*第1回 〜 第10回

2009年02月08日

連載小説「龍の道」 第5回




 第5回 兄 弟(5) 


 異国情緒あふれる、ハイカラな街として知られる神戸の歴史は古い。
 昭和42年(1967年)には「神戸開港100年」の記念式典が行われたが、
それは鎖国が解けた後の、近代になってからの話で、実際にはもっと遥か以前・・・

 かつて平安の昔から、この地は京の都から瀬戸内海と九州を結ぶ海上交通の要衝として栄えており、それを重視した平清盛が、今の神戸港の一部である「大輪田の泊(おおわだのとまり)」を改修して中国・宋との貿易を行い、中国大陸や朝鮮半島との交流の港として存在し続けてきたのであった。

 また、神戸の福原という土地には、一時は京都から首都が移転されたこともある。
つまり、かつて神戸はこの国の「都」であった時期さえある、ということになる。
 この地の歴史の深さや、開放的な文化が育まれてきた背景が窺える話であるが、やがて江戸時代の長い鎖国政策を経て、開港後には外国人居留地が設けられ、あらゆる面で欧米の文化や生活がこの地に持ち込まれ、いちはやく文明開化の洗礼を受けることになった。

 現在でも、世界中のありとあらゆる文化や人種を見ることが出来るこの街の風土は、
実は、清盛の時代から、すでに始まっていたと言って良い。


 ・・・そんな街で、宏隆は生まれ、育った。

 住居は、神戸の街と港を見下ろす、山の手の高台にあった。

 華厳の滝や、那智の滝といった、よく知られる名瀑布と並んで、「日本三大神滝」と称される「布引の滝」の東麓に位置するこの屋敷は、この辺りの高級住宅地の中にあっても少々格の違う豪邸で、表通りからは中の建物の屋根さえ見えず、地図を見ると、道を挟んだ隣りにある高等学校の校庭を含めた広さと、ほぼ同じくらいの広大な敷地を有していた。

 家は坂道の途中にあるので、敷地を平らにするために、その長く急な坂道の傾斜の分を城のように高く石垣を積み上げてあり、初めてそれを目にすると、一体こんな大きな石を何処から運んできたのだろうかと思える。

 この家を訪う人は、門柱に「通用口」と達筆に墨書された木の札が掛けられているにも係わらず、大方は入口を間違えて、ご用聞きが出入りするその入口で呼び鈴を鳴らすことが多かった。
 もっとも、普通の人なら、まず正門にしか思えないほどの、立派な屋根まで付いた通用口なのだから、無理もないことかもしれない。

 正門はずっと離れた坂道の上の方にあり、なるほどこれが正門かと、改めて頷けるような、
厳かではあっても何の傲慢さも感じられない、穏やかな屋根が載った大きな門が見える。
 そして、ひとたびその門を潜ると、それまでの市井の喧噪から完全に隔絶された、嘘のように閑静な世界の広がりに、誰もが心を洗われるような気分を味うことになった。

 門を過ぎて、心地よいカーブのつけられた、よく手入れの行き届いた疎竹の林間を縫うように砂利の小道を抜け、さらに散策でもするように、緩い石畳の坂道を歩いていくと、やがて幾つかの大きめの飛び石が、苔生す緑の中に美しく配置されている。
 さらにその向こうには、清々しく水の打たれた霰崩し(あられくずし)の敷石が現れ、緑錆に彩られた銅の深い庇の下に、黒瓦が整然と敷かれた、侘びた趣の玄関がその奥にひっそりと待ち受けている・・・

・・そういった風情に、細やかに設計されてあった。

 そして、その、まるで京都の茶匠宅を想わせるような、畳敷きの清々しい玄関を上がると、
凡そこれが山の手の豪邸などとは微塵にも思えぬ、清楚な佇まいがそこかしこに感じられる。

 戸外から見る他人の興味勝手な予想とは裏腹に、この家には華美に過ぎるものや、その財力を誇示主張するようなものは何ひとつ見あたらず、瀟洒で開放的な異国情緒の街にあっても、ともすれば戦後の経済復興の中で忘れられそうになっている、日本人の魂や美意識の原点が巧みに調和している家であることが感じられ、何やら心の故郷に還ってきたような安心感に包まれるのであった。


 夜ともなれば、ほんのりと雅やかにライトアップされた日本庭園越しに、一千万ドルの夜景と讃えられる、神戸の美しい街が眼下に広がりを見せる。

 別棟には家族が普段生活をする、英国式に建てられた洋館があり、その前には西洋庭園が広がっていたが、宏隆はよく、好んでこの純日本建築の広々とした畳敷きの縁側に座って、何をするでもなく、この街の夜景を飽きることなく眺め続けた。


