*#41〜#50

2013年04月23日

練拳Diary#50 「学び方 その3」

                        by 教練  円山 玄花



 学ぶこととは、どの様なことであれ自分の知らないこと、新しいことを、自分の中に取り込み、消化し、身につけていくことです。
 その始まりは、未知なるものへの憧れと希望に満ちていたはずなのに、時として人は、学ぶ過程で苦痛と挫折感とを味わわされます。その探求が本気であればあるほど、その負荷は大きく、深く自分の心に根を張っていきます。

 それは、よく見つめてみれば、自分が好きなようには学べない、思うようには取れないということが原因となっており、そもそも学ぶことの中には「自分」を挟む余地などなく、
「自分」をやめることでしか、新しいことは学べないことを教えてくれています。

 しかし、「自分」をやめることの、なんと難しく厄介なことでしょう。
 太極拳でいえば、相手を倒すのにどうしても力(拙力)をやめられない、ということと同じです。”用意不用力”とは言っても、力を使わずには相手を動かすことさえ不可能だ、だからきっと、何か他に神秘的な力があるに違いない、それが ”氣” というものであろうか・・・と、想像だけがどんどん膨らみます。

 円山洋玄師父は、悩む私たちに、常にヒントを与え続けてくださいます。
 相手に触れずに倒しても、「これは氣ではありません」と断言されるし、基本功でも散手でも、最も多く指導される言葉は「考え方を変えなさい」というものです。相手を倒すタイミングであるとか、方向などではなく、「考え方」を理解するように言われるのです。

 この言葉は、そもそも自分は力というものを、太極拳や武術というものを、一体どの様に考えていたのか、ということを改めて突きつけられます。
 そして、自分が如何に薄っぺらな情報をもとにそれらのことを考え、体得しようとしていたのか、如何に平凡な常識に囚われて生活を送っていたかということを、思い知るのです。

 それならば、どうしたら常識を常識と見破り、考え方を変えて新しいことに取り組めるのでしょうか。
 私は、カギは観察と自己観照しかないと思います。そして「奇跡のリンゴ」の木村さんもまた、自分のフィールドの仕組みを理解するために、ひたすら観察を続けたひとりだったのです。


 木村さんが岩木山で答えを見つけてからは、木村さん自身にも、そして木村さんの周囲にも、少しずつ変化が現れ始めました。

 「 ”リンゴ農家だから、リンゴだけで食べていく” というプライドは消えて、”リンゴの実を成らせるためなら何でもする” 、という気持ちに変わった」と言って、数々のアルバイトを始めた木村さんは、きっとそれまでのうつむき加減で険しい表情から、やるべきことを見つけた、穏やかで芯の入った表情に変わったのでしょう。
 木村さんを「カマドケシ(竈消し=破産者)」と呼んで陰口を叩いていた周囲の人々の目も、木村さんがただの変わり者ではなくて、少なくとも何か意図を持って行動しているのだという見方に、変わっていきました。

 それはもちろん、荒れ果てたリンゴ畑のりんごの葉が以前よりも元気になっているように見えた、と言う単純な理由だけではなく、害虫や雑草が溢れる木村さんの畑に対して苦情を言ってくる人に、畑に雑草を生やす理由や、山の土と畑の土の温度の違いなどを、丁寧に、そして熱心に説明したためだとも言えるでしょう。

 そして何よりも、木村さん自身の、自然を観察する眼が変わった、と言えるかもしれません。木村さんが岩木山で見つけた答えとは、リンゴの木そのものに対するアプローチだけではリンゴは育たない、という事でした。リンゴは、リンゴだけで生きているわけではない。その発見が、木村さんの物の見方を変えたのです。

 たとえば、りんごの葉を食べる憎き害虫と、その害虫を食べてくれるありがたい益虫の
”顔” の違いから始まり、りんごの木に生み付けられる卵から、一体どの様な虫が孵るのか、虫は、どのように葉を食べて大きくなるのか、などです。
 今までは、虫を目の敵にして手当たり次第取り除いていたものを、一日中眺めてみたり、虫を採取して家で飼うなど、畑に生じている生態系そのものを観察し始めました。

 そうして分かったことは、木村さんがせっせと農薬散布をしていた頃に考えていた常識とは、全く正反対のことばかりだったのです。

 ひとつ、私が感動した木村さんの発見を書いておきたいと思います。
 
 木の幹に産み付けられる害虫の卵は、保護色をしていて、直径5ミリの塊に50個の卵が並んでいます。そして、その卵の塊から10センチほど離れたところに、別の卵が2個並んでいる。これがテントウムシの卵で、害虫がふ化するのを益虫が待っている、というわけです。
 ところが、害虫の方はただ食べられるわけではなくて、50個の卵は一度に孵化せずに、まず半分が孵化して、りんごの葉を食べに向かいます。その虫たちが1センチくらいの大きさに育った頃、残りの半分が孵化します。テントウムシはちょうどそのタイミングで孵化をし、孵(かえ)ったばかりで自分も小さいから、あとから孵った半分の害虫を食べて育つというのです。
 先に孵った半分は、その間に葉をどんどん食べて生き延び、あとから孵った半分は、テントウムシに喰われるために、先に孵った半分を生き延びさせるために、生まれてくると言うのです。

 ──────────────自然とは、本当に何というシステムなのでしょうか。
 
 また、農薬を使っていると、簡単に虫を殺したり、病気の元となるカビや菌類を消毒する代わりに、りんごの木が病気や虫と戦う力を衰えさせてしまう、とも言います。
 そして、りんごの木だけではなくて、農薬を使っている人間まで病気や虫のことがよく分からなくなり、その結果病気や虫に弱くなるというのです。
 強くなるのは改良される農薬ばかり、ということになるでしょうか。

 観察を続けることで、初めて畑と害虫を含む生き物と、病気や気候の関係が見えてきたという木村さんは、いつしか天気予報よりも正確に天気を読めるようになりました。
 また、りんごの木が1年を通じて土壌から吸い上げる水量の変化、畑に生やした雑草がどの時期にどのくらいの養分を土壌から奪っているのかということから、土の中の細菌や微生物の働きまで、およそリンゴ栽培に関することで木村さんが知らないことはないと思えるほど、専門家も顔負けの知識を得ていたのです。

 その結果、それまで夏に入る前にはほとんど落ちていたリンゴの葉っぱが、三分の一残るようになり、翌年の春先には新しい枝が10センチほど伸びていました。そして、たった一本の木に、7つだけ花を咲かせたのです。全ての畑で農薬をやめた年から、8年目の春のことでした。

