*第21回 〜 第30回

2009年08月28日

連載小説「龍の道」 第25回




 第25回 臺 灣 (たいわん)(4)



 何日もの間、洋上で潮風に揉まれ続けた身体に熱いシャワーを浴び、テラスで涼んでいると、点心が運ばれてきて、ボーイがお茶を淹れてくれる。
 このホテルには「金龍廳餐廳(チンロンティンツァイティエン)」つまり、ゴールデン・ドラゴン・レストランという名の、季節感に溢れる最高級の広東料理を調理するレストランがあり、台湾に来る国賓クラスの客も必ず訪れるという。
 そのレストランから届けられた点心は、宏隆が好物の粽(ちまき)と、五彩鮮粉果(五目蒸し餃子)、生煎花枝餅(イカとエビの揚げ餃子)、蜜汁叉燒酥(チャーシューのパイ)、そして、このレストランの名物で、宿泊客は誰もが必ず食すると言われる、絶品の香芒凍布丁(マンゴー・プディング)が運ばれてきた。
 味は賞賛されるだけあってなかなか美味で、今度は飲茶ではなく、ディナーをゆっくり味わいたいと宏隆は思った。


 腹拵えが済むと、そろそろ張大人を訪問する時間が迫ってくる。
 紺のダブルのブレザーに、フレンチブルーのストライプのシャツ、シックな赤を織り込んだ絹のネクタイ、そしてプレスをしたばかりのグレーのズボンに着替え、よく磨かれた黒のトラッドシューズを履いて、陳さんと約束をした18時よりも10分ほど早めにロビーに降りていく。
 宏隆はどんな旅行に出かけるにも、このような服装の用意を怠らなかった。
 外に出たときに恥を掻かぬよう、また他人様に失礼の無いよう、たとえ南国のリゾートで休暇中であろうと、必ずインフォーマルの支度をしておくべきだと、父から厳しく躾けられていたのである。
 日本中が “一億総中流階級意識” などと言われ、あまり服装の区別も気にされなくなった昨今だが、人間の礼儀や作法が時代によってそう簡単に変わるものでもない。目上の、それも初対面の人と面会するのに、気軽なカジュアルの恰好で良いわけがなかった。

 玄関に向かうと、外に居たドアマンが、サッと重厚な扉を開ける。
 表に出ると、ちょうど真白いロールス・ロイスがアプローチから玄関前に滑り込んできた。
 宏隆の顔を憶えている先ほどのベルボーイが後ろのドアを開け、「どうぞ」と黙礼して、ドアを閉めながら、また日本語で「行ってらっしゃいませ」と慇懃に言った。

「・・やあ、お待たせしましたか?」

「いえ、いま下りてきたばかりです。迎えに来て頂いてありがとうございます。
 ずいぶん早く来られたんですね・・・」

 すでにホテルの丘を下りはじめているクルマの中で、宏隆が言うと、

「ははは・・・この際、私が遅れるわけにはいきませんからね」

 陳さんが笑って応える。

 真白いロールス・ロイスは、ホテルから中山北路を南に向かって走って行く。
 しばらくすると、陳さんが、この右側の道の突きあたりが、現在の台湾の「総統府」ですよ、と教えてくれた。

 総統府・・・それは、かつて清国から割譲され、日本領となった台湾を統治するために設置された日本の官庁、「台湾総督府」が存在したところである。

 台湾は、1624年から40年間も続いたオランダの植民地時代と、その後の「反清復明」を唱える鄭成功の政権による初の漢民族が支配する歴史を経てきたが、鄭政権は清朝の攻撃を受けて1683年に降伏し、三代に及ぶ23年間の統治に幕を閉じる。

 清朝支配後の台湾には、対岸に位置する中国の福建省や広東省から多くの漢民族が移住してきたが、もともと台湾を「化外(けがい)の地」としていた清朝の統治力は弱く、太平天国の乱を皮切りに、「欧州列強」の勢力の進出と内乱の嵐が吹き荒れた19世紀の中国では、その影響が少なからず台湾にも及び、1840〜1842年の阿片戦争時にはイギリス海軍が基隆に攻め込み、1858年にはアロー戦争に敗れた清が天津条約を締結して、基隆港や安平港が列強に開港されることになった。

 やがて1894年に日清戦争で清朝が敗北し、翌1895年の講和会議で調印された日清講和条約(下関条約)に基づいて台湾が日本に割譲され、日本の領土として「台湾総督府」の統治下に置かれることになる。
 「眠れる獅子」と畏れられた清が日本に敗北するのを見た欧州列強は、ここぞとばかりに勢力分割を行い、山東省をドイツ、広東省・広西省をフランス、長江流域をイギリス、満洲からモンゴル・トルキスタンをロシアの勢力圏とした。また、イギリスは香港の九龍半島と威海衛、フランスは広州湾、ドイツが青島、ロシアが旅順と大連を租借地として、各々に要塞を築いて東アジア進出の拠点としたのである。

 当時の、そのような複雑な歴史の推移はさておき、祖父の隆興(たかおき)が、台湾統治時代に日本政府の高級文官としてここに赴任していたのだと思うと、宏隆にはとても感慨が深かった。
 その建物は、日本が建てたそのままの姿で、今も中華民国の「総統府」として使われている。もしかすると陳さんは、宏隆の祖父がここに赴任していたことを知っていて、総督府の場所を “現在の” と表現して、さりげなく教えてくれたのかも知れなかった。


 ロールス・ロイスは、総統府の正面の交差点を東に折れて仁愛路に入り、仁愛路の二段あたりで右折して、街路樹の多い静かな住宅街に入っていく。
 仁愛路と、もう一本南側にある信義路や、森林公園との間に挟まれたところにある住宅街は、台湾でも有数の、閑静な高級住宅街として知られていた。

 車は、その中でもひときわ背の高い、垢抜けたデザインのマンションの前に停まり、監視カメラの付いた門柱のインターホンを鳴らして陳さんが何かを告げると、しばらくして高さが3メートルもある瀟洒なアイアン・レースの門扉が電動でスライドして開いた。
 地下の駐車場へ下りるゲートには、大きな金色の龍のレリーフが施されている。
 クルマを停めた地下から建物のエレベーター・ホールに入るにも、再び傍らのインターホンを鳴らし、確認してから、ようやく扉のロックが開かれる。
 エレベーターに乗ると、陳さんはポケットから鍵を取り出し、階を示すボタンの並んだプレートの上部にある鍵穴に差し込んで回し、一番上の「PH」と書かれたボタンを押した。
 そうしなくては、そのボタンを押すことはできない。これは「PH」、つまり最上階のペント・ハウス専用のセキュリティー・キーなのであった。

 14階の、そのまた上にあるので、最上階のペントハウスは15階ということになる。
 エレベーターが停まってドアが開くと、少し先に大きな黒い扉がある玄関ホールが見え、天井には監視カメラが2台も付いている。
 扉の前には、銃こそ身に付けていないが、徽章付きの帽子を被り、腰には特殊警棒と大きなナイフを提げ、手にも五尺ほどの棍棒を持ったカーキ色の兵服を身に纏った門衛が立っている。
 門衛は陳さんの顔を見ると敬礼をして無線で内部と連絡を取り、しばらくするとドアのロックがガチャリと音を立てて解除された。
 扉の中からは、きちんとスーツを着た体格の良い男が二人現れ、姿勢を正して陳さんに敬礼をする。この二人も軍人のように頭髪が短く刈り込まれている。
 表のアイアンレースの門からこの玄関まで、セキュリティー・ロックは合計で4個所ということになる。神戸の家でも、さすがにそれほどまでの用心は無い。

 陳さんが何か中国語で少し言葉を交わすと、その一人が奥のリビングルームに案内し、もうひとりが何処かへ去っていく。

 マンションとは思えないほど、室内は驚くほど広い。
 ここは最上階なのだが、天井が高く、吹き抜けに造られていて、部屋の中から更に上階に上がる階段がある。

 宏隆が住んでいる神戸の屋敷の内部とは、また雰囲気が違っている。
 置かれている家具や、飾られている書画や大きな壺にも、異なる民族の、異なる文化の香りがそこかしこに感じられ、しかもそれらの趣味が良く、その上品さとモダンな建築デザインとが巧みに調和している。

