*第151回 〜 第160回

2015年06月01日

連載小説「龍の道」 第155回




第155回  BOOT CAMP (4)



 午後の訓練場は、陽射しが暖かい。
 その芝生に車座になって、思い思いに ドリルサージャント(教官の軍曹)を取り巻いた新兵たちが、野外講義に静かに耳を傾けている。

「Soldiers!(兵士諸君)、軍人と一般人の違いが何であるか、分かるか?──────────誰でもいいから、思ったことを自由に述べてみろ」

「超人的な戦闘能力!」

「国家と国民を守るという義務と誇り─────」

「英雄の精神!」

「規律正しい行動─────」

「死を覚悟できる精神性─────」

「数々の武器を扱えるスペシャリスト─────!!」

「♬ More PT, We love it !! Make us sweat. Make us sweat !! (もっと強化訓練をさせて下さい、もっと汗をかかせて下さい/訓練中に歌わされる唄の一つ)」

「Ha ha ha ha・・・!! 」

「キツい労働に見合わない安い報酬!!─────」

「Ha ha…Awesome !! (オーサム=素晴らしい・最高、の意。米国でよく使われる) 」

 兵士の唄と、安い報酬のふたつには皆がドッと笑い、教官も苦笑いした。

 明らかに日本人とは違うな、と宏隆が思えるのは、彼らが周りの目を気にせず、臆することなく、常に自分の意見を明確に言えるということだ。名指しされたわけでもなく、順に答えよと言われたわけでもないのに、兵士の卵である若い学生たちは、教官の問いかけに思うところを自然に答えて行くのである。

「残念ながらどれも違う────────端的に言えば、それは冷静さと忍耐力だ。
 普通の人間の八割方が不平不満を言い始め、終(つい)には耐えられずにパニックに陥ってしまうような厳しいシチュエーションの中でも、正しい軍事訓練を受けた者は冷静にそれを耐え抜くことができ、しかも判断力が衰えない。
 如何なる場合にも、冷静さと忍耐を失わずに居られること・・・それこそが Battle Field(戦場)を生き抜くために必要な能力であり、Extreme Situation(極限状況)に於いても自分の実力を発揮できるための条件なのだ」

 教官の言葉に、皆がシーンと静まり返った。

「─────では、ROTC(予備役将校訓練課程)の訓練や、その最中に設けられる、このようなブートキャンプは、いったい何のために行われるか、分かるか?」

「いま言われた ”冷静さと忍耐力” を養うためです!」

「本番になって慌てないよう、厳しい状況をあらかじめ体験させておく・・」

「戦場で生き抜くためのテクニックを十分に習得する」

 次々に、学生たちが答えていく。

「なるほど・・・だが、何れも的を射ていない。誰か他に意見はないか?」

「──────────────」

「兵士として不適格な人間を見出し、ふるい落とすことです」

 淡々と、宏隆が答えた。

「そのとおりだ─────お前は、ヒロタカ・ケイトー、いや、カトーだったな。
 この中の一人でも、それを自覚している者が居るというのは大変喜ばしいものだ。それを知りながら訓練をするのと、そうでないのとでは、ここでの成果が格段に違ってくる。
 例えば、もうすぐ行われる野外演習では、交代で ”Sentry(歩哨)” という役割を担う。歩哨と聞くと、君たちは何を想像するだろうか?」

「Standing still!(ずっと立ったまま) 」

「─── with his eyes wide open.(それも、目を大きく開けて)」

「Waiting patiently for my shift over.(交代を辛抱強く待つこと)」

「Scarecrow, still standing patiently in his corner, waiting for her.(案山子は辛抱強く立って彼女を待っていました/The Wonderful Wizard of Oz)」

「You!、Go and stand in the hallway !!(そこのお前!、廊下に立ってろ!)」

「Ha ha ha ha ha ha・・!!」

「And wait, and wait, and wait・・・(待って、待って、ただひたすら待つのだった/映画・カサブランカの冒頭ナレーション)」

「Here's looking at you, kid!(君の瞳に乾杯=映画カサブランカの名台詞)」

 相変わらず、学生たちは口々に好きなことを言う。
 果たして、日本の大学や自衛隊で、学生や新兵がこんな風に答えるだろうか。
 だが、彼らは至って真面目な顔で答えとしての冗談を言っているのであり、ふざけて脱線したり、悪乗りしているようなエネルギーは感じられない。
 普段は鬼のように思える教官もまた、それに対して目くじらを立てるわけでもなく、微笑んでいるのであり、そんな雰囲気で良い場合と、ひたすら真面目に、課業と直面しなくてはならない時が、自ずと区別されているのだと言える。

「ははは・・知らないから無理もないし、冗談を言える余裕があるのは今だけだから、まあ言わせておいてやるが、歩哨というのは ”オズの魔法使い” のカカシのようなわけにはいかない。先ずは訓練中の肉体的な消耗に加えて、睡眠時間が大幅に削られるのだ。
 人間にとって最も辛く苦しい拷問は、眠らせて貰えないことだ。空腹や渇き、苦痛となる痛みを与えられることよりも、眠りたいのに眠れないことほど大きな苦痛はないと言われている。訓練は拷問ではないから、やがて交代の時間が来るが、普段と同じ時間には眠れず、疲れているのに十分な睡眠が取れないのは、やがて精神に異常を来す原因にもなる」

「──────────────」

「だから非日常性が貫かれる野外演習では、大抵二日目かそこらになると、誰もが殺気立ってくる。そんな時は必ず自我が出てきて、勝手気儘な言動が目立ちはじめ、普段よりも感情のコントロールが出来なくなり、自分だけ楽をしよう、巧くやろうと、上手に立ち回るような者が少なからず出てくるのだ」

 学生兵士たちは、みな黙って聞いている。いざその立場になったらどうなるか。自分だけは決してそんな事はない、と誰もが思いたいが、実際にその時が来れば、どうなるかは分からない。何しろ、宏隆を除いては、誰もが初めて経験することなのである。

「訓練を指導する私たち教官は、そこのところを観ている。元気で頑張れるときの君たちはどうでも良い。どうしようも無くなってきた時の君たちがどうするかと言うことを観て、誰が兵士として、士官として卒業するに相応しいかを見極めて行こうというわけだ」

「──────────────」

「どうだ、分かったか─────?!」

「イエッサー!!」

「よし、それでは次の課題に入る。今から Gas Chamber(ガス室)の訓練だ!!」

「ガス室────────?!」

 誰も皆、その訓練のウワサを聞いたことがあった。
 総勢約20名ほどの小隊は、俄(にわか)に騒めき立った。

 ガス室とは、戦場で化学兵器が使われた場合の対処を訓練するために行われ、防護マスクへの信頼と、如何なる場合もパニックに陥らない心構えや、極端な非日常性を体験させ、実際の戦場をイメージすることに役立てるという意味も含まれる。

「キミたちは午前中に、すでにM17(ガスマスク)の性能と、使用する際の注意を学んだ。今度はそれを実際に使用する訓練を行う。各チーム(班)ごとにマスクを配布するので、外観検査とベルト調整を各自の責任で行うこと!!」

「イエッサー!!」

 ガスマスクには、マスクの本体と装着ベルト、キャニスターと呼ぶ有毒ガスを吸収濾過するフィルター入りの缶が付けられている。キャニスター側には吸気弁があり、息を吸うときに開き、吐くときには開かない。吐く息は排気口内側の排気弁を通じて、吐くときだけ開いて外に出されるようになっている。
 ここに出てくる ”M17” は1960年代から米軍が採用し、マイナーチェンジを繰り返しながら約30年間ほど使われ続けた、兵士には馴染み深いものである。
 最近の新しいガスマスク(M40、M50など)は重量も軽く、フィルターは容量が増えて息がし易く、CQB(Close Quarteers Battle=近接戦闘/分隊が25m以内で敵と遭遇した場合の戦闘)に於いてはライフルを左構えで撃つこともあるので、左右どちらにも取付けられるようになった。
 また、有効期限が切れるとフィルターの色が変わるようになっており、安心して使える。化学兵器はもちろん、核で汚染された環境でも24時間使えるように設計されていて、装着したままストローで水を飲めるようにアダプターを付けたり、互いの声を聞き取りやすいようにボイスエミッター(音声増幅装置)を取付けることもできる。


「マスクの装着準備はできたか?──────────」

「C-Team(Cチーム)、準備よし!」

「A-Team、準備できました!」

「B-Team、全員準備完了!」

「よろしい。各チームごとに整列っ!!」

「休めっ!!」

「Listen to me carefully, Kids.(お前たち、みんなよく聴くんだ)────────
 何度も言うが、ガス室の訓練は辛く厳しい。しかし、その気になれば大した事はないし、体験してしまえば別にどうということもないものだ。大切なことは、決してパニックを起こさないようにすることだ─────分かるな?」

「イエッサー!!」

「ここで使われるガスは致死性の有毒ガスではない。警察が暴動の鎮圧用に使う Tear Gas(催涙ガス)とほとんど同じで、女性が防犯用に携帯するのと似たような物だ。将来、もし君たちが女性を襲う暴漢になったら─────今日の経験が、きっと役に立つことだろう」

「Ha ha ha ha ────────」

 教官のジョークに、皆が笑う。

「I say agein, Don't freak out.(もう一度言う、決してパニックを起こすなよ)」

 いよいよ実際にガス室を体験することが始められた。

 6〜7人で編成されたチームごとに、教官と共にガス室の中に入る。
 室内は、濃い霧が掛かったときのように、真っ白にぼやけている。
 少しばかりドキドキするが、防毒マスクを着けているので、普通に息はできるし、周りに居る者の人影も認識できる。

 宏隆は、神戸の南京町で催涙ガスを実際に喰らったこともあるし、台湾の夜市で宗少尉が使うのを間近で見たこともある。もちろん玄洋會の訓練でも既に体験済みなので、およそこれから何が起こるか、どのような心構えで居れば良いかを知っている。
 アメリカ軍と言っても、ガス室の訓練はそれほど変わらないはずだと思える。決して安心しているわけではないが、特に慌てる必要もなかった。

