*第121回 〜 第130回

2014年01月15日

連載小説「龍の道」 第125回




第125回  T E R R O R (6)



 此方からは見えず、向こうからは自分がはっきりと見えているという状況は、たとえ外事警察のベテラン警部補でも、ひどく不気味なことに違いない。

 声が聞こえてくる、その暗がりに銃を向けていても、不安で仕方がない。
 何故なら、もし相手が銃を持っていれば、確実に殺(や)られてしまうのは、明るい場所に居る自分の方に決まっているからだ。

「・・で、出てこいっ、出てきて顔を見せろ!!」

 焦りを打ち消すようにそう怒鳴ってはみるが、安易にその暗がりには近寄れない。
 いや、実はその場から動けないのだ。銃を構えたところから一歩でも動けば、相手がすぐさま攻撃してくるに違いない────────そんな緊迫したこの場の空気と、何より、すでに相手に呑まれてしまっている感覚が、高山にはあった。

(この相手は、ただ者ではない─────────────────)

 高山も馬鹿ではない。こんな危険な仕事に就くだけのことはあって、学生の頃から空手や柔道をはじめ、居合や杖術まで幾つかの武道を修行し、そのほとんどに指導員クラスの段位も持っている。
 だからこの場合、戦う前からすでに相手に気を呑まれ、軸を取られてしまっている事がよく分かるし、こうなっては、もはや何をやっても相手に敵うわけがない、と分かるのだ。
 すでに自分は負けている────────高山はそれをよく承知していた。

 高山はふと、かつて居合の道場に居た頃のことを想った。
 まだ入門し立ての頃に、師匠と二人で行った型の稽古で、師は刀を鞘に収めたまま正座して座り、自分は立って抜刀した刀を師匠の胸元から一尺と離れていないところにピタリと突きつけていた。そして、その恰好のまま、いつでも良いから好きな時に突いてこいと師匠に言われたのである。

 冗談を言っているのだと高山は思い、そんな事をしたら師の胸を刺してしまいますと言うと、師は笑って、構わないからいつでも突いてきなさい、お前に刺されるようなら、私は今日で師範をやめるだろうよ、と真顔で言われ、そこまで言うならば試しに本気で突いて行ってやろうと思ったのである。

 しかし、あらん限りの素速さで突いて行った刀の切っ先が、その僅か一尺の距離を閃いて師の胸を貫くよりも速く、師の抜き放った刀身が、いつの間にか自分の腹にピタリと触れていたのである。

 そんな馬鹿な────────体中に冷や汗をかきながら、若い高山はそう思った。
だがその後、幾度となく同じことをやって貰っても、結果は何も変わらなかった。


 こうして今、暗闇に向かって銃を構えていると、その時の思いが重なってくる。
 相手は見えないが、確実に自分の体軸を捉えている。仮に今、その闇に向けて引き金を盲撃ちに引いたとしても、その瞬間にはもう、相手はこの銃に触れるほど側に来て、弾丸が発射されるよりも早く、自分の顔に拳骨を喰らわしているかもしれない──────────

 そんなことを想像してしまうほど、その声の主には、ある種の怖ろしさが感じられる。
 だが、ここでは高山の立場上からも、怖がってなど居られるはずもなかった。

「もう一度警告する、明るい所に出てこい。我々は公安警察だ、不法侵入は射殺されても文句を言えないぞ!」

 銃を両手で構えたまま、出来る限り腹に力を込めて、何とか気を奮い立たせて再びそう言ったが、

「では、その銃で私を撃ってみるがいい───────────」

「な、なにぃ・・・・」

 あろうことか、闇の中に居る相手は、自分を銃で撃てと言うのである。

「そんな物をえらく頼りにしているようだが、武器というのは、それを持つ人によっては、子供の玩具にしかならない場合もあるのだ」

「ほ、ほざいたな!・・どうせ不法侵入者だ、こっちはお前を撃っても、いくらでも言い訳が立つんだ。これが玩具かどうか、思い知らせてやってもいいんだぞ!!」

「やってみるがいい──────────────」

「く、くそぉ・・・!」

 その言葉によほど腹が立ったのか、伸ばしていた人差し指を引き金にかけようとしたが、

「高山さん、待って──────────!!」

 銃を構えた高山の前に、宏隆が立ち塞がるようにして言った。

「あの声は、僕の知る人です。撃たないでください!」

「なんだと?・・お前の知り合いだと言うのか」

「そうよ、銃を下ろしなさい。そうしないと後悔するわよ!」

 宗少尉も、そう言いながら高山の前に立った。

「構わんよ、撃ちたいのなら撃ってごらん。見えない所に向けて撃つのが怖いのなら、望みどおり出ていってあげよう──────────────」

 声の主が静かにそう言い、暗闇から徐々に姿を現してきた。

「ああっ・・お、お前は──────────────!!」

「そうだ、かつて君たちにずっとマークされてきた、王永斌(おう・えいひん)だ。もっとも、実際にお目にかかるのは、これが初めてだがね」

「やはり・・・無事にあの爆発から逃れて、すでに地下に潜っていたということか」

「ダブル(The double=替え玉・影武者)には気の毒なことをしたが、敵は祥龍菜館で私と共に座っていた人間が張大人だと信じていたようだ」

「あのとき一緒に同席していたはずなのに、怪我もせずに此処にいるところを見ると、あんたにも影武者が居たのか?」

「いや、私は幸い爆発から逃れることができた。料理人に用があって、厨房に顔を出した途端の出来事だったのだ。運が良かった、ということになる」

「そうか、まあいいさ。ともかく、相手が王永斌では撃つことはできない。何せ、今じゃ日本の公安に協力までしてくれる奇特な組織だからな、玄洋會は────────」

 少し皮肉るように高山が言った。本来ならば外国の秘密結社は外事警察の捜査対象であって、協力団体であるわけがない。
 だが、中国との新たな関係を築いた田中角栄政権の発足以来、突然多くの中国人スパイが大手を振って日本に出入りするようになったし、田中首相自身が台湾の反共団体から狙われはじめたことも事実であった。

「それは兎も角────────────うちの者がクロスボウで射(う)って確保した男を置いていってもらおうか」

「それぁ駄目だよ。あんたの配下にも言ったが、ここはウチの管轄だからな」

「いや、ここは私たちの管轄だ。我々の総帥が我々の営む場所で狙われたのだから、私たちが調査する。それが筋というものではないかね」

「分かってねぇな────────ここはただの南京町、日本に幾つかある中国人街のひとつに過ぎない。治外法権なんぞ効かないトコなんだよ」

「いや、ここは治外法権だ。少なくとも我々のルールではね─────────────」

「ほう、玄洋會の大物にしては、ずいぶん物分かりが悪いようだな。それじゃ、どうしても俺たちが貰っていくと言ったら・・どうするよ?」

 ギラリと、高山の目が光ったが、

「腕ずくでも──────────────」

 ニコリと笑って、王老師が静かにそう答えた。

 王老師は高山の挑発に全く動じない。虚勢を張るわけでもなく、ただふんわりと、春の野の花のようにそこに立って居る────────少なくとも、宏隆たちにはそう見える。

 高山はそんな王老師の笑顔を見て、何故か背筋が寒くなっていたが、さっき銃を構えた時から続いている、そのどうしようもない ”怖れ” に、自分でつくづく嫌気がさしていた。

 そして、その恐怖を払いのけるように、王老師に向かって言った。

「あははは、いくらあんたが中国カンフーの達人でも、ここには銃を持った俺の部下が六人もいるんだ。腕ずくと言ったって、逆立ちしても敵うわけが無いじゃないか!」

「では、試してみてはどうかな──────────────」

「王老師、いくら何でも危険です。どうしても必要なら、僕が代わってやります」

「私もやります、多寡(たか)が公安警察の五人や六人・・・・」

 宗少尉がそう言って、王老師の盾となるように高山との間に立ちはだかると、高山の部下たちがどっと響(どよ)めいて身構えた。

「いや、ちょうど良い機会だから、君たちも見ていなさい────────」

 王老師は、それを制するように、手を出して二人を横に避(よ)けた。

「ほぉ、この爺さん、本気らしいぞ・・・そうか、そこまで言うなら・・・」

 一瞬、決断するための間(ま)を置いたが、

「・・よし、全員、王永斌に向けて銃を構えろっ!!」

 きっぱりと、六名の部下たちに高山がそう命じた。


 この物語の時代にあっては、日本の警察官や海上保安官、自衛官などの訓練のレベルは諸外国に比べてかなり低いと言われていた。それは戦後の日本全体に蔓延していた、意図して作られた平和への盲信と戦争アレルギーのゆえであったが、その風潮は結果的に赤軍派のテロ活動やハイジャックを許すこととなり、警察官は凶悪犯に銃を撃つことを最後の最後の瞬間まで厳しく規制されたために、現場職員の命が多く犠牲になった。

 近頃ではようやく、警察官の発砲が報道されても、以前ほどには国民が動揺することは無くなったように思える。犯罪者を取り締まる立場の人が身の安全を確保するのは当然のことであり、そうしなくては凶悪な犯罪者を再び市井に放つことにもなってしまうのである。

 今日では、陸海空の各自衛隊にもSFGp(特殊作戦群)やTASF(対馬警備隊)をはじめ、多くの特殊部隊が編成され、海上保安庁や警察にも特殊部隊が作られるようになった。
 また、内閣調査室のような内閣だけの内々の情報組織ではなく、公安部外事課をはじめ、自衛隊の陸幕二部から発展したDIH(Defense Intelligence Headquarters)のような充実した諜報機関が確立されるようになった。これは日本にとって明らかに大きな進歩だと言える。

