歩々是道場

2015年04月25日

歩々是道場 「螺旋の構造 その12」

   「纏絲の構造 その5」
                   by のら
(一般・武藝クラス所属)



うなぎ美味し、かば焼き

猛王烈:のらさぁ〜ん!、今年はブログ初登場ですよね。なかなか「螺旋の構造」がアップされないので、 ♪ 待〜てど暮らせどの、やるせない ”宵待草状態” でしたよ。

の ら:夢二ね。今宵は月も出ぬそうな・・皆既月食も曇って見られなかったわね。
 遅くなっちゃってごめんなさい。今年もバシバシ飛ばして行きましょう〜!!

猛王烈:あはは、やっぱしスゲ〜館は「ふっ飛ばし専門」ってコトすかネ。
 Anyway、昨年11月の「創立二十周年記念行事」は、すごく良かったっスね〜、厳粛ながらも、とても感動的な式典と祝賀会でした。

の ら:そうね、立派な式典ができて、祝賀会には当館にご縁のある方々にもご来賓としてお越し頂けたし、同じ11月には記念の稽古動画も出すことができたワね。

猛王烈:その動画ですけど、あんな師父のナマの動きを公開しても良いんスかねぇ?

の ら:師父は「ぜんぜん構わないよ」って仰ってたんだけれど、スタッフ逹は、公開したらマズイような動きは一応全部カットしました、って言ってたわ。

猛王烈:あれだけでも、充分マズイと思いますけどねぇ・・

の ら:でも、師父はある人から『見せたらマズい映像などと言うのは、随分〇〇の△▽が小さい(狭量であるという意味の卑俗語)。かの塩田剛三先生などは、いくらでも見たら良い、盗んだらいい、真似できるものならやったらいい、と仰っていた』・・みたいなコトを言われたらしいのだけれど。

猛王烈:え〜っ!、師父に対して、そんな失礼なことを言う人が・・?!

の ら:でも師父は『自分は天下の達人である塩田先生のような実力も器量も持ち合わせがないので、今後も大いに隠しますよ』・・と、笑って答えられたそうよ。

猛王烈:師父は、ご自分のことを「ウナギや茶畑に囲まれた東海の片田舎で細々と太極拳を教えている武術家」だと仰っていますからね。
 このあいだも「♬ う〜な〜ぎ〜美味し、か〜ばぁ〜や〜き〜」と、朗々と唄っておられましたし。(ウサギ追〜いし、っスよね、アレは・・はは)

の ら:たとえ余す所なく映像を公開したところで、その「中身」が本当に判る人は滅多に居ないかも知れないわね。
 実際に私たちが稽古で、この目で、目の前で見ていても全く分からないのだし、正式弟子や研究會の人たちが直接それを体験し、他の人が勁を喰らうのを間近で目にして、原理がこうだと説明されてさえ、中々それを理解できないのだから。

猛王烈:それじゃ、そのような事を言われても「大いに隠しますよ」と仰る、師父のココロというのは?

の ら:そもそも、師父は玄門の伝承を外部に秘匿するよう厳しく命じられていて、秘伝に関わるような撮影は禁じられているのよ。正式弟子用にご自分の套路を撮影する事さえも許されていない。それを守って居られるだけのことで、塩田先生のお言葉と比較すること自体意味がないんだけれどね。

猛王烈:なるほど・・お立場が違うってことですよね。

の ら:それに、映像に何が秘匿されているのかを理解できるなら、師父と同じことが再現出来るってコトだと思うし・・


赤子も手をヒネる?

猛王烈:・・さて、前回のお話の続きですが、丹田やハラをグルグル回すことが「纏絲勁」であると言う、その根拠は、いったい何なんでしょうかね?

の ら:もしそこに「科学的な根拠」があるのなら、とても興味深いし、私たちの纏絲勁理論とも比較研究することが出来るので勉強になるのだけれど。
 でも、日本のみならず本場の中国でも、それを「学術的・物理的・科学的」に説いたり、実際に正しい「纏絲勁」や「四両撥千斤」を示して、それがどのように生じ、どのように用いられるが故に、太極拳がこのような優れた武術で有り得るのだと証明できる人が、果たしてどれほど存在するのかしら?・・私のように限りなく素人に近いレベルの者でも、それは素朴な疑問として残るわね。

猛王烈:でもまあ、ホントは多くの人が、疑問に思っているンでしょうね、きっと。

の ら:ヒネったりネジったりする動きで纏絲勁を説いたり、明らかにリキミと見えるものを勁力として紹介しているビデオなんかが出るたびに、他人事とは言え、少々気になってしまうわ。

猛王烈:そうですね。どう見たって「リキミ」としか思えないものを「勁力」と説かれてしまうと、太極拳の勁力がそうなのだと、学ぶ人たちが誤解してしまう事の方に、大きな問題を感じます。

の ら:まぁ、近ごろは太極拳の勁力にも様々な解釈があるみたいだから、ある意味仕方がないけどね。

猛王烈:人の筋肉構造はもともと螺旋状に出来ているから、普通に動かしているだけでも、自然と「纏絲勁」になる────なんていう説もあるようですが。

の ら:それはまた、いかにも纏絲勁らしいヒネリの効いた説ね(笑)
 でも、それじゃ赤ちゃんは、そんな風に手足をヒネって動いているかしら?、這い這いをしたり、初めて立って歩く時には、すでに纏絲勁の動きになっている、とでも・・?

猛王烈:うぅーむ、そう言えば・・・ウチも子供が二人いるけど、ヒネリは効いても、纏絲の効いた動きなんか見たことないっスよ。(アカチャンモ、ユメヲミルノカシラ ♫)

の ら:這い這いについても少し書いたけれど、それは「順体の構造」であって、纏絲勁は順体を理解した上で「纏絲の構造」の訓練をしなくては到底出てこないものだと思うのよ。
 だから武藝館では「ハイハイ」や「袈裟懸けスティック」など、様々な方法で「順体」を理解させようとしてるってワケね。

猛王烈:ううむ、まだオレなんかにゃ、イマイチそのヘンがよく分かりまヘンけど・・

の ら:それに、そもそも纏絲勁は「内勁」なのだから、「筋肉運動」とは直接関係が無いものである、と捉えるのが妥当よね。

猛王烈:ええっ!・・き、筋肉運動とはカンケイがないっ・・?!

の ら:今ごろ驚いてる・・前回予告したでしょう?(キミはケイコートーかね?)


メニハメヲ、チカラニハ、チカラヲ・・

猛王烈:だって、だって・・ヒトが動くためには、どうしたって筋肉が必要でしょ?
まして相手を動かすんだったら、いくら宇宙に満ちた神秘の気で人を吹っ飛ばすにしても、最低限の筋肉運動がないと、纏絲勁もナニも無いんじゃないンスか?

の ら:ウチは神秘の気は使わないけれど、まずは、何を「筋肉運動」とするかが大きな問題よね。纏絲勁はいわゆる「内勁」であると明言されている事を思い出してほしいわ。

 『もし纏絲が ”内勁” のない、外形だけの螺旋の運動によるものなら、
  強力な敵のチカラを "化"しようとしてもできず、"発" することもできない』

 ──────拳経には、そう書かれているでしょ。

猛王烈:でも、強力な敵のチカラを「化」するには、やっぱりこっちも強力なチカラで対抗するしか無いんじゃないですか?、実際のトコロ・・・

の ら:いいえ、そう考えたくなる人も多いけれど、それは大きな大間違い。勁を表す言葉は色々とあるけれど、太極拳の勁力の眼目は、やはり何と言っても「四両撥千斤」に尽きるのよ。

猛王烈:四両撥千斤、シリョウ・センキンヲハジク、かぁ・・・現代風に重量換算すると、わずか200グラムの力で800キログラムを弾き飛ばす、ってコトっスよね。

の ら:勿論それは表現の仕方なのでしょうけど、要はリキミのない非常に小さなチカラで相手と関わり、相手がどのような力を用いてもそれを制御し、無力化し、無効化し、崩し、吹っ飛ばし、叩きのめせるという、「勁力の性質」を表しているのだと思うわ。

猛王烈:でも、「四両撥千斤」が肝心カナメだとしても、その辺りの研究が現今の太極拳ではあまり行われていないような気もするんスが。

の ら:そう、四両撥千斤は昔日のモットーみたいなものになってしまって、現代の発勁はむしろ「強いチカラ」とか「重いチカラ」であると、そう信じ込んでいる人の方が多いみたいね。

猛王烈:ちょ、ちょっと待って下さいよ。勁力は「強くて重いチカラ」じゃないんっスか?
 だって、体重が百キロに近い人が、ポーンと吹っ飛んでいくんですよ?
もし弱かったり、軽かったりしたら、あんなふうに飛んで行かないんじゃぁ・・?

の ら:ウチの道場では師父に限らず、四十才を過ぎた、高校生の子供が居るような主婦が研究會の門人を吹っ飛ばすし、不治の難病を患っている人が、師父の治療院で治療しながら「健康クラス」に在籍して、僅か2年ほどで医者や看護婦が驚嘆するほどまでに完治して、体重百キロの門人を同じように軽々と飛ばしてしまったりするのよ。

猛王烈:ああ・・でも、あの門人たちは、見るからに丹田がデェーンと・・・あはは

の ら:バッシィイイイイイ──────!!

猛王烈:痛(つ)ううううっっっっっっ・・・!!(久々に、効くなぁ!)

の ら:見かけのハラなんか、関係ないって言ってるでしょ〜が、もぅ!

猛王烈:それじゃぁ、発勁は、ナ二でチカラを出すんスか?

の ら:キミねぇ、一体何年ウチで稽古してるの?、ウチで教えている太極拳は、ひたすら「用意不用力」と「四両撥千斤」に尽きると、いつも師父が仰ってるでしょ?

