*第161回 〜 第170回

2015年11月01日

連載小説「龍の道」 第165回




第165回  BOOT CAMP (14)



 ────────その部屋に、誰かが訪ねてきた。

 ドアの方へ向かった人影が、リビングに戻った時にはふたつになっている。
 気の早い者なら、もうダイニング・ホール(大食堂)で夕食を済ませて戻って来るような時間なのである。就寝までのひとときに誰かが訪れて来ても不思議はなかった。

「せっかくのNV(Nocto Vision=暗視装置)も、これじゃ倍率が足りない。幽霊が歩いているみたいで、顔まではハッキリと見えないな」

 宏隆が言うと、ヘレンが替えのレンズを取り出して、手早く装着した。
 暗視装置は普通は1倍の倍率、つまり肉眼で見える大きさと同じに造られている。軍用では武器を持つ両手が使えるように、ヘルメットやヘッドギアにセットして用いるので、肉眼と同じ距離感が得られるようにしているわけだが、静止して遠くを偵察する場合には倍率を上げるしかない。

「・・はい、これならどう?」

「お、今度はいいぞ、表情まではっきりと分かる。緑色の顔のひとつは紛れもなくヤンだ。それに、いま部屋に入って来たもうひとつの顔も、どこかで見覚えがあるな・・・倍率を上げても会話までは聞こえないのが残念だけど」

 よく映画などで見かけるように、ノクトビジョンで見る画像は緑色になる。これは可視光線の波長の中で最も知覚しやすい緑の色に、光学的に調整されているからである。
 因みに、暗視装置は増幅する光が存在しない完全な暗闇では機能しない。この時代のデヴァイスには月明りほどの光が必要で、現在の最新型でも星明り程度の光が必要とされる。
 もちろん、軍事ミッションでは星も月も当てになど出来ないので、この問題を解決するためにノクトビジョンには赤外線照射装置(Infrared Irradiator)が搭載されるようになり、近年のモデルでは完全な暗闇でも高い造影力が得られるようになった。
 暗視装置では、システムの核となる微量の光量子を電子に変換・加速する増倍管(単管)の性質上、双眼鏡(ビノキュラー)タイプの制作には技術的な負担が多く強いられるため、単眼鏡(モノキュラー)タイプが一般的となっている。


「・・あら、会話だって聴き取れるわよ!」

 夢中でノクトビジョンを覗いているうちに、いつの間にかヘレンが小型のヘッドセットを装着している。替えのレンズを取り出してきた、オリーブ色の大型ウエストポーチには受信機らしい物まで入っている。

「おいおい、ヤンの部屋に盗聴器を仕掛けてきたのか?、よくそんなことが出来たな」

「あいつは行動が怪しいので以前から目を付けていたのよ。訓練の時は宿舎が空っぽになるから、ハウスキーパーに変装して、チョイと壁の額の裏に取り付けておいたの。陳腐な写真の額は表側もホコリだらけだったから、たぶん気がつかないと思うわ。カメラのセットまではムリだったけど」

「見習いのスパイにしては中々やるなぁ。ボクなんかにはとても無理だ」

「こんなの、誰にだって出来るわよ、掃除夫の格好がイヤじゃなければね」

「どれどれ、ボクにも聴かせてくれ・・・」

「日本製の高性能マイクだから、よく聞こえるはずよ。CIAやFAD(公安警察外事課)でも使っているらしいから」

「はは、ホントかなぁ・・こんど高山さん*に訊いてみよう」

(註* 高山さん:第121〜127回 TERROR に登場する、警視庁公安部・外事課の主任)

「あら、FADにも知り合いが居るの?」

「ちょっとしたご縁でね─────おっと、会話が始まったぞ!」


 夕闇の中、向かいの小高い丘から自分たちをつぶさに監視し、会話まで聴かれているなどとは、一体だれが想像できるだろうか。ふだん自分が起居する場所には、誰でも潜在的な安心感を持つものであるが、その日常への慣れは、同時に他者が付け入ることの出来る、大きな隙をもたらすことにも繋がる。


「───────どうにも、俺たちは、彼奴(あいつ)におちょくられたみたいだ」

「お前がそんな苦い顔をするのは珍しいな、どうしたんだ?」

「奴はもう、あれが俺たちの仕業だと気付いている・・・それを俺に確認するために、わざわざウチのチームを自分の捜索に使いやがったんだ、アンチクショウめ!!」

 その事を、よほど腹に据えかねているのだろう。目の前のソファのクッションを思い切り叩き付けて、さらに拳を振るわせている。

「まあ落ちつけ、Jung(ヤン)─────何があったのか、詳しく話してみろ」

「あのあと・・・予想どおりに、奴のチームの一人が捜索の応援を求めてやって来たんだ。しかし、河原に下りてから、そいつに探りを入れてみたら、反対にアレコレと探りを入れられるような事ばかり訊かれた。不審に思って顔を確かめようとしたが、薄暗がりだったし、しかも顔が、まるでフェイスペイント(顔のカムフラージュ用ドーラン)でも塗ったみたいに泥だらけで、人相さえよく判らなかった・・」

「その男の名前は?」

「ネームワッペンが泥で汚れて見えなかったが、自分で Lee(リー)と名乗っていた」

「それで、何を言われたんだ?」

「俺たちが休憩していた時間と、カトーが撃たれたタイミングが一致する、と・・」

「何だと・・どうしてそんなことが分かる?」

「リーダーのカトーが滝に落ちた頃はどこに居たのかと訊かれて、つい、皆と一緒に休憩していたと言ってしまったんだ。いま想えば、巧みな話術で引っ掛けられたんだよ!」

「他には?・・それ以外には何を話した!?」

「俺の名はドイツ語でユング、英語読みでヤンだと言うと、朝鮮語だとCheong(チョン)になるな、とぬかしやがった───────!!」

「ううむ、よくそんなことまで・・・」

「それに、休憩中に用を足すために、独りであの斜面を下りて行ったと言うと、それはおかしい、と反論しやがった」

「何がおかしいと言うんだ?」

「そこにはサイズの異なる足跡があって、ひとつは俺と同じ8サイズ(約26〜26.5cm)、もうひとつは11サイズ(約29cm)ほどあって、足跡の沈み具合から見て体重が240ポンド(109kg)以上の、よく鍛えた体を持つ、沈着冷静な人間のものだと・・」

「むむぅ・・・・」

「足跡だけで性格や鍛え方まで分かるはずがない、と言ってやると、狙撃地点の岩陰に長時間身を潜めてじっと獲物を待っていた様子が覗える、そのためには、よく鍛えた身体と精神力を必要とするはずだ、と言いやがった!」

「他には・・ほかに何か言ったか?」

「その岩陰は、狙撃には絶好の場所に思える─────とも言っていた」

「そ、そいつはあの男だ !! ──────このROTC(予備役将校訓練課程)に、他にそんなヤツが居るものか、それは多くの戦闘訓練を積んだプロだ、間違いなくカトーだ!、そのモノの言い方は、あいつの性格そのものじゃないか !! 」

「オレも不審に思って、試しに奴が去って行く後ろ姿をライフルで狙ってみたんだ」

「それで・・どうなった?」

「背後を狙われているのに、気付く様子もなく普通に歩いて行くので、こんな無防備な男があのカトーであるわけがないと思って・・ひとまず安心をした」

「・・ば、馬鹿め!、そいつが本物のカトーだからこそ、何食わぬ顔で歩いて行けるんだ、それが分からないのか?、お前が背後から狙っていることも、それでカトーかどうかを確かめようとしていることも、あいつはとっくにお見通しなんだ。分かっていて、わざとお前に狙われてやっているんだ、反対に、お前が自分を狙撃をした人間かどうかを確かめられているんだよ!!」

「ううっ・・ちっ、ちくしょうめ!!」

「そう、お前は見事にオチョクられているんだよ、もうお前の正体もバレてしまったな」

「くっ、くそぉ、あの野郎っ・・どうするか、見ていろよ!」

「駄目だ、忘れるな、カトーを抹殺することは禁じられている」

「な、何故だ?─────あの野郎は東シナ海で偽装船の襲撃をものともせずに躱(かわ)し、同志の緻密な拉致計画もぶち壊して、しかも同志が脱出する船まで沈めたんだ。全部あいつのせいなんだ、カトーのために何人の同志が死んだと思ってるんだ!」

「この際それは関係ない、俺は上からの命令に従うだけだ。お前にも従ってもらうぞ」

「ふん!、何だかんだ言っても、お前は所詮ウエスタン(白人)だな。オレたち朝鮮民族の気持ちなんか死んでも理解できまい。カネを貰って、アメリカを裏切って、ROTC(ここ)でスパイをやってるのが関の山なんだろうぜ」

「おい、気をつけてクチを利けよ、言って良い事と、悪い事があるぞ!」

「いいや、だいたい、今回オレに声をかけた奴らというのは─────」

 ヤンがそう言いかけた時、言葉を遮るように、素早く男が手を挙げた。

「なんだ、どうした?」

「シーッ・・・静かにしろ」

 窓際に身を隠すように寄って、外の様子を伺う。
 建物を取り巻く通路や芝生には、食堂から帰ってくる学生たちがちらほら歩いているのが見える。

「おい、灯りを消せ────────」

 ヤンが急いで室内灯のスイッチを切る。

「外に、誰か居るのか?」

「いや、まだそれらしい動きはない。だが、誰かに見られている気がする・・」

「ここは2階だから、外からは見えないぞ」

「居るとすれば、向こうの丘だろうな・・」

 盗聴マイクでは聞き取れないほど、声を殺して話す。

「あんな遠くからか?・・気のせいじゃないのか、オレは何も感じないが」

「ふん、戦場の経験が無い奴は、能天気でいいな────────」


 人間には、推理や考察に拠らない、何かを直感的に察知する能力がある。 
 いわゆる第六感(The Sixth Sense)と呼ばれるもので、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・聴覚の五感を超えた、それ以外のもので物事の本質を捉えようとする精神霊性(ヒト特有の心理的・精神的活動)の働きとされる。予感、直感、虫の知らせなどを意味する言葉は世界中の民族に古くから存在している。
 そして、この男が言うように、それが研ぎ澄まされるような経験が豊富であるほど、その能力もまた高いと考えられる。


