*#11〜#20

2009年04月25日

練拳 Diary #15 写真で比べる「座圧腿からの立ち上がり」その3

     
「やっぱり、前から見た姿勢を比較してみたいですね・・」

「腰勁が効く姿勢かどうかは、前から見た方が分かりやすいのではないか・・」


・・・座圧腿の比較写真を掲載するようになってから、そんな声が聞こえてきましたので、今回は座圧腿からの立ち上がりを正面から撮影して、比較してみました。

比較の対象は、前回登場した「Hさんの姿勢」です。
今回もHさんの撮影が出来なかったので、出来るだけ忠実に再現して撮影してもらうことにしました。

何人かの人にカタチを修正してもらいながら撮影を行ったのですが、Hさんの真似をしていて感じられた最も大きな違いは、「腰勁」が効かずに「足」が効いてしまう、ということでした。
Hさんの姿勢を再現した形ではまったく腰勁が働かず、ウンコラショと、身体を左右に振りながら、半ば勢いを利用して軸足の上まで重心を持って行かないと腰が浮き上がらず、そこからさらに力強く後ろ足を蹴り伸ばさないと、到底、前に進めないような状態だったのです。

また、今回の撮影は、より明確に姿勢の違いを示すということから、連続写真ではなく、一枚ずつポーズ・スチルして撮りました。
Hさんの、ひとつずつの姿勢の厳しいことといったら、もう・・・
一枚撮影するごとに普段使われない筋肉がムキムキ飛び出てくるほどだったのです。

特に厳しかったのは、「膝を出す」という要求です。
ちょうど、座圧腿から立ち上がり始めの、お尻が床から離れた辺りの姿勢で、
「ああ、Hさんはもっと膝が出てましたね」・・と、現場監督Sさんのお言葉。

 ほぁ:「こ・・こんな感ジでしょうか?」

Sさん:「いや、もっと膝が鋭角に突き出すように出ます」

 ほぁ:「・・う〜ん、こ、こうかな?(汗)」

Sさん:「あ、身体はそんなに立ててはいけません。
     丸い背中のまま、膝だけが身体の外に飛び出すようにするのです」

 ほぁ:「そ、そ、そんなぁ〜、これ以上動かないんですけど・・・(大汗)」

・・・何とか言われたとおりの形に修正しようとするのですが、どうしても膝が出ません。
これは、そもそも身体の状態が違うのではないかと思い、試しに身体の張りや軽さをやめて脱力したような状態に緩め、重くなった身体を僅かに頭頂で引き上げるように意識してみると・・・何と!、見事に膝が出せたのです。
決して楽々と出せるわけではないのですが、少なくとも、先ほどまでカケラも動かなかった膝が、突然、外方向に動くようになりました。これにはビックリです。
それどころか、身体の雰囲気までHさんに似てきたと言うのです。

一瞬、自分の身体が元に戻らなくなったらどうしようかと不安になりましたが、それほど長い時間を掛けずに、無事に撮影が終了。

Sさんや、一緒に見てくれた人たちもHさんの形を真似してみたのですが・・・
皆さん口を揃えて、その形では身体を左右に振らないと立てない、立つまでにものすごく時間がかかる、動作の中に馬歩が入っていない・・・などと言っていました。
身体の在り方で、身体の動きから質まで、これほどまでに違ってくるものなのでしょうか。
 
「一歩」を武術的に動くためには、まず身体が武術的に整えられていなければなりません。
太極拳が站椿に始まり站椿に終わるということの重要性と、正しく守られるべき身体各部の要求が、チカラではなく意識によって綿密に練られ、整えられなければ、太極拳にはならないということが改めて認識されたことでした。

最後に・・・撮影終了後、緊張した身体をほぐす前にそのまま普通に歩いてみたところ、まるで骨盤や背骨が「動かない学習」をしたかのように、見事に膝が前方の下方向に緩みながら、左右の足に向かってエッチラ・オッチラと、身体がブレてしまう動きに変わっていたことを付け加えておきます。

                             (了)


   *   *   *   *   *   *   *   *   *


 左側はHさんの動きを真似たもの。右側は正しい要求を守って動いたものです。


 