猛王烈:まあ・・ついでに、「学問的・科学的・構造的」っスよね・・・

の ら:そうよ、分かってるじゃないの。

猛王烈:でも、それってホントなのかなぁ・・・?

の ら:ぬ、ぬ、ぬわぁんだとぉおおお〜〜〜〜!!

猛王烈:そんな、平家ガニみたいな顔して怒らないで、聞いてくださいよ・・

の ら:ナ二がカニよ?、ウチで学んでるコトを疑うんなら壇ノ浦に飛び込みなさい!

猛王烈:だって、力を使わずに意を用いて、たったの数十グラムや数百グラムのチカラで、相手を吹っ飛ばしたり、戦ったりするって言うんでしょ?

の ら:そう、そのとおりよ。

猛王烈:はは、そんなの絶対無理・・やっぱし非科学的、非現実的、マンガの世界っスよ。
 クマに馬乗りになってパンチをくれたり、お爺ちゃんが大木をフンッと突いたら、無数の葉っぱが上からバラバラと落ちてくるようなモンと同じっスね。

の ら:自分も門人のクセに、何を言ってるの────────?

猛王烈:だって・・どこかの偉大な老師だって、その息子だって、高弟だって、みな発勁の時にはドーンとぶつかったり、梃子と力みでヒネリ倒したり、ヨイショと持ち上げてポンをやったり、果ては助走をつけて飛ばしたり、押し返せない時はヒョイと避けたりしてるじゃないっスか。
 オレは確信したっスね。あれこそが、太極拳の真実・・・
「発勁」はリキミを必要とするという、生きた証拠っスよぉ〜〜〜っ p(●`Д´●)ノノ

の ら:ははん、あっそう・・・まぁ、そこまで言われると、黙っていられないわね。
 それじゃ、敢えて言ってあげましょうか────────

猛王烈:な、な、ナ二を仰ろうというんですか・・?

の ら:よっく聞きなさい。もしも、その人たちが本当に・・・

猛王烈:ほ、ほんとうに・・・?

の ら:そんなコトをやっているのだとしたら・・・

猛王烈:だ、だとしたら・・・?

の ら:それは、紛れもなく「ニセモノの纏絲勁」ってコトよおおおぉっっっ!!

猛王烈:ドッ、ヒャーーーーーァァァアアンンン・・ヽ| `Д´ ;|ノ

の ら:当たり前でしょ。私が言ってるんじゃなくて、架式の大小を問わず、陳鑫先生も、台湾の潘詠周先生も、ウチの師父も、みな同じことを仰っているじゃないの !!

『太極拳は、纏絲の法である。
 この微妙な勁は、太極拳が意を以て気を動かし、気で以て身体を動かすことによる』

『太極拳の一挙一動は、意を用いて力を用いず、意が先に動いた後で形(身体)が動くことが肝要であり、意が至れば気が動き、気が至れば勁が動く』

『正しい勁を修得すれば、敵は自分に入ってこようとしても入ることができず、下がろうにも下がれない。全身に力が入らず、極めて危険な状態におかれてしまい、まるで石の球の上に立って居るかのように、無闇には動けず、足は動かせず、動くと転びそうになる』

 どう?、分かった?、太極拳のチカラや使い方には、レキとした「定義」があるのよ !!

猛王烈:で、でも・・オレなんか、実際の稽古で、いくら力を使うのを止めようとしても止められないし・・ヨガをやったり、瞑想をしたり、寝る前に自律訓練法までやって、稽古で意識で崩したり飛ばそうとしても、相手は全然フッ飛んでくれないンスよぉ・・・
用意不用力も、何のことやらサッパリ分からないし、自分が石の球の上に立たされるばかりで、意も勁も暗中模索のヘイヘイホー状態なんス・・
今のオレがフルコンとやり合ったら、ボコボコにされるんじゃないかな、って思うと・・・やっぱしリキミを使うしかないなと「不用意用力」になって・・・

の ら:ははーん、猛くんは「四両撥千斤」が非科学的、非現実的だと思ってるのね?
 (それは模索じゃなくて、与作でしょーが)

猛王烈:だって、ホントは結局そういうコトじゃないんスか?

の ら:それじゃ、師父はどう? 拙力を使って相手をフッ飛ばしているって思うの?
「ヨーリキ不用意」で、「千斤ニテ、千斤ヲハヂク」で、勁を使っていると思うの?

猛王烈:いや、師父のような人は太極拳の奥義を取ってるから、出来るんでしょうけれど。
 実際、師父には軽く触れられるだけで、電気ショックを受けたみたいになって飛ばされるし、急に床が浮いてきたみたいに瞬間的にスッ転がされてしまいますからね。
 だけどそれは、師父のような特別な人だけに理解できることで、自分なんか、いくら頑張っても高みには行けず、結局はリキミの拙力で相手とやり合うしかなくて、やれ懶扎衣はこうだ、単鞭はこう使う、なんて、実戦用法と称する「套路の使い方」に頼らざるを得ないと思います。


モット、ヒカリヲ・・

の ら:うぅむ、すげ〜館の門人にはアルマジキ発言だけれど・・・・
 猛くんのその悩みは、同時に多くの、若き飢えてる人の悩みでもあると思うわ。

猛王烈:それを言うなら「若きウエルテルの悩み」っしょ!
 (近ごろだんだん、オバハンギャグに磨きがかかったスねぇ・・)

の ら:ヨースルニね、キミのその考え方は間違いナンよ。

猛王烈:え、ナニが?・・ドコが間違いなんスか?

の ら:師父は「勁は誰にでも習得できるチカラで、何も特別なものではない」と仰って、実際に対練の時に個別に細かく指導をされると、武術経験、年齢、在籍期間、相手への慣れ不慣れなどに関係なく、パートナーが非常に軽いチカラで吹っ飛んでいくじゃないの。

猛王烈:まあ、そうスね────────そうなるともう「茶畑の奇跡」「メロンハウスの怪」「遠州七不思議」「桜エビの恩返し」「寸勁法師」みたいなもんスけど・・・

の ら:確かに、猛くんの言うように、結局はリキんだ力で相手を持ち上げたり、振り回したり、押し込んだりするような「強い」力になってしまう、というのが、指導者の立場までを含めた、多くの太極拳家たちの偽らざるナヤミのようだけどね。
 (猛クンこそ、アホなギャグの羅列、やめなよね・・・)

猛王烈:そうスね。明らかにバーベルを持ち上げるような力を使って「弸(ポン)」だと説明したり、助走をつけてドーンと当たるような力を勁力と言ったりするんだそうなんです。
 流石のオレも、それは「勁力」とはチト違うよなぁ、とは思うんスけど。

の ら:助走をつけて得られる勁力というのは、ちょっと聞いたことがないわね。
さっきも言ったけど、勁力というのは、あくまでも「四両撥千斤」「用意不用力」こそが、原則でなくちゃならないと思うのよ。

猛王烈:確かに。師父に飛ばされた人たちは、実際に僅か数グラムから、多くても数十グラムほどの力しか感じられないと、みな口々に言いますよね。

の ら:仮に、師父が20グラムの力を使ったとして、体重80キロの人をヒョイと吹っ飛ばしたら、比率的には「四両撥千斤」の表現にピッタリ合っているわね(笑)

猛王烈:それじゃ、やっぱり昔の武術家たちは、大体そんな比率になることを分かっていて「四両撥千斤」という表現をしたんでしょうか?

の ら:もしかすると、そうかも知れないわね!(笑)

猛王烈:でも「茶畑の奇跡」は、そう簡単に誰にでも起こるワケはないっスよ。

の ら:そう言いたい気持ちは分かるわ。だけどね、その原理は決してすぐ解けるような簡単なものではないけれど、それを理解できないのは「稽古方法が間違っている」というコトなのよ。

猛王烈:へ・・・・?

の ら:師父はいつも『正しい稽古をしていれば必ず正しい勁が身に付く。間違った稽古をしていると、いつまで経っても真正な勁力が信じられず、拙力の中で工夫をするしかない。そうなると、なかなか本当の勁力には辿り着けない』・・と仰っているわ。

猛王烈:その、「正しい稽古」ってのは、どうやったら教えてもらえるンすか?
 やっぱり、正式弟子か研究會に入れないと、教えてもらえないんスかね─────

の ら:いいえ、普段の稽古で教わっている内容こそが「正しい稽古法」なのよ。
 ウチの稽古は、「四両撥千斤」も「用意不用力」も、すべてが科学的に指導されている。
その科学に裏付けられた「基本」こそが、すなわち秘伝なのだと、いつも師父が仰ってるでしょ。

猛王烈:本当に・・そうなんでしょうか・・?

の ら:私たちは弟子なのだから、つべこべ言わずに、教えられることを、学んでいることを信頼して、全面的に指導者と稽古に自分を委ねて学んで行かなくてはならないわね。
 学ぶこと以前に「弟子であること」の本質を枉(ま)げていては、理解できることも出来なくなってしまうわけだから。理解とは「能力」ではなく、理解する「質」なのだと、いつも言われるでしょ?

猛王烈:そうか、オレは、きっとこうしなくては勁力が出来ない・・・なんて、自分勝手に決めて稽古していたのだと思います─────でも、それだと勁力でも何でも、上っ面だけで、「本質」が学べないってコトっスよね。

の ら:そうね。まずは正しく立つことと、力みを使わないことの追求・・・
 でも、どう正しく立つのかは、長年「弟子」として苦心して学ばないと分からないわね。
 チカラも同じことで、力を使うなと言われると、すぐに力を弱めて抜いてしまう人が多いわね。力を「抜くこと」と、力を「使わないこと」とは、違うコトなのだけれど。

猛王烈:むむぅ、そう言われれば、確かに・・・

の ら:力を使わないことと言うのは、リキんで相手の力に対抗しないということよね。
つまり、「リキんだ力」と「勁力」とは何が違うのかを、稽古の中できちんと理解して行くことが大事なのよ。

猛王烈:リキミってのは、「拙力」と言われるヤツっすよね。

の ら:そうね。そして「拙力」と「勁力」とは、いったい何が異なるのかというと・・

猛王烈:と、いうと・・?

