*第91回 〜 第100回

2012年11月15日

連載小説「龍の道」 第100回




第100回 インテリジェンス(9)



「孔子の ”仁・義・礼・智・信” の崇高な精神が説かれた国。そしてその孔子を心底から畏怖させ戦慄させた、”道(タオ)” を説く老子を生んだ国・・・・
 日本人は、論語、道徳経、四書五経を始めとする多くの中国の書物を大陸から持ち帰り、古くから中国の影響を受け続けてきたわけですが、これまでのお話を聞いていると、それはいったい何であったのかと、改めて考えさせられますね」

 宏隆は、まだ少し呆然としている。

 これだけ様々な話を聞いてみると、真の中国の姿が余りにも自分のイメージと懸け離れていたことが分かり、宏隆には大きなショックだった。
 歴史にしても、中華民族の成り立ちにしても、漢民族にしても、自分が知っていたものとは全く違っていて、学校で習ってきた事と、宗少尉のような ”中国をよく知る中国人” から聞くものとは大違いであった。

「・・・そう、日本人は昔から漢籍、つまり中国の書物、漢書を教養として身に着けてきたわね。日本人なら誰でも論語の一節や漢詩のひとつやふたつはスラスラ出て来るし、日常用語の中にもそれらを起源とするものがたくさんある。それは文化としてスゴイことよ」

「確かに、江戸時代の寺子屋では、読み書きソロバンとは言っても、百人一首や徒然草はもちろん、四書五経から十八史略、唐詩選などの漢籍の多くを素読させ、諳記させていたわけですからね。現代の子供たちがそれをこなすことはかなり大変だと思います。
 当時、寺子屋は江戸だけで千軒以上もあって、最盛期には日本全国に二万軒も存在していたそうで、その時代に庶民のレベルでそれほどの教育が行われていた国は世界でも珍しいと言われていますね」

「けれど、漢籍に書かれた漢文をそのまま ”中国” だと思うことは、とても危険なコトよ。
なぜなら、それを作ったはずの中国人は、いまだに漢文が読めないんだから」

「・・え?、中国人が、漢文を読めないって?・・そんな、まさか!?」

「まさかと思うでしょ、でもそれが真実。この二千年間、漢文と中国語はまったく何の関係も無いものだったのよ。それは少しでも中国語を学んだ人なら誰でも分かることだけど。
 現代中国語をどれほどマスターしたとしても、決して漢文の読解力には繋がらない。現在の中国語は話し言葉を忠実に再現する目的で作られているから漢文とは全く異なっているのよ。北京語でも上海語でも、たとえどれほど中国語を話せるようになっても、論語や漢詩を返り点のない ”白文” で読み下せるようには、決してならないのよ」

「ちょっと、にわかには信じられませんが・・」

「例えば、杜甫の書いた ”春望” という有名な漢詩があるでしょう?」

「はい、 ”国破れて山河あり、城春にして草木深し” ・・という美しい詩ですね」

「そう、日本人なら殆どの人がそうやってスラスラ口をついて出てくるわね。だけど、それを正確な中国語の発音で読んで中国人に向かって聞かせたとすると、その朗読を聞いて正しく意味の分かる中国人は、まず存在しないのよ」

「え?・・ええーっ・・・・!?」

「ヒロタカだけじゃなく、それを聞いた世界中の人が目を丸くして驚くでしょうけど、それは紛れもない事実なのよ。もちろん、あらかじめその詩を知っていれば別だけれどね。
 実際問題、中国人にとって漢文というのは、そのままでは全くどうにもならないもので、音で聞いても文章で読んでも全く意味が不明、それが中国人にとっての ”漢文” なのよ」

「うーむ・・それじゃまるで、日本人がお坊さんの読むお経を聞いても何の事だか分からない、少しでも経典を勉強した人でないと、何を言っているのかチンプンカンプン、というのと同じじゃないですか」

「そのとおりよ。中国人にとって漢文とは、一般日本人にとってのお経と同じだと思って間違いないと思うわ。日本人が漢字だけで書かれたお経を読むのがほとんど不可能なように、中国人に ”般若心経” を見せても同じように読めないし、意味もサッパリ分からないのよ」

「本当ですか?・・・インドから中国に仏教が渡ってきたから、訳されたお経は漢字で書かれている、だから日本人は漢文を解読しないと意味不明なワケですけれど、本当に中国人は母国語で書かれた漢文、つまり ”漢字で作られた文章” が理解できないのですか?」

「それが古典だから難しいというわけではなくて、日本人が漢文を読む時のような送り仮名や返り点の無い白文を読むのは本当に至難のワザね。中国人にとって漢文というのは外国語のようなものなのよ。
 そもそも漢文には日本語のように、これは動詞、これは名詞といった品詞の区別が無い。
たとえば ”歩” という文字が、歩くことなのか、踏むことを表すのか、ある段階を示すことなのか、ルールが無いのでどうとでも取れるし、 ”言” という字が ”言う” という動詞なのか、”発言” という名詞なのか、それを明確に判断する方法が何もないのよ。それに加えて、普段は ”歩く” を表すのに ”走” という文字をあてたりしているから余計にややこしい・・・というか、こうなるともう、”処置なし!” という感じね」

「そういえば、いつかもそんな話をしてくれましたね」

「台湾でそんな話をしたわね。父が歴史家で言語学者だったから、私も自然とそういうコトに興味が出た、って・・・」(編集部註:龍の道・第40回参照)

「そうでしたね。士林の夜市に連れて行ってもらった時に・・古都西安の郊外にある碑文には、二千年経った今も中国人が読めない文字が書かれていて、その文字が日本の古代文字、神代文字やアイヌ文字とも似ているというお話も、そのときに伺ってビックリしました。
 漢字の元になった甲骨文字が漢民族の創作ではなかったことは、今日初めて知りましたけど、中国人が漢文を読めないと言うのも、同じように驚きです」

「日本人は漢文を見て、こんな返り点も、送り仮名も、点も丸も無い文章を中国人はスラスラ読めるのだから、とても高度な文化が存在している、などと思ってしまうのでしょうけれど、ほとんどの中国人は日本人と同じように漢文が読めないのよ。まるで笑い話でしょ?、ウソみたいなホントの話ね!!」

「でも、ほとんどの中国人ということは、もちろん、中には漢文をスラスラ読める中国人も居る、ということなんでしょう?」

「古典や漢詩は、かつて ”科挙” の試験を受けるような人には必須だったけれど、そうでない一般庶民にとっては全く無縁の世界だったワケね。だから漢文を読めるのは、いつの時代もその勉強を特別にした人だけ。
 たとえば、日本の書店には、論語や儒教の本だけでも無数にあるでしょ。つまり日本人は今も昔もそれらをとても大切にしてよく学んで来たのだけれど、中国の書店にはそれらの書物が日本ほどの数も種類も置かれていないの。日本は中国人よりも中国の伝統文化をよく学び、よく知っていると言えるのよ」

「そうなんですか・・・想像していたのと全く反対ですね」

「けれど、もっと重要なことがあるのよ────────────」

「もっと重要なこと?」

「それら古典が示している孔子や孟子、老子や荘子が説いたような人間性の高みについても庶民にとっては同じように全く無縁の世界だということ。
 たとえば、日本人はビジネスの世界で論語の言葉を指標として用いたり、武道家には老荘哲学が重んじられていたりするけれど、肝心の中国人にはそんな考え方は全然ないのよ。
 論語を生んだ国だからと言って、中華民族にその精神が活かされているはずだ、などと考えて付き合っていると日本人はとんでもない目に遭うでしょうね。たとえ口先で論語を引用して高尚に見せかけたとしても、実際にはその精神とは全く無縁の人たちなのだから」

「なるほど─────────────────」

「今言ったような ”漢文の特殊性” を世界で初めて指摘したのは、スウェーデンの言語学者、ベルンハルド・カールグレン博士よ。彼は、漢文は全体の意味が分かっていなければ文章の切り方も分からないし発音も分からない、という研究成果を発表したの。
 ただし、媚中派・親中派でなければ相手にされない日本の学会では、彼の研究から中国に都合の良い事ばかりを取り出して報告されているみたいだけれどね・・・」

「うわぁ、何てこった。そんなところまで中国の魔手が及んでいるんですか?、日本に住んで居るのがだんだん不安になってきますね」

「学問の世界でも、反日勢力はどんどん増えているわよ。特に東京大学なんかは反日左翼の巣窟のようなもの。入学式には国歌斉唱もないし、自衛官を絶対に大学院に入学させない事でも有名でしょ。中国と朝鮮のお先棒を担いで南京大虐殺や従軍慰安婦問題をでっち上げたり、日韓併合は日本の植民地支配だと呆れたデタラメを言ってのけるような、日本を貶める先兵となっている連中は、東大教授や東大出身者が圧倒的に多いのよ」

「あの東大が・・・何故そんなことになってしまったんでしょうか?」

「東大に左翼が多くなったのは、戦後のGHQ占領政策の一環で、当時主流派だった保守派の教授を学内から排除し、左翼系の教授をどんどん採用したという経緯があるわね。
 彼らは、中国がお父さん、韓国がお兄さん、日本が弟、という関係性を定着させたくて仕方がないのよ。まあ、こんな隣国ドモがすぐ隣で好き放題に暴れて、国内にはそれに協力する亡国反日勢力が巨万(ごまん)と居るんだからコレは大変なことよ。日本はよほど気を引き締めて掛からないと、近い将来とんでもないコトになるでしょうね」

「これまで宗少尉の ”インテリジェンス講義・中国編” を受けて、日本人が思うような中国という国家は無かった、中国人という人種も、漢民族という民族も無かった、ということがだんだんハッキリしてきました」

「思い付くままに話したから、分かり難かったかも知れないけど、基礎知識としては役に立つと思うわよ。ヒロタカのお役に立てて、とても嬉しいわ!」

「どうも日本人の中には日本と中国は ”古くからの良き隣人” であるような感覚があるみたいで・・中国とは理解し合える、という前提で付き合っているような気がするんですが」

「あはは、お人好しの日本人らしいわね───────────────」

「けれども、本当は何も知らない。今日のお話を聞いているとそれがよく分かります。
日本人が親しみ、知っているつもりでいるのは ”漢籍に書かれた中国” や ”戦後のメディアによって作られた中国” なのかもしれませんね」

「そのとおりよ。明治以降、多くの日本人が漢籍に書かれていた中国に憧れて大陸に渡り、そして大きく期待を裏切られ、みんな絶望して帰って来たの。姿三四郎のモデルになった西郷四郎もその一人ね。史記や三国志に登場してくる信義や礼節に篤い中国人と出会えるはずが、実際にその地を訪ねてみれば、油断も隙もあったもんじゃない、シタタカで抜け目のない、自分本位な連中ばかり──────────阿倍仲麻呂や空海が生きた時代の人が熱く憧れた支那と、今の中国とは全く違うのよ。もしその時代に現在のような中国だったとしたら、誰が危険を冒して、海を越えてまで行こうとするかしら?」

「なるほど、日本が学ぼうとした唐や宋の時代は、漢民族が支配した時代では無かったわけでしたね」

「そう、今の共産主義中国というクニは、かつての日本人が学んだ支那とは全く別のモノであって、思想も信条も、その行動も全く異なるものよ。本当は何も知らない、分かっていない、中国や中国人のことを何も知らないのだという自覚を持たなければ、永遠に中国を知ることが出来ないと思うわ。
 地理的にはとても近いところにあるけれど、相互理解にはまるでほど遠い。同じような顔をしているのに、これほど理解が出来ない、これほど全く考え方が違う隣り同士のクニの例というのは、世界でも珍しいわね」

「中華人民共和国と、空海が生きた時代の人が学んだ中国は同じではない。日本人はこれをキモに銘じなくてはいけませんね」

「ついでだけれど、その ”人民” というのはどういう意味か知ってる?」

「人民、ですか?・・それはもちろん中国国民のこと。国民と財産を共有する搾取や差別の無い平等な社会をめざす、共産主義の理念で作られた社会に生きる市民のことでしょう?」

