2022年07月18日

特別強化訓練 感想文寄稿 其の二

   『強化訓練に参加して』

                    by 池田善美
(拳學研究會クラス)



今回の強化訓練に参加させていただき、ありがとうございました。
またこの強化訓練にあたり、入念な準備と様々なご配慮に心から感謝申し上げます。
お陰さまで、皆さんの半分の時間ではありますが乗り越えることができました。
ありがとうございました。

私はこのような研究会の訓練には初めて参加させて頂きました。
一般的な運動能力に欠けていることは、コンプレックスでありながら鍛えもせずそのままにしてきました。
そんな私が太極拳なら動くことができ、私の人生で唯一続けていかれることでした。
しかし、その太極拳で必要とされる練功の中には苦手なことが多々あり、その一つが受け身でした。
蹴りでも勢いでもなく、身体を使うことを要求されますが、蹴りや勢いを使っても出来ない私は、身体を使うという正しいやり方にさえ向かい合うことができず、「無理」という一言で自分から遠ざけていたのだと思います。
スキーに行って、滑り降りることはできても転んだ時に対処できず、若い女子たちの冷たい視線を浴びながらジタバタしていた時の状況を思い出します。
グループでテントを設営した時のように、きちんと説明書を広げて、全体像を把握し必要なことを順を追って着実に行っていくことは、苦手な練功を行っていく上でも当てはまることで、玄花宗師のお手本と基本という説明書を頼りに、出来なくてもいいから身体を使うとはどういうことなのかを理解していくことなのだと思いました。
そうして、出来ないことに対して先送りせず、ひとつひとつ向かい合っていくことは準備であり、その準備の積み重ねが想定外の状況に対処できる力なのだと思いました。
私の目標に「どんな状況でも冷静でいられること」がありますが、それはただ常に自分を観るということだけではなく、常に自分への準備をすることなのだと思いました。
今回の強化訓練もそうですが、師父や玄花宗師は式典や講習会などの際には決まって入念な準備をされます。
決して行き当たりばったりなことはしません。あらゆることを考えられてとことん準備をされます。
それはきっと常にそのように生きていらっしゃるからなのだと思いました。
それが、きちんと生きる!ということと繋がるのだと思いました。

また、出来る出来ないではなく、チャレンジしていくこと自体が力になるということを実感いたしました。
正式弟子の方々の稽古に向かっていく強さは、このようなことを繰り返し経験されているからなのだと、やはり凄いなあと思いました。

二つ目の目標に「対練の際の相手との関わり」としましたが、今まで、相手と合わせて基本の動きで・・などの考え方で対練をしてきま
したが、最終的には相手を倒したいという思いがあることがわかりました。
自分ではそんなことはないと思っていたのですが、日常の人との関わりの中で、「どうしてこういうふうに出来ないのか・・」と自分を通そうとする強さがあると、思い当たることがあったからです。
初日にご指導いただいた、「人はどうしたら崩れるのか、崩そうとするのではなく、どうしたら崩れるのか探していく、相手が立てるところを探していく・・・」この最後の言葉は、初めて耳にする私の発想にはないもので衝撃でした。
私たちがやっている対練では、倒しにいこうとすることではなく合わせることを重要とします。そこが深くて面白いなと思うのですが、その深さはまさに単純なものではないのだと思いました。
人は人との関係により成長していくのだと思うので、この太極拳は本当に生き方や精神がそのまま反映されるのだと改めて感じました。

そして、身体を使うということの認識の違いを思い知らされました。
今まで、”基本に則った構造による動き”などと思っていましたが、私の考えはなんかチマチマしたちっぽけなものに思えたのです。
現に何も動けないから!!
もっと身体全部を使うということなのだと、人間本来の動きの大きさなのだと思いました。
道場で稽古していると、目と耳から情報が入り頭で考えることが主になっているようだと思いました。
アイマスクをして対練した時の感覚の違いには驚きました。まるで頭が解放されて今まで止まっていたものが動き始めたようでした。
野外での活動は、特に川に入っての動きは目と耳だけではなく皮膚や鼻、足裏の感覚、あらゆるものが眠りから覚めたように機能し始めてとても新鮮でした。
道場での稽古は、次に足を踏み出す場所に何も不安はなく、なんと平和な場所での稽古なのだろうというのが川から上がって思ったことでした。
神社の山歩きも、歩く場所により落ち葉でふかふかのところもあれば、粘土質で滑りそうなところ、あるいは途中に整備されたアスファルトの道もあり、その時々で身体が反応することに気づき大変面白かったです。

