになりますよ、ホントに・・・」
「よし、現状を確認・・・敵4名と手槍(拳銃)3丁を捕獲、残存は頭目を入れて4名、他の武器の所持は不明、此方から銃を使いたくないので、投降を呼びかける・・」
「了解っ、確認しました!」
宗少尉と伏曹長が互いに確認を取り合う。
「・・さあ、出てきなさいっ! 此方からはそっちの影が見えるのよ。
狙い撃ちにされたくなかったら、武器を捨てて、手を挙げて出てきなさい・・!!」
声を掛けるとすぐに、その場から足音を立てずに移動する・・・
声がする方を頼りに、敵が拳銃を撃ってくることを避けるためだ。
しかし、思わぬ催涙ガスの反撃に遭って、もう相手は反撃どころではなかった。
「・・ゲ、ゲホッ、ゲホッ・・・ち、ちくしょう・・・・
おいっ!・・・し、仕方がない、銃を向こうに放ってやれ!、
声がする方に向かって、全員、手を挙げて出ていくんだ・・!」
ボスにそう言われて、ぞろぞろと四人が頭上に手を挙げて出てくる。
ボスも、手下の三人の連中も、催涙弾の煙にひどくやられていて、激しく咳き込んで涙が止まらない。
宗少尉は投げられた2丁の拳銃を素早く拾い、1丁を腰の後ろにはさみ、1丁を手にして構えた。
「・・・手を高く挙げて、壁に着けて!、足を大きく開いてそこに並べ!」
伏曹長が彼らを小突きながら、次々に彼らを壁ぎわに並ばせる。
「お前たち、ただの海軍の兵隊じゃないな・・・・?」
「いいから、黙って歩け・・・!!」
暗闇の向こうから、足早に駆けてくる足音が聞こえてくる・・・・
「宗さん・・!!」
「ヒロタカ・・・!」
「陳中尉を見つけました・・というよりも、もう此処に向かっていました。
伏さんからは、すでに連絡があったと・・・」
「ご苦労さま・・お陰で、もう片付いたわよ・・・」
陳中尉たち三人が足早に寄ってきて、壁に並んだ黒社会の者たちを眺めて、
「やれやれ、派手にやってくれたなぁ・・・」
「陳中尉・・・こんなことになって、申し訳ありません!」
宗少尉が敬礼をして、そう言う。
「いいさ・・・降りかかる火の粉は払わなくてはならない・・・
日本の格言にあるとおりだが、ヒロタカの身に危険がなくて何よりだった」
「その通りです・・大切な人間を、危険に巻き込んでしまいました」
「さて・・ボスは誰だ?!」
「私がそうだ・・・・」
「私は、台湾海軍中尉、陳承明という者だ。文句があればいつでも相手になる。
これに懲りたなら、以後このようなことは謹むことだな・・・」
「貴様ら、いったい何者だ・・・ただの休暇中の兵士じゃあるまい?」
「玄洋會・・・・・」
「・・な、何だと! あの張大人の玄洋會のことか・・?!」
「いかにも・・・・」
「・・こ、これは・・・大変なことをした・・・・
おいっ、みんな、頭を下げろ!・・ええい、座れ!、座って頭を下げるんだ!!」
ボスが自ら土下座して頭を付けたので、子分たちは驚いて慌てて地面にひれ伏した。
張大人が率いる「玄洋會」の名は、台湾中に鳴り響いているらしい。
「・・まあ、そんなことをしてもらわなくても結構だ。手を上げてくれ」
「いや・・知らぬ事とは言え、大変なことをしてしまった・・・
私は、萬国幇の五堂のうち、士林夜市を取り仕切っている ”火堂” の堂主、許国栄という者だ」
「顔も、名前も、承知している・・・」
「萬国幇の幇主、我々の大兄(ボス)は、かつて張大人に大変お世話になっている。
幇主の恩人の配下に手を出してしまったとあっては、私の責任が厳しく問われることになるだろう・・・」
「・・いや、報告をするつもりはない。
今夜のことは、お互いに無かったこととして、さっぱり忘れてもらいたい」
「・・・それで良いのか?」
「いいさ・・・そちらも、つい夜市に浮かれて、相手を見誤ったということだろう」
「ありがたい・・・借りが出来たな、陳さん・・」
遠くの方から、パトカーのサイレンが聞こえてくる・・・・
「・・さあ、そろそろ此処から離れなくては。蒋介石総統の秘密官邸も近いから、不審な爆発音と、立ちのぼる白い煙を見て、間もなく警察がご到着だ・・・」
「そのとおりだ、そちらに面倒をかけない為にも、早々に引き揚げることにしよう」
「宗少尉、拳銃を返してやれ。伏曹長が取り上げた銃も・・・」
「ここで渡しても良いのですか・・?」
「ああ、大丈夫だよ」
「ありがとう・・・今度はあんたたちを守るために、コレを使わせてもらうよ。
お嬢さん、失礼をしたね・・」
「こちらこそ、ひどい目に遭わせてしまったわね。
早くシャワーを浴びて、病院で目と喉の手当てをすると良いわ・・」
「ははは、そうすることにしよう・・・」
”火堂” のボスは、そう意って笑いながら、ふと傍らに居た宏隆の顔を見て立ち止まったが、サイレンの音がだんだん近づいてくるので、配下に誘われて再び歩き始めた。
「それでは・・・・」
「では・・・」
陳中尉たちも、それを見送ると、
「さて、我々も立ち去ることにしようか、警察に会うと面倒だからな。
全員バラバラに散ってから、士林の慈誠宮で合流する・・・・
合流して晩メシを食べないと、腹が減って仕方がない・・!!」
「了解!・・・・あははははは・・・・・・」
「・・あ、ヒロタカは、私と共に行動してもらいたい。
何しろ、王老師と張大人から預かっている、とても大事な身体だからね」
「はい、了解しました!」
「ははは・・・もうすっかり、我々の一員みたいだね。
・・さあ、急いで・・・明日からは、いよいよ訓練に入ります」
「・・・訓練!?、陳中尉に教えて頂けるのですか?」
「あははは・・・そうですよ。
さあ、歩きながら話すことにしましょう・・・・・」
(つづく)
2010年03月12日
歩々是道場 「站椿 その4」
by のら (一般・武藝クラス所属)
「站椿」は、太極拳の中にどのような訓練体系で存在しているのでしょうか。
これは、太極拳を学ぼうとしている人が等しく抱く、大きな疑問に違いありません。
太極拳の「站椿」と言えば、一般的には「馬歩」の架式で球を抱え、空気の椅子に座るような姿勢で長い時間をじっと立ち尽くす・・というようなイメージが大きいようです。
では、太極拳の站椿とは、そのような「馬歩・抱球勢」の中で構造を力学的に整え、意を練り、静中求動と動中求静を繰り返し、意を導びくことで筋肉を使い分け、オマケの気功法も加味され、果ては五臓六腑まで鍛えられるという・・・外見は極めて単純に見えるのに、やることは結構複雑そうな、気の弱い初心者などはちょっと退けてしまいそうな?システムなのでしょうか。
この六十年間で、中国武術の学習体系は大きく変わったと言われます。
文化大革命の影響についてはホームページでも少し触れられていますが、文革から今日までの六十年間、世代で言えば約二世代にも亘る時間の中で、どれほど多くの真伝が消え去り、どれほどの貴重な練功が闇に葬られ、失伝していったことでしょうか。
太極拳の「站椿」も、決してその例外ではないのかも知れません。
私たちが学ぶ太極拳の「站椿」は、シンプルかつ極めてシステマティックなものです。
用いられる架式は、並歩 (bing-bu) 、馬歩 (ma-bu) 、半馬歩 (ban-ma-bu) 、独立歩 (du-li-bu) などで、その多くは膝が伸びたような高架式から始められます。
また、それらは「抱球勢」ばかりではなく、様々な形の中で、様々な意念の用い方を学んでいき、さらには椅子に座ったり床に横たわったり、窓枠や壁、レンガなどを用いる様々なバリエーションが站椿の訓練として存在しています。
また、それらは陳氏太極拳の隠されたルーツとされる「心意拳」の練功法にも多くの共通点があり、極秘伝書である『三三拳譜』が斯くも大切にされてきた理由が、その練功の中にも垣間見えてくるのです。