(1)座圧腿で床に降りてきた姿勢

   左側:骨盤が巻き込まれ、背中が伸びず、足よりも後ろの位置に腰がある。
      足の伸筋に緊張が見られる。

   右側:腰が正しく立ち、両足の間に腰が立っている状態。


 
 

(2)腰勁の作用で膝が上がり、僅かに腰が浮き上がった姿勢

   左側:右膝を上げるために身体を左へ倒し、軸が崩れてしまっている。
      腰はさらに丸くなり、腕でそのバランスを取っている。

   右側:腰勁のはたらきで両膝が上がり、軽く腰が浮く。
      身体の位置や軸は変わっていない。



 

(3)腰が上がるまでの途中姿勢

   左側:尻を上げるために更に右膝を立てながら、身体を(2)と反対の右側に移動中。
      依然として腰や背中は丸いままで、左半身はほとんど使われていない。
      まだ尻が地面についたまま、腰が上がらない状態。

   右側:写真なし。すでに腰が浮いているのでこのような途中動作は無い。



 

(4)完全に腰が浮いた姿勢

   左側:完全に右足に寄り掛かり、ようやく腰が浮きはじめたところ。
      この時点では、まだ前方に向かって動けていない。

   右側:両膝とも上に軽く浮かされている。
      身体はすでに前方の上に向かって移動している状態。



 

(5)途中姿勢・1

   左側:右足を蹴り伸ばすことで、僅かに前に進んだところ。
      右膝は落下せざるを得ないが、それを前足の踵で止めている。

   右側:写真なし。このような途中動作は無い。



 
      
(6)途中姿勢・2

   左側:さらに右足の蹴りで前足に向かって移動しているところ。
      前の下に落下する重さを前足で支えている。
      
   右側:両足共に軽く、腰や身体はなお前方の上に向かっている。



 
  
(7)弓歩完成姿勢
 
   左側:この時点に至っても腰が丸く、まだ尻が後ろに残されている。
      この状態からでは、前足の膝を緩めないと前方には出られない。

   右側:腰が正しい位置にあり、腰勁が効いているので両足が重くならない。
      このままなんの操作も無しに後ろ足が上がってくる状態。

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2009年04月11日

練拳 Diary #14 写真で比べる「座圧腿からの立ち上がり」その2

 座圧腿を稽古中のことです。
 皆がなかなか腰の効く姿勢を取れずに苦労している中で、独り、ヒョイと立ち上がってくる門人、Hさんがいました。

 その軽くて力みのない動きは周りにいた門人も驚くほど柔らかく、本人も「なぜか軽〜く立ち上がれてしまうんッスよね〜・・そんなに足も痛くないし、皆さんがどうしてそんなに大変な思いをされているのか、よく分からないッス」・・といった様子です。

 そこで、その門人Hさんがいったい何によって軽く立ち上がれるのか、その場で比較し、検証してみることにしました。

 まず、Hさんにひとりで動いてもらうこと数回・・・
 なるほど、確かに一動作で立ち上がっているのですが、姿勢はやや腰や背中が丸く縮むような感じが目につきます。
 それに、何回か連続して動いてもらうと、どことなく不自然な感じがして、座圧腿で座った姿勢から「前方の上に立ち上がる」というよりは「まず後ろの上に持ち上げる」ような格好が入って、そこから新たに前に出て行くように見えるのです。

 それでも、後ろ足の蹴りが強いようには見えず、立ち上がる勢いがあるわけでもないし、動作も途切れないので、パッと見ただけではその不自然に見える理由が明確には分かりませんでした。

 ところが、角度を変えて正面の前足方向から見てみると、何とHさんの身体は大きく左右にブレながら立ち上がっているではありませんか。

 Hさんの動きをまとめると、

1)座圧腿で座った姿勢から、まず身体を屈め、
2)ちょっと左に傾けながら、それによって右の膝を少し上げ、
3)その上げた右足に身体全体を寄り掛からせるようにして、体を傾けて腰を持ち上げ、
4)そこから、曲がっていた右膝を徐々に伸ばして左弓歩に来る、

・・という順序であることがわかりました。

 しかしこれは、私たちが日頃から指導されている、
「馬歩の構造になっていない・腰勁が使われていない・身体が使われていない」という、三つの間違いがすべて揃ってしまった動きだったのです。

