*第11回 〜 第20回

2009年07月08日

連載小説「龍の道」 第20回




 第20回 澪 標 (みおつくし)(3)


 こんな時には、声も出ない・・・・

 腹這いのまま、砕け散ったガラスや壁の残骸の中で顔を伏せていると、耳の中で心臓がドクンドクンと大きな音を立てているのが聞こえる。

 天地がひっくり返ったかと思えるほどの、すさまじい機銃弾の嵐がひとまず止んだので、恐る恐る床から頭を上げてみると、たった今、自分が外を覗いていた窓はほとんど跡形もなく砕け散り、鉄板で被われていたはずの壁には、脆(もろ)くも幾つもの穴が空いて、サーチライトが動くたびに其処から光が漏れている。
 通路側の扉や壁は、横殴りの機銃弾に無惨にもボロボロにされて、木製の洋服ダンスなどは、見事に上半分が砕け散って、もう元の形を留めていない。
 緊急用の補助灯だけが点る仄暗い船室には、一面に濛々(もうもう)と白塵が舞って、焦げたような銃弾の匂いが立ちこめていた。

 映画でしか見たことのない、鉄板さえも容易に貫通してしまう、本物の重機関銃の威力を、宏隆は初めて知った。
 もし咄嗟に身を伏せていなかったら、今頃はきっと命がなかったに違いない。いや、もう少しばかり自分の近くを弾丸(たま)が通過していたら、それだけでも肉が引き裂けていたかも知れなかった。
 そう思いつつ、ついさっきまで立っていた窓際のところまで這って進もうとするが、突然襲った銃弾の嵐に、体中の筋肉がひどく緊張したのか、身体がそこらじゅう硬直して動きにくい。
 
 機銃弾の穴だらけの窓際に近寄って、そっと敵の工作船の様子を窺ってみる。
 サーチライトの光は、相変わらず、右に左にと動きながら彼方此方(あちこち)を照らし、時おり機関銃の紅い弾丸の光が花火のように闇を走り、大武號に所構わず無頼の銃弾を撃ち込んでいる。

 果たして、あの敵船に対しては、此方からも応戦しているのだろうか・・・
 宏隆は、少しばかり不安な気持ちになった。
 けれども、不思議と恐怖は無い。だがそれは、この出来事が余りにも常識から外れた非日常的なことであるが故であって、実際には、このまま彼らが無理矢理にも船を止めて乗船してきたら、間違いなく自分たちは殺されるか、運が良くても人質となって、噂に聞く北朝鮮の収容所に連れて行かれるに違いないのだ、と不安に思う。
 もしそうなった時には、自分はどう対応すればよいのか・・・

 明日はいよいよ台湾に着くという希望に満ちた旅の最中に、有ろう事か、拿捕を目的とする工作船からの悪辣な攻撃を受け、自分の船室にも嫌というほど機銃弾の雨を撃ち込まれた宏隆には、これがどういう事であるのかが、今となってようやく、緊々(ひしひし)と実感され始めたが、そんな事を考えていられたのもほんの束の間のこと・・・

「ダダンッ・・ズダダダッ・・・ダダダダダンッッッ・・・・!!」

 ・・・再び、その船室に銃弾が撃ち込まれ、天井の室内灯が砕け散り、銃弾が何処かに跳ねて飛び、宏隆のすぐ耳元で「チューン・・」という音を立てた。
 やや上向きに、天井の方に向かって撃ち込まれたから何とか無事だったものの、今度の突然の攻撃には、身を伏せる暇さえ無かった・・・・

「・・・こ、この野郎っ!!」

 ようやく彼の本来の性格に火が付いたのか・・・腹の底から来るどうしようもない怒りが、もう、どうにも収まらなくなっていた。
 宏隆は「撃つなら撃ってみろ!」と言わんばかりに、ボロボロになった窓の前で仁王立ちになり、執拗に付き纏っている敵船に向かって大声でそう怒鳴ると、何を思ってか、足音も荒々しく部屋を飛び出し、波に揺れる廊下を船首に向かって走った。

 船首に近くなるほど、銃撃の音が、だんだん大きくなる。
 ズドドドドドッッ、カカンッ、カン、カン、カンッと、船の外壁に当たる銃弾の音がそこら中で響き、時々ガラスが割れたり、物がガシャーンと落ちて砕ける音が聞こえてくる。
 まるでビルの工事現場にでも居るような騒音だ。
 通り過ぎる部屋の中からは、乗組員が応戦する銃を撃っている音がしている。

 途中、右舷のデッキに出るドアが見えたので、そこから外の様子を見ようと思ったが、すでにそれはガラスが粉々に砕け散り、銃弾の穴が幾つも開いていて、向こうから敵のサーチライトの光が漏れ、ノブの無くなった片方の扉がバタンバタンと風になぶられている。

「・・駄目だ! もっと前に行かなくては・・・・・」

 さらに船首に向かって通路を縫うように走って行くと、前の方に自動小銃を手にした人影が見えた。その影が上の甲板に向かって走って行ったので、宏隆は直感的に、その後を追うように、階段を駆け上がった。

 上の甲板は、宏隆の部屋のある階とは違って、風が強く吹き付けていた。
 何人かの乗組員たちが甲板の彼方此方に散らばって工作船からの攻撃に必死に応戦しているが、此方のライフルに対して、向こうは強力なサーチライトで照らしながら重機関銃を撃ちまくっているので、どう考えても形勢は不利に思えてしまう。
 此方の様子を敵から見え難くするために全ての照明が消された甲板は、真っ暗な上に風も強く、波のうねりが大きいので、歩くのさえ難しい。

「・・ダダン、ダダダッッ・・・・!!」

 宏隆の人影を認めて撃ってきた敵の銃弾が、カン、カン、カンッ・・と、何処かに当たって、すぐそばの甲板のあちこちに音を立てて跳ねる。
 それは、さっき部屋を襲った重機関銃の弾丸よりも音が小さく、船体に穴も空かないので、敵の自動小銃から撃たれたものだと判る。しかし、たとえそうであっても、身体に撃ち込まれれば間違いなく命を失うことに変わりはない。

 宏隆は、咄嗟に、この甲板まで追いかけて従(つ)いてきた人影の近くに、滑り込むようにして体を伏せたが、間近に見るその乗組員の顔は、偶然にも航海士の孫さんであった。

 何か、この人とは縁でもあるのだろうか・・と、宏隆は思った。
 孫さんもまた、宏隆の思わぬ出現にちょっと驚いた顔をしたが、同時に敵の自動小銃から二、三発、チューン、チューンと空を切り裂く音を立てて、すぐ近くに撃ち込まれたので、

「・・下がって! もっと下がって! 危ないっ・・・!!」

 と、宏隆に向かって、大声で叫んだ。

 言われるまま、腹這いの格好で、素早く後ろに下がる・・・・

 孫さんは宏隆が安全な所まで下がったのを確認すると、さらに前に進み、物陰から片膝を立ててライフルを構え直し、今撃ってきた相手に何発かを返していたが・・・
 突然、彼方で弾丸が発射された音がしたのと同時に、「ウゥッ・・」と呻(うめ)いて、弾かれたように後ろに転がり、痛そうに左肩を押さえた。

 孫さんは、肩を撃たれていた・・・

 宏隆は身を低くしてその側に駆け寄り、左舷に近い、もっと安全な壁際まで孫さんを引きずって移動させ、撃たれた所を押さえている手をどかし、手早くシャツの胸を開いて傷口を確認する・・・
 幸い、出血は少ない。これなら、しばらくはこのままでも大丈夫だと思える。
 その傷口に自分のバンダナを当てて血止めにし、さらにその上から本人の手でしっかりと押さえさせた。

 命中したのは、自動小銃(ライフル)の弾である。
 此処は拳銃の射程距離よりは遥かに遠いし、もしこれが、さっき宏隆の部屋を粉々にした重機関銃の弾丸であったなら、孫さんはこんな程度では済まなかっただろうことは、こんな経験がまったく無い宏隆にも充分に想像がついた。

