*第81回 〜 第90回

2012年04月01日

連載小説「龍の道」 第85回




第85回 龍 淵(8)


「そう、ダイビング────────空を飛んでみたいって思ったコト、あるでしょう?」

「それはありますけど・・・飛行機やグライダーで大空を飛んでみたいと思っただけで、飛行機から飛び降りたいって思ったことなんか無いですよ。大体、何も知らされずに昔の飛行場に連れて来られて、いきなりこれからダイブする、なんて・・!!」

「まあ、人生っていうのはハプニングの連続なのよね・・・」

「そんなムチャな──────────────」

「いいえ、無茶じゃないわ。そのハプニングにどう対処して行けるかということこそ、訓練をする大きな意味なのよ。どのような状況にも対応できる人間を育てることが様々な訓練の目的なんだから。武術の道でも、軍隊でも秘密結社でもそれは同じよ。それとも、この訓練をやめて尻尾を巻いて逃げる?、ここで逃げても誰も文句を言わないわよ。ただヒロタカに ”逃げた” という事実が残るだけのこと・・・」

「わかりました、飛びますよ、飛べばいいんでしょ!・・・ははん、簡単ですよね。パラシュートなんて、飛行機のドアを開けて、飛び出して、ただヒューゥと落ちていって、パッと傘を開くだけのコトじゃないの!!」

「あーら、よく分かってるじゃない。そう、それだけのコトよ!」

「で、でも──────────────」

「ん?・・どうかした?」

「その・・飛び降りるための訓練とか、練習とか・・何か前もってやらないの?、パラシュートを着けて、いきなりセスナから飛び降りるんですか?」

「アハハハ、流石のケンカの若大将も、飛行機から空中に飛び出すとなると、文字どおり足が地に着かない感じね!、パラシュートの降下の方法は色々あって、それに伴う訓練も沢山あるけれど・・・でも大丈夫よ、最初は私が一緒に飛んであげるから」

「宗少尉と一緒に?」

「そう、タンデム・ジャンプって言うヤツ。私のお腹の下にヒロタカを固定して飛ぶのよ。ふたりが強〜い絆で結ばれて飛ぶ、ロマンチックな空のデート♪、ってコトね」

「・・それを言うなら、”ごついベルトで繋がれて"、じゃないの?」


 タンデム・ジャンプというのは、タンデム・マスター(インストラクター)が未経験者の背中にハーネスを繋げて一緒に飛ぶ、スカイダイビングの訓練方法のひとつである。しかしパラシュートの訓練では、必ずしもそれを経験しなければならないというわけではない。
 タンデム・ジャンプは、今でこそ初心者のための体験ダイビングや、海外観光地での娯楽として盛んに行われるようになったが、この物語の当時はパラシュートで飛び降りるということ自体、かなり特殊なことではあった。

 パラシュートやそれに類似した道具については、古くから多くの記録が残っている。
 1485年にレオナルド・ダヴィンチがミラノで書き留めたスケッチにパラシュートの絵があるし、もっと古くには9世紀後半のスペインで、外套を木枠で補強してコルドバの塔から飛び降りたという人の記録もある。

 かく言う筆者(春日)も小学校の頃に、裏山にある高さ5〜6メートルの砂防ダムの上からコウモリ傘を開いて飛び降りたことがあった。一本では上手く降下できず、二本、三本と傘を増やしてロープで縛り、何度も飛び降りるうちに、バランスが取れずに腰や背中を強く打ってしまうこともあった。
 大人になってから観た007の映画「Your Eyes Only」の中で、プールサイドにあった大型のパラソルを開いて崖の下に飛び降りるシーンがあって、ああジェームス・ボンドも自分と同じことをするのだと楽しくなったものである。

 パラシュートはダヴィンチ以後も長い間実用化されないままだったが、1783年にフランス人の発明家であるルイ・セバスティアン・ルノルマンが木製の枠組みを付けた巨大な傘のようなもので天文台の塔から飛び降り、人々を驚かせたという。やはりこれも見かけはパラソルそのものであり、人間は誰しも似たような発想をするのかと、何やら微笑ましく思える。

 そのルノルマンはパラシュートという名前の生みの親で、フランス語のパラ(para=反する)と、シュート(chute=落下)の二語から成る造語である。ルノルマンは、元は火災に遭った建物から人が安全に脱出できる道具としてこれを考案したのだという。
 やがてパラシュートは、水素気球を発明したフランス人、ジャック・シャルルの弟子であるジャック・ガルヌランによって、”骨組みの無い傘” へと発展していく。ガルヌランはナポレオン戦争初期に英国軍に捕まり、ハンガリーで三年間の捕虜生活を送っている間に、その収容所を脱走する目的でパラシュートを考案したというから、何とも面白い。


「まあ、何にしても、一度飛ぶことを経験したら病み付きになるわよ!」

「そ、そうかなぁ・・・・」

「ヒロタカ、もしかして高所恐怖症?」

「そうじゃないけど、それほど高いところが好きってワケでもないですから・・・」

「それじゃ、これから簡単な説明をするわね。まず、飛ぶ時には、こんな恰好で俯せ(うつぶせ)の姿勢を取るの。これをベリーフライと言うの」

 宗少尉が、滑走路の脇にある芝生の上に腹這いになって、身体を反らせるように足と手を広げて見せる。

「さ、一緒にやってみて・・・そう、上手ね。その恰好を保って飛ぶのよ」

「ベリーフライか。This very body the fly(この、まさにハエの身体)ってシャレ?」

「あーら、まだまだ余裕ねぇ。very じゃなくって、belly(腹) よ!、ニポンヂン、VとBのハツオンもヘタクソネ、って言われるわよ」

「コホン・・・」

「はい、よく聞きなさい!、パラシュートが開くまでは、このベリーフライで飛ぶのよ。
私も、腹の下のヒロタカも、同じこの姿勢で飛ぶの。降下速度は時速約200km、独りで飛んで、頭を下にして真っ逆さまに落ちる時には時速300㎞にもなるんだけどね」

「えーっ、そんなに・・・・・」

「そう。でも、飛んでる人にはその速さは全然感じられないの。スゴイ速さで落ちているのに、空気抵抗のせいで、風に乗って空に浮かんでいるような錯覚さえするのよ」

「うーむ、そんな錯覚は怖いな。自分は浮かんでいる気分なのに、実際にはすごいスピードでどんどん地面が近づいていると・・・」

「そのとおり。だからパラシュートには覚めた意識と冷静な判断とが求められるのよ。
 1961年に世界初の宇宙飛行を行ったガガーリン大佐は、訓練の一環としてパラシュートの降下を繰り返し行ったけれど、パラシュートで降下することは人格を練り、その人の意志を強固にする。多くの青年がこのスポーツを行うのは大変良いことだと言っているわ」

「ガガーリンが?、宇宙飛行の訓練にもパラシュートをやるの?」

「当時の宇宙船は乗員が何も操作できないシステムだったので、最終的には大気圏突入用のカプセルから自力で脱出して、パラシュートを開かなくてはならなかったのよ」

「ひえぇ、そんな無茶な!!」

「無事に生還する確率はたったの50%だったというから、確かに無茶ね。そのガガーリンについては面白いエピソードがあるのよ。世界初の宇宙飛行士を選ぶ際に、厳しい訓練を繰り返して20人のエリートが最終的な候補に残ったけれど、選考者のひとり、宇宙船ボストークを開発した技術者は ”笑顔のステキな男” がいいと提案したの。それがガガーリンだったというワケね」

「へえ、笑顔のステキな男を?、花束の似合う男は千人に一人だ、なんて文句がどこかにあったけど、笑顔ねぇ・・・」

「そう、もちろん、世界初の宇宙飛行を成し遂げた場合には世界中の賞賛と脚光を浴びるから、ソ連としては一般ウケする笑顔がステキな人を出したい、という気持ちがあったでしょうけど、私は、どんな時にでも爽やかな笑顔で居られる人は、本当に強い人間だと思うの。
反対に、強がる人はケンカや武術でも、見かけよりも遥かに弱いことが多いでしょ。
 事実、ガガーリンはボストーク1号が打ち上げられる時にも鼻歌を歌っていたというし、宇宙から帰還するときにも、乗員がコントロールできないボストークから射出された球状の大気圏突入用カプセルから自力で脱出できたのよ。必死の行動の中でも、たぶん笑顔でね」

「すごいなぁ、僕なんか、とても笑顔でなんか居られないだろうな」

「いや、ヒロタカなら、いつでも何処でも、ヘラヘラ笑っていられるかもね!」

「どーいう意味ですか、それ・・・」

「さあ、次よ────────────タンデムで飛び出す時には、前側の人はこんな風に、手を肩の下に当てるように両腕をクロスして胸の前に抱えるの。タンデム・マスターが合図をするまでその姿勢でいて、サインが出たらさっきのように腕と足を大きく広げるの。
 セスナから飛び出た直後は、バランスが取れるまで少しの間、空中で転がるような恰好になる場合があるけど、ドローグ・パラシュートという、小さな吹き流しの作用ですぐに戻るから心配は無用。それより慌ててジタバタしないことが大切ね」

「はい、分かりました」

「合図は、こんな具合にヒロタカの後ろから両脇をポンポンッと叩くから、1回目の合図で交差していた手を広げるの。2回目の合図は、今からパラシュートを開く、という意味よ。分かった?」

「はい、了解しました!」

「ふむ、素直でよろしい!」

「ところで、どのくらいの高度から飛び降りるんですか?」

「今日は15,000フィート(約4,500m)からのイグジット(飛行機から飛び出ること)よ。その後、約40〜50秒間のフリーフォールをしてから、4,000フィート(約1,200m)でパラシュートを開いて、その後約4分間の空中散歩を楽しんでから、ドロップポイントにランディング(着地)するの」

