2017年11月23日

門人随想 「今日も稽古で日が暮れる」 その33

   「 弱さに向かい合う」

                   by 太郎冠者
(拳学研究会所属)


前回の記事に書いた体質改善の命ですが、期限内になんとかクリアすることができました。
出されていた課題は、約2ヶ月で体重を14キロほど落とすという、実にシンプルなものでした。
というのも、減量前の時点で体重90キロオーバーという、武術修行者にはあるまじきたるみきった僕の体を見かねて、師父が出した課題だったのです。
 
 2ヶ月で14キロ。
 
あらためて文字にしてみると、わりと難しい話に思われますが、バットマンシリーズで主役を演じたクリスチャン・ベールが映画「マシニスト」のために役作りで30キロ減量(その後バットマンのために6ヶ月で30キロのビルドアップ)したことと比べれば減らす量は半分以下です。
 
もう少し頑張らなければハリウッドデビューは叶いそうもありません。
 
 
冗談はさておき、今回の場合は、期限が決められていたこともあり、わりと短期間で目標まで持っていったわけですが、さすがにそれだけ体重が減ると目に見えて見た目も変化しますし、なにより体を動かしてみると、とても軽く感じるものです。
 
自分1人ではそこまでやろうとすることはできなかったと思うので、きっかけを与えてくださった師父に感謝しています。
 
さて、前回の記事でも書きましたが、それまでできなかった起き上がり腹筋ができるようになったり、体重を減量することができたりと、人間というのは変化することができるのだと、最近の出来事を通じて実感することができるようになりました。
 
 
前回と重複してしまう内容もあるかと思いますが、少し書いてみたいと思います。
 
 
人間のみならず、世界や環境というものは、たえず流動的に変化しています。
 
そこに生きている生き物は、環境の変化に対応できなければ、最終的には死滅してしまいます。
 
だからこそ、生きるための強さには、環境に適応できる強さが必要であり、変化できることが強みでもあるわけです。
 
 
人間の体について考えてみると、人間は常に細胞レベルどころか、原子のレベルで常に変化し続けています。食べたものが、数日のうちに体を構成する原子レベルで入れ替わっていき、自分という人間を構成していた要素は、短期間のうちに全て新しいものに入れ替わってしまうそうです。
 
当然、人間の考えを作り出す脳もその中で入れ替わり続けていて、しばらくすれば全く新しい自分になっているはずです。
 
なのに人は、なかなか自分の考え方を変えることができません。
 
これは一体、なぜなのでしょうか。
 
それは、パターンを変えられないためだと思います。
 
たとえば、いつのまにか体重が増えていってしまうのも、本当はいつのまにかではなくて、体重が増えるような生活を続けてしまったからです。
 
そこを見直して変えることができれば、自然と体重は落ちていきます。
 
簡単なことのはずですが、人間は一度馴染んでしまったパターンを、なかなか変えることができません。
 
ものの見方という点でも、一度こうだと思ってしまった見方を変えるには、相応の努力をしなければならないように感じます。
 
 
太極拳の稽古をしていても、いつのまにか「きっとこうに違いない」と思い込んでいることに気づいてハッとする、ということが毎回のようにあります。
 
本当は知らないことのはずなのに、あたかも自分が知っていることの中にあるように感じてしまい、そこからどうにかしようと解決策を考える。
 
そして、当然のようにそれではうまくいかないので、悶々とする。その繰り返しです。
 
 
一体、これまで何回このパターンを繰り返してきたことでしょうか。
 
このパターンを打破するためには、まったく違ったことをやらなければなりません。
それまでとは違うことをやることでしか、同じことを繰り返すパターンという殻は破れないのです。
 
