*第41回 〜 第50回

2010年08月01日

連載小説「龍の道」 第50回




 第50回 綁 架(bang-jia)(1)


 その夜、宏隆は久しぶりに圓山大飯店のホテルに戻り、徐さんと夕食を共にするために、早速ホテルにある広東料理のレストラン「金龍庁餐庁」へディナーの予約をした。
 そもそも、圓山大飯店というホテル自体が、台湾の迎賓館のような役割を担ってきたものであり、中華民国総統の就任披露宴や、海外から訪れる国賓の宿泊にも使われてきた。
 この金龍庁餐庁もまた、台湾で最高級と言われる料理を饗するレストランであり、普段は世界中からやって来る食事付き団体ツアー客で賑わっているが、台湾を訪問する政治家や著名人などもわざわざ立ち寄るほどであるという。

 ─────あの時、確かに宏隆は徐に「お礼にぜひ一緒に食事をさせてほしい」と言ったのだが、どこか近くの屋台で担仔麺や大根餅でもつっつきながら親しくお礼を言うつもりが、宗少尉の「圓山大飯店の高級料理など、滅多に味わえないからそうしなさい」という一言で徐を金龍庁に招待することが決まってしまった。
 相手の徐もまだ若いとは言え、初めは宏隆も、年下の自分がそんな高級料理をご馳走することに躊躇(ためら)いを感じたが、せっかく宗少尉が勧めてくれたことでもあり、ここは成り行きに任せようと思ったのである。
 それに、初めて張大人宅を訪問する際に腹拵えに頼んだ飲茶の味を思い出すと、ディナーともなれば一体どんな料理が饗されるのか、生来の食いしん坊である宏隆には、この機会がとても楽しみでもあった。

 宏隆は窓際の席を予約した。金龍庁レストランには席が二百もあるが、台北の景色が一望できる窓際の席はそう多くはない。普通ならそれを当日に予約することは難しいが、ホテルとしては当然宿泊客が優先であり、加えてこのホテルは玄洋會と何らかの繋がりがあるので、ボーイに身を俏(やつ)している程さんに予約を取ってもらって、それが可能となったのである。

 「淡水川を望む、見晴らしの良い窓際の席を・・」と、レストランの予約を程さんにお願いすると、「まるで美しい女性(ひと)でも招待するみたいですね」とからかわれたが、
 「お易いご用ですよ、今日はどういうわけか見張りが一人も居ないようですし、それに新入りとは言え、訓練成績の良い徐が一緒なら、私も安心ですし・・」と言われた。 
 宏隆にしてみれば最近組織に入ったばかりの若い徐とは話もしやすいし、強の良き ”弟分” として可愛がられている徐と親しくなることが出来れば、同じ玄洋會の人間として、少しは ”兄貴分” の強とも真面(まとも)な付き合いが出来るようになるのではないか・・それに、どうせ楽しく食事をするなら見晴らしの良い席の方がいい、今日は自分を見張っている奴らも居ないことだし・・・と思えたのである。


 金龍庁餐庁─────ゴールデン・ドラゴン・レストランは、圓山大飯店の二階奧にある。
 ホテルの正面玄関からこのレストランまでの道のりは、赤い巨大な円柱に真紅の毛氈と、至る所に漢民族文化の象徴である龍をはじめ、獅子、梅の花などが配され、中国的な彫刻や螺鈿などの工芸と、天井から吊り下げられた絢爛豪華な角灯、紅い欄干付きの階段などが、まるで故宮の内部を歩いているような絢爛豪華な雰囲気を醸し出し、先日の士林夜市の雑踏と比べれば、正しく龍宮にでも迷い込んだような心地がする。

 レストランの入口では「金龍」の名のとおりに、金色に輝く三枚爪の龍が出迎える。
 余り知られてはいないが、実はこの龍は、かつてこの地に存在した「台湾神宮」の境内に在った銅製の龍の像であった────それを誰かが密かに保管し、後に24金メッキまで施されて、このレストランの入口に飾られるようになったのである。

 かつて日本が統治した時代には、この地に総檜造りの「台湾神社」が存在していた。
 社格も高く、台南へ出征中に薨去した北白川宮能久親王を始め、開拓三神と呼ばれる大国魂命、大己貴命、少彦名命が祀られ、後に天照大神を増祀して「台湾神宮」と改称された。
 1923年に皇太子(後の昭和天皇)が台湾に行啓した際には延長3.2kmの勅使街道が参道として造られ、その道は今も「中山北路」として使われている。
 また円山大飯店の駐車場には社務所近くの遺構である日本風の石垣が残されており、巨大な中国式の門の傍には、元は「台湾神宮」の境内に在ったと思われる一対の大きな狛犬が、ホテルの守り神のように飾られている。


 ─────またまた話が脱線するが、この物語の今後の展開にも関わってくることでもあるので、ここで日本人に余り知られていない、「圓山大飯店」の創立にまつわるエピソードをお話ししておこうと思う。
 筆者がそれを調べるきっかけとなったのは、この「圓山大飯店」は蒋介石夫人の宋美齢が ”無許可” で建てたホテルだという話を小耳に挟んだからである。

 日本が連合国に敗れてからは、かつて清国から割譲された台湾の土地、建物、銀行、企業など、日本の資産は全て、国民党が支配する中華民国台湾省政府が管轄する資産として接収され、台湾に在った各地の神社もすべて取り壊されることになった。
 この「台湾神宮」の跡地もまた台湾省政府の財産として接収されたが、やがてある人が大抜擢され、この地に「台湾大飯店」というホテルを建てるから経営せよと命じられた。

 その人物の名を、何是耕(か・ていこう)さんという。
 何是耕さんは1919年台中生まれ。'39年に東京に行って日本大学に入学し、卒業してからは持ち前の語学力を活かして、中国の開封市で日本総領事館の外交官として通訳を務めた。 
 大陸では'46年に国民党が「国共内戦」に突入したので、命からがら台湾へ戻り、日本統治時代に整備された台中の学校で英語教師をしていたが、同じ教員の女性と結婚した後、日本交通公社の台湾支社を前身とする「台湾省交通処」が管轄する「台湾旅行社」へと転職した。
 ここで勤務成績や人柄を買われ、やがて台北支社に転属して「台湾大飯店」というホテルの創立準備を一任されるようになり、創立後は支配人として経営を任されることまで決まっていた。

 「台湾大飯店」は1951年に竣工・開業をし、営業も順調であったが、翌年の5月に突然上司から連絡が来て、このホテルを台湾省の官営から独立させ、ある民間団体の経営にする移管手続きを行うので、急いで引き継ぎの準備をするように命じられる。
 何是耕さんにとって正に寝耳に水の話であったが、その引き継ぎの相手である民間団体の代表は「徐潤勲」という、蒋介石夫人・宋美齢の秘書であった。
 こうして何是耕さんが支配人となった「台湾大飯店」は、わずか一年ほどで民営化され、ホテルも丸ごと大改築されて、その名も「圓山大飯店」と改められた。中国の宮殿を思わせるこのホテルの建築デザイナーは、蒋介石やその夫人に認められ、故宮博物院や中正紀念堂のデザインを手がけた「楊卓成」であった。

 台湾神宮の跡地であり、台湾省政府が管理するホテルの敷地は、現在も変わらず国有地のままであるが、この土地は現在もその民間団体によって管理されている。
 また「台湾大飯店」の建設に当っては、日本統治時代の莫大な資産が遺されていた「台湾銀行」を国民党政府がそっくり接収して経営していた同名の「台湾銀行」が巨額の出資をしていたのだが、そのまま勝手に「圓山大飯店」に建て替えられており、しかもそれについて政府が何ひとつ追求せず、放置している状態が六十年も続いている。
 これは、国有地である場所に、国費を投じて建設した国営ホテルという国家資産を、民間に払い下げるわけでもなく、ただ管理と運用の権利を民間団体に移譲するという極めて特殊なケースであった。
 しかし、この民間団体がいったい誰の経営であるのか、誰もが同じことを想像し、同じ人物に行き当たっていた。そう、この団体は「宋美齢の側近たち」が経営する団体であり、このホテルは一夜にして宋美齢とその一族の私的財産となったのである。
 しかし、その団体の経営者の何処にも宋美齢本人の名前は見当たらず、圓山大飯店の関係者にも名を連ねてはいない─────正に、台湾省政府と国民党の一党独裁体制の姿が如実に浮彫にされている話ではある。

 ──────さて、「台湾大飯店」を追われた何是耕さんは元の「台湾旅行社」に戻ることになったが、やがてそれが民間に払い下げられたのをきっかけに、1961年4月1日、有志社員15名と共に「東南旅行社」を新たに設立した。資本金はその15名の退職金だったというから、言わば社員全員が共同経営者であり、もう政府や国民党の顔色を窺うことなく、ただ直向きに旅行代理店としての彼らの実力を遺憾なく発揮すればそれで良かった。社長となった何是耕さんの経営理念は「周到なサービスと、誠心誠意のガイド」であった。
 この「東南旅行社」は台湾最大の旅行代理店として現在も業務が続いており、近年では、日本のJTBと合弁会社をつくって日本人観光客の受け入れを大々的に進めている。
 考えてみれば「台湾旅行社」は元々日本の「交通公社=JTB」であったのだから、何是耕さんたちの「東南旅行社」は、立派にその後を継いだ正統な後継者なのである。

 1945年、ポツダム宣言で日本が降伏調印した後、台湾は国民党政府に明け渡され、日本軍は中国本土から撤退し、国民党政府は大陸の一部と台湾を共に領土とした。
 しかし国民党政府はソ連が支援する中国共産党に対する劣勢を挽回できず、結局は『国共内戦』に敗れて台湾に落ち延びることになる。
 その後、およそ五十年の永きにわたり、国民党は与党として台湾の政権を担ってきたが、1996年の『総統民選体制』の始動によって、ついに一党独裁の体制に幕を下ろし、2000年の総統選挙では民進党の「陳水扁」に敗れて初めて野党となり、翌年には議会でも第二政党となった。李登輝総統が本土化(中華民国を台湾人による台湾の政権と位置付ける概念)と民主化を強力に推進してきた結果であった。
 2005年には陳水扁に敗れた国民党主席の「連戦」が北京を訪問し、共産党総書記で国家主席の「胡錦濤」と実に六十年ぶりの国共両党トップ会談が行われ、『台湾の独立に反対する』という認識で一致協力することを確認し合ったという。
 しかし、2008年には、降って湧いたような数々のスキャンダルと、機密費流用容疑による逮捕によって陳水扁が完全に失脚し、国民党主席の「馬英九」が中華民国総統に選出され、八年ぶりに国民党が政権与党に返り咲いたことは記憶に新しい。
 
 ────日本が台湾を統治した期間中に、緻密なインフラの整備によって台湾全土に蓄積された莫大な資産は、敗戦と共に「中華民国=国民党政府」に全て接収され、’50年代以降には上述のケースのように、どんどん民間にも払い下げられていった。
 それらの資産の殆どは、国民党系の政治家と財界人たちがタダ同然で手に入れ、近代台湾の高度経済成長の中で、その資産価値を巨大に膨らませていったのだが、それこそが五十年にもわたる「国民党」の金権政治の一大基盤となったことは論を俟たない。



 閑話休題──────

 宏隆は、約束の時間よりもかなり早く、金龍庁レストランに行った。
 夕暮れに染まり始めた淡水川の流れを眺めながら、ゆっくりと待つことにしたのである。

 圓山大飯店は、剣澤山の稜線が淡水川に向かって岬のように迫り出してきた丘陵地帯の先端にある、小高な円い丘の上に建てられている。
 先史時代、ここには台北湖という湖が広がり、圓山はその中にある小島であった。
 日本統治時代に東京帝国大学がこの地を発掘調査した際に、台湾では珍しい多文化層遺跡が発見された。紀元前2800年から紀元前500年にかけて「圓山文化」というものが存在していたことが判明したのである。圓山西麓では貝塚が発見され、次いで玉器、陶器、骨角器、墓葬跡などを次々に発掘し、台湾の人類学に多大な貢献をした。現在も台湾大学には、細密な発掘調査を行った伊能嘉矩や宮村栄一の膨大な研究資料を蔵した「伊能文庫」が存在している。


