門人随想
2020年08月28日
門人随想「女性天皇と女系天皇について」
by 田舎の神主 (拳学研究会所属)
「女性天皇と女系天皇の違いを知ることは、これからの日本にとって大切な事であり、太極武藝館門人は知っていた方が良い」と師父からお話があり、大変僭越ですが私が知り得た事を書こうと思います。
昨今の世論調査では、約8割弱の人が女性天皇や女系天皇を支持のようです。
保守政党といわれる自民党の二階俊博幹事長も、4年程前から女性天皇を容認する考えを公の場で示し、波紋を呼んでもその考えは今以って変えていません。
小泉内閣は平成16、17年に、高い見識を有する人達を集め、「皇室典範に関する有識者会議」を17回開催し、その報告書を提出しました。
報告書の主な内容は、
〇女性天皇及び女系天皇(母系天皇)を認める。
〇皇位継承順位は、男女を問わず第一子を優先する。
〇女性天皇及び女性皇族の配偶者になる男性も皇族とする(女性宮家の設立を認める)
等です。・・・すごい時代になったなと感じました。
1776年5月1日に創立され、現在では殆ど樹立された世界単一政府(一般には陰謀論とされる。知的能力を実証された人々が世界を治めること)の目標の一部である、「愛国心と民族意識の根絶」と「家族制度と結婚制度の撤廃と子供のコミューン教育の実現」、他にも「私有財産と相続財産の撤廃」や「すべての宗教の撤廃」、これらは、コミンテルン・共産主義の基となりました。「天皇制打破」は共産主義者の目標の一つとなっています。「天皇制」という言葉も、元は共産主義用語です。
戦後の日本では、国民にそれらを徐々に浸透させてきました。
「愛国心と民族意識の根絶」をするため、すなわちその中心となっている皇室や、国民の各家庭内教育者の女性(日本では特に大和撫子といった)を変革し、彼らの思うようにする必要がありました。特に女性は膨大な経済効果がありますので、男女平等を超え、まるで女尊男卑のようになっている今の世、政界は女性票を獲得するため、国は女性から税金を取るため、経済界は女性を疲れさせ浪費させるため、様々なことが行われています。
私は、先進諸国と言われる国々の女性(男性も)に関しては、残念ながらほとんど仕上がっていると感じます。日本では、天皇を女性・女系にして最後の仕上げといったところでしょうか。
日本は1985年に、United Nations (連合国・国際連合)の女子差別撤廃条約を批准し、厚生労働省は男女雇用機会均等法を、行政は男女共同参画社会企画室を作りました。それにより、ジェンダーフリー、フェミニズム、女性解放、女性の社会進出が世間に流行りました。
善し悪しは別にして実際に世の中がどの様に変化したかは、皆さんの周りを見ればよくお分かりのことと思います。家庭内では、昔大家族だったものが核家族になりました。子供にお金をかけた教育をすればするほど、昔の四書五経の教育の頃とはかけ離れた自由平等博愛の考えが浸透し、なぜか、親子の別離、夫婦の離婚まで進み、一家離散となっている方も多くなってきました。
古くからの伝統的なものを、そのまま後世に伝えること (伝統文化)に携わっている人達は受難の時代であり、革新的な考えの人達やビジネスチャンスを狙う人達にとっては、素晴らしき新世界秩序の到来と思ったことでしょう。
また、現代は一般的に男女同権・男女平等の世の中といわれますので、世論調査をすれば女性天皇や女系天皇支持は当たり前のことと思われます。
戦前、日本は現在のような民主主義ではなく、天皇統治であり、それは、大御宝(おおみたから 国民)を君主である天皇が知ろし食す国家でした。すなわち、天皇は国民を宝のように思い、まるでご飯を食べ消化するかのように国民のことを深く知り、国を各家のように大切に思っていたのでした。私は理想的な国家ではないかと感じます。
例えば、「大和」という古代の国名では、「和」という字の禾偏は穀物の意味です。旁(つくり)に口があり、穀物を食べることを意味します。ご飯を食べると皆は和らぎ、それが大きく広がり国中でご飯を食べ和らぐことが「大和」につながるという説もあります。
また、後に述べますが、国民の朝の竈の煙が昇っていないことを心配した天皇もおられました。そういったことは、代々の天皇が御言葉を宣べたもの、「みことのり」「神勅」「詔勅」という永久保存の公文書として知ることができます。
124代目の昭和天皇の御代の終戦を迎えるまで、天皇は「現人神 あらひとがみ」といわれ、国民が君主の皇位継承について語ることはとんでもないことでした。神主であった私の先祖も、普段から「言挙げせず」を心掛け、君主について語る事はとても恐れ多い事だったでしょう。
私も18歳の頃、元 現人神であられた昭和天皇行幸啓の神社参拝(熱田神宮)の折、自分と陛下までの距離2メートル、皇后様が一歩下がって歩くその陛下の御姿は、まるで後光がさしているようで、とても恐れ多くて顔を上げることもできませんでした。
では、現人神とか皇孫 (すめみま)といわれた天皇とは一体何か。戦後、神社や皇室について何の教育も内容も教わることのなかった世代(ほとんどの人)は、皇室のことを一般家庭と同じように思っているのではないかと危惧します。
(私も18歳まで神社や皇室について何の教育も受けていません。)
<「男系」の男性天皇と女性天皇、「女系」の女性天皇と男性天皇>
「男系」とは、父親を遡れば初代に辿り着く系譜をいいます。今迄、男系で続いてきた歴代126代の天皇は、父親の血統を遡れば初代の神武天皇に繋がります。母親を辿る場合を「女系」といい、母親を遡っては初代に辿り着きません。
「女性天皇」は、過去に8人おられました。そのうち2人は、2度即位しています。しかし、いずれも男系の女性天皇であり、次の継承者が即位される迄の「中継ぎ」として、男系を守るために皇位につかれました。すなわち、その在位中は子供を産む状況にはなかったことや、結婚をせず独身を通したかです。
男系守護の「女性天皇」は8人おられましたが、「女系天皇」という「女系」の女性天皇・男性天皇は全く例がありません。一旦「女系」となってしまうと、皇室とは別の血統である「別の男系」にすり替わってしまいます。
男系皇位継承は、2680年間、126代続いている世界に類のない「万世一系の天皇」と称され貴重な伝統が守られています。その貴重な日本の国柄のことを「国体」といいます。国民体育大会の「国体」とは違います。「国体」の崩壊は、古き良き時代の日本の崩壊を意味します。
万世一系の天皇の血統は、皇位継承の危機に備えた、天皇の男系子孫を当主とした「宮家」によって守られてきたのです。しかし、昭和22年に、昭和天皇の実弟である3宮家を残し、11の宮家が皇籍離脱させることになりました。その理由は、GHQの指令により皇室財産が国庫に帰属させられることになり、従来の規模の皇室を維持出来なくなったことでした。
当時の加藤進宮内次長の言葉として『万が一にも皇位を継ぐべき時が来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎みになっていただきたい』とあります。
女性当主の「宮家」は、過去に例はありません。皇室は、俗に「天皇家」という一般家庭と同じような家の継続ではなく、皇統という男系の血統の継続なのです。
また、血統というと思い当たるのが、血統書付きの動物、競争馬の血統の良し悪しや、美味しい肉牛の血統ですが、皇室の皇統はそのようなものではなく、血液が代々繋がっているだけの唯の血統ではありません。
すなわち「万世一系」とは、単に血統上だけのものでなくて、精神的にも一貫不断の継続を意味している事を見失ってはならないのです。その精神的なものとは何か、それは、「日本の神話」や「みことのり」で示されています。
<日本の神話>
我が国の神話は、戦後、学校では殆ど教えないものとなり、私が教わった極端思想の先生が神話について話した内容は、「日本神話は、皇室を権威付けるための作り話であり、日本民族の歴史伝承では無い。そういった嘘を教え込まれ、洗脳されたから、神風が吹く神国日本は必ず勝つとか、天皇は現人神と言われるようになった」
また、大東亜戦争についても、「近隣諸国を植民地として支配して、連合国相手に勝てる見込みのない戦争を挑みアジアの国々に極悪非道なことをした。原爆を落としてもらったから戦争を敗戦という形で終了することになった」
「広島の爆心地の横の平和記念公園では、(安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから)との碑文もあり、敗戦とともに、神話をはじめとする様々な洗脳が解け、日本はアメリカという解放者によって、自由で開放された良い国になった」
などという、日本人であることが恥ずかしくなるような自虐的なものであり、その当時の出来事に対し何の検証も無く、戦勝国側の理屈を押し付けたひどいものでした。
私も、当時、大袈裟に嘘を言っているのはその先生の方だと薄々思っていましたが、検証するすべもなく、後にその先生は、学校の帰りに、恨みに思った卒業生によって車に轢かれそうになりました。