 さらに姿勢を細かく見ていくと、座った姿勢で右の膝がきちんと開かれていなかったり、左の足がやや外に向いていたりと、座圧腿の姿勢が崩れていることが判ってきました。

 これでは、座圧腿で使われるべき身体の働きがひとつもないまま、日常的な身体の使い方のままで、足に依存して立ち上がることしかできません。
 たとえこの動きを何万回繰り返しても、座圧腿で養われるべき構造は身につかず、武術として動ける身体を練ることもできないのです。


 しかし、身体構造的に多くの誤りが揃っていたにも拘わらず、なぜHさんはスムーズに立ち上がることができたのでしょうか。

 考えられる理由としては、身体が左から右へと傾く変化を利用して、右足に巧く乗り上げていたことが挙げられます。
 ただし、それをするためには「馬歩」では都合が悪いので、どうしても腰を丸めて、やや屈むような格好になってしまいます。また「円襠」や「胯の開」といった基本的な要求は、勿論そこには見られません。

 また、そこから身体を右足に乗せるためには、左足をつっかえ棒のようにピンと伸ばしておく必要があります。
 伸ばした左足で地面を蹴りならが、右足に身体を乗せて腰を浮かせてきた結果、身体はグインとお椀の形に半円を描きながら、一旦「後ろの上」に持ち上げられ、後はゆっくり右膝を前に伸ばしていけば左弓歩が完成する、というやり方です。

 私もHさんを真似て、そのような座圧腿からの立ち上がりをやってみましたが、形だけ真似をしてみると、それこそ構造が違うために足腰に無理な負担が掛かり、右足の大腿四頭筋を中心に、筋肉が悲鳴を上げました。
 ところが、師父に形を修正して頂きながら、膝の位置や腰の形、身体の角度から手の位置に至るまで姿勢を細かくHさんのスタイルに合わせていくと、何と、先ほどまでの強烈な足の痛みが嘘のように消えて、信じられないほど楽に立ち上がれるようになったのです。

 これまで、馬歩が正しく取れないうちは、どうやっても足に負担がくるものだとばかり思っていましたから、これには本当に驚きました。
 しかし、楽に立ち上がれる代わりに何が失われたかと言えば、それは馬歩の架式によって身体に生じていた「腰勁」と「弸勁(ポンジン)」でした。
 よく、上級者の座圧腿が「まるで蜘蛛のようにフワリと足腰が浮き上がる」と表現されますが、その地面を感じさせない軽い動きの源こそ、身体に生じた「勁力」の働きなのです。

 座圧腿で床に座りに行き、再び立ち上がってくるという、シンプルかつ非日常的な動きを稽古することで「勁力」の発生するメカニズムを体験し、理解していくことができるのですが、Hさんのように「軽く立ち上がれる」という結果を求め、その為の工夫が為されてしまうと、見た目は優雅で柔らかくとも、内容の伴わない表面的なものになってしまいます。

 もちろん、当の本人は、まさか自分がそのように巧妙なやり方で立ち上がっているとは思っておらず、指導された通りにやっていたつもりなのですが、ちょっと楽に立ち上がれる所が見つかると、安易に立ち上がれる方法を無意識に選択してしまい、繊細な身体の使い方の順序と厳格な構造の要求を守り続ける中でこそ、ようやく見えてくるものが大切にされていなかったようです。

 初めから「立ち上がれる」という結果を求めず、座圧腿で床まで身体が降りている状態から立ち上がって来られる「身体の構造」を理解することが最も大切であると、改めて認識することができました。

                                (了)



    *   *   *   *   *   *   *   *   *



以下に、上述のHさんのやり方と比較した写真を載せておきます。
今回はHさんの撮影ができなかったため、Hさんの真似をして撮影しました。


【 比較その3:左側の姿勢についてのみ解説します 】

 *右側の写真については、練拳Diary#13 の解説をご参照下さい。


 

(1)座圧腿で床に降りてきた姿勢

   骨盤が深く巻き込まれ、背中と腰が丸まって前傾している。
   右の膝はかなり前に向いており、この姿勢のまま膝を浮かすことができない状態。

 

 

