*第171回 〜 第180回

2016年07月01日

連載小説「龍の道」 第180回




第180回  SURVIVAL (12)



「イエス・キリストを磔刑(たくけい)にしたのは、ユダヤの律法学者たちだったのか!、ポンシオ・ピラトが十字架に架けた、と単純に考えていたよ」

「そのあたりは聖書をじっくり読まないと分からないわね。イエスはユダヤ教の律法学者であるパリサイ人(びと)を ”忌まわしいもの” とし、パリサイ人はイエスを ”律法を破る者” であると断じて敵対していた。
 イエスはこう言っている。 ”お前たちに災いあれ、律法学者たち、パリサイの人たちよ、お前たちは不幸だ、人々に天の国を閉ざしてしまうからだ、自分たちがそこに入ろうとしないばかりか、入ろうとする者の邪魔をして入らせないからだ” 」

「なるほど────────」

「パリサイ人(Pharisee)というのは古代ユダヤ教の一派で、ユダヤ戦争によるエルサレム神殿の崩壊後にはユダヤ教の主流派となって、律法の解釈こそが絶対とされる教義を創っていった。
 パリサイとは ”分離した者” という意味で、ユダヤ律法を守らぬ人たちから自分を分離するという思想から来ているのよ。現代のユダヤ教は殆どこのパリサイ派に由来しているので、パリサイは即ちユダヤの考え方そのものだと言えるわ。今ではそのパリサイ派という呼称は消えて、”ユダヤ教正統派” と呼ばれているけどね。
 そして、イエスとパリサイ人のそんな関係が嵩じて、ユダヤのシオン長老団や律法学者に巧みに煽動された群衆の声に負けてしまった総督のピラトが、イエスを磔(はりつけ)にする判決を下すに到ったのよ」

「ポンシオ・ピラトは、ローマ帝国がユダヤ州を統治していたときの総督だったね。かつてのカナンの地であるユダヤ州はすでにローマの属州だったから、ユダヤ教徒が勝手にイエスを逮捕したり刑罰を与えることが出来ず、総督のピラトに訴える口実を見つけて裁判へと仕向けた、というわけだね?」

「そうだと思えるわ。でもルカによる福音書によると、ピラト(Pontius Pilatus=ポンティウス・ピィラトゥス)は ”私はこの男に何の罪も見出せない” と語り、他の福音書にも、ピラトが群衆の要求に応えてやむを得ずイエスの処刑に踏み切ったという記述がある。ピラトは過越(すぎこし)の祭りにイエスに恩赦を与えて解放するつもりだったというのよ」

「ユダヤ教とイエスが説くものとの違いは大きいね。イエスの逸話の中には、姦通の罪を犯した女性を赦し、もう罪を犯さないようにしなさいと助言をしたばかりか、パリサイの処刑人の手から逃してやったというのがあった。ユダヤ律法で雁字搦めのパリサイ人は、罪を犯せばモーセの律法に従って石打ちの死刑だけれど、イエスは犯した罪よりも、その罪を悔い改めることの方が大切であるとした・・」

「よく知ってるわね。そのとおり、ユダヤ律法は『〜せねばならない』という項目が248、『〜してはならない』というのが365個もあって、その法を守らなければ天国には行けず、自分がそれを守るためなら他人を見捨てることも厭わないという考え方なのよ」

「他人を見捨てる、って?」

「例えばモーセの十戒には、『安息日を心に留めて聖く別けなさい。主の安息日には如何なる仕事もしてはならない』とあるけど、ユダヤ教では安息日に料理をするのも灯りを灯すことも労働とされてしまうので、これを守ると食事もできなくなってしまう。だから金持ちは貧乏人を雇って労働や料理をさせ、自分たちは何もせずに安息日を守った」

「・・な、なんという浅ましい屁理屈なんだ!」

「そんな具合に金持ちは財力で律法を守り、神殿に多くの供物を捧げることで正しい行いをする人、天国に行ける人とされ、貧乏人は生活のために律法に背かざるを得ないので、正しくない人、天国に行けない人とされた。反対にイエスは罪人でも家に招き、安息日であっても病人を癒やし続けた」

「そんなイエスを、パリサイ人が放っておくわけはないね───────」

「そういうこと。心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、隣人を自分のように愛することは、どのような捧げ物や生贄(いけにえ)よりも尊いと言って憚らず、人々の心を捉えていったイエス・キリストは、パリサイ人の律法をことごとく否定し、律法を破ったために、人々を惑わし神を冒涜したとして総督のピラトに訴えられ、終には処刑された、というワケね」

「しかし、元々イエスはユダヤ人だったと主張する人が居たり、”ユダヤ・キリスト教文化” という言葉まであるけれど・・?」

「イエス・キリストは金髪で碧眼のガリラヤの住人として、ヨセフとマリアから産まれた。イエスの言語はヘブライ語ではなく、ガリラヤ訛りのアラム語だった。ガリラヤに住んでいたユダヤ人は極くわずかな人数だったし、ガリラヤの人々はヘレニズム(ギリシャ文化)に好意的で、野蛮で粗野なユダヤ人に反発していたという事実があるわ。
 つまりイエスがユダヤ人であるなど、とんでもないでっち上げでしょうし、本来キリスト教の学者たちは誰よりもその事実をよく知っているはずよ」

「それじゃ、ことさらそう主張したがる人間というのは・・」

「もちろんユダヤ人たちでしょ。キリスト教と敵対を続けるよりは、イエスをユダヤ人にしてしまった方が手っ取り早いということよ。ところが、イエスはユダヤの神殿に行って、彼らが黄金の仔牛像の前で、今で言う証券取引のようなことをやっているのを見て、その祭壇をひっくり返したでしょ。さらには律法学者とパリサイ人に対して説教まで行った。同じユダヤ人なら決してそんな事をするワケがないわ。
 彼らはそんなイエスの勇気と度胸に心底驚いたけれど、シオンの長老団はもはやイエスの存在に耐えられず、最重要危険人物として、密かに計略を巡らし、ピラト総督に訴え出て、群集心理を利用してイエスを処刑させようと企んだ、と言うのが真相よ」

「そのやり方は、リンカーンの暗殺とオーバーラップするね。自分の手は汚さないが、相手はきちんと抹殺し、その後には自分たちの都合の良い世界が残る」

「同じ手口ね。ヒトラーを世界一の極悪人に仕立て上げたのも、ケネディを暗殺したのも、すべて同じやり方、同じ考え方よ」

「ケネディ暗殺────────?」

「ああ、まだ話ををしていなかったわね。ケネディ大統領は、リンカーン暗殺から約百年後の、1963年11月22日の金曜日、現地時間(CST)12時30分に、テキサス州ダラスでオープンカーでパレード中に暗殺されている」

「事件を特集した報道フィルムを観たけれど、発射された銃弾の数、飛んで来た方向、犯人と言われるオズワルドが逮捕されて2日後に射殺され、その射殺犯も不自然死を遂げた。
 政府の公式見解の報告書も矛盾だらけで、事件後から三年の間に真相を追うジャーナリストや目撃者、証言者など20人もの人たちが死亡したという。六人が射殺、三人が交通事故、二人が自殺、一人は喉を搔ききられ、もう一人は首を折られて死亡している。あまりにも疑惑が多すぎるね」

「よく知ってるわね。ついでに言うと、暗殺後1967年2月までにこれらの目撃者が死亡する確率は1兆の10万倍分の1であると、英国のロンドンサンデータイムス紙が結論づけた。
 また、ジム・マース著のクロスファイアーという本には、ケネディ暗殺以後に死亡した、明らかに事件に関係のある人々のリストがあり、それによると、1963年11月の事件直後から1976年7月までの間に、計77人の関係者が死亡しているというわ。
 1977年に米国下院がこの事件を調査したけど、その年にも15人の関係者が他殺や自殺、事故死などで死亡しているのよ」

「そのケネディ暗殺も、リンカーンと関係があるのかい?」

「大いに関係があるわ。それを解けば病めるアメリカの根元が理解できるかも」

「ユダヤの話ばかりで食傷気味だから、ちょっとケネディの話をしてよ」

「ケネディ暗殺の真相ね──────それについては本当に様々なことが言われているけれど、誰もそれを ”金融の視点” から観ていないのが特徴よね」

「と言うと、ケネディもリンカーンと同じことをやった、ってコト?」

「ちょっと前に話した、リンカーンが政府の通貨を発給したことに対して、イギリスのタイムズが書いたことを覚えているかしら?」

「覚えてるよ─────新しい紙幣を発行することで、アメリカ政府はコストを掛けずに通貨を供給でき、その結果アメリカは債務を完済して債務の無い政府となる。アメリカは商業活動に必要なすべての通貨を持つことになり、史上類の無い繁栄をし、すべての国の人材や富がアメリカに移動する。アメリカは打倒されるべきだ。そうしなければやがてアメリカは地上のすべての国家を破壊するだろう・・・そんな事だったかな」

「先ずはその辺りから説明するわ。タイムズが『アメリカ政府は打倒されるべきだ』と書いたことはとても重要なポイント。リンカーンが政府の紙幣を発行したことによって、国際金融資本家が作り上げてきたマネーシステムが崩壊してしまうわけだから、これは彼らにとっては一大事だった」

「ふむ。通貨発給権を握っていさえすれば、いくらでも市場を操作できるワケだど、政府が紙幣を発給するシステムになると、所詮は彼らは民間銀行なので、政府の紙幣を預金して貰って、それを元に貸し出して利子を取ることしかできない。それでは通常の銀行業務と何も変わりがないので、自分たちが国家の ”中央銀行” を手中にしている場合とは儲けのケタが幾つも違ってくる、というワケだな」

「そのとおりよ。そしてリンカーンに限らず、アメリカの歴代大統領で暗殺の対象となった人たちの多くは、中央銀行設立に反対をした人や、中央銀行の機能を無力化する政策を採った人たちだった。第16代エイブラハム・リンカーン、第20代ジェームス・ガーフィールド、第25代ウィリアム・マッキンリー、第35代ジョン・ケネディの四人は暗殺されたし、第7代アンドリュー・ジャクソン、第40代ロナルド・レーガンの二人は暗殺未遂が起こった」

「ケネディは、いったい何をしたんだろう。当時はすでに連邦準備銀行制度があったはずだけれど」

「そうそう、FRB連邦準備銀行の話も、まだ中途だったわね。モルガンが所有するジキル島クラブでの秘密会議が開かれ、FRB設立が討議されて・・・」

「そこまでは聞いたよ。国家の中央銀行を作るのに、なぜ秘密会議が必要なのか、という疑問が残るよね」

「それは国家のための中央銀行ではなかったということよね。リンカーンを暗殺して法定通貨を粉砕し、何度も大恐慌を起こしてアメリカの経済支配を強めていった国際金融資本家たちは、彼らの最終目的である ”通貨発給権” を手中に収めるための最後の仕上げとして、いよいよ中央銀行設立を目前としていたのよ」

「たしか、ドイツ系ユダヤ人でクーン・ローブ商会の経営者、ポール・ウォーバーグがその秘密会議の中心的存在だったと・・」

「そう、そしてウォーバーグの背後にはロスチャイルドが居る。つまりこの会議は、揃いも揃って、ロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーのユダヤ国際金融家によって為されたというわけね」

「それで、この秘密会合で決定されたことは?」

「それが FRS(Federal Reserve System=連邦準備制度)という、誰が耳にしても何のことだかピンと来ない、不思議な名前のシステムについてよ」

「確かに、何のことだかサッパリ分からないな─────どうしてそんな名前を?」

「それが彼らの狙いね。”通貨発給権を奪う” という自分たちの真の目的を隠すために、一見ワケの分からない暗号のような名前を付け、中央銀行を連想させるような呼び方を避けた。そして彼らがまとめた ”連邦準備法案” は、いよいよ議会に提出されることになった」

「如何わしいものなら、議会が承知しなければ良いだけの話じゃないの?、アメリカは民主主義国家なんだから」

「ところが、その法案を議会で可決させるために様々な裏工作が行われた挙げ句、1913年のクリスマスイブの前日である12月23日に、ほとんどの議員たちがクリスマス休暇で不在というドサクサを狙って、ロクに審議されることもなく可決され、時の大統領ウィルソンが署名をして、あっけなく連邦準備法案が成立してしまった。こうして、アメリカ政府がただの一株も所有できない仕組みの、民間の中央銀行が出来上がったというワケ」

「それはちょっと、ほとんど詐欺みたいなものだな」

「合衆国憲法では、通貨発行は議会の専権事項とされているのに、それを民間が保有する中央銀行が行うのは問題よね。しかも株主は民間銀行のみで、政府は一株も所有できないの」

「それは完全に憲法違反だな」

「それに、FRB議長の選任は、大統領が上院の同意を得て任命する事になっているけれど、大統領も議会も、事実上FRBの理事会が推薦した人物を承認するだけ。実質的な人事権は政府にも議会にも無い、という不思議なシステムになっている」