「今の中国に当てはめると全くお笑いだけれど、一般的な定義としてはその通りね」

「そういう意味ではないのですか?」

「人民は、もちろん中国の国民を意味する言葉だけれど、中国でいう ”民” という文字には、とんでもない意味が潜んでいるのよ」

「とんでもない意味、って・・・?」

「別に難しいことじゃないわ。どんな辞書にも意味が載っているはずだけれど、誰もあまり関心がないみたいね。
  ”民” という文字の成り立ちは ”眠・氓・盲” という字が元になっているんだけれど、それは ”針で突いて失明させた奴隷” を表しているのよ。昔の中国では、奴隷が逃げ出さないように矢尻が付いたような針で両目を突いて失明させていた。人民の ”民” という字は、そのように ”目に針を突き刺した形” が変化してできた象形文字なのよ」

「うわぁ!・・・なんという国・・何という文化なんだ・・・!!」

「ちょっと見ただけでは、とてもそんな陰惨な歴史を秘めている文字だとは思わないでしょう?、私も父からそれを聞いたときには本当に驚いたし、きちんと歴史や民族のことを学んで理解しなければいけないと、あらためて思ったものよ。
 この文字はその後、盲人のように実際に物が見えない人とか、正しく判断が付かない人、権力の支配下に置かれた ”愚民” と呼ばれる大多数の人々、ということを意味する文字として使われてきたのよ。だから、目偏が付いた ”眠” という文字は、目を突かれて盲目にされた人の目の状態を表していて、目をつぶって眠るという意味になったワケね」

「すごい・・そんな謂われがあったんですね。こうして本当のことを知ると、ものの見方や考え方が否応なしに変わってきます」

「あの孔子サマも、”民は之(これ)に由(よ)らしむべし、之を知らしむべからず” と論語に書いているわね。民は言われるとおりにやっていれば良い、何故なら民は知る必要が無いからだ、というような意味・・・それは権力者である政府と支配層に従順な愚民を良しとして、愚民であるからこそ支配しやすいのだという ”愚民政策” の表現そのものね」

「孔子が?、そんなことを言っているんですか・・・」

「その愚民政策は、今の中国でも何も変わらない。毛沢東が民衆の支持を集めて大成功をしたのは、彼が初めて愚民たちに土地を分割して貸し与え、発言する権利を与えたからよ。
 今でも農民たちの間で毛沢東ほど偉大な指導者は居ないという強い崇拝があるのはその為よね。ただし、中国ではその土地は永遠に自分のものにはならないし、農民の発言がきちんと聞き届けられることなど、ほとんど有り得ないコトだけど」

「知識人たちはどうなのですか?、中国人の大部分は支配しやすい農民でも、いつの時代にでも高い知識人の層があったはずですが・・・」

「文革で反文化思想が膨れあがって専制主義が横行してくると、知識人たちは生き延びるためにその政治理念に従属するしかなかった。誰よりも蹂躙され、抑圧され、歪められながら人間性や良心を抑えつけて、共産中国という新しい社会が規定するところに従って生存していく方法を模索し、必死に保身哲学を身に着け、それを固守していくしか他に方法がなかった・・・というのが中国の知識人たちの実情なのよ」

「宗少尉のお父さんも、そのような知識人として弾圧され、迫害されたのですね・・・?」

「そう、けれど、父はそれに頑として従わなかった。
 だから私は、そのような支配者も、社会も、決して許せないの───────────」

「そういう人たちも多く居たのでしょうね。本当に中国の社会を憂い、本当の意味で民族を大切にしようとした、歴史や文化の尊さを理解できる人たちが・・・」

「そういう人たちは、ほとんど殺されたり強制収容所送りになったけれどね。そんな目に遭わなかった知識人は、取り敢えず上手く調子を合わせたり、身分を隠して潜んだ人たちよ」

「聞けば聞くほど、知れば知るほど、中国とはよくよく心して付き合わなくてはならないと思えてきます。ただボクがすごく不思議なのは、なぜあんなに性急に田中内閣は日中友好条約を結ばなくてはならなかったのか・・・それが全然解せないんですよ」

「良いところに気がついたわね。その ”日中平和友好条約” こそがクセモノよ!!」

「くせもの、って・・・?」



                                (つづく)
 



  *次回、連載小説「龍の道」 第101回の掲載は、12月1日(土)の予定です

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2012年11月01日

連載小説「龍の道」 第99回




第99回 インテリジェンス(8)


「日本の主要なメディアは、そのとんでもない事実を知っていて一切報道しようとしない。日中平和友好という美名のもとにね──────────────」

「いったい、何があったと言うんですか、そのウイグルで?」

「核実験よ。それも、その土地に住む人たちに全く知らされず、誰ひとり避難させず、被爆者の救済も全く行われない非人道的な核実験が、ウイグルで繰り返し行われてきたのよ」

「ええっ・・!?」

「中国共産党は 1964年10月、ちょうど日本で東京オリンピックが開催されている最中に、核武装計画に基づく核実験をウイグル人が居住する東トルキスタンの地で開始し、それ以来核爆発の実験を繰り返し続けているの。日本人がNHKの ”シルクロード” で歴史ロマンの印象が強く植え付けられた ”楼蘭(ろうらん)” 遺跡の周辺がその実験の中心地よ」

「・・な、何ということを!!、中華人民共和国、自国の国民が住むところで、何の予告もなく、誰も避難させずに、その核実験をやったというのですか!?」

「そう。それも一回や二回じゃなくて、楼蘭遺跡の周辺から北西200kmに及ぶ広い範囲で、総数46回、総威力22メガトンもの核爆発実験が強行されたのよ。それは広島に落とされた原爆の1,400発分に相当するもので、地表での爆発やクレーター型の地下核爆発によって、その地域は非常に広大な範囲で核物質が地表物と混合して汚染されてしまった。シルクロードにある、サハラ砂漠に次ぐ世界で二番目に大きいタクラマカン砂漠は、それによって核の砂漠と化して、その汚染は1,000kmも離れたカザフスタンまで及んでいることが確認されているのよ。日本人はもう、世界で唯一の原爆被害者では無くなったということね」

「そんなことをされたウイグルの人たちは、今どうなっているんですか?」

「英国からの信頼できる情報によれば、ウイグル人の20万人以上が急性死亡し、130万人以上が急性放射線障害などの甚大な影響を受け続けているということよ。共産党から漏れた機密情報によれば、現地ではすでに75万人の死亡が確認されたというわね」

「ひどいっ、何てひどいことを!!、自国の国民、言わば同朋に対して、どうしてそんなひどい仕打ちが出来るんだろうか?!」

「彼らがウイグル人、つまり ”漢民族” ではないからよ──────────────」

「ただ、それだけの理由で?」

「そう、ただそれだけの理由よ。漢民族にしてみればそれだけでも充分な理由だし、あの忌まわしい中国共産党の方針としては尚更のこと。相手が異民族なら煮ようが焼こうが、殺そうが犯そうが何とも思わない。ウイグルはイスラム回族だから、それはむしろ当然だと考えているのよ。共産主義は宗教を阿片として弾圧するからね。”人命は地球よりも重い” などと公言する日本人のような考え方は全く持ち合わせていないのよ」

「NHKは、その核実験の事実を知らずに、シルクロードで楼蘭遺跡の周辺を取材していたのでしょうか?」

「いいえ、その地で核実験が行われていることを知った上での取材だった事が、NHKが刊行した 【シルクロード第三巻・幻の楼蘭・黒水城(カラホト)】という本の中に明かされているわ。日中共同取材であったにも係わらず、楼蘭とカラホトだけには撮影許可が下りず、中国政府と度重なる交渉の末にやっと特別に許可が下りたそうね。
 NHK取材班は楼蘭が重要な軍事基地であり核実験場であることを知っていたけれど、これまで誰も取材したことのない歴史上重要な土地に足を踏み入れる許可が下りたことを中国スタッフと共に喜んだと、その時の様子が書かれているわ」

「取材許可を喜ぶ?・・・だってその土地は極度な放射能で汚染されている核実験場でしょう?、そこに生身の人間が取材に行くのを喜ぶなんて・・・確か楼蘭には作家の井上靖さんも同行していましたよね」

「番組とは別に、あの平山郁夫画伯も楼蘭に行ったそうね。画伯は楼蘭に魅せられて何度か現地を訪れて作品を遺しているけれど、その時の様子は彼のエッセイに、 ”寂として画用紙を這う鉛筆の音だけが異様に大きく響く。明るい陽光が鉛筆の陰影を浮かばせている。見渡す限り一木一草もない死の世界だ” ・・・などと書かれている。もし平山画伯がその景色を核実験場の光景だと知らずにそこで絵を描いていたとしたら、それは悲劇としか言いようがないわね。彼が見たのは本当の意味での ”死の世界” なのだから───────────」

「夏目雅子さんが三蔵法師役になった日本テレビの ”西遊記” のシーンにも、楼蘭で撮影されたものがあるそうです。実際には、シルクロード取材班や西遊記のスタッフにも、少なからず被爆の影響が出ているんじゃないでしょうか?」

「当然、その可能性は大いにあるでしょうね。NHKの番組は大きなシルクロードのブームを巻き起こしたけれど、これではまるで中国共産党の肩を持つ偽装番組だと言われても仕方がないわね。現にNHKは、中国や韓国・北朝鮮に賛同するような報道や番組をたくさん作り続けているし」

「日本の文化や歴史を否定するような放送を行いながら、公共放送として国民から受信料を取るのは全くもっておかしな話ですね。まるで反日国家の放送局みたいだ!」

「NHKに限らず、日本の主要メディアには中国や朝鮮のお金や工作員がたくさん入っているから、これからの日本は大変よ。ほとんど全ての報道は中国・朝鮮寄りだと考えた方が良いわね」

「番組の影響で、近ごろはシルクロードへのツアーも流行っているみたいですが」

「わざわざ好んで危険な核汚染地域を訪ねるということになるわね。何よりも、中国のこのような危険で卑劣な核実験という行為に全く触れずに番組を制作して放送を続け、書籍やビデオを販売し、中国ブームの一端を担っているというNHKが全く理解できないわね。それが日本の公共放送だというのだから大問題よ」

「日頃から ”ノーモア広島・長崎” を声高に叫んできた日本の反核・反原発の平和団体も、そんな中国の暴挙に対しては、どこも何の反対行動も起こしていないようですね」

「反対するワケがないわよ。彼らは ”日本の核” に反対しているのよ。彼らが信奉する共産主義中国が核兵器や原子力潜水艦を持つことには何の反対もせず、黙認・容認する。それらの団体は社会主義思想に凝り固まった、単なる偽装反核集団に過ぎないんだから。
 何よりも、ウイグルの民族を絶滅させるような核実験を行っている目的のひとつは、日本に核ミサイルを撃ち込めるようにすること。日本を滅ぼし、日本を支配することは彼らの長年の夢なのだから・・・」


編集部註:

 核実験が行われた1964〜1996年の間にNHKのシルクロードに魅せられて現地を訪問した日本人の数は27万人に上る。しかも年間1〜3万人の規模で日本人が最も多く訪問した1990年代には、最も危険なクレーター型の核実験(セダン核実験=2段階熱核爆弾)が行われたという現地人の証言がある。
 それ以後も、今日まで約84万人もの日本人が極度に核汚染された現地を観光訪問しているのは国家としても大問題であるはずだが、なぜか政府や国会では全く取り上げられず、旅行者の健康被害調査も行われていない。

 この問題は、札幌医科大学の理学博士・物理学者の高田純教授がいち早く取り上げ、雑誌「正論」2009年6月号に【中国共産党が放置するシルクロード核ハザードの恐怖】という論文を掲載している。
 高田博士はその後も精力的に調査・研究・講演・著作を行い、各方面に向けて警鐘を鳴らし続けており、核ハザードの危険を隠してきたシルクロードの番組に対し、NHKに公開質問状を送っている。高田博士の活動や著作は欧米のメディアには高く評価され、各国で衝撃的な事実として取り上げられている。

 中国がウイグルで行ってきたこれらの核実験は、英国BBCテレビのドキュメンタリー番組「Death on the Silk Road」で放送され、現在も YouTube 等で世界中に発信され続けている。



「しかし・・・いくら中国でも、異民族というだけで、同じ国に住んでいる人間に対して、それほどまでに非人道的な扱いが出来るものなのでしょうか?」

「中国は平然とそれが出来るわね。それが ”民族浄化” といわれる政策なのよ」

「民族、浄化・・・?」

「そう、中国は人口の九割以上が漢民族だけれど、古くから言葉も文化も違う五十以上の少数民族が同じ国に暮らしている。それら異民族の中でも、漢族からの独立を強く望んでいるのがウイグル族とチベット族。けれども中国共産党は独立を決して認めたくないので、反対に武力で恫喝して漢民族を彼らの土地に大量に入植して人口の比率を漢民族優位にしようとしている。それを民族浄化と言うのよ。ひと言で言うなら、その民族自体をこの世から葬り去ることが目的ね」

