*第151回 〜 第160回

2015年08月15日

連載小説「龍の道」 第160回




第160回  BOOT CAMP (9)



 レインウエアを着て歩き続けていると、だんだん雨がひどくなってきた。
 初めのうちは、少し前を歩いていたチームの背中が小さく見えていたが、やがてそれも靄(もや)の向こうに消え、それから随分時間も経っている。

 それもそのはず───────さっき早々に休憩した理由(わけ)は、実はその場所から先はチーム毎に地図とコンパスを持たせて異なるルートを行かせる、という新たな課題をサプライズ(不意打ち)として学生兵士に与えるためであり、その唐突なオリエンテーリングを無事に終えて、出発地点のアラスカ大学にゴールできるかどうか、行軍訓練がてらテストをする、ということなのであった。

 思えば、第一回目の行軍訓練は10マイル(16km)と、比較的距離も短かく、明らかに路と判るルートをただひたすら歩きつめる内容であり、体力さえあればそれほど厳しくはなかったので、今回の行軍が2倍近くの距離であっても、その位ならばと、高を括るようなところが気持ちの何処かにあった。
 しかし、前回よりも重い装備を背負い、しかも自分たちで地図を読みながら、茫漠たるアラスカの原野をコンパスで位置とルートを確認しつつ歩かなくてはならない今となっては、どれほどタフな学生でも、精神的な負担が倍も三倍も増えたような気がする。
 しかもそれに加えて、時おりザァーっと降っては、また小降りになることを繰り返している、この冷たい叢雨(むらさめ)まで用意されてあった。

 休憩の後すぐ、出発したばかりの時は他のチームが遠くに歩く姿も見え、また地図も読みやすい地形だったので心の余裕もあったが、雨に烟(けむ)る森の中をひたすら黙々と歩いていると、やがて誰もが無口になり、いつの間にか脚も重くなってくる。
 そして、こんな時に怖いのは、どこもかしこもが同じ景色に見えてくることだ。疲労が募るに従って、つい先刻(さっき)この場所を通ったような錯覚が起こり始める。人が迷うのは、陽も射さない深い森ばかりではないのである。


「Hey, kato!・・・ ヘイ、リーダー!、カトー!!」

 後ろの方から自分を呼ぶ大きな声がしたので、宏隆は足を止めた。

「・・なんだ、どうかしたのか?」

 すぐに声のところまで引き返して、確認をする。
 リーダーとは言っても、軍人としての階級が皆より上というわけではない。つまり彼らの上官ではないのだから、何か問題があったら自分から出向いて、その解決に当たらなくてはならない。チームでの行動を上手くまとめて、それが任務の遂行と全隊員の安全に繫がるようにして行くこと、それがリーダーの役目であった。

「ここは確か、さっきも通った所だ。リーダーは地図を読み違えてるんじゃないのか?」

 眼鏡を掛けた、インテリのウィルソンが言うと、

「オレもそう思う、この辺りの樹の並び方には特徴がある。さっきも見た気がするな・・」

 背の高い Thomas(トーマス)も、右手の樹を指差してそう主張する。

「─────いや、そんな事はないよ、確かに、よく似ている所はたくさんあるけれど、ここは初めて通るはずだ」

 宏隆がきっぱりと皆に告げた。

「本当かい?、この北側の幹にべったりと苔の生えたカラマツなんかも、ついさっき見たばかりのような気がするけど・・・」

「ははは、トーマスという名前だけあって疑い深いなあ。ほら、よく地図を見てごらんよ。ここが休憩して出発した地点、それから雨が降り出して、この森を通って・・・この地形があそこに見えるから、現在地点はここになる」

 宏隆が彼を ”疑い深い” と言ったことには、わけがある。
 トーマス(Thomas)は新約聖書に登場するキリストの使徒の一人であり、欧米人に多い聖書由来の姓でもある。キリストの復活に際し、その体に触れて復活を確かめようとした行為から、特に西ヨーロッパのあたりでは「疑い深いトマス」と呼ばれているのである。
 キリスト教の家庭で育った学生なら、その意味が分かる筈であった。

「まあ、ずっと似たような地形ばかりだから、錯覚するのも無理はないけどね」

「うーむ、そうか・・けど、まるでこの森で迷っているような感じがして仕方がないんだ」

「─────よし、ちょうど良い、みんな、この際ちょっと休憩しないか?」

「それはグッドアイディアだ!」

「賛成────────!!」

「I'm pooped!、I can't move another musucle.(もうヘトヘトで動けないよ)」

 口々にそう言って、ライフルとバックパックを降ろす。疲れてくると荷物がひどく重く感じられて、少しでも早く降ろしたくなる。

「おいおい、銃は地面に置いちゃダメだよ───────────」

「おっと、いけねぇ・・Whoops!!」

 実際に銃を持って動き回った経験のない人には分からない事だが、銃というものはあっという間に錆びてくるものである。
 そもそも鉄の塊りなのだから当り前なのだが、経験の浅い教育中の新兵などは、長距離の行軍で5kg 近くもあるその鉄のカタマリを抱えて歩くこと自体が拷問に思えるほど辛く、終いには腕がカチカチに固まって麻痺するようになる。尾根を歩いていれば谿に捨てたくなるし、滝があればそこに投げ込みたくなってしまう。だから、やっと休憩になった時には、文字どおり厄介な無用の長物になど、気も遣いたくないのが人情であった。

 宏隆が注意した学生も例外ではなく、雨で泥になった地面だと分かっているのに、ついそこに放り出してしまったのである。
 しかし、そこにゴロリと置けば泥が詰まる怖れがあり、気にせずそのまま撃てば暴発の危険性もあり、仲間に迷惑が掛かる事態にもなる。不注意はお互いに注意し合わなくてはならないし、リーダーは、そんなことまで細やかに、チーム全体の動きに目を行き届かせられる人間でなくてはならなかった。

「よし、お湯を沸かしてコーヒーを飲もう!!、頭をスッキリさせて、元気を取り戻して、さっさとこの行軍を終わらせるんだ!」

「お、コーヒーか、ありがたい──────────」

「鬼教官も、カトーみたいだったら良いのになぁ・・・」

「そう、ホントにそうだよな!!」

「はははは・・・・・」

「あはははは・・・」

 宏隆の言葉には、説得力だけではない温かさがあった。


 行軍の参加者全員がまとまって歩く場合は、勝手に休憩したり、食事やお茶を気儘に取ることも許されないが、こんな風にチームでルートを探しながら森を往く場合には、そのあたりは少々気が楽である。

 だが、悪天候の中を、地図だけを頼りに、自分たちの判断で未知のルートを制覇して帰り着かなくてはならない。悪天候時には目標となる周りの地形が分かりづらく、まして誰もが初めて経験するアラスカの原野なので、訓練とは言え、決して油断はできない。
 そして、道に迷った気がするのは皆が相当に疲れ、感覚が鈍ってきた証拠である。宏隆ひとりだけならまだ歩けるところだが、こんな時は温かい飲み物で元気を取り戻し、甘い物でも口にして、冗談のひとつでも出てくるように努めて、改めてチームの団結を図った方が良いと、宏隆は判断したのである。

 コーヒーを入れる、と言っても、レクリエーションのキャンプではないので、火を熾してパーコレーターやドリップで優雅に淹れるわけではない。
 軍隊では基本的に、任務の間は火を使えない。火は容易に敵に発見される怖れがあるから当り前だが、それでも温かいお茶やスープ、ほかほかの食べ物は心身の疲れを取り、次の行動に活力を与えてくれるので兵士には欠かせない。冷めた食事は味気なく、何の元気も与えてくれないのは誰もが知るところだ。

 宏隆たちが使っているのは、発熱剤を水で化学反応させて湯を沸かしたり、食べ物を温めたりすることのできる、FRH(Flameless Ration Heater)という便利なものである。
 レトルトなどのパック食品は無論、500cc ほど入るアルミ製のバッグに水を満たして使えば、わずか数分でたっぷりの湯が沸く。これは軍用に開発されてから、民間にも色々なタイプが販売されるようになった。


「・・・あとどの位かかるんだろうか、キャンパスに戻れるまで」

 雨は一向に止む様子がない。インテリのウィルソンが、カップの中に雨が入らないよう、手で蓋をしながら、ちょっと不安そうに言う。彼でなくとも誰もがみな不安なのだが、人は大抵、その不安を口にすることで少し気持ちが楽になるものである。

「まだ少し距離がある─────この雨じゃ、けっこう時間も掛かるだろうな」

 宏隆がそう言って、自前のステンレスのカップで美味そうに珈琲を啜る。
 インスタントコーヒーとは言え、こんな状況で珈琲が飲めるのは非常にありがたい。砂糖を入れれば元気が出るし、粉ミルクを入れればちょっと贅沢な気分になる。
 MRE(Meal Ready to Eat=戦闘食)のセットパックにはインスタントコーヒーと合わせて小さなクッキーやガムが付随しているので重宝する。

 ちなみに、この物語の時代には、インスタントコーヒーはサラサラした粉のタイプしか無かった。より本物の珈琲に近いフリーズドライのタイプが兵士に配られるようになったのはまだほんの最近、湾岸戦争(1991年)以降のことである。


「ざっと見積もって、この天候だと、あと6〜7時間というところかな。たしかスタートの時に、ドリルサージャントが、所要時間はおよそ10〜12時間だと言っていたし・・」

