歩々是道場

2014年03月09日

歩々是道場 「螺旋の構造 その8」

   「纏絲の構造 その1」
                    by のら
(一般・武藝クラス所属)



纏絲ケイが知りたいッス〜!!

猛王烈:のらさあ〜ん!・・・ガハハッ、ついに捕まえたぞお〜!

の ら:あ〜ら猛くん、なにを銭形警部みたいなコト言ってるの?

猛王烈:またぁ、トボケちゃって。纏絲勁の話をしてくれるって約束したでしょう?!

の ら:え、何のこと?

猛王烈:無責任だなぁ、もう。「私が知ってる程度なら、いくらでも話してあげるワよ」なんて、チョーシいいこと言ってたじゃないスか!

の ら:そんなコト言ったかなぁ・・?

猛王烈:前回の「螺旋の構造・その7」ですよっ、去年の5月28日の火曜日っ!!

の ら:That's so long ago, I don't remember. ──────────────
ハぁ、そんな昔ンこと憶えちゃインに。
  (日本標準語訳:もう、そんな昔のことはおぼえていないワ)

猛王烈:また、カサブランカみたいなセリフを言っちゃって。しかも、しぞーか弁だに!!

の ら:猛くん、遠州・しぞーかをバっカにしてるら?
   (編集部註:地元では静岡を ”しぞぉか” と発音し、よく ”しぞーか” と表記される)

猛王烈:そんなことないっスよぉ。オレはウナギだって、桜エビだって大好きだし、休みの日にはわざわざ静岡の ”青葉横町” まで行って「しぞーかおでん」を食べるほどッスから。
 富士山が世界遺産になった時なんか、女房と三保の松原で万歳三唱をしましたからね。
その日の夕食は桜エビのかき揚げと、どでかい金目鯛の煮付け。もちろんお酒は、由比の純米大吟醸「正雪」と 焼酎の ”しぞーか割り” っスよ!!
   (編集部註:しぞーか割り=焼酎を静岡産の濃い緑茶で割ったもの)

の ら:ふぅ〜ん・・猛くんって、しぞぉかを愛してるんだね。ちょっと見直したな・・・

猛王烈:あはは、いやぁ、それほどでも────────
 あ・・そ、そうじゃなくって、纏絲勁の話を聞きに来たんですよ、テンシケイっ!!

の ら:あ、はいはい、テンシ勁ね・・で、何を聞きたいの?

猛王烈:オレみたいに、ごくフツーに太極拳をやっている人間が「纏絲勁」と聞いてまず想像するのは、グルグルと手足や体にツルを巻き付けたみたいな、あの不思議な絵なんスよ。
『陳氏太極拳入門』みたいなタイトルの本には、大抵そんな絵が紹介されてますよね。

の ら:あのツルを巻いたような図は、陳鑫先生の『陳氏太極拳図説』に書かれていたものが元になってるのよネ。けれど、纏絲勁が螺旋のチカラだと聞いてイラストのイメージを取り入れる前に、そもそも纏絲勁とは何か、それをきちんと確認した方が良いわね。

猛王烈:そのとおりですね。師父はいつも「太極拳は科学だ、学問だ」と仰ってますから。

の ら:陳鑫先生は『太極拳纏絲精論』や『太極拳纏絲法詩』などで、纏絲勁について詳しく述べておられるわね。

猛王烈:へぇー、さすがはのらさん。”武藝館の歩くIQ” と言われることはありますね!!

の ら:あら、それじゃモーくんは、武藝館の ”歩くアイキョー” かしら?

猛王烈:あはは、上手いこと言いますね。確かに、愛嬌なら負けませんよ。

の ら:さてと・・まず「纏絲勁」というのは太極拳における「十勁」、つまり十種類の主なチカラのひとつなんだ、ということを認識しなきゃいけないわね。
ウチではこれを「勁十論」と呼んで、門人の学習に役立てているワケよね。

猛王烈:その十種類のチカラってぇのは、どんなものなんスか?

の ら:あら、「十勁」はウチのホームページにも紹介されているわよ・・!

猛王烈:えっ?・・そ、そうでしたっケイ────────?

の ら:シャレてる場合?、門人のクセに、よくホームページを読まなきゃダメでしょう!
師父が書かれた「太極拳の訓練体系」の 「勁を練るための訓練」にちゃんとあるじゃない。
 門外の人でも、それをコピーしてまで勉強する人がたくさん居られるというのに、ウチの門人がそんなんじゃダメじゃないの、モォ〜・・・

猛王烈:あ、そういやぁ、確かそんな文章を見たような、見ないような・・・ハハ・・

の ら:むわぁったく、調子がいいんだから。

猛王烈:そんじゃ、纏絲勁ってのは、「らんま2分の1」ならぬ「勁力10分の1」みたいなもん、てコトですよね?

の ら:むっ!・・水かけパンダのマンガと一緒にするんじゃないっ!!

猛王烈:す、すンません!・・その「纏絲勁」ってのは、結局何なンでしょうね?


纏絲勁はふたつでひとつ

の ら:最もきちんと認識すべきことは、纏絲勁には「内外ふたつの働き」があって、それがひとつになって纏絲勁として成り立っている、というコトよ。

猛王烈:ナイガイ?・・オレは「ナイスガイ」っスけどね、がはははっ!

の ら:バッシィーッッ!!───────ウチとソトの ”内外” だろおがああっっ!!

猛王烈:ひいっ!、のらさん、ケイがきいてるなぁ。(こりゃ ”五郎くん” の再現っスね)

の ら:纏絲勁には、内には「意・気・神」で導かれる内纏(nei-chan=ないてん)という運行があって、外には「筋・肉・骨」に由来した外繞(wai-rao=がいじょう)という螺旋の動きが生じている、ということなのよ。

猛王烈:へえ〜っ、そんなコト初めて聞きましたよ。

の ら:だから、もっとホームページをよく読みなさいってば、モッタイナイ。
 そもそも、陳氏は家伝の拳術について著したものが非常に少ないのよ──────────
書籍として世に残した人は陳鑫と17世の陳子明、それに18世の陳績甫の、わずか三人だけ。
それも陳鑫以外の二人は理論面ではすべて「図説」から採用しているから、少ないと言うよりも、拳学の理論を著述したのは、実際には陳鑫先生だけと言ってもいいでしょうね。

猛王烈:鳴歩道ぉ・・じゃ、そこに書かれた一言一言は、とても貴重だということですね。

の ら:そういうコト。(あて字でしゃべるの、やめなよね)

猛王烈:・・で、その「ネ〜チャン」とか「ワイらよ」つうのは、ナンですか?

の ら:ネイチャン(内纏)と、ワイラオ(外繞)でしょ──────!!
そんなこと、仮に私が知ってたって安易に口に出来ることじゃないわよ。纏絲勁の真相は、たとえ拝師弟子であろうと、後継者として後世に正しく伝える力を持った信頼に足りる弟子にしか伝えないと、師父もハッキリ言われているんだから。

猛王烈:そうかァ───────そんじゃ、末席を汚すチャランポランなオレなんかにゃぁ〜、絶対に教えて貰えるワケがないっスよね・・・(しょぼーん)

の ら:まあ、そう嘆くこともないわよ。師父はいつも、太極拳の原理は非常にシンプルで誰でも理解出来るものだと仰っているでしょ。それに、原理を解き明かすための練功を毎回の稽古でたっぷりと教わっているんだから、その気になれば私たちにだって太極拳の核心を解明して行けるはずよ。

猛王烈:そうか、よぉし、頑張るぞっ!、のらさん、もっと纏絲勁について教えて下さい。

の ら:いえ、私だってそんなによく分かっていないし、何よりも、まだ纏絲勁が実際に体に現れてこない状態なのよ。だけどね・・・

猛王烈:だけど─────────?

の ら:いつだったか、師父の後ろについて套路をやった時に・・・そう、初めの金剛搗碓の終わりから懶扎衣 (ランチャーイー)までを詳しく教授されたときに、師父の真似をして動いていたら、突然自分の体が、ササッ、ササッと・・・コシやハラを中心に、腿や脚が、まるで忽雷架のように、勝手に動いたことがあったのよ。

猛王烈:おおっ、コツライカ────────!!
 突然、雷光が閃いたように動くという忽雷架式ですね。あんなふうにササッ、ササッと動くのはエラいことですよ。師父はコトも無げにやって見せてくれますけど、オレたちが真似すると足で蹴るしかないし、片脚しか動かないんです。
 師父はすごく滑りにくいマットの上でも両足が同時に動いていて、脚が水に浮かんでいるようにさえ見えますよね。あの動きって・・アレが纏絲勁ってコトなんスか?!

の ら:いい質問ね。けど、あのような動きは忽雷架独自の動きだから、陳氏太極拳とはぜんぜん関係ない、なんて言う人もいるけど、モーくんもそう思う?

猛王烈:いいえ、オレは師父が見せて下さるものは、何であれ全部ホンモノの太極拳の精髄だと思ってますし、それに、忽雷架だろうが、騰梛架だろうが、代理架だろうが、どう見たってアレは、小架の套路そのものじゃないか、と思えるんですが。

の ら:そう、ホームページの「歴史と伝承 Page5」に書かれているように、忽雷架は、天才・陳清萍が考案した「代理・忽雷・騰梛・領落」の四つの架式の内の一つよね。
 それは元々ひとつの套路を「四つの練法」に分けたものと考えられるから、小架式を修めたウチの師父が、その中のひとつの架式を表現できても、ちっとも不思議はないのよ。

猛王烈:その系統を汲んでいれば、直接「忽雷架」を学んでいなくても表現可能だと?

の ら:そういうコト。現に師父は忽雷架をご存知なくても、身体が自然とあんなふうに動くでしょ。それは、太極拳の原理を身に着けた人なら誰でも「その構造」で動ける、ということを意味してるんじゃないかしら。それに──────────────

猛王烈:それに・・なんスか?

の ら:こんなこと、言っていいのかどうか分からないけれど・・・

猛王烈:珍しくモッタイぶりますねー、隠しゴトは良くないっスよ。

の ら:現在、太極武藝館で指導されている套路は、玄門架と呼ぶべき小架の拳套だけれど、以前、師父が見せて下さった、古い陳子明系の套路は────────

猛王烈:えっ?、えっ?・・そ、それを見たことがあるんですか?(オレも見たいよぉ!)
で、その古い套路というのは、どんな套路だったんですか?

の ら:それはね、まるで陳清萍が創った、代理架や騰梛架のような動きだったのよ!!

猛王烈:え”えええぇ〜っっっ────────────!!