「・・しまった、感づかれたわ!」

 突然会話が止み、部屋の電気が消えたので、ヘレンが思わず起ち上がろうとしたが、

「動くな──────────!!」

 宏隆が咄嗟に腕を掴んでそれを制した。

「いま動いてはダメだ。まず相手がどう動くかを観るんだ。相手はまだ、我々がここに居ることに確証は無いはずだ」

「ごめんなさい・・」

 こんな場合は、ただひたすらジッとしているしかない。
 だが、それで済ませてくれる相手ではなかった。

「ヤン、ライフルを寄こせ────────── !! 」
 
「おう・・・!」

 いくらROTC(予備役将校訓練課程)とは言っても、普通の学生の部屋に実銃のライフルが置いてあるわけがない。何かの時に備えて、ヤンが密かに隠し持っているのである。

「PVS-4を装着した。誰かが居ればこれで丸見えだ」

 PVS-4とは、近ごろ生産され始めたばかりの、最新型のライフル用暗視スコープである。後に湾岸戦争やイラク戦争で大活躍するこの装置は、有効視認距離が星光で1,500m、月光では2,700mもあるが、宏隆が手にしている旧型の双眼鏡は最低でも月光くらいの明るさが必要で、視認距離もわずか100m程度、解像度の面でも話にならないほど性能が違う。


「まずい・・ライフルを出してきた!!」

「えっ、ま、まさか・・・?」

「それも暗視スコープ付きだ、体を低くしてこれを被るんだ、早く─────!!」

 茂みの陰に低く伏せながら、宏隆が素早く上衣のポケットからオリーブ色の布を取り出した。Gillie Veil(ギリー・ヴェール)と呼ばれるコットン製の布で、コンパクトに畳まれているが、広げるとタタミ一畳ほどの大きさがある。細かいネット状のために光が拡散反射して相手からは見え難く、こちらからは向こうの様子がよく分かる。

 二人でそれを被って、まるで木立ちや茂みになりきったように、じっと息を殺す。
 宏隆はその状態からも、なお双眼鏡で相手の様子を監視し続けている。


「・・どうだ、誰か居たのか?」

 声を押し殺して、ヤンが訊く。

「静かにしろ──────────」


 男は、ライフルに装着された高性能の暗視スコープを覗きながら、すぐに撃てる状態で、暗い丘の斜面を3フィート(約90cm)単位で、細かくなぞるように観てゆく。

「何の気配も無いぞ・・・勘違いじゃないのか?、このところずっと訓練続きで、指導する側もみんな疲れて気が立っているんだろう」

「ふん、気が立っているのはお前の方だろう、カトーにおちょくられて、な・・」

「う、うるせえっ!!」

「もういい、誰も居なかったようだし、お前の機嫌が悪そうだから今日は帰るが、明日の夜にでも、今後のことを話し合うぞ。きっとカトーもこのまま黙ってはいないだろうからな」

「・・・・・・・」

「今夜はアンバー(Alaskan Amber=世界最北の醸造所で造られるアラスカのビール)でもあおって、ゆっくり眠ることだな」

 銃弾をチャンバーから抜いて、ライフルをヤンに渡すと、ヤンは黙ってそれを受け取り、やがて男は部屋から出て行った。



「ふう・・・・!!」

 ヘレンが深い溜め息をついた。

「やれやれ、ライフルまで出してくるとは・・まったく、とんでもない奴らだ!」

「これは便利ね、偵察部隊用の擬装マフラーでしょ。常備してるとは、さすが・・」

「ああ、これが無かったら見つけられて撃たれていたかも知れないな。寒いからマフラーにもなると思って、ポケットに入れておいて良かったよ」

「ヒロタカ・・・いまの、もう一人の男の声には聞き覚えがあるわ」

「ああ、僕もあの顔を知っている。あれは教官のひとりだな?」

「そう、Matt Campbell(マット・キャンベル)、MSG(Master Sergeant=曹長)よ」

「MSGか・・曹長と言えば、一等軍曹よりも上の階級だ。つまり、このROTCのなかでは、ドリルサージャントたちのトップに当たるような人間じゃないか」

「だからこそ、好きな時に、好きな所へ行って、好きなことが出来るってコトよね」

「だが、そんな立場の人が、なぜボクのことを狙う?」

「これは、Peninsula(半島=朝鮮半島のこと)の絡みじゃないかも知れないわね」

「朝鮮じゃ無い、としたら・・いったい誰なんだ?」

「うーん・・・・」

「その顔は、何かを知っているな?・・ヘレン、知っているなら教えてくれ!」

「いえ、まだ想像の段階でしかないから、混乱させるようなことは言えないわ。父にも相談して、もう少し詳しく調査して貰わなくてはならないし」

「わかった─────僕も台湾に連絡を取ってみる。取り敢えず、彼らの行動を監視しながら、引き続き目的が何かを調べて行くしかないな」

「でも充分注意しなくちゃ。たとえヒロタカを殺す気がなくても、痛めつける事くらいは平気でやるつもりでしょうから。それに、さっきのような場合は撃たれてもおかしくないし」

「そうだな、こうなったら腹を括るしかない────────」


                    ( Stay tuned, to the next episode !! )




  *次回、連載小説「龍の道」 第166回の掲載は、11月15日(日)の予定です

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2015年10月15日

連載小説「龍の道」 第164回




第164回  BOOT CAMP (13)



 数時間ほどをかけて、残り3カ所のチェックポイントを難なく通過し、すっかり暗くなったフェアバンクスの市街地を歩いてアラスカ大学の門を潜り、無事に行軍訓練は終了した。
 途中、滝口から足を滑らせて落下した事故については、本人に大きな怪我もなく、不注意による滑落事故として、行軍の後でドリルサージャントへ報告書を提出するだけで済んだ。

 翌日は休日となった─────────
 行軍でクタクタになった学生兵士たちは外へ遊びにも行かず、大抵は宿舎でゴロゴロするか、キャンパスの中を散歩したり、恋人とゆっくり語らう時間を過ごす。
 宏隆も、迷彩服の洗濯や軍靴やバックパックの手入れ、打ち身の手当てをしたりしながらのんびり過ごしていたが、その行軍を共にしたリーが部屋に訪れてきた。

「いやぁ、くたびれたなぁ、歩けば歩くほど背中の荷物が重くなって─────」

「そうそう、担いでいるライフルのベルトがだんだん肩に食い込んできて、いっそ渓に捨てて行こうかと思ってしまうし」

「ボクがやってきたトレッキングとは大違いだ。何しろ80ポンド(30kg)の装備で18マイル(30km)も、ロクに道も無いところを歩くんだから、キツいよね」

「しかもその上、フェアバンクス辺りじゃ珍しい、ザンザン降りの雨まで降ってくれたんだから、もう言うコトは無い・・!」

「ついでに30フィート(約9m)の滝壺へダイブというオマケ付きでね─────」

「あははは・・・・」

「ははははは・・・」

「さあ、発芽玄米シェイクができたぞ、飲んでみないか?」

「ハツガ・ゲンマイ?」

「えーっと、英語じゃ Germinated Broun Rice Juice ってとこかな。ニューエイジ流行りのイギリスなんかじゃ、Hatsuga-genmai って言えば通用するらしいけど」

「へえ、見た目よりも美味しいな。自然な甘さで、なんだか元気が出そうだ!」

「疲れを取るには休息と適度な栄養補給がイチバンだからね、50種類の野菜を発酵させて造った酵素も入ってるから、コレは効くぞ!」

「エンザイム(enzyme=酵素)─────?」

「そう、食事から摂った栄養はそれだけでは体内で正しく働いてくれない。酵素のおかげで栄養がエネルギーに変わるんだそうだ」

「へえ・・?」

「キャンプで使うガスストーブ(コンロ)とマッチの関係みたいなものだよ。栄養にあたるストーブだけでは火は着かない。酵素というマッチの火があって初めてストーブが燃えて、栄養がエネルギーになって体内で働いてくれる。もし酵素が無ければ、栄養がエネルギーに変わることはないんだ」

「なるほど。だから発酵食品は大切なんだね」

「そのとおり、日本では7世紀に造られていた古代のチーズである蘇(そ)や、ヨーグルトにあたる醍醐(だいご)に始まって、味噌、醤油、酢、日本酒、納豆、鰹節、漬物、酒粕、塩辛、もろみ、鮒寿司、飯寿司、くさや、豆腐糕、甘酒、魚醤、阿波番茶など、実に多くの発酵食品がある。日本人は太古から乳酸菌発酵食品を造り続けてきたんだ」

「うーん、話には聞いたことがあるけれど、やっぱり日本って国は、世界でも珍しい優れた文化を持っているクニなんだなぁ、世界に誇る長寿国だし!」

「日本人が長寿なのは、この食文化のおかげと言えるだろうね。乳酸菌は腸内の善玉菌が増えるのを助けるし悪玉菌を退治してくれる。そして乳酸菌の協力を得た善玉菌は病原菌を撃退してコレステロールの上昇を抑え、体を健康にする。途中で死んでしまった乳酸菌さえ、退治した悪玉菌を吸着して体外に排出する食物繊維のような役割をするんだから、人間サマは乳酸菌に感謝してもしきれないほどだね」

「乳酸菌は、他の病原となる微生物と拮抗することによって、腸内環境の恒常性を維持することに役立っている、ってことはボクも聞いたことがある」

「けれど、今の日本はアメリカ輸入のファーストフードの店がどんどんできて、すごい勢いで流行り始めている。新し物好き、珍し物好きの日本人には、手頃で簡単な異国の食事は簡単に受け容れられてしまう。ところが、ファーストフードを常食すると、どんどん悪玉菌が増え続け、食中毒、便秘、下痢、心臓病、脳卒中、ガンといった病気が増えていくはずだ。現に、日本ではそれらの病気が急激に増え始めている・・・」