の ら:「もと」が違うのよ。チカラの元になっている「もの」と言えば分かるかな?

猛王烈:こ、構造────────それは、「構造」のことですね?!

の ら:そう。太極拳は神秘の気の武術でもなければ、グルグル、クネクネ、ユルユルするものでもない。ましてや、 ZOJIRUSHI じゃあるまいし、勁力が「押すだけ」「持ち上げるだけ」、纏絲勁が「ヒネるだけ」「巻きつけるだけ」のものになってしまったら、太極拳の未来は大変なコトになるんじゃないかしら?

猛王烈:「四両撥千斤」の看板はどこへ行ってしまうのか、「陰陽虚実」は「用意不用力」は、それらはいったい何処へ消えてしまうのか────────
 高度な術理を持つ太極拳にとっては、それは由々しき問題っスね。太極拳が「看板倒れ」になったら大変っス・・・でも、実際問題、どうしたら良いんでしょうか?

の ら:「本当のこと」を知る人が「本当のこと」を示す、それしかないでしょうね。
 真の纏絲勁理論を学問的に明らかにして、本物の「纏絲勁」と「勁力」を正しく示す。
しかも「武術」として「実際に戦える」ことを、きちんと示せなくては!!

猛王烈:本当はきっと、そういうコトを疑問に思っている人たち、その解明を心から待ち望んでいる人、そんな愛好家や武術家たちが、すごくたくさん居るんじゃないかと思います。
 纏絲勁と思われているものに対して、「コレが勁力の正体、纏絲の中身だよ」って、誰かが科学的にきっちり証明してくれる日がやって来るのを、太極拳を愛する人たちは、みんな心待ちにしていると思いますね。


                                 (つづく)

noriko630 at 23:47コメント(21) この記事をクリップ!

2014年10月11日

歩々是道場 「螺旋の構造 その11」

   「纏絲の構造 その4」
                    by のら
(一般・武藝クラス所属)



ハラを回せば纏絲勁

猛王烈:のらさぁ〜ん!、また前回から、かなり時間が経ってしまいましたけど・・・

の ら:ゴメンなさい。なにせ今年は太極武藝館の創立二十周年にあたるので、いろいろとオーモーレツに忙しくって。

猛王烈:ご苦労さまです。自分も何かお手伝いさせていただきます。 
 ・・で、早速この前の続きなんスけど、「纏絲勁については、私は大いに疑問を感じているのよ」って言われましたよね。その ”疑問” って、何がギモンなんスか?

の ら:私が思うには、たとえば日本に纏絲勁が紹介されて、かれこれ三,四十年も経つというのに、纏絲勁の原理を学術的・科学的に正しく説明したものは全くと言って良いほど見当たらないし、原理どおりの真正な太極拳の勁を用いることができる指導者さえ余りにも少ないと思えるのは一体どういうワケか、という素朴な疑問よ。

猛王烈:うーん・・まあ、太極拳の原理は武術の秘伝なんスから、それを広く学術的に発表するのは、やっぱしマズいというコトで、誰も公開しないンじゃないスかねぇ?

の ら:それは事情としては分かるけど、どうして未だにその原理が「丹田」や「気」にあると主張して止まないのか、というのも疑問ね。それが科学的な態度だとは私にはどうしても思えないのよ。丹田や気は非科学的なのではなく、現在の科学にそれを解明できるだけの力が無いから科学の進歩を待つしかない、などという意見もあるようだけど、ちょっと詭弁のように聞こえるわね。

猛王烈:ううむ・・・確かに、改めて考えてみると、それは不思議なコトですよね。
「自然体で内気を溜め、その気の力で相手を崩す」とか、「下盤を安定させ、全身の気を足に集中させれば強い力でも制御できる」「丹田から出た力は腰に行き、上下に分かれて手足に伝わる」「丹田に陰陽が生じてそれが回転する」などと、様々に解説されてましたけど、正直なところ、自分にはそれらの表現の仕方は決して ”科学的” とは思えないっスね。

の ら:それに、四正推手でも発勁でもそうなんだけれど、なぜかその説明には「纏絲勁」という言葉が出てこないものが多いのよ。太極拳は「纏絲の法」だから、纏絲勁原理によって全てが為されるはずなのに、「自然体」「内気」「丹田」などという事ばかりで、なかなか太極拳の核心である「纏絲」という表現が出てこないというのはどういうワケかしら?

猛王烈:オレの友人が所属している団体では「ハラを動かすことが纏絲勁の訓練」と説いているんだそうですが────────

の ら:お腹を動かす、って?・・・一体どんなふうに動かすの?

猛王烈:それが、その友人も、他の人たちもよく分からないらしいんですが、ともかく老師が言うのだからと、ひたすらハラを動かしたり回したりする工夫をしているそうです。

の ら:まあ!、それはとても興味深いわねぇ!!

猛王烈:ね、スゴイでしょう?、纏絲勁の形を練習しながら、そこでハラがグルグル回って動くようになれば纏絲勁になるってコトらしいですが。やっぱりハラと言えば「丹田」ですからね。ハラを動かすというのも丹田に通じそうで、なかなか意味が深そうですよ。

の ら:ふむふむ、鳴歩道・・(あれ?、うつっちゃった)。けど、猛くんは、どこかで耳にしてきた「太極拳はハラをグルグル回すのだ」というコトをどう思うの?、それが立派な練功で、秘伝だとか言われたら・・・

猛王烈:そっりゃぁ〜もぉ、その日からお腹をグ〜ルグル、グ〜ルグルと回す練習にはげむに決まってるじゃないっスか、がははははっっ!!

の ら:バアッッシィイイイイッッッ〜〜〜〜〜!!

猛王烈:痛(つ)ううううっっっっ・・・!!

の ら:もぉ!、ウチじゃぁそんなコトやれって言われてないでしょぉ〜がぁ〜っっ!!
だいたい、腹をグールグルって、太極拳はネットの検索じゃないンだからねっ!

猛王烈:ひいぃっ・・そ、それは「Google」っスよ。ちなみにグーグルさんは、中華人民共和国は民主主義・資本主義社会における極めて一般的な常識がまったく通用しない国家であるという理由で、2010年に中国から全面的に撤退しましたです、ハイ。

の ら:まったく厄介な国ねー、もうヤメなチャイナ、って言いたいわ!!
 ま、そっちは措いといて・・・猛くんは「纏絲勁は腹をグルグル回すんです」という説明をされて「すごく分かりやすい」とか「とても科学的だ」と思えるの?
 「科学的」であるというのは、ある理論に基づいて体系づけられた知識と研究方法が存在してこそ、はじめて科学的と言えるものよ。もし「丹田が回る」「ハラを動かす」というのが太極拳の原理だと言うのなら、それはそれで結構だと私は思うのよ。
 けれども、それならまず「丹田」が何であるのか、それはどこに、どのように存在して、何によってハラが回転し、ハラの回転によって何が生じ、その結果何がどのように得られるのか。
 そして、丹田やハラの回転と纏絲勁はどのような関係にあって、ハラの回転が纏絲勁を生むということが学術的に証明され、さらに、それを学ぶ人が明確に理解でき、納得できるように説明されなくては、お世辞にも科学や学問とは言えないんじゃないかしら?
 そもそも猛くんは「丹田やハラが回ること」が自覚できるの?、自分のお腹がどうやったら回るのか・・説明できるモンなら、キチンと説明してごらんなさいなっ!!

猛王烈:わおおおぉっ!、またそんなデスラー総統みたいな顔をして・・・相変わらず立て板に水、師父直伝の「よくシャベ〜ル」、イッキに500文字っスよ!!

の ら:誤解されると困るけど、私は別に「お腹を回す・ハラを動かす」ことを否定しているワケではないのよ。むしろ、そんなふうに表現したい気持ちはよく分かるわ。

猛王烈:えっ?、ちょっと意外ですね。気持ちが分かるって、どういうコトっすか?

の ら:纏絲勁は、「まるでお腹が回っているように見える」ことかもしれないからよ。

猛王烈:ううーむむむ、ふ、深い・・・・・

の ら:あら、珍しく神妙な顔をして。猛くんも少しはジワ〜ッと来たかしら?

猛王烈:ええ、久々に────────でも、それって結局どういうコトなんスか?

の ら:(ガクッ!)・・つまりね、ニワトリが先か卵が先かのジレンマじゃないけれど、「腹を回せば纏絲勁になる」というのと「纏絲勁は腹が回っているかのように見える」ということは、そもそも異なるコトでしょ?
 纏絲勁を理解した人が太極拳を行えば、まるで腹が動いているように見えるのかも知れないけれど、反対に、腹を動かして回す訓練をすれば纏絲勁が出来るようになるのかしら?
 だから、単に「丹田が回るから纏絲勁」「お腹を動かす練習をする」というのではダメだと思うのよ。そこに学問的な根拠と論理的な体系が無ければ、太極拳の真髄である纏絲勁が泣くってモンでしょ。

猛王烈:むむぅ・・話が少々シモダカゲキですが、確かにそれは「正論」ですね。

の ら:それにね、もう少し言わせてもらえば──────────────

猛王烈:え・・まだ言い足りないんスか?

の ら:私の知る限り、現存する拳経資料には「纏絲勁は丹田から発する内勁である」とは書かれていても、「纏絲勁イコール丹田を動かす・回すこと」を示唆するようなものは何処にも存在していないのよ。

猛王烈:ぐむむっっ!!・・そ、それはマコトっすか?

の ら:例えば、かの陳鑫先生は、『太極拳を練るにあたっては纏絲勁を明らかにしなければならない。纏絲は ”中気” を運ぶための方法であり、これが明らかでなければ、すなわち拳そのものが明らかではないということになる』と書かれているわ。

猛王烈:チューキって?・・あの、脳卒中の後遺症のこと?