の ら:驚いたみたいね?(「え」が濁音になってるニ・・)

猛王烈:驚きますよ!、オレなんか、小架と言えば陳伯祥、陳立靖、陳瑞華などの各老師、あるいは日本在住の陳沛山先生などがすぐに頭に浮かんできますけど、そこに趙堡系の雰囲気なんかはカケラも見られなかったスよ・・・

の ら:けれども、陳子明の父・陳復元は陳仲生(陳鑫の父)に小架と大槍を学び、陳耕耘(陳長興の子)からは老架と春秋大刀を、そして陳清萍には趙堡を学んだのよ。
 息子の陳子明は幼少期から家伝の拳術を学び、十数歳の頃から陳鑫に学んだというから、はじめに身体に染み込んだ套路には、陳清萍の太極拳の占める割合が三割以上はあったと言うことよね。

猛王烈:うわぁ、歴史ってスゴイんスね。それじゃ陳子明先生の『陳氏世傳太極拳術』の中身には、陳復元と陳有本と陳清萍の套路がミックスして入っているってコトなんですか?

の ら:そのとおり。それらを統合して創られた独自の拳と言えるでしょうね。
その拳架は「引蒙入路」、入門に導く套路と呼ばれているの。そこには陳氏太極拳の精髄がそこかしこにちりばめられているというワケね。

猛王烈:なるほどなぁ。師父が散手であれだけ繊細に動けるのは、そんな複合的な套路をずっと訓練して来られたからなのかも知れないっスね。

の ら:そうね。そして、さらにそれが玄門に伝わることで、実際に軍隊で使われるほどのレベルにまで高められ、武術としてより実戦的な構造になっていったのだと思うわ。

猛王烈:構造?・・・ああ、また「構造」が出てきましたね!!

の ら:纏絲勁は、「纏絲の構造」と言い換えれば、もっと分かり易くなるでしょう?


纏絲の構造

猛王烈:纏絲の構造・・・・うわぁ、何だかものすごく新鮮な響きっスね!!
この螺旋シリーズの「その3」でも、運動と構造の違いについて語られていたけれど、オレは纏絲勁というのが「運動」や「チカラ」のことだとばかり思っていましたね。纏絲勁とはいったいどう ”動かす” のか、どうやって、どんなふうに ”動かして” 力を発するのだろうかって・・・

の ら:よく陳家太極拳の入門書などには、「纏絲勁は螺旋のネジリをともなった動き」であり、「それによって働く力を纏絲勁という」などと定義されているわね────────

猛王烈:日本じゃ、そういう考え方が「纏絲勁とは何か」をイメージする代表的なものになった、という感じがしますけど。

の ら:そうでしょうね。でもそれは多分日本だけじゃなくて、今の中国でも、そういう認識が大部分を占めてきているんじゃないかしら。ある本には、こうも書かれているわ・・・
『纏絲は、ただ手のみをねじるものではなく、足・膝・腿・体などが協調して行われるものであり、纏絲によって強大な力(勁)が十分に発揮できるのである』

猛王烈:・・ってコトはつまり、手だけじゃなくて体ごと協調してヒネル、ネジル。それが纏絲であり、それによって強い勁力が出る、という意味なんでしょうか?

の ら:そう解釈できるわね。つまり一般的には、纏絲勁は基本的に「ヒネル」「ネジル」ものと考えられている、ということになるのかしらね。

猛王烈:それを体中で協調して行うと、モーレツな纏絲勁の発勁になる、と?

の ら:まあ、普通にはそう信じられているんでしょうね。

猛王烈:でも、ウチの師父の発勁は、体をヒネってもいないし、ネジってもいない・・・

の ら:そういうコトよね・・

猛王烈:つぅーことは、つまり・・・・

の ら:そう、つまり、それは・・・?

猛王烈:つまり、それは───────────────

” ウ チ の 師 父 が 全 面 的 に 間 違 っ て い る ” ・・・と!!

の ら:ブゥワァアアアアッシィイイイ〜〜ッッッッッッ────────!!

猛王烈:痛(つ)ううううっっ!!(ま、またしてもモーレツなケイが・・)

の ら:アホか!、弟子のクセに、オドレの師匠が信じられンで、どオするンじゃいっ!!

猛王烈:ひ、ひぃっ、す、すンません、つ、つい・・・・
でも、「螺旋の構造・その3」以来、それが疑問で仕方ないんスよ。そこからパラレルとかスパイラルなんて、スキーのターンみたいな話になって、いくらハイハイをしても分からなかったんですよぉ。「新タイ爺歩き」なんか、ますます混乱するばかりだったし────────
 (のらさん、今度は広島弁じゃけぇ・・いびせえ(怖い)のォ・・)



                                (つづく)

noriko630 at 23:10コメント(14) この記事をクリップ!

2013年05月28日

歩々是道場 「螺旋の構造 その7」

  「太極拳のカラダなのだ」     by のら (一般・武藝クラス所属)



猛くん、またまた登場っ!!

猛王烈:のらさぁ〜ん、お久しぶりッスねぇ!!

の ら:あーら、猛くん!・・って、前回のノリと一緒じゃないの!!

猛王烈:まあまあ、一度あるコトは二度ある、って言うじゃないスか。

の ら:二度じゃなくて三度目だけどネ・・で、今日は何の用?って聞こうと思ったけど、猛くん、足を引きずってるじゃないの!、カラテでローキックでも貰ったの?

猛王烈:空手はもうやってないッスよ。こう見えても「タイジィ・一直線」スからね!
♬ 寄るぅなぁ〜、触るなぁ〜、ハッケ〜で飛ぶさぁ〜、っと。
これは、ウチの稽古をしているうちに、段々こんなになっちゃったンスよ。

の ら:ウチの稽古で?、ウチでは誰もそんなになる人なんか居ないじゃないの。いったい何の稽古をしてそうなったの?(キミぃ、カジワラ世代だね・・)

猛王烈:(右足の大転子の周辺から尻の上あたりを指差して)ココの、この辺りがどうにも痛くてしょうがないんスよ。マッサージに行っても、2〜3日すると元に戻っちゃうんス。始めは痛いだけだったんだけど、だんだんビッコを引くようにまでなっちゃって。

の ら:ははぁ・・ま、そんな所が痛むのは、ヘタな稽古をやっている証拠ね!

猛王烈:またぁ、相変わらずキツいことを言う・・・

の ら:いえ、冗談じゃなくってね。こういう場合は、マッサージをしても根本的な解決にはならないのよ。もしかして、そこだけじゃなくて、股関節の辺りも痛むんじゃない?

猛王烈:へーえ、よく分かりますねぇ!、ご明察っス。股関節が痛むなんて生まれて初めてのことスけどね。カラテをやっていた時は、あんなに激しい稽古をしてもお尻に痛みが出たりしなかったのに、何で太極拳でこんな所が痛くなるのか、不思議で仕方がないんスよ。

の ら:まあ、それだけ武藝館の稽古が、身体構造的にキビシイということでしょうね。
特にスポーツ格闘技や、空手もどきの中国武術を散々やってきたような人にとっては、まるっきり正反対の体の使い方だと言っても良いかもしれないわね。

猛王烈:これって、どうしたら良いんでしょうかねぇ・・ただ放っといても痛みが引いてくるような気もしないし。病院へ行くと、すぐに機械で引っ張ったりするから恐いっスし。

の ら:師父の「太極治療院」に行って治療して貰いなさい、って言うのは簡単だけれど、先ずは ”正しい立ち方” を見直すコトが大切ね───────────────

猛王烈:ええーっ、立ってること自体が痛いってのに、我慢して立つ練習をやるんスか?
それより、どっか上手いマッサージ屋さんでも探そうかと・・・

の ら:確かに、マッサージをすれば、股関節の周りの幾重にも重なったコチコチの筋肉がほぐれて少しは楽になるでしょうけれど、それは一時しのぎに過ぎないから、稽古をやればまた痛みが出てくる・・・今もその繰り返しになってるンでしょ?

猛王烈:はい。まあ、そのとおりっス・・

の ら:いい?、本当の痛みの原因は、「正しく立てないコト」にあるのよ。単に使いすぎて極度の筋肉痛になっているんじゃなくってね。

猛王烈:その「正しく立てない」って言うのが、どうもよく分からないんですよね。オレなんか入院している間もベッドの上でずっと站椿をして、病院の屋上でも洗濯物がはためく中で站椿をして、ロビーでサッカーの中継を見ている時もずっと站椿を・・・

の ら:あのねぇ、站椿、站椿って、気安く言うけれど、とにかく站椿らしきものをやれば良いっていうものじゃないのよ。猛くんの場合は「立つ位置」と「〇〇の〇〇の仕方」、そして「歩き方」が正しく行われていないと思うのよね。

猛王烈:はぁ?、急に伏せ字なんかにしちゃって、なんか怪しそうっスね・・・

の ら:コホン・・・痛みの原因は筋肉の使い方にあるんじゃなくて、身体構造のシステムが整っていないから、その歪みが結果的に痛みを生じさせているわけよ。それを解消するには、体全体を貫いている構造を理解して、そのシステムを正しく認識しないとイケナイってこと。

猛王烈:ノラさん、さすがは「甲高と扁平足」の筆者だなぁ、科学的ッスねぇ!

の ら:そんなの、武藝館じゃ初心者でも知ってる事じゃないの。けれど、股関節まで痛いのは、かなり重症ねぇ・・・そこに痛みが出るのは、膝や腰、足首、それに脚の指に至るまで、タップリ疲労を抱えているはずよ。

猛王烈:そうそう、そのとおりなんスよ。右の足首なんか、朝起きて歩くと、すぐにバキッって大きな音がするし、脚の指なんかも硬くて痛いんです・・・

の ら:そうでしょうね。稽古で股関節まで痛くなってしまう人は、必ずと言って良いほど太腿の外側を使って歩くクセがあるはずだからね。

猛王烈:あ、そうそう、そうです。オレいつも玄花さんに「猛さん、キンマクチョーキンを使って歩いていますね」って注意されるんスよ。

の ら:「大腿筋膜張筋」だけどね。(カタカナで言うなってば・・)

猛王烈:でも、なんでそれがイケナイのか、よく分からないんスよねぇ。

の ら:そりゃキミぃ、「人間はソコで立っていないから」に決まってるダロ!

猛王烈:あ、そうなんだ────────────?!

の ら:何を寝ボケてるンだか・・そんなこと、ウチじゃ常識でしょ?!
太極拳は特別な身体を養うものではなく、人間本来の有りのままの身体構造を用いて、それを最も自然に、最も高度に使っていくことなのだと、いつも師父が仰ってるじゃないの。

猛王烈:あ、ええ、まあ・・オレも、きっとそーじゃないかなぁ、と思ってたンスけどね。あははは──────────

の ら:医学にも「対症療法」と「原因療法」があるでしょ。西洋医学には対症療法が多くて、悪いところは切る、ダメなものは取り換える・・けれど、武術を学ぶには、常に原因を追及する姿勢が大事なのよね。自分の身体がどうなっているか、どこが、どうして、どうなっているのか、何故そうなっているのかという原因を、常にキチンと意識的に観て行かないと、まともな上達は望めないのよ。そして、それには自分自身をキチンと観ることの出来る「自己観照」の意識が養われなくてはどうにもならない、って言われてるわね。

猛王烈:うーん、オレなんか、いつも、ただ思いつきで生きているモンなぁ・・・


散らかった部屋

の ら:ところで猛くん、自分の部屋はいつもキチンと片付いている?

