*第121回 〜 第130回

2014年04月01日

連載小説「龍の道」 第130回




 第130回 春  陽 (はるひ)(3)



「でも、宏隆がアメリカに行くことは、笑っていられないわね・・・・」

 たった今、冗談を言って笑ったばかりなのに、宏隆がアメリカへ行くことを思いだして、珠乃は急に寂しそうな顔になった。

「どうして・・?」

「どうしてって・・・男の子って、なぜそんなに鈍いのかしら。女心をまるでわかっていないというか、鈍感って言うよりも、無神経というレベルね!!」

「おいおい、ずいぶんな言い方をするなぁ・・・」

「だって、アメリカに留学なんかしたら────────」

「留学したら?」

「・・に、日本には居なくなる、ってコトでしょう・・・?」

「そりゃあ、そうだけど──────────」

「そうだけど、って・・・宏隆は・・宏隆は、何年も日本を離れても平気なの?!」

 私と会えなくなっても平気なのか────────────
 その言葉が、すぐそこまで出てきていたが、ぐっと飲み込んで、そう言った。

「ぼくはもともとルンペン・プロレタリアートのようなところがあるからね。どこで寝ても平気だし、どこで暮らしても、あまり気にならないタイプなのかもしれない、あはは・・」


【編集部註:ルンペンプロレタリアート=Lumpenproletariat (独)は、資本主義社会の最底辺に位置する浮浪的貧民層を指す。略してルンペン。マルクスは共産党宣言において、革命意欲を失った極貧層をルンペンと定義した。ルンペンは本来 ”ぼろ切れ” の意味】


「そ、そうじゃなくって────────!」

「珠乃・・何をそんなにプンプンしてるんだよ?」

「もういいわよ。勝手にアメリカでもアラスカでも、好きなところへ行って、好きなことをしてらっしゃい!!」

「へぇ、よく分かったね・・・」

「え・・な、なにが?」

「いま、アラスカって、勝手にアラスカにでも行けって言ったよね。そのとおりだよ、ぼくはアラスカの大学に行くんだ」

「ア、アラスカですって!?」

「そう────────」

「アラスカって・・・あの、北極の近くのアラスカのこと?」

「そう、アメリカでいちばん北にあるアラスカ州。北極圏まであとわずかのところ」

「・・そ、そんな、シロクマの出るような所で、いったい何をするの?」

「何するって、大学へ行くのに決まってるじゃないか」

「そんな寒いところに、大学なんか無いでしょう?」

「いや、ところが有るんだよな、それが・・・University of Alaska Fairbanks、つまり、アラスカ大学・フェアバンクス校、ってやつ────────」

「アラスカ大学?、そんな所に本当に学校があるの?、アラスカって言ったら、北緯50度くらいはあるんじゃない?、北海道の宗谷岬なんかよりもずっと北の方の、チェコのプラハや樺太(からふと)と同じくらいの緯度の、とんでもない地の果てでしょう?」

「フェアバンクス市は北緯64度50分、樺太よりももっと北だね。北極圏までわずか160kmぐらいに位置していて、アンカレッジに次ぐアラスカ州第二の都市とは言っても人口はわずか3万人。もっとも、アラスカ州自体が、アメリカで最も人口密度の低い州で、10平方kmあたりたったの4人しか住んでいない。これは世界でも最も少ない部類だね。州人口も少なくて全米50州のうち48位、わずか70万人というから、日本のちょっと少なめの地方都市くらいかな・・・」

「そんなこと、自慢にはならないでしょ。アラスカって言ったら、北緯60度といったら、すっごく寒いに決まってるのよ?、神戸の六甲颪(ろっこうおろし)でさえ寒がるクセに、そんなエスキモーが暮らすような辺境の地で生活できると思ってるの?」

「一応調べてみたんだけどね、冬は大体マイナス30〜40度、マイナス50度を超えることもあるって。でも、夏の真昼には、気温が25度になって汗ばむほどだって」

「マ、マイナス50度ですって!!・・・そこで自分が暮らせると思ってるの?、気候の快適な神戸の山の手で育った宏隆が、そんなマグロの冷凍庫のようなところで生息できるはずがないでしょう?、凍(しば)れる冬の札幌だって、せいぜいマイナス十数度なのよ!」

「生息って、動物みたいに言うなよ・・まあ、確かに冷凍庫並みだけど、大丈夫だろうな。インドやタヒチからも留学生が来るっていうしね、あはは・・」

「宏隆・・・あなた、いったい何を考えてそんな地球の果てのような所に行くの?、そんな所まで行かないと大学が無いの?、アメリカの他の州にだって・・いえ、この日本にだって大学はそこら中にあるでしょ?、どうしてわざわざ、そんな所まで行く必要があるのよ?
 だいたい太極拳はどうするつもり?、北緯60度、マイナス50度の氷の上でシロクマ相手に練習をするの?、それともアイスホッケーの選手にでもなるつもり?」

「ううむ・・・・・」

「ん?────────宏隆、私に何か隠してるわね?」

「う・・・い、いや・・・・」

「ほーら、やっぱり、何か私に隠してるっ!!」

「えーっと・・・・・」

「えーっと、じゃないわよ、正直に白状しなさい!」

「まいったなぁ」

「・・ちゃ・・ちゃんと言ってくれないと・・・・」

「なな、なんだよ・・・まるで安達ヶ原の鬼婆ような形相をして?」

「ちゃんと説明しないと・・・ここで大声で泣いてしまうから!!」

「うわわ・・や、やめろ・・わかった、わかったよ、わかったから・・・・」

「じゃぁ、言いなさい。わざわざアラスカくんだりまで行って何をするつもりなの?」

「実は・・・ぼくは、ROTCを受けるつもりなんだ──────────────」

「アール、オー、ティー・・・何なの、それ?」

「リザーヴオフィサーズ・トレーニングコーァ(Reserve Officers' Training Corps)の頭文字でROTC。つまり ”予備役将校訓練課程” っていうような意味────────」

「予備役?・・将校?・・あなた、ま、まさか、アメリカの軍隊に入るつもり?!」

「そうじゃないよ、アメリカ軍の訓練を受けるんだ。ROTCは、アメリカの陸海空軍や海兵隊の将校を育成するための訓練養成課程で、指定された大学で一般学生として授業を受けながら、同時に軍事訓練や軍事教育を受けるシステムなんだよ」

「・・それって、卒業したら軍の将校として任官することになるんじゃないの?」

「もしアメリカ市民ならね。だけどボクは外国人留学生だから条件付きで参加するんだよ。だから、たぶん将校への任官はないと思う」

「・・たぶん?」

「たぶん、きっと、perhaps、maybe・・・そんなコト無いんじゃないかな?」



 ROTC(予備役仕官訓練課程)というのは、アメリカの軍における将校を育成する為に、特定の州立大学、私立大学に設置された教育課程のことで、修了者は陸軍士官学校や海軍兵学校の卒業生と同様に、少尉以上の初級将校に任官することが出来る。卒業後数年間は正規兵、予備役、州兵などの軍役に付くことが義務づけられている。留学生の場合は受講はできても、永住権がなければ将校となって軍役に付くことはできない。
 在学中は、学費の一部あるいは全額と数百ドルの奨学金が支給され、卒業後は士官として各軍に入隊することが出来るため、入学試験の競争率は非常に高い。

 かつて日本でも良く知られたブッシュ政権下のパウエル国務長官、フォードおよびブッシュ政権下のラムズフェルド国防長官、ちょっと古いが東京大空襲・日本焦土化作戦を指揮した悪名高いカーチス・ルメイなども、この予備役士官訓練過程の出身者である。

 日本でも大正14年から昭和20年までの間に陸軍予備士官学校が存在しており、東京高等商船学校や神戸高等商船学校などにも海軍予備仕官の養成カリキュラムがあり、卒業生は自動的に海軍予備少尉に任命された。
 戦後の現在は自衛隊に於いてそのような課程は設置されておらず、防衛大学校や自衛官任官を条件に奨学金を貸与される学生制度のみである。

 日本において「予備役」に等しいものとしては、陸上自衛隊に於いて「予備自衛官補」という官職が2001年に設置され、2006年より本格運用が開始されている。
 五十日間にわたる教育訓練課程の終了後は、非常勤公務員として「予備自衛官」となり、有事の際や定期訓練の際には召集をされ、陸上自衛隊で各々の任務に就く。

 日本では予備自衛官制度のみしか無い防衛体質を憂い、ROTC創設の必要性を説く有識者や防衛関係者も多い。防衛省内では予備自衛官の階級上限引き上げも検討されており、米国のROTCを参考にした採用制度についての検討もなされている。
 また、フィリピン(1912年)、韓国(1963年)、台湾(1997年)などに於いても、ROTCに相当する学生の教育課程制度が、各々の年に設置されている。