「そのとおりだね、ウエスタンの食文化は悪い手本だよ。優れた食文化があるというのに、なにも異国の貧しい食文化を真似しなくても良さそうなものだけれど」

「しかし、やがて必ず日本の食生活が見直される日がやって来る────────すでにウエスタンの人たちは、ベイクドディナー(オーブンで焼く肉料理)主体の、食文化の貧しさに気付き始めているじゃないか。やがて日本の伝統的な食文化が世界に見直される時代が必ずやってくる。そして、その時にはきっと、日本人が民族の智慧が結晶した食事を見直して、その素晴らしさに目覚めるはずだと、ボクはそう思っているんだ」

「きっとそうなる。ワショク(和食)が世界に冠たるヘルシーフードと認められる日は近いだろうね!、ウチのオヤジなんかも、すでにヨガと和食にハマってずいぶん経つからね。
 玄米も大好きで、ゲンマイとミソスープだけでほぼ完全食だと言って、ボクもよく食べさせられたっけ─────でも、ハツガ・ゲンマイっていうのは初耳だな」

「あとで作り方を説明するよ、お父さんに教えてあげたらいい」

「ありがとう──────しかしまあ、ジューサーを置いてる学生の部屋なんか初めて見たよ。Sloppy(ズボラ)なウエスタンじゃ有り得ない!」

「ははは、ボクは料理が好きだからね。このハツガ・ゲンマイは、岩手県のブラウンライスをこの部屋で発芽させたんだ。行軍から戻るとちょうど良いくらいにね」

「ワオ、やっぱり日本人は勤勉(マメ)な人たちなんだなぁ!」


 発芽玄米ジュース飲みながら、いろいろと話は尽きないが────────

「・・・まだ痛むんだな?」

 宏隆が時おりふと、肩や首を動かしているのを見て、リーが心配そうに言う。

「あ、これか・・変に痛むので、つい動かしてしまう。飛び込んだときに、滝壺の岩にあちこちぶつけたらしい。医務室で診てもらっても、骨には異常なかったんだが」

「リーダーが滝に落ちたときには、本当に背筋が凍りついたよ。どうしたら良いか分からずに、狼狽(うろた)えてしまった」

「おいおい、もう行軍訓練は終わったんだから、リーダーってのはやめてくれよ。僕の名前はヒロタカ─────ヒロタカ・カトーだ、あらためてよろしく!」

「ぼくはニコラス、ニコラス・リーだ、よろしく」

「あの時は、皆にいろいろと迷惑をかけてしまった、本当に申し訳ないと思っている」

「ちっとも迷惑なんかじゃないさ─────だけど不思議なんだ、ヒロタカがどうして滝に落ちたのか、未だによく分からない」

「いや、ただ足を滑らせたんだよ。意外とオッチョコチョイだって、姉貴みたいな人にもよく言われたっけ」

「そのレディは日本人?」

「いや、台湾の人だけど─────」

「ふうん・・もしかして、ヒロタカを鍛えてくれた人なのかい?」

「え、どうして?」

「いや、ただそんな気がしただけだよ」

「確かに、その女性(ひと)は、ちょっと変わってるけど」

「何だか、キミって謎の多そうな人だね」

「・・そ、そんなコトないさ」

「そうそう、ヒロタカが無事に見つかって、先行チームの所に知らせに行ったときに、色々としつこく訊いてきたヤツが居たんだ」

「なにを訊いてきたんだい?」

「吾々に捜索の協力を求めに来たのは君か?、って・・いや、ボクじゃない、って言うと、それじゃさっきオレと川原で話をしてたのは誰だ!、って怖い顔をして言うんだよ」

「ほぅ・・・・・」

「そんなの知らないよ、って答えたら、オレはつい先ほどまでリーという男と話をしていたんだ、ってスゴい剣幕で言うから、スペルが似てるからロペスと間違えたんじゃないのかって、そう言っておいたけど────────」

「ニコラス、君に言っておきたいことがある・・・」

「いや、無理に言わなくても良いよ、たぶん君には色々な事情があるんだろう?」

「まあ、事情と言えば、事情かもしれないが・・」

「いいんだ、詮索をするつもりはない。ただ、ヒロタカには無事でいて欲しいし、何か力になれることがあったら、いつでも遠慮なく言って欲しいんだ」

「ありがとう、ニコラス─────友だちに隠し事をしたくはないんだが、君やみんなに迷惑をかけたくない。説明できる時がきたら、詳しく話すよ」

「ああ、分かってるさ。もしかするとヒロタカは、僕らのような普通の立場の人間じゃないのかもしれない。何かワケありで ROTC(予備役将校訓練課程)に来ているって気がする。
 ただ、ここで寝食や苦楽を共にする仲間たちは、言わばみんな戦友だ。戦友は親兄弟よりも絆が深いって言うだろ?、今じゃボクも本当にそう思える。もしヒロタカに何かがあったら、誰も黙っちゃいないよ、きっとその相手を見つけ出して同じ目に遭わせてやる・・・
 ボクらは戦友だ、どうかそのことを忘れないで欲しい」

「ありがとう、本当に────────」

「ああ、それから・・・」

 ドアのところまで来てから、思い出したように、

「報告するのを忘れていたけど、ヒロタカの捜索をしていた時に、ウィリアムズがうっかりライフルを失くしたんだが、不思議なことに、それからしばらくして、同じ場所で見つかったんだそうだ」

「そうか、それは良かったな・・」

「本人は狐につままれたような顔をしてたけど─────それじゃ、See you tomorrow!」

「またいつでも寄ってくれ」

「ああ、Get a good night's sleep. (ゆっくり寝んでくれよ)」

「Good night─────!」

 リーを送り出すと、宏隆はそのままソファに座り込み、深く溜め息をついた。
 たぶんリーは、自分が狙撃されて滝壺に落ちたのだという事を知っている。そしてそれが別のチームに居るヤンという訓練兵士に、何らかの関わりがあると感付いているのだ。
 仲間たちに迷惑をかけないためにも、早くこの事態を解決しなければならない。

 しかし、いったい彼らは何者で、何のために自分を狙うのか────────

(やはり、早く調べなくてはいけない。のんびり休んでいる場合じゃないぞ・・!)

 明日を俟(ま)たず、その日から宏隆は行動に出た。



「あ、キミ、ちょっと・・・!」

「なんだい?」

 キャンパス内に幾つかある宿舎の建物を片っ端からウロウロしていると、あのとき、先行隊に急を告げに行った際に見かけた、覚えのある顔が歩いていたので、声をかけた。

「ヤンが見当たらないんだけど、どこへ行ったのかな?」

「さあ・・昨日の行軍でみんな疲れてるから、自分の部屋じゃないか?」

「そうか、ありがとう!」

 手を挙げて、わざと数歩歩いてから、振り返ってもう一度訊ねる。

「・・あ、そうそう、彼は何号室だったっけ?」

「───── C棟の203だよ!」

「あ、そうそう、C棟だったね、Thanks ! 」

 ヤンの部屋がどこかを調べるのは簡単だったが、いきなりドアを叩いて訪問するわけにもいかない。まずは中庭から、それとなく部屋の様子を観察してみる。

 しかし、下から見上げる2階の窓に特に変わった事があるわけでもないし、他の部屋と何も違わない、普通の宿舎の部屋が並んでいるだけである。

(こりゃダメだな。はて、あの部屋の様子が分かる位置は、何処になるか・・?)

「────────何やってるの、ヒロタカ?!」

「うわわっ!─────なんだ、ヘレンか、脅かすなよ、もう・・」  

「ふふ・・殺気を消して、普通の学生として近づけば、ヒロタカを襲えるわね」

「なにバカなこと言ってんだ。それよりヘレンこそ、ここで何やってるの?」

「私もあの窓を観てたのよ。ただし、向こうの丘からね。ここよりも遥かに目立たなくて、よく見えるから、窓の観察にはもってこいよ」

「ははぁ、どうやら、目的は同じらしいな─────だけど、僕は今来たばかりで、あそこが見える良い場所を探してたんだ」

「アハハ、強がらなくてもいいわ!、スパイはヘタだと謙虚に認めることが大事よ」

「なーに言ってんでぇ、エラそうに・・だいたい、もう暗くなってくるというのに、あんな遠いところから何が見えるっての?」

「・・ほら、こんな文明の利器もあるのよ」

「双眼鏡?、日本じゃそんなもの、野鳥の会の小学生だって持ってるさ」

「チッチッチ、分かってないワねぇ、ま、覗いてご覧なさいな」

「どら・・おっ、こりゃスゴイ、これが噂のノクトビジョン(暗視装置)ってやつ?」

「そうよ、玄洋會ジャパンにも、当然あるはずだけど・・」

「夜間訓練をやる前に、アラスカに来てしまったんだよ」

「それはお気の毒ね、それじゃ今から ”一緒に” 夜間訓練をしましょうか?」

「まったく・・フランス系ってのは困ったもんだなぁ!」

「あーら、連れないコト言わないの!」


 確かに、この丘からなら、その窓も、窓の中の部屋の様子もよく見える。
 夕暮れて暗くなれば、この丘の木陰で誰が居ても、向こうからは認識できないだろう。
 
「ところで─────君はどうしてヤンを見張ることになったんだい?」

「父から報せがあったのよ。どうやらヒロタカを狙っているのはフィリップ一人だけじゃないらしい、コリアンアメリカンは未だ諦めていないかも知れない、ヒロタカの身辺で少しでも不穏な動きがあれば徹底して調査しろ、って・・」

