*第131回 〜 第140回

2014年06月15日

連載小説「龍の道」 第135回




第135回  A L A S K A (4)



 マッキンリーを目前に仰ぐ、デナリでアラスカ鉄道を降りて、ヘレンと別れた。

 終点のフェアバンクスまで乗るつもりだったので、ヘレンが不思議そうな顔をしたが、これ以上一緒に居るのも億劫(おっくう)だし、組織の人間だとはいえ、自分の行動を見知らぬ他人に把握されることほど怖いことはない。独りアラスカで旅を楽しむためにも、デナリで途中下車することにしたのである。

 デナリでは居心地の良さそうなロッジ風のホテルを見つけ、そこに数日間滞在しながら、 *Tundra Wilderness Tour(ツンドラ・ウィルダネス・ツアー)で国立公園を巡ったり、マッキンリー上空、高度6,500mの遊覧飛行を楽しんだりして、自分だけの夏休み、独りだけのアラスカをじっくりと味わっていた。
(*註:Tundra Wilderness Tour=広大な国立公園をムース、カリブー、グリズリーなど野生の哺乳動物や百種類以上の野鳥を観察しながらバスで回り、自然と触れ合うツアー)


「そうだ、せっかくアラスカに来たんだから、この際、北極圏まで行ってやろう!」

 ふと思い付いて、ホテルで顔見知りになった、シカゴから来てリタイア後の旅行を楽しんでいる老夫婦のクルマに乗せてもらい、朝からドライブすること四時間、午後早くにはフェアバンクスに到着して、さっそくホテルからフライトの予約をした。
 北極圏内にある、コールドフット(Coldfoot)という小さな町に行くためである。

 8月のアラスカは、まだ日照時間が長い。
 朝の5時ごろに日が昇ってきて、日の入りは22時にもなる。
 夏至の6月21日をピークとする白夜の時期には、フェアバンクスでは日の出が2時57分、日の入りが24時47分。北極に近いのだから当たり前だが、日照時間が22時間もある。
 その白夜ほどではないにせよ、8月にはまだまだ長い夜が続き、街中には夜が更けても人が絶えない。慣れないうちは、時計を見るたびに空の明るさが不思議に思えるのである。

 翌朝フェアバンクス空港へ行くと、国際空港には全く相応しくない、驚くほどちっぽけな4人乗りの小型飛行機が待っていた。乗客の多い時は8人乗りを使うというが、いずれもタクシーのような小型機だ。広大なアラスカでは、実際に飛行機や水上機を自家用車のように使う人も多いという。

 目的地までの所要時間は約1時間、乗客は宏隆と、韓国人らしき風貌のアジア人の二人だけである。ベルトを締め、ヘッドセットを装着すると、大型旅客機とは違ってあっけないほど気軽に離陸し、北緯67度15分にある北極圏の町へと向かって行く。

「Welcome aboard !、ダイレクト・ノンストップ・エアーへようこそ。
 私はマイケル・フォレスト。コールドフットまで、これから約1時間のフライトだ。
 左手の広い敷地はアラスカ大学、下に見えてきたのがフェアバンクス・ステーション。
アラスカ鉄道にはもう乗ったかい?、冬はやたらとフラッグストップで停まるから、やめた方が良いけどな、あははは────────────」

 たった二人の乗客に向けてパイロットから気さくなアナウンスが入る。
 Direct Nonstop Air という社名を聞いて少し可笑しかったが、そう言えばフェアバンクスまで来ていながら、自分が入学する学校がどこにあるのか全く気にしていなかったなと、アラスカ大学を見下ろしながら宏隆は苦笑した。

「・・まあ、どうせ彼処(あそこ)でしばらく暮らすのだから、慌てなくてもいい」

 マッキンリーの上空を巡った時もそうだったが、飛行機に乗ると、面積が日本の四倍半もある、眼下に広がるアラスカの巨きさに少なからずショックを受ける。
 宏隆にとってはキャンパスを見るよりも、先ずはその大自然のスケールをたっぷりと味わうことが最も大切なことに思えていた。

「今日は天気が良いので、オレのベイビー(愛機)もとても機嫌が良い。乗客も少ないし、きっといつもより早く到着すると思うよ!」

 パイロットが陽気に言って笑う。乗り込む時に、ボディに洒落た文字で CLARA(クララ)と書かれていたのを見たが、多分それが愛機の名前なのだろう。
 年齢的にも、離陸の腕前を見ても、かなりベテランのパイロットであろう。喋り方やちょっとした仕草が元軍人のようにも思える。軍のパイロットだった人が民間航空会社で働くというケースはよくあるので、そうかもしれないと思った。

 やがて、何も無い原野に、二本の線が延々と続いているのが見えてくる。

「何だろう、あれは・・・?」

「下に見えているのはトランス・アラスカ・パイプライン。北極海に面したプルドー・ベイから、アラスカ湾に面したバルディーズまで、アラスカ州の南北を貫いて造られた、総延長が795マイル(1,280km)、アメリカ最大の Prudhoe Bay Oil Field(プルドーベイ油田)から石油を送っている、アメリカ最大のパイプラインだ」

 パイロットが誇らしげにそう言い、パイプラインを見やすいように、少し高度を下げて飛んでくれる。

 石油のパイプと並んで、油田開発のために造られた道が、地平線の彼方まで、どこまでも並んで続いている。高速道路を造る時に工事用の側道を設けるのと同じ理屈だ。
 パイプラインは直径48インチ(122cm)のパイプが剥き出しのままアラスカの大地を這っている。それにしても、1,280kmと言えば青森から九州までの距離に等しい。狭い国土に暮らす日本人にはちょっと想像も付かない、何とも豪快な国だと宏隆は感心した。

 実際に、現在のアラスカではこのパイプラインが観光スポットになっている。側道が一般に開放されてからは、観光客がパイプの前で写真を撮るようになった。パイプによじ登るような不心得者もいるらしく、「PLEASE DON'T CLIMB ON THE PIPELINE」というステッカーがあちこちに貼られ、重要な部分は金網と鉄条網で囲われている。

「途中には11個のポンプステーションが設けてあって、そのポンプで石油を送っている。
 パイプの支柱には、生態系の保護と永久凍土が溶けるのを防ぐために、パイプの熱を上に拡散する装置が付いているんだ。凍土の厚さは数メートルから数百メートルもあるんだよ。 
 もちろんパイプ自体も断熱パイプを使っている。地球が温暖化になったら凍土が溶けて、アラスカは全部沼地になっちまうかもしれないけどな、あははは・・・・」

 少しインディアンの血が入ったような顔をしたパイロットは、とてもフレンドリーで、時々冗談を言ったり、鼻歌を歌ったりもする。ファミリーネームがフォレスト(Forest)という、インディアン系によく見られる名前だから、多分そうかもしれない。

 ついでながら、アメリカにはインディアンの血を引いた白人がたくさん居て、よく知られた有名人の中にも数多く存在している。
 たとえば、ジョニー・デップの父親はチェロキー族の血を引き、母方の曾祖母も純血のチェロキー族。アンジェリーナ・ジョリーの母親はイロコイ族の血を引いている。
 また、ケビン・コスナーの父親はチェロキー族とのハーフであり、エルビス・プレスリーは四代前の祖母がチェロキー族。空手家としても有名なチャック・ノリスは祖母がチェロキー族のインディアンである。
 どの顔も、思い出してみれば、なるほどそうかと頷けるが、アメリカには私たちの想像を遥かに超えてインディアンの血を引く人がたくさん居るに違いない。


「あの大きな河がユーコン川だ。全長が3,700kmあって、ベーリング海まで流れて行く。
 冬は結氷して歩いて渡れるんだよ。この河を越えたら、もうすぐ北極圏──────────
 ハイウエイを走っていると、ここから北極圏ですって看板が立っていたり、ドライブインでは北極圏のステッカーを売っているけれど、空の上にはそんなものは無いからね。
 世界中どこでも、北緯66度33分を超えたら、そこは Arctic Circle(北極圏)!、冬至に太陽が昇らず、夏至には太陽が沈まない北極圏だ!、ワハハハハ・・・・」

 北極圏に入って少し飛び続けていると、かなり広い範囲に亘って大地から濛々と煙が立ち上っていて、所々に紅い炎のようなものが見え隠れしているのが見えた。

「あれは・・・山火事じゃないか?!」

 宏隆が気づいたのと同時に、パイロットからアナウンスが入る。

「あれが有名なアラスカの Forest Fire(山火事)だよ。飛行機で飛んでいると、時々あちこち大地が茶色く焦げているのが見えるだろう、あれはみんな山火事の跡なんだ。
 このアラスカじゃ、山火事は、あまり珍しくない────────────」

 アラスカの山野火災は、そのほとんどが落雷による自然発火だが、強風による樹々の摩擦で発火したり、時には人為的なものもある。
 タイガと呼ばれる、自然のまま手つかずの広大な森林は、最終氷期に分布したエゾマツの変種である針葉樹のトウヒが多いが、この樹は生木の枝葉でも火に投じるとあっという間に燃えるほどで、非常に火災を起こしやすい。

「ちょっと大きいな。ああなったら、もう手の着けようが無い。Fire Fighter(消防士)も出動するが、大きくなると自然に消えるのを待つしかないんだよ。近くに民家がある場合は避難勧告をするし、火の回りが早い時は救出したりもする・・・」