「邪魔をされないように、システムが工夫されているんだね」

「米ドルを発行したFRBはそれを財務省に貸し付ける。そしてFRBは貸し付けた額と同じ米国債を財務省から受け取る。すると黙っていても国債の利子が自動的にFRBの株主に支払われる。その額はアメリカ国民から得た税収の20%にも相当するのよ。さらに、FRBは民間の企業でありながら法人税は免除されており、国債の利子は100%彼らのものになる。
 国債の金利が上がれば彼らは笑いが止まらず、アメリカ政府と国民は何も知らないまま涙を流すことになる」


 実際に、1913年に連邦準備制度が創設された時、それを ”信用詐欺” だと指摘したロンドンの有名な銀行家がいる。彼はこのように語っている。
 『連邦準備制度を理解する少数の人間たちは、利益を得ようとするか、その恩恵に依存しているため、彼らから反対の声は上がらないだろう。しかし大衆のはとんどは、この制度自体を理解する能力がないので、この制度が自分たちの利益に反するとは疑いもせず、誰も文句も言わずに、いつの間にか重荷を背負うことになる』

 また、アメリカ人の発明家であるトーマス・エジソンも、こう語っている。
 『わが国が、債券は発行できるが通貨は発行できないというのは馬鹿げている。債券も通貨も、支払いをするという約束なので、この点では同じだろう。しかし、一方は高利貸しに有利なもので、もう一方は人々を支えるものなのだ』─────

 大西洋単独無着陸飛行で名高いチャールズ・リンドバーグ下院議員も、連邦準備法が可決された際に次のように述べている。
 『連邦準備法は世界で最も巨大な信用を規定するものだ。ウィルソン大統領がこの法案にサインすれば金融権力という見えない政府が合法化されることになる。この銀行制度と通貨に関する法案によって、世紀の重大犯罪が準備されることになるのだ』

 そして、そのウィルソン大統領は後年、彼がその人生を終える間際になったときに、
 『私は一番不幸な人間だ。知らず知らずのうちに自分の国を破壊してしまった』
 と、その法案にサインをしたことを後悔する言葉を残している。



「ちょっと具体的にそのシステムを説明してくれないかな?」

「いいわよ。例えば、アメリカ政府に1億ドルが必要になったとするわね」

「ふむふむ・・・」

「すると先ず始めに、政府はそれをFRBに伝える。FRBはそれを受けて証明書類を作り、政府の口座に1億ドルの数字を打ち込む」

「それで?」

「That's all. それでオシマイ!、これで1億ドルの通貨が発行されたことになる。実際的に紙幣が必要になったら、財務省が印刷して紙幣を流通させるワケ」

「うーん、なんだかキツネに抓まれたような・・・」

「これは形式的には政府が1億ドルの債券を発行して、FRBがそれを引き受けたというカタチになっている。さっきも言ったようにこれは借金なので、政府がFRBにその利子を払う必要があるワケ」

「─────ってコトは、政府がドルを発行するたびにFRBの株主、国際金融家にその利子が転がり込むってことじゃないか」

「そのとおりね」

「でも、そこで支払われる利子は、アメリカ国民の税金から出ている・・」

「そういうこと。米ドルを発行しているのは無国籍の国際銀行家、インターナショナル・バンカーと呼ばれる人間たち。彼らの胸三寸でアメリカ経済をインフレにする事も出来れば、ドルの供給を減らして大恐慌にすることも出来るのよ」

「そんなバカな話が・・・たかが一介の民間企業に、国家経済を牛耳る権限があるなんて、全くもっておかしな話じゃないか、アメリカ国民は無国籍の国際銀行家に、自分たちの生殺与奪の権限を与えてしまったと言うことだ!!」

「しかもそれは、1913年から何も変わらず、未だにずっと続いている」

「これはある意味、現代の ”錬金術” だな」

「ウマいことを言うわね。そう、彼らが知恵を出し合って考えに考えた上、現代版の完全な錬金術を作り上げたのよ。書類を作って数字をコンピュータに打ち込むだけで巨万の富が転がり込んでくる。まさに濡れ手に粟、こんなボロい商売はないわね。そして最もその被害を受けているのはアメリカの一般国民であるという哀しい事実が・・」

「ちょ、ちょっと待てよ・・そうだ、他人事じゃないぞ、日本はどうなっているんだ?」

「日本は政府がニチギン(日本銀行)に55%を出資しているので、アメリカのような100%民間出資の中央銀行とは、少しシステムが違っているわね」

「ああ、よかった────────」

「でも、あまりホッとしても居られないわよ」

「な、なんだ、脅かすなよ・・」

「彼ら国際銀行家たちは、すでに日本に対しても強力にグローバル化を求め始めているし、その為にありとあらゆる方法で様々な圧力を掛けようとしているわ。アメリカ人よりも勤勉で繊細な日本人に、その錬金術を適用しない手はない、というのはユダヤじゃなくても思いつくコトよね」

「具体的には、どんなことを始めているんだろうか・・何かその兆候は?」

「すでに日本では、日銀の独立性や完全自立を主張する人たちが存在している。二度と戦争を起こさないようにする為だとか何とか、尤もらしい理由を付けて、政府と完全に分離した日銀の独立性を確保するべきだ、と言っているのよ」

「それは逆だろう、無国籍の、グローバリズムを推進するような国際銀行家が日銀を牛耳るようになったら、イザ敵国が侵略を始めたら、その途端に戦費を自国で調達できない、ってことになってしまう!、リンカーンも政府自身が紙幣を刷ることで南北戦争を乗り切ることができたんだから」

「日本が侵略国にさえ立ち向かえなくなること、それが狙いでしょうね。日本人はもう少しそういう事に敏感になるべきね。中央銀行の独立性を確保するには日銀を完全に ”民営化” するしかない、というような意見が出てきたら要注意・・・そもそも、日銀を独立させるのに民営化する必要などなく、政府が100%出資して財務省から独立した国営の中央銀行を作れば良いだけのことでしょ。ナンでもカンでも民営化にしましょう、と言う人たちは怪しいと思わないとイケないわね!!」


 ここでヘレンが語るアメリカ連邦準備銀行設立の経緯は全て事実に基づいているが、日本にも深く関係するアメリカ中央銀行カルテルの欺瞞については、ユースタス・マリンズ著の『民間が所有する中央銀行(秀麗社/1995年刊)』に詳しい。アメリカ最大のタブーで、今なお秘密にされ続けている「連邦準備制度」の内幕に挑んだ労作で、日本語で読める貴重な本である。
 因みに、本書の出版に際しては米国内の19の出版社が何かを怖れるように嫌がって断り、ドイツでは訳本が駐留米軍によって焚書にされた。焚書を命じたのはハーバード大学の総長にもなった科学者で、敗戦国ドイツの高等弁務官であったジェームス・コナントであるが、彼はトルーマンが日本への原爆使用を決めかねていた際にそれを執拗に勧め、遂にはそれを説得し得た人間としてもよく知られている。
 著者のマリンズは国際金融資本家の研究に40年の歳月を費やし、多方面からの迫害と非難中傷を浴びつつ、32年間にわたってFBIの監視下に置かれ続けた。連邦議会図書館を解雇された唯一の職員であり、1945年以降の西欧で著書が焚書処分にされた唯一の研究者としても知られている。



「話を戻すけど、ケネディは、なぜ暗殺されたんだろうか─────?」

「ケネディは、”財務省証券” という、政府の紙幣を新たに発行したのよ」

「リンカーンのグリーンバックスみたいに?」

「そうね。ケネディは、FRB連邦準備銀行が民間の企業でありながらアメリカ経済を手中にしていることを違法行為であると懸念し、恐らくはそれを修正するために財務省証券という紙幣の発行に踏み切ったのだと思われるわ」

「実際にケネディは、彼らを名指しで、何かを言ったことがあるのかい?」

「名指しではないけれど、秘密結社(Secret societies)がマスコミや政治をコントロールしている脅威について演説をしたことがあるわ。
 ”秘密主義” というものが自由で開かれた社会にとって非常に不快なもので、アメリカは歴史的にも、秘密結社の ”秘密の誓い” や ”秘密の議事録” に反対してきた民族だと言って、そのようなものに対して断固として立ち向かう姿勢を示したの。
 ケネディは、FRBを私有する国際銀行家たちが、ユダヤの秘密結社にも深く係わる人間たちだということをよく知っていたはずだから、それを排除するために政府紙幣を発行したことは間違いないでしょうね」

「財務省証券、というのは?」

「1963年6月4日付、大統領行政命令/第11110号。『財務省に影響のある一定の機能の履行に関する修正』というのがそれに当たるわね。政府紙幣はFRB発行の銀行券とほぼ同じデザインで、FRBのマークがなく、その代わりに United States Note(政府発行券)と記されていた」

「政府紙幣の発行がFRBを無視した行為だという事は分かるけど、それがケネディ大統領の暗殺につながる根拠というのは?」

「簡単なことよ。ケネディ暗殺後の動きを見れば分かるわ。ケネディの暗殺後、次の大統領に就任したジョンソンが真っ先に手を付けた事は、ケネディが発行した総額42億ドルの紙幣の回収だった。アメリカの流通をすべて止めて、全てに優先してその紙幣の回収を急いだ。ジョンソンはケネディの遺志を受け継ぐどころか、何の躊躇もなくそれを行ったの」

「なるほどなぁ・・どんな事件にも因果関係がある。そこで誰が得をするか、損をするか、それを追って行けば、バックに誰が居たか、何の目的でそれが行われたかが自ずと明らかになってくる、というわけか─────」

「そして政府紙幣を発行したその同じ年、わずか半年後に、ケネディは暗殺された」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )






  *次回、連載小説「龍の道」 第181回の掲載は、7月15日(金)の予定です


taka_kasuga at 20:30コメント(17) この記事をクリップ!

2016年06月15日

連載小説「龍の道」 第179回




第179回  SURVIVAL (11)



 ヘレンが宏隆に語って聞かせた話は、およそ以下のようなものである。
 少々長くなるが、「ユダヤ」というものを理解する為に、私たちもしばし旧約聖書の物語に入って行きたい。


 ───────ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の始祖であり、ノアの洪水後、神による救済の出発点として選ばれ、祝福された最初の預言者であるアブラハムと、その父であるテラは、ユーフラテス川の下流、ペルシャ湾まで百数十キロほどの所にあるカルデアのウルという土地に住んでいたが、テラが息子のアブラハムを伴って、ユーフラテス川を遡った上流のハランという所に移住し、205歳で没するまでそこで暮らした。

 テラの死後、アブラハムは神の命に従って、妻である姪のサラと、甥のロトと共にハランからカナンに移住した。
 このとき神はアブラハムに『あなたの生れ故郷、あなたの父の家を出て、私が示す地に行きなさい。そうすれば私はあなたを大いなる民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の全ての民族は、あなたによって祝福される』と告げた。
 
 アブラハムの一行がいよいよカナンの地に到着すると、目前に神が現れて『あなたの子孫に私はこの土地を与える』とアブラハムに告げた。
 しかし、そのカナンは聖書に描かれる ”乳と密の流れる所” であるどころか、大飢饉に見舞われた不毛の土地であったので、行き先をエジプトに変更し、エジプトで食糧を得て再びカナンに戻ってきた。
 「約束の地」カナンは、古代エジプト王朝の州名にも出てくる古い土地であり、その領域は地中海を西の境として、北はレバノンのハマト、東はヨルダン川、南は死海からガザまでを含んだ辺りの地域とされる。

 アブラハムは85歳になるまで子宝に恵まれなかったが、正妻であるサラの勧めによって、サラの女奴隷であったハガルを側室にして、イシュマエルという名の子供を設けることができた。しかし、やがて90歳になった正妻のサラが身ごもりイサクを出産すると、庶子であるイシュマエルと側室のハガルが邪魔になり、ある日ハガルとイシュマエルがイサクをからかった事をきっかけに、母子は砂漠へと追放されてしまう。
 母子は長く荒野を彷徨い歩き、食料も水も尽きてしまったが、天使がハガルに井戸のある場所を教え、二人は生き延びることができた。その後、母子はシナイ半島に暮らし、イシュマエルはエジプト人の妻を迎えて、シナイ半島からヨルダン南部に到る地域に住む人々の祖となったという。ユダヤやイスラムの世界では、イシュマエルは全てのアラブ人の祖先と見なされている。

 アブラハムの正妻サラの子であるイサクには、双子の息子であるエサウとヤコブがいた。兄のエサウは力自慢で狩猟の名人、弟のヤコブは世話好きで頭が良かった。
 ある日、ヤコブが家で食事をしているとエサウが腹を減らして帰ってきた。そこでヤコブは自分に長子の相続権を譲ってくれたらこの食事をあげようと言った。空腹のエサウはつい軽い気持ちでそれを承諾してしまう。
 この頃のユダヤ人の主食は大麦を粗く挽いた粉で作ったパンであり、聖書の創世記には、この時にヤコブが兄に示した食事はひと碗の羹(あつもの)であると書かれている。これはレンズ豆のスープのようなものであるが、エサウはそのスープ欲しさのあまり家督権をヤコブに譲ってしまったことになる。