「ドロップポイント?」

「向こうの芝生の上に、黄色いシートが敷いてあるのが見えるでしょ」

「あそこに降りるんですか?、あんな六畳くらいのシートに、4,500mの高さから?」

「そうよ、不格好なタンデム・ジャンプでもそのくらいのコトが出来なきゃ、立派なスパイにはなれないのよ」

「もう・・まだスパイって言ってる・・・」

「さあ、初心者さんの講習会はこれでお終い。それじゃ、そろそろ飛びましょうか」

「だんだん面白くなってきたけど、もしパラシュートが開かなかったら?」

「そう、初めは誰もがそれを心配するわね。けれど、実際にはパラシュートが開かない為に起こった事故はほとんど無いのよ。パラシュートの事故は、コードが絡まったり、落下中の在り方を無視して無謀な行動を取ったり、着地の方法や着地点の選択を誤ったために起こったものばかりなの」

「要は、周到な準備をして、注意深く意識的にジャンプをすれば安全だと・・?」

「そのとおりよ。通常はメイン・パラシュートとリザーブ・パラシュート(予備傘)のふたつを装備しているしね」

「少尉、そろそろ予定のお時間ですが──────────────」

 セスナのパイロットが宗少尉に声を掛けた。

「そうね、それじゃ、お願いするわ」

 パイロットが「イエッサー」と答えて、セスナから大きなバッグを出してくる。

「この黄色いツナギを着て、その上からこのハーネスを装着するのよ」

「ははぁ、これが強い絆で結ばれるロマンチックなハーネス、ってヤツですね」

「そう、もの分かりが良いわね!」


 セスナに乗り込んでみると、以外と中が狭い─────────────

「ヒロタカはそっちの出口に近い方に座って・・・私は飛ぶ前に後ろからハーネスを固定するから、ヒロタカより奧の座席の方がスムーズね」

「これって、四人乗りくらい?、ずいぶん狭いんですね」

「そりゃぁ、お父様の自家用ジェットのようなわけには行かないわよ。今回、ヒロタカが急に台湾から日本に帰ることになって、陳中尉と私が急いでお二人の飛行機を手配しようとしたら張大人に笑われて、何を言ってるんだ、光興(みつおき)さんは自家用機で台湾に来てるんだよ、自分のジェット機が台北空港に待っているんだよ、と言われて唖然としたわ。
やっぱり、加藤家は一般市民とはちょっとスケールが違うわね!」

「ああ、アレですか・・確かに自家用機は早くて便利ですけど、ぼくは自分で操縦する方がいいな。それも、飛行機よりヘリコプターの方が好きです」

「あはは、子供みたいなコトを言うわね。ヘリなら今度台湾で乗せてあげるわよ。ミサイルや機関銃を積んだヤツにね。シートが固くて、うるさくて、乗り心地は最低だけどね」

「わぁい!!」

「あはは、ホントに子供なんだから──────────────」


 滑走路から飛び立つと、すぐに地上が小さく見えてくる。人間はあんな所にひしめき合って住んでいるのだと、宏隆は飛行機に乗って空を飛ぶたびに思う。

「・・・はい、ゴーグルを付けて。ヘルメットもね!」

「ライフルとか手榴弾なんかは持って飛ばないの?」

「はは・・冗談言ってると、いつか本当にそんなコトになるわヨ!」

「宗少尉は、どのくらいパラシュートの経験があるんですか?」

「総降下回数は、もう500回を超えていると思うわ。そのうち50回ほどは夜間降下訓練ね。山間地の小さなターゲット目がけて夜間降下するのは中々難しいのよ。ヒロタカもそのうちやることになるから、楽しみにしていなさい!」

「ぅわぁ・・・・」

「陸海軍や玄洋會では、最初はSL(Static Line)方式と言って、コンテナ(パラシュートの入った背嚢)のピンと飛行機をコードで繋いで、降下してコードが伸びきると自動的にパラシュートが開く方式で訓練が始まるけど、それよりもタンデムで飛んで度胸をつけて、次回から独りで飛ぶ練習をした方が降下技術の修得は早いのよ。だから観光タンデムと言えども、そう馬鹿にしたモンじゃないのよ」

「宗少尉、間もなく降下予定空域に入ります」

 パイロットが知らせてくる。

「よしっ!、さあヒロタカ、いっしょに初体験ダイブをしましょうね〜!!」

「ちょ、ちょっと待ってよ、もっと他に打ち合わせは無いの?」

「あはは、タンデムだから、そんなに大したコトじゃないわよ。それにウチは ”習うより慣れろ” がファミリー・モットーだからね!!」

「やれやれ・・・・」

 宗少尉がセスナのドアを開けると、強い風が機内に入ってくる。
 
「ヒロタカ、ハーネスを繋ぐからこっちに来て・・・そう、良い子ね!!」

「まったく、もう・・・・」

「さあ、セットできたわよ。一緒にドアの所まで行って・・・ほら、あなたが前でしょ!」

「何だか動きにくいなぁ・・・」

「そりゃそうよ、しっかり私と繋がってるんだから!」

「ひえ〜っ、家やクルマが、あんなに小さく見える・・・・」

「当たり前でしょ、富士山よりずっと高いんだから。ハイ、手をクロスして!」

「オオ、テンキセイロウナレド、ソラタカシ・・・・」

「ははは、余裕ね。さあ、合図で飛び出すから準備して!!」

「準備って、何の・・?!」

「ココロの準備よっ!!」

「ナンマイダブ・・・・・」

「よしっ、行くわよ!、Ready!・・Set!・・Go!!・・・・」

「うやぁぁぁっっほぉぉぉおおおおおぉ──────────────!!」



                                (つづく)





【1783年・モンペリエ天文台からジャンプするルノルマンを描いた絵】

          


【タンデムでのパラシュート降下】

  


【オーストラリアのパラシュート・クラブが製作した動画】

       



  *次回、連載小説「龍の道」 第86回の掲載は、4月15日(日)の予定です

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2012年03月15日

連載小説「龍の道」 第84回




第84回 龍 淵(7)


 小春日和の、穏やかな光が降り注ぐ海岸線を、真紅のジャガーが駆け抜けてゆく。

「ねえ、宗少尉、いったい何処まで行くつもりなの?、もう明石の天文台も過ぎてしまったけど・・・」

 宏隆は、猫のように手足を伸ばしてから助手席に座り直し、宗少尉に訊ねた。

 明石海峡に金波の漣(さざなみ)が煌めいて見える以外には、宏隆にはそれほど珍しくもない、いつもと余り代わり映えのしない景色が続いている。
 ワインディングを飛ばしているわけでもなく、ポカポカとした陽気に加えて、心地良く回るエンジンの音を聞いていると、否応なく眠気が襲ってくる。今日の予定も何も分からない宏隆は、何かをするための心の準備も、何も整えようがないまま、ひたすらボンヤリとしてしまう他はない。

「あ、今のが明石天文台?、日本の標準時となる東経135度の子午線の真上ね?」

「そうじゃなくって、いい加減に行き先くらい教えて下さいよ」

「ははは・・それはナイショよ、着いてからのお楽しみ、ってコトね!」

 昨日は朝から六甲山でスリル慢点のスポーツドライブを楽しんだ後、やれ芦屋のカフェに行こうとか、老舗の美味いタコ焼きが食べてみたいとか、三宮のデパートへ買い物に行きたいなどと言って散々神戸中を走り回った挙げ句、ようやく南京町の地下施設に到着した頃にはもうとっぷりと日も暮れていて、そこでほんの少しばかり拳銃の扱い方の復習をすると、今日はもう終わりにして北野ホテルでディナーを食べよう、などと言いだして、結局それにも付き合わされ、北野の加藤邸に戻ったときにはもう夜の11時を回っていた。
 明日は遠出をするから、早起きをするようにと言われたのだが、何処へ行くのかと訊ねても、楽しみにしていなさいねと、笑って答えない。ただ、いよいよ明日から本格的に訓練を始めるから、とだけ告げられただけであった。

 ──────────────そんなわけで、今朝は二人で北野の加藤邸を出て、国道2号線をどんどん西へと向かっている。真紅のジャガーは、滅多に運転する暇のない多忙な主人である父に代わって、久々に良い乗り手を見つけて喜んでいるかのように、心地良い排気音を高らかに響かせながら走っている。

 今でこそ日本中に高速道路が整備されてはいるが、この物語の背景となる昭和40年代後半にはようやく東名高速が開通したばかりで、首都高や阪神高速なども未だごく一部しか完成しておらず、神戸から西に向かう山陽道へはひたすら国道を走って行くほかはなかった。
 けれども、道から見える風景は現代のそれとはまるで違っていて、至って長閑(のどか)で、いかにも穏やかな瀬戸内の佳き風情が感じられ、このような小春日和に、海を見ながらオープンカーでドライブするにはうってつけの道であった。

 やがてクルマは高砂の港を左手に見ながら、能楽で知られる高砂の「尾上の松」を通り過ぎると、高砂市内で43号線を北上して20キロほど内陸へと入って行き、「法華口」というところへ出た。
 広々とした田圃(たんぼ)や養鶏場、古墳のようなこんもりとした森などが見える鄙びた田園の風景の中をしばらく走って行くと、田圃でも畑でもない、そこだけだだっ広く開けた野原が現れてきて、宗少尉はそこでクルマを停めた。