(2)腰勁の作用で膝が上がり、わずかに腰が浮き上がった状態

   身体は、右の膝を上げるために、腰から背中までを左側に大きく湾曲させている。
   骨盤が足の間よりも、左の外にずれてしまっている状態。
   左の膝は伸ばされたまま、すでに後方への蹴りが始まっている。
   この時点で、腰を上げたくとも、浮き上がれない状態となっている。



 

(3)さらに上がってきた姿勢

   左足の突っ張りで腰が「後ろの上」方向に持ち上げられたところ。
   上体がすべて右の膝方向に傾いているのが特徴。
   腰がやや反り始め、それを打ち消すために上背部を丸めるような格好になる。



 

(4)途中姿勢:1

   右足の立ち上がりで腰が上がってきた状態。
   両足の支えを使って身体を持ち上げているため、左の膝は伸びたままである。
   腰は依然として反られていて、やや身体の左に出ている。
 


 

(5)途中姿勢:2

   さらに右足で立ち上がってきた姿勢。
   ようやく左の膝が曲がり始めるが、左足は身体を支えるために使われている。
   右の膝は下を向いている。



 

(6)弓歩での完成姿勢

   身体が前傾して、足よりも後ろに身体が残っているのが特徴。
   腹は下向きで腰が立たず、前足が重く踏まれている。
   左足のスネに緊張が見られ、右足先は後ろを向いたままになるか、
   或いは身体が使われず、足の動きだけで返されることになる。


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2009年04月07日

練拳 Diary #13 写真で比べる「座圧腿からの立ち上がり」

門人にお願いして、「座圧腿からの立ち上がり」の各ポイントを連続写真で撮りました。
誤りを演じてもらうと、足腰が痛くなったり、正しい構造が身に付いている人はなかなか誤りの恰好が出来なかったりで、撮影には苦労しました。
前回の「練拳Diary #12」の内容と合わせてご参照下さい。



【 比較その1:左側を演者 A 、右側を演者 B とします 】

 

(1)座圧腿で床に降りてきた姿勢

   演者A:腰腹部の放鬆が見られず、背中が伸ばされているだけで腰が立っていない。
       円襠、開襠が無く、足の伸筋を緊張させている。
       この姿勢のままでは、そこから立てない。

  演者B:腰腹部が放鬆され、既にこのまま立てる状態になっている。



 

(2)腰勁の作用で膝が上がり、僅かに腰が浮き上がった姿勢

   演者A:右の膝を支点に、前方に重心を移すことで腰を上げようとしている。
       左の膝は曲げられてはいるが、すでに前方への落下が始まっており、
       それを支えるために左足のスネがつっかえ棒として強く使われている。

   演者B:両膝が上がり、軽々と腰が浮かされている状態。
       この時点から、すでに身体は完成姿勢である「前方の上」に向かっている。



 

(3)さらに腰が上がってきた姿勢

   演者A:右足の突っ張りで腰が上げられており、膝が下を向いている。
       腰の位置は、あまり前に出られていない。

   演者B:さらに腰と両膝が上がり、腰の位置は前方に移動している。



 

(4)途中姿勢

   演者A:右膝が下を向いたまま、前方ではなく上方に上がってきているのが特徴。
       腰が高くなり、前足のブレーキで身体の落下を支えている。

   演者B:両膝が上げられており、身体は変わらず「前方の上」に向かっている。
       腰はまだ低いままで、前足を踏んでいない。



 

(5)弓歩での完成姿勢

   演者A:ここまで右足で蹴って上がってきたために、右のつま先が内側に入らない。
       腹が下を向き、身体全体が落下方向に向かい、それを前足で支えているので、
       前足が重く踏まれている。

   演者B:右のつま先が入ってきた瞬間。
       左足が軽く、身体は依然として完成姿勢の「前方の上」に向かっている。



     *     *     *     *     *     *     

 

【 比較その2:左側を演者 C 、右側を演者 D とします 】

 

(1)座圧腿で床に降りてきた姿勢

   演者C:やや骨盤が巻き込まれており、上体が後ろに反っている。
       曲げられた右足に、立つための力みが見える。

   演者D:腰の位置が綺麗に足と足の間に出ており、かなり良い状態の姿勢と言える。
       左足のつま先がもう少し手前にあればなお良い。



 