 ・・・その加藤邸に、兄弟して、こっそりと帰ってきた日の夜。

 兄が、宏隆の部屋の扉を、辺りを憚るように声を潜めて、そっとノックした。

「・・宏隆・・・おい、居るか?」

 返事を返すより先に、すぐにドアを開けた宏隆は、
兄の顔がまだ腫れ上がったままになっているのを見て、心配顔で訊いた。

「大丈夫かい? 夕食の時より、ずいぶん腫れてきた・・」

「なあに、これくらい・・・ 
 僕だって、ケンカのひとつやふたつ、したことはあるよ」

 そう言いながら、傍らの大きな皮のソファにドッカリと腰を下ろして、

「・・おお、やっぱりジムランは良いなぁ・・うむ、音楽は、こうでなくちゃいかん!」

 ジムランとは、JBLという米国製スピーカーの創業者である天才エンジニアの名前、
“James B. Lansing” をもじった、マニアックな呼び名である。
 その宏隆自慢のJBL4320という、直径が38センチもある大きなウーファーを備えたスピーカーから、彼の好きなバラードがやや音量を上げ気味に流れていたが、すぐにボリュームを落として針を下ろし、兄の好みのコルトレーンのジャズに盤を替えながら、こう言った。

「・・そうか、でも、父さんが帰ってきたら、心配するだろうな」

「いや、何も言わんだろう・・あの人は、そういう人だよ。
 ・・それよりも、昼間のことを、早く教えてくれないか?
 何だか気になって、ロクにメシも喉を通らない感じなんだ。
 もっとも、口の中をそこらじゅう切って、痛い所為でもあるけどな! ハハハ・・」

 ・・そう言って笑う兄に、

「今日のエビフライは、思ったほど不味くはなかったけどね・・」

 宏隆は、軽い冗談のつもりで言ったのだが、
兄は、昼間の話題に繋がらないので、ちょっと真面目な顔になって、

「そうじゃなくって・・・
 お前が習っているのは中国産のアヤシイ武道で、
 師匠はとても危険そうな人間だ、という話の、続きをしに来たんだよ。
 ・・いつから習ってる? その、中国の・・タイキョクとか、何とかいうヤツを・・・」

「もう、ちょうど一年くらいになるかなぁ・・」

 アーチ型の出窓に寄り添うようにして置かれた、古風なランプが灯る瀟洒なカフェテーブルの椅子に腰掛けながら、暢気な声で、弟が言う。
「父さんの勧めで、僕が高校に入る前から通い始めた “日本文化研究会” っていう団体が
あるんだけど・・」

「・・ああ、あのノーベル文学賞候補の天才作家、平岡威夫が主宰しているやつか。
ウチの大学も講演に招いたが、作家にしてはなかなかホネのある人物だったな・・
 東大の講演じゃ、全共闘たちを前にして、
“私は生まれてから一度も暴力を否定したことはない” なんて言ったそうだが・・」

「そうそう・・で、そこの常任講師の、
“東亜塾” のK先生が、居合をされていてね。
すごい武道の達人で、塾生たちに居合いや
柔術を教えているって・・・」

「居合いってのは、日本刀を振り回すアレ
だろ? エイ、ヤァーッ!って・・」

 兄の隆範は、ソファに座ったまま、大袈裟に刀を振る真似をする。
「まあ・・そうだね。その研究会でお会いしてあれこれお話ししているうちに、K先生の道場に招かれて、僕も居合道を学ぶようになったんだ」

「・・ああ、覚えているよ。お前、よく庭先で真剣を振り回していたよな。
ハハ・・危険なヤツだ。しかし、カタナはやはり、日本人の魂だよな。
妖しく光る白刃を見ていると、こう、何というか、魂のいちばん奥の方がムズムズしてくる。
・・・そう、それで?」

「そのK先生が、去年の夏休みの前に、面白い人物を紹介しようかって仰ったんだ」

「・・おっ、それが、そのアブナイ人物だったってコトか?!」

「まあ、慌てずに聞いてよ・・
 ・・で、面白い人って、どういう人なんですか、ってお訊きしたら、
君の人生をガラッと変えてしまうかもしれない、とても怖ろしい人だ・・って」