 宏隆のすぐ傍で「こんなこと、どうってことは無いじゃないか・・」と誰かが呟いた。
 確かに、さっき教官の言ったとおり、パニックにさえならなければ、今の段階ではそれほど大した訓練には思えないだろう。

 だが、その直後に教官が、たった今「どうってこと無い」と言ったばかりの学生兵士の肩を叩き、おもむろにこう言ったのだ。

「OK, I want you to remove the mask!(よし、マスクを外せ!)」

「What? … Pardon me?(え?・・もういちど言って下さい)」

「マスクを外すんだ。これも訓練のひとつだ。マスクを外したらお前の名前と*社会保障番号を私に告げ、その後でもう一度マスクを着ける。午前中に練習したマスククリアの技術を使って、再度装着するんだ─────分かったか?」

 社会保障番号(SSN=Social Security Number)とは、年金を受ける為の納税者番号である。戸籍のないアメリカでは個人を特定する唯一の方法。
 米軍では1974年から認識番号に代わってSSNをドッグタグに刻印している。

 この日の午前中に、その訓練をしたばかりだというのに、いざ、濛々(もうもう)と立ち篭める催涙ガスの充満する室内でそれをやれ、という事になると、頭が真っ白になって、何をどうやれば良いのか、まったく思い出せない。

「落ち着け。まず深く呼吸をしてから、マスクを外すんだ──────」

 そう告げるドリルサージャントも防毒マスクをしているので、声が籠もってよく聞こえない。まるでロボットのように無機的な声に聞こえ、薄暗いガス室の不気味な雰囲気をさらに高めている。

 その学生は深く息を吸い込むと、眼を固くつぶって、恐る恐るマスクを外した。

「よし、キミの姓名と社会保障番号は─────?」

「John Dilinger, SSN is 190-319-340 」

「よし、マスク・クリアをして装着しろ!」

 眼を閉じたままマスクを被り直し、マスクと顔面の間に残っている催涙ガスを、残りの息を強く吐いてマスクと顔の間から外に出す。それ以上に吐く息は残っていないので、失敗したら目も当てられないことになる。

「Whew… !!(ふぅ・・・)」

 どうやら彼は上手くいったらしく、マスクの下で息をつき直し、ホッとしている。

 このマスククリアというテクニックは、スキューバダイビングでも同じ要領で行われる。水中でマスクを外し、再び装着し直して、鼻から息を吐いてマスクから水を出すのである。
 ベテランダイバーは、空気の泡を全く外に漏らすことなく、これをやってのける。


「次はキミだ。さあ、やってみようか・・・・」

 教官が次の学生のところに行き、同じことを告げ、同じようにやらせている。
 だが、彼はマスククリアで大失敗をしてしまった。マスクと顔の隙間に残ったガスをきちんと排出できず、そのまま再び呼吸を始めてしまったのである。肺にガスを吸い込んだら、ちょっと厳しい。

「Ahhhhhhhh────────!!(うわわわぁーっっ)」

 彼はパニック状態になり、マスクを取ろうとして、必死でもがいている。
 他の者たちも、それを見てオロオロするが、どうしてやれば良いのかも分からない。

「Clear the mask!、Clear the mask !!(マスククリアをしろ、やるんだ!)」

 けれども、一旦パニックになった者は、そう簡単には元に戻らない。
 案の定、彼は教官の言うことに耳を貸さず、脱兎の如く出口に向かって突っ走り、勝手にドアを開けて外に出て行ってしまった。

「ははは、大丈夫だ。他の教官がヤツの面倒をみるから心配ない。それよりも、残ったお前たち・・・全員マスクを外せっ!!」

「ええっ────────?!」

「は、外す────────?」

「ただ外すだけじゃない。オレも外すから、皆で一緒に唄を歌うんだ、イイから外せ!!」

 宏隆以外は、何故そんなとんでもないことを言い出すのか、と誰もが思ったが、軍隊では上官の命令は絶対であるから、しぶしぶ皆がマスクを外す。

「よぅし、外したな。さあ、一緒に大合唱をするぞ、ついて来い!!」

 だがもう既に、辺りでは激しい咳と、涙と鼻水が止まらない症状が始まっている。


「Momma, Momma, can't you see
 What the Army has done to me
 Used to date a beauty queen
 Now I hug my M-16 !!

 ママ、ママ、見てくれよ
 陸軍がぼくにやったことを
 以前はカワイコチャンとデートしていたというのに
 いまぼくが抱いているのは M-16 ライフルだ!」


 教官が、例の行進歌のひとつを唄い始めた。
 一行ごとに教官について同じ歌詞を唄うのだが、よく見れば、辛うじて唄っているのは宏隆と、もう一人の体格の良い学生だけである。
 だがそれも、涙と鼻水にまみれながら、まるで細かい金属片が目に突き刺さったり、喉に吸い込んでしまったような激しい痛みを伴うので、全く歌になどなっていない。

 やがて、誰もがその痛みや苦しみに耐えきれなくなってきた。
 もちろん、教官も、である。

 そのとき────────入口のドアが開き、外の光が明るく差し込んだ。

「よしっ、全員外に出ろ!!」

 大声で教官が命じ、みな一斉に、一目散にドアの外へ飛び出して行く。

「深く息をしろ!、決して目をこするな!!」

「目を開けろ、目を開けて、大きく息をするんだ!!」

 皆、ゲホゲホと咳をしながら、苦しそうな顔をしているが、毒ガスと違って、催涙ガスは一過性であり、時間とともにその効果は無くなる。大きく目を開けて、深く呼吸をすればするほど、瞼や肺の中のガスの成分が空気に触れ、その効果がどんどん消えていくのである。

 不思議なもので、すでに午前中に学習した内容だというのに、改めてその場で説明を受けるだけで、ずいぶん気が楽になってくる。

 一緒にガス室に入った教官は、この訓練を何度も繰り返してきているだけあって、誰よりも先に回復して、もうケロリとして笑っている。

 その教官が、最後まで行進歌を唄おうと努力していた宏隆と、もう一人の学生のところにやって来て、こう言った。

「Hey, you are ”GO” at this station !(おい、お前たちは、この訓練に合格だ!)」



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )




 *編集部註:”Go(ゴー)”は元は製造現場で使われる特殊な言葉で、Go/No-Go Gauge(通り・止まりゲージ)と呼ばれる、通過した物を合格品、通過しない物を不合格品と判定する器具(ゲージ)を指す。軍隊ではこれを、Go(合格)、No-Go(不合格)として、兵士の良否・合否の判定に用いている。





  *次回、連載小説「龍の道」 第156回の掲載は、6月15日(月)の予定です


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2015年05月15日

連載小説「龍の道」 第154回




第154回  BOOT CAMP (3)



「よし、構えてっ────────まず左で顔面にジャブ、続けて右のストレート、左でフック、右でボディを打つんだ!」

「ジャブ、ストレート、フック、ボディ───────」

「そうだ、なかなか良いぞ、もう一度、号令に合わせて!」

 格闘訓練は、全くケンカの経験がない若者でも、軍隊の格闘術を理解して行けるように、その教育課程がよく工夫されている。

 初めに学ぶのは ”Posture and Stance”、つまり構え方と脚のスタンスである。
 先ず、どちらかの足を前にして半身に構える。左足を前に構えた場合、左肩は顎を守るようにして上げ、肘と拳は自由に動かせるようにする。右肘は肋骨を守るようにし、なるべく体に密着するように置く。前足の膝と爪先はやや内側に向け、後ろ足は踵を付けず、爪先からバネが効くように踏む。
 この構えで前後左右に自由に動けるようにし、回り込む動きも行う。それを左右どちらでも出来るようにする。これが格闘スタイルの基本となる。
 そしてジャブやストレートのパンチを加えて動けるようになったら、それらを組み合わせたコンビネーションを訓練する。

 勿論これだけで白兵戦を闘おうと言うわけではない。兵士たちはムエタイやレスリング、フィリピンの武器術まで取り入れた複合的なマーシャルアーツを学んで行くが、その根本には、やはりボクシングへの尽きない敬慕がある。
 早い話が、アメリカの軍隊式格闘術の基本はボクシングなのである。

 西洋人は血液的に、誰もがボクシングを好む。ストリートファイトの際には誰もがボクシングの構えを取る。それは沖縄の人間が、たとえ小学生でもケンカの際には互いに唐手の構えをするのと同じことである。

 古代エジプトの象形文字や、エーゲ海文明の遺跡から出たフレスコ画には、すでにボクシングの様子が描かれている。いずれも紀元前3〜4000年前のものだ。
 やがてローマ時代と中世を経て、剣を携帯する事が一般的ではない時代になると、英国ではベアナックル(素手)の賭け試合が行われるようになり、ボクシングはその血統を存続させることができた。
 この時代の強者が、ボクシングの始祖と仰がれるジェイムス・フィグ(1695〜1734)であり、英国初のチャンピオンとしても知られる。

 もっとも、当時の試合は全てベアナックルであり、蹴りや投げ、絞め技や噛みつき、目つぶしさえ認められていて、死者も多かったというから、ローマ時代の奴隷がやらされた格闘とあまり変わらない。古代のギリシアでも革手袋を着用していたのに、近代のロンドンでは素手が好まれたのである。

 スポーツ試合として近代的なルールが初めて定められたのは1743年だが、現在のようなグローブが使われるようになったのは更に百年以上を経た1867年、クインズベリー侯爵が保証人となったルールの制定からで、リングの大きさや5オンス(140g)の中綿入りのグローブの着用、投げ技の禁止、3分1ラウンドで1分の休憩、ノックダウンはテンカウント制とすることなどが決められた。今から150年ほど前のことである。