玄花宗師がそれぞれの体力に合わせて誘導してくださったこともとても感慨深くて、皆と同じに動けることではなく、やはり理解していくことなのだと改めて思いました。
しかしながら、皆と同じに動けない不足の部分は補っていかなければならず、これから時間はかかっても正しく身体を作っていこうと思います。
貴重な体験をさせていただきありがとうございました。


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disciples at 20:30コメント(28)門人随想  

コメント一覧

1. Posted by 松久宗玄   2022年07月20日 22:58
今回の野外訓練の中では、感覚と身体機能が目覚めて、研ぎ澄まされていく過程を参加者全員が体験しましたが、振り返ると不思議に思う所でもありました。
私も若かりし頃には、よく山登りをしていて自然の中での活動には慣れていたつもりでしたが、当時においては今回のような劇的な内的変化を自覚する事はありませんでした。
今回の野外訓練と山登りの何が違うかを紐解いてみると、自分の場合としては、下記のような違いがある様でした。

・目的
 野外訓練:太極拳(武術)の訓練、山登り:ピークハント(山頂到達を狙う登山)

・鍛える対象
 野外訓練:武術性(含む精神性)、山登り:主に全身持久力

・リスクに対する態度
 野外訓練:リスクに対して心身の軸を正中に保つ事、山登り:リスクは克服もしくは回避する対象

・注意の向き
 野外訓練:内向き、山登り:外向き

同じ野外活動ではあるのに、目的に始まり、その方向性の違いは大きく異なっており、その前提の違いで得られる内容は大きく異なるのだという事を痛感した次第でした。
これは普段の稽古でも、その目的や方向性の違いで内容が大きく変わる事も示唆しており、自戒とすべき点だと思いました。
 
2. Posted by 阿部玄明   2022年07月21日 21:40
池田さん

ほっこりするエピソードを交えた感想文を掲載頂きありがとうございました。
雪上でジタバタしている姿がありありと脳裏に浮かぶようです。

道場での稽古はなんと平和な場所での稽古なのだろう・・・
の感想は自分にとってもその通りだと思いました。
屋外での稽古は自分の甘えが入る余地がなく脅威の連続でした。
夕暮れの山中の歩行訓練などでは触るとかぶれる木に注意するために上方に注意しながらも
足元も同時に気を付けなければいけませんでした。
しがみ付く手すりも無く自分の軸だけで立ち斜面を踏み外さないように
全神経を集中させて足を運びました。そうすると不思議なもので薄明りの中
目視では見えない斜面の様子が肌で感じられるようになってくるのでした。
その研ぎ澄まされたセンサーは街中のビルの冷暖房のきいた場所でのどれだけ訓練
しても手に入らないでしょう。
危機的な状況に置かれて初めて人の能力が目覚めるのですね。


それでは準備とは何か?
毎週、強化訓練しているわけにもいかない我々はどうすればよいのか。
平和な日常に甘えず、危機を想定し自分をある程度追い込むことで、自分の思い込みの壁を壊し乗り越えていくことができる。
そんな厳しさが不足していたことを今回の強化訓練で大いに気づかされました。

人間が過ごしやすいように人工的に環境が整えられた街に長く住んでいると
それが当たり前と思ってしまい快適さに順応してしまうことが危機であるようにおもってます。
自分の都合が通じなかった野外での訓練を思い起こし補う工夫が準備なのかもしれません。
 