 平和を理想としているだけでは駄目だ────────────国民のそんな意識が少し芽生えてきたのは、やはり尖閣諸島で中国漁船が海上保安庁の巡視船にむりやり衝突させてきた事件(2010.9.7)、および神戸海上保安部の一色正春・主任航海士による、その衝突事件の映像流出事件(2010.11.4)が発生してからのことかも知れない。
 その衝突影像流出事件に対し、無作為に2万人の国民に行った意識調査では、95%の人がその海保職員の行動を支持すると回答し、98%の人が菅直人政権が映像公開を回避し続けた対応を評価しないと答え、98%が国民に全ての影像を公開すべきだと回答した。

 加えて、2012年の8〜10月に中国で発生した激しい反日運動によって、日本人の中国に対する好感度や日中関係の現状評価は日増しに悪化し、日本リサーチセンターが *中国社会科学院と共同で行った日本人の世論調査によれば、中国を「嫌い・どちらかと言えば嫌い」と考える人の合計は64%、日中関係を「悪い・どちらかと言えば悪い」は85%、日本政府による尖閣諸島購入は「賛成・どちらかと言えば賛成」が43.5%、「反対」はわずか5%に過ぎない結果が出た。なお、その調査の回答者で、2012年が「日中国交正常化40周年」に当たることを認知していた人は全体の74%に上っている。

【*註:中国社会科学院=中華人民共和国の哲学及び社会科学研究の最高学術機構および研究センター。76ヶ所の研究所と4,200人の専任研究者を擁する、中国共産党政府の誇るシンクタンクとして知られている】


 閑話休題─────────────

 外事警察のメンバーは、外国諜報機関の活動の監視や、国際的なテロリストの捜査、戦略物資の不正輸出入の捜査をするのが仕事なので、日頃から決して銃の訓練は怠らない。諜報活動は無論、銃撃や格闘に精通していなければ、この仕事はできないのである。

 だから、そんな高山たちが一斉に銃を構えた今となっては、いかに王老師が武術の達人であっても、相手に従わざるを得ないのは火を見るよりも明らかなことであった。


「それでいいかね──────────────?」

 微笑みを湛えながら、暢気とも思えるような声で、王老師がつぶやいた。

「ほ、ほざくなっ、7人に銃口を向けられて、まだ冗談を言うのか!?」

「いや、きちんと銃弾が発射されるように、安全装置を外して、初弾をチャンバーに送り込んだのかと訊いているのだ」

「当たり前だろうが、こっちはプロの中のプロだ、あんた達のような、怪しげな寄せ集めの反共暴力集団とはワケが違うんだ!!」

「君らの持っているワルサーPPKは初速が280メートルだ。つまり、そこに居る私の弟子の加藤宏隆が持っているベレッタと比べて、1秒間に約100メートルも飛弾速度が遅い」

「だ、だから何だってンだ、わずか五、六メートルの近距離に立って居る人間を撃つのに、いちいちそんなことが関係があるモンか!!」

「それに、どのような弾丸が、どのような高速で発射されようと、弾丸自体は1秒後に4.9メートル、2秒後には19.6メートルも落下してしまう。これは、地球上に重力が働いているからに他ならない」

「・・そ、それがどうしたっ!、いちいちそんな細かいコトを知らなくったって、銃弾をお前に中てることくらい、簡単に出来るんだぞ!!」

「だから銃は、銃身が少し上向きに角度を付けて造られているのだ。知っているかね?」

「え?・・い、いや、知らなかった、そうだったのか──────────────」

「憶えておくといい。ゆえに、軍用ライフルでは、照星(フロントサイト)と照門(リアサイト)だけではなく、距離に応じて照門の高さを調整できるように、”照尺” という目盛りが付けられている。目標までの距離が300mなら ”3” に、400mなら ”4” に合わせて狙いをつけるのだ」

「なるほど──────────────」

「わかったかね?」

「ん?・・・ひ、ひとを惑わせるようなことばかり言いやがって、望みどおり、その胸板に鉛弾(なまりだま)をぶち込んでやるから覚悟しろっ!」

「ほう、本当に撃てるのかな────────────?」

「おっ、おのれっ・・その大口、あとで後悔するなよ!!」


                                (つづく)




  *次回、連載小説「龍の道」 第126回の掲載は、2月1日(土)の予定です

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2013年12月15日

連載小説「龍の道」 第124回




第124回  T E R R O R (5)



「動くなっ!、動くと撃つぞ────────!!」

 飛び出ると同時に銃を構え、宏隆がそう叫んだ。

 宗少尉に襲いかかろうとしていた男は、ハッとして動きを止めたが、

「ふん────────」

 不敵にそう笑うと、素早く腰の後ろから銃を出し、ピタリと宗少尉の頭に向けた。

「それはこっちの科白だ。この女の頭に風穴を空けたくなかったら、床に銃を置け」

 中国訛りの日本語で、男は静かにそう言った。その落ち着き払った様子は、かつて台北で宏隆を拉致した北朝鮮の工作員にも似て、こんな状況に慣れた、かなりの場数を踏んだ人間だと思える。
 銃を持っているのに、初めからそれを使わなかったのは、宗少尉の功夫の実力を知らず、催涙ガスの中で息を止め、目隠しをしている恰好を見くびった故であったかもしれないが、それが思いもよらず手強い(てごわい)抵抗を見せ、てこずり始めたところへ、ちょうど宏隆が登場したのであった。

 彼らの任務は無論、祥龍菜館の爆破テロを巧みに回避した張大人や王老師の居所を突き止め、当初の目的を果たすことに違いない。
 その為には宏隆たちを拉致するのも厭わないはずで、この白昼に堂々とそれを実行するつもりは無かったのだろうが、尾行させた一人が高山の部下によって捕えられてしまったために、急ぎ予定を変更しての襲撃となったのだろう。

 捕らえられた敵の尾行者は、外事警察もよく知る下っ端の構成員であり、そんな立場の男が幾ばくかの金を握らされれば容易に口を割るという事は敵もよく承知している。
 だから、口を割る前にここを襲撃してその男ごと抹殺し、宏隆か宗少尉の、どちらか一人でも生かしておけば情報が入ると踏んだに違いない。そして当然、上官の宗少尉の方が情報量は多いので、このような場合には生かしておいて拉致される確率が高いのである。


 気がつくと、もう一人の敵も、反対側から宗少尉に銃口を向けている。

「く、くそっ・・・」

 だが、もう考えている時間がない。すぐに宗少尉が息を止めていられる限界が来る、限界が来れば戦闘不能となり、敵の意のままになるしかない────────

 そう思うと気が急く。いっそイチかバチかの行動に出てやろうかとも思うが、そうなればますます宗少尉を危険に晒すことになる。かと言って、言われるが儘に銃を置けば、敵の思うとおりの展開となり、最悪の場合どちらかが撃たれ、どちらかが拉致されてしまう事にもなりかねない。

 いったい、どうしたら良いのか────────────


 そう困り果てていると、ふと、まだ催涙弾の残煙が立ちこめている薄暗い店の片隅から、宏隆だけに見える角度で、小さな赤い光が、二、三度点滅するのが見えた。

「わかった・・・そっちの言うことを聞こう」

 その光が何を意味するかを理解したのであろう、宏隆は俄に素直になってそう言うと、トリガー(引き金)から指を離し、上から鷲づかみにするようにして銃を持ち、銃口を相手に向けぬように、やや腕を伸ばし、ゆっくりと数歩前に歩み出て、

「ほら、銃をここに置くぞ・・・・」

 そう言って銃を床に置き、また元の位置へと戻った。

 すっかり宏隆が観念しきっていると見たのだろう、もう一人の男が半ば無造作にそれを拾いに来て、屈んで銃を取ろうとしたが、そのとき────────────

「ぐぁっっ・・・!!」

 宗少尉の頭に銃口を向けていた男が、いきなり銃を放り出してドォとその場に倒れ込み、

「ダン、ダンッ─────!!」

 ほとんど同時に二発の銃声がして、宏隆の銃を拾おうとした男が声もなく倒れた。

「クラマっ!、ニータにマスクを・・早くっ!!」

 暗闇の中から、リンさんの怒鳴る声がした。

 ガスに煙る薄暗がりでの、ほんの僅かな時間の出来事であった。
 一瞬、宏隆には何が起こったのか判らなかったが、さっきの赤い光は仲間が攻撃をする合図だと確信していた。これは誰かが反撃を始めるな・・・そう思って、銃を床に置く時にわざと自分から離れたところに置き、あらかじめ自分が邪魔にならないような位置を取ったのである。

 果たして、宗少尉に銃を突きつけていた男は、別の出入口から店の奥へと密かに上がって来たリンさんのクロスボウ(ボウガン)で銃を持つ肩を射(う)たれて倒れ、もう一人の男は、矢が放たれた暗闇に向かって反撃の盲撃ちをしようとした為に、即座に高山に射殺されたのである。


「フゥ────────ッッ!!」

 駆け寄った宏隆が急いでマスクを顔に押し当てると、宗少尉はまず強く息を吐き切り、それからようやくヒューと息を吸い込んだ。よほど苦しかったのだろう、息が整うまで何度も深い呼吸を繰り返している。

 マスクを装着して最初に息を強く吐くのは、マスク・クリア(マスクに溜まったガスを抜くこと。ダイビングでは水を抜く作業をいう)をするためである。
 すでにガスの煙が広がっている場所では、こうしないとマスクの内側にあるガスを吸い込んでしまうので、装着する意味がない。
 また、よく長い間息を止めているには、息を吐ききってからの方が長く止めていられると言われるが、このような場合には、吸った息をそのまま溜めるようにして止めておかなくては大変なことになってしまう。吐いてから止息するか、吸ってから止息するかは、その時々の状況判断に拠(よ)らなくてはならない。
  