「・・・ふう、あぁしんど。ずいぶん田舎に来ましたね。一体ここは何処なんですか?
 休憩するのなら何処かの喫茶店にでも入れば良いのに。それとも、トランクにパーコレーターでも入っているのかな・・・でも、まさかココが目的地じゃないでしょう?」

「いいえ、ここが今日の目的地よ」

「えっ?、この、なんにもない、ただの野っ原が?・・・ここで何をするんですか?」

「まあ、黙って私について来なさい──────────────」

 その草原には、触れれば壊れてしまいそうな、古い木の柵が境界として造られている。
それを跨いで乗り越え、草の中を少し歩いて行くと、野原の中央に突然広々とした舗装路が現れてきた。幅は五、六〇メートル、長さは1キロ半から2キロもあるだろうか。

「うわぁ、これは?・・・使われなくなった旧道にしては、ずいぶん広いなぁ・・・」

「道じゃなくって、滑走路よ、昔の──────────────」

「滑走路?・・・すると、ここは飛行場だってコト?」

「そうね──────────────」

 頷きながら、宗少尉はその広い道の真ん中をどんどん歩いて行く。

 しばらく行くと、掲揚塔に掲げられた旗がぽつんと風に棚引いているのが見えてくる。

「あれは・・・・旭日旗じゃないですか?!」

「そう、国旗掲揚塔の下に記念碑があるから、行って読んでごらんなさい」

 近づくと、旭日旗の下には地面より一段高く造られた立派な記念碑が建っていて、真新しい花が供えられている。

「姫路海軍航空隊・鶉野(うずらの)飛行場跡・・・・あ、海軍の飛行場だったんだ!!」

「私にはちょっと難しいけれど、こちら側の文字は和歌のようね?」

 石碑の右側には、達筆な字で和歌が刻まれている。

「美しく空に果てたり鶉野の、雲夕焼けて朱くたゆとう──────────────」

 その左側には「神風特別攻撃隊白鷺隊記」と記されてあり、次のような碑文があった。

「神風特別号撃退白鷺隊は、姫路海軍航空隊員より編成され、この地鶉野飛行場において日夜訓練を重ねた。隊長 佐藤 清 大尉以下六十三名は、その保有する艦上攻撃機二十一機をもって、昭和二十年四月六日より五回にわたり鹿児島県串良基地より出撃し、沖縄周辺の米軍艦艇に対し飛行機もろとも体当たり攻撃を加え、壮烈な戦死を遂げた。
 戦いは遂に国土防衛戦に入り、膨大なる物量を誇る米軍の強襲に、わが沖縄守備隊の戦力では如何ともしがたく、菊水作戦が発動され航空機による特別攻撃隊の投入となり、海空による総攻撃が開始されたのである。
 姫路空白鷺隊も決然としてこれに加わった。隊員たちは出撃に際し遥か故郷の愛する家族らに別れを告げ、再び還ることなき特攻に若き命を捧げ、武人の務めを全うしたのである。
 今ここ鶉野の地に碑石を建立し、この史実を永遠に伝え、謹んで殉国された勇士の御霊をお慰めし、併せてそのご加護により永遠の平和の実現を切に願うものである」


「ああ・・・・・」

 宏隆は、それを読んで、何も言葉が出なかった。
 もういちど、石碑に書かれた和歌を見る。

「美しく、空に果てたり、鶉野の──────────────」

 見ていると、いつのまにか、涙が止めどなく溢れてきた。

 時代も違う、社会的な背景も、国際事情も、その頃とは何もかも違っている現代の、戦後生まれの若者である宏隆だが、しかし──────────────

 同じ国に生まれ育ち、同じ民族の血が流れる、同じ日本人として、特別攻撃隊として散った彼らと同じ国の、同じ若者として、この文を読むと、この和歌を見ると、どうしようもなく涙が溢れてならないのだった。

 国を思う気持ちを、自分たち戦後の教育を受けて育った人間は、すっかり忘れてしまっているような気がする。いや、むしろそれを罪悪とさえ感じるような傾向すら、否定できないのだ。

 宏隆は石碑の前にひざまずき、手を合わせ、頭を深く垂れて、彼らの冥福を祈った。
 宗少尉もまた、同じように手を合わせて瞑目し、姿勢を正して敬礼をした。


「ヒロタカ──────────────」

「ごめんなさい、これを読んだら、どうしようもなく涙が止まらなくて・・・・」

「ううん、分かるわよ・・・でもね、今の日本の平和は、若い命を捧げてまでこの国を守ろうとした、この人たちの存在があってこその平和──────────日本人は、決してそのことを忘れてはならないわね」

「そう思います・・・学校では日本がアジアの国々を侵略していく軍国主義という間違った道を選択したために大きな戦争に突入してしまったのだと教えているけれど、今の僕にはそうは思えない。台湾から帰ってから沢山の本を読んで、当時の日本やアジアの状況、欧米との関係を調べたんです。そうしたら、学校で教えている歴史とはまるで食い違っていて、知らされていない本当の歴史がだんだん見えてきました」

「そのとおりね。張大人もそう仰っていたでしょう?」

「はい、台湾人の方が、君たち日本の若者よりも日本の歴史を良く知っている。君たちが何も知らない、何も教わっていない、本当の歴史をね・・・と仰っていました」

「日本人はもっと自分たちの民族に誇りを持つべきだと思うわ。あの戦争がアジアへの侵略戦争だったとウソを教え込まれて、すっかり気持ちが萎えてしまっている。自分たちは悪いことをしたのだと、もうそれを繰り返してはならない、軍備も戦争も否定しなくてはならない、ってね。
 真の平和というのは、戦争をしないことや、戦争を放棄することではないはずよ。
 国の平和や国民の安全を守るためには、たとえどんな強国が相手であっても、侵略行為には背中を見せず、中途半端な妥協をせず、全国民が一丸となって敢然と立ち向かう、という民族の基本的な精神があってこその事だと、私は思うのよ」

「そのとおりですね。たとえそれが経済的な侵略であっても、文化的な侵略でも、侵略は侵略ですから。それに、戦争を放棄すると言っても、オオそうかい、それじゃ遠慮なくお前の国を頂こうか、と平然と言うような強かな国々に、すでに日本は囲まれてしまっているんだから・・」

「今の日本人は、戦争を放棄すること、武器を持たないことが平和だと思っていて、すぐお隣の国はそれに付け込んで、まずは報道機関を押さえ、学校教育を押さえ、徐々に文化を変え、国民の考え方を変えていくことで、武器を使わず、攻め込まずにじっくりジワジワと侵略できる計画を進めている。そんな脅威や国家の危機を、日本の国民はちっとも分かっていないみたいね」

「本当に、そう思います。ここに祀られている若者たちは、黄泉の下で今の日本をどう思っていることか・・・」

 宏隆は、青空にはためく旭日旗を見上げた。


「ところで、僕をここに連れてきたのは?・・・この記念碑を見せたかったんですか?」

「いいえ、もちろん訓練をするために来たのよ」

「訓練って言ったって、こんな荒れ果てた飛行場で、いったい何を・・・?」

「予定では、そろそろ来る頃なんだけどね─────────────────」

 腕時計をチラリと見て、宗少尉が北の空を見上げた。

「え・・・?」

「ほうら、時間ピッタリね。向こうから音が聞こえてきたわ!」

 そう言われて、耳を澄ますと、遠くの空からエンジン音が聞こえてくる。

「飛行機─────────────────?」

「そう、あれを待っていたのよ」

「飛行機に乗るんですか?」

「そうよ、だってここは飛行場なんだから」

「そういう意味じゃなくて・・・今日これから、飛行機に乗るんですか、って・・・」

「そのとおり!、ココが神戸から一番近い飛行場だったのよねー」

「飛行場って言ったって、もう随分使っていない・・・管制塔も何も無い、戦時中の滑走路の跡地じゃないですか!」

「だから借りたのよ、ここなら人目につかずにじっくり訓練できるでしょう?」

「借りた?」

「そう、K先生がクチを利いてくれたのよ」

「K先生が?・・・K先生が誰にクチを利いてくれたんですか?」

「自衛隊─────────────────」

「じ、自衛隊っ・・・!?」

「一応、ここは陸上自衛隊の管理で、鶉野訓練場って呼ばれているのよ。滅多に使うことは無いみたいだけれどね」

「・・・・・・・・・・・」

 ついさっきは豆粒のように見えた機体が、もうすぐそこに見えている。
 セスナと呼ばれる、アメリカのセスナ・エアクラフト社が製造している小型機だ。

「こんな古い飛行場に降りてきて大丈夫なのかなぁ・・・」

「大丈夫よ、昨日ウチの者たちが整備したから」

「あ・・だから昨日は一日中、遊んでいたんだ」

「ビンゴォ!・・ほら、もうすぐ着陸してくるわよ!」

「滑走路としては、そんなに長くないみたいだけど、これで距離が足りるのかなぁ・・・」

「アハハ、以外と心配性なのね・・・大丈夫、ちゃんと計算済みよ!」

「計算って、そんなこと、どうやって計算するの?」

「安全上必要な滑走距離は、セスナなら通常の離陸で500m、着陸には400m必要とされているけど、離陸・着陸共に、風速、気温、気圧、滑走路面の乾湿具合などによって変わってくるのよ。気温が高ければ滑走距離は増えるし、標高が高いところでも滑走距離は増えるの」

「へえ、そうなんだ・・・・」

「ここは高砂の港から比べると、標高はおよそ50メートル前後でしょうから、現在の気温と湿度、風速と、今日の大体の気圧と滑走路面の乾燥具合を考えると──────────────」