「ふうん─────でも、なんか、少しおかしいな」

「おかしいって、なにが?」

「台湾で北朝鮮に連れて行かれそうになった時も、この前のフィリップも、彼らの目的はボクを拉致して本国に連れて行き、再教育して洗脳し、諜報部のエリートに育て上げ、日本へのスパイにする、なおかつ親からは莫大な身代金を吸い上げる、ということだった」

「そうか、ヤンたちは誘拐目的ではなく、ヒロタカに危害を加えようとしているのね!」

「いや、ボクも初めはそう思ったが、そうでもないみたいなんだ」

「どうして?、射撃場で危ない目に遭って、今回の行軍でも危うくヒットするところを避けるように滝壺に飛び込んだんでしょう?」

「よく知ってるなぁ・・・」

「ほほ、情報収集はスパイのイロハよ。それに、あの暴発事件は学内でも有名だし」

「だけど、奴らは危害を加えようとしているんじゃぁない。ボクを暗殺するつもりだったら疾(と)っくに実行しているはずだよ。あれはワザと外して、ボクに何かを分からせようとしているんじゃないかと思うんだが・・」

「分からせるって─────いったい何を?」

「いや、ただそんな気がするだけだよ。だから取り敢えず、敵の目的が何であるかを観察しようと思ってここに来たんだ、そしたら・・」

「・・私がひょっこり現れた?」

「そういうコト、流石はボクの養育係兼ボディーガード、どこにでも出没するね」

「ボディーガードは失格ね、行軍ではあなたを守れなかったわ」

「そりゃ無理だよ、同じチームじゃなかったんだから」

「けれど、私の義務だから・・それに・・・・」

「・・おっ、部屋で誰か動いたぞ!」

 宏隆が、手にした暗視鏡のダイアルを急いで調整した。



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )







  *次回、連載小説「龍の道」 第165回の掲載は、11月1日(日)の予定です


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2015年10月01日

連載小説「龍の道」 第163回




第163回  BOOT CAMP (12)



 谿川沿いの狭い山路では、だんだん雨が強くなってきている。

「おぉーいっ、大変だ!・・待ってくれ、大変なことが起こった!!」
 
 遠くから呼び声がしたと思うと、泥まみれの迷彩服の男が、大慌てで隊列の後ろに追い着いてきた。バックパックは背負わず、ライフルだけを肩に担いでいる。

「誰だ?!・・・君はどこのチームの所属だ?」

 一見して、同じ行軍訓練中の学生だと分かるので、怪しい人間とは思えないが、鬱蒼とした針葉樹林の山路では、降りしきる雨も手伝って、雨合羽のフード深くにある顔さえよく見えない。

「後ろから来ていたチームの者だ。ウチのリーダーが銃に撃たれて滝に落ちた!、皆で探しているんだが、まだ見つからない。一緒に捜索を手伝ってほしい!!」

「・・な、何だって────────?!」

 隊列の先頭で、落ち着いて対応をしたリーダーの声が裏返った。

「銃で撃たれた?、何故そんなことに・・誤ってハンターに撃たれたのか?」

「よく分からないが、渡河のための川底を確認していたらいきなり銃声がして、同時にリーダーが滝に落ちたんだ。とにかく捜索をしなくちゃならない、君たちも手を貸してくれ!」

「それは大変だ──────よしっ、みんなで捜索に加わろう!」

「もちろんだ、すぐに行こう!!」

「もうすぐ暗くなるから、急いだほうがいい」

 他のメンバーたちも、心配顔をして頷き合う。

「・・で、場所はどこだ?、滝と言ったが、さっき渡った川のところか?」

「そうだ、靄(もや)が掛かって分かり難いが、あの川は少し下るとすぐ滝になっている。リーダーは滝を覗いていて、銃声と共にそこから落ちて行ったんだ」

「きっと無事だよ、ヘルメットも着けているし、訓練で鍛えているんだ。リーダーになるくらいだから、きっと優秀な人なのだろう、そう滅多なことはないさ」

 誰かが、慰めるように言ってくれる。

「ありがとう、協力を感謝する───────少し引き返したところに、谷へ下りる道がある。坂の終わりはちょっとした崖になっているが、そこから川原に下りられる」

「よし、行こう・・!!」

 小走りで来た道を引き返し、途中で山路を外れて、樹の多い斜面を谷へと下りて行く。

「なんだ・・ここは、さっき休憩していた場所じゃないか?」

「本当だ、Jung(ヤン)が用を足しに下りて行ったところだよ!」

 ─────誰かがそんなことを言った。

「ヘイ、COMMIT NO NUISANCE !!(立小便禁止)って立て札が見えなかったか?」

「WATCH YOUR STEP(足元に注意)なら、あるけどな!」

「あはは・・・」

 やがて全員でゴツゴツした岩だらけの川原に下りると、彼らに協力を求めてきた男が少し上流にある滝を指差して説明する。

「あそこの滝の上から、ウチのリーダーが滝壺に落ちたんだ」

「Whew!(ヒューッ)、ありゃ、かなりの落差だな!」

「軽く30フィート(9m)はあるぞ。あそこから落ちたってのか?!」

「オレは駄目だな、落ちるときに気絶して、そのまんまだよ」

「半分の高さでも、飛び込めないぞ・・」

 口々に言って、呆然としている。

「OK、我々のチームは滝壺の近くを探している、もうすぐここまで下りて来る頃だ。君たちはこの辺りから下流の方を捜索してみてくれないか?」

「よし、そうしよう。みんな、手分けして下流を探すんだ!」

「Roger──────── !!(了解っ)」

 学生とは言え、自ら望んでROTC(予備役将校訓練課程)に来るだけあって、皆キビキビと行動が早い。誰に命じられるわけでもなく、もう川原から足早に散らばって、他の者との間隔を取りながら捜索を始めている。

「ところで────────」

 チームと一緒に行動を取らず、まるで皆が居なくなるのを待っていたかのように、独りそこに残った男が側に寄ってきた。

「ん・・なにか用かい?」

「えーっと、君の名前は?・・・こんな時に名前を訊ねるのも変だが、そのネームワッペンが泥に塗(まみ)れてよく見えないんだ」

「ああ、ぼくは LEE(リー)という」

「リー、君たちのチームリーダーの名前は何といったかな?」

「KATO(カトー)だ」

「カトーか、あの射撃が上手いと評判のジャパニーズだな・・彼が滝に落ちたのか?」

「そのとおりだ」

「さっき銃声がしたと言ったが、それは君のチーム全員に聞こえたのか?」

「いや、たぶん僕だけかもしれない。リーダーと二人で渡河の具合を確認していて、そんなに離れちゃいなかったからね」

「それ以外に、何か見なかったか?」

「・・・何か、というのは?」

「撃ってきた方向に人影が見えたとか、硝煙の臭いがしたとか─────」

「なんだい?、まるで刑事みたいに、根掘り葉掘りと訊くんだなぁ・・」

「い・・いや、先ずは情報を収集しないと、捜索の効率が悪いからな」

 男は、すぐ感情が優先してしまうような、特徴のある軽い喋り方をする。

「ああ、確かにそれもそうだね。ところで、キミの名前は?」

「オレか?、俺の名は JUNG(ヤン)・・マイケル・ヤンだ」

 胸のワッペンを指差して答える。

「アジア系じゃ、そのスペルは珍しいな。心理学のカール・ユングと同じ名前かい?」

「そのとおり、ドイツ語でユング、英語読みではヤンだ」

「・・そして、朝鮮語だとチョン(Cheong=鄭)、かな?」

「な、何故そんなことを言う─────?」

「いや、ちょっと民俗学にも興味があるんだ。僕もアジア系だし。ヤンはコリアン・アメリカンに多い名前だが、朝鮮語の発音ではチョンになる。もっとも、チョンをヤンと読ませるには、だいぶ無理があるけどね」

「・・よく知っているな、そんな事を言われたのは初めてだ」

「こんどは僕の方から訊きたい。キミはその頃、どこに居たんだ?」

「その頃、というのは?」

「リーダーが滝に落ちた頃のことだよ」

「ああ、皆と一緒に休憩していたが・・」

「ふむ・・その休憩中に、チームから離れて谷に下りる道に行ったのか?」

「そうだ、谷側の薮に入ったら道が見えたので、用を足しに下りて行ったんだ」

「・・・ひとりで?」

「ああ、独りだったが、それが何か?」

「それは、ちょっとおかしいな────────」

「おかしいって・・いったい何がおかしいと言うんだ?」

「ボクはさっき、君たちに急を告げるために、この斜面を上ってきた」

「ああ、それで?」

「その時に、足元に複数の人間の足跡があることに気が付いたんだよ」

「・・・・・・・」

「その足跡は、我々が履いている軍靴と同じ、ビブラムソールのパターンだった」

「それは・・きっとオレが用足しをするために、場所を探して歩いたからだろう」

「いや、そこにはサイズの異なる、ふたつの足跡があった─────────」

「そ、そうか・・・」

「ヤン、君の靴のサイズは?・・ああ、#8(US.8=約26〜26.5cm)だね」

 スッと相手の側に寄って自分の靴と比べる。相手は呆気にとられて、どうすることもできない。

「ピッタリ僕と一緒だね。その足跡のひとつも、僕のサイズと一緒だった」

「・・・・・・・」

「そして、もうひとつの足跡は、#11(約29cm)以上はありそうな、かなり体格の大きい人間のものだった」

「ははは、足跡だけじゃ、体格の大きさまでは分からないさ!」

「地面への沈み具合が違うんだよ・・僕と同じサイズの方は体重が190ポンド(約86kg)くらいで、たぶん君と同じような体格だが、大きい方は恐らく240ポンド(約109kg)以上はある、沈着冷静で、よく鍛えた体を持つ人間のものだ」

「おいおい、いくら何でも、足跡だけで性格や鍛え方までは分からないだろう?」

「大きい足跡は、ある場所に位置を据えてから、それ以降はあまり動いていない。じっと身を潜めてひたすら獲物を待っているように、ほとんど身動きをしていない・・その為には、よく鍛えた身体と精神力が必要とされるはずだ」