 ──────さて、金龍庁の入口に鎮座する金色の龍が、曾てこの地に存在した「台湾神宮」の歴史的な遺物であるということなど、いまの宏隆には知る由もないが、あの激動の時代に台湾総督府に赴任していた彼の祖父も、それに同行した祖母も、そしてこの台北で生まれた父親も、同じ圓山の地を訪れ、祖国日本と、日毎に西欧列強に追われる亜細亜の行く末に思いを馳せながら台湾神社に参拝し、この同じ景色を眺めていたに違いないのである。

 そして、その所為かどうかは分からないが──────眼下に淡水川を望み、台北の街を一望するこの席に座っていると、その風光の優しさとは裏腹に、宏隆の血液のどこかが無性に騒いでいるような気がしてならなかった。


「ヒロタカさん!・・・・いやぁ、お待たせして済みません!」

 入口の方から足早に近寄ってきた徐が、窓の外を見ている宏隆に向かって声を掛けた。

「いいえ、僕が少し早めに来ていたかったものですから・・・」

 立ち上がってそう言いながら時計を見ると、まだ約束の時間までには10分近くもある。

「・・どうも、わざわざ来て頂いてありがとうございます」

「いやいや、とんでもない・・・私の方こそ、こんなスゴイところへ呼んでもらって、何だか緊張してしまいますよ」

 あちこちキョロキョロと眺めながらそう話す徐は、そうは言っても、別におどおどしているわけではなかった。ネクタイこそしていないが、筋肉質の引き締まった体の上に、洗濯をしたばかりのシャツと薄いベージュの上着を羽織って、訓練場での徐とはまるで見違えてしまうような、こざっぱりとした出で立ちである。

「徐さんは、ここは初めてですか?」

「いや、初めても何も・・・こんな高級ホテルは遠くから眺めるだけで、あの巨大な門を潜ろうと思ったことさえありません。私は大家族の貧しい家の五男坊で、台風が来れば吹き飛んでしまうような荒家(あばらや)に生まれたので、こんな宮殿のような所は、見るだけでビビッてしまいます・・・」

「本当は屋台のようなところで、ざっくばらんにお話がしたかったのですが、宗少尉が此処にしなさいと言ったので、ついそのまま─────却(かえ)って済みませんでした」

「いや、そんな・・・実は、そうは言っても、ここの高級料理がどんなものか、こんな機会を逃したら一生食べられない!、と思って、張り切って来たのですよ、あははは・・・」

「あはははは・・・・」

 やはり、良い人なのだ─────と、宏隆は思った。
 初対面の相手をあっというまに信頼させてしまうような、そんな律儀で暖かな人間性がこの徐さんには感じられる。貧しい家の生まれと言ったが、どのような苦労を経てか、きちんとした教養を積んできていることも、その素朴な言葉の端々には窺えるのである。

「ところで・・・・昼間は、強さんと険悪なムードになったところを助けて頂いて、本当にありがとうございました」

「・・あ、いやいや、それこそ・・助けたなどと言って頂くような事ではありません。
 ただ、強さんは新入りの私をとても可愛がってくれる優しい兄貴分なので、ヒロタカさんと口論しているのを見て、何だか寂しくて遣り切れなかったので、つい口を挟んでしまったのです・・・私こそ、横から口出しをして失礼しました」

「強さんは日本人が嫌いなようで、以前にも一度、あの場所で一悶着あったのです」

「そうでしたか・・・強さんも、別にヒロタカさんが憎いワケではないのでしょうけれど、その昔、お父さんだか、お祖父さんだったかが、日本軍に殺されたとかで・・・・」

「陳中尉にそのお話を伺いました。何でも抗日戦線グループのリーダー格だったとかで・・僕の祖父は総督府に勤務していましたから、これも何かの御縁かもしれません」

「哀しい歴史ですね─────人は誰も好んで殺し合いをするわけではないのに・・・」

「・・あ、済みません、食事にお付き合いしていただきながら、こんな話ばかり・・・
 いま、すぐにメニューを持ってこさせます」

 会った早々そんな話になってしまったので、宏隆は慌てて手を挙げてウエイトレスを呼び、自分でメニューを開いて徐に渡した。

「うわぁ・・こりゃすごいや─────当たり前ですが、やっぱり自分が其処らの屋台で掻き込んでいるような料理とはワケが違いますね。ヒロタカさんは、いつもこのレストランで食事を召し上がっているのですか?」

「実は台湾に来て、今日初めて、このレストランに入ったのです・・・」

「・・えっ?、だって、ここの上階に泊まっているのでしょう?」

 よく自分がこのホテルの ”上階” に泊まっていることを知っているなぁ、と思ったが・・・まあ、誰かから聞いたのだろうと、宏隆は気にも留めなかった。

「はい、そうなのですが・・・初日にルームサービスで此処の飲茶をつまんだだけで、あとは士林夜市で散々走り回ったあげく、屋台で歓迎料理を食べ、白月園の宿舎で明珠さんの手作りの朝食を食べ・・・晩メシは近所の食堂の ”担仔麺” が主でした」

「明珠さんの朝食はともかく・・・それは勿体ないなぁ!」

「・・でしょう?、だから僕も、実は今夜はとても楽しみだったのです!!」

「あははは・・何だか、ヒロタカさんと話をしていると、日本の上流家庭の御曹司だなんてとても思えませんね」

「自分でも全然そう思っていませんから、どうかそんなイメージを持たないで下さい。
 小さい頃は、余りに身なりを構わなかったので、友達から ”北野の乞食” なんて呼ばれたほどでしたからね!」

「乞食ですか?・・そりゃすごい!・・・わはははは・・・・・」

「あははははは・・・・・・」

 宏隆は、徐とは気が合う、と思った。
 少なくとも宏隆にとっては、そう思えたのである────────


                                (つづく)

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2010年07月15日

連載小説「龍の道」 第49回




 第49回 訓 練(8)


 明珠さんの手作りの朝食は、見た目にもとても美味しそうで、元気が出る。
 料理そのものだけではなく、よく見ればそれは、食卓に飾られた生花や選ばれたテーブルクロス、様々な国のエキゾチックな食器たちが名脇役として食欲に働きかけ、そして何よりも明珠さんのお人柄がそれらを彩っていることが分かる。

 明珠さんは朝食によくお粥をつくる。一般的な中国粥よりも米の分量が多く、豆乳が入った美味しいお粥は身体を芯から温め、目覚めさせてくれる。
 おかずには菜脯蛋(ツァイプータン)という切干大根の入った卵焼きと、甜不辣(ティェンプーラー)という野菜入りの薩摩揚げ、強烈な臭いで有名な臭豆腐(チョウドウフ)を油で揚げたものが添えられ、加えてたっぷりの野菜サラダと、様々な種類の豆が入ったビーンズ・スープが出て、京都の「瓢亭」の朝粥などとはもちろん趣が異なるが、立派な台湾版「明珠亭」の朝粥定食である。
 「甜不辣」は、九州で ”天ぷら” と呼ぶ薩摩揚げが台湾に伝わり、そのままティエンプーラーと呼ばれるようになったという。また「臭豆腐」は猛烈に臭いものだと思っていたが、揚げてあればあまり気にならない。フランスの何とかいうチーズや果実のドリアンの方がよっぽど猛烈な臭いだったと思える。
 暑い夏でも温かい料理を食べるのは大切なことで、朝は最もしっかりと食事を摂らなければいけない、だからたくさん食べなさいと明珠さんが言ってくれる。
 食後にはパパイヤと牛乳を混ぜた飲み物が出された。南部の高尾にある「高尾牛乳大王」がその元祖だと云うが、日本の銭湯などで見られる「フルーツ牛乳」のルーツは、以外とこんな所にあるのかも知れない、と思った。


 食事が終わって一息つくと、いつものように地下の訓練場に向かう。
 先ほどの起き抜けのトレーニングもそうであるが、宏隆は朝の訓練を好んだ。

 朝は、昨日までの悩みや滞りが眠っている間にすっかり四散解消して、身も心もクリアーに、清新になっているような気がする。
 常に新しく、生まれ変わったように物事に接しなければ物事はトータルに自分に入ってこない、とK先生に言われて以来、宏隆は毎日朝を迎える度に、自分が真新しく生まれ変わったことが感じられるよう努めていた。
 新しい夜明け、新しい朝・・・そして未だ何ものにも染まらぬ真新しい自分を感じようとすることで、世の中の営みや物事の成り立ちが若い宏隆の魂に常に新鮮に映り、先入観無くそれらに触れられるようになってきたのである。

 この射撃場に立つのも、今日で四日目になる・・・・もうすっかり宏隆の手に馴染んだ ”ベレッタM92” は、彼の手にはやや大き目のグリップも、あまり気にならない。

 銃のフィールド・ストリッピングも陳中尉から教わった。銃を分解して部品を綺麗にし、また元通りに組み立てる訓練である。分解と組み立ては、定期的な整備は無論のこと、弾丸がジャミング(詰まる)した時や、土砂や海水にまみれた時には絶対に必要となる。戦場ではメンテナンスに出す所もない。身を守る武器は自分で整備するしかないのだ。
 この数日間、部屋に銃を持ち込んで繰り返したお陰で、もう宏隆は目をつぶっていてもそれを素早く正確に出来るようになっていた。
 宏隆は、銃がこれほど容易に分解できることに先ず驚いたが、自分で分解してみて初めて、片手で持てる小さな拳銃が、実はこのような優れたメカニズムで構成されていることにとても驚かされた。
 そしてメカニズムを正しく知るにつれて、射撃の内容までが全く違ってきた。
 銃がどのように動きたがっているか、どのように弾丸をチェンバーに送り、どのように発射させようとしているのか。スライド・アクションのクセはどうか、バレル(銃身)の6条右回りのライフリング(旋状腔)を、弾丸がどのように通過していくのか・・・
 宏隆はもう、そんな銃の息遣いさえ感じ始めていた。

 まだ朝の8時だが、もう訓練場には次々に玄洋會の戦闘要員がやってくる。
 射撃訓練の際には、その人間がブースから離れた時以外は、集中を乱さぬよう、また危険を回避するためにも、互いに声を掛け合うことはなかった。

 ふたつのマガジンに弾丸を装填し、そのひとつをグリップに挿し込んでスライドを引き、初弾をチェンバーに送り込む。このような準備の操作は、まるで銃を長年扱い慣れている人間のように、淀みなくスムースに行えるようになった。

 ゴーグルとヘッドセットを装着し、標的の距離を決めて、先ずは一発ずつ、着実に撃つ。
 弓道の名手・阿波研造の話を聞いてからは、宏隆の中で物事への向かい方が変わった。
 それは何も射撃に限ったことではなく、他のトレーニングをしていても、お茶を飲んでいても、食事をしていても、すべて同じことであった。

 マガジンが空になるまで撃ち、標的を手前に戻して成果を見る。
 三日前よりは、より標的の中心に弾丸が集まるようになってきた。中にはギリギリに重なっているものもあるが、まだ陳中尉のようにピタリと重なるものは無い。