 次の年。
 無農薬栽培との長い戦いの中で、木村さんと共に生き延びた400本のりんごの木は、いっせいに白いリンゴの花を咲かせました。畑一面の白い花。木村さんは、今でもその時の光景を忘れないと言います。

 「この花を咲かせたのは、私ではない。リンゴの木なんだとな。主人公は人間じゃなくてリンゴの木なんだってことが、骨身に染みてわかった。それがわからなかったんだよ。自分がリンゴを作っていると思い込んでいたの。自分がリンゴの木を管理しているんだとな。私にできることは、リンゴの木の手伝いでしかないんだよ。失敗に失敗を積み重ねて、ようやくそのことがわかった。それがわかるまで、本当に長い時間がかかったな」

 この言葉が、どこかで太極拳を学ぶ私たちにも言えることだと思うのは、私だけでしょうか。

 木村さんの奮闘は、これで終わったわけではありません。
 害虫や病気が消えたわけでもないし、無農薬栽培のリンゴの流通ルートも確保しなければなりません。ひとりの百姓として、またリンゴ農家として、無農薬栽培で生活をするためにやるべきことはまだ山積みだったのです。
 けれども、それらのことをここで書くのは、タイトルから少々外れてしまうのでやめておきます。

 農薬の代わりになる食品を探して失敗し、山と畑の土の違いに目覚めた木村さんは、畑のリンゴの木を自然と調和させるために、自分の目と手と頭を使って、観察を続けました。
 どうしたら畑のリンゴの木に、山のドングリの木と同じ強靭さを与えることが出来るのだろうかという問い掛けは、最終的に木村さんの考え方を根本から変えることになりました。

 自然には害虫も益虫もなく、そこには途方もない、幾重にも折り重ねられたバランスが、摂理が存在しているだけでした。虫や病気も、そのバランスの一端として現れていたに過ぎなかったのです。それを、人間の都合だけを持ち込んで、農薬で駆除することだけをするから、さらにバランスを取ろうとする働きが生じるわけです。
 また、農薬でなくて、化学肥料でも有機肥料であっても、肥料はリンゴの木に余分な栄養を与えて、害虫を集めるひとつの原因にもなっていました。

 病気や虫だけを何とかしようとするのではなくて、それらが発生している全体を観る。
 肥料は与えず、木の根を痛める農業機械は一切畑に入れず、畑に雑草を生やして土を自然の状態に近づける・・・それらのことを自然に教えてもらいながら続けることで、畑からハマキムシが姿を消し、病気が発生してもそれは広がらなくなりました。リンゴは一本の木として、とても丈夫になったのです。
 リンゴの木の根は、普通数メートルの長さになりますが、木村さんのリンゴの木は、なんと20メートル以上も根を伸ばしていたのです。

 木村さんの手で、自然の摂理によって育てられるようになったリンゴの木。
 ただ農薬をやめただけでは、このようにはなりませんでした。
 たとえ代わりのモノを見つけても、バランスが循環することは有り得なかったのです。

 「農薬が人体にも自然にも悪いから、やめた方が良い」という考え方は、太極拳で表現すれば、「拙力は自分より弱い者にしか効かないし、年齢的限界があるから、やめよう」となるでしょうか。
 結果は、農業でいえば木村さんが体験してきた通り、病気と害虫の大発生と、畑の壊滅を余儀なくされるし、太極拳では、力をやめただけでは力の大きな者に倒されることは、明白です。

 それではどうしたらよいかと言えば、ひとつには、木村さんが自らの畑で自然から生態系を学んだように、私たちも「学習体系」から学ばなければなりません。
 そのためには、自分の中の「力」「武術」「戦い」などの常識を捨てて、道場で展開される全てのことに目を凝らし、耳を澄ませ、毎回全身の細胞をフルに稼動して、システムそのものを受け取ることが必要です。

 もうひとつは、自分という畑を使って、その畑を研究し尽くすこと。
 その為には、最初に述べた「観察・自己観照」がカギとなります。観察という行為には、自分が思うことや考えることは入りません。反対に、観察を続けることで発見が起こり、その度に自分の中の常識が、玉葱の皮を剥くように、一枚ずつ落ちていくことでしょう。
 「自分が思うこと」をやめたその状態で、純粋に稽古の中に身を置くことで、ようやく、「取ること」「身につくこと」が見えてくるのです。
 畑の研究なしに、リンゴの実は採れなかったように、太極拳という対象を身につけることだけを追い求めていても、空振りに終わります。

 最後は、「プロ意識」を持つこと。
 木村さんは、プロフェッショナルとは、技術も心も一緒に伴った人、そして命を懸けたことがある人だと言います。私はそれにプラスして、プロとは覚悟を決めた人間であると思います。自分が出来るとか出来ないということを問題とせず、それに取り組み続けるという覚悟。言い訳をせず、常に向上心を持って自己を律していく覚悟。

 プロ意識を持てないようであれば、どの様なきれい事を並べようとも、結局は単なる自己満足の世界でしかないと思います。
 反対に見れば、プロにはプロフェッショナルの世界があり、アマにはアマチュアの世界があります。太極拳をプロとして取り組むのか、アマとしてそこそこやるのかは、自分の選択次第なのです。そして、太極拳のすべてを修得するためには、「プロ意識」を持つしか方法はありません。


                               (つづく)




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2013年01月23日

練拳Diary#49 「学び方 その2」

                        by 教練  円山 玄花



 農薬を散布しないりんご畑では、りんごの木の病気と共に、ありとあらゆる虫が、天国とでも言わんばかりに湧いてきたと言います。
 
 自分が無農薬栽培に挑戦しているからと言って、隣にある他の人のりんご畑に害虫を飛ばすわけにはいきません。木村さんは、日の出から日没まで、来る日も来る日も手作業で駆除を続けました。
 一本のりんごの木から取れた害虫は、スーパーのビニール袋三杯分。全部で800本あるりんごの木を、家族四人の手作業では到底間に合うはずもないのです。
 虫への対処法など、本を読んでも書いてないので、木村さんは畑に顕微鏡を持ち込んで、虫の「観察」を始めます。
 それに加えて大敵のハマキムシには、ダンボールに『これ以上被害を与えたら怖い殺虫剤を散布する』と警告文を書いて木に下げたりもしました。ところが、そのダンボールにハマキムシが卵を産み付けていたと言いますから、自然というものは容赦ありません。
 けれども、こうして虫の生態を観察することで、たとえば「卵を取ればいい」という対処法が見えてきたと言うのです。もちろん、木村さんが本当の意味で自然を「観察」出来るようになるまでには、もう少し年月を必要としたのですが。

