2020年02月14日

円山洋玄師父 特別寄稿

 「弟子であること 〜Disciplehood〜」

                   日本玄門太極宗師  円 山 洋 玄




 <師弟関係の今むかし>

 日本玄門太極武藝館は昨年の2019年に創立25周年を迎え、正式な後継者である拝師弟子は、札幌支部の新拝師生を加えて総勢九名となり、その後ろからは精良な一名の拝師候補生が時を待って控え、さらに拳学研究会にも、優れた資質を持つ人たちが頼もしく研鑽に励んでくれている。

 昨秋、思うところあって拝師弟子を五つの階梯に分け、各々の弟子がどのレベルに位置するのか、師弟同士や弟子同士で明確に判るようにした。
 その階梯は、吾が国の武術に倣って「初伝」「中伝」「奥伝」「極伝」と呼び、さらに初伝の前に、未だそれにも満たないという意味で「発意」という階梯を加えて全部で五段階とし、中国武術らしく龍の名を冠した呼称も其々に設けた。
 これは真伝継承の順位であり、各階梯には正しくその位置に見合う功夫があるか否かを総合的に観るための厳格な考試審査が定期的に行われ、及第した者はその段階の内容を学ぶことができる。

 敢えてこのようなシステムを設けたのには理由がある。
 その最大の理由は、これまではただ「拝師正式弟子」という、一般弟子とは立場や指導内容を全く異にするひとつの大きな枠があるだけだったが、それ故に、その位置にある者たちが、ともすればその特別な立場に甘え、拝師弟子として自分なりに頑張って稽古さえしていれば、無条件に高度なことを教えて貰えるのだ、といったような安易な考え方が少なからず見られ始めた、という事による。
 人間は万物の霊長などと言われるが、そもそもが自らの脳でさえ数パーセントほどしか使えないような未完成の動物であり、厳選された筈の正式弟子といえども、やはり同じ人の子に過ぎない。“二十過ぎればただの人” の喩えもあるが、当初は輝いていた人間も、ヒトの常として段々と安易な方に流され、ともすればその立場を得たこと自体に高を括り、身勝手な考え方や自分なりの工夫を織り交ぜつつ、ただそこでそれなりの努力をして居さえすれば、この真伝を授けて貰えるのだと、平俗に錯覚をしたがるのである。

 この機会に改めて彼らを詳らかに観察し直してみると、努力家ではあっても身勝手で不遜な性格が隠されていたり、誠実ではあっても傲慢さや脆弱な精神性が潜んでいたり、真面目ではあっても創造性や探究心の欠如が見えたり、突然の環境の変化や何かの切っ掛けによっては、発達障害のような傾向が現れる者まで出てくる始末であった。
 しかし、それでは到底、継承者に相応しい人格を形成して行く事など叶わず、敢えて厳しい階梯を設けることによって、彼ら自身が個々にどの程度の理解と功夫を有するのか、指導する側にも、弟子である本人にも、また彼らを憧憬の目で見守る一般門人にも歴然とそれが判るようにすることで、より理解すべきところ、反省すべきところが明確となり、いま何を遣らなくてはならないか、問題とどのように向かい合わなくてはならないのか、どうすればそれを超えて行けるのか、より成長することが可能となるのか、などといった事が明らかになると思えたのである。

 かつて私は信州の豪雪地帯の山村に十年余りの歳月を過ごし、夏冬の休みに泊り込んで教えを乞う大学生の弟子と稽古しつつ、寝食を共にしたことがあった。まだ太極武藝館が創立される何年か前の話である。
 その中の一人、神奈川県のMという弟子は、東京の大学で凡そ武藝とは方向の違う美術を専攻している学生だったが、ある日、鎌倉の体育館で、ある大学の拳法部の元主将と組手をしている私を見て目を輝かせ、是非にと入門を希望してきた。
 彼はその後、信州に居を移した私を慕って山奧まで追いかけて来た。
 ある時、站椿をやるよう指示を残し、車で30分もかかる最も近い町へ買い出しに出かけたが、彼はただ「はい」と答えて站椿勢を始めた。3時間ほど経って帰って来ると、まだ最初の姿勢のまま、じっと庭の桜の樹の下で立ち尽していた。私は少し驚いて『あれからずっとそうして立っていたのか?』と訊ねると、彼は平然と『やめて良いというご指示がなかったので、続けていました』と答えた。
 Mの武術のセンスは群を抜いて、期待どおりに徐々に本物の功夫を身に付けて行った。あれから30年近くを経た今も、私は文句なしに彼が最も優れた弟子の一人であったと確信している。
 もう一人、信州大学の学生だったNは、現在も正式弟子として東京から通って稽古に励んでいるが、ひと冬で積雪量が15メートルにもなる寒村に降り続く豪雪を相手に、早朝から夕方まで雪かきや道踏みの重労働を共に行い、短い夏には日々痩せた畑を耕し、肥え汲みと肥やし撒きと薪割りに明け暮れ、玄米と有り合わせの野菜を薪ストーブで煮た粗末な雑炊を共に啜り、僅かな時間を使って武術の訓練を行った。屋根の下とは言え、稽古をする冬の土間はストーブを焚いていても零下5〜6度ほどになった。彼は現在でもその頃のことを宝物にしている。

 そのような昔日の師弟関係のように、寝食を共にしながら弟子の資質を見極め、モノになる可能性の高い人間を内弟子に取って本格的に教え鍛える、といった事が今は容易にはできない。
 現在の弟子たちは皆、自分の仕事や家庭を持ち、その中で稽古の時間を捻出して道場に通ってくる。教える側は主に、稽古に来ている時の彼らの状態を観ながら、彼ら自身の資質や可能性を探りつつ指導して行くしかないわけだが、拝師前の一般弟子の期間は無論、候補生としての観察期間を充分に取っていてもなお、いざ拝師して一定期間を過ごさせてみると、格別に何の進歩も成長も起こらない、という事態となってしまい非常に驚かされる。それは「拝師弟子」という、彼らが想うところの金襴の大座布団にドッカリと居座ってしまい、与えられた金色に輝く玄門會バッヂを、この道の到達点のように思い違いしてしまう所為なのかもしれない。

 もちろん皆がそうだというわけではない。正しく学べる弟子は、どのような課題を出そうと、常にそれをきちんと熟(こな)そうとし、たとえそれが十全に出来ない場合にも、そこから逃げたり誤魔化したりせず、それが何であるかという事に最後まで向かい合い、理解して学びながら解決して行こうとする。そしてその結果、本人の実力が確実に伸びて行く。
「龍の子は小さしと雖(いえど)も能く雨を降らす」の喩えどおり、初めに見た光る資質のままに、立派に成長して行ってくれるのである。

 様々な弟子たちの様子を詳しく観ていくと、永く稽古の歳月を経ていながらも、なかなか正しく学べない者、いつまで経っても構造変化のひとつさえロクに修得出来ない、といった者たちが、全くと言って良いほど共通した価値観を有し、似たような考え方や同じようなモノの見方をしているということに気付かされ、たいへん驚かされる。
 では、きちんと学んで、きちんと修得していける人間と、そうでない人間とは、一体何が違うのだろうか─────詳しくそれを探って行くうちに、愚鈍な私にもいろいろと分かってきたことがある。


 <グライダーと飛行機と>

 かつて興味深く読んだ、30年間で200万人に読まれた本に、「グライダー人間」という言葉があった。グライダー人間とは何か─────?