そのような自虐的な史観は、大人になるにつれ、自ら進んで行なった勉強と調査検証により次第に解かれ、日本人に生まれて本当によかったと思われる、すっきりとした史観に変わっていきました。
様々な方とお話をすると、いい年をしていても自虐史観の解けない、または、自虐史観とも思っていない、私にとっては大変お気の毒と感じる方も多いのですが、しかし、そのような方は、私のようなものを、職業柄、昔の日本にかぶれた可哀そうな人と思っているようです。
日本の神話では、伊勢神宮の内宮に祀られる天照大御神の子孫が天皇になられていますので、それはどのようないきさつがあったのかを、天孫降臨からの分かり易い神話物語として大筋を紐解いていきます。
神話(国史)は古事記と日本書紀があり、その解説には様々な説があります。古事記の神々は、命(みこと)・日本書紀の神々は、尊(みこと)と表されます。日本書紀は、各地域の風土記も記載され、今年で編纂1300年を迎えますので、書店に書籍が少しはあると思います。
また、諸説や神話に出てくる難解用語や神様については安易にインターネットで調べる事ができますので、少しでも興味がわき、もっと詳しく知りたい方は調べてみて下さい。日本神話は、唯の出鱈目ではなく各地の言い伝えや様々な暗示がありますので、初めて神話に触れる方はとても面白く感じると思います。
皇室に関しては、インターネットの情報は不敬なものが多く見られますので、行間を読み、注意した方が良いと思います。
<天孫降臨(てんそんこうりん)>
高天原(たかまのはら 天上の世界・中央政権)と葦原中国(あしはらのなかつくに/地上の世界・地方政権・出雲の国)で様々な攻防が治まり、天照大御神と高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が、天照大御神の子である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)に葦原中国を統治するように命じました。
しかし、天忍穂耳命は「出雲に天降ろうと身支度をしている間に末の子が生まれました。名を邇邇芸命(ににぎのみこと)と言い、出雲にはこの子を降ろしてはどうでしょうか」と提案しました。
古代ではこのように末の子が家督を継ぐという末子相続は、仁徳天皇の頃まで続きます。「天孫降臨」は、官僚が関係組織に下るというあまり良い言葉ではない「天下り」という言葉の語源になってしまいました。
天照大御神の孫(天孫)邇邇芸命は葦原中国の統治を命ぜられ、天児屋命(あめのこやねのみこと・中臣連(なかとみのむらじ)の祖先 藤原氏の祖神)、布刀玉命(ふとだまのみこと・忌部の首(いんべのおびと)の祖先)、天宇受売命(あめのうずめのみこと)、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、玉祖命(たまのやのみこと)の、天石屋戸開きで活躍した五神を従えて天より降りました。
その時に邇邇芸命が天照大御神から授かったものがあります。それは、「三種の神器」(さんしゅのじんぎ)と「三大神勅」(さんだいしんちょく)です。それらが、我が国の天皇統治のいわれの基となっていきます。
葦原中国に降り立った邇邇芸命は、大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)と結婚します。ほどなく懐妊し、それを夫に不審に思われたため産屋に火をつけます。
天津神の子であれば無事生まれると予言し三人の御子が誕生します。末の御子の火遠理命(ほおりのみこと)が、天皇とつながっていく山幸彦、長子が海幸彦です。これが、弟の山幸彦が海幸彦の釣り針をなくし海神の宮殿に行く物語になります。
山幸彦は、海神の綿津見神(わたつみのかみ)の娘、豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)と結婚し、生まれた御子の名を鵜茸草茸不合命(うがやふきあえずのみこと)といいます。そして、叔母である玉依毘売命(たまよりびめ・母の妹)をめとり四人の御子を生み、その末子の若御毛沼命(わかみけぬのみこと)が、後に初代・神武天皇となる神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)です。神話は、後に神武東征の物語へと続きます。すなわち、日の御子からの血統が続いているということです。
<三種の神器>
八咫鏡(やたのかがみ) 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) 草薙剣(くさなぎのつるぎ)を三種の神器といいます。その神器は、皇居で奉斎(大切に保管され祭祀がおこなわれる)されていましたが、現在、八咫鏡と草薙剣は、伊勢神宮と熱田神宮に祀られていますので、それら二種は、神霊が宿る形代(かたしろ)で皇居(賢所・剣璽の間)にて祀られ、これらを奉斎することで正当な帝(天皇)の証であるとされました。
また、八咫鏡は知恵を、八尺瓊勾玉は慈悲深さや仁義(優しさ)を、草薙剣は勇気や武力を象徴しているという説もあります。
八咫鏡は、伊斯許理度売命が作り、第十一代垂仁天皇の御代に、皇居から、祀られる場所の変遷を経て伊勢神宮の内宮に祀られました。
八尺瓊勾玉は玉祖命が作り、天の岩屋戸開きの時に、八咫鏡と一緒に榊の木に掛けられたといわれています。
草薙剣は、須佐之男命(すさのおのみこと)が退治した八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から出て天照大御神に奉納され、皇室が奉斎していましたが、第十代崇神天皇の時代に伊勢神宮に移され、第十二代景行天皇の時代に伊勢神宮の倭姫命(やまとひめのみこと)が、東征に向かう日本武尊(倭建命 やまとたけるのみこと)に草薙剣を託しました。
東征の途中、尾張国造(おわりのくにのみやつこ)の祖先、宮簀媛(みやずひめ)の家に滞在し、無事東国平定の後、尾張に戻り二人は妹背(いもせ)の契りを交わします。日本武尊の逝去後、尾張に社を立て草薙剣を奉斎したのが熱田神宮の起源といわれています。
この剣は元々天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれていましたが、東征中に賊によって草原に火を付けられた時、逆に、草を薙ぎ払いそれに火を付け、難を逃れたことから、草薙剣と呼ばれるようになったそうです。今でも、草薙・焼津といった地名が残り、縁の祭神を祀った神社があります。
<三大神勅>
三大神勅は、天照大御神が天孫邇邇芸命に授けた“みことのり”といわれます。
「宝祚天壌無窮(ほうそてんじょうむきゅう)の神勅」とは、
豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂國(みずほのくに)は、是吾(これあ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく 爾皇孫就(いましすめみまゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さかえ)えまさむこと、當(まさ)に天壌(あめつち)の與窮(むたきはま)りなかるべきものぞ。
天照大御神がご自身の子孫こそ天皇として、天地とともに永遠に日本を治めるにふさわしいと示された神勅です。
「寶鏡同床共殿(ほうきょうどうしょうきょうでん)の神勅」とは、
吾(あ)が兒(みこ)、此(こ)の寶鏡(たからのかがみ)を視(み)まさむこと、當(まさ)に吾(あれ)を視(み)るがごとくすべし。與(とも)に床(みゆか)を同じくし、殿(みあらか)を供(ひとつ)にし、以(も)て斎鏡(いはいのかがみ)と為(な)すべし。
天照大御神が三種の神器の鏡を授けられた時、この鏡を私だと思い大切に祀るよう、命じた神勅です。伊勢神宮に祀られた寶鏡は、大切に祀られ、国の重要な行事の前後に、天皇は、報告と祈願をするため必ずお参りに行きます。
「斎庭穂(ゆにわのいなほ)の神勅」は
吾(あ)が高天原(たかまのはら)に所御(きこしめ)す、斎庭(ゆには)の穂(いなほ)を以(も)て、亦吾(またあ)が兒(みこ)に御(まか)せまつる。
天照大御神が「人々の食の中心」として高天原で育てた神聖な稲穂を地上に授け
たことを伝えた神勅です。お米を中心とした食文化が、今でも途絶えることなく続いているのは、お米が神様からの賜りものと伝わっているからです。
<「みことのり」「詔勅」>
今から2680年前、初代天皇の神武天皇が橿原の宮で即位します。そして国を肇(はじ)めます。神武元年1月1日(現2月11日)のことです。
日本は米国のような建国ではなく、肇国(ちょうこく)なのです。初代神武天皇は、橿原建都の詔(みことのり)を宣べます。その後、歴代天皇はさまざまな重要なみことのりを宣べています。
男系で各天皇を遡ることができるということは、歴代天皇の、みことのりに現れている精神を継ぐ、あるいは、その御心に立ち返る事ができるのではないかと思います。
文学博士の井上順理氏は、錦正社『みことのり』刊行にあたって述べています。