「また、そんなバカなこと言って、すぐ煙に巻こうとするんだから!!」

「でも、面白いだろう?」

「まあ、ね──────────────」

「少し歩こうか。お腹も減ったし、どこかで何か食べようよ」

「うん・・・」

 にしむら珈琲を出て、肩を並べながら北野坂を三宮の方に下っていく。
 いつの間にか六甲颪も吹き止んで、眼下の街の灯が澄んだ輝きを見せている。

「宏隆──────────」

「・・ん、どうした?」

「私も、行こうかな・・・・」

「行くって、どこへ?」

「アメリカに──────────」

「え・・・?」

「あなたと一緒に、アラスカに、ついて行こうかな・・・・」

「た、珠乃・・・・・・」

「でも、迷惑よね。宏隆はアメリカで本格的な軍事訓練を受けたいんでしょ、私が日本から従いて行ったりしたら、女の子と一緒にきた変な奴だって、皆に思われるかも知れないし」

「いや・・迷惑だなんて、そんな・・・・」

「それじゃ、一緒に行ってもいい?!」

「で、でも、一緒に来たって・・・学生寮で生活して、平日はずっと勉強や訓練に明け暮れて、週末にしか自分の時間が無いだろうし、外は寒いし──────────」

「やっぱり、来てほしくないのね・・・」

「そ、そうじゃないよ、ただ・・」

「ただ───────────?」

「僕は、もっと強くなりたいんだ。子供の頃から ”ケンカの若大将” なんて言われて良い気になっていたのを、K先生や王老師にこっぴどく叩きのめされて・・玄洋會に入ってからは、短い間にとんでもない経験ばかりをする羽目になって・・そんな経験を経てからは、自分が本当に強くならないと、本物の強さを身に着けないと、どうにもならない、って思えるようになったんだ」

「宏隆は、もう十分に強いんじゃないの?、王先生の正式弟子になって、玄洋會でいろいろな武術訓練も受けているのだし・・・」


 宏隆はいつか珠乃に、王老師や玄洋會と、自分との関わりについて話したことがある。
 ただ、台湾に渡る時の大武號の襲撃事件や、北朝鮮工作員に自分が拉致された事などは、珠乃が心配し心を痛めることを想うと、とても話す気になれず、その事は明かさなかった。
  (龍の道・第90〜91回「龍 淵」を参照)

 珠乃もまた、宏隆が自分にすべてを語れない立場であると気付いていたが、決して無理に聞こうとはせず、メリケン波止場を散歩した後で南京町の基地へ訓練に行こうとした時も、宏隆が『何処へ行くのか、何をしに行くのかとか、訊かないのかい?』とたずねると、

『訊かないわ・・だって、私にそれを明かせるくらいなら、何処其処へ行って来るよって、初めから言ってくれるでしょ?、だから、私はそれ以上は訊かないの』と言い、

『行ってらっしゃい。きっと、今朝のコトで思うところがあるんでしょう?、宏隆のことだから、自分がもっとどうあるべきだったかって、心の中で葛藤していて、それを解決したくて、これからそこに行くのだと思うわ。そこは宏隆にとって大切な場所なのよね・・・一緒に居ても、私にはそれを解決してあげられないでしょうから、早く行ってらっしゃい!』
 と言って、宏隆を見送った。
 
 そのときほど、珠乃の女心をいじらしく感じたことはなかった。
 こんなにも自分のことを分かり、理解してくれる人がこの世に居るのだということを感じて、宏隆は胸の奥がとても熱くなった。

 だが、今話していることは、何も隠す必要がない。
 隠す必要がないのだが、それを明からさまにした途端に、珠乃はアラスカに一緒に来たいと言い出してしまったのである。


「──────強さというのは、武術的な強さと言うよりも、人間としての強さのことなんだ。
ぼくは人間的にとても弱い。本当はすごく弱い人間だ・・他人がぼくを強いと思えるのは、多分ぼくのエゴの強さを感じてのことなんだ。それは僕が意地を張る強さや、負けん気や、とんでもない傲慢さを感じて、他人が ”ヒロタカは強い” と感じているだけだと思う。

 けれど、そんなものは、”我” の強さなんだよ、所詮は──────────
 本当の強さは、我の強さではないのだと、この頃ようやく分かってきたような気がする。
頭で分かるんじゃなくて、やっと実感されてきたんだ。
 むしろその反対に、人を如何に愛せるか、慈しめるか、優しくできるか──────────
そうできる人間は、とても強い人間だと思う。すぐに怒ったり、何かにつけて相手と立ち向かい、対立したがるのは、結局は弱い人間なんだ。弱いから、怖いから、貧しいから、人に対して心底優しくできないんだ。

 王老師やK先生は、その慈しみや優しさの上での厳しさがあって、だからこそ他人を導くことができ、ご自分も果てのない修行をしておられるんだと思う。
 けれども、僕には、まだそれが出来ない──────────
 それは、まだまだ僕がロクに人間を知らないからだ。人の営みが何であるかを、全くと言って良いほど知らないからだ。だから、本当に人を愛することも、本当の優しさも持つことができない・・・もっと人間を、世界を、知らなくてはいけない。

 少なくとも、今の僕にとっては、日本の大学に行くことは、小さな安全な世界に自分の身を置いて、小さな望みを持って、小さな満足に浸ってしまうことになってしまうような気がするんだ。
 遠い外国の見知らぬ土地に行けば、そこには日本の文化も習慣も無い。気候も、言葉も、食べ物も、住居も、人々も、何もかもが日本とは異なる、新しい世界だ。
 そして、そこに自分を置いた時に、ぼくは初めて自分自身の力が必要となり、実力を養う必要性が生じて、本当の意味でチカラを発揮する必要も出てくると思う。
 これまで空気や水のように自分の周りにあった ”安心” が、小さければ小さいほど、ぼくの本当の強さが養われる──────────そんな気がするんだ」



                               (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第131回の掲載は、4月15日(火)の予定です


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2014年03月15日

連載小説「龍の道」 第129回




 第129回 春  陽 (はるひ)(2)



 せっかくこうして、小さなテーブルを夾んで向かい合っているというのに、二人とも暖炉の方を向いたまま、じっと黙って炎を見つめている。

 小学校三年生のとき、近くに珠乃が引っ越してきて以来、ずっと幼馴染みの付き合いを続けてきたが、これ迄にこんな面映ゆい、どうにもならないような気持ちになったことはなかった。お互いの息遣いが聞こえ、手を伸ばせばすぐに触れられるような二つの席の距離も、かえって二人を緊張させ、理由(わけ)もなく無言にさせている。

 どのくらいの時間が経っただろうか。
 時おりパチパチと薪が爆(は)ぜては火の粉を散らしている。
 太い薪が燃え尽きてガサリと崩れたので、宏隆は暖炉の前に行って薪を組み直した。

「・・あ、すみません、ありがとうございます」

 それを見留めた店員が、恐縮がって言った。

「珈琲を、もう少し如何ですか?」

 半分ほどカップに残った珈琲が、もうすっかり冷めているのを、店員は承知している。

「ありがとう。ついでにゲベックを頂こうかな・・・珠乃はどう?」

 店員と話したのを機に、ようやく宏隆が珠乃に声を掛けた。

「うん────────」

「それじゃ、いつものアップルパイと、こちらにはブルーベリー・プルンダーがあったらお願いします」

「かしこまりました」

「珠乃は、ブルーベリー・プルンダーが大好きだものね」

 こっくりと、頷いて微笑む。
 にしむらの珈琲によく合うお供である。

「さっきの話だけれど────────────」

「え・・・?」

「ぼくの歴史のこと。卒業したらどうするのか、って話・・・」

 宏隆が切り出した。

「ああ、そうだったわね。火に見とれて、ぼーっとしちゃった!」

 ゲベック(gebäck)とはドイツの焼菓子のことである。それが小振りの風雅な絵付けの皿に並んで運ばれてくる。
 にしむらにはいつもフロインドリーブのドイツ菓子が置いてある。なかでもアップルパイは宏隆のお気に入りで、珠乃の好きなプルンダーはデニッシュ生地とパイ生地を合わせて焼いたものである。