しかし、どのような站椿を行うにせよ、太極拳にあっては先ずは「無極椿」と呼ばれる站椿を抜きにしては、その成果は何ひとつ得られないと言っても過言ではないでしょう。太極拳の学習は「無極」という最も基本的な ”太極拳の構造” を理解することから始められなくてはなりませんが、それは、この無極椿の学習無しには到底考えられないものです。
「静」の環境の中で始められるこの「無極椿」は、太極拳で学ぶべき身体構造への要求をひとつづつ満たして行き、正しい構造を【立つこと】という条件の中で手探りで求めていこうとするものです。
無極椿で用いる「並歩」の架式は、肩幅を超えず、ことさら膝を曲げる必要もありません。この並歩は、実は「馬歩」そのものに他なりません。
「馬歩」は、陳氏太極拳の最も重要な架式で、すべての架式はこの馬歩を基準に成立しており、無極椿で用いられる高い姿勢の並歩も、馬歩そのものとして指導されます。
そもそも架式とは「太極拳の構造」を端的に表すものであり、太極拳の構造とは、ただひたすら、この馬歩が示していることそのものに他なりません。それは「十三勢」の套路動作がすべて馬歩の構造によって成り立ち、套路の学習は馬歩を追求することによって理解されるように構成されているのを見ても明らかです。
「馬歩」は一見単純なものに見えますが、習得する事は決して容易ではありません。
それはまるでピラミッドのように、シンプルな形状ではあっても高度で計算され尽くした構造を形成しています。太極拳の理解とはこの「馬歩のシステム」の理解度に等しく、個人の「功夫」は、そのまま馬歩の修練の度合いに等しいと言えるかも知れません。
また、馬歩の理解が無ければ、「弓歩」も到底理解することはできません。
弓歩は、ただ馬歩から片足に重心を移したものではない、ということが深く理解されなくてはならないものです。
太極武藝館では、最も一般的な馬歩、つまり馬上に跨ったり椅子に座ったような深い架式の馬歩をいきなり取らせるのではなく、まずは比較的高い姿勢を取ってその「構造」を細かく指導することから始められます。
一般的には、初学の間にこそ深く腰を落とした低架式の馬歩を行わせるのが正しいとされる場合もあるようですが、太極武藝館では敢えてそうしません。
そして、それには大きな理由があります・・・・
それは、馬歩には本来、高い姿勢からそれを始めなくてはならない「システム上の必要」があるからです。
それは、低架式が膝や腰を痛めたり、腿の筋肉を痛めたりするからと言うことではなく、ちょうど家を建てる時に土台から工事を始めなくてはならないように、馬歩の構造自体が、「高いところ」から始めなくては理解されない性質を持っているからです。
いきなり膝を深く曲げ、腰を落とした低架式から始めると、馬歩の構造を大きく誤解してしまう怖れがあります。正しい指導がなければ不要な筋肉をたくさん使ってしまい、そのフォルムに耐えようとするだけの「拙力」の訓練になってしまうかもしれません。
太極武藝館ではまず、「直立すること」を基本として、どのような過程を経た上で馬歩のフォルムにしていくのか、何ゆえにそのカタチになっていくのか、ということを大切にし、低い架式での訓練は、馬歩がどのような構造で出来ているのかをきちんと理解し、体得してからのこととされます。
無極椿を高い姿勢の「並歩」から始めるのは、このような理由からです。
ついでながら、普段の稽古ではいきなり馬歩それ自体の訓練から始められることはなく、『馬歩のための馬歩』とでも言うべき練功が、稽古開始時に欠かさず指導されます。
これは、古くから伝えられる伝統的な馬歩の学習法であり、馬歩の「静」と「動」を実際に体験させ、構造そのものを繊細に整えることが出来る、大変優れた練功です。
2008年に入って間もなく、太極武藝館のスタッフは、この練功がそっくりそのまま最も古い時代に書かれた形意拳の拳譜に記されていることを発見しました。
その拳譜には、古の心意拳の練功法として、この馬歩の練功が描写されており、これらが陳氏にどのような経緯で伝承されてきたのか大変興味深いものです。
この拳譜は、陳氏拳術と心意拳の関係を研究する上で大変貴重な資料になることでしょう。
この練功は、少し以前までは拝師弟子に教授されるのみでしたが、数年前から一般門人にも公開されるようになりました。実際に経験してみれば「馬歩」の理解が全く大きく違ってくることに誰もが納得でき、今では初心者から上級者まで欠かすことの出来ない重要な練功となっています。この稿では内容を詳しくご紹介できないのが残念です。
「直立すること」や「立つこと」は站椿の基本となりますが、それは日常的にはなかなか理解し難いものです。
バランスボールを使っての練習は学習者に非日常的な感覚をもたらしてくれますが、ボールの上に立つ訓練を、つい「站椿」として捉えてしまうことも、誤解されやすいことのひとつかもしれません。
バランスボールの練習は師父によって私共のホームページにも紹介されていますが、主として「放鬆」や「虚領頂勁・気沈丹田」など、要訣の理解の一助に用いられており、決してそれがそのまま ”站椿” であるとは説明されていません。
「站椿」とバランスボールとでは、その目的も、練る内容も全く異なっており、そもそもボールの上に立っている状態では、站椿の訓練それ自体が成立しません。
「ボールに立つこと」は、站椿を訓練する環境とは異なっているのです。
「静中求動」を例にとれば、ボールの上に立っている状態では、いかに「静」を求めようとしても、立っていること自体、すでに「静」が失われている状態であり、「動」を求めるどころか、すでに制御し難いほど勝手に「動」が起こっている状態であるわけです。従ってそれは静中求動ではなく、「求静被動」とか「動中被動」とでも言うべき状態であると思います。
また、静中求動の「求 (qiu)」は、「探求する、積極的に求める」という意味で用いられており、バランスを取るためにボールの上で自然に身体を動かさざるを得ないような被動的な意味合いではありません。
ボールに立つと、自分が立ち続けようとすることを「静」、そこでバランスを取るために否応なしに動かされてしまうことを「動」である、と想像したくなります。
また、バランスを取るための必然として起こる「動」の中で、ボールを捉え続けようとする身体の中心を「静」と考えると、あたかもそれらが「静中求動」「動中求静」であるかのように思えるかも知れません。
しかし、站椿で「求」められるべき「静」と「動」は、あくまでも【意で導く】ことによって得られる構造とチカラの問題であり、ボールの上で得たバランス感覚から必然的に生じてきた「静」と「動」とは根本的に異なるものです。
なお、バランスボールは、自在に動ける中心軸を開発するためには、ある程度の効果を発揮してくれますが、きちんと強い張りを持つ質のボールでなければ、それほど用を為さないものです。
私たちの所では、上に乗ってもなかなか潰れないような、固めの材質で強い張りのあるものを使用しており、空気も充分に入れてきちんと ”張り” を出します。
乗るだけで半分ほども潰れてしまうような、巨大な座布団のようなフニャフニャした柔らかい材質のボールは、確かに立ちやすく制御しやすいものですが、それでは補助輪をつけた自転車のようになってしまい、あまりボールとしての効果は望めません。
太極武藝館では、固く強く張られたボールに膝を伸ばして正しく立つことが出来、そこで連続してジャンプが出来るようになれば、「立ち方」の秘密が少し見えてくるようになるかも知れません。
さて、無極椿に話を戻しましょう。
無極椿を初めて練習する時には、敢えて「抱球勢」を行いません。
抱球勢を取るのは、その次の段階とされています。