「そんなことが、あの中国で・・・・」

「決して中国だけの話じゃないけれどね。第二次世界大戦でナチスドイツの傀儡ファシスト国家だったクロアチア独立国の教育大臣は、”我々はセルビア人の三分の一を殺害し、三分の一を追放し、三分の一をカトリックに改宗させてクロアチア人にする” と民族浄化を示唆する発言をしたことで有名になったわね」

「そんなこと、初めて知りました。何人の日本人がそれを知っているんだろう・・・」

「中国共産党の民族浄化は、まず異民族が多く住む土地で、選挙や議会などを掌握できない場合は嫌がらせや暴力で自治体を乗っ取り、異民族に対して誹謗中傷の宣伝活動をして、異民族が漢族への反乱を企てているとか、戦闘準備をしている、異民族の主要人物が重大な犯罪に荷担している、などといったデマを流して、漢族に不安や恐怖、敵対心を植え付けていく。漢族の住民に疑心暗鬼を生じさせ、異民族に対する不信感を煽っていくわけよ。
 その上で、軍の工作員が扇動した民兵を使って、異民族の住居や店舗、事業所などを襲撃して暴行を加えさせ、略奪、凄惨な殺害、強姦などを行わせる。その多くは見せしめのために、わざと人目に付くところで堂々と派手に行われる。それを目の当たりにした異民族の住民たちは、家族や自分の生命、財産への危機を強く感じることになる。
 自治体が乗っ取られていれば警察も口出しが出来ないし、武器所有者や軍隊経験者のリストも容易に入手できる。つまり抵抗する勢力への襲撃対象を選定できるということね。
 あとは抵抗勢力に対して、身の安全を保障するなどと言葉巧みに武装解除させ、結局は強制収容所に送るか、まだ抵抗しそうなら反乱者と見なしてどんどん殺害する。
 自治体を乗っ取って、警察を支配下に置いて異民族の武装解除が出来たら、武力で住民の住居を次々に襲い、財産を没収し、その土地の外に強制移送するか収容所に送る。少年や成人男性は将来兵士となる恐れがあるので、ほとんど強制収容所送りにされる。
 異民族の女性は、兵士の士気を高めるためにも大量に強姦する。それによって異民族の女性には大きな屈辱と不名誉、恐怖の感情が植え付けられる。二度と漢族には歯向かわない、漢族に服従するという気持ちにさせるのよ。そして大量に妊娠させ、妊娠後も一定期間拘束して、出産の時期になったらわざと解放する。こうして漢民族の血があっという間に異民族の土地に混じって行き、漢族の風貌をした子供たちがその民族に混じってくる・・・・」

「そんな・・・とても人間のやる事とは思えません・・・・・」

「それはまだマシな方よ。完全にその民族を絶滅させることを目的に、深夜にその地域を突然襲撃して、住民を一人残らず殺害することもあるわ。ガス弾を一斉に全戸に投げ込んで、驚いて飛び出してきた人を次々に射殺する。すべてが終わったら襲撃班が引き上げ、掃除班と呼ばれる部隊がトラックでやって来て大量の死体を片付ける。一夜明けた次の朝には、その集落は人っ子ひとり居ない廃墟となっている・・・
 外部には報道されないだけで、中国にはそんな地域が珍しくないのよ。ウイグルの場合は彼らの土地を核実験場とすることで徹底的に民族浄化を図ったということね。中国がやっていることは紛れもなく、あのナチスを上回る現代の大虐殺事件なのよ」

「・・そ、そんな奴らが、日本のことを南京大虐殺とか、百人斬りだとか、ありもしない事をでっち上げた上に、もっと反省して賠償しろとか、果ては沖縄はもともと中国の属国だとか、尖閣は中国のものだとか、言いたい放題を言っているということですか!!」

「そうなるわね─────────────────」

「ゆ、許せない・・・!!」

「けれど、それは決して他人事ではないのよ。その中国がチベットとウイグルの次に狙っているのは紛れもなく台湾、フィリピン、沖縄、日本・・・そして日本にはすでに中国に荷担する政党や反日メディアが呆れるほど沢山あるから、彼らはさぞかしやり易いでしょうね。
ましてや日本は、いまだにアメリカが作った占領憲法を後生大事に守っていることだし」

「嗚呼・・張大人にもっと勉強しなさいと言われた意味が、やっと分かってきました。
 それにしても、漢民族というのは一体何なのでしょうか?、中国の人口の九割を占めると言っても、十億人以上の人間が純粋な漢民族の血を持っているとはちょっと思えない。
 僕には、漢民族という独自の血液を持つ強力な民族が存在して、それが古くから中国大陸を統一し、何千年にもわたって代々彼の地を支配してきたような、そんなイメージがあったのですが」

「それじゃ、ちょっと歴史の話に戻りましょうか────────────そもそも、中国の皇帝たちというのは ”非漢人” であるのが普通だったのよ。中国の皇帝だから漢民族なのが当たり前だという考えは全くの誤りね。そして漢人出身の皇帝の在位期間は、非漢人のそれよりもはるかに短いのよ」

「ええっ、本当ですか・・?」

「秦の始皇帝から、清朝最後の皇帝、宣統帝・愛新覚羅溥儀までを見てみると、秦、前漢と後漢、三国と晋は漢人だけど、隋、唐の皇帝は鮮卑(せんぴ)人でしょ。
 五代・十国時代の河北の五つの王朝のうち、最初の後梁(こうりょう)の朱氏は漢人だけれど、次の三つの王朝の、後唐(こうとう)、後晋(こうしん)、後漢(こうかん)の皇帝はみんなトルコ人よね。後周(こうしゅう)の郭氏、北宋・南宋の趙(ちょう)氏については、これは漢人かどうかちょっと怪しいけど、まあ一応漢人として数えてあげましょう。
 それから、北京と大同を支配した ”遼” は契丹(きったん)人で、華北を支配した ”金” は女直(じょちょく)人、全中国を支配した ”元” はモンゴル人、”明” になると漢人になったけれど、最後の ”清” の皇帝は満洲人よね」

「うわぁ、ホントだ・・!!」

「始皇帝が即位した紀元前221年から、清朝最後の宣統帝が退位した1912年までの2,132年間に、皇帝が漢民族であったことが明らかである期間の長さと、皇帝が漢民族ではないことが明らかな期間を比較してみると、全体のおよそ75%、つまり2,130年のうち、約1,600年間が漢民族以外の皇帝による支配であったことが分かるのよ」

「75パーセント!!・・中国の歴史の4分の3は、漢民族以外の人間が支配していたということですか!?」

「そう。王朝と皇帝の制度は中国文明の本質と言っても良いわけだけれど、その内容は決して漢民族が主体の支配ではなかった。秦の始皇帝以来の中国の歴史と言っても、実はそのほとんど、4分の3にも相当する期間が、漢民族以外の異民族が支配した歴史だったわけね」

「うわぁ・・これは驚きです!!、そのような歴史だったとは想像もしていませんでした。中国は、千六百年間も他民族からの支配を受けた国なんですね!!」

「しかも、それら異民族の支配による王朝は、決して現在の中国共産党政府が表明しているような中国式のものではなかったの。たとえばフビライ・ハーンは中原に於いて中国式の元(げん)王朝を建てたとされているけれど、実はこの解釈は大間違いで、フビライ・ハーンが1,271年に採用した「大元」という国号も、実際にはモンゴル人が敬って止まない「天」を意味するもので、中国語の「大元=偉大なる元=Great Yuan」とは全然意味が違っているわけよね。
 それに、フビライ・ハーンが金の中都に建設した大都(北京)は行政の中心として機能していたのだけれど、ハーンの宮廷は高原の大草原地帯を季節ごとに移動するもので、冬になると寒さを避けるために北京の大都に戻ってくることを繰り返していたのよ。それは全く漢民族のスタイルではないし、中国式にも思えないでしょ」

「だんだん分かってきました・・・要するに漢民族というのは単一民族ではなく、複合的な民族なんですね?」

「そういうこと。中国の歴史は民族と人種の絶え間ない混合の歴史。異民族でも漢族の伝統や文化を受け容れれば漢族と見なされてきたのよ。長い歴史の間に多くの他民族との混交の歴史を経て、今の漢民族が造られてきたというわけね」

「だから同じ中国人同士でも、土地が違えばまったく言葉も通じないし、筆談しても句読点も無いし、文法もマチマチだからどうしようもない、ひとつの中国語で統一も出来ない・・何てコトが今でも実際に起こっているわけですね?」

「漢民族の話す言葉ひとつを取っても、北方民系の晋語、広府民系の広東語、呉越民系の呉語、贛府民系の贛(かん)語、湖湘民系の湘語、客家民系の客家語、閩民(びんみん)系の閩語、巴蜀民系の蜀語、台湾民系の台湾華語・・と、思い付くだけでもこんなにあるのよ」

「スゴイですね、いわゆる ”方言” というものですか?」

「それを方言と称してはいるけれど、日本なんかの方言とはまるで違っていて、実際にはお互いに何を言っているのかまるで分からないんだから、方言というより ”外国語” と言う方が近いわね。漢民族には共通語さえ無かったということね。
 普通話(プートンホワ)と呼ばれる現在の共通語は北京語系の言葉だけど、たとえば巻き舌音は北京語の音にしかなくて、それ以外の地方の中国人には発音も出来ないし聞き取れもしない。普通話は地方の人にとっては外国語に等しいわけね。毛沢東が北京語の発音さえできなかったのは有名な話よ」

「あの毛沢東が?、中国の普通話である北京語の発音ができない・・?!」

「言語でさえこの有り様では、そもそも国家を統一することなど、どだい無理な話よね」

「たしかに・・・・」

「文字にしてもそう。中国では50種以上の少数民族が用いる言語以外に、さらに中国語とされる言葉が何十もあるのだけれど、それらの中ですべて漢字で書けるものは、北京語と広東語のたった二つしかないのよ。それ以外のものは、たとえ上海語だろうと福建語だろうと、文献や共通語から借りてきた言葉以外は決して漢字では書き表せないの」

「いやはや、それでは大変ですね・・・・」

「日本人が普通に想像するような、同じ言葉を話し、同じ文字を用いる十二億の中国人はどこにも居ないのよ。つまり、同じ言語や同じ歴史を共有する ”ひとつの国” の国民など、中国には全く存在しないということ。毛沢東はそのような国を西洋のような国民国家にして行くために歴史を捏造し、言語を統一しようとした。そして少数民族を虐殺し、その文化を徹底的に破壊することで中国全土にいる人間を全て ”漢民族” に変えてしまおうと考えたのよ」

「そして、その ”考え方” は今も続いている─────────────────」

「そう、資本家を認める社会主義となっても、その本質は何も変わっていないわ」


                                 
                                (つづく)
 



  *次回、連載小説「龍の道」 第100回の掲載は、11月15日(木)の予定です

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2012年10月15日

連載小説「龍の道」 第98回




第98回 インテリジェンス(7)


 そう言えば、珠乃と別れた後、この南京町の地下基地に来たのが昼過ぎで、今はもう夕暮れ時だから随分時間が経っている。珈琲とクッキーだけでずっと話し続けてくれた宗少尉がお腹が空いたというのも無理もなかった。

「講義は小休止して外へ食べに行く?、すぐ上は南京町、美味しい物がいっぱいよ!」

「それもいいけど、ボクの手作りで良かったら、何か作りますよ」

「えっ、珈琲だけじゃなくて、料理まで作ってくれるの?」

「まぁ、料理と言っても、いわゆるキャンプ料理とかアウトドア・クッキングの類だから、そんな大それたモンじゃありませんけどね」

「わぁ、ぜひ食べたいな・・・キャンプ料理でも何でも、私はヒロタカの作ったものを食べてみたいわ!!」

「ははは、それじゃ何か作りましょうか。でも、お腹が痛くなっても知りませんよ」

「大丈夫よ!、密林でのレンジャー訓練だと、ヘビやトカゲ、ネズミまで食べるんだから」

「ひえぇ、ボクはそんなゲテモノはとても駄目だぁ・・・」

「あーら、そんなお上品なコト言ってると、いっちょ前の戦士になれないわよ!!」

「じゃ、今からヘビのカバ焼きかトカゲのシチューでもつくる?」

「今はそんな下手物はダメよぉ!、せっかく神戸に居るんだから・・・」

「はは、ちょっと心配しましたね?、大丈夫ですよ、南京町の厨房ならともかく、この地下基地の冷蔵庫には蛇やトカゲは入っていませんから。たぶん、ね・・・」

「だといいわね。で、何を作るの?」

「そうだなぁ────────────よし、パスタはどう?」

「パスタ?、いいわねぇ、加藤家で頂くフレンチ・ディナーも感動的だけど、私はイタリアンも大好き。チーズに生ハム、美味しいスプマンテがあったら、それだけで幸せね」

「ははは、美味しいチーズも生ハムもウチにあると思います。鈴木シェフに言っておきますよ。えーっと、それじゃ、あんまり重いパスタだとこれからの講義に支障が出るから、サッパリして美味しいトマトソースなんかどうです?」

