歩々是道場

2011年09月21日

歩々是道場 「螺旋の構造 その3」

  「正座からの立ち上がり(3)」     by のら (一般・武藝クラス所属)


 武術を学んでいる者にとって、赤ちゃんの立ち上がり方というのは非常に興味深い。
 勿論、赤ちゃんが初めて立ちあがる時には、正座の状態から立ち上がるわけではないが、幾度も失敗を繰り返しながら、イザ今度こそ立つぞ、と頑張っている赤ちゃんの姿を見ていると、人間が二本足で立ち上がる方法には、人種も男女の区別も無いのだということをあらためて識らされる。
 まさにヒトの構造は We are the World〜、We are the Babies〜♪、モンゴロイドも、ニグロイドも、コーカソイドの赤ん坊も、きっと皆んな誰もが同じ方法で、同じように立ち上がってくるに違いないのである。

 しかし、「ここで疑問が生じました」─────と、門人の ”猛王烈” くんに言われた。

 以下は、その猛くんとの会話である。


猛王烈:のらさんの「螺旋の構造・その1」に、這い這いから初めて立ち上がった赤ん坊の動きは螺旋の動き、つまり「スパイラル運動」だって書いてありましたけど、これってホントは螺旋の動きじゃぁないよな、って思ったんスよ──────────

の ら:え?・・赤ちゃんの立ち上がり方は、立派な「スパイラル運動」よ。
ヒネらない、回さない、落下しないという身体の使い方、つまり順体の基本が守られた螺旋運動で、赤ちゃんは何も教わらないのに、その運動で立ち上がってくるのよ。

猛王烈:うーん、そりゃ、ヒネってもネジってもいない、順体という意味においては確かにそうなんでしょうけど、実際に赤ん坊の立ち上がる動作を見ていると、ちっとも「螺旋」には見えないんッスよね。よくある ”初めてのアンヨ" なんていうタイトルがついた、そのテの親バカ映像を見ても、赤ん坊はただ足を揃えてウンショッと、リキんで立ち上がっているだけじゃないスか。

の ら:いえ、そうじゃなくてね───────その立ち上がり方は、ヒトの身体構造が元々螺旋であるがユエに可能となるものであって、その構造なしには、赤ちゃんは誰ひとりとして立ち上がれないのよ。だからキミだって、赤ちゃんの頃には「螺旋の構造」で立ち上がってきたってコトなのヨ。

猛王烈:ますます分からなくなってきたなぁ・・・ラセンってのは、螺旋階段とか、DNAの螺旋構造とか、ブログのギャラリー・タイジィで紹介された「タニシ堂」とか何とか・・・ああいうカタチのやつですよね。
そんなふうに螺旋のカタチで運動する構造なら、それが傍目にもハッキリと見えるはずだと思うんっスよ。けど、どう見たって、赤ちゃんは螺旋に動きながら立ち上がっているようには見えないんスよね。

の ら:オホン…タニシ堂じゃなくて、「サザエ堂」なんだけどね───────
でも、そこのところが、指先一本で大怪獣もデングリ返る、ユカイ・ツーカイ・キキカイカイの、太極拳の深奥・パートツー、ってところなのよね。

猛王烈:は?・・・なんスか、それ?

の ら:あら、ごめんなさい、近ごろどうも、師父の壊れたギャグの影響が・・・・
コホン…つまり太極拳は「内勁」を用いる高度な武術なので、そもそも運動自体、外部からはとても認識しにくいとも言えるわね。稽古で師父が相手を崩したり発勁したりするときも、立ったまま、まるで何も動いていないように見えるでしょう?

猛王烈:ああ、そう言えばそうですね。師父はほとんど動いていませんし、凄い勢いで相手を10メートルも飛ばしておいてニヤリとされ、「フ・・これでもタマゴは潰れない」って、いつもの渋いセリフを言われますよね。
自分なんか、対練のときには目いっぱい重心を移動しながら、思い切り足腰から腕まで、体じゅう捻って力を伝えて相手を飛ばそうとするんで、いつもこっぴどく叱られます。
・・でも、まさか赤ちゃんが立ち上がることまで「内勁」の作用だ、とは言わないでしょ?

の ら:ははは、ところがギッチョンチョン、すべてのヒトは赤ん坊の頃には誰でも内勁に近いものを使えたはずだ、というのがマイ・セオリー(持論)なのよ。内勁というのは特別な秘伝でも何でもなくて、その基本はヒトに元来備わっている構造を自然に使えることにある、と私は思うワケ。

猛王烈:ギッチョンチョンが、セロリー?

の ら:♪オ〜オ、モ〜レツ、って名前のわりには、カツテの流行を知らないのね・・・
ま、力むことには注意を受けて当然よね。太極拳のチカラは「勁力」といって、日常で用いられる力とは完全に種類が違うのよ。陳氏太極拳では特にそれを「纏絲勁」と呼んで、螺旋の構造によってチカラが使われるワケ。それは特別なことじゃなくって、誰もが持つ根本的なヒトの構造によるものだと、私は思っているのよ。

猛王烈:オーモーレツじゃなくって、モー、オーレツっスよ。自分はクワタみたいにローザちゃんのコスプレして喜ぶ趣味はないッスけどね。
・・その「纏絲勁」ってのは、神田の「書泉ブックマート」で買ったビデオで見ましたよ。
一万円もしたんで、ヨメさんにメチャクチャ怒られましたけど、「激やせダイエット日記」という本を買っていったおかげで、何とか穏便に済みました。
ビデオはHって老師が段階訓練で纏絲勁を見せてるんですけど、スゴイっすよ〜。身体をグリリンッと捻ったり縮めたりしたと思うと、スッパァーンと猛烈に発勁して、老師自身もなかなか渋いイケメンで、キメの仕草や、洒落たコスチュームなんかもすごくカッコいいんスよね。
自分はフルコンとか大東流とかやって、ブルース・リーや「拳児」見て、中国拳法に憧れるようになりましたけど、やっぱ、何てったって陳氏こそが太極拳の深奥だよなぁって思います。「拳児」にも徐文学さんや陳小豪さんなんかが登場してますしね。

の ら:あのね、モーレツくん・・「纏絲勁」っていうのは、身体をヒネったり縮めたりしないのよ。少なくとも、ウチの玄門太極、師父に伝承されているものでは、ね。

猛王烈:え・・?、だってそのH老師なんか、あんなに体を捻って、脚だって波が寄せては返すみたいに、グリリンッ、シュッバァーって─────────

の ら:「龍の道」で、いまヒロタカくんが苦労して学んでいる「順身」ってのは体を捻らないでしょう。

猛王烈:あ、そうか。あの小説は結構タメになりますよね。小説っツーよりも教科書みたいで・・・でもね、身体を捻らなかったらどうやって纏絲勁になるんスかね?
ほら、これは神田の古本屋で見つけた、’77年初版の超レア中拳本スけど、この中には「陳家太極拳は、それらの動きがすべて螺旋形のネジリをともなっていて、この螺旋の動きを纏絲とか抽絲といい、それによって働く力を ”纏絲勁” という」とか、「纏絲はただ手のみをねじるのではなく、足、膝、腿、体などが協調して行われるものであり・・」って書いてありますよ。因みに「螺旋形のネジリ」って、わざわざカタカナで書かれてます。

の ら:うん・・・まあ、それが日本ではごく普通の、一般的な見解でしょうね。
でもね、師父の纏絲勁をもっとよぉ〜っく見てごらんなさい。師父は決して体をヒネって歩法をやったり、対練でも体をネジって相手を飛ばしたりしていないでしょう?

