2019年01月24日

門人随想「今日も稽古で日が暮れる」その40

  「困難に立ち向かう」

                   by 太郎冠者
(拳学研究会所属)



 稽古で新しい課題が示されるたび、それまでの自分ではクリアできないという現実と直面させられます。
 現代人は困ることが足りていない、と師父は指摘されています。たしかに、日々の生活を振り返ってみると、何かの課題に対して困る、ということはほとんどないように感じます。ただ、何か面倒なことがあって困る、せいぜいこれくらいしかないのではないでしょうか。

 昨年から開講されているCQC講習会において、ロープを使った懸垂降下、ラペリングという課題への取り組みが始められています。
 私にとっては、ロープ降下は、生まれてこのかた一度もやったことのないことです。まさか自分がやるとは考えたこともありませんでした。少なくとも自分にとっては全く未知の経験です。
 仮に、いきなりぽんと道具を全部渡されて、手順を説明されたとしても、とてもではありませんができる気がしません。
 しかし、ここ太極武藝館では、そんな取り組み方は決して行われません。見よう見まねでなんとなくできたような形にすることは絶対になく、自分のような初心者を含め誰しもが、確実に理解できるような体系として、師父に細かく指導をしていただけました。

 まずはどういったメカニズムで降下が安全に行われるのか、ロープや道具に関する科学的な説明からはじまりました。その上で、ひとつずつ守るべきプロセスを、課題として段階的にこなしていきます。
 それぞれの段階でうまくいかないことがあったとしても、周りにいる仲間たちも意見を出し合い、当人がきちんと理解できるまで取り組み、示されたやり方を正しく、確実にできるようになっていきます。そうすることで、全くの未経験者である自分たちが、5メートルの垂直壁から安全に降下することができるようになりました。

 困難な課題に立ち向かうとき、そのままでは課題が大きすぎて、どこから手をつけたらいいかわかりません。一見すると解決不可能にも思えてしまいます。
 ところが、その課題を少しずつ細かく見ていくことで、ひとつひとつを解決可能な小さな課題に変えていきます。そうすることで、正しい手順で段階的に解決していき、最終的には、不可能に思えた最初の課題もこなせるようになっていきます。

 これはすごいことだと思いませんか? 少なくとも自分はそう思いました。

 今回の場合は、ただロープ降下の技能を身につけていくというだけでなく、その中にある課題を学習していく中で、何かを新たに学習していくにはどうしたらいいかという、学習法の学習法も示されているように、自分には感じられました。
 ロープワークが、ただ結び方を憶えるのではなく、訓練として行われたのと同様に、ロープ降下も、訓練として行われることで、もっと新しい考え方に気づかされるきっかけを与えていただいたように感じるのです。
 もちろん、ロープ降下を訓練することによって得られる身体の軸は、武術的に動ける身体を養うためにも、とても役に立っていると思います。
 実際に自分で動いているとき、そしてロープ降下の訓練を行った門人と対練をしているときには、とくにそれを強く感じます。そしてそれだけでなく、考え方の訓練としても、大きな意味を持っているように思うのです。

 何かを学習する上で、明確にフィードバックを得られるというのは大事なことです。
 ロープ降下の場合、野外で垂直壁から降りてくることができるという、明確な結果が出ます。そのため、自分の学習へのアプローチがどうだったかを、明確に検証することができるのではないかと思います。

 この、学習プロセスに対する検証過程は、そっくりそのまま太極拳への自分の学習方法を検証することにも使えるのではないでしょうか。
 ロープ降下において最初はできそうにないと思えた課題を、段階的に分けていくことで理解していけることは、すでに経験させていただきました。
 そもそも、太極拳もまた同様に、体系的な学習として師父に指導して頂いていることを、もっと大事に受け止めないといけない、と自分は感じました。どうしても、師父に示していただく太極拳の「結果」があまりにもすごいものに見えて、そこで半分思考停止してしまいがちです。
 それは、いきなり垂直壁で降下しろ、と言われているのと同様なのかもしれません。
 そこに至るまでの過程で、もっと段階的に課題を分けて、問題点がどこだったかを検証してきたときのように、太極拳においても、細かく検証していくことが可能なはずです。

 また、考え方が変わるという点においても、自分の中でも変化がありました。
 たとえば外を歩いているとき、建物の中にいるときなど、自分がどういう場所のどういう高さにいて、周りにどんなものがあるかを、以前よりも気にするようになりました。
 というよりは、以前はまったく気にしていなかったというべきでしょうか。

 それまで気づかなかった危険にも、目を向けるようになってきた!