 宗少尉はバッグから手帳を取り出して、どんどん計算をし始めた。

「・・・うん、1,180フィート、約360mぐらいかな。400mもあれば充分でしょうね。
 つまり、ココの滑走路なら充分すぎるくらいの長さだということになるわね」

「スゴイなぁ、どうしてそんなムツカシイことが計算できるんだろ?」

「あはは、こんなのはスパイの序の口よ。そのうちヒロタカもたっぷり勉強させてあげるから覚悟しなさい!」

「ぼくはスパイじゃないってば、もう・・・」

 そう言っているうちに、セスナが着陸してきた。
 宗少尉の言った通り、それほどの距離を必要としない。あっという間に着陸を終えたセスナは、機首の向きを変えて、宏隆たちの居るところまでゆっくりと移動してきた。

 機体のドアが開き、パイロットが降りてきて、宗少尉に敬礼をする。

「命令により、セスナをお持ちしました」

「ご苦労でした」

「初めまして、自分は神戸玄洋會の胡必成(こ・ひっせい)、一等兵曹です」

 そう言って宏隆にも敬礼をする。

「あ、どうも、加藤宏隆です。よろしくお願いします・・・で、宗少尉、このセスナで何をしようっていうんですか?、まさか今日は神戸港や六甲山に遊覧飛行と洒落込もうってワケじゃぁないでしょうね」

 昨日の宗少尉のノリを思い出して、宏隆が半ばからかうように言う。

「はっはっは・・・宗少尉、まだ彼には何も伝えていないんですか?」

「そう、ヒロタカがビックリする顔が見たくてね。何しろこの人は、ちょっとやそっとのことでは驚かない、キモのすわったケンカの若大将だから・・・」

「僕を驚ろかせたい?・・・穏やかじゃないなぁ、いったい何を企んでるんだろ?」

「遊覧飛行じゃなくって、このセスナから飛び降りる訓練をするのよ!」

「飛び降りるって・・・ま、まさか・・・・・?」

「そう、そのマサカよ!、これに乗って、空からダイビングをしようってワケ!!」

「・・ダ・・・ダイビング・・・・・!?」



                                (つづく)




【 姫路海軍航空隊・鶉野飛行場跡 】

      

               

     




  *次回、連載小説「龍の道」 第85回の掲載は、4月1日(日)の予定です

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2012年03月01日

連載小説「龍の道」 第83回




第83回 龍 淵(6)


 今日も神戸は清々しい秋晴れが続いている。
 加藤邸のガレージから通りに出た途端に、真紅のスポーツカーは滑るように走り始めた。

 それにしても、何てすごいクルマなんだろうか、と宏隆は思う。こうして助手席に座って野太いエグゾースト・ノーツ(排気音)を聞いているだけでも、クラシカルな風情の計器パネルを眺めているだけでも、このクルマの良さがひしひしと伝わってくる。
 
「いやぁ〜、やっぱり、ジャグァーは良いわねぇっ〜、もうっ、最高ぉ〜っ!!」

「だ、ダメですよ宗少尉、あんまり飛ばしちゃぁ・・・あ、危ないってば・・!」

「あーら、ガンガン飛ばさなくって何がスポーツカーなのよ?!、まだ若いのに老人みたいなことを言っていると大物になれないわよ!、飛ばすのが怖いんだったら、お抱え運転手付きのベントレーの後部座席にでもマッタリと乗っていなさい!」

「まったく、もう・・・コレだからなぁ・・・・」

 幌を開けてオープンにした ”ジャガーEタイプ” は、まるでオートバイにでも乗っているかのように、自然の風をたっぷりと受けて、乗る人を底抜けに開放的にしてくれる。

 1961年に誕生した4,235cc、265馬力のエンジンを持つジャガーEタイプは、1964年に初のマイナーチェンジが行われ、自社製のフルシンクロ4速ミッションとなって、より素早いシフトチェンジが可能となった。また、内装も随分豪華になって快適性が向上し、正にGT(Grand Touring)と呼ぶに相応しい装いとなった。

「ィヤッホー!!、ねぇヒロタカ、これって最高速はどのくらい?」

「知りませんよ、そんなこと──────────────」

「またぁ、トボケちゃって・・・正直に言わないと、もっとカッ飛ばすわよ!」

「・・わ、分かりました、言います、言いますよ。けど、それを聞いたからって、飛ばしちゃダメですよ──────────たぶん、時速240kmぐらいかな?」

「ワオッ!、そんなに出るの?、まるでシンカンセン並じゃない!!」

 そう言いながら、さらにアクセルを踏み込む。

 何の偶然か、この車の年式と東海道新幹線の開業は同じ1964年(昭和39年)である。
 また、最高速度が240km/hというのは、'60年代ではかなり驚異的なスピードであった。何しろ、1969年に日本で発表され、70年代にアメリカで大評判となった日産フェアレディZが、北米仕様の240ZGでさえ最高速度は210km/hだったのだから。

「・・だ、ダメだってば、日本は台湾と違って制限速度があるんだから!!」

「あーら、台湾だってイチオウ速度の表示はあるのよ。ただ・・・」

「ただ・・?」

「だーれも、滅多にそれを守らないのヨネ、アハハハ──────────────」

「・・だ、ダメだっての!、ここはニッポンなんですからね!!」

 加藤邸から南京町の地下訓練施設のある南京町までは、車でならそう遠くはない。
 三宮まで下って元町に向かえばすぐそこの距離なのだが、クルマの好きな宗少尉は宏隆の父から、神戸に滞在している間は自分のジャガーを自由に使っても良いと言われて、夜も眠れないほど興奮し、今朝は早くから加藤家の運転手に頼んで車庫を開けてもらい、エンジンを掛け、随分と気の早い暖機運転をしながら車に見惚れていた。
 今も出発早々、目的地の三宮方面とは反対に、加藤邸の南側にある国玉通りを東に向かって突っ走り、護国神社を通り過ぎて、六甲登山口の交差点が赤信号になったのでようやく停車した。

「ふう・・す、スゴイGだ・・・しかし、何て運転をするんだ、もう・・」

「・・ん?、何か言った?」

「いえ、何も──────────────」

「まあ、この通りはずっと桜並木なのね。満開の桜の中をこのクルマで飛ばしたら、さぞかし気持ちが良いでしょうね!」

「はは・・そりゃもう、傍(はた)迷惑なこと、この上ないでしょうね」

「えーっと、ROKKO TOZANGUCHI、って書いてあるわね、ここ・・」

「そうですよ、六甲登山口──────────ま、まさか!?」

「あーら、よく私のココロが分かるわねぇ・・・愛してるのね、ヒロタカ・・・」

「も、もう・・朝から何を言ってるんですか・・・そんな・・・」

「ブォオオオオオンッッッッッ!!」

「う、うぁぁああああっっっ!!」

 ジャガーは凄まじいスリップ音を立てながら、タイヤハウスにもうもうと煙を上げて交差点を左折すると、次の瞬間には百メートル先の六甲カトリック教会の前を通過した。

「こんなクルマに乗っていたら、ワインディングを走らないと勿体ないでしょ!、私ねぇ、前から一度、六甲山のテッペンから神戸の街を眺めてみたかったのよ」

「ろ・・六甲山は、夜景の方がもっと美しいかと──────────────」

「そうか、”一千万ドルの夜景” ね。それじゃ夜もドライブしましょう!」

「グゥ・・・これじゃぁ、誰も貰ってくれる人が居ないワケだよな・・・・」

「ん?、また何か言った?」

「言いません、言いません。六甲ドライブウエイを走りたいんですね。よっしゃ、行きましょう。ココをひたすら真っ直ぐに、ずっと登っていけばいいですから」

「よぉーっく見てなさい、スパイはジェームスボンドみたいに、クルマもレーサー並みに運転できなきゃダメなのよ」

「だから、ぼくはスパイじゃないってば!!」

「・・あら、そう?」

「そうですっ!」

「だって、もう玄洋會の構成員なんだから、立派なスパイでしょ?」

「スパイってのは、人間や国の内情や秘密なんかを密かに探る、昔の忍者みたいなモンでしょ、ボクはニンジャじゃありませんからね」

「オーッ、ニンジャ!、ニンジャーッ!、私はニンジャが大好きよ!!」

「ダメだこりゃ・・・ジャガーのせいで、すっかりハイになってしまっている」

「キキキキィーッッッッ!!、ブロロロォオオオオン・・・!!」

「・・う、うっ、い、胃がひっくり返る─────────────────!!」

 ヘアピンカーブがいくつもある、表六甲ドライブウエイのかなりきついワインディングを散々飛ばして走り、ようやく山頂にあるホテルの玄関先に滑り込むようにクルマを着けた。

「ああ、気持ち良かった!、ヒロタカ、ちょっとひと息入れましょうか」

「ふう、やっとクルマから降りられる・・・・」

「うーん、どうも、まだ日本人はスポーツカーの文化が乏しいようね」

「はは・・自転車の大洪水の中で生活してる中華文化の人が、ナニ言ってんだろか・・・・でも、よくこんな所にホテルがあるって知ってましたね」

「お父様が、滞在中は自由にクルマを使っても良いって言って下さったので、折角だから、トレーニングの前にウォーミングアップがてらドライブしようと思って、手頃なドライブウエイが無いか、夕食の後でメイドのハナさんに訊いておいたのよ」