猛王烈:部屋っスか?、もちろん散らかり放題ですよ!、あはは・・・

の ら:それを、きちんと片付けたいとは思わないの?

猛王烈:いや、きれいにしたいと思って、休みの日なんかは片付けちゃいるんスけどね。
でもまた一週間もすると荒れ放題になってしまって。忙しい時なんか、すっかりあきらめ気味で何ヶ月も放ったらかしですね・・けど、それが何か?

の ら:散らかっている部屋をいくら片付けても、いつの間にかまた散らかってしまう。
散らかしてしまうのは自分なのに、散らかっていること自体を嘆いて、その度にイヤイヤ片付けていても、根本的な解決にはならない・・・私たちの身体も、それと同じなのよ。

猛王烈:同じって、何が同じなんスか?

の ら:つまりね、整っていない身体を、いくらアチコチ「修正」していても、いつの間にかまた歪んだり崩れたりしてしまうの。歪むことを許し、歪ませてしまっているのは自分の在り方なのに、歪んでいることばかりを嘆いて、注意されるたびにムキになって直していても、根本的な解決にはならない、ということなのよ。

猛王烈:あ、ああっ・・・!!

の ら:要は、部屋を散らかさないように気をつけるのではなく、その部屋が「散らからないようなシステム」をつくることが大事なのよ。私たちの稽古で言えば、やれ虚領頂勁が違う、含胸抜背が違う、やれ気沈丹田をキチンとする、などと、あっちこっち修正に修正を重ねるのではなくて、もっと根本的な「本来どうあっても歪みようのない構造」を知って、それを手に入れることが大切だということ。それこそが「站椿」を練る意味なのよ。

猛王烈:うわぁ〜、す、スゲーやっ!、なんて分かりやすいんだろう!!
そんなふうな考え方、思ってもみませんでした。やっぱ、流石は天才のらさんですね。
いやぁ、本当に来てよかったッス!・・♪コレで、イイのだぁ〜、コレでイイのだ〜

の ら:天才じゃなくて、ただ師父の言われたことをじっくり考えてみようとしているだけよ。太極拳を学ぶには、ただ「自分なり」に努力をしていても駄目、まずは「考え方」を変えなさい、そうすれば必ず解決法が見えてくるって、いつも稽古で指導されてるでしょ。
それである日、忙しくて片付かないままの部屋を見ながら、ふと思ったのよ。ああ、コレも太極拳と同じナノダ、ってね。

猛王烈:そうかぁ。太極拳自体が本当に奧の深い武術なんですね。こんな話、ヨソでは滅多に聞けないんじゃないかなあ。

の ら:太極武藝館は師父を先頭に、玄花后嗣、正式弟子、拳学研究会が太極拳をひとつの「科学」として、「学問」として、徹底的に研究し続けているから中身が濃いのよ。単に稽古に充てられている時間だけでも、他とは群を抜いて多いでしょ。だから末席の私でも、こんなふうな発想が出てくる。単に基本功や套路を繰り返しているだけだったら、とても思い付かないことが沢山あるわね。

猛王烈:・・で、オレの、この痛い足なんスけど────────────

の ら:あ、すっかり忘れてた。ゴメンごめん。えーっと、そのまま放っておくと、終いには股関節を受ける骨盤側がだんだん磨り減ってきたり、股関節唇という軟骨が損傷したりするかも知れないわよ。

猛王烈:そんなぁ、オレ、気が弱いんスから、あんまり脅かさないで下さいよォ!!

の ら:オドシじゃないわよ。何十年も太極拳をやって、かなり動けるようなつもりになっていても、実際には身体はガタガタ、膝はボロボロ、なんてコトはよくあるんだから。

猛王烈:それって本当ですか?

の ら:本当よ。ある有名な太極拳の大団体に所属していた門人が言っていたけど、そこでは上級者になるほど必ずと言って良いほど膝や腰を痛めてしまっていて、その解決策が無いまま、ただ練習に励むしかない状態だった、っていうことね。

猛王烈:オレも他人事じゃないな。このままじゃ ”スゲー館” のツラ汚しですね。

の ら:そうよ、正しいポジションで立てるようになって、きちんと身体を治さなきゃ。だからまず「站椿」の見直しから始めることね。キミ、ちゃんと站椿やってる?

猛王烈:やってますよ、タント。やりすぎてこの足を痛めたんスから!

の ら:それじゃ、ちょっとそこに立ってごらんよ。


站椿で「気」が出たっ!!

猛王烈:はい─────────こんな感じッスけど・・

の ら:うーん・・ダメだなぁ、それじゃ。

猛王烈:えーっ、オレ、站椿はかなり自信あるンスけどねぇ。いったい何がダメなんスか?

の ら:それじゃ「馬歩」になっていないのよ。

猛王烈:マーブー?・・でも、これってピンブー(並歩)って言うんじゃないんスか?

の ら:バカね、太極拳で「立つこと」とは馬歩で立つことに他ならない、っていつも師父が仰ってるでしょ。太極拳では、弓歩だろうが馬歩だろうが、座盤式だろうが跌岔式だろうが、何だって馬歩(ma-bu)の構造で出来ているのよ。

猛王烈:ああ、そう言やぁ、のらさんの站椿シリーズにもそんなコトが書かれてましたね。

の ら:能天気ねぇ、それが一番大事なことなのよ。

猛王烈:でも、こうやって長い時間立っていると、だんだん気が出て来るような気がするんですよね。オレ、いつか師父に言われたいんスよね、「よし、モーは気が出た!」って。

の ら:やれやれ・・・ウチでは、站椿というのは「気」を出すためのものでもなければ、「気」を練るためのものでもないって、いつも師父が仰ってるでしょ。

猛王烈:えっ?、だって「気が至れば勁が動く」って、太極拳の経典にもハッキリ書いてあるじゃないですか。気ってのは ”勁力のオロナミンC” みたいなモノなんスよ、きっと。

の ら:嬉しくてメガネが落ちる前に、もっとその言葉を味わってごらんなさい。
「気が至れば勁が動く」ということは、「気が至る → そうすれば → 勁が動く」ということなんだから、「気」というのは、あくまでも「勁を動かすためのもの」ってことでしょ?

猛王烈:ふ〜む、言われてみれば、そうかもッスねぇ・・・

の ら:『一挙一動が等しく意を用いて力を用いず、意が先に動き、その後に身体が動く、意が至れば気が動き、気が至れば勁が動く』────────拳経にはこう書かれているわ。
站椿シリーズにも書いたけど、站椿は「意」で整えられ、整えられた身体が「意」で動くことによって「気」が至り、それによって「勁」が動く、ということよね。
それはつまり、「気そのもの」が何かをするというんじゃなくて、「意を気が媒介する」ことによって「勁」が動くというコト。
だから太極拳では、気を練るために站椿をやるわけじゃないのよ。

猛王烈:うーん、そうかぁ。やっぱ、オレの認識不足だったんだ。先ずは立って気を練りなさいなんて、確かにどこにも書かれていないですよね・・・

の ら:単に站椿を続けて「その気」になっていても、正しい馬歩の原理が修得できるというワケではないのよ。反対に、正しい位置で正しい立ち方を理解しようとしていれば必ず馬歩が理解できるし、正しい馬歩が理解できれば、それを使って正しい站椿の練功に入っていけるというコト。そして、正しい站椿のシステムが理解できれば、どのような練功であろうと、それは正しい太極拳の練功となるのよ。

猛王烈:鳴歩道、座、和有度・・!!

の ら:先人が語った言葉は、注意深く読み解かなくてはね。
つまり太極拳では、一挙一動に「意」を用いて、まず「意」が先に動く訓練をするからこそ「気」というものが働いて、その結果として「勁」が動くのである、と書かれているのよ。
「気が至れば、勁が動く」という言葉を表面的に捉えて、勁を得る為に気を練ろうとする、なんてのは、ちょっと筋違いというものじゃないかしら。

猛王烈:でも、その「一挙一動に意を用いて」というのが、何に対して、どう「意」を用いて良いのかが、自分にはよく分からないんスよね。

の ら:その一挙一動は、正しい架式、つまり太極拳の正しい「構造」によって決定されているわけなんだから、その構造に「意」を向けて、それが常に太極拳の構造として正しく行われているかどうかを確かめていく、というコトに決まってるじゃないの。

猛王烈:あ、そうか。だから太極拳は、基本功も套路も、ゆっくりと練習するんですね。

の ら:そのとおりよ。推手も対練もゆっくりだし、散手だってウチではとてもゆっくりと行われているでしょ?

猛王烈:そうそう。オレね、あれを最初に見たとき、相手があんなゆっくり打ってくるんだったら師父に当たらなくて当然だし、その攻撃をちょっと外しておいて反撃すれば、絶対に当たるじゃないか、って思ってたんですよ。ちょっとインチキっぽくも見えますよね。

の ら:それは全くの「シロウト考え」ね。そのゆっくりした訓練を積んだ人が素早く動けば、その動きは正確無比、適当に早く動く練習をしていた人とは比べものにならないわ。
太極武藝館のホームページの「太極拳はどう戦うのか・第四回」に「散手という学習体系」というのがあるから、よく読んでごらんなさい。

猛王烈:師父の記事ですよね。オレも読みました。元特殊部隊の団体がやっている格闘訓練も、ウチの散手と近い五段階の体系だと書かれていました。オレも実際に師父とやらせて貰って初めて自分がド素人だって分かりました。考え方がまるっきり正反対だったんですよ。

の ら:正反対って────────────?


ヒネらない纏絲勁

猛王烈:『ゆっくり打って当たらないものは、どれだけ早く打っても当たらない・・』
師父はそう仰るんですよ。始めはその意味がよく分からなくて、それは反対じゃないかと思っていました。ゆっくり打ったら当たらないから、早く打つ練習をするんだろ、って。
オレは空手をやってるときから、早く打てるからこそ相手に当たると思ってたんですよね。
それが大間違いだったって、ココへ来てからやっと分かりました。

の ら:あはは、それは良かったわね!

