2017年10月25日

練拳Diary #80「台風に思うこと」

               by 玄門太極后嗣・範士   円 山 玄 花



 先週末、10月22日に超大型の台風21号が静岡県の御前崎を直撃し、本州に上陸しました。
 強風域の直径2,200km、最大風速50mという「超大型」の呼称のまま日本に上陸した台風は観測史上初めてということですが、普段から雨が少なく、めったに大雨に降られることがない本部道場でも、この日は窓一面に大粒の雨がひっきりなしに叩き付けられ、稽古を終わろうという夜中になっても、渦巻く風の音が止むことはありませんでした。
 その日は、いつものメンバーに加えて、札幌、東京、長野からも、門人が稽古に出席するために来ていました。
 「大事な稽古が行われる」となれば、たとえ超大型の台風が来ていようとも彼らには関係なく、帰るための交通機関が動いている間は問題無いとして、一心不乱に稽古に励むのでした。
 きっと、本当は交通機関がストップしようとも、貴重な教えを受けられるのであればそれで良い、とさえ思っているに違いないのです。また、そう思えるだけの教授内容がこの道場には確かに存在するし、それを修得するためには、並大抵の熱意と努力では報われないことが感じられるからこそ、緊急速報で避難準備警報が鳴り響く中であっても稽古に没頭できるのだと思います。

 さて、この日も充実した稽古が十分に行われた後のこと、とある問題が発生しました。
 帰り支度をしていたAさんとBさんの2人にふと目を留めると、いつもの稽古帰りと同じ服装をしていて、とても今から暴風雨の中を帰るとは思えませんでした。
 念のため「合羽を持っていますか?」と聞くと、Aさんは何と「家にあります」と答え、Bさんは「車の中です」と答える有り様です。
 台風が一日中荒れ狂った挙げ句、あと数時間で最大のピークを迎えるという大雨と暴風の状況下で、カッパの一枚も無いという事態に、師父と私はとても驚きました。

 もちろん、台風が来ることは事前に分かっていたはずですし、彼らにその準備をする時間が無かったわけでもないのです。けれども、Aさんは先日のキャンプで使用したカッパを焚き火臭いという理由で、拭いて家に干したままにしており、Bさんは駐車場まで持ってきていながら、わざわざ車に置いてきていました。
 きっと、2人が稽古に来るために外に出たその時は、雨が止んでいたのでしょう。けれども、帰りたい今この時に、暴風雨を遮るためのカッパが無いのです。

 普通の人は、結果的に無事に家まで帰ることが出来た場合には、もしかしたら、「雨具がなくてもそれほどひどい目には逢わなかった」「自分は無事だった」と考えるかも知れません。しかし、それは全く結果オーライではないのです。

 『一番の問題は、そのとき結果的に無事であったかどうかではなく、超大型の台風が直撃するその日に、鞄に合羽を入れてこなくても大丈夫だと思えてしまうような、その高を括れてしまう精神性のままでも、太極拳のような高度な武術を修得できると思っていることだ』と、師父は仰います。
 また、『人間の中身はひとつなので、日常の備えに対しては高を括ってしまうけれど、深遠なる太極拳には真摯に向かい合う、などという器用なことは出来ない』とも仰いました。

 確かに自分のことを振り返ってみても、何かを軽んじている時や、何かに対して傲慢になっている時というのは、その対象となる「何か」が問題になるのではなく、常に自分自身が軽薄であったり傲慢であったりしますので、対象毎に自分を分けることは出来ません。
 太極拳は、自分にとってとても難しい武術だと感じられます。けれども、その「難しさ」を掘り下げていくと、何もかもが「自分勝手に出来ないこと」に辿り着きます。太極拳が難しいのではなく、自分勝手に出来ないために難しいと感じられていたのです。
 示されていることを、自分を挟むことなく、そのままその通りに受け取れること。それを可能にする精神性と意識を養うために、道場には細かい礼儀作法や道着、身嗜みなどまでもが細かく定められているのだと、今となってはよく分かります。