猛王烈:確かにそうっスね。でも、素朴な疑問なんッスけど、師父みたいに、何にも動かないまま吹っ飛ばしても、果たして「纏絲勁」って言うんっスかね?

の ら:キミぃ!、それでもウチの門人かね?!
陳氏太極拳の動きは、大きかろうが小さかろうが、正しい構造で動けばすべて纏絲勁になるのよ。立ったところから一歩足を出すだけでも、直立したままホンのちょっとだけ動いても全部それは纏絲勁なのですよ。ワカル?

猛王烈:のらさん・・・なんか、あの伝説の先生みたいッスね(汗)
自分は、纏絲勁ってのは、それだけを特別に教えて貰うモノかと思ってました。でもヒネらずに、ホンのちょっと動くだけで、どうして螺旋の纏絲勁になるんスか?

の ら:フフフ・・・♪それはヒミツ、ヒミツのアッコちゃんよ。その「構造の真実」を知る人は、ウチでは数人の正式弟子だけ。一般門人の私たちには、それを自分で解明していくコトこそが太極拳の勉強になる、ってワケね。

猛王烈:・・あ、それ知ってます、「ガミラス、ガミラス、ウヘヘヘヘ〜・・・」ってやつですよね。

の ら:それを言うなら「ラミパス」だよ、キミぃ!

猛王烈:うーん、そんじゃぁ、自分には難しそうな「纏絲勁」はちょっと置いといて、と。
アタマの中を整理しますと、自分の疑問ってのは結局、赤ん坊が立つ時には、体も足も平行のパラレルになっているのに、それを「螺旋の構造・スパイラル運動」とはコレ如何に、ってことなんですが・・・

の ら:ふむ、やっとマトモな話になってきたわね。実は私も、ちょっと以前にそのことに疑問を持って悩んでいたの。茶道などで教わる正式な作法では、正座から立ち上がる時は、まず座ったまま両足のつま先を立ててから、片方の足を少し前に送って、それから後ろ足を軸にして立ち上がるでしょう?

猛王烈:はい、それはのらさんの「螺旋の構造・その2」で読みました。

の ら:まあ!、ちゃ〜んと読んでくれてるのネ!・・キミ、えらいじゃないの!
・・でね、その時の恰好というのが武術の「半身」の姿勢であって、螺旋の構造が使える状態になっているワケ。

猛王烈:へぇー、そうなんスか・・・・

の ら:アイフォンの「へーボタン」みたいな声で言うわね・・・その次は「ガッテン、ガッテン」なんて言うんじゃないでしょうね・・・けどキミぃ、「へー」って言ってるけど、ホントにちゃんとブログの記事を読んでる?、そう書いてあったでしょ?

猛王烈:えーと・・書いてあったような、無かったような・・・螺旋シリーズは始まったばかりだし、以前の「甲高と扁平足」よりは文字数がウンと少ないので、ワリと読みやすいんですけどね。いや、別に「甲高」より手を抜いている、なんて思いませんけど。

の ら:ムッ・・・ま、いっか。ともかく、私も茶道をやっていたので、正座からの立ち上がりが螺旋の構造だということは割と理解しやすかったのだけれど、赤ちゃんが立ち上がるのもソレと同じ構造だと言われると、キミと同じ疑問を持たざるを得なかったのよ。

猛王烈:ね、そうでしょう!、やっぱ、そーですよねえ!、赤ん坊が足を平行にしたままウンショっと立ち上がるカッコーは、どうみたって「螺旋」の構造なんかじゃない、あれはまさしく「パラレル」ッスよ。

の ら:早トチリしないで、最後までよく聞きなさい──────────
それから研究をしていくうちに、赤ちゃんの立ち上がりは立派な「螺旋の構造」だということに気がついたの。それは、まさに「馬歩(ma-bu)の構造」だったのよ!!

猛王烈:アハハハ・・のらさん、赤ん坊の立ち方が ”馬歩の構造” だって言うんですか?
そんなアホな。「マーブー」じゃなくて、「バーブー」っつうんならわかりますけど。

の ら:ムムッ・・・・

猛王烈:だいたい「馬歩」ってのは静止した架式でしょ。静止しているカタチに纏絲も何もあったモンじゃあないじゃないッスか?

の ら:ははん、キミはまだ拳学が浅いわネ。馬歩の架式は、たとえ静止していても、それ自体がすでに勁力を出すための「纏絲の構造」なのよ。
よおっく考えてごらんなさい、馬歩だけじゃなく武術の全ての架式はチカラを出すためのものであるはずでしょ。でなきゃ、そのカタチから纏絲勁は生まれてこない・・・
キミ、大学を出てるって?、どこのナニ学部?

猛王烈:自分はよく、お前は「バカダ大学・無教養学部」の出身だねって、親に言われますけど・・・高いお金を遣って大学出してやったのに勉強したのは麻雀だけ、この親不孝者がって、ハハハ・・・でも、静止した架式にも纏絲の構造があるってのが、どうにもこうにもゲせませんです。

の ら:うーん、キミはきっと「纏絲勁」というものを「”纏絲形”の運動」だと思っているのカモね。纏絲は運動の形式ではなくて、構造のハタラキなのよ。纏絲の構造がはたらく時に人体に現れてくる運動が「纏絲勁の動き」になる、ってこと──────────

猛王烈:ははぁ、なぁーるほど、ざ、わーるど!・・・ちょっと自分は考え方が違っていたみたいッス。 ♪わ〜るど、わ〜るどっ、ルール、ルルルゥ〜(細川俊之ッス)

の ら:キミも、やっと分かってきたみたいね。たとえば、子供がジェット戦闘機の真似をして「キィイ─────ン・・・ダダダダダッッッ!!」って言いながら両手を翼みたいに広げて走り回ってるのは、戦闘機の「運動」の真似をしているのであって、戦闘機の「構造」の真似をしているのではないでしょう?
それと同じことで、纏絲勁の「運動」の真似をしていても絶対に纏絲勁は学べないし、メカニズムなんか解明できるわけがない、ってことなのよ。