 案内の男に、背もたれに立派な透かし彫りのあるソファを勧められて座り、陳さんと共に、しばらくの間そこで待つ・・・
 窓はゆったり大きく取られていて、広いテラスの向こうには台北の町並みが広がって見える。双眼鏡を使えば、宿泊している圓山大飯店の部屋から、このペントハウスを見つけることが出来るかも知れなかった。


 やがて、陳さんがスッと立ち上がり、宏隆も階段の上から降りてくる人を見つけて、椅子から少し離れて、その人を待つ・・・

 まるで、時間の流れがそこだけ違うかのように、ゆっくりと、軽くステッキを突きながら、その人は宏隆たちの方に向かって歩いてきた。

 陳さんがその人にお辞儀をして、「カトー・ヒロタカさんをお連れしました」と、日本語で言った。

 その人は陳さんに頷くと、宏隆に向かって、

「遠いところを、よく来られましたね・・・私は張と言います」

 この人もまた、流暢な日本語で、そう言った。

「初めまして、加藤宏隆と申します。
 王老師のご指示で、こちらにご挨拶に参上させていただきました。
 どうぞよろしくお願い致します。」

 ・・・深々と腰を折って、丁寧に挨拶をする。
 自分が陳氏太極拳を学んでいる王老師の恩人であり、王老師が所属する組織の長老である人への、それは当然な礼儀である。
 そして、宏隆のお辞儀は、茶道の師匠でもある母に厳しく教えられただけあって、どれほど深く腰を折っても尻が突き出ない、端正なものであった。

「おお・・・近ごろの若者にしては、なかなか礼儀正しい、立派な挨拶だ。
 さあ、そこに掛けなさい。いまお茶を持って来させましょう」

 ・・と、笑顔でそう言い、腰掛けながら宏隆に席を勧める。

 しかし、宏隆は、その人が席に着くまで立ったまま待っている。
 そして、腰掛けたその人が再び宏隆に席を勧め、傍らの陳さんにも目で促されて、ようやくそこに座った。その人は、さりげなく、そんな宏隆の動きを見守っている。


「こんな所に連れてこられて、少し不思議に思っているかもしれないが・・・」

 その人が、宏隆に向かって話し始める。

「はい、王老師のご指示のままに、ここまで来ましたが、実は、まだその意味がよく分かっていません」

「ふむ・・・正直でよろしい」

 張大人、と呼ばれるその人は、七十の坂を少し超えたくらいの上品な紳士に見える。
 真夏の盛りにもかかわらず、きちんとベージュ色の麻のジャケットを着用して、織りの良い水色のシャツを着ている。白い頭髪は全部後ろに流し、彫りの深い顔には、右の顎の辺りに深い傷跡があり、目の奥の眼光の鋭さが、さらに得体の知れ無い雰囲気を感じさせている。
 また、座っている時にも常にステッキの銀製のダービー・グリップから離れない手は、まるで長年百姓仕事でもしてきたかのように、よく働き、よく使い込まれたことを思わせる手であった。

 ふと気がつくと、入り口のそばと、向こうの壁際に、いつの間にか先ほどの二人の男たちが別々に立っている。


「君は、武術が好きかね・・・?」

「はい、好きです」

「王くんに学んでいる、陳氏太極拳については、どう思うかね・・」

「とても奥の深い、高度な武術だと思います。初めて王老師と手合わせして頂いたたときには、勢いよく拳を突いていった僕が、フワリと浮かされるように、そのまま何メートルも吹っ飛ばされて、ひどい目に逢いました」

「・・おお、そうか・・そうか・・・」

 張大人の顔が、少しほころんでいる。

「・・王くんの練習は、楽しいかね?」

「太極拳を学ぶ事はとても楽しいですが、指導される内容はとても厳しいです。
 それに、体力よりも、知性や感性を多く必要とするので、武術というよりも、絵画や音楽に近いものを学んでいるような気がします」

「ほう・・・なるほど。
 ・・で、その陳氏太極拳は、これからも、もっと学んでいきたいかな?」

「はい、もちろんです!」

「・・では、君が陳氏太極拳を学びたい理由とは、何なのだろうか?」

「陳氏太極拳は、自分がこれまで経験したことのなかった、高度な武術だからです」

「世界中に、高度な武術は、他にもたくさんあるが・・・?」

「・・・王老師は、太極とは宇宙を意味しており、この武術は天理自然の宇宙の原理を現しているものだと言われました。宇宙の原理を理解し、それを体現できなければ太極拳を大成することは出来ない、と・・・
 それは徒(いたず)らに人に勝つための武術ではなく、自己と向かい合って磨き、人間として成長していくための、大いなる道なのだと・・・
 その、人間としての成長の中でこそ、初めてそのような高度な武術も身に付くのだと・・
 そう聞いたときに僕は、これこそが自分の求めていたものだと、確信しました」

「ふむ・・・・・」

「僕は小さい頃から・・・漠然としたものですが、人間として、まず自分自身ときちんと向かい合う必要があると、ずっと思い続けていたような気がしています。
 自分とは何であるのか、人間とは何であるのかを、他の何よりも優先して知る必要があるのではないかと・・・ですから、それが何であれ、人間として生まれてきた以上は、その本質を探求していきたいと思います。そして、王老師が教えて下さる陳氏太極拳には、その答えがあるように思えてならないのです・・・」

「ふむ・・・・君は、まだ若いのに、なかなか立派な考え方を持っているね」

「ありがとうございます・・・でも、それを求めていく気持ちだけは強いつもりですが、実際には、やっと套路を学び始めたばかりだというのに、とても難しくて、何度も音(ね)を上げそうになってしまいます」

 頭を掻きながら、恥ずかしそうに宏隆が言う。

「ははは・・・そうか、そうか・・・
 ・・で、その套路は・・十三勢は、どこまで進んだのかね?」

「まだ学び始めたばかりで、第二勢の終わりまで・・・
 二度目の “金剛搗碓(Jin-gang-dao-dui)” のところ迄です」

「おお、中国語で套路の名前を学んでいるのだね・・・
 では、学んだところを、ちょっと其処でやって見せて貰えるかな?」

 ・・そう言われて、宏隆はちょっと困ったような顔をしたが、

「残念ですが・・・それは、できません」

 ・・・すぐに、そう答えた。

「ほう・・・それは、何故かな?」

 宏隆の顔を覗き込むようにして、その人が訊いてくる。


                               (つづく)




  
    台湾総統府(旧・台湾総督府)


       
         アイアンレースの門扉のあるマンション

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2009年08月18日

連載小説「龍の道」 第24回




 第24回 臺 灣 (たいわん)(3)



「こ、こっ、これは・・・大変失礼いたしましたっ!」

 宏隆は慌ててその深いシートから飛び起き、浅く座り直し、背筋を伸ばしてそう言った。

「あははは・・・いやいや、何も失礼じゃありませんよ。
 あなたはまだ、正式に拝師入門していないことですし、それに、同じ門の中で学ぶ者は、みんな家族と同じなのですから、何の遠慮も気兼ねも要りません。
 それより私の方こそ、つい身分を申し遅れました。これからも宜しくお願いします」

 陳さんは笑いながら、いたって謙虚に、気軽に宏隆に接してくれる。

「こ、こちらこそ・・・しかし、兄弟子に運転までして頂いているロールス・ロイスの後部座席に、賓客になったような気分でふんぞり返って・・・本当に申し訳ありません」

「いやいや、これは任務、つまり張大人のご命令ですから、気にしないでください。
 それより、滅多に乗れないクルマなので、よく味わっておくと良いですよ」

「ありがとうございます・・・でも、そう聞いては、たとえロールス・ロイスでも、何だか落ち着いて乗っていられません」

「ははは・・・あなたはクルマがお好きなようですね」

「はい、父がいろいろと所有していて、僕もいつの間にか興味を持つようになりました。
 このロールスロイスは、陳さんの愛車なのですか?」

「いえ、そうだと良いのですけど・・この63年式のロールス・ロイス・シルバークラウドは、残念ながら私のものではありません。これは張大人のお車です。
 もっとも、こうして愛用している時間は遥かに私の方が多いので、実質的には私のクルマみたいなものですけどね! あはははは・・・」