「トマトソースって、ただトマトソースをかけただけのスパゲッティ?」

「そうですよ、お気に召しませんか?」

「うーん、もっと凝ったパスタの方がいいなぁ。ナポリタンとか、ボロネーゼとか・・・」

 いかにもお腹が空いているように、宗少尉が腹の上に手を重ねて言う。

「トマトソースのパスタは、とても凝った料理ですけどね」

「だって、茹でたスパゲッティにトマトソースをかけるだけでしょ?」

「ははぁ・・何かイタリア料理を誤解してますね。よろしい、まだ珈琲文化もイタメシ文化も無い支那人のために、ボクがその誤解を解いて差し上げましょう。わずか三十分待っていただければ、きっと ”人生観” が変わりますよ」

「またぁ、オーバーなこと言っちゃってサ。よし、それほど言うのなら、三十分待ってあげるわ。そのかわり、もしそれで私の人生観が変わらなかったら・・・」

「うわっ、またソレをやるっ!、危ないから、拳銃から手を放しなさいってば!!」

「ふ・・たかがパスタと言えど、私を失望させない方がいいわよ」

「まったくもう・・・ちょいと、そこの明治屋まで買い出しに行ってくるからね!」

「何を買いに行くの?」

「バジルと、パスタと────────────」

「私も行こうか?」

「腰に拳銃を提げたまんま、元町の商店街なんか歩けないでしょ、もぉ・・・!!」

 そう言うと、宏隆は部屋の扉を開けて、地下の狭い通路を走って行った。
 この地下基地にも、もう随分慣れたもので、別の出口から素早く外に出ると、南京町のひとつ北側の通りにある商店街で二つ三つ買い物を済ませ、あっという間に戻って来た。

「ずいぶん早いわねぇ・・・ココに出入りするところを誰かに見られなかった?」

 宗少尉が心配そうに言う。

「たぶん平気ですよ。どう見たって、中華飯店のバイト生が足りないものを買い出しに走ってる、って思えるでしょうからね」

 そう言いながら、小さなキッチンで手際よく調理道具や材料をそろえはじめる。

「ここで、作るのを見ていてもいいかしら?」

「どうぞどうぞ、その方が食欲も弥(いや)増すってモンですよ」

「ふうん・・パスタとオリーブオイル、トマト缶、玉ねぎ、にんにく、バジリコの葉・・・たったこれだけの材料で作るの?!」

 置かれた材料を手に取ってしげしげと眺めながら、そう言う。

「そう、これだけ。あとは塩とコショーくらいかな」

「このパスタ、すごくいい色をしてるわね」

「イタリアの、”ラ・モリサーナ” のパスタですよ」

「なんだか、普通のよりも細そうね」

「トマトソースには、このフェデリーニなんかがよく合います。1.4mm〜1.5mmくらいの細めのスパゲティですよ」

「この箱には、Sale Marino って書いてあるけど、これはお塩かしら?」

「そうです、サーリ・マリーノ、シチリアの天然海塩。パスタを茹でるには Grosso、つまり粗粒の塩が最適なんですよ」

「詳しいわね、ヒロタカ。これらの材料も、お宅のシェフのお勧め?」

「鈴木シェフにも沢山教えて頂きましたけど、自分でも面白がって色々試しています」

「うーん、何だか材料だけでも美味しそう。ねぇ、早く作ってよ!!」

「はい、はい・・・では、先ずはトマトソースを作りましょう。
 玉ネギはザクザクと八等分に切り、ニンニク二片は包丁の腹でこうして叩いて潰す。
 そして、フライパンに玉ネギ、ニンニク、オリーブオイルを入れて、強火で炒めます」

 慣れた手つきで、てきぱきと調理を進める。
 これは相当、料理でも遊んでいるな、と宗少尉は思った。
 様々なことに自分を向かわせて、そこで楽しみ、自分を試して、その中で多くのことを学んで行く。その勉強の仕方は宗少尉自身にも共通するものがあった。

「ふむ、ふむ・・・」

「ざっと炒めたら弱火に落として、玉ネギが飴色になるまで、さらにじっくりと炒めます」

「どのくらい炒めるの?」

「ホントは1時間くらい。忙しい時は30分でも・・まあ、美味しいかな・・・」

「はは、イタリアらしいわね・・・でも、なかなか良い手つきね、ヒロタカ」

 どんな事でも、それに向かっている時には、その人間の人格や人生観が出るものだ。
 たとえ些細な動作でも・・・たとえば床に落ちているゴミを拾ったり、クルマのドアを開けたり、狭い場所で人とすれ違ったりする時でも、その人の本性がありありと出てしまうのである。ガスコンロに向かってフライパンを手にしている宏隆を見ていると、まだ高校生のこの少年が、大人の世界でもそんな人間は滅多に居ないような、ものすごく強烈な軸を持って生きていることが分かる。

 それは多分、この少年が何を生きようとしているかに因由するのだろう。
 平和や安寧は人の理想には違いないが、それに埋没してしまった人間には、このような強烈な軸は起こりようがない。何の不自由もない家庭に生まれているのに、宏隆には自ら荒野を目指す開拓者や、危険を冒してまで自己の存在を問おうとする冒険家のような心が大切に宿されているのだろうと、宗少尉には思えた。
 

「ホイホイ、っと・・そうだ、炒めている間にテーブルセッティングをしててよ!」

 まるで実の姉に話しかけるように、宏隆が言う。

「良いわよ。えーっと、ランチョンマットに、お皿とフォークと、スプーンか・・・」

 宗少尉もまた、弟に話すように、それに答えている。

「あ、スプーンは要らないからね・・・」

「だって、スパゲティを食べるには必要でしょ?」

「イタリア人はフォークだけで食べるのが一般的。ロングパスタを食べるときは、子供以外はスプーンを使わないんですよ」

「へえ、そうなんだ・・・!」

「それどころか、18世紀初め頃までのイタリアでは、庶民はパスタを手掴みで食べていたんだって。幻のパスタって言われているナポリの Voiello(ヴォイエロ) のパスタのパッケージには、膝にのせたパスタ皿から頭上高くまでスパゲティを持ち上げ、その末端を口を開けて流し込むように食べている絵がデザインされているんですよ。これぞ、元祖パスタの食べ方、と言わんばかりにね、あはは。まあ一流ホテルの中の高級リストランテならともかく、一般家庭やトラットリア(大衆食堂)みたいなところでは、まずスプーンは出てきません。ま、使っても使わなくても、自分が食べやすく食べれば良いんだけれど」

「まあ、そうだったの!」

「イタリア人がパスタをフォークで食べるようになったのは、ナポリの国王のナントカ四世が晩餐会に自分の大好物のパスタ料理を出したいと考え、料理長スパダッチーノに命じて、料理を取り分けるためのフォークを食器として客に使わせたのが始まりなんだそうです。
 このとき、その尖った三本歯のフォークを、そのパスタを食べる為に初めて四本歯のスタイルに改良したということで。それ以来フォークは四本歯になったと・・・」

「うーん、話は聞いてみるものね。私はてっきりスプーンを使うことの方がマナーだと思っていたわ」

「イタリアの一流ホテルなんかでは、海外から来た旅行者のためにスプーンを用意するところもあるみたいですが、本来はお皿の隅っこでクルクルと丸めて口に放り込むのが正しいみたいですね」

「ひとつ利口になったわ、ありがとう!」

「そんな話をしていたら、もう玉ネギが良い色になってきましたね。お次は、これにトマトを入れまーす・・・」

 宏隆は缶詰のトマトをボウルに移し、それをどんどん手掴みで潰しながらフライパンに加えると、バジルの葉と塩とコショウを入れて、強火にした。

「うわぁ、手掴みで・・・豪快ね!!」

「手で潰すからこそ、味が出るみたいですネ。トマトも絶対にイタリア産のものじゃないと良い味も香りも出てくれません」

「なるほど・・・」

「本来なら、これを鍋で1時間煮るんですが、今日はちょっとズルをして、圧力鍋で20分間煮ることにします」

「圧力鍋?、よく何でも揃っているのね、この地下基地は!!」

「えへへ、そんな物ありませんよ。鍋のフタにチョイと煉瓦を載せるだけ・・・」

「はぁ・・まったく、その辺りの食い意地は大したものね、ホント!」

「さて、こうしている間に、大きめのナベに水を入れて沸騰させておいて、パスタを茹でる準備をしておきます」

「素朴な疑問なんだけどね・・こういうものをパスタと言ったり、スパゲティと言ったり、マカロニとかペンネなんかもあるでしょ、それらをどうやって区別したら良いのかしら?」

「簡単ですよ。パスタというのは主に小麦粉を練ったものや、それを乾燥させたものの全てを指していて、ラテン語で ”生地、練り物” という意味です。英語のペーストとかペーストリー、フランス語のパテ、パティスリも同じ語源です。だから、イタリア人からすれば日本のウドンもソバもラーメンも、下手をすると生麩(なまふ)も焼き麩も、みんな日本のパスタというコトになってしまうでしょうね。
 パスタにはロングパスタとショートパスタがあって、太さやカタチ、その中身などで名前が異なります。玉子を入れたタリアテッレとか、リングイネなんかは知られていても、断面の四角いものや蕎麦に似たビーゴリなんかを知る人は、まだ日本にはあまり居ませんね。
 あとはご存知のラザーニェとかラビオリ、ニョッキなどの変形パスタですね」

「なるほど。日本人はまだそれらを厳密に分けていないみたいで、何処へ行ってもスパゲティとマカロニの分類だけよね」

「じきにイタリア料理が日本中に広まるでしょうね。今は熱い鉄板の上にケチャップで和えたナポリタンが喫茶店で出てくるけど。ま、それも美味しい日本の文化です」

「本当に面白いわね、文化というのは──────────────」

「さあ、それじゃパスタを茹でましょう。沸騰したお湯にさっきのシチリアの塩を加えて、フェデリーニを入れて、一度だけかき混ぜて、アルデンテに茹で上げます。この ”一度だけ” というのがポイントですね」

「オーケー、塩はどのくらい入れるの?」

「そんなのテキトー、と言いたいところだけど、水の量に対して塩は1パーセント。これをしっかり守ることが大切ですね。水が4リットルに対して40グラムの塩を入れます」

「うわぁ、そんなに塩を入れるんだ・・・・」

「そう。2人前でもたっぷり4リットルの水で茹でます。茹だるまでの時間を使ってフライパンにオリーブオイルを入れ、そこにバジリコの葉っぱをちぎって加えて、弱火に掛けておき、バジリコの香りが立ってきたら、さっき作ったトマトソースを加えて、中火で温めておきます」

「パスタは、もうそろそろかしらね・・・・」

「そうね。こうやって、指で摘まむようにして切って、まだ中に芯がある状態。食べてみて丁度アルデンテだと思えたら、これでオッケー!!」

「わぁ、ついに出来上がりね!」

「いいえ、ソースの方は、さらにこれを裏漉しにかけるんですよ。
 そしたら味を見て・・・・ウン、ちょっとパルメジャーノを少々振ろうかな、っと。
 それと塩と黒コショウ、オリーブオイルで味を調えて・・・はい、出来上がり!!