 現代社会には強い「学校信仰」というべきものがあって、何かの勉強をしたいと思うと、まず学校に行く事を考えてしまう。現役の学生のことではなく、良い歳をした大人が、子供の手が離れると大学の聴講生になりたいと母校を訪れたりする。新しいことを勉強するには学校が一番だと思い、そこへ行って学ぶことこそ正統と信じて止まないのだ。
 学校の生徒は、先生と教科書に “引っ張られて” 勉強する。独力で知識を得るのではなくて、言わばグライダーのように、他の飛行機やウインチなどに引っ張って貰わないと、自力では飛び上がることができない。
 グライダーは飛行機と似ていて、音もなく大空を滑空している姿はむしろ飛行機よりも美しいほどだが、哀しいかな、グライダーは決して自力で飛ぶことはできない。
 学校は「グライダー人間」の訓練所であって「飛行機人間」は造らない。グライダーの練習にエンジンの付いた飛行機が混じっていては迷惑で危険だからだ。
 学校では引っ張られるままに、何処へでもついて行く従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするのは規則違反で厳しくチェックされ、やがて各々がとてもグライダーらしくなって卒業する。
 つまり、優等生たちは「グライダーとして優秀」なのである。『キミ、飛べそうじゃないか、ひとつ自分で飛んでみろ』などと先生に言われても困るのだ。
 そして、勿論例外はあるのだろうが、一般的に学校教育を受けた期間が長ければ長いほど「自力飛行」の能力は低下する。すでにグライダーで上手く飛べるのに、わざわざ危険な飛行機になりたくないのは当り前だ、ということに違いない。

 ──────そんな事が、その本には書かれていた。

 確かに、人間にはグライダー的な能力と、飛行機的な能力があるのだと思う。
 教科書に書かれていることを、そのまま丸ごと受容して憶え、知識を得て成績を取って行くのが「グライダー人間」で、反対に、自力で物事を深く研究し、なにかを発見して行けるタイプが「飛行機人間」だと言える。
 しかし私には、それは本来両方とも必要なことで、人間なら誰もが必ずその二つの性質を内側に持ち合わせているのだと思える。もしグライダーの性質を持てなければ、基礎的な知識や基本の考え方が欠如してしまうだろうし、そのままのノリで飛行機として飛ぼうとすれば大事故になってしまうに違いない。
 そして、ここで本当に問題なのは、私たちの社会には優れたグライダー能力ばかりを圧倒的に持ち合わせていて、飛行機的な能力はまるで無い、というタイプの「優秀なエリート人間」が驚くほどたくさん居て、彼らも「飛行機人間と同じように飛べる」という評価を普通に受けてしまっている、という事にある。
 本当は自分で飛べないにも関わらず、である。

 自己の問題が解決できない為に、稽古の進歩成長が見られない弟子たちも、その例外ではないようだ。
 高校を卒業して大学受験に合格、郷里を離れて大学でそれなりの成績を修め、大学院まで出て、実社会では各分野の専門職として高給を取って活躍しているような、この社会ではいわゆる「立派な人間」と言われる者たちが、自分の大好きな武術を極めようと、あちこち徹底して探し尽した挙げ句、やっとこの道場に辿り着き、本気で学ぶ決意をして入門し、何年も真摯に下積みの基本的な稽古をこなし、ようやく正式弟子に認められはしたが・・さて、その先がどうにもならず、行き詰って殆ど成長しない、という事が起こる。
 つまり、グライダーのところまではそれなりにしっかりと遣れるのだが、そこから先の、いざ『自分で飛んでみろ』という段になると、全くと言って良いほど何もできないのだ。
それどころか、自分で飛べない事の代わりに、見当違いの物を並べて工夫研究としたり、
「示範されていることそのもの」や「示範されているものが指し示していること」をきちんと遣ろうとせずに、そこから手前勝手に見当を付けた、自分なりの本質の追求を正当化しようとしたりする。

 彼らに多く見られる特徴は創造性の欠如であり、自己管理能力のお粗末さである。
 一見、他人よりもキチンとしているように見えても、実は粗雑で適当な性格であったり、傲慢さや頑なさ、軽薄さ、物事を全体的に見られない視野の狭さ、プレッシャーを嫌うマイペース主義などが観られ、物事をシステマティックに捉えられず、自分本位の甘えの構造がその根底に有る。
 まるで勉強というものが、教えてくれる人が居て、教わるための教科書がある、ただそれだけの事なのだから、覚えれば良いのだろう、分からなければ分かるように教えてくれるだろうし、自分なりに分かって行くのも実力のうちだ、などと思い込んでいるかの如くで、とにかく「正しく学ぶこと」ができない。
 彼らの育った家庭環境は多かれ少なかれ、優しく甘やかしてくれる両親が居て、良い学校をきちんと出て、良い職場に就職し、給料をたくさん取れる事こそが優れた人間であり、より良い人生の目的であるかのような、極めて平凡な価値観のもとで育てられたようなタイプの者が多い。そしてそのせいで、彼らの精神状態は呆れるほど平凡なままで、非日常的な考え方と豊かな創造性、高い精神性が要求される高度な武藝の学習体系、その自己成長の修業の道を学ぼうとする際には、どうあっても従いて行けないのだ。

 『学校で優等生だった人が必ずしも社会で成功するとは限らず、満足できる人生を送れるとは限らないのは、どれほどグライダー能力に優れていても、本当の飛翔が出来るワケではないからだ。学校は教師の言うことをよく聞く ”良い子ちゃんグライダー” に好感を持つものであって、勝手な方を向いたり、引っ張られても動こうとしないようなヤツは欠陥のあるキケンな人間、と決めつけるのだ』─────と、先の本には書かれていた。
 つまり、良い子ちゃんの優等生ほど「自分で飛べない」というわけである。

 そもそも「学校」というのは「教科書」と呼ばれる、教えるべき内容を書いたテキストがあって、それを教える役の「教師・先生」がいて、教わる立場の「生徒」がいて成り立っているわけだが、「師弟関係」というものは、それとは全く異なっている。


 <弟子と生徒と>

 それでは「教師と生徒」と「師匠と弟子」とでは、何がどう違うのだろうか。
 「教師と生徒」の関係とは、簡単に言えば、学校で生徒に教育を行う役割の教師と、その人を通じて教えを受ける生徒との関係である。
 教師は普通、個人的な価値観や思想をその教育に持ち込むことは出来ず、教科書という定められたテキストの内容が指導要領に沿って説かれ、大学であれば各校が掲げる教育理念や目的に基づいて自主的に設けたカリキュラムに沿って同様の教育が行われることになる。
 一方、「師匠と弟子」の関係では、長年に渡る経験や修行によって培われた知識、見識、叡智、技藝などを得た師匠(Master)と呼ばれる人が、その内容の修得を希求する者に対して弟子入りを許し、学校とはまったく質の異なる、「道場」「僧伽(そうぎゃ)」「厨房」「工房」「アトリエ」などといった特殊な状況にある場所で、教育ではなく「伝授」が行われる。
 そのシステムは、武藝や禅の弟子でも、茶道や陶芸の内弟子でも、料理人の見習いでも全く同じである。つまり、師匠が弟子を取る目的は「伝授」であって「教育」ではないのだ。