 やがて父のイサクが歳を取って、目があまり見えなくなってきた頃、後継ぎを兄のエサウに与えるため、エサウが獲物をとって自分の為に料理をしてくれたら祝福を与えようと言ったが、それを聞いた母のリベカはヤコブと謀って、エサウが狩りに出ている間にヤコブがエサウの振りをして祝福を受けられるように仕向けた。エサウは毛深く、ヤコブは毛深くなかったので、ヤコブは見破られないように山羊の毛皮を腕に巻き、目がよく見えない父親を欺いて祝福を受け、まんまと長子権を獲得してしまう。

 戻ってきた兄のエサウはそれを聞いて激怒し、そのためにヤコブは兄から命を狙われることになり、母リベカの故郷で暮らしている叔父ラバンの元へ逃亡する。 
 逃亡の途上、ヤコブは夢を見る。「ヤコブの夢」として知られるこの夢は、地上から天まで光の階段が輝いて掛かり、多くの天使が往き来していた。ヤコブの傍に神が立ち、この土地をお前とお前の子孫に与える、お前の子孫は偉大な民族になる、という啓示を受ける。

 逃亡先の叔父ラバンの許には、レアとラケルという二人の娘が居て、ヤコブは妹のラケルに心を惹かれ、それを叔父ラバンに打ち明けると、七年間叔父の許で働けばラケルを嫁にやると言った。ヤコブは七年間懸命に働き、叔父の牧場はずいぶん豊かになった。
 七年後、念願どおりラケルと結ばれたが、夜が明けてみると一夜を共にした妻の顔は姉のレアであった。驚いて叔父に詰問すると、姉より先に妹を嫁に出すことはできないなどと言い訳をして、もう七年間働いてくれたら望みどおりラケルも妻にさせると言われ、仕方なくヤコブはそれに従う。

 さらに七年が経ち、合計14年の年季が明けると、ヤコブは妹のラケルを二人目の妻として娶り、ようやく父イサクの居るカナンの地へと帰途に就く。しかし帰路の途中の宿営地で、闇の中で何者かが凄まじい力で掴みかかり、激しく争って朝まで格闘することになった。
 相手がヤコブの腿を激しく打ったので関節が外れてしまったが、それでもヤコブは決して相手を放さず、ついには相手の方が「もう帰らせてくれ、夜が明けてしまう」と言ったが、ヤコブは、「いいえ、祝福して頂くまでは絶対に放しません」と言った。
 お前の名は何というのかと訊かれ、ヤコブであると答えると「お前は今後イスラエルと呼ばれることになる、神と闘って勝った人だからだ、今後はあらゆる人と戦って勝つだろう」と言ってヤコブを祝福した。
 この「ヤコブと天使の闘い」は多くの画家によって同じテーマで描かれている。
 また、イスラエルとは「 yisra-el:イシャラー(勝者)・エル(神)」のことで、神に勝つ者という意味である。これが後にイスラエル国名の由来となった。

 カナンの地に戻ったヤコブには12人の息子が居た。後にイスラエル12支族の基礎となる息子たちであるが、ヤコブはとりわけ最愛の妻ラケルの子供であるヨセフとベニヤミンを溺愛した。ヨセフは11番目の息子、ベニヤミンは12番目の末っ子であり、現在でも英語圏ではベニヤミンの英語読みであるベンジャミンを末の息子の名前に付けることが多い。
 ヨセフは頭脳明晰で、父のヤコブも将来を期待していたので兄たちから妬まれ、17歳の時に兄たちの陰謀によって奴隷商人に売られエジプトに送られてしまう。兄たちは父ヤコブにはヨセフが野獣に襲われて死んだと報告し、ヨセフの服に山羊の血を着けて見せる。ヤコブはそれを見て本当だと思い込み、悲しみに暮れた。

 ヨセフが奴隷に売られた先の主人は、エジプト王の侍従長であるポテファルであった。
 しかし、誠実で賢明なヨセフは間もなくポテファルにその能力を買われ、奴隷の身から彼の家の管理を任せられるまでに出世する。
 ある夜、ポテファルの妻がヨセフを誘惑するがヨセフは断り、逆恨みをした妻はヨセフに襲われたと夫に偽りを告げたので、無実の罪で牢に入れられることになる。
 しかし監獄の中でもヨセフは優れた能力を発揮し、信頼できる囚人として監獄の所長から認められ、副官のような立場になった。

 ヨセフは、獄中で親しくなった元王宮の役人だった囚人に、彼が見た夢を解き明かしてやったことがあったが、その2年後に、エジプト王が不気味な夢を見て不安に駆られ、賢者たちにその夢を解き明かすよう命じたが、満足する解答は得られなかった。
 刑期を終えて復職をしていたその男が、ヨセフが夢見を解いた能力を王に告げると、王は興味を持って自分の夢を解析させた。ヨセフはその夢を見事に解き明かし、来たるべき七年間の大豊作と、その後に続く七年間の大凶作を予言し、それに対する準備や具体的な対策まで提言をした。
 エジプト王や側近の高官たちはヨセフの優れた能力と知性の高さを認めざるを得ず、その夢占いから新たな経済政策を立てたお陰で、飢饉にも充分に対処できる食料の備蓄をしたので、大凶作の年でもエジプトは飢饉にならなかった。
 王はヨセフを可愛がって宰相の地位を与え、自分の副官的な権限を持つ側近として大切にし、以後ヨセフは名宰相ぶりを発揮してエジプトを栄えさせた。

 同じ頃、父のヤコブや兄弟たちの居るカナンの地も長い年月に亘って大凶作に見舞われ、ヨセフの兄たちがエジプトに救いを求めてやって来た。ヨセフは彼らに自分が弟であることを明かし、王の許しを得て一族を救済するためにエジプトに呼び寄せ、父ヤコブも他の兄たちも、ヨセフが王の信頼篤い宰相として采配を振るうエジプトの地で暮らし、一族はその後モーセの時代まで約四百年間をエジプトに定住して過ごした。
 ユダヤ人である古代ヘブライ人を厚遇した王朝は、紀元前1730〜1580年頃のヒクソス王朝であり、迫害したのは第19王朝ラムセス2世の時代であると言われている。
 このヨセフの四代後に生まれてくるのが、出エジプト記に登場する、あのモーセである。

 古代ヘブライ人であるユダヤ人がエジプトに増えすぎたことを懸念したファラオは、ヘブライ人の男児を全て殺すように命じたので、隠しきれなくなった親はパピルスの籠に乗せてナイル川に流す。たまたま水浴びをしていたファラオの王女がそれを拾い上げ、自分の子として育てることになり、モーセの姉の機転で実母が乳母として雇われる。

 成長したモーセは、ヘブライ人が虐待されているのを見兼ねてエジプト人を殺害するが、それが元で出生の秘密を知られ、王に追われることになり、アラビア半島に逃れて羊飼いとして暮らす。ある日燃える柴の中から神に語りかけられ、ユダヤ人を約束の地へ導くよう命じられる。
 モーセはエジプトに戻り、ファラオにユダヤ人を解放するよう求めたが許されず、そのために「十の災厄」がエジプトに降り掛かり、終には十番目の災いとして、人間から家畜に到るまで、ファラオの息子を含む全てのエジプトの長子が無差別に殺害された。
 このとき神は、目印の無い家には災いを与えるとモーセに告げ、ユダヤ人たちはその印しとして戸口に仔羊の血を塗って災厄を逃れた。
 このとき、死を運ぶ天使が目印の付いた家だけは過ぎ越して行ったことから、現在でもユダヤ教ではこれを「ペサハ(過ぎ越し)」と呼んで、春分の日を過ぎた最初の満月の日に、三大祝祭のひとつとして盛大に祝う。
 ユダヤ教ではエジプトでの奴隷時代の苦しみと、出エジプトに際して起こった出来事を忘れぬよう、祭りの日には雄の仔羊を屠殺してその血を戸口の両側の柱と梁に塗り、夜にはその肉を焼いて、酵母を入れないパンに苦ヨモギを添えて食べ、子供たちに出エジプト記の物語を朗読して聞かせるのである。

 十番目の災厄が来るに到って、ついにファラオはユダヤ人がエジプトから出て行くことを認め、モーセはユダヤ人たちを無事に出国させ、シナイ山で「十戒」を神から授けられる。
 しかし、約束の地カナンに居た先住民を撃破することができず、その後40年間も荒野を彷徨い歩いた末に、死海の東岸にあるモアブのネボ山に登り、カナンの地を遠望してネボ山で没する。ネボ山は現在のヨルダン西部にある海抜817mの山で、晴れた日は46km離れたエルサレムのオリーブ山も見えるところである。

 モーセの後を継いだヨシュアはユダヤの全支族を引き連れ、東方の荒野からヨルダン川を越え、カナンに攻め入って征服し、クジで各支族に各々の領地を割与えた。
 それ以後はユダヤ人がカナンの地を支配するようになり、やがて紀元前995年頃、ダビデが「イスラエル統一王国」を築き、ダビデの死後はその子ソロモンが王国を継いで諸外国との交易を盛んにし、王国はかつてない栄華を誇り、エルサレムに大神殿が建った。
 しかしソロモンの死後には王国の統一体制が崩れ、やがて10支族がイスラエル王国(北王国)として独立し、エルサレムを中心とするユダ王国(南王国)と分離した。両国は互いに争い続け、そのために国力が衰えた。

 やがて紀元前721年、アッシリアに攻め入られ、イスラエルの首都サマリアが陥落して、ここにイスラエル王国は滅亡する。このときにイスラエルを離れて行った者たちは、その行方が知られていない故に、後に「失われた10支族」と呼ばれる。
 一方、南のユダ王国は、貢納(こんのう)を条件にアッシリアと和議を結び、独立を保った。やがて紀元前612年にアッシリアがバビロニアに滅ぼされたため、かつての北王国の領土が開放され、ユダ王国の王ヨシヤはユダヤ教の改革を通じて国家の再建を図った。

 紀元前609年、エジプトのファラオ・ネカウ2世は、崩壊していたアッシリア王国を支援してバビロニアを撃退するため、メソポタミアに遠征した。
 途中、ユダ王国を通過する必要があるために、ユダ王ヨシアにエジプト軍の通行を要請するが、ヨシアはエジプト軍が一方的に領土に侵入したとしてネカウの要請を無視してメギドの地で闘いを挑み、エジプト軍の圧倒的勢力の前に敗北し戦死した。「メギドの戦い」として知られるこの戦いによってユダ王国の独立は再び失われ、エジプトの従属国となった。

 紀元前597年、新バビロニアがエルサレムに侵攻し、ヨヤキン王を含めた約一万人のユダヤ人をバビロンに連れ去って捕虜とした。これを「第一の捕囚」と呼ぶ。
 その後、ユダ王国は新バビロニアの貢納国となり、十年後にゼデキア王が独立を試みるが翌年には再びバビロニアに攻められ、エルサレムの城壁や神殿が破壊され、ここにユダ王国は滅亡する。この時にも多くが捕虜としてバビロンに捕囚として連行された。これは「第二の捕囚」と呼ばれる。

 ユダヤの捕囚たちは、戦乱で荒廃したバビロニアの減少した人口を補うため、灌漑用運河の側に移住させられ、独自の居留地を形成することを許された。また職人などはバビロン市に移住させ、建設事業に従事することになった。ユダヤ捕囚たちは決して劣悪な奴隷の扱いを受けていたわけではなく、自由にそこでの生活を満喫していた。
 歳月が流れ、ユダヤ人は徐々にバビロニアの文化に染まり、かつての王族でさえバビロニア風の名前を孫につけたりする現象が見られた。文字も旧来の古代ヘブル文字に代わってアラム文字の草書体が使用されるようになった。
 しかし、一方では宗教的な繋がりを深め、神殿の無い代わりに律法が心の拠り所とされ、ヤハウェの神はユダヤ教に限った神ではなく、世界を創造した唯一神であると定義されるようになった。バビロニアの神話に対抗するために「天地創造」の物語が新たに書き加えられていったのも、この時代のことである。

 新バビロニアは、ペルシアのアケメネス王朝によって滅ぼされ、キュロス王は紀元前538年にユダヤ人捕囚を解放して故国の再建を許した。しかしエルサレムに帰ったユダヤ人はわずかに2〜3割ほどで、多くはバビロニアに留まった。
 ペルシア王の下でエルサレムの神殿が再建され、その後もユダヤ教の祭司エズラの指導のもとで集団帰還が行われ、国家の整備とユダヤ教の確立が行われた。ユダヤ人が他の民族との結婚を禁じるようになったのもこの時からである。

 やがてヘレニズム時代を経てローマ時代になり、紀元前1世紀頃にはローマの属州となり「ユダヤ地方」と呼ばれるようになった。ユダヤ地方はその後も度々ローマに反抗を続け、手を灼かせ続けたが、紀元135年にコクバという者が率いる反乱を鎮圧したローマ皇帝は、幾度も反乱を繰り返すユダヤ民族を弾圧するために、それまで属州だったユダヤ地方の名を廃し、新たにシリア・パレスチナ属州と改名した。この地がパレスチナと呼ばれるようになったのはこの時以来である。