「チョイまち!、今パスタの茹で汁を掬ってそこに入れたわよね・・どうして?」

「ああ、パスタのゆで汁をソースに入れると美味しいんですよ。試しに、このゆで汁だけを飲んでみますか?・・・ハイ、どうぞ」

「うわぁ・・な、なに、これ・・・まるでスープみたい!!」

「そう、魔法のスープ。まるで日本の昆布ダシだけをお湯に通したお吸い物みたいでしょ。この茹で汁によく味が出ていれば、ソースは格段に美味しくなるんです」

「驚きね・・・ただパスタを茹でただけの汁が、こんなに味があるなんて!」

「ソースには絶対にこれが必要です、覚えておくと良いですよ」

「うーん、覚えておきたいコトがいっぱいあるわね。メモメモ・・・・」

「盛りつけた上にバジリコの葉を載せて・・さあ、どうぞ召し上がれ──────────────」

「うわぁ・・なによ、これ!!」

「えへへ・・素人料理にしては、まあまあイケるでしょ?」

「イケるなんてモンじゃないわよ!、これじゃ、そこらの玄人も真っ青でしょうね」

「・・で、どうでした?、これを食べて人生観が変わった?」

「確かに、モノの見方は変わるわね。料理ってすごいと思うわ・・・ヒロタカ、あなた本当に武術をやめて料理人になったら・・?!」

「ブゥーッ・・それって、褒め言葉?」

「モチロン、褒めているに決まってるでしょ!」

「ははは・・・・」

「あははは・・・・・」


 これまでの講義の内容とは反対に、とても暖かく和やかな食事だった。
 宏隆は宗少尉のためにエスプレッソ珈琲を淹れ、一息ついた。


「ああ、美味しかった─────────────────」

「すごいね。100グラムのパスタを、もう一度お代わりしましたね」

「軍人は、このくらい食べられなきゃダメよ。毎回大食いでも駄目だけれどね」

「任務に就いている時は、どのくらい食べるんですか?」

「ほとんど食べないわね。ジャングルなんかだと、米軍の野戦食みたいなのをちょっと食べるだけよ」

「野戦食って?」

「よくあるのはレトルトパウチに入ったミートボールとビスケット、そこにインスタントコーヒーと砂糖、食後のガムが一本入っているパッケージよ」

「たったそれだけ?」

「そう、それも温めもせず、袋を開けてそのまま食べるのよ」

「ひえぇ、ボクなんかそれだけじゃお腹が減って死んでしまいそうだ」

「任務中は、あまり食べない方が動けるのよ。それに、撃たれた時や怪我をした時には、満腹じゃない方が生存率が高くなるの。ベースキャンプに戻ってこれる時は、みんなたっぷり食べるけどね」

「何だか、生々しい話ですね─────────────────」

「他人事みたいに言ってるけど、ヒロタカは実際に戦闘経験もあるし、拉致された経験まであるでしょ」

「そうですよね・・・嗚呼、何てひどい人生なんだろう!!」

「ちっとも嘆いているように見えないわよ!」

「そう?・・じゃあ、どう見えますか?」

「まるで、その経験を面白がっているみたい!」

「あははは・・・バレテーラ!!」

「あはははは・・・・・」

「さて、宗少尉もお腹が一杯になったことだし、そろそろ講義再開と行きましょうか!」

「ああ、これでスプマンテでもあったら、舌もペラペラ回るのに・・・・」

「お酒を飲むと、何かの拍子に本当に銃を撃つかも知れないから、ヤメましょう」

「よし、それじゃ始めるか!・・・で、何の話だったっけ?」

「漢民族ですよ、漢民族は存在しないというオハナシ」

「あ、そうか・・・えーっと、つまり、要するに漢民族というのは存在しなかったのよ」

「それじゃ終わっちゃうでしょ!、ちゃんと話してよ、もぉ・・・大体ね、今の中国人の90パーセント以上が漢民族だって言われているんですよ。つまり中国人の十人中九人が漢民族で、残りの一割だけが異民族だというワケですよ。なのに宗少尉は漢民族なんぞは存在しないと仰る。そんなとんでもないコトがあるんだろうかと・・」

「じゃぁ、まず身近な話から・・・漢字は誰が作ったか、知ってる?」

「漢字って言うくらいだから、もちろん ”漢人” が作ったんでしょ」

「ところがドッコイ、漢字のルーツに遡ると殷の甲骨文字になるんだけど、殷は漢民族ではなく女真族(ツングース系民族・満洲族)が作ったクニだから、漢字の生みの親はジツは漢民族では無かったと言うことになるわね。カンジの大元はカンジンが作ったのではない、ここがカンジンなところね」

「ふぅむ、つまらんギャグはともかく、甲骨文字がねぇ・・そうなんですか・・・」

「ムッ・・・つまらん?」

「あ、あっ、失言です、冗談ですっ!!」

「・・まあ、今の中国は何かというとすぐに漢字を作ったのは漢民族で、それをロクな文字も無い日本に教えてやった。孔子や老子のような偉大な人間を輩出したのも漢民族で、その偉大な文化を日本人は遣唐使のように命懸けで学びに来たのだ、と言っているでしょ」

「そうですね。まあ、彼らには自分たちが絶対的に上位だ、偉いんだという鼻持ちならないムードがありますが。事実に関しては仕方がないですよね」

「けれど、漢字がもとは漢民族の創造では無かったように、実は彼らが誇るあの有名な老子や孔子なども漢民族ではなかったのよ」

「えーっ、本当ですか?!」

「老子は紀元前6世紀ごろの、 ”道徳経” を遺した、中華文化の中心をなす偉大な人物だけれど、その末裔の人たちは皆、貴族から平民まで、ほとんどが李氏を名乗っているのよ」

「・・と、言うと?」

「司馬遷が書いた史記の、老子韓非列伝の中には、老子の姓は ”李” 、名は ”耳” 、楚の國の苦県(現在の河南省鹿邑県)の出身で、周の書庫の記録官、あるいは歴史家、占星術師をしていたと書かれていて、孔子が礼の教えを受ける為にわざわざ彼の許に赴いた、とあるわ」

「へえ、老子の本名は李(リー)さんというんだ。ブルース・リーと同じ姓?」

「そう、李という姓は中国の五大姓のひとつ。李氏は中国、台湾、ベトナム、朝鮮に存在していて、中国本土だけでも、ざっと一億人は居るでしょうね」

「ひえぇー、い、一億人!、日本人がみんなリーという姓だったらエラいこっちゃ!・・・で、その李氏が何なのですか?」

「李氏は鮮卑(せんぴ)系の民族なのよ─────────────────」

「鮮卑、というのは?」

「紀元前三世紀から六世紀に中国北部を支配した北方遊牧騎馬民族のこと。五胡十六国時代や南北朝時代には南下して中国に北魏の王朝を建てたけれど、漢族とは全く違う人たちね。
 隋の建国者である楊氏も、同じ北魏の出身。中国で楊氏太極拳なんて言うと如何にも漢民族みたいに思えるけれど、御先祖様は鮮卑だということになるんでしょうね。
 鮮卑と漢族は顔だちも違うのよ。鮮卑というのは今のトルコ人。隋と唐だけでなく、後唐も後晋も後漢も、全部トルコ人の王朝だったという事になるわね。だから隋や唐の皇帝も、みんなユセフ・トルコみたいなトルコ人の顔をしていたはずよ」

「ユセフ・トルコって、元プロレスラーでレフェリーの?・・・何だか、これまでの中国というイメージと全然違ってきてしまったなぁ」

「まあ、老子とユセフ・トルコを結びつけるのは、この私くらいのモンでしょうけどね!」

「それじゃ、あの孔子様も、漢民族ではない異民族なんですね?」

「孔子は身長二メートルを超える大男で、額の突き出た異形の相だったと言うから、それだけでも漢民族とは思えないわね。孔子は自ら殷の末裔であると言っているし、実際、孔子の父親は叔梁紇(シュクリョウコツ)と言う名のウイグル人だったのよ」

「わぁ・・あの儒教の祖・孔子様は、実はウイグル人────────────!?」

「そうよ。でも、共産党中国はそのことを隠したくて仕方がないワケね」

「えっ、何故ですか?、ウイグルだって同じ中国の中にあるじゃないですか。新疆(しんきょう)ウイグル自治区って、NHKのシルクロードにも出てきましたよ」

「日本では報道されていない、とんでもないコトが、そこでは起こっているのよ!」

「とんでもないこと─────────────────?」


                                (つづく)
 



  *次回、連載小説「龍の道」 第99回の掲載は、11月1日(木)の予定です

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2012年10月01日

連載小説「龍の道」 第97回




第97回 インテリジェンス (6)


「いやぁ、今の話にはちょっと興奮しましたね。僕らが教わってきた中国の歴史というのはそのずっと後のこと、王朝が中原(ちゅうげん)を支配するようになって、徐々に中華思想が形成されてきてからの話なんですね?」

「そのとおりよ」

 宏隆は、まだその話を聞いたときの興奮が冷めやらない。
 それら洛陽盆地の四方に住む、夷(い)・狄(てき)・戎(じゅう)・蛮(ばん)の異民族の人々は、洛陽に暮らす人たちと異なる文化同士で交易をしていたのである。

「・・でも、それと漢民族が存在しないことと、何の関係があるんですか?」

「実は、いま ”中国人” と呼ばれている人たちの祖先は、これら東夷、北狄、西戎、南蛮の人たちなのよ─────────────────」

「えっ・・・ええーっ!!、そ、そんな・・そんなことが・・!?」

「何をそんなに驚くの?」

「だ、だって・・・その四夷・夷狄と呼ばれた野蛮人こそが、実は中国人の正体だなんて、そんなことを聞いたら漢民族が驚きますよ。いや、怒り狂いますよ!!」

「まあ、それが事実だから、怒ろうが狂おうが構わないけどね。
 その昔、交易で栄える洛陽盆地に集(つど)った人々は、やがてその都市に住み着き始めて、それら生活形態や言語の違う異民族同士が混じり合いながら、徐々に ”中国人” と呼ばれる人々が形作られてきたのよ。そこで中国人が誕生したということは、中華文明を語る上ではとても重要なポイントになるわね」

「ううむ、すごい話ですね。自らが夷狄と蔑んだ野蛮人こそが、自らの民族のルーツだったとは・・・でも、中華文明が ”交易” から起こったという確証はあるんですか?」

「モチ。たとえば司馬遷の ”史記” には、中国最古の王朝は ”夏(か)” という名だったと書かれているけれど、この夏というのは商人を意味する ”賈(か)” が語源となっているの。
 また、夏を滅ぼした殷(いん)の王朝は ”商(しょう)” とも呼ばれていて、人々は自らを商の人、つまり商人と称していたワケね。中国の古代王朝が交易による商業都市としてこそ機能していたことは、学校の歴史の時間では教えないことでしょうけどね。
 一般的に言われるような、農村集落が発展した結果、徐々に都市が出来上がってきたというのは、そもそもマルクスが創り出した唯物史観による仮説に過ぎないのよ。それ自体は何の根拠も無いことなのに、誰かがそう言い出して、誰もがそう信じてしまったワケね。
 まあ中国に限らず、文明論としては地球上の諸文明はまず都市が成立した後に、都市の周りに農村が発生したと考える方が自然でしょうね」

「それじゃ、その商業都市を支配した者こそが、中国の ”王” であったと・・?」

「そのとおり。黄河のほとりの洛陽盆地に最初の文明が発生して交易で栄えるようになり、やがて都市が生まれ、都市の支配者が王を名乗るようになった。そしてその商業都市が各地に増えていくごとに徐々にネットワークを形成して行き、都市という ”点” と、交易路という ”線” で繋がって、その中には他の都市を従えるような力を持った大きな都市も出て来るようになる」

「なるほど・・・・」

「国の元の字は ”國” と書くでしょ。この四角いクニガマエの中の ”或” という字は、ツチヘンを付けると ”域” という字になるように、区画や領域を表す ”一と口と一” に、武器である ”戈(ほこ)” を合わせて作った文字ね。つまり、國(クニ)というのは囲いの中の領域を表していて、 ”区画を決めて囲い守る所” という意味なワケよ。
 國は日本語でクニと読むけれど、これは元々 ”城壁に囲まれた空間” を表す文字だということ。つまり、漢字を作った中国では、クニというのは元々 ”城郭都市” を意味していたということになるわね」

「うーん、すごいっ!・・すごく説得力がありますね。つまり、その城壁に囲まれた商業都市と交易ネットワークこそが、中国では ”クニ” と呼ばれるものだったんですね!!」」

「そういうこと。要するに中国では ”王” というのは商売の頂点に立つ、流通業界を仕切るマーケットの支配者であったということになるのよ。そしてその流通システムを彼の地で初めて ”帝国” というカタチにまとめたのが秦の始皇帝であり、後にもっと大きな帝国として完成させたのが漢の武帝だったということね」