 では、伝授というのは、教育と何が違うのか─────

 伝授というのは実は比較的新しい言葉で、中世までは「伝え受ける」ことを伝授と云い、「伝え授ける」ことを表す言葉は「相伝」と言い表していた。
 相伝とは、ある物事の深奥を実力や才能のある者に授け、何代にもわたって真正な内容を受け継ぎながら伝え続けること、という意味だ。つまり、師匠は自身が体得した技藝の真髄や秘伝などを、その内容を絶やさず後世に遺すために、この者ならば、と思える信頼できる弟子に全てを伝授(相伝)しようとするのである。
 そして、その際に行われるのは、教科書を丸ごと憶えさせるような画一的な詰め込み教育ではなく、ただ師匠の「存在 (being)」そのもの、「姿かたちと在りさま」をトータルに見せて理解を促し、また語られる言葉も具体的直接的なものではなく、指導の重要なところは「これは、まるでこのようなものだ」というアナロジーで説かれてゆく。
 何故なら、相伝されるべき内容は元々「その通りに憶えればよい、やれば良い」というものではなく、同時に「 語られ得ないという特性」を有するものであって、教科書のように徹夜で丸暗記すればテストで何とか及第点が取れるような、誰でもがそこそこ理解できるような、あり来たりの内容ではないからである。

 学校とは、たとえ最高学府であっても、”教授” つまり「教え授けること」が行われる場であり、故にそこで教える人は「教授」と呼ばれる。だから学校で教えることを「伝授」とは言わない。
 教え授けることは、その内容を把握している人であれば可能だが、物事の深奥を「伝え授ける」には、そのモノゴトの総てを十全にマスターしている人でなくては出来ない。ゆえにその人を「Master」と呼ぶのである。
 さらに、「伝授」というのは、一般的には歴史のあるものや技術を授けるというニュアンスが強いが、重要なことは「言葉では語られ得ないモノ」「カタチでは教授できないコト」という独自のモノゴトを伝え授けられる状態がそこにあるということであって、それこそが真の師弟関係であると言える。

 「学校」は極端な話、学習意欲の無い者でも入れる。そこで勉強することを目的としなくても、たとえその学校を ”出ること” が目的でも、学校は試験に合格すればその人を迎え入れるし、お金さえ払えば入れる学校だって幾らでもある。
 余談ながら、欧米では日本の大学生は余り勉強をしないことで知られている。
それほど勉強をしなくとも、上手く単位さえ取れば卒業できるからだ。その結果、なぜ勉強しなければならないのか、という目的意識が欧米の学生よりもかなり低い。
 就職試験で、あまり大学での成績を重視していないということにも原因がある。もし大学での成績が採用に際して重要な要因となれば、学生の勉強の仕方も、もっと変わるのではないだろうか。
 アメリカの学生は日本の学生より遥かによく勉強する。成績が悪ければ退学せねばならないし、親に学費を出して貰えず、自分の貯金やローンでで勉強する人もかなり多いので、授業態度は真剣そのものだ。日本の学生のような、講義中の雑談や居眠りなどは全くと言って良いほど見られない。目的意識の高さがかなり違って見える。
 また、日本の大学との大きな違いに、学生から教師への質問が圧倒的に多いということがある。だから教師は講義の準備を万全にしておかないと酷い目にあって恥をかく。日本では授業中に学生からの厳しい質問などはまず有り得ないので、これが教師を気楽なサラリーマン的に堕落させてしまうのかもしれない。
 欧米の教育制度には競争原理が取り入れられており、学生の能力を最大限に引き出そうとするシステムだと言える。教師もまたその為に努力し、その努力は昇進や昇給の形で反映される。日本では良い授業の努力をしてもそれ自体が教師の評価とはならず、教育の中身は教師個人の考えに委ねられている。
 日本では最高学府を出たからと言って、名実ともに ”エリート” と呼べる人間が出来上がるわけではないのは、このあたりが問題なのだと思う。

 ──────さて、その「学校」と全く何もかもが異なる「道場」となると、物事は簡単には運ばない。見学の申し込みをして道場にやって来て、明日から入門します、月謝はいくらですか?、ハイどうぞ、と言えばその日から「師弟関係」が成立するわけではない。道場とは本来、釈尊が悟りを開いた菩提樹の下を指す言葉だから、女性は半額、月謝を一年分前納なら二割引、などというものは、そもそも道場とは言い難い。

 「学校」での教え方は、教えることの内容が決まっていて、それをカリキュラムに沿って教えていくわけだが、「道場」ではそうはしない。ではどうするのか?

 実は、真の師弟関係では、師匠は弟子に何もしない。
 「何もしない」などと言うと、現代人は不思議に思って呆れるかも知れない。
 弟子入りしたのに、なぜ何もしてくれないのか、どうして教えて貰えないのか、教わるために入門をしたんじゃないか、入門料や月謝は何のためにあるのか、早くちゃんと教えてくれ、それが弟子の正当な権利だろう、と。
 だが、それは趣味や興味で入門した一般人レベルの話であるし、ウチでは一般門人でも全くそんな人は見かけない。
 

 <ナニゴトノ不思議ナケレド>

 「”売り家”と、唐様で書く三代目」という古い川柳がある。
 初代の創業者が苦労をして財産を築き上げたが、三代目の孫の代になると遊び暮らして使い果たしてしまい、没落して遂には家を売りに出すまでになったが、遊芸の道楽に耽って商いの道を疎かにしてきただけあって、その「売り家(うりいえ)」の札の筆跡だけは、唐様(からよう=風流瀟洒な中国風)で洒落ている、と皮肉ったものである。
 師匠にとって弟子は皆可愛い。この者ならば、と見込んで弟子にするのだから、一人々々が継承の未来を託す希望の星なのであり、愛おしいに決まっている。
 だが、孫を可愛がるように育ててしまうと、三文安いどころでは済まず、川柳の三代目のようになり、流石に套路の見かけだけは綺麗に演じるものの、真伝や武術性の中身はまるでお粗末、単なる基礎に過ぎないような、人を飛ばせる初歩的な技術を ”真の発勁” と称して、大袈裟に他人に切り売りするようになってしまう・・・のかも知れない。

 学校の教育と異なるのは、教える側の「教え方」が違うということだ。
 そこに教科書は存在しない。私たちのところでは、高度な武術としての身体構造はすでに科学的に纏め上げられているし、真正な勁力の修得や戦闘法についても、緻密に練り上げられた学習体系が整っているが、それを教科書にして、さあ見てごらん、一緒にこれをやって行こう、そうすれば出来るようになるから、などとは決して言わない。

 ではどうするのか────────?

 師匠は、ただ黙って「そのもの」を見せるのである。
 ここで弟子に要求されるのは、教科書どおりに憶える力ではなく、
「 ”そのもの” を見せている師匠の ”在り方” の全てを感じ取ること」なのである。

 ただ教科書どおりにやれば良いだけなら、弟子は学校の生徒のように「受動的なイイ子ちゃん」でありさえすれば良いわけだが、感じ取るには「意識的で積極的な受容性」が必要となる。
 受容性とは、そこに在るものを丸ごと、何ひとつ文句を付けず、如何なる自分の意見も先入観も夾まずに、ただ「そこに在るそのもの」を全面的に受け容れることのできる性質である。どのような分野の仕事であれ、一流になれるか成れないかは、正にこのところで決まるのだと思う。「一流」については日頃より話をさせて貰っているが、煩瑣になるので此処では触れず、またの機会にゆっくり説明したいと思う。

 因みに、この「受容性」というのは「服従」とは全く異なる。
 ある日の稽古で「”弟子であること”とは何か?」と居合わせた門人たちに問うたところ、一人の弟子が『服従です』と即座に言ってのけたので、少々驚かされた。
 入門というのは、師匠への絶対服従を誓って艱難辛苦を超え、修行をやり遂げる、というような性質のものではない。
 ある中国拳法の本に、拝師するという事は、ひたすらに師匠の支配や恐怖に対して服従、忍従し、できるだけ早く技法を盗んで自分のものにし、最終的には師匠の技量を超え、終にはその支配から脱却することで修行が完成する云々、などと書かれているものがあったが、これは弟子である人間として大変な心得違いであると思う。
 服従が成り立つのは、支配者と被支配者との関係に於いてのことであり、師匠と弟子は支配と隷属の関係では有り得ない。もしそう思えるのなら、それは自らそのような関係性を定義・設定することで、何らかの精神的利益、自我の満足を得ようとしているのだと思う。