 孫さんは壁に寄り掛かったまま、痛みをこらえながら苦しそうに、

「ありがとう・・でも、ここは危ないですから、早く下に戻って下さい」

 ・・と、言ったが、

 しかし宏隆は・・・・

「・・いや、代わりに、僕が戦います・・・・」

 毅然としてそう言い、孫さんの肩に掛けられている小銃を掴んだ。

 孫さんは、宏隆の意外な言葉にちょっと呆れたような顔をして、しばらく彼の目をじっと見つめていたが、やがて微笑んで、肩からベルトを外し、宏隆にそのライフルを差し出した。

「・・・でも、気をつけてくださいよ!!」

 渡されたライフルを両手で抱えて走って行く背中に、孫さんの怒鳴る声が追いかけて来るが、宏隆はもう、その声に振り向きもしない。



 ・・・初めて持つ、本物のライフルは、手にヒヤリと冷たかった。

 長さは1メートル余り、重さは4〜5キロ、というところだろうか。
 グリップや銃床は木製で、持ちやすく、ずっしりとした手応えがある。

 宏隆は、敵船から眩(まばゆ)いライトが投げかけられている右舷の船首の方に向かって、物陰を選び、できるだけ身を低くして、素早く移動した。

 本物のライフルなど、撃った経験が有るわけもなかったが、アーチェリーでは県大会で優勝するほどの腕前であったし、近隣の悪童を怖れさせていたガキ大将の頃には、パチンコや手裏剣の命中率は誰にも負けなかったほどで、いわゆる的を射るようなものには、かなりの自信があった。

「・・ははあ、これが安全装置だな・・・」

 右手で握ったグリップのすぐ右上に、小さなレバーが下向きに付いている。
 暗くてよく見えないが、そこには三種類の選択が、漢字で書かれていた。

 その中のひとつは、ちょうど敵のサーチライトが走ったお陰で「保険」と読めた。
 なるほど、保険か・・と、宏隆はちょっと微笑んだ。それはきっと日本語で言うところの「安全」という意味に違いない。ふと、このライフルは台湾軍のお下がりか何かかも知れないな・・などと想像する。

 自動小銃では、あとの二つは、セミオートマチックと、フルオートマチックになるはずである。おそらく、そこには漢字で「半自動」とか「全自動」などと書かれているのだろう。
 宏隆は、暗闇の中でそのレバーを真ん中のところに選択した。

 銃器にはそのような安全装置が装着されていることを知っていたし、高校に入る前までは精巧なモデルのトイガンも、このようなライフルを含めて何丁かは持っていたことがある。それに、撃たせては貰えなかったが、父の狩猟にも何度か連れて行かれた経験もあった。
 宏隆もまた、多くの男児がそうであるように、銃に関して大いに興味があったことが今の状況では幸いしていた。


 船室への空気の取り入れ口のような、低く、円い柱の陰になったところまで、敵の銃弾が止んだ時を狙って、どうにか、這うようにして辿り着く。這って動かなければ、たちまち狙い撃ちにされてしまうだろうと思える。
 軍隊ではイヤというほど匍匐(ほふく=腹這い)歩行の訓練をすると聞いたことがあるが、こんなに腹這いで歩くことは、宏隆にとっても、もちろん初めてのことであった。

 幸い、今夜は月が明るくはない・・・
 三日後には新月となる細い月が出ているはずの夜空は、雲も多く、真っ暗で、強力なサーチライトで照射しない限り、自分の居所が容易には相手から確認しにくいはずだと思える。

 しかし、動物の習性であろうか、時折自分の方を照らすそのサーチライトの明かるさを、つい見てしまう。そして習性のままに見てしまえば、そこに光の残像が出来て、しばらくは目が使えないのである。けれども、宏隆には却(かえ)ってそのことが、自分が何を為すべきかのヒントになった。

「そうか・・・アイツが “諸悪の根源” だな・・!!」

 この非常事態に、何故か、そんな可笑しな言葉を、独りつぶやいて・・・
 自動小銃を持ったまま、腹這いで甲板の際まで進み、その恰好のままで、まず、味方が眩しくて対抗しにくい原因となっている敵船のサーチライトを狙う。

 ライフルのスコープを覗く・・・
 距離は、およそ100〜120メートル、というところだろうか。ライフルなら充分すぎるくらいの射程距離のはずだと思えた。
 しかし、風は強く、高い波のうねりで、どちらの船も相当に揺れている。そして敵の船は小さいので、こちらよりも更に激しく揺れている・・・
 この闇夜に、これほど気儘(きまま)にうねる波に揺れながら狙おうとすると、その距離は意外なほど遠くに感じられる。

 試しに一度、引き金を引き、1発目を撃ってみる・・・・
 弾丸が一度に1発しか出ないので、この選択は「半自動」ということになる。

 これは中(あた)らなかったが、しかし、サーチライトのすぐ脚の辺りに弾が跳ねて、閃光が飛び散った。
 生まれて初めて手にしたライフルの初弾にしては命中精度が高く、思ったよりも撃った時の反動が少ない。銃器にも名銃と言われるようなものがあるが、抱えて構えたときのバランスの良さと言い、これはかつて前線の兵士たちに好んで愛用された銃のひとつではないかと思えた。

 ライフルの弾倉は小さい・・・
 これでは20発も入っていれば良い方だろう。
 残っている弾が何発あるのかも分からず、ちょっと不安になったが、

「なあに、数発もあれば良いさ・・・・」

 そう思い直して、再び、「ダン、ダンッ・・・」と、2発を連続して撃つ。

 かなり弾丸の爆発力が強いらしく、敵船の所まで銃弾が届くのに1秒の半分ほどもかからないが、今度はやや上の方に逸れてしまう。
 銃器には、その銃ごとに弾道のクセがあり、素人が撃てば、たいがい弾丸は上に逸れてしまうものだ。しかし彼は誰に教わる迄もなく、それを生の現場で体験しながら、必要として自分で微細に弾道を修正していた。

 何発かを撃った宏隆の存在を、どうやら敵の一人が察知したらしく、すぐ近くに弾丸がチューンと音を立てて飛んでくる。
 経験というのは、このようなものなのだろうか・・不思議なことに、生命を脅かすライフルの弾丸がすぐ傍らを掠めて飛んでも、宏隆はもう、何の恐怖を感じることもない。
 幸いなことに、宏隆が腹這いになっている甲板は、ちょうど物陰の暗闇になっているので、敵からは認識し難いらしく、2発目はあらぬ所に逸れて行く。

 自分が武器を手にして居ようが居まいが、敵の弾丸が中(あ)たれば、自分の生命を奪うことに変わりはないのだが、人間とは可笑しなもので、たとえ強力な機関銃弾の嵐に逃げ惑うような状況であっても、小さな武器をひとつ手にしていさえすれば、相手と対等に渡り合えるような気持ちになるらしい。
 それは、例えば武道の初心者であっても、自分がそれを学んでいるという事実だけで、ケンカ慣れした相手からも逃げずに立ち向かって行くことが出来るようなものかもしれない。
 そこでは、相手よりも実際に自分が勝るか劣るかが問題ではなく、それと立ち向かえるだけの精神状態が備わったということであろう。


 宏隆の血液にある、何事にも怖じずに立ち向かって行く熱さや義侠心は、彼が育った戦後の平和や繁栄という温床の中でも、決して惰弱に萎えてはいなかった。

「ハハ・・下手クソめ・・・そんなところに居るものか!」

 ・・・もはや、ある種の余裕のようなものさえ、宏隆には見られる。
 しかし、敵船の勢力を挫いて形勢を逆転できなければ、この船が乗っ取られ、撃ち殺されるか、北朝鮮の寒い収容所に送られることに変わりはない。

「・・そうだ、この場所を認識されないうちに・・・」

「やるのは・・・今しかないっ・・・・!!」

 意識を集中して狙いを定め、「ダッ、ダッ、ダンッ・・・」と、連続して3発を撃つと、宏隆が狙ったサーチライトは見事に音を立てて打ち抜かれ、辺りの海には同時に真っ暗な闇が広がった。

「・・・・やった!!」

 宏隆が撃った銃弾で、工作船の船首に備えられた強力なサーチライトが壊されると、ようやく大武號からの投光が勝るようになった。
 それまでのような攻撃をしにくくなった敵船は、其処からどう対処するかを迷うように、明らかに速度を落とし始めた。

 そして、その機を逃さず・・・大武號の船首から照明弾が高々と発射され、上空から敵の工作船が浮かぶ真っ暗な夜の海を、煌々と照らし出した。





     