3. Posted by ふにゃ   2022年07月21日 22:45
感想文を読ませていただき、ありがとうございます。

>出来ないことに対して先送りせず、ひとつひとつ向かい合っていくことは準備であり、その準備の積み重ねが想定外の状況に対処できる力
この一文には目が覚めました。
準備・・・私は、考えたり調べたり妄想したりするのを準備と思っていたかも知れません。積み重ねられず、いつまでも薄っぺらいままです。
きちんと向き合っていないので、行き当たりばったりの上にやりっぱなしで同じことを何度も繰り返しています。
川や山での訓練、体験してみたかったという気持ちもありますが、思えばこの2年数か月の間、支部の稽古の際屋内の会場が使えず、ごつごつした砕石の転がった空き地や夜の公園で稽古していた期間が何度もありました。
夜の稽古の後は妙にハイテンションになるよね…などと他の門人と話していたのですが、視覚が制限された結果なのか、ただ普段と違う場だからなのか、もっと違う理由なのか・・・何が起きているのか細部を見ようともせず、ハイテンションと一言で終わらせてしまうような取り組み方では、何をやろうとその場限りで、何も積み重ねることはできないと思いました。
幸い(?)課題だけは山積みなので、先送りせず今から紙に書き出し、ひとつひとつ向き合って行きたいと思います。
 
4. Posted by ハイネケン   2022年07月21日 22:47
本門で学ぶまで、ありとあらゆる場面で踏ん張って、力んで運動してきた私にとって、蹴りや勢い以外の方法で動くことは理解できず、本当によく分からない所です。そして池田さんと対練をさせていただくと本当に力感を感じずに取られてしまう、、、という感想があります。いつも粛々と動かれている池田さんに苦手な稽古があろうとは、少し驚いていますし、各々個人個人、異なる問題を抱えつつ同じ稽古をしているのだなというある種の安心感を感じ読まさせていただきました。
仰る通りの、明らかに一般的な運動能力とは異なる原理の稽古をしている中で、自分が「理解しよう」とジタバタした時期が長く苦しいものでした。以前も書きましたが最近ようやく「理解しよう」とするアプローチ自体が自分の邪魔をしていた事に気づき、試行錯誤を始めた気がします。それこそまだまだちっぽけなものですが、それもこれも稽古のお陰です。
自分の中にある「相手を倒したい気持ち」を見つけ、自分を観察し続けている様子から、稽古中の池田さんのあの立ち姿を感じました。在り方は思考以外に感性にも左右されるのでしょうね。
また一緒に稽古ができる日を楽しみにしております。
 
5. Posted by 平田玄琢   2022年07月22日 00:31
善美さんの感想を拝読し、共感した箇所、太極拳に対する考え方や取り組み方が参考になりました。

苦手とする練功の取組み
自分も、蹴る、力む、勢いをつかってしまうことが多く、まず「無理」と先送りせず「身体を使う」とはどういうことかを理解し向かい合う事が大切。
それは、常に自分への準備に通じ、そして「きちんと生きる」に繋がる。

対練についての共感
宗師の言われた「人はどうしたら崩れるのか、崩そうとするのではなく、どうしたら崩れるのかを探して行く。相手が立てるところを探していく。」
私も、「相手が立てるところを探していく」という発想はありませんでした。
それは人との付き合い方に似ていると思いました。
その人を動かして事を進めるのではなく、どうしたら動いてくれるのかを探していく。相手の立場を尊重できるところを探していく・・・

私が神社に奉職した頃、神社の世話人達と半世紀以上年齢が離れていて、殆どが戦争経験者、職業軍人、傷痍軍人でした。そのため、甘えて育った私などは、皆に厳しく訓育されました。
今風な事を言うと、「お前は黙っていろ!」と怒鳴られ、ワープロで文章を作れば、「機械の字に騙されるな」と言われました。世話人と喧嘩する事も多く、菓子折りを持って謝罪をしに行ったことも数回ありました。
やはり、それらも相手が立てる処を探していく事が大切でした。今では、世話人に対し相手の逃げ場を作ったり、巧みに誘動する事までも可能となりましたが、それらは太極拳への応用が出来るものではありません。

今回の強化訓練によって、闇や自然の中で、人間本来の五感と身体全体を使うという事が呼び覚まされた感じがしました。
 
6. Posted by 太郎冠者   2022年07月22日 00:48
太極武藝館に入門するまで運動をしてこなかったという点は自分も同じで、ふんふんと共感しながら拝読させて頂きました。
今までしたことがない=苦手だと思い、それを避けたまま生活することはある意味では安全なことかもしれませんが、そうして守られたままでは、自分の新しい成長にはつながってきませんね。