 胸のネームワッペンに Lee(リー)と書かれた小柄な学生が、宏隆の横から地図を指でなぞる。

「リー、きみは山歩きに詳しいのかい?」

「ハイスクールでトレッキングクラブに居たから、少しだけ・・・」

「それは心強いな。ついでに、このコースで大変な所があるかどうか、分かるかい?」

 リーダーが他の学生に地図を見せながら相談しているので、皆も寄ってきた。

「そうだな・・ここと、ここが、ちょっと難儀かな。でも大丈夫だよ、この行軍の目的は難所を越えるテクニックを磨く事じゃなくて、地図を読むこととコンパスが使えること、そしてチームワークが発揮できるかどうかが試される、ということだと思うんだ」

「・・ふむ、そのとおりだね、ぼくもそう思うよ」

 宏隆は既に、リーと同じように地図を読み解いていたが、時にはわざわざ誰かにそれを指摘させたりして、安心感や仲間との一体感を高めていくことも必要である。
 つい先ほど、さっき歩いた所と同じ道ではないのかと何人かに言われたのは、皆が疲れていたせいだが、いったん疑いを持たれたからには、自分の独善でルートを決定しているのではない事を解ってもらい、仲間を得心させ、安心させなくてはならない。

 リーダーだけが地図を見て、あっちだこっちだと命じて皆を連れ歩いても、そんな行軍は息が詰まるばかりで疲れてしまう。リーダーとは他の者に命じる権限を持つ特別な人のことではない、と宏隆は思う。幾許(いくばく)かの能力を誇示しても駄目なのである。リーダーも皆と同じように疲れもするし、弱さもあれば怖がりもする、ただの一兵卒なのである。自分はその上でリーダーという立場を仰せ付かっている、だから皆のために頑張る、という誠意を示せなくては、人は従(つ)いてきてはくれない。
 それがリーダーとしての大切なポイントであることを、宏隆はよく心得ていた。


「────────だから、ルートを変に間違えたりしなければ、暗くなるまでには必ず出発点に戻れるはずだと、ボクにはそう思えるんだ」

 自信を持ってそう言い切る小柄なリーは、少しばかり大きく見えた。

「・・その、難儀そうだと言う、ふたつのポイントって、大体どんなところなの?」

 浅黒い精悍な顔つきをした、ロペスが訊ねた。
 Lopez(ロペス)とはラテン語で Lope(オオカミ)の子供のことであり、よく引き締まった体格はいかにもそんな感じがするが、雨が降りしきるアラスカの原野にあっては、心なしか不安そうにも見える。

「ひとつは、ここからもう少し行ったところで、ちょっと広めの川を渡らなきゃならない。小さな滝もある。でも、この地図じゃ川の深さも分からないし、河原へ登り降りするのも、どれ位の高さなのかは分からないな・・・」

「ふむ、もう一ヶ所は──────────?」

「えーっと・・・そう、この辺りだよ、ここはけっこう岩場があるみたいだし、しかもかなり上ったり下りたりしなくちゃならない地形だと思う」

「うーん、雨の岩場をよじ登ったり、転げ降りたりか、やれやれ・・・」

「こんな支給品のドタ靴じゃ、滑っちまいそうだけどな」

「それらの困難を超えて、任務を全うするのが、俺たち兵士っ・・!!」

「大変だけど、訓練なんだから、やるしかないよな」

「That's worthy of a man.(それでこそ男だ)」

「よし、いっちょう行軍歌でも唄うか!!」

「あはははは・・・・!!」

「わははははは・・・・!!」


 宏隆の工夫で、チームは少し元気を取り戻してきた。

 宏隆のチームは、チームリーダーの宏隆と、物知りでインテリのウィルソン、浅黒く精悍な Lopez(ロペス)、背の高い ”疑い深い” Thomas(トーマス)、出発前に笑っていたのを咎められ、一緒に腕立て伏せをした、ギョロ目の Morgan(モーガン=ケルト語で ”明るい海” の意味)、そして今、地図を読んでくれた Lee(リー)の、総勢6名である。

 先に宏隆のことを、「リーダーとは言っても軍人としての階級が皆より上というわけではない、つまり彼らの上官ではないのだから・・」と書いたが、実はこの「チーム=Team」というのは歴とした軍の編成単位のひとつであり、アメリカ陸軍、海兵隊、フランス陸軍、ドイツ連邦陸軍、日本の自衛隊などにも存在している。日本の自衛隊ではこれを「班」または「組」と呼んでいる。

 Team Reader の宏隆は日本で言う班長に相当し、本来は 伍長(Corporal)から一等兵(Private)というべき立場なので、まだ階級は与えられていなくとも、それと同等であると指揮官(この場合は分隊長である軍曹=Sergeant)に見込まれ、リーダーに選ばれているということになる。

 そのことは宏隆自身も、他の学生兵士たちも、皆よく知っていることであった。


「・・さあ、まだ先は長そうだ、出発しようか!!」

「Hurrahhh──── !!(フッラァアーッッ!)」

 雨はまだ降り続いているが、宏隆の言葉に、全員が声を挙げてライフルを高く掲げた。



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )







  *次回、連載小説「龍の道」 第161回の掲載は、9月1日(火)の予定です


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2015年08月01日

連載小説「龍の道」 第159回




第159回  BOOT CAMP (8)



 今日の訓練は、行軍である。
 行軍とは、軍隊で兵士が隊列を組んで長距離を行進し移動することだが、今日のそれは、いつものような、広いキャンパスの中を延々と歩き続けるのではなく、外に出て、道らしい道も無いアラスカの大自然の中を、18マイル(約30km)も歩かされるのである。

 ──────と言っても、ただ徒に距離を歩くのではない。自分の体重以外に、制服や軍靴、鉄のヘルメット、水筒、ライフルなどを入れると、優にプラス25kgを超えるが、その重い装備を身にまとったまま、30kmの原野を往くのだ。
 それを想像しただけでも、普通はちょっと身が退けてしまうに違いない。整備された平坦な街路を手ぶらで歩いたとしても、30kmは結構きつい距離だ。
 30kmとは、だいたい東京から東神奈川くらいの距離に等しい。あの弥次喜多道中には、毎日30〜40km、8〜10時間も歩くと書かれていて、昔の日本人の健脚ぶりがわかる。
 草鞋(わらじ)でそれだけ歩くのは大したものだが、それでも現代兵士のように重い装備を背負って歩いたわけではない。目的が違うのである。

 そもそも、人は決して重い物を持っては歩きたがらないものだ。その証拠に、登山をする人は誰もが装備を極力軽くしようと努める。山行のたびに荷物の重量で苦労し、次はもっと軽くしたいと思い、帰って来てまだ重かったと嘆き、次回はさらに軽くするぞ、と思うのだそうで、軽ければ軽いほど山行はより快適になり、楽しくなるというわけである。
 だから登山家は、山行前には基本の装備は無論、サロンパスの一枚、バンダナの一枚に至るまでグラム単位で量ってリストアップし、どれほど軽くできるか工夫するそうだ。
 確かに、登山用品店に行けば、水筒や食器、燃焼器具、衣類、靴、ハシやスプーンに至るまで、ことごとく軽量化がなされているのが分かる。つまり山歩きをする際には、それほど「重量」が問題になる、ということである。

 だが、ベテラン登山家は、一泊二日の山行でも、一週間の尾根伝いの縦走でも、それほど装備の量は変わらない、と言う。
 また、水や食料、燃料などの消耗品を除いた背負うべき重量を指す ”ベースウエイト” という考え方がある。衣服のポケットの中、ウエストバッグ、手に持つ道具などを含まない基本の重量のことだ。
 '70年代にヨセミテで活躍したクライマー、Ray Jardine はウルトラライト・ハイキングというスタイルを提唱し世界に広めたが、そのベースウエイトは10ポンド(4.5kg)を基準とし、ついには8.5ポンド(3.85kg)という域にまで達したそうだ。

 だが、軍隊ではたとえどれほど軽量化したくとも、装備は元々支給品で決まっているからどうにもならない。何しろ手にしたライフルと弾丸だけでも、すでにそのベースウエイト分の重さを超えているのだから。


「Fall In !! ─────(整列っ!)」

 早朝5時半。学生兵士全員が集合し、直立不動で整列をする。
 これがきちんと出来たら、チームごとに点呼をするのは、いつもと変わらない。

「Attention !! ─────(気をつけっ!)」

「At ease !!(休めっ!)───────」

 朝礼台の上に立ったドリルサージャント(教官の軍曹)が、もうすっかり整列する姿が板に付いた学生たちを見下ろして、今日行われる行軍訓練の内容を説明する。

「君たちはすでに10マイル(16km)行軍を経験しているが、今日は次のレベルの、18マイル(約30km)行軍を行う。
 幸いこのアラスカは、キャンパスを出ればすぐ手つかずの自然の原野が広がっている。
 行軍コースは、山あり谿あり森林ありと、多様なルートを巡って、この出発地点まで戻ってくる。所要時間は約10〜12時間。装備の重量はライフルとバックパックで約60ポンドほど(27kg)になる。ベンチプレスで220ポンド(100kg)を軽々と挙げている者も、やがて、わずか10ポンドばかりのライフルを道端に放り出したくなる時がやってくるから、今のうちに覚悟をした方がいい」