     


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2009年06月28日

連載小説「龍の道」 第19回




 第19回 澪 標 (みおつくし)(2)


 大分港から、途中の寄港地である那覇までは、千キロほどの距離がある。
 船は丸々一日以上を掛けて、ひたすら南に向かって下りて行くのだが、ただでさえ真夏の最中だというのに、赤道の方に向かって南下しているのだから、時間が経つほどに、だんだん強烈に暑さが増してくる。

 日中の甲板は、まるで熱したフライパンのように熱く、とても素足では歩けないほどだったが、日没が近くなるにつれて、その暑さも嘘のように治まり、緑のペンキで装われたデッキに座り込み、三百六十度、何処を眺めても空と海だけしか無い景色の中で、見事なまでの巨きな夕陽が水平線に沈んで行くのを心ゆくまで眺めていることができた。

 船長の林(リン)さんが言ったとおり、この「大武號」の食事はとても美味しかった。
 朝粥に付け合わせた油条(ユーチャオ)や皮蛋(ピータン)、皮がパリッとして、中身がジューシーな春巻き、そして黒酢で味付けをした酢豚の味には普段とは異なる食欲が湧いた。
 他にも、神戸の南京町にも無いエキゾチックな味のする焼き飯や、庶民料理の定番だという豚バラ肉を八角で味付けした魯肉飯(ルゥロゥファン)、酸っぱくって甘くて辛い、五官の彼方此方をくすぐるビーフンの五目スープなどは、宏隆の心を大いに寛がせ、慣れない船旅でちょっと疲れた身体に大きな鋭気を与えてくれるものであった。
 そして、おそらく宏隆を歓迎する意味で用意された、大分で仕入れた旬のアワビを薄切りにして台湾独自のスープでシャブシャブにしたものは、どこの高級レストランでもなかなか味わうことができない、最高の味わいであった。

 もともと味に繊細な食いしん坊である宏隆は、美味しい料理を供されるだけでもとても幸せな気分になって、
「なるほど、食事というものは偉大なものだ。それに、美味しさというのは、まったくもって旅の成否に深く関わっているのだなぁ・・・」
 などと、暢気なことを思った。


 大分を発った翌日の、夜の8時頃に那覇に到着して、翌朝は早くから積み荷の上げ下ろしをし、その日の夕方の4時半に台湾に向けて出航する。
 宏隆は、船員たちの荷役の作業を見ているだけで、自分もその仕事をやりたくなってくる。それが船に関わる仕事であるというだけでも、海や船が大好きな彼にとっては、心がわくわくしてくるのだった。

 那覇から台北の基隆(キールン)までは330海里、つまり約600kmほどの距離があり、それを18時間ほど掛けて往く航海になる。それは神戸から大分までの距離よりもさらに遠いものであった。
 持参した地図を広げてみると、那覇を出て、八重山列島と尖閣諸島の間を抜ければ、もう、すぐに台湾である。八重山列島の最西端である与那国島は、台湾と直線で結べば、わずかに100キロも離れていないところにあった。

 こうした旅に出る機会でもなければ、台湾がこれほど日本に近いことを実感することなど、まず無かったと思う。すぐお隣の、しかも日本との関係がとても深い台湾でさえ、これほど心高まる旅の予感があるのである。これからは、もっと様々な国に旅をして大いに見聞を深めてみたいものだ、と宏隆は思った。


 先刻(さっき)、夕食を終えて部屋に入る前に、
「明日の朝、朝食を済ませる頃には、もう基隆の港が見えてきますよ・・」と、航海士の孫さんが教えてくれた。
 この時間には、大武號はもう、尖閣諸島に近い海域に入っているはずであった。

 船室の小窓から見える夜空には、時おり音もなく稲妻が光って、むくむくと広がる灰色の雲を不気味に照らし出している。宏隆は、壁の中に折り畳んで収納できるように作られた、小さな硬いベッドに潜り込んで、明日のために少しでも眠ろうと思った。

 明日は、いよいよ、台湾に到着するのである。
 いったい、その台湾で、何が自分を待ち受けているのか・・・
 張大人との面接・・・そこで自分が認められれば入門式となり、ようやく正式に王先生の弟子となることが出来る。そして、そうなればもっと本格的な太極拳の教授が始まる・・・
 そんなことを想えば想うほど、さすがに図太いはずの宏隆も、眠ろうとしてもすぐに目が開いてしまって、なかなか寝付けなかった。

 けれども、慣れない夏の船旅が数日も続いた疲労で、身体だけは眠りたがっている。
 この海域には、徐々に波のうねりが増しているようで、小さな硬い寝台に横たえた身体が右に左にと揺れ、大武號のあちこちからギィーッ、ギギィーッと、船体の軋(きし)む音が聞こえてくる。

 わずかに微睡(まどろ)んでは目が開いてしまう中で、朦朧として見上げるその天井には、さっきから明るい光が何度も差し込んでは、また消えてゆく。

「何だろう・・・ 燈台の光・・かな・・・?」

 それは、どこか気に掛かる光ではあったのだが・・・・
 日に焼けた熱が冷めやらぬ、気怠い身体を硬い寝台に任せたまま朦朧としている宏隆には、それが何の光なのか、それほど気にならなくなっていた。

「ああ、ダメだ、駄目だ!・・どうしても、眠れない・・・!」

 しかし、その、どうしても眠りに入れない原因が、明日の台湾への上気した想いよりも、実は彼の直感した胸騒ぎにあったことを、宏隆は迂闊(うかつ)にも見過ごしていた。

 そして・・・

「ちょっと、外の空気でも吸ってくるか・・」

 そう思い立って、寝台から起き上がろうとしたのと、ほとんど同時に・・・


「ダダッ・・ズダダッ・・・ズダダダダッ・・・・!!」


 突然・・・!!

 船の外から、まるで機関銃でも撃っているような音が響いた。

「な・・何の音だ・・・・!?」

 聞き慣れない、その機械的な音に、起こしかけていた身体を一瞬ピタリと止めたが、次の瞬間、跳ねるように寝台から飛び降りて、円い小さな窓に顔をくっつけるようにして外を見た。

 すぐ前に見える真っ暗な海の上には、漁船のような船が、うねる波に揺られながら、こちらに向かって煌々とライトを照射し、機関銃のようなものを中空に向けて撃ち放っている。
 ふと気づくと、大武號は船内中に警報のブザーがけたたましく鳴り続け、ドアの向こうには船員たちがドタバタと足早に走り回っている足音が聞こえる。
 その漁船のような船は、聞き慣れない言葉で、スピーカーから此方に向かって、何かを強い調子で怒鳴り始めていた。

「・・・な、何だ? 何があったんだ・・・?!」

 この夜中に・・余りの突然の出来事に、ほんの少しの間、呆然としていた宏隆は、吾が目を疑って目をこすり、これが一体どういう状況であるのかを冷静に考えようと努めたが・・

 その、目を開けていられないほど眩しい強力なサーチライトの光と、凄まじい音を立てて闇夜を切り裂くように飛んでくる銃弾の紅く連なる軌跡は、紛れもなく自分が乗っているこの船が威嚇され、攻撃されているのだという、信じられないような事実を認識するのに充分であった。

「き、機関銃・・?? 嘘だろう・・・戦争じゃあるまいし!!
 いったい、何が起こったというんだ・・・?!」

 慌てて靴を履き、ウインドブレイカーを羽織って、急いで船長の居るブリッジに走る・・

 通路では警報器がけたたましい音を立てたまま鳴り止まず、船内の電灯はすべて消され、非常灯だけの薄暗い船内には、緊急を表す赤いライトが明滅して、船員たちが足早に走り回っており、やはりこの状況が紛れもなく現実であることを示している。

 波に揺れて歩きにくい通路と階段を、何度も船員とすれ違いながらようやくブリッジに到着すると、すでにそこには主な乗組員が集まり、真剣な顔つきでミーティングをしていた。