「うむ、今年の学生は中々動きがいいぞ。次はそれに続けて、相手を投げる────────」

 ドリルサージャント(教官の軍曹)がもう一人の教官を相手に、打撃をしておいて懐に入り、腰の上に乗せて投げ飛ばす、という技法を見せる。

「ワーン、トゥー、スリー、たとえパンチを受けられても、ここで投げる・・!!」

 ジャブやストレートのパンチを相手が受けた直後に、柔道の外巻込(そとまきこみ)のように投げるのである。これが最も基礎的な投げ技となる。
 宏隆は日本人だから、ごく普通にこの技を使えるが、特に西洋人は投げること自体が難しいらしく、なかなか上手くいかない。小さい頃から馴染んだボクシングのような訳にはいかないのだ。

「そこの Soldier(兵隊)、お前は日本人か?」

「イエッサー、私は日本から来ました」

「私の友人にサイトーという日本人が居る。お前の名前はケイトーか。テレビのグリーン・ホーネットに出てくる、とんでもなく強いカラテ使いと同じだな?!」

 軍服の右胸のポケットの上に Name Tape(名前の刺繍パッチ)を付けているので、教官がそれを読んで宏隆の顔を見た。

「Not ケイトー, I am カトー, Sir !!(ケイトーではありません、私はカトーです!)」

「カトーと読むのか、今後は気をつけよう。カトー、お前はなかなか投げ技が上手いな」

「サンキュー、サー!」


 外国では「加藤」をケイトー、「宮田」はマイヤタ、「しんいち」はシンニチ、シニチ、「あかね」はアケイニ、「みか」はマイカ、「だいすけ」はダイスキ、などと読まれてしまうことが多いが、軍隊であれ、民間であれ、外国で名前を間違えて呼ばれたら、すぐその場でキッパリと訂正しなくてはならない。相手が厳めしい上官であろうと、社長であろうと、大統領であろうと、それを訂正することは決して失礼には当らない。
 それよりも最初に間違って憶えられると、その誤った読み方はずっとついて回る。すぐにその場で訂正しない方がよほど失礼なのである。


「そうだ、他の者の好い手本になるから、試しに教官のエドを投げてみろ」

「イエッサー!」

 エドという名前はエドワード(Edward)の短縮形で、欧米ではJames はジム・ジミー、Robert はロブ、Michael はミッキーと言った具合に、短縮して愛称で呼ぶことが多い。

 ともあれ、教官を投げろ、とは言っても、この基礎訓練の型どおりに打ってくる相手を投げれば良いのである。このような訓練を疾うの昔に卒業した宏隆にとっては、相手が誰であろうと同じことであった。

「ワーン、トゥー、スリー・・巻込んで投げる!!」

 エドワード教官は、宏隆の動きに対して綺麗に投げられてくれる。

「ほぉ、上手いもんだな、ジミーが言ったとおりだ」

 投げられた教官が、起き上がってきて言った。
 ジミーとは、”エドを投げてみろ” と宏隆に命じた教官の名である。

「お前は、何かマーシャルアートをやっているのか?」

 教官の目が、キラリと光った。

「イエッサー、ほんの少し。日本人はみな学校でジュードーやケンドーを学びますから」

 武術の経歴を追及されることを避けて、宏隆はそんなふうに答えた。

 ちなみに、柔道や剣道は、すでにそのまま英語となっている。
 特に剣道は、先年亡くなられた ”ヒゲの殿下” 三笠宮寛仁親王の第二女子である、瑤子女王(Princess Yoko of Mikasa)が四段の段位を持っておられる事もあって、海外でも大いに注目されている。

「そうか・・・どうだ、試しに私と組み合って、自由に投げ合ってみるか?」

(僕の実力を試したいんだな─────)と、宏隆は思った。

 このROTC(予備役将校訓練課程)にやってきた学生に、どのような人間が居るか、訓練を指導する側としては、きちんと把握しておきたいのは当り前のことであるし、今の場合のように、素質のありそうな学生に挑ませることも軍隊の訓練ではよくある。
 そのようなアトラクション自体が、個人の評価にもつながっていくのである。

 流石に軍から派遣されている訓練教官だけのことはある。ただの一度、軽く投げられただけだというのに、すぐに宏隆の洗練された格闘の資質を見抜いていた。

「Yes・・Sir・・・」

「遠慮はいらない。私を前戦でバッタリ出くわした敵兵だと思って投げてみろ!」

「・・・・・・・」

 宏隆は、もう返事をしない。言われるまでもなく、すでに教官を敵と捉えて構え、絶妙な間合いを取りに入っていた。

 宏隆にとっては、たとえ訓練と言えど、ひとたび誰かと向かい合えばそれは戦いであり、そこは戦場なのである。訓練でそう思えなくては、実際の戦場では半分の力も出すことが出来ない、と様々な人から異口同音に教えられてきていた。


「む、これは──────────?」

 実際に前線に配属され、敵に立ち向かった経験も有るのだろう。エドワード教官は、向かい合った途端、宏隆の構えと間合いの緻密さを感じて、迂闊には動けなくなった。

「コイツは、他の奴らとは違うぞ・・・・」

 だが、傍目には─────少なくとも他の学生兵士たちには、そこで何が起こっているのかを見抜ける筈もない。普段は鬼のように見える厳しい教官が、アジアから来た学生とちょっと遊ぶように格闘の手本を見せようとしているのだと、皆そう思って疑わなかった。

 宏隆はジワジワと、教官との間合いを詰めて行く。
 王老師や陳中尉に教わった「順身(順体)」の原理を使って、教官の軸を捕り尽くそうとしているのだ。

「油断できないぞ・・この坊やは、明らかに何かの訓練を積んできている」

 教官のエドワードもまた、間合いを取らせまいとして、懸命であった。

 無論、米兵の教官に日本の古武道や太極拳で言われるような「間合い」という概念があるとは思えない。しかし、軍隊で実戦を経験してきたような者なら、その重要性を生身で体験して認識しているはずである。

 いわゆる「間合い」については、この物語の中でも触れた事があるが、武術における間合いとは、単に距離の事を指すのではなく、間(間隔・隔たり)+合(調和・一致・適合)という二つの語が意味するとおり、相手との間に生じる調和や一致を示すものに他ならない。
 たとえどれ程の筋力や打撃力があろうとも、間合いを制御されては何の役にも立たないのである。『間合いを制する者は全てを制する』という言葉があるように、自己と敵に生じる時空間を如何に制御するかということは、高度な武術では絶対不可欠とされる。

 命懸けの戦場では、一撃たりとも相手に当てられるわけにはいかない。
 よく道場でも言われるように、実際の戦いでは相手に三発打たれたら五発打ち返す、というような格闘技的な考え方は全く通用しない。戦場では銃弾だろうがナイフだろうが、敵に一発中てられたら即ちそれで終わりなのだ。
 したがって、本来兵士が最も身に着けなくてはならないのは、絶対に敵の攻撃を喰らうことなく、反対に自分の攻撃は必ず中る、という考え方であり、それを具現する比類なき戦闘システムであるべきで、その中核こそが「間合い」なのである。

 だが、そのような「間合い」について言及する武術が、今日の時代に果たしてどれほど存在するのかは、甚だ疑問である。


「やはり、米軍の兵士は、強いな・・・」

 教官と向かい合いながら、宏隆はつくづく感心していた。
 訓練中のアトラクションとは言え、初めて本物のアメリカ兵と対峙しているのである。
 こんな好い機会を無駄にしては勿体ない、と思う。

 大学に派遣された教官でさえこのレベルなのだから、”殴り込み部隊” などと言われる海兵隊や、シールズなど精鋭の特殊部隊兵士の実力は、如何ばかりのものだろうか。
 かつて基隆(キールン)の海軍基地では、宗少尉や玄洋會の実力者の戦いを目の当たりにし、さらにはその宗少尉とも戦う羽目になった宏隆だが、台湾海軍や武漢班の戦闘とは何かが決定的に異なっているという事を、この教官と向かい合った途端に感じていた。
 それが何の違いなのかは、まったく分からない。ただ宏隆の中にある、戦いのセンスのようなものが、そう思わせるのだ。

「よしっ・・・・」

 こんな時の宏隆は、まるで何も考えずに、相手に入って行くように見える。
 本人にしてみれば、きちんと計算してのことなのだが、周りから見ると、大層ぞんざいで行き当たりばったりに見えてしまう。

 しかし、実はそれは、今の場合のように、皆で取り囲んだ ”周り” から見ていたり、相手の教官の位置である ”前方” から見ていては決して分からない、高度に洗練された間合いの取り方ゆえなのであった。

 だからこそ、

「うっ、こ、これは────────?!」

 向かって来た宏隆の、その ”歩き方” に驚いて、教官は思わず後ろに飛びすさった。

「ウォオオオオオオ─────────ッッッッ!!」

 取り巻いていた他の学生たちも、もう一人の教官も、一勢に声を上げた。
 だが、なぜ宏隆が入って行っただけで教官が後ずさりしたのか、誰も分からない。

「ガシッ・・・・!!」

 やがて教官と宏隆の体がぶつかり、互いに両肩を取った形になった。

「しめた────────!」

 教官のエドワードは、宏隆よりも背丈で10センチは高く、体重では恐らく15キロ近くも重いように見えるし、腕などにも如何にも軍隊で鍛え上げた屈強さが見られる。
 体格に恵まれた者は、小柄な者と組んだ時に、相手をそのまま力で放り投げられそうな感覚になるもので、ここで彼が「しめた」と思えたのは、組んでみると意外と宏隆が小さく感じられたからであった。
 そして何より、さっきまでの、あの宏隆の入って来かたにはある種の不気味ささえ感じられたのだが、ガッシリと捉まえた今となっては、もう自分のペースであり、恐るるに足りないと思える。