「そーらみろ! やっぱり、怖ろしい人物なんじゃないか!」

「お願いだから、最後まで聞いてくれないかなぁ、もう・・
・・それで、僕はその、自分の人生を変えるかもしれない、と言うことと、
その人が怖ろしい人だということに、とっても興味を持ったんだよ」

「うーん・・お前はやっぱり、父さんの血をたっぷり濃く受け継いでいるんだな。
オレだったら、怖ろしければ、そんなヤツには絶対に近寄らないところだが・・・
 うん、それで?・・それで、どうしたんだ?」

「・・とにかく、お会いすることになったんだ。
初めてお会いしたのは、南京町の “祥龍菜館” だった・・・」

「ほう・・? あの有名な、高級中華飯店で会食か。
広東料理だったかな? 広東料理は野菜がウマイ、っていうが・・・
しかし、逃亡中の人物にしては、ずいぶん目立つ店に来るものだなぁ・・」


 ・・兄の隆範には、話しても差し障りのないことだけを選んで、簡単に語ることにしよう、
と宏隆は思った。

 コトは、図らずも自分が関係してしまった特別な社会に通じていることであり、もしも口外すれば多くの人に迷惑が掛かり、自分や家族もただでは済まないことは、高校生の宏隆にも十分理解できていたからである。

 しかし、この物語を進めるためには、そこで宏隆が体験したことのすべてを、読者にお話しておかねばならない・・・

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2009年01月28日

連載小説「龍の道」 第4回




 第4回 兄 弟(4) 


「兄さん・・・だいじょうぶかい?」

 まだ苦しそうに地面に横たわっている兄に近寄り、宏隆が心配そうに声をかけた。


「・・こ、殺したのか?」

 兄が、ちょっと興奮気味に言う。

「ハハハ・・・まさか! ちょいと眠ってもらっただけだよ」

「眠る・・? ど、どうやって・・?」

「 "落とし" たんだよ・・・
 この、ちょっと足りなそうなアタマに、一時的に血が通わなくなっただけだ。
 どんなバカでも、しばらくすれば勝手に目が覚めてくるから、大丈夫だよ。
 ・・・それより、早くここから引き上げた方がいい。
 いくらこの辺りが閑静な住宅地でも、通報されたらお縄モノで、後が面倒だ。
 さあ、行こう・・・立てるかい?」

 ゆっくりと兄を引き起こしながら、服に着いた土埃を払ってやり、カバンを拾う。

「うむ・・・だ、大丈夫だ、こう見えても、咄嗟に避けたからな。
 大丈夫、それほど効いちゃいないよ・・・」

 まだ少し歩くのがつらそうな兄の腕を抱えながら、
足早に坂道の途中にある公園を抜けて、川沿いをゆっくりと家に向かって歩く。


「お前・・あれはカラテか? どこで習った? 一体いつの間に・・」

「空手じゃぁないよ・・ちょっと、それは言えないんだ・・約束でね」

「約束って・・誰と? ・・・親には言ってあるのか?」

「ぜーんぜん! そんなこと、たぶん許してもらえないだろうからね・・」

「しかし・・・なぜ、そんなに強い? 
 あれはもう、ガキ大将のケンカのレベルじゃないのは、僕にだって分かるぞ。
 何かこう、ものすごい武術の技の・・・まるで映画を見ているようだった。
 父さんには黙っていてやるから、教えろよ・・・なっ?」

「あはは・・せっかく助けたんだから、もうすこし恩に着て欲しいなあ・・」

「よし、分かった、恩に着るよ。
 そして、絶対に誰にも言わないから・・だから、教えて欲しい」

「・・あ、ほんの冗談だよ、ゴメン、ゴメン。
 でも、秘密は守って欲しいな。もう、自分だけの問題じゃないんだ。
 それを約束してくれたら・・・まあ・・少しだけなら話しても良いよ」

「約束するとも! ・・けど、ずいぶんと勿体ぶるんだなあ・・・」


 坂の途中に造られた、緑の豊かな公園を半ばまで下ってきて、兄が、

「もうこの辺りでいいだろう、ちょっとひと休みして座ろうか?」

 そう言って座ると、弟も同じベンチに腰を掛けた。

「・・なあ、話してくれよ。あれは一体何なんだ?」

 急くように、弟に問いかける・・・


 兄の隆範も、武術が嫌いではなかった。
 いや、むしろ身体が虚弱な分、いつも弟の腕っ節が羨ましく、自分を男として逞しく強くしてくれそうな武術に、常に憬れていた。

 その弟が、自分の目の前で、まるで映画のように、ケンカ慣れした不良三人を瞬く間に屠ったものが何であるのかを、知りたくてウズウズしていたのである。

「いくらお前がここらで名高いガキ大将でも、あんな風に大学生のワルを三人も、あっという間に手玉に取れるわけがない。
 何かを習ってるのか? いま、空手ではない、と言ったが・・」