 しかし・・・驚いたことには、彼らは皆、手に手に自動小銃を持ち、腰には拳銃を提げ、予備の弾丸のカートリッジまでベルトに装着しているではないか・・・

 宏隆は、またしても吾が目を疑った。
 自分が乗っているのが古ぼけた貨物船ではなく、まるで間違えて軍艦にでも乗り込んでしまったかのような錯覚さえ覚える。

 船が波に揺れる揺り籠のような動きも手伝って、宏隆はしばし、この目で見ている現実が、ついさっきまでの微睡み(まどろみ)の延長のように感じられ、一体自分が何処に居て何をしているのか、ちょっと分からなくなりそうになって、呆然とその場に立ち尽くしていた。


「あ・・加藤さん! ・・加藤さん!!」

 大声で二度ほどそう呼ばれ、宏隆はハッとして、吾(われ)を取り戻した。船長のその声が無かったら、まだもう少しボーッとしたままであったかも知れない。

 船長は、操舵室(ブリッジ)の奥から宏隆の所まで歩いて来て、

「驚いたでしょう・・・この船は今、北朝鮮の工作船からの攻撃を受けています」

 ・・と、落ち着いた口調で言う。

 宏隆は、耳を疑った。
 俄(にわか)には、とても信じられないことを、船長は言うのである。

「・・き、北朝鮮?・・ 工作船の・・攻撃・・・?」

「そう、武装したスパイ船です。この辺りの海域で活動するのを得意としています。
 麻薬の密売から、日本へスパイを密入国させたり、沖縄や九州から役に立ちそうな人間を拉致してきたりするのが任務です。
 初めは中国の漁船を装って、こちらに中国語で話しかけてきていましたが、すぐ近くまで来てから、いきなり発砲してきました」

「奴らは、大武號に停船するよう要求しています。
 恐らくあの機関銃の他にも、対戦車用のロケット・ランチャーのような強力な武器も積んでいるはずです。とても危険な連中ですよ・・・それに、多分この船が、吾々の組織のものであることを承知した上での、計画的な襲撃です」

「この船を停めさせて・・それで、どうしようと言うのですか?」

「・・・北(キタ)の本国に、私たちを人質に取って、連れて行くのですよ。
 我々の組織や台湾政府に身代金を要求して、オマケにこの船の積荷を売却すれば、かなりのカネになると思っている・・・」

「人質・・・・?」

 ・・・いったい、何のことを言っているのか、と思った。

 まるで、突然、映画の世界にでも紛れ込んでしまったような気持ちだった。
 しかし、それを目前にしていても、実際に自分がその“現場”に居るとは到底信じられず、それが現実として起こっていることにも、未だにあまり実感がなかった。

 けれどもそれは、決して慣れない船旅や、明日の台湾への興奮の所為ではなかった。これが、今の時代の、日本人の現実であったのである・・・・


  “ケンカの若大将” とまで異名を取った暴れん坊の宏隆でさえ・・・
 他国からの侵略の脅威も無ければ、徴兵の義務も無い、ひたすら戦後三十年の、名ばかりの平和と繁栄が続いてきた日本で、まるで平和というものが水や空気のごとく存在するかのように錯覚しつつ、平穏無事に育ってきたことに変わりはなかった。

 そういう意味では、ごく普通の日本の若者に過ぎない宏隆にとっては、今、目の前で起こっていることがどうしても現実として実感できず、この真夜中に、大海原の真ん中で自分が乗っている船を機関銃で襲撃してくる音を聞いてさえも、まだ何の切実な危機感も生じていなかった。兄と学校帰りに不良に襲われた時とは、まるで状況が異なっていたのである。

 そして、この場合、船長が宏隆にこの現状について、納得のゆく説明をしてやる時間も、宏隆がそれを理解するための時間も、有るはずがなかった。

 ことは緊急事態なのである・・・
 的確な判断と素早い行動を取らなければ、宏隆を含め、この船に居る人間の生命や、今後の人生が失われてしまうかもしれないのだ。

 そして、その可能性はとても大きかった・・・

 しかし、この船の人たちはよほどこんな事態に慣れているのか、乗組員たちは皆落ち着いてキビキビと動き、誰ひとり慌てている者も居ない。
 けれども全員が、これまでの貨物船の船員とは違った、別の顔をしていた。

「・・さあ、危険ですから、貴方は部屋に入っていて下さい。
 なあに、心配要りません、すぐに追っ払ってやりますよ・・・!」

 いつの間にか側に来ていた航海士の孫(ソン)さんが、自動小銃を肩に掛けた姿でそう言い、言われるままに、宏隆は仕方なく自分の部屋に戻った。


 窓から見える、北朝鮮のスパイ船だというその船は、速度が落ちる気配がまるでない。
 漁船らしい見かけからは信じられないほどスピードが速く、時おり大武號を追い越しては、通せんぼをするように行く手を阻もうとする。
 しかし、大武號もまた、決してスピードを緩めず、そのまま走り続けていた。

 工作船は、宏隆の部屋がある右舷に並行して、うねる海の上を突っ走っているが、だんだん少しずつ、こちらに近付いて来ているようにも見える。
 相変わらずスピーカーで激しく怒鳴っている声は、よく聞けば、ラジオを聞いている時にたびたび強い電波で割り込んでくる、あの朝鮮語であった。

 大声で怒鳴っている意味不明のその言葉を、ただ仕方なく聞かされながら、宏隆は船室に入ったまま、事の成り行きをじっと見守っているしかなかったが・・・


 突然・・・・!!


「ズダダッ・・・ズダダダダダダッ・・・・!!」


 その丸い小窓から外の様子を眺めていた宏隆の顔に、強烈な白い光が照らされた途端、同時に、その船室をめがけて、機関銃の弾丸が凄まじい音を立てて横殴りに撃ち込まれ、宏隆は、弾かれたように咄嗟に床へ身を投げ出し、身を低くして両手で頭を抱えた・・・


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2009年06月18日

連載小説「龍の道」 第18回




 第18回 澪 標 (みおつくし)(1)


 八月に入って間もなく、宏隆は、王先生に命じられたとおり、台湾へ向かった。台湾へは、大分から那覇を経由して、海路を台北へ行くよう指示があった。

 神戸港のメリケン波止場から、昨年就航したばかりの、純白に装われたフェリーに乗り、瀬戸内海を抜けて、先ずは大分へと向かう。
 久しぶりに海から眺める神戸の街は、六甲の山々の青さがひときわ目に鮮やかに映る。
 8月に入ったばかりの瀬戸の海は波も穏やかで、日が沈むと下弦の月が波間に長い光の帯を落として美しく煌めいた。古歌にある、金波さゆらぐ茅渟海(ちぬのうみ)とは、正しくこのことであった。

 デッキに出ると、海の風が顔に吹き付けてくる。

「ああ・・やっぱり、海はいいなぁ・・・!!」

 大きく腕を挙げて背伸びをしながら、つい、声に出して、そう言う。
 中学に上がる頃には、すでに須磨の浦の沖合いをディンギーで帆走(はし)り回っていた宏隆にとっては、この海風は夏の高原に吹く風よりも過ごしやすく、何にも増して心安らぐものであった。

 小豆島を右手に見て過ぎると、ひときわ潮流が速くなる。その昔、特異な富と文化を有した水軍で知られる、塩飽(しわく)の島々の海域に入ったのだ。
 船は速度を落としながら、ゆっくりと注意深く、その島々を縫うように通り抜けて行く。

 やがて夜も更けて、今治(いまばり)の街の灯を間近に見るころになると、若い宏隆にもようやく、旅の興奮が疲れと眠気になって襲ってきた。
 「吾は海の子」の歌詞の如く、千里を寄せ来る海の気を吸いながら、日々海原を眺めて育った彼にとっては、適度に揺れる船の寝台は、海辺のハンモックでそよ風を受けているような、ほど良い眠り心地を誘い、時折聞こえてくる、すれ違う船同士が鳴らす霧笛は、無上の子守歌のようでもあった。


 そして、翌朝・・・
 目覚めてカーテンを開け、寝間着のままデッキに出ると、風は真夏とは思えぬほど冷たく、まだ明け初(そ)めたばかりの紫色の空の彼方に、少し靄(かすみ)の掛かった大分港がぼんやりと見える。
 九州の空は、やはり南国の空だ。ここはもう宏隆が暮らす畿内(ウチツクニ)とは違って、同じ日本とは思えないような、南国の香りが感じられる。
 港の右手に見える市街地や、その上の山の斜面にところどころポツポツと立ち上る煙は、「山は冨士、海は瀬戸内、湯は別府・・・」などと詠われる日本屈指の名湯、別府の湯煙であろうか。宏隆は大の温泉好きであり、大分の地は小さいころに家族で来た温泉旅行以来であった。