 全面的な服従ではなく、その「トータルな受容性」を促すために、師匠は敢えて弟子に何も教えない。
 「これはこう遣るのだ」と言った途端に、弟子は「そうか、そう遣れば良いのか」と思い込み、創造性も探究心も高い意識も不要になる。それどころか、これは一体どのようなものなのだろう?、という好奇心さえ養われないのである。
 師匠は常に「これはこう ”在る” のだ」ということを見せて示している。それを「これはどう ”遣る” のだろう」と見ていては、何も取れるわけがない。
 出来ない人間ほど、「ただ単純に憶えられること」を求めたがる傾向がある。
 例えば、太極歩のメカニズムとは何か?、站椿の要訣は何か、などと訊ねると、かつて師匠が語った言葉をそのまま一字一句変えずに答えたり、ひどいのになると、そこに勝手な意味合いをくっ付けて胸を張って答えたりする。つまりは、自分の研究で苦労して得られた解答ではなく、「これがマルだ」というものを憶えたり求めたりしていればそれで良し、とする考え方なのである。

 教えてくれる人は「教師」と呼ばれるが、師弟関係では、師匠からは ”教わる” のではなく、初めは「盗る・奪う」という感覚が近い。そして少々高度な事が分かるようになると、それが徐々に「師匠と共に在る」ということに変わってくる。
 教師から教えられる内容には、もともと何も隠されるべきことなど入っていないが、秘伝(奥義・真伝・本質)というものは、当然ながら、隠され秘められているからこそ、秘伝と呼ばれるのである。
 その隠された秘伝を教えて貰う約束を得た者こそが正式弟子だ、などと思うのは考え違いも甚だしいのである。師匠は全くそんな約束をしていない。と言うより、そんな約束をするような人は師匠とは言えない。それが隠されているからこそ、探求し発掘しようというチカラが当人の必要性として生じるのであり、そのチカラこそが継承者には何よりも求められている。
 ただし、本当にそれを希求していなくては、そのチカラは出てこない。

 かの帝国ホテルの村上信夫シェフが、何処かでこんな話をされていた。

『自分が苦労して覚えた仕事は、決して人には教えません。また、それを盗んでやろうという気がなければ、いつまで経っても仕事は上達しません』

 村上さんも、当然ながら修業時代にはソースの味見など、全くさせて貰えなかった。それどころではない、小学校を卒業後、五軒のレストランで必死に修業を積んだ後、ようやく念願の帝国ホテルに見習いで採用された厨房には、全国津々浦々から腕利きの料理人が集い、村上さんのような下っ端は調理どころか、料理のごく部分的な、人参の皮を剥く、ジャガイモを茹でる、などと言ったささやかな手伝いさえ遣らせてもらえない。
 毎日ただひたすら「ナベ屋」と呼ばれる、洗い場の仕事ばかりを延々とやらされたが、そこでさえ、シェフたちがソース作りに使ったフライパンには、ご丁寧にもあらかじめ石鹸水が入れられて来る。シェフたちが何年もかけて、死に物狂いでようやく自分のものにしたソースの味を誰にも盗まれないようにする為で、使い終えたフライパンさえ「普通には洗わせて貰えない」のである。
 調理場に立ちたい、自分もここで一流のフランス料理を作れるようになりたい、自分はここに皿洗いに来たんじゃない────村上さんは何とかその秘密を盗もうとしたが、実際に味わう以外にソースの本質は分かりそうもない。
そこで村上さんは、洗い場の仕事だけでなく、自主的に休みを返上して厨房内に山ほどある銅やアルミや鉄、ステンレスなど、無数にある全ての鍋やフライパンを三ヶ月かけて新品同様にピカピカに磨き上げた。自分は単なる皿洗いで終わるつもりはない、という意気込みをシェフたちに示したのである。
 やがて、シェフたちの村上さんを見る目が少しずつ変わってきた。
そしてある日、ついに一人のシェフがこう言った。

 『───おい村上、これを洗っておけ!』

 渡されたそのフライパンには、もう石鹸水が入っていなかった。わずかにソースが残されたままのフライパンを、ようやくシェフが「洗え」と言ってくれたのだ。
 これは師匠がお前を認めてやる、という宣言に他ならなかった。
村上さんは涙ながらにフライパンを受け取り、夢にまで見た憧れのソースを初めて指にとって、存分にそれを味わったに違いない。

 また、千利休が創始した茶の湯の世界では、家元のところに住み込みながら修業をする、「業躰(ぎょうてい)」と呼ばれる内弟子制度があり、禅精神が軸となる茶の湯の心を受け継ぎ、正しく後世に伝えて行くというシステムがある。因みに業躰とは裏千家の独自の名称で、それ以外の所では ”内弟子” とか ”玄関” などと呼ばれる。
 業躰とは読んで字の如く「業(修業・家業)を躰(身体)で体得してゆく人」という意味であり、修業は頭で憶えるのではなく身体で体得して行く、という方法がそのまま内弟子の立場の名称となっていることが大変興味深い。
 ある業躰は金沢の名門の窯元に生まれたが、家業の陶芸を継がずに茶の道を志して京都の「裏千家学園茶道専門学校」に入学、先ずは全寮制で三年間を学び、その後は家元のところに住み込みで入庵して六年を過ごした。いわゆる「業躰見習い」である。
 業躰見習いの仕事は内容が全て明かされているわけではないが、たとえば、朝は3時に起床して、丁寧に茶室や茶庭の掃除をし、花を活けて家元のお務め前に全ての準備を整えて待つ。これを毎朝365日欠かさず行う。休日など有るわけがなく、冬も夏もそれを続け、夜も稽古用の茶室で寝る。家の外と障子一枚だけで隔てられた部屋で、京都の冬は寒く、起きたら髪の毛が凍っている事もあったという。文字どおり、茶の湯で何を学ぶべきかを、その業を身体で修得して行くのである。
 茶道で要求される精神性は、禅寺の修行僧や、特殊部隊を志す兵士たちが受ける訓練の中身と多く共通するものがあって非常に驚かされる。精神的に未だに甘い弟子たちを見ていると、茶人と彼らと、一体どちらが本物の武術家であるのか、大変疑問に思えてくる。


 <弟子であること>

 道場では、学校の生徒のように、教えてくれるのを待っている者ほど、成長がなかなか見られない。それは、正式弟子でありながら、まるでここが学校であり、自分が生徒であるような錯覚をしている故なのだと思える。
 学校ではない、グライダー人間の養成所ではない所では、師匠は決して教師のようには教えてくれない。師匠は教師ではなく、弟子は生徒ではないということを強く自覚し、改めて認識し直す必要がある。そうでなくては「弟子であること」の意味は永遠に分からない。

 「弟子であること」とは、文字どおり「弟子としての在り方」を意味していて、弟子として学んで行くための性質や状態を表している。
 英語では Disciplehood と呼ばれるが、disciple(弟子)の語源は、ラテン語の docere
(ドーチェレ=教える、伝える、仕込む、授ける、訓え導く)という語で、「他者の教えを受け容れ、それを広める事を助ける人」という意味である。キリストの最初の追従者の一人を表したり、キリストの弟子そのものという意味もあり、正に古今東西で ”弟子そのもの” を示した言葉であることが分かる。
 因みに discipline(訓練・規律)、docile(従順な・教えやすい)、doctrine(教義・教え込まれたもの)、doctor(博士・医者=教える人)などの言葉も同じ語源から生じた。
 また、接尾辞の hood は、ここではロビンフッドの頭巾や幌などの意味としてではなく、幼少時代(childhood → child+hood=子供時代の境遇)の様に、性質や状態、身分境遇、集団、集合体などを表す。