猛王烈:うーん、それ、すっごく分かりやすいッスね。ムキョーヨー学部でも、そのたとえならよく分かります。

の ら:「三年掛けて良師を探せ」っていう言葉もあるけれど、太極拳の「運動」ではなくて、太極拳の「構造」に精通した、太極拳の根本的なメカニズムやシステムをきちんと教えてくれる老師を探しなさい、って意味だと私は思うのよ。それに三年も掛けて探しなさいっていうのは、「真実」を知っている老師がそれほど希少だってことでしょ。

猛王烈:なぁーるほど・・・でも自分には、どうしても赤ん坊が立ち上がる時のカッコーが「スパイラル」とは思えないんですけど。

の ら:それじゃ、もう少し詳しく説明しましょうか・・・・
パラレルというのは「平行のまま動くこと」で、簡単に言えば体を平行にしたまま動かす、という意味ね。それに対してスパイラルは、言わば「そこに虚と実が働いて、互いに反対側に作用し合いながら動く」っていうことになるかしら。つまりは「順体」ってコトね。
パラレル運動だと、必然的に外筋、特に毎度お馴染みの「大腿四頭筋」を多用せざるを得なかったり、体の重心を常に中心から外に移動しないと動きにくい特徴があるわね。
それに対してスパイラル運動は、外筋の緊張からスタートする必要がないし、敢えて重心を外に移動する必要も無いのよ。
言うなれば、パラレルは身体の重さを外側の筋肉で支えて、そこで固定するように使って単純な関節運動を行うのだけれど、スパイラルでは、身体を支えているところ自体が運動しているので、中心から動く、身体全体が統一されたトータルな動きになる、ってこと。

猛王烈:ううム・・・よく分かるような・・・・わかラないような・・・・

の ら:だから赤ちゃんは、パラレルで立ち上がったように見えても、中身はスパイラル。
その証拠に、立ち上がった後に歩く姿はスパイラルそのものよ。もし、立ち上がりのシステムがパラレルによるものだったら、赤ちゃんは立った後にスパイラル構造では歩けないはずよ。
この「歩くこと」というのは、とても意味深いことなのよね。太極武藝館の稽古でも、歩法に信じられないほど多くの時間を掛けるでしょ。

猛王烈:いやホント、すごく歩法に時間を掛けますよね。延々とこんなコトばっかりやって一体何になるんだろうと、いつも思いましたよ。いや、今でも、かな・・・
〇〇拳から来た〇△さんも、おんなじコト言ってましたっけね。

の ら:でも、「正しく歩くこと」が出来なくては太極拳は決して分からないのよ。毎回時間を掛けて歩法の訓練をするのは、そのメカニズムを正しく身に着けるためよね。それに、歩行は武術に限らず、ほかの分野でもすごく大事なことなのよ。例えば「キネステティク」などでは「歩行とは、ある升が他の升に重さを流し、軽くなった升が場所を移動することである」・・などと表現しているわね。

猛王烈:へぇー、なんかスゴそうッスね、その「斬り捨てスティック」とかいうヤツは。

の ら:・・キミぃ、武器のオタクかね?
「キネステティク」というのは、介護される側の自然な動きに着目した体位を変換する際の考え方で、ヨーロッパの看護婦さんなら誰でも教育される有名な介護法のことよ。介護される人が荷物のように動かされる不安がなく、自分で動けたかのような心地よさを感じられるものなの。・・って、それは師父から教わったことなのだけれどね。

猛王烈:へぇー、そのギネスでスティックってのが、纏絲勁と何か関係があるんですか。

の ら:いつも師父が、稽古で「まるで〇〇の、〇〇のように」って言われるでしょ・・?
それって、今話したキネステティクの升の話と似ていると思わない?

猛王烈:ああっ、ホントだ・・!!、あの〇〇っていうのは、そういう意味だったんだ!
そう言えば、コーノヨシノリさんとかも、介護の方法をテレビでやってましたね。寝ている人を抱え上げるのに、スーッと、一動作で軽々と上げてしまうのを見ました。コーノさんはカルメン・マキさんの大ファンだから、人をカルメに上げられるんですかねぇ・・

の ら:ウチの師父も、寝ている人を簡単に抱え上げてしまうし、反対に、馬乗りになった寝技系格闘技の選手や、ムキムキの大男を軽く返せてしまうでしょ。あれなんかは絶対に「パラレルの構造」では不可能なコトよね。

猛王烈:ウーム、師父は馬乗りを返す時にも「纏絲勁のスパイラル運動」でやっているんですね。自分はヒクソン・グレイシーさんを尊敬してますから、今度ヒクソンの動きを纏絲の観点で見てみよう、っと・・・それじゃ、つまり赤ん坊は、パラレルに見えるような立ち上がり方をしていても、実はスパイラルで立ち上がってくる、ってコトですか?

の ら:・・って言うか、赤ちゃんはスパイラル構造しか持っていないので、それしか使えないのよ。・・・キミ、ちょっと自分で「這い這い」の恰好になって、そこから立ち上がってごらんなさい。

猛王烈:ハイハイ?・・・って、こうッスか・・?

の ら:そう、大人が這い這いの恰好から立ち上がろうとすると、普通は必ずと言って良いほど、そんな情けない恰好になってしまうのよね。ところが、赤ちゃんは筋肉もホネも未だあまり発達していないので、そんな外筋主体、力み主体の動きは出来ないのよ。もっと構造を使って立ち上がることしかできないの。

猛王烈:へー、そんなもんスかねー・・・それじゃ、こうかな・・・・・

の ら:パラレルで立ち上がるには大腿四頭筋が必要になるけど、赤ちゃんはそれが発達していないから、そんなふうには使えないわね。オトナは長い年月の間に四頭筋や筋膜張筋がとても簡単に使えるようになってしまったの。
キミのは、まるでフルコン選手が赤ちゃんの真似をしているみたいにゴツく見えるわね。

猛王烈:おっかスいなぁ・・・ワシは、もうそろそろ師父と同じ身体構造を手に入れつつある、と思ってオルのだが・・・ゴーマンカマシテヨカデスカ!!・・っと。

の ら:キミぃ、ジョーダンはコバヤシヨシノリよ。百年早いんじゃないの?