(2)腰勁の作用で膝が上がり、僅かに腰が浮き上がった姿勢

   演者C:腰勁がほとんど使われず、右足の蹴りで立ち上がり始めたために、
       腰が浮き上がらず、腰椎が反って上体が前傾している。
       膝で床を蹴って立ち上がって来るようなイメージになっている。

   演者D:膝は上げられ、腰もすでに浮き上がっているが、
       やや腰が丸まって巻き込まれ、右足裏で床を踏んでいる。
       立ち上がるために右足を蹴っていなければ、もう少し腰が上がる状態。



 

(3)さらに腰が上がってきた姿勢

   演者C:右の膝がまだ下を向いており、馬歩が崩れている。
       足の蹴りで立とうとしたために、すでに身体が使えない状態になっている。

   演者D:腰勁の作用がかなり効いており、膝も軽く上がっている。
       一般門人でこのような姿勢が取れれば、まずまずと言える。



 

 4)途中姿勢

   演者C:腰勁の作用が働かず、右足の蹴りを使ってしか上がれない状態。
       その為にこの時点に至っても膝が下を向き、右の足首が寝たままである。
       また、右の「胯(kua)」の動きが完全に止まっている。

   演者D:身体は上に向かっているが、やや右半身と右足が重い。
       始めに膝が上がった姿勢で右の足が使われてしまったことが原因。
       まだ腰勁の使われ方が少ないことが分かる。



 

(5)弓歩での完成姿勢

   演者C:腹がかなり下向きになり、腰が前足の床方向に向かっている。
       左足が力んでいるために重くなっている。

   演者D:腰はなお「前方の上」に向かっている。
       身体がもう少し伸びやかになれば、足はさらに軽くなる。


                                (了)

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2009年04月04日

練拳 Diary #12 「座圧腿からの立ち上がり」

 「座圧腿」の稽古では、座りに行くまでの身体と、座った形のまま腰が浮き上がるという身体の構造を確認しました。ところが、「腰」は何とか上がっても「足」はなかなか上がってこないという問題が新たに出てきたのです。

 座圧腿で座った姿勢から腰を上げて足を変える際には、身体の向きを左から右に変えるだけなので、圧腿が終わるまで足が床から離れることは無いのですが、たとえば跌岔式では、床に低い姿勢で降りてから身体を起こし、立ち上がるまででようやく一動作となります。
 問題は、その立ち上がるところで足の蹴りをウンと使わないと立ち上がれない、後ろ足が武術的に上がってこないと言うことです。

 お尻が床に着いている時にはヒョイと腰が上がったのに、いざ片足に立ち上がろうとすると、なぜ後ろ足が引きずるように重くなって上がってこないのでしょうか。いや、そもそも武術的に立ち上がれるとは、どのような身体の構造によるのでしょうか。このことは、それが分からなければ套路を練ることは難しいとさえ言われる、とても重要なところです。

 いきなり跌岔式のような低い姿勢から立ち上がることを始めたのでは少々分かりにくいので、まずは套路の第一勢、陳氏太極拳の看板である「金剛搗碓」を中架式で確認してみました。

 金剛搗碓では一般的に、起勢の姿勢から、右足を軸にして、左足を斜め前方に出します。
そこから左足を軸に立ち上がり、右足を横に開きつつ降ろして完成姿勢となります。
 これは跌岔式で言えば、ちょうど右足を軸にして左足を前に出して座り、足を換えるために立ち上がっていく処に当たりますから、その部分での身体の使い方を取り出して確認することにしました。

 まず、右足を軸にして左足を一歩前に出すまでは、座圧腿の時と同様に、足の上ではなく、足と足との間に身体が出られるようにしなくてはなりません。
 師父の動きを見ているだけでは自分たちとの違いが分かりにくかったので、上級者のAさんに師父と一緒に動いてもらい、皆で比較して観てみることにしました。