「馬歩のための馬歩」が存在するように、この無極椿は「站椿のための站椿」であると言えます。「抱球勢」にするための腕の上げ下ろしや、馬歩として腰を落とすことさえ、ここでは不要なこととされ、抱球勢にしないために理解できることを求めて行くわけです。従って、外見は手をダラリと下げて、ただ立ち尽くしているようにも見えます。
ここで要求されることは、一般的に太極拳で語られるところの要訣そのものであり、その要訣に従う以外は、格別に変わったことを行うわけでもありません。
また、「虚領頂勁」「気沈丹田」「含胸抜背」などのよく知られた要訣は、すべて「構造」を正しく整えようとするものでが、その構造の「在り方」と「整え方」こそが問題です。
何故なら、その解釈こそが、その門派における「武術の構造」や「勁」の解釈そのものを表していると言えるからです。それら要訣の中身は、門派によって解釈が微妙に或いは大幅に異なるので、学習者は各々の門派の教えに従うより他はありません。
しかし、その「解釈の違い」は、とても大きいものです。
同じ陳氏太極拳でも、根本の立ち方とされる「馬歩」でさえ、外見も構造もまったく異なる立ち方が存在していますし、中には明らかに要訣そのものから外れているようなものも見受けられます。
そのような「解釈の違い」は、一般的には本流から支流へ、支流または傍流へと、分かれれば分かれるほど顕著になり、太極拳以外の武術が併存する門派であれば尚さらのことですが、もとよりそれは内容の正否の問題ではなく、太極拳の拳理についての ”解釈” の問題であると考えられます。
それらは、その門派、その時代、その当代各個人などの考え方によっても微妙あるいは大幅に改変されていますが、何れも「門派独自の拳理」が追求されているわけで、武術として正しいとか間違っているなどという事ではないのでしょう。
源流である陳氏太極拳が指し示している武術原理は、大きく分ければふたつの流れとなり、数多ある現存の太極門に於いても、必ずその二つの内のいずれかを基礎として拳理が構成され、更にそこから様々な形に発展して行っているように思えます。
そして、その「二つの拳理」の構造は至ってシンプルなものなので、系統の違う太極拳がその構造に何を加え、何を差し引いたのか、何を取り出して発展させていったのかを観ていくことも出来ます。
例えば、私たちが「腰相撲」と呼ぶ、何人もの人に腰を押させてそれに耐える訓練は、源流である陳氏でも好んで行われていますが、陳氏の四傑と呼ばれる人たちが属している系統では、まずそこで力強く押されることに耐え、その後に自分の後方へ、化勁のように相手の力を流して崩しているのが見られます。
そしてそれは「身体に内気をため、その気の力で相手の力点を崩すことができる」とか、「下半身が安定すれば相手が強くても倒せる」、「強い力が来ても食い止められる」などという表現で説明されます。
しかし、ホームページの【太極拳を科学する】でもご紹介しているように、私たちはそのような方法とは反対に、押している相手が多人数であっても、前方に歩いて出て行くことが出来たり、前方に大きく飛ばして返せなくてはならないとされています。
かつて私たちは、「腰相撲」の様々な資料映像を参考に、私たちと他の系統との違いを詳細に比較研究してみたことがありますが、明らかに「身体の構造」と、それに伴う「勁の内容」が異なっているという事を確認することができました。
そして、それは単に「腰相撲」に留まらず、推手や散手、歩法、套路などに於ける「勁」の現れ方や、そこに生じる影響についても、その構造に於いて全く同じ傾向であることが理解できました。
特に套路に関しては、誰もが難しい技法と思える、地面に腰を付けて再び立ち上がってくる「跌岔式」をテーマに、多くの映像を比較研究してみましたが、そこにも全く同じチカラの使われ方、すなわち同じ身体の構造を共通して見出すことができました。
このような研究は今も継続して行われていますが、そうした分析を試みることで、今日に於いてこのふたつの系統がどのように異なっているのか、その中身が朧気ながらにも見えてきたように思えます。
そのような意味合いで ”要訣” を見れば、それらはまるで「暗号」のように思えてきます。
事実、円山洋玄師父は、太極武藝館を開門された頃から、これら拳譜に存在する要訣や基本功、套路などのすべてを【 Tai-ji Code 】と呼び慣わされて来られました。
実はこれらは、その外見からは決して容易に判読を許さない、様々な仕掛けやカラクリが巧妙に織り込まれた、複雑極まる難解な【 Code=暗号 】である、というわけなのです。
そもそも「暗号」とは、一見すると普通の文章や意味のない文字、或いはただの言葉の羅列のように見えるものですが、もちろん本当に伝えたい事はそこに表現された文字の意味の中には在りません。そこには巧みに秘匿された真の意味が存在しており、その真の意味を解くためには【 解読表 (Code Book) 】が必要になるわけです。
しかし、どのような暗号に於いても、解読方法は多種多様ではあっても、その解読されるべき内容は、おそらく「ひとつ」であるに違いありません。
太極拳で言えば、そこに文化や言語の違い、翻訳のニュアンスの差異があっても、それが源流を同じくする一条の大河の流れに育まれてきたものである限り、そこに意味されるべき「真実」は、決して大きく異なるものではないはずです。
しかし、もし誰かが偏見に満ちた手前勝手な「コード・ブック」を作ってしまうと、その後の世代にはどうしても解読できない部分が出はじめ、その欠損を埋めるために、終いには想像や独善でしかない意味を充てるような状態が起こってきます。
どこかの世代でそのような状況が起こると、次の代には更に内容が微妙に外れ、徐々にもっと異なったものになってくるに違いありません。
そしてそれが何代も続けられて来たとしたら・・・そうなったら、きっと元の意味などは何処にも見当たらないほど、中身が薄れてしまっているに違いないのです。
伝統武術の門派の価値とは、ある意味ではその「コード・ブック」を所有しているか否かに掛かっていると言えるかも知れません。
師父はこれを、『大海を往く船人の、コンパスのようなもの』であると言われました。
どなたかの詠じた歌に「北を指すものはなべて哀しきに、吾は狂はぬ磁石を持てり」と、あったと記憶しますが、それは正に、学ぶべき拳理の真諦をいかなる場合にも正しく指し示し続ける「狂はぬ磁石」に他ならないのだと思います。
(つづく)
「站椿」は、太極拳の中にどのような訓練体系で存在しているのでしょうか。
これは、太極拳を学ぼうとしている人が等しく抱く、大きな疑問に違いありません。
太極拳の「站椿」と言えば、一般的には「馬歩」の架式で球を抱え、空気の椅子に座るような姿勢で長い時間をじっと立ち尽くす・・というようなイメージが大きいようです。
では、太極拳の站椿とは、そのような「馬歩・抱球勢」の中で構造を力学的に整え、意を練り、静中求動と動中求静を繰り返し、意を導びくことで筋肉を使い分け、オマケの気功法も加味され、果ては五臓六腑まで鍛えられるという・・・外見は極めて単純に見えるのに、やることは結構複雑そうな、気の弱い初心者などはちょっと退けてしまいそうな?システムなのでしょうか。
この六十年間で、中国武術の学習体系は大きく変わったと言われます。
文化大革命の影響についてはホームページでも少し触れられていますが、文革から今日までの六十年間、世代で言えば約二世代にも亘る時間の中で、どれほど多くの真伝が消え去り、どれほどの貴重な練功が闇に葬られ、失伝していったことでしょうか。
太極拳の「站椿」も、決してその例外ではないのかも知れません。
私たちが学ぶ太極拳の「站椿」は、シンプルかつ極めてシステマティックなものです。