猛王烈:同じように、「強く打てば効く」っていうのも、完全に否定されましたね。
師父には、ちょいと軽く打たれても、ものすごく効くんですよ。それも、その痛みがいつまでも体に長く残るんです。
いつだったか、カラテ出身のFさんや実戦中国拳法出身のKさんが師父と同時に腹を打ち合う訓練をやったんですが、師父は軽く打っただけなのに、二人とも青い顔して・・
フルコン空手で二度も優勝経験のあるFさんはうずくまって胃液を吐いてしまうし、Kさんなんかは最初の一発目で腹を押さえて、そこから離れて柱の陰でしゃがみ込んだまま出てこないんですよ。普通よほどのコトが無いと、大の男がそんな恰好をしませんよ。まして他の門人が見ている中ではね。彼なんか、某拳法の師範代だったんスから、プライドが許さないはずなんスけど。

の ら:でも、良い経験をしたわね、その人たち────────────

猛王烈:その時までは、きっと師父が手加減してくれてたんで、彼らも結構ガンガン突っ込んで行ってたんですよね。でも、そのとき以来、散手じゃ及び腰になっちゃって・・・
もっとちゃんと掛かって来いっ、なんて師父に怒鳴られていましたけど、やっぱり恐しさを体験してしまうと、もう無暗に飛び込んでは行けないスよね。

の ら:それもまた、とても良い経験よね。練拳を重ねていくうちに、だれもが天狗になってしまう時期はあるでしょうけれど、それを根本から打ち壊してもらえる機会に恵まれるのは、滅多に無いことだと思うわ。

猛王烈:師父がそのとき打った拳の打ち方は、「纏絲勁」だって仰ったんだけど、ロクに拳も握らずに、あんなヒョイと打ち出したのが纏絲勁だなんて・・よく分からないなあ。

の ら:纏絲勁の話は、以前にしなかったっけか?

猛王烈:伺いましたよ。えーっと、「螺旋の構造・その3」でしたね。
でもあの時は、モノの本に書かれているみたいに、「纏絲勁は身体をヒネったりネジったりするものではない、正しい構造で動けばすべて纏絲勁になる」と言われて、最後にはヒミツのアッコちゃんで誤魔化されて、はいオシマイ、でしたけど・・・

の ら:誤魔化したりなんかしてないわよォ。「太極拳の構造の真実」を知る人は、ウチでは正式弟子だけ。私たちはただ示されたことを元に、練拳と研究に励むばかりだからね。

猛王烈:でも、纏絲勁の話はもっと聞きたいッスね、やっぱ。

の ら:私が知ってる程度なら、いくらでも話してあげるわよ。

猛王烈:うわぁ!、聞きたい、聞きたいッスね・・・!!


                                (つづく)

disciples at 19:03コメント(14) この記事をクリップ!

2012年12月27日

歩々是道場 「螺旋の構造 その6」

  「ハイハイの構造(2)」     by のら (一般・武藝クラス所属)



猛くん、再び登場!!

猛王烈:いやぁ、のらさん、お久しぶりッス!!

の ら:あーら、猛くん、珍しいじゃないの!・・・えーと、確か「螺旋の構造・その3」以来ね?、その後、稽古はどう?、もちろんグングン上達してるんでしょうね?!

猛王烈:またぁ、しょっぱなからキツイことを・・実は、今日は分からないことがあって、年を越さないうちにと思って、いろいろ教えてもらいに来たんスよ。

の ら:私だって全然分からないコトばかりよ。

猛王烈:ご謙遜、ゴケンソン。のらさんの記事は、ミクシィの「站椿」に始まって、ウチのブログの「甲高と扁平足」、いま連載中の「螺旋の構造」と、外部の人たちがわざわざコピーしてまで何度も読み返すほどのものだって聞いてますよ。

の ら:そう言われると嬉しいけど、同時に恥ずかしいわね。師父から教わった内容で書きたいコトは山ほどあるけど全然まとまらないし、近ごろはプライベートの仕事がギッシリ入ってロクに執筆の時間も取れないのよ。このシリーズも思うように進まなくて、楽しみにして下さっている読者にとても申し訳ないと思っているの。

猛王烈:あ、そういうご事情だったんスか、そりゃ大変ッスねぇ。

の ら:まあ、珈琲でも淹れるわよ。宏隆くんほどは美味しく出来ないけどね、はは・・

猛王烈:ゴッチャンです。オレもコーヒーが好きで、よくスッタバックスへ行くんで女房に怒られるンスよ。あそこは意外と高いからそうたびたび行くんじゃないっ!・・って。

の ら:そりゃぁ主婦としてはね。確かにスッタバは豆の質の割にはちょっと高いかもよ。値段はアメリカの倍ぐらいするからね。ま、自分で良質の豆を探して家で美味しく淹れるのがホントの珈琲ツウってもんよ。猛くんもそうしたら?

猛王烈:そうか、オレもシドニーの春日さんに珈琲の淹れ方を教えてもらおうかな。

の ら:春日さんは日本でカフェを経営してたくらいだからね。でも、今日は珈琲の話をしに来たんじゃないンでしょ?

猛王烈:あ、いけね、肝心な話を忘れるところだった。今日は「フリーエネルギー」なんかについて、ちょっと聞こうと思って来たんスけどね。

の ら:フリーエネルギー?・・ああ、それって、石炭、石油、天然ガス、水力、原子力、太陽熱なんかの、地球上の既存の資源は一切用いないっていうエネルギーの話?

猛王烈:そうそう、さすがスねぇ。やっぱり知能指数が天才的に高いと言われるだけのコトはあるなぁ。

の ら:あはは、十(トオ)で神童、十五で才子、ハタチ過ぎればただのヒトってね・・・
そんなのアテにならないわよ。大体、知能指数が高い人はナントカと紙一重だって言われるし、IQが140以上の ”神童” たちを調査したら、大人になってから社会的な成功を収めた人はせいぜい全体の2割ほどに過ぎなかった、って報告もあるくらいだしね・・・

猛王烈:へぇー、そうなんスか。どうしてなんだろ?

の ら:たぶん、思考力が高い子供ほど創造性が高いので「ただ与えられた課題をこなす」という単純作業に疑問を抱いて、バカバカしくて学校の勉強に興味がなくなるのよ。そして受験のシステムや詰め込み教育、学歴社会への疑問などが、さらにその子を勉強嫌いにさせてしまうんでしょうね。
 神童と呼ばれるレベルの子供は、高校生くらいになれば軽く大人以上の思考レベルを持っているから、親が自分の思考レベルで「勉強しろ」と言うだけではいうことを聞かなくなるし、子供も自分の才能を開花させるチャンスを失ってしまうワケよ。

猛王烈:ははぁ、オレとはまったく縁のない世界ですけど。それってノラさん自身の経験談なんスか?

の ら:ううん、ただの一般論よ。で、そのフリーエネルギーがどうかしたの?

猛王烈:そう、それがですね、そのフリーエネルギーってヤツが、何と「螺旋のカタチ」をしていると聞いて、それでもう、たまらなくなってここに駆け込んだんです!!
 オレなんか、最近は螺旋の夢を見るくらいですからね。

の ら:おいおい、ウチは駆け込み寺か?・・・ま、フリーエネルギーには私もとても興味があるけどね。それは文字どおりフリー、つまりタダ(無料)で誰もが自由に使えて、何にも属さず、誰にも独占できずに、無限に存在しているエネルギーで、私たちの住む地球や、それを取り巻いている宇宙空間のそこかしこに満ち溢れているエネルギーのコトよね。
 そしてそれはまた、実際に発電することや動力として用いることが可能であることを、すでに世界中の多くの科学者が証明してきている─────────────────

猛王烈:そうそう、そうなんスよ。いやぁ、やっぱ、よく知ってるなぁ。でも、自分たちは誰もその事実を知らない。知らされていないというか・・・何故かというと、そのフリーエネルギーの研究に携わってきた科学者たちが皆、何者かの手によってことごとく被害に遭ったり、家や研究室を焼かれたり、家族が脅迫されたり、試作した器械や完成した発電機を政府に没収されて、その研究者自身も突然の事故に遭ったり、ひどいのになると惨殺されたりしているって。あのブッシュ政権から始まったらしいですけど。

の ら:ふむ・・まあ、いつの時代も、どこの世界でも、権力者のやるコトは同じよね。
 既存の資源で儲けている人は、政治家や資本家との繋がりが強くて、人々がそんな無料のエネルギーを使うようになったら ”上がったり” になってしまうから、当然妨害するわよね。
 一握りの国際的大資本家たちが人類を支配する ”世界統一政府” を造ろうとしている、それこそが人類最大の危機だ、という話も師父に伺ったこともあるけど・・・・
 まあ、今日のところはそれは措いといても、フリーエネルギーが螺旋の形状をしているというのは、私たち太極拳を学ぶ人間にとってはとても興味深いコトよね。

猛王烈:そうでしょ?、オレはね、そのフリーエネルギーが螺旋のカタチをしているというのと、よく言われるオウム貝や竜巻、トイレやお風呂の排水に起きる渦巻き、銀河の渦の形なんかにまで等しく存在するその「螺旋」こそが、実は宇宙に満ちている「エネルギーのカタチ」だと思えるんスよ。

の ら:へえー、たまにはキミも良いことを言うじゃないの。

猛王烈:タマにじゃなくて、いつもですけどね・・・それでね、ホントに言いたいのはココからなんですけど、もしかすると太極拳ってのは、そのフリーエネルギーの「螺旋の渦」の中で行われているんじゃないかと。師父みたいなスゲー太極拳のマスターはフリーエネルギーを自由に使えちゃうというか、少なくともそのエネルギーと綺麗にリンクして、あんな技を掛けているような気がするんスよ。

の ら:ふぅん・・・これは、ただ笑って済ませるワケにはいかないみたいね。

猛王烈:笑ぁって、ゆるしてぇっ ♫・・・ってか?

の ら:アホっ────────────!!


♪ UFOっ・・!!

猛王烈:オレね、ちょっと前に偶然にUFOを見たんスけど、あれもグルグルと螺旋に飛んでたんスよ。だからもしかするとUFOも、同じフリーエネルギーを動力に使ってるんじゃないかなと・・

の ら:師父も1976年以来、数多くのUFO目撃を経験されてきているのよ。それも単に目撃しただけじゃなくて、北海道の森の中では、かのハイネック博士の分類で言う、UFOが目撃者に何らかの影響を与える「第二種接近遭遇」を体験されているのよ。

猛王烈:へぇ〜っっ!!・・ハイネケン博士って?、あの、ウチの門人の?!

の ら:「ハイネック」博士よ!!、もぉ・・・

猛王烈:そ、それじゃ、もしかすると師父は、そんな未知との遭遇のXファイルのせいで、あんなとんでもない発勁が出来たり、手も触れずに人を激しくキリキリ舞いに吹っ飛ばすことが出来るようになったってコトなんスかね!?