 生徒と弟子の大きな違いは、生徒が「学校」に「入学」するのに対し、弟子は学校とは全く異なる「非日常的な特別な場」に「入門」するという事である。
 入学とは、文字どおり ”学ぶために入ること” だが、では「入門=門に入る」とは、いったい何のことだろうか。
 入門とは本来、仏門に帰依し、修行者となるということで、この「帰依」の決意を表明することが本来の意味であり、実際に出家剃髪の際には、三宝帰依、即ち仏陀、仏法、僧伽
(そうぎゃ=Sangha=教えを実践する集団)への三つの帰依を表明し仏門に入る。
 つまり帰依というのは、それを依りどころとして、本来在るべきところ(彼岸)に帰着するという意味で、大乗仏教では、優れた仏法に対して自己の心身を帰投して依伏信奉する、などと説明されるように「大いなる受容性=変容」を意味している。「弟子であること」を実践するためには、先ずはこの「変容」が理解されなくてはならない。

 先に帝国ホテルの村上シェフや茶道の業躰さんの例を挙げたが、禅宗の寺もまた、そう簡単には入門させてくれない事でよく知られている。
 ある朝、出家して禅寺で修行せんと覚悟を決めてきた入門希望者がその門を潜り、取りあえず寺院の門は難なく通過できて玄関まで行き、「入門をお願いします」と大声で問うと、奧から「おう!」と裸足のイカツイ修行僧が顔を出してくるが、「生憎ながら、すでに僧室が一杯の為、貴殿を迎える余裕はございません、どうぞお引き取りを」と、慇懃に冷たくあしらわれる。
 けれども、本当に禅門で修業する覚悟でやって来た者は、一度くらい断られたからと言ってスゴスゴ引き下がるわけには行かない。だが、断られたのだからそのまま玄関に居座るわけにも行かず、いったん門の外まで戻って、そこで入門が許されるまで待つことに決める。
 朝来てから夕方までずっと、そのまま門の外に座り続け、托鉢僧たちが行乞に出るのを横目で見送り、一日が経って、やがて彼らが帰ってくるような時間になると、寺の中から例の厳つい修行僧が出てきて、いきなりバケツの水を頭から被せられ、「帰れ、邪魔だ、ここはお前の来るような所ではない!」と怒鳴られる。
 薄い墨染めの衣の格好でバケツの水を浴びせられるのだから、濡れ鼠で震えが来るが、それから雨が降ろうと雪が降ろうと、飲まず食わずのまま、三日間くらいは放っておかれる。
 本気で入門し、自我を捨てて謙虚に道を問い、真の修業をする覚悟があるかどうか、その人間の強い意志と誠実さが問われるのである。
 この方法は21世紀の現在でも未だに変わらず続けられている。入門とは本来このようなものであるのだと、大変分かりやすい例であると思う。

 私たちの所でも、正式弟子に憧れる人は多い。一般門人からは ”雲の上の存在” と言われながらも、それに憧れ、どうせこの道を歩むからには是非そこまで行ってみたい、この深遠な道を踏破したい、と思うのである。
 日本玄門では、正式弟子になるためには先ず拝師候補生に選ばれなくてはならないが、候補生になるためには、先ず拳学研究会に籍を置くことを許された上で、更にその中から候補生に抜擢され、どの様に稽古修練に励むかを一定期間詳しく見極められた上、宗師と后嗣が上級拝師生や顧問や相談役を交えて共に協議を行い、宗師が最終決定をしてようやく拝師入門の可否が決定される。また、無事に拝師入門を遂げてからも、早々に審査を受けて実際の自分の実力の位置を知らされる。
 しかし、せっかく拝師正式弟子に成れたというのに、初めに挙げたような「十年経てばただの人」になってしまう事が起こるのは何故だろうか。それは彼らが、ひたすら ”変容” できないままで居る、と言うことに尽きるのだと思える。

 「変容」と言うと、私はいつも千年の歳月を経た大樹を想う。
 千年杉などと呼ばれる、樹齢千年を超える大樹がある。屋久島に自生する縄文杉の中には推定樹齢が三千年とか、七千年以上などというものまであるという。
 日本の津々浦々にも、樹齢三千年を超えるクスノキや、須佐之男命が植えたと伝わる樹齢数千年の杉などもあり、桜の樹なども、日本全国に樹齢数百年から千年、千五百年という古木が、今なお変わらず春になれば見事な花を咲かせている。
 しかしそれらは皆、元は等しく、小さな小さなひと粒の種であった。その小さな種が土に埋まり、そこから芽が出て、周りの雑草よりも貧弱な細い茎が伸びて、長い長い年月をかけて大樹へと成長を遂げたのである。
 山で植樹する林業の人は、どれほど綺麗に苗を植樹しようと、毎年何度も面倒な下草刈りをしないと周りの雑草に覆われて、苗がすぐに枯れてしまうと言う。
 下草刈りは大変な労力と手間を要するが、人の手を借りずに自らの力で大樹へと成長できた樹々は、気の遠くなるような歳月の中で、自らの意志で、次々と襲い来る様々な困難を乗り超え、打ち勝ってきたのである。
 そして、樹齢何千年という大樹も、元はその小さな小さな一粒の種そのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。大樹と種とは、全くもって「同じもの」なのだ。
 けれども、種と樹木は姿も形も違う。その呆れるほどちっぽけなひと粒の種が、如何にして数千年を経て、押しも押されもせぬ大樹にまで成長するのだろうか。

 その小さな一粒の種が大樹へと成長して行けること、そのシステムに気付き、それを全面的に受け容れて実践してゆくことこそが「変容」なのである。
 入門とは、その「種のシステム」に気づくという事であり、拝師して正式弟子になる事とは、そのシステムを信頼して自らが変容する決意を固める事であり、真正な稽古修行とは、ただひたすらに、その変容が起こるための努力を繰り返して行くことに他ならない。
 ひとつぶの種は、種それ自体のままでは、ただのちっぽけな粒でしかない。
 立派な野菜でもないし、幾千万の花が咲き誇る大樹でもない。
 種は地にこぼれ落ち、腐葉土が身を覆うのを赦しながら、じっと好機を待ち続け、やがて春の温もりに芽を吹き、風雪の万難を越えて、ただひたすら気の遠くなるような歳月を、その大いなる変容のために過ごす。それを受け容れたものだけが立派な植物として、大樹としてこの世に姿を残すのである。

 同じように、まだチョウではないサナギは、ただのイモムシに過ぎない。
 あのイモムシの姿形が、あのような美しい蝶になって羽ばたくなど、誰に想像できるだろうか。そして、ただの不恰好なイモムシでしかなかったサナギに、その時いったい何が起こったのか。
 鯉が大河の激流を遡り、最後に最大の難関である急な滝を登りきって、終には龍になるという故事もある。ただの鯉が龍になるという、この「変容」こそが人間の究極の成長の鍵であることを示しているに違いない。

 けれども、ヒトは「変容」に対して大きな抵抗がある。
 それは、自分の意識の深いところで、そんなことを遣ってしまったら自分の人生が何もかも変わってしまう、人生の全てをすっかり変えるようなことが起こってしまったら大変だ、ということにイヤと言うほど気付いているからである。
 変容とは、自己という姿かたちを全面的に変えて、新しく生まれ変わることだ。
 人は生まれ変わることを非常に怖れる。今までの自分と異なる環境、全く違う習慣や考え方、そんな面倒で大変なことは受け容れず全て否定したい。自分でたっぷり投資し続けてきた古くからの人格、古ぼけたアイデンティティを大切に守り、ひたすら平穏無事に、そこに何も特別な変化が無いことを無意識に求めて、安心を生きているのである。