「歴代の天皇の御聖旨は、全く至公無私を旨として、常に専ら皇祖皇宗の御遺訓を継承実現するにありとせられてきた。否、逆にいえば、祖宗の遺訓継承とそれの実現のみに只管専念されるからこそ、個人的には全く無私公平であられる。しかもかく全く至公無私であるという境地は、普通の人間には到底期待しえない正に超人的な境地であるから、古代天皇は人にして人に非ざる“現人神 あらひとがみ”又は“明神 あきつかみ”ともいわれてきたのであって、かかる人にて神の如き至公無私の人の意思こそ、正にあるべき理想的な国家の最高意思即ち主権意志である。」
簡単にいうと、天皇の祖先の御遺訓(みことのり)を継承し、それを実現しているから天皇無私といわれる。その超人的な境地は一般人には無理であるから天皇は現人神といわれた。それは国家の最高意思であった。
私が個人的に重要と思っている「みことのり」、そして、私の好みの「みことのり」を幾つか挙げます。
◎ 神武天皇 【橿原建都の令 ― 八紘為宇の詔 (抜粋)】
夫(そ)れ大人(ひじり)の制(のり)を立つ。義(ことわり)必ず時に随(したが)ふ。苟(いやしく)も民(おおみたから)に利(くぼさ)有らば、何(なん)ぞ聖造(ひじりのわざ)に妨(たが)わむ。
訳/そもそも聖人が制(のり)を立て、道理が正しく行われる。国民の利となるならば、どんなことでも聖(ひじり)の行う業(わざ)として間違いはない。
(私の解釈)
天皇は国民とともにあるので、国民の質により天皇も変わることになる。
◎仁徳天皇 【百姓の窮乏を察し郡臣に下し給える詔】
【三年の間課役を除き給ふの詔】
【百姓の富めるを喜び給ふの詔】
即位四年目の春、天皇は高台から国を眺め、各家に炊事のための竈の煙が昇っていないのを目にされました。民の生活が貧しいのを察せられ、三年間の税を止め苦しみを癒すよう仰せられました。ご自身も、御所の垣根が崩れ屋根に穴が開き、夜は星が床を照らす宮殿で過ごされたのです。
三年後、竈の煙が満ちた国を見られ、ご自身の豊かさを皇后に語られます。朽ち果てた宮殿に住みいぶかしむ皇后に、民の豊かさが君主の豊かさなのだと天皇は仰せられました。
◎聖徳太子 【七条憲法 三に曰(いわ)く (抜粋)】
詔(みことのり)を承りては必ず慎め、慎まずむば自(おのずから)に敗れなむ。
(私の解釈)みことのりを慎んでうけたまわなければ、日本は自ら滅ぶ。
◎明治天皇 【教育に関する勅語 (教育勅語)】
この勅語は余りにも有名な勅語です。
「・・・父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、・・・」
日本の道の精華であり、私は、最高の勅語と思います。
◎昭和天皇 【米国及び英国に対する宣戦の詔書】
【大東亜戦争終結の詔書】
この二つの詔書は、本当に大切なことが書かれています。
私はこの詔書で曇った心が救済されました。
◎四千から五千勅あるといわれる、「みことのり」への和歌を記します。
明治天皇御製
伝え来て 国の宝と なりにけり 聖(ひじり)の御代の みことのりふみ
すめろぎの 勅(みこと)かしこみ 美くしと 思う心は 神ぞ知るらむ (象山)
いくそたび 繰り返しつつ わが君の 勅(みこと)しよめば 涙こぼるる(玄瑞)
◎昭和23年6月19日
衆議院本会議において、教育勅語等排除に関する決議によって「みことのり」は全て無効となった。
内容は、「詔勅の根本理念が主権在君並びに、神話的国体観に基いている事実は、明らかに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。」というものである。
私にとっては、まるで理不尽な言い掛かりにしか思えませんでした。
日本は本当に悲しい国になってしまった。・・・
みことのり排除決議と、所謂天皇の人間宣言をうけて、三島由紀夫氏の著書『英霊の聲(えいれいのこえ)』には、今の日本への予言ともいえる文章が載っています。(抜粋)
───────平和は世にみちみち 人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交わし 利害は錯綜し、敵味方も相結び、外国の金銭は人らを走らせ もはや戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、邪なる戦のみ陰にはびこり 夫婦朋友も信ずる能わず いつわりの人間主義をたつきの糧となし 偽善の団欒は世をおおい 若人らは咽喉元をしめつけられつつ 怠惰と麻薬と闘争に かつまた望みなき小志の道へ 年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば 道徳の名の下に天下にひろげ 真実はおおいかくされ、真情は病み、ただ金よ金よと思いめぐらせば 人の値打ちは金よりも卑しくなりゆき、・・・・・などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし。
「万世一系」とは、単に血統上だけのものでなくて、精神的にも一貫不断の継続を意味している事を見失ってはならないと思います。その精神的なものとは何か、それは、「日本の神話」や「みことのり」で示されています。
男系で各天皇を遡ることができるということは、歴代天皇の、詔勅(みことのり)に現れている精神を継ぐ、あるいは、その大御心に立ち返る事ができるのではないかと思います。
女系天皇では、別の男系にすり替わってしまい始めの一世となります。そうなると日本国の国体である貴重な国柄の万世一系の天皇ではなくなり、精神的な一貫不断の継続はますます難しくなることでしょう。その精神的なものが継続されなかった時、天皇は、皇道(こうどう)ではなくなり、権威ではなく権力となるでしょう。
また、今の国民は、残念ながら、英国王室のようなカッコよくセレブな皇室を望んでいると思います。
そもそも、天皇の問題は、結論が議論の前という有識者達が、戦後の憲法や法律により議論すべきものでなく、各界の代表が歴史や伝統を踏まえ検証して議論すべきと思います。
前々から私が感じ思うことは、戦前、もしくは昭和の時代まで大切だったもの、「国体=日本国の貴重な国柄」「旧日本的な考え方」「大東亜戦争の調査検証」「本来の男女夫婦の役割」「家族・親族のあり方」「友達・同志とは」「地域の人達との結びつき」「人と自然の関わり方」「寺社の本来のあり方」「心身の健康のあり方」「日本人の死生観の変化」「改憲、国防とは」「英霊の護りたかったもの」「日本人の価値観の変化」「本来の幸せとは」「そもそも日本とは何か」「日本人とは」・・・等を考える事さえ、まるで災害でものを失うかのように、急激に失いつつあると思います。
以上の文章は、戦後帰還した日本兵が「もう今の日本人には言っても仕方がない」と同じように感じていた、浅学非才な田舎の神主(私)が書いたもので、諸兄には大変僭越、皇室にも大変不敬(一般人が皇位について述べること)なものかと思います。文章中不快なものがありましたら、どうかお許しください。
(了)
2019年07月23日
門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その43
「合わせることで変わる」
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
合わせることについて、最近感じたことを書いてみようと思います。
というのも、自分自身が合わせられないことに大いに悩んだからです。そして、自分が感じていた問題を打開するきっかけになったのは、他でもない、師父と合わせて動くことがきっかけだったからです。
誤解を恐れずに言えば、それまで合わせようとしていたことは表面的なことで終始しており、全く違ったということです。
動きを合わせる、タイミングを合わせる、形を合わせる。それらのことはもちろん、大切なことだと思います。しかしそれよりももっと大事な、意識…と、そこまで高尚なことではないのかもしれませんが、心や気持ちを合わせないといけないということが、いつのまにか自分にはわからなくなってしまっていたようでした。
人間にとって、何が体を動かすかというと、やっぱり心がなければ動かないのではないかと思います。そして、合わせるということはまた、対象を見て真似る、という隙間さえもなく、時間と空間を離れたところに、同時にあることでなければならないのではないかと思います。
そうでなければ、機械仕掛けの人形がやればいいだけなのですから。
反省の意味も込めて書かせてもらいます。少し前までの自分の様子を見ていた人はお分かりかと思いますが、本当に、やることなすことダメになってしまっていたように感じていました。
その時も、稽古で師父と一緒に動く機会を頂いていたというのに、頭の中では「ああ、やっぱりぜんぜん合わない、ダメだ…」ということばかりが渦巻いていました。手に持った電動ライフルの重みが、そのまま心の重さにプラスされているような気分でした。
やりたくてやっているはずなのに、一体どうしてこうなってしまっているんだろう、自分は何をしているんだろう、と、抜け出せない状態でした。