 そして、じっとして呼吸を止めているだけならともかく、敵と闘いながら息を止めているのは決して容易なことではない。ましてそれが、2分間以上も息を止めた後のことなら尚さらである。

「宗少尉、大丈夫ですか────────?」

 そばに寄って、心配そうに宏隆が訊ねるが、

「ハン、こんなの、へっちゃらよ・・・宏隆こそ無事だった?」

 口ではそう言うが、まだ顔色がすぐれず、苦しそうに肩で息をついている。

「ちょっと危なかったけど、林小姐(リン・シャオシエ)と高山さんが助けてくれました」

「高山さん、他の敵は?、この二人以外にもまだ外に居るはずよ!」

「大丈夫だ。今入った連絡では、少なくともこの近くには姿が見えないらしい。それより、ずいぶん長いこと呼吸(いき)を止めていられるんだな・・大丈夫かい?」

「ありがとう。もう少し時間があれば、私一人で片付けていたところだけどね」

「はは、強がりを言うなあ。もう息を止めていられる限界だったんだろう?」

「強がりでもないわよ。ちょうど相手のマスクをもぎ取ってやるところだったのよ。宏隆が登場したから、そのチャンスを逃してしまったけどね」

「やれやれ、大変なお嬢さんだな。こんな女性ばっかりなのかい、お宅は?」

「いいえ、僕が台湾でお世話になった明珠(めいしゅ)さんという女(ひと)などは、とても物静かで女らしい人ですよ」

「あら、それってどーいう意味よ!」

「あはは、だいぶ元気になりましたね。やっぱり人間には呼吸が必要みたいだ」

「さて、ケンカは後回しにしてもらって、早いとこ後始末をしないとな。爆破事件のおかげで、一般人の注意がこっちに向かないのが幸いだったが、敵もそれを計算の上で催涙弾をぶち込みやがったんだ────────」

 リンさんが、クロスボウで射(う)った相手を、素早くダクトテープで拘束している。
 男は低く呻き続けている。矢で射られると、ある意味では銃弾よりも痛みが激しいのだ。普通なら声を出せないよう口にもテープを貼り付けるところだが、まだガスマスクを着けているので、いくら呻いても店の外には聞こえはしない。

「後で矢を抜いてやるから我慢しな、肺や心臓に中らないようにして遣っただけでも有り難いと思うんだね!!」

 優しい顔をして、怖いことをリンさんが言った。やはり地下基地の入口を守っているだけのことはあって、クロスボウの腕前に加えて相当な気丈夫である。

 因みに、クロスボウは殺傷能力は銃に比べれば遥かに劣るが、発射時に音がしないので、特殊部隊では敵地潜入の際に、状況に応じて歩哨や軍用犬に対処する目的などで使われている。また日本の自衛隊でも、吹き矢と共に武器のひとつとして扱われている。
 なお、日本ではボウガン(Bowgun)と呼ばれているが、ボウガンは日本で射撃競技用の銃砲火薬等を製作・輸入する「株式会社・ボウガン」が名付けた和製英語の商品名であり、クロスボウの別名ではない。


 何処からやって来たのか、表口に小型トラックが止まる音がして、マスクとゴーグルを着けた男たちが一抱えもあるような大きな扇風機を運び込んでくる。工場にあるような大型のファンである。

 裏の天窓を開けてその扇風機を回すと、見る見るうちに店内の煙が消えていく。
 催涙ガスは目や鼻に強烈な刺激を与え、咳や嘔吐、落涙などの症状を発生させるが、本来は一過性のものであり、時間の経過によってガスは拡散や自然分解が進み、うがい、洗眼、中和剤でよく洗顔して除去すれば後遺症も残らない。ガスマスクを装着せずに催涙弾の煙を吸い込むと、しばらくの間は戦闘能力が発揮できないので、敵の動きを一時的に規制する目的で用いられるのである。
 この場合も、始めにガス弾が投げ込まれてからある程度時間が経過しているので、大型の扇風機で残留した煙を外へ出すのも、それほど時間がかからなかった。

 やがて煙の排出が終わり、安全が確認されると、彼らは手際よく扇風機をトラックに積み込み、表と裏の出入口をきっかりと閉めて、また何処かへ走り去って行った。
 無論、リンさんが手配した、組織の人間たちに違いない。

「主任────────────!!」

 入れ違いに、そこへようやく、ドヤドヤと高山警部補の部下たちが戻ってきた。高山が外を確認してこいと命じた、三浦、吉田と呼ばれた二人と、外に居た二人である。
 俗に外事警察と称される警視庁公安部外事課の、アジア第三部・第6係の主任である高山は、部下からはただ ”主任” とだけ呼ばれているらしい。

「おう、帰ったか────────ちょうどガスの煙が引いたところだ。お前たち、まんまと奴らのテに引っ掛かっちまったらしいな?」

「はい。主任に ”行って確認しろ” と言われて飛び出すと、シキテン(見張り)の二人が誰かを追って走って行くところが見えました。無線で呼んでも雑音ばかりで役に立たず、相手は拳銃を持っているらしいので、やむなく自分たちも加勢するために追いかけました」

「ところが、ちっとも追い付けず、散々あちこち引っ張り回されたんだろう?」

「そのとおりです、申しわけありません・・・」

「まあいい。敵はなかなか強かで、よく訓練もされている。妨害電波まで作れるんだから、大したモンだよ。まあ、ここの門番のマダムがクロスボウで仕留めた奴がいるから、連れて帰ってゲロ(自供)させればいいさ」

 矢を射(う)たれ、拘束されて転がっている男の尻をコツンと蹴飛ばして、高山が言った。
  ”門番のマダム” とは、もちろん女主人リンさんのことである。

「はい、分かりました!」

「二本立て(二人組)の、俺が眠らせた(殺した)ヤツは、オモヤ(兵庫県警の外事課)に引き取りに来させろ。フクメン(覆面パトカー)で10分以内に来いと言え。
 本件並びにこの場所はカクヒ(最上級極秘事項)だ。ソトゴト(外事課)のみの対処で、アヒル(制服警官)は連れて来るな。マンジュウ(死体)のA号(前科・前歴)と、チャカ(拳銃)、S弾(煙状催涙ガス弾)を洗う(照会する)ように言え。どうせCM(中国マフィア)のルートだがな。それと、一応ジドリ(周辺の聞き込み)をしてマルモク(目撃者)とヤサ(住居・隠れ家)も探せってな・・・以上だ、急いでやれ!」

「了解しました!!」

「ちょいと待ちなっ────────!!」

 部下がその男を抱えて連れて行こうとするのを、宗少尉が制した。

「コイツは張大人や王老師の消息を知っているかも知れない大事な証人なんだ、こっちがそれを聞き出すまでは、勝手に何処かへ連れて行ってもらっちゃ困るよ」

「だが、これは俺たちの管轄だ。母屋(警視庁)に連れて行って、オレが尋問するさ」

「そうは行かないよ、ここはウチのベース(本拠地)だ。ウチで起きたことは、ウチのルールに従ってやらせてもらうからね」

「確かにここは玄洋會のホームベースかも知れないが、ここは日本で、俺たちは日本の公安だ。君らには俺たちの言うことに従ってもらわなきゃならない。それに、ここは領事館でもない、ただの南京町。治外法権なんぞ効かない所だからな」

「さすがは日本の役人、言うことが理路整然としているわね」

「分かってくれたのか?、以外とモノワカリが良いじゃないか」

「いいや、所詮は木っ葉役人、アタマが固くてどうしようもない、と言っているのよ!」

「なんだとぉ・・・」

「どうしても連れて行くと言い張るんなら、こっちにも考えがあるよ!!」

「ほう、どんな考えか、聞かせてもらおうか」

「あんたたち全員を、ここに拘束する・・・・」

「あはは、そいつぁ面白いじゃねえか。そんなことが実際に出来ると、本気で思っているのかい?、もし仮に出来たとしても、そうなったらお上(警視庁)が黙っちゃいないぜ。
 玄洋會は少年の加藤君を含めて全員逮捕され、ついでにこの店も、祥龍菜館も、君らの隠れ家も基地も、すべて曝かれた上で閉鎖される。それでも構わねぇと言うんなら、ご自慢のカンフーで暴れ回ってオレたちを拘束してみりゃぁいいさ!!」

「むっ、言ってくれるわね!!」

「だが、どうにもならないだろう?、それじゃコイツは貰っていくぜ、あはは!!」

「くっ!、こうなったら望みどおり、腕ずくでも・・・・」

 宗少尉が、額に青筋を立ててそう言いかけたときに、

「待ちなさい─────────────────」

 突然──────暗い部屋の片隅から、低く、閑かに、何者かの声が響いた。

「だ、誰だっ・・・!!」

 思わず、高山が声を上げて振り向いたが、驚いたのは高山だけではない。
 声が聞こえるほど近くに居るというのに、この場に居合わせた者の誰一人として、そこに誰かが潜んでいるという気配を感じることができなかったのだ。
 彼らが皆、警察や秘密結社というプロであるにも関わらず、である。

 いつの間にか、知らぬ間に誰かが近くに居ることほど恐ろしい事はない。
 その、気配を察知できない、不気味とも思える何者かのエネルギーに、誰もが本能的に恐怖を感じて、その場から二、三歩、静かに後ずさりをしたが、ようやく我に帰ったように高山が銃を抜いて構えた。


「公安の高山くん、と言ったね──────────」

 荷物の箱が雑然と天井近くまで積まれた、明りが灯らない倉庫の暗闇から、その声だけが聞こえてくる。

「・・そ、そこに居るのは誰だっ?、明るいところへ来て、顔を見せろっ!!」



                                (つづく)




  *次回、1月1日は著者のお正月休暇のため、お休みをいただきます。
   連載小説「龍の道」 第125回の掲載は、1月15日(水)の予定です


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2013年12月01日

連載小説「龍の道」 第123回




第123回  T E R R O R (4)