 Aさんも途中までは形がよく似ているのですが、ちょうど左足を前に出して左弓歩に移るときに、Aさんの身体の動きが少なく、師父と比べてずいぶん単調なものに見えます。
 そして、特に完全に左弓歩になったときには、身体の位置が前足に寄り過ぎで、特に左の膝が少し前に出ているのが特徴です。
 この様な身体の状態では、どうしても左足を力んで踏むことでしか立ち上がれません。
 師父の前足の膝の位置はむしろ垂直よりも手前にあるように見え、日常的に考えればそこからは前方や上には動きにくい身体の位置だと思えるものですが、師父はその位置から何の力みもなくフッと片足に立って行きます。
 
 試しにAさんにその動作を「座圧腿」で確認してもらいますと、
 座った姿勢から立ち上がろうとするとき、後ろの膝は上がっていても、前足の膝はピンと伸びたままでした。そして、まるでそれを「つっかえ棒」の様に用いて、まず後ろ足の上に身体を安定させ、それから後ろ足の蹴りで前方へ向かい、左弓歩へと移動していました。
 これでは身体が使われるよりも足ばかりが多用され、腰のはたらきなどはごく僅かなものとなってしまい、「腰勁」を練るのは難しくなります。

 また、先ほどの膝の出た弓歩の姿勢は、右足(後ろ足)の蹴りによって送り出された身体を、左足を使ってブレーキで止めるように用いられていた故に起こった現象だと言えます。 
 初心者は、大きく勢いを付けて弓歩になるような動作の際に、一度膝が前に出てから定位置に戻るような現象がよく見られますが、それは自動車がブレーキをかけて停止するのと同じで、ブレーキを掛ける、停止する、新たに動き出す、という三段階の運動になります。
しかし、そのような悠長なものが高度な武術の原理になるはずもありません。

 正しい身体の構造では、床に座った姿勢から「腰勁」が効いて両膝が軽々と浮き上がり、そこから一気に立ち上がって左弓歩になります。この間、それを遮るような身体の状態はいっさい存在しません。身体が床から上がってきただけなので、後ろ足から前足への移動はそこには含まれておらず、したがって身体の動きを一度前足のブレーキで止める必要もないのです。

 また、弓歩の姿勢を入れずに、後ろ足を浮かせた次の瞬間にそのまま独立式(片足立ち)になることも可能となります。その場合、後ろ足はヒョイと、まるで伸ばされたゴムが元に戻るように独立(du-li =ドゥリィ)の完成姿勢へと上がってきます。
 
 跌岔式に於いては、腰が最も低くなったときには、たとえお尻が床に着いて完全に床に座った状態でも身体は動き続けており、それは同時に、最も腰が効いている姿勢でもあるわけです。

 その姿勢から「腰勁」ではなく「足」を用いてしまう原因としては、着地したときに身体が休憩して弛んでしまったか、あるいは始めから腰が効いていなかった、などの理由が考えられます。
 各自の身体の状態によっても変わるものなので、決して見た目だけで判断することはできないのですが、身体や足の使われ方は充分に見て取ることができると思います。

 一般的に、金剛搗碓の練習では、起勢から右足を軸にして左足を出し、左足に乗って右拳と右足を挙げてから横に降ろしていきますが、まだ原理が分かりにくい場合には動作を分けて、立ち上がる前に一度右拳と右足を半歩前へ置き、それから手足を上げるようにします。
 また、その際の右足が前に置かれたときの身体の位置が、ちょうど座圧腿から立ち上がるまでの身体の状態を表しています。
 座圧腿でも跌岔でも、この「立つ位置」が分からないうちは、多くはどうにか立ち上がることを目的に稽古してしまい、軸足の上に安定して立つ努力がなされ、身体を使うよりは、如何に上手に足の筋肉を使えるか、という工夫になりかねません。
 それが、一度前に足を置くという動作がひとつ入っただけで、「立ち上がる工夫」ではなく、「前方に歩くための工夫」になるのですから、よく考えられた素晴らしい練習法だと思います。

 金剛搗碓を、跌岔の姿勢を入れて地を這うような低架式で稽古していると、これが正に「身体の構造」を理解するために用意された練功方法なのだと、つくづく実感できます。
 最も高い位置から最も低い位置に降りて瞬時に初めの位置に戻って来るという、まるで空に舞う猛禽類が地上の獲物を狙って急降下するかのような動作は、膝の抜けや身体の落下、足の蹴り、大腿四頭筋の力みなどを用いていては、とても一度に何十回も繰り返して練習することはできません。
 まるで太極拳を創始した先人たちに「これなら絶対に日常を持ち込めないだろう・・?」
と言われているような、そんな気がするのです。