の ら:あははは、そう想像したくなるのも無理はないけれど、以前師父にお聞きしたら、「そうだったら良いんだけどね」って大笑いをされたわ。やっぱり太極拳の勁力は、ひたすら「構造原理の理解と習得」に尽きる、ってコトなんでしょうね。
 私にとってはUFOがどこから来るのか、どこによく出現するのかなどというコトよりも、UFOが「どうやって」空を飛んでいるのかということに興味があるのよ。
 あの推進力は一体何なのか・・・見上げた夜空をジグザグに飛んだり、クルクルと円を描いて飛んだり、ビルの谷間に現れたと思いきや、あっという間に消えてなくなったりする事が度々報告されているけれど、それは紛れもなく私たちにとって未知のエネルギーが用いられているからに違いない、と思えるのよね。

猛王烈:のらさんも、UFOに遭遇したことがあるんですか?

の ら:いいえ、残念ながら、私はまだ実物のUFOにはお目にかかったことがないワ。
 私が見たのはSETI(セティ=地球外文明探査計画)が認めてるような、信頼できるたくさんのUFOの資料影像だけね。師父から伺った数々のUFOのお話が実にリアルで、その場に一緒に居合わせた人たちの目撃談とも合わせて、UFOへの興味が否応なく高まっていったの。 
 UFOの飛行運動パターンを研究している科学者は、あんな飛行が可能となるには複合的な螺旋のような循環が起こっている「エネルギーの流れ」が存在するはずだと言っているわね。そしてその原理はエジプトのピラミッドにも、イギリスの麦畑にたびたび出現して話題となるミステリー・サークルのデザインにも等しく表されている、というのよ。

猛王烈:へえー、やっぱりのらさんは詳しいですねぇ。今日は来てよかったッスよ。

の ら:私はね、その話を聞いたときにハッとしたのよ────────────
もしかするとUFOは、太極拳と同じ原理で飛んでいるのではなかろうか、ってね・・・

猛王烈:うわわっ!・・さりげなくスゴイこと言いますね、のらさん!!
 それって、あのUFOは太極拳の原理で飛んでいるって、太極拳の勁力って、やっぱり推手で手を合わせて見つめるだけで、♪ ゆっふぉーっ!!、ってコトになるんスでしょうか・・

の ら:いろいろ崩壊してるわよ、猛くん・・・・・

猛王烈:ほ、ホーカイ?(そうかい?)

の ら:またアホばかり言って・・・・ほらぁ、いつまでもピンクレディーのポーズしてるんじゃないっっ!!


「螺旋」への疑問

猛王烈:でもね、オレ、最近すごくギモンなんスよ。

の ら:何が疑問なの?、自分がなかなか達人になれないのがギモン、てか?

猛王烈:えへへ、そりゃギモンじゃなくて、グモンってモンでしょう。

の ら:アホなギャグはいいから、その疑問を言ってごらんなさいな。

猛王烈:螺旋というモノを、もしかするとオレたちは少々誤解しているのではなかろうか、と思うんスよ。よく纏絲勁を表すのに、足や腕にグルグルとロープが巻き付いているような絵を見かけるでしょ?、でも本当にあれが纏絲勁のカタチなのだろうかって、オレはヒソカにそのことを疑問に思っているんスよね・・・

の ら:けど、そんなことを言ったら陳鑫老師の「陳氏太極拳図説」の絵はどうなるんだ、ということになるわよ。猛くんは「図説」を否定するの?

猛王烈:そんなぁ、オレごときが、滅相もありませんよ!・・ただね、ついこの間もネットですごく不思議な映像をみつけたんスよ。

の ら:・・ん、どんな映像?

猛王烈:例のシルクのパジャマみたいな太極拳ウエアに身を包んだ老師らしき人が、庭の柱にロープの端を結んで、おもむろにそれを手首から腕まで、グルグルと巻き付けはじめたんスよ。ロープの長さ分を腕に巻き付け終えると、今度はそれを反対向きにグルグルと回しはじめて、再びロープを元の長さまで伸ばして行くんスよね。

の ら:それって確か、漫画の「拳児」に出てこなかったっけか・・?

猛王烈:そう、拳児が中華街の八極拳の先生に教えてもらうところでしたよね。オレとしては宿敵のトニー・タンや、モミアゲの長い空手のセンセイの方がよっぽどカッコいいと思えたんスけどね。
 で、その次には、もっと驚く映像が出てきたんスよ。何と洗濯物を干すようにロープを張って、そこに自分が洗濯物になったように腕を掛けて、左右両方でグルグルと纏絲勁の練功の動きでロープを腕に巻き付けているんです。コレって一体何をしているんだろうかと・・

の ら:ふむ。それをやっている人の、肝心のその時のカラダの状態はどうだった?

猛王烈:動いていないっスねぇ。ウチで教わるような「構造の変化」では全くなかったス。本当に構造が動いている老師は、ウチが出している資料映像の中にもホンのわずかしか見られないスよ。

の ら:なるほどねぇ・・でも、そういう練功が本当に太極拳にあるのだとしたら、それはとても興味深いコトよね。

猛王烈:興味深い?、のらさんは、あんな物干しロープのグルグル巻きが、本物の太極拳の練功だと思えるんスか?

の ら:正直なところ、その話を聞いている限りではそうは思えないわね。身体がきちんと使われているならともかく、単に腕や足にロープを巻き付けていくだけでは纏絲勁の訓練にはならないでしょうからね。だけど、他の門派が纏絲勁をどう捉えているか、纏絲や勁力をどのようなものだと考えているかが、それによってよく分かるじゃないの。

猛王烈:なるほど。でも、するってぇコトはつまり、のらさんには纏絲勁の何たるかがもうすでにキチンと見えている、ってコトなんスね?

の ら:いやいや、決して何もかも見えているってワケじゃないのよ。けれど、それが基本的には何も「気や丹田」の概念を借りずとも解ける、ひたすら「人体の構造」から生じる、極めてリアルものであると言うことと、それを理解したり修得したりするための明確な練功や学習体系が太極拳にはきちんと整備されている、というコトくらいは、太極武藝館の末席に置いてもらっているこの私にも、ようやく分かってきたのよ。

猛王烈:いつも思うんスけど、そういう「人体構造から解く太極拳」の学習体系を持っている門派会派って、フツーに日本にも、世界にもたくさんあるんスかねえ?、ウチにはいろんな門派から入門してくる人が居ますけど、その人たちはみんな口を揃えて、そんな学習体系は全然無かった、よそを探してもどこにも無かった、だから武藝館に来た、って言ってますけど。

の ら:まあ、かつて日本に太極拳が入ってきた経緯を考えれば、それもムベなるかなだけれど。「本物」は決して鳴り物入りでやって来たりはしないわ。ましてや太極拳の真伝が中共政府の政策を担いでやって来るワケがないでしょ。それはどんな分野でも同じコトよ。
 たとえば、茶道文化を外国に広めていこうとするときに、宗匠が現地に行って、人を集めてお茶を点てて、それを外国人が見て、見様見真似でひたすら同じことを繰り返しやっていくことが真の茶道や真の伝承だと思える?

猛王烈:いや、全然ちがいます。それはただの紹介イベントっすね。

の ら:そうでしょう?、太極拳でもそれと同じ事があるんじゃないかしら。
 それを見せに来た人が宗匠だろうと陳氏の伝人だろうと、伝承というのは「誰に、何を、どのように伝えるか」が問題であって、「誰が来たから」「何回来たから」「日本に大組織があるから」とかいうようなコトではないでしょ。日本に居住する中国人伝人の中には、ロクな指導も無いまま、会員を増やして支部ばかり造って広めたがる人も多いみたいだしね。
 そりゃ、何百人も集まって套路をやれば壮観でしょうけれど、果たしてその中の何人が太極拳の原理を分かっているのか、教わっているのかは、ちょっと疑問よね。

猛王烈:うーん、まったくその通りスね。オレの知ってる人で、彼はある有名な陳氏の伝人に就いて二十年も練拳しているんスけど、どうも筋肉の使い方ばかり教わって、纏絲勁は筋肉の力強いヒネリの運動で起こる、と教わってるって言ってました。ウチみたいに、構造を細かく教わったり、『四両発千斤』をひたすら追求するようなことは、ぜんぜん無いみたいです。弟子の人でも、触れただけでフッ飛ぶようなことは無いと言ってました。
 ・・というか、人が吹っ飛ぶのは太極拳ではないと言う人まで居ますからね。調べてみたら、その人が教わっている老師は人を飛ばせない、っていうオチが付いている・・・

の ら:あはは・・ウチの師父みたいな人は現代では珍しいかもね。門人を際限なく増やしたら、まともな中身が教えられないでしょ?、って仰るからね。

猛王烈:それでもウチの道場には五十人も来ているんですよ。それも北海道から島根や四国まで、遠いところからはるばると稽古に通ってくる。アメリカから訪ねてきて入門した人も居ましたよね。それほど愛好者の情熱を掻き立てるものが、この太極武藝館にはあるんですよね。

の ら:そうね、私もずっと学習意欲を掻き立てられ続けているもの。こんなに太極拳が素晴らしいものだって、纏絲勁がすごいものだって、この道場にご縁がなかったら絶対に分からなかったと思うわ。何より、私でも纏絲勁がだんだん分かってくる、身に付いてくるのがスゴイと思うのよ。ウチはごく普通の主婦が研究会の大きな人を、触れただけで飛ばしたりするでしょう?、他門派から来た人は、その光景が信じられない、って言うわよね。

猛王烈:のらさん、その映像を、動画で出しましょうよ!、多くの人に見てほしいなぁ・・オレもこの目で見るまでは半信半疑だったけど、入門してからは毎回驚きの連続で、三ヶ月後に師父と手合わせしてもらったんですけどメチャクチャ怖くて・・ホント、ハンパじゃないっスよ。もう、死ぬかと思いました。近ごろの陳家溝の若手の散手なんかとは全く別モノですね。

の ら:それも、空手の応用だとかいうものではなくて、たぶんこれまで誰も見たことのないような戦い方だよね。あれは纏絲勁の原理なればこそなんでしょうね。そうそう、来年のカレンダーが出来たから、ちょっと先に見せてあげようか・・・ほら、この写真、見てごらんなさい!!

猛王烈:うわっっ、なんスか、この飛び方は?!、人がこんなカタチで飛ぶもんスか?・・

の ら:そう、まるで洗濯機のなかでグルグル回されているような飛び方をしてるでしょ。
これが師父の発勁の特徴よ。こっちの写真を見てごらんなさい、ほら・・・

猛王烈:あっ、腰相撲で、押している人たちが、あっちこっちに飛んでいる・・・・

の ら:もっとよく見てごらんよ。飛ばされる方向に、みんなが渦を巻くように飛んでいるでしょう?