「こうして、美味しい珈琲を暖炉の火の前で頂くなんて、贅沢ね・・・」

「寒い日はなおさらそう思うね。でも珠乃のお父さんは珈琲通だし、暖炉なら珠乃の家にもあるんだから、そんなことくらい幾らでも味わえるじゃないか」

「宏隆と、一緒だから───────────贅沢だな、って思ったのよ」

 そう言われて思わず、ゴクリと珈琲を飲み込んだ。

 こんなときに、どんなふうに言葉を返したら良いのか────────
 さすがの宏隆にも、分からない。

 ただ、今度はお互いに、暖炉の火ではなく、自然にじっと瞳の奥を見つめ合った。

「珠乃─────────」

「はい」

「実は、ぼくはアメリカに行くことになった」

「えっ・・・?」

「卒業したら、アメリカに行こうと思うんだ」

「ど、どうして・・・?!」

「この二年間ほどは、ろくに学校の勉強をしていなくてね。まあ、それでも何とか及第点で卒業させて貰えることになったんだけれど、進路って言っても、学生運動で滅茶苦茶に荒れて、左翼思想の教授ばかりが幅を効かせている日本の大学に、特に学びたいという気持ちがあるわけじゃないので、受験する気にもなれなくてね────────」

「それで・・・?」

「どうやらアメリカの州立大学に、推薦で入学することになったんだ。そこの地球物理学研究所には日本政府も資金援助をしていて、日本人は入りやすいらしいし・・」

「地球物理学と、宏隆と、何か関係があるの?」

「いや、実は父が政府の仕事も請け負っていて、その大学には多大な寄付をしていて・・・つまり、要は推薦で入りやすかったってコトなんだけどね、ははは・・」

 照れくさそうに、頭を掻きながら、そう言う。

「まあ!・・・宏隆の学力ならどんな大学でも入れるのに。時間を掛けて選べば、きちんとした教授の居る、きちんと学べる学校もあるはずよ。何だかもったいない話ね─────────でも、推薦で入れるからって、ただそれだけの理由でアメリカに行くの?」

「もちろん、それだけじゃない。実際に外国で生活をして、いろいろ体験してみたいんだ。台湾に縁が出来て、身近なアジアの国でさえこんなに学ぶ事が多いんだなって、つくづく思ったんだよ。 
 日本は好きだけれど、この国じゃボクはときどき息が詰まりそうになる。欧米人の基本は個人主義で、まず何よりも個人の意志を尊重し、独自性と自立性といった、個人の立場や考え方を重んじるよね。そしてその上で当然の事として個人の責任や義務がある。
 けれど、そういった考え方がこの島国ニッポンにはとても希薄で、閉鎖的で視野が狭く、済んでしまったことや、つまらない事にいつまでも拘ってコセコセ・ウジウジする性質があるだろう?、小さく狭い地域社会で暮らして、お互いに自分の田圃にたくさん水を引こうと譲らない頑固さみたいな・・・ぼくの性分とは合わないところが沢山あるんだよ。だから若いうちに欧米の文化をじっくり生身で経験しておきたい、そう思うんだ」

「私、宏隆はてっきり、お兄さまが行ってらっしゃる神戸大学に進学するものとばかり思っていたわ。それが、いきなりアメリカだなんて──────────」

「ごめんよ。なかなか珠乃に話す機会がなくて。だいたい、それを決めたのも、ついこの秋に父から話があって、ようやく決まったことだったし・・・」

「呆れた・・・それまで、自分の進路を何も考えていなかったの?」

「まあ、去年と一昨年(おととし)は、何だかんだと忙しかったからね」

「忙しいって、まだ高校生のクセに、怪しげな秘密結社なんかに入るからよ!!」

「・・お、大きい声で言うなよ、誰かが聞いていたらどうするんだ」

「聞かれたって良いじゃないの!・・・だいたいね、島国根性のどこが悪いって言うの?、イギリスだってレッキとした島国だけど、閉鎖的で視野が狭いなんて誰も思わないでしょ。
 世界中には島国がたくさん存在して、マダガスカルもニュージーランドも、パプアニューギニアも島国だし、フィリピンやインドネシアなんか、小さい島の寄せ集めで出来ているじゃない。なのに、どうして日本人だけが ”島国根性” などと、自分を卑下するような言い方をするのか、その理由を宏隆は知っている?」

「い、いや・・知らない──────────────」

「島国根性という言葉は、もともとは日本人が日本人のために創り出した、自己啓発、自己叱咤、自己激励としてのことばなのよ」

「そんなこと無いだろ。現に韓国や北朝鮮なんか、大陸の周辺に位置する日本に対して、歴史や文化を劣等視する侮蔑的な表現として ”島国が持つ特異な傾向がある” なんぞと平気で言ってるじゃないか」

「そんなの、言わせておきなさいよ。韓国や北朝鮮は、昔から中国へ媚びへつらう事大主義で、小中華思想のカタマリなんだから────────けれど、彼らの侮蔑用語を宏隆がありがたく使っていたら、むしろその方が問題じゃなくって?」

「た、珠乃・・・お前、いつの間に、そんな難しいことが言えるようになったんだ?」

「ふふ、まあね────────宏隆が、近ごろ会話の中で小難しい珍紛漢紛なことばかり並べ立てるので、私も少し世界情勢とか、歴史や政治を勉強することにしたのよ。そうしないと、せっかくデートをしていても話がぜーんぜん合わなくなるでしょ!」

「うむむ・・・・・」

「日本は、もちろん島国として四方(よも)の海に囲まれているので、クルマで走っていると突然国境のバリケードが見えてきて、そこから先は風貌も言葉も食べ物も習慣もまったく違う異民族が住んでいる、というような経験を誰もしたことがないのよ」

「そのとおり。だから日本人は自分たちの狭い空間の中で考え方が処理され、偏狭でせせこましく、偏屈で物分かりの悪い、他人の言うことに耳を傾けない強情で傲慢な人間を多く産み出した。そして戦後は特に、その安全な環境が他国に対して警戒心や猜疑心を持つ必要を忘れさせ、危機感の無い、依存心の強い若者を多く産み出しているんだ。
 欧米では、たとえ小学生でも自分の意見をはっきりと言う。日本人みたいに妙に物怖じしたり、親の顔を見て助言を求めたりする子供は皆無と言っていい。中学生くらいの年齢になると国防意識まで持っている。日本人だとオモチャのライフルを担いで戦争ごっこをする程度だよね」

「戦争ごっこなんか、どの国の子供もやるわよ。欧米の個人主義を、まるで理想みたいに言うけれど、私は大陸の人間よりも島国の日本人の方が、よほど視野が広いと思うわ」

「え・・なぜそう思うの?」

「だって、海の向こうの、まだ見ない世界には何があるのだろうか、どんな人がどんな暮らしをして、どんな文化があるのだろうかって、否応なしに夢や想像が広がるでしょう?
 海の向こうから入ってきた文化もそうだわ。神戸や横浜にやってきた外国の文化は、それらの地域で日本人が独自に昇華させ、それ以外の土地の日本人とはまったく違う文化や風俗を創り上げてきたじゃないの。ここの珈琲だってそう。こんな美味しい珈琲を飲ませるような店は、欧米では高級ホテル以外には滅多に無いはずよ。島国日本のマインドは、決して偏狭さなんかではなく、日本人の心の広さなのよ」

「それは、隣国から脅かされる危険がないから、外界に憧れたり、盲目的に美化したりする幻想を見る余裕があるってことだよ」

「盲目的に美化しているのは、宏隆の方じゃなくって?」

「ど、どうして────────?」

「欧米においては、自分たち白人の歴史こそが人類の歴史であり、白人の生き方こそが文明という名に相応しく、この地上のあらゆる民族は欧米文明の恩恵によってこそ、後進性から救われてきたのだという、確固たる優越感が潜在意識やDNAに染みついているのよ。
 アメリカに憧れ、アメリカに留学してこそ、島国根性を超えた、広く大らかな人間性を育くむ欧米文化を学べると思うのは、盲目的に欧米を美化しているからじゃないの?」

「お、おまえ・・・ずいぶん口が回るようになったなぁ・・・・」

「あら、サンキュー!・・・大体ね、アメリカ、アメリカって言うけど、そのアメリカの語源がどこから来てるのか、宏隆は知ってる?」

「ご、語源?───────い、いや、知らないけど」

「そーれ、ご覧なさい!、アメリカがどうしてアメリカなのかも知らないクセに、ただ単にアメリカに憧れて留学するようなバカがいるかしら?」

「・・ば、バカは言いすぎだろう、馬鹿は!」

「あら、失礼!──────── ”アメリカ” は、もともと人の名前なのよ」

「人の名前?・・・国の名前が、どうして人の名前なんだ?」

「アメリゴ・ヴェスプッチ(Amerigo Vespuci=1454〜1512)という人物。イタリアのフィレンツェ生まれの地理学者で探検家で、当時のアジア・アフリカ・ヨーロッパの三大陸世界観を探検によって覆した人ね。ドイツの地理学者が、アメリゴの論文である ”新世界” を収録した ”世界誌入門” という本を出版したときに、附録の世界地図にアメリゴのラテン読みである ”アメリクス” から取って、この新大陸を ”アメリカ” と名付けたの。これがアメリカという名前の始まり。アメリカとは、”アメリゴの土地” という意味よ」