 どのように身体を用いれば良いのかを、基本功の「座圧腿」で認識を新たにし、歩法や套路で実際の動きを確認して身体の在り方を修正してゆくという、その六百年間の間に培われてきた学習体系を、他ならぬ自分の身体で実感することができるのは、真に幸運という他はありません。

 その日の稽古では、各自が今まで以上に自分の「日常性」に気づくことができ、座圧腿や金剛搗碓では、単に立ち上がるための工夫ではなく、自然に立ち上がれる身体の追求ができたように思えました。

 なお、これらの参考映像は追って掲載いたします。

                                 (了)

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2009年03月20日

練拳 Diary #11 「座圧腿」

 基本功のひとつである「圧腿」の中に、「座圧腿(ざあったい= zuo-ya-tui)」というものがあります。

 座圧腿は、まず直立姿勢から左足を外に90度開いて身体を左に向け、腰を落として床に座りに行きます。同時に右膝を曲げながら、左足は伸ばしたまま前方に浮かせてスライドさせ、両足は90度に開くようにします。

 左足を出す時には、腰が下りていくと同時に両足の膝が上がってくるようにして、重心は右足の真上ではなく、右足より前に出ているようにします。つまり、軸足で身体を固定して他の部分を動かすような運動は一切行わず、歩法で一歩足を出すのと同様に、身体が動き始めたときには、重心が足と足との間に出ている形となります。
 そのまま等速度で身体を使い続け、お尻が着地してから両膝が下りてくれば、座圧腿に入る予備姿勢の完成です。
 
 ここまでの形は、ちょうど套路の跌岔(てった=die-cha)式と同じ形になります。
 この姿勢から、右手で左足のつま先を取りに行き、左手は後方に伸ばしていく動作や、さらには上体を真っ直ぐに戻して、腰を右方向に回転させていく、などの動作が加わります。


 この日の稽古でも、最初につま先を開くところから、細かく指導が行われました。
 まず、つま先を開くときに、安易につま先だけを開いてはいけないと言われます。
「一動スレバ不動デ有ルトコロ無ク・・・」という言葉があるように、足一本、つま先ひとつ開くのにも、身体の中心から全身で動けなければ「動いた」とは言えないのです。

 座圧腿が正しく取れるかどうかは、この、つま先を開いた姿勢如何で決まると言えます。
 正しく開かれれば、すでに足は先ほどより軽く感じられ、まるでボールに立ったときのように前でも後ろでも意のままに動けるような、自然で自由な感覚があります。
 反対に、足腰が窮屈に感じられたり、何の感覚も生じてないような状態では、この後どれほど慎重に座って行こうとも、それでは武術的には動くことのできない、非武術的な身体の状態にしかならないという、たいへん重要なところでもあります。

 つま先を正しく開けたら、そこからゆっくりと足を前に出していきます。
 上級者の動きを見ると、身体が前後に傾くことなく、どちらの足にも重みが偏って掛かっていくようには見えず、出された足が床との摩擦を感じさせない様子は、まるで操り人形で足だけがスーッと上に引かれていくかのように見えます。
 膝は初めから上を向いており、お尻が着地するのとほぼ同時に床に向かって降りてきますが、その完成姿勢は、座っていても座っていないようであり、足先から頭までが均等の張りを持っているように感じられます。

 身体に「緩み」や「偏り」が有る状態では、まず初めに軸足で身体を支えてしまい、膝が下を向いて、お尻よりも先に着地します。また、前足は思うように前方に出せず、ゴムの靴底が道場の床のマットに摩擦して止まり、動きが途切れて身体が崩れてしまうという特徴があります。

 自分が初めて座圧腿を練習した頃を思い出しても、このようなスタイルで足を出していくというのは、決して容易なことではありませんでした。
 つま先を開き、足を出そうとした途端に、「違う・・!」と一言。身体を戻してもう一度出していこうとすると、再び「違う・・!」とだけ言われ、なかなか足を出すまでに至りませんでした。
 当時は何が「違う」と言われているのか全く分かりませんでしたが、今思えば、足の出し方ではなく、身体の在り方が違うということを教えられたのだと思います。
 その点、現在の一般クラスでは、「何ゆえに違うのか」というところを、基本功や歩法を例に挙げて説明されるので、私の学んだ頃よりは各自が稽古の要点を掴みやすいように思います。