用いられる架式は、並歩 (bing-bu) 、馬歩 (ma-bu) 、半馬歩 (ban-ma-bu) 、独立歩 (du-li-bu) などで、その多くは膝が伸びたような高架式から始められます。
また、それらは「抱球勢」ばかりではなく、様々な形の中で、様々な意念の用い方を学んでいき、さらには椅子に座ったり床に横たわったり、窓枠や壁、レンガなどを用いる様々なバリエーションが站椿の訓練として存在しています。
また、それらは陳氏太極拳の隠されたルーツとされる「心意拳」の練功法にも多くの共通点があり、極秘伝書である『三三拳譜』が斯くも大切にされてきた理由が、その練功の中にも垣間見えてくるのです。
しかし、どのような站椿を行うにせよ、太極拳にあっては先ずは「無極椿」と呼ばれる站椿を抜きにしては、その成果は何ひとつ得られないと言っても過言ではないでしょう。太極拳の学習は「無極」という最も基本的な ”太極拳の構造” を理解することから始められなくてはなりませんが、それは、この無極椿の学習無しには到底考えられないものです。
「静」の環境の中で始められるこの「無極椿」は、太極拳で学ぶべき身体構造への要求をひとつづつ満たして行き、正しい構造を【立つこと】という条件の中で手探りで求めていこうとするものです。
無極椿で用いる「並歩」の架式は、肩幅を超えず、ことさら膝を曲げる必要もありません。この並歩は、実は「馬歩」そのものに他なりません。
「馬歩」は、陳氏太極拳の最も重要な架式で、すべての架式はこの馬歩を基準に成立しており、無極椿で用いられる高い姿勢の並歩も、馬歩そのものとして指導されます。
そもそも架式とは「太極拳の構造」を端的に表すものであり、太極拳の構造とは、ただひたすら、この馬歩が示していることそのものに他なりません。それは「十三勢」の套路動作がすべて馬歩の構造によって成り立ち、套路の学習は馬歩を追求することによって理解されるように構成されているのを見ても明らかです。
「馬歩」は一見単純なものに見えますが、習得する事は決して容易ではありません。
それはまるでピラミッドのように、シンプルな形状ではあっても高度で計算され尽くした構造を形成しています。太極拳の理解とはこの「馬歩のシステム」の理解度に等しく、個人の「功夫」は、そのまま馬歩の修練の度合いに等しいと言えるかも知れません。
また、馬歩の理解が無ければ、「弓歩」も到底理解することはできません。
弓歩は、ただ馬歩から片足に重心を移したものではない、ということが深く理解されなくてはならないものです。
太極武藝館では、最も一般的な馬歩、つまり馬上に跨ったり椅子に座ったような深い架式の馬歩をいきなり取らせるのではなく、まずは比較的高い姿勢を取ってその「構造」を細かく指導することから始められます。
一般的には、初学の間にこそ深く腰を落とした低架式の馬歩を行わせるのが正しいとされる場合もあるようですが、太極武藝館では敢えてそうしません。
そして、それには大きな理由があります・・・・
それは、馬歩には本来、高い姿勢からそれを始めなくてはならない「システム上の必要」があるからです。
それは、低架式が膝や腰を痛めたり、腿の筋肉を痛めたりするからと言うことではなく、ちょうど家を建てる時に土台から工事を始めなくてはならないように、馬歩の構造自体が、「高いところ」から始めなくては理解されない性質を持っているからです。
いきなり膝を深く曲げ、腰を落とした低架式から始めると、馬歩の構造を大きく誤解してしまう怖れがあります。正しい指導がなければ不要な筋肉をたくさん使ってしまい、そのフォルムに耐えようとするだけの「拙力」の訓練になってしまうかもしれません。
太極武藝館ではまず、「直立すること」を基本として、どのような過程を経た上で馬歩のフォルムにしていくのか、何ゆえにそのカタチになっていくのか、ということを大切にし、低い架式での訓練は、馬歩がどのような構造で出来ているのかをきちんと理解し、体得してからのこととされます。
無極椿を高い姿勢の「並歩」から始めるのは、このような理由からです。
ついでながら、普段の稽古ではいきなり馬歩それ自体の訓練から始められることはなく、『馬歩のための馬歩』とでも言うべき練功が、稽古開始時に欠かさず指導されます。
これは、古くから伝えられる伝統的な馬歩の学習法であり、馬歩の「静」と「動」を実際に体験させ、構造そのものを繊細に整えることが出来る、大変優れた練功です。
2008年に入って間もなく、太極武藝館のスタッフは、この練功がそっくりそのまま最も古い時代に書かれた形意拳の拳譜に記されていることを発見しました。
その拳譜には、古の心意拳の練功法として、この馬歩の練功が描写されており、これらが陳氏にどのような経緯で伝承されてきたのか大変興味深いものです。
この拳譜は、陳氏拳術と心意拳の関係を研究する上で大変貴重な資料になることでしょう。
この練功は、少し以前までは拝師弟子に教授されるのみでしたが、数年前から一般門人にも公開されるようになりました。実際に経験してみれば「馬歩」の理解が全く大きく違ってくることに誰もが納得でき、今では初心者から上級者まで欠かすことの出来ない重要な練功となっています。この稿では内容を詳しくご紹介できないのが残念です。
「直立すること」や「立つこと」は站椿の基本となりますが、それは日常的にはなかなか理解し難いものです。
バランスボールを使っての練習は学習者に非日常的な感覚をもたらしてくれますが、ボールの上に立つ訓練を、つい「站椿」として捉えてしまうことも、誤解されやすいことのひとつかもしれません。
バランスボールの練習は師父によって私共のホームページにも紹介されていますが、主として「放鬆」や「虚領頂勁・気沈丹田」など、要訣の理解の一助に用いられており、決してそれがそのまま ”站椿” であるとは説明されていません。
「站椿」とバランスボールとでは、その目的も、練る内容も全く異なっており、そもそもボールの上に立っている状態では、站椿の訓練それ自体が成立しません。
「ボールに立つこと」は、站椿を訓練する環境とは異なっているのです。
「静中求動」を例にとれば、ボールの上に立っている状態では、いかに「静」を求めようとしても、立っていること自体、すでに「静」が失われている状態であり、「動」を求めるどころか、すでに制御し難いほど勝手に「動」が起こっている状態であるわけです。従ってそれは静中求動ではなく、「求静被動」とか「動中被動」とでも言うべき状態であると思います。
また、静中求動の「求 (qiu)」は、「探求する、積極的に求める」という意味で用いられており、バランスを取るためにボールの上で自然に身体を動かさざるを得ないような被動的な意味合いではありません。
ボールに立つと、自分が立ち続けようとすることを「静」、そこでバランスを取るために否応なしに動かされてしまうことを「動」である、と想像したくなります。
また、バランスを取るための必然として起こる「動」の中で、ボールを捉え続けようとする身体の中心を「静」と考えると、あたかもそれらが「静中求動」「動中求静」であるかのように思えるかも知れません。
しかし、站椿で「求」められるべき「静」と「動」は、あくまでも【意で導く】ことによって得られる構造とチカラの問題であり、ボールの上で得たバランス感覚から必然的に生じてきた「静」と「動」とは根本的に異なるものです。
なお、バランスボールは、自在に動ける中心軸を開発するためには、ある程度の効果を発揮してくれますが、きちんと強い張りを持つ質のボールでなければ、それほど用を為さないものです。
私たちの所では、上に乗ってもなかなか潰れないような、固めの材質で強い張りのあるものを使用しており、空気も充分に入れてきちんと ”張り” を出します。