 間もなくユダヤ人はローマ帝国中に散らばって行き、神が与えたはずのカナンの地からあっけなく胡散霧消してしまった。ユダヤ人がカナンに定住していたのはローマ時代までの千数百年間のみであり、それ以前もそれ以後も、彼らが約束の地であるカナンに居たことは無かった。
 その後、西ローマ帝国が滅亡し、ゲルマン人の国家が建国され、キリスト教が広まるにつれて、ユダヤ人も民族として形成されていった──────────

 

「・・と、まあ、ここまでは一般常識的な聖書のお話ね」

「ふぅん・・・・」

「あら、ちょっと話が分かりにくかったかしら?」

「いや、改めて聖書の物語を聞くと、何ともまあ、オドロオドロしい話ばかりでゾッとするなぁと・・これじゃナザレのイエスじゃなくても、人々に愛を説きたくなってくる」

「あはは、入院していても、ヒロタカ節は健在ね!」

「でも、旧約聖書なんかじゃ、あまりにも古い時代の話だから、ユダヤが何であるのか今ひとつピンと来ないな。何かもっと、現在のユダヤのことまで理解できるような、そんな確かでリアルな情報が欲しくなってくる」

「さっき、バビロニアがペルシアに滅ぼされた話をしたけれど─────」

「ああ、捕囚として連れて行かれた割には、何だか待遇が良かったみたいだね」

「だけど、それからわずか五十年ほどでバビロニアは滅んでしまった」

「ペルシアが侵攻してきたんだったよね」

「けれども、ペルシアのキュロス王は、自分がバビロニアを滅ぼせるほどの十分な軍事力を持っていない事をよく知っていたのよ」

「えっ?・・それじゃ、どうやってバビロンを攻めることが出来たの?」

「驚いたことに、バビロニアに住むユダヤ人の密使がキュロス王のもとを訪れ、ペルシアが攻めて来るなら喜んで城門を内側から開く、と申し出たのよ」

「な、なんと・・・!!」

「ペルシアは当初その申し出をワナだと思ったけど、ユダヤは結局キュロス王を納得させ、見返りとしてかつてのイスラエルの土地をユダヤ人に返還するよう約束を取り付けた」

「・・そ、それで?」

「内側から城門を開けられたために、呆気ないほど難なく制圧が成し遂げられ、バビロンの町は戦わずして落ちたのよ」

「それじゃ、攻め入ったと言っても、バビロンの攻防戦などは全く無かったんだ!」

「そういうコト。そしてペルシアの支配となってもユダヤ人の多くが故地に帰らなかったのは、バビロンの住民から何でも略奪することを許されたからよ。さらに、キュロス王がペルシアに持ち帰らなかった物は全てユダヤ人の財産になった。その結果、ユダヤ人はバビロンの裕福な支配層の階級を手に入れたと言うワケ。彼らはその地にじっくりと住み着き、1626年間にもわたって統治を行った。かつての捕囚の地は、こうしてユダヤ人自身による統治の地となったの。そして・・・・」

「おいおい、何かもっとスゴイことを言い出しそうな顔だな・・」

「マックス・レイディン(Max Radin/1880~1950)は、"The Jews Among the Greeks and Romans"(ギリシャ人とローマ人の中のユダヤ人)という本にこう書いているわ。
 『ペルシア時代には事実上の自治が行われたので、ソフェリーム、すなわち ”律法学者” という、よく組織が整った僧官支配階級の発展を許した。しかし律法学者とは法典を学んだ者のことであり、僧官としての明確な機能を果たしたわけではない』」

「なるほど。つまり著者が言いたいのは、この律法学者たちが僧官ではなく、ユダヤ自治共同体の支配者だった、ということだね」

「そのとおりよ、そして後にイエスキリストを十字架に磔刑(はりつけ)にする宣言をした者たちこそ、この律法学者たちだった、というわけ──────────」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第180回の掲載は、7月1日(金)の予定です

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2016年06月01日

連載小説「龍の道」 第178回




第178回  SURVIVAL (10)



「何というか────────」

「ん・・どうしたの?」

 サイフォンで淹れた出来たての珈琲をすすりながら、ぽつりと宏隆が言った。
 軍の施設にしては、珈琲はまあまあの味だ。

 長い時間ベッドの上で話をして宏隆が疲れた様子だったので、散歩がてら休憩室に行って珈琲を飲もうとヘレンが言い、こうして外の雪景色を眺める窓際に座っている。
 病室と違って、ここは広々として気持ちが良く、のびのびと背中を伸ばせた。

「リンカーンを暗殺し、中央銀行を造って国家通貨の発給権を握ること、日露戦争からロシア革命に繋げることなどが、僕らが学校で教えられた歴史の中身とは全く違っていることには本当に驚かされるね。これまでの歴史だけではなく、いま現在この瞬間にも、そんな力が世界中で働いていて、世界が動かされているんだろうと思うと、居ても立っても居られなくなってくる。世界を陰で操っているユダヤというのは、いったい何なんだろうか?」

「ユダヤは、すでにもっと驚くべきことをやって来ているわ。私たちの目に付かない所で、誰もそれに関心を持たないようにし、反対のことに関心を持つように仕向けてきた・・」

「何のことだい、それは?」

「戦争の在るところには、必ずそこに影のようにユダヤの存在がある。けれども、その反対に、まるでユダヤが被害者を装うような状況もあるのよ」

「でも、実際にユダヤ人は何世紀にもわたって迫害され続けてきたんだから、人道的な意味では被害者だと言えるよね。わざわざ被害者を装わなくてはならない状況というのは、ちょっと考え難いけど・・」

「追い追いに話すけど、長い間迫害され続けてきたことには、それなりの理由もあるのよ。そして、それを違う角度から覆そうとした例もある。例えば、ナチスドイツによるユダヤ人の大虐殺、ホロコースト───────」

「えっ・・・」

「ヒロタカ、”アンネの日記” を知ってる?」

「教科書に出て来るし、夏休みの読書感想文の課題になるくらいだから、日本人なら誰でも知っているさ。アンネの日記は世界で数千万部を超えるベストセラーだし」

「第二次大戦後、わずか10年の間にそのアンネ・フランクの名前が世界中に知れ渡り、ユダヤ人を迫害したナチスの残虐行為が明らかにされ、ナチスは極悪非道、ヒトラーは鬼畜に劣る人非人との烙印を押されてきたわけよね」

「そのとおりだね」

「けれども、歴史というものは、ただ教わった通りに観てはいけないし、報道されるままに考えてはいけないのよ。たとえば、その ”アンネの日記” が、実は誰か他の人間によって書かれたものだとしたら、どうかしら?」

「ははは・・まさか、そんなことがあるワケないでしょ!」

「それじゃ、ナチスドイツにユダヤ人絶滅を意図した政策を示す公式の文書が全く存在しておらず、アウシュビッツへの指令書も一枚も無い、実は強制収容所の中にはガス室さえも無かった、としたら?」

「・・そ、そんなことが、そんな事実が本当にあるというのか?!」

「大量虐殺の政策決定を示す議定書や、それを指示した指令書や収容所とのやり取りの書類は、ただの一点も発見されていないわ。ナチスが戦局不利となってきたから全て燃やしたのだろうと言われてきたけど、600万人もの殺害を組織的に行った証拠を全て処分することは常識的に不可能。それに、ユダヤ人の絶滅についてヒトラーが発言したのは後にも先にもただの一度きりで、多くは ”ユダヤ人問題の最終的解決” という言葉だったのよ」

「でも、ガス室で殺しては死体を焼却処分し、土に埋めていたと・・」

「そもそも600万人もの人間をわずか数年間であの収容所で虐殺し続けることは物理的に不可能だし、それだけの人間を焼却炉で燃やすことは、戦車や飛行機の燃料さえ不足していたドイツには絶対に無理なことなのよ。焼却するより土に埋めた方が安上がりなのは自明で、冷静に考えれば、収容所に捕らえた人間と、武器を持って戦わなくてはならない相手と、どちらにお金を掛けるべきかは誰が考えても分かる。むしろ焼却した為に遺体の証拠が余り残っていないという理論は訝しく思えるわね」

「・・・・・・」

「専門的な事を言うと、使用されたという毒ガス《ツィクロンB》は殺虫剤で、通常は加熱することによって青酸ガスが発生する。しかし毒ガスを加熱する装置はアウシュビッツには見当たらない。ツィクロンBは加熱して6時間、5℃で放置して36時間青酸ガスが発生し続けるけど、アウシュビッツのあるポーランドは夏は20〜25℃、冬は最高気温が氷点下となる土地。その問題はどうやって解決していたのか?、それに取扱説明書には換気に10〜20時間を要すると書かれているから、一回のガス虐殺には最低16時間、最高54時間かかる計算になる。アウシュビッツのガス室では32分間に800人の処刑が行われたという証言があるけど、これは完全にウソということになるわね。
 ついでに、この毒ガスは取り扱いに手間がかかり、しかも高価な薬剤なので、頭が良くてケチなドイツ人がわざわざ大量虐殺に用いるとは思えない。大体、ガス室と言われる場所に青酸ガスが使われた痕跡が無く、消毒室(シラミ取りの為のガス室)には高い数値が出ているのよ。私なら殺虫剤じゃなくって、迷わず Sarin(サリン)を使うわ」

「サリン・・」

「そう、イソプロピルメタンフルオロホスホネート、というヤツね」

「イ、イソプロ、プロピリ・・?」

「サリンは1902年にドイツ帝国で造られた有機リン化合物の神経ガス。ナチスがその毒性に注目して、サリンの名称はナチスで開発に携わった人々の頭文字で出来ているの。しかし、ナチスドイツは七千トン以上のサリンを保有していたのに、終戦まで一度もそれを使わなかった。ヒトラーの側近のヨーゼフ・ゲッペルスは戦争へのサリン投入を勧めたけれど、ヒトラーは最後までそれを戦争やユダヤ人の迫害に使わなかった。もしホロコーストが事実だというなら、安くて手っ取り早いそれをなぜ使わなかったのかしら?」

「むぅ・・・・・」

「西側のダッハウ強制収容所では、いよいよガス室が発見されたとして、当時の連合国から写真が一般公開された。しかし写真を分析すると実は衣服に付いたシラミを殺すためのガス室、つまりただの消毒室だった。それ以来、西側に存在する他の収容所でも調査が始まり、次々にガス室は無かったという事が判明していったの。
 反対に、東側に存在する収容所については殆ど情報が公開されず、常に調査が困難で、だけどそこにはガス室があったという証言が山ほどある・・これは何の偶然かしらね。 
 また、第二次大戦前後のユダヤ人の人口の減少よりも、ナチスが殺害したとされるユダヤ人の数の方が遥かに大きいことも不思議だし、数百万人の殺害が行われたなら、その遺骨も膨大な量が見つかるはずだけど、そんなものは何処にも無く、なぜか遺体の灰や骨を埋めたとされる場所を掘り起こすことも許されていない。
 ガス室とされるシャワールームはナチスの病院のすぐ向い側にあって、その部屋には明かり取りの窓まであったそうよ。なぜ機密性の乏しいガス室を作ったのかしら。窓からガスが漏れて、向かいで入院中のナチスの傷痍兵がそれを吸ったらどうするの?、ナチスはまるで間抜けの集団ってコトになるわね」

「確かに・・・」

「実はガス室を示す書類も、命令も、計画書も、設計図も、制作者も、写真も、解剖室も何も見つかっていない。ガス室の存在を裏付ける証拠は何も無いのよ。戦争という大混乱の中でわずか数年の内に600万人をガス室で殺し、その物的証拠が何も残っていない事など常識的に考えて有り得ない。
 事実、ブリンストン大学で歴史学の教授であるユダヤ人のアルノ・メイヤー氏は、ガス室について研究しようと思っても、その情報源は余りにも稀であり信頼のおけないものばかりである、と述べているわ。
 ちなみに、メイヤー氏は処刑で死んだユダヤ人よりも伝染病にかかったり、戦争終結直前に飢えで死んだユダヤ人の方が遥かに多いと言っている。ユダヤ教の教義では異教徒の診療を受ける事は許されないので、チフスにかかっても誰も治療を望まず、ただ死んで行くばかりだったというわ」

「・・それじゃ、アンネの日記についてはどう?」

「アンネ・フランクはオランダ生まれのユダヤ人なのだけれど、日記の原文はドイツ語で書かれている。しかも古典的なドイツ語でね。その文体は13歳から書き始めたにしては不自然なほど大人びているのよ。オランダ生まれの13歳の女の子が、身を潜めた隠れ家の生活の中で、わざわざドイツ語の古典文調で日記を書くかしら?」