「なるほど、どこかで聞いたような気もするな。それが合衆国の名前にまでなったってコトか・・・実際にアメリカ大陸を発見したのは、クリストファー・コロンブスってことになっているけれど」

「イタリア読みでは、クリストフォロ・コロンボ。あの ”刑事コロンボ” と同じ姓ね。南米のてっぺんにあるコロンビア共和国の名も、”コロンボの土地” という意味よ。
 けれど、アメリカ合衆国の記念祝日 ”コロンブス・デー” は、先住民族にとっては白人による侵略開始の日に他ならないわ。1492年の新大陸上陸時に800万人も居たインディアンは、そのわずか5年後に3分の1にまで減少した。コロンブスはコルテスやピサロに並ぶ、虐殺を楽しんだ最も悪名高い征服者の一人と言えるわね」

「珠乃の言いたいことは分かるよ。欧米人の潜在意識には、白人至上主義の優越感がある。大航海時代に世界のすべてを発見し、侵略、征服した ”偉業” が、彼らの精神に誇りとしてあるのは確かだ。日本人は鎖国から文明開化に至って、ようやく西欧に張り合っていく覚悟が出来たんだよ」

「私はね、明治維新を ”文明開化” と表現するのは、大いに間違っていると思うのよ」

「えっ・・・なにを突拍子もないことを言い出すんだ?」

「文明開化とは、言うまでもなく西洋文明を積極的に取り入れて、制度や習慣までが急速に大きく変化した明治時代の現象のことを指しているでしょ。けれども、それ以前の約三百年にわたる江戸時代は、”天下太平” という言葉が生まれるほど、世界でも希な、最も平和で、進歩的で、経済が振興し、安定した文化が存在した時代だったのよ」

「いや、文明開化以前の江戸時代は暗黒時代で、武士という特権階級に庶民がひどく苦しめられ、重税や凶作に泣き、切り捨て御免のような、生命を脅かされる中での生活を余儀なくされた時代じゃなかったのか。”カムイ伝” にもそう描かれているし・・・」

「あはははは──────────────!!」

「・・な、なにが可笑しいんだ?」

「だって、忍者マンガのストーリーを、歴史として信じているみたいだから」

「カムイ伝を読んだことがあるのか?、”ビジュアルは映画を凌ぎ、ストーリーは小説を超えた” と言われるほど、世間では高く評価されているんだ。マンガとは言え、非人部落出身のカムイが自由と誇りを求めて忍者になるが、その非情な掟を嫌って抜け忍となり、追及の手を逃れる日々を送るという、暗黒渦巻く江戸時代を描いた大作だと思うよ」

 (編註:「カムイ伝」は白土三平の長編劇画。1964〜1971年まで月刊ガロに連載。その後もカムイ外伝(1982〜1987年)、カムイ外伝二部(1988〜2000年)が発表される)

「やれやれ、宏隆らしくないわね────────ビジュアルは映画を凌ぎ・・だなんて、そんなの、ただのキャッチコピーじゃないの。カムイ伝が書かれた60年代は、学生運動と共産主義思想が吹き荒れた時代よね。つまり、支配者や王侯貴族はみんな非人道的な悪魔、人民の歴史はそんな支配者に搾取され続けた悲惨な歴史であるという思想に、そのマンガ家がとっぷりと浸かっている事をよく知る必要があるのよ」

「え・・・?」

「ほらね。中国の勉強ばかりしてないで、もっと日本の歴史を見直しなさい、ってお父様やお母様に言われなかった?」

「う・・うん、まあ、そうだけれど・・・」

「カムイ伝の作者、白土三平の父親は、1920〜1930年代に日本を席巻した社会主義・共産主義から生まれた ”プロレタリア美術運動” を組織した中心人物である画家の岡本唐貴で、労働者のデモやストライキ、労働現場である工場を描いた油絵や彫刻、ポスターなど、プロバガンダの要素を強く含む作品を東京を中心に展覧会で発表し、地方都市にも巡回展を開催して回ったということよ。その思想が長男である岡本登、つまり白土三平に強く影響したのはごく当たり前のことだと思うわ」

「珠乃・・・お、おまえ、どうしてそんなに詳しいんだ?」

「私もカムイ伝を読んだのよ。すごいベストセラーだったから、女の子たちでも忍者マンガに興味を持ったのね。それを目に留めた父が、いろいろ説明してくれたの」

「なるほど・・・」

「作者の世代は、中学生ごろに終戦を迎えたから、物心ついたときからずっと戦争だった時代で、戦後は真っ黒に塗りつぶされた教科書でアメリカの占領教育を受けた人たちなのよ。まともな日本の歴史なんか、学びたくても学べなかった時代の人たち────────」

「そうだったのか・・・」

「そう、つまり荒廃した日本、日本史上にも希なその混乱した社会が、自分が生まれ育った祖国日本の姿なのだと、当たり前のように認識せざるを得なかった世代、ということね」

「共産主義は、もともと西欧の暗黒の歴史から生まれたものだからね。西欧の歴史を見ると極端な身分制度と、虐殺、搾取、疫病、飢饉、飢餓、戦争といった事が延々と続いている。日本などとは全く比べものにならないほど、西欧の一般庶民たちは過酷な歴史を経てきているんだ。けれど、日本にはそれに等しい暗黒の歴史は全くなかったと言っていい」

「そうね、せいぜい応仁の乱あたりから戦国時代の初期くらいまでの歴史に、似たような混乱期があったかしら。カムイ伝は、実際には世界的に見てその時代には希な、とても平和だった日本の江戸時代を舞台に、いま宏隆が言ったような西欧の暗黒の歴史をオーバーラップさせて描いている、と言えると思うわ」

「テレビの水戸黄門なんかも、少しその傾向があるかな?」

「あれは、まあ、”人生楽ありゃ苦もあるさ” というスタンスだから────────
”大黒屋、おヌシも悪よのォ・・”、”いえいえ、御代官さまこそ・・・” なんて言う程度で、カムイ伝みたいに深刻じゃないわね。そもそも、懐から印籠を出して見せるだけで世直しをやってしまうんだから、やっぱり江戸時代は平和な時代と言えるんじゃない?」

「確かにね、あはははは────────」

「ははははは──────────」



                               (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第130回の掲載は、4月1日(火)の予定です


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2014年03月01日

連載小説「龍の道」 第128回




 第128回 春  陽 (はるひ)(1)



 高校三年生の冬が過ぎようとしていた。

 初めは高度な武術を修得したいという、ただそれだけの望みで師に就いたのであったが、師と関わる人たちがすべて、世間一般とは懸け離れた立場にあったために、当然のこととして、自分が置かれたところは凡常とはまるで縁のないものとなった。
 いや、それは決して王老師や張大人、陳中尉や宗少尉に限らない。日本文化や伝統の古武術を教授してくれたK先生や父の光興(みつおき)までが、実はその人たちと浅からぬ因縁で繋がっていたのである。

 そして、その縁を感じ始めた途端に起こり続けてきた様々なこと────────
 まだ年端も行かぬ高校生だというのに、台湾に渡航してから今日までに経てきたことは、普通の人が一生掛かっても経験できないような内容に違いない。
 けれども、その普通では有り得ない危険で目まぐるしい非現実的な時間に、宏隆は途方もない充足を感じられるのだ。

 これはもう、自分に与えられた運命というしかない────────

 宏隆はそう思った。それを悔やんでもいないし、苦痛にも負担にも思っていない。
 むしろ自分がその人たちの中で武芸の奥妙を追求しながら、その人たちと共に行動することで、それが結果的に何らかの形でこの社会の役に立っていくのだと、直感的に信じられるのであった。



「まだこんなに寒いのに、どうして新春なんていうのかしら────────」

 寒そうに、カシミアのコートの襟を立てながら珠乃が言った。

「春の気配なんか、何処にもあるように思えないわ」
 
 確かに、外灯の点り始めた北野の路を二人で歩いていると、ついこのあいだ ”新春” を祝ったばかりとは思えないような、体の芯から凍えてしまいそうな寒さが感じられる。
 もちろん珠乃は ”新春” という言葉の意味ぐらい知っているが、六甲颪(ろっこうおろし)の冷たい北風が真っ直ぐに吹き下ろしてくると、ついそう愚痴りたくなってくる。

「だって、みんなが年賀状に ”寒中お見舞い申し上げます” なんて書いたら、まるで日本中が喪中みたいじゃないか」

 宏隆も、ユーモアを交えてそれに答える。

「あはは、上手いこと言うわね────────」

「中国や台湾じゃ ”春節” と言って、今でも旧暦の正月を祝っているけどね」

 宏隆も、手をコートのポケットに突っ込んでいる。
 坂の多い神戸では、東西に延びる道は平坦で歩きやすい。今の新神戸駅がある布引(ぬのびき)から三本松のお不動様を過ぎて、異人館を左右に観ながらゆるゆるとくねって諏訪山の方に続く北野の路は夜でも良い散歩道だ。この路では交番までが洒落た煉瓦作りになっている。