猛王烈:それじゃ、こう・・・・いや、もっとこうかな・・・・

の ら:そうね、そうやって、ひたすら赤ちゃんの構造に意識を戻して、立ち上がる練習をしていくしかないわね。そのうち稽古でもきっと、「這い這いからの立ち上がり」を指導されるようになるから、今のうちに研究しておいた方が良いわよぉ。

猛王烈:うむむ・・このトシになって、まさか這い這いをやらされるとは思わなかったス。
嗚呼、ウチのカミさんがこんな恰好を見たら、何て言うか・・・・でも、高度な武術の構造を得るためなら、ひたすら、バァブウ、馬歩、バァブウ、馬歩、ッスね。

の ら:ホラ、文句を言わず、手を抜かず、もっとモーレツにやりなさいっ!

猛王烈:ハイハイ、っと・・・・

の ら:コラッ!、ハイの返事は一回で良いっっ──────────!!

猛王烈:はいっひいっっ・・・・・・


 ・・と言うワケで、いささか脱線が過ぎてしまったが、正座からの立ち上がりを訓練することは、もはや赤ちゃんのようには立ち上がれなくなってしまったオトナのための、生まれて一年前後にヒトとして立ち上がることを本能的に理解できた頃の「二本足歩行の原点」に還る為のひとつの良い方法である、と言えると思う。

 なお、この原稿を書いている時点で既に、太極武藝館では「這い這いからの立ち上がり」を稽古に取り入れており、その正しい指導の結果、門人の「立つ位置」が劇的に修正されつつあることをお知らせしておきたい。


                                 (つづく)

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2011年07月29日

歩々是道場 「螺旋の構造 その2」

  「正座からの立ち上がり(2)」     by のら (一般・武藝クラス所属)


 正座からの正しい立ち上がり方は、茶道では以下のようになる。

  (1)先ず、お尻の下に敷かれた足を、お尻を踵に乗せたままスッと爪先立ちさせ、

  (2)片方の足を、あまり膝が立たないようにしながら少し前方に送り、

  (3)後ろ足を軸に、そのままスッと起ち、前足を引いて後ろ足に揃える。


 因みに、茶道の表千家では(2)のときに右脚を前に送り、裏千家では左足を送る。
 文字に書けばただこれだけのことなのだが、隙がなく、軸を振れさせずに美しく立ち上がることは非常に難しく、たとえ長年に渡って武藝や茶道などを学んできた人でも、本当の意味で美しく立ち上がれる人はそうザラには居ないだろうし、まして町の茶道教室などへ何年か花嫁修業に通っていた程度では、それは不可能に近い。
 反対に、正座から綺麗に立ち上がれる人を見ると、その道で修得した技芸を見るまでもなく「おっ、これは、かなりデキルなっ!!」・・と思えてしまう。

 前回も書いたが、正座から正しく立ち上がる際には、赤ん坊がようやく二本の足を使って独りで立ち始めたところの「螺旋の構造」が使われている。
 それは、私たち人類が「直立して二本足で歩ける構造を得た」ということの証しであり、「座りに行く」ことも「立ち上がる」ことも、すなわち「立つ、歩く」という、元来ヒトに備わっている根本的な構造に他ならない。
 そして、身体はその『本来ヒトに備わっている構造』に従って、螺旋状に使われれば使われるほど、正座をした状態から容易に、ブレずに美しく立ち上がることが出来るのである。
 しかし、その「螺旋状に使う」というコトそのものが、残念ながら私たちオトナには分からなくなってしまっている。その分からなさ加減は、高名な老師が纏絲勁と称して、いたずらに身体を捻り、拗(ねじ)ってはまた元に戻す動作をしているビデオを見ても、なるほどと納得することができる。

 正座から立ち上がるときの最初のポイントは、お尻の下に敷かれた足をつま先立ちさせるところにある。しかしながら普通はその際に、ヨッコラショと「上半身を前に倒すこと」からそれを行おうとしてしまう。
 この、お辞儀をするような前傾運動は、日常生活で椅子から立ち上がる際や、立ったところから前方に歩き出す時にもよく見られる。重心を前方に移すことで立ち上がり易くしようとしているのである。
 しかしそれは、正座から立ち上がる際に粗野で醜い動作に映るばかりでなく、武術的に見ても居着いた身体をゆっくりと落下させ、落ちてきた身体を足で受けてから蹴り上げるという、わざわざ「劣勢」を作り出す行為であり、それ故にもう一度居着かざるを得ないようなお粗末な状況を作り出していると言える。
 また、太極拳で言えばそれは、最も重要な身法とされる「立身中正」の概念から外れているということにもなる。

 正座から正しく立ち上がって来ることが出来ないのは、何故だろうか。
 それは、立ち上がる際に「螺旋の構造による運動」ではなく、足や背中を「支え」とし、身体の前後左右を平行にしたまま、グイッとリキんで立とうとするからである。
 このようなリキむ運動は、「平行(パラレル)の構造による運動」と呼ぶことが出来る。
 パラレルの構造は見かけが野暮ったいだけでなく、人間本来の螺旋の構造を無視していることになるし、武術的に見れば著しく軸がブレており、そこから運動をしようとすると身体は平行のまま拗(ねじ)られるので、どうぞいつでも殴って下さい、斬って下さいと言わんばかりの、スキだらけの立ち方になってしまう。
 なお、立体的な螺旋運動は学問的には「ヘリックス」と呼ぶべきなのだろうが、ヘリックツ(屁理屈)をコネるつもりはないので、ここでは螺旋の運動を便宜上「スパイラル運動」と呼ぶことにする。
 
 正座から立ち上がる際には、同じ動作を「平行(パラレル)運動」でなく「螺旋(スパイラル)」で行うことが出来る。そのポイントは、上記(2)のところ、つまりお尻の下の足をつま先立ちさせた上で、片足をほんの少しだけ前方に送るところにある。
 このカタチは、武術的に言えば「半身(はんみ)」の構えであり、太極拳では、私たちの所で言う「半馬歩(ban-ma-bu)」という架式の構造である。
 半馬歩の形や定義は門派によってマチマチであるが、馬歩の構造を半分使ったもの、ということに於いては、内容的に何ら変わりがないと言ってよい。
 そして、正座から立ち上がる際の(1)から(2)への変化は、まさに「パラレルの構造」から「スパイラルの構造」へと変化する、とても重要なポイントとなるのである。

 太極武藝館では、このように平行(パラレル)の構造のまま拗られるような身体の使われ方を、文字どおりの「拗体=拗れた身体」と呼び、螺旋(スパイラル)の構造による、決して拗られることのない、ヒト本来に備わった構造の使われ方を「順体=正しい身体」または中国語で「順身(じゅんしん=shun-shen)」と呼んでいる。そして、当然のことながら、人体の螺旋の構造は太極拳の「纏絲の構造」と見事に一致している。