 そう言いながら、出てきたベルボーイにクルマの移動を頼んで、入口に向かって歩く。

「ウォーミングアップがてら?」

「そうよ、スポーツカーを駆るのは、それだけでスポーツ、ってコトだから」

「はん、なるほどね・・・」

「ハナさんは、私の部屋まで神戸の地図を持ってきてくれたのよ」

「ああ、ハナは、気もハナもよく利きますからね」

「ついでに、ヒロタカのことも、いろいろと聞いたのよ─────────────」

「え?、またぁ・・根掘り葉掘り、ぼくのコトを調べたんでしょ」

「そう、たぁーくさん、いろいろと聞いちゃった!、あはははは・・・・!!」

「むむっ─────────────────」


 六甲山ホテルは、緑豊かな六甲山頂のほど近くに立つ、1929年(昭和4年)に創立された関西有数の歴史を誇る瀟洒なホテルである。 ”阪神間(はんしんかん)モダニズム” と呼ばれる、主に阪急電鉄の周辺を中心とする、戦前の神戸から大阪にかけての私鉄沿線地域で育まれた独自の芸術や文化を代表する施設のひとつに数えられる。

 標高768メートルに位置する、ヨーロッパのリゾートホテルのような外観を持つホテルからは、眼下の神戸市街は勿論のこと、遠くは紀伊半島の先端まで大阪湾が一望にでき、日中は ”雲の上のオーシャンビュー” 、夕暮れからは ”一千万ドルの夜景” を堪能することができる。

「うわぁ!、素晴らしい景色ね。これは、夜になったらさぞ綺麗でしょうね!」

 6階にあるレストラン「レトワール」の窓際に案内されて座り、宗少尉はそこからの雄大な景色にすっかり見惚れて居る。

「あーあ、珈琲の飲み直しだな。何だかひどい運転で胃がひっくり返ったまんまで・・」

「まあ、今日は体調があまり良くないのね、可哀想に・・・」

「うぅ・・・免許を取ったら、宗少尉を隣に乗せて走ってあげますからね!」

「まあ、嬉しい!!、でもコースアウトして崖から落ちないでね」

「フン、誰が落ちるもんかいっ!!」

「・・さてと、飛ばしたらお腹が減ったわね、何か食べない?」

「このホテルは、1962年からやってる自家製のアップルパイが美味しいんですよ」

「わぁ、私、アップルパイ大好き!」

 ボーイを呼ぶと、ケースに入ったパイを見せに持ってきてくれる。

「全部手作業で焼いていて、折り込んだパイ生地の層は500以上にもなるんだって」

「生地の層が五百もあるの?!、それはすごいわね!」

「それも、気圧の低い標高768メートルのホテルで焼き上げるから、平地よりも大きく膨らんで焼けるんだそうですよ・・・」

「まあ、若いのに随分いろいろと詳しいのね、ヒロタカ・・・」

「そりゃもう、生粋の神戸っ子ですからね!」

「食いしん坊なだけじゃないの?」

「むむ・・・・・」

 ボーイが笑っている。

「でも、これは珈琲だと折角の味が分からなくなりそう。やっぱり、アップルパイには美味しい紅茶でなくっちゃね」

「そうか、仕方がない、紅茶で付き合うかな・・・」

「加藤様、いらっしゃいませ─────────────────」

 ホテルの副支配人が席までやって来て、宏隆に慇懃に挨拶をする。

「ああ、どうも。朝からお邪魔してます」

「ジャガーの音が聞こえてきまして、てっきりお父様がお越しかと思いましたが、今日は宏隆様がお美しい方とご一緒で・・・お出で頂いてありがとうございます」

「こちらは、台湾海ぐ・・・」

「・・・台湾から参りました宗と申します。昨日から加藤さんのお宅に滞在させて頂いておりますの。またこちらの夜景を見に来たいので、その際はよろしくお願いします」

 宏隆がつい、台湾海軍の・・・と紹介しそうになったので、それを遮るように、宗少尉が慌てて自己紹介した。
 いつでも、何処でも、どんな場合でも、秘密結社の人間は自分の身分を決して明かさないようにし、ごく普通の社会人として振る舞う。そうしなくては、何処で自分が狙われたり、仲間に被害が及んだりしかねない。宏隆の父・光興(みつおき)にしても、台湾の玄洋會と関わりがあるなどとは、光興が関わる実業界の誰も、夢にも思ってはいないのである。

「ディナーにも、是非お待ち申しております。間もなく次のパイが焼き上がる頃ですので、焼きたてをお持ちいたしましょう。どうぞごゆっくりとお過ごし下さいませ」

 副支配人が、そう挨拶をして下がってゆく。

「気持ちいいわね、神戸の人って」

「そうですか?」

「何だか、どの人もみんな開けていて、それでいて礼儀正しくて、スマートで、ちっともわだかまりを感じないの──────────」
 
「早くから国際的な文化が開けた港町だからでしょうかね。ぼくは地元だから、特別そんなことを感じたことはないけれど」

「同じ港町でも、横浜とはまた違っているわね。神戸の方が空が広い、って感じ。それに、ごく普通の市民なのに、着ている服や靴がとてもセンスが良くてお洒落なのよ」

「宗少・・・いや、宗さん、横浜に行ったことがあるんですか?」

「ちょっと前に、仕事でね─────────────────」

「中華街の・・・?」

「まあ、そんなところ」

「ふぅん・・何だかんだと、結構ウチの ”会社” も忙しそうですね」

「そうね、特にここ数年は ”ライバル会社” の勢力が大きくなってきているから・・・」

「・・・本当は、僕がやる仕事も、もう決まってるんでしょう?」

「えっ──────────?」

「ぼくに与えられる仕事がすでに決まっているから、急いで宗さんが神戸に来た・・・・
違いますか?」

「よく分かるわね、ヒロタカ・・・とてもその年齢とは思えないわ」

「ははは、感ですよ、ただのカン!」

「そう、お察しのとおりよ。それが分かるんだったら、もう隠す必要もないから言うけど、貴方には、近い将来アメリカに行ってもらうことになるの」

「・・あ、アメリカぁ?!」

「そう、U、S、A、のアッメーリカ」

「何のために・・・どんな任務で行くんですか?」

「それは私も詳しくは知らされていないし、知っていても私の口からは言えないわ。いずれ張大人からお話しがあるでしょうけれど、今すぐってワケではないし、何よりもまず、ヒロタカのトレーニングをきちんと終了させないと、任務も何も無いからね」

「そりゃそうですけど、そんな事を聞くと、何だか気になるなぁ・・・・」

「任務といっても、ヒロタカをもっと成長させることが、その第一の目的なのよ。何もアメリカへ行ってスパイの仕事をするわけじゃないから、安心しなさい」

「スパイなんて、僕に出来るわけないでしょ!」

「そんなコトないわよ。敵船とは銃撃戦ができるし、拉致されても、ちゃんと自分で脱出して来るし。それはもう、普通の人じゃぁない、立派なシークレット・エイジェントよ」

「あれは、ただ必死だったから─────────────────」

「普通の人は、必死になっても出来ないこともあるのよ。貴方は普通の人とは違うことが出来るから、王老師や張大人の眼鏡に適ったと思うの。それは凄いことなのよ」

「・・で、今日からの訓練は?、昨夜言っていたような・・ライフルとか、拳銃を?」

「いいえ・・・先ずは身体を鍛えてもらおうかと思うの」

「鍛えるって、ボディビルとか、走り込みとかするんですか?」

「そんなことなら独りでも出来るでしょ、ヒロタカは体力もあるし、必要な筋肉も肺活量も既に充分に持っているから、もっと非日常的なことを訓練するのよ」

「非日常的、って?」

「体力があっても、筋力があっても、多少ケンカが強くてもダメなのよ、それではプロとして通用しない。その身体が非日常的に使えるようにセットし直さなくてはいけないの」

「具体的には、何をやるんですか?」

「ははは・・・それは、始まってからのお楽しみ─────────────────」



                                 (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第84回の掲載は、3月15日(木)の予定です

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2012年02月15日

連載小説「龍の道」 第82回




第82回 龍 淵(5)


「はははは・・・・そうか、それはずいぶん驚いただろうな、お前たちの慌てふためく姿が眼に見えるようだ、わはははは・・・・」

 加藤邸のダイニングルームは、宗少尉を囲んだ歓迎ディナーの真っ最中である。

「いえ、お父さん、笑いごとではありませんよ・・・ケンカ大将の弟はともかく、ごく普通の人間である私は、とても生きた心地がしませんでした」

 憮然とした表情で、兄の隆範が言った。

「おお、そうか、それは良かった。これで堅実派の隆範も少しは危機感を実感することができたというものじゃないか。世の中が平和であることに越したことはないが、その為に日本男児たちが腑抜け腰抜けになって、何の危機感も無く、ただあくせくと金を稼いで働くばかりで、高度経済成長の裏でマスメディアに騙され、踊らされ続けて・・・その結果、隣国が虎視眈々と侵略を狙っている事さえ感じられないようになってしまったら、もうこの日本もお終いだからな──────────────」