「Wow・・・・!!」

 学生たちが騒めいた。

「だが、一人前の兵士になるには、その程度で泣き言を言うようでは失格だ。曾て私が戦地に赴いた時に、試しに装備を着けたまま体重計に乗ってみたら、325ポンド(147kg)もあって随分驚かされた。私の体重は156ポンド(70kg)だったから、自分のウエイトを超える装備を身に着けて、駆け回って戦っていたことになる」

「──────────────────」

「君たちの装備は軽い、最前線の兵士と比べれば非常に軽いのだ。その装備が本当に軽く思えるようにならなければ、強い兵士にはなれない。グリーン・ベレー(米陸軍特殊部隊)やスクリーミング・イーグル(101st Airborne Division=第101空挺師団の愛称)などでは 50マイルや60マイル(80〜100km)の行軍訓練が普通なのだ。如何なる状況でも戦える体力と知力、不屈の精神力こそがアメリカ兵士の誇りだ。ひとりの落伍者もなく事故もなく、今日の行軍を終えて欲しい───────以上だ!!」

 思いがけず教官から出た経験談に、みな真顔で聞き入っていた。

 自分の体重よりも重い装備を装着して、なお戦地で敵と闘うには、果たしてどれほどの体力と精神力が必要とされるのだろうか、と思う。
 その話を聞いたせいか、出発前の装備確認をしながら、心做しかバックパックが軽いように感じられるから不思議である。

 装備品は、バックパックには、着替えの迷彩服、同じ迷彩のパーカーとズボン(雨具)、下着や靴下の着替え、近ごろ製造が始まったばかりのMRE(Meal, Ready to Eat=兵士に配給される野戦食)、予備の水筒、それに携帯用シャベルなどが入る。
 また、腰の弾帯には銃剣と水筒、ライフルのマガジンが入った弾納ポーチなどを装着し、それにヘルメットとM-16ライフル、厚い皮の軍靴が加わり、言われたとおり、かなりの重さとなった。

「昔の日本のヨロイArmor と、カブトHelmet は、重さが25kgほどあって、槍や刀などの武器を持って完全武装すると、総重量は40kg近くにもなったんだそうだが────────」

 装備の点検をしながら、宏隆が隣の学生にそう話しかけた。

「へえ、日本人は小柄な人が多いのに、よくそんな重い装備が持てるなぁ・・」

「そうだね、有名な源義経という武将は身長が145センチ、たぶん体重は40kgくらいかな、その体で40キロの武具装着というのは、いま教官が言った事とピッタリ一致している」

「Oh!、ミナモトノ、ヨシツネ !!、ウシワカ、マル !!、Battle of Ichi-no-Tani and Dan-no-Ura・・He was the great warrior, great commander !!」

 義経の名を聞いて、その学生が興奮した。

「へぇ、よく知ってるなぁ、アメリカでも判官ビイキってのがあるンかいな・・?」

「やっぱり今も昔も、西も東も、アラスカでも、兵士ほどキツいものは無いんだろうね!」

「ははは・・・・」

「あははは・・・・」

「コラぁ、そこっ!、これから行軍だというのに、何をヘラヘラ笑っとるか!」

「あ・・し、しまった!」

「タルんどるぞ!、罰として、その場でプッシュアップ 20回だっ!!」

「・・い、イエス、ドリルサージャント(教官軍曹)!」

 小声で話していたのだが、楽しそうに笑ったので鬼軍曹に見咎められた。
 丁度バックパックを担いだところだが、降ろせとは命じられていないので、やむなくそのまま腕立て伏せをする。27kgを背負って行う20回の腕立て伏せは、決して少なくない。
 すぐに汗がドッと噴き出してきて、二人とも無駄話をしたことを後悔した。



 ─────────確かに、アラスカは大自然の環境に恵まれている。

 キャンパスを出て歩き始めると、初めのうちは、いかにも大学のある町、アラスカ最大の学園都市らしい美しい街路をたどって歩くが、ほんの数キロほど進んで、単線の鉄道の線路を越え、永久凍土が溶けて出来た小さな湖を過ぎると、すぐに原野の中を縦横に走る未舗装の路となる。郊外の森の中には、街の喧騒を離れて暮らす人たちのログハウスやロッジ風の家が所々に点在している。

 そんな風景を過ぎて、さらに少し歩いていくと、突然道が途絶えた。
 だが、よく足許を見ると、そこが元は道であったらしいことが分かる。今は誰も使わなくなった、忘れられつつある野の路なのである。
 隊列は、足元の草を分けながら、その路をひたすら辿って行く。

 出発して3マイル(約5km)ほどのところで、Short Break(小休止)となった。
 チームごとに点呼をし、チームリーダーが軍曹に報告する。

「よし、全員到着しているな?、今のうちに少し水分を補給するんだ!」

 宏隆は射撃をはじめ、何をやらせても成績が良いので、チームを編成する時にはリーダーを命じられることが多い。

「少し休憩だ。水分を補給しておけ、と言っている」

 チームの学生たちに、そう告げた。

「もう休憩するのか────────?」

 意外と早い休憩のタイミングに、皆ちょっと拍子抜けした顔をするが、思い思いにそこらの倒木に腰掛け、水筒に口を着けながら、しばし談笑する。

 水筒は二つ。腰に着けたのは1クオート入るキャンティーン(1qt.=950ccの軍用水筒)で、それ以外にもバックパックに予備の水筒を入れる。人間が一日に必要とする水分は飲料水で1,200cc、食物から800ccというけれども、30kmも林野を歩くのだから多すぎることはない。

 大切なことは、人は体の活動を維持するために水分を取り、排泄し、それを循環させているという認識である。この循環が途絶えれば生命活動は停止してしまう。
 水は飲めば良いだけではない、一日に最低でも500ccの小便が排泄されなければ、不要な物質が体内に溜まり、生命維持において大変危険な状態になるし、排泄された水分は直ちに補う必要がある。
 自衛隊員が島嶼(とうしょ)警備などで山深くに入る際には、一人9リットルずつの水を背負って行くという。装備以外の9リットルは結構重い。山中には大概湧き水もある、何もわざわざ辛い目に遭いながら重い水を運ぶ事はない、とも思えるが、何らかの事情で状況が一変すれば、その重さのありがたさが身に染みるに違いない。

「人間のカラダは、60%が水だって言うけど、ホントかな・・?」

 誰かがボソリと言った。

「ああ、本当だよ────────」

 いかにもインテリ風の、Wilson(ウィルソン)という眼鏡を掛けた学生が答えた。

「新生児の赤ん坊だと、その数値はもっと高くて、体重の80%が水なんだそうだ」

「へえ、すごいなぁ。でも、そんなに水があったら、触ったらチャプチャプしているようなものだが・・どこにそんな水分があるんだろう?」

 よく鍛えられた引き締まった体に、浅黒い肌が光る、Lopez(ロペス)がそう訪ねた。

「体重の60%を占める水のうち、45%までが細胞内にある水なんだ。残りの15%は血液やリンパ液など、細胞外にある水分───────ひとつひとつの細胞の中ではタンパク質や糖質、脂質やイオンなどが組み合わさっているけれど、それらの要素を結びつけているものが水なんだ。水と言っても形態は違っていて、ドロドロしたゼリーのような形をとっている。小さな細胞の中で、水様分子が絶えず休まずに動いて、生命活動を支えているんだよ。
 人体はそんな細胞が20兆個以上も集まって出来ている。我々人間は、それを皮膚ですっぽりと包んだ生命体なんだよ」

「詳しいなあ、どうしてそんなに細かいことを知っているんだ?」

「えーっと・・まあ、ボクは常識だと思ってるんだけど」

 ウィルソンが、ニコリと笑って答えた。

「ボクにも少し知っていることを言わせてくれ・・リンゴの85%は水、トマトの90%は水、魚は75%が水、人間の脳も80%が水、クラゲなんか96%も水で、ヒトの眼の網膜も92%は水だというから、ヒトはその水に映して物を見ているということになるよね」

 宏隆がインテリのウィルソンの話に付け加えた。

「オオ、すごい話だな!、まだ大して歩いてないけど、とりあえず水を飲んでおこう!!」

「あはははは────────」

「わははははは────────」

「なかなか好い話をしているじゃないか、ここのチームは・・・」

 いつの間にか、すぐそばに教官が見廻りに来ていた。

「あ・・ドリルサージャント!」

 皆が起ち上がって姿勢を正そうとするが、

「まあ楽にしろ、いまは休憩時間だ」

「サンキュー、サー!」

「いまの話の続きだが、人間はどのくらいで脱水症状になるか、知っているか?」

「脱水症状───────?」

 皆は首を傾げている。

「誰も知らないか・・チームリーダーのカトー、お前はどうだ?」

「イエス、まずは1%不足しただけでも猛烈に喉が渇きます。もし一日中水を摂らなければ体内の2.5%の水分が失われ、脱水熱が出て、それが進めばやがて幻覚症状に陥ります。
 成人は2〜4%の水分が失われると、体内のナトリウムやカルシウムのバランスが悪化して死に至ります。それがいわゆる ”脱水症状” と言われるものです」