「あとはバランスを崩すように誘導して、その隙を狙って投げを打つだけだ」

 エドワード教官は、少し気持ちに余裕ができて、そう思っていた。

 だが────────────

「うぅっ・・・・」

 教官が、小さく呻り声を上げた。
 なぜか突然、身動きが取れなくなってしまったのである。

 何が起こっているのか────────まるで身体があちこち硬直して引き攣れてしまったかのように、肩を怒らせ、肘は上がって、腰までが浮いてしまいそうになって、現に片方の足は外目にも、爪先立ちと言うよりは地に足が付いていないかのように見える。

 方や、対する宏隆は顔色ひとつ変えず、体にはどこにも力が入っていない。
 腕には力みが見えず、手は軽く触れているだけ。両足は踏ん張っておらず、身体は至ってリラックスしており、優しく教官と組み合っているようにさえ見えるのだ。

 身動きが取れない中で、教官は必死に自分の動けるポジションを取り戻そうとする。
 だが、それが力尽くであればあるほど、蟻地獄のように、蜘蛛の巣に捕らえられた蝶のように、ますます不自由に、そして相手の為すがままにならざるを得ない状況に陥って行くのだった。

「ここから、ほんの少しアクセスすれば、教官は宙に舞う・・・・」

 そう思えたとき、宏隆は敢えて少し、その ”とらえ” を緩めた。

「い、いまだ・・・!」

 わずかに解放された、そのまたとない好機を、教官は逃さなかった。
 彼にすれば、宏隆に隙が出来たように思えたのである。

「ヤァ───────ッ!!」

 宏隆が大きく宙を舞って投げられ、ドオーンと地面に叩き付けられた。

「オオオオオオ─────ッッッッ!!」

 周囲から大きな歓声が漏れ、拍手が湧き起こった。

「 I give up, Sir !!・・・(参りました!)」

 にこやかに笑って立ち上がり、そう教官に告げた。



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第155回の掲載は、6月1日(月)の予定です


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2015年05月01日

連載小説「龍の道」 第153回




第153回  BOOT CAMP (2)



「Marching Practice !! ──────────(行進の訓練をする!)」

「Attention !! (ハッテーッ、ショ!=気をつけっ!!)」 

「Right, face!(ラーッ、フェッ!=右向け、右っ!)」

「Left, face!(レーッ、フェッ!=左向け、左っ!)」

「About, face!(アッバーッ、フェッ!=回れ、右っ!)」

 ドリルサージャント(教官の軍曹)が、兵士の一人一人に目を光らせ、正しい動作であるかどうかを細部にわたって入念にチェックする。
 ちょっとでもタイミングが遅れたり、隣の者に追随して誤魔化しているような場合には厳しく注意され、直ちに罰則の腕立て伏せが命じられる。

「March───── !! (前へ、進め!)」

 一糸乱れぬ兵士の行進は、その軍隊の威厳と力量の具現であり、その国家の軍事レベルの顕現であるとさえ言われるものである。
 そして、これほど迄に念入りに行進の訓練を行う目的とは、上官の命令に忠実に服従する精神を植え付ける事でもなければ、その端正さの裡(うち)に秘めた兵士の強さを敵国に見せつけることでもない。
 実はそれは、整然と行進が行える精神状態こそが最強の兵士を造る第一歩であることを、どの国の軍隊も昔から経験によって理解しているからであり、言い換えればそれは、正しい行進に必要とされる「要素」こそが、強力な兵士を生む要素と等しく一致する、ということなのである。

 すなわち、正しい姿勢で立つこと────────
 そして、その正しい体位で得られた身体の状態で動けること────────

 それは、太極拳で言えば「站椿」と「歩法」に他ならない。

 古今東西を問わず、他の如何なる武術に於いても、それは戦士の最も重要な要素として知られるが、軍隊では、そのような行進が十人の規模であれ百人であれ、全員で一斉に同じことを同じ様にできる者たちこそ、優れた兵士とされるのである。

 優れた兵士というのは普通、敵を屠ることに精通したエキスパートであり、能(よ)く命令に順い、正しく行動し、重い荷を装着して動け、ライフルやピストル、短剣や榴弾などの武器の扱いに通暁するのは無論、白兵戦の近接戦闘にも秀でた者であると、誰もが思うに違いない。
 だが、それらの元になっているものこそ、この「行進」なのである。
 一般人に軍隊式の格闘術を教えると嬉々として学びたがるが、彼らがどれほど学んでも、どこか何かが足りないように思えてしまうのは、軍隊で「行進」の訓練を経験していない故なのかも知れない。

 だから新兵たちは、片時もそれを忘れぬために、たとえ食堂へ行く時にも、風呂場に通う時にも、必ず小隊のチームごとに隊列を組んで行進をして行く。風呂を浴びてサッパリと汗を流した後でさえ、また元気一杯に一糸乱れず行進をして宿舎に戻るのである。

 今日の行進訓練は、早朝から昼まで、休みなく続けられた────────


「やれやれ、やっとランチかぁ・・・朝飯を喰ってから、ずーっと行進をやりっ放しだったから、さすがに足が棒になってしまった!!」

 ランチプレートを持った大柄の学生が、独り言のように言いながら歩いてきて、ドカリと宏隆の隣に座った。宏隆と同じ、迷彩服にコンバットブーツの姿である。
 食堂の大きなテーブルには、色とりどりのセーターやフランネルのシャツを着た普通の学生に混じって、迷彩服を着たROTC(予備役将校訓練課程)の者たちが一割ほど居て、一緒に食事をしている。予備役の無い大学から来た者が目にすれば、ちょっと異様な光景に見えるかも知れない。

「─────良かったら、後で、よく効くマッサージを教えようか?」

 スープを口に運ぶ手を止めて、宏隆が言った。

「そいつはありがたいな。何しろ、こんなに歩かされるのは生まれて初めてだ!」

「ははは、確かにそうだ─────ぼくも足が痛いよ」

「Frank Marshal, Nice to meet you.(フランク・マーシャルだ、よろしく」

「Hirotaka Kato, Nice meeting you.(ヒロタカ・カトウ、どうぞよろしく)」

 互いに手をさし出して、握手をする─────

 日本人には本来、握手の習慣はない。たとえ長距離列車に何時間乗っていようが、隣の人とひと言も話をしなくてもその状況に何の不安も感じない日本人は、欧米人から見ればとても不思議な人種に思えるが、文化と習慣の違いなのだから仕方がない。

 反対に欧米に行くと、そんな時には大抵隣の人が話しかけてきて、やれ何処から来たか、どこに行くのか、今夜はどこに泊まるのかと色々話しかけられ、自己紹介をする事になるのは無論、食事に誘われたり、果てはウチに泊まって行けと勧められることさえある。
 それは親しみを持って人に接するという以前に、隣の席にいる他人が何者か、どんな人間かを確かめなくては、不安で居眠りも出来ない、サンドイッチも食べられないという恐怖から来ている。大海原で隔絶された独自の文化を持つ島国の人間と、同じ陸続きの何処かからはもう異国であり、異文化になるという大陸に生きて来た人たちとの違いであろうか。
 だから彼らは、まず自己紹介をして握手をする。ビジネスのシーンでも、どんなパーティでも、初対面の相手と握手をするのは当り前であり、きちんと自己紹介が出来ない人間は相手にされないどころか、不審な人間として警戒されてしまうのだ。

 握手の習慣は、元々イスラム辺りから発生したらしいが、シルクロードを通って中国にも伝えられ、「後漢書」には握手という文字も見える。幾千年もの間、異民族と異文化が渾沌としていた中国では、握手という辞令はさぞ役に立ったことだろう。その習慣は、互いに利き手の右手に武器を持っていないことを示す、友好の証しであったと言われている。
 神戸生まれの宏隆は、小さい頃から握手は慣れているし、外国にも度々足を運んでいるので欧米人の習慣に違和感を感じたりはせずに済む。


「Your English is beautiful. Where are you originally from ?
 (英語が流暢だね、キミはどこの出身?)」

「I was born and raised in Japan. My hometown is Kobe.
 (ボクは日本で生まれ育った。ホームタウンは神戸だ)」

「Oh, Kobe kid !!(お、神戸っ子か)、神戸にはいつか行ってみたいと思っていたんだ。空気が綺麗で、食い物がウマイって聞いたからね──────わはは!」

 フランクは磊落な性格らしい。豪快に笑いながら、ケチャップとマスタードがたっぷり掛かった山のようなフレンチフライズを、フォークで突っついては頬張る。

「空気はアラスカほどじゃないが、六甲山の水と、ステーキと珈琲は確かに美味いな」

「オオ、コーベ・ウォーター!、僕はサンフランシスコ生まれ、同じ港町だね。父は船乗りで、神戸の港に入った時は美味しい水をたくさん積み込むんだと言っていた」

「フレンチフライズを美味そうに食べるね。秘伝のソースを教えようか?」

「秘伝のソースだって?、ぜひ教えて欲しいな!」

「簡単だよ。マヨネーズに少しオリーブオイルを足して、好みでタバスコとレモン汁を加えるだけ。これを Sauce Samurai(サムライソース)というんだ!」

「サムライソース!!、なるほど、美味そうだね。今度やってみよう!」

「実はコレは、Belgium(ベルギー)での一般的なフレンチフライの食べ方なんだけどね。本当はタバスコじゃなくて、ヨーロッパならどこでも売っている Harissa(ハリッサ)という唐辛子のペーストを使うんだ。コリアンダー、クミン、キャラウェイやニンニクなんかも入っていて、タバスコよりもよっぽどシックリ来る。元はモロッコあたりのタジン鍋料理で使われていたものらしい。ベルギーでは何故か、これをサムライソースと呼ぶ」

「詳しいなぁ、ヒロタカは相当な Gourmet(グルメ)と見た。そう言えば、この大学にも日本人の教授が居る。地球物理学者でオーロラの権威。Dr. Akasofu という人だよ」