 稽古では、私たちも度々「よく見るように。細かく見比べること」と、指導されます。
 見る稽古の中でも、特に師父と門人とを見比べるものでは、自分では見ているつもりでも実は見えていなかった、ということがよく分かります。
 それは、自分と師父とを比べて修正しているとき、往々にして感覚と想像とに任せていることが多く、実際的なものが伴わないためであると言えます。それに対して他人同士を見比べる場合には、感覚も想像も使えません。そうして初めて「見ること」が何であるのか、どのようにしたら本当に「見比べること」が出来るのかを、体験しながら理解していくことが出来るのです。

 かつて弓道の稽古をしていた頃、弓を射る姿勢を見て問題点を指摘するという稽古がありました。
 一人の姿勢について十人ほどが指摘をした後、先生に「いま自分で目に付いた問題点は、そっくりそのまま自分の問題点でもある。自分が日頃から気にしている点に、目がいくものだ」と言われ、妙に納得したものです。それ以来、私は人に見えた問題点を、同時に自分の問題点でもあると思って稽古を進めてきましたが、とても勉強になっています。

 さて、木村さんの目標は、害虫駆除ではなくて無農薬でりんごの実を成らせることです。
 周りのりんご農家はバブル真っ盛りで、りんごの木は“金のなる木”と呼ばれるほど、裕福な生活を送っていました。木村さんの畑だけが枯れ木の山で、とうとう「町でもっとも貧乏な家」と言われるようになりました。
 電話は通じず、健康保険料も払えず、子供のPTA会費も払えません。穴のあいた靴下をはき、一個の消しゴムを切り分けて使う。義理の両親と妻、娘三人を抱えて、収入のない極貧生活を送りながらも、木村さんは無農薬栽培の研究を続けます。
 新聞屋で余ったチラシを分けてもらい、チビた鉛筆で書きとめた研究資料は、りんごの木箱二箱以上になりました。

 水田をいよいよ手放すまでは、酒屋でもらったワンカップ200個と田んぼの泥、そしてイネ科のヒエを使って、お米の無農薬栽培が、どのような育成条件を与えれば稲の育ちがよくなるかを実験しました。ヒエは稲よりも成長が早いので、一年に何回も実験することができるのです。

 その結果分かったことは、常識とは正反対のことでした。
 一般的には、土を丁寧に耕し、泥がお汁粉のようになるまで代掻きをするのが良いとされていますが、実験では、最も粗く耕し、代掻きも適当に二,三回掻き混ぜただけのガラスのカップが、一番ヒエの発育が良かったのです。
 同じ実験を三回繰り返しても同様の結果が出たので、木村さんはそれを自分の水田で試してみたところ、稲は驚くほど良く育ち、収穫は前年の倍近くになったと言います。
 大きな土の塊がゴロゴロ残るほど粗く耕し、代掻きも軽く表面を混ぜるだけ。その結果、稲は通常よりも根の数をもの凄く増やして地中にびっしりと張り、充分に栄養を吸収できるようになり、地上の部分は通常よりも強く大きく成長しました。

 これを読んだとき、私は人を指導する立場から、思わず「人の成長」にも同じことが言えるのではないだろうか、と考えました。人が学び、成長するという過程や環境に於いて、土を丁寧に耕すことと、粗く耕すことの違いは何であるのか。代掻きを充分にしてあげるのとサラッと表面を撫でるだけの違いは、いったい何であると言えるのでしょうか。

 木村さんが挑戦を始めてから5年。
 実の成らないりんごの木を、家族四人で朝から晩まで世話をする日々が続きます。
 虫を取り、薄めたお酢を撒き、りんごの木に「すまない、頑張ってくれ」と声を掛ける。終には満足に食べられる物もなくなり、薄めて伸ばしたお粥に、畑で取ってきた雑草を茹でて入れ、食べるという有り様。
 婿養子に入っておきながら、一家を貧窮に追い込み、畑は常に害虫だらけ。周りの人からはのけ者にされ、カマドケシ(竈消し=破産者)という津軽弁で最悪の渾名で呼ばれ、陰口を叩かれます。とうとう親戚にまで付き合いを拒まれるようになってしまいました。
 収入を得るため冬場は東京まで出稼ぎに行き、公園で寝泊まりしながら日雇い労働者として働きますが、たいした稼ぎにはなりません。
 何の結果も出せない日々が続き、頭の中では、無農薬栽培への挑戦を「やめろ」という自分と、「続けろ」という自分が、常にせめぎ合っていたと言います。

 6年目。害虫と病気は一向に良くなる気配を見せず、家族は困窮の中。とうとう実家からは勘当されてしまいました。
 無農薬栽培への挑戦を許可してくれた義父に報いたい、農薬に苦しむ妻を救いたい。
 ただその目標のために突き進んできたけれど、自分は失敗したのだ。もうすべてを諦めて農薬を使うしかない。それが唯一の答えだと分かっているけれども、諦められない。なぜ自分は諦めることができないのか、それも分からないままに、800本のりんごの木は、枯れかけていました。

 万策尽きて、それでも諦められない木村さんは、これ以上生きていても家族に迷惑をかけるだけだと思い、自ら死ぬことを決意します。
 夜、りんごの作業に使うロープを三つ編みにして、目の前の岩木山に登ります。
「死んでそこから逃げようとしたわけだから、死ななきゃ夢を諦められなかったと言えば恰好良いけどよ。卑怯と言われても仕方がない。ただ、それですっかり気持ちが軽くなった。思い残すことなんて何も無い。何日も風呂に入っていなくて、久しぶりに風呂に入ったときのように、さっぱりした気分で岩木山を登っていったんだ」
 と、木村さんは当時を振り返ります。

 2時間くらいは登ったという頃、具合の良い木を見つけて、ロープを枝に投げかけましたが、その瞬間、ロープが手からすり抜けてしまったのです。
 拍子抜けし、自分は本当に馬鹿だなぁと思ってロープを取ろうとしたそのとき、木村さんの目の前に、りんごの木のシルエットが見えたのです。