「中国武術だよ・・太極拳というヤツ・・」

 土埃りにまみれた兄の上着をはたいてやりながら、しつこい追求に、ついに観念したように、そう言う。

「・・な、なにぃ? 中国ぅ・・? タイキョン・・ケンだぁ?」

「ハハ・・ まあ、そんなもんかな・・・」

「その、中国の・・タイキョンとか何とか・・っていうのをどこで習った?」

「あ・・タイ、キョク、ケン、って言うんだけどね ・・・南京町で習っている」

 腰掛けているベンチの、すぐ傍らまで、しなやかに下がってきている桜の、青々とした葉っぱをむしって、鼻の頭にこすりつけながら、弟が言う。

「ナンキンマチ?・・つまり、元町の、あの中華街のことか?
 そんな所で、いったい誰に・・・?」

「ん・・・・・」

「ははぁ・・・つまり、師匠は中国人だと・・・そういうことか?」

「アタリ・・・!! 
 中国の文革で、家族みんなを殺されて、日本に亡命してきたヒト。
 神戸に来る前は、上海を経由して、台湾へ逃亡していたって・・」

「・・と、逃亡ってことは、お前、それって犯罪者じゃないのか?!」

「うーん・・・政治犯? 反体制っていうのかなぁ・・・政治は苦手だけど。 
 確かに “同志” と一緒にずいぶん暴れて、共産党から追われてるんだから、あっち側から
見れば、それなりに犯罪者や逃亡者になるのかもしれないなぁ・・・」

「追われて・・って!!
 そ、それってレジスタンスとか、秘密結社のタグイじゃないのか?!
 ・・お、お前、分かってるのか?、そんなキケンな人物と関わりを持ったら・・」

「だから、ヒ、ミ、ツ、なんだよ。 今は、それ以上は言えない・・・」

「そ、そうじゃなくって、お前の身がキケンだと言って・・・」

「あっ・・・シィーーッ!」

 唇に指を立てて、兄の興奮した声をさえぎった。


 弟の視線の向いている方を見ると、つい今しがた下ってきた坂の上の方でパトカーのサイレンが止まり、何やら喧噪が伝わってくる。

「行こう・・ここに居るとまずい」

 弟が、すでに立ち上がりながらそう言い、念を押すように、

「今日のことはお互いに、何もなかった、知らなかった、
見たことも、聞いたこともなかった、ということにしておこう・・」

 ・・・そう付け加えた。

「わかったよ・・でも、何だかお前の口調まで、まるでスパイ映画みたいだな。
 おい・・・帰ったら、もう少し話せよ。
 下手をすると、何やらウチの家族まで巻き込まれそうなハナシだからな」

「・・いや、案外、お父さんとも関係があるかもしれないよ」

「なっ、何だって!!」

「シィーッ! 頼むから、大きな声を出さないで・・・
 とにかく、帰ろう・・
 さあ、普通に歩いて・・いつもどおり、何事もなかったみたいにね」


 坂の下の方から、救急車が緊急灯を回しながら走って来るのが見える。

 赤く明滅する光は、やがて兄弟が歩く川沿いの遊歩道を通り越して、
さっきより少し野次馬が増えてきた喧噪の場所に向かって、走り去って行った。



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2009年01月18日

連載小説「龍の道」 第3回




 第3回 兄 弟(3) 


 いったい、何が起こったのか・・・

 突然、宏隆の腕を抱えていた子分のひとりが腹を抱えて地面に転がり、のたうち回って苦しんでいるのである。

 そして、仲間が地面に転がったのを見たもう一人が、それに驚いて、つい彼を拘束していた手を弛めてしまったのだが、宏隆はその機を逃さず、その男の鳩尾(みぞおち)の辺りにそっと右の拳(こぶし)を触れるように押した・・・

 ・・かのように見えたのだが、その途端に、男は声もなくその場に沈んで、そのまま・・・
まるで泥酔者のようにグッタリとしてしまった。

「・・な、何や、このチビ! こいつらに何しよったんや?!」

 兄の腹に、さらにトドメの蹴りを食らわそうとしていた不良のボスは、思いもかけない光景を目の当たりにして明からさまに狼狽し、もう倒れた兄に追撃を食らわせるのを忘れていた。