 …などと思って道場に稽古に行くのですが、そこで師父に簡単な課題を出されて、
「いま自分がどの方向に何歩歩いたか憶えているか?」
 と質問され、ぜんぜん何にも気を配れていない! とハッとさせられる、そんなことの繰り返しばかりです。

 今年に入ってから、稽古の質が以前にも増して、より洗練されて高度になっているように感じます。
 これまでも、おそらく他では得られない高度な内容を指導されていたかと思いますが、稽古に参加させて頂いていて、より新しい取り組みが行われているのではないかと感じるところがあります。
 より洗練された内容でどんどん進んでいくので、のろまな自分も大慌てで、「これは大変だぞ…!」と、目を覚まされて、なんとかついていこうと必死になっているような状態です。

 太極武藝館の稽古においては、自分の考え方をどんどん変えていかないといけない、と思います。それまでの考えなど、本当は通用しないのだということを、一瞬にして自覚させてもらえるという経験は、なかなか味わえないかと思うのですが、稽古においてはそれは日常茶飯事です。
 それだけ、日常に溺れ切った自分の発想では生き残れないという甘さの表れであり、日常とはかけ離れた考え方、物の見方で師父が過ごされているということなのだと思います。
 より高度になっていく内容に伴って、自分にとっては非常に難しく、困難な課題も出てくるかと思いますが、

「逃げない、晴れ晴れと立ち向かう」

 という言葉を、師父に倣って自分も胸に刻み込んで、着実に課題に取り組んでいきたいと思います。

                                   (了)





 *次回「今日も稽古で日が暮れる/ その41」の掲載は、3月22日(金)の予定です


disciples at 15:10コメント(24)今日も稽古で日が暮れる  

コメント一覧

6. Posted by 田舎の神主   2019年01月25日 17:50
太郎冠者さんが降下訓練を細かく分析して下さったことを、自分の考えている範囲で解釈したとき、なるほどと思ったことをあげてみます。

◎ 課題を少しづつ細かく見ることで、ひとつひとつを解決可能な小さな課題に変えていく。
それぞれの段階でうまくいかなくても、周りの人も意見を出し合い当人がきちんとできるようにする。
正しい手順で段階的に解決。
考え方の訓練としても意味を持ち、太極拳でも細かく検証が可能なはずと思われる。
これらは、やはりすごいことだと思います。私は、太極拳の稽古で意を用いることが大変苦手ですが、それも、ひとつひとつ解決可能な課題に変えていくことができれば、すばらしいと思います。

私は、雅楽を教えていて、生徒に「何で出来ない」と思うことがいくつかあります。
10年以上も教えているのに、笙の笛の扱い方の初歩である、袋からの出し入れが出来ていない。とか、吹き始めの呼吸と構えがなっていない。また、笛を吹く前に息を吸ってない。(これは致命的であり、学生の頃の水泳の時間で、潜水しようと飛び込んだが、潜った後、しまった、息を吸うのを忘れた。という状況に似ています。)その他、他の楽器と合奏すると自分の拍子がとれなくなる等です。  
それらも、自分が、考え方の訓練を行い、ひとつひとつ解決可能な課題に変えていくことができれば良いのかも。
雅楽の件も、次回から早速実行したいと思います。
 
1. Posted by 松久宗玄   2019年01月26日 01:22
自分を変え続けていく事が必要ですが、
その「続けて」いくという事が難しいですね。
変える為には自分を知らないといけませんが、
自分では、自分を見れないものだとつくづくと感じます。

降下訓練の学習も、
常とは異なる角度から自分を見る事が求められ、
そこで見えた自分の分だけ修正され、
それが武術としての前進にも繋がって感じられます。

他者や取り組む対象との関係性から、
自分を見る事ができるのだと思います。
その鏡に向き合う事から逃げないようにと、
心掛けています。
 
2. Posted by 川山継玄   2019年01月26日 02:09
「逃げない、晴れ晴れと立ち向かう」
私も、この言葉を師父から伺ってから、座右の銘として、手帳に書いて持ち歩いています。

「困」という字は、木が囲みの中にあって伸び悩み、困るの意味を表します。

この囲みは示してくださることのことの全てであり、そこにピタリと合わせていくことで、困難は解決していくのではないかと思いました。
囲みから、自分勝手にはみ出そうとすれば、窮屈になり形が歪になりますし、自分のできる範囲でやればいいやと思っていると、スカスカになってしまいます。