猛王烈:ホントだ・・師父が返した方向に、みんなが渦状に飛ばされてる・・・

の ら:正しく纏絲勁が身に付いていないと、絶対にこんなふうにはならないでしょうね。体をグリグリと捻りながら相手を押している程度では、こうは飛ばないわ。カラダ自体が纏絲そのものにならないと、物理的にこんなコトは起こらないと思うのよ。


螺旋の構造

猛王烈:すげぇなぁ、オレも出来るようになりたいっス!、纏絲を理解するための一番の重要なポイントは何でしょうね?、やっぱりハイハイをひたすらやるしかないのかなぁ?
 ・・・あ、やっとサブタイトルの内容になってきましたね、ははは。

の ら:ハイハイは確かに重要なポイントよ。歩く練功である歩法との違いは、何と言っても手も使って歩く「手足歩行」という事にあるわね。歩行移動するために足だけではなく、手も使う。そうすることによってイヤでも体幹部が動く、ということがミソでしょう?

猛王烈:ははぁ、鳴歩道座和有度!・・ハイハイにはそういう意味があったんですね。

の ら:そんなコト、ずっと前から言ってるじゃないの。(漢文でしゃべるなよナ)

猛王烈:はは、そう言えば・・・(^▽^;)

の ら:前回の「螺旋の構造・その5」にも書いたけど、仮に進化論が正しいとして、かつて四足動物だった頃には出来なかった高度なことがすでにヒトには出来るのだから、人間サマが今さら四足動物だった遙かな昔を思い出さす必要はない。太極武藝館のハイハイの練習はヒトに進化する以前の、大昔のDNAを呼び起こす事が目的ではなく、二足歩行動物に進化した「人間の構造」に目覚め、それを理解するためだと思うのよ。

猛王烈:アハ、相変わらず立て板に水、ペラペラ出ますねぇ。するってぇと、近ごろ稽古でやっている「新・タイ爺歩き」は、もしかして「歩くハイハイ」ってコトになるんスか?

の ら:あーら、冴えてるじゃないの、そう、そのとおりよ!!
 「タイ爺歩き」には、螺旋の構造を掴むためのヒントがたくさん隠されていたでしょ?、そして次に「ハイハイの練習」。ハイハイは実際にやってみると各自の手足の運行パターンが違っていて、それが順体と拗体の違いだということがよく分かったわね。だから小学生やそれ以前の年齢の子供のほうがハイハイを正しくできた。格闘技をやってきたような人や、ムキムキ拙力運動をやめられない人ほど、ハイハイが拗体になったわよね。
 そして、今度の「新・タイ爺歩き」・・・これはもう「究極のハイハイ」と言っても良いでしょうね!!

猛王烈:この練習法はスゴイですね。でもオレ「新・タイ爺歩き」で上手く走れないんスよね。走るとすぐに拗体になってしまって。棍も床に着けなくなるし、リズムもバラバラになっちゃって・・・

の ら:構造が分かっていないと・・っていうか、構造が確立されていないと、すぐに拗体になるわよね。特に走ると、まったく誤魔化しが効かない。出来ているようなつもりになっていても、すぐにボロが出てしまうわね。

猛王烈:そうそう、運動神経で巧く合わせてやろうと思ってもすぐ拗体になるんスよね。ある意味分かりやすいというか、構造が身に付いていないことが丸分かりになりますね。
とても師父みたいにアレで駆け足で退歩(トイブゥ)なんか、絶対に出来ないス・・・

の ら:いつか必ず出来るようになるわよ。その時にはカラダが自然に「纏絲の構造」を体験しているというコトね。そうそう、猛くんはスキーが得意よね。スキーで上手にターンが出来る人なら、そこにたくさんのヒントがあるわよ。ゲレンデで研究してみたら?

猛王烈:スキーっスか?、よっしゃ、やってみます。オレはこう見えても「白銀の若大将」って呼ばれたくらいスからね。エヘン。

の ら:あはは、よく言うよ。「ゲレンデの猿の惑星」みたいな顔をして・・・
 スキーもね、ターンができれば良いんじゃなくて、高度な構造を使えないと駄目なのよ。下手がやるとターンが大きくなるでしょ。あれはチカラで蹴っているからよね。小さくターンが出来る人でも、蹴り方で工夫してたらそれも間違い。結構難しいワよ、この課題は。

猛王烈:ひえぇ、何だか大変そうだけど、幸い今年は雪もいっぱいあるし・・・
 よし、頑張るぞ、さっそくウチに帰ってカミさんに「オイラをスキーに連れてって」ってお願いしてみようっと・・!!
 のらさん、今日はありがとうございました。来年もまた、いろいろ勉強させてください。ヨロシクお願いします。

の ら:こちらこそ、来年も稽古を頑張ろうね。またいつでも遊びにいらっしゃい!

猛王烈:ありがとうございました、よいお年を!! 
 ♬ コイビトがサンタクロ〜ス・・つむじ風ぇ追い越しぃ〜て〜♪・・っと・・・


                                 (つづく)

disciples at 19:02コメント(18) この記事をクリップ!

2012年04月26日

歩々是道場 「螺旋の構造 その5」

「ハイハイの構造(1)」    by のら (一般・武藝クラス所属)


 ある名の知れた運動科学の研究家が、赤ちゃんのハイハイを動物の四足歩行と関連づけて書いている本を偶々(たまたま)書店で見つけた。やはり武術の原理を研究している人は同じようなことに興味を持つものなのかと思いつつ、その本を購入して帰った。

 実のところ、私はその研究家が言うところの「システム」にはあまり興味が無い。身体意識や運動科学とは言っても、詰まるところはその本人だけが見え、本人だけにしか理解し得ないシステムとして提示されているからであり、たとえそれがどれほどユニークで面白い発想によって書かれた内容であろうとも、そのような性質のものが果たして「科学」と呼べるのかどうか、私には少々疑問に思えるからである。

 因みに、何かが「システム」であるためには、二つ以上の構成要素と、その構成要素同士が相互に働きかけ合う「インタラクション(相互作用)」が必要となる。構成要素がふたつならインタラクションはひとつであるが、構成要素が4つになると6個、5つになると10個となり、構成要素が100個に増えるとインタラクションの数は実に4,950個にもなる。
 科学を「システム」と呼ぶには、単なる構成要素の説明や理論だけではなく、そこに存在する全てのインタラクションについても明示され、説明が為されなくてはならない。しかもそれらは学問的な研究の成果として、論理として筋道の通った明確な理論で説明できる知識体系によって構成されたものでなくてはならず、さらには多くの人がそれを納得できたり、誰もがそれを学べる内容でなければ「学問」としては成立し難いのである。

 よく引き合いに出されるムカデは、おそらく自分がどのようにして百本の足を動かすのかを知らないだろうが、ムカデの命令系統には、どうすれば隣合った足を絡ませないように歩けるのかというインタラクションが明確に存在している筈である。そうでなくてはムカデは自分の足に絡まり、躓いてまともに歩けない。
 科学とは、ムカデが躓かずに歩けるのは多分こうだろう、ああだろうと想像して独自の仮説や推論を立てるばかりではなく、実験や観察による検証を通じ、実際的な理論に基づく研究が体系的に行われ、科学的な根拠を以て「事実」が証明されることによって初めてそれが定説となり、学問と呼べるようになるのである。個人的な想像や仮説、推論の段階で実践が行われているものは少なくとも「システム」とは呼べず、正しくは「実験や試行の段階」と呼ぶべきものだと私は思っている。

 前回にも述べたが、太極武藝館の円山洋玄師父は、高度な武術としての太極拳の練拳修行に励まれるだけではなく、それを純粋な学問として捉えられ、四十年の長きにわたって研究を続けて来られた。
 その研究の成果は、纏絲勁の構造研究ひとつを取ってみても、内外に類を見ない緻密な内容で構成されており、纏絲勁が「氣」や「丹田」などという概念を全く抜きにしてこれほどまでに解明されたことはかつて無いと、それを教授される誰もが等しく確信できるものである。
 それは決して師父の個人的な想像や仮説によるものではなく、「人間の構造」としてこうすればこうなる、という極めて明快で截然たるものであり、それ故に、本気で追求する気さえあれば誰もがそれを習得できる可能性が非常に高いものだと思える。
 毎回のように稽古で師父が私たちに指導されることは、太極拳は神秘や独善に陥ることなく、高度な武術を追求する人の誰もが納得の行く「科学」として、「学問」として追求されなくてはならない、ということである。開門から18年間、その一貫して変わらぬ姿勢は館名の上に冠された「太極拳學研究會」という名称にもよく表されている。

 師父が解明され、今なお更なる研究が続けられている太極拳は、その運動構造の構成要素やインタラクションが何もかも明確に説明され得る、まさに「システム」と呼ぶに相応しいものだ。
 そしてそれは、「運転免許証が持てる人なら誰にでも出来ること」であると師父が言われるとおり、私たちの誰もが納得のできる極めて明快なものであり、喩えそれが正式弟子への教授レベルではなくとも、一般クラスや外門研修会など一般門人のクラスに於いても、太極拳は十二分に納得できる「高度な武術」という学問として、一点の曇りも無く指導されている。
 太極武藝館では、太極拳はその「システム」さえ理解すれば、誰にでも修得できるものとして指導されている。誰もがヒトとして同じ身体構造を持っているのだから、誰もが同じように出来て当たり前、それでこそ科学であり、学問であり、それでこそシステムと呼べるものだ、と師父は言われるのである。


 さて、インタラダクション・・・いや、イントロダクションが長くなった。
 この辺りで、本題の「ハイハイ」の話にハイることにしたい。

 私が赤ん坊のハイハイに注目したのは、ハイハイの中にヒトが二本足で立ち上がるための重要な要素が隠されている、と思えたからである。
 「這い這い」の稽古をしているビデオを見せられた時に、そのことにハタと気が付いた。
 そうだ、「這い這いからの立ち上がり」が問題なのではない、「這い這いそれ自体」こそが、理解すべき最も重要なコトなのだ、と─────────────────
 これを解くことは「站椿」の秘密を解くことに直結する、と私は直感したのである。
 
 稽古の「這い這い」を撮ったビデオを見ていると、すぐに面白いことに気がつく。
 それは、各個人によって手足の動くパターンが異なっている、ということである。

 ある人は佐川急便の飛脚のように、手足の左右の同じ側がほとんど同時に出されて歩いて行く。またある人は、二本足で腕を振って歩く行進のように、右手と左足、左手と右足がほぼ同時に出され、それを交互に繰り返しながら歩いて行く。そしてまたある人は、ちょっと見るだけでは手足を動かす順序が分かりにくいのだが、しかし自然に、一定のパターンで、まるで動物のように、ヒタヒタ、クネクネと歩いて行くのである。

 つまり、同じ人間であるのに、四つ這い歩行をすると手足の動くパターンが異なるのだ。そのことは私にとって非常に驚きであった。それは一体どういうことなのか・・・
 四足(しそく)動物は群れで歩く時にも、みな同じパターンで歩いているのに、人間サマがハイハイをするときには、それぞれパターンが違っているのである。