 室外(そと)は催涙ガスが充満していて、おいそれとは出て行けない。
 ゴーグルもマスクも無い状態では、たとえ息を止めて出たところで、目を瞑(つぶ)って手探りで動くしかない。そうなったら敵の思う壺であり、これ幸いとばかりに狙い撃ちにされるに決まっている。

「備えよ常に、とはよく言ったもんですね。こんな時こそゴーグルやマスクが必要なのに、イザという時に何の用意もないなんて────────」

 ぽつりと、悔しそうに宏隆が言う。

「いつも完全装備でいることなんか不可能よ。まして今回は、予めプランニングされたミッションじゃないからね。普段は最低限の装備だけど、たとえ何が起っても、それを的確に切り抜けて行けるのがプロってものよ!」

「無線はどうなんですか?、宗少尉も高山さんも無線を持っているのに、さっきからちっとも通信をしていないですが・・」

「妨害電波が出されているのよ。敵もなかなか用意周到ね────────」

「おいおい、新人教育も良いけれど早いところ何とかしようぜ。外には出られないし、仲間と連絡も取れない。この部屋にエスケイプしていることが分かったら、榴弾(りゅうだん)を放り込まれて一巻の終わりだよ。ここは君らのホームタウンだろ、何かこのピンチを切り抜ける手立ては無いのかい?」

 妙に暢気そうな二人の会話に、高山が少し苛(いら)立ってきた。

「無いワケじゃないけど、まあ、あなた次第ね・・・」

「思わせぶりだな。どういう意味だい、それは?」

「ぼくが言いましょう────────────」

「ダメよ、軽々しく喋っちゃ。よく考えなきゃ!」

「いや、もう考えている時間がありません。これで煙が薄くなったら、敵が突入してくる。高山さんの言うように、ここにグレネード(手榴弾やガス弾など、小型の榴弾)でも放り込まれたら万事休すです。そうなる前に手を打たないと────────」

「ヒロタカ・・・!!」

「いいですか、この店には僕たちの基地に通じる秘密の通路がある。この部屋には無いけれど、ここを出て11時の方向に5メートルほど行けば、床に地下へ降りる扉がある。そこまで何とか切り抜けられればいい」

「ほう、君はなかなか決断力があるようだ。やっぱり、この地下には基地があったんだな。玄洋會が敵ではないことが分かって以来、我々もそれ以上は調べなかったんだが・・それで君らも落ち着いていられたのか」

「秘密を明かす以上は────────高山さん、分かっているでしょうね?!」

 宗少尉が怖い顔をして言った。

「分かってるよ。反対の立場ならオレも同じことを言うさ。協力してピンチを切り抜けるんだから、基地のことは外事には秘密にしておく。約束するよ」

「この際だから一応信用してあげるけど、約束を破ったら覚悟してもらうわよ」

「ほう、何の覚悟をしろと言うんだい?」

 宗少尉の言い方がちょっとカンに障ったのか、ギラリと高山の目が光ったが、

「知りたければ、教えてあげてもいいわよ!!」

 宗少尉も、負けてはいない。

「おう、上等じゃねえか。今ここで教えてもらおうか!」

「そんなコト言っている場合じゃないでしょ。大人げないんだから、もう!、後でやってくださいよ、あとで────────さ、宗少尉、高山さんも、急ぎましょう!!」

 宏隆が割って入って、たしなめる。
 無論、二人とも本気でケンカ腰になっている訳ではない。さっき高山が ”わざと捕まってやった” と言って以来、宗少尉が気分を損ねているのだ。
 高山もそれを分かっているので、程ほどに調子を合わせているに過ぎなかった。

「よし、ガスが充満している間に床を這って地下の入口まで行くよ。みんな、そこにハンカチを出して!!」

 宏隆はバンダナを、高山は大判のハンカチをポケットから取り出し、テーブルに置く。
 宗少尉が冷蔵庫から麦茶を取り出し、ザバザバと二人のハンカチにかけて濡らし、自分のスカーフにもかけた。

「なるほど、即席の防護マスク、ってわけですね?」

 宏隆はどこへ行くにも常に大判のバンダナを持ち歩いている。こんな仕事に就く人は大抵は大きなハンカチやタオルを持ち歩いているものだ。いざという時には、こんな具合にマスクにも帽子にもスカーフにもなるし、泥水を濾過したり止血帯にも使える、たいへん重宝な布なのである。
 そういえば、映画「亡国のイージス(2005年)」では、主人公の真田広之扮する仙石先任伍長はじめ、登場する海上自衛官たちが日本手拭をきちんと畳んでベルトに挟んでいた。 
 軍人のたしなみであろうし、伝統的な日本手拭は、何にでも使える優れた装備であることが分かる。


「──────そういうコト。分かってるじゃないの、ヒロタカ」

「ボーイスカウトで教わりました」

「ただし、クチにじゃなくて眼に当てるのよ、アイマスクとして」

「え?・・じゃ、呼吸はどうするんですか?」

「HV(エイチブイ)で────────────」

「あ、そうか。なるほど」

「こんな物くらいでは、催涙ガスの中で呼吸ができないからね」

「眼は守れるんですか?」

「いいえ。眼球や目の粘膜にガスの粒子が付着しにくくなるので、外してすぐに行動ができるだけのことよ」

「やれやれ、気が抜けるなあ。姉弟(きょうだい)漫才はそのぐらいにして、急ごうや!」

「ヒロタカ、ここからは実戦よ。銃を確認して!」

「もう疾(と)っくに準備してます」

「高校生のクセに、ベレッタとは恐れ入るぜ・・マグ(弾倉)は?」

「装弾済みの全15発だけ、予備はありません。高山さんは?」

「こいつ(ワルサーPPK)は僅かにその半分だ。オレも予備はない。ソトゴト(外事警察)が突撃急襲なんて事は滅多にないからな。他に武器は?」

「小型のグレネードがあるけど、こんなものを使ったらポリスが来て大ゴトになるからね。それこそ基地の存在までバレてしまう・・ま、銃とナイフがあれば充分よ」

「宗少尉、この店の主人(あるじ)は無事でしょうか?」

「あの女(ひと)なら大丈夫よ。訓練を受けているし、こんなコトには慣れているから。
それに、今ごろはもう地下で次の手を打っているはずよ」

「それじゃ、行くか────────────」

 ジャキーン、とワルサーPPKのチェンバーに弾丸を送り出しながら、高山が言った。

 チェンバーとは銃の薬室(弾倉から銃身に銃弾が送り出される所)のことで、オートマチックの拳銃は、この操作をしないと初弾が撃てない。銃弾を撃つと次の弾丸がチェンバーに装填されるが、訓練などで途中で射撃を終了する場合には、事故防止のためにチェンバーの弾丸を抜いてから銃を収納する。

 弾丸の自動装填の仕組みは、事務用品のホチキスと同じ構造だと思えば分かりやすい。
 ご存知のように、ホチキスは針が幾つもまとまってカートリッジになっており、針を使うたびに、本体のバネによって次の針が定位置に送り出されるようになっている。
 オートマチック銃の弾丸装填も、基本はそれと同じ仕組みなのである。

 余談だが、そのホチキスが、まさに機関銃の弾丸の自動装填機構を元にして作られた事務用品であるという、もっともらしい説があるから面白い。

 ホチキス(Hotchkiss)とは、1900年代前半に兵器や自動車を製造したフランスのメーカーの名であり、創業者のベンジャミン・ホチキスはアメリカで生まれフランスに移住し、パリ近郊で軍需物質の工場を経営し、軽戦車から大砲まで様々な兵器を製造し、世界初の「ガス圧作動方式」による重機関銃を発明した人物として有名である。
 この機関銃は、旧日本軍が「保式機関砲」と呼んでライセンス生産し、実際に日露戦争でも使われ、その後日本製の全ての歩兵用重機関銃にホチキスの機構が受け継がれた。

 その機関銃の機構と、書類をまとめるホチキスの機構がよく似ているので、事務用品のホチキスもベンジャミン・ホチキスその人が発明し、ホチキス社は彼の弟が創ったという説が生まれたらしい。真偽のほどは定かではないが、そんな説が存在するほど、弾丸を自動的に銃身に送るシステムがユニークだったと言うことなのだろう。

 ホチキス(仏語読みでオチキス)のエンブレムは大砲の砲身が交差した堂々たるデザインで、オチキス製の自動車のフロントグリルには、そのエンブレムが輝いている。


「アイマスクを装着。HVを開始───────────────」

 宗少尉がイニシアティブを取って言う。
 秘密結社と公安外事警察という奇妙な取り合わせではあるが、全員がフーッ、フーッ、フーッと、速いテンポで深呼吸を始めた。

 これはHV(ハイパーベンチレーション=過呼吸)と呼ばれるテクニックで、深く速い呼吸を繰り返すと、血液中の二酸化炭素濃度が低下し、酸素濃度が上昇して息を長く止めていることができる。
 主にスキンダイビングの直前に行われるものだが、限度を超えるとBO(Blackout=意識消失や記憶喪失など)を引き起こす危険がある。
 火災で煙に巻かれたり、このように催涙ガスの中を息を止めて動かなくてはならない場合には大変有効な方法だが、目的が潜水であれ、このようなタクティクスであれ、過剰な用い方を避け、プロに就いて正しい訓練をしなければならないのは言うまでもない。

 
「行くわよ────────────!!」

 宗少尉が先頭をきってドアを開けた。

 室外(そと)は静まりかえっていて、敵からは何の反応もない。
 敵が誰であるのか、まだ確定はされていない。恐らく祥龍菜館を爆破した連中に違いないが、幸いドアを開けた途端にそこを目がけて銃を乱射してくるようなことは無いらしい。

