2022年12月23日

門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その67

  『只、真っ直ぐに立つ』

                    by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



 ついこの間年が明けたと思っていたら早いもので、もう1年が過ぎ去ろうとしています。時間は誰に対しても平等に流れているはずですが、慌ただしく毎日を過ごしている間に、油断をしていればあっという間に流れていってしまうものですね。
 さて、その長いようで体感は短くも感じられたこの一年間、どのように成長、ないしは変化することが出来たでしょうか。個人的には、一年の後半になるにつれていくつかの出来事がバタバタと起こり始め、より慌ただしく忙しくなっていった年でした。
 その結果、仕事の都合で道場に稽古に来られる時間が、以前よりも減ってしまいました。その変わりというわけではなかったですが、このブログでの連載を毎月書かせていただくようになったこともあり、結果的には、これまで以上に太極拳に向かい合う毎日を過ごしていたように思います。

 道場に来れない時間が出来たということは、その時間取り組んでいた稽古時間は、どうしても減ってしまうことになります。それによって自分の稽古の進捗に遅れを出してしまうわけにはいかないので、自分自身で稽古への取り組み方を工夫しなければなりませんでした。
 その中で、先月の記事にも書きましたが、玄花宗師が訓練中に「放鬆(ファンソン)」に取り組んでいたというお話を聞き、改めて自分の状態、「力み」についてじっくりと観察をすることとしました。
 少し話が逸れるかもしれませんが、人間の意志の力というものは、現実の物事に影響を及ぼすような、不思議な力を秘めているように感じられます。この一年で自分の周りに起きた変化というのも、自分がどこかで「なんとかしたい、物事に変化を起こしたい」と本気で思うようになり、そうすることでだんだんと変化が現れ始め、それに乗っかることで実際に変わり始めたところが多分にあったように思います。

 少し眉唾な話にも聞こえますが、自分の意志で、意識を変えることで実際に行動に変化が出始め、それによって周りの物事にも影響が出始める…人間が自分一人で生きているわけではないからこそ、起こる現象ではないかと感じています。
 自分がただ一人で「ああしたい、こうしたい」と思って我儘に行動したとしても、それは周りと協調性のあるものではありません。ただ我を振り回しても、この世界はどうも応えてはくれないように感じられたのです。むしろ、自分を静かにすることで、そこにある流れのようなものが見いだされ、それにそっと自分も合流していくような感覚、それが変化が起きている時の状態なのではないか、と思うようになったのです。
 それと同じような変化が、もしかしたら自分自身の太極拳の在り方にも起こり得るのかもしれないと思うようになったのは、一年の四分の三が終わったくらいからでしょうか。
 自分の周りの出来事との関わり方にも、力みではなく、放鬆された状態で臨まなければ、太極拳と人生を一貫したものとして生きていくことは出来ないのかもしれません。

 このことは、自分一人での稽古もさることながら、対練において、他の人と稽古をさせていただく時に特に顕著に感じられるようになった気がしました。これまで知らずに力んだままの自分で、どうにか相手を制しようとしていたり、受けようとしていた部分が、どんどんと現れてきているように思います。この変化はいまだ継続中で、急に上達したり何もかも良くなるということではないのですが、明らかにこれまでと違った形で、対練で得られるものがあるように感じています。
 そして結局のところ、自分の在り方や立ち方がどうかという点に、問題は戻ってきてしまっているように思います。
 この点は、稽古においてずっと一貫して指導して頂いていることで、それが稽古の根幹をなしているからこそ、いつもこの点に戻ってくることになるのかもしれません。
 表題にも書きましたが、余分に力むことなく、只、真っ直ぐに立つことの難しさを、改めて感じています。「愚直」という言葉がありますが、稽古のみならず人生においても、自分が「これだ」と思ったことをただひたすらに続けること。たとえ何も知らない他人が「あいつは愚か者だ」と蔑んでこようとも、それを続けられるだけの愚直さがなければ、物事は大成しないようになっているのかもしれません。
 この一年があっという間に感じられたように、もしかしたら人生も、振り返ればあっという間なのかもしれません。その中で、これだと信じた道をただひたすらに歩み続けられること。まさに王道を行かなければ、本物として成就することなど到底かなわないのかもしれません。

