2019年05月24日

門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その42

   「弱さを知る」

                   by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



 武術を稽古することの目的のひとつに、強くなることがあると思います。
 元々は、敵対する他者との闘争の手段として発展してきた武術は、当然のことながら自身を害しようとする人間よりも強くなければ、自らの身や、大切なものを守れません。

 ところが現代社会では、それまでは当たり前としてあった「強いものが正義」という考え方は、すでに過去のものとなりつつあります。国家間の紛争を解決する手段であった「戦争」という行為でさえ、第一次大戦後の1928年に締結されたパリ不戦条約以降、自衛以外の戦争は違法行為であると、国際的に認識されています。理由を作って、戦争を仕掛けていい時代は国際法的にも終わりを迎えています。
 また日常生活を送る中で、だれかが気に入らないから殴って言い聞かせてやろう、などということは、当然のことながら許されません。
 しかし、だからといって相手はこちらを害することを止めるということにはなりません。
単純に暴力に頼るという意味ではない中で、自分の身を守る手段は、自ら持っていなければ生きていくことができません。

 そのような中で生きる自分のような人間は、強さや弱さを、一体どのように考えていったらいいのでしょうか。

 太極武藝館の稽古をしていて感じるのは、人間の強さや弱さというのは、腕っ節の強さではなく、もっと他の部分にあるのではないかという点です。
 稽古中、たとえば対練をしていてだれかに崩されたとして、そのことに関して「弱い」と非難されることは決してありません。
 そもそも、試合形式のトレーニングをすることがないので、誰かと勝敗を比較して、優劣を決めるということはありません。勝ったから強い、負けたから弱いということはありません。

 これは考え方を変えれば、非常に洗練されたことであるといえると思います。
 武道をやっていない普通の人に話をしても、試合で勝敗を決めないのなら一体なにをやっているのか?と、なかなか理解してもらえないということは、ざらにあります。

 それよりも大切なことは、どのように稽古に取り組んでいるかだと思います。もちろん結果が伴わなければ稽古をしている意味はないですが、その結果が伴うかどうかという点も、端的に言って稽古への取り組み方に左右されるのだと思います。

 自分自身、稽古で壁にぶつかることはよくあることですし、自分が何にぶつかって戸惑っているのかわからず、そのためどうしていいか、打開する方法など全くわからないということもあります。
 そうしたとき、どうしても普段のやりかたとして、自分を強くすることで、つまり弱い部分を突っぱねようとすることで問題の解決に当たってしまうことがあります。
 本当の問題が「強くないこと」にあるのではなく「弱い」部分にあるのだということは、冷静に頭を働かせれば見えてくるのですが、問題の渦中にいる自分には、その部分が見えて来ず、すぐに結果が出そうな部分、強くあればいいという考え方にしがみついてしまうように感じます。
 当然のことながら問題は解決せず、時間が経つにつれて、むしろ複雑になっていくだけに感じられるものです。

 どうしたらいいかわからず、悶々とした日々を過ごす中でようやく、強くなろうとすることと弱さを知ることは全く違うことなのではないか、と思い至りました。
 自分だけでわかることはできず、色々と多くの人に心配や迷惑をかけながら、そう理解させてもらえるように導いていただいたおかげだと思います。

 自分がやることが何もかもうまくいかないように思え、どうしていいかわからなくなってしまったとき、師父に掛けていただいた言葉がありました。
 人間というのは、進化の途上にあって弱いものだから、うまくいかないことがあって当たり前だ、と。だから、そこから逃げずに立ち向かえるかどうかで、人間が決まるのだ、と。

 自分がうまくいかない原因は自分の中にあると思いながらも、それは自分の弱い部分を見ていないからではなく、自分に物事を解決していけるだけの強さがないからだ、と思い込んでいた自分には、ぱっと視界が開けるような言葉に感じられました。

 ただ強くなろうとするだけだと、自分の中にある弱い部分を隠すようになり、いつのまにか、他の人から見えないように、そして何より自分から見えないように蓋をしてしまうようになります。
 そうなると、問題の根本はそこにあるのに、いつしか取り繕うことばかりに労力を使うようになり、本当に必要な解決にまで力が注げなくなっていってしまうようでした。

 もちろん、見える人にはそれが見えているのだと思いますが、自分は隠すことに必死になり、その弱い部分にふくまれている本当の自分が見えなくなってしまいます。
 そんな中で、自分を見つめていかなければいけないことなどできるわけがありませんでした。