「そう言えば、南京町の春節祭はもうじき、今月の末から2月の始めごろだったわね。
でも旧暦の新春にしたって、すごく寒いことには変わりはないわ。ああ、寒い・・!」

「でも、中国じゃ漢の武帝以前は元旦の日付がまちまちで、統一されていなかったんだよ。
 夏(か)という王朝では立春を年の初めとしていたし、殷(いん)では冬至から一ヶ月後が正月だった。周(しゅう)では冬至が年初とされ、始皇帝の秦(しん)になると、十月を端月(たんげつ)としたというから、各王朝ごとに正月が違っていたってことになるね」

「端月?・・どうして正月とは言わないの?」

「秦の始皇帝の諱(いみな)である ”政(zheng)” が正月の ”正” の字と同じ発音なので、 瑞という字に改めたんだよ。畏れ多くもカシコクも〜、ってことなんだろうね」

「まあっ、なんて傲慢なんでしょう!」

「あはは、仕方ないよ。何てったって二千年に及ぶ中国皇帝の先駆者なんだから」

「 ”中国” という国号は、まるで歴代王朝をひと括りにしたようなイメージがあるけれど、実際には 1912年(日本の大正元年)に中華民国が建国されるまで、支那には国家という概念はどこにも無かった────────って、宏隆が教えてくれたわね」

「ああ、宗少尉からの受け売りだけどね。支那ではクニは王朝の周辺に存在していて、朝廷から国王に封じられた者を長としたんだ。つまり政治支配はあれど国家なし、支那には王朝はあっても国家は存在しなかった。国は王朝に隷属するものだったというわけだよ。
 周、唐、宋、元、明、清・・そういった名称は王朝を表すもので、国家の名前じゃない。各王朝は、それぞれみんな異なる民族だから当然と言えるし、秦の始皇帝が即位した時から清朝のラストエンペラーまで、2,100年間に漢民族以外の民族が支配していた期間は、全体の75%にも当たるからね」

「うわぁ、そうなんだ────────何だか全然中国のイメージが違ってくるわね。
 近ごろよく ”中国何千年の歴史” なんていうフレーズを耳にするようになったけれど、決して漢民族主体の統一された歴史ではないのね。宏隆の話を聞いていると、学校で習った事と実際の歴史とは、まったく違っているような気がしてくるわ」

「その ”歴史” という言葉も、明治時代に英語の ”ヒストリー” の和訳として日本人が考えた言葉なんだよ。それを日清戦争の後に、清から日本に来た留学生が支那に伝えたってワケ」

「えっ、そうだったの────────?」

「現代中国語の70%は、実は日本人が作った漢字の組み合わせで出来ているんだよ」

「ええっ?・・そう言われても、ちょっと俄(にわか)には信じられないわね!」

「でも、生粋の支那人の宗少尉がそう言うんだから間違いないよ。それに、それまでの中国には ”歴史を学ぶ” という概念自体が存在しなかったと言っていい。そこには歴代王朝の皇帝の事績や、王朝の正統性を記した ”証明書” が存在しただけ。その証明書を最初に作った人物が、かの司馬遷(しばせん)という人、ってことだよね」

「あの ”史記” を書いた人ね─────────宏隆もずいぶん歴史に詳しくなったわね。それも宗少尉のおかげかしら?」

「そりゃそうだよ、中国の歴史は、何てったって支那人に聞くのが一番だからね。ボクもインテリジェンスの講義でずいぶん勉強させてもらったよ」
                (編註:詳しくは「龍の道 第92〜102回」を参照)

「ふぅ〜ん、宏隆は宗さんといつも仲が良いのね────────」

「仲が良いって・・・ボクにとってあの人は優れた先輩で、ウチは家族ぐるみで付き合っているし、まあ、姉みたいなものだけどね」

「ま、いいか・・そうそう、中国の歴史も大事だけれど、宏隆の歴史はどうなるの?」

「ぼくの歴史────────?」

「そうよ。”人に歴史あり” じゃないけれど、お互いもう高校生活の終わりでしょ。もうすぐ卒業、その後はどうするのか、これからの事をちっとも話してくれないんだから・・」
 (編註:『人に歴史あり』は、名アナウンサー八木治郎が各界著名人へのインタビューで綴った人気テレビ番組。1968~1981年)

「・・あ、そうか。そんなこともボチボチ話さなきゃいけないね」

「ぼちぼちって、遅いくらいでしょ?、もう、暢気なんだから!」


 今の新神戸駅がある布引の交差点あたりから、俗に異人館通りと呼ばれる洋館の並んだ山沿いの路を二人で歩いてきて、風見鶏の館が見える坂路を海に向かって下りて行く。
 さっき外灯が点り始めたばかりなのに、もう辺りはすっかり暗くなって、坂の下に広がる街の灯りが星屑をちりばめたように輝き始めている。

 やがて右手に、赤煉瓦の壁に蔦の絡まる、いかにも神戸らしい瀟洒で閑かな佇まいのカフェが見えてきた。

「寒いから、そこのカフェに入ろうか」

「いいけど───────ここって、にしむら珈琲じゃないの?」

「そうだよ」

「そうだよって・・北野坂のにしむらは会員制で、特別な人しか入れないって聞いたわ」

「ああ、ボクは入れるから、大丈夫だよ」

「まあ、呆れた・・やっぱり宏隆は、どこへ行っても御曹司なのね!」

「ははは、自分が希むと希まざるに関わりなく、ね。所詮は親の七光り、これはボクの実力じゃないってことは百も承知しているけれど────────でも、暖炉があるから、こんな寒い日にはうってつけの店じゃないか」

 以前にも触れた、神戸の喫茶店の王道「にしむら珈琲店」である。
 中山手(なかやまて)通りにある本店は、1948年の創業以来、日本で初めて自家焙煎のストレート珈琲を提供した店として知られる。珈琲通が文句なしに認める厳選された第一級の豆を自家焙煎し、毎日汲みたての宮水(みやみず)を使って一杯ずつネルドリップで落とす味わいは、日本の珈琲文化を確立した店と言って良い。

 ここ北野坂店は、創業者の自宅を改装して作られた日本初の会員制喫茶店として1974年にオープンし、以後約二十年間、各界の著名人たちが集う特別なサロンとして日本中の珈琲ファンの羨望の的となった。また二階は「シェ・ラ・メールにしむら」というフレンチレストランとして多くの美食家に愛された。

 なお、北野坂店は1995年の神戸の大震災を機に、会員制を廃止して一般の人にも開放されるようになった。一般開放で全体の雰囲気が変わったことは否めないが、二階にはフレンチレストランも残り、誰もが手軽に往時のサロンを偲ぶことができる。


「これは加藤さま、ようこそいらっしゃいました!」

「こんばんは、いつも突然ですみません」

「いえいえ、お寒いなかをようこそ。今日はお食事ですか?」

「いえ、散歩をしていたらちょっと寒くなったので、寄らせてもらいました」

「では、どうぞこちらへ──────コートをお預かりいたしましょう」

 暖炉のすぐ側の席に案内され、先に珠乃を奧の方の席へと誘(いざな)う。
 ケンカの若大将とまで呼ばれた、一途に武芸を志す高校生ではあっても、家格のある厳格な家風に生まれ育ったので、紳士としてのマナーは心得ている。
 宏隆にしてみればそれは女性に対する思い遣りであって、間違っても気障な小道具としての浮薄なマナーではなかった。

「ありがとう────────」

 心が蕩(とろ)けてしまうような笑顔で、珠乃がそれに応える。

 その笑顔に接すると、宏隆はどんな時でも心の底から安らぎ、寛ぐことができる。
 若い娘によくあるような、はにかんだり科(しな)を作ったりしたものではない。それは純粋に珠乃自身の魂の奥底から出て来る、他人を敬い、思い遣る心から滲み出てくる本当の優しさであり、本当の笑顔なのだと、いつも宏隆は思った。

 珠乃の家は格別に裕福でもなければ、父親が会社の経営者や重役というわけでもない。
国玉通りの自宅は立派な洋館造りではあるが、界隈で目を惹くような豪壮な屋敷でもない。つまり神戸の山手では珍しくない、日々の生活に偓促(あくせく)することのない、ゆとりある暮らしを閑かに営む中流階級の家庭と言って良い。