乗るだけで半分ほども潰れてしまうような、巨大な座布団のようなフニャフニャした柔らかい材質のボールは、確かに立ちやすく制御しやすいものですが、それでは補助輪をつけた自転車のようになってしまい、あまりボールとしての効果は望めません。
太極武藝館では、固く強く張られたボールに膝を伸ばして正しく立つことが出来、そこで連続してジャンプが出来るようになれば、「立ち方」の秘密が少し見えてくるようになるかも知れません。
さて、無極椿に話を戻しましょう。
無極椿を初めて練習する時には、敢えて「抱球勢」を行いません。
抱球勢を取るのは、その次の段階とされています。
「馬歩のための馬歩」が存在するように、この無極椿は「站椿のための站椿」であると言えます。「抱球勢」にするための腕の上げ下ろしや、馬歩として腰を落とすことさえ、ここでは不要なこととされ、抱球勢にしないために理解できることを求めて行くわけです。従って、外見は手をダラリと下げて、ただ立ち尽くしているようにも見えます。
ここで要求されることは、一般的に太極拳で語られるところの要訣そのものであり、その要訣に従う以外は、格別に変わったことを行うわけでもありません。
また、「虚領頂勁」「気沈丹田」「含胸抜背」などのよく知られた要訣は、すべて「構造」を正しく整えようとするものでが、その構造の「在り方」と「整え方」こそが問題です。
何故なら、その解釈こそが、その門派における「武術の構造」や「勁」の解釈そのものを表していると言えるからです。それら要訣の中身は、門派によって解釈が微妙に或いは大幅に異なるので、学習者は各々の門派の教えに従うより他はありません。
しかし、その「解釈の違い」は、とても大きいものです。
同じ陳氏太極拳でも、根本の立ち方とされる「馬歩」でさえ、外見も構造もまったく異なる立ち方が存在していますし、中には明らかに要訣そのものから外れているようなものも見受けられます。
そのような「解釈の違い」は、一般的には本流から支流へ、支流または傍流へと、分かれれば分かれるほど顕著になり、太極拳以外の武術が併存する門派であれば尚さらのことですが、もとよりそれは内容の正否の問題ではなく、太極拳の拳理についての ”解釈” の問題であると考えられます。
それらは、その門派、その時代、その当代各個人などの考え方によっても微妙あるいは大幅に改変されていますが、何れも「門派独自の拳理」が追求されているわけで、武術として正しいとか間違っているなどという事ではないのでしょう。
源流である陳氏太極拳が指し示している武術原理は、大きく分ければふたつの流れとなり、数多ある現存の太極門に於いても、必ずその二つの内のいずれかを基礎として拳理が構成され、更にそこから様々な形に発展して行っているように思えます。
そして、その「二つの拳理」の構造は至ってシンプルなものなので、系統の違う太極拳がその構造に何を加え、何を差し引いたのか、何を取り出して発展させていったのかを観ていくことも出来ます。
例えば、私たちが「腰相撲」と呼ぶ、何人もの人に腰を押させてそれに耐える訓練は、源流である陳氏でも好んで行われていますが、陳氏の四傑と呼ばれる人たちが属している系統では、まずそこで力強く押されることに耐え、その後に自分の後方へ、化勁のように相手の力を流して崩しているのが見られます。
そしてそれは「身体に内気をため、その気の力で相手の力点を崩すことができる」とか、「下半身が安定すれば相手が強くても倒せる」、「強い力が来ても食い止められる」などという表現で説明されます。
しかし、ホームページの【太極拳を科学する】でもご紹介しているように、私たちはそのような方法とは反対に、押している相手が多人数であっても、前方に歩いて出て行くことが出来たり、前方に大きく飛ばして返せなくてはならないとされています。
かつて私たちは、「腰相撲」の様々な資料映像を参考に、私たちと他の系統との違いを詳細に比較研究してみたことがありますが、明らかに「身体の構造」と、それに伴う「勁の内容」が異なっているという事を確認することができました。
そして、それは単に「腰相撲」に留まらず、推手や散手、歩法、套路などに於ける「勁」の現れ方や、そこに生じる影響についても、その構造に於いて全く同じ傾向であることが理解できました。
特に套路に関しては、誰もが難しい技法と思える、地面に腰を付けて再び立ち上がってくる「跌岔式」をテーマに、多くの映像を比較研究してみましたが、そこにも全く同じチカラの使われ方、すなわち同じ身体の構造を共通して見出すことができました。
このような研究は今も継続して行われていますが、そうした分析を試みることで、今日に於いてこのふたつの系統がどのように異なっているのか、その中身が朧気ながらにも見えてきたように思えます。
そのような意味合いで ”要訣” を見れば、それらはまるで「暗号」のように思えてきます。
事実、円山洋玄師父は、太極武藝館を開門された頃から、これら拳譜に存在する要訣や基本功、套路などのすべてを【 Tai-ji Code 】と呼び慣わされて来られました。
実はこれらは、その外見からは決して容易に判読を許さない、様々な仕掛けやカラクリが巧妙に織り込まれた、複雑極まる難解な【 Code=暗号 】である、というわけなのです。
そもそも「暗号」とは、一見すると普通の文章や意味のない文字、或いはただの言葉の羅列のように見えるものですが、もちろん本当に伝えたい事はそこに表現された文字の意味の中には在りません。そこには巧みに秘匿された真の意味が存在しており、その真の意味を解くためには【 解読表 (Code Book) 】が必要になるわけです。
しかし、どのような暗号に於いても、解読方法は多種多様ではあっても、その解読されるべき内容は、おそらく「ひとつ」であるに違いありません。
太極拳で言えば、そこに文化や言語の違い、翻訳のニュアンスの差異があっても、それが源流を同じくする一条の大河の流れに育まれてきたものである限り、そこに意味されるべき「真実」は、決して大きく異なるものではないはずです。
しかし、もし誰かが偏見に満ちた手前勝手な「コード・ブック」を作ってしまうと、その後の世代にはどうしても解読できない部分が出はじめ、その欠損を埋めるために、終いには想像や独善でしかない意味を充てるような状態が起こってきます。
どこかの世代でそのような状況が起こると、次の代には更に内容が微妙に外れ、徐々にもっと異なったものになってくるに違いありません。
そしてそれが何代も続けられて来たとしたら・・・そうなったら、きっと元の意味などは何処にも見当たらないほど、中身が薄れてしまっているに違いないのです。
伝統武術の門派の価値とは、ある意味ではその「コード・ブック」を所有しているか否かに掛かっていると言えるかも知れません。
師父はこれを、『大海を往く船人の、コンパスのようなもの』であると言われました。
どなたかの詠じた歌に「北を指すものはなべて哀しきに、吾は狂はぬ磁石を持てり」と、あったと記憶しますが、それは正に、学ぶべき拳理の真諦をいかなる場合にも正しく指し示し続ける「狂はぬ磁石」に他ならないのだと思います。
(つづく)
2010年03月06日
練拳 Diary #26 「起き上がり腹筋と、その動画」
by 教練 円山 玄花
太極武藝館で行われる補助訓練の中に、「起き上がり腹筋」と呼ばれるものがあります。
これは、 ”のら” さんの「站椿」シリーズにも度々登場している練功のひとつです。
「起き上がり腹筋」は、生まれてから今日まで日常的な生活をごく普通に送ってきた私たち一般人が、太極拳という高度な武術を修めるために必要な「非日常的」な考え方にシフトするのに大変役に立つ練功であると思えます。