「ほう、よく知っているな。まるで特殊部隊の教育を受けた者のような答え方だが・・」

「い、いえ!・・そんな・・学校で習っただけです!!」

「ははは、冗談だよ。特殊部隊の訓練を受けた人間が、わざわざアラスカの大学に来て軍事訓練をする必要など無いからな!、ははは・・・」

「あはははは・・・」

 それを聞いて皆も笑ったが、宏隆は笑えず、ホッと胸をなで下ろした。
 学んだことは、つい自然に口を衝いて出てしまう。自分の経歴が見破られないように、もっと注意しなくてはならないと思った。

「・・よし、そろそろ出発するぞ!」

「イエッサー!!」



 行軍はつづく─────────休憩から再び3時間以上は歩いているだろうか。

 やがて、さらに深い針葉樹林帯の中へと足を踏み入れてゆくと、にわかに灰色の雲が広がってきて、雨になるかも知れないな、と思った途端に、ポツポツと顔に当たってきた。

「これはニワカ雨じゃ済まないな、けっこう降ってくるぞ・・・」

 宏隆は隊列を止めて、雨具を着用するよう、皆に指示を出した。

「そんなに降らないんじゃないかな、空もそれほど暗くないし────」

 体格の良い、スペイン系のロペスが面倒くさそうに言うが、

「いや、いきなり降ってきたらビショ濡れになって身体が冷える。降らなきゃ降らないで、また脱げばいいじゃないか」

「やれやれ、せっかく歩くリズムが乗ってきたトコロなんだけどなぁ・・」

「ほらほら、ぶつくさ言わないで、さっさと着ないと───────」

 そう話していた途端に、ザァーッと、バケツを引っ繰り返したような雨が降ってきた。

「うわぁーっっ・・・!!」

 みな慌ててバックパックを下ろし、急いで合羽を取り出して着る。
 ヒトはほとんど、雨に濡れることを嫌がる。どうもそういう動物らしい。

「何てところだ、アラスカってのは!!」

 上衣のパーカーはともかく、ゴツい軍用ブーツの上からズボンを履くのは慣れないと大変で、慌てていることもあって、一人が転けそうになり、一人はひっくり返って、仕方なくそのまま地面に座ってズボンと格闘している。

「ははは、だから言っただろう、Be prepared(備えよ常に=ボーイスカウトのモットー)だよ!」

「・・お、カトーも Boy Scouts だったのか?」

「いや、ほとんど自己流さ、野山を駆けまわってツリーハウスを作り、キャンプや探検ばかりしていたんだ!」

「Oh, You are naughty !!(ナーティ=言うことを聞かない腕白坊主)」

「Tom Sawyer !!(トム・ソーヤー)」

「あはは、そのとおり!!」

 同じ目的を持つ仲間と行動していると、それが大変な事でもずいぶん楽に感じられる。
 重い荷物を背負っての長距離行軍は確かにきつく、いきなり雨が降ってくればそれに輪をかけて惨めになるが、そんな辛さや厳しさを分かち合える仲間と一緒に居られることには、不思議と満ち足りた幸福感があった。



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第160回の掲載は、8月15日(土)の予定です


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2015年07月15日

連載小説「龍の道」 第158回




第158回  BOOT CAMP (7)



「ダンッ────────、ダンッッ────────!!」

 慎重に、次の十発を撃ってゆく。

 Prone(プロゥン=伏射・寝撃ち)は、最も安定した狙撃姿勢であり、同時に敵からは撃たれにくいので、戦場では状況の許す限り、極力この姿勢で狙撃が行われる。軍隊で兵士が最初に学ぶライフルの射撃姿勢は、世界共通で必ずこの伏射からなのである。
 
 伏射は、銃の軸線(射撃ライン)に対し、体軸を30〜40度の角度に開いて構える。右利きの場合、銃を支える左肘は、なるべく銃の真下に来るようにすると良いが、体を捻ってまでそうする必要はない。銃器を扱う際には特に体の捻りや拗れがあってはならない。それによって銃弾は狙った所へは飛ばず、自分の身体にも支障を来すからである。

 Prone(プロゥン=伏射)の姿勢を真横から見ると、左右の前腕がほぼ平行に位置するようになる。また、銃を構えた正面から見ると、両肩両肘が綺麗な平行四辺形になり、さらに体軸正中線の正面から見れば、肩肘を結んだ線は整った台形となる。
 このように、射撃姿勢における身体の構造は、最も安定するように、最も命中するように工夫されているが、そのような身体構造の整え方は武器の有無に関わらず、どのような徒手空拳の闘争術にあっても同じことが言える。

 この頃ようやく人口に膾炙され始め、入門書なども盛んに出版されるようになった太極拳では、纏絲勁が身体の捻りによって行われると論ずる人も居る、という事を宏隆は耳にしたことがある。木ネジやドリルの形状が強力であるように、捻って出される力こそが纏絲の真骨頂であると、真しやかに説かれているらしいのである。

 しかし、ライフルを構える際の身体の整え方を見ても分かるように、体を捻って造られたものは構造が脆くなり、決して大きな力を生み出せはしない。日常的に重い物を持ち上げたり移動したりする場合でも、人は決して体を捻って力を出そうとはしない筈である。
 木ネジやドリルを見れば、確かに螺旋は強い力を生む形状ではあるが、そもそもヒトの身体はドリルのような形には造られておらず、ドリルの真似をして相手に力を発しても、どうにもならない。纏絲勁は螺旋の形に身体を動かして得られるチカラではないのである。


「ライフルは、味わい深いな・・・・」

 ふと、纏絲勁のことを想いながら、ポツリと宏隆がつぶやいた。

「当てることに固執すれば、中らない。心を安定させ、体軸を安定させて、ただひたすら、静かに銃弾がターゲットに向かうことを許すのみだ───────────」

 ライフルの訓練は玄洋會でも行われたが、百メートル以上の射撃場は神戸の湾岸訓練場にも無く、宏隆が主に訓練したものは近距離でのライフルとハンドガン(拳銃)だった。
 驚くほど広い地下の訓練場とは言え、やはり室内の訓練場で出来ることには限りが有る。このアラスカでは、何を憚ることなく、思う存分ライフルの訓練ができる。宏隆にはそれが嬉しかった。

 それに、訓練で撃てる銃弾の数も、かなり多い。

「日本の自衛隊員にも、必要充分な訓練をやらせてあげたいものだ────────」

 宏隆は陳中尉から、日本の自衛隊の射撃訓練の内容を詳しく聞いていたので、このROTC(予備役将校訓練課程)で学生に撃たせるライフル弾の数が、一日に軽く数百発にもなる事に本当に驚かされてしまう。
 戦後アメリカから押し付けられた現在の平和憲法下では、自衛隊は違憲とさえ見なされていて、国防予算も極端に少ない。結果、隊員が訓練するための銃弾の数も、非常に限られてしまっているのである。

 ちなみに、自衛隊の小銃兵(普通科)は年間十数回の実弾訓練があり、総計千発程度。
 戦車部隊(機甲科)や工兵部隊(施設科)など、小銃(ライフル)を専門に扱わない隊員は年間数回、合計500発程度の実弾訓練でしかない。また、通信兵や後方支援兵になると、わずか年間1回、合計20〜30発を撃つだけの訓練であるという。

 ────────こんな軍隊は、世界でも本当に珍しい。

 それでも、最前線に立つ精鋭隊員の年間訓練射撃数は公開されていない。公開すると兵士(隊員)の能力が容易に他国に推察されてしまうからである。特殊作戦群ともなると、その情報は絶対的に非開示となる。かつて「対人狙撃銃射撃教育訓練の使用弾数の開示」を巡って国会で議論になった事があったが、さすがに防衛庁は断固として開示を拒否し続けた。

 日本では、国家防衛や特定秘密の漏洩防止、テロ防止等の法律を造ろうとすると、途端に「反日勢力」が総力を挙げてそれを阻止しようとする。平和を願って軍備廃止を叫び、外国に自衛隊を派遣することに反対し、国家機密が漏洩することを防止する方策に反対するのである。この「反日勢力」は戦後、日本国内で急成長を遂げ、官公庁からマスコミまで、あらゆる方面で大きな力を持ってこの国に広く潜在している。

 しかし、国会議事堂や議員会館の前で、あるいは沖縄の米軍基地前に駆けつけてさえも、大音量でヘイトスピーチ(憎悪を煽る表現)や〇〇反対と奇声を上げる反日勢力のデモ隊、自称・市民活動家たちの行動は、見方を変えればその本質は「テロ行為」と何ら変わるものではない。つまり、時と場合によれば、彼らはテロ活動にスウィッチできる素質を十分に持つ人たちであると言えなくもない。

 筆者が聞いた米軍普天間基地前のオスプレイ配備反対デモなどは、もはやデモ(思想や要求を示威する運動)というレベルではなく、そこまで細かい報道がされないのを好いことに行われる、極端で悪質なヘイトクライム(Hate Crime=人種偏見の憎しみに基づく憎悪犯罪)であって、とても同じ日本人の行為とは思えない類いのものであった。


「ダンッッ──────────────!!」

 規定の十発を撃ち終えて、伏射の姿勢から起ち上がり、再びシューティング・ターゲットの所までスコアを確認しに行く。ボタンを押すだけで標的が手許まで戻って来るような室内射撃訓練場とは違い、野外のライフルの射撃場では、その都度ターゲットのところまで歩かなくてはならない。