 現状で問題が解決はしていないのですが、問題として隠していた部分には、少しだけ光が当たってきたように感じます。それがどのようになっていくのかはわかりませんが、分からずにふさぎ込んでいたときよりは、一歩前進しているのではないかと思います。

 自分の中の弱さを知っていくことは、そのまま本来の自分がどのような存在であるかを知っていく過程に繋がっていると思います。
 そうすることで始めて、本当に自分ができることは何なのかが、見えてくるのではないかと思います。

 太極拳はだれにでも出来る、と師父は仰いますが、それが簡単には見えてこないのは、自分の中にある能力を、本当は自分自身が一番見出せていないからなのかもしれません。
 特に、画一的な教育を受けてきた自分たちの世代にとって、能力とは他者との比較で測られるものであり、その中で優劣を決められるものでした。
 自分の中にあるものが他者とは比べられない唯一のものであったり、また能力が伸びていく道筋や時間も唯一のものであった場合、それらの比較の仕方では、本来の能力など伸ばしていけるわけはないと思います。
 そうして画一的に育てられれ評価されてきた人たちが、いざ、自分の本来の姿を見つけろと言われても、なかなか簡単にはいかないのではないでしょうか。

 そこから脱却していけるかどうかが、太極拳のみならず、これからより良く生きていくために、自分も含め、多くの人々には必要になってくることではないかと思います。
 そうして初めて、太極拳が理解できる土台が出来上がるのだとしたら、それに取り組まない理由はないのではないかと思います。

                                 (了)



 *次回「今日も稽古で日が暮れる/その43」の掲載は、7月22日(月)の予定です


disciples at 18:05コメント(22)門人随想 | 今日も稽古で日が暮れる 

コメント一覧

1. Posted by 川山継玄   2019年05月25日 00:59
自らを見つめ、片時たりとも全ての事が同じ状態ではないと感じられた時、自分自身や関わる全ての人や物がとても、大切で有機的なものなんだと気付かされました。
今も解決しなければならない課題は山積みで、本当に未熟だと凹むことは多々ありますが、客観的に自身を見つめ、スピードを大切に周りと関わるようになったら、その時に何が大切か・必要かが何となくではありますが、見えるようになってきたように思います。
それまでは、言い訳や、できなかった理由を考えるのに必死で、かなりの時間を費やしていたので、結局関わりを持つことや解決のための具体的な動きに繋がらなかったのですね。
示していただいたことをまず自分を挟まずやってみる事が、本当に大切だと痛感する毎日です。

太郎冠者さん、お互いに頑張りましょうね。

2. Posted by もりそば   2019年05月25日 17:16
武藝館の稽古風景では様々な稽古メニューにおいて2人でペアになって互いの課題を指摘しあうことがあります。具体点を挙げるだけでなくそれが生じるもとになる当人の考え方を指摘することもあります。これは新しい発見を得るために有効な取り組みであると感心させられます。独りでは自分の目で見えたことしか認識できないので偏狭な理解に陥りがちですが他者の視点からのアドバイスにより自分では見えない弱点を認識しやすくできるのです。時には鋭いコメントをいただくこともありますがその時に反発心が生じれば指摘されたことが自分の弱点であり図星であります。自分は稽古にどう向かい合ったか、指摘事項をどう受け入れ、取り組んだかを振り返りながら今後も精進してゆきます。

共通の目標をもった仲間が集い忌憚のない意見を言い合える道場は本当に貴重です。しみじみ
 
3. Posted by 松久宗玄   2019年05月26日 02:25
弱い自分やしょうも無い自分と向き合う事は苦痛ですが、
その上で何を選ぶかを決め、何を変え、どう行動するのか、
人生とは、その果てしない繰り返しが続くという事に早く気付いて、
延々と取り組み続けられる人が結局は強いと思います。

目的が自分を変える事だと心に決めていれば、
自分の問題は自分では見難いものですから、
他者を鏡に自分を観る機会は、得難くもありがたいものと思います。
 
4. Posted by 佐藤玄空   2019年05月27日 09:57
強さって何だろうと疑問を持ったのがTV番組で芸人と総合格闘家の剣道の試合を観たときでした。
芸人の方が剣道では実力が上で試合は芸人の方が勝ち。
格闘家は力んで体ががちがちになっいて、芸人は動けている。しかしつばぜり合いになったときは逆に格闘家は巧みに芸人を崩し吹っ飛ばす。
先の太郎冠者さんのコラムにあるとおり「動く」ということが場面で出来たりできなかったりしてしまい、結局は動けた方が勝ちに繋がるというのは確かなことの様です。
弱さとは頭も含めて動けていないということと感じています。
 