 また、前にも書いたが、珠乃の出自は滋賀の旧家の息長(おきなが)氏という、記紀にも多く登場する、とても古い家系である。仲哀天皇(日本武尊の第二子)が急死したために、お腹の中に後の応神天皇である皇子を宿したまま、自ら玄界灘を渡って新羅を攻めたと言う息長帯比売(おきながたらしひめ=神功皇后)も、同じ一族であった。

 その同じ血液を、千八百年経った今でもどこかに宿している所為(せい)だろうか、誰もが心和まされるその優しさの奧深くには、かつて護国神社の裏で宏隆と共に襲われた時のように、庭箒(にわぼうき)一本で不良どもに敢然と立ち向かい、叩きのめして追い払ってしまえるような、ただの現代女性とは到底思えない胆力と不屈の気概がある。

 宏隆は、そんな珠乃と幼馴染みであり、家ぐるみで付き合ってきた。
 これもまた、何かの深い縁────────特に近ごろはつくづくそう思えてくる。


「ああ、暖かい──────────────」

 有田焼の白い珈琲カップを手で包みながら、珠乃が言う。

「火って、見飽きないわね。いつまでも見ていられる───────────」

 ぽつりとそう言って、揺れる炎を見つめている珠乃に、宏隆は見入っていた。
 ゆらゆらと踊る火が珠乃の頬を紅く染めて、ふだん全く気付かなかった珠乃の美しさを有り有りと映し出していた。

「どうしたの──────────?」

 ふと、宏隆の視線に気付いたが、

「い、いや・・・・」

「え・・?」

「ごめん、その・・綺麗だったから────────」

「・・なにが?」

「お、お前が・・・た、珠乃が、すごく綺麗だったから」

「まあ・・・・」

 映った火の紅さにも増して、珠乃が頬を赤らめた。


                              (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第129回の掲載は、3月15日(土)の予定です

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2014年02月15日

連載小説「龍の道」 第127回




第127回  T E R R O R (8)



「いいだろう─────────────────」

 あっさりそう頷くと、王老師は金縛りに遭ったように座り込んだまま動けずにいる高山に近寄ってポンと肩を叩き、

「さあ、もうこれで自由に動けるはずだ」

 ごく普通のことのように言った。

「うぅーむ・・・・」

 高山は、ようやく呪縛が解けたように起き上がってきて、不思議そうに肩や腕を動かしている。

「どうかね、気分は────────?」

「さっき宗少尉が ”魔法” と言ったが、まんざら冗談とも思えない。あんなふうになったのも不思議だが、それがあっという間に解けてしまうのも不思議だ・・もう何ともない、元どおりに体が動くようになったよ。部下たちも同じように元に戻してやってもらえないか?」

「良いとも────────」

 銃を手にしたまま妙な恰好で転がって呻(うめ)いている部下たちの間を、王老師がスタスタと歩きながらポン、ポンッと肩や背中を叩いて回ると、その順番に、深い溜め息をする者、首や肩を回す者、やがて背伸びをして深呼吸をする者、と・・ようやく不可解な呪縛から開放された安堵の顔が各々に見えはじめる。

 それが無駄だということが本能的に分かるのであろう、王老師に向けた銃は未だ全員の手にあるが、もう誰も再び銃を構えようとはしない。それどころか、高山の命令がないのに、すでに銃をホルスターに仕舞おうとする者まで居る。

「さあ、約束よ。その男を置いて、さっさとPD(警察署)に帰るのね!」

 高山にそう促す宗少尉は、まだ彼らへの戦闘態勢を解いていない。

「分かってるよ。こんな妙な仕事をしているが、オレも男だ、二言はない・・だが、その前にその爺さん、いや、王永斌(おうえいひん)さんに聞きたいことがある」

「ほう、何かな?」

「今の技は─────オレたちをあっという間に動けなくした、その技はいったい何なんだ?、とても人間業とは思えない。もしかして、それが近頃よく耳にする、中国の ”気” だとか言うチカラなのか?」

「気というものを素人に説明するのは少々難しい。太極拳では拳を練ることの主たる内容が運気、つまり気を運ぶことだと言う人もいるが、反対に、別にそんなことをしなくとも充分に太極拳を修められると言い切る人も居る────────────」

「太極拳の話を聞きたいワケじゃない。貴方は、王さんはどうなんだ。たった今オレを無力にさせたその技術は、いわゆる気のチカラの所為(せい)なのか?」

「そうではない──────気それ自体が、人を拘束する力を持つことはない」

「では、何がこのような力を生むのだ?、オレは指一本触れられないまま、こっぴどく拘束され、動けなくさせられた。たった今、生身で体験してもなお信じ難いことなのだ。どうしてそんなことが起こるのか、それを知りたい」

「ふむ・・どうして、それを知りたいのかね?」

「この銃や、自分の学んできた武道の訓練が子供だましに思えるからだ。武器を構えても、指一本向けられるだけでやられてしまうのなら、何を訓練しても始まらない。貴方が敵だったら容易に殺されていたところだ。
 それに、人間が持つチカラには、まだまだ知らないことが沢山あると思えてきた。俺は生まれて初めて、自分が本当はこの世界の事を何も知らず、実は人間について何ひとつ分かっていないのではないかと思えてきたのだ」

「ふむ・・人は己よりも高みに在るものに触れたときに初めて謙虚になる。だから己が高みに居ると思い込んでいる者は傲慢になるしかない。何も武芸に限らず、傲慢な者は、一見高みを目指して頑張っているようにも見えるし、実際に社会的な成果も上げるが、実は本人は自分より低いところばかりを見て生きているのだ。本当の高みを観ることが出来た人間は、その時から謙虚になるより他はない・・傲慢さを維持できるところで生きている者は、まだ ”真の高み” に出会ったことがないのだ」

「利己や傲慢のあるうちは、そのような高度な技藝は修得できない、ということか?」

「学ぶとは受容性を指している。どのような芸術でも学問でも同じことだ。そして、その高みには ”モノ” が無いのだ。物が無いのだから、カネも地位も、肩書きもプライドも無い。
そんなものを目標にしている間は、”高み” にあるものは見つからない──────」

「では、少林寺の坊主になって修行すれば優れたカンフーが身に付くという道理か?」

「いや、出家をして頭を丸めても凡俗は超俗にはならない。世界に名高い日本のサムライ、宮本武蔵は、”神仏は尊し、神仏を恃まず” と言ったが、世の中には利己の成就を神仏に祈る者さえ多い。我欲と成長の区別も付かないのだ。ゆえに、環境を変えさえすれば、そのものになれるわけではない。本人の高度な理解が必要だ。どんな優れた師に就いても、どれほど社会的に成果を上げても、本人の理解が ”高み” に及ばなければモノにはならない」

「モノにならないとは、何にならない、ということだ?」

「人間に、だよ────────」

「・・では、どうすれば良いと?」

「まずは謙虚に、原初の一個の生命に還ること────────────
 そして、何処にいても、何をしても、そこに ”自然の法則” を見出そうとすることだ。
 天の陰陽のエネルギーは、姿を変えて万物を生み出している。物事がカタチを成すところには、必ずそこに天から授かった本来の根元的なエネルギーがある。
 そのエネルギーを、仮に ”気” と呼んでもかまわない。
 気は理を離れず、理は気を離れない。気は理なしでは道理を表すことが出来ず、理は気なくしてはそれを行うことが出来ない──────古の智者はそのように言う。
 そのふたつは互いに互いを必要とし合っている。自然の法則は ”相互依存" なのだ」

「自分を銃で撃とうとしている敵に対しても、相互依存の気持ちで臨む、というのか?・・そうすれば、あのようなチカラが使える、と・・?」

「ははは、それ以上を知りたければ、”法則” を理解した人間の弟子になるしかないな」

「貴方の弟子になれる人が羨ましいな────────」

 王老師の話にじっと耳を傾けている宏隆の方を見て、高山が言った。

「彼は最後の弟子だ。私はこれ以上誰かに教えるつもりはない」

「そうか・・神秘は、やはり神秘として残されるのかもしれないな」

「どのような科学も、哲学も、最後にはそのような神秘に行き着く。すべての学問が行き着くところには神智の領域が待つのだ。だが反対に、神秘から科学は解いて行けない。
 どれほど高度な武術であっても所詮は生身の人間がやることだ。科学的なアプローチなしには、肉体の原理を科学的に解明せずには、決して肉体を超える高みには到達しないのだ」

「なるほど──────良い勉強をさせて貰いました、感謝します」

「うむ・・・」

 王老師に向かって高山が深々と頭を下げ、王老師も優しく頷いた。


 だが、そのとき─────────────────

「主任っ!、ダメですよ、そんな男の口車に乗っては!!」

 いつの間にか密かに後ろに回っていた一人の捜査官が、王老師に向かって銃を構えた。

「よせっ、山住(やまずみ)、俺は約束を守る。もう引き上げるんだ!」

「ふん。台湾の秘密結社ごときに、日本の外事警察がナメられてどうするんだ。さっきは油断して、ついコイツの催眠術に掛かってしまったが、もうその手は喰わない。自分は催眠術に掛けられない方法を知っている──────見ていてください!」