「うーん・・やっぱり、まだまだ下手クソだなぁ・・・・」

 撃った標的を手許に引き寄せて眺めながら、そう独り言(ご)ちていると、

「・・あら、そんなコトないわよ!」

 突然後ろから思いがけない人の声がしたので、宏隆は慌てて振り返った。

「あ、宗少尉・・・!!」

「Good Morning, ヒロタカ!・・ご機嫌はいかが?」

 相変わらず、宗少尉は美しい。そして、こんな殺風景な地下の訓練場で見る宗少尉は、何だか神秘的にさえ見えて、ワケもなくドキドキしてしまう。

「・・あ、元気です、そりゃもう、絶好調です・・・随分お久しぶりですね!」

「久しぶりって、今週の火曜に会ったばっかりよ?
 今日は8月12日の土曜日だから、水、木、金、土・・・まだ四日目じゃない?!」

「あ、そうか・・台湾に来てから、時間や曜日の感覚が無くなってしまって・・・」

「そうでしょうね・・台湾に来る船の上から、すでに色々と始まってしまったから・・・
 まあ、とても充実した日々を過ごしている、ってコトかしらね!」

「ホントにそうです、たった十日ほどの間に、三年も経ったような気がしますよ」

「・・それじゃ、まるで ”邯鄲の夢” みたいね!」

「邯鄲の廬生(ろせい)さんと違っているところは、それが栄枯盛衰の夢ではないってコトですね。まるで見習いの仙人が、珍事変事の悪夢にうなされているような・・・・」

「あはは・・・面白いことを言うわね。
 ヒロタカは男らしくて、知的で、ユーモアのセンスもあって・・・とても素適よ!」

 美しい女性から唐突にそんなことを言われると、さすがの宏隆もドギマギする。
 それでなくても、「とても素適よ!」と目を細めて微笑む宗少尉がドキリとするほど魅力的なので余計に困り、危うく、この三日間の射撃の訓練に集中し続けてきた自分を何処かへ忘れてしまいそうになってしまう・・・

「さ・・さあっ・・もういっちょう行くかぁっ・・・!」

 どこかが弛んで甘くなりそうな自分を一気に振り払うように、ワケの分からぬ奇妙な声を張り上げて、急いでベレッタを取り上げた。

「どうしたの?・・・面白い人ね、貴方って・・・・」

 しかし、もう宏隆は宗少尉に振り向きもしない。
 いつもどおり、標的を一番遠いところにセットすると、今度は先ほどのように1発ずつゆっくりと撃たず、3発ずつ、リズムに乗って撃つ。
 すぐに全弾を撃ち尽くし、銃はスライドが引かれた位置で静止する。

「わぁ、すごい!・・・殆どが中央の黒丸とその付近に入っているわね。この距離でそれだけ当たれば大したものよ。訓練を始めてわずか数日でその腕なら、もう天才の部類ね!」

 戻された標的を見て、宗少尉が拍手をしながら言う。

「て、天才だなんて、そんな・・・陳中尉には及びもつきませんし、宗少尉にだって・・・
 やっぱり、上には上があります」

「いいえ、本当に、これだけ中れば見事なものよ!」

 そのとき、ひとりの男がブースに近寄ってきて、宏隆に声をかけた・・・

「ふん、朝からヒヨッコが拳銃でお遊びか・・・ここは夜市の射的じゃないぞ!」

「・・あ、強さん、お早うございます」

 初めてこの訓練場に来た時に宏隆を徹底的に否定した、大の日本人嫌いだという、あの ”強” という男である。

「おやおや、穏やかじゃないわね、ずいぶん酷いことを言うじゃないの、強!」

「宗少尉、お早うございます・・・でも、俺は日本人ってヤツが大嫌いなんですよ」

「それはあなた個人の問題でしょ、ヒロタカは張大人が認める私たちの家族で、王老師の正式な弟子になる重要な人なのよ、クチの利き方には気をつけなさい」

「いや、この前もコイツに言ったのですが、組織のために命がけで働いて実力を見せるまでは、俺はコイツを信用できません」

「ふう・・しょうがないわね、まったく・・・でも、ヒロタカの実力はこの通り、初めての射撃からたった三日間でこの成果が出せるのよ。ほら、このシートを見てごらん!」

 宗少尉が、宏隆が撃った標的のシートをハンガーからもぎ取って、強に見せる。

「ふん、こんなもの・・・素人のまぐれ当たりなんぞ、よくあることですよ!」

「いえ・・・最初は僕もマグレかと思いましたが、修練さえ積めば自分のような者でも徐々に上達に向かうのだと、この三日間で思えるようになりました」

 マグレと言われて、流石に宏隆もムッとしたのか、強い口調でそう言い返した。

「ほう、そんな大口を叩くからには、実力を証明できるんだろうな!」

「僕の実力は、自分以上でも、自分以下でもありません・・・だから、いつでもそれを証明する用意があります」

「へっ、高校生にしては一丁前の口を利きやがる。まあ、みんなにチヤホヤされて良い気になっているんだろうが・・・それじゃ、俺と銃で勝負してみろ!」

「撃ち合って決闘をする、というのですか・・?」

「ば・・馬鹿か、お前は!、いくら何でもお前を殺したらオレも処罰されてしまう。
 この標的を狙って、どっちがよく命中するかで勝負するんだよ!」
 
「そうですか、僕も貴方を撃ったら殺人犯になってしまいますから、その方が良いです」

「ほお・・この俺に、それだけの口をきけるとは、良い度胸だな・・・」

「しょうがないわね、二人とも・・・・
 それじゃ、標的を一番遠いところにセットして、互いに1発ずつ撃ちなさい。
 それで、どちらがより真ん中に近いかで勝負を決めるのよ、良くって・・・?」

「僕はそれでも結構です・・・」

「・・あ、言い忘れたけど、この強は、陳中尉と争うほどの銃のウデよ!」

 宗少尉が、ポツリと付け足すように言う。

「・・・・・・」

「ハハハ、坊主、顔色が悪いぞ!、そのことを聞いていなかったのか?」

「・・・まあ、武術はその時の状況や精神状態がモノを言いますからね。
 勝負は下駄を履くまでは分からないって・・・・」

「ん?、下駄だぁ・・・?」

「日本の慣用語です。多分、将棋や囲碁から来ている言葉で、勝負が終わるまでは何が起こるか分からない、勝敗の行方は最後の最後まで誰にも読めないって意味ですよ」

「なるほどな・・・けど、この場合は結果が初めっから分かってるぜ!」

「それじゃ早いとこ、その結果を出しましょう。失礼して僕から先に撃ちます」

「ふん、ガキのくせに、礼儀だけは弁えてやがる・・・」

 ・・・そう言いながら、強は指で鼻を掻いた。
 こういった場合には、若輩や後輩から先に行うのが当然の礼儀である。構わず自分に暴言を吐く相手に対しても、宏隆は組織の先輩として礼を尽くすことを忘れていなかった。

 ピタリと標的に向かい、馬歩でアソセレスに構えて立身中正を守る。
 宏隆が構えたその姿を見た途端、陳中尉と射撃の実力を争うほどの強も、その実力ゆえに内心の驚きを隠せなかった。

「何て強い軸だ・・・・確かに、コイツはただのガキじゃぁない・・・
 宗少尉をリングで散々手こずらせたというのは、紛れもなくコイツの実力に違いない」

「タ──ン・・・・・」
 
 宏隆は、こんな勝負の時でも、構えてから撃つまでにそれほど時間を取らない。
 傍で見ていると、呆気ないほど気楽に撃ったように思える。

 シートを戻すと、標的を貫いた弾丸は、直径5センチの黒い円の中心から、わずかに2センチほど外して命中していた。

「ほう、運だけは強いようだな・・・・今度は俺の番だ!」

 強は自分の銃を取り上げて、銃弾を装填し始めた。

「スマートな、美しい銃ですね、初めて見ました・・・」

「CZ Model 75・・・チェスカー・ズブロヨフカ、東欧の工業国チェコスロバキアが生んだ名銃よ。第二次大戦後に共産党が政権を取ってから、外貨獲得のために造られた銃ね。
 チェコはWTO(ワルシャワ条約機構)の傘下だから、台湾や日本、アメリカでこれを買うにはベラボウな輸入課税が掛けられるので、本国の2倍以上の値段にもなる高級品よ」

「・・・だけど、それだけの金を注ぎ込むだけの価値はあります」

「それはどうかしらね、手に入りにくい物ほど、人は過大評価をするものよ」

「俺は共産圏の銃でも、ヒトラーが使った銃でも気にしません。性能さえ良ければね・・」

「そのうち北朝鮮あたりが採用しそうな銃だけど・・まあ、そんなに言うんなら、その性能を此処で証明してみるコトね」

「ふん、すぐに証明して見せますよ・・・坊主、よく見てろよ!」

 標的のハンガーに新しいシートを着け直して、宏隆と同じ18メートルの距離に送る。
 強はアソセレス・スタンスには構えていない。足を前後に開いたウィーバー・スタンスに構えて、慎重に狙いをつける。

 しかし、強は内心、少なからず動揺していた・・・・
 敵国だと信じ、敵だと思い続けてきた日本人を心の中で卑下し、見下し続けた長い歳月が、宏隆の実力を正しく見抜けず、つい侮って軽く見てしまっていたことに、ようやく気がついたのである。
 しかし現実には、先に宏隆が撃った1発の銃弾は18メートルの距離をものともせず、標的の真ん中近く、わずか2センチほど逸れたところに見事に命中させている。

 これは、強にとっては脅威以外の何ものでもなかった。
 そして、たとえ宏隆がどれほど優れている人間であろうと、昨日今日、銃を持ったばかりの高校生に自分が後れを取ることは許されない。陳中尉と実力伯仲と言われる自分が、嫌悪すると公言した日本人の若造に負けでもしたら、面子が丸潰れになってしまう。
 そう思うと、標的に狙いをつける構えにも自然と余計な力が入り、銃のグリップを持つ手のひらも汗でびっしょりになっているが、自分から勝負をしろと言った手前、今さらやめるわけにも行かない・・・・

「ええぃ、ままよ・・・・・ダァ───ン!!」

 それらの迷いを、すべて払拭するかのように・・・
 クワッと目を見開くと同時に、全身全霊を込めて、強は引き金を引いた。
 
「やった!・・・これは、標的の中心に近い!」

 ここからは肉眼では的の何処に当たったのかは見えないが、今のは会心の1発であった。
 見事に中った・・・・強は、自信を持ってそう思えた。

「ははん・・・やはり、プレッシャーはあっても、ウデは変わらず素晴らしいわね。
 これも結構良いところに中っているはずよ・・・・」

 宗少尉が、強の心を見透かすようにそう言いながら、シートを手前に戻す。

「さあ、これが今、強が撃ったシート、こっちがヒロタカのものよ・・・」

「うっ・・うむむ・・・・・」

 その二枚のシートを見比べた途端に、思わず強が唸りをあげた。

「こうして並べてみると、わずかに強の銃弾の方が中心から遠いようね・・・」

 ほんの僅かな・・・それは、定規で測ればわずかに4ミリか5ミリ程度しかないほどの差であった。しかし、勝負は勝負・・・どちらがより標的の中心に近いかと言えば、わざわざ定規で測らずとも、誰が見ても宏隆の方であることが明らかだった。

「・・・はい、この勝負、ヒロタカの勝ちよ!」

 宗少尉は実にアッサリとそう言う。
 こんな勝負など少しも意に介していない・・つまらない、といった顔である。

「く、くそぉ・・・しかし勝負は時の運、俺は今日の初弾を撃ったんだ・・・
 お前はもう、今朝から何度もマガジンを換えるほど撃っているだろう!」

「そうですね、確かに、それだけを観れば不公平かもしれませんが・・・
 しかし、あなたが今までに銃を撃ってきた訓練回数は、僕より遙かに多いはずです」

「う、くっ・・な、生意気な!・・・よし、格闘だ、今度は格闘で勝負しろ!!」

「強っ、往生際が悪いわよ!・・負けは負け、男らしくそれを認めなさい。
 それにヒロタカは格闘だって、基隆のリングで私に見事な一本を取ったほどの実力よ!」

「ふん、どんな技で勝ったのかは知らないが、どうせ真珠湾のような汚い手だろう。
 リング上では巧く宗少尉に勝てても、実戦となるとそうはいかないぞ!
 ・・・どうした、日本人、怖じ気づいたのか!!」