「でも、その程度じゃ、ゴーストライター説は証明できないでしょ」

「けれど、その日記はボールペンで書かれているのよ」

「ボールペン?・・筆記用具なんか、べつに何を使っても良いのでは?」

「ところが、ボールペンという物自体、1951年まで実用化されていないのよね。1945年に亡くなったアンネが、ナチスの探索から身を潜めた隠れ家の中で、一般には出回っているはずのないボールペンをどうやって手に入れたのか。
 その疑惑が大きく取り上げられ、日記を保管するオランダ国立戦時資料館は、法務省所属のオランダ国立法科学研究所に鑑定を依頼して、アンネの日記の科学的分析を行った結果、第四章だけがボールペンで書かれている事が確認された。そして第四章の筆跡は、第一章から第三章までの筆跡と同じものであることが判明したの。
 アンネ本人の筆跡も、アメリカの友人に宛てた手紙とは全く違っていた。今では誰もがそれを見られるけど、素人目にも明らかに異なっていて、手紙の方は13歳の少女らしい丸っこい字体で、彼女のサインと一緒。それに、日記は右上がりの文字で、手紙は左上がりのクセがあるのよ」

「うーむ・・それじゃ、そのゴーストライターというのは?」

「アメリカのユダヤ人作家、メイヤー・レビン。彼はアンネの日記が世界的なミリオンセラーとなると、日記出版が生み出す利益の供与を主張し始めた。版権はアンネの父親であるオットーにあったが、メイヤーが版権を主張したために両者は対立し裁判で争うことにまでなった。メイヤーは版権を主張するために、自分がゴーストライターとしてアンネの日記を書いたことを明かしてしまったというワケね。
 メイヤーはアンネの父オットー・フランクから日記作成の謝礼金として5万ドルを受け取ったことを、ニューヨーク最高裁判所で認めているのよ。ニューヨーク州最高裁で、陪審員たちはレビンに対して5万ドルの損害賠償が支払われるべきだと判断を下したが、これは棄却され、翌年1万5千ドルの和解案で双方が合意した。
 もっとも、これらはあくまでもレビンが書いた戯曲などの二次創作の権利に絡んでのものであると、ワケの分からない理由にされているみたいだけどね」

「なんという事だ、悲劇の少女アンネに、そんな裏があったとは・・!!」

「この最高裁判決は、書類ナンバー2241-1956という事まで分かっているのだけれど、なぜかその後、当のファイルが紛失扱いになり、どこかに消えてしまっているのよ。相変わらずユダヤには怪しい話がつきまとうわね」

「むむぅ・・・」

「スウェーデンの記者、ディトリエブ・フェルヂュラーはこう述べているわ。
《1959年、アンネの日記が映画で制作されたとき、アンネが住んでいたアムステルダムの建物を撮影するために、日記に書いてあるとおりに ”改装” しても良いと言われたという。これでは否応なくこの日記への疑問が湧いて来ざるを得ない。
 そもそもこの日記は自己矛盾や文学的な表現に満ちており、とても13歳の少女の日記とは思えない。しかも、何故かその少女は日記の最初にフランク家の歴史について語り、そのすぐ後にドイツに於ける反ユダヤ主義について語っているのが疑問である。また文中に ”オランダ風の梯子階段” という記述があるが、どうしてその階段がオランダ独自の物だと分かったのだろうか。彼女はどのような外国にも行ったことがなかったのである・・》
 そもそもアンネの日記の原本は、なぜか長い期間に亘って全巻が発表されていなかった。そしてアンネの父オットーは、自筆の原稿を公開することを拒否し続けている。テレビに出演しても、自筆の原稿には決してフォーカスさせなかったらしいわ」

「何だか、世の中の汚いところを、まとめて見せられているような気がするな・・」

「まだまだ有るわよ。その ”世の中” には、ホロコーストを否定することを禁止する法律まであるんだから、驚きよね」

「初耳だな、それってどういうものなの?」

「ドイツ、フランス、オーストリア、ベルギー、ルクセンブルグ、イスラエルなどの国々では、アンネの日記の信憑性を疑うことや、ホロコーストの否定、ナチスを支持するような発言、ユダヤ人虐殺やホロコーストを再検証しようとする行為自体が禁止され、ナチス政権下に於けるドイツの犯罪を否定、もしくは矮小化した者に対しては刑事罰が適用されるという法律があるのよ」

「な、何と・・・!!」

「イスラエルでは、外国に対してまで、ホロコースト否定論者の身柄引き渡しを要求できる『ホロコースト否定禁止法』が制定されているわ。何であれ、ユダヤ人虐殺を疑う者は有無を言わせずネオナチ扱いになる。多くの民主主義国家において、言論や表現の自由が完全に規制されているのだから、これはもう国際世論の問題ではなく、よほど大きな力が働いているというコトになるわね」

「うーむむむゥ・・これはエラいことだぞ。悲劇のヒロインが書いた日記は、戦後何十年にもわたって世界中の人の涙を誘い続け、ユダヤ民族が不当な差別虐待を受けてきた事を知って世界中の人が怒りに震えた。そしてモーセの時代から差別や迫害をされ続けてきたユダヤ人に同情し、イスラエル建国に共感を覚えた─────しかし、そのアンネの日記自体が贋作だとすると、それはユダヤ人とイスラエルに多大な見返りがあるように仕組まれた一大プロジェクト、希に見る大プロバガンダだったということになる」

「そのとおりよ」

「あまりにも知らないことが多いな、こうなってくると、世界中でさんざん極悪非道のレッテルを貼られてきたヒトラーについても、果してこれまでのイメージが本当に正しいのかどうか検証したくなってくる。
 現にボクはヒトラーという人物についてほとんど知らず、ただ悪魔のような人間だったと聞いてきただけだ。もしヒトラーが誰かの謀略で極端に悪いイメージを作り上げられ、未来永劫にわたって世界中の人類から殴られ続ける手軽なサンドバッグにさせられたのだとしたら、その方がユダヤ人迫害よりも遥かに大きな悲劇だという事になるね。
 それに、今の話を聴いていると、ナチスのホロコーストと、南京大虐殺と従軍慰安婦とには、不思議な共通点があることに気が付いた。ともかく、真実が何処にあるのかを知るためには、もっともっと勉強しなくちゃならないな・・」

「そうね、一緒に勉強しましょう。そうそう、父が面白いことを言っていたわ───────
 父がある日、CIAの任務の最中に、映画界で活躍する有名なユダヤ人と偶然出会うことになったの。話の途中、お酒が入った勢いもあってか、彼は『ショアー(shoah)産業ほど儲かるものはないからな・・』と、つい口を滑らせたそうよ」

「ショアー産業って?」

「虐殺されたユダヤ人を扱った、映画や出版物のことよ」

「なるほど、自分の多大な利益があれば、どんなウソでもつくような人間も居るわけだ。
真珠湾や南京大虐殺も、呆れるほど史実と異なる映画や出版物で溢れているのと同じだね。
 偽証してはならない────────旧約聖書の十戒とは正反対の行為でも、利益になればそれでいい、ということか」

「よく知ってるわね」

「Know your enemy, know thyself, and you shall not fear a hundred battles.
(彼を知り己を知れば百戦殆うからず)という格言があるけれど、ユダヤのユの字すらよく解っていない日本人としては、まず相手がどんな人間なのか、どんな歴史の中で生きてきたのかを知らなくてはならないと思うんだ」

「スンツー(Sun-tzu/孫子)のタクティクス(兵法)ね────────
 ユダヤ人、つまり古代の Hebrews(ヘブライ人)は、ヘブライ語の Ibhri(イブリー)に由来していて、河の向こうから河を越えてやって来た者、つまり、ユーフラテス川を越えてやってきた移民、という意味よ」

「そのあたりの、旧約聖書に書かれているような話がウロ覚えで、なんだかイマイチすっきりしないな。ウエスタンピープルは小さい頃から聖書を詳しく勉強させられるんだろう?、ちょっと説明してよ」

「OK、それじゃお話ししましょう。ヘブライ人の族長、ヤコブの物語では・・・・」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )






  *次回、連載小説「龍の道」 第179回の掲載は、6月15日(水)の予定です


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2016年05月15日

連載小説「龍の道」 第177回




第177回  SURVIVAL (9)


 歴史に詳しい人なら、このジェイコブ・ヘンリー・シフ─────誕生地のプロイセン王国・フランクフルトではヤーコブ・ヒルシュ・シフ(Jacob Hirsch Schiff)と呼ばれる、一人のユダヤ人の存在があったからこそ日露戦争に勝利できた、と言うことを知っているかも知れない。
 事実、高橋是清の強い推挙もあって、日露戦争中の1905年(明治38年)に日本政府は、
『日本ノ公債募集ニ関シ周旋尽力少ナカラズ』として「勲二等瑞宝章」を叙勲している。
 さらに講話成立後の翌1906年、政府は再び「勲二等旭日重光章」を明治天皇より親授する事を決定した。シフは受勲のために甥のエルンスト・シフを伴って来日し、同年3月28日に皇居に於いて、外国民間人として初めて明治天皇に拝謁している。
 また、かつて大蔵省の歴代の財務官には、ニューヨークにあるジェイコブ・シフの墓に詣でて、感謝の祈りを捧げる慣わしまであったというから、たいへん興味深い。

 日本人の多くは、私たちとユダヤ人との関わりがあまり無いと思っている。
 確かに、かつて日本に「ユダヤ問題」があったことはないし「反ユダヤ主義」も存在したことがない。しかし日本の近代史に於いては、驚くほど多くのところでユダヤ・マネーが関わっていることも事実なのである。

 例えば、私たちは長崎のグラバー邸は知っているが、それは観光名所としての瀟洒な建物であり、英国人トーマス・グラバーという人についても、鎖国が終わった日本に貿易のためにやって来た貿易商人で、貿易を通じて我が国の近代化に貢献した人である、ということくらいしか知らないし、教科書にもその程度の記載しかない。
 すこし詳しい人でも、幕末の志士を陰で支え、伊藤博文の英国留学を手伝い、国産ビール育ての親で、キリンビールのヒゲはグラバーのヒゲ、果ては土佐脱藩の坂本龍馬に亀山社中を作らせた黒幕らしい・・などと言うことを何処かで耳にして知っている程度だろうか。

 しかし、哀しいかな、私たちはそこから前に発想が伸びて行かないし、歴史の真実を手にするには大変な労苦を伴うので、多くは面白可笑しく、程よくその気にさせてくれる陰謀論のレベルで止まってしまうのである。
 なぜ未だにグラバー邸の庭には大砲があるのか。なぜ弱冠21歳の英国の貿易商人が、広く長崎を眺望できる山上の要害の様な一等地に居を構えられたのか。なぜ其処には「鳥撃ち」と呼ばれる警備兵が常に巡回し、一個人宅に一個小隊に匹敵する軍事力を備えていたのか。なぜグラバー邸には維新の志士たちが多く集まっていたのか───────
 私たちに与えられた戦後教育は、”その先” にある物事に気付くことのできるセンサーを開発するどころか、ことごとく摘み取られ抹殺されるようなものであったと思えてくる。

 物語とそれほど掛け離れている訳でもないので、ついでに少し書いてみよう。

 グラバーは香港のジャーディン・マセソン(Jardine Matheson Holdings Limited)というイギリス系金融財閥企業の代理人である。マセソン創業者のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンは陳舜臣の小説『阿片戦争』にも重要人物として登場している。
 創業から170年を経た現在も「世界企業番付」の第400位を保つマセソンは、設立当初の主な業務は「阿片の密輸と英国への中国茶の輸出」であった。今もある「香港上海銀行」はマセソンが香港で稼いだカネを英国に送金するために設立した銀行である。

 そのジャーディン・マセソンは、ユダヤ金融財閥・ロスチャイルド系の企業であり、さらにそのフロント組織である「グラバー商会」は、坂本龍馬に「亀山社中」を作らせた。
 亀山社中が僅か三ヶ月で七千八百丁の銃を揃え、二ヶ月後には軍艦まで輸入したのは薩長に武器を売るためで、坂本龍馬はグラバーの代理人として武器の販売を手伝っていた事になる。グラバーは自宅に桂小五郎や高杉晋作、中岡慎太郎などを親しく出入させ、勤皇の志士たちを煽り立て、食堂の天井裏に作った窓の無い二つの隠し部屋で密談をし、またその一方では、攘夷派の若者たちを英国へと密航留学させていた。

 グラバーの手引で英国に留学した主な長州人は、伊藤博文、井上馨、山尾庸三、井上勝、遠藤謹助の五人。維新政府樹立後はそれぞれ、初代内閣総理大臣(内閣の父)、初代外務大臣(外交の父)、法務局長官(工学の父)、鉄道庁長官(鉄道の父)、造幣局局長(造幣の父)となった要人たちである。彼らは英国では「長州ファイブ」「マセソンボーイズ」などと呼ばれ、ロンドン大学には顕彰碑も建てられた。グラバーは薩摩藩の19人も密航させ、彼らは「薩摩スチューデント」と呼ばれた。今の価値で10億円以上にもなる留学費用はジャーディン・マセソン商会の経営者であるヒュー・マセソンが負担した。
 これら攘夷派だった者たちが開国論者に変容し、やがて明治維新後に政府要人となったことや、ちょうど坂本龍馬が薩長同盟に奔走していた頃、幕府を支援していたイギリスがグラバーの働きかけで薩長側に寝返ったこと、薩長に売りつけた武器によって倒幕が可能になったことなど、それらの要素を元をたどって繋げてみれば、幕末から明治維新にかけての日本をグラバーたちユダヤ系金融家が存分に操作しつつ、西欧式近代政府の樹立を謀ったという事実が明らかに見えてくるのである。