 アラスカの森林は、およそ150年から200年のサイクルで自然に火災が発生するという学術的な報告がある。山火事が鎮火した後は、焦土をあっという間にピンク色に染めてしまうヤナギランの花が咲き誇り、数年後には低木類がぐんぐんと顔を出し始め、数十年の歳月をかけてシラカバやトウヒの森へと徐々に再生を遂げてゆく。
 それは大自然が生きている証拠であり、このような山野火災でさえ、自然が自ら望んで、滅んではまた誕生しようとする循環の営みなのかもしれなかった。

「人は自然だけでは生きていけないし、文明が造り出した営みだけでも生きてはいけない。
 循環することが大自然の営みなのだとしたら、人もまた、その循環を学ぶ必要がある。
 太極拳は ”循環の芸術” なのだと、王老師は仰っていた───────────」

 燃えさかる山火事を眼下に見ながら、宏隆は王老師の言葉を思い出した。


「さあ、もうすぐ到着するから、シートベルトを確認して・・・ところで、お客さんたち、今から降りる ”コールドフット” っていう土地の名前の意味を知ってるかい?」

 宏隆が首を振り、もう一人のアジア人も、手のひらを返して肩をすくめている。

「コールドフットは、文字どおり ”冷たい足” という意味だけど、同時に、怖じ気づくとか尻込みするという意味がある。1900年代初めのゴールドラッシュから、一攫千金目当ての人たちがここに移り住むようになって、最盛期にはカジノやバーまで作られていたんだ。
今じゃ、冬の人口は十数人、夏でも三十人くらいしか住んじゃ居ないけどね。
 以前はスレート・クリークという地名だったんだが、金鉱を掘る仕事をしていると余りにも ”足が冷える” ので、"怖じ気づいて" 去って行った人が多く、それが村の名前になったというワケだね。金が採れなくなると山師(鉱山労働者)たちは皆この村を去って行き、1912年頃にはすっかりゴーストタウンになってしまった。人間ってのは、ホントに欲のカタマリだな。オレは一生、こうして飛んでいるだけでゴキゲンだけどね・・・・」


 やがて小型飛行機は、コールドフット・エアポートに向けて徐々に高度を下げ始めた。
 大きな川のすぐ側に、滑走路らしきものが見えてくる。

「今日の Coldfoot はちょいと風が強いから、ランディング(着陸)はウデの見せどころだな!、あとはベイビーの機嫌次第。Baby, Do your stuff!(ベイビー、頼んだぜ!)」

 強風で翼を左右に振りながら、小型機は見事に着陸した。

「Yeah!・・Here, We are!!」

「Nice landing!、Thank you captain. 」

「Thank you, Enjoy the Arctic regions!(まあ北極圏を楽しんでくれ)」

 ───────だが、荷物を手に機外へ一歩踏み出してみると、そこは見事に何も無かった。

「これが、飛行場・・なのか・・・?」

 ただの広場のような滑走路が南北に伸びているだけで、他に何も無い。

 乗ってきた小型飛行機以外には他に一機も停まっていないし、駐機場も、空港らしき建物も、出迎える人も、飛行機を待つ人も、何処にも何も見当たらない。
 宏隆は、いつか宗少尉に連れて行かれた、鶉野(うずらの)の飛行場を思い出した。
 (註:鶉野飛行場=詳しくは第84回・龍淵7を参照)
 
 呆然としてしばらく辺りを見回していると、二人の乗客を残して、乗ってきた飛行機があっという間に飛び去って行った。

「静かで、とても良いところだね、アラスカは────────────」

 同乗してきたアジア人が、初めて宏隆に声を掛けた。

「ああ、そうだね。しかし襟裳岬じゃないけど、本当に何も無いところなんだな・・・」

「エリモ?・・・・ところで、今夜はどこに泊まるんだい?」

「コールドフットには宿泊施設が一ヶ所しか無いらしい。他には数軒の民家があるだけだというから、たとえどんなホテルでも、そこに泊まるしかないだろうね」

「オー、やっぱりキミもそうか。ぼくもその一軒しかないホテルに泊まるんだ・・・
No road is long with good company.(旅は道連れ)と言うけど、一緒に行かないか?」

「ああ・・だけど誰も迎えに来てないし、タクシーも無いから、探しながら歩いて行くしかないかな。滑走路の外れに小さな建物が見える。そこに誰か居たら訊ねてみようか・・」

「それはグッド・アイディアだね────────」

 距離は2キロ近くはあるだろうか、宏隆が見つけた、滑走路の外れに見える小さな建物に向かって二人で歩き始めた。

「ぼくは Philip Jaisohn(フィリップ・ジェイソン)、初めまして」

「ヒロタカ・カトウだ、よろしく・・・」

「さすがは北極圏だ。真夏の8月だというのに、顔に当たる風が冷たいね!」

「ああ、そうだね・・・」

 コリアン・アメリカン(韓国系アメリカ人)だろうか。年齢は宏隆とそう変わらない。
 初対面だというのに、さらりと、フレンドリーに接してくる。

 友好的なのは結構なことだが、フィリップと名乗るこの男には、さっきのパイロットのような人間的な気持ちの良さがあまり感じられない。フレンドリーと言うよりは、ある一定の距離を保ちながらも、敢えて馴れ馴れしく関わってくるような、そんな違和感がどこかに感じられるのである。

 それに、気のせいだと言えばそれまでの事だが、この男はわざわざ宏隆の右側に立つことを選んで歩いている。カップルが並んで歩く時にも、普通は男が右側になる。これは女性を守るために、男は利き腕である右手を空けておくという本能的なものでもある。
 この場合、宏隆が初めから右を歩いていたにも拘わらず、敢えてそれよりもさらに右側に出たいというのは、そこに何か別の意志が働いていることも考えられる。

 宏隆はごく自然にその男を右側に歩かせ、何気なく右の肩に荷物を担ぎなおした。

 在米韓国人か、大韓民国が成立する以前の朝鮮からの移民か、或いは中国内の朝鮮族か、北朝鮮からの亡命者か、はたまた脱走者か・・・・それは分からないが、宏隆は朝鮮系にはあまり良い想い出がない。

「一応、用心をするに越したことはない──────────────」

 そう思いながら、だんだん北風が強くなってきた、だだっ広い滑走路を歩いた。



                               (つづく)




  *次回、連載小説「龍の道」 第136回の掲載は、7月1日(火)の予定です


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2014年06月01日

連載小説「龍の道」 第134回




第134回  A L A S K A (3)



「サバイバル訓練? ────────────」

 とんでもない言葉が飛び出してきたので、宏隆はあらためてヘレンの顔を見直した。

「そ、そうそう・・・つまり、ユーコンで川下りしながら、Chi-Gong(チーゴン=気功)や Zen Maditation(禅の瞑想)をして、ひとりでサバイバル・キャンプでもしようかな、なぁんて思ってたのよね、アハハ・・・」

「Hahaha、You must be kidding!(冗談でしょ!)、ライフル担いで Maditation するのかい?、相変わらずヘレンは冗談がキツイなぁ・・」

 ジョセフは笑って取り合わない。

「えーっと、彼はキミのボーイフレンド?」

「あ、い・・いえ、違うのよ。さっき、この列車で知り合ったばかりで・・・」

「僕はヒロタカ。ヒロタカ・カトウ、日本人だ。この秋からアラスカ大学の学生になる」

「ジョセフ・アルバート。ヘレンと同じUAF(アラスカ大学フェアバンクス校)の2年生。日本語クラブにも入っているんだ。日本は文化レベルの高い、素晴らしい国だね。
 UAFはとっても楽しい所だよ、キャンパスには時々ムースも走ったりするし、あははは。Nice to meet you!(よろしく!)」

 握手をした手をそのまま上に挙げながら席に戻って行く。

「See you, Joseph(またね、ジョセフ)────────!」

「Ciao!(チャオ)、Attention, About-face, Forward march!!(気をつけ、回れ右、前へ進め!)、Left、Right、Left、Right、Left、Right、(左、右、左、右、)・・・」

 ヘレンにチャオ(またね)と声を掛けると、軍隊式にポーズを取って、胸を張って行進しながら席に帰って行く。

「Oh・・Fan-bloody-tastic!・・(ああ、サイテー!)」

 ヘレンが思わず額に手を当てて口走った。
 突然現れたジョセフの言ったことに、動揺を隠せない。

「ヘレン、君はあらかじめ、僕を狙って近づいてきたのか?」

 宏隆が、まじまじとヘレンの顔を見た。

「な、何故そんなことを言うの?」

「気になることが、いくつも有るからだよ────────────
 さっき僕の家のことを ”由緒正しい資産家” と言っただろう?、けれど、オテル・リッツなんか、今じゃ庶民的なツアーでも泊まれるし、部屋には日本茶のティーバッグに南部鉄のティーポット、レスパドン(L'Espadon=リッツのメインダイニング)には日本語メニューまであるからね。それに・・・」

「それに・・?」

「君の家系が、ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンというのも出来過ぎている」

「・・あ、あら、どうしてそんなふうに思うの?」

「ヴィルヌーヴというのは Ville-Neuve、つまり、文字どおり New Village(新しい村・地区)という意味だから、別にローヌ川沿いの村に限ったものじゃない。レザヴィニョンは橋の上で輪になって踊ろう、という歌にある ”アヴィニョン橋” で有名な所だけど、フランスにはそれ以外にもたくさんの ”ヴィルヌーヴ” が存在しているはずだ。
 ぼくは知っている地名を当て推量で言っただけだけれど、キミはそのとおりだと言った。だから、何となく調子が良すぎるような気がしたんだよ。それに加えて、今のジョセフの言動が、Attention!, About-face!(気をつけ、回れ右)って、友だちは、まるで君が軍人だと言わんばかりの態度だったからね」