>出来る出来ないではなく、チャレンジしていくこと自体が力になる
とは、まさにその通りだと思いますし、改めて自分自身でも、自分の枠に閉じこもったままにして見過ごしていることはないか、見直す必要性を感じました。

ところで、掲載していただいた写真、どれも訓練の様子と参加した皆の息吹が感じられるようで、とても良い写真ですね!
特に最後の集合写真。
夜の山道を歩いているとき、皆様の足音があまりに静かなので不思議に思っていたのですが、改めて立ち方を見させていただくとそれも納得出来るというものです。
さて、自分の立ち姿は?・・・もう少し精進してきます。
 
7. Posted by 川山継玄   2022年07月22日 02:08
善美さん
毎回の稽古で、玄花宗師に合わせ、じっくり観察しながらご自身との違いを的確に発見し、即修正して大きく変化し続けていらっしゃる善美さん。物事の考え方や取り組みを、細やかに原稿にしていただき、大変勉強になりました。
ありがとうございます。

なかなか、合わせることができず、自分の現状を把握し、宗師との違いを実感しその場で修正することが苦手な私…。言動にも深みが無く、上っ面に感じられます。
では、善美さんの取り組みと私の取り組みとの違いは何だろう。
稽古で食い入るように観察する姿、ユーモアを交えた辛口トーク、自分事として門人にアドバイスする真剣なまなざし。
ああっ‼
合わせる事の先に、師父や玄花宗師が
「どう在るのか・何を生きていらっしゃるのか」
ということを、常に感じ取ろう、受け取り続けようとしているところだ!
一方私は、合わせ方が、まだまだ甘く独りよがり。

だとしたら、私が苦手とする相手と合わせることも、師父や玄花宗師にチューニングしつつ、相手を尊重し、在り方・生き方…丸ごとをわかろうとしたら、どうなるのだろうか。
なんだか、タガが外れ、ものすごくワクワクしてきました。

文章からほとばしる、多くの学びを頂きました。
ありがとうございました。
 
8. Posted by ichi   2022年07月22日 10:05
感想文、興味深く拝見させて頂きました。
テント設営時の説明書をよく読んで、着実に作業していく事からの、稽古時に宗師の手本や基本を守っていく事。
また、常に準備を怠らず行き当たりばったりにしないというのは、どちらも完璧に行うのは難しい事だと思いますが、それが課題に対してきちんと向き合う事だと思いました。
アイマスクをしての対練や野外での活動のお話も、普段と違う環境に身を置く事で、より感覚が研ぎ澄まされていくのが感じられ身体も感覚もフルに使っていく事の大事さを感じました。
 
9. Posted by ユキ   2022年07月22日 17:42
>コンプレックスでありながら鍛えもせずそのままにしてきました

>身体を使うという正しいやり方にさえ向かい合うことができず、
>「無理」という一言で自分から遠ざけていたのだと思います

これらのことを公言できるとき、それは既に「何もしていない人」ではなく、「なんとかしたい人」であり、ゼロの地点からは大きな一歩を踏み出していると言えます。
別に公言する必要はないのですが(笑)、ノートの端っこに書くだけでも変わります。
ついでに、「なりたい自分」も合わせて書いておくと、なお前進します。

「変わる」、「成長する」、「身につける」etc… 本来、難しいことでもなんでもないと思います。でも、できない理由を探し始めると、これらのことはとてつもなく難しいことに思えてしまいます。できない理由ではなく出来る理由を探してみれば、そこに答えがあるものです。
正に善美さんの感想文の通りですね。
今回の感想文を読んで、きっと皆さんの活力になる、そんなことを思いました。
 
10. Posted by マガサス   2022年07月22日 21:32
善美さんの日々追及されている姿勢と、追及されていらっしゃるからこそ強化訓練で得られたことが「実感」として体に染み込んでいかれている様子がうかがえました
日常も稽古として大切にされ、丁寧に自分と向かい合い、そして得られたことが「実力」としてきちんと身についていらっしゃるところが本当に凄いな!と、いつも感じていました
今回の強化訓練を通して感じたこと変化したことを共有して頂き、本当にありがとうございます
自分という枠組みを超えた大きさ、躍動感、細胞が生き生きしている様子が伝わってきて、自分も目覚めてくる感じです!