このまま、自分は完全にダメになって終わりかもしれない、そう思ったときです。
どうせダメなら、最後までやりきってダメになってやろう、と、心の中で言っている自分に気づきました。
或いはそれは、目の前を歩く師父が、言葉ではなく語られた声だったのかもしれません。
本当に、それでいいのか、と。
そこで、自分自身のスイッチがカチッと、本当に入ったような感覚があったのです。
目の前の師父に合わせる…真似をするのではなく、おんなじに動くのだと。
ただ見て真似るのでは間に合わず、見えない腕が自分から生えてがっしりと掴むような、あるいは自分が体から抜け出て師父と一緒に動いているかのように…。
そうして歩いていると、離れた場所にいるのに、師父の隣に立って動いているかのように、隔てた距離に関係なく、まるで体温さえも確かな手応えを持って感じられたかのようでした。
「少し合わせられきた、変わってきた」という言葉をいただくことで、それが自分だけの勘違いではない、確かなことなのだと確信が持てました。
そして同時に、自分はこの感覚を確かに知っていたはずなのに…どうしてわからなくなってしまっていたのか…。
大切な何かを理解するためには、一挙手一投足を作り出している自らの、原点に立ち返らなければならないのではないかと思います。
体の動きが合わないのも、まず自らの心がひとつに合っていなかったからではないでしょうか。そんな中では、誰かと合わせるなどというのは不可能なことだと身をもって味わいました。
その、大事にしている何かに、合わせようとしてはじめて、そのズレは急に埋まりはじめたように確かに感じられたのです。不思議な体験ではありましたが、確かに、その時を境に自分が変わっていったのが感じられます。
合わせて動く。ただ動作だけではなく、考え方や、心まで合わせようとする。
距離も時間も超えた先で、重なるようにして一緒に在ることができたら、その中ではたとえそれができなくても取り繕うことができないというか、その必要さえも感じられません。ただ、ありのままの自分をさらけ出して、隣に、いや、一緒に立って動いていればいいだけという気分でした。
その中で、頭は冷静に違いを見極めて、次の、その次の一歩に活かしていかなければいけません。けれどそれもまた、同時に楽器をかき鳴らしてセッションをしているときのように心地いい感覚さえ伴っています。それは、あたかも本物の楽器に囲まれた中で、初めて音楽を体験したときのような気分です。
つたないながらも、ぎこちないながらも、確かに本物の音が生まれてくるのです。そして自分もまた、その一員として、音を生み出すのだという手応えがありました。
避けていたこと、恐れていたことが幻想だと思い知るには十分な体験であり、そこには上達していく過程での困難さはあれど、それは苦痛とは違う、喜びに近い感覚でした。
合わせようとすることで、発せられた熱が、自分の中に入り込み、体を満たしていくような感覚があります。朧げながらも、これが受け取るということなのか?と思わされます。
受け取るということは、観念としてある言葉ではなく、もっと即物的でリアリティのある何かを、自分の中に宿されることなのではないでしょうか。そう感じられるようなエネルギーが、確かに師父から自分の中に降り注いでくるのを感じられました。
それはもちろん、自分だけに降り注いでいるわけではなくて、本当はずっとそこに、実際に、師父から与えられ続けていたもので、ただ自分が気づいていなくて、取りこぼし続けていたことなのかもしれません。
重さを持った熱の塊に感じられるもの、それが自分の中に入り込み、内側から自分という人間を変えていってくれるという高揚感。そこで感じられる実感に比べれば、自分が教わったことを稽古していると思い込んでやっていたことの、いかに浅はかなことかが、思い知らされます。
自分の中のものが、少しずつ人間として大事な気持ちや心を取り戻していくように思え、心身ともに、まず血肉の通った人間として存在しないことには、「本物」などわからないのではないかと思います。
さんざん言われていたことが、ようやく、わずかながらでも、実感を持って味わえたような気分です。
合わせることで、自分で陥ってしまったどん底にいるような感覚に少しずつ変化が生まれてきました。同時に、どれだけ貴重で大切な機会を、知らずに無駄にしていたかという後悔も生まれてきます。
ですが、時間は過去には戻せません。これから先、どれだけ自分が変わっていけるかを、自分に問わなければなりません。それこそが、自分の状態を理解しながらも、厳しく、そして何より優しく見守っていてくださった師父にできる恩返しだと思うからです。
もちろん、まだ惑うことも出てくるでしょうし、殆んど全てわからないことばかりです。けれど、あの時確かに感じた、合わせるということ…この実感だけは、もはや忘れようもなく自分の中に、確かに息づいているのです。
そこで感じられた熱は、はっきりと、これから先も自分を後押ししてくれる原動力となってくれるのだと確信しています。
(了)
*次回「今日も稽古で日が暮れる/その44」の掲載は、9月22日(日)の予定です
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
合わせることについて、最近感じたことを書いてみようと思います。
というのも、自分自身が合わせられないことに大いに悩んだからです。そして、自分が感じていた問題を打開するきっかけになったのは、他でもない、師父と合わせて動くことがきっかけだったからです。
誤解を恐れずに言えば、それまで合わせようとしていたことは表面的なことで終始しており、全く違ったということです。
動きを合わせる、タイミングを合わせる、形を合わせる。それらのことはもちろん、大切なことだと思います。しかしそれよりももっと大事な、意識…と、そこまで高尚なことではないのかもしれませんが、心や気持ちを合わせないといけないということが、いつのまにか自分にはわからなくなってしまっていたようでした。
人間にとって、何が体を動かすかというと、やっぱり心がなければ動かないのではないかと思います。そして、合わせるということはまた、対象を見て真似る、という隙間さえもなく、時間と空間を離れたところに、同時にあることでなければならないのではないかと思います。
そうでなければ、機械仕掛けの人形がやればいいだけなのですから。
反省の意味も込めて書かせてもらいます。少し前までの自分の様子を見ていた人はお分かりかと思いますが、本当に、やることなすことダメになってしまっていたように感じていました。
その時も、稽古で師父と一緒に動く機会を頂いていたというのに、頭の中では「ああ、やっぱりぜんぜん合わない、ダメだ…」ということばかりが渦巻いていました。手に持った電動ライフルの重みが、そのまま心の重さにプラスされているような気分でした。
やりたくてやっているはずなのに、一体どうしてこうなってしまっているんだろう、自分は何をしているんだろう、と、抜け出せない状態でした。
このまま、自分は完全にダメになって終わりかもしれない、そう思ったときです。
どうせダメなら、最後までやりきってダメになってやろう、と、心の中で言っている自分に気づきました。
或いはそれは、目の前を歩く師父が、言葉ではなく語られた声だったのかもしれません。
本当に、それでいいのか、と。
そこで、自分自身のスイッチがカチッと、本当に入ったような感覚があったのです。
目の前の師父に合わせる…真似をするのではなく、おんなじに動くのだと。
ただ見て真似るのでは間に合わず、見えない腕が自分から生えてがっしりと掴むような、あるいは自分が体から抜け出て師父と一緒に動いているかのように…。
そうして歩いていると、離れた場所にいるのに、師父の隣に立って動いているかのように、隔てた距離に関係なく、まるで体温さえも確かな手応えを持って感じられたかのようでした。
「少し合わせられきた、変わってきた」という言葉をいただくことで、それが自分だけの勘違いではない、確かなことなのだと確信が持てました。
そして同時に、自分はこの感覚を確かに知っていたはずなのに…どうしてわからなくなってしまっていたのか…。
大切な何かを理解するためには、一挙手一投足を作り出している自らの、原点に立ち返らなければならないのではないかと思います。
体の動きが合わないのも、まず自らの心がひとつに合っていなかったからではないでしょうか。そんな中では、誰かと合わせるなどというのは不可能なことだと身をもって味わいました。
その、大事にしている何かに、合わせようとしてはじめて、そのズレは急に埋まりはじめたように確かに感じられたのです。不思議な体験ではありましたが、確かに、その時を境に自分が変わっていったのが感じられます。
合わせて動く。ただ動作だけではなく、考え方や、心まで合わせようとする。
距離も時間も超えた先で、重なるようにして一緒に在ることができたら、その中ではたとえそれができなくても取り繕うことができないというか、その必要さえも感じられません。ただ、ありのままの自分をさらけ出して、隣に、いや、一緒に立って動いていればいいだけという気分でした。