「ふぅ、敵わないなぁ、もう・・・Sur le pont d'Avignon, On y danse, on y danse ♬(スュ ル ポン、ダ ヴィ ニョン 、オン ニ ドン ス、オン ニ ドン ス♪・・・」

 ヘレンは、もうお手上げだというジェスチャーをしながら「アヴィニョン橋で、踊るよ、踊るよ、橋の上で、輪になって踊る」という、誰もが知るシャンソン・フォルクロリックをフランス語で口ずさんだ。

「あなたはよく頭が回るわね、まるで私が反対にハメられたみたい・・」

「ヘレン、君が何者なのか、そろそろ教えてもらえないか?、もし君が敵対する立場の人だとしたら、僕も覚悟を決めなくてはいけない────────」

 さらりと、静かに言っているように見えても、宏隆は密かにブーツに挿してある隠しナイフを取り出し易いように少し上にずらして、イザという時に備えている。

 それだけではない。ヘレンの腰に巻かれたウエストバッグに銃が入っているような重さが感じられないか、もし重さのない小さな銃だとしても、そのバッグを開けるためにはどのような手順で、どちらの手でどう開けるか、それには凡そどのくらいの時間がかかるか、それ以外の所に他の武器が隠されていないか、可能性があるとすればどのような武器か、また、仲間は存在するか、居るとすればどこに何人居て、どう行動するだろうか・・・
 そんなことまで、この列車のデッキで初めて声を掛けられた時から、すでに宏隆はヘレンをつぶさに観察していた。

 その用心深さは、もう宏隆の日常の習慣となっている。
 無論、様々な危機に立ち向かう為の、プロとしての数々の訓練の成果であった。

 プロフェッショナルとアマチュアの違いとは、いったい何であるのか。
 たとえば、武道の道場で教わる、試合用の戦闘法を基礎とするような護身術、つまり暴漢がナイフを持っていた場合、バットで殴ってきた場合、大勢に取り囲まれた時にはどうするか、などといった、状況ごとに想定された対処法を練習し、それに習熟することで危機を乗り切る、などと言うことを本気で思える状態は間違いなくアマチュアのレベルである。

 プロの考え方は、対処法に重きを置いていない。もちろん対処の訓練は行われるが、様々な「本物の危機」に於いては、何がどのようにやって来るかという予測はまったく不可能であり、アマチュア的に ”対処法漬け” にされた脳は、そのパターン以外のケースが起これば判断に窮し、結果的にパニックに陥って、脳も体も停止するしかないのである。

 車や列車に轢かれた人が、充分に回避する時間があったにも拘わらず、一歩も動けずに為す術もなくそのまま犠牲になるという話をよく聞く。ケンカでも、弱い者は真っ先に身体が停止してしまい、足を止めたまま相手の攻撃を手だけで受けるしかない。
 それらに対し、船舶や列車などの事故で、スタッフの指示だけを鵜呑みにせず、自分で判断して指示とは異なる行動を取った為に生命の安全が確保されたという話は後を絶たない。
 先の韓国客船沈没事故でも、脱出すべきか否かをブリッジに問い合わせても応答がなく、ただ待てと言われて行動せずに待っていた人は帰らぬ人となったが、自己の判断で危険を察知して海に飛び込んだ人は多く助かっている。

 プロフェッショナルとは、数々の対処法に通じた者ではなく、どのような状況に於いても正しく冷静に立ち向かえる強い意志の力、その場で何が最も重要なことであるかを即座に判断できる柔軟な思考回路と、その判断を迷わず行動に移せる実行力、そして最後まで自信を持ってそれを完遂できる強靭な精神力を養ってきた者であり、たとえ単純なフィールドアスレチックやフィジカルトレーニングのようなものに於いても、常にそれらの力が養われるように、自己の意識が用いられ続けているのである。

 宏隆は、すでにそのような意識訓練を多く積んできているし、これからの人生途上で起こるであろう様々な経験を「訓練」として用いて行く意識さえ身に付いている。
 危機はいつ襲ってくるか分からない。相手が危険な敵であるかどうか、その年齢や見かけからは決して判断できないということを宏隆は現実として学んできた。アマチュア的な発想ではいささか大袈裟な被害妄想に思えるだけだが、今の場合もデッキで声を掛けてきた同じ年頃の女性が、自分にとって危険極まる敵ではないという保障はどこにも無いのである。


「仕方ないわね、こんなに早く白状させられるとは思わなかったけど────────」

「正直に話してくれれば、お互いに快適な鉄道の旅が続けられるかもしれない・・」

「もし正直に話さなかったら?」

「正体が分かるまで問い糺すか、今すぐ列車から降りてもらう事になるね」

「降りてもらうって・・この、灰色熊のいる原生林に私を放り出すってこと?!」

「まあ、そういうコト。次の駅まで一晩中歩くことになるけど、この路線は一日に一本しか無いから、今日はフラッグストップも使えない────────」

「・・オ、オーケー、喜んで話すわ!、大きな声じゃ言えないけれど・・・」

 ヘレンは、ちょっと周りを気にして見回した。乗客が居る一番近い席は、さっき来たジョセフのところで、あとはみな三列以上の隔たりがある。走行中の車内では、小声で話せば周りに聞かれる心配もなかった。

「私の父は台湾海軍で戦術指導をしていたU.S. Navy(アメリカ海軍)の中佐よ───────父は7年前にCIAに引き抜かれて、カナダ人の母と再婚し、カナダ国籍を取って、Royal Canadian Mounted Police(王立カナダ騎馬警察)の公安部(現カナダ安全情報局の前身)で仕事をしていたの」

「・・なるほど、それで?」

「父は昨年から、台湾国防部情報局の依頼で、シェンヤンフイ(Xuányáng Huì=玄洋會)北米支局の Cooperator(協力員)となったのよ。あなたも近々会うことになるけれど。
 父は主に TRIAD(トライアド)の監視を続けているの。ステイツ(アメリカ)やカナダの中国人がらみの犯罪や陰謀は、ほとんど彼らの仕業だから。父はCIAからも情報収集の仕事を依頼されているの。父の立場や仕事はシェンヤンフイも承知の上よ──────────」


 ヘレンが語ったTRIAD(トライアド)とは、本来は三人組、三和音、三元素などの意味で用いられる語であるが、ここでは中国の黒社会を代表する秘密結社のことで、世界中に巨大なネットワークを誇る国際的な犯罪組織、「三合会=サンホーフイ」のことである。
 三合会の意味は、天・地・人という三要素の調和を表すもので、そのシンボルとして三角形が用いられる。
 トライアドは、かつて香港に駐留する英国当局によって命名されたものであり、それ以来英語圏における呼び名として定着した。その勢力は香港を中心に、マカオ、台湾、中華人民共和国、欧州、北米、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどにまで至っている。
 アメリカ大陸には、ゴールドラッシュの時代に移民として米国各地に浸透した。小説やドラマの世界でも耳にする「14K」や「新義安」「和字頭」などといった組織は三合会の下部構成組織のひとつである。
 三合会は清朝の支配に抵抗するために明朝の敗残兵で結成された反体制結社を源流としており、その目的は「反清復明(はんしんふくみん)」、すなわち満洲族である清朝を崩壊させ、漢族による大陸の支配を復権させることにあった。


「なるほど、日本の公安と玄洋會が関係しているのと同じかな。一応は理屈が通っているようだが、君の言うことが本当かどうか、玄洋會スタイルで証明してもらおうか」

「いいわ。あなたは Kurama-5523、父のコードは Redriver-3019。台湾海峡での活躍やNKS(North Korian Special Forces=北朝鮮特殊部隊)に拉致された事件、あなたがとてもマーシャル・アーツに優れていることも聞かされているわ」

「オーケー、僕のコードネームは限られた人しか知らないから、取り敢えずは信じても良いようだが、君も玄洋會の人間なのか?」

「いいえ、私は将来的にエージェントになれるよう、父の手伝いをしながら訓練中の身よ。任務中の名前は Camille Dallier(カミーユ・ダリエ)、CD と略すこともあるから覚えやすいでしょ?」

「それじゃ君は ”准協力員” ということになる。我々とコンタクトをする際のパスワードを確認させてもらおうか」

「Yōuyuǎn yě. Hēi ér yǒu chìsè zhě wèi xuán ──────────────」

「それじゃ、僕からも返そう───────Xiàng yōu, ér rù fù zhī yě」

「OK, I confirmed the password. (合い言葉を確認しました)」

「ぼくは Kurama だ、改めてよろしく」

「やれやれ、やっと信じてくれてホッとしたわ。デッキから放り出されたらどうしようかと思った。でも、パスワードは覚えただけで、意味なんか全然分からないのよ」

「幽遠也、黒而有赤色者為玄──────象幽、而入覆之也」

 武器にもなりそうな太いボールペンで、宏隆が紙ナプキンにそう書いて見せる。

「Oh, It's Amazing!(すごい!)、日本人は誰でもこんな文字が書けるの? パスワードを覚えるより、書く方がよっぽど難しいわ!、これにはどんな意味があるの?」