「赤祖父 俊一(あかそふしゅんいち)博士だね、聞いたことがある。オーロラの研究では、世界の第一人者だそうだね。この大学で教鞭を執っているのか・・・」

「日本人は優秀な人間が多いな。あのMIT(マサチューセッツ工科大学)なんかは日本人の教授がたくさん居ることで有名だし、アメリカは軍隊もNASAも、日本人が居なければ到底成り立たない、ロケットもジェット機も飛ばない、って話をよく耳にするよ──────」

「ははは、日本人はかつての敵国でも頑張っているワケだな・・・」

「Hi, Guys !!────────How are you doing ? (やあ、君たち、調子はどう?)」

 ヘレンも食堂にやって来た。
 宗少尉ほどではないが、迷彩服がなかなか似合っている、と宏隆は思った。

「ハイ、ヘレン、I can't complain.(ボクは、まあまあだよ)────彼はフランク、朝からずっと行進で、足が痛いって言うから、良いマッサージを教えてあげようと思う」

「フランクね、私はヘレンよ。予備役に慣れない新入生には、行進はキツイわね」

「よろしく、ヘレン・・ワオ!、ヒロタカには、こんな美人の恋人がいるのかい?」

「あはは、残念ながら恋人じゃぁない。養育係かボディーガードと言ったところかな・・」

「まあっ・・養育係とは、ひどいわね!」

「でも、ボディガードはホントだろ─────?」

「Are you kidding ?(おい、マジかよ・・?)」

「あははは・・・」

「OK─────もしあなたの飛行機が墜落して、私に捜索と救助をして欲しかったら、特別に早起きして、朝食も摂らずに水上機で助けに行ってあげても良いわよ!」

 宏隆の冗談がちょっとカンに障ったのか、ヘレンがキラリと目を光らせながら言った。

「わかったよ─────ボクが悪かった。謝るから、機嫌をなおしてくれ・・」

「そう?・・分かればいいのよ、分かれば・・ま、許してあげる!」

「Aha, I see… Hirotaka is the type who's going to end up getting whipped…
 (ははぁ、ヒロタカは女性の尻に敷かれるタイプ、ってワケだね・・)」

「どうもそうみたいだ。このアラスカでも、日本でも、ね・・・!!」

「ははははは・・・・!!」

「あははははは・・・・!!」

 こうして食堂で笑っていると、迷彩の軍服さえ着ていなければ、楽しい学生生活のように思えなくもない。だが、同じテーブルの向こう側では、宇宙物理学について話し合っている学生が居たり、人類学やネイティブ・アメリカンの研究について、真面目な議論を戦わせている者も居る。
 毎日ライフルを担いで、号令に合わせて腕立て伏せや行進に明け暮れている自分たちは、ごく普通の大学生活とは違って、やはり異質な存在なのかも知れなかった。

「ヒロタカ、午後は何をやらされるの?」

「午後は格闘訓練だと言っていたけどな─────」

「あら、得意分野じゃないの、Don't worry、A piece of cake !!(楽勝、楽勝!)」

「得意分野だって?・・ヒロタカはマーシャルアートでもやってるの?」

「いやいや、そんなんじゃないよ。ヘレンは僕をからかっているんだ」

 言いながら、フランクが居る方と反対側の目で、ヘレンにそっとウィンクして合図する。
 予備役の訓練課程とは言え、アラスカではひたすら一般学生として過ごす必要がある。
 決して正体を知られてはならない──────────宏隆は、玄洋會とそういう約束で入って来たのだった。

「あはは、もちろん冗談よ。格闘はたぶん、私の方が強いわ!!」

 ヘレンがそう言って、不注意な発言を自分でフォローした。

「ああ、そうだな・・・」

「どうしたの、急に─────変なこと言って、気を悪くした?」

「いや、そうじゃない、ただ・・・」

「ただ・・どうしたの?」

「誰かに、じっと見られているような気がして・・」

「えっ・・・?!」

 驚いて、ヘレンは辺りを見回した。
 この食堂には、五十人も座れそうな大きな長テーブルがいくつも並んでいる。ランチタイムで混んでいるから、少なくとも二百人近くの学生が食事をしているのだ。

 その中で、誰かが自分を凝視しているように、宏隆は感じていた。

(誰だろう──────────?)

 立ち上がって、周りを見てみる。
 だが、ぐるりと見渡しても、普通の学生ばかりで、たいていは友だちとお喋りをしているか、独り黙々とランチを食べているかで、それらしい人間は見当たらない。

 だが、ただ興味本位で、迷彩服姿の自分たちを眺めているような、そんな類いのものではない。何かもっと、何らかの目的があって、遠くから密かに自分を観察しているような・・そんなエネルギーを感じてならないのだ。

「まあいい、気の所為かもしれないし」

「だと良いけれど・・またあんな事になったら困るわね。もう心配しながら駆けずり回るのは勘弁して欲しいわ!」

 小声で普通に話しているが、二人とも表情がこわばっている。

「二人とも、急に深刻そうな顔になって、どうかしたの・・?」

 フランクがフォークの手を止めて、二人を見上げた。

「いや、ちょっと知った顔が見えたような気が──────見間違いだったかな」

「It's a case of accidential resemblance.(他人の空似、ってヤツだね)・・ははは、よくある、よくある!!」



 ────────予定どおり、午後は格闘技術の訓練となった。

 CQB(Close Quarters Battle=近接戦闘)または、CQC(Close Quarters Combat=近接格闘)に於いては、個々の兵士が敵と接触、あるいは接触寸前の状況が想定された戦闘術が訓練されている。
 宏隆たち新兵が真っ先に学ぶのは、相手の攻撃を如何に去なすか、如何に即座に倒すか、という闘争術の基本である。

 軍隊に於ける闘争術こそは、その民族、その国家の最強の闘争術であるべきだ、という事は素人も疑いようがないだろう。実戦で使い物にならないような闘争術を軍隊が採用するはずがないのである。

 各国の軍隊では、大抵は複数の武術を組み合わせて、その軍隊の格闘術を造っている。
 例えば、アメリカ軍では、打撃系はムエタイとボクシング、ナイフ・棍棒などの武器術はフィリピンの武術、エスクリーマ(Eskrima)から採用されたものである。

 日本の自衛隊では1959年から日本拳法をベースに、柔道と相撲の投げ技、合気道の関節技を取り入れた内容で格闘術が構成されている。また自衛隊独自の銃剣格闘に加えて、米軍のナイフ・ファイティングを元にした短剣術も訓練されている。

 ロシア連邦軍ではコマンドサンボが採用されている。よく知られるようになったシステマは特殊部隊のスペツナズのために考案された武術で、ロシア軍の制式採用ではない。
 その辺りは誤解が多いようだが、それはイスラエル軍のクラヴ・マガ(Krav Maga)も同様で、全ての兵士がそれだけを訓練しているわけではなく、クラヴマガに精通した格闘教官が何人か居る、という程度に考えた方がよい。

 台湾の軍隊では、李書文系ではない中央国術館系の八極拳が教えられては居るが、それを使って戦うわけではなく、套路と対打の型が中心の、身体を造る訓練である。
 かつての台湾海軍には、この物語に出て来る陳中尉や宗少尉のような、太極拳や少林拳、八卦掌の達人のような教官が居て、特殊部隊を指導していたこともある。

 中国の人民解放軍で「最強」と言われる「第三八集団軍」などでは、少林拳、擒拿、散打が兵士に指導されている。やはり少林拳系統が兵士には分かり易く、修得し易いということだろうか。
 残念ながら、太極拳を兵士に学ばせている軍隊は、中国には存在しない。
 太極拳の実戦的な実力が認められていないのか、それとも、その実力を認めさせられるだけの人間が、もはや中国には存在しなくなったのかの、何れかであろう。



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第153回の掲載は、5月15日(金)の予定です


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2015年04月15日

連載小説「龍の道」 第152回




第152回  BOOT CAMP (1)



「Wake Up, People !! 、Move!、Move!、Move !! ────────
(コラァ、お前ら、起きろぉっ!、急げ、急げっ、急いでベッドから出るんだぁっ!!)」

 軍隊の朝は早い─────新兵の訓練ともなれば、なおさらのことである。
 壁の時計はまだ5時を指しているというのに、ビシッとプレスが効いた迷彩の戦闘服に、太いデューティベルト(弾帯として使用できるアウターベルト)をキリリと締め、丸天帽を目深に被った Drill Sergeant(ドリル・サージャント=訓練下士官)が部屋にやって来て、大声で怒鳴る。

 ここは、アラスカ大学の学生寮の、小綺麗な個室ではない。
 学内の一角、Drill Field(ドリルフィールド)と呼ばれる場所にある、ROTC=予備役将校訓練課程の新兵たちが寝泊まりをする、ガランとした蒲鉾型の兵舎である。
 そこにズラリと並べて置かれた、味も素っ気も無い、鉄パイプで造られた二段ベッドのひとつに、宏隆は居た。
 いよいよ、Boot Camp(ブートキャンプ=新兵訓練)が始まったのである。

 Boot とはブーツ、つまりコンバットブーツ(戦闘用軍靴)のことで、Camp はその名のとおり野営地や駐屯地を表すが、Boot には「新兵」という意味もある。
 自分専用のブーツ──────その重く固い革の靴は、来る日も来る日も、足にマメを作って山野を走り回り、汗まみれ、泥だらけ、傷だらけになるが、どれほど疲れていようと、その日のうちに、自分の顔が映るほどピカピカに、新品同様に磨いておかなくてはならない。
 新兵たちにとってブーツは、まさしく軍隊生活のシンボルなのである。