 ジェイコブ・シフはユダヤ人で、彼が用意した日露戦争の資金も無論ユダヤ・マネーであり、幕末日本の歴史に暗躍したグラバーもまた、ユダヤ財閥の先鋒として日本に関わっていた。そのグラバーは、三菱財閥を創った岩崎弥太郎とも深い関係にあった。
 初めて岩崎弥太郎が巨利を得たのは、維新政府が樹立され紙幣貨幣の全国統一が始まった時である。各藩が発行した藩札を新政府が買い上げることを事前に知った岩崎は、十万両の資金を用意して藩札を大量に買い占め、新政府に買い取らせて多額の利益を得た。その情報を流したのは後藤象二郎であり、今で言うところのインサイダー取引であった。
 また、その後の「三菱」対「共同運輸」の海運業をめぐる争いでも、船荷を担保にして資金を融資するという「荷為替金融」を考案して勝利を収めた。このような知恵を岩崎に仕込んだのは、紛れもなく三菱財閥の顧問として活躍していたグラバーであったに違いない。

 坂本龍馬が暗殺されて解散した海援隊の後身である「九十九(つくも)商会」が岩崎弥太郎に任され、廃藩置県後には個人事業となり「三菱商会」となった。土佐湾の別名が藩主の山内容堂の雅号でもある九十九洋(つくもなだ)で、九十九商会や三菱のマークも土佐山内家の ”三ッ柏” の家紋に由来するデザインだというが、”柏の葉” が何ゆえにダイアモンドに変容したのかという説明は、三菱のホームページにも無い。
 しかし、何の偶然か、三菱のロゴマークである「スリーダイア」をピラミッド状に三つ重ねてみると、中央に整然と ”ダビデの星” が出現する。
 赤い6つのダイヤがつくる、赤い6角形に囲まれた、6芒星────────
 ダイアとは世界の七割のダイアモンドを保有し、価格操作するユダヤ商人の象徴であり、赤い色はロスチャイルドの名の由来であり、家紋である「赤い盾」を想わせる。
 九十九商会の「99」という意味深長な数字と云い、たとえ陰謀論者でなくとも大変興味深く思えるのは、筆者だけだろうか。

 近代の日本や日本人にあまり関わりが少ないと思える「ユダヤ」は、実はわが国の本当の歴史や現状を識る上で、最も重要なポイントであると思える。

 閑話休題──────────



 宏隆の病室で行われている ”世界金融史講座” は、まだまだ続いている。

「・・そうなると、ロシア革命も、なんだか怪しくなってくるなぁ」

「少しロシア革命に興味が出てきたかしら?」

「我々の行動がロシアにいる同朋にどのような効果を及ぼすか・・、とジェイコブ・シフが言ったんだよね。教科書では、ロシア革命は市民が帝政に立ち向かった革命とされているけど、本当はそこで何が起こったんだろうか?」

「シフが日露戦争に資金提供したのは、無論ひとつには経済的な動機があったわけで、実際に外債の引き受けによって得られる直接的な利益があった。けれど同時に、そこには政治的な動機もあったわけで、それが ”ロシアに居る同朋” という言葉の意味よ」

「つまり同胞を救う、助けるという意味だよね。具体的に彼らはロシアにどう関わっていったんだろう?」

「ヒレア・ベロック(Joseph Hilaire Belloc=フランス系イギリス人の作家・歴史家)は、著書 ”ユダヤ人(The Jews・1922年刊)” の中で、《ロシア革命はユダヤ革命である》、と書いているわ」

「ユダヤ革命?─────つまりロシア人の革命じゃなくて、ユダヤ人の革命だと?」

「そう、そしてそれはまったくその通りなのよ」

「詳しく聴きたいな」

「ロシアには多くの革命家が居たけれど、そのほとんどはユダヤ人だった。レーニンは母方の祖父がユダヤ人なので彼自身が四分の一ユダヤ人。トロツキーは両親ともユダヤ人。ラデック、カーメネフ、スヴェルドルフ、ジノヴィエフ、リトヴィノフ、ヴォロダルスキー、ソコリニコフなど、ロシア革命指導者の八割以上はユダヤ人で、ロシア人ではなかった。
 しかも驚くべきことに、ロシアに居たユダヤ人は、全ロシア人口のたった数パーセントでしかないという極少数民族!!」

「ええっ!!・・ちょっと信じられないな、それって ”ロシア革命” と言えるんだろうか?、それに、人口が極端に少ないユダヤ人が、どうしてロシア革命を起こせたの?」

「革命には、武器も、資金も、プロの諜報員も、戦闘員も必要よね。そして勿論、それらを秘密裏にトータルに準備・提供できる人たちも」

「あ、ああっ・・・!!」

「支援し誘導する人間が居なければ革命は成功しない。いえ、その計画さえ立たないわ!」

「それじゃ、ロシア革命を起こし、成功させたのは、やはり・・」

「そう、お察しの通り、ヨーロッパとアメリカのユダヤ金融財閥!!」

「うぅーむ・・・・」

「前にも少し触れたけど、レーニンはドイツ経由の封印列車でロシアに戻ってきた。ドイツはロシアと闘っている最中だったので、革命を起こせばロシアの力が衰える、と踏んだのでしょうね」

「ううむ・・学校では絶対に教えてくれない歴史だな、コレは・・」

「私たちは、ロシア革命はロマノフ王朝の圧政に対する民衆の勝利だと教えられてきたけれど、もしそれが真実だとしたら、圧政の犠牲者であったはずの民衆が、革命で権力を握った途端に、他のロシア人民衆に対して血の粛清を行ったことが、どうしても説明できない。
 圧政をしていた側でない、ただのロシア人民衆が数百万人から一千万人も粛正され、殺戮されたという事実は、いったい何を意味しているのか───────」

「そうだったのか。革命は民衆の勝利、などと言っても、実際の中身は全く違っていて、教科書に書かれていることも事実とは掛け離れていたんだな。それがユダヤ人が起こした革命だとしたら説明がつく。ユダヤ人の迫害についても、僕らが知っているのはヒトラーのホロコーストくらいで、ポグロム(Pogrom)と呼ばれる、帝政ロシアのユダヤ人迫害については、恐らくほとんどの日本人が知らないと思う」

「ユダヤ人の迫害は、何もヒトラーやロシアに限ったコトじゃないわ。歴史上は11世紀から20世紀まで、遡ればそれよりずっと以前から延々と続いてきたの。あのロスチャイルドも、ジェイコブ・シフも、ゲットーというユダヤ人強制居住区に住んでいたでしょ」

「そうだったね、そんな事さえよく知らなかったけれど」

「ゲットーの語源は ”分離・小地区” などといった意味。中世の西欧・南欧諸国でキリスト教の支配が及ばない特別地区として、ユダヤ教を信奉するユダヤ人が住んでいた。古代アレクサンドリアやローマにもすでにゲットーがあった。でも、それは強制されたものではなく、ユダヤ人自らが彼らの意志で集まった居住区だったのよ」

「どうやら、”ユダヤ人迫害問題” と言っても、簡単には説明ができないみたいだね」

「その歴史を語れば、とても長い話になるわ。でも、その始まりは、誰もがよく知っている物語よ─────紀元前17世紀頃、ヘブライ人、つまり古代ユダヤ人は、カナンの地からエジプトに集団移住し、エジプト王の厚遇を得て約400年間定住したが、やがて王朝が変わって迫害され奴隷にされた。この旧約聖書の物語りこそ、ユダヤ民族が記憶する最初の迫害という事になるわね」

「そして、ユダヤ人たちはモーセに率いられてエジプトを脱出し、40年間も荒野を放浪し、 ”約束の地” であるカナンに辿り着いた。映画の ”十戒” に描かれたシーンだね。もっとも、ボクが生まれた頃に作られた古い映画だけど」

「私も観たわ。モーセはヘブライ人奴隷の子として生まれたけれど、救世主の誕生を怖れたファラオがヘブライ人の男児すべてを殺すよう命じたので、難を逃れるため親がパピルスの籠に乗せてナイル川に流したところ、沐浴していたファラオの王女ベシアが偶然それを拾い上げ、水から引き揚げた(マーシャ)ことに因んでモーセと名付け、それ以来、自分の子として育てた、というお話ね」

「モーゼは文武両道に通じた逞しい青年に成長し、ファラオにも認められていたが、王子ラメセスに出生の秘密を知られ、砂漠に追放される。放浪の末シナイ山に辿り着いたときに、山頂に不思議な光を見出して山に入ると、ヘブライ人をエジプトから救出するよう神から啓示を受ける─────」

「やがてエジプトに戻ったモーセは60万人のヘブライ人を率いて約束の地カナンを目指す。紅海が真っ二つに割れたところをヘブライ人たちが渡ってゆく ”出エジプト記” のシーンは、何年経っても頭から離れないね」

「でも、それが古代ユダヤ人の迫害と脱出を描いたものとは、知らなかったでしょ?」

「知らなかったと言うより、全然ピンと来なかったな。ヘブライ人というのが古代ユダヤ人を指すということも、随分大きくなってから知った。いわゆる ”ユダヤ人問題” というのも、正直なところ、あまり気にしたことが無かった。ユダヤ人で連想されるのはヒトラーのホロコーストくらいだよ」

「ユダヤの歴史はじっくり詳しく勉強してほしいわね。モーセの出エジプト以降、ローマ時代のユダヤ戦争やバルコクバの乱、その後ヨーロッパ各地に離散して小さなコミュニティを形成していった歴史。彼らが一神教に拘り、キリスト教を異端として受け容れず、それゆえに国家を持たない流浪の民となることを自ら選択していった歴史を、ね」

「OK、勉強し直してみるよ。ちと、ポイントを教えてくれる?」

「最大のポイントは、ユダヤ教を奉じるためにキリスト教と相容れず、改宗を拒み、キリストを磔刑(たくけい=はりつけの刑)にした張本人として、キリスト教国からの追放を受け続けたということでしょうね。
 近東のシリア人と共に通商の担い手として生活したが、中世の後半には交易従事も制限され土地の所有も許されなかった。1215年のローマ・ラテラン公会議では、ユダヤ人の隔離や公職追放が決定された。ユダヤ人はキリスト教社会から疎外され、農業や工業に就くことが出来ず、質屋や両替商、酒場などの職業を営み、ユダヤ人居住区ゲットーで彼ら自身の団結を強くしていった。
 1848年にヨーロッパ各地で起こった革命以降はユダヤ人を解放する動きもあったけれど、体制の破壊者であるとされたり、メディアの支配をしていると指摘され、反ユダヤ主義はそれまでの宗教的な理由から人種主義的な ”反セム主義” へと変質していった」

「流石にスラスラとよく出てくるなぁ・・それじゃ、ユダヤ人がロシア人に迫害されていたのも、それからの事なんだろうか?」

「アレクサンドル2世が暗殺されて以降、保守化が進んで、ポグロムがだんだん激しくなってきたとされているわ」

「保守化が進むと、迫害が進む・・」

「18世紀末にポーランドが分割された結果、ポーランドで安全に居住することを保障されていたユダヤ人をロシアが多く国内に抱えることになったのよ。ところがユダヤ人は相変わらずロシアの風習に溶け込むことを拒み、独自の生活や宗教に固執していた。
 それどころか、商才を発揮して無知な農民たちを相手に搾取をしていたので、ロシアの農民を中心にユダヤに対する反感が強まり、それが集団でユダヤ人を襲って迫害するというユダヤ排斥主義に繫がっていった─────ということ」

「ユダヤ人が、ロシアの農民から搾取?・・何だか全然イメージが違うなぁ」

「ユダヤ人は居酒屋の経営者や高利貸しが多く、農民をアルコール漬けにしてお金を儲け、高利貸しは農民から高い利子を取って経済的に破滅させ、無知な彼らが返済した金には領収書も出さずに、それを良いことに再度請求する ”二重取り” なども行われていたらしいわ」

「でも、農民から少しばかり暴利を吸い上げたくらいで、大きな迫害運動が起こるとは思えないな─────帝政ロシアは、どうしてユダヤ人を忌み嫌ったんだろうか?」

「ポグロムの舞台となった南ロシア、ウクライナ地方では、商工業のほとんどをユダヤ人が独占している状態だったから、ロシア人の強い反発はあったでしょうね。けれど、そもそも本当にそんな凄惨な迫害が続いていたかどうかは、少々疑わしいトコロもあるのよ・・」

「えっ?・・ユダヤ人迫害という ”事実” があったからこそ、欧米のユダヤ金融家が動いて革命を起こしたんじゃなかったの?」

「そうは限らないわ。”Материалы для истории антиеврейских погромов в России(反ユダヤポグロムの歴史資料・1923年刊)” という本があって、これはポグロムが発生した地域での、警察関係者と中央政府がやり取りした電報文の記録を500ページ以上に亘って記録した資料集なんだけど、それを読むと、ロシア人がユダヤ人に対して言語を絶する非人道的な方法で彼らを虐殺していた、などとは全く記されていないのよ」