「・・・・・・・」

「そして、それらの足跡は斜面の中ほどの、黒い岩とエゾマツの間にある、少し平らになっている場所で、最も多くなっていた」

「ほう、どうしてそんな所にばかり、たくさんの足跡があるんだ?」

「ぼくも不思議に思えた・・だが、そこに立ってみると──────」

「・・た、立ってみると、何なんだ?」

「とても見晴らしが良いんだ─────────川に下りる手前の、ぼくらが歩いてきた山路や、滝の様子などが手に取るように眺められる。こんな天候でも、その場所からだったら、川を渡ってくる人間や、滝を覗き込む人間を、じっくり観察することができるはずだ」

「・・・・・・・・」

「さらに都合の良いことに、向こう側からは、その場所が見えにくい」

「・・リー、君は誰かがそこから密かにカトーを狙って撃った、と思っているのか?」

「そうじゃないよ、ただ────────」

「ただ・・・ただ、何だ?」

「実際にその場所に行った君なら、タイミングが良ければ、リーダーが滝から落ちるところが見えたんじゃないかと・・足を滑らせたのか、撃たれたのか、はっきり区別が付くんじゃないかと、そう思ったんだ」

「いや、見ていない!、そんなものは見えなかった、見てたら皆に報告してるさ!」

「ヤン・・・君はさっき、ウチのリーダーが滝に落ちた頃には、チームのメンバーと休憩をしていた、と言っていたね?」

「ああ、そう言ったが」

「どうして、そのタイミングが分かったんだい?」

「そ、それは・・ただそんな気がしただけで、べつに深い意味は無い」

「そうか、それなら良いんだが────────」

「何故そんなことばかり訊く?、君の方がよっぽど刑事みたいじゃないか!」

「いや、少し気になっただけさ。僕の方も、べつに深い意味はない」

「ちょっと待てよ・・リー、君の顔があまりよく見えないんだが・・・」

 ヘルメットの上から雨合羽のフードを深々と被ると、雨の降りしきる暗い谷ではほとんど表情が見えない。それに、彼の顔は泥の付いた指で擦ったような跡があり、まるでカモフラージュの顔料を付けたみたいに、眼だけが光っているのである。

「もう少し、そのフードを上げて、顔を見せてくれないか?」

 険しい表情をして、リーの顔を覗き込もうとするが、

「ははは、ブッダじゃあるまいし、僕の顔なんか見たって何も Divine Grace(ご利益)は無いさ。それより、思わぬお喋りをして時間を喰ってしまった、早くリーダーの捜索に加わらなくちゃ!、そう思わないかい?」

 軽くあしらって取り合わず、もう向こうへ歩いている。

「ああ、そうだな───────」

 憮然として、ヤンも下流へと歩き始めたが・・・
 ふと、何を思ったのか、そっと立ち止まると、肩のライフルを胸の前で構え、先に歩いて行くリーの背中に、ピタリと銃口を向けた。


(・・多分あいつは、狙われていることを察知して、サッと体を起こした)

(こっちが撃とうとする、そのほんの僅かな瞬間を、何かのセンサーで察知できるヤツが、この世界には確かに存在するんだよ・・・)

(彼奴(あいつ)が、そういう希な人間だということか?)

(ああ、どうもそんな気がしてならない・・・)


 ────────あのとき、まさにリーから指摘されたその場所に潜みながら、仲間から言われたことをヤンは思い出した。

「もし、あいつが本当はカトーだったら、きっと振り向いてオレに銃を向けるはずだ・・」

 それを、ここで確かめてやろうと思ったのである。

 しかし、当の本人は何も変わらず、軽快な足取りで下流へと歩いて行く。
 誰かに背中を狙われていることなど全く気付かない様子で、むしろ大小の石が混じる足許の悪さを気にしながら、ひたすら川原を歩いてゆくのである。

「ふん、やはり本人ではなかったか────────」

 あまりにも、カトーとは Force(フォース=気迫)が違いすぎる、とヤンは思った。
 食堂で見かける時さえ、明らかに他の者とは違う何かがカトーには感じられるのだが、いま後ろ姿で歩いて行く男は、とてもそれほどの人間には感じられない。

「だとすると、奴は本当に下流に流されたかも知れないな・・どれ、行き掛かり上、オレも捜索に加わるとするか」

 そう独り言をいうと、ヒョイとライフルを担ぎ直して、また仲間の声がする方へと歩き始めた。



 それから30分ほど経って、雨が少し小降りになってきた頃────────

「おーい!・・見つかった、見つかったぞ!!」
 
 下流を捜索していたチームに向かって、上の方から誰かが大声を上げて走ってくる。

「居たぞ!、カトーが、リーダーが見つかったんだ!」

 行方不明となっていたリーダーが、大した怪我もなく無事に戻ってきたと、息を切らせて言うのである。

「ありがとう、協力を感謝するよ!」

「いや、当然のことをしただけだ、本当に無事でよかった。行軍は続けられそうか?」

「ああ、リーダーは信じられないほど元気だから、まず大丈夫だ」

「そうか、では我々も行軍ルートに戻って、訓練を続けることにしよう」

「みんな、ありがとう!、心から感謝するよ────────」

「Oh, It was nothing !!(どういたしまして、何てことはないさ)」

「You bet !!(いいってコトよ・・)、無事で何よりだ!」

「ありがとう!」

 そう言って、また戻って行こうとすると、

「ちょ・・ちょっと待ってくれ」

 後ろから、他の者を掻き分けるようにして、ヤンが出てきた。

「なにか・・?」

「キミの名前は?」

「Lee だ、Nicholas Lee(ニコラス・リー)」

 胸のワッペンを指差して、言う。

「リー?・・・さっき我々の所に知らせに来たのは、君か?」

「いや、ボクは来ていない」

「それじゃ、さっき大慌てで走って来て、そのあと俺と川原で話をしていたのは誰だ?」

「さあ?・・僕はリーダーの無事を知らせに自分のチームのところに走って、皆と服を乾かしたりしながらリーダーの帰りを待っていたから、分からないな」

「ちょっと待てよ、オレはさっきまでリーという男と話をしていたんだぞ!」

「名前のワッペンを、Lopes(ロペス)と読み間違えたんじゃないのか?、エルから始まってスペルが似ているし・・」

「そいつのネームワッペンは、泥だらけで全く読めなかった!」

「それじゃ名前の聞き違えだろう・・誰か他にそこに居なかったのか?」

「俺が初めて彼の名前を尋ねたんだ。急いでいて誰も訊こうとしなかったし、本人も名乗らなかったから、後からオレが訊いたんだ。だがその時は皆が捜索に向かった後だった・・」

「きっと、ウチのチームの誰かが気を利かせて、応援を求めに来たんだよ」

「まてよ・・リー、君は誰に指示されてここへ来た?」

「リーダーのカトーだ。彼が山路を戻ってくる途中、下流の川原に別のチームが歩いているのを見かけて、自分を捜索しているのが分かって、ボクをここへ知らせに寄こしたんだ」

「そうか・・・もういい、わかった・・・・」

「OK、それじゃ、みんな気をつけて────────ゴールで会おう !! 」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )







  *次回、連載小説「龍の道」 第164回の掲載は、10月15日(木)の予定です


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2015年09月15日

連載小説「龍の道」 第162回




第162回  BOOT CAMP (11)



「命中したのか────────?」

「・・いや、突然動かれて、思わず手元が狂った・・足元の岩に当たったようだ」

 木立の中の繁みになりきったかのように、低く、じっとしゃがみ込んでいた二つの影が、そう呟(つぶや)き合った。ひとつの影は、スコープを着けたライフルを抱えている。

「そうか、それでいい。いま殺ってしまうと、かえって後が面倒だからな・・」

「うむ・・しかし、あの高さから落ちたのだ。たとえ命に別状がなくとも、普通ならまず、大怪我は免れまい」

「だが、落ちてから何処へ行った?・・まだ滝壺の中か?、それともそのまま流されてしまったのか?」

「さあ、分からないな。滝の下は飛沫(しぶき)と靄(もや)であのとおりだ。ノクトビジョン(暗視装置)か、サーマルビジョン(熱感知装置)でもあれば、確認できるが」

「ああ、そうだな───────」


 ここは、宏隆たちが渡ろうとしていた川の、対岸にある曲がりくねった山路を数百メートルほど先に進んだ、針葉樹がよく茂った斜面を少し谷側に下りたところである。
 川沿いのこの場所からは、さっき宏隆が立っていた大岩がよく見えるし、轟々と音を立てて落ちる瀑布が再び川の流れとなって、大小の岩を巻きながら波打って下って行く様子もよく眺められる。
 そして、この位置からは滝がよく見えるが、宏隆の居たところからは此方が見えにくい。
 隠れて誰かを狙うには格好の場所であり、直線にすればそう遠くもなかった。


「しかし、大した奴だな、あの若造は──────」

 やや年配と思われる、がっしりとした影がボソリと言った。

「ん?・・何を思ってそんなことを言うんだ?」

 もうひとつの影はまだ若いらしく、やや高揚気味に、軽い喋り方をする。

「多分あいつは、狙われていることを察知して、サッと体を起こした・・だから俺も思わずハッとして、狙いよりも少し前寄りに銃弾が逸れてしまったのだ」

「あははは・・いくら何でも、そんなバカな事があるもんか!、この薄暗い雨の中を、滝のノイズで何も聞こえないような場所で、自分が銃(ガン)で狙われていることを感知できたとしたら、そいつはきっと人間じゃない、違う惑星から来たエイリアンか何かさ!」