「すぐ銃を下ろして床の上に置きなさい!、そうしないと遠慮なく撃つわよ!!」

 その山住と呼ばれた男が銃を構えたと同時に、反射的に宗少尉と宏隆も、その男に向けて銃を構えていた。

「ふん、お前たちのような非合法組織の奴らが、日本の公安を撃ったらどうなるか、わかってるのか?!・・・邪魔立てをするんなら、お前も撃ってやるぞっ!」

「いい度胸ね。それじゃ、試してみる・・?」

「ちょ、ちょっと待て、宗少尉、待ってくれ・・・い、いま止めさせるから!──────
山住っ、馬鹿な真似はやめるんだ!、それに、この人がやった事は催眠術なんかじゃない。銃をしまえ、収まうんだ!・・・山住っ、これは命令だ!!」

 宗少尉が今にも撃ちそうな状況に、高山が慌てて声を掛ける。

「構わんよ。撃ちたいなら、撃ちなさい。だが、ヤマズミくんとやら、私は催眠術を知らないから、さっきのような訳にはいかないよ。少し覚悟をしてもらおうか・・」

「王老師、危険です、やめてください!」

「王老師─────────────────!!」

「良い機会だな、ヒロタカ・・宗くんも、よく見ていなさい」

「こ、こいつ!、今オレがその化けの皮を剥がしてやるっ!!」

「山住っ・・・う、撃つなっ!!」

「ダァ────────ン!!」

「ああっ──────────!?」

「ズゥ・・・ン・・・」


 その瞬間──────────誰もが自分の目を疑った。

 王老師に銃口を向けた山住という男は、5メートルほど離れたところから王老師に向けて銃彈を放ったが、その引き金を引く寸前に後ろへ仰向けに飛ばされ、勢いよく3メートルも宙を舞った。飛びながら引き金を引いたので銃弾は天井に撃ち込まれ、本人はそのまま後頭部から床に落ち、昏倒したのである。

 これが武術的なチカラの一種なのだとすれば、王老師は山住が引き金を引くよりも早く、彼に何らかの作用を与えていた、と言うことになる。そうでなければ、山住が撃った銃弾の方が先に王老師の体を貫いていたに違いないのだ。

「山住っ、山住っ・・しっかりしろ!・・おい、大丈夫かっ!?」

 公安の仲間が駆け寄って介抱をするが、頭部を強く打って意識はなかなか戻らない。
 高山が、倒れた山住の銃を手から外して取り上げた。

「大丈夫、ただの脳震盪だよ。しばらく静かにしておけば気がつくだろう。だが・・・」

「だが・・・何ですか?」

「高山くん、その男の名前はヤマズミと言ったね。どんな字を書くのか?」

「マウンテンの ”山” に、リヴの ”住む”、という字です」

 手のひらに字を書きながら、王老師に示す。

「ふむ。身元は、確かかな────────?」

「公安警察ですから、身元の調査は万全を期していますが、何か・・?」

「この男が銃口を向けたときに、私への殺意が感じられたのだ」

「それは・・失礼ながら、さっきはこの私も本気で貴方を撃つつもりでしたから」

「いや、高山くんはプライドのために銃を撃とうとしていたが、この男は明らかに私を殺す目的で引き金を引こうとしていた。だから敢えて激しく吹っ飛ばしたのだよ」

「・・ど、どうしてそんな事が分かるんですか?、いくら何でもそれは考え過ぎでしょう」

「聴勁と言ってね、長いこと拳を練っていると、自ずと分かるようになるものなのだ。
 それに、山住という名前は、上下に重ねて書くと ”崔(cui=ツイ)” という字になる。
 崔は朝鮮人の名前だが、その字を山と住のふたつに分けて作った日本名とも考えられる。無論、山住という名が全てそうだと言うわけではないが───────朝鮮の工作員は日本の警察や自衛隊関係にも多く入り込んでいるという噂を聞く。もう一度、きちんとこの男の身元を洗った方が良い」

「わかりました。念のため、山住の身辺調査をやり直してみます」

「高山さん、この男、こんな物を持っているわよ」

 高山が王老師と話している虚(すき)に、宗少尉が、倒れている山住のポケットから何かを取り出して言った。

「え・・宗さん、そこで何をしているんだ?」

「いや、ちょっと気になったので、所持品を調べさせて貰ったのよ」

「ヤレヤレ、かなわねぇなあ、公安警察のお株を奪われちゃ・・」

「そんなコトよりも、これは外事の正規の装備品かしら?」

「うっ・・こ、こいつ、こんな物を持っていたのか!」

「ご愁傷さま、どうやら王老師の直感が正しかったようね?」

 山住の上着から取り出した黒い革の手帳には、普通のメモが日本語で細かく書かれていたが、手帳に付けられた薄い住所録の最後の数ページには、ハングル文字と並んで何やら単語や記号がぎっしりと書かれている。

「日本の公安が、わざわざウリグル(北朝鮮でいうハングル文字)を使った暗号で通信をするワケは無いわね。多分こいつは北のスパイよ!」

「主任、上着の襟のウラからも、こんなものが────────」

「むっ、これは鍼灸に使うハリじゃないか?」

「はい。それに、鍼の先端に何かが塗られていますが・・・」

「公安じゃ、暗殺用の隠し武器も正規の装備品なの?」

「いや、こんな物は所持しないし、許可した覚えもない。おいっ、山住の所持品を没収して手錠を掛けろ!、署に帰ってから厳重に調査だっ!!」

「はいっ────────」

「初めっから、王老師を狙っていたのね。さっき貴方たちが銃を構えた時に、高山さん以外は誰も本気で撃とうとは思っていなかったでしょうけれど、この男は王老師を殺す目的で撃つつもりだったはずよ」

「けれども想定外のことが起こって・・つまり、王老師の凌空勁(りょうくうけい)で全員が動けなくなって、次のチャンスを狙っていた、と?」

「そういうことよ、ヒロタカ」

「凌空勁、というのか、あれは・・・・」

 ボソリと、高山がつぶやいた。

「あら、ちょっとヒロタカの口が滑ったみたいね」

「貴方たち玄洋會は、どうやら中共だけじゃなく、北朝鮮からも狙われているみたいだな。今回の王永斌さんと張大人への襲撃はどうにか逃れられたが、これからの闘いは一層激しくなっていくに違いない」

「もとより承知の上よ。高山さん、ここで逮捕するのはこれで二人目になったけれど、お互いに得た情報を交換をしながら、協力してやっていきましょう」

「そうさせてもらうよ、宗少尉。でないとまた、巻き添えを食ってとんでもない目に遭わされそうだからな──────────」


                              (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第128回の掲載は、3月1日(土)の予定です

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2014年02月01日

連載小説「龍の道」 第126回




第126回  T E R R O R (7)



 ずらりと、七つの銃口が王老師を狙っている。

 その狙われている本人が、怯えてたじろぐならともかく、本当に自分を撃てるのかと、わざわざ相手を怒らせ、挑発するようなことを言うのだ。
 いざとなれば王老師に代わって、腕尽くでも公安警察の面々とやり合うつもりで居た宏隆や宗少尉も、こうなるとどうやってこの場を収めれば良いのか、ちょっと見当が付かない。

 宏隆は、同じ想いの宗少尉と顔を見合わせて、(儘よ、こうなったら王老師を信頼するしかない─────────)という気持ちになっていた。

 しかし相手の高山はもう、半ばやけっぱちで、

「ええいっ、みんな、ちゃんと銃を構えたかっ?!」

 今にも、自分が先に引き金を引いてしまいそうな勢いで言うが、

「は、はい────────────」

 そうは言われても、部下は誰ひとり、とても本気で撃つ気になどなれない。何しろ、相手の初老の中国人は身に寸鉄も帯びず、ただゆったりとそこに立って居るだけなのである。

「しゅ、主任、本当に撃つんですか?」

「当たり前だろうが──────この男が、自分を撃てば良い、試してみてはどうか、そんな構えでいいのか、本当に撃てるのか・・などと、さんざんヒトを小馬鹿にした事を言うのだ。
 だから、撃てというのなら撃ってやろうじゃないか、こっちは法の番人だ、不法侵入の上しつこく絡んできた相手を撃ったって、いくらでも言い訳が立つ!」

「主任────────────」

「なんだ、まだビビっているのか!?」

「いえ、そうではなく・・つまり、此処は彼らの基地に属する店ですから、下手をすると我々の方が不法侵入にされかねないのでは、と・・そのうえ、丸腰の無抵抗の外国人に銃なんか撃ったら、完全に我々が不利です」