 「高を括る」ことは、言わばその場限りの自己満足です。今回の事で言えば、カッパを鞄に入れていかなくても良いと判断したとき、不測の事態に備えることよりも、自分の都合を優先したというわけです。
 ちなみに師父はその日、台風の影響で帰宅が困難となっても良いように、日常の装備に加えてビバーク(不時の露営)の出来る準備と、ガスストーブなども持って来られていたと聞きました。
 結局それらの装備は使わずに済みましたが、もしもその日帰れない状況になったとしたらどうでしょうか。たとえば、台風で倒れてきた木が車に直撃して動かせなくなっていたとしたら・・真夜中の駐車場に来て潰れた車を見て呆然としている時点で、師父はカッパの上下に身を包み、ザックには防水カバーまで掛けてありますが、彼ら2人はすでに全身びしょ濡れで、どんどん体温と体力が奪われていきます。その後、仮に風雨を凌げる場所を見つけたとしても、濡れた服がカッパだけなのと、着ていた服装の全部がビショ濡れの場合とでは、身体を温めたり、お湯を沸かしたり、温かい食事を摂ったりするための、次の行動に取り掛かるまでの時間や労力が大幅に変わってくることでしょう。
 実際にどのような状況でも動ける人と、限定された状況でしか動けない人との違いが、ここに表れるような気がします。

 私たち現代人は、ともすれば「今までもこれで大丈夫だったから」という浅薄な発想から物事を判断し、実行してしまいます。なぜ「これではダメかも知れない」とは考えないのでしょうか。
 思い当たることは、いつも師父が私たちに仰るように、周りを見渡せば24時間開いているコンビニがそこら中にあり、手元には万能とさえ思える魔法のスマートフォンがあるからなのだと思います。コンビニが悪いのではなく、コンビニがあるから大丈夫だと思える私たちの頭がオカシイのです。便利さ、安易さ、簡易なことが当たり前になってしまっていること、これほど恐ろしいことは無いと思えます。なぜなら、便利さと引き換えに、私たちは「自分で考える力」を失っているからです。

 さあ、それなら人間の野生と本能を呼び覚ますために野外訓練をしよう、と思い立てば、もちろん雨具は持って行くに違いないのですが、今度は野営のための火が熾せないという事態が起こります。
 すぐに火の着くガスレンジや電子レンジで育った私たちにとって、野外で火を熾すことはとても難しいことなのですが、やはり、そこには「これで火が着くはずだ」という自分勝手な思い込みが存在します。私が太極拳を難しいと感じることと、火を熾すことを難しいと感じることは、実は同じことなのです。
 何が問題で、何が解決になるのか。それを瞬時に分かり、解決のために実行できるようになるには、一朝一夕には不可能です。
 普段から、根拠もなく「きっと大丈夫だ」と思うのではなく、「何が起こっても大丈夫なように準備しておく」というその心構えが、自分が修得したいと思える太極拳に向かう心構えと同じであり、その心構えで修練を積み重ねた結果として、戦って生きて帰れる強さへと繋がっているのだと思います。

 本部道場で開催された『CQC特別講習会』では、日常生活から被災時を含む様々な状況での危機管理についても講習が行われていますが、今回のようなことが起こると、その講習の中で師父がいちばん初めに仰っていた、『誰もが自分だけは大丈夫だと思っている』という言葉が思い起こされます。

 大型台風が御前崎を直撃したその日、札幌から稽古に来ていたCさんは、やはり豪雨の対策となる物を何も持っておらず、コンビニでカッパを買って最終電車に乗り込んだものの、到着した駅から24時間営業のファミリーレストランに向かい、バスの出発時間まで温かな数時間を過ごすつもりが、向かう途中で風雨の酷さに身の危険を感じて引き返し、駅付近にあるバスターミナルの地下で風雨を凌ぐことになりました。結局その夜は、稽古の帰り際に師父に頂いたリンゴとバナナが夜食になったそうです。
 後日ご本人から聞いた「本当に美味しかったです」という言葉からも、Cさんがどのような心境で一夜を過ごしたかが伺えます。