 新入生にとっては、大学へ来てから初めての訓練ではない。
 この Boot Camp が始まる前から─────つまり、入学の手続きを終え、授業のシステムや訓練課程の説明を受けてから間もなく、数週間にわたるROTCの初歩課業を予め与えられていたのである。
 まだ一般学生たちが眠る早朝から朝食の時間まで、迷彩服に軍靴という出で立ちで、軍隊の礼式に始まり、国旗掲揚の作法、4〜8kmのランニング、体力強化訓練など、初歩的な課題をたっぷりとこなしていく。
 入学当初は、週に三日間はこのような「訓練以前の初歩訓練」に参加する義務があった。
 それは、将校訓練課程を全うするための洗礼であり、このような Boot Camp に向けて、心身の準備を整える意味でもあった。

 無論ここは大学なので、基本的な学科の授業も受ける必要があるが、ROTC受講者はその訓練とは別に、「軍法学」をはじめ、将校としてのリーダーシップや戦術などを詳しく学ぶ「軍事科学」の単位も併せて満たさなくてはならない。
 徴兵や一般公募の兵士とは違って、将校を目指す訓練課程では、授業内容も大変難しく、疲労した身体に鞭打ってひたすら勉強をしなくてはならない。
 また、服装も一般学生とは異なり、早朝の国旗掲揚時からずっと、一日中、食事も授業も軍服のままである。ROTC受講者は普通の学生ではなく、訓練中の予備兵役訓練生、つまり国家の軍隊に所属する者として「任務中」の扱いとなるためだ。

 そんな数週間を無事に過ごし、この本格的な Boot Camp となったのであった。


「PT formation in 5 minutes at the parade ground !! Better hurry up !!
(練兵場にて整列っ!、PT(Physical Training)まであと5分だ、急がんかぁっ !! )」

 ────────ともあれ、眠い目をこする暇もなく、叩き起こされる。

 大急ぎで戦闘服に着替え、靴を履き、帽子を被って、予め分けられた小さなチーム毎に、まとまって集合場所へと走る。
 チームでは、ただ一人の落伍者も無いように、互いに助け合うことが求められる。
 自分の仕度さえ出来上がれば走って行って整列すれば良いのではなく、チーム全員がすべて仕度を終えた上で、定(き)められた時間に間に合うようにしなくてはならない。
 力を合わせ、助け合って難局を切り抜ける──────これこそが、軍隊という場で学ぶ最も重要な基本であることを、初めに認識させられるのである。


「Fall In !! ─────(整列っ!)」

 全員が集合し、直立不動で整列をする。
 これがきちんと出来たら、チームごとに点呼をする。
 遅れてきたチームがあれば、誰の所為であろうと、チーム全員が連帯責任で罰を受ける。
 罰則は場合にもよるが、大概は腕立て伏せを30〜50回か、運動場を6〜10周走ってこいと命じられる。

「Attention !! ─────(気をつけっ!)」

 朝礼台の上に立ったドリルサージャントが新兵たちを見下ろして訓戒を垂れ、今日行われる訓練内容を兵士たちに説明する。

「At ease !!(休めっ!)───────」

「いいか・・・もうすぐこのアラスカに冬がやって来る。アメリカで最も北の外れにある、アラスカの冬は厳しい。その冬に、3週間をかけて冬季特別訓練をやる。
 冬季特別訓練は、兵士に不適格な人間を篩(ふる)い落とす為に行われる。最強の兵士を育てるためには、決して生温い訓練では成り立たないからだ。厳しい冬の訓練を乗り切ることが出来るかどうかは、ひたすら諸君の情熱に掛かっている。一人の落伍者も出さず、その訓練を終えることができるよう、今のうちに精神と肉体の力をたっぷりと養っておくよう、願って止まない──────以上だ!!」


 訓戒が終わると、全員でウォームアップの運動を行う。

「Jumping Jacks, Four count, Ready──────?
(ジャンピング・ジャックをやる。4カウントだ、準備はいいか?)」

 最初に最もよく行われる運動は、この「Jumping Jacks」という、気をつけの姿勢から両手を頭の上に挙げて拍手しつつ、足を横に広げて飛ぶことを繰り返すものだ。
 どこの国の軍隊でも、必ずと言って良いほどこれをやらされる。

 ドリルサージャントは朝礼台の上で、ワン、トゥー、スリー、フォー、と号令を掛けながら自ら動きを示し、「フォー」のときに全員で「フォー!!」と大声で合唱する。

 50回くらい飛んだら、各チームのリーダーが一人ずつ「ワン、トゥー、スリー」と号令を掛け、「フォー」の時ごとに「1,2,3,4・・・」と号令を付けて、更に何十回か飛び跳ねる。つまり、「ワン、トゥー、スリー、ワン」、「ワン、トゥー、スリー、トゥー」、「ワン、トゥー、スリー、スリー」という具合に号令を掛けながら回数を数えるのだ。

 やがてテンポアップして素早く何十回か飛び、その運動を終える。
 終わるときには、「ワン、トゥー、エンド・・・」と号令が掛かる。

 その後は「Windmills」という、足を大きく開いて腰を90度に折り、風車のように広げた両腕を上下に回すものや、両肘を頭の上で抱え、体側線に沿って真横に身体を折ってストレッチする「Trunk Side Stretch」といったものが続いていく。
 寒い朝はこれらの運動は身体が温まって気持ちが良いが、大変なのはそれからである。

 たいていは、いつもこれから始まる────────

「The next exercise is the push-up !!、Are you ready──────?
(次の運動は、腕立て伏せだ、準備はいいか!?)」

「Yes, Drill sergeant!(はい、軍曹)」

「Can't hear you !!(聞こえないぞ!)」

「Yes, Drill Sergeant────!!!」

「OK, That's the spirit, Hurrah !! ────(よし、その意気だ、フラーッ!!)」

「Hurrahhh──── !!(フラァーッッ!!)」

 Hurrah は、日本で言う「オーッ!」のような、気合いを入れる掛け声で、歓喜、激励、歓声などの叫び声であり、Hurrah for the Queen !! と叫べば「女王陛下万歳」になる。
英語圏の軍隊では一日に何百回となく発される決まり文句で、フラーッとかウラーッなどと聞こえる。

 さて、Hurrah !! と、気合いは入れてみるものの、きついプッシュアップ(腕立て伏せ)が大好きだと言う新兵など、まず居るはずもない。

「One, Two, Three, One、One, Two, Three, Two、One, Two, Three, Three・・ 」

 肘が直角になるまで深く腕を曲げていき、1秒間に1回くらいのテンポで、4回をひとつの単位として延々と繰り返していく。

 ウォームアップの運動と同じように号令を掛けていくのだが、違うのは、そのテンポがやたらと遅いことだ。新兵たちは腕が参って余り曲がらなくなり、尻も上がり気味になって、だいたい25回を超える頃から呻き始め、30回を超えると何人かがダウンしていく。

 自分でならプッシュアップを百回もこなせる強者でも、軍隊式の遅いテンポの腕立て伏せには音を上げざるを得ない。


「Halt!!・・(やめぇっ!)」

 ドリルサージャントから慈悲深い声が放たれ、プッシュアップから解放される。
 だが、それもほんの束の間・・
 全員「気をつけ」の姿勢で、こんな唄を大声で歌わされる。

 ♬ More PT, Drill sergeant,
   More PT, We like it.
   More PT, We love it.
   We want some more of it.
   Make us sweat, Drill sergeant.
   Make us sweat. Make us sweat ─────

   もっと強化訓練をさせて下さい
   ぼくらは訓練が大好きです
   軍曹、お願いです
   もっと汗をかかせて下さい・・・

 ドリルサージャントが先に一行目を歌い、兵士たちが後に続いてリピートして歌う。
 続けて二行目をドリルサージャントが歌い、またそれをリピートして歌う。これを最後まで続けていくのである。

 当然、伴奏もカラオケもないので、ドリルサージャントの先導に頼るのだが、彼ら先輩指導者の歌唱力はいずれも群を抜いており、屋外の広い場所であろうと、強い風が吹いていようと、よく通る野太い声で、兵士ひとりひとりのハートにまで浸透してくる。

 そして、その大合唱が終わると、当のドリルサージャントが、

「Yes, we will. ────────(もちろん、そうするさ)」

 ニヤリと笑って、最後にそう告げるのである。

 別に意地悪く虐めているわけではない。これはドリルサージャントと兵士との間で、互いの了解のもとで行われる「心理的訓練法」なのであって、どこの国の軍隊でも行進や駆け足を始めとする多くの訓練で同じような唄を歌い、同じことを言われる。
 そして実際に、疲労困憊の極限に達しているときでも、このような馬鹿げた唄を歌うことによって苦痛が軽減し、もう一度挑戦してやろうという気になってくるから、本当に不思議なものである。
 

 プッシュアップのあとは、Pull Exercises(懸垂訓練)だ。
 さんざん腕立て伏せをしたあと、すぐに鉄棒で懸垂をやるのだから、たまらない。

 そしてこれも、学校でやったような普通の懸垂ではない。
 だいたい、鉄棒にはテープが巻かれていて、やたらと太い。
 親指を回して握れないので、指が引っ掛かっているだけの恰好である。

 手の甲を手前にした形で、高さが2メートルもある鉄棒に飛びつき、両手の間隔をこぶしひとつほどに取って、アゴがこぶしを超えるまで引き上げる。
 それを、ゆっくりした号令と共に何回となく繰り返し、次には肩幅よりも大きく手を開いて、同じことをする。

「Pull───Down───、Pull───Down───、Pull───Down────────」

 こうして、単調な号令でゆっくりと繰り返すが、Down の号令が出るまでは腕を伸ばせないし、1回の Pull 〜 Down 毎に、全員でワン、トゥー、と回数を数えていく。

 1セットごとに休憩するインターバルは、わずか30秒から60秒。
 しまいには腕が完全に麻痺してくる。

 ありとあらゆる腕立て伏せと懸垂の訓練、そして腹筋訓練(Abdominal Exercises)をやった後には、Legs と呼ばれる足の強化訓練がつづく。


 米軍の体力強化訓練は面白いな─────と宏隆は思う。
 玄洋會ではこんな事をやっていなかったと思えることも多く、いろいろ勉強になるのだ。

 この変形スクワットもそのひとつで、号令と共に、弓歩のように前に大きく足を出して、そのまま後ろの膝を地面スレスレまで曲げてゆく。
 もちろん、前足の膝も股関節も同時に大きく曲げざるを得ない。
 これをゆっくりと、左右交互に行うのである。