 いま現在も、力まずに立つことの難しさを感じています。人間というのは、何かをしている時はもちろんのこと、何もしていない時でさえ、無駄な力みを自分の中に持っているのだなと、改めて感じさせられています。
 戦いの場においてそれが余計なものだと喝破し、それを止めることで、人間の持つ別の力の使い方を見出した先人たちは、どれほどの意志の力があったのだろう、と思わされます。そして、それが簡単ではないからこそ、自分も取り組んでいくことの楽しみもまた、同時に味わえているようにも思います。
 日常の些細な動作でさえ、なんとなく力みで動いてしまえる時があるというのに、自衛隊で行われた戦闘に関する訓練を、放鬆を意識しながら乗り越えた玄花宗師のような状態に、一体どのようにしたら近づけるのでしょうか。そこに求められるのは、本当に強い意志の力ではないかと感じられます。それをこそぜひとも身に着けたい、と痛切に感じます。

 道場で一緒に稽古をさせて頂いていると、太極拳での成長、変化がある人というのは、必ずその人間性も同時に変化しているように感じられます。特に上達している人というのは間違いなく、人間としての温かみや優しさがあるように感じられ、そういう人と対練させていただくと、こちらが凄い崩され方をしている時、それが無理矢理ではなくて、こちらの状態というか、意を汲んでもらいながら、上手にうまく崩れるほうに誘導されていっているようにさえ感じられます。それは、なんと表現したらいいのか、すごく崩されているというのに、不思議と嫌なものではないのです。
 力ずくで何か影響をさせられている時はむしろ逆に、自然と体は逆らう方向に作用してしまい、結果、崩れは少なくなってしまうのです。
 先日の稽古で、玄花宗師に床に組み伏され、手足は完全に折りたたまれ拘束されたというのに、自分の体からするとそこに収まることが正常なことにさえ感じられ、全く自由が利かないというのに、抵抗したくなるような嫌な気持ちにならないのです。冷静にあとから考えてみると、これは本当に恐ろしいことではないかと思います。敵対する相手にそれをやられたとしたら、抵抗する気力が全く起きないまま、自分が死地にいることになってしまうのですから。

 それもすべて、拙力ではなく勁力、そこにあるはずなのに、説明され訓練されないと気づけない力の流れが使われているからなのだろうと思います。
 そこに至るための方法は、稽古を通じて示していただいているのだと思います。問題は、それに対して自分が意識的に気づいて取り組んでいけるか、その点にかかっているのだと思います。
 それを習得するためには、うまいことやろうとせず、只、真っ直ぐに立つことを磨いていくように、ひたむきに取り組んでいくしかないのだろうと思います。そこで得られるものは、この人生を生きていく上で、全く無駄になることはなく、むしろ自分を最大限に生かしていってくれるものに感じられます。

 本年も、私の拙い文章を読んでいただき、ありがとうございました。稽古や生活で感じられたものを、何かしらシェア出来たのだとしたら、これほど嬉しいことはありません。
 みなさまにとって、この一年はどのような年だったのでしょうか。
 来年もまた、この連載も含めどんどん自分を磨いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

                                (了)






☆人気記事「今日も稽古で日が暮れる」は、毎月掲載の予定です!
☆ご期待ください!