 たとえば、散手の時に左右いずれかの「半身」で構えてみても、身体が平行のまま拗れていれば、本来の意味で半身になっていない。それは、武術でいえば「半身」どころか「半人前」とさえ言えないような構えであるといえる。
 武藝館の道場では、門人たちが「ヘソの向き」や「足先の向き」をよく注意される。面白いのは、注意されたとおりに架式を修正すると、それによって非常に動き難くなる、ということだ。動きやすくなるのではない、反対に動きにくくなるのである。

 師父はその ”動きにくさ” こそが架式の妙諦なのだと言われる。
 架式というのは自由気儘に、自分が強いと思える軸のスタイルを造ることではない。それとは全く反対に、制限され、拘束され、限定されたものこそが本物の架式と言えるのであって、自分なりに強いと思えるスタイルを造ってしまえば、其処からは拙力しか生じない。
 勁力は正しい構造からしか生じないし、正しい構造というのは、即ちその構造から生じるところの動きでしか動けないことを示している───────と明言されるのである。

 それは、和服を着た時の状態と似ている、と思った。
 茶道を学び始めてからは、それまでと比べて和服を着る機会が多くなったが、着物を着ていると「自分勝手な動き」が許されないように感じられる。
 洋服と比べれば立ったり座ったりすることは非常に困難を極めるし、ましてやそれを作法どおりに美しく行うことは現代人にとっては至難のワザであるとさえ思える。だから、体を捻って振り返るなど、とんでもないことだし、階段の上り下りなどは本当に骨が折れる。
 そう言えば、師父宅へ年始の挨拶に来た男性の門人が和服を着てきたことがあった。師父宅は道場の上の三階にあり、エレベーターは無いので階段を上がってきた。しかしその男性は日頃から和服を着慣れておらず、その恰好で階段を上るにはえらく苦労を強いられた、と言っていた。
 師父も正月には和服を着られることがあるが、夏の浴衣とは違って、幾重にも着重ねをしている冬着で、しかも滑りやすい皮底の雪駄履きの出で立ちで、いとも軽やかに階段を上り下りされる姿を拝見していると、ああ、やはり私たち普通の門人とは、歩き方や身体の構造が全く違っているのだなと、あらためて認識させられるのである。


                                 (つづく)

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2011年03月10日

歩々是道場 「螺旋の構造 その1」

   「正座からの立ち上がり(1)」     by のら (一般・武藝クラス所属)


 正座は、古代遺跡からの出土品や奈良時代の仏像にも見られる、神道や仏教に於ける遙拝の姿勢であり、天皇や主君を敬ってひれ伏す姿勢でもあった。江戸時代には正座が武士の正しい作法として日常生活にまで浸透し、住居に畳が普及したことによって急速に庶民の間にも広まったと思われる。

 正座は昔の中国、朝鮮半島、沖縄にも存在していて、あのイースター島のモアイも正座の恰好で座っているのだと言われる。隔絶された大洋の孤島に正座の文化があるのはとても不思議な気がするが、秦の始皇帝陵から出土した陶俑にも、インドや東南アジアの仏像にも、イスラム教の礼拝にも、多く正座のスタイルを見ることができる。

 それまでロクに立てなかった赤ん坊が、ようやく立ち上がりをはじめる頃、私たちはそこに「螺旋の動き」を見ることができる。這い這いを終える頃の赤ん坊をよくよく観察をしてみれば、そこには見事な螺旋の運動をしながら立ち上がろうとしているのを見ることができる。
 これはつまり、私たち誰もが「螺旋の構造」を使うことで初めて立ち上がれたということであり、それを幾度となく学習することによって、ようやく「正しく立つこと」に至ったということになる。

 ところが、大人になった私たちは、最早その螺旋の構造を使って「立つ」ことをしない。
 ほとんどの人たちは、立ち上がる時に大腿四頭筋や背筋をたっぷりと使って、できるだけ「筋肉」に頼って身体を使ってと立とうとするのだ。
 年齢を重ねるにつれて ”ヨッコラショ!” と立ち上がらねばならないのは、長年そのような筋肉ばかりに頼っていた結果であり、筋肉が発達していた若い頃には容易であったその運動が、老年に近づくほど難儀になってくるのは当然のことであろう。

 そのことがとても分かり易く見られるのが、「正座からの立ち上がり」である。
 武術的な観点からは「正座へ座りに行くこと」も等しく重要なことなのだが、ここでは煩瑣を避けて、立ち上がることだけに焦点を絞ることにしたい。

 正座から正しく立ち上がることの出来る人はとても美しく見えるが、正座のある生活文化からすっかり離れてしまった私たち現代人にとっては、なかなか美しく立ち居をすることは難しく、ほとんどの現代人は正座から ”構造的に” 正しく立ち上がることが出来ない。

 太極武藝館では、日本の礼法である「正座」を稽古に取り入れている。
 この稽古は、すでに当館の創立期から信州の師父宅の茶室で正式弟子に対して行われていたものだが、近ごろその指導が一般門人にも行われるようになった。

 靴を脱ぎ、道場の床に正座で座り、またそこから立ち上がる ────────────
 中国の武術である太極拳に、何ゆえ「正座のトレーニング」が必要なのかと、大方は疑問に思われるかもしれないが、円山洋玄師父の細やかな指導のもと、正座で座ってはまた立ち上がることを繰り返すうちに、それが私たち日本人にとっては、太極拳の構造を理解するための、非常に分かりやすい訓練になることに気付き始めた。

 正座には「太極拳の構造」を解く、多くの鍵が隠されていたのである。


                                 (つづく)

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2011年01月13日

歩々是道場 「站椿 その11(最終回)」

                     by のら (一般・武藝クラス所属)



 站椿とは何だろうか ──────────

 このシリーズの最初に問うた「站椿とは何か」ということを、この最終回でも改めて自分に問うてみようと思う。

 幾つかの拳術には未だ站椿の練功法が残されているが、ちょっと見渡したところでは、この時代にそれが練功として体系的に行われているものと言えば、やはり「意拳」が名高い。
 そのせいかどうか、どこかでも述べたように、站椿を発明したのが意拳の創始者・王薌齋(オウコウサイ)であると信じる人も居るほどで、太極拳の站椿は「ただ馬歩でじっと立つ」程度のものだと思っている人も多い。

 かく云う私も、初めて站椿を学んだ頃は、そんなものだと思っていた。毎日ひたすらじっと足が震えるまで立ち尽くしていれば自然と解ってくるのかも知れない、などと非科学的なことを本気で考えたこともある。
 ある拳法の門派に在籍していた人たちは、毎回の練習に必ず站椿がたっぷりと充てられていたという。站椿を理解する為には兎にも角にも、ただひたすら毎日立つことであると教えられ、昨日は15分、今日は20分という具合に日々グラフに記入し、一年でどれほどの時間を站椿に充てたかが一目瞭然に分かるようにし、累計で年に何時間以上を超えるようでなければ決して站椿は解らない、と指導されていたという。
 しかし肝心カナメと思える、站椿が何ゆえ武術の練功として存在するのかという説明や、それを何の為に、どのように行うのかについては全くと言って良いほど指導されることがなく、ただ黙々と先生の姿を見ながら、自分がイメージするまま自然に任せて立っているしかなかったという彼らは、それで練られたものが推手や散手にどう活かされるのかを遂に見出せず、そこを離れて更に幾つかの道場を経ながら、最後に太極武藝館と出会うことになった。