 なんだ、こんなの簡単じゃないか、と言うなかれ────────
 やってみれば分かるが、どれもこれも、体育館のようなフラットな床で、底の薄い動きやすい運動靴でやるのではない。ゴツい戦闘服を着て、コンバットブーツを履いて、整地していない屋外や、砂地の下り坂、海水や渓流の中で、しかも整然とした号令の下で、何十回となくやらされてみれば、そのキツさが分かる。
 実際の戦闘は、体育館の中では行われない。軍隊の訓練がスポーツ武道の試合用の練習とは全く異なることが実感できるはずである。


 ひととおりの PT(強化訓練)が終わると、軍隊名物、「行進」の訓練となる。
 行進が出来なくては、歩兵とは言えない。いや、本物の軍人とは言えない───────
 そう言われるほど重要な訓練で、陸海空の所属を問わず、世界の何処の軍隊をも問わず、兵士であれば誰もがその訓練を受けることになる。

 だが、先ずは行進の前に、整列したその場でやるべき事がたくさんある。

「Fall in !! (フォーッ、インッ!=整列っ!)」

「Attention !! (ハッテーッ、ショ!=気をつけっ!)」

「Right, face!(ラーッ、フェッ!=右向け、右っ!)」

「Left, face!(レーッ、フェッ!=左向け、左っ!)」

「About, face!(アッバーッ、フェッ!=回れ、右っ!)」

 号令は、この片仮名のようにしか聞こえない。
 ドリルサージャントによっては訛りもあるので、英語文化圏ではない宏隆は、命令を間違えないように聞き取るだけでも大変だ。

「コラァ!、そこの新米っ────!!」

 一人の新兵が、「Left, face!」の号令で、なぜか反対側に首を振ってしまった。

「Yes, Drill sergeant!」

 こんな時でも、応答は即座に Yes, sir!か、Yes, sergeant !! である。

「お前は馬鹿か!、わざわざこんな地球の果てにある大学まで来て、いまだに左と右の区別もつかんのかぁっ!!」

「Yes, Drill sergeant!」

「罰として、そこのチームはプッシュアップ40回っ!!」


 本人が属するチームのリーダーが号令を掛け、その場でプッシュアップを始める。

 チームリーダーは、それに相応しい者がドリルサージャントによって選ばれ、その訓練中にリーダーとしての役割と責任を課せられる。
 同じ新兵同士の間でリーダーを担当するというのも不思議かもしれないが、軍隊ではたとえ階級が同じであっても、上官に指揮を任ぜられたら命令に従わなければならない。
 様々な状況で仲間の指揮を任される者は、上官からリーダーシップがあると見抜かれた者であり、兵士としての資質が高く、大概はどんどん階級が上がって行く人間でもある。

「Right, face !! ─────(ラーッ、フェッ!)」

「Left, face !! ─────(レーッ、フェッ!)」

 腹の底まで響くような号令が続く中、他のドリルサージャントが一人一人を見て、それらが正しく出来ているかを、ひたすら念入りにチェックしていく。

 先ずは、きちんと正しい姿勢で立てるかどうか────────

 隊列を崩さずに、自分勝手に動かず、整然と行動が出来るかどうか────────

 それが出来るまで、何十分でも、何時間でも、訓練が続けられる。

 行進の訓練だというのに、まだ前に進むことを、一歩もやらせてもらえない。
 小学生の運動会じゃあるまいし、何もこんな事まで・・と思う人も中には居るだろう。

 だがこれは、小銃を抱えて敵兵に立ち向かう以前に正しく修めておかなくてはならない、最強の兵士になるための、最も重要な基礎なのである。



                     ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第153回の掲載は、5月1日(金)の予定です


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2015年04月01日

連載小説「龍の道」 第151回




第151回  A L A S K A (20)



「フィリップ ───────────?」

 宏隆には、その銃声が、自分に向かって発されたものだと思えた。
 フィリップが撃とうとした、正にそのタイミングで、銃声が響きわたったのだ。

 しかし、そのフィリップは宏隆の目の前で、まるでスローモーションのように、ゆっくりと地面に倒れていった。

 どうしてフィリップが倒れるのか、不思議に思えた、その瞬間────────

「Get Down(伏せろっ)────────── ! !」

 散々馴染んだ命令に、宏隆は反射的に身を伏せた。

「ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダァーン─────!!」

 同時に、たて続けに銃弾が頭上を通り過ぎ、自分のすぐ後ろで、何か重たそうな塊がドサリと崩れた。

「・・・く、クマが?」

 振り返って、その倒れた巨きな体を目の当たりにして、ようやく宏隆は悟った。
 フィリップは、自分に銃口を向けたのではなく、密かに背後に迫ってきたこのグリズリー(灰色熊)を撃とうとしていたのだ。

 だが、そのフィリップが、なぜ倒れたのか?

「フィリップ─────!!」

 駆け寄って抱え起こすが、背後から心臓を一発で撃ち貫かれていて、すでに息はない。
 
「フィリップ!、フィリップ!!・・・だ、誰がこんなことをっ?!」

 銃弾が放たれたと思われる、その方向から、一隻のゴムボートが近づいてくる。
 宏隆は再び体を伏せて、フィリップの手から落ちた銃を取った。

 いったい、何処に潜んで居たのか─────今のいままで、エンジンの音さえ聞こえなかったが、ボートには二人の人影があって、一人はまだライフルを構え、もう一人は舵のついた船外機を操作している。

 だが、宏隆を撃つつもりが無いらしいことは、二百メートルほど離れたこの場所からも、それを察することができる。宏隆は、ふたつの影に見覚えがあった。


「ヒロタカ、無事か────────?!」

「ヒロタカ・・・!」

 湖に反響するそれらの声にも、聞き覚えがあった。
 やがて岸辺に着いたボートには、バリーとヘレンの顔があった。


「バリー!・・ ヘレンも・・・・」

「良かった───────ヒロタカ、どこにも怪我は無い?、コールドフットから飛んで、警察の情報でこの辺りを探していたら、焚火の煙が見えて、湖に墜落した機体も確認できたので、降りてきたのよ」

「────だが、フィリップが一人で居るのがセスナから見えたので、きっとお前がどこかに拘束されているに違いないと思った。だから、少し離れたところに降りて、エンジン音が聞こえないように風下から近づいて、フィリップからは見にくい、あそこの岬の先にある水没した樹の所まで、手漕ぎで静かに近寄って、しばらく様子を見ていたんだ」

 バリーは年季の入った迷彩のヤッケを着ている。ヘレンの帽子はオリーブ色で、上着はサンドベージュ。二人とも目立つような色は身に着けていない。グレーのボートと相俟って、湖中に茂る樹々に紛れられては、こんな曇り空の下ではちょっと見分けがつかない。

「しばらく様子を見ていると、向こうからやって来たお前にフィリップが銃を構えたので、ちょっと慌てた──────遠かったが、すでに距離は分かっていたので、一か八かで、急いで狙って撃ったんだ、間に合って良かったよ」

「本当によかった。バリーの射撃の腕が良いから、助かったのよ」

「その直後に、デカいグリズリーがヒロタカの背後から迫っているのが見えてな、驚いて、夢中で撃った。幸いにも頭に何発か中って、倒れてくれたが・・」

「あの距離から、よく熊の頭部を狙えたわね、流石はベテランの警察官!」

「──────────────」

「ヒロタカ、どうしたんだ、浮かない顔をして?、お前はもう解放されたんだ、フィリップの凶悪な銃弾からも、アラスカ・グリズリーの危険からもな!!」

「バリー・・フィリップは、自分の行いを悔やんで、改心していたんだ」

「改心────────?!」

「そうだ。彼は、自分の心が溶けてきた、もう自分の任務を捨てる、こんなバカな事はやめる、と・・・そう言って、ここで救助を待ちながら、魚を釣っていたんだ」

 宏隆は、拉致されて乗せられた水上機がデナリの山麓で損傷し、やがて宏隆が手錠を外してフィリップと闘った挙げ句、パイロットが流れ弾で死んでしまい、やむなく操縦することになったが、どうにもならずに墜落し、気絶したフィリップを岸まで泳いで運び、火を熾して蘇生させた。その時にフィリップの心が変わった─────という一部始終を、二人に詳しく説明して聞かせた。

「そうだったのか・・それじゃぁオレは、せっかくヒロタカの温かい心に触れて改心させられた人間を、お前と友達になれた人間を、そうとは知らずに、今にもヒロタカが撃たれると思って、誤って撃ってしまったんだな」

「バリーがそう思えたのも無理はないよ。墜落するまでは、フィリップは僕を本気で朝鮮に拉致して行くつもりだったから─────あの時、いよいよ水上機に乗り込む時に、バリーが密かに手錠のカギを口に入れてくれなかったら、今ごろはきっと、朝鮮行きの船の中だったに違いない」

「ああ、そのとおりだな─────そしてオレは、ヒロタカを犠牲にして、ワナに掛けることを手伝い、それと引換えに、娘を返してもらうつもりで居たんだ」

 その途端、ヘレンが素早く腰の後ろから銃を取り出して、バリーに向けて構えた。

「バリー、動かないで!!」

「カミーユ、いや、ヘレンさんと呼ぶべきかな?・・・オレに銃を向けて、どうしようと言うんだ?」

「バリー、あなたはその哀れなフィリップと共謀して、ヒロタカを拉致して行こうとしていたと、たった今自分で言ったわね─────つまり、あなたはヒロタカの敵、ということは私の敵でもあるのよ!」