 「”気づき”とは、ふとした時に起こるものです」と、木村さんは言います。
 山の中で、農薬も肥料も一切使っていないはずなのに、害虫の被害も、ひどい病気も見られないその木の根元からは、いいにおいが漂っていました。その木は、実はりんごの木ではなく、自生したドングリの木であったのですが、木村さんにとっては同じことでした。
 なぜこの木は元気なのだろうか。自分の無残な畑と、一体何の条件が違うというのだろうかと、ロープのことも忘れて問いかけました。

 麓の畑のりんごの木と、このドングリの木の決定的な違いは、「土」にありました。
 雑草が生え放題で、足が沈むくらいふかふかした地面。
 自然の中の環境で立派に育っている光景に、木村さんはついに答えを見つけたのでした。

 この山の姿に気づいたことは、木村さんにとって大きな大きな進歩であったと言います。
 今までは、土の上のことしか見えていなかったのです。今まで見ていなかった土の中にヒントが隠されているとも知らずに、虫を取ったり葉っぱに食品を撒いたりと、対処的なことばかりやっていたことに気がついた木村さんは、すぐに土の研究を始めます。

 その結果、山の柔らかな、微生物が豊富で深く掘っても温度の変わらない土の中でこそ、根が豊かに育つことを確信しました。
 その後は、衰弱したりんごの木が、自らの力で地中深く根を張り、成長し実をつけるために必要な養分を吸い上げ、農薬に頼らなくても病気や害虫に打ち勝てるだけの、山の木が当たり前に持つ”元気”を、りんごの木が取り戻せるように、山の土を畑で再現することにしたのです。

 どのようにしてそれを可能にしたのか、興味がある方は是非とも木村さんの本を読んで頂きたいと思います。とても分かりやすく、システマチックに書かれています。
 私も作物を育てるのは好きですが、作物の栽培に必要な肥料の三大要素は・・などと聞くと、それでは人間の成長に必要な三大要素は何だろうか、と考え始めてしまいます。

 生命が成長するというシステムは、作物であってもヒトであっても、基本的に同じであると思うのです。この地球上に生を受けた全てのものは、「成長」という逃れようのない法則に縛られているのではないか、とさえ思います。ただし、育てる環境や整えられた条件によって作物の味が変わるように、人もまた、自らを太く大きく育てるための条件を見抜かなければならないのではないでしょうか。

 木村さんは、農薬がなければりんごは実らない、という常識を捨てて、どうしたらりんごの木が正常に育つのかを、それに必要な条件を、6年の歳月をかけて見抜きました。
 相変わらず害虫も病気もあるのですが、りんごの木は少しずつ元気を取り戻してきたと言います。

 私たちは、ともすれば傲慢にも「自分は見えている」と思ってしまいがちです。
 それが葉を食い荒らす害虫であったり、病気であったりと、表面的なことであったとしても、「自分はこんなに観察している」「一日たりとも努力を怠ってはいない」と胸を張って言うのです。

 りんごの木を育てることと、りんごについた虫や病気を払うことは違います。着眼点を間違えると、木村さんのように何年も苦しまなければなりません。そして、誰もが木村さんのように答えを導き出せるとは、限らないのです。

 私が最初に、木村さんの”気づき”には大いに学ぶところがある、と言ったのは、まさにこのところです。
 自分が見ている(と思っている)ものに疑問を持ち、自分に見えていないものを見ようとすること。そこにある全体を見ることと、自分が見たいものを見ていることを混同しないこと。

 「分からない」「見えない」と言う前に、自分は何を分かりたくて、何を見たいのかが明確になっているかどうかを、問い直す必要があります。


                                (つづく)


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2012年11月24日

練拳Diary#48 「学び方 その1」

                        by 教練  円山 玄花



 ちょうど昨年の今頃、古くからの友人が、ある一冊の本を貸してくれました。
 本のタイトルは、「奇跡のリンゴ」。
 そもそも、どのような経緯でこの本を借りることになったのか、詳しくは覚えていないのですが、確か「こんな本があるんだけど、読んでみますか?」と、ごく気軽に紹介されたものだったと思います。

 副題に【「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則(きむら あきのり)の記録 】とあるように、これは木村さん自身が書いた本ではなく、ノンフィクションライターの石川拓治氏が木村さんに取材をして書き上げたものです。
 この本が出版される一年半ほど前(2006年)に、NHKの番組「プロフェッショナル仕事の流儀」で木村さんが紹介され、そこでは伝えきれなかった木村さんの挑戦の日々を書籍化しようということで、この本が生まれました。

 木村さんは、青森県の弘前市に住む、りんご農家の方です。
 何が「絶対不可能」だったかといえば、それは、りんごの ”無農薬栽培” です。

 この本を読んで初めて知ったのですが、りんごの栽培には農薬の散布を絶対的に欠かすことが出来ず、春先から9月の収穫まで、十数回に亘って様々な種類、濃度の農薬を散布するのだそうです。その農薬散布によってりんごの葉っぱは真っ白になり、りんご園そのものが白くなってしまうほどだと言いますから、尋常な農薬の量でないことが窺えます。

 しかし、農薬がなければ、りんごの畑は見る間に病気と害虫の住み家となります。
 そうなってしまうと、りんごの木は枯れ、畑は壊滅し、りんご農家の人は生計を立てることが出来ません。
 りんご農家と農薬が切っても切り離せない存在だったその時代に、木村さんは無農薬栽培に挑み、見事にひとつの答えを見出したのです。少なくとも1970年代には実現は100%不可能と言われていた「りんごの無農薬栽培」を初めて成功させたのでした。

 無農薬栽培に切り替えてから成功するまでに必要とした年月は、およそ九年。それも、ただの九年間ではありません。りんご農家の次男として生を受け、婿養子に入ってからの、家族7人を養いながらの九年間です。その間、りんごは花を咲かせず、もちろん実も生りません。四つあった畑には全部で800本のりんごの木があったのに、最後には半分の400本になってしまいました。

 私は、ここで木村さんの苦難の日々を改めて綴りたいわけでもなければ、どのようにしてりんごの無農薬栽培が可能になったのかを紹介したいわけでもありません。
 この本を読み終えたとき(それこそ、読み始めたら途中では止められずに、ついには一晩で読んでしまったのですが)、私の脳裏には、嵐の中、敵と無言で対峙する武術家の姿が思い浮かべられていたのです。
 何でも武術と結びつけて考えてしまうのは私の悪いクセかもしれません。けれども、木村さんの奮闘の日々は、私たちの練拳の日々と重なるし、何より木村さんが自らの手で文字通りの「成果」を掴み取るまでの気付きや学びは、同じ “学ぶ者” として大いに勉強すべきところがある、と思えたのです。