 しかし、よく考えれば、ヒトのハイハイと四足動物の歩行は同じではない。
 ヒトがいくら頑張ってハイハイをしても、四足動物のようには歩けないのだ。
 そんなコトはよく考えなくても当たり前のコトじゃないか、と思われるだろうが、それがなぜ当たり前なのかを考え、解き明かすのがカガクであり学問なのだから、よく考えていきたい。

 実は、それが当たり前ではないのは、ヒトと四足動物とは「生態」が異なっているからなのである。・・え、そんなの当たり前じゃないか、ですって?──────────(汗)


 ウマを例にとってみよう。
 四足動物が歩行するときには、速度変化に応じて幾つかのパターンがある。
 馬は歩行の速度調節を行うときに2通りの方法を取る。ひとつは「歩幅」を変化させることによって速度を調節するもので、小さな速度調節の場合はこれによって行われる。
 もうひとつは「歩行パターン」を変化させるものである。歩いたり走ったりする際に、足を動かす順序やタイミングを様々なパターンに変化させるのである。

 馬には、大きく分けると WALK(並足)、TROT(速歩)、CANTER(駆足)、GALLOP (襲歩)と呼ばれる四つの歩行パターンがあって、WALKからGALLP へと順に速さが増していく。これについては乗馬を知らない人でも聞いたことがあるかもしれない。これらの歩行パターンでは、足を動かす順序やタイミングが各々異なっている。
 馬は四つ足なので、このように速度に合わせた歩行パターンが存在するが、人間が歩行するときには、「歩く」か「走る」か、せいぜい「スキップする」くらいのもので、速度に合わせて歩行パターンが変化するわけではない。つまり、人間がいくら速く走っても、馬のような歩行パターンにはならないのである。もしもスタート地点に向かってスタスタと歩いていたカール・ルイス(ちょっと古いが)が、ヨーイ、ドンで競争馬のようにタカタッ、タカタッと走り始めたら、きっと観客は目を疑うに違いない。

 さて、ウマとヒトの歩行の違いは、二本足と四本足の違いだけではないはずである。
 それ以外に、何があるのだろうか。きっとそこには、ヒトのハイハイと四足動物の歩行との決定的なシステムの違いがあるにチガイない、と私は思った。

 その違いは、馬の「身体構造」にあった。
 私たちが馬の身体を見ると、人と同じように肩関節から前足が出て、股関節から後ろ足が出ているように思えるが、それは全くの間違いで、馬の体と人間の体を相照らして比較すれば、腕の肘の部分までと、足の膝の部分までが胴体の中に隠れていることになる。
 つまり、私たちがウマの肩のように思えるのは肘であり、股関節に思えるところは膝で、膝だと思えるところは手首なのである。

 また、肉食動物の多くは指向型と呼ばれる「つま先立ち」の状態で立っているが、馬のような草食動物の多くは蹄行型と呼ばれる「指先立ち」の状態で立っている。
 それ故のコトかどうか分からないが、四足動物の中では、ウマの走りは格段に速い。

 動物がトップスピードで100メートルを走った場合のタイムを調べてみると、

  チーター 3.2秒
  ガゼル(ウシ科) 4.0秒
  ウマ(サラブレッド・人が乗った状態で) 5.0秒
  いぬ(グレイハウンド) 5.1秒
  トラ(ネコ科) 5.2秒
  カンガルー 5.5秒
  うさぎ 5.6秒
  ライオン 6.2秒
  くま 6.4秒
  オオカミ(イヌ科) 6.5秒
  きりん 7.1秒
  バッファロー 7.2秒
  ねこ 7.5秒
  サイ 7.8秒
  カバ 8.0秒
  いのしし 8.0秒
  ワニ 9.0秒
  らくだ 9.0秒
  ゾウ 9.2秒
  ヒト 9.2秒(200m走後半のタイム)

 ついでに自動車の 0〜100m加速走行(0〜100km/hではない)を知っているだけ比較してみると、

  テスラ・2.0 ロードスター(電気自動車) 3.7秒
  ポルシェ・911-GT3 4.1秒
  メルセデスベンツ・Gクラス及びMクラス(四駆) 5.0秒
  スバル・インプレッサ WRX 5.4秒
  日産スカイライン R34GT-R 5.5秒
  ホンダ NSX・タイプR 5.6秒
  日産フェアレディZ 6.1秒
  マツダ・ロードスター 2.0RS 6.5秒
  アルファロメオ・ブレラ1.75-Ti 6.8秒
  ランドクルーザー・プラド(四駆) 9.66秒 
  
 などとなっていて、如何に四足動物たちが高級スポーツカーに引けを取らず俊足であるかがよく分かる。ウサギがライオンより速かったり、人間がゾウさんと同じタイムなのも面白い。テスラというのは、少し前にあのレオさまがプリウスから乗り換えたという、ポルシェよりも速いと言われる、ジェット推進十万馬力ならぬ、電気推進十万ポンド(1,300万円)のクルマである。

 サラブレッドは流石に速いけれど、Thorough(完璧に)+Bred(育てられた)という語源をもつ、血統や成育環境なども完璧な競走馬である。18世紀初頭から競走用に品種改良の為の交配と淘汰を繰り返され続けているウマなので、速いのは当たり前なのかも知れない。
 まあ、人間サマでも、名門に生まれた人をサラブレッドなどと喩えることがあるほどで、ウマといえども高級スポーツカーのように一目置くべき存在なのでアル。


 少々寄り道をしたが、本題に戻ろう。
 馬の場合は、第一指と第五指が消失していて、第二指と第四指が退化し、その代わりに著しく発達した第三指によって体全体を支えている。したがって人間の脚(ジャオ=足首から下)に当たるところは指先になるのである。
 さらには、ヒトの肩甲骨は鎖骨によって固定されているが、馬には鎖骨がなく、肩甲骨と脊椎は靱帯で繋がれているだけである。そのために馬の肩甲骨はヒトよりも遥かに動き易く歩行中も足の動きに連動して大きく活発に動いている。
 さらには、馬の足の骨格は前から見ると真っ直ぐになっているが、ヒトの骨格を前から見ると股関節から膝関節に向かって内側に入り、膝関節から下だけが真っ直ぐになっている。

 人間が馬のような恰好でハイハイの姿勢=四つん這いになると、前足に相当する腕は手のひらで接地し、後ろ足は膝関節で接地することになる。
 これだけを見ても、ヒトの四つん這いとウマの四足歩行とでは、かなり構造が違っていることが分かる。試しにハイハイの恰好で手を指先立ち、足をつま先立ちになって歩いてみればよく分かる。見た目が同じような恰好だからといって、それを似たようなものだと思うのは大変危険である。ヒトと四足動物はそもそも身体構造が違っている。短絡的な発想は学問の落とし穴である。


 さて、太極武藝館の稽古では、ハイハイが「順体」で行われるように指導されている。
 ・・と言っても、実際にはこれは大変なことなのである。二本足で立って歩いていても分かりにくいというのに、四つん這いのハイハイで順体を取れと言われても、一体順体、いや一体全体何をどうすれば良いのか、初めはまったく分からないし、ハイハイをしてみても皆各々に歩くパターンが違うのだから。
 しかし、『赤ん坊のハイハイは、そもそも順体なのである』と、師父はサラリと仰る。
 いやはや、ハイハイをしている赤ん坊はみんな順体の構造で歩いているというのだからスゴイ話ではないか。私たちが求めてやまない「順体の構造」が、赤ちゃんのハイハイには有るというのである。私たちは、曾て赤ん坊の頃に体験したその四つ這い歩行のメカニズムをすっかり忘れてしまったのだろうか。
 ついでながら、私たちの稽古では「這い這い」を「ヒトの四足歩行」とは言わない。それは「手足歩行」と呼ばれて、四足動物の歩行とは明確に区別されている。

 この稿の始めに挙げた運動科学研究家が書いた本には、ヒトが進化してきた過程においては、魚類が陸に上がり、爬虫類から哺乳類へと変化し、哺乳類の四足動物からサルの仲間が分岐し、そこからまた幾つかの分岐があってホモサピエンスが誕生した。つまり進化という歴史を遡っていくと必ず私たち全員が四足動物に到達する・・・と書かれている。そしてそれは四足時代、あるいはそれより前に蓄積されたDNAの極めて多くが現代の私たちに伝えられ保存されていることである、などとも書かれていた。

 しかし私は、「進化」というものは【より優れたものになること】であると捉えている。
 つまり、人間サマが今さらわざわざ四足動物だった遙かなオオムカシを思い出さなくても何の問題も無い、そんなことをしなくても何ら不足はないではないかと、端的に思えるのである。ましてや、タモリじゃあるまいし、武術を学ぶ人が四つん這いになって爬虫類の真似をする必要なんぞ何処にもありはしないと思う。

 四足動物だった頃には出来なかった高度なことが、現在のヒトには出来るのである。
 それは、手足の末端が繊細な感覚に発達したために脳が発達した、などというコトだけではないと思うし、そのために身体の中心部が使われなくなったなどとも思えない。
 四足動物には絶対に「纏絲勁」なんぞ出来るワケがないし、進化に於いて最も近いところの「サルにでも出来る」ようなことでもない。纏絲勁は人間だから、ヒトの構造だからこそ出来ることなのであり、逆に言えば、人間であれば誰でも出来るはずのものに違いないのである。
 ヒトに進化する前の四足動物だった頃のDNAを引っ張り出して、遠く遙かな記憶を呼び起こしながら、四つん這いになって武術的に高度な身体を養成する必要はまったく無い、と私には思える。


 そんなコトよりも、もっと他にやるべきこと、理解すべきことがあるのだ。

 私たちには、ヒトとして進化したところの高度な運動機能が備えられている。
 もし進化論が正しければ、それは「進化」してきた故のことであり、それは四足動物やその先に生じたサルの仲間たちよりも遙かに優れたものであることは疑いようもない。

 その「ヒトとして進化したカラダとは何か」を解明することこそ科学であり、武術の研究や進歩発展に必要な学問であると、私は思う。
 太極武藝館の稽古で行われる「這い這い=手足歩行」は、四足動物だった頃のDNAの記憶を辿るためではなく、人間本来に備えられた、動物として最も進化したところの身体構造機能を探るために行われている。



                                  (つづく)

disciples at 22:35コメント(18) この記事をクリップ!