何故このような練功が必要なのかと言えば、そもそも普段の生活には「日常」や「非日常」という考え方そのものが必要とされず、武術を始めようとする時には、ただ「強さ」に憧れたり、術理が見せる高度さに心惹かれる気持ちばかりが先行して、まるで普段と何も変わらない「日常」の延長で高度な武術が習得できるような気がしてしまうからです。
しかし、考えてみれば高度な武術が日常性の延長で習得できるはずもなく、実際に稽古を始めてみると、日常的な考え方から生じる動きの中身は、やはり日常の枠から一歩も出ない、極めて凡庸なものでしかないということが直ちに実感されます。
また、基本功などでは何となく「似たような動き」ができているように思えても、推手や散手の稽古では、ただの一歩も、わずかな動作さえも武術的には動けていないということに直面させられ、より武術的な身体を持つ相手からは、それが具体的に証明されることになります。
「起き上がり腹筋」は単なる補助練功に過ぎませんが、示された通りにやってみようとすることで、自分たちがいかに都合よく「不自然な身体」を日常として使ってきてしまったか、その結果、自分で自分の身体を制御できないような「不自由」な身体になってしまったかということに思い至るきっかけとなります。
例えば套路は、その姿勢や動作はそれ自体がどこを取っても非日常的なものですが、第八勢から盛んに出てくる「蹴り」の動作では、各自が持つ蹴りのイメージが邪魔をして、つい日常的に蹴りたくなってしまい、なかなか太極拳の武術原理で行えない、というようなことも起こってきます。
蹴りの動作に限らず、「突き」が出てくればつい力強く突きたくなり、震脚の動作では派手な音で地面を踏みならしたくなり、いかにもカンフーらしい「二起脚」の動きなどは、ここぞとばかりに高く飛び上がって見事に空中蹴りを決めたくなってしまいます。
しかし、「日常の身体」を以てそのような練習をしても決して武術的な訓練にはならず、そのような考え方ではいつまで経っても、なぜ套路にそのような動作が用意されているのかを理解するには至らないことでしょう。
套路の稽古の中で正しい理解が起これば、力強く飛んだり蹴ったりすることこそが日常から見た太極拳の ”落とし穴” であり、正に「考え方」を変えなければ真正な太極拳を学んでいくことは出来ないところだと思えます。
自分の考え方の何が「日常的」で、何が「武術的・非日常的」だと言われているのか・・
この「起き上がり腹筋」は、站椿や基本功を見たまま、ただ真似をしているだけでは中々分かりにくいところを、よく実感させてくれる練功だと思います。
それでは、「起き上がり腹筋」の練習方法をご紹介しましょう。
(1)まず足を肩幅に開いて立ち、パートナーに両足の甲を軽く押さえてもらいます。
強く押さえてもらう必要はなく、およそ1〜2キロほどの軽い力で押さえます。
(2)そこからゆっくりと馬歩の姿勢を取るように腰を下ろしていき、膝を曲げてお尻が
床に着いたら、そのままさらに、腰から背中、頭までを床に付けていきます。
(3)そこまで来たら、今度は反対に、頭、背中、腰の順に身体を起こしていき、最初に
立っていたところへ立ち上がってきて、動作が終了します。
*なお、映像では「パートナーが補助する場合」「重りを足甲に載せて補助する場合」
「補助無しで行う場合」の三種類の練習法をご紹介しています。
また、この練習で注意すべきことは、
(1)一連の動作は途切れることなく、ゆっくりと「等速度、一動作」で行うこと。
(2)腰を下ろしていくときには、膝が極端につま先から出ないようにすること。
(3)立ち上がる時は腹筋に入力して身体を縮めたり、腕を振って勢いをつけないこと。
(4)押さえられている足の抵抗を利用して起き上がろうとしないこと。
・・等々で、注意するところは、基本功などで要求される事とほぼ同じものです。
また、当然ながら、ただ起き上がって来れば良いというものではありませんので、単純に「勢い」や「身体の柔らかさ」で起き上がって来れるようなものは全て誤りとなります。
身体が正しく使われずに、柔軟性だけで起き上がれてしまうような場合には、足の下全体に厚さ2センチくらいのプレートなどを敷いて、お尻よりも足の方を高くし、高低差を付けてみると、この練功の意味が分かりやすくなります。
この練功には「腹筋」という名前が付けられていますが、実際は腹筋に意図的に入力するわけではありません。腹筋やスクワットのトレーニングを山ほど積んできた人たちは、立ち上がろうとした瞬間に腹筋が固まり、腹と足がぶつかって、かえって立ち上がり難いようです。
また、勢いで何とかお尻だけは持ち上がっても、それまでに入力してきた大腿四頭筋などで蹴ってしまい、後ろに大きく身体が立ち上がりながら崩れていくケースもよく見られます。
ここでも他の練功と同様に《 踏まない・蹴らない・落下しない 》ことが要求され、さらに《 弛まず・しゃがまず・休まず・頑張って起とうとせず 》に行うことが大切になります。
つまり、この練功を日常的に「膝を弛ませて屈み、床の上に寝て、腹筋を使って身体を起こし、身体を足の上に持ってきて、おもむろに立ち上がる」という事の中で頑張ろうとしても、決して容易には起き上がれません。
この練功では身体の使い方が如実に表れ、腹筋が入力されれば足を押さえているパートナーにその反動が伝わりますし、押さえられている抵抗を利用して上がろうとすれば、それこそ相手にダイレクトに伝わってしまうので、ゴマカシがききません。
また、そんな工夫を凝らして何とか起き上がれたとしても、ただそれだけのことで、決してこの練功を通じて太極拳を理解することには至らないのです。
・・・工夫と言えば、つい先日、面白い出来事がありました。
ある時、この「起き上がり腹筋」がまだ上手く出来ない初心者のAさんが、 ”窮余の一策” として、ある練習方法を思いついたのです。
それまでAさんの「起き上がり腹筋」は、座りに行く時に膝がつま先から大きく出て、もう少しで床にお尻が着くという時にドシンと尻餅をついてしまう、といった状態でした。
そして膝が出ないようにすると、今度は胸とお尻が前後に飛び出すような格好になり、その姿勢では太腿に負担が来るのは避けられず、足の限界が来たところで、やはりドンと尻餅をついてしまいます。
落下することなく、ゆっくりと、一動作でトータルに身体を使う事が出来れば容易に上がって来られるのですが、ひとたび落下してしまうと、そこからどれだけ身体を使おうとしても、もう起き上がれなくなります。
Aさんは、この練習が行われる度に、とても苦労をしていました。
そのAさんが、起き上がれるようになる為に工夫を凝らした練習方法とは、
まず、壁に向かって広めの馬歩に足を開いて立ち、つま先をピタリと壁に付けます。
そこからどんどん膝を屈めて行き、降りられるところまで降りたら、また元に戻ってくる事をくり返し、徐々に深く腰を下ろして行けるようにしていく、というものでした。
Aさんはその練習によって「膝を出さずに降りる事」と「尻餅をつかずに腰を下ろすこと」の二つがだんだん出来るようになり、上級者の起き上がり腹筋に近づくことができる!!・・と、思えたのだそうです。
なるほど、よく考えたものです。「起き上がり腹筋」が難しい人にとっては、画期的な訓練法と言えるかも知れません。
ところが、その練習方法には、とんでもないことが隠されていました。
稽古前に、Aさんがそれをせっせと道場で独り練習しているのを目に留めた上級者が、『・・ほう、なんだか面白そうな事をしてますね・・・』と真似をしたところ、一回目から『うーん、これはイケナイ、すぐ止めた方が良いですよ!』と、忠告をしたのです。
お尻は床に付くほど下がって行けるというのに、一体何がイケナイのでしょうか・・?