 「災害時には不測の事態が起こる」と言われていますが、今回の台風のことから、実は日常生活においても、本当はずっと不測の事態が起こっているのだと思いました。ただ、それが幸いにも大ごとでは無いために気付かなかったり、慣れてしまって何とも思わなくなっているのではないでしょうか。
 日常の自分勝手な習慣を、身体面でも精神面でも否定し、物事本来の正しい法則を見つけて、身に着けていくこと。これは太極拳の修得に欠かせないことですが、同時に災害時に生き残ることや戦争時に生きて帰れる事にも繋がり、延いては人間性の成長にも繋がるはずです。

 「降らずとも傘の用意──────」

 千利休が遺したこの言葉の意味を、今一度深く考え直してみようと思えた、この度の台風でした。

                                   (了)

xuanhua at 01:00コメント(14)練拳 Diary | *#71〜#80 

コメント一覧

1. Posted by マルコビッチ   2017年10月29日 22:43
>・・・しかし、それは全く結果オーライではないのです。
あの日実は私も、焚き火臭いまま干してある合羽をたたんで鞄に入れるのを躊躇い、別のフード付きのウィンドブレーカーとレインレッグカバーをタオルとともにビニール袋に入れて持っていったのです。
私が帰る頃にはまだそれほどひどくなっていないだろう・・という予測もあったと思います。
幸いにも濡れずに帰宅できたものの、もし途中でクルマが動かなくなってしまったら? 
最近は天気予報士でも予測できない、数十年に一度の記録的な大雨など不思議で異常な現象が頻繁に起きているのにも関わらず、その天気予報と言う情報だけで自分の行動を最小限にしている事が本当に情けないです。
「何が起こっても大丈夫なように準備しておく」という心構えにおいて、本当にまだまだ甘い自分を感じています。
この事を教訓とし、きちんと自分で感じ、考えて、準備と行動をしたいと思います。
またご指導よろしくお願いいたします。
 
2. Posted by 太郎冠者   2017年10月30日 22:36
日常生活に潜んでいる自分の不注意な点や、まあいいかと思ってしまっていることが、気づかない間に武術の稽古にどれだけ影響を与えているか・・・。

こうして改めて文章で指摘していただくと、どれだけなあなあで適当に過ごしてしまっているかを、反省させられます。
前回の台風に続き、先週末も台風が接近してきましたが、
「降らずともー」の言葉に従い、カッパとポンチョをバッグに入れて稽古に向かいました。
今回は幸運にも、帰り時間には雨は止んでいましたが、使わずとも用意されている雨具に、どれだけ安心感があったか、前回と比べずにはいられませんでした。

道具さえ揃えればいいわけでもないでしょうが、そもそも使える道具がなくては、人間にできることなど限られてしまうのだと思わされました。
なによりも、なんとかなるだろうとたかをくくってしまう考え方の危険性に思い当たりました。
今回の件も、大いに反省の機会として使わせていただこうと思います。ありがとうございます。
 
3. Posted by まっつ   2017年10月30日 23:44
安全/便利になると、生命は緩く/馬鹿になるのは真理だと思います。
これまで人間は危険や不便を克服しようと工夫を積み重ねてきましたし、
生きる事が厳しかったから、必死に能力を引き出して日々を生きてきた筈です。
でも今日では、差し迫った命の危機や、耐え難い理不尽に襲われる事は無く、
図らずも古人が望んだように、日々を平凡に生き続ける事が出来るようになりました。
その結果、現代人は野生から遠くなり、能力は眠らせたまま、馬鹿になりました・・・
私もその中の一人として、「備えたつもり」から改めねばと思います。
 
4. Posted by ユーカリ   2017年10月30日 23:57
必要最低限の荷物で、必要になったら現地で調達…
このような、安易で気楽な生活(たとえ海外旅行に至ってもでした)を良しとしてきてしまったCQC受講以前の私を、思い返すだけでも恐ろしくなります。
が、今現在も、現状を把握し、その時により必要となるであろう物をその場で準備して持って出かける、という常に動けるための心身の準備が、全く欠落していたと反省しました。
これで良しと思った時点で、根拠のない安心を得て思考も動きも停止してしまう…やはり、生活にも稽古にも当てはまります。

「自己満足に浸っていないだろうか」と常に問う姿勢は、どのように無極を整えようとしているのかと全く同じで、自己を挟む隙間はなく、整え続けていくものなのだと思いました。
 