>この太極拳は本当に生き方や精神がそのまま反映されるのだと改めて感じました。

私もそう思います
上手くやろうとしても、良く見せようとしてもいっさい通用せず、「ありのままの自分」がそのまま映し出されます
今まではそれがとても苦痛だったのですが、今は「自分」を分かるための良いチャンスを頂けたんだと、そして「自分」を認識して修正していくことが、私にとってとても重要な事なのだと思えなりません!
いつも宗師や皆さんから示して頂いていることを大切に、励みとしてがんばります
貴重な投稿をありがとうございました
 
11. Posted by 西川敦玄   2022年07月22日 23:08
善美さん、あたたかくなるような記事ありがとうございました。
前回 継玄さんの記事に続き、ふたたび強化訓練のことをありありと思い出すことが出来ました。
連続して記事を読んでみると、共通して【身体を使う】というテーマが出てきました。ブログの内容やコメントをみても、人工的に作られた過ごしやすい部屋では、十全に身体を使っていくことが難しいことが理解出来ます。
強化訓練中に、そのような感想を皆さんが漏らしたとき、宗師が
「環境のほうが、(それぞれの身体に)合わせてくれている」
と、そっと言われたことが印象に残っています。

その時には、研ぎ澄ませて環境にあわせるのかーな。 など納得していましたが、
なんか、ひっかかっていました。
自分の解釈と、ことばの意味は全く違ってたかなと思っています。

宗師の言葉は
(意図がくみ取れるかどうかこころもとないですが、)
たとえてみると、
舟の機能は陸の上では働かないが、海に浮かべると、海が舟の機能が十全に働く様合わせてくれる。
今はそんな風に思っています。

また、フレッシュに稽古取り組めそうです。
 
12. Posted by 川島玄峰   2022年07月22日 23:49
太極拳の稽古は、自分に対して疑問が湧き、それらの色々なところが修正されると生き方まで考えさせられていきます。
そのような繰り返しが日常の変化にも対応する力が備わり、非日常への準備がされていくのだろうと思います。

>出来る出来ないではなく、チャレンジしていくこと自体が力になる
そのチャレンジする精神は、心にも余裕のある強さがなければ培われないように思いました。
心の余裕は、日ごろの正当な稽古から生まれてくるように感じます。

毎回本部道場で池田さんにお会いする時は、稽古へ真摯に向かわれる姿勢、鋭いご指摘がいつも印象的でありました。そのお姿を見て武藝館の学び方を教えて頂いたように思います。
この度の感想文では稽古に必要な心の在り方を教えて頂きました。
ありがとうございました。
 
13. Posted by 清水龍玄   2022年07月23日 19:46
強化訓練を通して、自身の内面に関わって稽古されていたのだと記事を読んで感じました。
その一つ一つの体験が活き活きと伝わってきて、この強化訓練がとても素晴らしいものだったと伝わってきます。
記事の中に準備という事がありましたが、私は、準備不足で失敗をしたり、機会を逃すという事があります。
その一つ一つの失敗も問題でしょうが、その準備に対する考え方や向かい方が問題と思いました。

最後に皆さんの写真を見て、立ち姿の充実感と軸の強さがひしひしと伝わってます。

貴重な記事を、ありがとうございました。
 
14. Posted by 池田善美   2022年07月30日 15:32
☆松久宗玄さん

野外訓練と山登りの比較分析、面白いですね。
何事も目的意識をもって事に臨むと、自分に返ってくるものの大きさが違いますね。
山登りも孤独な行いなので、自分の内面や弱さと向き合うことがあるのかと思いますが、太極拳では自分に向き合うことと身体の使い方に深い関係があることが面白いと思います。
そして山登りをされていたのが若い頃だったようですので、今また山登りをされたらその時とは違った感覚が得られるかもしれませんね。
宗玄さんが今までやって来られた様々なことは、もしかしたらご自分では壁になっていると思うこともあるかもしれませんが、こうしてリアルに比較することが出来た時、壁は消えて無くなるのでしょう。
経験は宝だと思います。
 