 催涙ガスの煙は、なかなか引いてはいかない。
 敵の手によって、表通りの入口や裏口を閉められているのかも知れない。


 ひと口に催涙ガスと言っても、実際には用途に応じて多くの種類がある。いずれも非致死性とは言え、もし煙の中でゴーグル無しで目を開ければ、涙が止まらなくなって視界が全く失われ、息を吸い込んだら激しく咳き込み、嘔吐するのは避けられない。

 その催涙ガスの真っ只中に出てきた三人は、ピタリと、まるで蜘蛛のように床を這って、スルスルと11時の方向に進んで行く。軍隊で言う「匍匐(ほふく)前進」である。

 因みに、どのような煙でも、床スレスレまで這って来ることはあまり無い。気密性の高い部屋ならともかく、普通の建物なら空気の流れもあり、必ず何処かに煙の少ないスポットができるものだ。また、床と壁がつくるL字形のコーナーにも煙が満たされにくい。

 火災で煙に巻かれてしまう時は、焦って立ったまま右往左往した結果、燃焼に伴う酸素不足と高熱で思考力や判断力を奪われ、煙に含まれるガスを吸い込み、中毒や窒息によって死に至る。
 火災時の煙は熱せられて空気より軽くなる。上昇した煙は天井に届くと横に広がり、煙の量が増えると床の近くまで降りてくる。廊下などで水平に広がった煙は火元から遠ざかるほど冷却され、重くなって下降してくる。
 煙の速さは通常、水平方向へは秒速0.3〜0.8m(ほぼ人の歩く速さ)、垂直方向へは秒速3〜5m(低速〜中速のジョギング)程度になる。普通の人は火災などで煙が充満すると、たとえ住み慣れた自宅や職場でも視界や方向感覚が失われてしまい、何処へ逃げれば良いのかが判らなくなってしまう。

 軍隊では催涙弾を実際に体験させられるし、大概の特殊部隊ではアイマスクを装着したまま食事や細かい作業、格闘訓練などをやらされ、或いはまた、光の無い真暗闇の部屋で自分の置かれた状況を判断し、様々な情報を収集する訓練が行われる。
 いずれにしても、どのような場所、如何なる場合にも、自分がパニックに陥ること無く、冷静に行動ができるように訓練を重ねていくのである。

 催涙ガスは火災の煙とは異なり、爆発によりあっという間に付近に煙が満ちてしまうが、このように長く息を止め、眼に濡らしたハンカチを巻き付け、床を蜘蛛のように這って逃れれば、その危険な煙もあまり役には立たなくなる。

 だが、もしこれが閃光弾・スタングレネード(Stun-Grenade=気絶用の擲弾)であったならば、三人は直ちに捕らえられていたに違いない。単純な催涙ガスであったことが宏隆たちに幸いしたのである。


 三人は、わずか十数秒ほどで秘密の入り口に辿り着き、宗少尉が手探りで壁際の床の絨毯を外し、音を立てぬよう、ゆっくりと床の扉を開けた。
 扉は二重になっている。蓋のように開いた床の下には僅かな空間があって、さらにスライドして開く鉄の扉がある。宗少尉がそれをコン、ココン、コンと独特のリズムで叩くと、

「ニータ、そろそろ来ると思った。待っていたよ!」

 下から、女主人・林(リン)さんの声がして、扉が開いた。
 目隠しをしているから何も見えないし、息を止めているので喋れもしないが、リンさんの声が籠もっているので、ガスマスクを着けているのが分かる。

「さ、こっちへ─────────────」

 リンさんが宗少尉の手を引いて地下へ誘(いざな)おうとしたが、宗少尉はそれを手で制して、まず宏隆の手を引っ張って先に入るように合図した。
 一瞬、宏隆は戸惑ったが、一刻を争うのでそれに従うしかない。続いて高山警部補も同じように誘導されて、手探りでそこに入る。

 扉の下はかなり急な傾斜で、3メートルほどの軽いアルミの階段が取付けられている。
いざという時には女手でもすぐにこれを外し、外部からの敵を遮断できるようになっているのだと思える。


 階下にはもちろんガスの煙は無い。リンさんにもう安全だと告げられて、二人はようやくこらえていた息を吸い込み、濡らした目隠しを取った。

 だが、宗少尉が従いて来ていない。

「宗少尉は?───────なぜ降りてこない!?」

 階段を見上げたが、入口の扉が閉まっている。

「くっ、何かあったな!、もう息を止めていられる限界が来る──────────」

 普通の人間が息を止めていられる時間は、せいぜい1分ほどであろう。
 シンクロナイズド・スイミングの選手は3分間も息を止めていられるというが、米海軍のNAVY SEALS など特殊な訓練を積んだ者たちも、同様に3分間ほどは息を止めていられるという。
 宏隆はそんな訓練をしていないが、素潜りで2分ほどは潜っていられる。まして宗少尉なら、きっとそのような訓練を積んできているに違いない。しかしその時間も、そろそろリミットになる頃だった。

「林小姐(リンさん)、ガスマスクは?!」

「はい、三人分用意してあるネ!」

 階上(うえ)から、ドタバタと人が入り乱れる足音が聞こえてくる。

「高山さん、行くぞっ────────!!」

「おうっ・・・!」

 素早くマスクを装着すると右手に銃を持ち、腰に宗少尉のマスクを挟んで、急いで階段を駆け上がる。高山も銃を手に取った。

 その勢いならば、普通は頭上の出入り口を力一杯はね除(の)けて、一気にさっきの場所に飛び出すところなのだろうが、宏隆は敢えてそうはしない。わずかに2センチほど扉を持ち上げ、そっと外の様子を窺おうとしたが────────

「あっ・・!!」

 2人の男が宗少尉を囲み、襲いかかっている。

 敵はガスマスクを着けている。無論、宗少尉は息を止めたままのはずで、目隠しも付けたままである。しかしそんな不利な状況にも関わらず、背後から来た敵を掃腿で宙に舞わして転がし、もう一人の相手が殴りかかってきたのを何とか捌いて躱(かわ)している。

「バァーンッッ───────────!!」
 
 その光景を目にした瞬間、扉を吹っ飛ばすような勢いで、宏隆がヒラリと階上(うえ)に躍り出た。



                                (つづく)




  *次回、連載小説「龍の道」 第124回の掲載は、12月15日(日)の予定です

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2013年11月15日

連載小説「龍の道」 第122回




第122回  T E R R O R (3)


「外事の高山さんとやら・・ずいぶんと失礼な言い方をするじゃないの」

 ちょっと怒った顔をして宗少尉が言う。

「だってそうじゃねぇか。テメェたちの親分の安否を、日本の公安に確かめるような秘密結社が何処にあるもんかぃ。玄洋會も大したことねぇな、ははは・・・」

 東京の出身か、高山は ”べらんめえ調” で言いたいことを言った。

「ふん、その大したことのない結社の少年の罠に引っ掛かり、女の隊員に捕まった挙げ句、縛られたまま上司に連絡をしてもらって、ようやく解放されるようなドジな外事のデカに、そんな大口をたたかれる覚えはないよ!!」

 宗少尉も、口では負けてはいない。

「ほう、ウワサどおり威勢がいいな・・だが、オレが女子供に簡単に捕まえられてしまったと、本気でそう思ってるのかい?」

「何ですって────────?」

「公安をナメるなよ。さっきは仕方なく、わざと捕まってやったんだ」

「強がりを言うわね。それじゃ、何の為にわざわざ捕まったというの?」

「目的のひとつは、君らのオヤブンが無事だと告げてやること。それも雑踏の中じゃなく、こういう盗聴されない密室でね。これでも気を遣ってやってるんだぜ、ニータ・・・」

「くっ──────────!!」

 ニータと呼ばれて、宗少尉が高山を睨みつけた。

「ニータ?・・そう言えば、基地司令も宗少尉のことをニータと呼んだし、ここの女主人もそう呼んでいましたね。ニータって、少尉の暗号名ですか?」

 思わず宏隆が訊く。ここに来る前から宗少尉に訊ねたいと思っていたことなのである。

「ヒロタカ、何もこんな時に、そんな事を言わなくてもいいでしょ!」

「やれやれ、しょうがねぇなあ・・姉弟(きょうだい)みたいな関係にある結社の隊員同士が、お互いのコードネームも知らないのかい?」

 高山が、半ばあきれ顔で言う。 

「知りません・・・」

「それじゃオレが教えてやろう。ニータというのは三年前に付けられた宗麗華の暗号名で、その名は台湾の最高峰、”玉山(ぎょくざん)” に因んでいるんだ──────────」

「玉山?・・でも、それならユイシャンと読むのでは?」

「やれやれ、日本人のクセに、テメェの祖国のことをなんにも知らねぇんだな。
 かつて日本が台湾を統治していた時代に、富士山よりも高い ”新しい日本の最高峰” として明治天皇が ”新高山(ニイタカヤマ)” と名付けたんだ。当時は学校でも日本一の山として教えられていたし、国立公園のひとつにも指定されていたんだよ」

「あ、もしかして・・・日米開戦の日時を告げた暗号電文の、 ”ニイタカヤマノボレ” の、あのニイタカヤマのことですか?」

「そうだよ。他にそんな名前の山なんか日本にねェだろう?」

「ああ!、あれって台湾の山の名前だったんだ!!」

「ふぅ、ため息が出るぜ。もうダメかもな、日本人は・・・」

「でも、ニイタカヤマノボレはあまりにも有名で、日本人なら誰でも知っているでしょうけれど、それが日本統治時代の台湾の最高峰の名前だと知っている若者は、あまり居ないんじゃないかと思います」