一人一人に、極々限られたプロが学ぶ内容を、本当に丁寧にご指導いただけること、またその一人一人が稽古の中で関わり合い、ともに成長し続けられること、何をとっても滅多にない貴重な機会を頂けたのですから、大切にして、ピタリと合わせて、考え方や学び方を自分のものにして進んできたいと気を引き締めました。
 
3. Posted by 佐藤玄空   2019年01月26日 08:40
以前に武藝館で稽古をするたびに自分の中の太極拳のイメージが崩されてしまう時期がありました。
さすがに最近は無くなったと思ったら「降下訓練」「ロープワーク」??!!
これが何故太極拳の稽古に???
実際訓練を行えば一目瞭然で、自分はまだまだ太極拳を狭い範囲でしか見ていなかったことがわかりました。
最近本部道場で行い始めた新たな訓練といい、もともと武術というのは格闘技的に「戦う」のではなく戦場の中で「生き残るため」の術であったのだなあとすごく納得しました。

千里の道も一歩よりの諺とおり、一歩先の踏み出しかたを師父に示されるたび視界が広がり景色が良くなりゴールの方向が感じられ(まだ視認はできませんが)ますがまだ一人では進めないのが歯がゆいですね。
 
4. Posted by マルコビッチ   2019年01月26日 12:05
私も太郎冠者さんと同じで、自分がロープ降下をやるなんて夢にも思いませんでした。 皆さんご存知のように(?)子供のころから運動音痴の私が、曲がりなりにも垂直壁を降下できたということは、師父の順序だてたご指導のほかありません。
まずロープワークから始めた事、ロープワークもロープ降下もきちんとした手順ときまりがある事、それをひとつひとつ出来るように、出来るまでご指導頂いた事で形になってきました。
そして、それまでの稽古で行ってきた立ち方、歩き方等、様々な工夫された稽古で培われた事なしでは、出来ない事だったと思います。
その小さな積み重ねによって、自分にとってあり得なかった事にチャレンジ出来ている現実に驚き、可能性を広げて頂いた事に喜びと感謝が湧いてきます。

「大空のサムライ」の坂井三郎さんの娘さんは、子供のころから「外に出るときは、前後左右上下に気をつけろ!」と言われていたそうです。
一般的にはあまり上下を注意しろとは言われないと思いますが、「玄関を出たら上を見ろ!物は必ず上から降ってくるものだ!」と言われたそうです。
私も、道場を出る時は気持ちがその気になっているので(笑)まず左右を気にしますが、なかなか上は見ません。
しかし、たとえそれほど高いところでなくても、空中に身を置く体験をした後では「上下を確認!」という言葉が少しだけリアルに感じられます。

これからも自分の変化が進化になれるよう、ひとつずつ取り組んでいきたいと思います。
 
5. Posted by ハイネケン   2019年01月26日 12:13
ロープワーク、降下訓練は経験しておらず、訓練の事を聞くと無意識に「すごいなぁ」などと思っていました。
ある方が「何かが分かるならやってみたい!」と目を輝かせていました。
それを観た時、自分が惰性的な感性で取り組んでいる事に気づかされ、なるほど、日常に溺れた曇った鏡の様でした。

「それまでの考えなど、本当は通用しない」というのは道場で稽古させて頂く度に思い、迷子になった様な気持ちにさえなります。
更に稽古の質が洗練されて…と聞くと道場に向かうのに緊張しますが、太郎冠者さんの文を最後まで読むと、次の稽古が楽しみになりました。

宜しくお願い致します。
 
7. Posted by 円山玄花   2019年01月26日 14:18
太郎冠者さんが言われる、「師父に示していただく太極拳の「結果」があまりにもすごいものに見えて」というくだりは、確かに共感します。道場で二十年以上稽古を続けてきていても、師父がヒョイと示されることに、毎回新鮮な驚きと感動を覚えますから、これは本当にすごいことであり、濃密な内容なのだと思います。そして、そのすごい中身を、学習方法として様々な方法で示していただけるところは、中々ないと思います。