 しかし実際のところ、変容が無くしては、ヒトとしての成長もまた有り得ない。
 鯉が激流を経て滝を昇り龍と化すという故事は、その鯉が決して観賞用の池の鯉では無かったという事に他ならない。池の鯉は変容を求める必要がない。毎朝主人が手を拍つときに寄って行き、エサを貰えさえすれば鯉の生は事足りるのであって、成長することや変容することなど、そもそも眼中に無いのだ。

 成長は単なる「変化」ではない。変化というのは時間の経過とともに自然に変わっていくことを指すが、変容とは「全面的な質的変化」のことである。
 つまり、自分の「人生の質」が変わるようなトータルな変化こそが変容であって、その場その場に合わせて、都合良く安っぽい変化を繰り返すことではない。
 変容は、自分自身から逃げずに正面から向かい合って、目的を達成するための強い意識をもって邁進し続けることによって初めて成される。
 あるいは、何かの切っ掛けで、突然それが起こる場合もある─────知らぬうちに、いつの間にか条件が満たされ、ある朝、自然に花が開くように。


 <照リ極マレバ>

 「弟子であること」とは、端的に言えば「学んで行ける状態」のことである。
 なんだ、そんなことか─────と思うかもしれない。
 しかし、学ぶということ、学べるということ、如何なる場合にも常に学び続けることのできる心の状態でいられること、というのは、実は本当に大変なことなのである。
 学んでゆける人には、やがて全面的な質的変化、つまり「変容」の機会がもたらされる。何故なら、師匠の教えには変容を促すものが多く溢れており、この教育のシステムもまた、変容を余儀なくされるように仕組まれているからである。
 小自我から悟性への変容、傲慢さから謙虚さへの変容、見ることから照らし観ることへの変容、無意識から意識、知識から智慧へ、そして日常性から非日常性、武術性への変容・・
それらはまた、どの分野に於いても、一流の人間を育むための必須条件でもある。

 学んでいけない人には、それが見えないし、それが分からない。
 小さな変化ならたくさん起こるかも知れないが、しかしそれは、あれも遣ってみたい、これはこうしたらどうか、あれはきっとこの延長にあることに違いない、と自分勝手に定義を作ってしまった事なので何の変容も起こらず、必然的に小さな変化ばかりが発生し続けるのである。

 常々口にしているように「学ぶ」という言葉は「まねぶ=真似ぶ」という古語に由来し、「真似をする=真に似る=性質や状態が殆どそのものに相応している」という意味である。
 世に溢れる通俗な物が相手なら、それなりに真似ができるかもしれない。
 ディナーのナイフやフォークの使い方、紳士淑女らしい礼儀作法、ちょっと飛ばせる運転の仕方、スマートな収入の稼ぎ方、モダンなネクタイの締め方、それなりの料理の作り方、 中々美味しい珈琲の淹れ方、有名老師風の套路の打ち方、発勁風にチョイと人を飛ばせるリキミ方や、化勁風に見える崩し方・・
 しかしそれは、決して高度なレベルではなく、所詮は誰にでも、ごく普通の人でも工夫次第で真似ができるレベルであって、自分なりの自己満足の域を超えるものではない。

 それでは、秘められたもの、本来隠されて然るべき奥義、真伝、その本質に対しては、いったいどのように「真似」をする事ができるのだろうか。

 それは何よりも先ず、師匠と同じところで、同じように感じてみる、ということから始まる。他より優れて稽古を取れる人たちは、皆このことが自然にできる。
 反対に、いつまで経っても分からない人というのは、師匠がやっていることを、師匠とは違うところから勝手に見てしまっていて、更に自分の見たものに自分で解釈を付けながら、自分の好きなようにやってしまう。結局自分のところでグルグル回っているだけだから、師匠の示すことは何も解らない。その人の弟子としての学び方には、肝心の「師弟関係のシステム」が入っていないのである。

 師匠の「在る」ところで、その同じところで、同じように在ることを感じてみる、という感覚は、それを理解するための切っ掛けになるような事なら、それほど難しくない。
 たとえば海原を行く小さな船の上で、同じ風に帆が孕むチカラを感じて舵を引くような、佳い映画を一緒に観て、同じように泣けるような、醸造家たちが、これこそが自分たちの造りたかった酒だ、と等しく共感できるような、共に別々の楽器を奏でながらも、同じ曲を綺麗に調和して演奏できた時のような、喜びも哀しみも分かち合えるような───────
 それは、難解な秘伝の学習と言うよりは、まるで恋人と心から愛し合えるような状態なのである。

 ところが、エゴはいつもそれを拒んでしまう。
 自我には常にまず始めに ”自己” があり、その自己が思うところを思うように感じ、自己が確信できるところで定義をし、それによって出来たことを自己に示せることが唯一の価値であり、学びの目的のように思えて、最も大切なことを取り逃がし、たとえどれほど陳腐で馬鹿馬鹿しくとも、その場で取れること、自己満足にフィードバックできることだけを価値としてしまう。まるで、金魚すくいの紙が多少破けてもどんどん替えればいい、ともかく金魚さえ掬えれば良いのだからとばかりに、乱暴に自分の器に放り込むようなものである。

 そして、「弟子で在ること」と「弟子で居ること」とは異なる。
 師弟関係に於いては、「弟子でいること」が求められているわけではない。
 弟子がどこに居ようと、何をしていようと、どのような場合や状況に於いても、ただひたすら変わりなく、常に「弟子であること」が各々の弟子たちに貫かれていることが求められているのだ。
 「弟子であること」は、生き生きとした、活きた関係性の中で生じ続けている。
 そこに自分の考えを夾む余地はなく、ただ「そこに在るそのもの」を師と共に受け取り、味わい、そのものに丸ごと呑まれて溺れることを許す状態だけがあるのである。
 そして、その「弟子であること」こそが、師に就いて道を問い、師が見出した同じ大いなる道を、玄門の一笠一杖に身を託し、師弟で共に歩んで行くということに他ならない。


                                  (了)


noriko630 at 18:57コメント(15) 

コメント一覧

1. Posted by もりそば   2020年02月15日 17:00
円山洋玄 師父

特別寄稿を掲載いただきありがとうございました。
文章から溢れ出る想いから感じたことから改めて自分が道場に居ることの意味を振り返り考えてみました。

我々は皆学校教育を受け育ってきているわけでそこでの経験をもとに生活してゆくのですが
そもそも日本の学校は自分自身で考えさせるような教育体系ではなく
従順に社会システムに労働力として従事できる平均的なサラリーマンを製造する工場のようなものだと感じます(日本の労働人口に占めるサラリーマン比率は世界的に見ても高く個人事業者への支援もないのでそう間違ってないと思ってます)。
その教育を有難がって無条件に受け容れる生徒が優秀な人材ということになっています。
社会システムにぶら下っている間は学校で学んだやり方で過ごすのは効率的であり評価され、
なにより楽であるため、何も創造性を発揮しなくても生活できてしまう。
これでは社会システムを維持するためだけのただの労働力でしかなく人間である意味も必要ないかもしれません。
その精神状態のままで真理を理解できるのか?創造的に日々の稽古に取り組みできているのか?
現代における道場の意味合いとは何か?別にただの労働者としてでも生活はしてゆけるのに敢えてその門をくぐるのはなぜ?と問うてみます。
道場に身を置き続けるに至った原動力は間違いなく打算でもエゴでもなく真理に共感する魂の奥底の熱い何かだったはずだと。その何かこそが変容のヒントであり真摯に向き合うべきものだと思い至りました。
何よりもそれを大事にしていきます。