「ほう・・こいつは、すごいぞ!!」

 宏隆のターゲット用紙を見て、ドリルサージャントが声を上げた。

「君たちも見てみろ、これだけ命中する学生は、そう滅多にいないぞ!」

 確かに、教官が指差した宏隆の標的は、見事な銃弾の穴が空いている。

 紙製のターゲットは、正式には Paper Shooting Targets と呼ばれる。
 少し厚めの US レターサイズ(215.7mm×279.4mm)の紙の中央に、長さ12cm ほどの黒い人形(ヒトガタ)が描かれており、更にその中央の胸の辺りに、約3cmの白い円が示されている。用紙は全体に方眼の枡目が引かれているので、自分の撃った銃弾がどこに命中しているのか一目瞭然である。

 初歩の訓練では80フィート、つまり約25メートルの距離から、この小さなターゲットを狙って撃つ。25メートルはそれほど遠くはないが、わずか12センチばかりの標的と、さらにその中心にある3センチの円に命中させるのは至難の業であると、誰もが想像できるはずだ。

 宏隆の弾痕は、十発のうち四発が、その白い円の中央部に集中している。
 それ以外の銃弾も、円のすぐ近くに命中し、黒い人形からは一発も外れていない。

「WOW ! ! 、こいつぁ、スゲーや!!」

「Oh, That's Great !!」

「天才シューター、久々にアラスカ大学から出現、か・・!!」

「ははは、まぐれだよ、マグレ!、ブッダに瞑想するような気持ちでトリガーを引いたら、偶然こうなったんだ。この次はきっと散々な結果かも知れない」

「Oh, ブッダ・・・メディテーションのチカラ・・・・」

 みんなが賞めそやすので、思わずブッダや瞑想の話で煙に巻いたつもりが、白人たちにはかえって神秘に映ったようで、宏隆は顔をしかめた。

「カトー、このまま好成績が続けば、卒業する頃にはスナイパー(狙撃兵)として推薦できるかもしれないぞ!」

「・・・ありがとうございます」

 教官が真面目な顔で言うが、ここは、ただそう答えて返すしかない。

 射撃の成績が良い兵士は ”狙撃小隊” に抜擢される、ということは宏隆も知っている。
 訓練中に抜群の成績を上げる者が時々出現するが、軍隊では待ってましたとばかりに狙撃兵を専門に鍛え上げる小隊に入れる。その中で努力精進をした成績の良い兵士を更にテストして篩(ふるい)に掛け、ミリタリー・スナイパーというスペシャリストが育ってゆくのである。

 狙撃兵(狙撃手)とは、標的から距離を隔てて狙撃銃で精密射撃を行う専門要員である。
 2001年に公開の「Enemy at the Gates(邦題:スターリングラード)」や、2006年の「Shooter(ザ・シューター)」あるいは「プライベート・ライアン」を超える興行収入と実話の内容で近ごろ大きな話題となった「アメリカン・スナイパー」などといった映画をご存知の読者なら、スナイパーという特別な役割を担う兵士の存在をご存知であろう。
 また軍隊のみならず、1972年のミュンヘンオリンピック事件(イスラエル選手たち人質11名全員殺害)からは警察にも専門の狙撃手を置く必要が出てきて、警察に対テロ特殊部隊が設立されることになり、以来、旧西ドイツだけではなく各国もそれに倣うようになった。

 Millitary Sniper(軍隊の狙撃手)には一般狙撃兵と前哨狙撃兵の二種類があり、一般狙撃兵が遠距離目標を狙撃する任務を主とするのに対し、前哨狙撃兵(Scout Sniper)は文字どおり偵察部隊に所属して、狙撃だけではなく、日本の忍者のように隠密行動で最前線に入り、目標への接近、観測、偵察、斥候、狙撃を行うもので、砲弾の着弾観測員としての任務も兼ねている。

 前哨狙撃兵は肉体の持久力、精神的重圧への耐久力が重視され、兵士の健康、体力、精神力の低下を招くため喫煙なども完全に禁止されるほどである。

 狙撃手は一般の兵士よりも上級の兵種であり、特別な手当てや技能給を支給されており、一旦任務に就けば、その殆どが「狙撃章」を授与されるほどのエリートたちで、一般兵士からの羨望や嫉妬の念が絶えない孤高の存在である。

 軍隊では、そのような素質を有する兵士を常に探し求めている。
 宏隆のように類い稀な射撃を見せる者は、軍隊が放っておくはずがないのだ。


「─────よし、全員ターゲットを確認したな。ではもう一度戻って撃つんだ。今度は全員、カトーのように見事に命中させてみろ」

 ドリルサージャントは、自分の教えた学生が、将来立派なスナイパーに成長して行くことを夢見るような顔つきで、ニコニコしながら宏隆を見ていた。


 だが、そのとき・・・・

「バン────────ッッ!!」

 遠くで聞こえた銃声とほとんど同時に、宏隆のすぐ足もと近くに銃弾が跳ねた。
 教官や他の学生たちはそのまま身構えて固く立ちすくんだが、宏隆だけは反射的にその場を飛び退って素早く身を伏せた。

「・・・だ、誰だぁっっ!!」

 ドリルサージャントが、ついさっきまで皆が伏射をしていた所を振り返って、大声で怒鳴るが、誰も応答しない。
 当然のことながら、射撃訓練では兵士たちは一斉に撃ち始め、一斉に撃ち方を止め、一斉に銃を置いて、一斉にターゲットを確認しに行く。この場所に銃弾が飛んでくること自体、有ってはならないことであった。

「だ、誰だっ!、どこのバカが撃ったんだ、いまの銃弾は・・?!」

 怒鳴っているうちに、教官の腰に付けられた無線器が鳴った。

「ああ、オレだ、どうした・・・?!」

「・・なにぃ・・・そんな事があっては困るぞ、よくよく注意してくれないと・・・
そうだ、そのとおりだ・・・何と言っても、実弾なんだからな・・・えっ?・・・そうか、ああ、よし、わかった・・この連中によく言っておく、オレからも謝っておくよ」

 無線の話を終えた教官が言うには──────────

 ふたつ向こうのEチームが標的を確認し終えて、射撃位置の後方にある準備位置に戻って来たが、学生の一人が教官に、実は自分のライフルがジャミング(弾丸詰まり)をしたままです、と報告したので、教官が自分の確認不足だと思い、その学生にジャミング解除の方法を確認させていた。もちろん安全装置を確認してのことだったが、なかなか詰まりが抜けないので色々とやらせていると、その最中に暴発してしまったというのである。
 普通は滅多にその様なことは有り得ず、他の教官も首を傾げている、という・・・

「・・そういうワケだ。まだターゲット付近に人が居るのに、安易に銃を触らせてしまった教官も問題だが、いつもの弾丸詰まりだ、すぐに直ると、軽く考えてしまったのだろう。
 危険な目に遭わせて申し訳なかったが、ジャミングにはこういう危険性もあるということだ、君たちも十分注意してほしい」

「イエッサー・・・」

 だれもが一瞬、冷や汗をかいた。

 訓練用の銃は、初心者が使うという事もあって、特にマガジン(弾倉)などは落下させたり、ガチャガチャと無理に押し込んだりと、マガジンリップ(弾倉上部のクチの部分)などが歪んで正しく銃弾が送れず、往々にして不具合が生じる場合がある。
 火薬量を減らした Simunition のFX弾(プラスチック弾頭の実射訓練用ペイント弾)ならともかく、訓練中の学生に実弾がヒットしたら目も当てられない大ごとになる。
 銃器の扱いには十分すぎるということはない、思いもよらない事故が起こり得るのだと、誰もが認識を新たにした。

 だが、ただひとり─────宏隆だけは、この銃弾が単なる事故ではないと直感していた。



                    ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第159回の掲載は、8月1日(土)の予定です

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2015年07月01日

連載小説「龍の道」 第157回




第157回  BOOT CAMP (6)



「うーん、なかなか上手く中(あた)ってくれないものだな────────」

 もちろんライフルの訓練は初めてではないし、宏隆にはそれなりの腕もある。
 初めて撃ったライフルは「五七式歩槍」、つまり民国57年(1968年)にアメリカのM14ライフルを台湾が国産化したものだったが、それを撃ったのが台北に向かう途中「大武號」が襲撃された時だったので、宏隆にとって射撃の初体験はいきなり実戦だったということになる。

 以来、玄洋會で拳銃とライフルの腕を磨いてきたが、射撃のフィールドが異なり、使う銃が異なれば、銃弾はたちまち標的に中らなくなる。特に屋外の射撃場では風も吹けば直射日光もあるので、そう思うようには行かない。

「Cease Fire !! ────────(シースファイアー/撃ち方止め)」

 一斉に銃声が止む。
 ”止め” と言われたら、何が何でも撃つのを止めなくてはならない。

「よし、ライフルを置いて、後ろに下がれ!」

 イアマフ(耳栓)をしていても、ドリルサージャントの声は大きく響く。

 一斉にマガジンを抜き、銃身を砂袋に掛けるように地面に置いて、素早く3メートルほど後ろの待機ゾーンまで下がる。
 各々のライフルにはナンバーを書いたステッカーが貼られている。何番のライフルを誰が使ったか、部品の紛失、盗難、損傷、不具合など、何かあった時にいつでも分かるようにしてある。これは軍が兵士に貸し出している物だからだ。現在では武器の管理を容易にするためにバーコードが併せて貼られている。