5. Posted by 円山玄花   2017年11月01日 14:32
☆マルコビッチさん

なんと、マルコさんも合羽無しで来られていたのですね。
確かに、天気予報をチョイと見て判断し、その日の装備を決めるということがありますが、
「天気予報は当てにならない」と思ったのは、何回か失敗して酷い目に遭った後のことでした。
まさに、経験に勝る教訓は無いと言うことでしょうか。

それ以来、「何が起こっても大丈夫なように」と思って装備を考えると、ずいぶん大仰なものになったりもしましたが、不思議なことに少しずつ工夫を加えると、最小限とはいかないものの、コンパクトにまとめていても大概の状況には対応できるような装備に行き着きました。まだまだベストとは言えませんが、物の数や量に頼らない装備の一端が見えてきた気がしています。
きっと、その道のプロは装備らしき物を持っていないように見えても、誰よりもその場の過酷な状況に対応して生き残るのでしょうね。
ナイフ一本でサバイバルしてしまう人達がいることも、覚えておきたいものです。
 
6. Posted by 円山玄花   2017年11月01日 14:35
☆太郎冠者さん

>使わずとも用意されている雨具に・・

う〜ん、これぞ順体が教えんとしているところでしょうか。
「殴らずとも用意されている順体に、相手は真っ直ぐ向かってくることさえ難しい・・?」

あ、失礼しました。安心感のお話でしたね。
仰る通り、自分に用意があると、突発的な出来事にも心身の余裕を持って対応することが出来ますので、考えられることも、行動できることも、随分変わってくると思います。
敵との戦いが、拳の殴り合いではなく銃の撃ち合いだったならばと考えれば尚のこと、自分に何かしらの用意が有るのと無いのとでは、生き残れる確率が大幅に変わることは明白です。

私たちが日頃多用してしまう「何とかなるだろう」という考え方には何の根拠もなく、ただのその場の心理的安心を得ているだけのことだと、自覚したいと思います。
 
7. Posted by タイ爺   2017年11月01日 18:52
一人で朝から夜まで釣りをしていた頃、どんなに晴れていても着替えは一通り、帽子や雨具は必需、着火道具は3種類くらい万が一を考えて携帯食料を3〜4食分。釣り具と虫よけスプレー。携帯は防水ケースにいれてガソリンは満タン。ようやく出発。
これは相手が自然であり自分がコントロールできるわけもなく、ひたすら大自然に自分を合わせるしかないわけで・・・。あれどこかで聞いたようなきがします。
 
8. Posted by 円山玄花   2017年11月02日 02:01
☆まっつさん

元々人間は生命として楽で便利で安易なことを望む、怠惰な生き物なのではないかと思います。
その反面、より高度で意識的で進化した世界を望んでもいます。
仕事に根を詰めすぎても効率は悪く、労働と休息をバランスよく取れることが成功への一番の近道であることは、重い荷物を背負って長い道のりを歩く時でも同じことです。

自分の人生の目的を見誤らなければ、安全と便利は心強い味方になってくれると思いますし、
次なるステップへの踏み台にさえなると思います。
常に能力を開花させ続けることが出来て、尚かつそれに疲弊しないような、そんな精神と意識とを勉強していければと思います。
 
9. Posted by 円山玄花   2017年11月02日 11:00
☆ユーカリさん

>必要最低限の荷物で、必要になったら現地で調達…

ある意味、“旅慣れた人” を連想させますね。
きっと、現在は「必要最低限の荷物」の中身が、大きく大きく変わっているのでしょう。

今回の台風にせよ、突発的なこと(台風はすでに予測されていましたが)に対して、
何を持っているかではなく、何が出来るか、何を考えられるかが問われている気がしました。
それこそ、「合羽を持っているから良し」ではなく、そこからさらに、より安全で安心で確実なことを発想できるかどうか、またそれに基づいて判断できるかどうかなのだと思います。
やはり、普段の生活における意識訓練が大事なのだと、思い至ります。
 