「日本人は卑怯な民族ではないし、僕にはあなたと闘う理由がありません・・・」

「じゃ、俺が襲っていったらどうする?、それでも闘う理由が無いと言うか?
 親の七光りでうまく張大人や王老師に取り入ったらしいが、ハイソサエティでぬくぬくと育った貴様に、実戦がどんなに厳しいものかを分からせてやる!」

「そうですか・・・どうしても、と言うのならやりましょう。ちょうど僕も、宗少尉と対戦した時に分かりかけてきた事を、きちんと確かめたいと思っていたところですし・・・」

「おお、俺を実験台に使うとは、いい度胸だな!」

「でも、決闘じゃなくて練習試合ですよ・・・実戦はしばらく遠慮しておきます」
 
「けっ、甘ったれたことを言うな、男が闘う時は常に実戦なんだ!
 何なら、本物のナイフでケリをつけてやってもいいんだぞ・・・!」

「ナイフですか、僕はずっと日本の ”長いナイフ” で稽古をしてきましたが・・・」

「・・ん、日本刀か?・・・上等じゃねぇか!!」

「ストップ!・・・困った男たちね・・・二人とも、もういい加減にしなさい。
 それ以上言い合っていると、本当に決闘することになるわよ!」

 宗少尉がそう言って、二人の口論を止めさせようとする。
 さっきまでブースで銃を撃って訓練していた者たちも皆、手を休めて呆然と二人の成り行きを見守っていたが、その中の一人が、

「まあ、まあ、まあ・・・・」

 宗少尉が口を夾んだのを機に、二人の間に割って入ってきて、

「強さん、いけませんよ・・・陳中尉にこんなところを見られたら絶対に謹慎を喰らうでしょうし、張大人からも、きっとタダじゃ済まなくなってしまいます」

「俺はただ、日本人のガキのくせにコイツがデカイ面をしてやがるのが気に入らないんだ。台湾を侵略した日本軍の子孫に、ここで一発クレてやらなきゃ気が収まらねぇ!」

「・・・台湾を侵略したのだと言うなら、どうしてオランダやフランス、清国、日本の敗戦後に乱暴狼藉の限りを尽くした国民党の子孫には怒りをぶつけないのですか?、それとも、台湾を支配したのは日本だけではないという歴史をご存知ないのですか・・?」

「ほぉ、てめぇ・・利いた風なクチを叩きやがって・・・!」

「・・きょ、強さん、いけません!、どうしても気が収まらないんなら、この私が代わって殴られますから・・・・父君が張大人と親しいというヒロタカさんも、組織の大切な一員なんです・・・だから、どうか・・・何とか、今日のところは収めて下さい・・・ね、お願いしますよ・・・・後生ですから・・・」

 射撃で宏隆に負けて頭に血が上った強を諫めようとしているのは、新人の「徐(じょ)」という構成員である。徐はまだ組織に入って間もないが、強は ”兄貴分” として徐の面倒を見て可愛がり、徐も ”弟分” として強によく仕えていた。
 その徐が、自分が宏隆の代わりに殴られるから怒りを収めてくれ、と必死に哀願するので、さすがの強も少し我に返り、それを機に怒りの熱が冷めてきてしまった。

「ふん・・・今日のところは、この徐に免じて見逃してやろう。
 だがな、何時か必ず、この俺がお前を叩きのめす日が来るぞ、よく覚えておけ!」

 そう捨て台詞を遺して、強はプイと出ていってしまった。

「やれやれ、ホントにいつまでも成長しないわねぇ、強は・・・・」

「宗少尉、強さんはあれで、とても良い人なんです。すごく優しくて、面倒見が良くって、
 ・・・私なんか、実の兄貴のように、親しく付き合ってもらっています」

「まあ、根はいいヤツなんだろうけど、極度な日本人アレルギーが無ければね・・・」

「済みません、僕が折れれば良かったのですが・・・・」

「いいえ、年上の強とあれだけ渡り合って、キチンと言いたいことを言えるのだから大したものよ。男の子はそのくらいでなくっちゃ駄目よ、近ごろの男はテレテレして、だらしないったらありゃしない、ヒロタカを見倣って欲しいものね」

「徐さん・・というお名前なのですね。初めまして、ご挨拶が遅くなりましたが、王老師の許で陳氏太極拳を学んでいる加藤宏隆です。この場を救って頂いて有難うございました」

「いえ、救うだなんて・・・強さんは普段はあんなじゃないんですが、日本人がどうのということ以外にも、ヒロタカさんには何か特別なこだわりがあるようで・・・」

「ヒロタカは、今や玄洋會では ”時の人” だからね・・・日本嫌いの強にしてみたら、それがどうにも気に入らないのかもしれないわね」

「・・・徐さん、お礼に今夜、一緒にお食事をして頂けませんか?」

「いやぁ、そんな、お礼だなんて・・・・」

「いえ、生意気なようですが、ぜひ食事をご一緒させて下さい」

「そうしなさいよ、円山大飯店の高級中華料理なんか、滅多に味わえないわよぉ!
 それに、ヒロタカもたまにはホテルに戻らないと、却って怪しまれるし・・・」

「そうですか・・それじゃ、お言葉に甘えてご馳走になろうかな・・・」

「・・・よかった、ありがとうございます。宗少尉もご一緒に如何ですか?」

「私は、明日早く台南の訓練場に出張するので、準備があるから、ダメね」

「わぁ、残念だなぁ・・・・」

「私も残念よ・・・また今度、是非ご一緒しましょう。
 さあ、そうと決まったら夜まで練習っ!、午後からは動きながら撃つ訓練をするわよ!」

「ええーっ、そんなこと聞いてませんよ・・・」

「陳中尉から頼まれたのよ。きっとヒロタカは射撃ブースの訓練ばかりしているだろうから、もっと違うトレーニングをしてくれって・・・」

「ははは、何でもお見通しですね。でも、もっとコレに没頭したいのになぁ・・・」

「ダメダメ・・・何事も、過ぎたるは及ばざるがごとし、基礎は最も大事だけれど、様々な経験こそが、その大切な基礎を高めてくれるのよ」

「仰るとおりです。よし、午後からはタクティカル・シューティングですね。
 しかし、宗少尉にシゴかれたら、さぞ夕食が美味しくなるだろうなぁ・・・」

「あはは・・・たっぷりシゴいてお腹を空かせてあげるわよ!」

「あははははは・・・・・・」

 傍に居る徐さんも、一緒に大声で笑った・・・・しかし、その徐の目の奥に、妖しい光が秘められていることを、宗少尉も、宏隆も、すっかり見逃していた。



                                (つづく)


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2010年07月01日

連載小説「龍の道」 第48回




 第48回 訓 練(7)


 パタパタと、窓のカーテンが風に揺れる音で、宏隆は目を覚ました。

 ここは『白月園乾洗名店』、つまり地下に秘密訓練場を持つ大きなクリーニング店・・・秘密結社・玄洋會が密かに経営するそのビルの、四階にある一室である。

 三日前に初めてこの店を訪れてからずっと、宏隆はホテルに戻らず、そのまま此処に泊まり込んで殆ど外にも出ず、射撃の訓練に余念がなかった。

「貴方さえよければ、ここに泊まって訓練を続けても構わないのですよ。円山大飯店から通って来るのも良いけれど、そう毎回秘密の通路を使うわけにも行かないでしょうし、敵に尾行されたり、それを撒(ま)いたりするのも面倒でしょうから・・・」

 白月園の女主人・・・陳中尉の姉でもある陳明珠さんからそう勧められるままに、社員寮でもあるビルの一室を宛がわれ、そこでしばらく寝起きをすることにしたのだ。

 時計は朝の五時を少し回ったところを指している。煉瓦造りのこのビルは、台湾の夏にしては思ったよりも過ごしやすく、涼しい風が部屋の隅々にまで入ってくる。
 大きく背伸びをし、ベッドからガバリと飛び起きてカーテンを開けると、眼下の中庭に明珠さんの愛犬、阿南が居る。ヒューッと口笛を吹き「你早(ニーツァオ)、アナン!!」と呼びかけると、阿南も宏隆を見上げて「ウォン!」と嬉しそうな声を出して千切れるほど尻尾を振る・・・犬が大好きな宏隆は、もうすっかり阿南と友達になっていた。

 その窓に向かって立ち、しばらく「無極」を整えた後に、馬歩を膝から爪先までの長さに取って立ち、「開合勁」でゆっくりと深い呼吸をする・・・・前後に、左右に、上下にと、「三開合」と呼ばれる三種類それぞれの形を、徐々に大きく展開しながら、その動作に合わせて呼吸も徐々に深くしていき、身体を整えていくのだ。無極椿から三開合までの訓練は、宏隆の朝の習慣になっているが、それを練り始めるとあっという間に身体が目覚め、意識がハッキリとしてくる。
 この数日、陳中尉からグラウンディングの指導を受けている為か、馬歩の内容が明らかに変わってきている。何よりも、立ったままの姿勢なのに腰掛けている実感が宏隆に出てきているのだ。そして、無極椿や馬歩が整えば整うほど「勁(けい)」に関心が出てくる。
 三開合は「勁」を理解するには分かりやすい入口であった。

 太極拳で学ぶ「呼吸法」は全部で六種類ある、と王老師に教えられた。宏隆はすでに四番目の呼吸法まで指導を受けていたが、基本とされる三種類も完全ではなく、特に四番目の呼吸法については未だ模糊として、どのように捉えれば良いのかもよく分からなかった。
 しかし、深く ”意念” を用いて「神(Shen)」と「息(Xi)」を結合させる訓練として行われる『神息=Spirit Breathing』と呼ばれる第四の呼吸法は、この三日間、陳中尉の指導で射撃の訓練をやり続けていた所為か、不思議とこれまでよりも身近に感じられる。
 こうして朝のトレーニングをしていると、呼吸自体が自分とは別に、自然に行われているような気がしてくるのだ。

『集中をするために、肉体的、精神的なチカラ(Force)を使ってはならない。
 ただ肉体と精神が寛いで、放鬆した状態に留まることだけに注意を払いなさい。
 そうすれば四番目の呼吸が意味することを理解できるだろう・・・』

『この第四の呼吸法が理解できるようになれば、君はようやく易筋経や洗髄経などの
 気功法のための、堅固な土台を築き上げたことになる・・・・』

 まるで、目の前に師が居るように・・・・そう宏隆に諭した王老師の言葉が、有り有りと思い出されてくる。

 宏隆は次に、半馬歩(pan-ma-bu)で前後に足を開き、四正手の勁を練り始めた。三尺の広い馬歩ではなく、その半分か、三分の一ほどの狭いスタンスで練るのだ。
 このような高い姿勢でも、腰は吊り下げられて低く落ちている。狭いスタンスでは、より構造がキッチリと決まらなくては正しく動けない。そして、人間の構造そのものが機能しないように造られてしまった身体では、落下や筋肉の力みによる移動といった単純な動きを繰り返すしかなく、月並な早さと日常的な拙力に頼って力を出すしかない。

 宏隆は常に、この半馬歩で勁を練る訓練を好んで行った。
 始めはゆっくりと、身体の構造と使い方を丁寧に合わせながら、弸(ポン)の動作をその場で立つ定歩で練り、やがて前進、後退を数歩ずつ繰り返しながら、徐々に早く、徐々に勁が大きくなるように、「勁」という字義が表すままに、勁疾(はや)く、勁健(つよ)く、勁草の如く撓(しな)やかに動いていく・・・・・
 しかし、それは力強く見えても、決して力んではいない。宏隆の身体は至って柔らかく使われていて、拙力から来る力みの片鱗も見えないのだ。また、柔らかいとは言っても、単にフニャフニャとした柔弱な軟(やわ)らかさではなく、身体の張りは勁直(けいちょく)なままに、余分な力みが何ひとつ存在し得ない構造ゆえの柔らかさであった。