disciples at 19:00コメント(23)今日も稽古で日が暮れる  

コメント一覧

1. Posted by ハイネケン   2022年12月26日 00:07
記事の投稿が毎月となったことで太郎冠者様の稽古の変化や、私自身の取組み方が随分と躍動的に感じ、そして顕になりました。
なぜ稽古をするのか、何を学びたいのかを考える事が多かったです。自分がどうしたいのか、どうありたいのか。また今何をしているのか、それはどういった視点による行動なのか?
以前にも書きましたが考えがグルグルとループする時はメモ紙に書き出してみたりしました。私の場合、3つ位の段階でグルグルと同じ事をループし言い訳にしている様ですが。
人の欲の中には認められる事や、良い評価を望んだりと、他人による承認欲求が強くあり、同じ意見を持つ人を求めます。
それが悪い事であるという事ではなく、そういう欲求があると認識すると自分が少し客観的になり進める気がしました。
全員同じ稽古をしていても、ひとそれぞれ自分の稽古をしており、必要としている事は異なります。
不思議と、自分は皆と違うと考えて稽古に向かうと苦しくなるのですが、稽古を通して一歩でも深く自分と向き合う事にフォーカスすると自然と楽になりました。
宗師の「放鬆を意識しながら乗り越えた」話題は非常に興味深いお話しでした。力まずに乗り越えたという事ではないのですね。その時その時を意識し続ける事の難しさ、厳しさを思うと驚くばかりです。
書きながら考え、多少の校正削除をしてコメントさせていただいておりますが長いコメントが多かった一年となりました。
来年はもっとスッキリと文章を纏めてコメントしてみたいです。
支部の皆さんと投稿についての話をする機会が増えました。
太郎冠者様 ありがとうございました。
2. Posted by 阿部 玄明   2022年12月26日 06:27
太郎冠者さん 

自分も立つことの難しさを日々感じます。
立ってみて力みがあれば力みを止める、また力みの原因になっている姿勢の歪みなどの原因を修正する。
修正したと思ってもまた力みが生じてくるのでまた修正する。まるでもぐら叩きになってしまいます。
何もしていていないときでも実際は自分は何かをしていて力んでしまっている。
自分が知らない自分の傾向に気づいて修正し続ける愚直さこそが
上達の鍵なのだと思ってます。
人間が集中してなにかに取り組むのは案外難しいので
愚直さとはある意味、才能であると言い換えても良いと思います。

それにしても立つことに悩む人間はこの地上に一体何人いるのだろうか?
ふとそんなことを考え可笑しく思ったりします。
進化論を正しいとすれば魚だった先祖が陸に四つ足で上陸して生活するようになり
哺乳類としての人間になってようやく日本の足で立つようになった。
大脳も大きくなり文明が繁栄した。
それだけでも十分じゃないかと思うが、それでも足りずに如何にして力まず立つのかを悩む人間は
人類よりもさらに進化した先進的種族なのかもしれませんね。

来年もまた一層進化していきたいと思います。
3. Posted by 平田玄琢   2022年12月26日 08:24
太郎冠者さん 今年一年間の執筆をありがとうございました。毎回の記事をたいへん面白く拝読させていただきました。

自分も同じような場面で同じ事を思っていたり、参考にすべき考え方がたくさんありました。やはり先に進みたければ、何回も基本に戻ることが大切だと思いました。

今年一年の目標の一つは、まず、基本的な練功を面倒だと思わずに何回も繰り返し、少しでも理解を進めることでした。
なかなか理解できず年末近くになってから、ようやく、何回も指摘され何回も示されていたものなのに、それはこういうことかと気づいた程度でした。そして、放鬆の状態にはほど遠く力みだらけでした。

来年は、気づいたものをアウトプットして、しっかりしたものに変えて少しでも先に進みたいと思います。

会ふ人に 歳のせいだと言いつつも 心は常に若きころかな
                  玄琢
4. Posted by マガサス   2022年12月26日 11:31
今年は一年を通して稽古に出席し、また、ブログのコメントにも参加させて頂きました。
その中で、投げ出さずに「継続する」事が、これ程までに自分と向き合わせてもらえる事になるとは、思いませんでした。
逆に、今までいかに自分と向き合い合うことを避け、物事を「コツコツ」やってこなかったかが明確になりました。