 彼らは武藝館へ来て初めて、「站椿が何のために在るのか」を知ったという。
 ウチでは站椿をした時間をグラフに付けなさい、とは言われないが、その代わりに站椿がどのようなメカニズムで出来ているかを、様々な稽古のシーンに於いて、文字どおり手取り足取りして教えられる。それが「開合勁」や「纏絲勁訓練」等の基本功とどのような関わりがあり、何のために武術の訓練に站椿が存在するのかが、数多くの対練、推手、散手などに於いても、そのつど具体的に教授され、証明までされていくのだ。

 それは拳学研究会や玄門會などの上級クラスに限った話ではない。たとえ一般クラスでも、相手が小学生の門人であっても、惜しげもなくそれを指導して、太極拳の本質を門人と分かち合う姿勢が一貫して見られるのが武藝館の稽古の特徴である。
 その内容は、我々一般門人の立場から見ても非常に緻密で驚嘆に値するものであり、つい先日の稽古などでは、套路を練っている際に、余りにも詳細に指導された師父に対し、ついに『そんなことを私たちに言ってしまっても良いのですか?』という言葉が門人の口から飛び出したほどであった。門人の口からそんな言葉が飛び出すと言うことは、単にそれを知って驚いたということではなく、実際にそれを聞けば「解ける」ことであったからに他ならない。
 師父はその時『おお、これが凄いことだと分かってくれるのだね!』と嬉しそうに言われ、『何であれ、私がお教えした事はどんどん取って頂いて結構です。もっと詳しく教えたいけど、まずこれが解らなければその先は絶対に理解できない。その先へ行くには、今示されたことをきちんと解ることが第一です』と言われた。
 

 これを書いている今日の稽古でも、そんな貴重なお話が幾つも出てきた。
 例えば、左の軸には乗れて、右の軸には乗りにくい場合・・つまり「懶扎衣」はやり易いけれど「単鞭」はやりにくい、右の軸には乗り難い、と言うような場合には、先ず纏絲勁訓練の「左単手順圏」の基本功に立ち返り、自分の立つ位置、乗る位置、胯の位置、足の位置、特に右半身のそれらを念入りに確認し、その後「馬歩站椿」でそれがどうなったかを確認しながら「静中の動」としてじっくり練らなければ、決して太極拳の構造には至らない、と言われた。
 無論、片足に乗れるかとか、片足で立てるか、などということではない。あくまでも太極拳の構造として、武術的な身体軸に乗れるか、乗れないか、という話である。
 それは、ごく普通の歩法訓練の際の、五十歳を過ぎた女性門人への指導の言葉であった。
 私はただ傍らでそれを聞いていただけだったが、その時、二十数名の門人がひしめき合う道場の中で、師父がそっとその女性だけに話をし始めると、ほとんどの人が回りに集まって来て、一言も聞き漏らすまいと耳をそばだて、誰もが我が事として熱心に聴き入っていた。

 その際、師父はその女性にそれを説明しながら、自ら馬歩や弓歩を示して指導をされた。
 三尺に足を開いて馬歩になり、左の単手順圏をじっくりと示されながら、『ここではこう、ここでは、もっとこうなりますよね・・・』と言われ、馬歩になった所でピタリと静止し、『さあ、これでもう何時でも勁力が出せる状態です。今私はとても充足しているけれども、とても寛いでいて、息を溜めたり、何処かの筋肉を故意に収縮させていたり、グッと意識を高めたり、気を集めたりなど、全くしていません。勁力というのは、メカニズムによって出される、極めて科学的でシステマチックなチカラなのです』と、微笑んで言われた。
 そして『勁力は、元の構造がとても小さなものなのです。その意味でも、これを ”小架式”と呼ぶのは正解ですね。それは丁度、大きな雪崩を引き起こす原因が、たったひとつの小さな石ころであったりするのと、とても似ています・・』と、言われるのである。

 「科学的な態度」というのは、実践することの中で気付いたことを基に、そこから仮説を立て、さらなる実践を繰り返しながら検証して行き、幾度となくその仮説を修正することを繰り返して行くことに他ならないが、太極武藝館で指導を受けていると、誰もが太極拳の中身が非常に科学的なものであることに気付かされ、科学する目が養われていく。
 站椿は「神秘の力」を養うものではなく、ひたすら「構造」を識り、それを意識的に練り上げていくことにより、独自の非日常的なチカラを得るものなのである。

 「構造」とは、一般的に言えば、ひとつのものを造り上げている各々の素材の組み合わせ方によって出来た正しい「カタチ」のことであり、その正しいカタチによってもたらされる仕組みや、組織的・系統的な「システム」のことでもある。
 太極拳では、そのカタチの最たるものが馬歩と弓歩を柱とする「架式」であり、そのカタチに如何に至るのかを示したものこそが「無極椿」と呼ばれる、簡潔な要訣で表された最も基本とされる、最も高度で重要な站椿に他ならない。
 つまり「無極椿」とは、ありとあらゆる太極拳のカタチが真性であるかどうか判断することの出来る、最高最上の「規矩」なのだと言える。これ無しには太極拳は始まらないし、それが何を意味しているのかが真に理解されなくては、何をどう工夫しようと太極拳にはならない。
 丁度、大工が家を建てる際には、錘重(すいじゅう=糸をつけた円錐形の錘・下げ振り)や矩尺(かねじゃく)、水準器などが必要なように、太極拳の構造を理解するには「無極椿」という規矩・規準が絶対に必要なのである。

 しかし、その「無極椿」を正しく教えて貰えるかどうかも、大きな問題である。
 無極椿の要訣自体は、今日では誰にもよく知られるものだが、単にそれを自分なりに整えていても「無極椿」は出現してこない。優れた仏師の手に成れば、ただの木塊から得も言われぬ御仏の姿が現れ出でるように、何の取り得も無いように思える有りふれた日常の構造の中から、畏怖さえ覚える非日常の武術構造が突如として吾が身の上に現れ出て来るのである。
 そして、およそ高度な武藝として太極拳を志す者であれば、それを希求しない人は居ないに違いない。