私も試してみましたが、動き始めてすぐに感じられたのは、普段から繊細に追求してきた「立つこと」の本質がかなり狂わされてしまうおそれがある、ということでした。
言わば「立てない・動けない」身体を、わざわざ練っているような感覚があるのです。
試しに何回か上下に動いてみると、踵がずいぶん重く感じられ、足首や足の甲が緊張して指先が浮き上がるような感覚がありましたが、Aさんは身体が慣れてしまったのか、それ程緊張は感じられないと言うことでした。
数回動いた後にはすっかり体軸が変わり、腰や腹はまるで鬆(す)が入ったようなものに感じられて、何によってどのように立てばよいのかが分からなくなるような、そんな感覚があります。
それは、スクワットのような運動だから大腿四頭筋にくるとか、やり方によっては大腿二頭筋に来る、インナーマッスルが働く、といったレベルの話ではなく、たとえそれがどんな筋肉に来ようと、站椿や基本功を練ってきた意味がすっかり無くなってしまうような、体軸そのものが失われる危険性を孕んだ方法だと思えました。
また、拳学研究会のメンバーにも試してもらったところ、面白いことに、陳氏太極拳には不可欠な「ある機能」が、かなり働きにくいことが分かりました。
その機能を働かせながらAさんの方法を行おうとすると全くうまくいかず、反対に、それを機能させずに行えば確かにスムーズには動けるのですが、「股関節」と「腸腰筋」を巧みに働かせただけの単純な運動にしかなりません。
・・これでは纏絲勁など、夢のまた夢になってしまうかもしれません。
パートナーも必要なく、壁さえあれば他に道具がいるわけでもないこのAさんの練習方法は、まだ身体に練功というものの実感がなく、歩法では落下や蹴り上げが顕著に見られるような、出席日数の少ないAさんだからこそ考えついた方法ではないかと思え、早速それを中止するようにアドバイスしました。
「起き上がり腹筋」では、パートナーに補助してもらうものが分かれば、より身体の構造を理解していくために、徐々に足に掛ける負担を少なくしていき、最後には補助なしで、ひとりで座りに行き、ひとりで立ち上がってくる、ということを稽古しますが、例えばAさんの考えた練習方法では、補助さえあれば何とか立ち上がってこれるかも知れませんが、補助無しでは勢いをつけない限り、まず不可能ではないかと思えます。
それが難しくても、起き上がれなくても、そこに「自分なりの工夫」を持ち込むことなく、ひたすら要求を守って修練を積み重ねていくと、そこに今までの自分とは違うものを感じられるようになります。
一見、腹筋運動のように見えても腹筋への入力を使わないこの運動は、日頃から指導されるとおり、「やり方」の工夫ではなく、自分の「考え方」を変えることでしか出来るようにならないものだと思いました。
かつてホームページに、起き上がり腹筋の「補助のない場合」の動画を掲載したことがありました。ところが、門人のひとりがそれを体育の教師である奥様に見せたところ、即座に『・・これは有り得ない、こんなことは絶対に不可能だ!!』と仰ったそうです。
その方は体育大学出身ですが、映像を他の教師たちにも見せたところ、やはりこんなことは有り得ない、これはきっとトリックに違いない、という意見で一致したということです。
私たちの道場では、出来なかった人でも、武術としての「正しい考え方」と「身体の在り方」を説いていけば誰もが徐々に出来るようになってきますし、中には「補助なし」で起き上がって来られるようになる人も居ますから、そのお話を伺った時には、私たちの方が随分驚かされたものです。何よりも、この「起き上がり腹筋」がそれほどまでに「非日常的な動き」に見えるのだという事に、妙に納得したものでした。
そして、「日常」から見て「有り得ない」と思えるからこそ、練功として練る価値があり、それ故に「武術」と呼べるのではないか、とつくづく思えた次第です。
(了)
太極武藝館で行われる補助訓練の中に、「起き上がり腹筋」と呼ばれるものがあります。
これは、 ”のら” さんの「站椿」シリーズにも度々登場している練功のひとつです。
「起き上がり腹筋」は、生まれてから今日まで日常的な生活をごく普通に送ってきた私たち一般人が、太極拳という高度な武術を修めるために必要な「非日常的」な考え方にシフトするのに大変役に立つ練功であると思えます。
何故このような練功が必要なのかと言えば、そもそも普段の生活には「日常」や「非日常」という考え方そのものが必要とされず、武術を始めようとする時には、ただ「強さ」に憧れたり、術理が見せる高度さに心惹かれる気持ちばかりが先行して、まるで普段と何も変わらない「日常」の延長で高度な武術が習得できるような気がしてしまうからです。
しかし、考えてみれば高度な武術が日常性の延長で習得できるはずもなく、実際に稽古を始めてみると、日常的な考え方から生じる動きの中身は、やはり日常の枠から一歩も出ない、極めて凡庸なものでしかないということが直ちに実感されます。
また、基本功などでは何となく「似たような動き」ができているように思えても、推手や散手の稽古では、ただの一歩も、わずかな動作さえも武術的には動けていないということに直面させられ、より武術的な身体を持つ相手からは、それが具体的に証明されることになります。
「起き上がり腹筋」は単なる補助練功に過ぎませんが、示された通りにやってみようとすることで、自分たちがいかに都合よく「不自然な身体」を日常として使ってきてしまったか、その結果、自分で自分の身体を制御できないような「不自由」な身体になってしまったかということに思い至るきっかけとなります。
例えば套路は、その姿勢や動作はそれ自体がどこを取っても非日常的なものですが、第八勢から盛んに出てくる「蹴り」の動作では、各自が持つ蹴りのイメージが邪魔をして、つい日常的に蹴りたくなってしまい、なかなか太極拳の武術原理で行えない、というようなことも起こってきます。
蹴りの動作に限らず、「突き」が出てくればつい力強く突きたくなり、震脚の動作では派手な音で地面を踏みならしたくなり、いかにもカンフーらしい「二起脚」の動きなどは、ここぞとばかりに高く飛び上がって見事に空中蹴りを決めたくなってしまいます。
しかし、「日常の身体」を以てそのような練習をしても決して武術的な訓練にはならず、そのような考え方ではいつまで経っても、なぜ套路にそのような動作が用意されているのかを理解するには至らないことでしょう。
套路の稽古の中で正しい理解が起これば、力強く飛んだり蹴ったりすることこそが日常から見た太極拳の ”落とし穴” であり、正に「考え方」を変えなければ真正な太極拳を学んでいくことは出来ないところだと思えます。
自分の考え方の何が「日常的」で、何が「武術的・非日常的」だと言われているのか・・
この「起き上がり腹筋」は、站椿や基本功を見たまま、ただ真似をしているだけでは中々分かりにくいところを、よく実感させてくれる練功だと思います。
それでは、「起き上がり腹筋」の練習方法をご紹介しましょう。
(1)まず足を肩幅に開いて立ち、パートナーに両足の甲を軽く押さえてもらいます。
強く押さえてもらう必要はなく、およそ1〜2キロほどの軽い力で押さえます。
(2)そこからゆっくりと馬歩の姿勢を取るように腰を下ろしていき、膝を曲げてお尻が
床に着いたら、そのままさらに、腰から背中、頭までを床に付けていきます。
(3)そこまで来たら、今度は反対に、頭、背中、腰の順に身体を起こしていき、最初に
立っていたところへ立ち上がってきて、動作が終了します。
*なお、映像では「パートナーが補助する場合」「重りを足甲に載せて補助する場合」
「補助無しで行う場合」の三種類の練習法をご紹介しています。
また、この練習で注意すべきことは、
(1)一連の動作は途切れることなく、ゆっくりと「等速度、一動作」で行うこと。
(2)腰を下ろしていくときには、膝が極端につま先から出ないようにすること。
(3)立ち上がる時は腹筋に入力して身体を縮めたり、腕を振って勢いをつけないこと。