 ところで、りんご農家に生まれた木村さんが、最初からりんごの無農薬栽培を志していたかというと、決してそうではありません。木村さんが婿養子に入ってからは、りんごの栽培にはせっせと農薬を使用し、その仕事ぶりは農協から表彰されるほどだったのです。ただ奥さんが農薬に過敏な体質だったため、農薬散布をすると寝込んでしまうほどだったと言います。
 そのようなこともあって、木村さんは一時期、彼が大好きなトラクターによるトウモロコシ栽培をはじめます。トウモロコシ栽培は順調に進んでいて、もしこれで収入が安定していたら、木村さんはりんご作りをやめていたかもしれません。
 そうならなかったのは、やはり木村さんには彼の ”天命” が与えられていた、としか思えないような偶然が重なったからです。

 ひとつは ”雪” です。
 津軽平野は冬の間雪に埋もれます。りんご農家の仕事も、りんごの木の雪下ろしくらいしか作業がなく、農家の人にとってはちょうど良い骨休めの時期になります。その時期が、何かしていないと落ち着かない性格の木村さんにとっては苦手な時期であり、その間彼はひたすら農業の勉強に没頭するのです。

 もうひとつは ”本” です。
 街の書店を回り、トラクター農業の専門書を探し歩いていたそのとき、お目当ての本は書棚の一番高いところにあったといいます。その時に店員を呼ぶか、自分で踏み台を探していたなら、やはり木村さんはりんごの無農薬栽培を手掛けていなかったかもしれません。

 ところが、彼は都合よくそこに置いてあった棒を手に取って、トラクターの本を棒で突っつきました。すると、隣にあった本も一緒に床に落ちてしまい、しかも本の角が潰れ、雪と泥で汚れてしまいました。仕方なく、彼はその本も一緒に買って帰ったのです。
 それから半年か一年は全く読むことがなかったというその本は、福岡正信という人が書いた「自然農法」という本でした。その後、ふと手にしてからその本が摩りきれるくらいまで繰り返し読んだというその本によって、木村さんはりんごの無農薬栽培を試みることになったのです。

 余談ですが、福岡正信とは、自然農法と呼ばれる独自の農業方法の創始者です。
 自然農法とは、ごく簡単に言うと「耕さず、化学肥料も施さず、除草もせず、農薬も使わない」というもので、現代農業では常識とされている、化学肥料を加える、害虫駆除のために殺虫剤を与えるという、足していく農業の在り方に疑問を抱き、反対に「何をしなくてもよいか」という発想を元に引き算をしていき、ついには「何もしない農業」を完成させたのが自然農法だというわけです。

 実際に、愛媛県にある “福岡自然農園” に行ってきた人はその農園を見て、野菜を作る畑というよりは、山のようである、と口を揃えて言います。2008年に福岡正信氏が亡くなってからはお孫さんたちが管理しているということで、もちろんただの山とは違う感じで、雑草が生え放題であっても荒れ果てた感じはせず、健康的であるという印象を持ったと言います。
 しかし、福岡氏が四十年近くの歳月をかけて完成されたという自然農法が、誰にでも理解できるようにシステマチックに体系付けられていたかと言うとそうでもなく、自然農法を実践するには自然を観察して種蒔きのタイミングを決めるなど、感覚的な部分を体得するのが難しかったり、福岡氏の哲学的な考え方が一般人にはなかなか理解できないということもあって、真の後継者はいないといわれ、一般的にも普及するほどではないということです。

 とはいえ、福岡氏の功績はむしろ世界で高い評価を得ており、1988年にはアジアのノーベル賞といわれる、“マグサイサイ賞” を受賞したり、アメリカから中国、アフリカなど、世界中から招かれて自然農法の指導を行ったということです。
 マグサイサイ賞というのはアジア地域で社会に貢献した個人や団体に送られる賞で、日本人では福岡正信の他にも、黒澤明、平山郁夫、川喜多二郎、ほか二十数名が存在します。

 また、福岡氏が提唱したという “粘土団子” は、国内外でよく知られているものです。
 粘土団子とは、粘土の中に何十種類もの野菜や果物、或いは樹木の種を入れて団子状に丸めて乾燥させたものです。これを自然環境に撒いて放置しておくと、自然の状態を種が察して、その土地に適応できる種が、より適応しやすい時期に発芽し、育っていくという仕組みで、海外では砂漠の緑化運動にも用いられています。また、鳥や虫が嫌う薬草の種子を混ぜることで損失を防いだりと、その考え方やアイディアには興味深いものがあります。

 さて、その本を読んだ木村さんには、ひとつの疑問が浮かんできます。
 農薬を使わなければりんご栽培ができないことは、常識以前の問題だったけれど、誰もそれを試したことはない。手入れを放棄したりんご畑は、確かに病気と害虫が大発生して手が付けられなくなるけれど、それは本当に農薬を使わないからなのだろうか、と考えはじめたのです。

 そうして始められた試みは、まず、農薬の散布回数を変えて実験してみることからスタートしました。それまでは4ヶ所の畑で1年間に13回ほど農薬を散布していたところを、散布する回数を6回の畑と3回の畑、そして1回だけ散布する畑に分けてみたのです。
 その結果、害虫などによる多少の被害は出たものの、想像したほどのダメージは受けず、1回しか農薬を散布しなかった畑でも、農薬を普通に使用した畑の半分以上の収穫が得られたのです。
 これなら無農薬栽培も可能かもしれない、と木村さんの心は高鳴り、いよいよひとつの畑で無農薬を開始します。そのひとつの畑とは、木村さんが子供の頃にお父さんが切り開き、一緒にりんごの苗木を植えた畑で、木村さんが結婚するときに譲られたものでした。

 一般的には、春先のりんごの発芽が始まる前から農薬散布が始まります。その一切をやめても、二ヶ月の間は何の異常も現れなかったそうです。農薬を散布しない、清々しい空気の畑の中で、白いりんごの花が咲き、緑の葉っぱが茂る────────────その光景を見た木村さんは、りんご栽培に農薬は必要なかったのではないか、自分はものすごい発見をしたかもしれない、とさえ思ったと言います。
 しかし、実際にはりんごの木々はそのときすでに病気にかかっていて、そのうちに葉が黄色くなっては落ちていくことを繰り返し、やがて畑は見るも無惨な枯木の山のようになってしまいます。それでも、葉が落ちてもまた新しい葉を出そうとするりんごの姿を見て、木村さんは思い立ちます。『農薬を使わずに葉についた病気を追い払うことができれば、りんごの無農薬栽培ができる』と。木村さんの奮闘は、まずそこから始まりました。