 それら四正手の勁をすべて練り終えると、今度はしばらくの間、様々な奇妙な形に身体を婉(くね)らせながらゆっくりと床を転がり回ったり、逆立ちの恰好で壁のあちこちを足で伝い歩きをしたり、壁で垂直に跳ねたり、或いは部屋の入り口の桟に指先だけでぶら下がって懸垂をし、椅子を使った腹筋運動のようなものを何種類かこなしていたりしていたが、やがて顔一杯に玉の汗を浮かべたまま、シャワールームに向かった。


 クリーニング店の朝は早い・・・・
 土曜日だというのに、シャワーから上がってくると、もう階下(した)の洗濯工場で物音がし始めている。この店は大きなホテルと契約をしているので、週末の忙しさに備え、昨日の夕方に大量に集荷をしてきたホテルのシーツやら枕カバー、レストランで使ったテーブルクロスやらを、朝から大急ぎで洗わなくてはならないのだろう。

 食事は毎回、明珠さんが自分の部屋に招いてくれる。
 宏隆が恐縮していると「家族なのだから何の気兼ねも要らない」と言ってくれる。
 この「家族なのだから」という言葉を、台湾に来てから何度聞いたことだろうか。

 その明珠さんは、毎朝宏隆が起きる頃にモーニングコールをしてきて、『Good Morning ヒロタカ、美味しい珈琲が入ったわよ・・!』と声をかける。
 今朝もその電話が鳴って、てっきり同じ科白が出るのかと思ったら、『今日は ”スペシャルな珈琲” が入ったわよ!』と言うので、ちょっと期待して、急いで髪を梳かして部屋を訪れると、『・・さあ、これが何の珈琲だか当ててごらんなさい!』と、楽しそうに言う。

 宏隆は珈琲が好きだ。生まれ育った神戸の街には珈琲専門店が数え切れないほどあって、小さい頃からずっと珈琲を愛飲してきた。

 わが国に珈琲が入ってきたのは天明年間(1780年代)に長崎の出島にオランダ人が持ち込んでからだというが、実際に珈琲を飲ませる店が開かれたのはそれから百年も経った後のことで、明治21(1888)年に東京上野にオープンした「可否茶館」がそれである、というのが定説となっている。
 この「可否茶館」の創業者は鄭永慶という中国人実業家で、明治維新の後に北京代理大使を務めた鄭永寧の次男だが、その先祖は、かつて反清復明の旗印を掲げて清と戦うも南京で大敗し、新たな反攻の拠点として台湾を占拠し、漢民族として初めて二十数年間台湾を支配することになった、あの「鄭成功」であるというから面白い。

 国姓爺と称されたこの鄭成功も日本の生まれで、長崎の平戸で父・鄭芝竜と日本人の母、田川松との間に生まれ、幼名を福松と言って七歳まで平戸に暮らした。父の鄭芝竜は福建省の厦門(アモイ)辺りの島を本拠に密貿易で稼いでいて、政府軍や商売敵の連中と対抗するための私兵を擁していたような人であったという。
 日本には、今もその「日本鄭氏 ”国姓爺” 子孫会」というのがあって、上野の三洋電機の社屋がある所に『日本最初の喫茶店・可否茶館跡地』という記念碑を建て、2008年4月に除幕式が行われている。その「可否茶館」は経営難の為、わずか数年で閉店を余儀なくされたが、それから八十年も経った1968年に創業者の孫に当たる人が同名の喫茶店を再興して、今でもその店が阿佐ヶ谷にあるらしい。

 因みに、「国姓」というのは中国の君主の姓のことであり、漢の劉氏、清の愛新覚羅氏、明の朱氏、晋の司馬氏などがそれに当たる。明が滅んだ時に鄭芝竜らが擁立した亡命政権の隆武帝(朱聿鍵)は、芝竜の息子の鄭成功をいたく気に入り、国姓である朱姓を下賜したが、それでは畏れ多いと、本人は決して朱姓を使わなかった。以来、鄭成功は国姓を賜った人という意味で ”国姓爺” と尊称されるようになった。
 なお、台湾を拠点に明朝の復興を図った鄭成功の物語は、近松門左衛門が人形浄瑠璃の『国姓爺合戦』として創作し、後に歌舞伎にもなって、正徳五年(1715)大阪で初演から十七ヶ月間連続講演の大記録を打ち立てている。

 序でながら、記録に残る日本で初めて開かれた珈琲店は、明治7年(1874)に創業し、現在も神戸の元町で営業を続ける『芳香堂』という店である。
 上野の「可否茶館」の創業より14年も遡った明治11年(1878)12月26日付の読売新聞には、【 焦製飲料のコフィー、弊店にて御飲用或は粉末にてお求め共に御自由 】という、芳香堂のハイカラな宣伝広告が出されている。
 ”焦製” とは焙煎のことであるから、この店は珈琲を飲料として供するだけでなく、焙煎した豆の挽き売りもしていたわけである。つまり神戸市民は明治の初め頃には既に珈琲を愛飲し、挽いた珈琲豆を買ってきて、家で淹れて飲んでいたことになる。
 「芳香堂」は宇治に茶園を持つ松平家御用達の大茶商であり、慶応3年(1867)に神戸に貿易商館を建てて日本茶の輸出を行い、その頃から珈琲豆の輸入が始められている。 


 閑話休題・・・・

 その神戸で生まれ育った宏隆に、何の珈琲だか当ててごらんなさい、と明珠さんが悪戯っぽく言うのである。部屋の中には珈琲の芳香が高く鼻をついて、それだけでも若い身体には俄然食欲が湧き出てくる。
 
「えっ、僕に珈琲のテイスティングをせよ、と仰るんですか・・?」

「そうですよ・・・でも、貴方にはすぐに判ってしまうかも知れないわね」

「あはは、産地を当てなさい、と言われても困りますが」

「・・・まあ、ともかく、飲んでみてごらんなさい」

 薫り高い、その漆黒の色をした珈琲が柔らかい湯気を立てて、銀製のポットから、真夏に相応しい、爽やかなフルーツの絵付けがされた品の良いカップへと注がれる。

 その珈琲カップは、宏隆も好みの「リチャード・ジノリ」である。
 ジノリはイタリアを代表する磁器で、カルロ・ジノリ侯爵が1735年にトスカーナの自領に磁器窯を開いたことに始まる。鉱物学に造詣の深かったジノリ侯爵は、自ら原料の土を探し歩き、生成や発色の研究を続けて、遂にイタリアで初めての白磁器を完成させた。

 明珠さんが愛用するカップは「イタリアンフルーツ」というシリーズで、1760年に貴族のパーティ用に製作されてから今日まで、二百年以上も変わらない、ジノリの不朽の名作なのだと言う。
 手に取ると、やはり良いものは良い・・・何十年、何百年の歳月を経ても大切に遺され、踏襲されていくものは本物なのだと思える。自分が学んでいる陳氏太極拳もまた、何百年もの時間の中で工夫に工夫が重ねられ、研究に研究が続けられ、その拳理拳学が大切に伝えられてきたものなのだと思うと、自分の学び方や関わり方を決して疎放な、いい加減なものにしてはならないと思える。

 しかし、たっぷりとしたそのカップを口元に運ぶと、この香り、この深い味わいは小さい頃から良く知る味ではないか、と直ぐにピンと来た・・・

「あ・・もしかするとこれは、”にしむら” のブレンドですか?!」

「まあ、やっぱりすぐに判ってしまうわね・・・そう、いかにもニシムラの珈琲よ。
 神戸のお店では灘の酒造りに使う ”宮水(みやみず)” で淹れるのだそうですが、台湾ではそうはいかないので、ちょっと申し訳ないわね・・・」

「・・わぁ、まさか台湾でにしむらの珈琲を頂けるなんて、思いも寄りませんでした!
 でも、よく ”にしむら” をご存知ですね、どうやって入手されたのですか?」

「私が珈琲好きなのを知っている船員が、神戸に入港した際には必ず北野の店に行って豆を買ってきてくれるんですのよ。大武號とは別の、報徳號というもうひとつの貨物船で、大切に厨房の冷蔵庫に収って置いて、持ってきてくれるのです」

「いやぁ、とっても嬉しいです。神戸港を発ってからもう十日近く経ちますが、その間全く神戸の珈琲を飲んでいませんでしたからね。自宅で頂くのは、大抵にしむらか、京都の小川珈琲ですし・・・」

「小川珈琲も一度買ってきてもらったことがありますが、美味しいですわね。豆の種類毎に別々に焙煎してからブレンドしていると聞きました。そんな繊細なことをするのは世界でも日本人だけでしょうね。良質の豆で丁寧に焙煎された日本の珈琲は世界でも一流の味に思えます。台湾では、珈琲は、まだまだ富裕層の嗜好品だというイメージが強いのですが・・」

「神戸に戻ったら早速、にしむらのブレンドを送らせて頂きます」

「・・まあ、それは嬉しいですわ、楽しみにしています!!」

「台湾では、珈琲はすべて輸入されているのですか?」

「いいえ、台湾の珈琲の歴史は、実は中国茶よりも古いのです。清の時代に、台湾が中南米の気候と似ていることに目を付けた英国の貿易商が、台北の山林に百本余りの珈琲の木を植えたことがその始まりですが、その時は木の管理が悪くて全部枯れてしまいました。
 その後、日本統治時代になると、東部と南部の山間部に大規模な珈琲農園と工場を造って生産するようになり、アジア最大の珈琲工場にまで成長しました。
 日本人と共に研究し栽培した ”台湾珈琲” は、世界コンテストで第2位に輝くほど品質に優れていて、昭和天皇にも献上された由緒正しいものだったのですよ・・・」

「すごい!・・・そんな話は聞いたこともありませんでした」

「日本が戦争に負けて、国民党軍が台湾に入って来ると、珈琲の生産も中止されました。
 まだ台湾では珈琲を愛飲する人が少なかったので、栽培は無意味だと考えられたのです。
 でも、近代化の始まった現在の台湾では、国を挙げて珈琲の栽培が始められています。
 珈琲農家は日本が統治した時代の夢を追い求めて、世界の名産地に一歩も引けを取らない、その ”幻の珈琲” をもう一度造ろうとしています。二十年も経てば、きっと夢が実現するに違いありません。台湾の珈琲は、日本人が遺してくれた貴重な贈り物なのですよ・・・」


 ・・・・朝の心地よい涼風が、円卓に飾られた鮮やかな花をそよそよと揺らし、高く鼻をつく珈琲の薫りを部屋中に広げている。
 壁が白く塗られた高い天井を持つこの部屋には、明朝の瀟洒な飾り棚やスツールが置かれているが、このジノリのカップをはじめ、李朝の壺や、有田焼の大皿、バリの籐製の椅子やベトナムの美術品まで見られて、明珠さんという人が異文化に広く興味を持ち、自分に合ったもの、美しいと感じるもの、丁寧に造られた一流のものを愛惜しむようにして使っていることが分かる。

 本当に、宏隆の知らない日本の歴史がたくさんある・・・今の台湾珈琲の話といい、台湾に来てからは自分の国について、新たに知らされ驚かされることばかりであった。
 そして、何故今の日本人はそれを知らないのか、教えられていないのか・・・・


「明珠さんは、 ”にしむら珈琲” の歴史をご存知ですか?」

「いいえ、存じません。でも、これが一流の人の考えで繊細に造られた、一流の珈琲であると言うことは充分に感じられますが・・・」

「では、台湾の珈琲のお話を聞かせて頂いたお礼に、説明させてください。
 父から聞いた話ですが・・・」

 そう言って、宏隆が明珠さんに語るところによれば・・・・

 神戸北野のハンター坂を下ったところ、宏隆が毎朝パンを買いに行くフロインドリーブの隣にある「にしむら珈琲」は、まだ敗戦のショックも冷めやらぬ昭和23(1948)年、巷には大豆を煎った代用コーヒーしか無かった時代に、極上の輸入豆から形の整ったもの、色艶の優れたものだけを選り分け、自家焙煎をして一杯ずつネルドリップで淹れる ”本物の珈琲” を出す店として始められた。
 「にしむら珈琲店」は現在でこそ立派な外観を誇るが、創業当初はわずか五坪のバラックの店先にテーブルを三つ置いただけで、客に出すカップも、まともな物はたったの二つしか無いような店であったという。