15. Posted by 池田善美   2022年07月30日 15:34
☆阿部玄明さん

先日キャンプに行った時、キャンプ場がとても混んでいて、比較的静かに過ごせそうな場所が緩やかな斜面のある場所でした。
ホントにゆるーい斜面だったので、あまり気にせずテントを張りました。
コットというベッドを置いたのですが、ちょっと斜めかなと思いつつ頭を上にして寝ました。
そうしたら、夜中に2回、足方向にずり落ちコットの上の角をつかんで這い上がりました。
それから、円柱の建物(設定は灯台)の中で、上からスーパーマンのようにシューッと落ちる夢を3回見ました。
(笑)いやいや、人間の身体と意識はすごいなと思ったのです。
身体も意識も環境に作用されて、始めは抗って生きようとする。
ずっと続いたら順応して生きて、でもどこかがおかしくなっていくような気がします。

今、世の中は不安と見えない危機で溢れているように感じます。
人々は、平和ボケしていることに気付かずとも、見えない脅威との間でストレスを感じているように思います。
私たちはしっかり周りと自分を見て、不足の部分を補って準備をしていきましょう。

今度斜面にテントを張るようなことがあったら、寝るところは平らになるように工夫したいと思います。(^_^;)
 
16. Posted by 池田善美   2022年07月30日 15:36
☆ふにゃさん

私は、自分では出来ないことがたくさんあって、同じこと繰り返してて、ダメダメだぁって自己嫌悪を感じることが多々あります。
ふにゃさんもそんな感じかしら?
でも、私もふにゃさんもそんな自分を何とかしたくて踏ん張っているんですよね。
諦めずに踏ん張っていると、なんか見えてくるもの、理解がやってきたり、ほんの些細なことでもやればできるじゃんってことがあると妙に楽しくないですか。

ハイテンション・・・稽古の後って、エネルギー回っててなかなか眠れなかったり、道場の帰りの車の中でもウキウキしてることありますよ。
それが夜の公園の稽古となれば、非日常ですし、北海道の夜の空気を取り入れて、テンションも上がるというものですよ!
あまり難しく考えないで、ハイテンションの自分を感じて楽しんだらいかがでしょう。

またいつか一緒に稽古いたしましょう!
 
17. Posted by 池田善美   2022年07月31日 17:06
☆ハイネケンさん

毎回稽古をご一緒している本部の門人は、私が出来ないこと沢山あって鈍臭い人だとわかっていることでしょう。
ただ、ほんの少し原理の端っこが解ってきたように思っています。(あくまでも端っこです)
ここまで何年かかったことか!
原理の謎を知りたくて試行錯誤して、でも謎は次から次へと湧き出て、太極拳の道は終わりがないですね。でもそれが面白いです。
蹴りや勢い以外の方法とかって考えたことないのですが、柔功、圧腿、基本功など基本の動きの中で宗師との形の違いを修正しつつ、要訣はこうなのだからこうなのかぁなどの小さな発見もあり、守っていたら予想もしていないところが動いたことに驚き、そんなこんなを続けていたら少し足が軽くなってきた・・って感じです。
>最近ようやく「理解しよう」とするアプローチ自体が自分の邪魔をしていた事に気づき、試行錯誤を始めた気がします。
ハイネケンさんも太極拳の道にしっかり入り込みましたね。
もう後戻りはできません。楽しみましょう!
私も稽古をご一緒できる日を楽しみにしております。
 
18. Posted by 池田善美   2022年07月31日 17:07
☆平田玄琢さん

人との関係性は本当に難しいと思います。
玄琢さんもご苦労されたのですね。

私が山で暮らし始めた頃は、ヒッピーの時代からニューエイジと言われる若者が出てきた頃で、自分探しなど精神世界に目を向けることが流行っていました。
過去生回帰やチャネリングなどのセラピーの他、山にこもって瞑想する人もいました。
山や自然は、確かに人間本来の五感を研ぎ澄まさせてくれる作用があり、意識をクリアーにしてくれると思います。
内側に向かう助けをしてくれます。
そう考えると、玄琢さんは素晴らしい場所で、最高のお仕事をされているのですね。
街で暮らしていても、少し歩けば木々のある公園があったり、夜になれば外は闇です。
そんな簡単なことを思い出しました。
何を求めてどう生きていくかが大事ですね。
 