「う、くっ・・か、かまうもんかっ、全部オレが責任を取るっ!!」

「しかし────────────」

「なんだ、まだ何かあるのか、臆病者め!」

「はい、もうひとつ・・この店にはあそこと、あそこにも隠しカメラが付けられていて、おそらく今のやり取りも全部、録画や録音をされていると思われますが」

「ぬぬう、なんだとぉ────────!?」

 これまでの騒ぎで高山はまったく気がつかなかったが、部下が指さす方を改めて見れば、天井や壁面の見えにくい所に監視カメラがうまく隠され設置されている。
 
「はあ、なるほどな、本当は銃を向けられたらどうしようもないクセに、そういう保険があったので大口を叩いていたのか。それで、いよいよオレが撃ちそうになったら、不法侵入はどっちだ、カメラも撮ってあるぞって、そう言うつもりだったんだな───────へっ、こっちは言われるまま本気で銃を構えて、馬鹿みたいだったぜ!!」

「主任、どうしますか?」

「もういい、みんな銃を下ろせ。ただし、もしクロスボウで射(う)たれたヤツをしょっ引くのを阻止しようとしてカンフーなんぞを使ったら、構わねえから遠慮なく撃て。ここが何処だろうと、カメラがあろうと、そうなりゃ立派なマルガイ(公務執行妨害)だっ!」

「は、はい・・・・」

「そういうワケだ、爺さん、コイツは貰っていくぜ!」

「待ちなさい─────────────────」

「なんだ、まだ文句があるのか!」

「憶えているかな?、さっきも言ったが、その男はここに置いていってもらうよ」

「分からない爺さんだな。邪魔すると公務執行妨害でしょっ引くぞ」

「邪魔をしているのではないが、どうしても置いていかないなら・・・」

「腕ずくでも、ってか?、ははは、もうそのテは使えないぞ」

「さて、どうかな──────?」

「くっ、こ、こいつ・・なんと言うか、どこまでもオレたちを舐めていやがる!!」

 王老師の、塵ほども悪怯(わるび)れない態度を、さっきから腹に据えかねていたのだろう、まだ銃を手にしていたままだった高山は、我を忘れて、つい、銃口をスイと王老師に向けてしまった。

 が、その瞬間─────────────────

「うわぁああっっ────────!!」

 その場で、まるで氷の上で激しく滑って転んだように、高山が宙に舞った。

「ズシィーン!!」

「痛(つ)うっっ・・な、何しやがるっ!、このジジイ・・つ、ついにオレに手を掛けやがったな!!」

 脚が肩の高さまで浮いて、そのまま落下したので、高山はコンクリートの床にしたたかに腰を打ってしまったが、よろよろと起ち上がってそう罵りながらも、さすがに銃は手から離れていない。

「いや、私はキミに手を掛けてなどいないよ。そもそも、この位置からどうやってキミに触れると言うのかね?」

 ────────ニコリと、微笑みを湛えながら王老師が言った。

 確かに、王老師は高山から2メートル以上も離れたところに立っている。その位置から高山に何かをするのは、どう考えても物理的にムリに決まっている。

「お、お前たち、いま、このジジイがオレに何かしたのを見ただろう!?」

「い、いえ、何も・・・・」

 六人の部下全員がそれを目撃していたが、みな一斉に首を横に振った。
 だが、誰もが王永斌(おうえいひん)その人の、何らかの影響によるものだと言うことは朧げながら察しがついている。

「何だと?、じゃあ、オレが勝手にスッ転んだと言うのか?!」

「そ、そうです。少なくとも、そう見えました──────なぁ、そうだったよな?」

 部下のひとりが答え、皆にも同意を求める。

「そうです、この人は、玄洋會の王氏は、主任に指一本触れていません」 

 他の部下たちも、口々にそう答えた。

「そ、そんなバカなことがあるかっ!、オレが銃を向けた途端に、このジジイが素早く何かやったに違いないンだ、そうに決まっている!!」

「では、もう一度、今度はきちんと撃ってみるかね?」

「な、なんだと!、エラそうに・・その言葉、今すぐ後悔させてやるからなっ!!」

 仁王立ちに足を開き、銃を両手で構え、再び王老師に向けてピタリと照準を合わせた。

「ああっ、主任っっ・・・!!」

 今度は本気で引き金を引く────────誰もがそう思ったが、

「ほう、どうかしたかね?」

「くっ、くっ・・くっそおお・・・こ、こんなバカな・・?!」

 高山は本当に撃とうとしているのだが、ただ構えた恰好のまま、引き金を引けない。
 そして、王老師も今度はただ立っているだけではなかった。ゆるりと右手の人差し指を胸の辺りに挙げて、ピタリと高山に向けているのだ。

「どうした、引き金が壊れでもしたかね?」

 そう言われて、本当にそうかもしれないと思えてしまうほど、何故か、どうしても引き金を引けない。指は動くから、自分の指がどうかしたわけではない。しかし、どうしても引き金が引けないのだ。
 高山は次第に腕が震えて、額にはだんだん脂汗が滲んできたし、呼吸までも荒くなっている。

「くっ、くそ・・ジジイ、き、きさま、いったいオレに何をした!?」

「いや、強情な高山くんを、少しばかり諫めているだけだよ」

 そう言いながら、王老師がなおも指を前に伸ばすようにすると、

「あ・・ううっ・・・ぐぐ・・・く、くそぉ・・・・」

 いったい、何が起こっているのか。
 途端に、高山はその恰好のまま、うなり声を上げながら徐々に膝を折って、ついにはその場にヘタヘタと座り込んでしまった。
 かろうじて銃は手にしてはいるものの、ぐにゃぐにゃと足を曲げて床にペタリと座った惨めな恰好には、誰もが目を疑ってしまう。
 もちろん部下たちはそんな恰好の高山など、見たことがない。いや、銃を構えながらそんな恰好になること自体、プロの自分たちには有り得ないことであった。

「え、ええい、ば、馬鹿野郎・・お前たち・・な、何をやっている!・・・こ、こうなりゃマルガイ(公務執行妨害)の現行犯だろうが!・・う、撃て、撃っちまええっ!!」

 あまりの不可思議な光景に、それまでただ呆然と見とれていた部下たちは、高山が必死の形相で叫ぶ声に、ハッと我に返って一斉に銃を構えた。

 だが、その途端、

「フッ───────────」

 小さく、鋭く、王老師の口から息を吐くような音がしたのと同時に、

「うわあああああっっっ────────────!!」

 銃を向けた部下たちが、王老師を中心に、まるで花びらが開くように綺麗に吹っ飛んでいった。

 それだけではない。吹っ飛んで転がった床から立ち上がれずに藻掻いている者、銃を持った手や腕が引きつってしまって戻らない者、銃が手から離れず、もう一方の手で引っ張って離そうとしている者など、めいめいが元ある恰好に戻れず、呻いたり、やたらジタバタとしてしまっているのだ。

 そして、さらには、
「あ、危ない、こっちに銃を向けるな!」だの、「お前こそ引き金から指を離せ!」とか、「お、起き上がれない、誰か手を貸してくれ!!」などと言いながら、銃の安全装置を外して初弾を装填してしまったことを後悔しながら、お互いに怒鳴り合っている。


「すごい─────────────────」

 宏隆は、その光景を目の当たりにして、非常に驚くと同時に、とても不思議でならなかった。
 いったい、相手に向けたその指一本さえ触れることなく、こんなふうに相手の身体をコントロールできるものなのか。
 それは紛れもなく太極拳の功夫のひとつであるのか。それとも、王老師が学んだ他の武術や、特別な修行の成果であるのだろうか。

「ヒロタカ!、リンさんも、今よ!・・公安の連中から銃を取り上げて!!」

 宗少尉が叫んだが、

「いや、それには及ばない。見てごらん、高山くんも、もうそれほど意地を張る気にはならないだろう」

 王老師に言われて高山を見れば、なるほど、すっかり戦意も失い果てたような、疲れ切った顔をしている。

「どう、今の気分は?・・この男をおいて行くなら、王老師に魔法を解いてもらってあげても良いわよ!」

 体をくねらせて転がっている高山の顔を覗き込んで、宗少尉が悪戯っぽく笑って声を掛ける。確かに、高山たちにしてみれば、魔法にも思えてしまうことに違いなかった。
 
「く、くそっ、悔しいがどうにもならん・・・参った、降参だ!、何だかよく分からんが、この呪縛を解いてくれたら、何も言わんから、そっちの好きにしてくれたら良い。
約束するよ・・・」

「王老師、やっと素直になったようですが、どうしますか?」

「ふむ──────────」


                              (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第127回の掲載は、2月15日(土)の予定です

noriko630 at 23:24コメント(14) この記事をクリップ!
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