5. Posted by 円山玄花   2019年05月27日 16:41
太郎冠者さんが自分に悩み、課題に悩んでいることはよくわかりますが、まだまだ問題にストレートにぶつかっていないような気がします。

特に、「問題として隠していた部分には、少しだけ光が当たってきたように感じます。それがどのようになっていくのかはわかりませんが、・・」という表現には、例えば ”作物を収穫するためにタネを蒔いたけれども、それがどうなって行くかはわからない” とでも言って傍観しているような余裕が感じられます。そこにはなんとしてでも作物を実らせなければ生きていけないという必死さが感じられません。

ようやく少しばかり当たった光をどのように大事にしたら良いのか、より大きな光を当てて、より成長を促し、より大きな実りにするためにどのような努力が必要なのか、それを一瞬ごとに必死に得ようとしているのでしょうか。
まずはそのような問題解決のための力の根源とも言える自分の強力な意志がなければ、僅かな光もすぐに消えて無くなることでしょう。それは雨のそぼ降る夕暮れに、たった一本のマッチを擦って得られた光かもしれないのです。
そんな時に「自分の能力が〜」とは言っていられないはずですし、能力とは単に自分がぶつかった課題に対して何ができるかということだけが「能力」と言えるのではないかと思います。その課題に対して何もできなければ、自分の能力は低いのです。だから、その課題をクリアしていこうとすることで、自分の能力は変化するのでしょう。時代も環境も、それほど関係ないと私は思います。
 
6. Posted by 西川 敦玄   2019年05月27日 17:30
文章からは、悩まれていることがよく伝わってきました。私なども、ほぼ全部まるごと、弱い部分のみで構成されているといっても良いでしょう。ただ・・・弱い部分強い部分云っていても仕方ないのではないかと思っています。
教育や社会のせいにするのは、評論的にはありでしょう。でも、そこで生きていくことには、ほぼ関わりのないことではないかしらと思います。(逆説的には画一的な教育をうけた自分の考える傾向が分かりやすいともいえましょう。→これも意味ないと思いますが)
私は、今、太極拳の海に飛び込んで溺れてみることに取り組んでいきたいと思っています。
一緒に、潮飲んでみませんか。
 
7. Posted by マルコビッチ   2019年05月27日 20:17
自分と向かい合い、エゴと対面し、それでも次から次へと自分の都合の良い方へ考えを持っていき、自分を正当化しようとする強靭なエゴ!
妬みや怒りの種は存在し、エゴと絡み合って動き出す。
海の泡のような出来事に一喜一憂し、人の言葉で自分を評価し形作っていく。
人間とは一体何なのか?
私は何なのか?
過去にこのことをずっと考え、苦しかったとき、「人は(私は)何も知らない」ということがリアルにポンと入ってきました。
しかし、鮮やかな色に変わったかと思った世界も、自分と向き合い続けないと色あせて、エゴの海に溺れてしまう。
それこそが人間の弱さなのでしょうね。
私もいまだにこんなことを繰り返し、浅瀬で溺れそうになっています。
日常に追われる自分を顧みる機会を頂いたと思いました。
ありがとうございました。
己を追求していかないと、真の武術を知ることが出来ないとは、何と凄いことなのだろうとつくづく思います。
 
8. Posted by ハイネケン   2019年05月28日 07:15
入門し驚いたのは、誰かと勝敗を比較しない稽古。
何をしたら良いのかも解らず、強くなりたと思い、強さを増やそうとして踏ん張っても、自分がどうして良いか解らない位になり、心も体も硬直し苦しくなっていく中、太郎冠者さんの言葉が身に染みます。
教わり学べる事だけを学ぼうとし、自分の理解のできる部分だけを聞き、それ以外は自分で切り捨て。これでは自分では学び取れず、教えていただいた練功すら活かせずにいました。
私は皆さんが元々強い方々で、自分と向き合い積み重ねたであろう事なぞ考え至らずに、私は強くないから…と知らず知らず諦めていました。自分の足で立たず歩かず、ゴロゴロと生きてきた様にすら感じます。
今の自分にはもがいて苦しみながらでも自分から学び取るという考え方が必要な様です。
 