「はははは・・・」

 陳さんの冗談に、宏隆は心が和んだ。できるだけリラックスさせて、旅の疲れを労おうとしてくれる、異国の先輩の暖かな心遣いを、宏隆はありがたく思った。


 基隆の港から3〜40分も走っただろうか。ロールス・ロイスは、話しをしているうちに、いつの間にか台北の町中を抜けて、右手の小高い丘の上へと向かっていく。

 丘の上には、まるで中国の ”紫禁城” を思わせるような立派な建物があり、正面の巨大な中華門の上には、「圓山大飯店」という文字が見える。

 「大飯店」というのはレストランのことではなく、ホテルの意味である。
 「圓山」というのは、ここの地名をいうのだろうか。日本では、円山と言えば文字どおり王族の墳墓そのものを意味したり、その名前自体も古墳に葬られた古代王族から生じた姓でもあるので、この地にも、そんな謂われがあるのかも知れなかった。

 そんなことを考えながら・・・

「何だか、すごいホテルですね。台湾にこんなホテルがあるなんて知りませんでした。
 もしかすると、僕は此処に泊まるのですか?」

 陳さんに訊ねると、

「そう、これは現在、台湾では一番のホテルですよ。
 お金持ちの一般人も、外国から来たVIPも、マフィアも、みんな此処に泊まります・・」

「マフィア・・・・?」

 そんな話をしているうちに、車はもう、アプローチのカーブから広い玄関に滑り込むように入っていく。貴婦人のような真白いロールス・ロイスが現れたとあってか、制服姿のドアマンが二人、慌てて駆けつけて来る。
 白い手袋で恭(うやうや)しく後ろのドアを開け、中の宏隆の顔をチラリと見ると、「いらっしゃいませ・・」と日本語で言った。

 背が高く、よく日に焼けた宏隆の顔は、欧米ではあまり日本人には見えないらしく、ヨーロッパの街中などでは白人観光客に道を尋ねらることも度々あるが、さすがにお隣の台湾では、ただの一瞥だけで日本人に見えるらしい。

 陳さんは、自分でドアを開けて、運転席から降り、

「さあ、行きましょう、荷物はベルボーイに任せて・・・」

 そう言って、乗ってきたロールスロイスや宏隆の荷物には目もくれずに、どんどんホテルの中に入っていく。
 
 フロントのある一階の内装も呆れるほど豪華に造られていて、厚く敷かれた緋毛氈は足音をよく吸収して、ロビーに独特の静けさを生み出している。
 朱色に塗られた太い円柱と、凝った装飾を施した華やかな天井から吊されている提灯が煌めき、紫禁城も斯(か)くありしかと思わせるが、侘び寂びの美意識を持つ日本人の目からは、その豪華さは随分と派手で、華美なものにも感じられる。


 陳さんが、慣れた様子で宏隆のチェックインを済ませて、此方に来る。

「それでは、18時にお迎えに上がって、張大人のところにお連れしますので、それまでの間シャワーでも浴びて、寛いでいて下さい」

「それから・・日本との時差はマイナス1時間です。
 もしまだでしたら、手許の時計を正しく合わせておいてください」

 そう言って姿勢を正し、サッと包拳礼をすると、再び玄関の方に歩いて行った。
 
 確かに宏隆は、昨夜の襲撃事件の興奮も覚めやらぬまま、まだ日本時間のまま時計を合わせてはいなかったのだが・・・思わず腕の時計を眺めながら、よくそれを見抜くものだと、つくづく感心した。そして「もし未だであれば・・」と付け加えた言葉にも、その人の余裕が見える。
 また、時間を”18時”と、24時間制で表現するのは、船乗りや軍人など、昼夜の別なく働く立場の人が、誤りの無い時間を確認する方法であった。
 陳さんの、大股で歩いているにも拘わらず、身体が左右にブレず、頭が全く上下に揺れない後ろ姿を見送りながら、この先輩はただ強そうに見えるだけの人ではない、と思えた。


 客室係が来てエレベーターで9階まで案内すると、その階のサービス・カウンターから日本語の出来る年配のバトラーが出てきて、部屋へと案内してくれる。

 用意された部屋はジュニア・スイートで、リビングと寝室が分かれている。
 ベッドは広々としているし、中国風の凝った彫刻の施されている重厚な机や椅子、サイドボードや箪笥などが置かれ、壁には篆書の字が墨痕も鮮やかに大きく描かれている額が掛けてある。
 ふと気付けば、ソファの傍らのテーブルには、メッセージカードが添えられた生花が飾られてあり、「歓迎・加藤宏隆様」と日本語で書かれていた。”歓迎”というのはレセプションでも見かけたので、たぶん中国語でも同じ言葉なのだろう。


 バトラーが宏隆の荷物を解き、箪笥の引き出しに丁寧にひとつずつ入れてくれる。

「・・今夜は、お出掛けになりますか?」

 そう訊ねるので、6時に迎えの車が来る予定だ、と答えると、

「それでは、ズボンをプレスして、靴を磨いておきましょう」

・・と、気を遣う。

 日本にはまだまだ僅(すく)ないが、家族と海外旅行に行くと、このようなサービスが付いた部屋に泊まることがよくあった。神戸の屋敷にも執事や下男が居るので、今回のような独り旅でも、何を躊躇(ためら)うことも、オドオドすることもなく、宏隆にはかえって快適であった。

「・・何かお飲み物をお持ちいたしましょうか?」

 手際よく荷物の整理を終えたバトラーがそう言うので、オレンジとマンゴーのミックス・フレッシュ・ジュースを大きめのグラスで頼んだが、ちょっと小腹が空いているのに気が付いて、好物の粽(ちまき)と、それに合いそうな点心と台湾茶を適当に見繕って持って来るように頼むと、「畏まりました・・」と、深々とお辞儀をして出ていく。

 白い寒冷紗のカーテンを開け、ベッドルームと同じほどの大きさのある広々したテラスに出ると、台北の街が一望できた。

「・・・やぁ、これは良い眺めだなぁ、ここに泊まる人は、まるで王侯貴族にでもなったような気分になるのだろうな・・・いや、実際に各国の元首や、マフィアの親分まで泊まるというんだから、”気分” じゃなく、王侯貴族そのものか、ははは・・・・」

 平安の昔から、千年以上も掛けて日本文化を創ってきたような一族の末裔に生まれ、神戸の山の手に九千坪の敷地を有する豪壮な邸宅に住まいしていても、宏隆にとってはそんなことはどうでも良く、どこかでそれが、いつも他人事のように思えてきた。

 人によっては、豪邸に住んで高級車を乗り回し、有り余る金がありさえすれば自分が偉くなったように思えるような人間も居るが、それは所詮は成り上がりの考え方であり、本当の貴人(あてびと)とは、その人の質や人間性の高さを指して云うのであり、貧富の差や社会的な地位に関わりのない、人間としての魂自体が高潔なものであるべきことを、宏隆は血液としてよく識(し)っている。


「きっと、ここは夜景が綺麗なのだろうな・・・」

 とりあえず、旅の目的地に到着した宏隆は、ふと、神戸の夜景を思い出していた。


                                (つづく)





   
     門から見た台北のホテル「円山大飯店(The Grand Hotel Taipei)」
     かつて米国の旅行雑誌で「世界十大ホテル」に選ばれたこともある。


   
     豪壮な構えの「円山大飯店」のロビー



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2009年08月08日

連載小説「龍の道」 第23回




 第23回 臺 灣 (たいわん)(2)