その中で、頭は冷静に違いを見極めて、次の、その次の一歩に活かしていかなければいけません。けれどそれもまた、同時に楽器をかき鳴らしてセッションをしているときのように心地いい感覚さえ伴っています。それは、あたかも本物の楽器に囲まれた中で、初めて音楽を体験したときのような気分です。
つたないながらも、ぎこちないながらも、確かに本物の音が生まれてくるのです。そして自分もまた、その一員として、音を生み出すのだという手応えがありました。
避けていたこと、恐れていたことが幻想だと思い知るには十分な体験であり、そこには上達していく過程での困難さはあれど、それは苦痛とは違う、喜びに近い感覚でした。
合わせようとすることで、発せられた熱が、自分の中に入り込み、体を満たしていくような感覚があります。朧げながらも、これが受け取るということなのか?と思わされます。
受け取るということは、観念としてある言葉ではなく、もっと即物的でリアリティのある何かを、自分の中に宿されることなのではないでしょうか。そう感じられるようなエネルギーが、確かに師父から自分の中に降り注いでくるのを感じられました。
それはもちろん、自分だけに降り注いでいるわけではなくて、本当はずっとそこに、実際に、師父から与えられ続けていたもので、ただ自分が気づいていなくて、取りこぼし続けていたことなのかもしれません。
重さを持った熱の塊に感じられるもの、それが自分の中に入り込み、内側から自分という人間を変えていってくれるという高揚感。そこで感じられる実感に比べれば、自分が教わったことを稽古していると思い込んでやっていたことの、いかに浅はかなことかが、思い知らされます。
自分の中のものが、少しずつ人間として大事な気持ちや心を取り戻していくように思え、心身ともに、まず血肉の通った人間として存在しないことには、「本物」などわからないのではないかと思います。
さんざん言われていたことが、ようやく、わずかながらでも、実感を持って味わえたような気分です。
合わせることで、自分で陥ってしまったどん底にいるような感覚に少しずつ変化が生まれてきました。同時に、どれだけ貴重で大切な機会を、知らずに無駄にしていたかという後悔も生まれてきます。
ですが、時間は過去には戻せません。これから先、どれだけ自分が変わっていけるかを、自分に問わなければなりません。それこそが、自分の状態を理解しながらも、厳しく、そして何より優しく見守っていてくださった師父にできる恩返しだと思うからです。
もちろん、まだ惑うことも出てくるでしょうし、殆んど全てわからないことばかりです。けれど、あの時確かに感じた、合わせるということ…この実感だけは、もはや忘れようもなく自分の中に、確かに息づいているのです。
そこで感じられた熱は、はっきりと、これから先も自分を後押ししてくれる原動力となってくれるのだと確信しています。
(了)
*次回「今日も稽古で日が暮れる/その44」の掲載は、9月22日(日)の予定です
2019年05月24日
門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その42
「弱さを知る」
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
武術を稽古することの目的のひとつに、強くなることがあると思います。
元々は、敵対する他者との闘争の手段として発展してきた武術は、当然のことながら自身を害しようとする人間よりも強くなければ、自らの身や、大切なものを守れません。
ところが現代社会では、それまでは当たり前としてあった「強いものが正義」という考え方は、すでに過去のものとなりつつあります。国家間の紛争を解決する手段であった「戦争」という行為でさえ、第一次大戦後の1928年に締結されたパリ不戦条約以降、自衛以外の戦争は違法行為であると、国際的に認識されています。理由を作って、戦争を仕掛けていい時代は国際法的にも終わりを迎えています。
また日常生活を送る中で、だれかが気に入らないから殴って言い聞かせてやろう、などということは、当然のことながら許されません。
しかし、だからといって相手はこちらを害することを止めるということにはなりません。
単純に暴力に頼るという意味ではない中で、自分の身を守る手段は、自ら持っていなければ生きていくことができません。
そのような中で生きる自分のような人間は、強さや弱さを、一体どのように考えていったらいいのでしょうか。
太極武藝館の稽古をしていて感じるのは、人間の強さや弱さというのは、腕っ節の強さではなく、もっと他の部分にあるのではないかという点です。
稽古中、たとえば対練をしていてだれかに崩されたとして、そのことに関して「弱い」と非難されることは決してありません。
そもそも、試合形式のトレーニングをすることがないので、誰かと勝敗を比較して、優劣を決めるということはありません。勝ったから強い、負けたから弱いということはありません。
これは考え方を変えれば、非常に洗練されたことであるといえると思います。
武道をやっていない普通の人に話をしても、試合で勝敗を決めないのなら一体なにをやっているのか?と、なかなか理解してもらえないということは、ざらにあります。
それよりも大切なことは、どのように稽古に取り組んでいるかだと思います。もちろん結果が伴わなければ稽古をしている意味はないですが、その結果が伴うかどうかという点も、端的に言って稽古への取り組み方に左右されるのだと思います。
自分自身、稽古で壁にぶつかることはよくあることですし、自分が何にぶつかって戸惑っているのかわからず、そのためどうしていいか、打開する方法など全くわからないということもあります。
そうしたとき、どうしても普段のやりかたとして、自分を強くすることで、つまり弱い部分を突っぱねようとすることで問題の解決に当たってしまうことがあります。
本当の問題が「強くないこと」にあるのではなく「弱い」部分にあるのだということは、冷静に頭を働かせれば見えてくるのですが、問題の渦中にいる自分には、その部分が見えて来ず、すぐに結果が出そうな部分、強くあればいいという考え方にしがみついてしまうように感じます。
当然のことながら問題は解決せず、時間が経つにつれて、むしろ複雑になっていくだけに感じられるものです。
どうしたらいいかわからず、悶々とした日々を過ごす中でようやく、強くなろうとすることと弱さを知ることは全く違うことなのではないか、と思い至りました。
自分だけでわかることはできず、色々と多くの人に心配や迷惑をかけながら、そう理解させてもらえるように導いていただいたおかげだと思います。
自分がやることが何もかもうまくいかないように思え、どうしていいかわからなくなってしまったとき、師父に掛けていただいた言葉がありました。
人間というのは、進化の途上にあって弱いものだから、うまくいかないことがあって当たり前だ、と。だから、そこから逃げずに立ち向かえるかどうかで、人間が決まるのだ、と。
自分がうまくいかない原因は自分の中にあると思いながらも、それは自分の弱い部分を見ていないからではなく、自分に物事を解決していけるだけの強さがないからだ、と思い込んでいた自分には、ぱっと視界が開けるような言葉に感じられました。
ただ強くなろうとするだけだと、自分の中にある弱い部分を隠すようになり、いつのまにか、他の人から見えないように、そして何より自分から見えないように蓋をしてしまうようになります。
そうなると、問題の根本はそこにあるのに、いつしか取り繕うことばかりに労力を使うようになり、本当に必要な解決にまで力が注げなくなっていってしまうようでした。
もちろん、見える人にはそれが見えているのだと思いますが、自分は隠すことに必死になり、その弱い部分にふくまれている本当の自分が見えなくなってしまいます。
そんな中で、自分を見つめていかなければいけないことなどできるわけがありませんでした。
現状で問題が解決はしていないのですが、問題として隠していた部分には、少しだけ光が当たってきたように感じます。それがどのようになっていくのかはわかりませんが、分からずにふさぎ込んでいたときよりは、一歩前進しているのではないかと思います。
自分の中の弱さを知っていくことは、そのまま本来の自分がどのような存在であるかを知っていく過程に繋がっていると思います。
そうすることで始めて、本当に自分ができることは何なのかが、見えてくるのではないかと思います。
太極拳はだれにでも出来る、と師父は仰いますが、それが簡単には見えてこないのは、自分の中にある能力を、本当は自分自身が一番見出せていないからなのかもしれません。
特に、画一的な教育を受けてきた自分たちの世代にとって、能力とは他者との比較で測られるものであり、その中で優劣を決められるものでした。
自分の中にあるものが他者とは比べられない唯一のものであったり、また能力が伸びていく道筋や時間も唯一のものであった場合、それらの比較の仕方では、本来の能力など伸ばしていけるわけはないと思います。
そうして画一的に育てられれ評価されてきた人たちが、いざ、自分の本来の姿を見つけろと言われても、なかなか簡単にはいかないのではないでしょうか。