19. Posted by 池田善美   2022年07月31日 17:07
☆太郎冠者さん

本当に良い写真ですね。
皆さん柔らかな自信に満ち溢れているようです。
しかし、写真の自分を見ると愕然とすることが多くて力が抜けます。
こんな立ち方?こんな格好?
でもこれが現実!
どんな時に写真を撮られても、いいねと思えるよう私も精進いたします。
一緒に頑張りましょう。
 
20. Posted by 池田善美   2022年08月03日 17:58
☆川山継玄さん

>なかなか、合わせることができず、自分の現状を把握し、宗師との違いを実感しその場で修正することが苦手な私…。言動にも深みが無く、上っ面に感じられます。
そうでしょうか?
確かにご自分ではそう感じるのでしょうが、どうしてそう感じるのでしょうか?
その状態はどこからきているのでしょうか?
継玄さんは、今まで一回も合わせることも、深みのある言動もなかったのでしょうか?
私にはそうは思えません。
今まで、継玄さんが修正して変わっていく姿を見ていますし、それこそ、強化訓練の後、神社の社務所でお話しして下さったことなどは、本当に深く考えられた言葉で感動さえしました。
なぜご自分を否定なさるのでしょう。
私が受け身が出来ないのとは訳が違います。
何故このように思うか・・・(私が感じたことですが)
継玄さんは、何か指摘を受けたり、例えばどこかが動いていないと思うと、ご自身の認識は全て違っていると思ってしまうことだと思います。
それまでのことをゼロにしてしまうので、出来ていたこともどこかへ行ってしまうのではないでしょうか。
自分がどういう理論で動いているか認識していたら、指摘を受けた時、あるいは違いに気づいた時、「あーそうだった、これは要訣にあっていなかったな・・」とか理由もわかると思うのです。
そして、パズルを組み替えるように違うパズルを置いてみる。「これではどうか?違うか?どうか?・・・」ピタッとはまった時の、なるほど!という感覚。でもそれさえも違うかもしれないのですが、そうしたらまた探すんです。
そうやって積み重ねていくのではないでしょうか。
パズルをその度に全部バラバラにしていたら、訳分からなくなってしまうような気がします。
(続く)
 
21. Posted by 池田善美   2022年08月03日 18:01
☆川山継玄さん

合わせ方?
合わせることに合わせ方があるのでしょうか?
私はただ必死に合わせようとしているだけです。
「どう在るのか、何を生きていらっしゃるのか」を感じ取ろうとかしていません。
辛口トークもすぐ興奮してしまうのも私の性格です。(笑)
ただ、合わせようとしながら、「あいや、手の位置が違うわ!」とか「クワの形が違うじゃないの!」などと心の中で自分に言ってます。

継玄さんは、私なんかとは比べものにならにような素晴らしい運動神経とセンス、ひたむきさをお持ちです。
もし見当はずれなこと、失礼なことを書いていましたらすみません。
しかし、何か受け取っていただけたのなら嬉しいです。
 
22. Posted by 池田善美   2022年08月03日 18:04
☆ ichiさん

誤解して欲しくないのは、完璧に行わなくてはいけないということではないことです。
大事なのは、やろうとすること。
自分の課題に対して、宗師のお手本と基本の要訣を頼りに試行錯誤していくことなのだと思います。
次から次へと訪れる自分の課題に、七転八倒して食いついていくことなのだと思います。
そのずっと続く行いが自分への準備なのだと思ったのです。
また、一緒に稽古いたしましょう!
 