宗師の在り方は高くて深く上下に貫かれ、前後左右に関わりを持ちながら膨らみ、周りを包み込むような大きな球体のように感じられます。
全身全霊でこの道を歩いていらっしゃる姿を、ずっとみせて頂いています。
また門人の皆さんの稽古に向かう姿勢や、研究会の方々のコメントを読ませて頂くと、それぞれの方が今の自分と向き合い、自分の言葉で発言し、それを受け取りながら周りの皆さんがまた勉強されていくという、循環が生まれている様に思いました。
「稽古の上達」と「人間性の成長」を近くでみせて頂き、とても刺激を受けています。
太郎冠者さんのおっしゃる「在り方」を自分も感じた一年でした。
「自分なり」を戒め、諦めず、理解を深めていけるよう、反省して来年に繋げていきたいです。

いつも色々な観点から記事を書いて頂き、勉強になりました。
その都度考えさせられることばかりでした。
とてもとても自分一人では、この様にたくさんの問題提起を自分自身に出来ません(汗)
本当にありがとうございました。
5. Posted by 川島玄峰   2022年12月26日 20:50
対練の稽古では力を入れていないつもりでも相手には力みとして伝わってしまう事があります。また相手がいるお陰で自分自身の力みを確認する事ができます。
その力む動きに至る仕草や行動は稽古によって自分の頑固さ、鈍感なところ、思い込み、捉え方の勘違いなど自分では気付けない部分を露わにしてくれます。それは今の在り方として表現された結果なのだと思います。
稽古場は在り方を知り修整される事により人間性にも影響が生じて今までの自分を顧みる事が出来る貴重な場所であると思います。
しかし修整されるかどうかは、太郎冠者さんが仰る自分が意識的に気づいて取り組んでいけるかにかかっていると思います。
そのような意識で稽古を繰り返される事によって少しずつ心身が正され放鬆の意味も本当の強さも理解出来て来るのだろうと思います。

太郎冠者さんの稽古に向かう姿勢は私の稽古の道標となっています。
これからもますます進化される事と思います。
私も勉強させて頂きます。
ありがとうございました。
6. Posted by 西川敦玄   2022年12月26日 21:21
1年間ブログ更新ありがとうございました。太郎冠者さんの書かれたように12月のこの時期になると、一年がとても早かったように感じます。来年もよろしくお願いします。

さて、記事にもありましたように、先人たちが戦いの中、あるいは稽古の中で発見した理は宝物のようで、発見と研究、昇華の賜物であると思います。力みや相手を倒したいなどといった、通常の考えのやり取りの中から飛び出してみないと分からない。
私たちも、発見、研究、昇華の現場に飛び込んでみなければ、入り口にも入れないものと思わされた一年でもありました。
得難い今年一年の経験を糧に、そして反省として、来年の稽古に生かしていきたいと思います。
7. Posted by マルコビッチ   2022年12月27日 14:51
対練で基本通りにやろうとしても、相手をどうにかしようとする意識によっていつもの基本のように動けないということがあります。
考え方、在り方、意識の方向はそのまま立つ姿や動きに現れてくるのだと思えます。
ただ立とうとするだけで力みが生じる、力みが生じたところを意識してみる。
夜寝るときに布団に入ってリラックスしていいはずなのに、体が緊張していることに気づく事があります。
緊張を解きほぐそうと頭を空っぽにして意識すると、こんなに緊張していたんだと驚きます。
寝ようとする時でさえそうなのだから、動いている時などいかに余計な緊張、力みがあるんだろうと思います。
用意不用力、放鬆は私たちにとって難しい課題です。
放鬆をリラックスと考える方は武藝館にはいらっしゃらないと思いますが、放鬆、放鬆と考えていても余計緊張するだけですよね。
「放」「鬆」の意味を調べてみるだけでも、正しくはわからないですが、考え方が変わる気がします。
穴の開いたもの(五円玉とか)を糸で繋げて上から吊るして揃うように、など、言っていただいていることをその通り意識してやってみるしかないですね。