そこから脱却していけるかどうかが、太極拳のみならず、これからより良く生きていくために、自分も含め、多くの人々には必要になってくることではないかと思います。
そうして初めて、太極拳が理解できる土台が出来上がるのだとしたら、それに取り組まない理由はないのではないかと思います。
(了)
*次回「今日も稽古で日が暮れる/その43」の掲載は、7月22日(月)の予定です
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
武術を稽古することの目的のひとつに、強くなることがあると思います。
元々は、敵対する他者との闘争の手段として発展してきた武術は、当然のことながら自身を害しようとする人間よりも強くなければ、自らの身や、大切なものを守れません。
ところが現代社会では、それまでは当たり前としてあった「強いものが正義」という考え方は、すでに過去のものとなりつつあります。国家間の紛争を解決する手段であった「戦争」という行為でさえ、第一次大戦後の1928年に締結されたパリ不戦条約以降、自衛以外の戦争は違法行為であると、国際的に認識されています。理由を作って、戦争を仕掛けていい時代は国際法的にも終わりを迎えています。
また日常生活を送る中で、だれかが気に入らないから殴って言い聞かせてやろう、などということは、当然のことながら許されません。
しかし、だからといって相手はこちらを害することを止めるということにはなりません。
単純に暴力に頼るという意味ではない中で、自分の身を守る手段は、自ら持っていなければ生きていくことができません。
そのような中で生きる自分のような人間は、強さや弱さを、一体どのように考えていったらいいのでしょうか。
太極武藝館の稽古をしていて感じるのは、人間の強さや弱さというのは、腕っ節の強さではなく、もっと他の部分にあるのではないかという点です。
稽古中、たとえば対練をしていてだれかに崩されたとして、そのことに関して「弱い」と非難されることは決してありません。
そもそも、試合形式のトレーニングをすることがないので、誰かと勝敗を比較して、優劣を決めるということはありません。勝ったから強い、負けたから弱いということはありません。
これは考え方を変えれば、非常に洗練されたことであるといえると思います。
武道をやっていない普通の人に話をしても、試合で勝敗を決めないのなら一体なにをやっているのか?と、なかなか理解してもらえないということは、ざらにあります。
それよりも大切なことは、どのように稽古に取り組んでいるかだと思います。もちろん結果が伴わなければ稽古をしている意味はないですが、その結果が伴うかどうかという点も、端的に言って稽古への取り組み方に左右されるのだと思います。
自分自身、稽古で壁にぶつかることはよくあることですし、自分が何にぶつかって戸惑っているのかわからず、そのためどうしていいか、打開する方法など全くわからないということもあります。
そうしたとき、どうしても普段のやりかたとして、自分を強くすることで、つまり弱い部分を突っぱねようとすることで問題の解決に当たってしまうことがあります。
本当の問題が「強くないこと」にあるのではなく「弱い」部分にあるのだということは、冷静に頭を働かせれば見えてくるのですが、問題の渦中にいる自分には、その部分が見えて来ず、すぐに結果が出そうな部分、強くあればいいという考え方にしがみついてしまうように感じます。
当然のことながら問題は解決せず、時間が経つにつれて、むしろ複雑になっていくだけに感じられるものです。
どうしたらいいかわからず、悶々とした日々を過ごす中でようやく、強くなろうとすることと弱さを知ることは全く違うことなのではないか、と思い至りました。
自分だけでわかることはできず、色々と多くの人に心配や迷惑をかけながら、そう理解させてもらえるように導いていただいたおかげだと思います。
自分がやることが何もかもうまくいかないように思え、どうしていいかわからなくなってしまったとき、師父に掛けていただいた言葉がありました。
人間というのは、進化の途上にあって弱いものだから、うまくいかないことがあって当たり前だ、と。だから、そこから逃げずに立ち向かえるかどうかで、人間が決まるのだ、と。
自分がうまくいかない原因は自分の中にあると思いながらも、それは自分の弱い部分を見ていないからではなく、自分に物事を解決していけるだけの強さがないからだ、と思い込んでいた自分には、ぱっと視界が開けるような言葉に感じられました。
ただ強くなろうとするだけだと、自分の中にある弱い部分を隠すようになり、いつのまにか、他の人から見えないように、そして何より自分から見えないように蓋をしてしまうようになります。
そうなると、問題の根本はそこにあるのに、いつしか取り繕うことばかりに労力を使うようになり、本当に必要な解決にまで力が注げなくなっていってしまうようでした。
もちろん、見える人にはそれが見えているのだと思いますが、自分は隠すことに必死になり、その弱い部分にふくまれている本当の自分が見えなくなってしまいます。
そんな中で、自分を見つめていかなければいけないことなどできるわけがありませんでした。
現状で問題が解決はしていないのですが、問題として隠していた部分には、少しだけ光が当たってきたように感じます。それがどのようになっていくのかはわかりませんが、分からずにふさぎ込んでいたときよりは、一歩前進しているのではないかと思います。
自分の中の弱さを知っていくことは、そのまま本来の自分がどのような存在であるかを知っていく過程に繋がっていると思います。
そうすることで始めて、本当に自分ができることは何なのかが、見えてくるのではないかと思います。
太極拳はだれにでも出来る、と師父は仰いますが、それが簡単には見えてこないのは、自分の中にある能力を、本当は自分自身が一番見出せていないからなのかもしれません。
特に、画一的な教育を受けてきた自分たちの世代にとって、能力とは他者との比較で測られるものであり、その中で優劣を決められるものでした。
自分の中にあるものが他者とは比べられない唯一のものであったり、また能力が伸びていく道筋や時間も唯一のものであった場合、それらの比較の仕方では、本来の能力など伸ばしていけるわけはないと思います。
そうして画一的に育てられれ評価されてきた人たちが、いざ、自分の本来の姿を見つけろと言われても、なかなか簡単にはいかないのではないでしょうか。
そこから脱却していけるかどうかが、太極拳のみならず、これからより良く生きていくために、自分も含め、多くの人々には必要になってくることではないかと思います。
そうして初めて、太極拳が理解できる土台が出来上がるのだとしたら、それに取り組まない理由はないのではないかと思います。
(了)
*次回「今日も稽古で日が暮れる/その43」の掲載は、7月22日(月)の予定です
2019年04月18日
門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その41
「動くということ」
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
最近、研究会で行われているガンハンドリングの稽古をしているときに、「体が動いていない」という注意を受けます。
師父の動きを拝見していると、銃を構えるとき、手だけの動きにならずに、わずかな動きに際しても全身が同調して動いているのが見て取れます。
振り返って自分の動きを見てみるとどうでしょうか。
鏡に自分の姿を写してみると、銃を持ち上げる腕は肩から先の動きが主であり、足腰は重く、地面に居ついているように見えます。
師父がさながら、いつでも獲物に飛び掛かることのできる動物だとすると、こちらはドッシリと待ち構え、動きのとれない置物のようにさえ見えます。
どうしてこのような違いが生まれてしまうのでしょうか。
人間が野生の中で、狩猟採集民として生活していた時代、現代人に比べて人間の体はもっと活動的であり、動く量が多かったと言われています。
考えてみれば当たり前のことですが、自分の足で動き回り、体を使って食料となる動植物を集めないことには、生活そのものが成り立ちません。
現代人の生活を見てみると、たいして体を使わなくても生きていくことができるような社会が出来上がってしまっています。
古くはギリシャ・ローマ時代の貴族たちの時でさえ、身の回りのことは全て奴隷が執り行い、自分は何もしなくても生活できるような社会になっていたらしく、それではいけない、健康によくないということで運動をするようになり、それがスポーツの起源となったという話があります。
言葉でいうと体を使う、動くという表現になっても、武術的な体の動きは、生き残るための必要性から生じたものだと思います。
それと比べ、スポーツはその成り立ちからしてすでに違うところから生じており、スポーツ的な発想では武術の体の使い方ができないというのも、頷けます。
ガンハンドリングの稽古の最中に自分が受けた注意として、「体が動かない」という点と「的当て」になってしまっているというものがあります。