「そのうち詳しく説明してあげるよ。英語で説明するのは大変だし・・・ところで、キミがわざわざ凍てつく地の果てのアラスカ大学で学ぶ理由というのは?」

 そう訊きながら、宏隆は書いた紙ナプキンを小さく丸めてポケットに入れた。

「私も軍事訓練を受けるために、他の州よりも目立たないアラスカ大学に入学したのよ」

「えっ────────と、いうことは?」

「そう、あなたと同じROTC(予備役将校訓練課程)よ!」

「女性でも、ROTCに参加できるのかい?」

「そう、アメリカは自由の国だから。とりあえず、表向きは、ね!・・まあ、訓練を受けて卒業するまでには、そのブーツナイフを抜かれても対処できるようになりたいけれど!」

「こっそりスタンバイしていたんだけど、よく分かったね」

「まあ、そのあたりの基本は、父から教育を受けたから」

「ヘレン、君の任務は、まさかボクの監視じゃないだろうね?」

「まさか・・そんな事はないわ。ただ、ヒロタカは玄洋會にはとても大事な人だから、万一の場合には身代わりになってでも、あなたを守れと言われているけど」

「そんなことを──────────────?」

「あなたが何者なのか、詳しくは知らないけれど、玄洋會でも訓練できるのに、わざわざアラスカまで来て訓練をするんだから、将来は玄洋會の幹部になるのは間違いないわね」

「いや、ぼくは武術を極めたいからROTCを選んだだけで、玄洋會での活動を前提としているわけではないんだ。日本や台湾が危機に晒されているのはよく理解しているけれど、分別も実力も無い今の自分にはどうにも出来ないし・・・台湾では自分がいろんな事件に巻き込まれてしまったけれどね」

「何にしても、アラスカではいろいろお付き合いすることになるわね」

「予定には無かったけど、そのようだね。けれど、ぼくは君を自分の身代わりにはしないから、安心して欲しい」

「それは、とってもありがたいけれど────────────」

「けれど────────?」

「もしそういう時が来たら、そのときは仕方がないわね」

「ヘレン、もしかして、このアラスカには何かあるのかい?」

「無いと言えば嘘になるけど、詳しくは知らされていないし、私の立場からは言えないわ。父とコンタクトを取った時か、台湾のボスに聞いてもらうしかないわね・・・」


 やがて列車はアラスカ鉄道の最高地点、標高720mの分水嶺へと差し掛かった。

 これまで目にしたすべての川は南へ向かって流れ太平洋に注ぐが、ここからはすべて北に流れが変わり、アラスカ最大のユーコン川に合流してベーリング海を目指して流れて行く。

 列車はネナナ川に沿ってデナリへと向かって緩やかに北へ北へと下って行く。
 車窓から見える針葉樹の背丈がだんだん低くなってきていて、八月だというのにもう紅葉が始まっている。



                                (つづく)




  *次回、連載小説「龍の道」 第135回の掲載は、6月15日(日)の予定です

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2014年05月15日

連載小説「龍の道」 第133回




第133回  A L A S K A (2)



 北米大陸の最高峰である、標高6,168mのマッキンリーは、エベレストよりも大きな山体と比高を持つことでも知られる。エベレストの標高はマッキンリーよりも2,700m高いが、麓のチベット高原からの比高は3,700mほどに過ぎない。マッキンリーは、麓の標高がわずか600mほどしかないので、そこからの比高は5,500mにもなる。
 つまり、チベット高原から見上げるエベレストは富士山くらいの高さしかないが、デナリ国立公園から見上げたマッキンリーは、富士山の上にさらに1,800m級の山を重ねたように高く聳え立っている。麓から見上げたときに世界で最も高い山は、このマッキンリーなのである。

 マッキンリーは高緯度に位置しているため、エベレストの2倍ほども気温が低く、酸素量も少ないことから高山病のリスクも高く、登山家にはエベレストよりも難易度が高いとする人も多い。事実、この山で遭難する人は後を絶たない。世界的に有名な登山家・冒険家であった日本人の植村直己も、1970年に五大陸最高峰の世界初登頂(マッキンリーは単独登頂)を成し遂げたあと、1984年に世界初の冬季単独初登頂を果たしたが、下山時に遭難し行方不明となった。


「うーん、見事な眺めだなぁ──────────────」

 宏隆が思わずそう言って呻ると、

「本当にね、何度見ても心が洗われるみたい・・・」

 ヘレンも目を細めながらそう呟いた。
 
 遠く原野の彼方に望む、雪を戴いたデナリの峰々はとても美しい。
 その神々しさは、かつて人を容易には寄せ付けぬ高い山には神々が住まうと信じられたことがよく実感できる。アラスカにやって来た旅人の誰もが、崇高なまでのデナリの佇まいに心を打たれるのだ。

 列車は、ほどなくタルキートナ(Talkeetna)駅に到着した。
 駅と言っても都会のようなプラットホームはなく、小さな駅舎の前に、まるでバスか路面電車のように列車が停まると、駅員が各車両の出口に踏み台を置いて回り、乗客はそのまま地面に降りていく。
 この駅はマッキンリーの登山口であり、広大なデナリ国立公園の入口でもあるので、線路の側には何台かのバスが止まって、観光客が列車から降りてくるのを待ち受けている。
 三分の一近くの人たちがこの駅で降りていったので車内が随分空くと思ったが、ほぼ同じ数だけ新たな乗客が乗り込んでくる。

 ここからフェアバンクスまでの区間こそがアラスカ鉄道のハイライトであり、車窓からはアラスカらしい大自然の風景を満喫できます、と誇らしげにガイドブックに書かれている。
 確かに、これまでとはガラリと風景が変わってきた。タルキートナを出発すると、列車はさらに針葉樹林帯を抜けながら、氷河が溶けて白く濁った水が流れる川に沿って北上して行く。

 ヘレンと食堂車でコーヒーを飲んでいると、車掌がランチの予約を取りにやって来る。 
 食堂車は一車両しかないので、乗客は予約をして順番に昼食を取ることになる。今日の乗客はそれほど多くはないが、それでも客の大半が予約をするので、全員のランチを一回につき45分、二回転でこなさなくてはならないと言う。宏隆は二回転目の時間に席を予約するとヘレンと客車に戻り、車窓の景色を楽しむことにした。

 
 284マイル(457km)の地点を過ぎると、目の前に大渓谷が現れてくる。
 ハリケーン渓谷(Hurricane Gulch)と呼ばれる、クネクネと大蛇のように蛇行して流れるその渓谷には、高さ90m、長さ280mの巨大な鉄橋が架かっている。車掌がやってきて、乗客へのサービスとして鉄橋の真ん中で一旦停車します、と説明をして回っている。
 日本一と言われる宮崎県の高千穂橋梁と張り合えるほどの立派な鉄橋だが、もちろん囲いなどあるわけが無い。強い風でも吹けば谷底に落ちてしまいそうな気がするのは欧米人も同じであるらしく、誰もがちょっと心もとない表情をしている。


「この辺りでは、今でも Flag stop(フラッグ・ストップ)があるのよ────────」

 深い渓谷を覗き込みながら、ヘレンが言った。

「フラッグ・ストップ・・・?」

 フラッグ・ストップというのは、駅のない鉄道区間内で、まるでタクシーでも停めるように、沿線で白い旗を振ればどこでも列車が停まって客を乗せ、また何処でも希望する場所で降ろしてくれるという、何とも大らかな自由停車サービスのことである。
 このアラスカ鉄道には、今でもそんな昔ながらの習慣が残されているのだと、ヘレンが説明してくれる。

 フラッグ・ストップは、その昔はアメリカの各地に多く存在していたが、今ではアラスカ鉄道にしかなく、それも10月から5月までの間、タルキートナとハリケーンの区間だけに限られている。
 鉄道なのだから一応の目安として時刻表は存在するが、区間内のどこで何回人が乗り降りするかは、運転士も車掌も、誰にも分からないので、当然ながら列車の運行は時刻表とはあまり関係なく、その日の停車回数によって各駅への到着時間が大きく変わってくる。
 真夏の観光シーズンと違って、その期間は車両の編成も二両から四両しかない。旅行客はキャンパーなどがこれを楽しみに乗り降りをするが、地元の人はバスのような感覚で、自宅が近づけば車掌に合図をして、果たしてこんな所に家があるのかと思えるような原野の真ん中で列車が停まり、町で買い出してきた山ほどの荷物を持って降りて行く姿が見られる。
 また、雪で埋もれた森から迷彩服のハンターが出てきて白い旗を振って列車を停め、獲物のムースを解体して幾つもの袋にも分けたのを貨物車両に積み込み、猟銃を担いだまま乗ってくることも珍しくない。生々しい光景を見て観光客は珍しがったり驚いたりするが、アラスカの大自然の中では狩猟は道楽ではなく歴とした職業であり、ムースの角や毛皮、肉などは、それを売ることで彼らの家族を養うための貴重な現金収入となる。