23. Posted by 池田善美   2022年08月03日 18:05
☆ユキさん

ありがとうございます。
「なりたい自分」も合わせて書いておく・・・
確かにこの部分が私のテンポをスローにしていることですね。
逃げ道を作ってはいけない、進むしかない状況を自分に与えていくことは必要ですね。

出来る理由を探す。
何と楽しい言葉でしょう!
難しい対練、美しい套路、出来る理由を探し、真剣に取り組んだら見えてくるものも違う気がします。
私も皆さんにたくさん力を頂いています。
私の拙い言葉が、皆さんの活力になるのなら大変嬉しく思います。
 
24. Posted by 池田善美   2022年08月04日 00:46
☆マガサスさん

ありがとうございます。
私などまだまだ未熟な人間です。
師父、太極武藝館に出会えてなかったら、眠りこけた、とんでもないひどいおばさんになっていたことでしょう。

「ありのままの自分」が映し出される太極拳!
そう思えて、太極拳を続けていこうとされているのは、自分が変わりたい、成長したいと思っている証拠ですね。
変わりたがっている、成長したがっている自分を認めて許してあげたら、もう流れに乗っているのでしょう。
マガサスさんの今までのコメントを拝読していると、自分と向かい合って、分からなくて苦しくて、それでもなお向かっていこうとする力を感じます。
それは本当に凄いことだと思います。
昔、泳げない私が救助員の資格を取るために泳ぎの練習をしていたのですが、自分ではあまり進歩を感じられず、職場のおじさんにそのことを言ったら、「自分は進歩していないと感じても、コツコツ努力していれば進歩はしているものなのです。」と言ってくださいました。
無口な方でしたので、妙に説得力があったことを覚えています。

私もマガサスさんも同じです。
共に頑張りましょう!

25. Posted by 池田善美   2022年08月04日 00:47
☆西川敦玄さん

>「環境のほうが、合わせてくれている」
舟の機能に例えられたこと、なるほど!と思いました。
また、舟と海に例えられたところはロマンチックですね。(笑)
そう考えると、より良い環境に身を置くことは大切ですね。
美味しいものを食べていると、舌が変わると言いますし・・
生命はやっぱり不思議だなぁと思います。(o^^o)

今度、稽古ご一緒したいです。

26. Posted by 池田善美   2022年08月04日 00:48
☆川島玄峰さん

自分に対しての疑問、それらが修正されることにより、生き方にも考えが波及する。
そうなるのは、玄峰さんが正しく追求されているからですね。

>チャレンジする精神は、心にも余裕のある強さが・・・
心の余裕とは?私にはよく分からないのですが・・
強化訓練は、私にとって、『普段と違う稽古、野外もある』と聞いた時点で後ずさりするものでした。
意気揚々と張り切っていらっしゃる正式弟子の方々を横目に見て、不安の塊でした。
しかし、宗師の「この訓練は◯◯がわかる」とか「気軽にやってください」などの言葉で、よし挑戦してみよう!と思えたのです。
チャレンジする精神は、情熱!なのではと思います。

またお会い出来る日を楽しみにしています。
 
27. Posted by 池田善美   2022年08月04日 00:50
☆清水龍玄さん

私がここで準備という言葉を使ったのは、出来ないことひとつひとつに向かい合い、積み重ねていくことを『自分への準備』と考えたからです。
そして師父や玄花宗師はそういうご自分であるからこそ、色々な物事に対してもとことん準備をすることが出来るのだと思ったのです。
私はまだまだ甘いところがありますので、それこそ準備が不足していると思うことしきりです。
龍玄さんが、具体的にどんなことに準備不足で失敗をしたのかわかりませんが、それで機会を逃すというのは勿体ないですね。
先日、何気なく『時は金なり』という言葉を調べていたのですが、英語で言えば『Time is money』ですね。
その言葉を言ったベンジャミン・フランクリンが意味するところの『Time is money』は、「機会損失」を表現するそうです。
そう考えると、準備をするべき時間に異なる選択肢をしたために、本来得られたはずのものが得られなかったということになります。
時間というのは不思議です。
ゆっくり感じる時、早く感じる時、それらの違いは何処からくるのでしょう。
時間に追われるのではなく、時間を使いこなせるようにしたいです。

次回の強化訓練はご一緒できますように!
 
28. Posted by 池田善美   2022年08月04日 01:00
☆皆さま

コメントバックが遅くなってしまい、大変申し訳ありませんでした。
お返事を考える中で、再び自分を振り返る機会をいただきました。
これからも共に精進してまいりましょう!
ありがとうございました。
 

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