 そのオーナー、ただ独りで店を切り盛りする女主人・川瀬喜代子の信念は「一期一会」の茶道の精神であり、もてなしの心を追求し、大切な人を自宅に招くように不特定多数の客に接するということを貫いたものであった。
 そして、上質な豆で珈琲を淹れるには、それに相応しい上質の水が必要であった。
 神戸ウォーターとして海外にその名を知られる神戸の水は、水道の蛇口を捻りさえすれば清冽な六甲の名水が溢れるのだが、川瀬喜代子はそれに飽き足らず、ひたすら珈琲に合う水を求め続け、昭和27年、灘の酒造りに使われる特別な水である「宮水」に行き着き、以来、今日までその水が使われ続けている。

 にしむらのブレンド珈琲は、ブレンドにするには勿体ないほどの一級品の豆ばかりである。その極上の珈琲豆を自家焙煎し、豊かな風味と、それがもたらす安息をお客さまに味わって頂くという徹底した姿勢は、創業から六十数年を経た今も、何も変わらない。
 その信念と努力あって「にしむら珈琲」は日本の珈琲業界のパイオニアとして君臨し続けてきた。日本で初めてストレート珈琲をメニューに入れたのもこの店であるし、カプチーノ、ウインナー珈琲、コーヒーゼリー・・・今日では誰もが知っているこれらの品書きは、全てこの小さな珈琲店から誕生したものである。

 なお、現在の「にしむら珈琲」のホームページには、次のような言葉が記されている。

 《 企業として単に年商高や店舗数の拡大を図るのではなく、業務内容として珈琲店の
  「一流」を目指し、社員にとっては生涯を懸けて打ち込める仕事であり、この仕事を通
  じて自分自身が「一流」になれる可能性を秘めた企業であることを追求する・・・
  この殺伐とした世の中で、何よりも人間味豊かに、心と心が通い合える店でありたい。
  テーブル三つだけの小さな珈琲店として開業した当初からの想いは、時代を超えて脈々
  と受け継がれています。一杯の珈琲を通じて人を大切に想い、人の幸せを追求したい。
  それが我々の喜びであり、「にしむら珈琲店」の永遠の目標でもあるのです・・・》 


「まあ・・・・」

 宏隆が話し終わると、明珠さんの目が潤んでいた。

「やはり、一流のものは、一流の人によって造られるのですね・・・
 かつて日本人が台湾に世界に名立だる珈琲農園を創り上げたことがよく分かります」

「僕の父は、一流というのは、その人の志によるものだ、と言っていました。人間は身分や才能で決まるのではなく、その人間の志が低ければ、何をやっても決して一流には成り得ないのだと・・・」

「・・・そのお父様に育てられて、東亜塾のK先生や王老師など、その道の一流の方々や、陳氏太極拳という一流の武術に出会えたのですから、貴方もきっと一流の人になられることでしょうね」

「本来ぼくは臆病で、怠惰で、能天気な人間なのですが・・・・しかし、そのようなご縁にきちんと報いられるよう、心して学んでいきたいと思っています」


 異国の地で、思いがけなく戴いた神戸の珈琲は、宏隆が普段よく知る珈琲と同じものとは全く思えぬほど、五官を心底から刺激し、新たな活力を漲らせていた・・・・


                                 (つづく)




          


        *2006年に新装オープンした、神戸にしむら珈琲・中山手本店

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2010年06月15日

連載小説「龍の道」 第47回




 第47回 訓 練(6)


 全弾を撃ち尽くすと、ベレッタはスライドが引かれた位置でピタリと止まった。

「・・うん、なかなか整った馬歩で撃てましたね。もう少し肩や肘の力が抜けると楽に撃てると思いますが、初めにしてはまずまず、といったところでしょう」

 標的を戻すボタンを押しながら、陳中尉が言う。
 ウィーン・・というモーターの音と共に、銃弾で幾つもの穴が空いた紙の的が棚引きながら手もとに返ってくる。

「ほう・・大したものですね、中心の黒い円の中に数発入っているし、次の円にも幾つかの弾丸が命中していますよ」

「いや、そんなに中るはずはないのですが・・・何しろ、弾丸が何処に当たっているのか、全く見えない状態でしたから」

 ・・・宏隆は、ちょっと信じられない、といった面持ちである。

「やはり、18メートルというのは少々遠すぎましたか?」

「はい、すごく距離が遠く感じられて、30メートル位あるように感じました」

「確かに、初めにしてはちょっと遠すぎましたね。
 まあ、ヒロタカの実力を見ようと思って、一番遠いところにセットしたのですが・・」

「・・え、そうだったんですか?、この距離で撃つ訓練だとばかり思っていました」

「まあ、普通は一番近い6メートルのところから始めるんですけどね」

「そ、そんなぁ・・」

「それでも、こんなに命中しているじゃないですか。近距離でも当たらない人は当たらないものです。まして18メートルの距離にある直径5センチの黒円は、ほとんど点ぐらいにしか見えませんからね。初心者にしてはかなり良い成績だと思いますよ」

「本当ですか?、これで、近い的で当たらなかったらどうしよう・・・」

「ははは・・・それじゃ、今度は私が撃って見せましょうか」

「・・あ、お待ち下さい、いま弾丸をセットします」

「いや、今度は自分の銃を使うことにします。
 ベレッタはヒロタカの練習用にして、もう少し銃に慣れるまで使い込めば良いですよ」

「ご自分の、愛用されている銃ですか?」

「そうです」

 陳中尉はちょっと微笑むと、腰の後ろに右手を回してスッと拳銃を出した。背中のホルスターに銃を装着していたのだ。中尉は上着を着ていなかったが、宏隆はそれを今の今まで全く気がつかなかった。

「あ、そんなところに・・まるでスパイ映画みたいですね!!」

「こんな地下に居るところを敵に襲撃されたら、皆まとめて ”一巻の終わり” ですからね。
 備えあれば憂い無し、私たちにとっては映画ではなく、常に現実問題なのです」

「なるほど、しかし僕は暢気なのか、ホテルから後を尾(つ)けられても、いまひとつ現実としてピンと来ません・・」

「ははは、そのうち自分の現実をイヤというほど体験することになるかもしれませんよ!」

「えーっ、あんまり脅かさないで下さいよ・・!!
 ところで、その銃はベレッタより少し小さめに見えますが、何という銃ですか?」

「これはシグ・ザウエル、”SIG SAUER P220” という銃です。スイスのシグ社が設計開発して、傘下に入ったドイツのザウエル&ゾーン社が製造したものです。
 見てのとおり、ベレッタより全長が2センチほど短く、本体は150グラムも軽く作られています。弾丸は9mmパラベラムを基本として、有効射程距離や発射初速もベレッタと大体同じくらいの性能です。装弾数は9発と少ないですが、アメリカの市場を考慮して45ACPも使えるようにしてあるので、ボディは9mm弾用にしては、やや大柄ですね。
 まだ発売されたばかりですが、スイス軍の制定銃として採用され、FBIや各国の特殊部隊からも引っ張り凧になっている優れた銃ですよ」

「45ACPというのは、銃弾の口径のことですか?」

「そう、口径が 0.45インチ(11.5mm)の弾丸のことで、ACPは Automatic Colt Pistol の略です。アメリカ人は ”45口径信仰” と言われるほど、爆発力の強い45口径を好みますからね・・・米軍の制式銃は45口径の ”コルト・ガバメント” ですし、西部劇で活躍する銃は殆ど45口径です。ヒットしたテレビシリーズにも ”コルト45” というのがありましたね。
 ヨーロッパでは反動がきついとか、これで弾丸の数を増やすとグリップが太くなって握りにくくなってしまうということで、45口径はあまり好まれていませんが・・」

 ・・・余談ながら、上記の ”コルト・ガバメント” は1985年にベレッタM92Fが制式採用されるまでの間、実に70年間の永きにわたってアメリカ軍の制式拳銃として用いられた。
 また日本の自衛隊では、戦後長らく使われ続けたコルト・ガバメントを廃して1982年にシグ・ザウエルを制式拳銃として採用し、長野県に本拠を置く「ミネベア株式会社」がライセンス生産をするようになった。
 なおミネベア社は、ミクロサイズのボールベアリングの製造で世界第一のシェアを誇る、国際的に名高い会社で、防衛省の航空機、戦艦、戦車などの防衛機器に関連する特殊装備品も多数生産している。


「シグ・ザウエル・・男っぽくて強そうな銃ですね、今度ぼくにも撃たせてください」

「・・ははは、いいですよ。以前までは ”ワルサーPPK” を使っていたのですけれど。
 これよりもっとサイズが小さくて軽いので、携帯するには丁度よかったのですが・・・」

「ワルサーPPK!、あのジェームス・ボンドが愛用している銃ですね?」

「そう、007の映画ですっかり有名になりましたね。元々はドイツの警察用として開発されたもので、PPKというのは ”Polizei Pistole Kurz” の略で、クルツは短いという事ですから ”銃身の短い警察銃” という意味になります。PPKはアメリカのシークレット・サービスをはじめ、日本のSPや皇宮警察などでも使われています」

 ・・・陳中尉は、いつも優しく、気さくに宏隆に接してくれる。日本から来た優れた素質を持つ弟弟子が可愛くて仕方がないという表情で宏隆に向かい、たとえ少年らしい無邪気な質問であっても、実の弟に話すように、自らの博学を紐解いては、ひとつひとつ丁寧に応えてくれるのである。

「ワルサーPPKより、シグ・ザウエルの方が相性が良かったのですか?」

「・・いえ、ワルサーPPKはあのヒトラーが愛用していたり、秘密警察ゲシュタポの制式銃だったと知って、そのときから持つのをやめたのです」

「そうでしたか・・・変なことをお訊きしてしまいました」

「・・まあ、銃はただ銃であるだけであって、銃に罪は無く、関係ないのですけどね。
 これは、自分の考え方、生き方の問題なので・・・」

 ジェームス・ボンドが映画で恰好よく使っている銃が、実はヒトラーやゲシュタポが愛用した銃であったとは、もちろん宏隆には知る由もないのだが、何も知らずに007の銃だと言って意味もなく燥(はしゃ)いでいる自分が少し恥ずかしく思えた。
 そして、銃に罪はない、としながらも、それがナチスに愛用されていたことを知って潔く使うのを止める陳中尉の男気(おとこぎ)に、宏隆は少なからず心を打たれた。

 生き方の問題・・・という陳中尉の言葉が、宏隆を捉えて放さなかった。
 宏隆は、かつて仲の良いクラスメートの女の子が、宏隆が飲んでいたジュースを指差し、自分は決して南アフリカ産のジュースを飲まない、と言っていたことを思い出していた。
 南アフリカでは激しい人種差別をしている、日本人は名誉白人などと言われて無事だが、他の有色人種はひどい目に遭っている。自分はそんなことを同じ人間として許せないから、そんな国から輸入された物など一切買わないし、他所で出されても絶対に口にしないのだと厳しい口調で語ったのだ。

 自分と同い年の女の子がそんな考え方を持っていることに宏隆は驚かされたが、同時に、自分がこれまで、そのようなことを何も気にせずに過ごしてきた事がとても恥ずかしく思えた。そして、それまでただ美味しいと思って飲んでいたそのジュースを、二度と口にしないことに決めたのだった・・・・