「何でもいい・・ けど、ちょっとお前は、許せないな・・・」

 七〜八歩くらいは離れているだろうか。

 弟は、兄を足蹴にした格好で突っ立ったままの不良のボスに向かってこう言い、
一歩一歩距離を測るように、足音も無くゆっくりと近寄って行く。

 ボスは、この弟が今までのケンカの相手とは全く違うタイプであることをすぐに悟り、
大きな怖れを感じて、思わず、少し後ずさって身構えた。

 何より・・・眼が違う、のである。

 決して眼光が鋭い、というわけではないのだが、敵である自分を見ているようで、自分を見ていない。言わば、もっと遠く、もっと大きなものの中に自分が属しているような捕らえ方をされていて、年上で、体格も大きな、百戦錬磨のはずの自分が、まるでちっぽけな存在に思えてしまうのだ。

「・・並のヤツは、こんな眼をしとらん」

 そんな想いが頭の中をかすめて、心は次第に焦っていく。

「コイツは、本物や・・・ このチビは、ホンマに強いで・・・」

 いやでも、そう認めざるを得ないものが、ひしひしと感じられる。

 「間合い」さえ、うまく測れないのである。

 わずか数歩を近寄ってくるだけであるのに・・・
それは決して真っ直ぐではなく、さりとて曲がっているわけでもない。
まるで流れる水のように、捉えどころのない動きに思えた。

 ボスは、その対処の仕様の無さに、とっさに、こう言い放った。

「ちょ・・ま、待て・・話し合おや・・・な、話せばわかるでぇ!」

「ハナシか・・ 話ってのは普通・・ ヒトを殴る前にするもんだよ・・・」

 ・・そう微笑むように言う宏隆には、ちょっとゾッとするほどの迫力があった。
 こんな場合に、普通の高校生が、強そうな体つきの不良大学生に向かって、そんな余裕を
持つことは、通常ではなかなか有り得ないことに違いない。

「・・せ、せやったな、えろう悪かった。 
 なあ・・・すまん・・・オレが悪かったさかいに・・」

 怯えて頭を下げ、大きな身体がひとまわりも小さくなったように見える不良のボスは・・

 しかし、実はそう言いながら弟を油断させつつ、弟が自分の射程距離に入るまで、
近づいて来るのを、したたかに待ち受けていたのである。

 そして、密かに間合いを測り・・・
ついに、満を持して、いきなり宏隆に殴りかかってきた。


 ・・・奇襲である。

「ああっ!!」

 傍らに倒れたままの兄が、それを見て思わず声を上げたが、それと同時に、

「うあっ! グ、グエェーッ!」

 突然、辺りを劈(つんざ)く、異様な悲鳴が起こった・・・


 悲鳴の主は、奇襲を仕掛けたはずの、不良のボスの方であった。

 いや、その悲鳴よりも、一体、どうやったら、この、ほんの瞬くほどの間に、
ふたりの人間がこんな奇妙な格好になれるのだろうか。

 奇襲はどうやら不発に終わったらしいが、どうして立場が逆転しているのか・・・
おそらく、逆転されたボス当人にさえ、よく分からないのではないかと思える。


 この状況を解説することはかなり難しいが、敢えて試みるならば・・・

 宏隆の左腕が相手の首にアゴの下から巻き付いて、たった今、奇襲攻撃を仕掛けたボスは、
立ったまま宏隆の左腕で仰向けに反らされ、首を絞められている。
 その左腕は、普通なら、相手の首の後ろから前に向かって巻き付くところであろうが、
この場合は逆に、前から後ろに巻き付いているのである。

 また、弟を襲ったはずの彼の右腕は、手首を宏隆の右手の指に軽く掴まれただけで肘を完全に伸ばされ、そのまま宏隆の胸の前で肘関節を逆に極められている。

 不良のボスは、あっという間に身体の自由を奪われ、しゃがむことも逃げることも出来ずに、その場で身体を海老のように反らされたまま、強力に首と肩肘の関節を同時に極められ、完全に拘束されていた。

 左腕だけは辛うじて自由のままだが、この格好ではいくらその腕を振り回しても届くところもないし、首に巻き付いた宏隆の腕にさえ、触れ難い。
 しかも、その格好になるまでの僅かな時間には、すでにボスの腹部と後頭部に、先に発せられた宏隆の左手によって、二度もの痛烈な打撃を加えられていたのである。