スポーツとして銃を扱うのなら、的にどれだけ当たるかが争点となるので、極端な話、体など動かなくてもいいということになります。
自分の頭に染み付いてしまっている考え方の根は深く、好き好んでやろうとしているわけではなくても、どうしても出てきてしまうものです。これは、しっかりと解決していかないといけない課題です。
最近の科学的な研究によると、そもそも人間の体は、カウチソファでのんびり過ごすようには出来ておらず、体を動かしていないとその機能が低下し、健康を害するとのことです。
比較としてよく出されるのは、チンパンジーやゴリラなどの類人猿ですが、彼らは一日の運動量が、人間とくらべかなり少ないことが明らかになっています。
移動距離もせいぜい1日数キロで、移動した先で食料を食べ続けるのが主な生活です。
面白いのは、ゴリラなどはぜんぜん体を使わない生活をしていても、心筋梗塞などの生活習慣病のリスクが上がらないのですが、人間が同じ生活をすると、とたんに病気になるリスクが上昇するという研究結果です。
そもそもの構造からして、人間の体は、野生動物以上に動く必要性がある造りになっているということのようです。
逆に言えば、人間は他の野生動物以上に、動き続けることのできる動物ということです。
野生に生きる動物は、わりと止まっていることが多いのに対し、人間は一日中動き続けることのできる生き物です。それは、野生環境を生き抜く上では、かなり有利に働いたはずです。
少し話が逸れましたが、我々現代人も、体の構造という点では、野生を生きていた先祖たちと同じ造りをしており、そもそもが体を動かし続けることに特化した生き物であるはずです。
体が使われなくなった理由としては、やはり生活でその必要性がなくなったからという点が挙げられると思います。
では、戦闘状態に置かれた場合、果たして動かずに生き延びるということが可能でしょうか。
そんなことはありえない、と言えるはずです。
日常生活にどっぷりと浸かった思考からでは、たったひとつ銃を持ち上げるという動作を取っても、体を使わずに行われてしまいます。
これはどうにかしないといけません。
常々、師父に指摘して頂いている通り、一般的な日常生活の中には、危機感が不足していると思います。何かが起きたとき、とっさに動けるかそうでないかは、まさに生死を分かつ問題であるはずなのに、なかなかそれが省みられることがありません。
人間という生き物の体に対する不理解と、そこから作り上げられた社会生活にどっぷりと浸かった考え方。
日常生活の中においてさえ、それらは最終的に健康を害することにつながり、人として良く生きることを妨げることになります。
ましてや、戦闘という極限状態を考えるなら、それらは即座に命を危険に晒すことにつながるはずです。
とにもかくにも、「動けるか」どうかということは、短期的に自らの命をリスクに晒すことであり、長期的に見ても、自らをリスクにさらすことにつながる問題だと思います。
いつか、とか、いずれどうにかするではなく、今まさに解決しなければならない喫緊の問題であるはずです。
ガンハンドリングという、普通ではやらない課題を与えられることで、その中に出てくる自分の考え方が、あぶり出されるように感じます。
その課題と向き合い、解決していくことが、太極拳のみならず、生きていく上での問題とも関わっていくことになると感じます。
(了)
*次回「今日も稽古で日が暮れる/ その42」の掲載は、5月22日(水)の予定です
by 太郎冠者 (拳学研究会所属)
最近、研究会で行われているガンハンドリングの稽古をしているときに、「体が動いていない」という注意を受けます。
師父の動きを拝見していると、銃を構えるとき、手だけの動きにならずに、わずかな動きに際しても全身が同調して動いているのが見て取れます。
振り返って自分の動きを見てみるとどうでしょうか。
鏡に自分の姿を写してみると、銃を持ち上げる腕は肩から先の動きが主であり、足腰は重く、地面に居ついているように見えます。
師父がさながら、いつでも獲物に飛び掛かることのできる動物だとすると、こちらはドッシリと待ち構え、動きのとれない置物のようにさえ見えます。
どうしてこのような違いが生まれてしまうのでしょうか。
人間が野生の中で、狩猟採集民として生活していた時代、現代人に比べて人間の体はもっと活動的であり、動く量が多かったと言われています。
考えてみれば当たり前のことですが、自分の足で動き回り、体を使って食料となる動植物を集めないことには、生活そのものが成り立ちません。
現代人の生活を見てみると、たいして体を使わなくても生きていくことができるような社会が出来上がってしまっています。
古くはギリシャ・ローマ時代の貴族たちの時でさえ、身の回りのことは全て奴隷が執り行い、自分は何もしなくても生活できるような社会になっていたらしく、それではいけない、健康によくないということで運動をするようになり、それがスポーツの起源となったという話があります。
言葉でいうと体を使う、動くという表現になっても、武術的な体の動きは、生き残るための必要性から生じたものだと思います。
それと比べ、スポーツはその成り立ちからしてすでに違うところから生じており、スポーツ的な発想では武術の体の使い方ができないというのも、頷けます。
ガンハンドリングの稽古の最中に自分が受けた注意として、「体が動かない」という点と「的当て」になってしまっているというものがあります。
スポーツとして銃を扱うのなら、的にどれだけ当たるかが争点となるので、極端な話、体など動かなくてもいいということになります。
自分の頭に染み付いてしまっている考え方の根は深く、好き好んでやろうとしているわけではなくても、どうしても出てきてしまうものです。これは、しっかりと解決していかないといけない課題です。
最近の科学的な研究によると、そもそも人間の体は、カウチソファでのんびり過ごすようには出来ておらず、体を動かしていないとその機能が低下し、健康を害するとのことです。
比較としてよく出されるのは、チンパンジーやゴリラなどの類人猿ですが、彼らは一日の運動量が、人間とくらべかなり少ないことが明らかになっています。
移動距離もせいぜい1日数キロで、移動した先で食料を食べ続けるのが主な生活です。
面白いのは、ゴリラなどはぜんぜん体を使わない生活をしていても、心筋梗塞などの生活習慣病のリスクが上がらないのですが、人間が同じ生活をすると、とたんに病気になるリスクが上昇するという研究結果です。
そもそもの構造からして、人間の体は、野生動物以上に動く必要性がある造りになっているということのようです。
逆に言えば、人間は他の野生動物以上に、動き続けることのできる動物ということです。
野生に生きる動物は、わりと止まっていることが多いのに対し、人間は一日中動き続けることのできる生き物です。それは、野生環境を生き抜く上では、かなり有利に働いたはずです。
少し話が逸れましたが、我々現代人も、体の構造という点では、野生を生きていた先祖たちと同じ造りをしており、そもそもが体を動かし続けることに特化した生き物であるはずです。
体が使われなくなった理由としては、やはり生活でその必要性がなくなったからという点が挙げられると思います。
では、戦闘状態に置かれた場合、果たして動かずに生き延びるということが可能でしょうか。
そんなことはありえない、と言えるはずです。
日常生活にどっぷりと浸かった思考からでは、たったひとつ銃を持ち上げるという動作を取っても、体を使わずに行われてしまいます。
これはどうにかしないといけません。
常々、師父に指摘して頂いている通り、一般的な日常生活の中には、危機感が不足していると思います。何かが起きたとき、とっさに動けるかそうでないかは、まさに生死を分かつ問題であるはずなのに、なかなかそれが省みられることがありません。
人間という生き物の体に対する不理解と、そこから作り上げられた社会生活にどっぷりと浸かった考え方。
日常生活の中においてさえ、それらは最終的に健康を害することにつながり、人として良く生きることを妨げることになります。
ましてや、戦闘という極限状態を考えるなら、それらは即座に命を危険に晒すことにつながるはずです。
とにもかくにも、「動けるか」どうかということは、短期的に自らの命をリスクに晒すことであり、長期的に見ても、自らをリスクにさらすことにつながる問題だと思います。
いつか、とか、いずれどうにかするではなく、今まさに解決しなければならない喫緊の問題であるはずです。
ガンハンドリングという、普通ではやらない課題を与えられることで、その中に出てくる自分の考え方が、あぶり出されるように感じます。
その課題と向き合い、解決していくことが、太極拳のみならず、生きていく上での問題とも関わっていくことになると感じます。
(了)
*次回「今日も稽古で日が暮れる/ その42」の掲載は、5月22日(水)の予定です
2019年02月19日
門人随想 「日の出」
by 拝師正式門人 西 川 敦 玄