「・・さて、私も撃ってみますから、よく見ていて下さい。
 ヒロタカのように上手く命中するかどうか、分かりませんけどね・・・」

 ニコリと笑って、宏隆を見る。

「はい、拝見させて頂きます・・」

 陳中尉は慣れた手つきで新しい標的の紙をハンガーに付け直すと、再びそれを18メートルの距離にセットし、アソセレス・スタンスで立ち、両手でシグ・ザウエルをピタリと構えた。

「ダァーン、ダァーン、ダァーン、ダァーンッッ・・・・」

 驚くほど正確に、等間隔で淡々と撃って行く。
 陳中尉が愛用のシグ・ザウエルは、ベレッタよりも少し反動が少ないように見える。
 それに、同じ9mmのパラベラム弾なので、銃声の大きさにそれほど違いはない筈なのだが、自分がベレッタを撃った時よりも中尉の方が太く、締まった音がするような気がする。

 ・・しかし、この正確さは、いったい何と表現すれば良いだろうか。
 撃たれた銃弾の一発一発が、まるで熟練の針子が等間隔で針を縫っていくように、ブレず、乱れず・・・弾丸が標的に吸い込まれるように発射されていくのだ。

 陳中尉は、見る見るうちに9発の全弾を撃ち終わり、標的を手前に戻すと、それを取って宏隆に渡して見せる。

「うわぁ・・やっぱり凄いですね、2発はほとんど真ん中近くに命中していて、3発が黒い円の中に、1発が次の円の内側に入っています。
 あとは・・・あれ?・・ひい、ふう、みい・・・おかしいな・・・陳中尉は確か今、全部で9発撃ちましたよね?」

 中尉が撃った標的の、空いた穴の数を数えて、宏隆が不思議そうにそう訊く。

「そうですよ・・」

 陳中尉は、そんな宏隆を見て楽しそうに笑っている。

「でも、標的には、穴は六つしか空いていません・・・
 やはり中尉のような方でも、標的を外すようなことがあるのでしょうか?」

「はははは・・そりゃ、私だって人間ですからね、狙いを外すことだってありますよ。
 でも、今のは全弾、一発も外してはいませんけどね・・」

「しかし、空いた穴は六つしか無いので、それだと計算が合わな・・・」

 計算が合わないと言いかけた途端、宏隆はハッと何かに気付いて、急に顔色を変えた。

「・・ああ・・・も、もしかして、これは・・・!!」

「そう、多分、その ”もしかして” ですよ、ははは・・・・」

 つまり、陳中尉が撃った弾丸は全部で9発だが、そのうち3発は撃った弾丸の上にピタリと重ねて撃たれていたのである。

「・・でも、この距離で・・この標的の大きさで、そんなことが・・・?」

「射撃をしていると、時々そんなことがあります・・もちろんマグレですけどね。
 あはははは・・・・」

「マグレだなんて、そんな・・・撃った弾丸の上に、ピタリと弾丸を重ねて撃てるなんて、ものすごいことですよ、それも3発も・・・信じられないようなことです!!」

「ははは・・いえいえ、私なんか、ちっとも凄くないんですよ。
 ・・・そうだ、オイゲン・ヘリゲル、という人を知っていますか?」

「いえ、存じませんが・・」

「オイゲン・ヘリゲル(Eugen Herrigel)はドイツの哲学者です。日本文化や禅を研究していた人で、大正十三年に東北帝国大学に招かれ、六年ほど日本に滞在しギリシャやラテンの古典哲学を教えていましたが、その間に阿波研造(あわ・けんぞう)先生に師事して熱心に弓道を学びました」

「阿波研造・・・弓道の先生ですか?」

「阿波研造先生は、術としての弓を否定し、道としての弓を追求した弓禅一如の体現者として知られる弓道の名人で、”一射絶命、的と一体になって我が心を射貫き、仏陀に到る” と言って、弓道を生涯求め続けた人です」

「わが心を射貫く・・・・」

「その阿波研造先生のもとに、ある日、哲学者のヘリゲルが入門してきました。
 しかし、学ぶにつれて、日本弓道の術理や精神性には心酔するものの、西洋人の徹底した合理主義と論理的な精神を持つヘリゲルには、”心で射る” とか ”的と一体になる” などといったことが全く理解できません・・・何しろ、阿波先生がヘリゲルに要求したのは、射手が上手く矢を的に当てるための技術ではなく、矢のほうが勝手に的に当たって行くというものだったのです。
 ヘリゲルは師に、そもそも実際にそんなことが出来るのか、それは単なる精神論、理想論に過ぎないのではないのか、と疑問をぶつけました。すると阿波先生は、納得できないのなら今夜私の道場に来なさい、それを貴方に証明して見せよう、と言われました。
 その夜、師宅の道場を訪れたヘリゲルが、一体これから何が始まるのかと思っていると、阿波先生は真っ暗な道場に、たった一本の線香に火を灯して的の前に立てます。
 弓道の的は、近い距離の的でも28メートルあり、的の大きさは直径36センチしかありません。闇の中に線香の小さな火がかすかに見えるだけで、的の形さえ見えないのです。
 阿波先生は、そのかすかな線香の火に向かって弓を引き、続けて矢を二本放ちました。
 矢は闇の中に吸い込まれて行きましたが、暗闇の中の遠く離れた的に中ったのか、中らなかったのか、ヘリゲルには全く分かりません。師に促されて的のところまで行って、初めてそこに驚くべき事実を見出します。
 何と、一本目の矢は、見事に的の中心に命中しており、さらに二本目は、的に突き刺さった矢の弓筈(ゆはず=弦をかける切り込みのある矢の最後尾の部分)に中って、一本目の矢を真っ二つに引き裂いていたのです・・・」

「あ・・ああ・・・・!!」

「この暗闇の中で、射手はいったい何を狙って射ることが出来るというのか・・
 これでも貴方は、人は的を狙わずには矢を射られるはずがないと言うのだろうか・・
 阿波先生は、ヘリゲルにそう教え諭したそうです。
 ヘリゲルは、ドイツに帰国してから ”騎士の藝術としての弓術” と題する講演でその体験を熱く語り、多くの国の言葉にも翻訳された「日本の弓術」という名著に詳しく書いています。もちろん日本語にも訳されていますから、ぜひ読んでごらんなさい」

「・・ああ、すごい・・すごい話です・・・
 お恥ずかしいですが、そんな人が日本人に居たなんて、全く知りませんでした」

「だから、上には上がある・・・私の射撃の腕など、大したことはないのです」

「そんな・・陳中尉だって、同じことをやってのけているじゃないですか!」

「いいえ、私はとても阿波先生のような境地にはほど遠いものです。
 そのような精神状態になるには、まだまだ太極拳の修行を深く積んで行かなくてはなりませんし、たとえ修行を積んでも、自分にそれだけの器量があるとは到底思えません。
 武藝の至高の境地とは、自分が向かっている対象に意識が向かうのではなく、自分の内側へと意識が向けられるのです。自分以外の、外側へ意識が向かうのではなく、ひたすら自分の内側へと向けられていくのです。
 そして達人と言われるような人は、最終的にはその意識さえも跡形もなく消し去ってしまう・・・阿波先生の弓道も、王老師が伝える太極拳も、そのような至高の武藝であり、人間が辿り着ける最高の境地であると、私は思っています。
 私など、未だそのような境地の入口さえ見つけられません・・・ただ、せっかく王老師のような素晴らしい師と巡り会うご縁を戴いたのですから、石にかじりついてでも、太極拳の奥妙を極めたいと思っていますが・・」

「実際にそれほどの腕がおありなのに・・・陳中尉は本当にいつも謙虚なのですね。
 自分など、何かがちょっと出来るとすぐに慢心してしまい、その後で、案の定その軽薄さをひっくり返されることになって、落ち込んでしまうことの連続です」

「ははは・・それはそれで、ヒロタカらしくていいじゃないですか。そのヒロタカも王老師
 が認める優れた資質があるのですし、要は磨いていくことですよ。お互いに、ね・・」

「・・はい、とても貴重なお話を、ありがとうございました」

 大きなものの全体性に触れることで、自己というちっぽけなものに気付かされた時には、人はどうしても謙虚にならざるを得ない。自分に厳しく、他人に優しい兄弟子に向かって、宏隆は自然に、深々と頭を下げていた。

「・・さあ、もっと撃ってごらんなさい。
 基本が分かったら、とにかく理屈抜きに、解るまで徹底的にやり込むことです!」

「はい・・・!!」

 宏隆はベレッタに新しいカートリッジを入れ、スライドを引いてチェンバーに初弾を装填すると、標的に向かって丁寧に馬歩を取り、両手でピタリとアソセレスに構えた。

 相変わらず、的は遠い・・・・
 しかし、陳中尉の話を聞いたおかげで、そこに如何に外さずに命中させるか、上手く中てるかなどということに、もう宏隆は何も執着しなくなっていた。


「心で撃つのだ・・・・
 目に見える的を、銃で狙って撃つのではない・・・

 標的は、破壊すべき敵ではない
 標的は、自分自身の姿、自己の存在を映す鏡に他ならない

 身体の軸・・・ 心の軸・・・
 身体の中心・・・ 心の中心・・・・

 己が映し出された標的と、ひとつになって・・・
 己の中心が的に向かって没入され、自然に引き込まれ、一体となっていく・・・」

  
 ・・・じっと構えたまま、まだ宏隆には銃を撃つ気配がない。

 まるで站椿を練るように馬歩を整えながら的に向かっていると、あれほど遠くに感じられた標的が、いつの間にかずいぶん近くなったように思えた。


                                 (つづく)

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2010年06月01日

連載小説「龍の道」 第46回




 第46回 訓 練(5)


 いったい何が起こったのか・・・・

 宏隆には容易に理解できなかった。
 さっきの自分と同じように、陳中尉が弾けるように飛ばされていったのだ。

「なぜ、こんなことが・・・・・?」

 無論、自分にそんなことが出来たのだとは、これっぽっちも信じられない。
 何より、人が大きく飛んでいくような力を、全く出していないのだ。
 それなのに、陳中尉は信じられないほどの早さで吹っ飛んでいった。
 転がりこそしなかったが、さっきと同じように机の所まで後ろ向きに飛ばされ、後ろ手に机に手を着いて、ようやくそこで停まったのだ。

「・・いやあ、流石に上手いものですね。
 もう少し上達したら、きっと転がされてしまいそうですよ、ははは・・・」

「陳中尉、これは一体どうなっているんでしょうか・・?
 自分にこんなことが出来たなんて、ちょっと信じられません」

「それが ”架式” というものなのです。
 如何なる力みも存在せず、立っていることが中心から外れていない状態・・・」

「立つことの ”中心” ・・・無極椿で求められるものですね?」

「そのとおりです」

「・・それが、それ自体がチカラとなるような立ち方だということですか?」

「そうです。いま体験したように、架式はただ立っているだけなら ”静” ですが、そこから正しい構造で ”動” に転じれば、それだけで勁力、つまり正しいチカラとなります。
 しかし、それが力みで行われてしまうと、ただの拙力になってしまう。
 それは常に ”意” が用いられることによって行われなくてはなりません・・・」

「うーん、難しいですね・・・でも、稽古で真っ先に站椿を練ることの意味は分かるような気がします。自分はまだまだ站椿を理解していないようです」

「正しい理解が起こるには、多くの誤解を解いて行かなくてはなりません。人は何でも自分勝手に、好きなように理解したがるものですからね。己の無知と無力を識(し)り、ひたすら謙虚になることが出来れば、数々の誤解も自ずと解けていくものですよ」

「傲慢さは何ひとつ問題の解決をもたらさない・・と、よく父にも言われました。
 もっと、もっと、站椿をやり込まなくてはなりませんね。一時間でも、二時間でも、立つことを理解するために、立っていられる限り、立っていたい気持ちです・・・」