「うーん・・まさにコレが、悪名高い ”日教組” の偏向教育の成果ってモンだな。
 日本がアジア諸国をムリヤリ侵略したとか何とか、根も葉もない事をさんざん子供たちに吹き込んでやがるんだから、とんでもねぇよ。日本を内側から反日にしようってのさ。
 実際に日本を侵略者だと思っているのは、アジア広しと言えども中国と南北朝鮮だけだ。それを反日トライアングルという。中華思想の全体主義中国と、小中華思想の韓国、ゲリラ国家の北朝鮮。その三つの国だけが反日ナショナリズムに固執しているんだよ。
台湾の人間は日本に侵略されたなんて全く思ってないし・・そうだろ、ニータ?」

「そのとおりよ、あなたにコードネームで呼ばれる覚えはないけどね!」

「それじゃ、その ”ニイタカヤマ” から取って、宗少尉のコードネームを ”ニータ” と?」

「そういうことよ、ヒロタカ」

「いいコードネームだなぁ。ボクはてっきり英語かイタリア語かと思いましたよ。張大人がどれほど日本に敬意を持たれているかが、よく分かりますよね」

「こんな所で、そんなコトを感心しなくてもいいのっ!!」

「だって、素晴らしいじゃないですか」

「高山警部補、まだ話は終わっていないわ。ワザと捕まった理由のひとつは、私たちに張大人や王老師の無事を知らせることだと言ったけど、それ以外の目的は?」

「すぐに分かるよ・・・」

「わかるって?」

「もういいぞ、連れてこい──────────────」

 高山が、上着の左の襟に向かって、そう呟(つぶや)いた。
 襟の裏にはマイクが仕込まれていて、外で待機している外事警察の部下たちと無線連絡をしたのである。耳には肌色の小型のイヤホンが付けられているが、宗少尉が付けているものよりも、さらに小型で目立たない。

「外の部下に、何をやれと指示をしたの?」

 高山の行動を怪しむように、宗少尉が少し身構えて言った。

「外にも、部下が──────────?」

「当たり前でしょ、ヒロタカ。気が付かなかったの?」

 もちろん、彼らが単独で行動することは滅多にない。高山ひとりが宗少尉と宏隆を尾行するように見えても、実際には五人の外事警察が共に動いていたのだ。
 高山が宗少尉に捕らえられた時にも、敢えて部下たちは助けようとしなかったが、それは作戦であり、予めそれを予想した高山の命令だったのである。

「聞こえるだろ?、ほら・・・」

 高山が指差した壁の向こうには、さっきの裏路地がある。
 この部屋は壁が厚く、ほとんど防音に近いような造りだが、よく耳を澄ませば、誰かがドタバタと争っているような音が、かすかに聞こえてくるような気もする。

「ふん、なるほどね──────────────」

「宗少尉、外にいる部下って、どういう意味ですか?」

 宗少尉には物事がどのように運んでいるのか、手に取るように理解できていたが、経験の少ない宏隆には、まだそれがどういう事なのか、ちょっと掴みきれない。

「私たちを尾けていたのは、外事のデカだけじゃなかったってコトよ」

「外事だけじゃないって、ほかに誰が?・・・ああっ!!」

「鈍いわよ、ヒロタカ・・」

「ははは、加藤君は未だまだ訓練が足りんようだね。ECS(East China Sea=東シナ海)の船上で銃撃戦を体験したり、北朝鮮の連中にホテルから拉致されたくらいじゃ、ケンカの若大将もその気になれねぇかな?」

「ど、どうしてそれを──────────────?!」

「それが外事警察だよ。かつては玄洋會もマークの対象だった。いや、ある意味じゃ今でもそうかな。その玄洋會に日本人の若者が関係し始めた。それも日本でトップレベルの実業家の息子がね・・おっと、そもそも君の父親も、ずっと以前から結社の関係者だったっけな。それらを把握しておくことは、我々のごく日常の仕事なんだよ」

「うぅむ・・・・」

 自分や、自分の関わっていること、さらには関わっている人たちのことを、この男はほとんど何でも知っているのだ。そう思うと、何やら薄気味が悪く、また腹立たしくもある。
 だが、彼らの存在は日本の国家として絶対に必要であり、現に「祥龍菜館」の爆破事件を事前に把握し、現場にやって来た自分たちをさっそく尾行し、接触してきて、しかもわざと捕まったのだと言う。だが、その真意は─────────────────

「ニータ・・・!!」

 この店の女主人が、血相を変えてドアをノックした。

 宗少尉と宏隆を尾行した高山警部補の後ろから、さらに尾けて来ていたその男を、部下が捕らえて、ここに連れてきたのだ。高山とその部下たちは勿論それに気付いていて、男を捕らえるための周到な準備をしていたに違いなかった。

「林小姐(リンさん)、大丈夫よ、その人たちを中に入れてちょうだい」

 宗少尉は、まったく動じていない。

「ほら、中に入るんだ──────────モタモタするな!!」

 二人の男に後ろから突き飛ばされ、小柄な中国人が転がるように部屋に入ってきた。

「下跪!、雙手背後頭!!(ひざまずけ、手を頭の後ろに組め)」

 その男はおどおどしているが、特に抵抗する気配はない。
 二人の外事警察官が、後ろから膝の裏を蹴って跪かせ、手を後頭部に組ませた。
 年中こういう状況をこなしているのだろう。いかにもよく手慣れている。

 ちょっと見たところ神戸でよく見る中国人、日本に暮らして長いと思われる、三十代前半の男である。だが後を尾けてきた割には、特に訓練を積んできた特殊な要員には見えない。
 むしろ使いっ走りのような軽薄さが感じられ、実際、ここに連れて来られたことに相当おびえているようにも見える。

 男を連行してきた後ろの二人は、簡素なシャツにズボン姿で、眼鏡をかけ、髪型も至ってありふれている。その外見を一瞥しただけでは、とても外事警察という秘密の職務に就く者とは到底思えない。ごく普通の、どこにでも居そうな一般人と変わらないのだ。

「你是誰?・・請不要殺我!、請您原諒!!・・你想要什麼?!」

 跪(ひざまず)いて、手を頭の後ろに組んだまま、不安げに辺りをキョロキョロ見回しながら必死に喋っている。まだ中国語に馴染みの浅い宏隆にも、およその内容は理解できる。

「あなたは誰だ?、殺さないで!、許してください!、私に何の用ですか?!」

 そう言って、必死に訴えかけているのである。
 
「まあ、静かにしろ。聞きたいことがあるだけだ。正直に話せば返してやる」

 高山警部補が、日本語で静かにそう告げた。

「听不懂!・・・听不懂!!・・・」

 男は、なおも中国語で「言っていることが解らない」と盛んに声を上げる。

「とぼけるなよ、譚文遠(たん・ぶんえん)。組織での呼び名はジミー・タン、だったな。
 我々はお前がいつ日本に来て、いつ組織に入ったたか、日本語を話せるかどうかも知っている。今さら日本に来て間もない中国人を装っても通用しない。わかったか・・?」

 さらにそう言って諭す。高山の口調はあくまでも静かだが、このような非日常的な場数を踏んできた者だけが持つ、独特の迫力があった。

「わかりました────────────」

 高山の言葉に、男は俄(にわか)に静かになって、日本語でそう答えた。

 やはり、そうか・・・と宏隆は思った。
 この男は以前から公安に目を付けられていたようだが、着ているものや表情、態度などから、その土地に長く暮らしているかどうかは判ってしまうものだ。
 観光客には観光客の服装や態度があるように、その土地に慣れている者は、どう誤魔化そうとしても、それが滲み出てしまう。日本に来たばかりの中国人なら、こんな顔つきにはならないことを、宏隆は知っている。

「よし、その椅子に座れ。そうだ。もう頭から手を放してもいいぞ。これから俺の質問に答えるんだ。この人たちと、オレたちの後を尾けて、どうするつもりだった?」

「・・そ、それ言うと、わたし、殺されるヨ!」

 高山は、コックリと頷(うなず)いて、内ポケットから財布を出し、そこから壱万円札を2枚抜き取って、タンという男の目の前に差し出した。

「情報料だ。ここで痛い目に遭うよりも、このカネを貰って何でも喋った方が楽だぞ。
お前が話したことは組織には内密にしてやる。安心して話したらいい・・・」

 淡々と、ごく普通の会話のように、高山が話す。
 大卒の初任給が6万円、ビール1本が150円ほどのこの時代に、2万円という額は、在日中国人でなくとも魅力的なものに違いない。

 案の定、タンはしゃべりはじめた───────────

「祥龍菜館、爆発しても、肝心のボス居なかったね。けど、現場を見に来るヤツいるから、その人たち尾けて、まだ生きてるボスの居るところ探してこい。そう言われたよ」

「やっぱり、お前らがやったんだな、あの爆発は・・・」

「そうと思う。でも、わたし何も聞かされてない。爆発あってから命令されたよ」

「そうか。・・で、お前らのボスは何処に居る?、襲撃の計画をしたヤツは誰だ?」

「知らないよ。わたし、ホンの下っ端ね。何かあった時に報告するだけ。ホントよ」

「上からの連絡は、いつもどこで受ける?」

「毎週、水曜と土曜、午後11時、生田神社の裏の森に、連絡係の男、来るね」

「そいつの恰好と名前は?」

「痩せて目つきの鋭い、白髪頭で角刈りの男。名前は李(リー)」

「いつも、そいつ一人だけか?」

「そうと思うヨ・・・」

「帰ったら、ターゲットはそこの路地の裏手で、中華飯店に入ってそのまま消えてしまったと報告するんだ。表で待っていたら裏口から逃げられたとか何とか、言えばいい。
 この場所で我々と会ったことが知れたら、お前は消されるぞ、いいな──────────?」