「なるほど。そして、その商業交流都市に集まった雑多な異民族たちが混じり合って、後に ”漢民族” と呼ばれる中国人が徐々に形作られてきた、と──────────────」

「そのとおり。ヒロタカ、やっとエンジンが掛かってきたじゃないの!」

「はは・・まだアイドリング状態ですが、少しは分かってきました」

「よぉし、ジャガーみたいに一気に六千回転まで吹き上がりなさい!」

「クォォオオオンンン!!、ってか・・・」

「あはは、その調子ね!・・さてさて、中国を初めて統一したと言われる秦の始皇帝は、そのような商業都市ネットワークの中で ”封建制” から ”郡県制” に移行させた初めての皇帝でもあったの。
 中国の封建制というのは、皇帝が各々の地方商業都市に任命した知事(都市管理者)を置くことを意味しているのよ。それまでには知事は代々世襲だったので色々と不都合も多い。だから始皇帝は世襲制度を廃止して任命を一回限りにし、皇帝がそのつど知事を選ぶようにした。これが郡県制で、”県” というのは皇帝の直轄都市という意味ね」

「ふむふむ・・・・」

「県は当然ながら交易ルートの要衝にあって、その土地を軍事的に占領して全体を城壁で囲んで造る。城壁の内部はその全てが市場と言っても良いような所で、県の中では定期的に市が開かれる。県を訪れる商人は ”市” に参加するために、その県の市場の組合員になる必要があって、管理事務所に当たる県庁に組合員の登録をしてマーケットで商売をする。そして自分が売る物の一部を租税として県に納め、足りなければ市場の設備維持に労働力を提供したり、その県を守るための兵役に服することまであったようね」

「それじゃ、そこで得られた租税がその王朝や皇帝の収入源となったわけですか?」

「市場の租税はマーケットの管理費や都市を守る軍隊の維持費に宛てられて、皇帝の収入は都市の城門や交通の要衝を通過する時に支払われる ”通行税” によって賄われていたのよ。
 さらに皇帝は、個人的な交易を行ってマーケットに参加していたの。中国の歴代皇帝たちはみんな塩や鉄、絹織物の独占販売権を持っていて、それらの品々を各交易都市で販売して外国にも輸出していた。さらにはそこで得られた利益や物品を商人たちに貸し付けて、高い利子を取ることまでやっていたのよ!」

「うわぁ、僕が想像していた中国の皇帝と全然イメージが違います!、それじゃ皇帝というよりも、まるで会社の社長みたいじゃないですか。王朝は総合商社で皇帝はその社長、交易をするために作られた他の地方都市は支社や取引会社、臣下はみんな社員たち。そして副業にサラ金も真っ青の ”高利貸し” をやる──────────────」

「そうね、それは ”まるで” じゃなくて、そのとおりだったのよ。中国の皇帝は ”商人” そのもので、どの皇帝も言わば ”大資本家” だった、ということになるわね」

「いやはや、すごい話ですね。でも、交易だけじゃ都市の食料が足りないのでは?」

「ふむ、なかなか目の付けどころがシャープね!・・・そう、城郭の中で市を開いて交易をしているだけではそこで暮らす人々が生活できない。食糧を確保するにはそこで農業をする必要があったワケね」

「その商業都市の城郭の中で、畑を耕していたんですか?」

「いいえ、農耕はすべて城郭の外で行われたの。この ”城郭” というのは、中国を考える際に非常に重要な意味を持っているのよ」

「日本にもお城はありますよ。どこの国でもそうでしょうけど・・・」

「中国は日本や西欧とは全く違っていて、各商業都市はそれ自体が高い城壁で囲まれているのよ。都市の中にある家々も、一件ずつ高い壁で囲まれていて、小さな門戸が付いている。門を入って行くと細い迷路のようになっていて、なかなか家の中に辿り着かない・・」

「外敵から守るための城壁ですよね。日本でも西欧でも城も深い堀を巡らしたり、城の入口までわざわざ遠回りをさせるような設計をして、外敵を防ぐ工夫をしていますけど」

「中国は本質的に他の国とは違うのよ。たとえば日本だとお城の外へ出ても、そこに居るのはみんな日本人でしょ。城門を出て、堀を越えて町へ出ても、江戸から土佐へ旅をしても、京都から越後に行っても、他のどこへ行ってもそこには日本人しか居ない。
 中国はいったん城壁から外へ出れば、そこには王朝の商業ネットワークに属さない異民族がウヨウヨ居る。だから城門の外では安全は何ひとつ保障されない。いや、正確には城壁の内側でも、もともと異邦人が混じり合って出来たクニだから誰も信用できない。だから自分の家も塀を高くして小さな城塞のようにするワケよね」

「・・それじゃ、都市と言っても、その塀の中、 城壁の内側だけのコトなんですか?」

「そのとおり。いまの中国共産党なんか、正にその城郭都市国家の伝統を受け継いだ、 文字どおり ”塀の中の懲りない面々” と言えるわね!」

「あははは・・・・」

「まあ、冗談はともかく、王都イコール商業都市だから、広い面積を必要とする農耕は城壁の外側で行われ、非常に危険が伴ったワケね。農民は日が暮れて暗くなる前に城門を潜って帰らなくてはならない。もうちょっと耕したいな、なんて思っていると、時間が過ぎて城門が閉まって都市の外に取り残され、たちまち異民族の餌食になってしまう・・・」

「ふぅむ・・そういう商業都市同士を交易で結んだものが中華王朝であるとしたら、それはちょっと ”国家” とは言い難いですね」

「それこそが中華王朝の正体なのよ。クニや王朝と言っても、それは各都市を ”点と線” で結んだ交易流通のためのネットワークに過ぎない。そしてそのネットワークの各拠点のすぐ外側には王朝が行う交易に属さない異民族が住んでいた。彼らはいつ何どき攻めてくるかも知れなかった──────────────」

「・・そうか、そのような環境の中で、常に脅威として存在した四方の敵を、四夷・夷狄と呼んだんだ!」

「そのとおり。商業交流が盛んになるにつれて、そのネットワークが大きくなるに従って、そこに参加する者としない者の区別も明確になってきた。その交易システムに参加しない異民族を ”夷狄” と呼んだわけね。
 そして、かつてクニと呼ばれていた小都市がだんだん増えると、それを取りまとめた皇帝の支配下では ”県” と呼ばれた。それが現在でも県という名で遺っているわけね。
 県の元の字は ”縣” と書くけど、これは ”系” や ”繋” と同じ意味で、糸で繋げるということ。つまり ”皇帝直轄のネットワーク都市” という意味なのよ」

「・・・だけど、そんな ”点と線” で成り立っているような ”ネットワーク王朝” に、果たして領地や領民が存在するんでしょうか?」

「ますます冴えてきたじゃないの!、そのとおり。中国の王朝には、領地も無ければ領民も居なかった。中国で発達してきた統治システムは ”交易” なのであって、皇帝や王朝は交易が発展すればそれで充分であり、そこにわざわざ領地や領民を抱えるような必要が無かったというコトね」

「けれど、清王朝の領地はこの位の面積とか、漢はこんなに大きい、唐はこんなボリュームだったって、日本の何倍もあるような広大な領地があったと、学校で習いましたけど」

「そうね、学校ではまるで各王朝が中国大陸の広大な面積を領有していたかのように教えているけれど、本当はそれらは ”点と線” で出来ていて、確かに ”点” は支配下の都市だったけれど、”線” はただの交易路。早い話が ”道路” なんだから、本来は領地でも何でもないし、現実にそのルートの周りには言葉も習慣も違うたくさんの異民族が住んで居るわけだから、厳密には領地だとは言えないワケよね。
 中国人は領地に関しても随分テキトーなのよ。たとえば皇帝が遠くの新しい土地に誰かを派遣して、そこにどんな民族が居るか、交易をする気があるかどうかを単に調べて来ただけでも、そこにたった一人の連絡員を置いてきただけでも、もうその土地が王朝の支配するネットワークの中に入ると考えて地図に載せてしまう。漢字を書くのは彼らだけだから先に書いた者勝ち、というワケ・・・
 そんな具合にどんどん手を広げて出来上がった範囲を、私たちが各王朝の領地だったと信じ込まされているだけで、実際には多数の異民族が交わる広大な土地に大小の都市が点在していただけのことなのよ」

「なるほどねぇ・・・ところで、その各商業都市の食料を賄っていた農民たちはどうしていたんですか?」

「交易の拠点となる都市に人口が増えてくると当然、食料を生産するために城郭の周りに農地が開墾されるようになるわね・・・」

「日本では平安末期から明治時代まで、領主が農民に課した租税がありました。封建時代には農地から上がってくる年貢は武士の唯一の収入源でしたし」

「中国の王朝では農民の年貢などは、ほとんどどうでも良かったのよ。それよりもっと大きな収入が都市の交易で得られるからね。だからどんなに豊作でも年貢は一定だったの」

「へえ、それは理想的じゃないですか!」

「ところがドッコイ、各都市に派遣された知事が、自分の収入として年貢の他にも農民から私的に租税を巻き上げるのよ。県の知事と言っても皇帝から給料をもらっているわけではないので、自分で収入を確保しなければならなかったから、まあ無理もないけどね。
 いずれにせよ、交易で儲けている皇帝にはそんなことは知ったコトじゃない。だから農民の暮らしは決して楽ではない。これは現代の中国でも変わらないわね──────────」

「現代中国も?・・・そんな古い封建主義の体制を廃止するために文化大革命が起こって、誰もが平等に、共に働き生産することのできる共産主義国家にしたんじゃないんですか?」

「そんなのはただの理想・・というか、結局は支配者が人民を欺くための口実よね。
 現代中国では、都市と農村にキッカリと区別が付けられていて、人々は特権階級の共産党員以外は ”都市籍” と ”農村籍” に分けられているのよ。
 都市と農村の戸籍を分けたのは、農民たちを農村に隔離しておくための方策で、貧しい農村から都市に出稼ぎに来ても身分証明書に ”農民” と書かれている限り、そのまま都市に住めず、就労期間が終われば帰らなくてはならない。日本のようにどこでも自由に引っ越して都市に住民票を置くことが出来ないのよ。子供は必ず郷里の学校に入れなくてはならないし、両親で出稼ぎに来ているのに子供を出稼ぎ先の学校に入れてもらえない。病気になっても郷里でなければ費用の面でも充分な治療ができない・・・中国の農村籍の人は、たとえ都市で働くことが出来ても、”二級市民” として様々な差別を受け続けているのよ」

「大学を出ても、企業に勤めてもダメなんですか?」

「農村籍の人が大学に進学することは極めて難しいわね。現実にはほとんど不可能。運良くどこかの企業に勤められたとしても、ホワイトカラーになる道は全く無いでしょうね。農村籍の人は、なぜか教育費も多く徴収される。まるで学校なんかに行かなくても良いと言わんばかりね。他には闇戸籍というのもあるけれど・・・」

「ヤミの戸籍・・?」

「独りっ子政策の弊害で、長男以外に子供が生まれたら誰でも闇戸籍になってしまうのよ。
 戸籍がないので人身売買や臓器売買の対象になるか、飢えて死ぬか、見つけられて強制労働所に放り込まれて一生タダ働きをするか・・・」

「う・・うわぁ、な、何て国なんだ!!」

「その中国には、まず特権階級の共産党員が七千万人、都市戸籍を持つ人が三億人、そして残りの十億人もの人間が、その農村籍の人たちなのよ」

「話を聴いていると、それは戸籍と言うよりも階級や身分制度ですね。共産党員と都市籍を持つ一部の人間だけが得をして良い暮らしをするための制度だと感じますね。それが今の中国の実態ですか・・・共産主義が聞いて呆れますね。共産主義とは本来、生産手段を共有化することによって富の偏在を排除する理想社会を目指すものであったはずですが・・・
 太古の昔から元首である天皇自ら、百姓は国の大御宝(おおみたから)であると宣言してきた日本と比べると、余りにも違いがありますね。まるでこちらの方が理想の共産主義みたいに思えてくる・・・」

「そうね。毛沢東以来の共産党が支配する現代中国─────────────────
 この、世界中が手を灼く厄介な ”ならず者の国家” は、世界中の人間に自分たちの民族が偉大であることを認識させるために ”五千年のウソの歴史” を創り上げてきたのよ。私たちが中国や中国人に対して抱いているイメージの多くは、現代中国が巧みに創り上げてきた幻影と言えるでしょうね」