 見るからに奇妙なその格好は、その二度の打撃の後のわずかな時間に整えられた、相手を強力に拘束するトドメの極め技に違いなかった。

 しかし、当の宏隆は、と言えば・・・

 彼はまるで、軽い体操でもしているかのように、顔色ひとつ変えていない。

 それどころか、予期せず突然起こった、この非日常的な危機の状況をこれぞとばかりに楽しんでいるかのように、眼は喜々として光り、口元にはうっすらと笑みさえ浮かべているのである。


 その奇妙な格好から、わずか十秒と経たないうちに・・・

 宏隆がスゥーッと手を緩めると、不良のボスは声もなく地面にずり落ち、
その格好のままグッタリとして、まったく動かなくなった。


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2009年01月05日

連載小説「龍の道」 第2回




 第2回 兄 弟(2)


 ・・その宏隆が、兄に向かって「海老フライ」はもう沢山だというので、

「ハハハ、エビフライか。シェフの休暇はもう少し時間が掛かるだろうから、今晩も女中のハナが作る不味いメシを覚悟しなきゃならんかな・・
 しかし、鈴木シェフはフランス料理の修業を兼ねての休暇なんだから、それもまた、戻ってきたときのお楽しみ、ってものじゃないか・・」

 隆範(たかのり)は、兄らしく、弟に向かってそう言う。

「・・ヤレヤレ、こんな時位はオリエンタル・ホテルのディナーにしたいもんだね」

「こいつ! 高校生の分際で、えらく生意気を言うなぁ・・
・・ま、しかし、悪くはないな。この週末あたり、父さんにねだってみるか?」

「お、やったぁ! 週末は夜景を眺めながら、久々のフレンチ・ディナーだ!」

「アハハハハ・・・」

「ハハハハ・・・」

 ・・・しかし、兄弟の笑い声が終わるか終わらないかのうちに、突然、傍らの公園の緑の陰から、ポケットに手を突っ込んだ、いかにもガラの悪そうな顔をした3人組の学生たちがヌウっと出てきて、兄弟の歩く道を遮った。


「・・おい、君たち! そんなところに立たれたら、通行妨害じゃないか!」

 血の気の多い弟が、立ちはだかった男たちに向かって、暢気にそう声を掛けた。

「ペッ・・・チビに用はないでぇ、ケガするから、あっちに引っ込んどりぃ!」

 大柄な、ボス格の学生が地面に唾を吐き、半ば脅すように弟を睨みつけながら、そう言う。

 地元の人間ではない・・
言葉のイントネーションから、大阪の方から来た者だということが分かる。

 東京の人間は、関西の言葉は大阪弁と京都弁の区別くらいにしか思っていないが、神戸の人間にとっては、大阪人のアクセントは全く別のものに聞こえるのだ。
 この、たっぷりと体の大きな男は、どうやら大阪の出身らしかった。


「チビ?・・へえ、あんたとはそれほど背たけも年齢も違って見えないけどなぁ」

 まるで友達と会話するような気楽さで、弟が言葉を返す。

「よせ、宏隆! こいつら・・・ウチの大学の不良どもだ」

「ほう、ご存知なのは光栄やけど・・コイツラとは大きゅう出よったな、コイツラとは。
まあええ、落とし前をつけてもらおか、それとも・・・そのチビの身体で払うか?」

 指の骨をバキバキ鳴らしながら、その不良が言った。

「・・お、弟とは関係ないだろう!
だいたい、その・・落とし前とは、何のことだ?」

「ケッ、とぼけるンやないで! 俺の女をたぶらかしやがって!」

「・・オンナ? たぶらかす?・・いったい何のことだ?」

「ほぅ・・シラを切りよるンか。 一年の、智美だよ、マツウラ、ト、モ、ミ。
あれは、やっと射止めた俺のオンナやのに、近ごろはお前に熱をあげてやがる・・・
トモミは、定期入れにお前の写真まで入れて、大事そうに持っとるンや!!」

「トモミ?・・そんな女生徒は知らんな。何かの間違いじゃないのか?」

「・・コラ、コラァ! 色男はん、とぼけたらあかんでェ・・!!」

「何もとぼけちゃおらん・・知らんものは知らんのだ。
だいたい僕は、ヒトの彼女を盗むほど、困っても落ちぶれてもいないが・・」

 ・・・少し笑みを湛えながら、兄の隆範が言い返す。

 たとえどのような状況にあっても、ジョークを言えるような精神の余裕が、
この兄弟には、共通する血液としてあった。

「ほぉ・・この期に及んで、口だけは、よぉ回りよるのぉ、
弟の前やと思うて、エエカッコしよってからに!
とにかく・・・いっぺん、お前の足腰を立たんようにせんと、気が治まらんのや!!」