なぜ高度な太極拳の学習も、ロープワークも降下訓練も、同じ一つの学習方法で示され、私たちが取り組めるのかといえば、ひとえに師父の「学び方」と「向かい方」が一つであるからだと思います。そこに通っている一本の揺るぎない軸こそが、師父が一心に私たちに伝えようとしておられる、「スピリット」に他ならないのだと思います。
そのスピリットを学べば、自分の中に眠る種を芽吹かせ、成長させ、開花させるそのシステムを理解することができ、初めて「実り」という結果にたどり着くのだと思います。そして実りは、次の始まりでもあるという、美しい法則がそこに存在することに、私はとても感動します。
 
8. Posted by もりそば   2019年01月27日 11:18
武藝館の稽古はロープ降下も太極拳もそうですが全てのことが仕組みがあってその積み重ねによって出来上がっているのだと解明しながら訓練できることがとても素晴らしいことだと思います。曖昧さや省略は無い。
しかしながらことの始りは精神状態や向き合い方から入ることが肝になっており曖昧な表現しかできない要素もあるところが面白いです。禅の要素と科学の融合とでも表現できるでしょうか。実はそれらはもともと分離したものではなく一つのものかもしれません。それの謎解きもまた楽しみです。
 
9. Posted by スーパードライ   2019年01月27日 16:54
初めての降下訓練は自分にとって非日常的で、少し不安もありましが、降下後は体の在り方の変化を実感し架式を少し垣間見ることもできました。次の訓練もやってみたいと火がついたように思いました。

非日常にある困難な状態を克服していくと次の段階の困難が生じ、またそれを克服していく、それを繰り返すことによって高度な位置や状態へと導かれていくのだろうと思います。
導かれるには、次の段階へつなげるための学習プロセスの過程の一つ一つを検証していくことが必要な事であると今回のブログで考えさせられました。


私も師父に示していただく太極拳を、検証するのを忘れてつい見入ってしまいます。
今年からさらに高度な稽古になりそうなので、見入るばかりでなく見て取れるよう受容を高めるための検証を心掛けていきます。

次の訓練、稽古を楽しみにしています。
 
10. Posted by たそがれの単身赴任者   2019年01月28日 12:07
 太郎冠者様のおっしゃるように、私たち門人は様々な訓練を通して、太極拳の単なる技術を身につけるのでなく、太極拳そのものになることを目的としなれればなりません。その過程こそが大切で、絶え間なく一途に進む道と考えます。私のような年寄りごときが申すのもなんですが、多くの日本の若い有志の人たちがひとづくりの道として学ぶべき道と思います。
 師父の示される技法を自分が形だけマネをしても、影響を相手に与えることができません。ひとは技術のひとつひとつ見て、その奥にある深い真理になかなか到達できないものです。
 私事ながら、前職で、代謝関係の化学分析技術に携わり、若手技術者にも指導をしつつ、「なぜここまで考えが及んでくれないだろう?」と思ったことも多々あります。今自分が考えが及ばず、混沌の中でもがいています。道は遠く、はるかに続きます。
 
11. Posted by 西川 敦玄   2019年01月28日 12:22
太郎冠者さんと同様に私も降下訓練をする日が来ようとは、数年前には考えだにしないことでした。いわゆる手順ではなく、ロープ降下に必要な原理から教えていただき訓練を経験しました。

最近、特殊作戦群の初代群長をされた荒谷卓さんが書かれた本を読む機会がありました。(自衛隊を辞されてから、明治神宮至誠館の館長をされ、現在三重県熊野市で新しい活動をされておられるようです。) その中に特殊部隊創設のエピソードに触れた箇所があります。特殊部隊創立は初めてでしたので、基準づくりから始める必要があったようです。例えに夜間のパラシュート降下訓練(地面が見えない状況)の話がありました。この訓練で事故に意識が向くと何もできなくなる。危険なので地面を明るくしましょうでは訓練の意味がないと。そこで、隊員にどうすれば安全に夜間集団降下できるのか答えをつくるように指示をしたとのエピソードが書かれていました。

訓練には当然ですが目的があり、目的を果たすために安全基準を作っていく場合には、方法の原理について考察し明確にしていくことを創造的に行う必要があるのだと思います。

今回の訓練においても師父の指導を、私は自分の創造性を使って組み立てていくことができたかどうか、この機会にあらためて考えてみました。ダメでしたね。原理方則と創造性。今回の記事も改めて物事の取り組みに対して考えるいい機会となりました。
 