平成31年が始まりました。平成最後の年で新しい年号が始まる年です。筆を走らせている今、いささか時期を逸しているのですが、歳の瀬から年始にかけての風景を眺めてみます。
毎年年が明けると清々しい気持ちになります。家族、親族、人によっては友人と、あるいは一人で夜半を過ごし、歳を越し、翌朝には初日の出を拝みます(私は実際には上がってしまった日を拝んでいるのですが)。一年の区切りをつけて、新しい一年に向けて思いを新たにします。では、お正月とは特別な一日なのでしょうか。
日の出という現象は、ご存知のように地球の自転によって太陽光が東より差し込む現象です。地球を俯瞰する視点に立てば、日が出るとの表現は正確ではありません。日が出る(昇る)というのは、自分という視点から入光を表現したものです。初日の出とは北半球において考えると、地軸が太陽と遠ざかるように最大限に傾いた太陽と地球の関係(冬至)から、地球が9回ほど自転した時期において、ある時点での太陽光の照射開始時とでも言えば良いでしょうか。こうしてみると、太陽暦の1月1日に天文学的視点で特別な意味はなさそうです。
それでも、私たちは地球が太陽のまわりを一周回った記念のひとして、次の公転にむけて気持ちを新たにしているわけです。
一方で、文化的な側面に向けてみれば、1月1日が特別な日であることに異論を唱える人は少ないはずです。 日の出は日常で繰り返される現象ですが、大晦日から正月にかけてのそれは、世界中で非日常的な一日として過ごすことが多いのではないでしょうか。
しかし、10年、20年と月日が経てば、幼少期には非日常の風景であったものが、年中行事として予定された行事、日常のイベントの一つとなります。一生を考えると何十回となく経験するわけですし、同じ民族でいえば、何百回となく経験してきている日常の風景とも言えます。
お正月の行事、初日の出、初詣が非日常ではないとすると、日常や非日常といった考え方も簡単には捉えられないものと思ったほうが良いでしょう。
では、反対に日常の生活を決まったように送るということは、日常的なのでしょうか。
ここで、いささか極端な例を思いだしました。
ドイツの哲学者にカントという人がいます。著作はあまり読んだことが無いのですが、学術的業績のほかに、規則正しい生活習慣で知られた人です。
有名な逸話だと思いますが、彼の日常は細部まで日々同じように送り、散歩の道まで決まっていたそうです。そして、散歩の道沿いに住んでいる人はその姿をみて時計の狂いを直したと言われているエピソードがあります。
日常の生活が日々を決まったように過ごすことと仮定するならば、これなどは、もっとも毎日を日常的に生きていると言えると思います。しかし、これを誰も真似できませんし、私達の生活では規則正しく毎日物事が進むことはありえない訳です。
このようにカントの如く日常を過ごすことは、私たちにとっては非日常と言えると思います。しかし、強制的に時間を整えることに鍵があるわけではないでしょう。そこを非日常の要点とみると、日常性と非日常を取り違えそうです。
それでは、何が日常を非日常たらしめているのでしょうか。そこには、意志の力、積極的に自己を日常に関わらせていく力の働きがあるのだと思います。そして、面白いことに、まるで型にはまるような日常性のなかでの意志の発露こそが、非日常性を発揮する要点のようにみえます。
では、私たちの日常生活はどのようなことで成り立っているのでしょう? 、日々の生活では、立ったり座ったり、歩いたり、走ったりすることがあります。
・・ん?!、 もしかして、以下のように言いかえても不自然ではないかもしれません。
私たちの稽古では、立ったり座ったり、歩いたり、走ったりすることがあります。そうです。いつもの稽古です。私達が四苦八苦している、あの稽古です。
元日をお正月の特別な一日として過ごすことをしてみても非日常とはならないように、稽古を特別なイベントとして行っても、非日常にはならないでしょう。つまり、稽古に出たときに(平日に対するお正月のように)、特別な歩き方をすることが非日常の歩き方ではないと思います。先ほど見たように、そこに意志の発露があることで、非日常性を発揮するのだと思います。
しかし、如何に意志の力の発露が大事とはいえ、稽古にでている特別な環境が、意識を非日常に向かわせてくれることに変わりはありません。また、一年の節目になる日も同様に特別な環境です。
今年も例年と同じように年が明けて、新しい年が始まりました。
平成最後の歳の始まりを、私は新鮮な気分で、厳かに、希望をもって迎え、前に進んでいきたいと思っています。
(了)
平成31年が始まりました。平成最後の年で新しい年号が始まる年です。筆を走らせている今、いささか時期を逸しているのですが、歳の瀬から年始にかけての風景を眺めてみます。
毎年年が明けると清々しい気持ちになります。家族、親族、人によっては友人と、あるいは一人で夜半を過ごし、歳を越し、翌朝には初日の出を拝みます(私は実際には上がってしまった日を拝んでいるのですが)。一年の区切りをつけて、新しい一年に向けて思いを新たにします。では、お正月とは特別な一日なのでしょうか。
日の出という現象は、ご存知のように地球の自転によって太陽光が東より差し込む現象です。地球を俯瞰する視点に立てば、日が出るとの表現は正確ではありません。日が出る(昇る)というのは、自分という視点から入光を表現したものです。初日の出とは北半球において考えると、地軸が太陽と遠ざかるように最大限に傾いた太陽と地球の関係(冬至)から、地球が9回ほど自転した時期において、ある時点での太陽光の照射開始時とでも言えば良いでしょうか。こうしてみると、太陽暦の1月1日に天文学的視点で特別な意味はなさそうです。
それでも、私たちは地球が太陽のまわりを一周回った記念のひとして、次の公転にむけて気持ちを新たにしているわけです。
一方で、文化的な側面に向けてみれば、1月1日が特別な日であることに異論を唱える人は少ないはずです。 日の出は日常で繰り返される現象ですが、大晦日から正月にかけてのそれは、世界中で非日常的な一日として過ごすことが多いのではないでしょうか。
しかし、10年、20年と月日が経てば、幼少期には非日常の風景であったものが、年中行事として予定された行事、日常のイベントの一つとなります。一生を考えると何十回となく経験するわけですし、同じ民族でいえば、何百回となく経験してきている日常の風景とも言えます。
お正月の行事、初日の出、初詣が非日常ではないとすると、日常や非日常といった考え方も簡単には捉えられないものと思ったほうが良いでしょう。
では、反対に日常の生活を決まったように送るということは、日常的なのでしょうか。
ここで、いささか極端な例を思いだしました。
ドイツの哲学者にカントという人がいます。著作はあまり読んだことが無いのですが、学術的業績のほかに、規則正しい生活習慣で知られた人です。
有名な逸話だと思いますが、彼の日常は細部まで日々同じように送り、散歩の道まで決まっていたそうです。そして、散歩の道沿いに住んでいる人はその姿をみて時計の狂いを直したと言われているエピソードがあります。
日常の生活が日々を決まったように過ごすことと仮定するならば、これなどは、もっとも毎日を日常的に生きていると言えると思います。しかし、これを誰も真似できませんし、私達の生活では規則正しく毎日物事が進むことはありえない訳です。
このようにカントの如く日常を過ごすことは、私たちにとっては非日常と言えると思います。しかし、強制的に時間を整えることに鍵があるわけではないでしょう。そこを非日常の要点とみると、日常性と非日常を取り違えそうです。
それでは、何が日常を非日常たらしめているのでしょうか。そこには、意志の力、積極的に自己を日常に関わらせていく力の働きがあるのだと思います。そして、面白いことに、まるで型にはまるような日常性のなかでの意志の発露こそが、非日常性を発揮する要点のようにみえます。
では、私たちの日常生活はどのようなことで成り立っているのでしょう? 、日々の生活では、立ったり座ったり、歩いたり、走ったりすることがあります。
・・ん?!、 もしかして、以下のように言いかえても不自然ではないかもしれません。
私たちの稽古では、立ったり座ったり、歩いたり、走ったりすることがあります。そうです。いつもの稽古です。私達が四苦八苦している、あの稽古です。
元日をお正月の特別な一日として過ごすことをしてみても非日常とはならないように、稽古を特別なイベントとして行っても、非日常にはならないでしょう。つまり、稽古に出たときに(平日に対するお正月のように)、特別な歩き方をすることが非日常の歩き方ではないと思います。先ほど見たように、そこに意志の発露があることで、非日常性を発揮するのだと思います。
しかし、如何に意志の力の発露が大事とはいえ、稽古にでている特別な環境が、意識を非日常に向かわせてくれることに変わりはありません。また、一年の節目になる日も同様に特別な環境です。
今年も例年と同じように年が明けて、新しい年が始まりました。
平成最後の歳の始まりを、私は新鮮な気分で、厳かに、希望をもって迎え、前に進んでいきたいと思っています。
(了)