 吐き捨てるようにそう言った途端、不良のボスはいきなり飛びかかって兄を殴りつけてきた。


 一発目のパンチは反射的にかざした手持ちのカバンに当たったが、よろけたところに二発目のパンチが来て巧く顔にヒットし、隆範は勢いよく地面に倒された。

「あっ! 何をするっ!・・・」

 宏隆は倒された兄の方に行こうとしたが、すぐに傍らに居た二人の子分に両脇を抱えられて制せられ、さらに少しその場から後ろにひきずって離され、ちょっと足をジタバタさせた。

 倒れたばかりの兄のところに、さらにボスの蹴りが強く、二度ほど、腹をめがけて入ったのが見えた。

「ウッ!・・ ウウッ・・・」

 兄のうめき声が聞こえた・・・

「兄さん!・・・」

「よ・・よせ! 危ないから来るな! お前とは関係ないことだ!」

「ほほぉー、弟思いの、ええ兄貴やなあ、
・・・ほな、せっかくやから、弟の前で、もうちょっと苦しんでもらおか!
見物人がおる方が、ワシも楽しいよってな・・・ワハハハ・・・・・」


 ボスは憎らしい笑みを湛えながらこう言い、さらに兄の腹に蹴りを加えようとしたが、その行為よりもわずかに早く、弟の腕を取って制していた子分から、

 「グェッ・・・!」

・・と、異様な呻き声がしたので、驚いて振り向いた。




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2009年01月04日

連載小説「龍の道」 第1回




 第1回 兄 弟(1)


「・・やあ、兄さん!」

 今年高校2年生になったばかりの弟が、川沿いの坂道を下ってきた兄を見つけて、走り寄って声をかけた。

「おお、今帰りか? 珍しいな、お前と一緒になるのは・・・」

 神戸には坂道が多い。

 六甲山から吹き下ろす爽やかな風が初夏の日差しに心地良い、この川沿いの坂道からは、眼下に神戸の街並みと、扇の形をした港と、真っ赤なポートタワーが見えて、今日のような天気の良い日には、遠く堺の町並みや淡路島の彼方まで望めそうな気がする。

 水害の教訓を活かして深く掘られた、澄んだ水の流れる川に沿って造られている道は、絶好の散策コースでもある。ここを歩いていると、軽井沢や那須のような避暑地でもない都会に、こんなにも気候が爽やかで気持ちの良い土地があるのだろうかと、長年ここに住み慣れた住人たちでさえ、改めてそう思えるほどであった。

 神戸はまた、日本でいちばん「光」が美しいところでもあるという。
 事実、真珠の生産と加工で世界的に名高い会社が、極上の真珠の色を正しく見分けるために、わざわざ神戸に研究所を置いているほどで、鑑定の専門家たちは神戸の澄んだ自然光でなくては本当の真珠の美しさは見分けられない、と言うのである。

 ・・そんな神戸でも、今は、ひときわ光が美しく輝く季節であった。


 弟と三つ違いの兄の隆範(たかのり)は、自宅から山沿いの道を東に3kmほど行き、さらに六甲ケーブルの方に向かって坂道を1kmほど上った、山の上にある大学に歩いて通っている。
 神戸の山の手ともなれば、運転手付きで送り迎えをさせる富裕な家庭の学生も珍しくはないが、この兄は運転手どころか、自転車にもオートバイにも乗らず、頑なにこのきつい坂道を敢えて徒歩で通学している。
 初夏ともなれば、坂を登り初めて五分もしないうちに汗が身体中から噴き出すのは必至だが、その理由を訊けば、生まれつきの自分の身体の虚弱さを、せめてこうすることで鍛え続けているのだという。

 兄の隆範は背が高く、やせ形の体型で、それほど虚弱には見えないものの、どこか頼りなさそうにも見え、誰が見てもそれほど健康そうには思えない。
 しかし、美人の母親似の面立ちは、まるで俳優のようにハンサムであり、更にどこか母性をくすぐるものを持ち合わせているのか、キャンパスでは入学した早々から今日に至るまで、女子学生たちの憧れの的でもあった。