 基隆(キールン)の港は、意外なほど奥が深い。
 港からの路は、入り組んだ入り江を巡るように抜けて、やがて市街地に向かう道路へと入って行く。

 ロールス・ロイスは、水面(みなも)を往く帆船のように、滑るように走っている。
 この車は、決してただの成金趣味で乗れるようなものではない、と思う。一台ずつハンドメイドで造られるこのクルマは、細部にわたってオーナーの好みを如何様にも注文できると聞いたことがあるが、こうして緩(ゆる)りとシートに身を委ねていると、このクルマのオーナーが誰であろうと、それは多くの経験と繊細な感覚を持って、豊かな人生を送っている人に違いないと思える。

 ・・・宏隆は、クルマが好きであった。
 そして、それがスポーツカーであれ、乗用車であれ、軍用のジープであれ、明確な意図のもとに丁寧に造られた自動車は、素晴らしい芸術作品だと思える。

 父はベントレーのS2をショーファーに運転させていたし、休日にはジャガーのEタイプを駆って遠乗りをするような人なので、小さい頃からそのような名車を見慣れて目が肥えている。
 神戸ではロールス・ロイスはそれほど珍しくはなかったが、高校生の分際で、偉そうにも後部座席に深々と身体を預けるのは初めてのことであり、その乗り心地の良さや、決して華美に過ぎない、職人気質でひとつずつ丁寧に造られた内装に感心していた。

「・・排気量はどの位かなあ? エンジンはとても静かだけど、馬力もトルクも、かなりありそうだ・・・あ、そうか、ロールスは、スペックを一切公開しないんだったっけ・・」

 ロールス・ロイスのカタログには “必要十分な性能” とだけ書かれていて、馬力やトルクなどの、スペックの表記が何もない。無益なカタログの馬力競争に一石を投じる、その独自のポリシーを、宏隆は気に入っていた。

 上質の真白い皮で作られた座席の横の、窓際に沿って高く付けられている、フカフカのヘッドレストに、まるで何処かの王族のようにとっぷりと頭を預けながら、暢気にそんなことを考えていると、

「先ほどのお話ですが・・・」

 陳さんが、運転席から話しかけてくる。

「・・え・・・・はい?」

 ちょっと身を乗り出さないと、深々とした座席からは、話が遠い。

「台湾に滞在される間の、予定についてです・・・」

「・・あ、はい・・そうでしたね」

 細身の三本スポークの、まるで帆船の舵輪のような美しいウッド・ステアリングが、陳さんの立派な体格にも隠れることなく、その姿をのぞかせている。

「今夜、面接をしていただく張大人、というのは、私たちの組織を率いておられる最高責任者の方のことです」

「・・はい、そこまでは伺っています」

「私の最初の任務は、今夜、あなたを張大人にお引き合わせすることです。
 その後の予定は、その面接次第、ということになります」

「最初の任務・・・?」

「・・はい、あなたに関する任務は、他にもいろいろと命じられています」

「いろいろと・・・」

「そうです。しかし張大人との面接が済むまでは、それを明かすことは出来ません」
 
「・・張大人は、下のお名前は、何というのですか?」

「名前は、ありません・・・と、言うよりも、色々な名前をお持ちなので、どれが本当の名前なのか、張というお名前も本名なのかどうか、実のところ、私たちにも全く知らされていないのです」

「はあ・・・・?」

「・・ところで、昨夜は、ずいぶん活躍されたそうですね。
 さっき、船長から、工作船の襲撃について聞きました」

「いえ、ただ夢中で・・・それも頭に来てやっただけの、無謀な行為です。
 船長の許可もなく勝手にやってしまい、反省しているところです」

「・・身に降り掛かった危険から自分の生命を守るのに、無謀も何もありませんよ。
 撃たれて死んでから戦う許可をもらっても、何にもなりませんし・・・
 それに、ただじっと嵐が去るのを待っていても、去ってくれない嵐もあります」

「・・・・はい」

 なるほど、と宏隆は思う。

 あの時・・・怒り心頭に、乗組員でもないのに、つい自動小銃を手にして戦闘に加わってしまったが、あれがサーチライトではなく、もし誰か人間に当たっていたらと思うと、自分が勢いでやってしまったことが、宏隆には怖ろしく思えていた。
 きっとその人には家族もあるだろう、子供もいるかも知れない・・・そう思うと、敵とはいえ、人を容易に殺傷できる銃弾を、何発も平然と撃っていた自分が、ちょっと嫌になっていたのである。

 しかし、この人は・・・陳さんは即座に、自分の身を守る行為に、無謀も何もあるものか、と言い切るのだった。

 考えてみれば、あの時、もし工作船の攻撃が勝り、大武號が占拠されて人質となってしまっていれば、そこから先の保証は、何も無かったのである。
 異国の薄ら寒い収容所に連れて行かれ、組織の情報を得るために散々拷問されるのは目に見えているし、下手に抵抗すれば簡単に殺されてしまうかも知れず、かと言って無抵抗を貫いても生存出来るかどうかは分からない。そして、監禁されても、殺されても、いずれにせよ、悲しむのは自分の家族の方であった。

 散々ケンカはしてきたが、戦いというものは、どんな小さな戦いでも、大きな戦いでも、その本質は何も変わらないのだと思える。そして、相手と対等に立ち向かえるものがなければ、やはり、そこには屈従と隷属しか無いのだと思う。
 たとえ武器を捨てて平和を願い、友愛を唱えたとしても、世の中にはそれをあざ笑いながら平然と撃ってくる、どうしようもなく劣悪な人間たちも、嫌というほど存在するのだ。
 好んで闘うのではなく・・しかし、常に敢然とそれに立ち向かえるよう、備えの刃を充分に研ぎ澄ましておくことが、外敵の安易な攻撃や侵略を防ぎ、それによってこそ、本当の意味での平和や、国際社会のバランスを生み出すことになるのかも知れない。


 そう考えるうちに、宏隆はふと、何時か父から聞いたスイスのことを思い出した。
 スイスという国は、日本人から見ると、誰もがまず永世中立を掲げる、自然が美しい平和な直接民主制国家であることを想像するが、そのスイスの、本当の姿を識る日本人はとても少ない。
 日本では憲法改正などと言えば大ごとで、現に GHQ が造った日本国憲法は1947年以来、唯の一度も日本国民の手によって改正されていないが、スイスでは1874年以来、140回も改正され続けている。憲法というもの、そのものへの考え方が違っているのだ・・・

 ・・父の光興(みつおき)は、そんなふうに宏隆にスイスの話をしてくれた。

 まず、スイスという国では完全な国民皆兵、つまり “徴兵制” が採られている。
 ・・そう聞いただけで、びっくりする日本人も多いし、宏隆もそれを聞いて驚いた。
 大抵は、「あんな平和そうな、アルプスの少女の舞台になった国で、徴兵制なんてとても考えられない・・」と、信じられない顔をする人がほとんどなのだ。
 戦後の日本人は、自国の軍備が限りなく縮小されることと、国民が兵役に取られないことこそが平和に繋がり、自由が保証された社会なのだと、長年に渡って学習させられ続けてきた。そして外敵からの侵略はアメリカの駐留軍が守ってくれると安易に信じた人も多かったのである。

 けれども、そんな日本人が、平和で美しい理想的な中立国だと信じているスイスの本当の姿は、そうではない。
 アメリカ中央情報局 CIA 発行の《The World Factbook》によれば、スイスでは19歳の男子から徴兵があり、最低でも260日間、16歳以上の学生にも軍事訓練が施される。
 スイスの全人口は760万人で、その内の戦闘適格人口は290万人。常に人口の3人に1人は武器を持って戦える訓練を積んだ人間が存在し、健康な男性の居る家庭なら、必ず軍事訓練を身に付けた者が居ることになる。

 各家庭には、拳銃、自動小銃、弾薬などを保管する武器庫が有り、軍服、軍靴、ヘルメット、ガスマスク、無線機などが何時でも使用できるように準備されている。
 家屋には核攻撃や侵略に備えた頑丈な二重扉の地下室を造ることが義務付けられ、国からその補助金が出て、わずかな金額でそれを造ることが出来る。ごく普通のサラリーマンの家庭の地下室にも核シェルターがあり、そこには国家から支給された武器を始め、工具、食料、医薬品、核攻撃に備えたヨウ素剤まで備えられている、というわけである。