 大分港に到着した後は、すぐに台湾船籍の貨物船に乗り換えるよう指示されていた。
 一休みして、ちょっと好きな温泉に浸かって行きたいところだが、時計を見ると、その船の出航時間が迫っていて、どうやらそんな暇もありそうにない。

 その船は、大分港の片隅にひっそりと停泊していた。
 少し埠頭を歩き回って、青い船首に真白い字で達筆に『大武號』と書かれたその貨物船を見つけるのに、それほど時間は掛からなかった。
 何本かの舫(もやい)が掛けられているその船は、下半分が赤く塗られていて、赤地に青がデザインされた、台湾の「青天白日旗」を連想させる。
 船尾には、その船の国籍を表す台湾の国旗が掲げられ、また、そのすぐ下にはこの会社のものらしい、双つの龍が描かれた珍しい旗が掲げられている。船首のマストには、寄港地である日本に敬意を表して、日の丸の国旗が高々と掲げられ、風にたなびいていた。

 船が大好きな宏隆は、船のすぐ側を歩きながら貨物船を見上げ、時折り立ち止まっては、あちこちを繁々と眺めている。
 ちょっとペンキの色も褪めかけていて、所々が錆びていたり、荷物の上げ下ろしでぶつけた傷跡もそこかしこにあり、よく見ると、まるで戦場を掻い潜ってきたかのような、銃弾の跡のように見える傷まである。
 まさかそんなことは無いだろうと思いながら・・しかし、よく使い込んでいる船だなぁと眺めながら歩いていると、上のデッキから宏隆の姿を認めた船員が、音を立てて、急ぎ足でタラップを下りて来た。

 マリンブルーの制服と帽子をきちんと身に着けたその人は上級船員らしく、肩章に二本の筋が入っている。

「カトー・ヒロタカさんでしょうか・・?」

 宏隆に話しかけてきた船員は、日本語ではあったが少し中国語の訛りがあり、台湾の船から降りてきた人に相応しい顔つきをしていた。

「そうですが・・・」

「私は、この “大武號” の一等航海士で、孫(ソン)という者です。
 たいへん失礼ですが、乗船される前に、貴方がカトーさんご本人であることを確認しなくてはなりません。ご協力いただけますか?」

「はい、もちろんです、どうぞ・・・」

「では、まずパスポートを拝見させて頂きます・・・
 お荷物は、このトランクひとつだけでしょうか?」

「はい、そうです・・・」

 孫というその航海士は、一体いつどこで撮影されたものであるのか、すでに宏隆の顔写真を持っていて、まるで物でも見比べるようにさんざんジロジロと見た挙句、胴体や足をポンポンと叩いて入念に身体検査をし、さらに宏隆のアルミ製のトランクを指さして、

「・・・ほう、ゼロ・ハリバートン(Zero Halliburton)ですか。
 アポロ11号が月の石を持ち帰るためのケースを造ったカバンのメーカーですね。
 良いトランクをお持ちですね・・・中を開けて、検査してもよろしいでしょうか?」

「どうぞ・・もちろん構いませんよ」

 船員はそれを開けて、中身を全部ひっくり返し、持ち手のハンドルからボディの厚さまで詳しく確認しながら、隅から隅まで入念にチェックをしている。

 ゼロ・ハリバートンのトランクは、「どんな環境にも対応する」というポリシーで造られていて、とても頑丈に出来ている。他のメーカに比べると、多少重いという難点はあるが、落としてもぶつけても、クルマに轢かれても、ほとんど潰れない。
 テロの爆発に遭遇しても中身が無事であったという逸話も多く、アメリカの大統領が機密書類を持ち運ぶブリーフケースとしても用いられている。

 また、泥水や川、海などに落としても中に水が入らず、水に浮き、アルミ製のボディはレーダーに反応するので、船旅には万が一のときの救命具にもなる。
 「水に浮く旅行鞄」というのは、ゼロより百年以上も前に創業したフランスのルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)の長年の謳い文句であったが、船旅が主流であった頃から旅人に選ばれ続けてきたそれは、現在では軽量化を名目に生地や構造が変えられ、オーダーメイド以外は水に浮かないものになった。
 ゼロ・ハリバートンは、今日では世界で唯一の、緊急避難に堪えるトランクと言える。

 宏隆はその若さに似合わず、このようなところにも用意周到であった。


「どうも、たいへん失礼しました。お荷物にはスイスアーミーが一本有るくらいで問題ありませんし・・どうやら、あなたはカトーさんご本人に間違いないようです」

 初めて経験する入念な身体検査にちょっと緊張していたところを、ようやくそう言われて「当たり前だよ、本人に決まっているじゃないか・・!」と、心の中でつぶやきながらも、内心ちょっとホッとしていたのだが・・・

「では、最後に、もうひとつだけ・・」

「えっ、もうひとつ・・?」

 まだ何かあるのか、と怪訝に思ったが・・・

「紫藤廬(ツートンルゥー)の、お茶の味は、如何ですか?」

 その孫(ソン)という航海士は、少し緊張した面持ちで、まるでワケの分からない、意味不明なことを訊ねてきた。

「・・何?、ツートン? ツー、トン、トン・・・・あ、そうか!」

 宏隆は、ようやく重要なことを思い出した。

 久々に海の上で一夜を過ごせた興奮と、そのせいで少々寝不足気味になって頭がぼんやりしていたのだが、この台湾の貨物船に乗る際には “合言葉” を訊ねられるので、それに正しく応えられなくてはならないと、王先生に注意されていたのである。

「えーっと・・・そうだ、 “仙人境” の味がします!」

「では、その茶器は “いくつ” ありますか・・?」

「それは・・・えー・・・そう、 “三種類” です」

 それは “三個” ではなく、“三種類” と答えなければならなかった。
 記憶を辿りながら正しくそう答えると、孫という船員はようやく顔がほころんで、

「ありがとうございました。確かに本物のカトーさんですね。
 私は、あなたを台湾の基隆港まで、無事にお届けするように命じられています。
 航海中のご用は、何なりと私にお申し付けください」

 そう言って宏隆に敬礼し、宏隆のトランクを持って、船腹に沿って斜めに付けられているタラップを上がっていった。

「揺れますから、どうぞ、足もとに気をつけてください・・・」

 この船のタラップは狭くて急で、まるで縄梯子のようにやたらとグラグラ揺れる。歩ければよい、といったほどの、申し訳程度に付けているようなもので、客船のそれとは大違いであった。

 しかし、乗船前にこれだけの入念な検査をすることを見ても、これは決して普通の貨物船ではない。どうやらこの船自体が、王先生の所属する家族(ファミリー)、つまり、組織の船であるに違いなかった。


 船に上がると、如何にも海の男という感じの温和な初老の人が待ち受けていた。

「船長・・この方が、お待ちしていたカトーさんに間違いありません」

 宏隆を案内してきた航海士が、その人を船長と呼んで敬礼し、宏隆にも分かるように日本語でそう報告した。

 よく日に焼けた顔に、白い立派な髭を蓄えた船長は、宏隆に握手を求めて、

「ようこそ大武號にいらっしゃいました。私は船長の林(リン)と言います。
 日本風に言うと、ハヤシ、という読み方ですね・・・どうぞよろしく。
 いきなり身体検査などをさせて頂いて、大変失礼しました」

 そう挨拶をする・・・

 船長は、航海士の孫さんよりも、日本語を上手に話せた。

「加藤宏隆と申します。この度は台湾まで大変お世話になります。
 こちらこそ、よろしくお願い致します」

 礼儀正しく、少し歩を下がってから足を揃え、相手の目を見て、日本式に丁寧にお辞儀をして挨拶をする宏隆をしげしげと見ていた船長は、

「・・おお、あなたは噂どおりの、立派な若者ですね。
 うーん・・・何より、澄んだ良い目をしているし、立っている姿勢が違う・・・
 あなたなら、たとえ敵側の人間でも、きっと仲間に欲しがるでしょうね。
 いや、ホントのことネ、ハハハハ・・・」