(4)押さえられている足の抵抗を利用して起き上がろうとしないこと。
・・等々で、注意するところは、基本功などで要求される事とほぼ同じものです。
また、当然ながら、ただ起き上がって来れば良いというものではありませんので、単純に「勢い」や「身体の柔らかさ」で起き上がって来れるようなものは全て誤りとなります。
身体が正しく使われずに、柔軟性だけで起き上がれてしまうような場合には、足の下全体に厚さ2センチくらいのプレートなどを敷いて、お尻よりも足の方を高くし、高低差を付けてみると、この練功の意味が分かりやすくなります。
この練功には「腹筋」という名前が付けられていますが、実際は腹筋に意図的に入力するわけではありません。腹筋やスクワットのトレーニングを山ほど積んできた人たちは、立ち上がろうとした瞬間に腹筋が固まり、腹と足がぶつかって、かえって立ち上がり難いようです。
また、勢いで何とかお尻だけは持ち上がっても、それまでに入力してきた大腿四頭筋などで蹴ってしまい、後ろに大きく身体が立ち上がりながら崩れていくケースもよく見られます。
ここでも他の練功と同様に《 踏まない・蹴らない・落下しない 》ことが要求され、さらに《 弛まず・しゃがまず・休まず・頑張って起とうとせず 》に行うことが大切になります。
つまり、この練功を日常的に「膝を弛ませて屈み、床の上に寝て、腹筋を使って身体を起こし、身体を足の上に持ってきて、おもむろに立ち上がる」という事の中で頑張ろうとしても、決して容易には起き上がれません。
この練功では身体の使い方が如実に表れ、腹筋が入力されれば足を押さえているパートナーにその反動が伝わりますし、押さえられている抵抗を利用して上がろうとすれば、それこそ相手にダイレクトに伝わってしまうので、ゴマカシがききません。
また、そんな工夫を凝らして何とか起き上がれたとしても、ただそれだけのことで、決してこの練功を通じて太極拳を理解することには至らないのです。
・・・工夫と言えば、つい先日、面白い出来事がありました。
ある時、この「起き上がり腹筋」がまだ上手く出来ない初心者のAさんが、 ”窮余の一策” として、ある練習方法を思いついたのです。
それまでAさんの「起き上がり腹筋」は、座りに行く時に膝がつま先から大きく出て、もう少しで床にお尻が着くという時にドシンと尻餅をついてしまう、といった状態でした。
そして膝が出ないようにすると、今度は胸とお尻が前後に飛び出すような格好になり、その姿勢では太腿に負担が来るのは避けられず、足の限界が来たところで、やはりドンと尻餅をついてしまいます。
落下することなく、ゆっくりと、一動作でトータルに身体を使う事が出来れば容易に上がって来られるのですが、ひとたび落下してしまうと、そこからどれだけ身体を使おうとしても、もう起き上がれなくなります。
Aさんは、この練習が行われる度に、とても苦労をしていました。
そのAさんが、起き上がれるようになる為に工夫を凝らした練習方法とは、
まず、壁に向かって広めの馬歩に足を開いて立ち、つま先をピタリと壁に付けます。
そこからどんどん膝を屈めて行き、降りられるところまで降りたら、また元に戻ってくる事をくり返し、徐々に深く腰を下ろして行けるようにしていく、というものでした。
Aさんはその練習によって「膝を出さずに降りる事」と「尻餅をつかずに腰を下ろすこと」の二つがだんだん出来るようになり、上級者の起き上がり腹筋に近づくことができる!!・・と、思えたのだそうです。
なるほど、よく考えたものです。「起き上がり腹筋」が難しい人にとっては、画期的な訓練法と言えるかも知れません。
ところが、その練習方法には、とんでもないことが隠されていました。
稽古前に、Aさんがそれをせっせと道場で独り練習しているのを目に留めた上級者が、『・・ほう、なんだか面白そうな事をしてますね・・・』と真似をしたところ、一回目から『うーん、これはイケナイ、すぐ止めた方が良いですよ!』と、忠告をしたのです。
お尻は床に付くほど下がって行けるというのに、一体何がイケナイのでしょうか・・?
私も試してみましたが、動き始めてすぐに感じられたのは、普段から繊細に追求してきた「立つこと」の本質がかなり狂わされてしまうおそれがある、ということでした。
言わば「立てない・動けない」身体を、わざわざ練っているような感覚があるのです。
試しに何回か上下に動いてみると、踵がずいぶん重く感じられ、足首や足の甲が緊張して指先が浮き上がるような感覚がありましたが、Aさんは身体が慣れてしまったのか、それ程緊張は感じられないと言うことでした。
数回動いた後にはすっかり体軸が変わり、腰や腹はまるで鬆(す)が入ったようなものに感じられて、何によってどのように立てばよいのかが分からなくなるような、そんな感覚があります。
それは、スクワットのような運動だから大腿四頭筋にくるとか、やり方によっては大腿二頭筋に来る、インナーマッスルが働く、といったレベルの話ではなく、たとえそれがどんな筋肉に来ようと、站椿や基本功を練ってきた意味がすっかり無くなってしまうような、体軸そのものが失われる危険性を孕んだ方法だと思えました。
また、拳学研究会のメンバーにも試してもらったところ、面白いことに、陳氏太極拳には不可欠な「ある機能」が、かなり働きにくいことが分かりました。
その機能を働かせながらAさんの方法を行おうとすると全くうまくいかず、反対に、それを機能させずに行えば確かにスムーズには動けるのですが、「股関節」と「腸腰筋」を巧みに働かせただけの単純な運動にしかなりません。
・・これでは纏絲勁など、夢のまた夢になってしまうかもしれません。
パートナーも必要なく、壁さえあれば他に道具がいるわけでもないこのAさんの練習方法は、まだ身体に練功というものの実感がなく、歩法では落下や蹴り上げが顕著に見られるような、出席日数の少ないAさんだからこそ考えついた方法ではないかと思え、早速それを中止するようにアドバイスしました。
「起き上がり腹筋」では、パートナーに補助してもらうものが分かれば、より身体の構造を理解していくために、徐々に足に掛ける負担を少なくしていき、最後には補助なしで、ひとりで座りに行き、ひとりで立ち上がってくる、ということを稽古しますが、例えばAさんの考えた練習方法では、補助さえあれば何とか立ち上がってこれるかも知れませんが、補助無しでは勢いをつけない限り、まず不可能ではないかと思えます。
それが難しくても、起き上がれなくても、そこに「自分なりの工夫」を持ち込むことなく、ひたすら要求を守って修練を積み重ねていくと、そこに今までの自分とは違うものを感じられるようになります。
一見、腹筋運動のように見えても腹筋への入力を使わないこの運動は、日頃から指導されるとおり、「やり方」の工夫ではなく、自分の「考え方」を変えることでしか出来るようにならないものだと思いました。
かつてホームページに、起き上がり腹筋の「補助のない場合」の動画を掲載したことがありました。ところが、門人のひとりがそれを体育の教師である奥様に見せたところ、即座に『・・これは有り得ない、こんなことは絶対に不可能だ!!』と仰ったそうです。
その方は体育大学出身ですが、映像を他の教師たちにも見せたところ、やはりこんなことは有り得ない、これはきっとトリックに違いない、という意見で一致したということです。
私たちの道場では、出来なかった人でも、武術としての「正しい考え方」と「身体の在り方」を説いていけば誰もが徐々に出来るようになってきますし、中には「補助なし」で起き上がって来られるようになる人も居ますから、そのお話を伺った時には、私たちの方が随分驚かされたものです。何よりも、この「起き上がり腹筋」がそれほどまでに「非日常的な動き」に見えるのだという事に、妙に納得したものでした。
そして、「日常」から見て「有り得ない」と思えるからこそ、練功として練る価値があり、それ故に「武術」と呼べるのではないか、とつくづく思えた次第です。
(了)
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