「だって、政府ぐるみで迫害を続けていたから、ジェイコブ・シフはそれを救う必要があった、というコトなのでは?」

「この資料には、”皇帝が暗殺された、犯人はユダヤ人だ!” というニセの情報を触れ回る人たちが村々を回り、”皇帝陛下からユダヤ人を襲撃せよと命令が出た” とも呼びかけていた、と書かれているわ」

「ニセ情報を触れ回ったヤツらが居たんだね」

「こうも書いてあるわ。”単純な農民たちは、それを聞いて地域のユダヤ人住居を襲った。けれども、誰もユダヤ人には手を掛けなかった。彼らが行ったのはユダヤ人の家にある家具やベッドを外に放り出し、皆で粉々に打ち砕くこと、そして使えそうな物を略取することだった” 」

「うーむ、何だか拍子抜けするなぁ・・」

「逮捕され連行されても、命令に従っただけ、と答える者ばかりで、”新聞にユダヤ人を攻撃するよう、労働者たちに呼びかけるメッセージが掲載されていた、この新聞はペテルブルグで発行された物なので政府が公認した事だと思った”、と言っているわ」

「一体どういうことなんだろう?」

「この暴動の奇妙なところは、彼ら民衆が虐殺や略奪が本来の目的ではなく、単に皇帝の命令に従わなくてはならないという ”忠誠心” から行っていたことで、そこにはユダヤ人との根深い対立などは無かった、という事がこの資料から分かるのよ。この本は長年日の目を見なかった貴重な資料かも知れないわね」

「それじゃ逆に、ユダヤ人との対立を起こす必要があった人間が、他に居たってことだ」

「激しい民族対立が無くては困る人間が、そうではない地域に、このようなデマを飛ばし、ロシア人やウクライナ人を焚き付けてユダヤ人を迫害させ、その被害を大きく報道させて、ロシア人を悪者に仕立て上げ、共産主義革命へと導く─────さて、それを狙った張本人はいったい誰だったのか?」

「ちょ、ちょっと待てよ・・・これは、とてもよく似ている!」

「ん、どうしたの────?」

「これは真珠湾攻撃を奇襲として非難したり、ありもしない慰安婦問題や南京大虐殺を創作して日本人を悪者に仕立て上げ、日本が侵略国家、戦争犯罪国家というイメージを世界中に広める、反日バッシングのやり口と全く同じじゃないか!?」

「いずれも、戦勝国による日本への追求が始まる中で現れてきたものよね。そして、そうしておかなければ、市街地にふたつも原爆を落とした事が正当化できない・・・」

「歴史音痴のボクでも、王老師や張大人のお陰で、日本がどんな状況に置かれているかと言うことを少し学び始めた。そして、戦後の日本は、勝てば官軍のGHQの思い通りの操作をされ続けてきたということが分かってきたんだ」

「真珠湾攻撃が奇襲ではないという検証は、既にアメリカにも存在するわ。東京裁判、NHKや大新聞の偏向・捏造報道、戦前戦中の日本国を全て否定するような風潮の中で、慰安婦や南京大虐殺は海外の反日国家ばかりでなく、日本人の心の中にまで定説として刷り込まれ、浸透していった・・・・」

「そうだ。その戦後体制の申し子たちが左翼かぶれの思想こそ知的で進歩的だと思うようになり、戦争を知らない子供たち、平和平和とお題目のように唱えていれば安全だと思える、浅薄な国民性が出来上がったんだ」

「けれども、その裏で、いったい何が起こっていたのか、誰も知らないし、知らされてもいない、そして、ほとんどの人が知ろうともしていない──────────」




                     ( Stay tuned, to the next episode !! )




  *次回、連載小説「龍の道」 第178回の掲載は、6月1日(水)の予定です

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2016年05月01日

連載小説「龍の道」 第176回




第176回  SURVIVAL (8)



「たとえば───────」

 ヘレンが冷めた珈琲をグイと飲み干し、別のファイルを手にして話し始めた。

「FRB(連邦準備制度理事会)の議長を18年間も務めていたアラン・グリーンスパンは、
『The age of turbulence(波瀾の時代)』という著書で、”リンカーンのグリーン・バックは政府が法律で造った不換紙幣だったのでインフレを巻き起こし、非常に評判が悪かった” と書いているわ」

「あはは・・いったい ”誰の” 評判が悪かったと言うんだろうね」

「そもそも、もしリンカーンの法定通貨が価値の低いものだったら、ロンドンは何も恐れる必要がなかったはずでしょ」

「政府が銀行から借金をしてもらわないと金融家たちは儲からない、だから法定通貨を造るような大統領は許せない、ってコトでリンカーンが暗殺された。犯人を雇ったのはイギリス生まれのスペイン系ユダヤ人で、弁護士上がりの国務長官・・その背後にはイギリスの王室や政府、ロスチャイルドの存在が見え隠れする。不換紙幣を造られていちばん都合が悪かったのは、イギリスおよび国際金融資本家たちだった、という事になるね」

「グレートブリテンはリンカーンの時代だけじゃなく、この現代にも強かに生き続けているわ。気をつけなくっちゃね」

「イギリスについてもじっくり勉強しなきゃいけないね─────さて、リンカーンが暗殺されてからの、金融家の ”中央銀行設立” に向けての動きは?」

「とても念入りに、その準備が行われたわ。調べていけば行くほど、彼らがとても用意周到だと判るのよ」

「むむ・・・」

「ニューヨークばかりでなく、ロンドンの銀行家たちも、リンカーンが発行した法定通貨をいかに無効化・無力化するかということに知恵を絞り、策を凝らしてその工作に着手し始めたのよ」

「アメリカの財務省は、現在の連邦準備銀行ができる前には、さぞ国際金融家勢力に抵抗を示したんだろうね」

「もちろんよ、だけど相手は相当にシタタカだった─────」

「どんなことをやったの?」

「まず、アメリカ合衆国を、ロンドンの ”金本位制” に縛り付けようとした」

「えーと、キンホンイセイ(The gold standard system)ってのは、たしか・・」

「その国の貨幣制度の基準を ”金(ゴールド)” であると定め、その基礎となる貨幣を金貨とし、自由鋳造・自由融解を認めて無制限に通用する力を与えた制度のこと。それ自体は金貨本位制と呼ぶのよ。要するに金そのものを貨幣として流通させようというわけ。19世紀は金貨が基本のお金として存在していたからね」

「うん、そうそう、そんな事だったかな・・はは」

「けれども、実際には流通に十分な金貨を準備できないし─────」

「・・それに、金貨は持ち運ぶには不便だし?」

「そう、そこで中央銀行が、金の地金との交換を保障された ”兌換紙幣(だかんしへい)” と ”補助貨幣” を流通させることによって、貨幣価値を金(ゴールド)に裏付けさせることが行われる─────これを ”金地金本位制(きんじがねほんいせい)” と言って、いまの金貨本位制と併せて【金本位制】と呼ぶワケよ。」

「ふむ。簡単に言えば、金貨の代わりに紙幣を流通させる仕組み、というコトかな」

「まあそうだけど・・もっと分かりやすく説明しましょうか。
 例えば、日本国が金貨を造るとするでしょ、すると、その金貨は中央銀行、ニチギンの大金庫に収蔵される。それを【正価準備高】というの。そして日銀は正価準備高の分だけ紙幣を発行する。そして「紙幣は金貨と価値が等しい」として、紙幣を国内に流通させるわけ。
 でも、それは結局紙切れなので、金貨と等しい価値を持つとは誰も思えない─────」

「ふむふむ・・」

「そこで兌換(だかん)というシステムが用いられる。日銀は窓口に紙幣を持ち込まれたら同額の金貨を払い出す。反対に金貨が持ち込まれたら同額の紙幣を払い出す。常に交換ができるから、その価値は等しい、という事になる」

「ふーむ、なるほど・・」

「そして、日銀は金貨を払い出した際には受け取った紙幣を紙切れとして破棄するし、金貨を受け入れれば、同額の紙幣を払い出した瞬間から、ただの紙切れが紙幣として通用する、ということ。これによって【正価準備高】と【紙幣流通高】は等しくなるワケ。
 つまり、日本に百億円分の紙幣が流通しているとしたら、日銀の金庫にはきっかり百億円分の金貨がある、ということなのよ」

「いやぁ、分かりやすいなあ!、経済って、意外と簡単かも・・」

「ところが・・たとえば、アメリカの金貨が日銀に持ち込まれたら、どうなる?」

「えーっと、日銀としては、自分のところで発行した紙幣ではないし、日本が造った金貨でもないので、どうしようもないのでは?」

「そのとおり。そこで日銀は、その外国のお金を ”買う” のよ。何故なら、米ドル金貨を改鋳(溶かして鋳造し直すこと)すれば、その分の日本円の金貨が造れるわけだから。
 当時は1ドルの金貨(1.5g)は2円の金貨に改鋳できたらしいわ。つまり2円は金1.5gの価値があって、1ドルも金1.5gの価値があった、と言えるわね」

「じゃ、もし日銀が1ドルの金貨を買って改鋳すると、正価準備高は2円増えるわけだね。つまり、2円の紙幣を一枚発行できるということ・・?」

「そうよ、よく分かったわね!、まあコレは中学生レベルだけど」

「むむっ・・くっ・・・」

「したがって外国との貿易では、日銀はドルを買って円を売る、アメリカの輸入業者はドルを売って円を買う、そういう異なる通貨での取引を ”外国為替” というのよ」

「それじゃ、円高とか円安っていうのは?」

「そのような外国為替市場では、円やドルといった通貨の価値が刻々と変化しているのよ。その時の為替レートが決まると円高や円安になる。けれども、金本位制では金(ゴールド)の量、つまり金の重さで為替レートが固定されるので、円高や円安が発生しない」

「要するに、安定した貿易ができる、と?」

「エラいわ〜、よくできました!、金本位制が理解できたから、やっと次に行けるわね〜」

「もぉ、オラのゴトを馬鹿にステからに!!」

「さてと、合衆国では1875年に、Specie Payment Resumption Act(正価支払回復法)が成立した。これはそれまで正価として金(ゴールド)と共に通用していた銀(シルバー)を廃止して、金だけを正価とする事を目指した法律だったわけ。
 だけど、ニューヨークの銀行家たちはロンドンの金融家と共謀し、保有してあった数千万ドル相当の財務省証券を売払い、その支払いに金(ゴールド)を要求して、財務省が保有していた金をショートさせて、1883年から1884年にかけて大金融パニックを起こした。
 いわゆる ”Panic of 1884” と呼ぶものね。銀行は貸し出しを縮小、融資を引き揚げた為に史上最大の経済恐慌、大不況が起こった。この経済危機は11行のニューヨーク銀行と、100以上の州立銀行を破綻に追い込み、3,200万ドルの借金が債務不履行に陥ったの」

「わぁ、経済オンチの僕でも、それがスゴイことだと分かるよ!」

「さらにまた、1893年の恐慌でアメリカ財務省が保有していた金(ゴールド)の海外への流出が続き、アメリカは遂に金が底をつき始めた。ヨーロッパでアメリカの有価証券に対する信用が落ちて、資本家がどんどん金(ゴールド)に換えていったせいよ」

「ふぅむ・・」

「当時の民主党、グロバー・クリーブランド第24代アメリカ大統領は、ウォール街に債券引き受けシンジケート(銀行団)を組織して、財務省に6,500万ドルの金(ゴールド)を調達するよう要請し、その半分がヨーロッパから調達され、財務省の一億ドル分の債券の信用回復に使われ、欧州資本の引上げ傾向に歯止めをかけ、その結果、取りあえず財務省を救済することができたのよ」

「おお、それは良かった!」

「しかし、モルガンや銀行家たちはそれを良く思わず、共和党のウィリアム・マッキンリーに巨額の寄付を与え、マッキンリーは ”金本位制” を旗印にして1900年の大統領選挙で勝利した。マッキンリーは金融家たちにとって、大変都合の良い大統領となったワケね」

「なんと・・大統領が、国際金融家とグルだとは!」

「今もずっと、そのスタイルは続いているわ。ただ国民がそれを知らないだけ。詳しくは、また追い追いに話すけれど、少なくとも国民のための大統領ではないわね。だから、都合の悪い大統領は更迭されるか、最悪の場合は暗殺される─────」

「むむむぅ・・・・」

「そしてその同じ年、ついに金本位制の法律が成立して、リンカーンの法定通貨がイギリスの銀行家たちの手中に落ちた。ロンドンの国際金融家と通じる、モルガンやロックフェラーなど、財閥銀行家による合衆国支配が、いよいよ本格的に始まったと言うわけよ」