 各地区には対戦車砲や高射砲などの大型の火器が管理され、必要十分な「核シェルター」が至る所に設置されており、観光地で買い物をして歩いていてもシェルターへの入り口がたくさん目に付く。主要幹線道路には、スイッチひとつで出現する戦車用の防護柵が備えられ、高速道路は戦闘機の非常用の滑走路にもなるように設計され、各国境付近の全ての道路には、地雷が約2kmに亘って埋設され、遠隔操作で作動できる。

 また、政府発行の『民間防衛』というマニュアルが各家庭に配布され、そこには国家侵略の予兆から、実際の侵略が始まる様子、侵略が始まってから敵が取る行動、意図的なデマの流布の様子、細菌兵器や核攻撃に備えての準備や対処法などが詳細に記され、国民一人一人に、外敵の侵略に対してどのように祖国を守り、その侵略に屈することなく、如何に祖国を守って行くかということが、驚くほど具体的かつ平易に説明されている。

 ・・父は、普通の日本人がちょっと知りそうもない、そんな事にまで詳しかった。

 スイスの国防の基本は、たとえ敵国の侵略が不可能ではないにしても、侵略のメリットよりも、侵略による敵の損害の方が遥かに大きくなるようにする事にある、という。
 しかし、かつての戦勝国であるアメリカが安保条約で守ってくれていると信じている日本は、果たしてどうなのだろうか・・・
 また、近い将来、もしも、そのアメリカが日本侵略を密かに企てている国々と手を結んだら、果たしてこの国はどうなってしまうのだろうか・・・・

 北朝鮮の工作船の襲撃を受け、自分も生まれて初めて銃を取って戦うという経験をした宏隆の胸には、外敵からの侵略を受けることや、真の平和についての様々な思いが去来して止まなかった。


「・・・ライフルの撃ち方は、どこで習ったのですか?」

 頭の中をグルグル巡っている、そんな思いを遮るように、陳さんが訊ねてくる。

「いえ、ライフルを撃ったのは、あれが初めてです」

「・・ほう! それで遠くの敵船のサーチライトを撃ち抜くとは、大したものですね」

「いや、実は、扱い方さえ、よく分からなかったのです。
 以前に少し、モデルガンで遊んだことがあるくらいで、ただ見よう見真似で・・・」

「ははは・・・それにしては、すごい活躍でしたね。
 台湾ではモデルガンのことをトイ・ガンと呼びますが、それでも十分に役に立ちますよ。
 現に台湾軍でも、ホヤホヤの初年兵にはトイ・ガンで訓練させますから。
 ・・・もし銃に興味があるなら、今度、私が教えてあげましょうか?」

「・・えーっ!、本当ですか!?」

 どれほど意志が強くとも、実際面での経験の無さは、いざという時に、結局勇気を萎えさせることになる・・・あの、風の強い、揺れる暗い甲板の上で、こんな時、自分がきちんと銃を撃てる技術が有れば、どれほど心強かっただろうかと思う。それに、技術さえあれば、無暗に人を傷つけずに済むかもしれない・・・

 そんなことを考えていたところだったので、宏隆は渡りに船とばかりに、子供のように嬉しそうな声を上げた。

「ははは・・・本当ですとも! それに、どうせいつかは覚えなくてはならないんですから、早いほうが良いに決まっています」

「はあ・・・・?」

「うーん・・どうも貴方は、まだ自分の立場がよく分かっていないようですね」

「はい、多分よく分かっていません。一体、僕はこれからどうすればよいのでしょう・・?
 ただ、スゴイ中国の武術を・・陳氏太極拳を一生懸命学んでいるだけのつもりが、いつの間にかこうなってしまっていて・・・」

「あははは・・・・王老師(ウォン・ラオシー)は、まだ貴方に、何も詳しいことを告げておられないようですね」

「ウォン・・ラオシー・・・? ・・それは、王先生のことですか?」

「・・あ、そうか、日本では “老師” とは呼ばないのですね。
 老師というのは、先生のことです。台湾や中国では、若くても、女性でも、年齢に関係なく、先生のことを老師と呼ぶのですよ。老練や老巧という意味の“老”ですね」

「なるほど、日本で“老師”と言ったら、それこそ年配の師匠や僧侶のことになりますが・・
 王老師・・・そうか、これからは、僕も老師(ラオシー)と呼ぶことにします!
 ・・・では、陳さんも、僕が太極拳を学んでいる王老師をご存知なのですね?」

「あははは・・・ご存知も何も・・私は、王老師の拝師弟子なのですから!」

「え・・?・・・・ええ〜っ!?・・・・」

「・・あ、驚きましたね!! あははは・・・・・」

「えーっと・・・? ・・と、いうことは、つまり・・・?」

「・・そう! その “つまり” ですよ!!
 つまり、私たちは師兄弟、日本で言う “兄弟弟子” ということになります。
 もっとも、私の方が少し入門が早いので、兄弟子、っていうワケですけどね・・・」


                                (つづく)





      
     *スイスのベルン市街。左の建物の下部にシェルターへの避難口が見える。


      
     *街中のシェルター入口のアップ。

  
      
      *スイスでは各家庭の地下にこのような武器や食料が備えられている。


          
      *スイスの一般家庭の地下室の様子。
       分厚い二重の扉が設けられた核シェルターになっている。


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2009年07月28日

連載小説「龍の道」 第22回




 第22回 臺 灣 (たいわん)(1)


 昨夜の出来事が嘘のように思えるほど、穏やかな表情を見せる基隆(キールン)の港に、大武號は、すべるように入っていく。
 港の深く奥まった左側の埠頭には、台湾海軍の軍艦らしき船が何隻か停泊しているのが見える。

 ・・・思えば、この台湾に着くまでが、長い道のりであった。

 8月3日の19時に神戸港を出港してから、大分を経由して那覇に一泊し、台湾の基隆港に到着した今日は、8月7日の15時、つまり、もう丸4日目になる。
 途中、北朝鮮の工作船からの襲撃がなければ、午前中には此処に到着していたのだろうが、それにしても、船旅とは何とも時間の掛かるものだと、あらためて思う。

 しかし、その時間のおかげで経験できたことは、宏隆にとって本当に掛け替えのないものであった。
 見渡す限りの大海原を飽きるほど眺めて、水平線に昇る来光を拝し、一日中潮騒を聴きながら、自分が経てきた人生を示すかのような、何処までも伸びる真白い航跡を見つめ、陸(おか)に生きる人間たちの営みが何ひとつ存在しないところで、たっぷりと空と海の光を浴びて過ごす時間は、まさに日常では有り得ない、嫌が応にも自分自身を見つめる、またとない機会となった。

 加えて、昨夜受けた工作船からの襲撃は、一見平和な日本で生活する者には考えられない、“平和ボケ”で育った人間の目を覚ますには充分な、まさに青天の霹靂と言うべき出来ごとであり、自らの自由と尊厳を守るためには、たとえ武器を取ってでも戦わなければならないという覚悟を、宏隆の中に強く芽生えさせた。

 飛行機で一気に台北に来ていたら、伊丹空港から、わずか3時間・・・しかし、それでは、このような感慨も何ひとつ得られなかっただろうと思う。

 今思えば、自分にとって間違いなく人生の節目となるであろうこの台湾行きに、ひとっ飛びで到着する空路ではなく、充分に心の準備が出来る船旅を選んでくれたのは、紛れもなく王先生の心遣いに違いなかった。
 宏隆は、師のそのような思い遣りに、深く感謝せずには居られなかった。


 大武號に別れを告げ、下船して、初めて台湾の地を踏む・・・・

 慣れない長い船旅で平衡感覚がちょっと狂っているのか、よく揺れるタラップを下りて来るときは何ともないのに、タラップから一歩踏み出した途端に、まるで陸地の方が動いているような錯覚をおぼえて、少しヨロヨロしてしまう。
 人間の感覚とは、本当に不思議なものだと思う。