「それはその通りですが、突然ナイフがこの頭を掠めて飛んでくるなんて・・・それも自宅の庭を歩いていて、ですよ!、こんなこと、普通の人生では有り得ません」

「宗少尉が投げるナイフなら、まあ、一応は安心だよ。なんせ空中に放り投げさせたリンゴに、抜く手も見せずにナイフをスパッと命中させるほどのスゴ腕なんだから!」

「何っ、な、投げたリンゴにぃ・・・・!?」

「あーら、また ”イチオウ” って言ったわね!、それも ”まあ、一応” ですって?!・・・・
今度言ったら、そのよく回るお口にナイフを放り込むわよっ!!」

 テーブルを挟んだ向かい側に座っている宏隆に向かって、ナイフを投げる仕草をする。

「わわっ、黙ります、黙りますっ、もう二度と言いませんっ!!」

 ガタガタと椅子から立ち上がり、素早く背もたれに身を隠しながらそう言うので、皆がどっと笑った。

「宗少尉・・・先ほどの迷彩服ならともかく、その美しいドレス姿では、今の言葉はお似合いになりませんよ」

 鮮やかな瑠璃色のロングドレスに身を包んだ宗少尉に向かって、隆範が如何にも紳士らしく、真面目な顔で窘(たしな)める。

「オホン、私としたことが・・・大変失礼いたしました」

「はは・・急にお淑やかになっちゃって、それこそ似合わないんじゃないのぉ?!」

「こらぁっ!、こう見えても、私だって女なんだからねっ!」

「ほーら、すぐに本性が出るっ!!」

「あっ、しまった・・・・・」

「はははは・・・・・」

「あははははは・・・・・・・」

「ははは、まるで姉弟(きょうだい)喧嘩か、姉弟漫才、といったところだね。
宏隆は、台湾でも宗少尉とそんな具合だったのかね」

 父が名残(なごり)のワインを、グラスを揺らしながら楽しそうに訊ねる。

「いえ、宗少尉はおっかない武術教練ですから、自分はひたすら平伏するばかりで・・」

「あら、そんなコト無いわ、よーく可愛がってあげてるじゃない!」

「でも、宗少尉と一緒に居ると、危ないことばかり起こって・・・・」

「なに言ってるの!」

「だって、ちょっと夜市を歩いていても、すぐにヤクザと乱闘になるし・・・」

「それは、ヒロタカが嵐を呼ぶトラブルメーカーだからよ!」

「あ、そんなこと言って、自分がヤクザのボスに目を付けられたんじゃないか!」

「それは、私が魅力的だったからよ!」

「ははは、また姉弟ケンカが始まった・・・・」

「あはははは・・・・・・・」

「わははははは・・・・・」

「宗少尉、ケンカも良いが、今日のディナーのお味は如何だったかな?」

「たいへん美味しく頂戴しました。私はこのように洗練されたフランス料理を、フランス以外で頂いたことがありません。何と申しますか、バターやクリームを控えめにした、本当の素材の良さを引き出すような瑞々しいスタイルのフランス料理は、おそらく日本人ならではのもので、本場フランスよりも、さらにキメの細やかさが感じられます」

「ふむ、今夜の料理は、宗少尉の為にウチの鈴木シェフがあちこち走り回って材料を揃え、腕を振るってくれたものです・・・英惠(はなえ)、もう料理も終わることだし、ちょっとシェフを呼んできなさい」

「畏(かしこ)まりました──────────」

 メイドのハナが厨房に向かう。

「旦那さま、お呼びでしょうか?」

「おお、こちらが今日のお客様、台湾海軍の武術教練である宗少尉、宗麗華さんだ」

「はじめまして。海軍の少尉とお伺いして、どのような剛強な方であろうかと想像しておりましたが、パリの高級レストランがお似合いになりそうな、とてもお美しい方ですね・・・本日は私どもの料理を最後までお召し上がり頂きまして誠にありがとうございます」

「まあ・・ご丁寧に、どうもありがとうございます。此方こそ、このような素晴らしいお料理を出して頂いて、美味しくて本当に堪能いたしました」

「お口に合いましたでしょうか?」

「はい、前菜に出た、キャビアが添えられたオマール海老のサラダは、海老味噌のドレッシングの味がとても新鮮で、シャンパンとの相性も良く、びっくりするほど食欲が出てしまいました」

「それは良うございました。魚料理は、お客様がお好きだとお伺いしましたので、明石で上がったばかりのカサゴをポワレにして、シェリービネガーで風味をお付けしましたが・・」

「メニューを見てとても嬉しくなったのですが。私がカサゴを好きだと知って出されたのですね?・・・でも、どうしてそれをご存知なのですか?」

「はい、旦那さまがそう仰いまして・・・」

「宗少尉が宏隆を仕込みに神戸に来ると聞いて、ウチに滞在してもらえば良いと張大人に話し、ついでに宗少尉のお好みを訊いてみたのです。すると、何処かで会食をした折に宗少尉がカサゴを好きだと言われたのを、張大人がよく憶えておられてね・・・」

「まあ・・・」

「だから、今日は敢えて神戸ビーフを出さず、鶏の料理にしてもらったというわけです。
神戸っ子の私としては、是非とも御料牧場のビーフを食べてもらいたいところだったのだけれどね、はははは・・・・」

「旦那さまが仰るように、お肉料理はお客様のお好きな鶏料理に致しました。北丹波の農園に育った地鶏の胸肉に、神戸で採れた茸とトリュフを使ってジューシィに仕上げさせていただきました」

「あの・・・私が鶏が好きだというのも、張大人が仰ったのですか?」

「そう、カサゴと鶏が好きで、宗さんがよく食べると──────────」

「実は、私は神戸ビーフが食べられると、楽しみにしてきたのですが・・・」

「えっ、それはイケナイことをした!・・・わはははは!!」

「しばらくの間ご滞在されると伺っておりますので、お気に召せば神戸牛は何度でも召し上がって頂けます」

「まあ、嬉しい、とても楽しみですわ!!」

「はははは・・・・」

「わはははは・・・・・」

「それでは、どうぞごゆっくり。旦那さま、チーズをお持ち致しましょうか?」

「そうだね、宗少尉のチーズの好みまでは聞いていないが・・・」

「何でも頂けますが、サントモールは好んでよく頂きます」

「フランスのシェーブル(山羊)チーズ。バル・ド・ロワール(ロワール渓谷)の、麦わらを一本通したサントモール・ド・トゥーレーヌですね、畏まりました。本日のブルゴーニュワインとも相性は抜群かと思います」

「うむ、後で女性に合う甘いワインも持ってきてくれ」

「それでは、ヴァン・ド・パイユなどは如何でしょうか?」

「宗少尉のお口に合えば良いが──────────────」

「甘いお菓子も、甘いワインも大好きですわ」

「畏まりました、しばらくお待ち下さいませ」

 深々と頭を下げて、鈴木シェフが厨房に戻って行く。

「へえ、意外と甘党なんだ・・・・」

 すかさず、宏隆が言う。

「意外と、とは何よ、意外とは・・・・」

「ほらほら、本性を出さず、お淑やかに、お淑やかに・・・・・・」

「もう・・まったく──────────────」

「ははは、姉弟喧嘩の種は尽きないようだが・・・ところで、宗少尉はいつまで日本に滞在できるのかね?」

「ヒロタカの残された課題が終了するまで神戸に居るよう、張大人に命令じられています」

「残された課題というのは?」

「戦闘訓練と、諜報活動の訓練が主なものです」

「ちょ、諜報活動って・・・お前、スパイになるのか!!」

 驚いた兄の隆範がつい大きな声を出して言ったが、宏隆はそれには答えず、ちょっと困ったような顔をして父の顔を見ている。

「・・あ、ご家族の前では申しあげるべきではありませんでしたか?」

「いや、別に構わんよ・・・いずれ家族も知らなくてはならないことだからね。
そうだ、ちょうど良い機会だから、この場で宗少尉から説明してやってくれるかね?」

「イエッサー」

「メイドたちは、私が呼ぶまで、しばらく外に出ていなさい」

 光興(みつおき)がそう命じると、食卓の周りに立って給仕をしていたハナと他のメイド三人が頭を下げてディナールームから出て行った。

「それでは、簡単にご説明をいたしましょう──────────
 ヒロタカさんは、陳氏太極拳の真伝を継承する王永斌(おう・えいひん)老師の拝師弟子となる為に、台湾の秘密結社・玄洋會のメンバーになりました。それは総帥・張大人のご友人である王老師が玄洋會の重鎮として、中共や北朝鮮の密かな侵攻に対し、総帥と共に地下で戦って居られる立場だからです」

「・・しかし、ただそれだけの理由で、弟がスパイになる必要があるのですか?」

 隆範が宗少尉に言った。

「いえ、何も諜報員になって貰おうというわけではありません。諜報活動の訓練を受ければより実際的に武術というものを実感することが出来ますし、今回のような予測し得ない事件が降りかかった時にも危機回避や生存の確率が高くなります。それに、日本が刻々と危機的な状況に向かっている現在、一人でも多くの有益な人間を造っておくことは国家にとっても大切なことでしょう。日本には戦後の平和ムードが優先して徴兵制がありませんが、戦闘に限らず、能力のある人間が有事に備えての訓練を積んでおくことは、他国では当前の義務であると国民に認識されています」

「それはそうですが・・・日本では自衛隊の存在があり、弟は武道の真髄を追求するという目的で太極拳を学び始めたはずです。それなのに、いつの間にかスパイの教育を受けているなんて・・・弟はまだ高校生の身だというのに、信じられません」

「兄さん、僕は自分でそうすることを選んだんだ。それにお父さんも玄洋會とは関係が深いから、決して僕だけの問題じゃないんだよ」

「親子揃って秘密結社のメンバーか?、何だか映画でも見ているようだ・・・」

「人には各々、今生で与えられている課題が有る。隆範は隆範自身の、お前にしか出来ない道を歩めば良い。弟の宏隆は武藝の奥義を追求する人生を選び、それによってこのような状況を与えられたのだ。それを受け容れるかどうかも本人次第で、私もそれについては一切口出しをしていない。玄洋會への入会は本人がよくよく考えて決めたことでもある」

「私はただ、兄として宏隆のことが心配なだけです──────────」

「静栄(しずえ)は、母親としてどう思うかね?」

「私は、息子の人生にとやかく口出しをする気は全くございません。親子とは言っても、人の生は各々個人に与えられた掛け替えのないもの・・・個々の人間は一人一人がユニークな存在であって、己以外の人間に何を決定され、強要される必要もありません。ただ、いつ何処でどのような人生を過ごしていても、人間として誠実に、徳を修め藝を磨く心を忘れず、真に己が満足できる人生を全うして欲しいと、心より願うのみです」