11. Posted by 田舎の神主   2019年05月29日 18:00
自分にとっての強さや弱さを考えてみました。
若い頃は、色々な事を悩みましたが、今となっては、今迄なんとか継続してきた二、三の事を何時まで継続していけるか。遣り残した事柄を幾つ出来るか。を、考え行なうため、若い頃のように悩み苦しむ事は何時しかなくなっていました。

明治の教育勅語から大東亜終戦迄の教育は、有事に、お百姓が武士になったのですから、一部の人達の間では日本の教育の集大成と言われます。尋常小学校で、真偽・善悪・美醜を、中等教育では、知識・情け・粋を、高等教育では、知恵と勇気と仁義を会得し世に出てから、社会の様々な事を浄化する(立ち向かう)立派な人に育つ教育があったそうです。知恵と勇気と仁義は、皇室の三種の神器にたとえられた説もあります。
私達が受けた教育は、戦後の米国教育使節団の僅か6年半の指導により、当時の初歩的な事項も会得できない教育となっていますが、大人になってそれが判り、自分で改善しなければならない問題と思って、自分なりに考えて生活してきたつもりですが、今の世では、ただ、世間を狭くしただけなのかもしれません。
今の私にとって道場は、気持ちが清らかになるところです。同門人との「切磋琢磨」や、先生諸先輩方からの「生き方(死に方)や考え方も含めた、様々な角度から理解するまで教わる事が出来る」という、現代では有り得ない(有り難い)深く遠いものを会得するところだと思います。
 
9. Posted by スーパードライ   2019年05月29日 21:12
入門前の私は自分勝手、自己満足であり、そのくせ自問自答し、不安を抱きながら武術を練習してきました。入門してからは、本当の武術の現実をみせられ、こんなにも武術の習得は厳しいもので本当の習い方があるのかと驚愕と感動を覚えました。
そしてその現実を知っただけでも、入門前のような自分には戻ることができなく、武術の習得するには想像を絶する逃げ出すことができない自分との闘いが予想されました。

先日の稽古では、どうしてできないんだろうと頭が混乱し、なおかつ体力も消耗していくなか、たくさんの御指摘と御指導を受けました。
この追い込まれた混乱も稽古のうち、本部道場でしか味わえない状況を感じておこうと思い、とにかく必死についていきました。

やはり、私は太極拳の習得し極めたいという気持ちだけかもしれません。
(もっと色々考えなければいけないことがあるかも知れませんけど・・・・汗)
 
10. Posted by 清水龍玄   2019年05月29日 21:24
今も昔も、生きていくには先ず強くなければなず、弱くても済むのは、飼われている側の者だと思います。

人には波があるし、苦手なものもあり、沢山失敗もすると思います。
その中で勉強し、たとえ少しでも変化し前進し続けることこそ、より良く生きていく為に必要なのではないかと、私は思います。

稽古も生活も、新しいことの連続であり、新しいことに挑戦すると、ストレスも沢山あります。
また、自分の悪いところも、沢山表面化してくると思います。
それでも、それを乗り越え、たとえ他人がどう言おうとも、成長し続けていく自分でありたいと、私は思います。
 
12. Posted by 太郎冠者   2019年06月17日 22:43
☆川山継玄さん
コメントありがとうございます。返信遅くなり、申し訳ありません。
スピードに関してコメントをしていただいたのに、そのアドバイスを全く生かせていない自分が恥ずかしいです。

自分の中で、色々なことを理由をつけて先送りにしてしまい、なんとなく過ごしてしまっている時間がどれだけ多いことでしょうか。
確かにこれでは、問題など解決しないですし、大切なことなどわかるわけもないですね。
>太郎冠者さん、お互いに頑張りましょうね。
ありがとうございます。勉強させていただきます。
 
13. Posted by 太郎冠者   2019年06月17日 22:51
☆もりそばさん
他の人がどのように稽古に臨んでいるのかを見て学べる機会があるのに、視界に入っていても実際には見えていないということがあると思います。

自分の状態次第で見える、見えないが変わってしまうというのに、自分が詰まってしまった状態では何も見えてこないものです。
まさに今の自分のことだと思います。
もっと、他の門人の方たちがどのような考えを持って、日々を生きているのか、話をしてみたいな、と思います。
 
14. Posted by 太郎冠者   2019年06月17日 22:58
☆松久宗玄さん
>何を選ぶかを決め、何を変え、どう行動するのか
何かを決める…自分はどうだろうか?とあらためて自問自答してみると、目の前にある選択肢を環境に流されて選んでしまっているようで、それは自分で決めているといえるのだろうか?と疑問に思ってしまいました。