 そこには既に、林船長や孫さん、乗組員の人たちやコックさんまでが降りて来ていて、皆で宏隆に別れを惜しんでくれる。

「帰りも是非、この船に乗ってくださいよ・・!」

「一路平安!(イールー・ピンアン=道中ご無事でありますように)
  ・・元気で、頑張ってください!」

「素晴らしい武術家になれよ・・!」

「君はもう、立派に、俺たちの仲間だ。
 ・・いや、一緒に戦ったんだから “戦友” だな! ワハハハ・・」

「台湾でのことが、全てうまく行くように祈っていますよ・・」

 ・・・などと、思い思いに声を掛け、めいめいに手を握りしめて前途を祝福してくれる。
 宏隆は一人一人に深々と頭を下げ、感謝の言葉を述べて握手を交わした。

 最後に林(リン)船長に挨拶をすると、

「もうすっかり、大武號の乗組員のようになられて・・・
 大分で乗船されたときよりも、何やら逞しくなられたような気がします。
 お名残り惜しいですね・・・私たちは、あなたのことを決して忘れないでしょう」

「それから、もう、分かっておられると思いますが・・・
 昨夜この船が攻撃を受けたことは、どうか外部には内密にしてください。これは、取りあえずは世間に騒がれないよう、秘密にしておかなくてはならないことなのです」

 ・・と言う。

 そう言われて、ふと船を見上げると、一体いつの間にそうしたのか、銃撃を受けたはずの船体は、テープや板やペンキなどで巧みにカモフラージュされ、乗船したときとそれほど変わらないように見える。

「心得ています。決して口外しませんから、ご安心下さい。
 王先生とお会いしたときも、信じられないような秘密の場所でしたし・・」

 ちょっと微笑んで、宏隆はそう答えた。


 船長とそんな話をしていると・・・向こうから、真っ白なクルマが此方に向かって来るのが目に入り、皆がちょっと緊張した面持ちになって、一斉にそれを見る。

 気品のある、優雅なデザインのその白いクルマは、近づくにつれて、パルテノン神殿を摸した大きなグリルと、その頂上で銀色に輝く、羽根を広げた妖精のマスコットが目に入り、誰の目にも、それがロールス・ロイスであることが分かる。

 まるで氷の上を滑るように、音もなくスーッと傍らに近寄って来て停車すると、運転席から、そのクルマと全く不釣り合いな、背の高い、見るからに屈強そうな男が降りて来る。

 仕立ての良いネイビーブルーのスーツに、色も鮮やかな碧いネクタイを締め、髪の毛を短く刈り上げたその人は、いかにも厳しい修練を鍛え抜いたことが想像される、精悍な体つきをしている。
 年齢(とし)は三十代の半ばにもなるだろうか、切れ長の目の奥が射掛けるように鋭く光り、ふと何処か王先生にも似た、優れた武術家のようなエネルギーが感じられる。

 男は林船長に親しげに中国語で挨拶をし、やがて少し険しい顔になって・・・おそらく昨夜の出来事と思われることをしばらく話していたが、話が終わると船長が此方を向いて、宏隆に紹介をした。

「こちらは “武漢班” の教練で、もと台湾海軍中尉の、陳(ちん)くんです・・」

「初めまして・・あなたをお迎えに参りました、陳(チェン)と申します」

 もと海軍中尉というだけあって、軍服を着ればさぞかし似合いそうなその男は、自分で陳(チェン)と、中国語の発音で名乗り、姿勢を正して、両肘を真一文字に伸ばしながらスッと胸の前で掌と拳を合わせ、宏隆に向かって丁寧な日本語でそう挨拶をした。
 決して相手を威圧するようなエネルギーではないが、その目は片時も宏隆を見て離れず、礼をして頭を下げる時でも、視線は宏隆の足元へ、射抜くように注がれている。

「初めまして、カトウ・ヒロタカです・・・」

 その精悍さと隙の無い立ち姿に、ちょっと見惚(みと)れてしまっていた宏隆も、相手のそんな鋭い気を感じて、否応なく気持ちを引き締めつつ、胸の前で拳を組む。

 この挨拶の仕方は「包拳礼」と言って、陳氏太極拳の礼式でもあった。
 つまり、宏隆を迎えに来たというこの陳(チェン)という人は、同じ太極拳を学んでいる人間ということになる。

「・・・失礼ですが、"武漢班” というのは?」

 耳慣れない言葉に、さっそく質問を向ける。
 加藤家の人間は、相手が誰であっても・・それが初対面の外国人でも、何処かの国王であっても、臆することなく、常にきちんと話が出来た。

「戦闘部隊のことですよ、吾々の・・・」

 傍らから、船長が代わって答えた。

「戦闘部隊・・・・」

 耳慣れない言葉を聞いて、ちょっと戸惑いを感じたが、大武號に積まれた武器の数々、乗組員の装備や訓練を積んだ動きを思い出しても、この組織がかなり大掛かりな戦闘要員を抱えていることが想像できる。

 宏隆はそれ以上質問することを避けたが、その精悍な男は、何も言わず、黙って宏隆の方を見ている・・・

 宏隆も、70年代の高校生としては、決して背が低い方ではない。
 実際、身長は176センチあり、クラスでは一番高く、学年でも三番目くらいの高さなのだが、この陳という人は180センチほどは優にあるようで、宏隆がちょっと見上げるような感じになってしまう。
 それに、鍛え上げられたその引き締まった身体は、恐らく90キロは体重がありそうで、向かい合うと、77〜8キロしかない自分が、かなり貧弱に思えてくる。
 そして何よりも、まるで王先生のような、ちょっとでも油断すると即座に斬られてしまうような、そんな鋭さが感じられてならなかった。


「それでは、参りましょうか・・・」

「・・どこへ行くのですか?」

「まずは、台湾に滞在するための宿舎にご案内します。
 宿舎で少し休んでいただいた後は、張大人(たいじん)の処へお連れするように命じられています」

「張大人と、面接をするのですね・・?」

「そうです」

「それから、どうするのですか?」

「・・台湾での予定を、何もお聞きになっていないのですか?」

「詳しい予定は、まだ何も伺っていません。ただ、張大人との面接が良い結果であれば、家族の仲間入りをさせ、王先生の正式な門人にすると・・・」

「なるほど・・・では、あまり時間がありませんので、先ずはクルマに乗って頂いて・・
 お話はそれからということにしましょう」

 軍用の物らしい、小振りで頑丈そうな腕時計をちらりと見て、陳中尉が言う。
 昨夜の襲撃で大武號の到着が大幅に遅れてしまい、宏隆の台湾での予定が詰まっているのかも知れなかった。

 宏隆は、再び大武號の乗組員たちに別れを告げると、その白い貴婦人のようなクルマの乗客となった。


                                (つづく)




  
      台湾「基隆(Chi-lung)港」
 

   
       Rolls-Royce Silver Cloud 1963

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2009年07月18日

連載小説「龍の道」 第21回




 第21回 澪 標 (みおつくし)(4)


 銃撃戦は、ようやく味方の方が勝(まさ)ってきたように思える。

 宏隆によって強力なサーチライトが破壊され、頭上に照明弾を揚げられた敵船は、まさに文字通り明暗が一転し、だんだんその恐怖の破壊力の武器を、自在に撃ちまくることが出来なくなってきている。

 宏隆はさらに、此方から見えやすくなった敵の重機関銃の動きを封じるために、その機銃を支える脚の辺りを狙い、威嚇しながら、さらに何発かを撃つ。
 この船を乗っ取ろうとしている悪辣な敵とは言え、宏隆には到底、人間を的にして撃つことは出来ない。波に揺られていて、なかなか思うようには撃てないが、重い機関銃を支えている三脚の台座の辺りを狙って威嚇すると、敵の操者は明らさまにそれを嫌がり、時々慌てて機銃から放れて、後ろの物陰に隠れたりした。