「いや、そうではない。お前はまだ経験が浅いから分からないだろうが、戦場ではそんなことも希に起こるのだ──────狙って撃とうとしたその瞬間に、標的がフッと移動する。
 もちろん本人は知らず、気にも留めていないのだろうが、まるで呼吸を合わせて避けたように、引き金を引こうとする、まさにその瞬間に、スコープの中から消えてしまうのだ。
 こっちが撃とうとする、そのほんの僅かな瞬間を、何かのセンサーで察知できるヤツが、この世界には確かに存在するんだよ」

「彼奴(あいつ)が、そういう希な人間だということか?」

「ああ、どうもそんな気がしてならない───────」

「だが、この前の射撃場の一発は、そんな反応は何も無かっただろう?」

「あれは、こっちも露骨に構えて撃った訳じゃないからな。それでも、教官を含む多くが居る中で、あいつだけが素早く飛び退って地面に伏せ、即座に撃った方を見た。もしライフルを持っていたら、すぐこっちに向けて構えた筈だ。恐ろしい奴だよ」

「ふぅん、オレにはよく分からないが、まあ良い・・それよりどうする?、川原(した)に降りて、ヤツがどうなったか、確認してみるか?」

「いや、そんな時間はない。モタモタしていると捜索に手を貸さなくてはならなくなるし、皆より先に行ったら、かえって我々が疑われるかもしれない。あくまでも事故として、そのまま斃(くたば)ってくれればそれが一番良いのだ。今は素知らぬふりをしてチームと一緒に先に進み、さっさと行軍を終えてしまうのが得策というものだろう」

「よし、それじゃ行くか・・」

「おう・・」

 そう言って頷き合うと、二つの影は何ごとも無かったかのように静かに斜面を上り、元の山道へと戻っていった。
 上の道には、行軍途中で休憩をしている仲間が待つのであろう。その会話からは、二人が宏隆たちと同じ、この行軍訓練に関わる人間であるということが窺える。何よりも、彼らが身に纏っているものは ROTC(予備役将校訓練課程)で支給される、同じ迷彩服であった。


「カトー!・・・おおーい、カトー・・・!!」

「カトー!、カトー!・・居たら返事をしてくれ!・・カトォーッッ!!」

 宏隆のチームが滝の下に降りてきて、必死になって彼を探している。

「どうだ、居たか────────?」

「いや、どこにも居ない・・」

「おかしいなぁ、あそこから落ちたなら、この辺りに倒れていても良いはずだが」

「落ちてから、川に流されたのだろうか?」

「薄暗いから、見落としているのかもしれないな。この川原にはたくさん薮もあるし・・・そうだ、念のため滝壺の中も覗いてみてはどうだ」

 サブ・リーダーの提案に、銘々がフラッシュライトを出して、滝壺を照らす。

 このような軍事訓練では、リーダーやサブ・リーダーが、訓練の前に教官から予め任命をされている。大抵は普段の訓練で成績の良い者がそれに選ばれるが、基本的にはチームの全員がリーダーシップを取れるように教育を受けている。
 それは、もし上官である隊長に何かがあれば、必ず次の上官がリーダーとして機能でき、それも出来ないような場合には、最も階級が上の兵士がリーダーになる。実際の戦場では最後の一兵となるまで、命令系統が持続できるシステムになっているのだ。

 行軍訓練中とは言え、宏隆が行方不明となった今は、さっそくサブ・リーダーのロペスがチームの指揮を執っている。勿論この遭難事故は誰にとっても思いも寄らなかったが、彼らにしてみれば、様々な意味で日頃の実力が試される貴重な実地訓練とも言えた。


 幅が20mほどある川から落ちる滝は、高さが9mもあり、その真ん中の、瀑布の落ちる処が大きな飛沫きを上げていて、滝壺に勢いよく大小の渦を巻かせている。

「意外と深そうだな、この滝壺は────────」

「長年の間に、増水する度に、だんだん深くなってきたのだろう」

「アラスカじゃ、滅多に大雨は降らないのにな」

「世界中が異常気象というご時世だ。比較的雨の多いフェアバンクスで、偶(たま)に大雨が降ったって、ちっともおかしくはないさ」

「滝壺の深さは、どのくらいだろう?」

「こいつは、13フィート(4m)ぐらいは優にありそうだな」

「その深さじゃ、いくら上から照らしても、見えないな」

「カトーは、この滝壺に落ちたんだろうか?」

「あの岩に立っていたんだったら、ちょうど滝壺の真上だ」

「だが、よりによってリーダーのような人間が、なぜ落ちたんだ?」

「分からないな。近くに居たリーは、カトーが一瞬、”あっ!” と声を上げて、跳ぶように落ちていったと言っていたが」

「足が滑ったのか─────?」

「いや、カトーは誰よりも慎重で繊細な男だ、うっかり足を滑らせるワケはない」

「おい、滝壺の水は、思ったよりも冷たいぞ!」

 誰かが水の中に手を入れて、冷たそうに水滴を払う。

「だとしたら・・これだけ時間が経っているんだ、考えたくはないが、もう・・」

「縁起でもない、そんな事を想像している場合じゃないだろ!、誰か、長い木を探して来てくれ。滝壺の底を突っついて、確かめてみるんだ!!」

「よし、オレが手頃な枝を伐(き)ってこよう───────」

「ボクは、もう少し下流を探してみるよ」

「オーケー、二次災害にならないように気をつけろよ!」

「了解っ────────!」


 宏隆が行方不明となってから、急遽チーム・リーダーの任を負う羽目になったロペスは、なかなかテキパキと、仲間に捜索の指示を出している。

「あれぇ?・・おかしいなぁ・・・?」

 残ったウィリアムズが、この場に似合わない、間の抜けた声を出した。

「・・なんだ、どうしたんだ?」

「さっき、向こうの岩のところに、バックパックとライフルを置いといたんだが・・」

「ちゃんと、担いでいるじゃないか」

「いや、バックパックはあったが、ライフルだけ無いんだよ」

「もっとよく探してみろよ!、ライフルは黒っぽいから、見えにくいんだよ」

「ああ、そうだけど・・でも、おかしいなぁ、荷物と同じ所に立てて置いたのに・・」

「いいから早く探せよ。ライフルより、カトーを早く見つけなくちゃ!、それに装備はそこらに置かずに、いつも身に着けていなくちゃ駄目だよ。ライフルも身体から離さずに、抱えるか、担ぐか、手元に置けと教わっただろう?」

「ああ、分かってるさ。フラッシュライトを出すのに、ちょっとあそこの岩陰に降ろしたんだ。それで、つい、そのまま滝の前に来て・・・皆とライトを滝壺に向けて・・・それで戻ってきたら、バックパックは有るのに、ライフルだけ無いんだ。変だよなぁ、まだそんなに時間も経っていないのに、なぜ消えたんだろう?」

「アラスカの川には、カリブー(北米に生息のトナカイ)がよく水を飲みに来る。そいつの角にライフルのスリングを引っ掛けられて、どこかに持って行かれたんじゃないのか?」

「そ、そんなぁ・・・」

「ははは・・失(な)くしたら、教官から大目玉を喰らうぞ!」

「笑いごとじゃないよ、もう・・」


 そのころ、リーはサブリーダーの指示で、次のチェックポイントで待つ教官にこの事態を知らせるために、山路を急いでいた。
 小柄ですばしっこいリーは、腰の近くまで増水している川を、まるで水遊びでもするようにザブザブと渡り、対岸の滑りやすい崖をあっという間に駆け登って、足取りも軽く、蛇行した川に沿って作られた山道を走ってゆく。

 彼はハイスクールでトレッキングクラブに入っていただけではない。大自然の中を歩くことが好きで、アメリカ国内はもとより、カナダにも度々行って、様々な山岳地帯をトレッキングしてきた。アラスカでもデナリの山麓を幾度か歩いたことのあるリーにとっては、このフェアバンクスの森林地帯は、むしろ平坦で歩きやすいと感じられてしまう。

「・・おっ、あれは、我々の先に歩いていたチームだな。よし、急ごう!!」

 数百メートルほど向こうの針葉樹の木立に、先行する集団の影が見えたので、リーは彼らにも捜索に加わって貰おうと思い、さらに足を速めた。

 そして、もうすぐ追い着くと思えた、そのとき──────────

「おい、待て・・・!」

 突然、谷側の薄暗い茂みから、目の前に迷彩服姿の人間が躍り出たので、リーは飛びあがるほど驚いた。

「うわわわあああっっ────────!!」

「あ、すまん・・驚かせてしまったか」

「カ、カ、カトーじゃないかっ!・・ああ、良かった、生きていたのか、良かった!・・・ケガは、怪我はないのか?、お前、びしょ濡れじゃないか、寒くないのか?・・・」

「大丈夫だ、軍服のお陰で寒くはない。軽い打撲と擦り傷ぐらいで、大した怪我もないよ」

「そうか、何だか夢みたいだな・・だけど、どうしてこんな所を歩いているんだ?」

「下流に少し流されて、そこから上がってきたんだ」

「そうか、良かった、本当に無事でよかった!・・みんなお前のことを心配して、今も必死で探しているんだ、僕は、カトーが滝に落ちたことを教官に知らせるために、次のポイントまで走ろうとしていたところだ!、すぐ近くに先攻チームが見えたから、彼らにも応援を頼もうと思って・・そしたらお前がその茂みから・・!!」

「すまん、本当に済まん─────ちょっと落ち着いて聞いてくれ」

「・・聞くって、何を?」

「ちょっと確かめたいことがあるんだ──────ボクはこのとおり大丈夫だから、教官には報告しなくても良い。引き返して、皆に無事を知らせてくれ。足を滑らせて滝に落ちて、少し下流に流されたけど、カトーはもうすぐ戻ってくる、怪我も無い、って・・」

「カトー、何か様子が変だな・・・いったい何があった?、確かめたいことって何だい?、だいたい、お前が、あそこから落ちたこと自体、おかしいよ。お前のような男がなぜ突然、自分から飛び跳ねるようにして滝に落ちたんだ?」