「それじゃ、もう合衆国の財務省は打つ手がなくなった、と?」

「いや、それでも懸命に法定通貨発行権を死守しようとしていたけれど、財閥銀行家が巧みに仕組んだ風評の被害を受けて、ニューヨーク第三位の信託銀行だったニッカーボッカーが営業停止に追い込まれ、それを契機に大きな金融恐慌が勃発したの」

「金融恐慌───────?」

「そう、1907年にモンタナ州の銅山王と呼ばれたハインツが、United Copper Industries(ユナイテッド銅社)の株の買い占めを謀ったが失敗に終わり、ユナイテッド銅社の株は大暴落、投資家は先を争って、ハインツが頭取をしていた銀行をはじめ、株の買い占めに資金提供をしていた銀行から預金を下ろすという ”取り付け騒ぎ” が起こった。いわゆる1907年恐慌と呼ばれるものね」

「取り付け騒ぎ、って何なの?」

「銀行に対する信用が不安になり、預金者が預金や貯金を取り戻そうとして銀行に殺到し、大混乱することよ」

「なるほど、それでどうなったの?」

「取り付け騒ぎでは、まずハインツ所有の銀行が破綻し、やがて関連の銀行や信託銀行にも影響し、次の週にはハインツが頭取を務めるニッカーボッカー信託銀行だった。五番街にある瀟洒な本店には数百人の預金者が列をなし、現金を引き出そうとした。
 どこの銀行もそうだけど、そもそも銀行には多額の払い戻しができる現金など無いので、預金高の極端な減少で経営が成り立たなくなり、瞬く間に破綻・倒産という事態になった」

「うわぁ・・・」

「この現象はさらにアメリカ中の銀行に波及して、地方銀行はその上部の都市銀行から、都市銀行は中央のニューヨークの銀行から預金の回収を図ろうとした。このため、アメリカ全土の銀行で支払制限が行われるようになり、多くの州銀行、地方銀行が準備金の枯渇で破産し、多くの企業が破綻、失業者は300〜400万人に上った─────というわけ」

「たった一社の株の買い占めから、そんな事になるとはね」

「ところが、どうもこれは入念に仕組まれた事だったみたいで・・」

「なぜそう言えるの?」

「この深刻な銀行恐慌に、突如として救いの神のように現れたのが、あのモルガン・・」

「ああっ・・・!!」

「ジョン・ピアポント・モルガン(モルガン財閥創始者)は、何と財務長官をニューヨークに来るよう呼びつけたのよ。彼のチカラがいかに大きかったかが分かるでしょ。
 そして数十人の国内有数の銀行経営者を自宅の図書室に集め、討議した。モルガンは金融システムを守るために自己の資産をふんだんに使った上、ニューヨーク中の銀行を説得し、強力な銀行や証券会社が脆弱なものを買収してしまうよう強く働きかけ、誰もがそれに従った。
 当時のアメリカには、まだ中央銀行が存在しない状態が続いていたので、モルガンというたった一人の民間人が、アメリカの経済の未来を左右するような事態になったわけね。
 やがて、モルガンやロックフェラーと通じるルーズベルト大統領が、財閥の市場独占を禁止していた ”反トラスト法” を停止した為に、財閥銀行家たちは、心置きなくライバルの会社を倒産させ、買収しながら、市場独占の勢いを強化していった─────というお話」

「なるほど、リンカーン暗殺からの、およその流れは分かったけど・・」

「なにか質問がある?」

「いや、ちょっと話が戻るけど、北部のリンカーンが財務省で紙幣を刷ったくらいで、よく南北戦争に勝てたなあと思って・・そんなものなのかな、経済って?」

「良いカンをしてるわね、実はそのとおりよ!」

「・・やっぱり、何かあったんだね」

「北部が勝てたのは、ロシアのアレクサンドル二世がリンカーンを支援したからよ」

「ええっ!・・ろ、ロシアが?、あのロシアが、リンカーンを支援した?」

「そや、ふつう、そんなアホな、て思うやろ?」

「フレンチ・カナディアンのくせに、大阪弁で言うなよ・・・だけど、それってアメリカやカナダの教科書か何かに載ってることなの?」

「いいや、コレ知っとる人は、ヒジョーにマレやで」

「・・けど、それじゃ、今のアメリカが統一国家としてして存在するのは、ひたすらその時のロシアのおかげ、という事になるんじゃないの?」

「そのとおりよ。南北戦争の時、ロシアは艦隊をサンフランシスコ湾とニューヨークに派遣して、南部連合に大きな圧力をかけた。それなしに、グリーン・バックスだけでは南部には勝てなかった、合衆国はどうなったか分からなかったでしょうね。正にロシア様様、本来、アメリカ人は今もロシアの方には足を向けて眠れないハズ・・・」

「でも、なぜロシアは北部を支援したんだろうか?」

「南部を支援したのはイギリスとフランス。イギリスは植民地のカナダから、フランスはメキシコから圧力をかけた。そして、その経済面・軍費の面倒をみたのが、かのロスチャイルドさま─────!!」

「それじゃつまり、ロシアはイギリスと、ロスチャイルドに立ち向かった、と?」

「そういうコトになるわね」

「そいつは、ちょっと驚きだなぁ・・・」

「実は今でも、ロシアは同じ考え方なのかも知れないわ」

「えっ?・・何だか知らないことばかりだな」

「やっと金本位制が分かったばかりだから、それはまた今度────────
それじゃ、いよいよ連邦準備銀行が創られる、最終的な話に入りましょうか」

「うむ、それも気になる。ちょっとドキドキするな」

「財閥銀行家たちは、中央銀行設立に向けて最後の仕上げをしようと、ある秘密会議をしたの。時は1910年、場所はアメリカ南部、ジョージア州の沿岸にあるジキル島」

「ジキル島?・・なんだか不気味な名前の島だね、ジキル博士と同じスペルだ」

「ジキル島は政財界の高級別荘地のような所ね。表向きの理由は、1907年に起きたような恐慌を防止するための銀行制度の改革についての会議、というものだったけれど、なぜか参加者たちは、周囲には ”ジャマイカに行く” と告げていた・・」

「怪しいなぁ。そもそも、国家の中央銀行を創立するための会議を、国会のような公の場ではなく、しかも首都ワシントンから遠く離れた南部の小島で、人目を避けて秘密裏に行うこと自体、余りにも怪し過ぎないか?・・その秘密会議を呼びかけたのは誰なの?」

「アメリカ議会の金融委員会委員長、ネルソン・オルドリッチ上院議員よ。モルガンのビジネスパートナーで、息子はチェース銀行(J.P.Morgan Chase & Co.)の頭取。
そして娘をジョン・ロックフェラーに嫁がせている。つまり、デイビッド・ロックフェラーやネルソン・ロックフェラーの母方の祖父に当たる人ね」

「はは、ますます怪しいな・・で、そこにはどんな顔ぶれが集まったの?」

「フランク・バンダーリップ(ニューヨーク・ナショナル・シティ銀行頭取)、
 ヘンリー・ダビッドソン(モルガン商会共同経営者)、
 チャールズ・ノートン(ニューヨーク・ファースト・ナショナル銀行頭取)
 ベンジャミン・ストロング(バンカーズ・トラスト銀行副頭取)、
 ポール・ウォーバーグ(クーン・ローブ商会共同経営者。ドイツ系ユダヤ人)、
 ピアット・アンドリュー(財務省次官補)─────といった面々ね」

「ふーむ。名前だけじゃよく分からんが、結局モルガンの息の掛かった連中なんだよね」

「勿論そうだけど、ここで中心的な存在だったのが、ポール・ウォーバーグよ」

「えーと、ウォーバーグは、クーン・ローブ商会の共同経営者?、ドイツ系ユダヤ人?・・何故そんな人物が、この会合の中心になっているんだろう?」

「クーン・ローブ商会(Kuhn Loeb & Co.)は、鉄道事業に投資してモルガン財閥と競争を繰り広げたような、西半球で最も影響力のある二つの国際銀行家のひとつと謳われた金融財閥よ。ロックフェラーのメインバンクで、財政アドバイザーとしても知られているわ。
 創業者のアブラハム・クーンとソロモン・ローブがクーン・ローブを興し、その後クーン家の息子とローブ家の娘テレサが、そこで働くジェイコブ・ヘンリー・シフ(Jacob Henry Schiff)と結婚。シフはクーン・ローブ商会の頭取に就任した。シフは旧いユダヤ教徒の家庭に生まれた人よ」

「ふぅむ・・・」

「このポール・ウォーバーグはルーズベルトを大統領に仕立て上げるために一役買った人。兄弟にはナチスドイツへの活動資金を提供していたマックス・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg/ドイツ名:ヴァールブルグ)がいる。ヒトラーはウォーバーグからの献金100万マルク(現在の12億円)で突撃隊を組織し、ナチの制服を作ったそうよ」

「あれ?・・でも、この人はユダヤ人だよね。ヒトラーはユダヤ人を迫害した憎っくき悪魔のハズでしょ。なのに、どうしてナチスに献金して援助するの?」

「このマックス・ウォーバーグは、元ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の直属の秘密諜報員で、ロシアのトロツキーにも50万ドルの政治資金を提供しているし、マックスの従兄弟に当たるフェリックス・ウォーバーグは、レーニンを 封印列車* に乗せてロシア革命を支援した国防軍情報部長官だった人よ」

【註*:封印列車/1917年の二月革命後、スイスに居たレーニンたちロシアの亡命革命家たちが敵国であるドイツを通過してロシアに帰った列車のこと。ドイツ領内を通過中は列車から離れず、ドイツ市民と接触しないことを条件とされた】

「なるほど、カネの亡者たちはイデオロギーなんかどうでもイイんだろうな。どっちに付いたら儲かるかを考えるだけで、その時々で商売相手が違うワケだ」

「ジェイコブ・ヘンリー・シフは、フランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離居住区)で、初代のマイアー・アムシェル・ロートシルト(ロスチャイルド)の時代に、グリューネ・シルト(Haus zum Grunen Schild / House of the Green Shield=緑の盾の館)と呼ばれる五階建ての家に一緒に住んでいたの。そしてウォーバーグは、このフランクフルトのゲットー時代からロスチャイルド家、シフ家とは類縁関係にあったというわけ」

「ううむ、どんな話にもユダヤの金融家が絡んでくるなぁ・・♫ In the Ghetto〜 っと」

「エルビスの歌ね。ちょっと疲れたかな?、いくらタフでも、あんな目に遭った直後だから無理もないわ・・眠くない?」

「ああ、僕は大丈夫だ、どんどん話していいよ!」

「それじゃもうひとつだけ────────」

「ほい、ナ二が出てくるやら」

「そのジェイコブ・シフは、日露戦争に際して、2億ドルの融資を行って日本を強力に援助したのよ」

「へ・・・?!」

「へ、じゃないわよ。日本人として、その事実を知ってる?」

「ウンにゃ、寡聞にして存じませんが─────」

「ウンニャじゃないでしょ、それじゃ高橋是清は?」

「知ってるよ。大蔵大臣や首相にもなった、二二六事件で暗殺された人。コレキヨの恋文、ってのもあったな・・日露戦争と何か関係が?」

「やれやれ、キョービの日本人は自国の歴史もシランのか。
 日露戦争前夜。当時の日銀副総裁だった高橋是清が外債を募ってアメリカに渡ったけど、どこも公債を引き受けなかった。仕方なく日英同盟を頼りにイギリスに渡って、やっと500万ポンドの公債引き受けを取り付けたものの、ロスチャイルドにも融資を断られた。戦時国債は1,000万ポンドは必要だったが、ようやく半分─────
 そんなとき、高橋と懇意の銀行家が開いた晩餐会でジェイコブ・シフと出会った。偶然にも隣に座ったシフは、日本軍の士気はどの位高いのか、日本の産業は、物価は、人々の様子は、財界はどうか、などと質問され、高橋が丁寧に答えると、翌日、クーン・ローブ商会から500万ポンドを引き受けるという連絡が来た!」

「うわぁ・・め、目がぁ!・・目が醒めてしまったぞ!!・・
 当時の世界基準通貨は米ドルじゃなくて英ポンド。日本円をどれほど集めても外国の兵器は買えない。だから大英帝国まで公債を売りに行ったんだろうけど・・
 だけどさ、そのジェイコブ・シフとの出会いは、偶然じゃないでしょ?!」

「そのとおり。日露戦争開戦を前に、シフのニューヨークの邸宅でユダヤ系アメリカ人が集まって、その席で彼はこのように語っていたの。
 『恐らく3日以内に日本とロシアは戦争に突入するはずだ。我がクーン・ローブ商会は日本への資金提供を検討しているが、皆の意見を聞きたい。我々のその行動が、ロシアに居る同朋にどのような効果を及ぼすかについて、よく検討してもらいたいのだ』─────」

「・・ん?、ロシアに居る同朋?・・なんだかクサいなぁ!、やっぱり金融家が、ただカネを出すって言うワケはないんだね!」

「Bingo !!(ビンゴ)──────すこし目が醒め過ぎたかな?」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )




  *次回、連載小説「龍の道」 第177回の掲載は、5月15日(日)の予定です

taka_kasuga at 22:28コメント(20) この記事をクリップ!
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