 りんごの病気とは、いわゆるカビや菌類であり、その菌がりんごの葉や実の表面で繁殖し生体の機能を破壊します。木村さんは、その菌が嫌がると思えるものを片っ端から試していきました。それも、特に人間や環境に害の無いと思える「食品」で実験を始めたのです。
 ニンニク、わさび、胡椒に唐辛子・・・ご飯を食べていて醤油をかけると、醤油が利きはしないだろうか、とすぐ畑に飛んでいって醤油を試す。味噌や塩、牛乳に日本酒、焼酎、小麦粉に黒砂糖、酢と、農薬の代わりになる食品を求めて、台所にあるものは全て試したと言います。食品が農薬の代わりになるとは思わない、けれども、りんごの実がなるのに必要な葉っぱを残せるくらいの、虫や菌が嫌う環境を作り出すことはできるのではないか、と。

 このような木村さんの取り組みには、世界中の発明家と共通するものを感じます。
 コレと思い込んだら、誰が何と言おうがそれに没頭する。自分が納得するまでとことんやり続ける。寝ても覚めても、ご飯を食べていても、そのことしか考えられないという、その状態───────────────
 結果として木村さんが求めるような、害虫が嫌がり菌を遠ざける効用のある食品は見つからなかったのですが、ある意味では、それらの実験に次ぐ実験の日々があったからこそ、真の解答に行き着いたとも思えるのです。
 それはちょうど、私たち太極拳を学ぶ者たちが「正しい姿勢を取る」という課題ひとつに対して、まず最初にありとあらゆる工夫を重ねることに似ているかもしれません。

 師匠とはどうしても違う形、違う位置になってしまう手足。
 どれほど丁寧に歩こうとしても拗れたり回ってしまう腰。
 終いには背中の形が違う、足腰の形が違うなど、とても自分では意識しようがないと思えるところまで、厳しく指摘されてしまいます。
 けれども、その際にほとんどの人が最初に取る行動は、概ね最も外側からのアプローチなのです。手の位置を変える、足の向きを変える、腰が回らないように力を込める、等々。

 入門して1年も経てば分かってくることですが、それらの ”工夫” をたとえ何種類重ねたとしても、正しい姿勢は決して理解されることはありません。そう、木村さんがありとあらゆる食品で実験し、最後には畑の土で泥水を作り、その上澄みを布で漉して散布するということまでしたという、その ”工夫” と同じことだからです。

 ならば、いったいどうしたら良いのか─────────────────

 その話をすると、りんごの話もここで終わってしまいますので、それはもう少し先に延ばすことにしましょう。

 
                                 (つづく)

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2012年07月26日

練拳Diary#47 「戦いについて その2」 

                        by 教練  円山 玄花



 前回「戦いについて」を掲載したところ、コメントやメイルなどで、思いの外たくさんのご意見やご感想を頂くこととなり、たいへん嬉しく思いました。やはり、当ブログに目を通されている方々は、少なからず武術を自己成長のための道具として用いられ、この現代に於いても常に「戦い」を身近に感じておられる方が大勢いらっしゃるのだと、改めて考えさせられました。

 その中には、コメンターとしてお馴染みの ”まっつさん” のように、「戦」と「闘」のふたつの文字について述べられたものもありました。
 漢字というのは、もとが象形であるだけに、とても面白いものです。前回の稿では字義的な意味を解説するには至りませんでしたが、先ずはその二つの文字について、思うところを述べておきたいと思います。

 まず、漢字というのはすべて中国から入って来たわけで、本来の日本語ではなく、すべての漢字は「当て字・宛字」であるということを念頭に入れておくべきだと思います。
 また、日本で発売されている漢字の辞典は多くありますが、著者や出版社によっても傾向や解釈などが大きく違っており、ひとつの辞書を頭から信じてしまうことには充分な注意が必要です。

 その上で、「戦う」という言葉は、お馴染みの一般用語として使われている表記なので、「タタカウ」ということを表現するのに、どのような場合に、どのように使っても間違いではありません。「戦」か「闘」か、選択に迷ったらコレを使う、と覚えておいても良いと思います。

 「戦」という文字ですが、この字は「単」と「戈」の二つのカタチで出来ています。
 この字については、たとえば「漢字源」などには、「 ”単” はちりたたきの象形」であり、「その(単=ひとえの)平面でパタパタと叩くこと」とあり、それに「戈」が付加されるので「武器で相手をパタンパタン(patan, patan)と薙ぎ倒すこと」である、などと書かれています。(しかし、どうもパタンパタンでは日本語的におかしくて、まるでフランス語みたいですね。バッタバッタの方が良いのでは?、と思いますが)

 中国のことだから本当に「塵叩き」のような武器が有ったのもしれません。中国では刀や槍以外の武器は、基本的に農機具から発生しているものが多いのです。それは中国の歴史を紐解けば、なるほど、と頷けるわけですが、それについてはまた別の機会にでもお話ししましょう。
 ともあれ、ハエやフトンではないのですから、相手を「ハタク」ような暇があったら、打ち付けたり突いたりした方がよほど効率が良いはずなので、パタンパタンとはたくというのは、「戦い」の方法としては余りアテにならないかも知れません。

 ところで、中国の辞書には、「単」という字は元は「二又になった武器の形を示す」と書かれています。
 日本の刺又(さすまた)や西遊記の沙悟浄が持っている「月牙鏟(げつがさん=片側に三日月型の歯と、もう片方にシャベルを平たくしたような金属が付いたもの)」と似たような武器だということで、要するに「単」は「はたく」武器ではなく、「打ちのめす」とか「それで(挟むようにして)倒す」ような用途のある武器であることが窺えます。
 また「単」も「戈」も両方とも武器を表す文字なので、タタカウという意味がさらに強調されていることになるわけです。
 ついでに言えば、例えば「列」のヘンの部分である「がつへん・かばねへん=風雨に晒された白骨の意味」の横に「単」を置いた字は「尽きる、尽くす、尽きて無くなる、倒しまくる」というように、本当にバッタバッタと敵を「なぎ倒していく」ような意味になります。