「ふむ。私もまったく同じ意見だが・・・私はお前たちが日本男児として民族や国家の役に立つような立派な人間に育って欲しいと願っている。日本ではもう、危機が始まっている。建国より二千六百三十年の、日本という国家の存続の危機なのだ。このたびの田中角栄首相の訪中と日中友好条約の締結は、そのような危機の方向性が改めて決定付けられたと言って良い──────────────」

「僕は、まだ自分のことがよく分かりません。僕がこの人生で何をするのか、どう生きて、どう死んでいくのか、よく分からないのです。でも、ただボーッとして、取り留めのない漫然とした人生を歩むのだけはイヤです。たとえどれほど危険でも、怖い目に遭っても、酷い目に遭っても、自分が生きていることを実感できる方が良い。自分が何を生きているか、そこから先をどうやって生きていくかを、いつもリアルに突きつけられるような、ボケッとしているヒマが無いくらい、自分と向き合って居られるような人生が僕の望みです」

「うーん・・・同じ親から生まれた兄弟と雖(いえど)も、お前とはこうも違うのだなあ。でも、お前の言っていることは正しいよ。お前の人生だ、思う存分、自分の思い通りに思い切り生きたらいい。僕も、兄としてお前に恥ずかしくないよう、自分の人生を精一杯生きようと思う」

「ありがとう、兄さん・・・」

「頑張れよ、宏隆!」

「ははは、よかったな。たった二人きりの兄弟だ、仲良く助け合って生きなさい。
 さて、宏隆は明日から宗少尉の厳しい訓練が待っているのだろうが、もうその覚悟は出来ているのかな?」

「はい、そのつもりですが──────────────宗少尉、神戸での訓練は何から始めるのですか?」

「そうね・・・取り敢えず、銃のウデが落ちてないかどうか確認して、新式のアメリカ製のライフルの使い方でも教えようかしら」

「・・じゅ、銃のウデの確認?・・・ライフルの使い方だってぇ・・・!?」

「あ、ダメ・・・駄目だよ、兄さんの前で物騒な話をしちゃぁ!!」


                                (つづく)






【神戸・摩耶山の掬星台(きくせいだい)から望む ”一千万ドルの夜景” 】







  *次回、連載小説「龍の道」 第83回の掲載は、3月1日(木)の予定です

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2012年02月01日

連載小説「龍の道」 第81回




第81回 龍 淵(4)


 コォーン、と────────────────投げた石が樹に当たった音がしたまま、辺りはシンとしている。

 釣瓶落としとはよく言ったもので、さっきまでの閑かな光芒はもう何処にもなく、夕暮れの薄明はあっというまに暗い闇夜となった。
 茶室から母屋につながる歩道の所々に設けられた外灯がうっすらと灯って、よけいに木立ちの辺りが暗く感じられる。

「やたらと動いてはならない──────────────」

 たとえ宏隆でなくても、こんな時は誰もがそう思うに違いない。
 玉砂利の上に、じっと身を伏せるようにして、静かに様子を窺う。
 
「・・お、おい、どうなってる?、いったい何が起こったんだ?」

 玉砂利の道に仰向けに転がされた恰好のまま、兄が不安そうに小声で言った。

「そこの木陰に、誰か居るんだ・・・」

「誰かって・・・ハナかだれか、ウチの使用人じゃないのか?、お前は台湾に行って以来、ちょっと神経質になっているからなぁ」

「シィーッ、使用人じゃないよ。ほら、あれが見える?」

 宏隆が指を差した先には、樹に突き刺さったナイフが妖しく光っている。

「げっ!・・・あれは、な、な、ナイフじゃないかっ!!」

「そう──────────────」

「そ、そうって・・・いいか、お前はこんな事は日常茶飯事かも知れないが、俺はごく普通の善良な神戸市民だ。いくら何でも、あんなナイフを投げつけられるような状況とは全くご縁が無い・・・ここはお前が何とかしろ!!」

 極力声を潜めながら、兄は盛んに宏隆に語りかける。

「じゃ、先ずは履物を脱いで・・・ぼくがカウントダウンするから、3,2,1でナイフが刺さっている太い樹の向こう側に走るんだ、いいね?」

「よ、よしっ──────────────」

 寝転んだまま、言われた通り足からそっと雪駄を外して、走る準備をする。

「いいかい、行くよ?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ・・・」

 いかにも不安そうに、宏隆の言葉をさえぎって言う。

「どうかしたの?」

「3,2,1で・・・1の後に走るのか、1で走るのか・・・どっちだ?」

「はは・・・じゃ、1で走るのはどう?」

「1で走る、か・・・よし、3,2,の次の、1、で走ればいいんだな?」

「そう、3,2,の、次の1で走る。それで良い?」

「よ、よしっ、いつでもいいぞ・・・・」

「3,2、それっ!!」

 兄は、仰向けに転がされた姿勢から飛び起きると、砂利を蹴立ててナイフの刺さった木立の裏側へと、脱兎の如く走った。
 宏隆はそれと同時に、敵を牽制して砂利のつぶてを反対側の木立に向かって三つ、四つと素早く投げつけ、兄とは違う方向へ4,5メートル走りながら、自分もサッと植え込みの向こうに身を隠した。

 だが、辺りはまだシンとしているままで、物音ひとつしない。

「ちっ、今日に限って、失敗したなぁ・・・」

 ぼそりと、宏隆がつぶやく。
 いつもなら、たとえ和服を着ても、袂(たもと)には必ず小型のナイフや懐中電灯を装備している。それを、今日は自宅の敷地の中のことと思い、つい怠ったのである。
 宏隆はそれを悔いていた。

「やっぱり、”備えよ常に” というのは、正しい──────────────」

 ボーイスカウトの格言を思い出しながら、そう独り言(ご)ちた。

 こんな時には小型のライトひとつでも、相手の目を狙って照らすだけでも武器になる。
 加えてナイフが一丁あれば、たとえ刃渡りが短いアーミーナイフでも、相手にとっては素手と比べれば遥かに戦いにくい立派な武器になるのだ。
 必要なものは必要なときにならないとそのありがたさが分からない。こんな時に必要になるものは、普段は無用に思えてしまうもので、つい備えを疎かにしがちである。

 しかし、何を思ったか、宏隆は何か忙(せわ)しそうにゴソゴソと、懐(ふところ)の辺りを探っている。

「ヨイショ、っと・・・」

 何処にそんなものがあったのか、太めの紐を懐中からズルズルと取り出し、大急ぎでそれを襷(たすき)に掛けると、ポンと帯の腹を叩いた。

「これで袴(はかま)か、せめてモンペでもあったらなぁ・・・」

 懐から抜き出した紐は、肌襦袢(はだじゅばん)の腰紐であった。
 男物の和服は、肌襦袢と長襦袢という二つの下着の上に長着(ながぎ)と呼ばれる着物を着て、その上に羽織を着用する。和服では肌着を締めている腰紐をひとつ抜いたからといって直ちに着崩れするというわけではないので、宏隆は咄嗟に思い付いてそれを解いて襷に用いたのである。

「しかし、あんな恰好で戦えるのだろうか──────────────?」

 向こうの樹の陰にそっと潜みながら、隆範はふと弟のことが気掛かりになる。

 着物の恰好で戦うのは困難を極める、というのは誰にも想像がつく。よく時代劇などでは着物姿の武士が颯爽と刀を抜いて斬り合いをしているが、滅多に和服を着る機会もない現代人には、家の階段を上り下りすることさえ儘ならないものである。
 ましてやこの場合、敵が誰なのかも、何人居るのか、何の目的なのかも分からない状態で着物姿のまま戦いを強いられるのは、誰が考えても大変なことであった。

 弟を案じて、隆範がそんなことを思った途端、

「カン、カン、カンッッッッ──────────────!!」

「うわわっ、今度は石のつぶてか!!」

 正確に、宏隆の居場所を狙って、砂利のつぶてが飛んでくる。
 慌てて体を放り出すように植え込みの根元に身を伏せたが、

「わっ、わっ──────────!!」

 その伏せたところにも、絶え間なく幾つも石つぶてが撃ち込まれる。
 密集した植え込みという盾がなければ、間違いなく顔や首に命中しているところだ。

「ふう・・・何て正確なんだ。これは只者じゃない、相当な訓練を積んだ奴だ・・・・
 だが、たぶん独りだな。ひとつの場所から石が飛んでくるし、他に人の居る気配が無い」

「宏隆・・・宏隆ぁ・・・・おい、大丈夫か?!」

 兄が心配して声を掛ける。
 ケンカの若大将とさえ呼ばれた弟が、何も反撃できないままでいるのだ。
 この敵が滅法強い相手であることは、温和しい兄の隆範にも容易に想像がついた。

「ああ、何とか大丈夫だよ」

「いっそ母屋まで走って、誰か人を呼んでこようか」

「いや、駄目だ。そんなことをしたら、たちまち狙い撃ちにされてしまう。石ならまだ良いけど、ナイフが飛んできたら命がないよ。それより、ぼくが良いと言うまで、そこでじっとしていて・・・」

「よ、よし、わかった──────────────」

 声を潜めて答えた、その兄の言葉が終わるか終わらないかのうちに、

「出てこいっ!、暗闇で不意打ちとは卑怯だとは思わんのか!、男なら、日本人なら、コソコソと隠れず、正々堂々、出てきて勝負しろっ!!」

 大声で、宏隆がそう言い放った。
 無論、相手が日本人とは限らないし、そもそも闇討ちを仕掛けてくるような手合いがわざわざ正面切って戦うはずもない。宏隆もそんなことは分かっているが、その声で相手が何らかの動きを起こさないかと思い、誘おうとしたのである。