の ら:もぉ・・そンなわけないでしょ!、日本語じゃそんな意味になるけど、太極拳では「人が天から授かった本来の元気」のことで『勢が成り、心が落ち着いて気が穏やかであれば中気は丹田に収まっている』とか、『中気が丹田にあるという考え方に執着する必要はなく、ただ気を臍下に降ろしてくればそれで良い』などと説かれているのよ。

猛王烈:えーっと、素朴なギモンなんスけど・・・のらさんが気や丹田の概念を非科学的で非学問的だと思うんだったら、そういう陳鑫先生の書かれた内容なんかも全部否定することになるんじゃないんスか?

の ら:いい機会だからこの際ハッキリさせておくけど、私は決して「気」や「丹田」を否定しているワケではないのよ。師父も稽古でいつもそう仰っているし。 
 ただ、それらの概念が作られたのは随分昔のことであって、21世紀の現在となっても未だにそれを科学的・学問的に解明しようとしない姿勢ではイケナイ、オカシイ、カナシイのではないか・・と思っているワケ。

猛王烈:鳴歩道・・・だからウチの師父は、中国で言われるように「丹田をドウコウする」という表現をされることが一切なくって、〇◎の△▼や、〇△▢▼の動きの機能について、「昔の人はこのような状態を、”丹田” や ”気” という言葉で表わしたのだ」という言い方をされるんですね。

の ら:丸や三角ばっかりで、マルで分からないけれど・・・ま、そのとおりネ。

猛王烈:えへへ、いつかオレも「伏せ字」を使ってみたかったんスよ。


気が気になって気が気ではなく気が咎められて気が重く気が抜ける気がするのは気のせいか気になり気もそぞろで気が滅入るが気落ちせず気儘に気晴らしをする・・・

猛王烈:ずいぶん長い小見出しですね、気が遠くなりそうです。

の ら:そうね、この「気」ひとつを取りあげてみても、古代中国思想から、道教、儒教、中医学、中国武術、そして日本語として用いられる「気」まで含めて、実は統一された概念が何ひとつなく、各分野ごとに概念が異なった、極めて曖昧なものであるということが言えるし、中医学の分野でさえ、漢方医学における気と気功治療における気には大きな隔たりがあるのよ。

猛王烈:えっ、そうなんですか?、オレは「気」というのは中国四千年の歴史の中で育まれてきた、気ッチリした概念を持つものとばかり思っていました。

の ら:残念ながら、そうではないわ。それが中国武術になると、各門派ごとに異なる気の概念がゴチャ混ぜに使われている傾向さえ見られるのよ。

猛王烈:意外ですね、そうだったんですか────────でも、よくテレビ番組で中国から有名な気功師を呼んで、気を「科学的に測定」することがありますよね。アレを観ていると、ああ、やっぱり「気」ってスゴいんだなぁって思いますけど。

の ら:まあ、あれは大概はテレビ局が視聴率を上げるための方策で、「番組」としては成功しても「学問」として満足のいく結果は何も出ていないし、実際に科学的な手法で解析された学術的な論文などは、本家の中国でさえ未だに皆無であるという歴然とした事実があるのよ。

猛王烈:うーん。こうしてお話を聞いていると、オレなんかは、ただ「気」とか「丹田」という言葉の神秘性や喧伝に惑わされて、それを学問的に科学的な目で追い求める気持ちが全くと言って良いほどなかったと、あらためて思いますね。
 けれど、気や丹田については、「まだ解明されていない科学」とか「公開できない秘伝」などとしている人も居るみたいですね。

の ら:たとえそうだとしても、学問的には事実上放置したままという姿勢に変わりがないのだから、ちょっと頂けないわね。
 それに、もし「秘伝」だから説明できないと言うのなら、少なくとも拝師弟子にはそれを科学的・学問的に伝えているという表明くらいはあっても良さそうなものだけれど、その立場からは、さらに輪をかけて非科学的な説明をしている人さえ居るようにも思えるし・・

猛王烈:「気」と言えば、そういえば最近の中国では、公園で「気功」をやっている人をあまり見かけなくなりましたね・・・

の ら:「法輪功」の弾圧事件(1999年)以来、そうなってしまったのよ・・・・

猛王烈:ああ、そんな事件がありましたね。法輪功という、集団で気功をする気功団体の人たちが一斉に逮捕・投獄され、3,000人以上が死亡したという、有名な弾圧・迫害事件。
十五年経った現在でも、中国国内では「法輪功」とネットで検索しただけでも、取り締まりの対象として公安警察に引っ張られるそうです。

の ら:「金盾(Jin-dun=Golden Sield)」と呼ばれる、ネット検閲システムのことね。
法輪功だけじゃなく「民主化」「天安門事件」「ダライラマ」「ウイグル」「言論の自由」等のキーワードや、それらにまつわるページも全てブロックの対象となる最新鋭の検閲ソフトで、中国人民が情報を得られないように取り締まっているのよ。
 中国で自由に閲覧できないサイトはグーグルだけじゃなくて、YouTube、ニコニコ動画、Wikipedia、Yahooブログ、Twitter、Facebookもダメ。もちろんNew York Timesも。グーグルの中国撤退は、この「金盾」に強い抗議の意志を示してのことね。
 この事件の顛末や現在も進行中の弾圧については、中国武術である太極拳を学ぶ人間なら誰もがきちんと理解しておくべきことだと、私は思うわ。

猛王烈:公園で人々が気功をしているのは、佳き中国の風景だったのになぁ・・・

の ら:中国では法輪功の大弾圧事件以来、「郭林気功」などの一部の公認団体を除いて集団で気功をすることが禁止され、省単位で登録制によってのみ許可されるものとなったの。
 けれど、統制され監視された気功団体などに寄りつく庶民なんか居ないし、個人的にこれまでの気功をやろうとする人もほとんど居ない。そんな弾圧ムードの中で気功をすることは共産党政権に公然と歯向かう意思表示をするようなものだからね。北京などでは市民がすっかり怯えてしまって、「気功(チーゴン)」という言葉さえ使おうとしない有りさまだったのよ。

 共産党政府は、新たに公認の「医療気功」と「健身気功」を作って共産党への反発を緩和しようとしているけれど、すっかり冷めてしまった人民の間にはちっとも流行しない。
 そうこうしているうちに都市経済が発展し、庶民の所得も倍増してきた・・・中国に金権の時代が到来して、追い打ちを掛けられるように気功は衰退していったワケよね。

 でも、共産党政府としては「中国四千年の神秘」である「気功」が自国の人民の間で衰退していることを世界に知られたくはない。そこで、世界に気功をアピールし続けるために、太極拳を中心とする諸外国から中国武術を学びに来る人たちに、「気」のチカラや偉大さを速成でも即席でも、何でも良いから教え込んで海外に輸出する、という政策をとっているのよ。太極拳の指導に日本にやって来る中国人老師がやたらと「気」を強調するのも、その政策のせいかも知れないわね。

 ま、中国の政治について話し始めると「纏絲勁」とはあまりにもズレてしまうので、そっちの方面に詳しいカスガさんにでも、いずれ語ってもらうことにしましょうか。

猛王烈:わぁ、楽しみっスね!、宏隆くんのアラスカ修行やアクション映画顔負けのストーリーもいいけれど、日本ではなかなか報道されない今の中国の姿なんかも、じっくり書いてもらえたら嬉しいス。

の ら:いずれ、そんな事も小説に登場するかも知れないわね。

猛王烈:さて、今回も字数が一杯になってしまいましたが、次回のお話は?

の ら:そうね──────────纏絲勁について、もう少し突っ込んだ話をしたいわ。

猛王烈:・・と、言いますと?

の ら:纏絲勁は、なぜ「リキまない」のか、どうして「拙力」では有り得ないのか・・・というオハナシ。

猛王烈:はぁ・・・・?

の ら:纏絲勁は、筋肉運動とは直接何の関係もない、という話よ。

猛王烈:うおおっっ・・またそんな「誰も書かなかった太極拳」みたいなコトをっ・・!!



                                (つづく)

noriko630 at 20:21コメント(16) この記事をクリップ!

2014年04月25日

歩々是道場 「螺旋の構造 その10」

   「纏絲の構造 その3」
                    by のら
(一般・武藝クラス所属)



「ふれあい」こそ太極拳の真髄?

猛王烈:のらさぁ〜ん!、ずいぶんお早い原稿アップですね〜、わははは・・・

の ら:むっ・・本音を言うことだけが、ヒトの付き合い方じゃないわよ。

猛王烈:確かに、太極拳は相手と触れ合ってこそ、接触してこそ戦えるんでしょうから。
たとえカタキのような人であっても、「ふれあい」を大事にしないとイケませんよね。
 ♬ か〜な〜し〜み〜にぃ、出会うたびぃ〜、あ〜の〜ひ〜と〜を、思い出すぅ〜
  (註:「ふれあい」'74年に中村雅俊が歌ったヒット曲)

の ら:あーら、カタキのような人って、誰のことよ? だいたい、ウチでは相手と接触していないと戦えない、なんて教えていないでしょ?

猛王烈:でも、中国の推手だと、まず塔手してグルグルやってから、いきなり相撲やレスリングみたいな組み技に入ったり、柔道のような足払いや関節技をかけたりしますからね。

の ら:そう言えば、「太極拳は相撲のように戦う」と言った研究家もいたわね。

猛王烈:相撲なら「張り手」がありますが、太極拳で顔面を打ち合っているのを見たことがないっスね。海外に教えに行ってる老師たちも、手で顎を突き上げるコトさえ滅多にやらないです。
 結局、太極拳が戦うときには、相手に手を絡ませて触れていないと戦えないし、その研究家が言うように、相撲のように組んで戦うというコトなんでしょうか?