 「戦う」というのは、日本語としては「人と人が争うこと」で、どのような争いでもその字が使われて良いものです。したがって、相手に勝つために武器を取って(武力をもって)戦う、戦さをする、競技などで勝ち負けを争う、などと言うことに使われていて、大軍勢で戦う、見えない敵と戦う、名誉のために戦う、国防のために外敵と戦う、戦わずして勝つ、などという使い方をしますね。
 けれども、そこに「一方的に」という意味はありません。「戦い」というのは、あくまでも「相手が居るから ”タタカウ” 」というだけの意味なのです。

 一方、「闘」という文字は「ウチアウ」「タタカワセル」という意味で、相手の力に負けないように一生懸命に争うコトという意味で、障害や困難に立ち向かうことです。
 大自然との闘い、病気との闘い、睡魔との闘い、侵略者との闘い、共産主義との闘い・・などということに使われていますね。ですから、あのアントニオ猪木も「闘魂」とは言っても「戦魂」とは表現しません。自分の魂の闘いなのでそう表現するわけです。

 なお、前回の記事で「戦いとは二つの異なる物事の対立である」ということを述べましたが、ここでいうところの「戦い」というのは、もちろん字義、字面、皮相、といった話ではなく、もっと深いところ、太極学や太極拳学の観点から「対立」を語っていくために用いました。つまり、何にでも、何処にでも使える「戦い」という文字を選んだわけです。

 本当に言葉というものは興味深く、そこに「漢字」という文字が加えられることで更に意味合いを持たせたり、奥深さを表現することが出来るものだと、感心することしきりです。
 同時に、言葉を扱う者は、とりわけ繊細に注意深く学ばなければならないと思います。
 日本の美しさは数々ありますが、日本語の美しさは ”フランス語、イタリア語、スペイン語と並んで、世界で最も美しい言語のひとつ” と言われているくらいですから、私たち日本人は心して大切にしていきたいものだと思います。


 さて、人気の連載小説「龍の道」で、新しくスタートした ”インテリジェンス” の章。
 そこには作者の豊かな発想のもとに、インテリジェンスの基本として「5W1H」が挙げられていましたが、何ごとに於いても自らの手で学び、また新たな見識を得るためには、その同じ基本が必要不可欠なこととして思えてきます。

 「戦い」とは基本的に対立であり、争いであり、それは一方の意図や意見がとおり、もう一方はどのような形であれ、諦めなければならないという質をもっているものです。
 時として、戦いは残酷にもどちらか片方の人生を奪い、社会を奪い、国家を奪います。
 戦いでは自分が生き残れるという保証はどこにも無く、それがいつ何どき始まるとも限らないのです。

 その、きわめて非日常的な、不公平とも言える戦いについて、私たちはその「基本」をどこに見出し、何をどのように学んでいけば良いのでしょうか。体力や素早さでしょうか、強力な武器でしょうか、はたまた明晰な頭脳でしょうか。

 私は、戦いの基本は「考え方」にあると思います。

 「考え方」とは、私たちが太極武藝館で学び始めたそのときから、師父が仰っていることであり、太極拳を学ぶ上で壁にぶつかり、また解決したりしたときには必ずと言って良いほど、問題は考え方にあったと、つくづく思い知らされてきた、その「考え方」です。
 間違えやすいのは、それは「戦い方」ではなくて「戦い」そのものに対する考え方であるという点です。「戦い方」としてしまうと戦いの方法になってしまいますが、「戦い」そのものに対する考え方が違っていたとしたら、自ずと戦い方も変わるというものです。

 稽古中に、何回「それは、考え方が違うんですよ」と指導されても、容易に「ああ、なるほど」とはいきません。それは、そもそも自分がどの様な考え方でそれを行っていたかが不明確であったためだと言えますが、しかし、その自覚なしに考えてしまっていたということが、ひとつのことを成し遂げるのに一体どれほどの困難を与えていることでしょうか。

 ひとつのこととは、何も太極拳に限ったことではありません。それこそ、前稿で少し触れた、まったく分野の異なる仕事をしている人たちも、みな異口同音に同じことを言っているのです。
 始めから自分がどの様な「考え方」でそれに取り組んでいたかが明確であれば、それが違うと分かれば、実に簡単に、一瞬にしてそれを捨てて「新しい考え方」を学ぶことができたのに・・と。

 もちろん、人生で起こることの全ては、その人に与えられた勉強であり、それを上手く、楽にこなしてゆける道など在りはしないのですが、だからこそ、自分が学んだことを他の人と共有し、また他の人が学んだことを自分も共有することで、人間として大きく成長できるのだと思います。

 今回はその点に踏み込むまでには至りませんでしたが、また次回以降に述べていきたいと思います。


                                   (了)

xuanhua at 22:11コメント(16) この記事をクリップ!

2012年06月23日

練拳Diary#46 「戦いについて」

                        by 教練  円山 玄花



 戦いとは何であるのか。
 そのようなことを考えていたのは、太極拳を学び始めるよりも以前のことです。

 一言で「戦い」と言っても、何かを勝ち得るための戦い、敵から大切なものを守るための戦い、自分自身との戦い、病との戦いなど、思いのほか様々な事柄が含まれていますが、ひとつ確かなことは、戦いとは二つの異なる物事の対立である、ということです。
 想い、考え方など、自分自身の内側の対立から、恋人、家族、ご近所の人など身近な人との対立、さらに大きく視野を広げれば、それが国家間の対立にまで広がっていきます。
 対立するものは、場合によっては三つにも四つにもなりますが、それらの根本となるところを辿っていけば、やはり二つの質に分けられると思います。つまり、それを「陰」「陽」と呼ぶことができます。
 陰と陽は、質の異なる二つの対立するものである・・・私はずっとそう思ってきたのですが、太極拳の考え方は違いました。陰と陽は対立もするけれど、その対立をも含めて大きく循環するものだったのです。

 そのために、太極拳の戦い方は相手とぶつかりません。
 相手と互いに組み合い、右足を掛けたような形を取って、双方が「大外刈り」を仕掛けるようにする対人訓練でも、決してぶつからないのです。どれほどゆっくり慎重に倒そうとしても、反対に素早く力ずくで投げ倒そうとしても、自分の力は充分出ていると思われるのにそれが相手に伝わらない。「テコでも動かない」という言葉がありますが、この場合は「テコでも使えない(役に立たない)」とでも言いましょうか。つまりその状態が「化勁(かけい=hua-jing)」が効いている状態と言えるのですが、決していなしたり躱したりしているわけではないのです。
 その証拠に、たとえば相手に充分力を掛けさせてからでも、ゆっくり崩し返していくことが可能です。もちろんこの対練はどちらが相手を倒せるかという力比べが目的ではありませんから、瞬発力などは用いずに、お互いに相手をゆっくり倒していくことの中で、自分の考え方や身体の在り方を見つめ、さらにそこから太極拳の原理を見出していこうというものです。