太郎冠者さん、毎月の記事の投稿ありがとうございました。
太郎冠者さんの努力と稽古に対する取り組みには頭が下がります。
私も、今年の反省を来年に活かせるように、前向きに進んでいきたいと思います。
1年間ありがとうございました。
8. Posted by 松久宗玄   2022年12月27日 17:15
太極拳の上達に「愚直」は必用不可欠なものと思います。
力みをやめていく放鬆(ファンソン)を追求するにしても、直ぐには成果が出てきません。
站椿は棒の様に立つものだと、稽古を積み重ねても、一見した所では変化は見え難いものです。
その中で、無為とも感じられる稽古の日々を如何に過ごせばよいのでしょうか?

それには、その稽古の意味が理解されていて、その稽古の目的と目標がはっきりしている事、
外見上は変化が見られなくても、自分自身では稽古が掘り下げられている実感があり、小さくても日々気付きが生じている事、
自分の現状が把握できていて、時々の稽古による自分自身の変化を感じ取れている事、
自分自身を第三者として見守る事ができている事・・・

稽古が分からない時は、先ず自分が分からない状態である事が多いように思います。
稽古の大前提としての自己観照と自己統御にこそ、「愚直」に取り組むべきかと思いました。

本年もありがとうございました。
9. Posted by 清水龍玄   2022年12月28日 06:47
本年も一年ありがとうございました。
只、真っ直ぐに立つ、太極拳に向かう、人生に向かう、全て同じもののように思います。
本年一年、自分がどのように太極拳、そして人生に向かっていたか考えていました。
一日単位、一年単位、そして自分の一生と考えて、どう生きるのか、立つことに指針があるように、生きることに於いても太極拳という指針があり、それに照らし合わせ、理解し、変わっていけることが、立つことと同じと考えています。
来年も宜しくお願いいたします。
10. Posted by 川山継玄   2022年12月28日 14:18
「只、真っ直ぐに立つ」
このテーマに、すっと背筋が伸び、清々しさを感じます。

「真っ直ぐに立っているつもり」
という自己満足・自己欺瞞がなんと多かったことか、とこの一年を振り返ります。
「何が原因かはわかりませんが、緊張で動きがカクカクしています。」
という指摘をいろいろな方から、何度ご指摘いただいたか知れません。
何故、現状を変えることができないのだろう。
宗師を始め、いろいろ方から、様々なアドバイスを頂きました。
みなさんが、自分の事のように親身になって私の問題に向き合って下さり、本当に有難く、感謝の気持ちでいっぱいです。
そのような中で、
「常に、これはできないから…と目標に制限を設け、自分のできる範囲にとどめていた事に起因するのではないか」
と思い至りました。
いつもいつも、最大から始まるのではなく、最小から始めて「あっ、出来ない。どうしよう。」とやる前から諦めたような、とても消極的な取り組み方になっていたのです。

(つぎにつづく)
11. Posted by 川山継玄   2022年12月28日 14:19
                 (その2)
今年も終わろうという頃になって、
「金曜日の稽古に出席する」
という目標を持ちました。すると、
「ではそれを実践するにはどうしたらいい?」
と冷静に、その目標を達成するための解決策を考え、実際に動いてみる。ということが、私にもできたのです。
それは成功体験として私の中に実感できましたが、今まで思っていたような、大変な事ではありませんでした。
「自分を見つめて、現状を把握して、うんぬんかんぬん…△●□×?!@@」
などと小難しく考えていた私を置いておいて、
「目標に制限を設けない事」
をやってみただけの事でした。
生きるということは、決断し行動している事の連続。
これからは、一日におけるすべてのそれらを、目標達成に焦点を絞って、成長し続けられる事を選択したいと思います。