「あとで話すから・・・悪いけど、今はボクの言うとおりにしてくれないか?」

「そうか、分かった。だが気をつけろよ、ひとりで大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だ・・ありがとう」

「よし、それじゃ、皆に知らせに行くよ」

「頼んだぞ────────」


 来た道を急いで引き返して行くリーを見送ると、宏隆はすぐ傍の木の幹の裏に手を伸ばして、ライフルを取り上げた。さっき川原で失敬してきた、ウィリアムズの銃である。
 捜索する仲間の目を掠めて、それを手にしたとき、宏隆は改めて自分の甘さを悔やんだ。

 さっきモーガンが足を滑らせて意識を失ったときに、手当ての為にバックパックとライフルを降ろし、彼が蘇生した後も、川幅や深さ、渡りやすい所を探すために、そのままリーと共に川に入り、すぐに帰ってくるつもりだったのだが、その途上で思わぬ銃撃に遭って滝に落ちてしまい、装備も銃も持たぬまま、敵を追う羽目になってしまった。

 もしこれが行軍ではなく戦場だったら、常に装備を肌身離さなかったに違いない。
 こんなところにも、まだまだ自分の甘さが有ったのである。


 そして、宏隆には分かっていた────────
 滝口の大岩から滝壺を覗き込んでいたとき、近くで自分を呼ぶリーの声さえ掻き消されてしまいそうな瀑布の轟く中でも、何者かが自分を狙っている、その気配がはっきりと感じ取れたのだ。

 誰かが自分を狙っている───────それを最も強く感じたその瞬間に、ハッとして、自分の立って居る所も忘れるほど、勝手に体が反応して飛び跳ねてしまい、滝壺に向かって落ちていった。
 
 滝は9mほどの高さがある。だがその程度なら、宏隆にとってはそう難儀ではない。
 滝壺が深そうだと思えた、その直後だったことも、その予期せぬジャンプで大怪我をせずに済んだ一因であるし、瀑布が落ちて砕ける一番深そうな所に落ちたのも幸いであった。

 滝壺に落ちながら、宏隆は落ちた後のことを考えていた。そんな僅かな時間に、どうしてそんなことを思えるのか分からないが、人はそんな時には、ひどくゆっくり時間が流れるものらしい。
 ともかく、滝壺まで落下する間に、落ちて浮いてきたところを再び狙われるかも知れないので、少し潜ったまま息の続く限り流れに沿って下流へ移動しよう、と宏隆は考えたのである。

 想ったとおり滝壺は深く、割と楽にそこへ飛び込むことが出来た。
 ラペリング(rappelling=ロープで懸垂降下すること)の訓練で、高さ20mの鉄塔から頭を下にして勢いよく飛び込む、Plunge(プランジ)と呼ばれる訓練の方がよほど度胸が要った、と思える。

 それでも、ロープ無しに9mを落下した勢いは滝壺の底に叩き付けられるほど強く、水も驚くほど冷たかったが、そのまま潜って、流されるままに少し下流へと進んだ。
 途中、岩陰を見つけて、静かに浮き上がって息継ぎをしていると、対岸の薮の中に怪しく佇む二つの影が見えた。驚くほど近いところなのに、影たちは宏隆に気付かない。

 身を隠そうとする対象がある場合、潜んでいる者はその方向には気を配るが、よほどの訓練を積んでいなければ、それ以外の方向に対しては意外と杜撰(ずさん)になってしまうものである。
 彼らもまた例外ではなく、流されたかも知れないとは思いつつも、宏隆がすぐ傍まで来ているとは思えず、相変わらず滝の方にばかり注意を払っていたので、側面から背後にかけての気配りが疎かになり、容易に宏隆に見つけられてしまったのだ。

「あれだな、さっき撃ってきた奴らは・・」

 その不審な佇まいに、彼らが敵であることを直感できる。
 同じ斜面の上では、何人かが集まって、座ったり動いたりしているのが見えた。

「やはり、あの時と同じ相手だったか────────」

 この距離と薄暗さで顔までは判別できないが、そのシルエットにはどこか見覚えがある。
 学生食堂でヘレンと食事をしていたときに、誰かに凝視されているような気がしてならなかったことや、ついこの間の射撃訓練で、ターゲットを確認中に、すぐ足元に実弾が飛んできた事などが脳裡に甦ってくる。

 敵は自分と同じ、予備役の人間だったのだと、宏隆は確信した。

 その二人がチームの居る山道に戻るのを確かめると、宏隆は岸に上がり、捜索しに来た仲間たちにも気付かれないように、ちょうど其処に置いてあったライフルを拝借して、少し下流に歩いてから崖を登ったところへ、リーが走ってきたのだった。

 リーを先に返したのは、もちろん、独りで敵の正体を確認するためである。


                    ( Stay tuned, to the next episode !! )







  *次回、連載小説「龍の道」 第163回の掲載は、10月1日(木)の予定です


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2015年09月01日

連載小説「龍の道」 第161回




第161回  BOOT CAMP (10)



 チームの士気が上がって、皆の足取りも軽い。
 ざんざん降りの雨さえ、今では自分たちが挑戦すべき対象だと思えてくる。
 疲労のせいで、地図の読み違いではないかとリーダーを疑うような感情とは全く違った、共通の目的のための連帯が、彼ら六人の中には芽生えていた。

 チームリーダーは本来、伍長か一等兵の立場であると先に書いたが、伍長の「伍」は文字どおり「五人」を表しており、もとは五人編成の兵士チームの長という意味である。
 伍長は下士官の最下位の階級であり、兵卒から見ればすぐ上の階級に位置している。そのような意味でも、ここで宏隆はまさしく「伍長」のような役割を担っていた。

 
「Halt!(全隊、止まれ)────────」

 先頭を歩いていた宏隆が、小高くなった茂みの前で手を挙げて、皆に号令をかけた。

「なんだ、どうした────────?!」

 突然の停止号令に、後方の者たちが心配そうに訊ねた。

「ここに急な崖がある、そこから先は川だ、先ずは河原に降りて様子を見てみよう」

 茂みのすぐ先は小さな崖になっていて、下には石だらけの河原が見える。
 15フィート(約4.5m)ほどの落差の崖だが、両側から茂みが覆っていて分かりにくい。 しかも雨で地面が泥濘(ぬか)っているので、もしこれが闇夜だったら崖の際(きわ)が見えず、危うく足を踏み外してしまうところかも知れなかった。

「Slippery slope!、Watch your step!(滑りやすいぞ、足もとに気をつけろ!)」

 先頭を切って、素早く崖を駆け降りた宏隆が、下から皆に声を掛ける。

「おおっ、お見事!、まるで ”ウシワカ・マル” みたいだな、カトーは!」

 ギョロ目のモーガンが、感心したようにつぶやいた。
 彼は行軍の出発前に、宏隆とその話をして、罰の腕立て伏せをやらされたのだった。

「なんだい・・その、ウシなんとかってのは?」

 トーマスが訊いてくる。

「12世紀の日本の、有名な武将だよ。マウント・クラマでテング・ニンジャに育てられて、イチノタニやダンノウラでタイラ(平氏)を滅ぼした偉大な Commander(司令官)だよ」

「・・へえ、カトーはそんな人物の血を引いているのか?」

「そうかもしれない、日本人は不思議だな──────────」

「おーい、何をしているんだ、早く降りてこいよ!」

 宏隆が下から怒鳴る。

 宏隆にしてみれば、泥濘っているとは言え、一ノ谷の逆落しにはほど遠い、この程度の崖をヒョイヒョイ降りられなくては、コードネームの「Kurama」が泣く、と思える。

「降りないんなら、オレが先に Slippery slope(滑りやすい坂道) を行くぞ・・」

 モーガンたちがなかなか降りようとしないので、リーが先に、スキーで滑るような恰好で颯爽と降りてゆく。

 だが、15フィート(約4.5m)ほどの落差とは言え、ライフルを含めて27kgもの荷物を背負って、雨で泥濘る急な斜面を降りるのは、それほど容易ではない。

 現に、案の定────────────

「うわぁあああ・・・・っっ!!」

 宏隆の身軽さに感心していたばかりのモーガンが、足を滑らせて大きく転んだ。

「モーガン・・・おいっ、大丈夫か、モーガン!!」

 崖の下は大きめの岩がゴロゴロしている。モーガンは下まで転がって、ヘルメットを大きな岩の間に突っ込んで、バックパックを背中に載せた恰好のまま、動かない。

「引っ張り上げろ!・・ケガが無いか、息をしているか、確認するんだ!!」

 指示をしながら、何とかモーガンを引きずり出し、仰向けに寝かせる。

「モーガン・・おいっ、聞こえるかっ?・・聞こえたら頷くんだ!!」

 耳元で名前を呼ぶが、ぐったりして応答がない。

「まさか死んじゃいないだろうな・・・脈はあるか?、息はしているのか?」

 心配そうに、リーが宏隆に訊いてくる。

「脈はある─────少し弱いが、息もしているから、気絶しているだけかもしれない。ざっと見たところでは、出血もないし」

「どうしたらいい?・・・こんな森の奥に救急車は来てくれるわけもないし、サージャント(教官)の待つチェックポイントまでには、まだかなり距離があるぞ」

「ぼくが、何とかやってみよう──────────」

「何とかって・・カトー、いったいどうするつもりだ?」

「説明はあとだ────────誰か、モーガンの上半身を抱えて、起こしてくれ!」

「それじゃ、二人で起こそう・・OK?、ワン、トゥー、スリー!!」

 だが、泥酔した人の身体を扱うのがとても難しいように、気絶してぐったりしている人間を抱え起こすことは、決して簡単ではない。
 
「うーん・・ダメだ、グテグテしていて、うまく起こせないぞ」

「よし、ボクがやろう─────────────」

 宏隆はさっさと、手際よくモーガンの両腕を胸の前で重ねると、向こう側の肘と肩に手を掛けて、スーッと、軽やかにモーガンの上半身を起こした。

「Wow(ワォ)・・・!」

 その手際の良さに皆が目を見張ったが、その後に彼がとった行為には、誰もがただ呆っ気にとられて、驚きの声さえも上がらなかった。

「フンッ──────────!」

 宏隆は、腕を交差させて抱え起こしたモーガンの体に、そのまま後ろから手を回し、両手を彼の手に重ね、それが肋骨の下の辺りに来るようにして体を密着させ、気合いもろとも、後ろ斜め上の方向に急激に引っ張り上げたのである。