 ドリルサージャントがそれぞれのライフルが安全に処理されているかチェックして回り、OKが出ると、個人の名前が書かれたターゲットの場所まで行って、一人ずつ評価と指導が行われる。ライフルが安全確認されないと、ターゲットゾーンには入れない。

「Hey, Smith!(ヘイ、スミス)、お前が撃った弾丸は、10発のうち1発しかターゲットの中に入っていないぞ。それも何とか、引っ掛かるように当たっているだけだ。
 ほかの弾丸はどこへ行ったと思う?────────そうだ、後ろの丘の、土の中だ!、行って探してくるか?!」

「Miller!(ミラー)、お前の撃った弾丸は、確かにほとんど当たっている。ただし、それは隣の標的に命中したものだ!、どこを撃っているんだ、どこを!?」

「Walker!(ウォーカー)、”織物職人の末裔” にしては、お前はなかなかウデが良いな。5発が的の中に入っていて、そのうち3発は、まあ中心に近い。だが他の5発はターゲットの外に、あちこちに散らばっている。それがどうしてなのか、自分で考えてみるんだ」

 ”織物職人の末裔にしては”、とドリルサージャントが言った事に宏隆は思わず微笑んだ。以前から外国人の姓に興味があって、色々と調べていたからである。

 余談ながら、日本人の姓は80%が地名に由来しているが、アメリカ人の姓は大きく四つに分かれ、地名からの由来が約40%、親の名前由来が30%、職業由来が15%、それ以外は容姿や建造物、植物名、地形、ニックネームなどに由来していて興味深い。

 最初に呼ばれたスミスは、古い英語で「職人」を意味していて、Blacksmith(鍛冶師)、Goldsmith(金細工師)、Silversmith(銀細工師)などが知られているが、スミスの姓がアメリカに多いのは、ヨーロッパからの移民である鍛冶職人の多くが、スミス姓に改名したためである。
 ミラーは「ミルを扱う人=粉挽き職人」であるし、ウォーカーと言えば何と言ってもストライディングマン(大股で堂々と歩く男)が描かれた、スコッチのジョニー・ウォーカーが有名だが、織物を仕上げる際、組織を緻密にする縮絨(しゅくじゅう)という工程があり、昔は足で羊毛を盛んに踏みつけてその作業をしていたので、その職業名が「歩く」という意味になったと言われている。ジョニー・ウォーカーの祖先も、やはり織物職人であったに違いない。

「Next!─────次は、カトーか。ふむ、観光射撃だけの経験にしては、中々見事なものだな。2発がまとまって中心にヒットして、4発がターゲットの内側に入っている。
 だが、残りの4発はターゲットの外の左上と右下に集中している。これはどういうことか自分で分かるか?」

「いえ、わかりません・・・」

「おそらく、初めに撃ったのが左上、次が右下、最後に標的内に入るようになったのだろうが、この程度なら、自分の銃を持つようになれば幾らでも中るようになる。問題は、照準の合わせ方かもしれないな」

「サンキュー、サー!」

 宏隆は、スコアがそうなった理由が分かっていたが、ドリルサージャントのアドバイスを詳しく聞きたかったので、敢えて分からないと答えたのである。

「カトー、お前の Master Eye(マスターアイ)はどっちだ?」

「左です────────」

「左か、ちょっと厄介だな・・スポーツ競技なら照準器にブラインドを付けるところだが、軍隊じゃそんなことはやっていられない。マスターアイが左なら、ちょいと左眼をつぶって右眼だけで撃つしかないな」

「イエス、そのようにします」


 マスターアイというのは、いわゆる「利き眼」のことである。
 利き眼とは聞き慣れない言葉かも知れないが、利き手や利き足があるように利き目もまた存在する。普通は右利きの場合は右眼がマスターアイになるのだが、まれに宏隆のように、それが反対の者もいる。

 銃で標的を狙う際には普通、片眼をつぶって狙いを付けると思われている。しかしそれは素人考えであって、実際には両目を開けたまま照準を合わせている。
 このことを「両眼照準」と呼んでいる。ただし、両眼照準と言っても両眼で狙うわけではなく、両眼を開けたまま、片眼で照門(しょうもん=手前にある照準装置。銃身先端にある ”照星” と合わせて用いる)を覗くのである。

 このときに、利き手が右、左眼がマスターアイだと、狙うのに不具合が生じてくる。
 利き手が右なら、ライフルのストック(銃床)を右肩に当てて、右手でグリップを握って引き金を引いて撃つわけだが、その際、当然ながら右眼で照準を合わせるところを、実際には利き目の左眼で標的を見てしまっているのだ。これでは照準がズレてしまい、弾丸は当たらない。

 両眼照準を行わなくてはならない理由は、片眼で照準を合わせようとすると、急速に目が疲労して視力が低下し、標的そのものがだんだん見えなくなってしまうからだが、そもそも戦闘時に片目をつぶるという行為自体が不自然でもある。
 右利きの者がマスターアイと一致しない場合には、両眼で正しく照準が合わせられない。
 実際に射撃競技などでは、帽子に片眼を覆い隠すような特製のシェードを付けたり、照門の左側に目隠しのプレートを付けたり、あるいはゴーグルの左側にテープを貼ったりして、それを解消しようとするものがよく見られる。
 しかし、軍隊では競技のような悠長な事はしていられないので、視力の低下を怖れつつも片眼をつぶって撃つしかない。

 マスターアイを調べるのは簡単なので、読者もぜひ試して頂きたい。
 まず、手を伸ばして眼と同じ高さに指で輪を作り、両眼を開けたまま標的の中心を覗く。標的は射撃用でなくても、ちょっと遠くにある時計でもコップでも、花瓶に刺した花の一輪でも何でも良い。要は指でつくった輪の中に標的にする物が入るようにする。
 次に、どちらでも良いから片眼を閉じる。
 その時に、標的にした物が指の輪の中にあれば、開いている眼がマスターアイで、反対に片眼を閉じた時に標的が指の輪の外に出たら、開いている眼はマスターアイではない。


「・・よし、もう一度戻って10発を撃つんだ、今度はこれよりも得点を増やせよ!!」

 無論、宏隆はマスターアイのことなど、疾(と)っくに承知している。
 狙いを付ける時には左眼を閉じなくてはならないが、それが疲労を伴わない程度の短時間で撃てる訓練を、すでに宏隆は積んできているのだ。

「そんなことより・・・」

 再びマガジンをセットし、腹這いになって Prone(プロゥン=伏射)の姿勢に入る。
 宏隆には、マスターアイの問題や、ターゲットにどれほど命中するかという事などより、自分に課すべき、もっと大事な訓練があった。

 ──────────それは、”呼吸” である。

 武術に呼吸がつきものだと言うことは誰でも知っているが、射撃にも同じ要求がある事はあまり知られていない。実際に銃を訓練したことの無い人は、呼吸の統御が射撃に深く係わっていることを想像できないのである。

 当然ながら、呼吸をすれば身体は動く。どれほど体を静止させようとしても、呼吸による身体の動きは止めようがない。また、脈拍が速く強くなれば、銃を持つ手もそれに伴って大きく動いてしまう。銃弾をターゲットに正しく命中させるには、それらを押し殺す必要があるのだ。そのためには「まるで死人のように身体を静止させ、ただトリガーを引く指だけがわずかに動く」という、射撃の理想を追求し続けなくてはならない。
 実際の射撃とは、映画の派手なアクションとは全く異なる、「静」の世界なのである。

 普通は、照準を合わせ、引き金を引くまで呼吸を止める。いや、正確には、弾丸が銃口を離れるまでの間は、呼吸を止めておかなくてはならない。
 しかし、呼吸を止めると血液中の酸素が不足して、視力も判断力も低下する。したがって競技射撃の場合は、呼吸を止めてから10秒以内に照準を合わせなくてはならず、戦場などで戦闘状態の場合には4秒以内に照準を完了させなくてはならない。
 軍隊で「4秒以内に狙って撃て」と言われるのは、そのためである。

 呼吸を止める時には、息を一杯に吸い込んでから止めてはならないし、完全に吐ききってから止めてもいけない。筆者が訓練で教わったのは、肺に7割ほど息を吸って止めるというもので、自己統御によって、走ってきた後でも直ちに呼吸を落ち着かせることができ、1分間あたりの呼吸数を減少させ、脈拍もコントロールできるようになる。


「これは、まさに座禅をしているようなものだな───────────」

 宏隆がそう感じるのは尤もなことであり、ある意味では「悟る」などといった捉えどころの無いことに漠然と身を委ねるよりも、雑念の結果が即座に標的に現れる射撃の方が、より現実的な精神修養と言えるかもしれない。
 日本人は驚くだろうが、現にヨーロッパの各国では、青少年の精神性を養う健全なスポーツとして、射撃が学校の授業にも取り入れられているほどなのである。

「ワン,トゥー,スリー,フォー、・・・・」

 呼吸を止め、秒数を数えて、4秒以内に撃つ。
 その間もドクン、ドクン、と体中に脈が波打ち、ライフルを持つ手が脈動のままに動く。
 脈が動いている間は、撃てない─────ひとつの脈と次の脈の間の、その途切れたわずかな間隙を利用して、闇夜に霜が降りるように、そっとトリガー(引き金)を引く。
 トリガーは人差し指だけで引くのではない。グリップの反対側にある親指で、トリガーを引く指を感じ、受け止めてやるように引くのだ。