そうしているうちにだんだんと、自分には何も変える力なんてないのではないか、と思うようになってしまってます。
確かに、これではいけませんね。
どうにかしてみます。ありがとうございます。
 
15. Posted by 太郎冠者   2019年06月17日 23:07
☆佐藤玄空さん
>結局は動けた方が勝ちに繋がるというのは確かなことの様です
太極拳や武術に限らないことですが、なかなか動き出せずに手をこまねいている、ということがいくつもあります。
そんな状態だから、それと同じように稽古でもなかなか改善できない状態が続いているのかもしれません。

結局は、何かに怖がって動きたくないだけなのかもしれません。どこかで根性入れて一発動かないとダメですね。
 
16. Posted by 太郎冠者   2019年06月17日 23:13
☆円山玄花さん
>まだまだ問題にストレートにぶつかっていない
そうですね、その通りなのかもしれません。
色々と取り繕ってきたせいで、自分にも、何が問題の根源なのかもよくわからなくなってしまっているようにも思います。
それもまた、見当違いなことなのかもしれませんが。

このままで時間が過ぎていくのは嫌なので、もっと全体でぶつかってみようと思います。
 
17. Posted by 太郎冠者   2019年06月17日 23:27
☆西川敦玄さん
コメントありがとうございます。
>弱い部分強い部分云っていても仕方ないのではないか
そうですね…。以前なら、無鉄砲なだけかもしれませんが、あれこれ考えずにやってみる、と動けたことも、いつからか、なんだかんだと色々なことに保険を掛けるような考え方になってしまい、それで道に迷ったように感じるようになってしまいました。

これは、失敗から学んだのではなくて、ただ臆病になっただけなのかもしれません。
おっしゃる通り、飛び込まないと見えないですよね。
 
18. Posted by 太郎冠者   2019年06月17日 23:38
☆マルコビッチさん
厄介なエゴでも、それが突き動かすようなパワーを持っていたときはもっと活動的になっていたような気がします。
いまの自分は、なんだか小賢しくなった馬鹿者のように感じられます。

エゴではダメかもしれませんが、もっと我武者羅になって動いてみる必要があるのかも、と思いました。
>日常に追われる自分を顧みる機会を頂いたと思いました。
こちらこそ、鏡を見る機会をいただきありがとうございます。
 
19. Posted by 太郎冠者   2019年06月17日 23:46
☆ハイネケンさん
先日、稽古帰りにある先輩から、
「みんな飄々とやっているように見えるかもしれないけど、言わないだけで大変なんだよ」
という言葉を言っていただきました。

自分もハイネケンさんと同じように、みんな生活も稽古もタフにこなせる強い人達で、自分はなんて弱いんだろうか、と思っていました。
けどそうではなくて、大変な中やっていて、それを表に出してないだけだ、と。だから君も大変な思いをしてやらなければわからないよ、と言っていただいたのです。
そういう点こそが、自分のよわい部分なのだ、と思いました。
 
20. Posted by 太郎冠者   2019年06月18日 00:05
☆田舎の神主さん
>若い頃は
論語では三十歳で而立、三十にして立つと言うそうですが、自分もとっくに三十になっているのに、未だに立っていないと言わざるをえません。

その、「立つこと」がわからないという部分が、そのまま稽古にも現れているのだとしたら、太極拳としてのみならず、人生として解決していかなければならない問題の表れだと思います。
とにかく、解決に向けてできることをやってみようと思います。
 
21. Posted by 太郎冠者   2019年06月18日 00:10
☆スーパードライさん
先日も、師父から札幌支部での稽古の様子をうかがったのですが、皆さまがとても上達されたと聞き、発破をかけられたところです。

本部道場で師父に見ていただけるという環境を、稽古にきちんと生かしきれるわけではなく、みてもらえるという甘えになってしまう自分が、お恥ずかしいかぎりです。

もっと最大限に自分の足で立ち、その上で勉強できることを学習していけるような状態に持っていかないといけない、と反省しています。
 
22. Posted by 太郎冠者   2019年06月18日 00:16
☆清水龍玄さん
目の前で大きく変容を遂げていく龍玄さんのような先輩の姿をみておきながら、相変わらず変化を起こせない自分が情けない限りです。

だけど、自分もこのままでいるのは嫌なので、もっとできる限りのことをしてみます。
自分も、成長していける自分でありたいと思います。
またよろしくお願いします。
 

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