の ら:そんなこと無いわ。陳家溝の若手が出ている試合では、顔面を禁じ手にしてキョクシン・スタイルで戦っている映像もあるし。そこには回し蹴りやローキック、プロレス並みのバックドロップまで出て、文革後の太極拳の研究としても、とても興味深いわね。
 ウチの師父は、接触での間合いも、離れた間合いの戦闘も、イヤというほど示して下さるでしょう? 研究会では顔面もボカスカ打つし。あれが相撲に見える?

猛王烈:いや、師父の戦い方は相撲とも違うし、フルコンスタイルにもほど遠いっスね。
あの間合いの取り方というか、あんな風にされると攻撃も防御もどうにもならないんスよ。避けてもいないのに、ローキックひとつ当たらないんっスから、実際・・

の ら:ウチの対練は、推手はもちろんだけど、相撲のように「四つ身」に組んだり、馬歩で肩や腕を組んでお互いに崩し合ったりするものもあるわよね。

猛王烈:そうそう、あれが不思議なんスよね。師父や玄花さんと組むと、まるで自転車の後輪が突然スタンドに載せられて空転させられたみたいに、いつの間にかチカラがスカスカに入らなくなって、氷の上で滑ったみたいに、その場で足を掬われて投げられるんスよ。

の ら:それこそが、本来の「纏絲勁」の特徴なのよ──────────

猛王烈:えっ?、纏絲勁ってのは、豪快にバッコーンと吹っ飛ばしたり、凄まじい発勁で相手が悶絶してしまうようなモノじゃないんですか?

の ら:もちろん、そういうコトも含まれるんでしょうけど、纏絲勁の本質は「敵を思いどおりに随わせること」にあって、それによって「化勁」も「捨己従人」も可能となるのよ。

猛王烈:「捨己従人」ってのは、出家した人のような清廉な気持ちになって、ジガを捨て、全面的にヒトを受け容れることじゃないんスか?

の ら:太極拳の本質は「敵を思い通りに随わせる技術」なのよ。敵と戦えてこその武術なんだから。出家したいんなら、アタマを剃って少林寺にでも行きなさいっ!

猛王烈:よぉし・・ハァッ!、ハァッ!、ハッ、ハッ!!(馬歩で少林寺の真似っス ♪)



ヒネらないコトには、もっと意味がアル

の ら:さて、そろそろ本題の「纏絲」に話を戻しましょうか。「纏」という字にはそもそも、ヒネる、ネジるという意味はなかった、というお話だったわね。

猛王烈:やっぱり「ヒネル」は出てこないんスね?、水道が「ヒネルトジャー」なら笑って済みますけど、纏絲ケイが「ヒネらないんじゃぁ?」となったら、太極拳界じゃぁ、やっぱり、それどころジャーないんジャーないんスかね?

の ら:それどころか、harass, enmesh, vex, なんて訳語まで出てくるんジャーよ。

猛王烈:うわぁ・・オヤジギャグの応酬にしてはムツカシイ内容じゃぁ・・?

の ら:harass は「しつこく悩ます・困らす・攻撃の繰り返しで敵を悩ます・苦しめる」という意味。よくハラスメントって言うでしょ。
enmesh は「罠に掛ける・困難に陥れる」。vex は「イライラさせて怒らせる・肉体的苦痛を与える」などという意味ね。

猛王烈:えっ、纏絲勁の「纏」と「繞」に、そんな意味が?!

の ら:あはは、ちょっと驚いた?

猛王烈:驚きますよ、誰だって。こんなオカシなコト言い出すのはキョービ、すげー館の、ブゲーカンくらいのモンでしょう?

の ら:何もオカシなことじゃないわよ。中国人の学者が編纂した「中英辞典」に載っているんだから。「纏絲」の意味を知るなら、先ずその文字の意味を紐解くことが第一でしょ。
 つまり、なぜこの字を「勁力」にあてたのか、ということ。漢字はそのモノゴト自体を表した表意文字や表語文字、つまり「絵」なんだからね。それをきちんと探らなきゃ、仮にも漢字を発明したという国に失礼ってモンでしょ。

猛王烈:仮にも、って・・のらさん、中国はレッキとした漢字を発明した国っスよ。

の ら:けれど、現在の中国で使われている漢語の70%は、明治時代の日本から輸入されたもので、西洋の概念などはすべて日本人が漢語に翻訳したものなのよ。政治、革命、政府、資本、主義、封建、共和、共産、共産党、幹部、市場、経済、指導・・・共産党政権が好んで使っているこれらの語は、みんな日本人が作った言葉。もしそれがなかったら、毛沢東も「毛沢東思想」を書けなかったはずよ。オマケに、現在では本字を無視して意味なく簡略化してしまったので、漢字の文化なんか、すでに崩壊してしまっているし。

猛王烈:まるで春日さんみたいな、カゲキなことを言いますねー

の ら:戦後の偏向教育で、日本人は仏教文化と共に漢字が中国から伝わってきて、日本人がそれをありがた〜く使うようになったのだと信じ込まされているけれど・・・

猛王烈:だって、そのとおりじゃないスか。

の ら:ふふふ・・だけど、もし漢字の起源が「日本の古代文字」であったら、どうする?

猛王烈:ええええっっ──────────?!

の ら:私はね、日本の真の建国は「縄文時代前期」にあったと考えているのよ。
 縄文時代というのは、学校で教え込まれたような、原始人が毛皮を着て裸足で獣を追っていたような中石器時代の文化ではなく、すでにヤマトコトバの原点となる言語を持ち、固有の文字を持った文明国だった、と──────────
 つまり、中国が漢字を発明するよりも遥か以前に、既に日本は独自の文字を持っていて、それを中国が真似た可能性もある、ということを探ってみたいのよ。

猛王烈:そ、それじゃぁ「漢字」の起源は、この日本にある、と・・?!
と、いうか・・日本の文字が中国に渡って、それがまた漢字に発展して日本に入ってきて、さらにそれをまた、日本が多くの言葉を作ったのを中国人が持ち帰って、ってコトですか?

の ら:そう、まさに歴史は繰り返す。まあ、それを語るのは別の機会に譲るとして・・
まずは、ならず者のように日本の尖閣の海でウロウロするのをヤメてもらわなきゃね!!

猛王烈:うーん、話がだんだん、シモダカゲキ風にソレてきましたけど・・・

の ら:あんなカラフル・モモヒキのおじさんと一緒にしないでよ。

猛王烈:モモヒキじゃなくて、レギンスと称してますけど、本人は・・・
 今度はオレが話を戻しますけど、それじゃ、纏絲の「纏」は、日本語にはどう訳されているのか。それは「中日辞典」には何と訳されているんですか?
もしかして、日本語訳だったら「ヒネル」とか「ネジル」って出てくるんじゃ?

の ら:良いところに気付いたわね、でも残念でした───────手元の「中日辞典」には、「纏」はクルクルと巻く、巻き付ける、つきまとう、絡みつく、まつわる、あしらう、相手にする、手こずらせる、などと説明されているわ。
 ついでに「漢和辞典」には、まとう、まつわる、からまる、とあるわね・・・
 そうそう、昔の中国の習慣の、布で脚をグルグル巻きにして足を大きくしないようにする纏足(てんそく)というのにも、この「纏」という字が使われているでしょ。もしヒネったり、ネジったりして纏足にしたら、足が大変なことになるんじゃない?

猛王烈:なるほど。そうなると、半纏(はんてん)なんてのは、普通の着物が身体に巻き付けるように着るのに対して、羽織るように着るので「半分纏った状態」という意味で、半纏と呼んでいるのでしょうかね・・そんなこと、今まで考えもしなかったっスけど。

の ら:サエてるわね、猛くん。

猛王烈:ちなみに、纏絲勁の「纏」は、英語にはどう訳されているのか、もっと詳しく教えてもらえませんか?

の ら:ホイ、よくぞ聞いてくれました。「纏」の英語訳は、
 wind=螺旋状に進む、曲がりくねる、巻く、巻かれる、包む、囲む、巻き付ける。
 tangle=もつれさせる、からませる、妨げる、巻き込む、おとしいれる、争う。
 wrap=包む、巻く、相手を巻き込む、衣服をまとう、本当の考えを隠す、包み込む。
 coil=螺旋状にグルグル巻き付ける、とぐろを巻く、渦を巻く、クネクネ曲がる。
 tie up=提携する、協力する、繋がる、連結、関わり合う、縛り上げる、拘束する・・

猛王烈:うわわっ────────わっ、わっ、わぁあ、ワがみっつぅ!!

の ら:それくらいでアワ食ってちゃ、月のマークに負けてしまうニ。

猛王烈:まだそれ以上、他の意味があるンスか?!(それ、しぞーか弁だニ)

の ら:ふふふ、きっと驚くわよぉ・・・
 bother=悩ます、狼狽させる、面倒をかける、やっかいなこと。
 annoy=悩ます、苦しめる、困らせる、煩わしい。
 pester=苦しめる、困らせる、物をくれとねだる、せがむ。
 involve=(必然として)絡む、巻き込む、巻き添えにする、関わらせる、関係する・・・

猛王烈:・・す、すごい内容ですね。それって、本当に纏絲の「纏」の意味なんですか?、
それだけでも「纏絲」のイメージが根本からひっくり返ってしまいます・・っていうか、こんなに武術性の高い意味を含んだ文字だったとは!!、でも、どうして「中日辞典」には、そう訳されていないんでしょうか?

の ら:ある程度は訳されているけれど、一般的な「中英辞典」と比べても、それほど細かく訳されているとは思えないわね。理由はよく分からないけど。
 これらはすべて、師父から伺ったお話をもとに、私が改めて研究をしてみたコトよ。
 でもね、「纏絲勁」については、私は大いに疑問を感じているのよ─────────

猛王烈:疑問って、なにが疑問なんスか・・・?


                               (つづく)

noriko630 at 19:00コメント(14) この記事をクリップ!