「・・・・・・・・」

「まだ駄目か・・よし、もう一度だ、エイッ───────!!」

「う、ウーン・・・・・」

「あ、モーガン!・・モーガンが気がついたぞ!!」

「おい、聞こえるか?、ぼくの声が聞こえるか・・?」

「ううむ・・・あ・・ああ・・・き、聞こえるよ・・・」

「眼は見えているか?・・さあ、こっちを見て・・この指は何本だ?」

「さ、三本・・・・」

「オーケー、それじゃ、この指を見つづけて、これを目で追うんだ」

 立てた人差し指をゆっくり右や左に動かして、モーガンの目が動くことを確認する。

「よし、どこか痛いところは無いか?、骨は折れていないか?、自分で身体を動かせたら、ゆっくりと動かしてみてくれ」

「うーむ・・・だ、大丈夫だ、取り敢えず、ひどい痛みはどこにもない─────」

「ふう、良かった・・ヘルメットを被っていたし、装備付きのゴツい弾帯をしているから、落ちたときの衝撃が和らいだんだな」

「ああ、だが、抱えていたライフルで胸を打ったみたいだ、少し痛むよ・・・」

「でも、その程度で済んで、良かったな」

 誰かが水筒をさしだして、モーガンに飲ませている。

「しかし、すごいなぁ、カトーは!・・・いったい何をやったんだ?」

「そうだ、とても不思議だ!、あんな風に抱えただけで意識が戻るなんて、まるで魔法のようだ、あれは何だ?、なにをしたんだ?」

「活法、だよ──────────」

「カッポウ・・・?」

「ああ、日本の古い伝統武術に伝わる Art of Resuscitation (蘇生術)のことだ。もっとも、実際に気絶している人間にやったのは初めてだけどね、あはは・・・」

「蘇生術───────?!」

「居合という Swordsmanship(剣術)の先生が Jyu-jyutu(柔術)も教えてくれたんだ。その中に活法の学習もあったんだよ。必ず役に立つから、って言われてね」

「オオ、ジュージツのテクニックか・・・そりゃすごい、It's Amazing!、The Mysteries of the Orient !!(東洋の神秘だ!)」


 今日ではグレイシー柔術などの存在によって、海外にも柔術が存在することがようやく日本人に認識されるようになったが、柔術は明治以降、急速に海外に普及していった。嘉納治五郎が創始した柔道が海外に渡る前に、多くの柔術流派が海を超えて異国の地へと渡って行き、海外で良く知られるようになったのである。
 講道館柔道、つまり今ある柔道も、もとは天真真楊流と起倒流を学んだ嘉納がそれを元に独自に工夫を重ねて創始したものであった。

 小説「姿三四郎」の影響で、かつて明治の頃、柔道が古武術の柔術を試合で打ち負かし、それによって急激に柔術が衰退していったと信じている人が多いが、それはあくまでも小説の話で、実際には警視庁が採用する武術を決定する試合に講道館柔道が勝利したことで、それまでの警視流柔術が指導されなくなり、その後、学校体育にも採用されたことで急速に柔道が広まって行った。そして講道館柔道が広まるにつれて、その試合形式が全国の柔術の道場でも受け容れられるようになり、日本中の柔術が徐々に ”柔道化” していくようになったのである。
 講道館柔道が絶対的に強かったというわけではない。寝技などでは不遷流柔術に何度も敗北し、そのために講道館は必死で寝技を研究することになった、などという話もある。

 また、明治後期には、卓越した技法を持つ武田惣角の大東流合気柔術が登場し、後に幾つかの分派が生まれるほど、実戦的な柔術として独自の発展を遂げている。
 戦後急速に普及した合気道も、創始者である植芝盛平が武田惣角に弟子入りしてよく研究した処による、というのは読者もよくご存知のとおりで、手を掴ませて投げるような稽古法も大東流ととてもよく似ている。


「すごいワザだなあ・・カトーが居なかったら、次のポイントまで走って教官を呼んでこなくちゃならないところだった。時間がどれだけ掛かるか分からなかったよ」

「カトー、そのテクニックを、ぜひ俺たちにも教えてくれないか?」

「そうだ、戦場へ行っても、きっと役に立ちそうだし」

「ああ、良いとも!、無事に宿舎に帰ったら、ゆっくりみんなに教えるよ」

 宏隆がにっこり笑って皆の顔を見上げた。

「・・だが、ともかく今は、ゴールに向かってひたすら歩くしかない。モーガン、どうだ、動けそうか?」

「ああ、大丈夫だ・・リーダーに何をされたのか分からないが、とにかく、再びこの世界に戻れたらしい。この崖を降りる前に、Slippery slopeには、”破滅に到る道” という意味もあるのを、ふと思い出したのがいけなかったな・・・ありがとう、カトー」

「ははは、良かったな。それじゃ、少し休んだら出発しよう。次はいきなり川を渡るから、そのつもりで居てくれよ────────」


 幅が65フィート(約20m)ほどの川の流れが、宏隆たちのチームの眼の前にある。普段はそれほど深くもなそうな川だが、だいぶ前から上流の山間部で雨が降っていたのか、深さもかなりありそうだ。
 流れを目で追って行くと、川面が突然見えなくなっているので、地図で確認したとおり、そこから先は滝になっているのが分かる。

「さてと、モーガンが休んでいる間に、渡河の下調べをしてくるかな・・」

「リーダー、ボクも行くよ。けっこう流れが速いし、水かさもあるから、Buddy(バディ=二人一組のシステム)のほうが安心だろう?」

 山歩きの得意なリーがそう言った。

 Lee(リー)という姓はよく中国発祥と思われがちだが、白人にも多く、アメリカでは20番目くらいに多い姓で、日本の林、山崎、清水などと同じくらいの順位である。
 英語を始め、ノルウェー語やヘブライ語でも Lie、Li、Lee、などと書かれる。ジーンズで有名な Lee(ヘンリー・デイビット・リー)もその一人である。
 中国語系のリーは「李」からきているが、欧州の Lee の由来は英語の古語で「草地」を意味する「Leah」を元とするものと、ウィリアム がウィリーになり、さらに短く「リー」と愛称が変化してきたものなどがある。


「・・・そうだね、ありがとう、リー。それじゃぁ一緒に来てくれ。念のため、向こう岸の樹にコイツを括ってこよう。二人分を繋げば、ここまで届くに違いない」

 宏隆がそう言って、束ねた細引きのロープを示した。
 Paracord(パラコード)と呼ばれる、パラシュート用の、耐荷重が250kgもある細くて強いロープである。これ一本あれば、タープ(屋根用の広い布)を張ったり、谷から水を汲んだり、切れた靴紐の替えにもなる。布や蔓(つる)に絡めて使えば高所からの降下も可能な便利なものだ。学生兵士たちは装備品としてこれを配布されていた。

「よし、行くぞ──────────」

 所々に茂みの点在する河原から、靴のままジャブジャブと川の中に入って行く。
 リーが言うように、けっこう流れは速いし、深い所では水かさが膝上から腰の辺りまである。宏隆はなるべく浅瀬を選んで、歩きやすいところを探しながら水の中を歩いた。

「うむ、この辺りなら比較的浅いし、川底も安定しているぞ・・リー、どうだ、このラインでパラコードを張ろうか?」

 いま来た岸と、向こう岸を、手で線を引くように示しながら、宏隆が言う。

「ああ、ぼくもそう思っていたところだ。ここならモーガンも渡りやすいだろう。だけど、すぐそこが滝になっている。落差はそれほど大きくはなさそうだが、もし落ちでもしたら、エラいことだろうから、気をつけなきゃ・・・」

「OK、ちょっと滝口(水の落下開始場所)を確認してこよう」

「おいおい、カトー、気をつけてくれよ・・・」

「なぁに、大丈夫さ!」

 川に入る前に、宏隆は手頃な太さの枝をナイフで切ってきて、杖代わりにしている。
 その長い杖で川底を探りながら、慎重に歩いてきたのだった。
 そして今も、滝口に向かう辺りに、何処か川底が危ういところが無いかどうか、チームの者たちのためによく確かめておこうとしているのである。

「ああ、此処からなら、下が見えるぞ──────────!!」

 向こう岸にほど近い、滝口のすぐ傍に大きな岩があって、宏隆はその上によじ登り、四つん這いになって滝口を見下ろしている。

「落差は30フィート(9m)くらいかな。この雨でかなりの水量の瀑布だが、普段は原野の中の美しい滝なんだろうな・・・」

 大声を出さないとリーには聞こえないので、独り言のように宏隆がそう呟いた。

「リーダー、もう良いだろう!・・早く岸に戻って皆を渡らせよう!!」

 向こうから、リーが両手をメガホンにして叫んでいる。

「オーケー、オーケー、いま行くよ!!」


 だが、そのとき・・・

「ダンッ・・・・・!!」

 滝の音や、雨が合羽に当たる音で、誰もよくは聞こえなかったが──────────
 かすかに銃声のような音が響き、宏隆が起ち上がったばかりの大岩の、すぐ足元に何かが鋭く跳ねた。

「うわぁああああ・・・・・・」

「カ、カトー?!・・リ、リーダー!!・・た、大変だぁ──────────っっ!!」




                    ( Stay tuned, to the next episode !! )







  *次回、連載小説「龍の道」 第162回の掲載は、9月15日(火)の予定です


taka_kasuga at 23:45コメント(19) この記事をクリップ!
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