 そう言って、宏隆を賞めてくれる。

「・・ありがとうございます」

「そうだ、お腹は空いていませんか・・? ちょうどコックが、この大分の旬の魚を・・・鱧(ハモ)やスズキ、産卵前の美味しいアワビを仕入れてきたと言っていました。
 この船のコックは、かつて香港の有名なホテルで腕を振るっていたので、なかなか料理が上手いのですよ・・!!」

「うわぁ、それはありがたいです、実はもう、腹ぺこで!・・・」

「ははは・・・では、私も朝飯がまだなので、一緒にいただきましょう。
 私は朝食にお粥をいただくのが習慣です。朝のお粥は身体に良いのですよ。
 小麦のグルテンを揚げた油条(ユーチャオ)や、皮蛋(ピータン)などを一緒に食べるととても美味しい・・・私はこんな貨物船の船長ですが、こう見えても、味には中々うるさい人間で、船でもよく厨房に入ってコックの邪魔をします」

 船長はそう言って笑い、航海士の孫さんに、宏隆を部屋へ案内するように命じ、

「今回のあなたの旅が、とても有意義なものになることを祈っています。
 沖縄経由なので、ちょっと長い船旅になりますが、どうぞゆっくりしてください。
 必要なことがあれば遠慮なく言って下さい。航海中は、この孫(ソン)があなたのお世話をしますので、ご用があれば、何なりと彼に命じて下さい・・・」

 そう付け加えてから、姿勢を正し、宏隆に敬礼をした。
 その端正な姿は、古ぼけた貨物船の船長と言うよりは、まるで軍人のようであった。




   

    *金波さゆらぐ茅渟の海・・・瀬戸内海の夕景


   

    *海上より、フェリーターミナルと大分港を臨む

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2009年06月08日

連載小説「龍の道」 第17回




 第17回 金 剛(2)


 太極拳の訓練で、ゆっくりと動く理由は・・・

 先ず、これほどの繊細な要求を身体で熟(こな)していくためには、ゆっくり動かざるを得ない、ということがある。勁(けい)という、独自のチカラを用いる太極拳の戦闘技術は、見た目のスピードとタイミングで勝敗が決まるような闘争術とは学習の方法が全く異なっているのだ。

 これは、いかにも武術らしく見える “動作” の練習をするものではなかった。
 さらりと、決められた型の動作を流してしまえば、それは表面的な動きにとどまり、人間が本来持つ精密な身体の構造や、そこから生じる機能や作用といった、高度な武術で最も重要視すべきものへの意識が失われがちになってしまう。
 しかし、ゆっくりと、ひたすら真正な武術としての “構造” のみを保ちながらその変化を追えば、自分の身体がどのような状態であるのか・・・つまり、どのように立ち、何処に向かって、どう動こうとしているかが、とてもよく理解できる。
 そして、正しい構造を保ち、それを丁寧にたどり、擦(なぞ)って行くには、ゆっくりと動く以外には、他に方法がなかった。

 この学習の仕方や考え方は、宏隆が学んできた日本の古流武術のシステムにも似ていた。
 そこでは「型」が最も重要視され、ひたすらそれを繰り返して学ぶのであるが、それは、兎にも角にも「型」によって身体の日常的な構造を変えていくことにこそ訓練の主題があり、それらもまた、決して攻防の雛形では有り得なかった。
 高度な武術にあっては、どのような民族にあっても、近似した学習方法が発想され得るのかもしれない。

 王先生が教授する陳氏太極拳の学習システムもまた、その身体構造の基(もとい)を身に付けるために、ひたすら基本功を練るだけのために1年数ヶ月もの時間を掛けるものであった。
 そこには、いきなり套路をサラサラと流して憶えさせたり、その中の動作で実戦の攻防をシミュレートするような訓練は皆無であり、ひたすら武術として存在し、動けることのための身体構造を身に付けて行くものであったのだ。
 そして、そのようなシステムを持つがゆえに、太極拳は六百年という永い時間を経た今もなお、高度な武術として君臨し得るのであろう・・・宏隆には、そう思えた。


「金剛とは、金剛神・・・仏法を守護する神の名前のことだ。
 その名が示すように、鍛え抜いた鋼のように非常に堅固であり、手には金剛杵(こんごうしょ)という、天魔を降伏(ごうぶく)する法具を持つ。
 つまり、金剛搗碓とは、金剛神が人の煩悩を打ち砕く降魔の杵を振り下ろすという激しい動作を意味している」

 王先生が、この動作について語る・・・

「これは、またの名を、 “護心拳 (hu-xin-quan)” とも呼ばれる。
 心臓を護るように胸の前に拳を置くのでその名が付けられたと言うが・・・ “心(シン)” は臓器だけを表すものではなく、精神、中心、という意味でもある。
 つまり、肉体ばかりではなく、仏法の智慧によって煩悩を打破して、自己の精神の中心を護り、自己という存在の中心を護る・・・
 套路の最初の動作には、そのような意味が込められているのだ」

「陳氏太極拳の拳理を表す套路の、最も重要とされる第一番目の動作が、このように仏法の守護神によって天魔を降伏(ごうぶく)する破邪顕正の相(すがた)を表していることには大きな意味がある・・・その意味するところは、とても深いものだ。
 文化大革命によって、伝統武術も、宗教も、哲学も、完全に否定されたために、現在ではもう、これらの意味がまったく失われてしまったが・・・」

「・・・日本にも、奈良の東大寺に、独自の作風の金剛神像があるという。
 仏法とは、人間釈尊が艱難辛苦の果てに到達し得た理解と叡智のことであり、その真理は不毛の大地を潤す水のように、世界の隅々にまで浸透している。
 それを武術で理解しても、他の何で理解しても良い・・君は自分の人生で、この金剛搗碓に込められた大きな意味を、深く尋ねて行かなくてはならない」

「太極拳の数ある技法の中でも、この一勢ほど虚実剛柔が上下四方に正しく、粛然としていることを感じさせるものは他に無い。陳氏太極拳に於いて、この一勢を領袖として、最も重要なものと位置づけられているのはその為だ・・・」

「その理(ことわり)は、非常に真正なものだ。
 つまり、この理が理解されなければ、この後を学んでも、何の意味も持たない。この一式の動作には、陳氏太極拳の全ての原理が秘められているのだ。
 よく覚えておきなさい・・・・」

「・・はい」

「さあ、これが金剛搗碓の、中ほどの部分だ・・・・」

 同じように、左足を一歩前に出して行くところを後ろから従(つ)いていく。

「・・・一(yi)・・・二(er)・・三(san)・・・四(si)・・・・・」

 この中間の僅かな動きの部分でも、それが四つに分けられ、ひたすら馬歩の構造が、ひとつひとつ、正しく確認されながら繰り返されていく。

 初めに王先生に付いて動き、次に再びそれを独りでなぞって繰り返し、そうしながら細部を幾度も訂正され、またそれを自分で修正しては繰り返してゆく・・・

「そうだ・・・今の時点では、大体それで良いだろう。
 そして、次の・・・最後の部分は、このように行う・・・・・」

「一(yi)・・二(er)・・三(san)・・・四(si)・・・・」

「これが、金剛神が降魔の杵を振り下ろすという、この勢の名前の由来となる動作だ。
 さあ、やってみなさい・・・・」

 教えられた套路の、その、ほんの初歩であるはずの訓練が、とても難しい。
 しかし、それを理解しようと、ひたすら続けていく・・・

 そして、見た目はごく単純に思えるその最後の部分の動作を、さらに四つに分けて構造を解きながら、何度となくそれを繰り返しているうちに・・・
 ふと・・宏隆は、自分の身体が、勝手に動いていることに気が付いた。

「な・・何だ、これは・・・・」

 何も身体を動かそうともせず、こう動きたいとも思っていない・・・
 ただ見せられたとおりに、訂正されたとおりに、注意深くその形を取っただけで、
 宏隆の身体は、何の意図も、動作も必要とせずに、王先生と同じように、
 信じられぬほど、軽やかに動いていた。
 自分の動きとは、明らかに違う動きが、そこに自然に生じている・・・