2014年04月10日

歩々是道場 「螺旋の構造 その9」

   「纏絲の構造 その2」
                    by のら
(一般・武藝クラス所属)



私をスキーに連れてって

猛王烈:のらさぁ〜ん!、今回はそれほど ”お久しぶり” じゃぁないっスね・・・

の ら:猛くん、こんなに早く原稿を出すのは珍しい、って言いたいんでしょ?

猛王烈:あはは、でも、ファンとしては嬉しいんスよ。

の ら:いつも読んでくれてありがとう。・・さて、前回はどこまで話したかしら?

猛王烈:えーっと、一般的に纏絲勁は「ヒネル」とか「ネジル」ものだと考えられているけれど、ウチの師父は決して体をヒネらず、ネジってもいない────────────
という事はつまり、「ウチの師父が全面的に間違っているのではないか?」とギモンを感じた途端に、のらさんに「バッシィ〜ッ!!」と強烈な一撃を喰らって、「ひいっっ!」となりました。

の ら:まったくもぅ、言って良いコトと悪いコトがあるでしょ!

猛王烈:でも、「螺旋の構造・その3」以来、師父のように、体をヒネりもネジりもせず、ほとんど動かないまま人を吹っ飛ばすことが疑問だったんですが・・・パラレルとかスパイラルとか、スキーみたいな話になって、いくら「ハイハイ」をやっても分からなかったし、「新・タイ爺歩き」なんか混乱の元になるだけだった、というワケなんっス。

の ら:スキーには、パラレルはあってもスパイラルは無いでしょ!

猛王烈:あ、そういやぁ・・あはは。

の ら:スキーと言えば、私もウチの太極拳に出会うまでは、ガムシャラに斜面を攻めるような、ひたすら四頭筋を弛めては、蹴ってターンするようなスキーしかできなかったわ。

猛王烈:ふむふむ・・のらさんなら、きっと攻撃的なスキーをするんでしょうね。

の ら:なによ、そのトゲのある言い方は?

猛王烈:あ、いえ、深いイミは(汗)・・ところで、師父はスキーをされるんでしょうか?

の ら:ご一緒したことはないけれど、雪深い信州に長年住んでいらっしゃったので、時おりスキーを楽しんで居られたと聞いているわ。玄花后嗣も小学校から高校まで、冬の間はスキーが体育の授業だったというから、腕前も相当なものでしょうね。

猛王烈:確かに、静岡のような温暖地の人間がスキーに行くと、地元の子供たちがプロ並みにビュンビュン飛ばしていて焦りますよね。小学生でも自分なんかより遥かに上手いんですよ。師父がどんな滑りをされるのかは、とても興味がありますね。

の ら:ある日、師父が白馬で滑っておられたら、それを見た現地の古参インストラクターが「いやぁ、綺麗に滑りますねぇ!」と、思わず感心して声を掛けたたそうよ。緩斜面をそんなふうに綺麗に滑れる人は滅多に居ないって言われて。

猛王烈:へえ、緩い斜面を?、急な斜面をオリンピック選手も顔負けの速さで、サッソウと滑ったというワケじゃないんですね?

の ら:プロに言わせると、スキーの上手ヘタは緩斜面の方がよく分かるそうよ。急斜面を筋肉を使ってガンガン攻めるのは一見カッコいいけれど、身体の使い方としては、とても幼稚。緩斜面でもスピードに乗って綺麗に滑れる人は本当に上手な人なんだって。

猛王烈:オレなんか、ガンガン斜面を攻めまくる方ですけど、そういえば、緩斜面だとあまりスピードが出ないですね。

の ら:師父と一緒に滑ったことのある人たちは、ゆっくり滑っているのにスピードは速いと、皆が言うわね・・・考えてみれば太極拳も一緒よね。ゆっくり動いていても相手にとっては速いし、そこに入って行けない。そして、そっと触れられても大きく崩される・・・

猛王烈:なるほど。よおしっ!、次の冬は緩斜面で綺麗に滑る練習をするぞっ!!

の ら:師父は、スキーでは纏絲勁の訓練ができる、と明言されているわ。
 そうだ!、「タイ爺歩き」の次は、「タイ爺スキー」なんていうのはどうかしら?

猛王烈:すげ〜館「タイ爺スキー・セミナー」というのを、是非やって欲しいっスね。

の ら:あはは、それは良いわね。「私をタイ爺スキーに連れてって」なんてね!!
 札幌稽古会と一緒に企画して、北海道でやりましょうか?!

猛王烈:わぁーい!、オレ、いちど北海道で滑ってみたかったンスよ!!
 尻モチついても、可愛かったなぁ、あのジャネット・リンちゃん・・・・
 ♬ 虹のぉ〜、地平を〜、歩〜み出てぇ〜、っと・・やっぱりサッポロはビールが旨いっ!

の ら:それはスキーじゃなくて、スケートでしょーが!?

猛王烈:♪ いいじゃ〜、ないのぉ〜、幸せならば〜(ちと古いっスけど・・)


ヒネらないコトには、意味がアル

の ら:纏絲勁が捻(ひね)るとか拗(ねじ)るコトだと思えるのは、「陳氏太極拳図説」に書かれている、ぐるぐるとツルが巻き付いたような、あのイラストのイメージが強いんでしょうね。

猛王烈:オレもそうイメージしてますよ。あの絵を見たら、これはヒネってネジるんだろうな、って思うでしょうね、フツーは。有名な研究家の本にもそう書かれているし。

の ら:そういう本に限らず、はっきり「ヒネる・ネジる」と明言する老師も多いわね。
 けれどね、そもそも「捻(ねじ)る」とか「拗(ひね)る」ということの意味は、
 【 細長い物の両端に力を加えて、互いに逆の方向に回すこと 】とか、
 【 一端を固定して、他の一端を無理に回すこと 】と、定義されているのよ。
ビンのふたを捻って開ける、スイッチを捻る、蛇口をひねる、足首をひねる、頭をヒネる、首を捻る、俳句をひねる、敵にあっさりヒネられる、腰をヒネる、針金をねじ曲げる、ねじれ国会、その他いろいろ、et cetera・・・

猛王烈:ははぁ・・そう聞くと、「纏絲勁」と「ヒネルこと」とは、ちょっと関係がないように思えますね。

の ら:前回も言ったけど、纏絲勁は「内纏」と「外繞」のふたつで構成されているチカラのことで、それを「纏繞(chan-rao=てんじょう)」と言うのよ。
それからね、この際言っておきたいんだけれど、そもそも「纏」や「繞」という文字には、ヒネルとか、ネジルという意味なんか、どこにも無いのよ。

猛王烈:えっ?、纏絲の「纏」には、元々そういった意味があるんじゃないんスか?!

の ら:そんな意味は、どこにも無いわね──────────
 纏は日本語でも「まとめる・まつわる」という意味で、「猫が纏わりつく」「纏り縫い」「〇〇に纏わる話」「纏め役」「纏め買い」「足手纏い」「祭り半纏」などのように使われているでしょ。
 繞は「めぐる」「循環する」「とりまく」「取り囲む」などという意味。漢字の部首として、他の部首を取り囲むようにして使われる「しんにょう・そうにょう」などの「にょう」という意味でもあるのよ。
 因みに「纏繞」を英訳してみると、twine(糸を撚り合わせること)、enlace(縛る、巻き付く、取り巻く、組み合わせる、撚り合わせる)などという意味になるの。
──────ついでに、「纏」の字源についてウンチクを聞きたい?

猛王烈:おっ「字源」の話ですね。オレ、字源をたどるのって大好きなんっス!!
 (字源大好き・・ジゲンダイスキ・・次元大介・・♪ Lupin The Third・・な〜んちて)

の ら:ん?、なんか、アホな独り言がきこえたような?

猛王烈:そんなぁ、空耳ですよ・・♬ ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、ミ、ミィ〜

の ら:はぁ、やっぱり春ねぇ、木の芽時はアブナイのが多いっていうけど。
 さて、字源のお話ね────────
 「纏」の字は、糸偏(いとへん)と麻垂(まだれ)、その中にある「量」という字の初文(しょぶん=その文字が生まれた当初の形)にあたる字で構成されているでしょう?
 麻垂は岩屋、つまり崖を利用した洞窟型の住居を表したもので、雁垂(がんだれ)は張り出した崖の庇(ひさし)の下に人が居住する空間がある様子を表しているのよ。
 麻垂の中の「量」という字は、大きな袋を意味する「東」という形の上に、中のものを流す口を表す「曰」がついて、一番下に「重り」を意味する「土」が付けられているの。
 つまり「纏」という字は、食料など貯蔵する物を袋の中に入れて糸で括ってまとめ、建物に収納したという形を表しているのよ。

猛王烈:へーえ、「纏」の字には、そんな謂われがあったんですね。つまり、元々この字にはヒネルとかネジルという意味は無いわけですね。

の ら:因みに、糸部(べきぶ=糸偏のこと)の「糸」という字は「細い絹糸」を表していて、古い字体は、お団子のように二つの円い束が連なった形として表現されているでしょ。
 糸は「絲」の略字で、蚕が一回に吐く絹糸の太さを「忽(hu・こつ=1の10万分の1)」と言って、10忽を「絲」と呼ぶのよ。1忽は33.33㎛(マイクロメートル)だから、中国でいう1絲は3.3㎛という事になるわね。
 日本人による研究では、蚕が吐く絹糸の細さは0.02mmくらい。糸の断面はおにぎりのような三角形のかたちをしていて、蚕は繭を造るために2日以上も糸を吐き続けるの。一匹の繭から採れる絹糸は、1000〜1500メートルもの長さになるのよ。
 ついでに、蚕は「吐糸管」という口から糸を二本並べて出しているのよ。肉眼では見えないけれど、昔の人は知っていたのかしら。「絲」という字が「糸」を二つ並べてできていることは、とても興味深いわね。

猛王烈:うわぁ、これまたすげ〜館・・今までに、そういった観点から「纏絲勁」を説いた人は誰も居ないんじゃないンすか?