「・・うん、謙虚にそう思えるのは、とても良い傾向です。私の経験でも、站椿の重要性に気付いてから、ようやく太極拳で何を学ぶのかということが見えてきましたからね」

「王老師は、ただ単に足幅が広く架式が低いだけの馬歩など、何の役にも立たないと言われました。架式はそんなことで決まるのではなく、何処で立つか、何によって立っているかということなのだと・・・自分ではまだ、放鬆(ファンソン)が正しくないような気がしているのですが」

「馬歩で立っていて、椅子に腰掛けているような感覚がありますか・・?」

「王老師にもそう言われました。正しい馬歩は椅子に腰掛けているような感覚が在る、と。
 まるで椅子に腰掛けているように見える恰好で立つのではなく、実際に椅子に腰掛けているのと変わらない ”確かな実感” が内部に存在しているのだと言われました」

「そのとおりです、それが確かに感じられれば、高架、低架に係わらず、正しい馬歩であると言えます」

「身体の中心には、確かにある種のしっかりした構造のようなものを感じるのですが、実際に椅子に座っているのと同じような感覚・・とまでは明確に感じられません」

「ふむ・・・それじゃ、もう一度やってみましょう。
 さあ、馬歩を取り直して・・・」

 ふと気がつくと、ブースで実弾射撃の訓練に励んでいた二人が、いつの間にかそばに来て、陳中尉と宏隆のやりとりを食い入るように見ている。

 もちろん、王老師の陳氏太極拳は、彼ら結社のメンバーにとっても強い憧憬の対象なのだが、単にそのような憧れで眺めているわけではない。たとえ少しの時間でも陳中尉の指導に触れて何かを学ぶことは、彼らにとっては命懸けの任務を全うし、なおかつ身の安全を確保するための、差し迫った必要性に他ならない。その証拠に、彼らがこの師兄弟のやり取りを見る目は、まるで最前線に送られた兵士のように、真剣そのものであった。

 しかし、その陳氏太極拳は、たとえ秘密結社・玄洋會に属する者であっても、望めば誰もが学べるわけではなかった。王老師は結社の隊員にも武術指導をするが、それと陳氏太極拳の真伝を正しく教授することとは全く内容が異なっている。

 中国武術では、本人の熱意や目的の確かさなどを認められて取り敢えず入門を許された者は「学生」と呼ばれるが、それは言わば師の示範を見様見真似に学ぶことを許されたということであり、師の動きを見せてもらえることを元に、自分の力でひたすら学んでいくしかない。
 学生たちの中で、さらに優れた資質を見出された者は「門徒」などと呼ばれる。つまり、ようやく師の門に入門を許された門人徒弟の立場となったわけであり、学生に比べればより多くの内容が指導されることになる。
 しかし、本当に拳理拳学の真実を授けられるのは、師のもとで生涯を懸けてこの道を学び、その内容を後世へ正しく伝承することを誓った「入室弟子」や「拝師弟子」と呼ばれる者たちである。彼らは門徒の中から選ばれた、師の鑑識眼に適う武藝の天稟と人格に秀でた人間であり、その者たちだけに限って、最も高度な奥妙が伝授されるのである。

 陳中尉と宏隆のやりとりを眺めている彼らにしてみれば、まだ笑顔にあどけなさが残る、この異国の少年が、たいそう不思議な存在として映っている・・・
 彼らが憧憬してやまない陳氏太極拳という高度な武術の真伝を学ぶことを許され、結社のみならず、斯界にその高名を聞く王老師の拝師弟子として認められたということだけでも正に驚くべきことなのだが、その宏隆は、さらに自分たちの尊敬する上官であり武術教練でもある陳中尉を、目の前で、僅か二度目のグラウンディングで見事に吹っ飛ばしている・・

 そんな宏隆という人間に対しては、もう立場や年齢を超えて、必然、畏敬の念さえ抱かざるを得ない。先刻、さんざん言い掛かりを付けた ”強” という男も、単に親譲りの反日感情と言うだけではなく、そんな宏隆への羨望や畏れの気持ちが強かったからに違いなかった。


 その宏隆は、再び丁寧に馬歩を取り直している・・・

 念入りに無極椿の要求を身体に整え、足を一歩横に開くのにも、教わったとおりの忠実な動きで、1,2,3、と、動作を分解して構造を整えながら細かな調整をしている。
 よく見れば、出す方の足が浮いて、ゆっくりと身体が左へと動き、もう身体がとっくに軸足の上を超えているのに、出された足はなかなか地面に落ちない・・まるで身体が空中に浮いているような、重力に拘束されていないかのような動きがありありと見られるのだ。

 それに、どのように立てばそんなことが可能となるのか、立っている軸足は、見た目に全くと言って良いほど外側にブレておらず、片足だというのに、ほぼ真っ直ぐに立っている。股関節の外側の、大転子(だいてんし)の方に寄り掛かるように流れては行かないのだ。
 そして、ようやく着地した脚は、まるで鳥が小枝に留まったかのようにフワリと軽やかで、站椿(Zhan Zuang)の字義である「杭のように立つ」などという事とはまるで無縁のような立ち方に思える。

「・・そう、放鬆をすればするほど自分の立つ軸が分かり、立つ軸が分かれば分かるほど、そこに安心して放鬆することが出来るのです・・・どうですか?」

「はい、何だか寛いで放鬆するほど、立っている位置が際立ってくるような気がします」

「おそらくその感覚は正しいものでしょう。見た目の姿や形も、正しいと思えます。
 それじゃ、もう一度押していきますよ・・・」

「・・お願いします」

 陳中尉は、馬歩の架式で立つ宏隆を、再びゆっくりと押し始めた。

「そうです・・・押されている力を、そのまま脚(ジャオ)に伝えるようにして・・・」

「・・・・・・・」

「そう、そうです、その調子です・・・・
 その方が、つま先や太腿に寄り掛かりがないので、さっきよりも良いですね」

「はい・・・・」

 しかし宏隆は、馬歩の正しい位置に集中するあまり、少し身体が固くなってきた。

「それでは気負いすぎです・・・もっと、この辺りを・・この方向に放鬆するような気持ちでやってみると、立つ位置が分かりやすくなりますよ」

 陳中尉は一旦手を放して、宏隆の身体の何カ所かの部分をポン、ポン、と叩きながらそうアドバイスをし、再び手のひらを押し始める。

「あ・・・こうすると全然違いますね。何だか、こうしてはいけないような感覚がこれまでにはありました・・・こんなふうに放鬆しても良いんですね?」

「ははは・・・良いどころではありません、そうしなくては放鬆にならないのです。
 その状態から、それらの構造を結んで、さっきと同じ意識で私を飛ばしてごらんなさい」

「はい・・・」

 ふっ、と・・・・宏隆の身体がわずかに震えるように動いた途端に、陳中尉の身体は再び後ろ向きのまま、同じ机の方に飛ばされていった。

「・・あっ、これだっ!、正しい馬歩はこの位置なんですね!!」

「そのとおり・・・出来るじゃないですか!、たった二回目で早くもグラウンディングを取ってしまいましたね!」

 弾き飛ばされた陳中尉が、さっきと同じ机の辺りから、少し興奮気味に声を掛ける。
 中尉にしてみれば、王老師から同じ陳氏太極拳を学ぶ弟(おとうと)弟子が可愛くて仕方がなかった。その弟はなかなか度胸もあるし、武術の素質(すじ)も良い・・・

「いいえ、まだ謎だらけ、分からないことだらけです・・・だいいち、誰に押してもらってもこんな真似が出来るとは、到底思えません。中尉に丁寧に押して頂いたからこそ、出来たのだと思います」

「・・・大丈夫ですよ、やって行けば必ずこの馬歩の原理が分かるようになります。
 それに、相手を吹っ飛ばすことがこの練功の目的ではありませんからね。オリンピックではないので飛ばす距離を競うわけではないし、たとえ相手が10センチしか動かなくても、正しい構造は正しい構造なのです」

「ありがとうございます、これからは站椿をもっと繊細に練っていけそうです」

「站椿はいくら練っても多すぎるということはありませんね。時間を掛けて練れば練るほど、武術的に立つことの何たるかが理解されてくることでしょう。・・・さて、ちょっと脱線しましたが、次は射撃で馬歩を確認してみましょうか!」

「・・待ってました! お願いします!!」

「はははは・・・・」


 陳中尉は宏隆と一緒に射撃ブースに戻り、再びベレッタを手に取って見せる。

「銃を正確に撃つためには、先ほどと同じように無極を基本として、馬歩で構えるのです」

 ピタリ、と・・・陳中尉は寸分の狂いも有り得ないような見事な馬歩で立ち、ベレッタを両手でアソセレス(二等辺三角形)の形に構えて見せた。

「・・さあ、やってごらんなさい」

 宏隆もまた、たった今、中尉を弾き飛ばした馬歩を思い出して、ピタリと構える・・・

「そう、カタチはなかなか良いですね・・・
 では、チェンバー(chamber=薬室)に弾丸を装填して、そのまま撃ってごらんなさい。
 標的までの距離は約18メートル、中心の黒い円は直径5センチです」

 そう言われて、安全装置を外し、スライドを引き、初弾をチェンバーに送り込んで、もう一度構え直す。

 しかし、何とも標的が遠い・・・・

 18メートルぐらい、歩いてもほんの僅かな距離だというのに、どうしてこんなにも遠く感じられるのだろうか。それに、標的の真ん中の黒い円は、小さな点にしか見えない。
 片目をつぶって、懸命に照準を合わせて標的の中心を狙っていると、

「・・片目をつぶるのはダメですよ。実戦では動いている場合が多いので、片目をつぶるという行為は距離感や見える範囲を狂わせて危険極まりないですからね。
 片目で撃つような場合は、ある程度の距離があって、静止しているものを慎重に狙う必要がある時だけです。まずはきちんと両目を開けて、照準に慣れることです」

「はい・・しかし、両目を開けていると照準がダブって見えて、何処に合わせて良いか分からなくなりますが・・・」

「人間の目は左右に距離があるので、近いものに焦点を合わせようとすると、どうしてもダブって見えてしまうのは仕方がありません。両目を開けていても ”利き目” で照準を合わせられるように訓練しなくてはならないのです・・・」

「利き目、と言うのですか?、その言葉自体、初めて耳にしました・・・」

「普通は、利き手、利き腕とは言っても、あまり利き目とは言わないかも知れません。軍隊用語だと思ってもらえればいいですね。
 今の場合は、照準を合わせやすい方の目が ”利き目” です。標的が移動している時は両目を開けていることが必要で、それを動的射撃と言います。距離があって標的が静止している場合は片目をつぶって撃ちますが、それを静的射撃と言います」

 ・・・通常、銃の照準器は、銃の先端に凸型の照星(フロント・サイト)、グリップの上にある撃鉄のすぐ前に凹型の照門(リア・サイト)が着いていて、照門の窪みに照星を合わせて狙いを付ける。そして両目で見ていると照門がダブって見えるので、素人は必ずと言って良いほど、しっかり片目をつぶって照準を合わせようとする。
 しかし片目をつぶると、照準を合わせたところ以外の動きが見えにくく、すぐ横に味方が飛び出してきたのが見えなかった、などということが無いように、銃を用いる仕事では必ず両目を開けて撃つ訓練が行われる。


「訓練をしていけば、すぐに自分の利き目で合わせることに慣れてきますよ」

「利き目で、狙いをつける・・・・ああ、なるほど、両目を開けていても、片目で狙った時と同じように照準を合わせることが出来ますね」

「そうです、それで撃ってごらんなさい」

「はい・・・・」

 はい・・と、答えるか答えないかのうちに、宏隆はもうベレッタを撃ち始めていた。

「ターン、ターン、ターン、ターン・・・・・」

 初めて撃つベレッタの銃声が、射撃場に響きわたる。
 実際にそれを手にして撃てば、拳銃とは思えぬほど軽やかな音に聞こえた。


                                 (つづく)



  【 参考資料映像・ベレッタM92F 】


     

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