太郎冠者さんの、無限に広がる好奇心・探究心・何より太極拳が好きでたまらないという記事が、いつも私の中を吹き抜けて変化を起こしてくれます。
今年もありがとうございました。
来年も、共に頑張りましょう。
12. Posted by ふにゃ   2022年12月28日 20:34
立つことは本当に難しいことなのですね。
武藝館に入門した頃、何も知らずに目標は立つこととごまかさないこと…などと考えていましたが、
立つことは当然難しく、どんどんごまかしたい自分になっていました。
今思えば問題を自分の外のことにしていたので、解決するはずもなく、ただ何年も過ぎてしまいました。
そんな中、太郎冠者さんの記事やコメントバック、本部支部の門人の皆さんのコメントなど読ませていただき、気持ちが上向きになり、長年停滞していたところからこの年末少し変化することができました。
子どもの自分と大人の自分という考え方や子供の頃読んでいた絵本を読み返したりしたことで自分を見つめ直せたというのも大きかったと思います。
ありがとうございました。

そんなこともあり、久しぶりに練拳ダイアリーや歩々是道場などの過去の記事と門人規約を開いてみたら、数年悩んでいたことや疑問に思っていたことは全部書いてありました。
これからの一日一日を大切にしていきたいと思います。

13. Posted by 太郎冠者   2022年12月31日 00:31
☆ハイネケンさん
太極拳に向かい合っているとき、それは同時に自分を映す鏡としても在るようで、いつも自分を観るという行為を伴うように感じられます。
そこに映るものは良い面も悪い面も含まれ、稽古を続けるということは、それに一喜一憂せず、物事を続けていくことが求められるかのようですね。

頭で考えて悩まずに、きちんと紙に書くなどしてまとめることは、本部での稽古においても、問題に直面して解決できないとき、宗師がよく指導してくださることです。
実に簡単なことなのにやっていない、だけどやってみると、物事は不思議と解決していく…。
そのようなことを味わうと、また違った目線で、稽古や生活に向かっていけるのが、本当に面白いことだと思います。
>長いコメントが〜
みなさんの熱量あるコメントに返信することは、私にとって記事を書くことの第2ラウンドだと思っております。
自分にとってはもちろんですが、皆さんにとっても何かのきっかけとなっているのだとしたら、こんなにうれしいことはありませんね!
14. Posted by 太郎冠者   2022年12月31日 00:37
>阿部 玄明さん
「太極拳は学問であり、科学である」とは、太極武藝館においてはよく聞かれる言葉ですが、科学が自然に潜む理を解き明かしていく行為だとして、太極拳はまさに科学的であり、人間の能力を最大限に引き出していくもののように思います。

普段の生活の中で、外を歩く一般の人の姿を見ると、歩き方や立ち方を気にしている人など皆無のように思え、やはり我々は特殊なことをしているのだろうか、という気持ちにさせられますね。
ですが、普通は顧みないようなことを気にし、追求していくことで生物は新たな領域を切り開き進化してきたのだと思うので、そういう点においては、仰る通り我々は人類の新たな地平を切り開こうとしている人種なのかもしれませんね。

確かに可笑しくもありますが、ですが非常に興味深い事でもあると思います。
どんどん追求していきたいですね。
15. Posted by 太郎冠者   2022年12月31日 00:44
☆平田玄琢さん
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
個人的には、玄琢さんから聞かせていただく経験談が非常に面白く大変興味深いので、機会があればぜひとも、玄琢さんの書いたものを読ませていただきたいと思っております。

稽古は一人で追及しなければならない、というのは当然の真理だと思いますが、様々な人生経験を経ているほかの門人の方々と交流を持たせていただくことは、自分という人間の可能性を広げる行為に他ならないのでは、と感じています。
そうして、自分の中に無かったものに気づかされ、新たな可能性に気づき、より豊かになっていけること…稽古をしている中で、ただ強くなるということを越えて、人生が豊かになっていくことは、自分にとって本当に大切な宝物に感じられます。