の ら:そうかもしれないわね。でも本当は、そういった研究が真っ先に行われるべきだと私は思うのよ。師父も常にそういう姿勢で「学問」として太極拳に臨まれているでしょう?

猛王烈:そういう「単位」の話になると、やはりあの『四両發千斤』を思い出しますね。
シリョウ・センキンヲハジク・・なんて、すごくカッコいいじゃないスか。

の ら:1両は約50グラムで、かつての1斤は16両だから、現代風に言えば僅か200グラムほどのチカラで800kgを吹っ飛ばす、というような表現かしら。

猛王烈:もちろんオーバーな言い方なんでしょうけど、師父の発勁を見ていると、その昔に発勁を「四両發千斤」と表現した人の気持ちがよく分かりますよね。
 軽いチカラでヒョイとやって、相手が一人でも複数でも、ウワァ〜ッ!!って・・いい年をした大人が、スゴイ声で叫びながら吹っ飛んだり、一斉に走り回ったり、転げ回ったりするんスから。

の ら:でも、それを「インチキ」だとか「信じられない」とか「実際にはどうなのか?」「あれは本当に飛んでいるのか?」「入門してその場で見ても、本当に飛んでいるのか?」などと疑う人が、一般の素人ならいざ知らず、そこそこ名の知られた武術家にまで居るっていうから、ホントに人間って面白いわよね。
 そもそも、聞いたウワサや書かれた文章だけなら兎も角、影像で実際の動きを見てさえ、それが本物かどうか見分けがつかないような人に、本物の武術が認識できるのかしら?
 それは、実戦で敵がどれほどの実力なのか向かい合っても分からず、戦いで何をされても分からないままコテンパンにやられてしまう、というコトになるんじゃないかしらね。

猛王烈:オレなんか最初、見学に行って見ていただけで怖くなりましたからね。同じように見ていて怖くて仕方がなかった、クワバラ、クワバラ、っていう入門者も居ました。
 インチキとか、信じられないと思うのなら、実際に目で見て、体験すればいいのになぁ。ウチは秘密主義ではなく、一般の見学を許し、やる気さえあれば入門を許可している開かれた道場ですからね。
 まあ、遠巻きに「アーだ・コーだ」と言うのは、多分、ただ本物の武術に憧れているだけの人たちなんでしょうけど・・・

の ら:今年は太極武藝館の「創立二十周年」に当たる年で、師父も「動画を出そうかな」と言っておられるので、今から楽しみね。師父だけじゃなくて、門人の動画も出すそうよ。

猛王烈:楽しみですね。でも、また香港あたりで大騒ぎになるんでしょうけど・・・
「腰相撲」の動画を出した時は、香港あたりの巨大掲示板に「太極拳で人がこんな飛ぶはずはない」「これは絶対に合成映像だ」「日本人に太極拳が分かるわけがない、インチキだ」「どうして日本にこんなスゴイ太極拳のマスターが居るんだ?」「本家中国の危機だ!」なんて、さんざん書かれてましたよね。

の ら:そうそう、あの時は香港で大きな話題になって、アクセスが一日に8,000件を超えるほどだったの。YouTube から「アクセスが多いので広告を載せませんか?」ってお誘いがきたわね。

猛王烈:でも、あの「腰相撲」程度で驚いてくれるんですから、師父の推手や散手の影像なんかを出したら、一体どうなるんでしょうかね?

の ら:また、「インチキチキチキ・・」って言う人も居るんでしょうけど(笑)

猛王烈:あはは、2ちゃんですね。もう十年になりますか、懐かしいなぁ・・・・
 でも、今ではウチでやってることを、これぞ本物の武術だと認識してくれる人がたくさん居るんですから、門人としては、誇りを持ってもっと頑張らなきゃですよね。

の ら:そうね、それは見る人の側の「認識」の問題だから。
 実際に「体験」してみれば、おそらくどんな人も、武術や太極拳への認識を新たにせざるを得ないと思うのよ。現に、これまでに見学や入門に来た人たちは皆、誰もが「こんな太極拳があったんだ」「太極拳にはこんなチカラがあるんだ」「太極拳はこうやって戦うんだ」って実感したんですものね。

猛王烈:のらさん、ちょいとお話が「纏絲」から脱線したみたいっスけど・・・

の ら:よし、次回はさらに詳しく、纏絲の意味についてお話ししましょう。

猛王烈:あの・・なるべく早く原稿をアップして下さいね。

の ら:大丈夫よ、すぐに出すからね!!


                               (つづく)

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2014年03月09日

歩々是道場 「螺旋の構造 その8」

   「纏絲の構造 その1」
                    by のら
(一般・武藝クラス所属)



纏絲ケイが知りたいッス〜!!

猛王烈:のらさあ〜ん!・・・ガハハッ、ついに捕まえたぞお〜!

の ら:あ〜ら猛くん、なにを銭形警部みたいなコト言ってるの?

猛王烈:またぁ、トボケちゃって。纏絲勁の話をしてくれるって約束したでしょう?!

の ら:え、何のこと?

猛王烈:無責任だなぁ、もう。「私が知ってる程度なら、いくらでも話してあげるワよ」なんて、チョーシいいこと言ってたじゃないスか!

の ら:そんなコト言ったかなぁ・・?

猛王烈:前回の「螺旋の構造・その7」ですよっ、去年の5月28日の火曜日っ!!

の ら:That's so long ago, I don't remember. ──────────────
ハぁ、そんな昔ンこと憶えちゃインに。
  (日本標準語訳:もう、そんな昔のことはおぼえていないワ)

猛王烈:また、カサブランカみたいなセリフを言っちゃって。しかも、しぞーか弁だに!!

の ら:猛くん、遠州・しぞーかをバっカにしてるら?
   (編集部註:地元では静岡を ”しぞぉか” と発音し、よく ”しぞーか” と表記される)

猛王烈:そんなことないっスよぉ。オレはウナギだって、桜エビだって大好きだし、休みの日にはわざわざ静岡の ”青葉横町” まで行って「しぞーかおでん」を食べるほどッスから。
 富士山が世界遺産になった時なんか、女房と三保の松原で万歳三唱をしましたからね。
その日の夕食は桜エビのかき揚げと、どでかい金目鯛の煮付け。もちろんお酒は、由比の純米大吟醸「正雪」と 焼酎の ”しぞーか割り” っスよ!!
   (編集部註:しぞーか割り=焼酎を静岡産の濃い緑茶で割ったもの)

の ら:ふぅ〜ん・・猛くんって、しぞぉかを愛してるんだね。ちょっと見直したな・・・

猛王烈:あはは、いやぁ、それほどでも────────
 あ・・そ、そうじゃなくって、纏絲勁の話を聞きに来たんですよ、テンシケイっ!!

の ら:あ、はいはい、テンシ勁ね・・で、何を聞きたいの?

猛王烈:オレみたいに、ごくフツーに太極拳をやっている人間が「纏絲勁」と聞いてまず想像するのは、グルグルと手足や体にツルを巻き付けたみたいな、あの不思議な絵なんスよ。
『陳氏太極拳入門』みたいなタイトルの本には、大抵そんな絵が紹介されてますよね。

の ら:あのツルを巻いたような図は、陳鑫先生の『陳氏太極拳図説』に書かれていたものが元になってるのよネ。けれど、纏絲勁が螺旋のチカラだと聞いてイラストのイメージを取り入れる前に、そもそも纏絲勁とは何か、それをきちんと確認した方が良いわね。

猛王烈:そのとおりですね。師父はいつも「太極拳は科学だ、学問だ」と仰ってますから。

の ら:陳鑫先生は『太極拳纏絲精論』や『太極拳纏絲法詩』などで、纏絲勁について詳しく述べておられるわね。

猛王烈:へぇー、さすがはのらさん。”武藝館の歩くIQ” と言われることはありますね!!

の ら:あら、それじゃモーくんは、武藝館の ”歩くアイキョー” かしら?

猛王烈:あはは、上手いこと言いますね。確かに、愛嬌なら負けませんよ。

の ら:さてと・・まず「纏絲勁」というのは太極拳における「十勁」、つまり十種類の主なチカラのひとつなんだ、ということを認識しなきゃいけないわね。
ウチではこれを「勁十論」と呼んで、門人の学習に役立てているワケよね。

猛王烈:その十種類のチカラってぇのは、どんなものなんスか?

の ら:あら、「十勁」はウチのホームページにも紹介されているわよ・・!

猛王烈:えっ?・・そ、そうでしたっケイ────────?

の ら:シャレてる場合?、門人のクセに、よくホームページを読まなきゃダメでしょう!
師父が書かれた「太極拳の訓練体系」の 「勁を練るための訓練」にちゃんとあるじゃない。
 門外の人でも、それをコピーしてまで勉強する人がたくさん居られるというのに、ウチの門人がそんなんじゃダメじゃないの、モォ〜・・・

猛王烈:あ、そういやぁ、確かそんな文章を見たような、見ないような・・・ハハ・・

の ら:むわぁったく、調子がいいんだから。

猛王烈:そんじゃ、纏絲勁ってのは、「らんま2分の1」ならぬ「勁力10分の1」みたいなもん、てコトですよね?

の ら:むっ!・・水かけパンダのマンガと一緒にするんじゃないっ!!

猛王烈:す、すンません!・・その「纏絲勁」ってのは、結局何なンでしょうね?


纏絲勁はふたつでひとつ

の ら:最もきちんと認識すべきことは、纏絲勁には「内外ふたつの働き」があって、それがひとつになって纏絲勁として成り立っている、というコトよ。

猛王烈:ナイガイ?・・オレは「ナイスガイ」っスけどね、がはははっ!

の ら:バッシィーッッ!!───────ウチとソトの ”内外” だろおがああっっ!!