「へえ、そいつはすごいね!、僕もキャンプ道具を担いで、フラッグストップをやってみたいなぁ───────」

「アラスカ大学の学生は、休日によくこの辺りにキャンプに来るのよ。フィッシングをしたり、カヌーやゴムボートでダウンストリーム(河下り)を楽しんだり・・」

「実は僕も、フラッグストップの経験があるんだよ」

「あら、どこで?」

「小さい頃、父と散歩をしている時に、ストップ(停留所)ではない所で、父が手を挙げてトラム(tram=市電・路面電車)を停めて乗ったことがあった。僕はそれがとても気に入ってしまって、一人で歩いている時に、父の真似をしてサッと手を挙げてみたんだけど、電車はただ警笛を鳴らしながら通り過ぎて行ってしまった・・・」

「お父様は、どうしてトラムを停めることができたの?」

「父は僕の町では結構顔が利く人で、その時もかつて仕事の世話をした運転士が父の姿を見かけてスピードを落として近づいてきたので、父も挨拶で手を挙げたら、そのまま停車してしまって、どうぞ乗って下さい、と言うことになったらしい」

「それを見て、手を挙げればトラムが停まると思って、幼いヒロタカが真似をしたのね?」

「そういうコト。でも、見事に失敗してしまった────────────」

「あはははは・・・・・」

「はははは・・・・・」



 やがてランチの時間となり、宏隆はヘレンと共に食堂車に向かった。

 先にスープとミニサラダが出てくる。スープはクラッカーが付いたバッファロー・チリ。
バッファロー・チリとは、バッファローの肉が入ったチリコンカン・スープである。
 ミニサラダの皿は大きく、どこがミニかと思えるほど野菜がたっぷりと盛られている。

 このスープのバッファロー肉は野生ではなく、肉牛として牧場で育てられているものだとウエイターが説明をしてくれる。それを聞いて、宏隆はふとアメリカの歴史を想った。

 バッファローは水牛の種類で、アメリカバイソンとも呼ばれる。
 かつて北米大陸に7,000万頭も生息していたバッファローは、白人の西部開拓に伴う乱獲によって、最後にはわずか数百頭ばかりを残すまでに激減してしまった。
 インディアンの土地を奪いながら次々と鉄道を敷いて町を作り、彼らの生活の糧でもあったバッファローを手当たり次第に乱獲し、毛皮や食料として売りさばきながら、彼らの言う 新世界(New World)の開拓を強引に押し進めて行ったのである。

 バッファローは先住民族であるインディアンの生活に深く係わっていた。
 特に合衆国本土の六分の一もの面積を占める広大なグレート・プレーンズの大平原に住むラコタ族、シャイアン族、クロウ族などにとっては、バッファローは食料としては無論のこと、武器、装身具、外套、テント、燃料など、あらゆる面で生活には無くてはならない存在だった。だからインディアンが自らバッファローを乱獲することは決して無く、バッファロー狩りは年に一回、年老いた雄だけを捕獲するという掟があった。
 白人たちはインディアンの生活がバッファローと深く関わりがある事を知ると、バッファローの数を減らすことで、西部開拓の邪魔者であるインディアンにより深い打撃を与えられると考え、さらに乱獲に励んだのである。

 ついでながら、これはイルカ漁を含む日本の「捕鯨」の比ではない。
 産業革命から19世紀半ばまで、クジラから採れる油だけを産業利用するために(欧米人は鯨の肉を食べない)世界で一番乱獲捕鯨をしていたのは紛れもなく欧米列強の白人たちであり、ひと昔前のアメリカは世界最大の捕鯨国であったのである。
 近ごろのケネディ駐日大使の発言ではないが、「日本のイルカ漁は非人道的」などと声高に叫んでも、かつて欧米人の乱獲の結果、クジラが一気に絶滅寸前まで追い込まれたという事実が消えるわけではない。



「このバッファローの肉は────────────」

 ヘレンに向かって、ウエイターが付け加えて言った。

「牛肉よりも、脂肪も、カロリーも、コレステロールも少ないのですが、その代わりにタンパク質は40%も多いので、とてもヘルシーなんですよ」

「なるほど・・・」

 西部開拓の歴史はさて措き、武術を志す者としては好い食べ物だと、宏隆は思った。

 スープが終わると、大皿に載った BLTT が出てくる。
 BLTT というのは、Bacon, Lettuce, Tomato, and Turkey のことで、日本人にもよく知られる BLT(ベーコン、レタス、トマト)に、さらにターキー(七面鳥)のハムを加えたボリューム満点のサンドイッチである。


「どうかしら、お味はいかが・・?」

口いっぱいにサンドイッチを頬張った宏隆を見て、ヘレンが笑っている。

「うーん・・日本じゃ、なかなかこのボリュームにはお目に掛かれない」

「そう、気に入ったみたいで、よかったわ!」

「まあ、味はそれほどでもないけれど。とにかくお腹が空いているので・・・」

「Oh, An army marches on its stomach!」

「An army marches・・軍隊は胃の上で行進する・・・ああ、つまり、腹が減っては戦が出来ぬ、ってコトか。なるほど、英語ではそんな風に言うんだね」

「食後のデザートは何がいいかしら?」

「そうそう、フランス系は食後に必ずデザートを食べないと気が済まないんだったね」

「私の名前の由来といい、フランスのことをよく知っているのね」

「フランスは何度か行ったことがあるし、イタリアと共に、とても興味のある国だからね。
 仕事で長期滞在している父を訪ねて家族でフランスに行ったときには、いつものオテル・リッツではなく、普通のアパルトマンを借りて路地裏の小さなレストランに行ったり、生活の臭いのするそこらのマルシェ(屋内外の市場。パリには90ヶ所もマルシェがある)でパンやチーズ、惣菜を買って食べたりしたんだ。その時はとても楽しかったなぁ・・」

「ワォ、Hotel Ritz Paris!、あなたのファミリーは由緒正しい資産家だからね・・・」

「え・・どうしてそんな事を知っているの?」

「あ・・い、いえ・・・・オテル・リッツ・パリの名前が出たから、ただ、そんな気がしただけのことよ。・・そ、そうだ、カフェ・オレと、クッキーに、アイスクリームなんていうのはいかがかしら?、チーズや果物がないのは残念だけれど!」

「あ・・ああ、いいね・・・そうしようか・・・・」

 ふと、宏隆はヘレンの言葉が気になったが────────異なる文化、異なる言語のアヤかもしれないし、まあ、それほど気にすることもないかと思い、デザートを食べた。

「カフェオレと言っても、アラスカ鉄道にそんなものは無いけれど、ところが・・ほーら、こうして温かいミルクとコーヒーを半分ずつ注いで入れれば、それが Cafe au lait!」

 そう言うと、ヘレンはコーヒーの大きなポットとミルクの小さなポットを同時に傾けて、上手にカップに注いで見せた。

「なるほど。カフェ・オレの発音も、さすがに綺麗だね」

「パリの味とはだいぶ違うけれど、まあ、無いよりマシね!」

「イタリアのカッフェ・ラッテは三分の一のエスプレッソと、三分の二のスチームミルクを混ぜたものだよね。同じミルクとコーヒーでも、トコロ、カワレバ、シナ、カワル・・」

「トコロ、カワレバ・・?」

「えーと、So many countries, so many customs.(国の数だけ習わしがある)って、そんなふうな意味だよ」

「Oh、なるほど──────────プラヴァーブ(proverb=ことわざ)の勉強もいいけれど、こんなやり方は、アメリカやイタリアにも無いでしょう?」

 そう言うと、ヘレンがチョコチップスの入った大きなアメリカン・クッキーを、いきなりコーヒーカップの中に浸して食べた。

「ああ、それはフランス人がよくやる!、えーっと soak(浸す)はフレンチでは何て言うのかな?」

「Tremper ──────── 」

「そうそう、トンペイ、だ・・・パリでは、カフェでトンペイをせずに、クッキーやパンをそのまま食べていると、回りの人たちから不思議そうな顔をして見られるね」

「カナダでも、フランス系はみんなそうして食べるのよ」

「ぼくは日本人だけど、小さい頃からそうして食べるのが好きで、よく行儀が悪いと怒られたけどね」

「それこそ、トコロ、カワレバ、ね。ヒロタカは、ちょっと日本人から外れているのかもしれないわ!」

「確かに、そうかもしれないな、あははは・・・」

「あはははは・・・・」


 ちょうどそのときに、斜め後ろの席で食事をしていた男性が、こちらを振り返って声を掛けた。

「ヘレン? ──────────── ヘーイ、やっぱりヘレンじゃないか!」

「あ、ジョセフ・・・Oh・・ハーイ・・・」

 男性は、席を立って宏隆たちのところまでやってきた。

「どうも声が似ていると思ったんだ。でも、なぜアラスカ鉄道なんかに乗っているの?
夏はカナダに帰るって言ってたから、とっくに向こうに居ると思っていたのに・・・・
もしかして、また特別なサバイバル訓練でもあるのかい?」



                               (つづく)





                                   
【 ハリケーン・ブリッジの上で停車中のアラスカ鉄道 】
       



【 フラッグ・ストップで下車する地元の乗客たち 】

         



  *次回、連載小説「龍の道」 第134回の掲載は、6月1日(日)の予定です

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2014年05月01日

連載小説「龍の道」 第132回




第132回  A L A S K A (1)



 車窓に広がる風景はどこまでも雄大で、抜けるように碧く澄んだ空には見たこともないような白い雲が浮かび、広大な針葉樹林の原野の彼方には雪を戴いた山々が連なって、朝の陽を浴びて輝いている。
 こんな風景は日本には無い。やはりここは大陸なのだと、宏隆は思った。