 さて、ここで問題となるのはお互いに相手を倒したい、というところです。
 対人訓練には「受け」と「取り」に分かれて稽古するものと、役割を分けずにお互いに倒し、崩し合う稽古とがあります。「受け」と「取り」に役割を分けて行う対練ではぶつからなかったことが、お互いに倒し合う、となった途端にぶつかり合います。しかしそこで初めて、ぶつかるはずの力がぶつからない、来た力を流したり躱(かわ)したりするのではない「化勁」というチカラの正体が見え始めてくるのです。
 それは「受け」と「取り」に役割を分けているだけでも分かりませんし、お互いに倒し合うことだけをしていても、そう簡単には理解できないものだと思います。二つの対練方法を用いて様々な対練を行うからこそ太極拳の本質が見えてくるという、真に優れた学習システムであると思います。

 私自身も、「相手と力がぶつかる」ということに関してずいぶん悩みました。もちろんまだ現在進行形ではありますが、近頃ようやく「化勁」というぶつからないチカラの質が、見えてきたように思います。
 それは、力ずくで相手に向かっても、上級者には刃が立たないどころか、訳も分からずに倒されて終わってしまいますし、反対に、何が何でも拙力を使うまい、ぶつかるまいとしても、空振りをするばかりで相手には何の影響も及ぼせない・・・というジレンマを越えたところにありました。

 そうして向かい合った師父との対練では、単純な四つに組んで相手を倒し合うという対練であったにも関わらず、此方が押せば師父は押した分遠くなり、此方が引けばその分近づいてきます。押し上げればその分だけ高くなり、押し下げればどこまでも深く下がってしまいます。
 まさに、槍術家の王宗岳が著したという、所謂「太極拳経」にある、
《 仰之則彌高、俯之則彌深。進之則愈長、退之則愈促(これを仰ぎては則ちいよいよ高く、これを俯しては則ちいよいよ深し。これを進めてはいよいよ長く、これを退きては則ちいよいよ促す)》という一文の通りであるように思えました。
 さらには、師父から投げる・倒すなどの力が伝わってきたときにも、此方が一、二回は変化することができ、真っ向から直撃されることはなかったのです。もちろん、それは師父が私の勉強に付き合ってくださったからこそ可能であったことは言うまでもありません。

 今までは、倒されないという一時的な現象が起こっても、それは私が一方的に耐えているだけで、それ以上のことはできません。それに対して相手は如何様にも変化できるわけですから、敵うわけがないのです。
 ところが、今回は少しばかり応酬ができたのです。それが勁力の応酬だとか虚実の取り合いなどというような、高度な応酬とはとても呼べない稚拙なものでしたが、少なくとも足をはじめとして全身は力まず、その結果相手との関係性をはっきりと実感できるに至ったのです。
 転がされても、転がされても、何とも言えない爽やかな心地に包まれたものです。倒されるとか、倒されないという問題ではなく、お互いに技を磨く、お互いに技を練り合うという感覚は、これが初めてであったように思います。
 なぜそれをわざわざ「化勁」と呼んだのか。追い求めるほどに想像もしなかった姿形が展開されるその様子は、正に求道者の心を捉えて放さない、太極拳の魅力と言えるでしょう。

 これなら相手とはぶつからない。そう思えるものがあっても、それを感じられたこととその境地に立てることとでは雲泥の差があります。私などは、まだまだ状況が変われば相手とぶつかり対立してしまうことは避けられないのですが、それでも、太極拳という学問を解いていく大きなヒントとなることは間違いなさそうです。
 そのときに感じられた、対立するふたつのものが循環させられることによって、倒されたり殴られたりしてしまうということ。この太極拳の戦い方を修得することが出来れば、どの様な種類の戦いであっても、双方の持つ力の大小に関係なく、勝利を修めることができるとさえ思います。自己成長のための対立然り、人との対立然り、見えない敵との対立然り・・

 但し、きちんと対立を経験していないのに循環のみを求めても、それは手に入りません。まず対立する二つの質を理解すること、勉強はそこから始まると思います。その為に站椿で立ち、基本功で四苦八苦し、套路で唸り、対練で七転八倒する。全ての課題は自分自身に真っ向から立ち向かうために用意されていると思えてなりません。
 なぜなら、そこで一点の曇りもなく自分に立ち向かうことができれば、何人(なんぴと)が立ち向かってこようが、恐れる理由はどこにもないからです。
 《 ただ功夫が純であれば、まったく一開一合に頼りて、千人の軍も一掃する 》とは、陳鑫老師の詩の一節ですが、この強烈な一文を見ても、戦いの方法は外側の技法ではなく、自身の内側にあるということを示されているように思います。
 
 さて、私たち武術を追求する者は、その奥義に至るために、強くなるために、負けないために、日々修練に励んでいます。一日として同じ稽古を繰り返すことはなく、しかし理解したいことはたったひとつであると指導されます。その稽古の中でたびたび立ちはだかるその壁に、如何にして立ち向かえば良いのでしょうか。
 私は、しばしば自分が問題に突き当たる度に、また周りの門人が壁に行き当たっているとき、それらのことは私たちが太極拳という武術に向かっているために起こっていることだと思ってきました。これが他のことなら誰もこれほどには悩むまい、と本気で考えたこともあるのですが、それは間違いでした。問題は、悩んでいた対象ではなく、対象に向かっていた自分側にあったからです。

 自分の考え方が浅く、ひとつの方向に偏りがちで、その為にそれを修正する方法を見出せずにいたことが、解決できない原因だったと、そう思えたのは、全く分野の異なる仕事をしている何人かの奮闘記を読んだときでした。取り組んでいることも、その目的も何もかも違うのに、日々悩み行き詰まっているところは全く同じだったのです。さらには、その人たちの経験が太極拳を学習する上での、新しいヒントにもなりました。

 次回の記事では少し視点を変えて、太極拳を学ぶことについて、またその本質である戦いについて、深めていきたいと思います。


                                  (了)


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