猛王烈:ひいっ!、のらさん、ケイがきいてるなぁ。(こりゃ ”五郎くん” の再現っスね)

の ら:纏絲勁には、内には「意・気・神」で導かれる内纏(nei-chan=ないてん)という運行があって、外には「筋・肉・骨」に由来した外繞(wai-rao=がいじょう)という螺旋の動きが生じている、ということなのよ。

猛王烈:へえ〜っ、そんなコト初めて聞きましたよ。

の ら:だから、もっとホームページをよく読みなさいってば、モッタイナイ。
 そもそも、陳氏は家伝の拳術について著したものが非常に少ないのよ──────────
書籍として世に残した人は陳鑫と17世の陳子明、それに18世の陳績甫の、わずか三人だけ。
それも陳鑫以外の二人は理論面ではすべて「図説」から採用しているから、少ないと言うよりも、拳学の理論を著述したのは、実際には陳鑫先生だけと言ってもいいでしょうね。

猛王烈:鳴歩道ぉ・・じゃ、そこに書かれた一言一言は、とても貴重だということですね。

の ら:そういうコト。(あて字でしゃべるの、やめなよね)

猛王烈:・・で、その「ネ〜チャン」とか「ワイらよ」つうのは、ナンですか?

の ら:ネイチャン(内纏)と、ワイラオ(外繞)でしょ──────!!
そんなこと、仮に私が知ってたって安易に口に出来ることじゃないわよ。纏絲勁の真相は、たとえ拝師弟子であろうと、後継者として後世に正しく伝える力を持った信頼に足りる弟子にしか伝えないと、師父もハッキリ言われているんだから。

猛王烈:そうかァ───────そんじゃ、末席を汚すチャランポランなオレなんかにゃぁ〜、絶対に教えて貰えるワケがないっスよね・・・(しょぼーん)

の ら:まあ、そう嘆くこともないわよ。師父はいつも、太極拳の原理は非常にシンプルで誰でも理解出来るものだと仰っているでしょ。それに、原理を解き明かすための練功を毎回の稽古でたっぷりと教わっているんだから、その気になれば私たちにだって太極拳の核心を解明して行けるはずよ。

猛王烈:そうか、よぉし、頑張るぞっ!、のらさん、もっと纏絲勁について教えて下さい。

の ら:いえ、私だってそんなによく分かっていないし、何よりも、まだ纏絲勁が実際に体に現れてこない状態なのよ。だけどね・・・

猛王烈:だけど─────────?

の ら:いつだったか、師父の後ろについて套路をやった時に・・・そう、初めの金剛搗碓の終わりから懶扎衣 (ランチャーイー)までを詳しく教授されたときに、師父の真似をして動いていたら、突然自分の体が、ササッ、ササッと・・・コシやハラを中心に、腿や脚が、まるで忽雷架のように、勝手に動いたことがあったのよ。

猛王烈:おおっ、コツライカ────────!!
 突然、雷光が閃いたように動くという忽雷架式ですね。あんなふうにササッ、ササッと動くのはエラいことですよ。師父はコトも無げにやって見せてくれますけど、オレたちが真似すると足で蹴るしかないし、片脚しか動かないんです。
 師父はすごく滑りにくいマットの上でも両足が同時に動いていて、脚が水に浮かんでいるようにさえ見えますよね。あの動きって・・アレが纏絲勁ってコトなんスか?!

の ら:いい質問ね。けど、あのような動きは忽雷架独自の動きだから、陳氏太極拳とはぜんぜん関係ない、なんて言う人もいるけど、モーくんもそう思う?

猛王烈:いいえ、オレは師父が見せて下さるものは、何であれ全部ホンモノの太極拳の精髄だと思ってますし、それに、忽雷架だろうが、騰梛架だろうが、代理架だろうが、どう見たってアレは、小架の套路そのものじゃないか、と思えるんですが。

の ら:そう、ホームページの「歴史と伝承 Page5」に書かれているように、忽雷架は、天才・陳清萍が考案した「代理・忽雷・騰梛・領落」の四つの架式の内の一つよね。
 それは元々ひとつの套路を「四つの練法」に分けたものと考えられるから、小架式を修めたウチの師父が、その中のひとつの架式を表現できても、ちっとも不思議はないのよ。

猛王烈:その系統を汲んでいれば、直接「忽雷架」を学んでいなくても表現可能だと?

の ら:そういうコト。現に師父は忽雷架をご存知なくても、身体が自然とあんなふうに動くでしょ。それは、太極拳の原理を身に着けた人なら誰でも「その構造」で動ける、ということを意味してるんじゃないかしら。それに──────────────

猛王烈:それに・・なんスか?

の ら:こんなこと、言っていいのかどうか分からないけれど・・・

猛王烈:珍しくモッタイぶりますねー、隠しゴトは良くないっスよ。

の ら:現在、太極武藝館で指導されている套路は、玄門架と呼ぶべき小架の拳套だけれど、以前、師父が見せて下さった、古い陳子明系の套路は────────

猛王烈:えっ?、えっ?・・そ、それを見たことがあるんですか?(オレも見たいよぉ!)
で、その古い套路というのは、どんな套路だったんですか?

の ら:それはね、まるで陳清萍が創った、代理架や騰梛架のような動きだったのよ!!

猛王烈:え”えええぇ〜っっっ────────────!!

の ら:驚いたみたいね?(「え」が濁音になってるニ・・)

猛王烈:驚きますよ!、オレなんか、小架と言えば陳伯祥、陳立靖、陳瑞華などの各老師、あるいは日本在住の陳沛山先生などがすぐに頭に浮かんできますけど、そこに趙堡系の雰囲気なんかはカケラも見られなかったスよ・・・

の ら:けれども、陳子明の父・陳復元は陳仲生(陳鑫の父)に小架と大槍を学び、陳耕耘(陳長興の子)からは老架と春秋大刀を、そして陳清萍には趙堡を学んだのよ。
 息子の陳子明は幼少期から家伝の拳術を学び、十数歳の頃から陳鑫に学んだというから、はじめに身体に染み込んだ套路には、陳清萍の太極拳の占める割合が三割以上はあったと言うことよね。

猛王烈:うわぁ、歴史ってスゴイんスね。それじゃ陳子明先生の『陳氏世傳太極拳術』の中身には、陳復元と陳有本と陳清萍の套路がミックスして入っているってコトなんですか?

の ら:そのとおり。それらを統合して創られた独自の拳と言えるでしょうね。
その拳架は「引蒙入路」、入門に導く套路と呼ばれているの。そこには陳氏太極拳の精髄がそこかしこにちりばめられているというワケね。

猛王烈:なるほどなぁ。師父が散手であれだけ繊細に動けるのは、そんな複合的な套路をずっと訓練して来られたからなのかも知れないっスね。

の ら:そうね。そして、さらにそれが玄門に伝わることで、実際に軍隊で使われるほどのレベルにまで高められ、武術としてより実戦的な構造になっていったのだと思うわ。

猛王烈:構造?・・・ああ、また「構造」が出てきましたね!!

の ら:纏絲勁は、「纏絲の構造」と言い換えれば、もっと分かり易くなるでしょう?


纏絲の構造

猛王烈:纏絲の構造・・・・うわぁ、何だかものすごく新鮮な響きっスね!!
この螺旋シリーズの「その3」でも、運動と構造の違いについて語られていたけれど、オレは纏絲勁というのが「運動」や「チカラ」のことだとばかり思っていましたね。纏絲勁とはいったいどう ”動かす” のか、どうやって、どんなふうに ”動かして” 力を発するのだろうかって・・・

の ら:よく陳家太極拳の入門書などには、「纏絲勁は螺旋のネジリをともなった動き」であり、「それによって働く力を纏絲勁という」などと定義されているわね────────

猛王烈:日本じゃ、そういう考え方が「纏絲勁とは何か」をイメージする代表的なものになった、という感じがしますけど。

の ら:そうでしょうね。でもそれは多分日本だけじゃなくて、今の中国でも、そういう認識が大部分を占めてきているんじゃないかしら。ある本には、こうも書かれているわ・・・
『纏絲は、ただ手のみをねじるものではなく、足・膝・腿・体などが協調して行われるものであり、纏絲によって強大な力(勁)が十分に発揮できるのである』

猛王烈:・・ってコトはつまり、手だけじゃなくて体ごと協調してヒネル、ネジル。それが纏絲であり、それによって強い勁力が出る、という意味なんでしょうか?

の ら:そう解釈できるわね。つまり一般的には、纏絲勁は基本的に「ヒネル」「ネジル」ものと考えられている、ということになるのかしらね。

猛王烈:それを体中で協調して行うと、モーレツな纏絲勁の発勁になる、と?

の ら:まあ、普通にはそう信じられているんでしょうね。

猛王烈:でも、ウチの師父の発勁は、体をヒネってもいないし、ネジってもいない・・・

の ら:そういうコトよね・・

猛王烈:つぅーことは、つまり・・・・

の ら:そう、つまり、それは・・・?

猛王烈:つまり、それは───────────────

” ウ チ の 師 父 が 全 面 的 に 間 違 っ て い る ” ・・・と!!

の ら:ブゥワァアアアアッシィイイイ〜〜ッッッッッッ────────!!

猛王烈:痛(つ)ううううっっ!!(ま、またしてもモーレツなケイが・・)

の ら:アホか!、弟子のクセに、オドレの師匠が信じられンで、どオするンじゃいっ!!

猛王烈:ひ、ひぃっ、す、すンません、つ、つい・・・・
でも、「螺旋の構造・その3」以来、それが疑問で仕方ないんスよ。そこからパラレルとかスパイラルなんて、スキーのターンみたいな話になって、いくらハイハイをしても分からなかったんですよぉ。「新タイ爺歩き」なんか、ますます混乱するばかりだったし────────
 (のらさん、今度は広島弁じゃけぇ・・いびせえ(怖い)のォ・・)



                                (つづく)

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