 高山の話に、宗少尉が宏隆の顔を見てちょっと微笑んだが、タンは青ざめた顔をして盛んに頷いている。

「よし、わかったら行け。そのカネは、くずしてから少しずつ使え。カネを持っている事が知られたら、組織を売ったことがバレて、拷問されて、紀伊水道に沈められるぞ。
良い情報を持ってきたら、またカネをやる。わかったか──────────」

「・・は、はい、わかりました。李のヤツは凶器持ってるネ、気をつけるコトよ」

「そうか、ありがとよ──────────」

 高山がそう言って微笑み、タンも嬉しそうに貰ったカネをズボンのポケットにねじ込み、ペコペコと頭を下げながら出て行こうとした。

 が、その時────────────────────────

「バンッ、バンッッ──────────!!」

 いきなり、裏の路地から数発、銃声が轟き、誰もが一斉に身構えた。

「何ごとだっ?、報告しろっ!!」

 耳のイヤホンを押さえて、外の部下に命じたが、

「外の二人の応答がない・・三浦、吉田、すぐに行って確認しろ!!」

 素早く、二人の部下が銃を手にして飛び出していく。

「タン、お前は表から出て走れ。銃声のお陰で逃げて来れたと言えばいい。行けっ!」

「謝謝──────────────」

 そのタンが表の通りに走って出たのを見届けた途端・・・

「カラン、カラン─────────────────!!」

 薄暗い足許に、缶が転がってくるような音が響いた。

「催涙ガスだ!、部屋に戻れっ!!」

 宗少尉が叫ぶ。

「ボンッ・・・・!!」

 間一髪────────────宗少尉が高山を引きずり込むように部屋に入れ、宏隆が素早くドアを閉めた。狭い倉庫のような室外は、瞬く間に催涙ガスの煙で充満した。

「ふう、危なかった。思わぬ展開になったな・・・」

 高山が落ち着いた声で言う。

「ほら、返しとくよ───────────────」

 宗少尉が、高山のワルサー(拳銃)をポイと投げて渡す。

「時間が無い。すぐに奴らが襲ってくるぞ」

 言いながら、マガジン(弾倉)をチェックし、音を立てて収納する。

「そっちの部下は上手く巻かれたようだね。この中を手薄にするための作戦・・」

「そうらしいな。だがオレの部下も馬鹿じゃない、すぐに引き返してくるさ」

「それまでに、奴らが決着を付けに来るよ」

「ああ。何か良いアイディアはあるか?」



                            (つづく)




  *次回、連載小説「龍の道」 第123回の掲載は、12月1日(日)の予定です

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2013年11月01日

連載小説「龍の道」 第121回




第121回  T E R R O R (2)



 「さて、と─────────────────」

 尾(つ)けてきた男に気取られないよう、努めて普通に会話をしている様に装いながら、宗少尉が言った。

「どうしますか?」

「そうね・・このまま路地を歩いて行って、私は次の角を右へ、ヒロタカは左へ、分かれて様子を見るの。シャドウは単独のようだから、尾けられなかった方が、反対に後ろから尾けるのよ」

「シャドウ?」

「尾行者のことよ、隠語でそう言うの。どう、そんな案で?」

「なるほど・・ま、単純だけど、名案かも」

「”単純” は余計でしょ、単純は!」

「ははは、それじゃ─────────」

「ヒロタカは左へ、私は右へ、I was wrong, and She was right, all along ♪・・」

「スペルは一緒だけど、意味が違うでしょ、何でも自分の方が正しいと言いたいんだから、もう・・」

「ヒロタカも余裕ね、不審者に尾けられているというのに」

「宗少尉こそ、鼻歌なんか唄っちゃって・・」

「はは、じゃ、気をつけて────────」

「イェッサ、──────────」

 わずかに足を速めながら、始めは二人で並んで歩いて行き、やがて打ち合わせどおり、宗少尉は右へ、宏隆は左へと、路地の角で自然に分かれていった。

「あ・・・・!」

 尾けて来た男は、左右に分かれてしまった二人を目で追いながら、少しあたふたとしていたが、すぐに宏隆の後を追うことに決め、左へと歩き始めた。
 
「ははぁ、ボクを尾行することにしたか────────」

 それとなく周りを見回しながら、男は一定の距離を取りつつ追ってくる。
 宏隆は、襲われた場合に備えて、しゃがんで靴紐を結び直す振りをしながら、そっと相手を観察した。

 薄茶色のジャケットに、ブルーの開襟シャツ、淡いベージュのズボンで、頭にはベレー帽を被り、靴はちょっと底の分厚い、黒くごつい革靴を履いている。身長は170センチ位で、体重は80キロ以上、髪は黒。おそらく日本人に違いない。

「さて、どうしてやるか・・」

 男は一見優しそうな顔をしているが、目つきは鋭く、身体もガッチリしているので、それなりに武術の訓練を積んでいるはずだ。それに、上着の左脇の膨らみは拳銃を吊り下げている可能性もある。もちろんそんな事くらいは宗少尉も疾(と)っくに見抜いていただろうと宏隆は思った。

「お、そうだ───────────」

 立ち上がってまた歩きながら、何を思い立ったのか、悪戯っぽく微笑むと、宏隆は突然、二軒ほど先にあった小さな中華飯店の紅い扉を開けて、スッと中に入って行った。
 
 間もなく、その男も店の前までやって来て、窓からそっと中を覗いていたが、ちょっと席を見渡しても宏隆の姿が見当たらず、急いで中に入ってきた。

「いらシャイませー、こちらお席へどぞ・・!!」

 二十人も入れば一杯になるような小さな店で、お客は年配客ばかり三組ほど入っている。中国人の店員に案内されて男は席に着き、しぶしぶメニューを手に取ったが、目は宏隆を探して辺りをキョロキョロと見回し、何とも落ち着かない。

「はい、オシボリどぞ。ごちゅもん、何かしますか?」 

 なかなかメニューに気が行かないのを察してか、店員が急(せ)かすように言う。

「ああ・・それじゃ餃子定食でも貰おうか」

「はい、餃子定食ね、餃子は大きめけど、幾つにするか?」

「ん?・・あ、八個だ。いや、十個にしてくれ」

 中華料理店に入ってきた以上、食事を頼まないわけにはいかない。
 適当にそう注文してから、さりげなく、

「ところで、ついさっき店に入ってきた少年はどこへ行った?・・手洗いかな?」

 テーブルの前で伝票を書いている店員に訊ねたが、

「ショーネン?・・ああ、男孩(nanhai=Boy)のお客さんね。サイフ忘れ物して、ウラから出ていたよ」

「う、ウラから?・・どうして表から出て行かないんだ?!」

「ウラからが、自分の家、近い言うたネ。ソレ、とても合理的ヨ」

「な、何だと────────その裏口はどこだ!!」

「ウラはふつう、厨房の後ろの方アルね・・お客さん、ギョーザ定食、みなビール飲むよ。パンダのドライと、キリンのラガー、どっちするアルか?」

「・・・パ、パンダのビール?」

「ハハハ、冗談よ。ビールはキリンとサポロ、ウーロン茶はサントリーのコトね」

「い、いらんっ!・・オレも財布を忘れた、ウラから出るぞっ!!」

「哎呀(アイヤー)、今日のお客さん、みな忘れぽいアルな・・・」

 しまった、為(し)て遣られた、この店もグルなのかもしれない。ここだけで、どれほどの時間をロスしてしまったことか────────ええい、どこへ消えた?!

 男はそう歯噛みをしながら、大慌てで中華飯店の裏口から飛び出してきたが、

「あっ・・・!!」

 意外や────────────路地を挟んだ向こう側の電柱に寄り掛かってポツンと立っている宏隆の姿を目にして、思わず呆然と立ち止まった。

(な、何をしているんだ・・・?)

 だが、そう思ったとたん、

「動くな──────────!」

 逃げられてしまったと思えた相手が、意外にも未だそこに居ることに気を取られた、その一瞬を待っていたように、宗少尉が銃口を男の背中にピタリと突きつけ、素早く脇の下の銃を抜き取って、宏隆に投げる。
 OO7の愛用銃として世界中に知られた、わずか635グラムしかないドイツ製の小型拳銃、ワルサーPPKである。

「く、しまった──────────────」

「さ、歩くのよ、こっちへ・・・・」

 後を尾けてきた男を捕らえるために、宏隆はまず、組織と関わりのある馴染みの中華飯店に飛び込み、簡単に事情を話して、すぐに裏口から出た。
 宗少尉は男の後を尾けてきたが、宏隆がその店に入ったのを見て、何をするのかを察し、すぐに裏路地に回った。そして男が店員とやりとりをしている間に宗少尉と手はずを整え、慌てて出てきたところを捕らえたのである。

 宗少尉は、目立たないように自分の銃にスカーフを掛けて隠している。その銃口で背中をつっ突くように男を促して、路地の向い側にあった扉を開け、建物の中に入った。
 
 薄暗い室内にはダンボールが山積みになっていて、そこら中に色とりどりのサテンで作られた安物のチャイナ服が吊してある。
 ここは、ひとつ向こう側の通りにある土産物屋の裏口に当たり、宏隆が出てきた中華飯店の裏口は、普段は観光客の通らない、ズラリと店舗の通用口が並ぶ狭い路地であった。

 扉が開いた音を聞きつけて、表から店の者がやってくる。
 年齢と姿恰好で、すぐにこの土産物屋の女店主だということが分かる。

「ニータ────────部屋使うか?」

 一瞥しただけで、すぐに状況を察したように、その女店主が言った。

「悪いわね、ちょっと借りるよ・・」

 この店が玄洋會の組織と繋がりがあることは、宏隆も知っていた。
 ここは緊急時の避難所であり、事情で祥龍菜館に出入りができない場合の、地下基地へ行く別の入口のひとつだと教わっていたのである。