 そして、そうなって初めて、宏隆は、自分が1年以上も時間を掛けて練ってきたはずの「基本」が、実はかなりいい加減で、精度の低いものであったことに気が付き始めていた。


「そうか・・・・」

「そうではないのだ・・・」 

 基本功の “動き” は・・・
 あの基礎運動の訓練は、このような構造を理解するためにこそ在ったのだ・・・・
 自分がやっていたことは、ただ、その基本練習のための動きを・・・
 基本訓練という名の、単なる “基本の動き” を
 ただ、繰り返していただけに過ぎなかった・・・・・


「一(yi)・・二(er)・・三(san)・・・四(si)・・・・」

 身体が、信じられないほど、軽い・・・・

 まるで、重力が半分ほどしかない空間で動いているかのような・・・
 床を踏みしめても、踏んでいないような、そんな軽さが、宏隆の全身を包んでいた。

「ああ・・・そうではなかった・・・!!
 この動きは、勝手に、自然にそこに起こるべくして生じていくのだ・・・!!」

「本当は、これを基本として練るべきだったのだ・・・
 自分は、この “基本” というもののあり方に、まったく気が付いていなかった。
 基本は、この武術の運動の、最も小さな単位だとばかり思っていた・・・!」

 基本は、実際の正しい構造に当て嵌めてみて、初めてそれが何のための基本であったか、それ自体が何の意味を持つものであったのかが、ようやく分かってくるものであるらしい。

 それは「動き」ではなかった・・・
 動きとは、どのようなものであれ、必ずその元となる構造より生じているものなのである。まずその元となる構造が理解されなければ、如何に外見を精密に摸倣しようと、その動きは単なる表面的な擬(なぞら)えに過ぎず、根本を成す原理を修得できるはずもない。

 基本とは、ひたすら、この「構造」を理解するためのものであったのだ。
 そして、套路とは、その構造をさらに深く追求するものであるに違いなかった。

 套路を教わったことで、宏隆は「基本」に対する考え方が変わった・・・
 それは、宏隆にとって、まさに目が覚めるような大きな発見であった。


「好!、今天就講這里・・・(よし、今日はここまでにする)」

 まるで、宏隆がそれを発見したことを見抜いたかのようなタイミングで・・・
 王先生がそう言い、宏隆は動作を収め、感謝を込めて「ありがとうございました」と、稽古を始めた時と同じように、片膝を着いて礼をする。
 通訳の大男にも、胸の前に拳と掌を合わせ、丁寧に礼をした。

 宏隆の額から、汗が床に滴り落ちる・・・
 決して激しい動きではなかったのに、体中にじっとりと汗が吹き出しているのである。
 この秘密の訓練所は、大暑を過ぎたばかりの真夏の地下室とは思えぬほど、快適に空調が管理されてはいたが、太極拳の訓練は、たとえどの様な場所であっても、站椿で五分間ほどじっと立っているだけで大汗をかく。


「ところで・・・・」

 いつもなら、指導が終わると風のようにスーッと部屋の外へ出て行くことの多い王先生が、珍しく宏隆に向かって話しかけてきた。

「近々、台湾に行ってもらわなくてはならない・・・」

「台湾へ・・・ですか?」

 突然の王先生の言葉に、宏隆はちょっと驚いた。

「そうだ・・・君は台湾へ行ったことがあるかね?」

「いいえ、まだありませんが・・・・
 どのようなお遣(つか)いで、台湾に行くのでしょうか?」

「いや、遣いで行ってもらうのではない。
 君が正式に私の弟子となるために、私たちの長老に面接をする事と、
  “家族” の主なメンバーが立ち会って、君の入門の儀式を行うためだ・・・」

「入門・・? 私は、まだ王先生の弟子ではないのでしょうか?」

「君は、私の学生だ・・・
 しかしそれは、私たちの世界では、未だ正式な弟子という意味にはならない。
 私の師や、一家の長老、私たちの家族、つまり吾々の同志たちに面接して君を見てもらい、私の正式な後継者に相応しいかどうかを、皆にも判断して貰わなくてはならない・・・
 そこで君が認められ、拝師入門の儀式を終えて、初めて君は私の正式な弟子となることができるのだ」

「面接というと・・・また、あのようなテストがあるのでしょうか?!」

「ハハ・・よほどあのテストが応えたと見える。
 しかし、もうテストは必要無いから行わないから、安心しなさい」

「・・私は、自信を持って、君を、私たちの後継者に推薦したいと思っている。
 三週間のテストでどのように立ち向かうかを見てから、この一年と数ヶ月の間、君には武術らしく見えるような動きのひとつも教えず、ただ地味な基本功しか教えてこなかった」

「それは昔からのやり方だ・・昔は、みんなそうして学んだ。
 誰でも、初めの数年間は、武術らしいことは何も教えてもらえない・・・」

「しかし、君はその基本功をとても大切に、まるで宝物のように丁寧に身に付けようとしていた。その単純な動きに千尋の深さを感じ、その原理を探ろうとして、それまでの自分の身体の在り方、自分の考え方さえ否定しながら、懸命に模索し続けていた・・・
 それを誰にも言われず、自分で行えたところに、私は君という人間を見出すことができる」

「そういう人間は、黙っていても大切なことに気付き、成長していけるものだ。
 現に今日の稽古でも、私は、君がとても大切なことを見出したように見えた・・・」

「台湾の同志たちも、きっと、実際にそんな君を見れば、吾々の未来に希望を見出して、大いに喜んでくれるに違いない・・・・」


 宏隆にしてみれば、何も考えずに、ただ必死に、教わったことをこなそうとしていただけであったのだが・・・
 入門のテストを終えてから、この一年数ヶ月を掛けて基本練習を教わりながら、自分の学び方や、この武術の追求の仕方がどのようなものであるか、つまり自分がどのような人間であるのか、物事にどのように向かっていくのかを、詳細に観察されていたのだった。


「台湾へ・・・」

「そうだ、吾々の現在の本拠地は台湾にある。
 台湾では先ず、張大人(たいじん)に会ってもらわなくてはならない」

「張大人・・・その人は、どんな方なのでしょうか?」

「張大人は私たちの長老だ。君のお父さんと同じように、私が日本に来るための労を執ってくれた、御恩のある人でもある・・・
 君が正式に私の教えを受けるためには、台湾に行って、その方とお会いして、君自身という人間を直(じか)に観てもらう必要があるのだ・・・」

「よく分かりました・・・それで、台湾へはいつ発てばよいのですか?」

「来月の3日に予定している。渡航の方法や、私たち独自の、ちょっとした約束事などがあるが、それはまた出発前に改めて指示することにしよう。
 それはきっと、君の人生の新たな旅立ちとなる、良い旅になることだろう・・・」


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2009年05月28日

連載小説「龍の道」 第16回




 第16回 金 剛(1)


 夕刻・・・・

 「扇の港」と形容される、扇形に広がる神戸の港が瀬戸に落ちる夕陽に赤く染まり、街の灯がぽつらぽつらと灯される頃になると、宏隆はいつものとおり南京町に出かけてゆく。

 広東料理店の「祥龍菜館」は、まだ開店するかしないかの時間で、宏隆が入っていくのを誰かに見咎められることもない。何より、学生である彼は、誰が見てもそこの従業員のアルバイトか何かに見られるに違いなかった。

 例によって奥の「予約専用室」に通され、内側から鍵を閉め、飾り棚の後ろの秘密の入口から薄暗い階段を降り、初めに案内された応接室を通り越して、迷路のような細い通路を少し歩いていくと、やがて地下の秘密の道場の扉が見える。

「もう、一年以上にもなる・・・あれから何回、ここに通って来ただろうか。
 ここで、あの、悪夢の三週間のテストを受けたんだったなぁ・・・」

 入門前の過酷なテストをちょっと懐かしく思い出しつつ、ポケットから合い鍵を出そうとすると、珍しく部屋の灯りがドアの下から洩れている。
 扉を開けると、中にはすでに王先生が壁際の椅子に腰を掛けて宏隆を待っていた。

 ・・・急いで、その人が腰掛けている席のすぐ傍らまで歩み寄り、片膝を床に着いて深々と礼をする。両手は、ちょっと不思議な組み方をして、低く下げた頭の前に掲げる。

 この礼式は、初めて指導を受けた時に教わったものであったが、王先生が属する門派独自のものであり、これまでに日本の武道しか知らなかった宏隆にとっては、礼儀や作法のすべてが新鮮なものとして映った。
 やはりこの武術は、文化のまったく違う異民族の、その中でも特異な、優れた知性を持った一族によって創られたものなのだと思える。そして、その民族や、太極拳を創造した人々の「考え方」が解らなければ、決してこの武術をトータルに習得することは出来ないだろうと思えた。