 
その、やってみるという行為の中には、自分の考えを挟む隙間はありません。
 
そもそも考えを否定するためにやるはずなのに、考えながらやってしまっては、元の木阿弥というものです。
 
考えずにやる中で、うまくいかなかったらやめる。
 
じつは、ネガティブフィードバックを繰り返すことが、生命がこれまで絶滅せずに数十億年繁栄し続けている、自然界の最善手のようなのです。
 
 
ネガティブフィードバック、それは最強の手段といっても過言ではないかもしれません。
 
 
誰しも、強くなりたくて武術の稽古をしているのだと思いますが、そのためには否が応でも自身の弱さと対面しなくてはなりません。
 
敵は己の中にある、と言われる所以だと思います。
 
ところが、自分の弱さを知ることが、本当の強さにつながっていく。
 
それに気づいたことで、自分がどれだけ開かれる思いがしたことでしょうか。
 
上で書いたように、人間の体で新陳代謝が起きているのも、不要になった細胞を自身で切り捨てることで、別の細胞に入れ替わり、総体としての体は健康な状態を保つ、という仕組みが働いています。
 
考え方においても、これと同じことが言えます。
 
うまくいかないひとつのことを、あれこれいじくり回しているよりは、いくつもやってみて、その中でうまくいくものを取捨選択していくほうが、最終的に残るものは有効なものになります。
 
弱い自分というものは、どうしても見たくないものですし、できればそんなものは存在しなかったことにして、強い自分だけ表に立たせて飾っておきたい。誰しもそういう心が働くものだと思います。他ならぬ自分自身がそうです。
 
それまでの僕は、本当の強さについて考えるとき、何事にも動じない強さこそが強さなのだと思っていました。ところが、本当はそうではなかったのです。
 
弱い部分があるからこそ、それを乗り越えていくことで、人や、物事は、少しずつ強くなっていけるのです。
 
稽古をしていて、自分でも少し前とは変わってきたと感じるところは、言ってしまえばすべてたったこれだけのことが理由で起きたといえるかもしれません。
 
 
痩せろと言われたらやせる。
 
起き上がり腹筋をやれといわれたらやる。
 
 
道場にいる人はわかるかと思いますが、なにもかもいきなり出来たわけではありませんでした。
 
起き上がり腹筋に関しては10年はダメでしたし、減量に関しても、ずっと以前から走れと言われ続けていて、それでもうまくいってなかったのです。
 
ではなにがきっかけだったかというと、それまで言われ続けてきたということもあると思いますし、師父が仰るんだからきっと何かあるに違いない、と遅まきながら気付いたのかもしれません。
 
自慢しているわけではなくて、本来はやらなければいけないことから単に逃げ続けていただけなので、全くほめられたものではないのです。
 
 
しかし、それらのことが自分にとってはきっかけになったのは本当のことなのです。
稽古をしていて、それまでわからなかったことが急に分かるようになった、ということではありません。
 
ただ、稽古をしているとき、師父の動きを拝見しているとき、それまで気付かなかった「これではダメだな」という、
自分の姿が少し見えるようになった気がするのです。
 
取り組み方への考え方でしょうか。
それが果たして、理にかなったやり方なのか。そう思えるようになり、これもまた少しずつ変化を起こしているように感じます。
 
 
自分で感じる変化は非常に些細なものなので、太極拳に限らず人生全般で、本当は「こんなのでいいのか」と思うところもあります。
 
弱音を吐き続ければ、一晩は語り明かすことができそうです。
 
ただ、それとは別に、自分の中に、そんなものは一切置き去りにしてやっていけそうな力があるのも同時に感じています。
 
一足飛びに強くなったり、成長することはむずかしいことだと思います。
 
朝起きたら達人になっていた、なんてことはありません。
 
アメーバみたいな生き物からいきなり人間が生まれるのはほとんど不可能のように思えますが、段階的に進化を重ねていくことで、最終的には不可能とも思える人間が生まれ、さらにそれが進化していく可能性も見えてくるのだと思います。
 