 無極椿は、まず「正しく立つこと」から始められる。
 正しく立つこと、というのは、「どこで立っているか」というコトが最大の問題になる。
 立つんだからアシで立つに決まってるじゃないか、というのは武術的に見て余りにお粗末であり、やれ爪先で立つこと、いや母趾こそ重要だ、本当は母趾の付け根だ、いいやカカトで立つことこそが絶対ナノダ、と言ってみても、それが何ゆえ「武術」として成立し、実際にどう証明されるのかが問題になる。
 何であれ、「そう立つこと」によって何がどのように武術として成立するのかが最も重要なことであり、その根拠はもとより、太極拳が何故そのように立たねばならないのか、それが基礎基本とされる所以が科学的に実証されなくては、ただの推論や勝手な思い込みのレベルとされても仕方がない。

 「小架式」や「大架式」という区別もまた同じである。それが動作の大小に過ぎず、技術的にも根本的な相違はないという論には、個人的には少々首を傾げたくなる。
 もしそれが動作の大小に過ぎないならば、何ゆえ「小架式」と、敢えてわざわざ名を付けてまでその区別を表明しなくてはならなかったのか。また、小架式と大架式の伝承を各々の家系として分けなくてはならなかったのか。
 外部から見ると陳氏は大架式・老架式が主流に見えるが、実は小架式こそが古より陳氏太極拳の本流であったと聞く。小架は大架の家系とは全く違っていて、第九世の陳王廷よりもっと以前に小架と大架の各々の家系が分かれ、陳家溝の中の居住する地域まで異なっていたという。 
 小架式の代々の家系は生活にゆとりがあって、外に出て拳を教授したり、保鏢などの仕事で稼ぐ必要がなかった為にそれが世間一般に流出せず、外部から見てそれが本流の太極拳であるとは考えにくかった、ということらしい。
 しかし、そんなことよりも最も大きな問題は「小架」というものが一体何を意味するのかという真の理由である。円山洋玄師父は、その理由を端的に「構造の違い」だと言われる。
本来の小架と大架の架式には、明らかな「構造の違い」があると言われるのだ。

 では、その「構造の違い」とは何であるのか ──────────
 それをここで書いてしまったら、私は「龍の道」の ”玄洋會” に暗殺されるかも知れないので決して明かしたくはないが(笑)・・・・しかしまあ、私の知っている程度のコトなら案外許されるのかも知れない、とも思える。

 確かに、小架と大架、ふたつの架式の間には技術的には大きな違いは無いのかも知れない。
 しかし、少なくとも太極武藝館に入門して十年以上の歳月を経た門人であれば、現代陳氏に見られる大架式と、私たちが学んでいる小架式とには、極めて明確な「構造の違い」を見て取ることが出来るはずだ。それは練習段階を進めるにつれて徐々に圏を小さくしていったところの小圏・小纏・小架といったものの解釈といった話ではなく、あくまでも小架式という独自の「構造」を持った架式のことに他ならない。
 しかし、そんなことはもはや今日では小架系統の嫡孫でさえ口にせぬことかもしれないし、むしろ「構造の違いなんぞ有りはしない」と否定するかも知れない。

 けれどもなお、その「構造の違い」は余りに歴然としている。武術としての太極拳の構造を研究し、構造を解き、構造を識り得た人であるならば、基本功や套路の動きさえ観れば容易に見抜くことが出来るものであり、推手や発勁の有りようを見れば、その違いを判別するのはそれほど難しいものではない。


 「站椿」は、太極拳が武術としての絶対的なチカラを追求した果てに見出された、それを理解する為の非常に効率の良い独自の訓練法なのだと思える。そして、それを経験し、それを練り、それが分かるようにならなければ、「勁」というものは決してトータルには理解されることがないのだと思える。
 站椿とは「立つこと」に他ならないが、立つこと自体は余りにも身近なことであって、誰もが日常的に行ってしまっていることでもある。けれども、その「立つこと」を意識的に、ある規矩に則って行うことによって、ある「理解」が生まれる。
 最初の理解とは「認識の違い」への理解であると言える。自分がこうであると思って信じ込んでいたことが音を立てて崩れ落ち、その代わりに二度と崩れようのない、至って科学的な「武術構造」への認識についての理解が生まれるのである。

 太極拳にとって「立つこと」とは、馬歩で立つことに他ならない。
 その「馬歩の構造」は余りにも奧が深く、余りにも高みに向かって聳え立っているが、それは至ってシンプルな構造でもある、と円山洋玄師父は言われる。
 馬歩はどの高さで立っても、どの足幅で立っても、そこからどう動こうとも、どう表現されようと全く関係なく、構造が馬歩である限りそれは馬歩なのである。そのことは、馬歩の構造自体が非常にシンプルであることを示している。
 しかし、どれほど美しい馬歩に見えても、どれほど腰の位置が低く、足幅が常識を越えるほど広く見えても、馬歩の構造でないものは、やはり馬歩とは言えない。そして、その真の構造を識る者だけが、それが馬歩であるか否かの真贋を判別できるのであって、外見上の要求が一通り整って見えるかどうかなど、「正しい馬歩」を判断する何の材料にもならない。

 その「正しい馬歩」であれば、站椿を「練功」として練ることが出来る。
 站椿を練功として続けていさえすれば、いつの日か「正しい馬歩」が現れるわけではない。先ずは「正しい立ち方」を詳細に教授されることによってのみ「正しい馬歩」が理解でき、正しい馬歩が理解できれば、その馬歩を使って「正しい站椿」の練功に入っていくことが出来るということなのである。その「正しい站椿」が理解できれば、どのような練功を練っていても、それはすなわち「站椿の練功」となる。
 そして、站椿を練功として練ることが出来るようになれば、それが定歩の纏絲勁訓練であれ、歩法であれ、套路であれ、柔功であれ、すべての練功が「勁」を練るためのものであったことを学習者はようやく実感することになる。いわゆる「以意行気」「以気運身」「一挙一動が等しく意を用いて力を用いず、意が先に動き、その後に身体が動く、意が至れば気が動き、気が至れば勁が動く」ということが、身を以て明らかに実感できるようになるのである。

 ここで重要なことは、站椿が「気」を出すためのものでも、「気」を練る為のものでもないということである。「気が至れば勁が動く」のだから、気はあくまでも「勁を動かすためのもの」という意味なのである。
 站椿は「意」で整えられ、整えられた身体がまた意で動くことによって「気」が至り、それによって「勁」が動くのである。それはつまり、「気そのもの」が何かをするというのではなく、意を気が媒介することによって勁が動く、ということに他ならない。