 いつの間にか・・・後ろにはいつもの通訳の男が入ってきて居て、ちょっとドキリとさせられる。その男は、これほど図体が大きいのに、如何なる修練を積んできたのか、まったくと言って良いほど、常にその存在の気配が感じられない。
 宏隆はその男に対しては、立ったままで右手を拳、左手を掌にして合わせる普通の包拳礼で挨拶をした。


 王先生は、すでに椅子から立ち上がってきていて、宏隆に語り始める・・・

「今日から套路(Tao-lu)の第一段階を教える。
 基本功で学んだ動きは、最も単純な身体の構造を示している。それは “手(shou)” と呼ばれる。 “手” とは、扱い方や手立て、その有り様といったものを表している」

「 “手” が集まれば技法としての動きとなり、それを “着(zhao)” という。
 将棋の一手も同じ “着” と呼ばれるが、 “着” とは届く、到り着く、つまり技法として通用する構造となったもの、という意味だ」

「さらに “着” が連なったものを “勢(shi)” と呼ぶが、これは “着” が他へ正しく影響を及ぼせるものになったことや、その活動のチカラを表している」

「そして、そのような “勢” がいくつも集まったものを “套(tao)” という。
 套路という名称は、そのような意味から成り立っている・・・」


 ・・・丁寧に、噛んで含めるように、そう教えられる。

「君は、1年と数ヶ月の間、柔功、站椿、開合勁などの基本を練習し続けてきた。
 今日からは、いよいよ陳氏太極小架の “套路” の学習に入る。つまり “手” を “着” へと発展させ、 “着” を “勢” にすることを学んでいくのだ」

「套路(タオ・ルゥー)・・・」

 そっと、口の中で復唱してみる。

 王先生は、続けて、

「套路には、陳氏太極拳のすべてがそこに詰まっている。
 基本功も、身法も、歩法も、戦闘法も、
 太極拳のすべてが、その理解の鍵として、そこに示されて在るのだ。
 そして、何よりもそれは、武術としての “構造” を学ぶために造られている」

「・・単に見た目の運動を真似ても、それは套路を学んだことにはならない。
 カタチを真似る本当の意味は、その “動作” ではなく、“構造” にあるのだ。
 それら套路の動作は、即、実戦に向けての雛形ではない。
 それは太極拳という武術の構造を身体に叩き込むために創られたカタチなのだ。
 短絡な発想でそれを誤解すると、太極拳は何も分からなくなってしまう。
 呉々も注意が必要だ・・・」

「先ずは “構造” に興味を持つこと・・・
 何故その位置に足が置かれるのか、何故その方向へ移動するのか、
 何故そのように動くのか、
 その際の、動作のひとつずつの、細かい “構造” はどうなっているのか、
 そのようなことが深く理解されなくてはならない。
 ・・・分かるかね?」

「はい、よく覚えておきます」

「よろしい、では、実際の動きに入って行くことにしよう。
 いちばん初めの動作は、Jin-gang-dao-dui と言って、 “金剛搗碓” と書く・・・」


 道場の壁に掛けられた小さな黒板に、漢字ばかりの文字が書かれる。
 それは見慣れない文字だったが、その意味よりも先に、王先生が黒板にチョークで書く文字そのものが、宏隆の五感を強く刺激してならない。

 宏隆は書が好きだった。家にはいつも幾つかの書が掛けられてあり、それは季節によって、来客によっても掛け替えられた。中には作家や俳人、中国の書家のものもあった。
 大徳寺の高僧が書いた禅語に、宏隆がとても気に入った墨跡があり、その茶掛けの小さな軸を、大切にするからと父に頼み込んで、どう見ても不釣り合いな洋間の自室に掛けさせて貰ったこともある。

 しかし、この人の字は・・・

 ごく普通に、粗末な黒板にさらさらとチョークで書かれたものであるのに・・・・しかも、それが詩歌や散文でもない、ただの動作の名称に過ぎないのに、何故かその文字は、心の奥底にまで、鮮烈に響いてくるのだった。

 漢字が創られた土地で育った中国人が書くものとは言え、それは、文字としても軸が通った藝術であり、書く人の存在の深さや大きさ、その生きざまを如実に表しているように思えてならなかった。


「金剛搗碓の前には、套路の身体の構造を整えるための、予備の動作がある・・・」

 ・・・そんな想いを巡らしている内に、もう、王先生が先に立って、実際にそれらの動作を示し始める。

「これが無極・・・そして、これが太極、あるいは起勢と呼ばれるものだ。
 無極は、すでに一年以上続けてきた無極椿と同じなので、その通りに立てばよい。
 太極とは、無極椿から太極椿に移るときの変化そのものだ。
 つまり、これらはすでに君が基本功で学んできたものだ・・・」

 ・・・王先生の後ろに従(つ)いて、寸分違わぬようにその動きを真似る。

 套路(Tao-lu=とうろ)と呼ばれるその動作は、初めて眼にする宏隆に、とても綺麗な動きとして映った。これほど優美な、こんなにも綺麗な動きが、どうして、かつて何メートルも軽々と自分を宙に舞わせた、あのような強力なチカラになるのだろうかと、とても不思議な気がする。


「これには全部で六十ほどの動作がある。それは “十三勢” と呼ばれている。
 それらの動作が、十三の “勢” で構成されているからだ・・・」

「初めの無極椿と起勢(qi-shi)は準備のための動作で、十三勢には入らない。
 十三勢の第一番目、第一勢は、この金剛搗碓ただひとつ、この一着だけだ・・・」

「金剛搗碓は、この一着に “太極の理” がすべて備わっていると言われる。
 つまり、これは唯の一着にして一勢を成しており、この一着が理解されなければ、この後の動作は決して理解できず、これが誤解されれば以後の動作はすべて誤解のもとに行われることになる」

「これには、陳氏太極拳の多くの秘密が隠されている。
 第一勢の金剛搗碓は、よくよく、心して学ばなくてはならない・・・」

 ・・そう聞いて、神妙に「はい」と頷くと、

「金剛搗碓(ジンガンダォドゥイ)は、三つに分けると、その意味するところが理解し易い。 
 ・・・これが、そのいちばん初めのところだ」

 王先生がまず範を示して見せ、すぐに、

「・・・では、今のところをやって見せなさい」

 ・・と、言われる。


 これまでに学んだ基本功もそうであったが、王先生は学習の初めに、その動作をただ一回見せただけで、すぐに、それをやって見せなさい、と言うのである。

 宏隆がこれまでに経験した日本の武道の練習では、師範が何度となくそれを見せ、弟子もまた何度となくその後ろについて同じことを反復し、そうすることで習い憶えていこうとするのだったが、王先生の指導はまったく違っていた。

 ただ一度だけ・・・・初めにその動作の模範を自らがやって見せ、まるで唯の一回で彼がどれほど見て取れたかを試すかのように、しばらくの間は宏隆が “ウロ覚え” のまま、それを何度も反復して試行させるのだった。

 幾度となく・・・そのウロ覚えの動きを繰り返しているうちに・・・
 やがて、王先生の指摘が入り、

「その処は、初めに教えた、この基本の原理によって、こうなるのだ。
 それは、構造上、そうなるしかないことだ・・・
 ・・よって、右脚は、自ずと外に開かれることになる。
 それは足で開くのではない、構造によって、自然にそこに開かれるのだ・・・」

 ・・と、詳しく説明される。

 そのような指摘は常に、一回に付き、だだ一点であった。
 その指摘された誤りを、そのつど宏隆が十全に直せたのかどうかは分からない。
 ただ、間違っていれば指摘され、直ちに修正されるので、何の指摘もなければ、それは多分、何とか原理に適っているのだろうと思えた。


 修正された動作を、幾度も、ゆっくりと繰り返していく。
 基本練習の時もそうであったが、太極拳はどのような動きでも、武術の修練とは思えぬほど、とてもゆっくりと動いていくのである。

 そして、そのようにゆっくりと動くのには、理由があった・・・





 


taka_kasuga at 21:00コメント(11) この記事をクリップ!
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