また道場での伝授は日常言語ではないのもやはり道理なのですね。
どううまく表現しても言語では真理を言い表せないので情報量の少ない伝達手段です。
全体感を取るとは師の波動?、意識?を合わせることかなと探索してますがまだ答えは見えません。
頭ではなくハートで探してみます。

 拙い文章となりましたが以上です
 
2. Posted by 松久宗玄   2020年02月15日 17:49
弟子とは何か、自分とは何かを見つめる機会を与えて頂き、ありがとうございます。
本来であれば、日々の稽古の中で自然と実感し、身に付けられて然るべき事柄である筈なのに、
このように因果を含めて、噛み砕いてご説明を頂き、ありがたくも申し訳なく思います。

今回の投稿を拝見し、自分を省みて、自分自身の「偏り」に目を向けさせられました。
私は物事に対して、「自分」で分析して、言葉に置き換えて理解し、試したいのです。
それこそが自分のアイデンティティだと、いまだに強く握り締めています。
これまで、その特徴を武器としても使い、人生を過ごしてきました。
その自分の武器で勝負できる所を選び、それ以外は避けて生きてきました。

ご指摘の通り、自分の中には「感じる」という事に関して、
無意識的な忌避感があるのだと思います。本質的には自分を変えたくないからです。
稽古において先ずもって必要であると、頭では認識してしているにも関わらず、
行動に反映されない現状には、隠された自己の意図があり、
その問題と向き合えていないから、に他ならないのだと思います。

稽古の場において、「自分」の所から、「在る」事に向かおうとしても、
結局は方法論の工夫でループするばかりです。
本当は見たくもない「自分」を見て、師匠を在るがままに見られるから、
その差を認識できて、その間を埋める何かが起こる。のであるから、
「弟子たる自分」と「師」に向き合う意識こそが、
常に最初の一歩になるのだと捉え直す事が出来ました。
ありがとうございました。
 
3. Posted by 西川敦玄   2020年02月15日 17:58
真の鞭撻というべき、この記事に対して何をもって応じることが出来ましょうか。
全き言われる通りのことと深く思います。
私のなにがどこが、武術家でしょうか。どの口がいうのでしょうか・・・・・。
師父の言われる、大樹の種や芋虫は将来の姿を想像しているのでしょうか?
私が思い想像している武術家然としたありようは、これらの喩えで語られるありようと絶対的に異なっていることを知っています。
種は、良い土地に撒かれ、成長を遮る下草にかかわらず、種のあり様に従い成長するべきものでしょう。
何に変容するのか心配になるかもしれません。
しかし、私たち弟子は師を知っています。
師弟関係の中でないと、私という種は死ぬことができない。
弟子としてあることについて真剣であらねばならないと感じています。
私は、ここで、この道云々考えることをやめ、弟子であることを生きようと思います。
 
4. Posted by 円山玄花   2020年02月16日 02:20
特別寄稿を、ありがとうございます。

これまで、太極拳修行の道には人間が成長していけるシステムがあることを感じてはいましたが、今思えば平面的でとても限定された感じ方だったようで、今回寄稿して頂いた記事の様に全方位的に立体的に見つめたことがありませんでした。とても勉強になります。
人生で感動する瞬間はたくさんありますが、心の底から震えが来るような、頭の中でフラッシュが起こり続けるような感動は、それほど多くは無いと思います。今回の記事を読んで、まだ感動のフラッシュが続いていますが、このどうしようもない感動の衝撃こそが、変容の原動力なのではないでしょうか。

そして、自分が立場上他の人を指導するときには、その人が気づき、自分で研究していけるように工夫して「教えて」いたのだと思いました。分からないことを分かるように、見えないことが見えるように・・。
自分が本物の師匠になるには、指導をしたり教えたりするのではなく、自分も生涯をこの道の弟子として、私が学び続けている「在り方」を他の人と一緒に更に学び続けていくことが大切なのだと、今は思えます。

ありがとうございました
 
5. Posted by ハイネケン   2020年02月16日 02:33
以前師父より単式のある動作を目の前で教示頂きました。
スラスラと軽やかに動かれている姿を前にし、自分が何ともロボットの様に不自然に動くのが精一杯でしたが、玄花后嗣からもっとよく観るよう声を掛けて頂きました。
短い時間でしたがとても鮮明に覚えています。
さて帰宅してから今まで数年が経ちどれ程その稽古に向き合って来たでしょう?
頑張りますとは口だけだなと猛省の思いです。

村上さんの話も業躰さんの話も辛く孤独感や先の見えない修業への絶望感に近い思いを感じ、恐怖感すら抱きました。しかし修業に熱中していく様は技術修得だけではなく、その取り組む心の姿勢に対しても羨ましさを感じます。
稽古中に他の方々がすぐに真似ていく様を見ると、力み動けなくなってしまう鈍くさい自分に本当に嫌気がさしてしまうのですが、そんな感情や動けない体すら私のエゴの発露でしかなく、もっと違う視点かつ丁寧な観察で見直していかねばなりません。
筆舌に尽くし難い事は難解であろうと思ってしまう様な見えないエゴを放棄し、稚拙であれ紆余曲折であれ真似し続ける様、稽古に向かいます。
 
6. Posted by 佐藤玄空   2020年02月16日 15:16
ご多忙のところ寄稿をありがとうございました。
常々、日本玄門會を一端でも背負うという事はどのようなことなのかと思案してまいりました。
正式弟子として数年が経ち支部を統率する身として、正式弟子として果たして今のままでよいのかと自問自答する日々であります。
しかし、今回の師父の文を読み、弟子であること、弟子であり続けることに気楽に過ごして来た自分を発見しました。自分の悩みなど上っ面にしかすぎず「下手な考え休むにしかず」であったことと反省いたします。
何時までもヒナと同じ気持ちでは自ら飛ぶことすらできません。
玄門の門人であると自他ともに認められるよう精進したします。
ありがとうございました。
 
7. Posted by 川島玄峰   2020年02月16日 16:12
特別寄稿をありがとうございます。
改めて太極拳を習得する上での正式弟子としての心構えを再認識させて頂きました。

自分にとって太極武藝館は、根底にある自分の弱さを変えてくれる要素があったから続けてこれたと思います。
最初に師父にお会いした時からすべて自分の事が分かって頂けたように思い、身をさらけ出せる気持ちとなりました。
しかし、自分はその事を恐ろしく感じていた記憶があります。
その恐ろしさは、自分の根底の弱さを何とかしなければという焦りであり、今までの自分が恥ずかしく感じたからです。
その弱さは、自分のエゴから生まれ、積み重なった結果だと今はわかります。

その弱さ変えて行くには、やはり思った以上の覚悟が必要であり、強い意識が必要であると記事を読み心に沁みわたりました。
まだまだ、弱い小さい種ではありますが、これからも師父に就いて弟子であることを貫き強さを得たいです。

正式弟子として初心からの武術への情熱を持ち、常に弟子であることを肝に銘じ、身を投じて変容したいと心から思います。
 
8. Posted by 田舎の神主   2020年02月17日 21:59
「弟子であること」とは何かを、様々な多方面から解いて下さりありがとうございました。今更で恐縮ですが、弟子(門人)としての最初の心得のように感じました。気魄のこもった内容と文章は素晴らしいものでしたが、自分には、難解なところもあり印刷して何回も拝読しました。