「中国の ”本当の歴史” を、きちんと学んでおきたいですね。何と言っても、僕なんかはその国で生まれた高度な武藝である太極拳を極めたいと思っているんですから」

「真の歴史を学ぶのはとても大切なことよ。歴史や人間の背景が分からずに、武術ばかりをいくら勉強してもダメだと思うわ。太極拳を伝え教えいるのは王老師のような人ばかりじゃないからね。中には共産党の言いなりになって、その見返りで富や名声を得て、農村籍でありながら子供を海外の大学に留学させたり、大都市の高級マンションを与えられたりしている人も居るのよ。そんな人が本物の太極拳をきちんと伝承したり研究したりしていると思う方がおかしいでしょ」

「うーん、なるほど。お話を聞けば聞くほど、だんだん中国というクニの実像がハッキリしてきますね。中国という国は存在しなかった、それは僕にもだんだん分かってきました。
 歴代王朝は存在したけれども、それは国家としてのカタチも機能も無い。その王朝は日本や西欧の人が常識的に考えるような国家ではなく、領地も領民も存在しない。つまり民族の集団ではなく、皇帝たち個人の専有物であり私有物だった。しかもその皇帝は中国大陸という広大な土地の支配者ではなく、中国大陸に暮らす人民たちの支配者でもなかった。
 では、中国の皇帝は一体何を支配していたのか、何をする人を皇帝と呼んだのか・・・
 皇帝とは、広大な中国大陸に張り巡らされた交易のための ”流通システム” を支配する人だったという事ですね。そして王朝の目的は、領地を所有して民族を支配することではなく、交易を盛んにして収益を上げることに尽きた。まるで総合商社の社長のように・・・」

「ふむ、よく話を聞いていたわね。Good!、なかなか優秀な生徒じゃないの」

「そうなると、最も重要なのは、如何にして直轄交易都市である ”県” を増やしていくか、と言うことになるでしょうね。県を増やす、つまり流通ネットワークを増やすことこそが皇帝の力を強めることになり、王朝は安泰となる──────────────
 あれ?・・何だか、10人程度の人を集めてそれを支部だと称して、その調子でどんどんネットワークを増やしている太極拳の道場や教室みたいですね。ウチは日本に百個所も支部があります、なんて本国に報告して。老師はたった一人なのに、あれで本当にきちんと指導が出来るんでしょうかね?」

「あはは、中国人のやるコトは、今も昔も同じかもね、発想が何も変わっていないから。
 彼らは太極拳の真伝を海外に伝えることよりも、大きく広げて流通させるコトの方が大事なのかもね。支部をたくさん増やして、会員を増やして、そのネットワークを自分の名前で ”流通” させる事こそが目的になるワケよ。だいたい、四夷・夷狄を相手に、本物の伝承を遺す気なんかあるワケがないでしょ!」

「うわぁ、中国人である宗少尉がそう言うと説得力がありますね・・・それじゃ、その発想こそが中国人の考え方だと言うことですか?」

「それが全てとは言わないけれど、たとえば漢の武帝はベトナムや朝鮮にも兵を送ったし、モンゴルの北方騎馬民族や匈奴を征討することに力を注いだけれど、それは決して領土の拡張を目指したのではなく、交易ルートの開発と交易権の確保が目的だったワケよね・・・」

「なるほど。中国では異民族の侵略と支配が何千年も繰り返されたということも、それで何となく理解できますね。漢民族は、かつて世界人口の半分以上を支配した、あのチンギス・ハーンのような世界帝国を造ろうとしていたわけではなかった・・・もしかすると、そんな考え方も器量も無かったのかもしれませんね」

「今の共産党中国は、虎視眈々とアジア制覇を狙っているけどね。その為には何でもやる。どんな理不尽なことでも、彼らは平気で正当化してしまうから、要注意ね。
 沖縄は無論、尖閣諸島も、インドもベトナムも自分の領地だと言い張っているでしょ。
琉球も邪馬台国も、中国に朝貢(ちょうこう)していたのだから古くからの属国だ、と言いたいみたいね。まあ、その辺りの ”でっち上げ話” は改めて解説してあげるけれど・・・」

「宗少尉、それじゃ次に行きましょう!」

「つぎ・・?」

「次は ”漢民族” です。宗少尉は、中国というクニはなく、漢民族というものも無いと言われました。漢民族は存在しないという、その話を聞かせてもらえますか?」

「いいわよ、でも、その前に──────────────」

「え・・また珈琲ですか?」

「いいえ、なんだかお腹が空いてきちゃった!」

「哎呀(アイヤー)・・・!!」



                                 (つづく)
 



  *次回、連載小説「龍の道」 第98回の掲載は、10月15日(月)の予定です

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2012年09月15日

連載小説「龍の道」 第96回




第96回 インテリジェンス (5)


 幾千年にもわたって度重なる異民族からの侵略と支配を繰り返されながら、なぜ漢民族は滅びることなく、今なお中国の人口の94%を占めているのか────────────

 宏隆のその疑問に対し、宗少尉は ”漢民族の定義” が問題だと言ったが、そのとき宗少尉の目が一瞬、キラリと輝いたような気がした。

 宗少尉自身も、おそらくは紛れもない漢民族の出身であろう。漢民族の定義を明らかにすることとは、自分のルーツを明らさまにすることでもあるのだ。

 しかし宏隆には、宗少尉の目が輝いた理由が、まだよく分からなかった。


「本当はね、 ”漢民族” などというものも存在しないのよ───────────────」

 ちょっと投げやりな感じで、宗少尉が言う。
 
「ええーっ!!、またしてもそんなアブナイ発言を・・・さっき中国という国は無かったと言ったばかりなのに、今度は漢民族まで無かったと言うんですか?!」

 さすがの宏隆も、こうなってくると従いて行けない。
 歴史学者でも何でもない普通の女性・・・いや、決して普通ではないが、台湾海軍の少尉であり、特殊部隊の猛者たちを指導する格闘教練でもあるような人が、いきなりそんなことを言い出すのである。 いったい何を根拠に、そんなとんでもないことを口に出来るのだろうか。

「そのとおりよ────────────事実なんだから、仕方がないわね」

 しかし、凜としてそう答える。

「だって、太極拳にしても少林拳にしても、中国人は ”漢民族の宝” だと言っているじゃないですか。この地下基地でお茶を淹れてくれる女性だって、上の ”祥龍菜館” の従業員だって、みんな胸を張って、自分は漢民族だからって言ってますよ。その人たちもみんな漢民族ではないと言うんですか?・・・というか、その漢民族自体が存在しないのなら、太極拳は一体誰がつくったもので、これから先はどうなってしまうんでしょうか?」

「太極拳が何処でどう発生してどうなったのかは、私は門外漢だからよく知らないけど、それとは別に、漢民族というものが存在しないというのは事実なのよ」

「それなら台湾の張大人も、王老師も陳中尉も────────そして宗少尉、ご自分もまた漢民族ではない、と仰るのですか?!」

「台湾では自分のことを ”中国人” とは言わないわね。台湾では人口の84%が本省人、15%が大陸から渡って来た外省人、残りの2%が原住民とされているのよ。
 本省人というのは台湾省の人、つまり日本が戦争に負けて中華民国に台湾が帰属する以前から台湾に住んでいた漢民族と客家のことで、外省人は日本の統治以後に中国から台湾に移住してきた人とその子孫を指すものね。外省人の大部分は漢民族と言われているから、私たち結社の人間も、分類としてはほとんど漢民族ということになるわね」

「・・で、ですから、宗少尉は漢民族なのでしょう?」

「胸を張って自分のことを漢民族だと言いたいところだけど、歴史的・学問的に厳密に言うなら、漢民族など何処にも存在しないのよ」

「うーん、そう言われても俄(にわか)には信じられないなぁ。そこのところを詳しく説明して下さいよ」

「それじゃぁまず、さっき話に出た ”黄河文明” というものが何処でどう発生してきたのか、ヒロタカが説明してごらんなさい」

「黄河文明?・・・・なるほど、漢民族の中華文化発祥の地である ”中原(ちゅうげん)” に発生した文明から説いていこう、という寸法ですか?」

「まあ、そんなところね」

「黄河文明は、紀元前16世紀から15世紀頃にかけて、黄河流域の中ほどにある洛陽盆地を中心に発生した文明です。広大で肥沃な黄河流域に、治水や灌漑を通じて農耕文化が盛んに発展し、農耕民族の人口が密集して誕生した古代文明です」

「それは、ちょっと違うわね─────────────────」

「でも、学校でそう教わりましたけど」

「学校の教科書ほどアテにならないものはないのよ。テレビや新聞もダメ。そういったものは皆、時の政治や圧力によって、どんな具合にもコントロールできるものだからね。歴史というのは必ずしも事実の記録ではなく、時の権勢に都合よく創られたものが多いのよ」

「その、穿った(うがった)モノの見方は、インテリジェンスの基本ですか?」

「ま、そういうコトね。でも、”穿った” という本来の意味は、モノゴトの本質を的確に言い表すことであって、慣用的な歪めたものの見方や邪推とは違うのよ。日本人はもっと日本語を大切にしましょうネ」

「むむっ、確かにそうですね(シナ人に日本語の誤用を指摘されてしまったぜぃ・・・)
 それで、ぼくの黄河文明の認識は、どこが間違っているのでしょう?」

「実際に行ってみれば分かるけど、そもそも黄河流域というのは農業に適した肥沃な土地ではないのよ。数年毎に必ず大洪水に見舞われるし、水路もあっという間に激変してしまう。上流は黄河の浸食が激しくて住めない・・・そんな場所で農業が隆盛になったために人口が増え、都市が誕生するというのは、ほとんど有り得ないコトでしょう?」

「それじゃ黄河文明はどうやって発生したですか?、中国というクニはなかった、漢民族は無かった、ついでに黄河文明も無かった、なんて言うんじゃないでしょうね・・・」

「・・・あのね、私は何も想像でモノを言っているのではないのよ。中国というクニが存在したことは無いし、漢民族というものも存在しない、これは学問的な事実なのよ。学問として研究すればそういう結果しか出てこないの。漢民族については今から説明するけど、黄河文明にもウソや誤解がたくさんあるわ。黄河文明が存在し得たのは、農耕が発展したからではなく、”交易” が栄えたからなのよ」

「交易──────────────?」

「そう、黄河は全長5,400キロにも及ぶ大河だけど、洛陽盆地から西は両岸が険しくて流れも急、東側では水の氾濫と水路の激変が起こる。その長くて危険な大河で、向こう岸に渡れるのは唯一、洛陽盆地の周辺だけだったのよ。そこで黄河文明が発生したというワケ」

「唯一、黄河を渡れるところ・・・うぅむ、そんなこと考えてもみませんでした」

「漢民族にとって自分たちの中華文化の発祥地は、”中原(ちゅうげん)” と呼ばれる、黄河の中下流域の平原部を指すのだけれど、この地域は海抜が低く、水質は塩分を含んで飲用水を確保することさえ困難な土地なのよ。実際に、古代の都市国家の分布を見ると山西高原の東にある太行山脈の東麓に沿って起こっているし、その東には平原の中に点在する丘陵の上に都市国家があったことが分かるわ。黄河の水利工事がなされる以前の古い集落はすべて、河を離れた山の中腹や丘の上で営まれていたの・・・これだけでも農業なんかに適した土地ではないというのが分かるでしょ?」

「ふむふむ・・・なるほど、よく分かります」

「けれども、洛陽盆地だけは直接黄河の氾濫の危険に脅かされることもなく、原始的な灌漑工事でも充分に治水のできる土地だったわけ。洛陽から鄭州(ていしゅう)、開封(かいほう)までの長さ200kmほどの地域は水流もゆるく、両岸も低くて渡河も容易なところだったのよね。しかも、この区間の北側にはアジア各方面からの陸上交通路が集中していて、南には水上交通路が集中している・・・こんな便利なところは他には無かったのよ」

「うーん、こうしてお話を聴いてみると、学校で単に ”中原に中華文化が発生した” と習っても、ぜんぜんイメージが違っていますね。よく ”南船北馬” と言いますけど、これは正に南船と北馬の出会う所そのもの。交易には最も適した土地だったと言えますね」

 註記:「南船」と「北馬」は、中国の交通手段のことである。南方は川が多いので船が用いられ、北方は山が多いので馬を用いることになる。そのことから東奔西走と同じく、忙しく走り回ったり頻繁に旅をするという意味になった。