そうして勉強できたことを、稽古にも生かして、もっともっと上達していきたいと思います。
また今度、面白い話を聞かせてくださいね!楽しみにしています。
16. Posted by 太郎冠者   2022年12月31日 22:50
☆マガサスさん
ここ最近感じていたのは、稽古を通して自分の本当の力を高めるためには、自分を押し通そうとするのを止めて、もっと周りに目を配り、合わせることの出来る在り方が必要であるという観点でした。

自分一人で出来ることには限界があるので、周りの環境や状況、起きていることを促進するような方法でこそ、自分からも本当の力が湧いてくるというのは、少し前の自分からしても盲点でした。

玄花宗師と相対しているとすべて見透かされているような、手玉に取られているかのような感覚に陥るのは、そのように合わせられ、それによってこちらもまた別の力を引き出されてしまっているのかも?と思った次第です。
稽古にせよ、仕事など生活の別の面においても、いままで知らなかった自分の新たな可能性と出会えることは怖いようでもあり、しかし一度それを乗り越えると新鮮に感じられ、とても面白いものですね。
それと出会えるようになるためには、仰る通り、毎日コツコツと精進し続けるしかないのかもしれないですね。
17. Posted by 太郎冠者   2022年12月31日 22:59
☆川島玄峰さん
稽古をしていて自身の力みを感じる時、裏側では自分の弱さが作用しているのでは、と感じることがありました。
相手に何かされてしまう、何とかしなければ…そういう時、身体は知らずと力みを生み出し、物事の変化に対抗しようと準備をしているように感じます。
なので、それを完全に手放し、やめるためには、他ならない自分の心の強さが必要なのではと思ったものです。
腕っぷしの強さや体の強さを越えた先にある、太極拳の強さ。それを得るためには、(嫌でも)自分の弱さと対面する必要があるように感じられます。

特に臆病でビビりな自分には、他の方もそのようにして稽古に取り組み、挑戦していっているという事実が、自分を励ます原動力にもなっています。
これからも、どうぞ一緒に勉強させていってください。
ありがとうございました。
18. Posted by 太郎冠者   2022年12月31日 23:05
☆西川敦玄さん
今年も一年間、ありがとうございました。
年末のこの時期、道場では稽古収めを終え、自分と向かい合う時間が取れるようになります。
この一年間、自分はいったい何をしてきたのだろう、どう変わったのだろうと思い返してみますが、変わった面もあれば、引き続き鍛え直さなければならない面も多々あり…。

そうしてみると、あっという間に感じられた一年も、やはり日々の積み重ねがあっての今なのだなと思わされます。同時に、その瞬間瞬間、自分がどのように意識し生きているかが、積もり積もって将来の自分を作り出していることに思い当たり、より一層、瞬間ごとに精進を重ねていかなければならないと、決意を新たにさせられるものでもあります。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
19. Posted by 太郎冠者   2022年12月31日 23:13
☆マルコビッチさん
寝ている時にも力んでいるというのは、まさに自分も感じたもので、驚きのあまり逆に目が覚めてしまったものでした。

一切力んではいないのに、全身に一様な張りがあり、動けば一動作でたちどころに動ける体…そのような一見矛盾したような状態は、我々の常識の範疇にはなく、指導していただいている通り放鬆された状態を、少しずつ丁寧に追及していくしかないのだ、と感じますね。

放鬆しないといけないのに、放鬆しようとするだけでも力んでしまいます。まるで禅問答のようですが、そこで見いだされる境地に自分を持っていけないと、太極拳の上達はないのだと思うと、がぜんやる気が出てきますね(そして力みます)。

人と接する時にも、こちらが構えていては相手にもそれが伝わってしまうように感じるので、稽古、仕事を問わず、柔らかく人と接していけるようにする、というのは来年の自分の課題でもあります。
一年間、記事を読んでいただきありがとうございました。みなさんの言葉が励ましになり、継続することが出来ました。
来年も、よろしくお願いいたします。
20. Posted by 太郎冠者   2022年12月31日 23:20
☆松久宗玄さん
「只々愚直に前に進み、倒れる時には前のめりに倒れる。そうすれば、体の分だけ前に進めるのだ…!!」