12. Posted by 清水龍玄   2019年01月29日 23:52
コメントが遅くなり、失礼しました。
ロープ降下は私も初めての経験でした。
ロープ降下を稽古し、もちろんそれが初めての体験でしたので、やることで自分の感覚や考えが変わりましたが、何より、御指導いただいている過程で、自分の考え方のブレに気が付かされる稽古でした。
実際に、基本的なこともなかなか理解をしていく為の取り組み方にならなければ、何一つできませんでした。
そして、理解をしようとしていく中で修正していき、基本を重ねていく大切さを改めて感じる稽古でした。
5メートルの垂直壁での降下は、そこまでの考え方の稽古が無ければ、決してできるものではないと思います。
これからますます、高度な稽古になっていく中で、自分の考え方の偏りがまた見えてくると思います。
それをこの先、修正していきたいと思います。
 
13. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 15:04
☆田舎の神主さん
ガムシャラに対処するのではなく、きちんと分析して物事に当たることができるのが、人間の優れた点だと思います。

感情に飲み込まれず、冷静に物事を見ることができれば、
それだけで発揮できていなかった力が出せるように思います。

とはいえ、その気持ちに飲み込まれないのがなかなか難しいところで、
敵は自分だと言われる所以なのかな、とも感じさせられます。
一歩一歩着実に進歩していきたいですね。
 
14. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 15:12
☆松久宗玄さん
人間には本能があって、とりあえずその場がどうにかなればそれでいい!
と思っている部分がかなり強いと思います。

野生で未知の危機に出会いそうなとき、「あれはライオンだろうか?」
などと悠長に考えているよりは、とりあえず逃げたほうがいい。
その本能の名残だなどと言われています。

もちろん、それはそれで大事なのでしょうが、もっとじっくりと取り組まないといけないときには、その本能が邪魔をしてしまうということがしばしばあります。
そういったところとも、折り合いをつけていかないといけないですね。
 
15. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 15:16
☆川山継玄さん
師父にも散々言って頂いてますが、教えていただける内容が一流のプロのものだとして、
果たしてそれを教わっている自分はどうなのだろうか、と、
プロとしての意識を持てているだろうか?と、常に自問自答しています。

子供の遊びのように適当に気楽にやれば、それはそれで気分はいいかもしれませんが、
本当の技術は身につかないですし、ましてやプロとして動くことはできません。

たとえ自分がどれだけできなくても、晴れ晴れと立ち向かっていくしかないですね!
 
16. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 15:23
☆佐藤玄空さん
>まだ一人では進めないのが歯がゆいですね
個人的な感想ですが、自分1人の力でやっていくのと、自分で勝手にやっていくのとでは、
大きく意味が違うのだと、訓練をしていて感じさせられました。

ロープ降下の最中では、何かが起きても誰にも手助けしてもらえず、
自分でどうにか解決していくしかありません。
そのために、きちっと訓練を行い、そこで得たことで対処していく必要が出てきます。
このことは太極拳の稽古でも同じなのでは、と思いました。

だれかに強くしてもらうことは出来ず、自分で稽古していくしかありません。
だけど、その方法は示されたものをきちっとやっていくしかないです。

やはり、ロープや降下訓練は、太極拳の稽古に直結しているように思います。
 
17. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 15:28
☆マルコビッチさん
ロープワークや降下訓練を行うことで、見え方が変わるというのが、
非常に面白いところだなと感じます。

例えば、空を飛ぶ鳥と地面を歩く動物では物事の見方が全然違うというのは想像に難しくないですが、人間でも同じことが起こるというのが、面白いですね。

そういえば以前師父が、スカイダイビングをしたことのある人とない人では脳の構造が違う、
という話をしてくださったことがありますが、
そう考えるとたしかに、と納得させられるところがあります。

こうなってくると、次はパラシュート降下の訓練、でしょうかね・・・?
楽しみですね。
 
18. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 15:33
☆ハイネケンさん
師父は愚鈍な自分(たち)のために、様々な発想で思ってもいなかった訓練を与えてくださいます。

例えば、部屋を真っ暗にして何かする、など。
日常でも起こりうるシチュエーションですが、普通の道場で、
わざわざ明かりを消してアレコレするところは皆無かと思います。