「洛陽は、現在の河南省西北部の伊洛盆地に位置しているわね。南は伊水が守り、北は邙山(ぼうざん)が城壁のように外敵を阻み、東には虎牢関(ころうかん)、西には函谷関(かんこくかん)がある、天然の要害と言っても良いでしょうね。洛陽は中国大陸に興亡を繰り返した幾多の王朝がそこに都を置いたので ”九朝之古都” などと讃えられたのよ」

「うわぁ、すごい所ですね。”〇〇関” というのは険しい山岳地帯に創られた要塞や関所のことですね。函谷関は日本の文部省唱歌にも出てきます。♪ 箱根の山は天下の険、函谷関もモノならず、万丈の山、千仭の谷ぃ・・・ってね」

「日本の歌にも函谷関が登場してくるの?、面白いわねぇ。箱根は峻険で山が深いけれど、函谷関は大陸的で、開けた平野から漏斗状に狭まった谷を抜けていく所にあるのよ」

「へえ、ぜんぜんイメージが違うなぁ・・・で、その洛陽盆地に農業ではなく交易が栄えたことと、漢民族は存在しないというのと、何の関係があるんですか?」

「実はそれこそが、”中国人はどこから来たか” ということを解くカギになり、”漢民族とは何か” を理解するための重要なポイントとなるのよ」

「うーん、何だか面白くなってきましたね。王老師にフッ飛ばされたり、敵と戦ったりすることにもすごく興奮しますが、こうして少しずつ歴史を紐解いていくことにも同じようにワクワクします」

「あはは、それが歴史の魔力よね。正しい歴史を知るのは大変だけれど・・・」

「そうですね、これまでのお話を聞いているだけでも、自分がいかに正しい歴史を教わっていないかよく分かります。外国は無論のこと、特に日本の近代史、明治維新から敗戦までの期間となるとなおさらですね」


「よしっ、漢民族を語る前に、珈琲をもう一杯飲むか────────────!!」

「それじゃブラックじゃなくて、イタリア式のミルクコーヒーなんかどうです?」

「なにそれ?、何だか美味しそうね・・・」

「イタリアのバールでは、カッフェー・マッキアートなんかがよく飲まれます」

「末期アート?」

「そ・・そうじゃなくて、Macchiato、マッキァートですよ」

「ふーん、カプチーノと、どこが違うの?」

「カップチーノは泡立てたミルクを注ぎます。マキアートは泡立てたミルクでも良いんですが、本来のマキアートは普通のミルクを少量注ぐのです。まあ、バールによっても個性が異なりますけどね。シアトル系のカフェで出されるものとはモノが違います」

「わぁ!、いいわねー、それ淹れてくれる?」

「かしこまりました」

「でも、こんな薄ぎたない地下基地に、よくエスプレッソマシーンがあるわね?」

「薄汚いじゃなくて、薄暗いでしょ、もぉ・・・マシーンと言っても、ビアレッティ社製の直火で立てる家庭用のヤツです。イタリアじゃどこの家庭にもあるんですよ、コレが・・・一家に一台、ビアレッティ!!」

「うーん、なんだかウチの結社も、ヒロタカが来てから変わったかなぁ?」

「そんなコトありませんよ、美味しいモノは誰だって好きでしょ。王老師だって、陳中尉だって、美味しいものは大好きだって仰ってましたよ」

「やれやれ・・・まあ、私もそのクチだけどね」

「あはは、ちょっと待ってて下さいね、すぐに淹れますから。ミルクはトロリと美味しい、六甲牧場の搾り立て、っと・・そうだ、エスプレッソの量はどうしますか?」

「量って・・エスプレッソってのは、例の可愛いデミカップに僅かひと口でしょう?」

「日本やアメリカだと細かい規定がないんですけど、イタリアでは30ccがカフェと呼ばれる普通のサイズ、20ccをコルト、40ccをルンゴと言って、好みで量を決めるんです」

「へえ、それは知らなかったわ────────────」

「イタリア人は、コルトにお湯をスプーンで一杯足してくれとか、ルンゴでちょっと多めにとか、出勤前の混雑時でも結構みんな注文がうるさくて、バリスタは大変です。
 それに、砂糖は必ず入れるもので、バールには日本のスティックシュガーみたいな物は絶対にありません。Banco と呼ぶカウンターには巨大な砂糖壺が置いてあって、大抵そこら中に砂糖がこぼれているんです」

「あはは、楽しそうね。私は珈琲の量は多い方が好きよ。そう、ルンゴで多めに・・ね!、砂糖は少なめにしようかな、っと!」

「イタリア人は必ず2〜3杯の砂糖を入れます。まるでそれがルールのようにね。でも絶対にかき混ぜません。それもルールですね・・・さてと、ボクもお相伴しようかな、ちょっとスッキリさせないと頭がこんがらがってきたし。これから先、どんな突拍子もない話がいっぱい出て来るかも知れませんからね」

「ン?、聞き捨てならないなぁ、”突拍子もない" じゃなくて、とても難しいとか、自分の考えも及ばないようなお話・・でしょ!」

「そ、そうです。もちろんそういう意味です。またぁ、すぐに腰のホルスターに手を回す!
ほんとにアブナイ人なんだから、もぉ・・・」

「フフ・・口の利き方には気をつけなさいヨ。人呼んで、早撃ちの宗麗華・・・」

「またバカなこと言ってらぁ・・・」

「バカ・・?!」

「あ、違います・・空耳です、気のせいです」

「ふ・・この世はツネに強者が支配するのだヨ、キミぃ!」

「強者じゃなくて、短気でケンカっ早いだけでしょうが、もぉ・・」

「ン・・また何か言った?」

「言いません、言いません。はい、どうぞ、これがホントの ”末期アート” ね!!」

「うわぁ、美味しそうなマキアートねぇ・・ヒロタカ、良いハズバンドになれるわよ!」

「ボクは日本人ですからね、レディス・ファーストの価値観はありませんよ」

「あーら、でも珠乃さんには、すっごく優しいじゃないのォ〜!!」

「・・そ、そ、そんなこと、ありませんよ」

「あ〜ら、そうかしらね〜ぇ・・・・」

「・・さ、さあ、早く続きを聞かせて下さいよ。読者だって、また珈琲の話かと思いながら辛抱強く待ってくれてるんだから」

「あはは、ヒロタカ、顔が真っ赤よ〜!」

「うぐぐ・・もう珈琲を淹れてあげないからね!」

「よし、ウブなボーヤをからかうのはこの位にして次に行くか。♪ ボーォヤァ、ヨイコダ、ネンネシナァ〜・・っと」

「ムッ・・お願いしますっ・・・」


「えーっと、ところで何の話だっけか・・?」

「洛陽盆地に農耕ではなく交易が栄えた事こそが、”中国人はどこから来たか” ということを解くカギになり、”漢民族とは何か” を理解し、”漢民族は存在しない” ということを証明するポイントになる、ってハナシです」

「一服してバカ話をしたばかりなのに、よくスラスラ言えるわね。さすが現役学生・・・」

「宗センセイ、脱線せずに、どんどん講義を進ませましょう!」

「よっしゃ。それじゃさっきチョイと出てきたけど、東夷(とうい)、北狄(ほくてき)、西戎(せいじゅう)、南蛮(なんばん)というのがあるわよね?」

「はい、中華思想による世界観ですね─────────────────」

「ヒロタカは、いったいそれを何だと思う?」

「中華思想は円で表せますね。円の中心に皇帝・天子が居て、そのすぐ外側の円に皇帝を取り巻く内臣と外臣が居て、さらにその周りには朝貢(ちょうこう)の国々があって、そこから外は化外(けがい)の地・・そこに東夷・北狄・西戎・南蛮という四夷(しい)、あるいは夷狄(いてき)などと呼ばれる未開の野蛮な異民族が存在するわけです」

「ほい、良く出来ました。その ”化外の地” というのは王化の外、つまり王朝統治の及ばない土地、という意味よね。そして、その元となる考え方はこの洛陽盆地から始まったのよ」

「えっ、本当ですか?」

「そんなに驚くことじゃないでしょ、漢民族は洛陽盆地から始まったんだから」

「そうアッサリ言われると、やっぱり驚かされます」

「これからもっと驚いてもらうわよ・・・それじゃ、そもそも ”化外の地” というのは何処を指していて、四夷とはどんな人たちを表す言葉かしら?」

「えーっと、東夷は日本や朝鮮などの東方諸国。西戎は西域と呼ばれていたシルクロードの西の果ての国々でしょうか。北狄は匈奴や鮮卑、蒙古などの北方諸国。南蛮は東南アジア諸国や南方からやって来た西洋人のことでしょうね・・・大体こんなモンでしょう?」

「ははは、ぜんぜん違うわね─────────────────」

「・・え、どうしてですか?、教科書にはそう書いてありますよ。北狄、匈奴、鮮卑なんて呼び方はみんな相手を卑下している言葉だし、日本にも倭人、漢ノ委ノ奴ノ国王、卑弥呼なんて、すべて蔑んだ無礼千万な呼び方をされているんだから、東夷の中に入りますよね」

「だから、教科書なんぞアテにならないって言ってるでしょ。本当のことは常に隠されていることが多いのよ」

「そうかなぁ─────────────────」

「いいこと、まともな歴史学者が語る真実は、こうよ・・・よく聴きなさい」

「はい・・」

「その昔、先史時代に遡れば、洛陽盆地とそれを取り巻く地域には、様々な生活様式の人たちが住んでいた。洛陽盆地の東側には黄河、准河(わいが)、長江の大きなデルタ地帯の中で農業や漁業で生活をし、河川と湖沼を船で往来する人々が居た。その人たちは ”夷(い)” と呼ばれていた。夷というのは ”低” や ”底” と同じ意味で、”低地に住む人” という意味。
彼らは洛陽盆地の東に住んでいたので ”東夷(とうい)” と呼ばれた・・・」

「う、うぁ・・・・」

「洛陽盆地の北方、山西高原がモンゴルから黄河の北岸にまで接している辺りは大森林地帯で、そこに住む狩猟民は毛皮や高麗人参などを平原に住む農耕民に持ってきては農産物と交換する交易を繰り返していた。この狩猟民の名は ”狄(てき)” と言った。
 ”狄” というのは、交易の ”易” と同じく ”変える・換える” という意味である。彼らは北方の人々なので ”北狄(ほくてき)” と呼ばれた・・・」

「す、すごい・・・次を・・早く次を教えて下さい」

「洛陽盆地の西、現在の甘粛省(かんしゅくしょう)の南の草原に住んでいた遊牧民たちは ”戎(じゅう)” と呼ばれていた。彼らは平原に住む農耕民たちに羊毛やそれで作った製品を持ってきては農作物と引き換えていた。”戎(じゅう)” は、絨毯(じゅうたん)の ”絨” と同じく ”羊毛” を意味する言葉であり、彼らは西方の住人なので西戎(せいじゅう)と呼ばれていた」

「だ、駄目だ!・・もう、じっとしていられません・・・・」

 宏隆がたまらなくなって、ガタンと椅子から起ち上がった。

「洛陽盆地の南側の山岳地帯には、焼き畑農業を営む農耕民族が住んでいた。”蛮” とは彼らの言葉で ”人(ヒト)” という意味であり、南方に住む彼らは ”南蛮(なんばん=南の人)” と呼ばれた・・・」

「うーん、まさに目から鱗が落ちるようです!、歴史の教科書には、そんなことは唯のひとつも書かれていません。本当にすごい話ですね!!」

「・・ね、面白いでしょう?、そして、洛陽盆地を取り巻くこれらの異民族たちは、交易を求めて定期的に洛陽やその周辺に集まるようになって、やがては彼らが交易を行う所を中心に都市が発生していったの。古代、洛陽に発展した黄河文明は商業都市としてのカタチを持っていたというわけね」

「四方の夷狄(いてき)も、初めは決して異民族への蔑称ではなかった。洛陽盆地に文化が発生した頃には、化外の地に住んでいる人たちを野蛮な異民族だなんて全然思っていなかったんですね。それどころか、交易による文化交流をしていたなんて・・・歴史のことでこんなに感動するのは久しぶりです!!」

「まだまだ話の続きがあるわ。きっと、もっと感動することになるわよ!」


                                 (つづく)
 



  *次回、連載小説「龍の道」 第97回の掲載は、10月1日(月)の予定です

taka_kasuga at 22:23コメント(14) この記事をクリップ!
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