 私の同世代が、戦後の学校教育(狂育)や、パソコン・スマホの影響か、世の様々な流行にのって、自身で考えることが億劫となり、心身も弱くなっていると感じ、また、十数年前にパソコンの作業で体調を崩してからは、かなり危険と思いそれらにあまり関わらないようにしていました。しかし、世の流行にのらないとか、パソコンを控える程度の意識では武術の功夫を上げる事とは全く関係の無いものでした。

道場の研究会稽古での突然の訓練では、意識が細部まで届かないことも多く、残念に思い、自分よりもできる人は、何が違っているのか、どのようにしたら良いのかを模索し、やはり、普段の生活自体を武術的なものに意識を変えていく必要があると思いました。

道場では、武術の真髄に少しでも近づきたいと稽古をするのですが、私は、理解のピントがずれることが多くいつも遠回りをしています。 言葉やカタチで表わすことのできないものを見せて下さる、師匠の“在り方”を、自分も感じることができるよう稽古に励みたいと思いました。
 
9. Posted by 太郎冠者   2020年02月17日 22:46
特別寄稿ありがとうございます。
拝読させていただいて、思うところが多く、うまく言葉がまとまってくれません。
村上シェフがフライパンを受け取ったくだりでは、思わずこちらも涙ぐんでしまいました。伝授する、学ぶ、受け取る…それらの中の大切な要素が、そのエピソードに全て濃縮されているようにさえ感じられました。

先日の稽古で、師父が隣で指導されている様子に、横で別の稽古をしている最中に、思わず注意を向けてしまいました。
今にして思えば拝師弟子の先輩を師父が指導されている様子を、一研究會門人でしかない自分が観て良いはずがないのだと思います。
気づかれないように…などという浅はかな考えなどは、師父には全て見透かされておりました。

師父の文章を読ませていただいて、太極拳を習得したい、やりたいという思いが本物なのかを改めて問われているように感じました。
もっと稽古に励みたいと思います。
ありがとうございました。
 
10. Posted by 川山継玄   2020年02月18日 03:08
今ここでこうして日本玄門の拝師正式弟子として円山師父の元で学べる幸せを、ひしと感じております。

「X」をつけられることを極端に恐れて、「〇」をもらえるとホッとして、でも、その〇は付け焼刃故に常に自信が無くて、それを解決することもできず、もがいているだけの私でした。
今も尚、この価値観が一切自分の中から抜け切れたかといえば、そうではなく、表面的な評価に気を取られることがあります。

けれども、それとは一切関係の無い所で、師父が私たちと関わり、導いてくださっているという事を、ゆるぎない信頼関係に身を委ねていいのだという事を確信し、涙が止まりません。

未熟ではありますが、そこに在るそのものを師父と共に受け取り、師父と同じように味わい、そのものに丸ごと呑まれて溺れる事を恐れず、生きていきたいと思います。

ご指導の程よろしくお願い致します。
ありがとうございます。
 
11. Posted by マルコビッチ   2020年02月18日 19:54
特別寄稿をありがとうございます。
読み終わり、師父の深い想いが、言葉を超えた余韻となって響いています。

小さな種が大樹に成長していくこと、そのシステムに気付き受け容れて起こる変容。
それこそが太極の道なのだと感じました。
師父と共に在りたい! 師父のいらっしゃるところに近づきたい! 
ずっとそんなふうに思って、思いばかりが一人歩きしているようでした。
師父の存在を感じ、自分の存在を感じて、師父と同じように自分自身から逃げずに正面から向かい合っていきたいと思います。
せっかく出会ったこの道に誠実でありたいと思います。
ありがとうございました。
世界中のどんなチョコレートより香り高く美味でした。
 
12. Posted by 清水龍玄   2020年02月18日 20:15
貴重な記事をご投稿いただきありがとうございました。

グライダー人間という言葉にとても衝撃を受けました。
自分自身、何かを開拓していく力が無く、創造性が全く欠如していると感じています。
しかし、その創造性の欠如を感じても、それを養うための努力を、はたしてしてきたのだろうかと考えさせられます。
また、何か問題があっても、それに対して工夫するでもなく、周りをシャットアウトして自分のやり方を押し通して失敗し、後々振り返って、実に馬鹿な事をしていたと思う事が多々あります。
何れにしても、自身が変容していく事を受け入れられていないと考えさせられます。
 
13. Posted by みみずく   2020年02月20日 23:34
円山師父の特別寄稿を読ませて頂いて、自分は感動したと言うよりも、頭を殴られたような非常に衝撃的な内容であるように感じました。
はっきり言ってショックでした。
具体的に嚙み砕いて説明して頂くと、自分の愚かさをしみじみ実感しました。
これから何度も読み返せねばと思います。
日常生活すべてに弟子としてのあり方が大事であると思います。
常に学んで行ける門人となれるように日々精進します。
ありがとうございました。
 
14. Posted by マガサス   2020年02月23日 04:59
何故自分が学べないのか、何も理解できないのかずっと考えていました。最近生活の中でも、その理由に直面させられることが起こり続けています。
師父の記事を拝見し、自分の何が問題なのか、わかっていないのか、痛感します。
村上さんのお話や、弟子である事のお話を拝見し、自分にこんな情熱や真っ直ぐな気持ちが有るのか、エゴを捨てる事ができるのか、と問いかけた時に、ただのズル賢い自分に直面し、人生をかけてその道を歩いていらっしゃる方々に非常に失礼だと恥ずかしく思いました。
自分だって頑張っていると思えてしまう傲慢さや、何度も同じ間違いを繰り返してしまう怠惰さに、上手な言い訳をして逃げているだけです。
自分がまともな事が出来ないのは「この様にやりなさい」とご指導いただいた事を、その通りに受け取ってやっていないせい
自分が物事を分からないのは、きちんとわかろうとして取り組んでいないせい
簡単な事では無いとわかります。努力しないと分からないと思います。
例え始めは分からなくても、示して頂いている事から目を逸らさず、見続けていく努力をします。
「やり方」ではなく「在り方」を受け取れるように。
 
15. Posted by 清水龍玄   2020年03月28日 19:38
師父が投稿されたこの記事を何度も拝読し、稽古をしているうちに、遅ればせながら思ったことがあります。
この度、師父より課題として、もう一度コメントさせていただけることになりましたので、大変遅いコメントですが、投稿させていただきます。

私自身、何をやってもうまくいかず、何もできない、その様なことが続きました。
しかし、それは実際には、師父が仰ったことをやらず、また、示されたことをやらず、一旦自分の頭で理解しようとし、そこで思いついたこと、自分に都合の良いことばかりを繰り返しているに過ぎませんでした。
そうではなく、例えできなくとも、言われたことを言われたようにやってみる、示されたことを示された通りにやってみようとすることで、やっと見えてくるものがありました。
そして、やっと何か見えてきた時、「ああ、師父は20年以上前から、このことを仰っていたじゃないか!見せて下さったじゃないか!」と、思い至ります。
学校での勉強は、何年もしくは何十年後に、ああ、あの時先生が仰ったことではないかと、師父の言葉の様には思うことはありませんでした。

師父は、常に解答を、そしてそれを分かっていく為のヒントを示して下さっていると感じます。
師父の教えは、例えその時に分からなかったとしても、自分の中に生き続け、やっと自分に理解する準備ができた時に、言われたこと、示されたことが身を持って分かってくるものなのだと感じました。
その為にも、言われたこと、示されたことをその通りにやってみようとし、決して諦めず稽古を続け、自分自身を問い続け、自分の精神性を養っていかなければならないのだと、今更ながら痛感いたしました。
この気持ちを大切に、きちんと学んでいけるよう、稽古をしていこうと思います。
ありがとうございました。
 

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