 
 アラスカ鉄道は、アラスカ湾に面した南部のスワードから、内陸部のフェアバンクスを結んだ、本線が470マイル(約750km)ほどの鉄道で、支線や側線を入れた延長は500マイル(約800km)を超える長さになる。アラスカの手つかずの素晴らしい大自然の中を走り抜けることや、北米大陸の最高峰マッキンリーを抱えるデナリ国立公園へのアプローチとしても知られ、世界中から訪れる観光客を魅了し続けている。

 アラスカが観光で脚光を浴びるようになったのは、第二次大戦中にアラスカに配属された兵士たちが吾が家に帰ってアラスカの自然の美しさを称え、その噂がだんだん大きくなって多くの人が来るようになったのが始まりである。そのお陰で20世紀の後半には観光がアラスカの重要な収入を占めるようになった。

 地図を見れば気づくように、アラスカはアメリカ合衆国の州とは言っても、他の州との間にカナダという国が入っていて、この州だけがポツリと離れている。他にそんな所は太平洋の真ん中のハワイ州しかない。
 旧石器時代から続く先住民の部族を別にすれば、ここは元々ロシア領であった。その後スペインによる植民地化の動きや、イギリスが大きな影響力を持った時代を経て、19世紀にはついにロシアがアラスカをアメリカに売却することになった。
 ロシア国内の財政悪化によって国内産業の近代化を図ることを優先した事と、クリミア戦争に敗れたロシアが、アラスカがイギリスの手に落ちることを懸念した故であり、それまでのような軍事力の強化だけでは、英仏のような産業が発達した国には勝てないことを痛感した結果であった。
 そこでアメリカとの合意が可能となり、1867年にアメリカ国務長官ウィリアム・スワードが720万ドル(現在の480億円相当)でアラスカを購入した。4平方キロメートルあたり、僅か2セント(現在の130円)という、二束三文の面積単価であった。
 わずか30年後にこの土地でゴールドラッシュが始まり、1900年代の初頭には銅の鉱山や南部のケナイ半島での油田の発見、次いで1968年の北極海沿岸での油田の発見があるとは、ロシアも想像できなかったのかもしれない─────────────


 列車が走り出すと、すぐに町並みが消えて、深い森林地帯へと分け入って行く。
 宏隆は朝からアラスカ鉄道に乗り込み、そんなアラスカの紆余曲折の歴史に想いを巡らせながら、飽きることなく原野の風景を眺めていた。

 昨日、夏だけ運行されるJALの直行便でアンカレッジに到着し、Hotel Captain Cook に一泊して、今日は朝早くから駅に行ってチェックインの列に並び、アンカレッジからフェアバンクスまで、一日に一本、片道12時間をかけて走る列車の乗客となったのである。
 深い紺色の車体には鮮やかな黄色のラインが引かれ、その上に大きく「ALASKA」と書かれている。フェアバンクスまでの行程は356マイル(約570km)ほどだが、それに12時間も要するのは、山あり、森林あり、渓谷ありの曲がりくねった路線で、最高速度が時速90km程度、ときには時速40〜50kmほどの徐行運転になってしまうからであった。

 アンカレッジを出て40分、フィヨルドで深くえぐられたアラスカ湾の一番奥に掛かる長い鉄橋を渡って列車は西に向きを変え、さらに1時間ほど走ると湖が見えてきて、最初の停車駅 WASILLA(ワシラ)に到着する。ここから少し行くと列車は再び向きを変えて、あとはひたすら北へ北へと、10時間近くをかけて走り続けるのである。


 それにしても、このアラスカの大地の、何という大きさなのだろうか。
 走っても、走っても、マツ、モミ、ヒノキ、トウヒなどの常緑針葉樹の森が続き、大小の川や湖が車窓に現れては、また過ぎてゆく。
 このような森を「タイガ」と呼ぶことを、宏隆はふと思い出した。タイガやツンドラという言葉が学校の授業に出た頃、タイガ(taiga)とは「先の尖った緑の樹が生えるところ」を意味するロシア語だと、父が教えてくれたことがあった。アラスカでは標高1,000メートルくらいまで、そんなタイガの森が果てしなく続き、それより高いところや北極に近い所ではツンドラの凍土地帯となる。

 日本では、このような景色を彷彿とさせる所は北海道にしかないが、やはりスケールではケタ違いだと思える。
 宏隆は夏休みに自転車で北海道一周のキャンプ生活をしたことがある。その時に感じた北海道の大地はとても広く大きいものだったし、稚内や知床ではまさに地の果て、北の果てに来たという実感もあった。しかし、こうしてアラスカ鉄道の旅をしていると、その実感がだんだん否定されてくるのを感じる。
 実際に、アラスカ州は北海道の20倍もの面積を持っているし、北の果てという意味では、このアラスカ鉄道は、北緯60度のスワードから北緯64度50分のフェアバンクスまで、日本最北端の稚内(わっかない)よりも緯度で15度から20度、距離にして1,600km〜2,200kmも北極に近いところを走っている。
 つまり、稚内からフェアバンクスの緯度の差は、ハワイから稚内のそれに等しいのだ。
アラスカは、文字通り「北の果て」にあるのである。


 アンカレッジを出てから、かれこれもう三時間近くになる。
 行けども行けども、針葉樹の原野と小さな湖と川が織りなす風景に少し飽きてきたのか、宏隆は両手を挙げて大きく背伸びをすると、起ち上がってデッキに出た。
 デッキとは言っても、今日の豪華なものとは違い、'70年代のアラスカ鉄道のそれは、車両から腰板を取り払って1本の鎖を横に渡しただけのものに過ぎないが、そこには他の乗客も何人か居て、お互いの邪魔にならないように、押し合ってデッキから落ちないように気遣いつつ、写真を撮ったり、延々と川と森がつづく原野の風景を眺めている。

 深呼吸をすると、ああ、これがアラスカの空気なのかと、あらためて思う。
 酸素の量まで多いような気がするし、キリリと引き締まった風の中で息をすると、夏だというのに肺の中まで冷んやりとしてくる。

 しばらく経つと、時おり大きな河が森の中から見え隠れするようになってきた。
 内陸からアラスカ湾まで、延々と500kmの距離を流れる、スシトナ川(Susitna River)である。


「Hi(ハイ)、あなたは日本人かしら──────────?」

 デッキの端で、寄り掛かって針葉樹林帯を眺めていた若い女性が宏隆に声を掛けた。

「そう、きのう東京からアンカレッジに着いたばかり」

 気軽に、そう答える。宏隆はどの国に行っても、誰に話しかけられても決して物怖じをしないし、日常の英会話であれば、そこそこ話も通じる。

「私も、私の家族も、日本が大好きなのよ。アラスカへは観光に来たの?」

 自分とそう年齢(とし)も変わらないと思える、長い金髪の、青い瞳のその若い女性は、初対面だというのに、とても気さくに話しかけてくる。

「日本が好きだと言われると、とても嬉しいね。アラスカは観光旅行じゃない。ぼくは9月からこの国の大学に留学することになったんだ」

 こんなことは多分、日本では滅多に有り得ないことなのだろうが、宏隆にとってはそんなに珍しいことでもない。
 時おり独りで、あるいは家族で行く海外でも、どこへ行ってもよく観光客に道を訊かれたりするし、パリの下町のビストロで食事をしていると、どこのアパルトマン(家具付きのアパート)に住んでいるのかと、隣席のパリジェンヌに尋ねられたこともある。一緒にルーブル美術館に行ってくれないかと、青い目の女子学生のグループに頼まれたこともあった。
 そんなことを父や兄に話すと、きっとお前は現地で暮らしている人間に見えてしまうんだろう、お前はどこでも暮らせるよと、よく笑われた。


「・・それじゃ、この夏を利用して、アラスカ見物をしてるってワケね?」
 
「まあ、そういうコトだね。キミは?」

「私はヘレン、Helen Villeneuve(ヘレン・ヴィルヌーヴ)、カナダ人よ 」

 そう言って、スッと握手の手を差し出してくる。

「Je m'appelle Hirotaka, Hirotaka Katoh. Enchanté. (ジュマペール・ヒロタカ、ヒロタカ・カトウ、オンションテ=ぼくはヒロタカ、加藤宏隆です、はじめまして)」

 わざわざフランス語でそう言いながら、宏隆も手を差し伸べた。

 男性から女性に握手を求めることは無いが、女性から握手を求められたら、きちんと受けて応えるのが紳士のマナーだと、宏隆は心得ている。

 それよりも、いきなり宏隆がフランス語で挨拶したので、ヘレンは目を丸くした。

「まあっ!、私がフランス系だと分かるの・・?」

「Villeneuve(ヴィルヌーヴ)は、確かローヌ川を夾んだアヴィニョンの対岸にある小さな町の名前だ。それはルーツがフランス人ということを意味しているし、そうなるとヘレンという名前も、きっと家族では Helene(エレーヌ)と呼ぶのだろうな、と・・」

「そのとおり!、私の家系はヴィルヌーヴ・レザヴィニョン(Villeneuve-les-Avignon)の出身、そして私の名前はエレーヌ。ああ、嬉しいわ、そんな風に言ってくれた外国人はあなたが初めてよ!」