「今日の晩メシは何かなあ・・もう不味いエビフライはたくさんだけど!
 ハナのつくるスープは、味もイマイチだし・・・」

 暑苦しそうに、歩きながら黒い詰め襟の上着を脱いで、まるで映画のアウトローのようにそれをヒョイと肩に担いだ弟が、いかにも弟らしい、暢気そうな声でそう言う。

 弟の宏隆(ひろたか)は、誰が見ても兄とは対照的に見える。
 兄が「陰」とすれば、弟は「陽」そのもので、いつも明るく快活で豪放には見えるが、内面は以外なほど繊細で、物事を深く捉え、常に自分の理解を人と分かち合う性格であった。

 宏隆は兄のようなハンサムなタイプではないが、何処か遠くを見るような目もとはスッと切れ長で、まるで平安貴族のような面影さえある。兄が貴族的な面立ちであるとすれば、弟は貴族の血液を持つ、勇猛な武家の人のようでもあった。

 それもそのはず・・

 この兄弟の家系は、千年以上も天皇家に女子を嫁がせてきた北家藤原氏の末裔であり、姓も北陸の加賀に君臨した藤原氏の直系を意味する「加藤」であった。
 事実、親戚には子爵や男爵の家も名を連ねているし、祖父は台湾統治時代の総督府の高官であり、名将として名高い乃木将軍や児玉大将とも親しい友人で、祖父と三人で庭先で歓談している写真が父の書斎に掛けられていた。

 また、かつて「北野の小町」と呼ばれた美しい母は、足利氏の血を引く旧家の出であり、一族は姫路藩主であった池田輝政の末裔として、今なお四国の丸亀や奈良に栄え、神戸市内には名品茶碗の収蔵で有名な茶道美術館を持つような家柄でもあった。

 そのような血液が主張してか、友人の誰にもその家柄を明かしたことがないのに、兄は小学校の頃から学友たちに「麿(まろ)」などと呼ばれ、弟は顔が皇太子の浩宮殿下によく似ていて、名前にもヒロが付くので、畏れ多くも「ヒロノミヤ」と渾名されているほどである。
 この兄弟には嫁いだ姉が居るが、その姉の長女も、浩宮さまの妹君である紀宮清子内親王と、写真を見れば姉妹か双子とも思えるほどそっくりであった。

 弟の宏隆の気性は、武術や帝国海軍で鍛えられた父の激しいところを兄弟で最も多く受け継いでいると、よく周りから言われた。

 しかし宏隆は見かけの快活さとは反対に、生まれた時から身体が弱く、八歳になるまで野菜しか受け付けない体質だった。食べられるものと言えば、キュウリなどの漬け物と、豆腐、湯葉、煮染めた野菜くらいのものであった。
 その身体は卵も牛乳も受け入れず、これではまるで禅僧の生まれ変わりかキリギリスのようなものだと母に嘆かれ、姉などには、せっかく神戸に生まれながらスキヤキもステーキも食べられないのは、よほど前世で悪いことをした罰当りではないか、などと、非道い冗談さえ言われたものである。

 その宏隆が・・ある日突然、変容した。
小学校の三年生を目前にした頃である。


 何故かは分からないが、不思議なことに食事も何でも摂れるようになり、体力もつき、子供の世界とはいえ、何につけても実力がモノを言う環境の中で、持ち前の実力とリーダーシップを発揮して、あっという間にガキ大将にのし上がった。

 学校へ行く時は数人の子分を従え、教科書は忘れても、お気に入りの黒樫の棍棒だけは肌身離さず持って出かけ、学校の帰りには度々下町に寄り道をして、悪ガキどもと闘っては勝利をおさめ、その証しとして、昔の武将が敵の首を取るように、敵将のお気に入りの棍棒を没収したのである。

 今の時代であれば大問題となるところだが、昭和三十年代の子供たちにとっては、それは決して特殊なことではなく、男児の多くは自分のお気に入りの棒きれを持ち歩き、学校の行き帰りに誰もが思い思いにケンカやチャンバラを繰り返していたのである。

 けれども、それは殆どが阪急電車の線路よりも南側の、いわゆる下町の子供たちを主とした話であって、宏隆のような、山の手の家庭の子息たちがそのようなことをすることは、まず有り得なかった。
 しかし、宏隆が納屋の片隅にこっそり隠し貯めているその敵将からの戦利品はふた抱えほども量があって、ちょっと半端な数ではない。

 かくして、この弟は、この辺りの閑静な高級住宅地の住人としては全くもって相応しくない、大のケンカ好きとして、その勇名が下町にまで鳴り響く「暴れん坊」となっていた。





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