 陳鑫先生の「中気」と「内勁」の解説を見ると、『中心である丹田から気を発しなければ、気はその元とするところを失い、たいへん出鱈目なものとなる。気は筋肉や皮膚の末端に至るまで充溢していなければ功夫が低く、気が不足しているということであり、外見は強そうに見えても内側は空っぽであるために必ず失敗をする。これは内勁を練っていない故であって正しくない。正しく勁を練れば神技を表すことが出来る』・・と、ある。
 内勁を練るには「用意不用力」の原則を守り、正確な「カタチ(構造)」が取れるように架式を整えるしか他に方法がない。カタチを正しくしたことによって可能となった練功に励めばこそ、『古い力が去り、真の力(勁力)が生じる』のである。
 その「カタチ」を私たちに理解させてくれるものは、やはり「站椿」しかないのだと思う。



                                   (了)

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2011年01月08日

門人随想 「年の初めの例しとて」

                     by 小周天 (一般・武藝クラス所属)


 今年のお正月は、天気に恵まれた。年末にずいぶんと風が荒れたせいもあって、ことのほか気持ちのよい、清々しい一年の幕開けであった。
 元旦から三日間、遠州名物である「カラッ風」が一度も吹かなかったから…とは言い切れないが、心静かにじっくりと、太極拳やそれを学んでいる自分自身を振り返る機会を得た。

 私が太極拳を学ぶ中で一番難しいと感じるのは、「人との関わり方」である。
 他と戦い、我が生き残るための武術なのだから、それを学ぶ上で人との関わり方が難しいのは、ある意味当然のことかもしれない。それに、私だけではなく、誰にとっても人と関わることは難しいのだと思えば、無闇にアタマを悩ませる緊張もなくなり、ただきちんと勉強していくしかない、と思えた。

 「人との関わり」という視点で日常を振り返ると、人の言うことには耳を貸さずに自分の意見を押し通すか、自分の意見は胸の奥に仕舞っておいて相手の意見にただ合わせるかの二種類が見られると思う。そうして、「あの人はこうだ」「この人はどうだ」などという言葉が行き交いはじめ、ついには「腹の探り合い」なんてことまで出てくる。
 学生の頃は、そんなことを耳にする度に ”クダラナイ” と軽蔑していたものだが、いざ自分が社会に出てみて、たくさんの人種と関わる中で、ふとした時に自分もまた、 ”そちら側の人間” になっていることに気がつき、驚いたものだ。

 ところが、太極武藝館で学んでいると、日常で感じられる二種類の関わり方とは全く違う世界があることを思い知らされる。
 もし、指導されている内容ではなく言葉だけを捉えれば、「自分を挟まずにただ太極拳の要求に従え」と、そんな風に聞こえるかもしれない。私自身もまた、そのように思えた時期があったことを覚えている。「太極拳をやっていくのは自分なんだから、自分をしっかり持たなきゃ出来ないじゃないか!」と。今思い出しても余りの青臭さに顔が渋くなってしまうが。

 太極拳の学習を続けていると、「陰」と「陽」の両方を学びながら、実はその真ん中を勉強しているような気持ちになる。その ”真ん中” こそが太極拳の唯一無二の法則であり、この社会にも、人との関わりにも通用する法則なのだろうか、とも思えてくる。
 そう考えると、それを学ぶためには、やはり「自分」を挟まないことが条件であると納得できるのだ。学びたいのは「陰」と「陽」であって、そこに自分を挟んでしまったら、もう学べなくなってしまう。ましてやその学習過程で陰陽の ”真ん中” を勉強したいのだとしたら、尚更のことだと思える。
 因みに、私たち一般クラスの稽古では、太極拳の何が陰で何が陽か…などという講義や説明があるわけではない。また、改めてそんなことを質問する門人が居ないのは、稽古をしている中で自ずと実感されてくることだからだと思う。

 ”真ん中” を勉強することは、人との関わり方に置き換えれば、自分と相手の間にある物事や問題だけを見つめることと同じだと思う。その「問題」に自分も相手も挟まずに、お互いに問題だけを吟味することで、問題はよりスムーズに解決するだろうし、物事は益々発展させていけるのではないだろうか。
 そんな考え方に思い至ったとき、道場において耳にタコができるくらい指導されている、『ものごとを、ものごととして捉えること』という言葉の意味が、ほんの少し分かったような気がした。

 人間は、ひとりひとりが呆れるくらいユニークな存在で、この地球上にひとりとして同じ人は居ないに違いない。それ故に、ひとつの物事に対して感じることも、千差万別である。これでお互いに問題が起こらない方が不思議だし、人との関わり方が難しく思われるのも無理のないことである。反対に、ひとりひとりが違うからこそ、同じ感性を持つ人に惹かれたり、自分と全く正反対の気質の人に憧れを抱いたりもするのだろう。

 問題は、「ひとつの物事」自体は誰がどのように見ようとも決して変わらないということ。変わるのは、人各々の「見方」なのである。各人が持つセンサーも違えば目盛りの幅も異なるのだ。しかし、どれだけたくさんの見え方があろうとも、「ものごと」は変わらない、不変のものであるはずだ。
 一本の同じスコッチ・ウィスキーを飲んでも、そこに感じられる味や香り、アルコールの強さは人それぞれ全く違う。ある人は「これは強いお酒だ」と言い、またある人は「これはそんなに強くない」と言う。そして日常では、どちらの意見がどうなのかということが問題にされ、”ウィスキーそのもの” が問題にされることは少ないと思う。

 その、人によって変わる感じ方ではなくて、元の変わり得ないもの。それを味わった私たちの感じ方を問題にすると、気の遠くなるような人数と論を交えなければならないが、変わらないものはたったひとつである。
 そのひとつを、ただそのものとして皆が見られるようになったら…そのお酒が強いか弱いか、美味いか不味いかではなくて、そのお酒そのものを味わえるようになったら…と考えると、今とは違う、新しくも美しい世界が広がるような気がするのは、私だけだろうか。

 太極拳は、とても全体的な、偏りのない学問だと思える。
 陰も陽も、表も裏も勉強する。しかし、何のためにそうするのだろうか。
 私には、太極拳が陰でも陽でもない、”真ん中” を学ぶためにこそ、陰と陽とを勉強しているような気がしてならない。
 真ん中が分かれば、「物事」の真ん中も見えるだろうし、そこで生じた「問題」の真ん中、つまり核心も見えると思う。そうなれば、問題は問題でなくなるし、人は大事なところを外さずに生きられるのではないか、と思えるのだ。

 お正月早々、そんな風に考えてしまったのは、私が武術家志望ではなくて、主に太極拳の学問的なところに惹かれてこの道を選んだからかもしれない。
 この時代において、武術という非日常的なことを学ぶことが、即ち日常の社会生活に役立つという事はとても希だと思うし、同時にとても有り難いことでもある。
 太極学の学究の卵として今年も稽古に励もうと、心を新たにした一年の始まりとなった。


                                  (了)

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