 さて、ようやく皆が座れたので、この座圧腿の姿勢が正しく武術的な構造であるかどうかを確認することになりました。それは、床に座ったその状態から、ただ腰をヒョイと持ち上げる、というものです。
 持ち上げると言うよりは、まるで最初からお尻が着いていなかったかのように、何のアクションもなく、ただ「スッ」と浮き上がってくるのが正しいとされます。
 皆さんの様子を見ていると、楽に上がる人も居れば、ちょっと上がってもすぐに落ちてしまう人、そして全く動かない、動く気配さえ無いという人まで、実に様々でした。
 
 簡単には腰が上がらないことが分かると、軸足の膝を立ててからヨイショと蹴り上げたり、勢いをつけて一瞬だけお尻を浮かせるような、各自の創意工夫(?)も多く見られましたが、その姿勢から容易に上がらないこと自体が「構造の誤り」なのであって、自分勝手な工夫で腰が浮き上がったとしても、決して「正しい構造」とは言えないのです。
 
 そもそも座圧腿では、見た目は座っていても、床に休憩しているわけではありません。
 かと言って、もちろんお尻が着地しないようにアシで踏ん張っているわけでもないのですが、最初から正しい構造で座ることができれば、身体は自ずと張られたものになり、休憩したくともできない状態になります。
 反対に、身体が使われずに床に座り込んでしまった体勢からでは、腰を持ち上げるのはとても困難なことであり、腰が上がったとしても何動作も必要としてしまいます。
 ところが、例えば「まだ身体が動いている途中である」という認識が有れば、それは歩法の途中で身体を動かしていることと、その質は何ひとつ変わりません。

 そのようなことが説明された後で再度挑戦してみると、先ほどよりも幾分楽に動ける人が増えてきました。ここまで来れば、左右の足を変更するのも、さほど難しくなさそうです。

 何ゆえに、座圧腿のように床に座りに行って、その場で腰が上がることを確認したり、その姿勢から起き上がってくるといった、一見非武術的なものが基本功にあるのかといえば、それはひとえに「順身(じゅんしん=shun-shen)」を理解し、身につけるためだと言えるでしょう。
「順身」とは、武術的な身体の在り方のことで、自然で正しい身体の状態をいいます。

 先に書いた「肩取り」などの対練でも、接触・非接触に関係なく、相手を崩せるか否かは自分の身体がこの順身であるかどうかが大きなポイントとなってきます。
 また座圧腿でも、直立姿勢からつま先を開き、前に足を出して床に座りに行ったときに身体が順身でなければ、その後、腰を軽く浮かす、というようなことは決して出来ません。
 その姿勢から立ち上がれるかどうかと言うことなどは付録でしかないと師父が言われるように、床に座りに行くまでの身体の状態が最も重要なのです。

 套路の「跌岔式」や「金剛搗碓」を取り出して練習することもありますが、これもよく太極拳の本に書かれている、敵と対峙したときに突然身体を床に落としながら敵のスネを蹴る(?)などといった ”用法” としての練習ではなく、跌岔のように上下動の激しい型の稽古でも身体が順身で動けることを確認し、その中でさらに ”身体を練る” ことを目的としています。

 それは、自分の身体を「意」のままに動かすことができなければ、どれほど速く強い打撃力を持っていようとも、その力を発揮する前に、いとも簡単に身体を制御されてしまうからです。
 座圧腿もまた同じく、綺麗な形が取れていても、それが居着いて動けないようなものであれば基本功としての意味はなく、ただの柔軟体操やストレッチの練習となってしまいます。

 その日の稽古では座圧腿をもとに、一般門人の方たちも、歩法や套路などをより詳細にわたって見直すことができたように思えました。

                                  (了)




       
                     
       

       

       
 
       

       

       

       




       



        



        


xuanhua at 19:03コメント(12) この記事をクリップ!
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