10. Posted by 円山玄花   2017年11月02日 11:02
☆タイ爺さん

そう言えば、自衛隊の知り合いには、釣りを趣味とする人が多いです。
そして、やはり休日に一日山に入って釣った魚を夕飯にして、翌朝帰ってくるとか。
自然の中に入ることは、危機を身近に感じるのに最も手っ取り早いことなのかも知れません。

自然と共に生きるという着眼から、少しだけアイヌの生活を調べてみたことがあります。
彼らの発想も考え方も、生温い環境で生きてきた自分とは比べものにならないほど厳しく、
そして美しく感じられたことが印象的でした。

何と言っても、大事なことは、もの凄い装備やサバイバル知識ではなく、生きていることに感謝できる気持ちであり、それが火の暖かさや食事の有り難さに感謝できることに繋がり、それを大事に出来ることで、火を熾せたり、合羽の用意が出来ることにもなるのだと思いました。
台風ひとつでこれだけ勉強させてもらえるのですから、ありがたいことです。
 
11. Posted by たそがれの単身赴任者   2017年11月05日 10:50
2週続け、季節外れの台風という想定外の災害についてのお話、とても大きな教訓でした。私も仕事の都合上、稽古のあと駐車場が地震、風水害で損壊したり、閉鎖されて車が使用できなくなった場合、水、食料備蓄のある仕事場へもどっても26キロ、自宅なら55キロを徒歩で走破しなければなりません。皆様の遭遇された危機はいつどなたのところでも起こるかもしれないこと、そのための備えはおろそかにできないことをあらためて実感いたしました。
せっかくの装備も常にチェックしていないと賞味期限切れ、電池の放電、ウェットティッシュがからからに乾燥しているかもしれません。装備の構成、内容自体も陳腐化しているかもしれません。稽古、CQCでの教えはもとより、師父、玄花先生の体験談をもとに、心と装備のアッブデートが必須のものと考えます。
 
12. Posted by 円山玄花   2017年11月14日 11:03
☆たそがれの単身赴任者さん

>心と装備のアップデート

これはまさに毎日必要になることだと思えます。
そして師父はよく稽古中に、太極拳の考え方を理解するために、
自分の考え方をやめて新しく書き換えるよう仰います。
人は、緊急時には特に心理的に「自分が一番安心できる方法」に縋りやすく、
それが危機回避に最も適切且つ的確な方法であるかどうかは考えられなくなると言われています。
そのことを常に念頭に置き、日常のささやかなことから大きなことまで、
考え方を書き換えられる訓練を積みたいと思います。

…それにしても、26キロの距離は歩くには結構あります。
できれば一度、5キロまたは10キロの距離を、お時間と心身の体調に余裕がある時にでも、
ゆっくり歩いてみることをお勧めします。
 
13. Posted by ハイネケン   2017年11月19日 09:22
台風当日、撥水機能のある帽子付アウトドア上着、靴はゴアテックスのブーツそしてビニール傘。さらに雨足が強いので膝上まであるポンチョ式カッパをコンビニで購入。
まあまあな装備です、小雨なら…

さてこれで超大型台風の中、稽古の帰路を歩きました。
大風で立て看板が倒れている中、ビニール傘はすぐに折れ曲がり、大雨でカッパからはみ出した膝下はずぶ濡れ、ブーツの中は自分から滴り落ちた雨水で水たまり状態。
時間にして約5分もなく、一瞬で上半身以外ずぶ濡れになった気がしました。

その後、避難した地下バスターミナルで一夜を過ごしました。
師父から頂いたバナナと林檎の美味しさと、自分の認識の甘さを噛み締めていました。
 
14. Posted by 円山玄花   2017年11月21日 00:42
☆ハイネケンさん

コメントをありがとうございます。
何事も経験が大事…とは言いますが、それが最後の経験にならないように、
つまり命がある内に「経験」にて、生き残れる勉強をしたいものだと思います。

人が大自然に脅威を感じながらも、山に登ったり海に出たりと、わざわざその脅威の中に身を投じるのは、自分もまた自然の営みの中で生まれたことを思い出すためかも知れません。
自然と共に生き、自然と共に勉強していく。
そうでなければ、大宇宙を意味する太極拳は、理解できないような気がします。
 

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

  • ライブドアブログ