「たぶん、君たちは日本かカナダの秘密機関か何かのエィジェントだな?、手慣れた拳銃の出し方も、セスナの操縦も、普通の市民とは思えない。ヒロタカの銃の構え方も、こうして墜落しても生き残れるサバイバル・テクニックも、な・・・」

「そんなこと、どうでもいいわ。問題はあなたが拉致犯のメンバーだということ!」

「バリー、まだ僕をどうにかしたいのか?」

「いや、そんな気持ちは全く無い。オレはヒロタカの拉致計画に加担し、悪党どもと共謀すれば、北朝鮮に拉致された娘を返してくれると、本気で信じていた─────いや、そう信じるしかなかったんだ。だが、首謀者のフィリップを撃ち殺してしまったから、もうどうにもならない」

「娘が?・・・北朝鮮に拉致?・・・」

 銃を構えたヘレンの腕が少し弛んで、銃口が下に向いた。

「ヘレン、銃をしまえ────────」

「で、でも・・・」

「大丈夫だ、バリーは悪い人じゃない。どうしても良心が咎めたから、ぼくに密かに手錠のカギを渡して脱出の機会を作ってくれた。そのお陰で、墜落しそうな機内でひと暴れして、結果的にフィリップと共に助かったんだ。こうしてヘレンを連れて捜索に来てくれたのも、僕を助けたかったからだよ」

「分かったわ。でも、これからどうするの?、バリーは職務に反する行為をした上、首謀者のフィリップを射殺してしまったのよ」

「ヒロタカ、コールドフットへ無事に送り届けたら、オレは自首するつもりだ。お前は被害者として証言を求められるが、どうか真実をありのままに話してくれ」

「もういいさ───────こんなことは、これで終わりにしよう」

「終わりに・・?」

「身代金を目当てに、僕を誘拐しようと企んだ一味は、セスナで南のアジトに向かう途中、デナリ山麓の気候の悪化で墜落し、首謀者のフィリップと僕が命拾いをして湖畔で暖を取っていた。フィリップは、脱出しようとした僕に拳銃を向けたところを、ちょうど捜索に来たバリーに撃たれて死んだ。僕は危機一髪のところをバリーに救われ、救助されて、めでたく事件は解決した────────そういうことだ」

「いや、それじゃ、オレが拉致犯に加担した事実が入っていない・・」

「いいんだ─────罪なんかじゃないさ。親が子を思う気持ちで、やむを得ずそうしたんだ。同じ立場だったら、僕だってそうしたかも知れない。
 だから、警察にはそんな事を報告する必要はない。北朝鮮を相手の大ニュースになって、マスコミに騒がれるだけだから、ただ僕を誘拐して身代金を取ろうとしたコリアン・アメリカンの犯罪を、アラスカのトゥルーパーズが無事解決、ということにしたらいい」

「ヒロタカ・・・ありがとう、お礼の言葉もない」

「いや、元は僕を拉致するために娘さんが巻き添えになったんだ。自分にはどうすることもできないが、僕の方こそ心から申し訳ないと思っている─────世界中で、大勢の人が北朝鮮に拉致されている。どの国も様々な立場があるので手を拱(こまね)いているばかりだが、何か良い手立てがないか、我々も考えてみるよ」

「バリー、娘さんが北朝鮮に拉致されたなんて知らなかったわ。ごめんなさい」

「もういいんだ・・・ありがとう、ヘレン」


「みんな、フィリップに黙祷をしよう────────」

 宏隆がフィリップを仰向けに寝かせて、顔に着いた土を払った。 
 
「綺麗な死に顔だな。お前を助けようとしてグリズリーに銃を構えた途端、突然背後から撃たれたというのに、こんなにも安らかな顔をしている─────」

「フィリップ、今度生まれてくる時は、きっと良い人生になるよ・・・」

「Goodbye, Philippe ──────────」

「May your soul rest in peace(安らかに眠ってください)────────」


 それから間もなくして、ヘレンが操縦する水上機が湖から飛び立ち、バリーは無線で宏隆の救出と、犯人の射殺を州警察本部へ報告し、Troopers(トゥルーパーズ/州警察官) の捜索隊が墜落現場とフィリップの遺体を確認した。

 宏隆はフェアバンクスの病院に運ばれ、墜落時の衝撃で受けた身体の検査をし、衰弱した体に点滴を受け、しばらくの間、ゆっくりと眠った。
 翌々日からは警察署で事情聴取を受けたが、バリーの報告と宏隆の供述が一致したので、この事件は、わずか数日で一応の決着を見た。

 行方が判らなかったバリーの妻ジェニファーは、宏隆が拉致された夜のうちに、コールドフットからさらに北へ30分ほど上ったWiseman(ワイズマン)という村の親戚のロッジに密かに身を寄せていた。万一何かがあった場合に、妻に被害が及ばないようにとのバリーの計らいであり、誰も怪しむ者はいなかった。


 警察の事情聴取が終わると、宏隆は、アラスカ大学フェアバンクス校の一年先輩である、ヘレンに色々と手伝ってもらいながら、入学や入寮の準備に追われた。


「空気がずいぶん冷たくなってきたわ、もうすぐ冬がやって来るわね」

 これから宏隆が暮らす小さな部屋の窓を、ヘレンが目一杯に開け放った。
 アメリカ人は何処へ行っても開放感を大事にするのか、寒いアラスカでも、二重に造られている窓は、外側が観音開きで大きく外へ開くように造られている。
 

「アラスカに来て早々、大変な目に遭ったわね。もう、こんなところに居るのはイヤになったんじゃない?」

「そんなことはないさ、ただ─────」

「ただ・・・?」

「僕はまだまだ、あまりにも人間のことを知らないし、世の中の事も知らない。この世界には自分とは異なった考え方や、環境や、暮らしや、全く違う価値観がある。僕はそれらに対して余りにも無知で、無関心で、能天気だった─────その事が、ちょっと悔しいんだ」

「それが ”若い” ということだと、よく母に言われたわ。でも誰にも若い時があって、人はその時代を経てこそ、成長して大人になって行くんだって─────」

「そうだね、台湾の海で自爆した徐さんや、今回のフィリップの死を無駄にしない為にも、僕はもっともっと、いろんなことを学んで行かなくちゃならないと思う」

「自分を苦しめた相手に、そんなことを言えるヒロタカは、偉いわね」

「僕を苦しめた相手は、きっと自分もその事で苦しんだに違いない。北朝鮮という特殊な国で生まれ育った二人が、それを教えてくれたんだ」

「圧政と貧困に喘(あえ)ぐ人たちは、たくさんの苦しみを味わっているのでしょうね」

「それを、どうして何とかしてやれないのだろうか─────三千年の間に五千回も戦争をしてきた人類の愚かさは、誰にも、どうにも出来ないんだろうか?」

「たぶん、私たちは人類の大きな流れを変える事はできないわ。自分たちの社会の平和や安全を守り、自分の愛する人を護っていくことが精々で・・・」

「だから、君もぼくも、ここでROTC(予備役将校訓練課程)を受ける─────?」

「そういうコトね」

「けれど、軍事訓練を受けて、それでどうするんだ─────?」

「え・・何を言い出すの?」

「そこで学ぶことは、戦いの中でしか役に立たない事ばかりだ。そして、ネイビーシールズも台湾海軍も、朝鮮人民軍も、玄洋會も、兵士個人の意志で戦っているわけじゃない。大統領が、将軍様が、司令長官がその目的を決め、戦略を立てて、兵士はそれを受けて、ひたすら戦うだけだ。忠誠を誓い、ただ将棋の齣のように前戦に配されて、そして最後には消耗品のように捨てられていく。だが、一旦緩急あれば義勇公に奉ずるという、その公とはいったい何なのか・・・・」

「ヒロタカ・・・あなたと関わった、二人の異国の兵士たちが死んでしまった事がショックなのね。彼らは元々あなたに恨みも無く、ただ命令を受けて危機を与えたけれど、最後はあなたに好意的だった。それがヒロタカには苦しいのでしょうね───────でも、少なくとも玄洋會はあなたを、忠誠を誓わせた消耗品とは考えていないわ」

「そうだね、元もと玄洋會は、言わば義勇兵や Militia(ミリシア=民兵)のような、共産主義の脅威から国民や文化を守ろうとする自主防衛組織だ。国家の正規軍の在り方と一緒にしてはいけないな」

「ヒロタカの悩みは分かる気がするわ。遭難した敵兵を救助するのも、彼らが同じ人間で、個人的に憎しみ合っているわけでは無いからよね。戦友とは、一緒に戦った兵士のことだけれど、敵として戦った相手でも、きっと戦友となり得るのだと思うわ」

「そのとおりだ────────」

「あなたは Martial Art(武藝)を極めるために王老師に拝師して、玄洋會に入って訓練を積んで、さらにこのアラスカでもアメリカ式の軍事訓練に身を委ねて鍛え上げようとしているでしょう?・・・でもROTCは、卒業すれば将校になれるほどの、徹底した教育内容なのよ。少しでも迷いがあったら、落伍してしまうに違いないわ」

「大丈夫だ、もう迷いはない」

「本当に─────?」

「ああ、本当だ。ただ、彼らの死の意味を、僕なりにきちんと考えたかったんだ。徐さんやフィリップに笑われないように、このアラスカで頑張るよ」

「よかったわ・・それでこそ、ヤマトダマシイ、ね!」

「意味を知っていて、そう言ってるのかい?」

「いいえ、全然知らないわ。今度ゆっくり教えてもらおうかしら」

「ははは、フランス系らしい、モノの言い方だね・・」

「Hmm, Je le pense aussi. (うーん、私もそう思うわ)」

「Oh la la 〜・・・・(やれやれ)」



                     ( Stay tuned, to the next episode !! )




  *次回、連載小説「龍の道」 第152回の掲載は、4月15日(水)の予定です


taka_kasuga at 22:59コメント(18) この記事をクリップ!
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