まるで根性論のようですが、今月のカレンダーの言葉ではないですが、うまいことやろうとせず、ただ続けることで成果が見えてくる。これは本当の意味での稽古の成果だと思いますし、今年は自分もそれに倣って、稽古をさせていただいたという面が多分にあったかと思いました。

植えられた種が、土の上からは見えなくてもしっかりと根を伸ばしていっているように、着実に積み重ねられた功夫はいずれ芽を出し、大きく成長していける土台になるのだと思わされます。

来年からと言わず今からでも、自分もそのようにして物事に取り組んでいき、着実に変化を起こしていかなければと思いました。
一年間、ありがとうございました。
来年もまた、一緒に多くのことを勉強させていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
21. Posted by 太郎冠者   2022年12月31日 23:31
☆清水龍玄さん
今年一年、記事を読んでくださり、ありがとうございました。
元来面倒くさがりな自分が今回まで続けてこられたのも、ひとえに皆様に読んでいただくという明確な目標があったためであり、ある意味では自分だけの力ではなかったのだと、本気で感じています。

太極拳を稽古することも、畢竟すれば家族や愛する人など、大切な存在を守ることのできる力を得るため。そういうものが原動力になるように、人間にはインプットされているのかもしれませんね。
今年一年、順風満帆なことばかりではなかったのですが、それでも周りの人たちに助けてもらえながら、今日までなんとかやってくることが出来ました。
「なんとかなった」などとそれに胡坐をかかず、感謝の心を持たなければいけないと、心の底から思いました。
稽古をする、人生を生きる、大切な部分では結局のところ、同じものが必要なのではと感じたものです。
来年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
22. Posted by 太郎冠者   2022年12月31日 23:38
☆川山継玄さん
私も、「変わりたいのに変われない」ということに直面させられた一年だと感じたところがあります。
変化の兆しが見え、原因がだんだんと判明してくると、それは他ならない、自分自身が実は変化を望んでいない、そこで続けることで安心を得ていたからだということに気づいたとき、かなりはっとさせられたものです。
嫌だと思っていたことが、実は嫌ではなかった…本当はそれがよかったから、そこで続けていたのだと。

逆に言うと、物事を生み出す力はあったはずなのに、それを現状を固持することに使っていたのだということだと思います。

それに気づいて、力をもっと有効に働かせてあげることで、物事は不思議と動き出す。そのことも実感させられた一年でした。
こういったことを味わえるのは、本当に興味深く楽しいことですね。物事の無限の可能性を感じられ、人生が開いていくようにも思われます。
継玄さんのコメントを読ませていただき、みなさんそのようにして取り組まれていたんだなぁ、と共感させていただきました。不思議なものですね。
今年一年間、ありがとうございました。
来年も頑張って書いていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
あ、もちろん稽古にも励んでいきますので!
23. Posted by 太郎冠者   2022年12月31日 23:49
☆ふにゃさん
自分も以前、ひどく落ち込んで周りに迷惑をかけたことがあったのですが、以前師父にかけていただいた言葉があります。
「済んだことで自分を責めず、しっかりと反省し、次につなげていけるように精進をしなさい」と、言って頂きました。

『物事を ものごととして 受け取れること』
カレンダーから引用してばかりで恐縮ですが、良い悪いという判断でさえ自分で下さず、ただ起きたこととして味わい、それをどう自分が生かしていくか、その点だけが問われるのだと、言っていただいたのだと思っています。
自分も、日々の生活や稽古の中で反省する点が多々あるのですが、それを生かして成長につなげていけることが、自分を見守って頂いている方々に出来る最大の恩返しなのかなと思っています。

一年間、記事を読んでいただき、ありがとうございました。
みなさまからいただいたコメントは、自分の励みにもなり、また、自分の新しい面を発見できる鏡にもなっておりました。
来年も精一杯取り組んでいきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

Categories
  • ライブドアブログ