 
多くの人は、なにかを成し遂げようとして夢見るのは憧れの姿であり、それと自分を見比べて、とてもそれはできそうにない、と諦めてしまうのだと思います。
 
本当はそこに至るまでの道筋があるはずなのですが、それが普通にはわかりません。
 
だから、そこに到達するのがまるで不可能なように感じるのだと思います。
 
だからこそ、段階的に成長していける体系があるということは、本当にとてつもないことであり、それこそが本当の意味での宝なのだと思います。
 
とはいうものの、では教わればそれで全てができるかというと、全くそんなこともないのも事実だと思います。
 
教えてもらうことができるのは、道の歩き方であり、歩くべき道です。
 
実際にそれを歩くのは、自分であり、自分の脚を動かさなければならないのです。
 
おまけに、教えていただいた道は、自分の考え方という草木が覆い、一見するととても道のようには見えないのかもしれません。
 
そのため、最初にその道を行く冒険者のように、自分の手で道を切り開いていくという意志が必要になるのかもしれません。
そして、そこを歩いていけるのは、自分の力で、自らの脚でのみ、です。
 

                                  (了)



 *次回「今日も稽古で日が暮れる/ その34」の掲載は、1月22日(月)の予定です

disciples at 11:33コメント(7)今日も稽古で日が暮れる  

コメント一覧

1. Posted by まっつ   2017年11月25日 01:05
成長し続けられるという事は本当に凄い事だと思います。
日々新たに、倦まず弛まず歩き続けている人は尊いと感じます。
自分の問題に向き合って生きているという事であり、
自分の人生を生きているという事でもあるかと思います。
私も常に自分の問題に向き合って居られるかが課題だと感じています。
太郎冠者さんが新しい自分を見つけられた事は、
とても喜ばしく、勇気付けられました。
 
2. Posted by ランフォリンクスの尾   2017年11月25日 19:17
脱線してしまって申し訳ないのですが、考え方や取り組み方を変えることの重要さに気づかされることが私にもあったのでこの場を借りて紹介したいと思います。
先日、以下の話について知りました。

メラネシア各地では太平洋戦争期にやってきた軍隊と出会って初めて外の世界に触れた人たちがおり、彼らの間ではカーゴカルト(cargo cult)と呼ばれる信仰が生まれる場合がありました。ここでのcargoという語は本来の積荷という意味を離れ、広く工業製品全般を指すそうです。

物資が空輸されるのを見た彼らは、戦争が終わってからも同じ現象が起きることを期待しました。そこで彼らは滑走路を作り、その脇で火を焚き、管制塔を模した小屋を建て、そこに竹のアンテナがついた木のヘッドフォンを装着した人を座らせました。彼らは見た通りのことを正しく行ったのですが、積荷を載せた飛行機が着陸することはありませんでした。

物理学者のファインマンは74年の卒業式式辞でこの話を引き合いに出し、正直さに欠ける似非科学をcargo cult scienceと呼んで批判しています。現在でも比喩的にcargo cultという表現が使われることがあるのは彼の影響によるそうです。

ともかく私はカーゴカルトの人たちに強烈な親近感を覚えてしまったのでした。たとえどんなに正しい指導を受けていても、学び方が表層的な模倣に過ぎず本質を捉えないのであれば、そこに飛行機は着陸しないのです。

そもそも欲しがるものを間違えているという点にもなんだか心当たりがあります。触れずに相手を崩すようなことを積荷だとすれば、太極拳そのものは人類文明全体に例えられるべきなのかもしれません。

変なコメントになってしまいましたが、地道に稽古を続けていくしかありませんね。頑張りましょう。
 
3. Posted by 円山玄花   2017年11月29日 00:46
自分の考え方を変えることは、容易ではないですね。けれど、自分に当てはめて考えてみると、
そこに必要な努力とは、たったひとつの「気づき」であるような気がします。
指摘される「自分の考え方」に自分で気がついていないこと、つまり無意識が問題であり、
それ故に新しい考え方を持てないのだと思います。