 引き金を引くのに必要な力は各銃ごとに違っていて、それを ”引き金の重さ” と言う。
 軍用ライフルの引き金の重さは、およそ3kgほどに設定されている。これは軍隊というところが徴兵や志願で銃の素人が集まる事を想定して銃が造られているからで、銃が身体の一部になるほど訓練を積んだなら引き金はもっと軽くても良く、実際には2kgほどが理想とされる。

 引き金は重い方が銃がブレやすい。引き金を引く力だけで銃が動いてしまうのである。
 また、引き金は真っ直ぐ後方に、そして静かに引かなくてはならない。そうしなくては銃に横揺れが生じてしまう。
 だから引き金は「引く」とは言わず「しぼる」と表現される。
 正に ”闇夜に霜の降る如く” 、慌てず騒がず、静かにそれを行わなくてはならないのだ。


「ダンッッ────────────────!!」

 一発ずつ、宏隆はそれらを忠実に行っていく。

 標的のど真ん中を打ち抜こうとするのではない。
 自分の姿勢を正しく保つこと、それを意識で統御し、呼吸と脈動を制御して、如何にして己を整えたかという事だけが、射出された弾丸の行方を決めるのである。

 これはまさしく禅だと思えるが、禅の極みは、つまりは「死ぬこと」にある。
 それは、葉隠が「死ぬ事と見付けた」武士道と同じで、かつて志の高い武士が禅門に真理を求めたように、現代に至高の武藝を追求し、軍人として訓練する自分もまた、その意味を自己の存在の根底から理解しなくてはならないと思うのである。

 宏隆は、三島由紀夫の「葉隠入門」をこのアラスカに持ってきていた。
 中学に入学したばかりの頃に本屋で見つけて思わず買い求めた本だが、その僅か二年後、著者の三島は、東京市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を決行する。

 その本にある三島の言葉は、宏隆の脳裏に今もずっと離れずにある。
 死の問題は、葉隠の時代も、今の時代にも、ずっと変わらず存在している。
 葉隠の言う「死」が、とりたてて特別なものでは無いと、三島は説いていた。


 ───────「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。
 毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いはば同じだといふことを
 「葉隠」は主張してゐる。われわれはけふ死ぬと思つて仕事をするときに、その仕事が
 急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
                      ( 三島由紀夫「葉隠入門」)


 この事は、何もかつての武士に限ったことではない。どんな世界にあっても、一流の真物(ほんもの)に成ることを希求するのであれば、誰もが一度は通らなくてはならない関門であるに違いない────────────宏隆には、そう思えた。



                   ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第158回の掲載は、7月15日(水)の予定です


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2015年06月15日

連載小説「龍の道」 第156回




第156回  BOOT CAMP (5)



「────────君たちの中で、銃を撃ったことのある者はいるか?」

 よく晴れた碧空のもと、だだっ広い野外射撃場の一角に勢揃いした学生たちに向かって、ドリルサージャント(教官軍曹)の声が響く。

「Yes・・ Yes・・ Sir・・ Yes・・・・」

 多くの者たちが次々と手を挙げる。30名ほどの訓練小隊だが、射撃を経験したことのある者がその半数以上に上ることに、宏隆は少なからず驚かされた。日本の自衛隊で新兵に同じことを訊ねたら、果たしてどんな結果が出るだろうか。

 周知の如く、アメリカでは個人が銃器を所有することが憲法で保障されている。
 いわゆる「アメリカ合衆国憲法・修正第2条」に掲げられた、『規律ある民兵は自由な国家の安全にとって必要であり、人民が武器を保有または携帯する権利は、これを侵してはならない』という有名な条項がある。

 この「龍の道」の背景となっている1970年代は、アメリカで最も銃の所持率が増加した時期でもあるが、21世紀となった今日では、どの州でも銃規制はそれなりに厳しくなって、銃所持のライセンスの要否、銃をケースに入れた場合、銃弾を装填している場合、自動車乗車時や歩行時に携帯する場合など、細分化された項目が各州ごとに取り決められている。

 基本的には Open Carry(ホルスターや腰に差すなど、表から他人に見える状態)または Concealed Carry(衣服の下やカバンの中など、他人から見えない状態)の携帯方法に分かれ、多くの州では前者は免許不要、後者は要免許とされているが、約半数の州では公共の場での Open Carry を禁止している。また、いずれの州でも、多くの商店や飲食店では入口に「No Firearm」つまり「小火器(ライフル・ピストル等のポータブルガン)持込み禁止」という看板が掛かっている。
 特に政府機関や大使館が集中する首都ワシントンD.C.などでは、各所で抜き打ちのボディチェックが頻繁に行われ、空のホルスターを腰に着けているだけでも、有無を言わさぬ逮捕や、場合によっては射殺する事さえ認められているほどで、日本とはだいぶ考え方や事情が違っている。


「ほう、ずいぶん居るな・・・カトウ、お前は銃を撃ったことが無いのか?」

「挙手するのを迷いました。観光射撃をした程度だったので────────」

「なるほど。観光射撃というのは、客としてスタッフに銃弾を装填してもらって、ターゲットに向かってただ引き金を引くだけの遊びだから、まあ、それでは射撃経験とは言えないかも知れないな」

「Ha ha ha ha ha ・・・・!!」

 学生たちが笑い、宏隆も頭を掻いて苦笑いをして見せた。

 こう言っておかなくては、日本人なのに相当の射撃の経験があり、それなりの腕があることも分かれば、自分が秘密結社・玄洋會に所属していることまで知られてしまう危険性が出てくる。そうなれば、このROTC(予備役将校訓練課程)で学ぶことさえ危ぶまれてくる。

 挙手した学生たちの殆どは、アメリカ国籍を持っている者たちである。銃は撃ったことがあるものの、観光射撃でしか経験が無いという宏隆が、彼らにとってはひどく子供っぽく見えてしまうのも無理はない。
 アメリカでは、小さい頃から子供を射撃場に連れて行き、銃を撃つ訓練をさせる人が少なくない。もちろん観光用ではない本物の射撃場で、一般市民からハンター、非番の警察官なども真剣に射撃の訓練をしている。
 普通は17歳以上が射撃場に入場できるが、保護者同伴なら8〜17歳も射撃訓練ができる。また、銃を所持していなくても、射撃場に行けば拳銃からマシンガンまで、様々な銃を貸し出してくれるので、だんだん自分に合ったものを探すこともできるが、レンタルの場合、単独での利用は断られることもある。自殺防止がその理由だという。

 アメリカでは、銃は武器ではなく「Tool(ツール・道具)」としての感覚が強い。
 大工道具や調理道具、クルマやセルフォン(携帯電話)と同じように、日常生活に必要な道具だという実感がアメリカ人にはあって、実際にホームセンターやスポーツ用品店には、他の物と同じように銃が陳列され、普通の商品として売っている。銃を休日に射撃場で練習するのはボウリングやゴルフと何も変わらない同じ”スポーツ”という感覚もある。
 それは、まだ法も秩序も整備されておらず、市民の安全を保障することが出来なかった、「お上が不在」の西部開拓時代以来、彼らのDNAに染み込んだ「自分の身は自分で守る」という開拓者精神が、21世紀の今もなお続いているからなのだろう。

 だが、痛ましい事故や忌まわしい乱射事件も後を絶たない。2014年の夏にもアリゾナの射撃場で射撃をしていた9歳の女の子が、持ったサブマシンガンのフルオートの反動を制御しきれず、インストラクターを誤射してしまうという事故があった。
 今やグローバル・スタンダードとして影響力を持つ「CDC(アメリカ疾病管理予防センター)」の発表によれば、2011年のアメリカでの銃による死亡者数は31,000人、交通事故の死者は35,000人というから、やはりアメリカの銃問題は深刻である。

 反対に、日本では一般市民には武器を持たせないという長い歴史があった。
 秀吉の刀狩り以来の伝統だと言う人も居るが、天皇の下に将軍が天下を支配し、法と秩序が常に存在していた我が国では「武器を持つ者=お上(法と秩序)を護る者=武士」という考え方が古くから確立され、アメリカのように普通の市民が個々に武器を持つ必要がなかったのだとも言える。


「よし、これから射撃訓練に入る。このUAF(アラスカ大学フェアバンクス校)にはインドア・レィンジ(室内射撃場)が無いので、暑かろうが寒かろうが、このだだっ広い射撃場でやるしかない─────────ただ、銃器を扱うのだから、当然守るべき厳しいルールがある。今から説明するルールを、よくアタマに叩き込んでおくんだ!!」

「イエッサー!!」

「諸君はもうすでに、ライフルの構造や扱い方、分解と組み立て、整備の仕方、撃つ時の姿勢や注意事項、射撃時に必要な事項のシミュレーションなどを学んできた。今日からはいよいよ実際にこのフィールドで銃弾を撃つ訓練を行うのだ───────さっきは漠然と銃を撃った経験があるかどうかを訊いたが、ライフルを撃ったことがある者は居るか?」