「ヴィルヌーヴは紛れ当たりでも、カナダという発音はフランス系であることの証しだね。アメリカ人はみんなキャーナダァと発音するから・・・ははは」

「あははは、細かいことを聞き逃さないのね、シャーロック・ホームズみたい!」

「それから・・・Helene はギリシャ神話のトロイのヘレンが元だよね。そして、ヘレンはとても美しい女性だったと言うし───────────」

「ありがとう。そんな風に女性を立ててくれるアジア人は珍しいわ。語源はそのとおりよ。ギリシャ語でヘレネー、ラテン語はヘレナ、フランス語ではエレーヌ・・・でも面倒だから英語でヘレンと呼んでね。ネルという愛称で呼ぶ人も居るから、それでも構わないし。
 私はアラスカ州にある、UAF(University of Alaska, Fairbanks=アラスカ大学フェアバンクス校)に通っているの。あなたはどの大学に留学してくるの?」

「へえ、ぼくもそのフェアバンクスに入学するんだよ」

「Oh!、What a coincidence!(すごい偶然ね!)、それじゃ貴方とは同じキャンパスということね、何てステキなことかしら。ヒロタカ、仲良くしましょう!」

「Merci et au plaisir de pouvoir vous rencontrer.(メルシ・エ・オ・プレジィール・デェ・プレボワ・ヴォ・ルアコントレ(どうぞよろしく)」

「Wow!、そんなに難しい発音を・・・アメリカ人には絶対無理よ!」

「実は、これしか知らないんだけどね!」

「あははは・・・・」

「ははははは・・・・」

「夏なのに、やっぱりアラスカは風が冷たいわね。まだそんなに陽も高くないし、ここは風が冷たいから中でコーヒーでも飲まない?」

「Sure.(いいね)──────────」


 食堂車に座って景色を眺めながら、「ARR(Alaska Rail-road)」と、アラスカ鉄道のシンボルマークが入ったコーヒーカップを手にする。黄色地に青い文字で、列車の色と同じデザインだ。ふと気がつくと、二人とも、いつの間にかカップを両手で包むようにして手を温めている。やはりここはアラスカ、夏でも寒いところなのだ。

 こうして小さなテーブルを挟んで向かい合い、あらためてヘレンを見ていると、どこか笑顔が珠乃に似ているような気がしてくる────────だがそれは、きっと旅の感傷に過ぎないのだろうと、宏隆は思った。


「ところで君はお腹が空かない?、ぼくは今朝は早く起きて、パサパサの不味いスコーンしか食べていないから、少し何か頬張りたいけれど・・」

「いいわよ。けれど、この列車の食事はものすごい量だから、いまバーガーなんか食べてしまったら、ランチは絶対にムリ。アメリカ人になりたいのなら別だけれど・・」

「それじゃウエイターを呼んで手頃なのを探そう・・ランチの内容を知っているとなると、君はアラスカ鉄道に乗るのは初めてじゃないんだね?」

「去年、初めてここに来た時に、やっぱりあなたみたいにこの列車に乗ったわ。でもその時は逆方向。フェアバンクスまで飛行機で来て、アンカレッジまで鉄道の旅を楽しんだの」

「帰りもまた、この列車に?」

「いいえ、帰りはクルマで、両親とフェアバンクスまでドライブ。鉄道より時間がかからないし、アラスカはドライブも楽しい所よ。たまに大きなグリズリー(灰色グマ)やオオカミなんかも出るみたいだけれど!」

「うわぁ、クマかぁ・・!!」


 列車はちょうど大きな河に近づいてきて、遠くに雪を戴いた峰々が見えはじめた。
 乗客たちはみんな、「マッキンリー」とか「デナリ」と口々に呟(つぶや)きながら写真を撮っている。

 乗車する時に渡されたガイドブックによれば、デナリ(Denali)とは、北米大陸の最高峰であるマッキンリー山の正式な名称であり、北米先住民族の Athabaskan (アサバスカ族)の言語で「偉大なるもの」を意味しているという。
 マッキンリーは第25代アメリカ大統領、W・マッキンリーの名前に因んでいるが、直接の関係はない。観光客はこの山をマッキンリー、付随する国立公園をデナリと呼び分ける人が多いが、アラスカ州では山も公園も、誇りを持ってデナリと呼んでいる。

 ガイドブックには、アラスカ鉄道の起点であるスワードから224.3マイル(361km)の地点、つまり、タルキートナ(Talkeetna)の少し手前ぐらいからデナリが見えてくる、とある。夏の季節にここからデナリが見える確率は20%ほどしかない、とも書かれているから、今日の列車の乗客は、かなりラッキーな人たちに違いなかった。


                                (つづく)




                                   
【 アラスカ鉄道とデナリ(マッキンリー山)】

       



【 ARR(Alaska Railroad)アラスカ鉄道の路線図 】

     



  *次回、連載小説「龍の道」 第133回の掲載は、5月15日(木)の予定です

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2014年04月15日

連載小説「龍の道」 第131回




 第131回 春  陽 (はるひ)(4)



 坂道をゆっくりと下りながら、宏隆は滔々と自分の想いを話した。
 それは、以前からずっと珠乃に伝えておきたかったことでもあった。

 中山手の通りに出て、西に折れて歩いて行くと、やがて海側に生田の森(いくたのもり)が見えてくる。神功皇后元年(西暦201年)にこの地に鎮座して以来、千八百年以上にわたって人々の崇敬を集めてきた生田神社の鎮守の杜である。


「ねぇ、ちょっとお参りして行かない────────?」

 ずっと静かに宏隆の話に耳を傾けていた珠乃がそう言った。

「そうだな。近ごろはお不動さまにも、すっかりご無沙汰してしまっているし・・」

 宏隆にしてみれば、仏教の不動明王も、生田神社の祭神も、あまり区別がない。
 信仰の対象や宗派が何であるかが問題ではなく、敬神崇仏、神仏や聖なるものを受容する感性や信心する心、そのような高い宗教性こそが大切だということを、小さい頃から誰に教えられるわけでもなく、深いところでそれを知っていた。

 生田警察の横を下っていくと、すぐに西北門と書かれた立派な門が見える。ここを入れば拝殿はすぐそこだが、この二人は神仏に詣でる際に近道を選んだりはしない。
 生田神社の「一の鳥居」は、さらに海側に行った阪急の線路の南側、生田ロードの先のビルの谷間に堂々とそびえ立っていて、初詣などは、そこから本殿まで何万もの人の波で埋まる。宏隆たちも流石にそこまでは足を運ばないが、もう少し坂道を下ったところにある、ふだん人々が参拝するときの入口である「二の鳥居」を潜った。
 
 鳥居を潜るたびに、その手前で立ち止まって一礼をする。これを「一揖(いちゆう)」と言う。揖(ゆう)とは、束帯を着用する際の、笏(しゃく)を持って上体を傾けて礼をする形を指している。現在では神社に詣でる際にそのような礼を取る人は極めて少ないが、それは宏隆や珠乃の家では、祭神へ詣る礼として家族が皆ごく当たり前にそうしていることであった。
 また、参道を通る時には道の真中を歩いたりもしない。参道の中央は「正中」と言って、神々の通る道とされており、本来は世人俗衆の歩くべき処ではない。茶道には供された茶碗の正面を避けて茶を喫する礼儀があるが、それと同じこころなのである。
 手水舎で柄杓に水を汲み、左右の手と口を漱ぎ、使った柄杓の柄に水を流して元に返すという、やはり茶道にもそのまま取り入れられている正しい作法で手水を取り、身を清めて拝殿に向かうことなども、小さい頃からそう教えられたことであった。

 宗教として分類されているとはいえ、日本の神道には決まった教祖もなければ、明確な教義も経典もない。あるのはただ、古事記や日本書紀を中心とする古典と、森羅万象に八百万の神々が宿るという考え方と、天津神・国津神(あまつかみ・くにつかみ)という神話に登場する神々、つまり高天原から天降ってきた神々と、ヤマト王権下の人々がそれまでに信仰していた神々を祀るという、民俗信仰であり自然信仰なのである。
 その、至ってシンプルな信仰の形が、古代より皇室や豪族による政治体制と関わりながら徐々に成立して、日本という「世界最古」の国家の形成において、その根本となる大きな影響を与え続けてきた。

 ついでながら、日本がそのような「世界最古の国家」であることを、当の日本人ほど知らないというのは実に皮肉という他はない。小学生ならまだしも、大学生に「日本はいつどのようにクニが出来たのか」と訊ねても、スラスラと答えられる学生は滅多にいない。大学院生でも同様の為体(ていたらく)である。
 果たして、アメリカの学生が米国建国の経緯や初代大統領を知らず、フランスの学生がフランス革命を知らず、中国の学生が毛沢東を知らないようなことがあるだろうか。自分の国の建国や歴史について、大学生でさえよく知らないという珍妙な現象は、世界でもわが日本にだけ見られることである。

 今日の世界には200近い国が存在しているが、世界史が示しているのはどの国も相次ぐ王朝がひたすら滅亡の歴史を繰り返しをしてきたという事実であり、いずれの国も数十年からせいぜいが百年ほどの間に成立と滅亡を繰り返してきたことが分かる。
 しかし、そのような世界の歴史の中で、この日本だけが建国から約2674年にもわたって綿々と125代も続く王朝を守り、21世紀の今日でもなお存在し続けている。その事実は人類史上ほとんど奇跡とさえ思えるし、実際に世界の人は日本がそのような世界最古の歴史を持つ優れた民族であり、そのような国家であることを日本人よりもよく知っている。