自分の中の、原子レベルでの変化を感じ取れるほどになりたいものです。
 
4. Posted by たそがれの単身赴任者   2017年11月30日 08:51
太極拳を学ぶにあたり、いえ人生を生きていくことにあたりとても意義深いお話でした。人間はだれしも草木の生い茂る、(けものみちみたいなところ)をとぼとぼと歩いている。う〜ん。こころにしみます。私事ですが家族のことでウン十歳になってから、全くの専門外の仕事を生活の糧にするようになってから感じてきたことです。今でも夜中にふと「この道でよいのだろうか?とんでもない思い違いをしているのではないのだろうか?油断していて危機に気づかず、いわゆる茹で蛙のようになっているのではないか?」自問自答の毎日です。
太極拳の修行においては時々灯明がともされている民家や街灯に遭遇できて、師父、玄花先生が明かりをもって立っていらっしゃる姿にお会いすることができます。ああこの道でよかったんだなと安堵することがよくあります。おかげさまで仕事の道においても今のところは崖に転落したり、山賊にみぐるみはがれることもありませんでした。自分自身の道を見失わないためにその明かりを見失わないように、見る力を維持して、「はり」をもって生きつづけなくては・・・。私も太郎冠者様をみならって減量のまねごとをして、恥ずかしながらの78.6圓71〜72圓泙任發辰討いことができました。しかし油断は禁物です。人生にはいくつになっても「はり」をもって 原子は無理でも分子レベルでもいいから
  
5. Posted by マルコビッチ   2017年12月04日 18:35
コメントが遅くなり申し訳ありません。

乗り越えられそうも無い目標を達成できると、それは自信に繋がりますし、その過程に置いても、今までと違う物事への向かい方や自分自身の発見に繋がりますね。
自分を変化できた事は人生において宝物だと思います。
そしてそれはまた新たなステップへと続くのではないかと思います。

>人間は一度馴染んでしまったパターンを、なかなか変えることができません。
本当にそうですね。
自分を振り返ってもホントにその通りで、思い当たる事だらけです。
そのパターンが、何を起こしているのか?自分にとって何なのか?
本当に変わっていきたいなら、それに気付いて、外していかないと・・ですね。
 
6. Posted by ユーカリ   2017年12月04日 23:16
コメントが大変遅くなり、申し訳ありません。
心に隙があったのだと反省しております。

>実際にそれを歩くのは、自分であり、自分の脚を動かさなければならないのです

生きていくには、現実から逃げ、人任せにするわけにはいかないものだと、感じながら日々を過ごしております。朝目が覚めたら、世界が一新!という現実があるのだと、本当に信じていた自分は、何だったのだろうと思うと同時に、気を抜いたらば、そこへは容易に引き戻されてしまう、とも感じております。
できない、弱い自分を取っておきたい、そこを隠れ蓑にしたいという、相当たちの悪い自分が存在することも発見し、どう歩んでいったものやら?と途方に暮れましたが、師父と玄花后嗣の根気強いご指導のお陰で、ゆっくりではありますが、歩みを続けております。

太郎冠者さんの、実体験をつぶさに観察し、次なる課題に向けて進んでいらっしゃるお姿に、結果を予想したりせず、自分を挟まず言われたとおりに取り組み、どうなってゆくのか変化を味わえる自分でありたいと思いました。
 
7. Posted by タイ爺   2017年12月07日 17:35
自分の弱さを認めることのなんと難しいことよのう。(遠い目)
しかし脳のシステムからいうと否定から入った行動尾は失敗が多く、肯定から行ったものは成功が多いのはイメージトレーニングで実証されています。
人間関係において自分を嫌っている人と関係改善するときに一番してはいけないのが無関心を装うことで、一番必要なことは真っ向勝負で敵対覚悟で向かいあうことだそうです。
脳のシステムが問題解決にフル回転をおするとのこと。失敗にしっかり向かいあうことが成功への最善策なんでしょうね。
「師父が仰るんだからきっと何かあるに違いない」
ホントこれに尽きます。
 

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