 3人が手を挙げた。さっきは約半数、つまり15名ほど拳銃の射撃経験者が居たが、ライフルに限定されると、この数になる。それでも日本人には到底考えられない。

「よろしい、経験者はルールを承知していると思うが、ここで教えるのは軍隊としてのルールだ。気持ちを新たにしてよく覚えておいてもらいたい」

 銃を扱うルールは、軍隊でも民間でも、秘密結社でも何処でも同じだ。要は安全に正しく使うためのものであり、宏隆にはよく馴染んだルールである。

(1)銃は常に銃弾が装填されているものとして扱う。
(2)銃口は決してターゲット以外に向けない。
(2)銃を手にしたら、安全装置がオンである事と弾丸が空であるかどうかを確認する。
(4)銃弾を装填したら、撃つ瞬間までは指をトリガー(引き金)に掛けない。
(5)Cease Fire !!(撃ち方止め)の号令があったら銃をテーブルの上に置き、マガジンを抜き、スライドを引いてホールドオープン状態にし、エジェクションポート(排莢穴)が開いてチャンバー(薬室)が空になっている状態にしておき、待機ラインより後ろに立つ。

 宏隆は、台北の「白月園」の地下訓練場で、陳中尉から初めて銃の扱いを正しく教わったことを思い出した。(註:第44回・訓練3参照)


「いいか、ライフルこそは歩兵の魂だ。近代から現代にかけて、歩兵が個人で携行する最も有能で基本とする武器が、このライフルなのだ──────────
 ライフルは近距離から遠距離まで、自由に射撃が出来る万能の銃でもある。短機関銃などは長距離射撃が出来ないし、機関銃や対戦車ライフルなどは重くて持ち歩けない。
 ライフルには短剣を装着し、銃剣として白兵戦に臨むことも出来る。銃剣が発明される以前には、短剣では馬上の騎兵に対抗ができないために、槍を持った部隊が銃の部隊を護衛することがごく普通に行われていた。短剣を装着することでライフルは槍の役割を担い、銃の部隊は単独で白兵戦が可能となった────────ライフルはこのような歴史を経て、完成された歩兵の武器装備としての地位を確立したのだ」

 ライフルの意外な歴史を聞いて、学生たちは神妙な顔をして頷いている。

「こんな詩がある────────」

 This is my rifle. There are many rifle it, but this one is mine.
  これぞ吾が銃、銃は世に数あれど、これぞ唯一の吾が銃なり

 My rifle is my best friend. It is my life.
  吾が銃は、吾が最良の朋友(とも)、そは吾が命なり

 I must master it as I must master my life.
  吾が生を修むるが如く、吾はそれに通ずべし


 ドリルサージャントがよく通る声で、皆に向かって朗々とその詩を詠い上げた。

「これは第二次世界大戦中に、第一海兵師団長のウィリアム・ヘンリー・ルパレス少将によって定められた ”The Creed of a United States Marine(海兵隊信条)” だ。
 だが、海兵隊だろうが空挺部隊だろうが、敵国の兵士だろうが、そんなことは関係ない。ライフルは、いつの時代も、どの国の如何なる戦いに於いても、常に兵士と共に在り続けた最良の友なのだ。この信条はアメリカ海兵隊のみならず、ライフルを手に戦う、あらゆる国の全ての兵士たちに理解される言葉に違いない────────」

 学生たちは皆、シーンとして教官の言葉に聴き入っている。

「忘れるな──────ライフルは君たち兵士の魂だ。だから大切に扱って欲しい。愛する祖国を守り、愛する人を護るために、ライフルの扱いを正しく学び、精通していくのだ!!」

「イエッサー!!」

 宏隆は既にこの信条を知っていたが、実際にアメリカ軍人の口から直接それを聞かされると、あらためて感動せざるを得ない。教官が言ったように、それは国を超え立場を超えて、全ての兵士たちに共通する心であり、歩兵の魂に違いなかった。
 宏隆は、自分だけのライフルを所有してみたいという気持ちが強くなった。


「ライフルの Shooting Posture(射撃姿勢)には、4種類ある。
 すなわち、立ったまま撃つ Standing(立射)、地に伏せた状態で撃つ Prone(伏射)、両足を組んで座る Sitting(座射)、片膝を立てて撃つ Kneeling(膝射)だ。君たちには、まず「伏射」と「膝射」を訓練してもらうことになる。
 よし、各チームごとに決められた位置に付け──────────!!」

 屋外の射撃訓練場は本当に広い。ターゲットのあるところは、所々低い丘が重なるように造られていて、さらにその後ろに少し小高い丘がある。両側は雑木林で、低い板壁の上に鉄条網が張られて、訓練場の境界を示している。

 一番遠いターゲットは 650フィート(約200m)の距離だという。後ろの丘の上に白く塗られた板の標的がポツポツと点在している。その手前には土が3フィート(約1m)ほど壁状に盛られていて、その上に標的の黒いヒトガタ(金属パネルを人形に切った物)が立ち、弾丸が当たれば向こう側に倒れるようになっている。

 射撃訓練で初めに学ぶ姿勢は、Prone(プロゥン=伏せた姿勢での射撃)である。これは日本の陸上自衛隊でも同じだ。
 伏射の姿勢は、自分の身体の正中線をライフルの軸線に対して30〜45度の角度にする。
 この角度は各自の体格によって異なるが、身体が小さい者ほど、この角度も深くなる。
 また、足は30度ほど開き、カカトの内側をきちんと地面に着ける。因みに、自衛隊でもそれを行うが、旧帝国陸軍では伏射の際に足を開かなかったという。
 両肘は肩幅よりやや広めに地面に着け、重さを均等にかける。両肩は水平に保ち、前の手である左肘はなるべくライフルの真下に持っていくようにする。
 ここで大切なことは身体を捻らないことである。捻られた身体は容易に体重配分が崩れてしまうからである。これが伏射の基本である。

 なぜ最初から立って撃つことをせず、腹這いになって射撃する訓練を行うのだろうか。
 多くの人はそれが不自然で不思議に思えるかも知れない。その理由は「伏射」こそが最も安定した、最も命中精度の高い姿勢であるからであって、実際の戦場でも、状況の許す限り伏射で撃つことが普通に行われているからである。

 訓練で用いるライフルは、M-16(Rifle, Caliber 5.56mm, M16)である。
 これは1960年の製造配備以来、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争などを戦ってきた有名な自動小銃で、小口径弾の採用によって多くの銃弾の携行が可能となり、低反動で命中精度も非常に高い名銃である。その優れた設計思想は、多くの軍隊や銃器メーカーに大きな影響を与え、世界でM16を手本としたライフルが多数開発されてきた。
 現在アメリカの陸軍と海兵隊では、小型で室内などの近接戦闘にも向く「M4カービン」と共に、改良に改良を重ねた「M16-A4」が採用されている。


「・・いいか、単発で、ゆっくり撃つんだ。命中させようと思って連続してガンガン撃ってはいけない。一発撃ったら2秒以上の間隔を開けて撃つんだ!!」

「イエッサー!!」

 耳にイアプラグ(耳栓)をしているから、大声で話さないと聞こえない。射撃には耳を保護するイアプラグと、目を保護するゴーグルは必需品である。
 現在では射撃時の爆発音を遮断しながら人の声が聞こえる便利なイア・プロテクターがあるが、今も昔も、訓練中の新兵などは無論、戦地派遣時でも安物の耳栓しか支給されない。


 腹這いになって、80フィート(約25m)の距離を狙う。
 標的は大きな木枠に、人の形をした黒い大きなパネルを下げ、それに4枚のターゲット用紙を貼り付けたもので、4人がひとつのチームとなって標的の木枠を指定され、さらに各自がその木枠中の指定された用紙を撃つのである。

 25mと言えば、よくある学校のスイミングプールの長さである。やってみれば分かるが、その程度の距離でも、初めは決して上手く命中しない。
 現に、自分でマガジン(弾倉)に入れた10発の銃弾を全部撃ち尽くしても1発も当たらない者も居て、教官に呆れた顔をされ、もっと丁寧に撃てと注意されている。
 腹這いで撃つ「伏射」でさえそうなのだから、戦場で立ったまま、あるいは走り回りながら撃つような場合には、そう簡単には中らない。射撃とはそれほど難しいものなのだ。

 伏射で撃つところには、一人分ずつ「砂袋」が地面に置いてある。
 ライフルは手で支えるよりも、何か安定性のある依託物の上に乗せることにより、更なる安定性と命中精度が得られる。これを依託射撃というが、砂袋の上に銃床を乗せて撃てば、安定や命中の精度が最も高くなるのだ。
 陸上自衛隊で用いられている「89式小銃」には、取り外しの可能な二脚(バイポッド)の支持装置が標準装備されていて、展開して接地すれば安定した射撃が可能となるよう工夫されているが、この「砂袋」は二脚支持にも勝るほどの安定性が得られ、任務によっては砂を入れる袋を持ち歩く兵士さえ居るという。


「Commence Firing !! ──────────(撃ち方始め)」

 号令と共に、ズラリと伏射の姿勢で腹這いに並んだ学生たちが一斉に撃ち始める。

 撃ち終わるとマガジンを抜いて、ライフル本体と共に地面に置き、後方のラインまで下がって待つ。各チーム毎にドリルサージャントが銃の安全確認をし、全チームの確認が終われば、教官と共に全員でターゲットを確認しに行く。

 標的のどこに穴が空いているか、10発のうち何発が、どのように命中しているかを詳しく見て、教官にアドバイスを貰って次の射撃の参考にし、それを繰り返すのである。



                   ( Stay tuned, to the next episode !! )





  *次回、連載小説「龍の道」 第157回の掲載は、7月1日(水)の予定です


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