それをやってみるだけで考え方も全然違ったものになるというのに、
その発想になかなか自分では至れない。
もっとも、自分で試したところでそこまでの効果はないとも思いますし。

やはり、道場での稽古は必要なんですね。
 
19. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 15:40
☆円山玄花さん
ちょっとお話を聞くだけで、師父のような考え方はなかなか出来ないと感じます。
取り組んできたことの違いから思えば当たり前のことなのですが、
おっしゃる通り、師父をそうさせてきた「スピリット」を理解できないことには、師父のようにはなれないように感じます。

師父と全く同じ訓練をするのは、環境的にも難しいのかもしれませんが、
師父が何を思って訓練してきたかという部分は、真似できるかと思いますし、
それをこそしっかりと真似しないといけないのではないかと思います。

そこを理解することができれば、自分の周りの環境も全て利用して、
自身の成長に繋げていけるような気がします。
 
20. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 15:49
☆もりそばさん
太極拳が「気」や「丹田で〜」なんて話で指導されていたら、
果たしてこれだけ続いていただろうか?
と、疑問ですね。

そもそも、日本で「気」で人が吹っ飛ぶなんて話が広まったのは、
おそらく某ドラ◯ンボール以降ではないかと言われていたりもします。
それがいつのまにか妙なイメージで定着してしまって、
武術の真実は藪の中、ということのようです。
それはそれで、技術を隠すという意味では良いのかもしれませんが、
熱心な練習者にとっては弊害以外の何物でもないです。
 
21. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 15:52
☆スーパードライさん
変な話、道場での研究会の稽古が降下訓練ばっかりだった時期がありましたが、
みんなの状態がどんどん良くなっていたと思いました。

ロープにつられることで、普段は使わない体が開発されるのもさることながら、
ハーネス・カラビナにロープを掛ける、吊られるという手順を訓練としてしっかり取り組むというのが、効果的だったのではないかと思います。

現在も、ふつーの中国武術の道場ではやらないような訓練を続けていますが、
これもまた、武術としては非常に効果的なのだと思います。

だから軍隊ではそういったことをやるんだなー、と納得しきりです。
 
22. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 15:57
☆たそがれの単身赴任者さん
最近の若い人は、以前にも増して伝統武術になんぞ興味を示してないように感じますね。

肯定的に捉えれば、価値観が多様化して他に色々面白いことがあるとも言えるのでしょうが、
興味も持たれないのでは、それはそれで寂しいものがありますね。
マスコミやスター商売でもないので、多くの人に興味を持たれないといけないわけではない、というのが幸いでしょうか。

武術をやるという志に、本当に共感できるごく少数の人間がいれば、それで事足りるのかもしれません。
せっかく出会えたご縁なので、我々はがんばって取り組んでいかないといけませんね!
 
23. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 16:02
☆西川 敦玄さん
何もないところから1つの体系を作り上げるのは、なみなみならぬ努力と試行錯誤が必要かと思います。

伝統武術とは、それを幾多の人間が長い年月を掛けて積み上げてきたもののはずで、
それを大事にしつつ、新たな世代として新しい工夫を重ねていく、
これは並大抵の努力ではなし得ない偉業かと思います。

そう思い改めて反省すると、自分がどのように稽古に取り組んでいるかというのが、
非常に恥ずかしく感じられてきます。
こんなやり方では全然ダメですね。
もっと根性と気合入れて、取り組み直していきたいと思います。
 
24. Posted by 太郎冠者   2019年02月12日 16:09
☆清水龍玄さん
最初にロープ降下をやると聞かされても、想像もつかずに、
「へー、そうなんだ」と、どこか他人事のように聞いてしまっていた自分でした。

やってみると想像していたのとは全然違い、颯爽と地面に降り立つのは程遠いということが理解できました。

プロやその道の達人がやると、まるで簡単なことのようにも見えるというのは、
師父の太極拳を拝見しているときでも同じことが言えると思います。
まるで淀みがないので、一見するとできるようにさえ思えてしまい、
実際にやると全くそんなことはない、というのが現実です。

それをロープ降下という別の角度から見れただけでも、自分にとっては大きな意味があったと思います。
何事も、一歩つずつやっていくしかないですね。
 

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

Categories
  • ライブドアブログ