 途中、ライフルの弾丸が尽きてしまい、慌てて弾倉の中を確認していた宏隆を見て、近くに居た船員が交換用のマガジンを此方に放って寄越す。
 宏隆は手早く弾倉を取り換え、間髪を容れず、再び威嚇射撃を繰り返す。

 もちろん、重機関銃を封じようとしているのは宏隆だけではない。
 工作船よりも長さがある大武號は、様々な場所から複数の角度で狙い撃ちが出来る。
 そしてその為に、此方の反撃が集中する度に相手の攻撃は止み、敵の重機関銃も、数名の自動小銃からの攻撃も、徐々に手も足も出なくなってきていた。

 貨物船を停船させるにしては意外なほど手を灼いた上、予期せぬ手痛い反撃まで喰らい、もはや形勢不利と判断したのか、北朝鮮の秘密工作船は、意外なほど呆気なく攻撃の手を止め、突如、エンジンの音を高めて、大武號から離れようとし始めた・・・

 しかし、それを許さず、その機を逃さず・・・
 大武號からロケット砲がたて続けに2発、「シュッ・・ゴォォォーッ・・・」という独特の飛翔音を立てて発射された。
 船尾にある下甲板から撃たれたロケット砲は、逃げに入った敵船のスクリューの辺りに「ドォーン・・!!」という凄まじい音を立てて命中し、爆発の大きな赤い火が丸く輝き、工作船は爆発の衝撃で激しく揺れながら、見る見る速力を失っていく。
 エンジンを載せ替えて機動力を高めているとは言え、元は漁船を改造したと思える工作船の本体は、やはり、それほど頑丈には造られていない。

 もしそれが対戦車用のロケット砲であれば、小型の物でも30cmの厚さの鋼板を貫くほどの威力がある。持ち運びにも容易で、重量は砲弾を入れても宏隆が撃っているライフルほどしかない。一発撃って使い捨ての物もあるので、使い終わって海に捨てれば、証拠も残らない。
 しかし、国際航路を往く貨物船であるこの大武號にロケット砲のような武器まで積み込まれていたのには、ちょっと驚かされる。工作船が現れた途端に乗組員全員が軍隊並みに武装を整えた事と合わせて、宏隆にはまったく考えられないことだったが・・・ 
 けれども、もう、宏隆は何があっても驚かなかった。

 そして、さらにもう一発・・・
 大武號から続けさまに発射された第二弾が命中し、轟音と共に敵の船尾の辺りから激しく火災が起こり、炎が照らす闇に濛濛(もうもう)と黒煙が立ちのぼった。

 おそらく、敵もこのようなロケット砲を持っていたのかもしれない。
 もしそのような方法で大武號の推進力を断てば、もっと簡単に、素早く停船させることも出来たのだろうが、敢えて敵がそうしなかったのは、この貨物船自体を、そのまま本国に持ち帰りたかったからに違いなかった。

 推進力を断たれてしまった敵の船はそれ以上動くことが出来ず、たとえ沈没を免(まぬが)れても、そのまま漂流するしかなかった。
 甲板の上でライフルや重機関銃を激しく撃っていた敵の兵士たちも、もはや此方を攻撃するどころではなく、あたふたと、慌てて消火活動に走り回っている人影が見える。
 機関部を破壊され、船内に大きな火災が起こっては、もうそれ以上敵が攻撃を続けるのは不可能であり、ましてや、この船に乗り込んで来て大武號を支配することなど、もはや有り得ないと思えた。
 そして、その通りに、すでに味方からの反撃も止み、敢えて敵の工作船にとどめを刺そうとはせず、それを機に、大武號は静かにその場から離れて行こうとしていた。

「・・まあ、あれなら多分、沈むことは無いだろう。
 無線さえ壊れていなければ、いずれ本国から助けが来るのだろうし・・救助が来るまで、のんびりと、日光浴でもしていればいいさ・・・」

 ちょっと、敵の心配までしてやりながら・・
 それを見届けてから、抱え続けていた銃の安全装置を戻し、急いで負傷した孫さんの所まで駆けつける。
 壁を背にしたまま、そこでじっとしていた孫さんは、走ってきた宏隆の顔を見上げると、肩を押さえていた手を差し出し、にっこりと笑って握手を求め、無言で宏隆の手を固く握り締めた。


 ついさっきまで大きかった波の畝(うね)りも、少し鎮まってきたように思える。
 ふと気付くと、もうすっかり東の空が白み始めていた。

 ライフルを右肩に担ぎ、孫さんにもう一方の肩を貸して、細い階段をどうにか階下に向かって降りていく。
 孫さんは出血のせいか顔色が悪い。撃たれた所に歩くたびに激痛が走るようで、肩を貸していても、なかなかうまく歩けなかった。
 ようやくキャビンの通路に出ると、二人を見つけた他の船員たちが駆けつけ、宏隆に何度も礼を言いながら、代わって孫さんを担ぎ、手当をするために医務室に連れて行った。


 嵐が過ぎ去ったばかりの海岸を散歩しているように・・・ポツンと、独りになって改めて気がつけば、自分の肩にはライフルが担がれている。宏隆は、もうすっかり自分の銃のようにそれを担いでしまっていることに少し躊躇(ためら)いを感じて含羞(はにか)んだが、仕方なく、その恰好のままで、船長の居るブリッジへと向かった。

 ブリッジに着くと、すぐ船長が奥から出てきて、そんな宏隆の姿を上から下までしげしげと眺め、ちょっと呆れた顔で、

「おお、カトーさん・・ “57式歩槍” を担いで・・・
 あなたも、私たちと一緒に戦ってくれたのですか・・・?」

「・・はい、機関銃で、部屋を滅茶苦茶にされたので、それで頭に来て・・・夢中で甲板に走って行きました。様子を見ているうちに、側にいた孫さんが肩を撃たれてしまったので、思わずコレを借りて・・・それから敵のサーチライトを狙って、撃ちました」

「あとはもう、機関銃を撃っている相手を何とか封じようとして、必死でした・・・」

 船長が『57式歩槍』と呼んだ、そのライフルを肩から外し、悪戯小僧がちょっと悪びれたような顔をして、それを傍らのテーブルにそっと置きながら、宏隆が言った。
 もちろん、銃口は、人が居ない方に向けている。

 さらに念のために・・・と、置きながら安全装置が掛かっているかどうかを確認したが、その小さなレバーは、きちんと「保険」と書かれている所に向いていたので、宏隆は安心をした。

「おお・・あれは貴方が撃ったのでしたか! ・・・そうでしたか!! 
 では、撃たれた孫( ソン)の代わりに、あなたがそのライフルを持って、皆と一緒に働いてくれたと言うことですね・・・!!」

 船長はブリッジで事の成り行きを逐次、無線で報告を受けていたようだが、あのサーチライトを宏隆が撃ったとは知らなかったようで、ちょっと驚いた顔をした。

「・・・いいえ、偶然、中(あた)ったようなものです。
 何しろ、本物のライフルを撃つのは、生まれて初めてで・・・」

 テーブルの上に置いたライフルを改めて眺めながら、宏隆がそう言う。

「いやいや、初めての銃撃戦でそれだけの働きをすれば、大したものです。
 それに、こんなに揺れている船からサーチライトを狙っても、そう簡単に中るものではありませんよ。何か、あなたには天性の戦闘の素質があるのかも知れない・・」

「しかし、あれだけの機銃弾やライフルの雨の中を、よくあの甲板に居られましたね。
 余程の勇気がなければ、普通はただ怖くて部屋で震えているだけでしょう。
 ともかく、貴方の働きのお陰で、私たちは反撃をする好機が得られた・・・」

「いえ、中ったのはマグレみたいなものだし、勇気なんてものじゃないです。
 本当は怖かったのでしょうが、窓から敵船を見ていたら、突然、そこら中に銃弾を撃ち込まれて、そんな無法な行為にカーッと頭に血が上って、つい夢中で・・・
 それよりも、許可もなく自分勝手なことをして、済みませんでした」