2011年11月11日

歩々是道場 「螺旋の構造 その4」

「太極拳を科学する 〜武藝館の稽古〜」    by のら (一般・武藝クラス所属)


 あらためて言うまでもないが、「科学」というのは、ある一定の目的や方法のもとで種々の事象を研究していく認識活動のことである。
 科学は英語で science(サイエンス)と呼ばれるが、その語源はラテン語で「知識」を意味する scientia(シェンチァ)であり、さらに scientia は scire(シレ=知る)の変化形で、もとは scindere(シンデレ=分割する)という言葉がその語源となっている。
 つまり科学とは「知識」という意味に他ならず、知識は元々は「分割する・分ける」という意味であったわけである。
 日本語でも同様に、知識(認識することや理解すること)を「分かる」と表現するが、物事の道理、筋道を表す「理=ことわり」という語も「コト・割り」、つまり物事を分割していって道理を明らかにする、という意味から来ているものであった。

 つまり科学とは、早い話が ”モノゴトの成り立ち” がどうなっているかを研究していく学問であると言えるが、このように語源から探ってみれば、ゴチャゴチャに絡まって何が何だか分からなくなっている物事を丁寧に解(ほぐ)して細かく分別分類をしていき、なるほど、この物事はコレとコレとコレで出来ているのだ、という新たな認識を得ながら、その物事の成り立ちを深く理解していくコトだということが分かる。


 さて、太極拳は「太極拳学」という学問でもあるのだから、その成り立ちを解明して行くには、それを科学として丁寧に解きほどいて行かなくてはならない。
 しかし、残念なことに太極拳を科学として解明していった人は希なようである。
 太極拳にあっては、ことさら神秘であると考えられたり、胡散臭いと思われたりすることが多々有ったようで、陰陽五行論に始まって、纏絲、発勁、果てはあんな動きでどうやって戦うのか、否、戦えるワケがない、などということが常に問題になってきたらしい。
 人によっては陰陽五行論が単なる太極拳の「理論武装」だとしたり、他門の武術を専らとする人がそれを「呪術的な幻想」と決めつけたりするのだから、とても不思議である。

 太極武藝館の円山洋玄師父は、先師からの高度な伝承を元に更なる研究を深め、実に四十年の歳月をかけて、その陰陽五行論が太極拳にどのように関わっているのかを根気よく解明されてきた。
 そして、太極拳の真骨頂である「纏絲勁」がどのようなシステムで、それに伴う発勁の仕組みがどのようなものであるかを、心意六合拳や陳清萍の四つの架式なども含めて検証し尽くし、遂にその詳細を科学的な理論を以て解明された。
 恐らく現在までに、纏絲勁や発勁について、これほどまでに科学的に、詳細に拳学理論を解明した人は殆ど存在しないに違いない。

 また、その研究の成果は、半信半疑で入門してきた他武門の高段者や現役の指導員クラスの人たちが手も足も出ないような武術功夫として実証されている。
 対練を示せば弟子が投げた羽織のようにフワリと宙を舞い、果てはピッチングマシーンから発するボールの如く床と ”水平に” 吹っ飛び、7〜8メートル先の壁や窓の落下防止のバーに大音響でぶつかり、触れた状態で崩されれば合気道の高段者でさえロクに受身を取れない状態で投げられ、転がされてしまう。その尋常ではない光景は、見ている者がヒヤリとさせられる事もしばしばである。

 かく言う私も、師父と対練をして頂くときは、毎回、螺旋状に身体が上方に飛ばされるのが常であり、まるで竜巻にでも巻き込まれたようにビュンと放り上げられてしまう。トランポリンを使ってそれを再現しようとしても難しいようなことが、師父の手が触れただけで、それも生卵が潰れないほどの力によって起こるのである。
 二、三度ほどそれを続けて喰らうと頭がフラフラして目が回り始め、だんだん歩行することさえ儘ならぬような状態になってくる。実際、それほど動いたわけでもないのに息が切れるし、私に限らず、師父と対練をした人はそれを終えた後もしばらくの間は他の人と対練が出来ず、窓を開けて深呼吸をしたり、身体の状態が元に戻るのを待つような光景がよく見られる。

 それが武藝館の上級者で成る研究会のメンバーによる自由散手であっても、対三人、対五人など複数が相手であっても、師父だけが防具を着けない状況で取り囲み、ムキになって本気で殴りかかっていっても、毎回、全くどうにもならない。それが入門初日の人でも、見学に来た人でも、昨日まで何処そこの師範をしていた人でも、現役の指導員でもそうなるのだから、馴れ合いや遠慮によるものではないことは明白である。
 ビデオ映像などで見かけるような、師を数人で取り囲んで順番に掛かっていったり、一人が攻撃している際には他の弟子は静観している、などと言うことは全く無い。ウチの弟子は誰かが攻撃しているスキに、後ろからでも平然と師父を打ちに行くのだ。

 ところで、師父はフルコン空手のスタイルは無論のこと、娯楽映画や散打大会に見られるような太極拳の戦い方を全くされない。それは、私たちの誰もが見たこともない、実に新鮮な「太極拳の戦い方」なのである。
 実際に師父と手を交えた人たちは、その戦い方に本能的に怖れを感じ、まるで大きな渦に巻き込まれたように、手も触れぬうちに自己の戦闘能力を奪われてしまう。見ている私たちは、嗚呼これこそが「太極拳の戦い方」であったのだと、目を丸くせざるを得ない。

 なお、これらは決して話を面白くするためにオーバーに書いているのではない。
 太極武藝館の道場では、対人訓練の際に、師父と門人の馴れ合いが全く有り得ないことは本部道場に在籍する五十名の門人の誰もがよく知っていることである。
 無論、師父との散手は、研究会クラスの「稽古」として行われるのであって、誰もそれを「勝負」だとは思ってはいないが、かといって手加減して攻撃していったり、師父が上手く吹っ飛ばせるように協力しようなどと思う人も皆無である。
 師父は常に「思い切り攻撃してきなさい」と言われ、「そんな突きでは蠅も落とせない」「私を本気で殴っても、蹴っても、投げても、後ろから襲っても良いから来なさい」と言われる。だから門人の手加減などは有り得ないし、下手に手加減をすれば自分が危険な状態になることを誰もが知っている。稽古を大切にし、門人を大切にする心で、常に手加減をして下さっているのは師父の方なのである。

 研究会の散手は一般クラスの時間にも見せて頂けるので、門人は皆それを日常として目撃し、或いは体験し、また誰もがそこに武術としての太極拳の高度さや素晴らしさを実感し、その真正な原理構造を修得するために目を皿のようにして師父の動きを観察し、稽古が深更に及ぶことも厭わず稽古に励んでいる。
 大体、もしそれがヤラセであれば、だれが何時間も掛けて、北海道、福島、群馬、長野、愛媛、広島、島根などの遠方から、たとえ月に一回、年に数回でも良いからと言って、わざわざこの東海の片田舎まで通って来たいと思うだろうか。彼らは毎回交通費や宿泊費に月謝の数倍もの費用を掛けながら通い続けているのである。


 しかし、「纏絲勁」とはよくぞ名付けたものであると、つくづく思う。
 ビデオ撮影をして映像をよく検証してみれば、師父と対練をする者はみな、螺旋のカタチを描きながら崩され、飛ばされ、投げられてゆくことが分かる。螺旋に飛ぶのは何も私に限ったことではなかった。
 或る門人は、それを、まるで螺旋階段に立たされての戦いを余儀なくされているようであると言い、また或る門人は、回転する大きなバネの上に立たされ、そこから師父に向かって拳を打ち、蹴りを放ち、掴み掛かって行っているように感じられる、と言っている。


 さて、ここで再び、赤ちゃんの話に戻ることにしたい。
 実際に赤ちゃんと関わる機会の多い人であれば、よく観れば赤ちゃんが立ち上がる際には決して「パラレルの構造」で立ち上がっていないことに気付くはずである。
 前回ユーカリさんから頂いたコメントにも、

  一歳一ヶ月の、歩き始めたばかりの赤ちゃんに会いました。
  見事に一動作で滞りなく、少し斜め上から引っ張られるように立ち上がり、
  手のひらに立てた棒のように、見事に螺旋の構造で歩いていました。
  螺旋の構造だからこそ、捻りも、回りも、落ちもせず、動けるのですね。

 ・・と、あった。

 また、「龍の道 #75」には竹馬の話が出てきたが、竹馬の上に立っている時は非常に不安定で、初めて立ち上がろうとしている赤ちゃんの状態に近いかもしれないとも思える。 
 竹馬に乗ったまま静止し、しゃがんだり立ち上がったりしてみると、そのことが分かるかも知れない。だが竹馬の上でピタリと、5秒以上綺麗に静止できるオトナは、おそらくあまり居ないに違いない。

 ヒトは生まれてから二足歩行が可能になるまでには18ヶ月から24ヶ月ほどの時間を必要とするが、実は私は長い間、ずっとそのことを疑問に思っていた。
 他の哺乳類と比較すれば、それは恐ろしく気の長い話なのである。哺乳動物は五千種類も居るそうだが、人間以外は生まれてすぐにその場で立ち上がるものが殆どなのである。
 そして、それは自然界の厳しい環境に一刻も早く順応するためにそうなっているのだと思い込んできたので、ヒトが歩くまでに長い時間をかけることには、動物としての人間の脆弱さや文明の発達による野生の喪失を感じていた。
 進化論が正しいかどうかは分からないが、ゴリラの赤ちゃんは生まれ落ちてからそう時間を掛けずにヨチヨチと歩き始めるのに、どうしてヒトはそうではないのか、果たして隣の国の北京原人も、隣の町の三ヶ日原人も、立ち上がって歩くまで、現代人の赤ちゃんと同じ長い時間を掛けていたのだろうか、という素朴な疑問が私を捉えて離さなかったのである。

 しかしそれは、ひたすら私の認識不足であった。
 人間の赤ん坊は、一年半もの時間を「寝返り」や「腹這い」、「這い這い」という四つ足(四つ這い)歩行に使い、そこで学んだコトを使うがゆえに、立派に二本足で立ち上がれるようになるのだと、あるとき師父から教えられたのである。
 それに、もしかすると脳の問題もあるかも知れない、とも師父は仰った。
 確かに、もしヒトが生後すぐに立ち上がって歩けるほどの脳を持っていたら、母胎の中で脳を大きく成長させる必要があるので、ヒトの狭い産道を通過できないかも知れない。

 そう言えば、赤ちゃんが産道を通過するときには、螺旋状に回転しながら出てくる、と何処かで聞いたことがあった。
 そして、そう思った時に、ある考えにハタと行き当たった。
 そうだ、本当は「這い這いからの立ち上がり」が問題なのではない────────と!!

 なぜ、今の今まで、こんなことに気が付かなかったのか。
 私は「立つこと」や「歩くこと」に夢中になるあまりに、最も重要なことを完全に見落としていた。太極拳を武術として科学するべきは、「正座からの立ち上がり方」でもなければ「這い這いの ”恰好” からの立ち上がり方」でもなかった。

 ここで最も重要なことは、ヒトが立ち上がるまでのプロセス──────────────
 つまり、「這い這い」それ自体であったのである。



                                  (つづく)

disciples at 18:30コメント(19) この記事をクリップ!
Categories
livedoor Readerに登録
RSS
livedoor Blog(ブログ)