 すると・・・果たして、すぐに向こうの茂みから、黒い影がヌウと歩道に出てきた。
 砂利道だというのに、目立った足音も立てない、静かで軽快な動きである。

「おっ──────────────」

 それを見た宏隆もまた、身を潜めていた植え込みからサッと躍り出て、

「とうとう出てきたな────────────お前は何者だ?、何の目的で他人の屋敷に侵入して我々兄弟を襲ってくるのか、返答如何によっては容赦はしない。何にしても、警察に突き出す前に叩きのめしてやるから覚悟しろ!」

 静かに、しかし強い口調で相手に向かって言った。
 しかし、敵は静かに沈黙したままで、その呼吸さえ測れない。

「なぜ黙っている・・・日本語が解らないのか?」

 五、六メートル先に居る相手は、ちょうど外灯が樹の影になる暗がりでよく見えないが、背は宏隆よりも少し低く、服装は上から下まで黒ずくめに見える。おそらくすっぽりと覆面で顔を被っているのだろう、頭部はわずかに目元だけがぼんやりと白く光って見えるだけで表情や髪型などは何も判らない。

「うっ─────────────────!!」

 その正体不明の相手が、しゃべっている間に少しずつ自分の方に間合いを詰めて近づいていることにハッと気が付いて、宏隆は思わず二歩ほど後ずさった。
 間合いを詰めていることを悟らせないような相手は、宏隆の数ある戦いの経験の中でも、そう多くはない。この敵は台湾で自分を拉致しようとした北朝鮮の特殊部隊の輩(やから)と同様、相当な訓練を積んだプロであることを覚悟しなければならなかった。

「そうか・・どうしても、やる気なんだな・・・・」

 宏隆はその場で雪駄を脱いで、それを後ろに蹴飛ばして構えた。すでに襷(たすき)は掛けているが、もっと邪魔になるはずの着物の裾はそのままで、絡げるわけでもない。

「ザザッ────────────!!」

 砂利を蹴立てて、突然、相手が素早く飛び込んできた。

「くっ・・・!!」

 最初に相手が放ったのは上段の前蹴りである。
 宏隆は流石に辛うじてそれを躱しはしたが、この暗闇で正確に顎を狙えるのは、やはり只者ではない。

「ビュッ、ビュッ・・ブンッ─────────────────!!」

 さらに敵は、鋭く速い蹴り技を連続して放ってくる。

 それらをギリギリの間合いで見切って躱す。
 素早く動いても、狭い歩幅のまま動けているので、着物の裾が乱れていない。

「む、これは?・・・少林拳か─────────────────」

 台湾の海軍基地では、宗少尉に散々少林拳の技法を見せつけられ、ついには自分もそれと向かい合って戦う羽目になったことを思い出す。

「回し蹴りが、宗少尉と似ている・・・・・」

 ジリジリと、相手との間合いを測る。

 動いているうちに、さっきより外灯が少しばかり明るくなっている所に相手が立った。
 よく見れば、シティ・カモと呼ばれる市街地用のグレーと黒の迷彩服の上下に身を包み、頭には黒い覆面をすっぽりと被っている。靴もゴツい軍用ブーツのようだ。
 かなり鍛え抜いた身体であることは暗闇の迷彩服姿でも有り有りと感じられる。
 しかし、だんだん目が慣れてくるにつれて、その体躯のシルエットにはゴツい男臭さが感じられないことが判ってきた。

「ん?、これは・・・ははぁ・・・・・」

 何を想ったのか─────────────────
 宏隆はニコリと笑みをこぼすと、右脚を半歩退いて、相手の次の攻撃を待った。

「ビュンッ!!」

 一歩半という間合いなのに、鋭い右の回し蹴りが瞬時に、正確に宏隆の顔面を捉えた。

「ああっ!!」

 ハラハラしながら木陰に隠れて見ていた兄が、思わず大きな声を上げた。
 弟がやられた!、と思えたのである。
 蹴りを放った敵もまた同じく、ほとんどそう思えたに違いない。

 だが、その瞬間─────────────────

 敵の蹴りの間合いを紙一重で見切って、まるで球が転がるような動きで滑らかに敵の懐に入り、蹴りの軸足にしていた左膝の裏に押すように触れつつ、上体をグイと起こすと、敵はその場で為す術もなく、ドウ、と砂利の上にもんどり打って転げた。

「動くな─────────────────!!」

 次の瞬間、仰向けに転がされた敵の肋(あばら)を右膝で、右腕を左膝で素早く押さえ、同時に喉元の急所にピタリと親指を押し付けると、静かにこう言った。

「宗少尉────────────でしょう?」

「あははは・・・もうバレたか!、やっぱり大したものね!!」

 押さえつけている膝の下で、宏隆のよく知る声が明るく響いた。
 一度でも戦ったことのある相手は、向かい合って戦えば、たとえ闇夜で覆面をしていてもそれと分かるものである。

「でも、この勝負、私の勝ちよ!」

「えっ?」

「体を、よく確かめてご覧なさい」

 そう言われた途端、右脇にグイと突(つつ)かれているものを感じてハッとした。
 いつの間にか、相手の左手に持たれたナイフが、転がされると同時に宏隆の右脇にピタリと添えられていたのである。

「いやぁ、見事にやられた。やっぱり敵わないなぁ────────────」

 組み伏せた恰好を解いて、手を引いて起こしながら頭を掻く。

「宗少尉、お久しぶりです!」

「ヒロタカ・・・元気そうね、会いたかったわ!」

 覆面を外して、笑顔を見せてそう言う。
 たった二ヶ月ばかりだというのに、まるで何年も会わなかったように懐かしく思える。
 宏隆も襷(たすき)を解いて、宗少尉と固くハグを交わした。

「あ、そうだ・・・兄さん、もう出てきても大丈夫だよ!」

「な、何だぁ?、敵とヒシと抱き合って・・・一体どうなってる?」

 ガサゴソと茂みから出てきて、訝しそうに言う兄に、

「こちらは宗少尉こと、宗麗華さん。台湾ではとてもお世話になった玄洋會の先輩で、台湾海軍の武術教練でもある人です。英語なら通じるから・・・」

「え、ええっ!?────────────」

「宗少尉、ぼくと二つ違いの、兄の隆範です」

「ハイ、タカノリ。貴方のことはいろいろと宏隆から伺ってるわ。ドウゾヨロシク」

 どうぞよろしく、と日本語で言って、握手の手を差し伸べる。

「ど、どうも、Nice to meet you・・・でも、なぜ私たちを襲ったりしたのですか?」

「驚かせてごめんなさい。台湾のヒロタカのトレーニングがどれほど成果があったか、ちょっと試させてもらったのよ」

「そのために、わざわざ日本に来られたのですか?」

「いえ、私は張大人から日本に行くよう、命じられて来ました」

「日本に来た目的は?・・・また何か大変なことでも起こったんですか?」

 宏隆が心配そうに訊ねる。

「目的はヒロタカ、貴方よ。貴方のために命令を受けて来たの。ヒロタカが台湾でやり残した訓練を日本できちんと終えられるようにと、派遣されたのよ。さっき襲ったのも、言わばその訓練のひとつ、ってワケね!」

「ええーっ、そんなぁ・・・訓練だとも知らされずに、いきなり本物のナイフを投げつけられたら、命が幾つあっても足りないですよ!」

「あはは・・・だから私も手加減して、貴方から30センチも離れたところにナイフを投げたでしょ!」

「さ、30センチって・・・た、たったの────────────?!」

 それを聞いて、兄が絶句している。

「まあ、宗少尉の腕は、一応信用してますけどね」

「あら・・その ”いちおう” ってどういうコト?」

「えっ、誰もそんなコト言ってませんよ・・」

「言ったでしょ、聞こえたわよ!!」

 拳(こぶし)を振り上げて宏隆を打(ぶ)とうとすると、宏隆は怖がって両手を頭に当てて縮こまった。

「あはは、何だか、怖い姉さんに久しぶりに会ったみたいだ!」

「アハハハハ・・・・・・」

「何だかよく分からんが、もう外は寒くなってきたし、ともかく家に入って寛ごうか。
父にも宗さんを紹介しなくては─────────────────」

「お父様にはもう、ちょうどヒロタカが茶室に向かった頃にお目にかかって、ご挨拶をしたのよ。とてもダンディでステキなお父様ね。そして強そう。男はああでなくっちゃね!」

 宗少尉の言葉に兄弟は顔を見合わせ、唖然として言葉を失っている。

「宗少尉、その派手な迷彩の恰好でこの家を訪ねてきたんですか?、よく父に猟銃で撃たれなかったですね」

 ちょっとユーモアを効かせて、宏隆が言った。

「いいえ、お父様が私の部屋を用意して下さって、そこでコレに着替えてきたのよ」

「部屋を用意、って・・・それって、まさかウチに泊まり込むってコト?」

「そうよ、何か問題でもあるの?」

「い、いや、問題って・・・だって、つまり、宗少尉がウチに泊まるんでしょ?」

「ヒロタカ・・あなた、私のコト、嫌いなの?」

「い、いや、決してそういうワケじゃ───────────参ったなぁ、もう・・・」



                               (つづく)



  *次回、連載小説「龍の道」 第82回の掲載は、2月15日(水)の予定です

taka_kasuga at 23:07コメント(17) この記事をクリップ!
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