 そう言って、ペコリと頭を下げる宏隆に、

「いやいや、何も謝ることはありませんよ。
 貴方はなかなか義気がある。咄嗟の判断や、孫(ソン)を助けて、代わりに自分が敵に立ち向かっていく男らしさも、義侠心も・・・
 それでこそ、貴方に台湾に来ていただく意義があるというものです」

「でも・・・あの工作船は、これから、どうなるのでしょう?」

「ははは・・敵の工作船の心配までしてくれるんですね・・?
 ご覧のように、敵船は機関部を壊されて動けません。あのまま漂流して、本国からの救助が早いか、それとも台湾海軍に拿捕されるのが早いか・・・
 いずれにしても、あれだけ反撃されれば少しは懲りたことでしょう。しかし彼らがいくら懲りても、彼らの国はそれを止めさせてはくれないでしょうが・・」

 機関銃を部屋に撃ち込まれて危うく死にそうになり、強く風が吹く甲板で命懸けで戦ったというのに、自分が撃ち合った敵の船の、乗組員の行く末が、なぜか宏隆には気になった。
 戦いは、勝っても負けても、いつも、心に風が吹くような寂しさがある。
 それは、宏隆が散々やってきた素人同士の殴り合いのケンカでも、今日、生まれて初めて経験した実弾の銃器を用いた戦いでも、何も変わらなかった。

「それにしても、貴方に怪我が無くて、本当に良かった・・・
 孫が撃たれて死んでも私は何も罰せられないが、もし貴方に怪我でもさせたら、完全に私の首が飛んでいたところですからね・・! ワハハハハ・・・・」

 船長は、まんざら冗談でもない口ぶりでそう言い、再び大きく笑った。



 やがて、乗組員全員に、食堂に集まるよう船内放送があり、宏隆の部屋にも制服姿の航海士が迎えに来て、ミーティングの場に同席するように求められた。

 その席では、まず船長より北朝鮮の工作船から攻撃を受けた事の顛末が改めて説明され、まず、乗組員全員が普段の訓練どおりの機敏な行動が出来、2名の負傷者以外には重傷者も死者もなく、最後には敵の機関部を破壊して無事に危機が回避できたことが報告され、皆で大いに喜び合った。

 そして、このような戦闘がまったく未経験の、大武號の客人である宏隆が、重機関銃やライフルの実弾が飛び交う中、負傷した乗組員の世話を的確に行った上、初めて手にした小銃で果敢に戦闘に参加し、激しく波に揺れる甲板から見事に敵船のサーチライトを破壊し、さらには重機関銃の操者を威嚇牽制して、敵の敗北に結びつく契機となる活躍をしたことが説明され、船長から宏隆に丁寧に感謝の言葉が述べられた。

 乗組員たちはそれを聞いて、たがいに顔を見合わせながら「オォーッ!」と歓声を上げ、宏隆に盛んに拍手を贈り、代わる代わる握手を求め、肩を叩き、抱擁を交わして、賞賛を惜しまなかった。
 そして負傷した腕を白い三角巾で吊った姿の孫さんがあらためて宏隆に礼を言い、固く握手を交わすのを見ると、また大きな拍手が巻き起こった。


 祝いの乾杯をするときに、船長が言った・・・

「吾々には、今日、新たに素晴らしい家族が増えた。
 カトー・ヒロタカさんは、まだ正式には吾々の家族ではないが、既に吾々の戦友であり、今日の活躍を張大人に報告し、是非とも家族に迎え入れてもらえるよう、私からも強く進言しようと思う!」

 ・・再び、大きな拍手が起こった。

「・・・そして、吾々は、決して彼らの横暴を許さない!
 人間の自由と尊厳を脅かす、仁愛も正義も無視する無法の侵略者には、それが誰であれ、常に敢然と立ち向かい、大切な友人である日本国との繋がりをより大きくして、自分の利益しか考えない狡猾な国々が、“解放”と称して侵略を続けるのを決して見過ごしたり許したりしないことを、今日、改めてここに誓おう・・!!」

 一段と大きな拍手が起こり、宏隆も皆と一緒に拍手をした。


 政治や社会情勢のことは、まだ宏隆には、あまり詳しく分からない・・・・
 父も、東亜塾のK先生も、自分の考えを宏隆に押し付けるようなことは一切しなかったし、王先生も忌まわしい過去について、あまり詳しくは語ろうとしなかった。
 政治や社会の仕組みについては、飽くまでも自分自身で学び、自分で理解して行かなくてはならない事であると、異口同音にその人たちから言われ、宏隆もまた、そのように自覚していた。

 それにしても・・・と、宏隆は思う。
 自分は、台湾という、こんなに近い隣国のことも、それがどう日本と関わってきたのかも、まったくと言って良いほど、詳しく知らないのだ。
 
 学校の教科書に書かれている歴史は、ほんのささやかな、歴史のダイジェストにしか過ぎない、ということは以前から感じていた。
 そして、父の言うように、その要約版の歴史に書かれていることが、かつて日本が占領された時にアメリカが意図した、日本を骨抜きにする指導内容をそのまま踏襲したものであり、加えて、長期的な視野で日本の侵略を狙う、狡猾な隣国の意志が密かに反映されたものであるとすれば、これを機会に、日本人として改めて本当の歴史を学び直す必要がある。

 ・・・宏隆は、強くそう思った。


 しかし、民族と民族との、人と人との、或いは歴史と歴史との様々な関わりが複雑に交錯していることはよく分かるが、一体それをどうすればよいのか・・・
 その解決は、互いに武力を持って殺し合うことでしか得られないのだろうか。
 人はもっと、動物として、より進化しようすることで、お互いに高い次元で付き合えるのではないか・・・と、朧気(おぼろげ)ながらに、そう想う。
 けれども、単に理想論だけでは、狂気の侵略者に対しては、ただ屈従を強いられるばかりであるということを、今日、宏隆はその身をもって、嫌というほど知らされていた。

 この頃の日本には、インド独立の父と言われるガンディー(Mahatma Gandhi)の思想であるとする、平和主義、非暴力主義、無抵抗主義が持て栄やされ、平和とは敵がどうあれ、此方が無抵抗に平和を唱えて服従していさえすれば、相手は決して攻撃して来ない・・・などという考え方が、多くの人たちの間で評価されていた。

 しかし、そう主張する日本人たち・・・例えば、進歩的文化人などと呼ばれる人たちは、果たして、実際に敵国に占領された時に、彼らや彼らの家族が広場に引きずり出され、一人ずつ跪(ひざまづ)かされ、有無を言わさず後頭部を打ち抜かれる時になっても、無抵抗のまま、黙ってそれに従うことこそが人類や民族の平和に繋がり、それが最も人間的なことであると言い続けられるだろうか・・・

 いや、もっと身近に、自分のこれまでのケンカの経験でも、不良の三人組が兄と自分を襲ったことも、もしこちらが無抵抗であれば平和穏便に解決するどころか、好き放題に殴られた挙げ句、下手をすると片輪にされたり、一生をその無法のために棒に振ることになるかも知れなかったのである。

 宏隆は余りガンディーを好きではなかったが、その平和主義を讃えて止まない日本のメディアや文化人たち、学校の教師たちなどが決して口にしたがらない、ガンディー自身が語った本当の言葉を、英国で出版された文献を読んで知っていた。

 ・・・そこには、こう語られていた。

 『私の信念によると、もし臆病と暴力のうち、どちらかを選ばなければ
  ならないとすれば、私はむしろ暴力を勧めるだろう。
  インドが意気地無しで、辱めに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、
  私はインドが武器を取ってでも、自己の名誉を守ることを望んでいる・・・』


 ただ無抵抗に、平和を唱えていさえすれば安全であり、それでこそ平和が約束される、などという考えは大きな錯誤であり、そこからは決してどのような平和も生まれはしない。

 ・・・今の宏隆には、実感として、つくづくそう思えた。

                                (つづく)




  【参考資料】

     
        台湾陸軍の「57式歩槍」(US Springfield M14 Assault Rifle)



     
        台湾陸軍装備の「M72 対戦車ロケット・ランチャー」



       
          M72 ロケット・ランチャーを構える歩兵


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