 ちなみに、日本の次に歴史が古い国はイタリア半島の中東部にあるサンマリノ共和国で、人口わずか32,000人、世界で五番目に小さな国である。イタリア共和国に囲まれたこのちいさな内陸国は建国が西暦301年、1700年の歴史を持ち、国連にも加盟している。
 第三位はデンマークで、十世紀前半にバイキングを統合した初代国王ゴームが建国した。現国王はその子孫で、その歴史は1300年ほどである。
 お馴染みのイギリスは、初代国王のウィリアム一世がフランスから海を渡って押し寄せ、ブリテン島を征服したのが九百数十年前、現エリザベス女王はその子孫である。
 アメリカは独立戦争で1776年にイギリス本国(Kingdom of Great Britain)と戦い独立して240年足らず。フランスは1789年のバスチーユ牢獄襲撃による政治犯開放でフランス革命が始まった年が建国。ロシアもソビエト崩壊によって主権宣言をした1991年が建国。 
 オーストラリアなどは1788年に最初の移民団がシドニーに上陸した日をオーストラリア・ディとしており、建国記念日は無い。
 中国については、すでにこの物語の中で、彼らが称する四千年・五千年という長い歴史の国ではないことを詳しく述べたが、現在の中華人民共和国は、1949年(昭和24年)に毛沢東が天安門で建国宣言をしたことに始まる。

 戦後の教育では、このような自国の歴史や文化、国民が誇りとする心を奪う努力が長年にわたって周到になされ続けてきた。占領国アメリカや国内の反日勢力は、日本の正史である日本書紀をただの「神話」として捨て去り、国民に建国への興味を失わせる努力を惜しまなかったのである。


「ああ、何だか清々しい気持ちになるなぁ────────」

 拝殿の前で軽く一礼をし、鈴を鳴らして賽銭を投じ、二拝二拍手一拝、作法どおりに二人で柏手を打って拝殿に深々と頭(こうべ)を垂れたあとで、宏隆がしみじみと言った。

「本当にそうね。神社にお参りをすると、いつも心の垢がきれいに落ちていくような気がするわ。日本の神道は、自分の罪や穢れを清めて心身を清浄にし、大自然と自己とが一体になって、その実感の中で、与えられた生命を大切に生きる、という精神で貫かれているのでしょうね────────」

「珠乃、寒くないか・・?」

「ううん、大丈夫よ、ありがとう」

 珈琲を飲んでいる間に六甲颪(ろっこうおろし)が止んでくれたとは言え、やはり一月の夜は寒さが深深と身にこたえて寒い。もともと女性は身体が冷えやすいということを知っているのか、少し寒そうに見える珠乃を宏隆が気遣った。

「歩いていると、けっこう暖かいから・・」

「そうか、それなら良いけれど」

 拝殿から、もと来た方に参道を下がらず、右手の方に歩いて行くと、水鴨(みかも)が浮き寝をしている小さな池がある。
 
「夜だと、ちょっと寒々しいけれど、鎌倉の頃にはここで多くの人が歌を詠んだのよ」

 そぞろに池畔を巡りながら、ちょっと夜空を見上げるようにして、珠乃が言った。

「へえ、珠乃はそんなことにも詳しいんだね」

「母が和歌をたしなむので、そんな話をよく聞いて育ったのよ」

「どんな歌があるの?」

「しぐれ行く 生田のもりのこがらしに 池のみ草も色かはる頃」

 姿勢を正すように背筋を伸ばして、静かに珠乃が詠じた。

「うーん、しみじみとした佳い歌だね。この寒空にもピッタリ。それは誰が詠んだの?」

「ご存じ、藤原定家さんよ」

「ああ、なるほど、さすがは定家だね、美しいなぁ・・」

「まだあるのよ────────人住まば さらにや問はむ津の国の 生田の池の秋の月影」

「今度は、だれの歌?」

「順徳院。鎌倉時代の順徳天皇のことよ。小倉百人一首の第百番に、ももしきや 古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり、という歌があるでしょう?」

「ああ、その歌を作った人か、それなら僕もよく知っている」

「父の後鳥羽上皇が鎌倉倒幕の兵を挙げた ”承久(じょうきゅう)の乱” に参画したことで佐渡に配流、在島21年の後に佐渡で崩御された、ということよ」

「うぅーん、人の世は、本当にいろいろとあるんだなぁ・・・」

「若いクセに、何だか達観した老人みたいなことを言うわね。でも、宏隆ならきっとそんな人生にはならないでしょうね」

「いや、そうでもないさ。頼朝といろいろモメたら、僕だって挙兵したかもしれない」

「そうかしら。あなたの甲冑姿を想像すると可笑しいわね、あははは・・・・」

 そう言って笑う珠乃は、しかしどこか寂しげで、おそらく誰が見てもただの空元気と映るに違いない。宏隆は、珠乃がそうして明るく笑うほど、反対にその寂しさを強く感じて辛い気持ちになった。


 生田の池から本殿の裏手に上がると、清少納言が枕草子に「杜は生田」と記した生田の森に出る。鎌倉や室町のころ、ここには生田川をひかえた大森林が広がっていたと伝えられ、源範頼と平知盛、楠木正成と新田義貞、織田信長と荒木村重の軍勢が争うなど、しばしば合戦の舞台にもなったという。

「────────この森のことは、歌に詠まれていないの?」

「やはり順徳院が一首・・秋風に 又こそとはめ津の国の 生田の杜の春のあけぼの、と詠まれているわ」

「うぅむ・・・敵わないな。とても僕には、そんな美しい歌は詠めない」

「あら、初めて聞くわね。宏隆も歌を詠むの?」

「いや、和歌は祖父が読んだものがたくさん残っているので、何となく自分にも出来そうな気がして遊んでみるんだけれど、どこをヒネってもなかなか出てこない────────」

「あはは、それはそうよ。やるのなら、きちんと勉強をしないと」

「そうだね・・・・」

 カサ、カサと、敷き詰められた落葉を踏んで歩く森の中は、樹齢数百年ほどにもなる立派な楠(くすのき)も多く、昼間でも鬱蒼として薄暗い。
 珠乃は、こんな夜更けに生田の森を歩いたことは無かったが、もうあと何回、宏隆と一緒に歩けるのかと思うと、たとえひと晩中でもこうして歩いていたい、という気持ちになる。
 宏隆もまた、意気込んで独りアメリカに留学する決意を固めたものの、それを告げたあとの珠乃の辛そうな顔を見てからは、ようやく自分も同じ寂しさを覚えはじめていた。

 控えめに照らされた遊歩道の外灯に二人の影が映る。人気(ひとけ)のない夜の森に仲良く並んだ二つの影を見て、珠乃は少し面映ゆい気持ちになったが、それよりも、自分たち二人は、この影のようにいつまでも寄り添って歩いて行けるのか、それとも、いつの日か何かが起こり、ある日突然それが根こそぎ失われてしまうのか、そんな思いに囚われて、心配でならなかった。


「宏隆─────────────」

 急に心細くなって立ち止まり、何か言いかけたが、

「珠乃・・・とても自分勝手だとは思うけど、今の僕は、アメリカに行きたいという想いでいっぱいなんだ」

 珠乃よりも先に、宏隆が言った。

「わかるわ・・・あなたが何をやりたくて、どうしてそうしたいのか・・・なぜ強くなりたいのか、ということも・・・・」

「分かってくれるのか───────────」

「うん、わかるわ・・・わかるけれど・・・・」

「けど・・?」

「けれど・・・離れて、ずっと会えなくなってしまうなんて・・・」

「・・・・・・・」

「いいえ、あなたの邪魔はしない、そんなつもりはないのよ、ただ・・ただ、あなたと一緒に居たいのに、それが叶わない私の気持ちを・・・その気持ちを、少しでもいいから、宏隆にも、分かってほしいの」

「そ、それは・・それくらいは、この僕にだって、分かる・・・・」

「ほんとうに・・・?」

「ほんとうさ、ぼくだって・・珠乃と一緒にいたい・・・ずっと一緒に、こうして笑って、話をして、お茶を飲んで、神戸の海を見ながら、いつも二人で歩いていたい。
 小学校からずっと・・楽しいときも、辛いときも、挫けそうになったときも、ふと気づいたら、いつも珠乃が側に居た、いつもお前と一緒にいたんだなって・・・わかったんだ」

「今ごろ、気がついたの・・?」

「そう・・・あ、いや、ずっと前から分かっていたはずなんだけど、つくづくそう思うようになったのは、つい最近、アメリカに行こうと思ってからだ」

「あはは、あなたは正直な人ね、アメリ・・」

「珠乃───────────────!」

「あ・・・」


 自分でも、どうしてそうしたのか、分からない。

 気がついたら、珠乃の言葉を遮るように、その肩を自分の方へ引き寄せていた。

 もう言葉はいらない、と宏隆は思った。

 肩に置いた手から伝わってくる珠乃の息吹は、人の結びつきにはどんな理屈も、何の保障も要らないことを物語っている。宏隆は、ただそこにあるものを理屈抜きに信じられ、珠乃がいま、同じものを、同じように感じていることがわかった。

 ほのかな外灯の光に並んでいたふたつの影は、やがてひとつに寄り添って、いつまでもそのまま動こうとはしなかった。



                                (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第132回の掲載は、5月1日(木)の予定です

noriko630 at 23:52コメント(14) この記事をクリップ!
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