 山積みのダンボールの奧にある、何十着もハンガーを吊した竹製の洋服掛けを横にずらして壁際の床のマットをまくれば、そこには地下基地へと続く入口が現れるはずであった。

 その秘密の入口の、すぐ横にある休憩室のような小部屋へ、宗少尉が男の背中を押すようにして素早く入って行く。

「こんな時にどうするかは、そっちも知っているわね。そう、跪(ひざまず)いて、手を頭の上に組むのよ」

 宏隆は男に逃げられないよう、ひとつしかない出口を固めて、仁王立ちに立っている。
 
「さて、と・・・」

 少し離れて、ピタリと男に銃口を向けた。

「・・待て、私は怪しい者ではない。まずその銃を下げてくれ」

「脇の下に拳銃をぶら下げて、人を尾行しておいて、よくそんな事が言えるわね」

「もっともだが、それには理由がある」

「あなたは誰?、何処に属して、誰に頼まれて、何のために私たちを尾けたの?、返答次第では、辛い目に遭ってもらう事になるかも知れないわよ」

「まあ、そんなに尖らなくても良いよ。台湾海軍の宗麗華少尉と、加藤宏隆くん」

「ほう、私たちをすでにご存知とは・・・あなたは一体、どこの誰?!」

「私は、ハムの人間だよ」

「ハム・・?!」

 思わず、宏隆がそう呟(つぶや)きながら宗少尉の方を見た。

「じゃ、FADの人間ってこと?」

 宗少尉が男に訊ねる。

「そうだ・・・」

「IDを見せなさい──────────」

「おいおい、FBIじゃあるまいし、ハムがIDなんぞ持ち歩くもんか。そっちとはコネがあるんだから、上に問い合わせてみろ、すぐに判るさ」

「あの・・ハムとかFADとかって、何のことですか?」

 聞き慣れない言葉に、宏隆が小声で宗少尉に訊ねる。

「ハムは、公安警察を意味する内部隠語よ。公安の ”公” という字から取ったのよ」

「へえ、それじゃFADは?」

「Foreign Affairs Division────────警視庁公安部・外事課のことだよ。私は外事第二課のアジア第三部・第6係に所属している、主任の高山という者だ」

 宗少尉に代わって、本人が宏隆に向かって答えた。

「ふうん・・林小姐、你聴到了嗎?(リンさん、聞こえた?)」

「是、少尉!(はい、少尉)」

 部屋の外で、さっきの女店主が命令を待って居たのだろう。男の言葉のウラを取るために駆けて行く音がする。

「やれやれ、疑い深いなぁ、中国人は・・まあ、5分もあれば判かることさ」

「私は中華人民共和国の中国人じゃないわ、民国台湾の人間よ」

「これは失礼、そうだったね──────────」

「ソトゴトが、いったいウチに何の用?、用事があるのならコソコソと尾け回さず、直接コンタクトしてくれば良いことでしょう?」

「ソトゴト?」

 宏隆が、またしても首をかしげる。

「はは、若い加藤くんは、まだこの世界を何も知らないようだ。宗少尉、先輩としてきちんと教育してあげないといけないな。貴重な日本人要員なんだから」

 宏隆の素人っぽさを笑いながら、男が言った。

「ふん・・公安の外事課のことよ。ソトゴトってのは外事警察が自らを指す隠語」

「外事課というのは、つまり、外国人を対象とする課のこと?」

「そのとおり。公安にはたくさんの課があって、庶務課は反戦デモや左翼政治団体に対応する係。第一課は日本赤軍など、極左過激派暴力集団の監視や捜査。
 第二課は労働組合や革マル派に対する係。第三課は右翼団体、第四課は地方警察と連携して警備やテロ拠点の捜索をする係。
 外事課は第一課から第三課まであって、この男が所属していると言う第二課は、パキスタンから東側のアジア地域、主に中華人民共和国と北朝鮮のスパイや、その地域への戦略物質の不正輸出を捜査対象とする課よ」

「ははあ、そういうことか・・・・」

「宗少尉、さすがに詳しいな。台湾は共産圏ではないから、一応君たちは我々の捜査対象には入っていない。だから徒党を組んで拳銃を所持していても見逃してやっているんだ」

「当たり前でしょ。こっちも奴らを捜査して、スパイを排除したりしてるんだから。もしあなたがソトゴトなら、私たちと同じ側の立場でしょ」

「ニータ・・・・」

 女主人が静かにドアをノックした。

「確認が取れた。この男は警視庁公安二課の高山暁典(タカヤマ・アキノリ)警部補に間違いないわ。失礼があればお詫びすると、二課の課長、藤岡警視正が言っているそうよ」

「ありがとう、ご苦労さま」

「疑いは晴れたようだな。もうこの手を下ろしても良いかな?」

「どうやら本当のようね。けれど此処を出るまでコイツ(銃)は預かるわ。なるほど、外事のデカだからワルサーPPKをぶら下げていたってワケね」

「ふう、やれやれ──────────────」

 男は立ち上がり、膝をはたいて背伸びをした。

「公安警察は、みんなこの銃を持つんですか?」

 宏隆が宗少尉に訊ねる。

「皆がそうじゃないだろうね。ワルサーPPKは、その名も Polizei Pistole Kriminal、つまり警察・拳銃・刑事用の頭文字で、日本のSPや皇宮警察も使っている。騙したり脅したりばかりの外事の仕事には向いているかもね」

「ははは、手厳しいな。まあ、君たちみたいな派手な銃を持つと目立つからね」

「だけど、神戸は警視庁の管轄じゃないでしょ。兵庫県警の外事部ならともかく、どうしてわざわざ東京から来て、私たちを監視するの?」

「祥龍菜館が爆破されると、昨日、ウチに情報が入ってきたんだ」

「えっ────────」

「知らなかったのか?、意外と玄洋會もノンビリしているんだな・・・」

「どういう事か、説明しなさい!!」

「説明して下さい、だろ?・・・まあいい、分かってないなら説明してやろう」


 その男、外事警察の高山警部補が言うには───────────

 田中内閣が発足して一年。しかし、この四月には内閣の支持率が27%まで落ち込み、その中国共産党寄りの金権政治の体質が自民党内のタカ派にも取り沙汰されるようになり、自由社会と政治の危機を訴えて31人もの派閥を超えた若手議員が集まり、七月に「青嵐会」という政策集団を結成した。
 「日本列島改造論」が事実上の政権公約として掲げられ、総選挙で大勝して70%の支持率を集めたが、列島改造ブームはかえって地価の急騰を招き、半年もしないうちに物価が上昇してインフレーションを発生させ、公定歩合を四度にわたって引き上げたりしたが効果はなかった。

 「青嵐会」が結成された最大の動機は、田中角栄の「日中国交正常化」にあった。
 太平洋戦争終了後、中国は「国共内戦」を経て、毛沢東の中華人民共和国と蒋介石の中華民国(台湾)に分かれた。そして戦後の日本は、中華民国のみを正統な中国政府として認めていた。しかし日中国交正常化によって日本政府は中華人民共和国と国交を回復し、同時に中華民国には国交を断絶することを通告。これに対して怒りを覚え、自由社会の危機を感じた若手自民党議員たちによって、青嵐会は血判状を以て結成された。

 これは何か起こるかもしれないと、公安では注意深く中国の動向を見守っていたが、やはり中国でトップクラスと言われる大物の秘密工作員が動き出し、密かに日本にやってきた。さらに、その配下の工作員たちまで続々と東京に集結をし始めて、東京はさながらスパイの見本市のような状態となっている。

 また先月の中旬ごろから、中国の国家主席の側近と称する、公安にもデータの無い、得体の知れない中国人集団が東京に現れてきている。彼らは政治家や官僚、財界人と次々に接触を図り、その動きを監視するのに公安当局の手が足りなくなるほどだった。

 それら工作員たちは、与党の若手議員をターゲットに大金をばらまき、銀座や赤坂で美味いものを喰わせ、美女を与えて楽しませながら、有ること無いこと、青嵐会を中心とする自民党タカ派議員の悪口を吹き込み、親中派に寝返らせようとしていた。
 つまり、保守の新勢力をイメージダウンさせ、日本に根強い保守を排除し、政財界に確固とした親中派の同士網を作ろうとしているのだという。
 
 青嵐会は国民の支持も得て、結成当初の集会では日本武道館を満員にするほどの人気を集めていたが、かつて田中角栄が郵政大臣の頃、新聞社、キー局、ネット局体制の原型を完成させ、その過程でマスコミを掌握し、テレビ局の放送免許を影響下に置いたこともあって、中国共産党の息の掛かったマスコミからは、自民党の右翼集団、極右タカ派集団、などと痛烈に批判されることになり、企業や財界からの風当たりも強くなっている。


「・・・ふん、金権政治の、いつもの変わらぬやり方じゃないの。それが今回の祥龍菜館の爆破事件と何の関係があるというの?」

「丁度それを捜査していた時に、中共の工作員の一人から、台湾の玄洋會の名前が出てきたんだよ」

「どういうこと────────?」

「神戸にある、目の上のタンコブを潰してやる、という話だった」

「それで・・?」

「玄洋會のボスが、久々に台湾から神戸にやって来て会食をするらしい。そこは日本の拠点でもあるから、店ごと爆破してしまえ、ということになっている・・・と」

「何ですって!、それを知りながら、どうしてこっちに知らせないのよ!!」

「ちゃんと伝えたさ。だから張大人と王永斌(おう・えいひん)は、爆発の被害に遭わずに済んだだろう?」

「・・そ、それじゃ、お二人は無事だってことなのね?!」

「おやおや、オヤブンの無事を、日本の公安に確かめるのかい?、あははは!!」



                                (つづく)




  *次回、連載小説「龍の道」 第122回の掲載は、11月15日(金)の予定です

taka_kasuga at 20:29コメント(13) この記事をクリップ!
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